2008/12/29

077【老いゆく自分】年賀状をやめる

 今回から年賀状を出すのをやめることに決めた。
 書くのが面倒だからではない。いや、好きなほうといってもよい。
 ただ、毎年の書くときの問題は、喪中のご挨拶をいただいた方に出さないほうがよいだろうと思うのだが、でも毎年の1回ぐらいは挨拶状を出したほうがよかろうと思うことだ。

 こちらはまだ生きていると告げておくほうが、差しさわりが少ないような気がするのだ。どんな差し障りかと聞かれても困るが、まあ、うっかり悪口を言ったり言われたりしないようにするためか、、。
 でも、この人は喪中ご挨拶が来た、あの人からは来ないけれど喪中であると知っている、なんて、あれこれ判断して出す出さないを決めるのが、まことにどうも面倒になったのである。

 それはつまり、知人関係者に他界する人が多くなったからであり、それはつまり、こちらもその仲間になりつつあるからだ。
 現に、わたしは喪には服さないが、母が今年は逝った。そろそろわたし自身の番かもしれないとおもうのは、同期生や近い先輩たちがそうだからである。

 縁起でもない話をしているが、年賀葉書の話に戻すと、だから喪か不喪(こういう言葉あるか)か判別が面倒なのである。
 だから、もう全部に出すことにしよう、ならば、年賀ではなくて寒中見舞いにすれば良いと、まことに良いことに気がついた。
 そこで、年末は葉書書くのをやめて、年賀シーズンが終った頃にゆっくりと寒中見舞い書きに取り掛かることにする。
 さて、問題は、それを忘れてしまうことだなあ、、。

2008/12/27

076【老いゆく自分】商店街のまんなかで転んでしまった

 ひょいと足が空を踏んで、前のめりに、何かにつかまろうとしたがむなしく、まえにとっとっとのめって、歩道に手を突き、右膝を打った。
 痛い、でも、カッコウ悪い。なにしろ箱根観光の玄関の町の商店街の真ん中だから、通る人がいっぱいいて、大丈夫ですか、と、親切に言って下さる人もいる。

 ハハハ、大丈夫です、ありがとう、、なんて強がり言いつつ、膝のゴミをさっと払って、すっくと立ち上がり、そろりと足を踏み出す。打った膝が痛いが、歩くことはできる。
 振り返って転んだところを見たら、街路樹の根元の周りが、舗装面から低くなっていて、うっかりそこに足を突っ込んだのであった。
 そろりと歩き始めて、次第に調子が戻る。ハハ、なんともないよなあ、と、自分言い聞かせつつ行く。
 電車に乗ってから落ち着いてみると、右膝のズボンが破けている。おお、中身はどうかと触ってみたが、血は出ていないがちょっと皮がむけている。
 もう10年も前だったか、長崎の町の繁華街で、突然ばたんと見事に転倒模範演技のごとく転んだ。このときも周りに大勢人がいて、恥ずかしかった。きれいに舗装した道だが、どうして転んだのか、ちょっと舗石に段差があったらしい。
 このときはズボンが破れるだけでなくて、血が出た。急いで薬局で絆創膏を買って、それでズボンを応急修理し、ついでに傷口もふさいだのだった。

 老いる自分の衰えに気がつかずに、特に足元に注意することなく歩いているらしい。疲れると足の上がり方が鈍ってすり足になり、ちょっとした舗装の石の段差でも転ぶようだ。
 転びかかっても、立て直す踏ん張り能力とか、反射的になにかにつかまる能力に欠けてきているらしい。

 そのうちに、転んで骨折して、寝込んで、そのまま老化急進行ってことになるのだろう。母がそうだった。
 今度からは転んだら、カッコウなんかつけないで、転んだままでおおげさに助けを求めることにしようか、一回くらいは救急車に乗ってみたいから、、。 

2008/12/23

075【世相戯評】なんでも外注時代だから風邪ひきもそうしたい

 風邪をひいて調子が悪い。
 寝ながら考えたのだが、ちかごろはなんでも外注(アウトソーシングなんていう)する時代だから、風邪ひきも誰かに出したい。わたしの替わりに熱を出し咳き込みつつ寝込んでくれる人に、。
 いまや家庭のことも個人のことも、どんどん外注できる時代である。
 教育、食事、介護などが典型だが、代理母なんて子をつくる生殖作業さえも外注できるのだから、すごい時代になったもんだ。

 ならば、病気だって他の人に外注できる時代が来るに違いない。風邪程度なら外注費が安いが、癌となるとものすごく高価だろう。金持ちはそれでも外注するだろう。
 このヨタ話を突き詰めると怖いことになりそうだ。
 とりあえず外注したいのは、便所へ行くことである。大100円、小50円くらいで、誰か代わりにやってもらいたい。
 あ、そういえば、「なんでもやります」と書いた便利屋のパンフがはいっていたなあ、頼んでみるか、。

2008/12/15

074【法末の四季】大雪にそなえて冬支度を始めた 

 中越・法末の活動拠点「へんなかフェ」は、雪のシーズンに備えて冬支度をした。
 窓や縁側のガラス戸の外を板で囲った。そのままにしておくと積もる雪がガラス戸を押して壊すので、板で守るのである。
 玄関を冬用の入り口に変えた。便利な入り口は、屋根から落ちてくる雪でふさがれるから、ちょっと不便でも雪が積もりにくい形になっている庇の下の入り口にした。

 わたしたちの拠点民家にはないが、庭を大切にしている家では、庭木を板で囲ったり、雪釣りして倒れたり枝が折れないようにしている。
 雪国育ちでないわたしには、そんなことがことのほか珍しい。

 春から秋は明るく風通しのよい家だが、冬は昼間も電灯をつけていないと薄暗い。はっきり言って陰気である。
 古い家は傾いていて戸の建て付けが悪いし、外壁や床のインシュレーションもよくないから、寒い。
 周りを板で囲っているから、もしも夜中に火事となったら、逃げ出すのは玄関しかない。考えると恐ろしい。
 伝統的民家が美しいと言っても、住むとなると苦しい。

 でも、春から秋にかけての快適なこと、特に夏の昼寝の楽しみは、冬のことを忘れさせる。
 冬の伝統民家の楽しみは、囲炉裏の火を囲んで、だらだらとしゃべりつつ、酒を飲み、鍋料理をつつき、餅や銀杏を焼いて食い、時にうとうと居眠りをすることである。
 集落のいくつかのお宅を訪れたが、めったに囲炉裏にはお目にかかれない。どこもコタツと石油ストーブである。ストーブの温風をパイプでコタツの中に取り込んでいる工夫が面白い。

2008/12/14

073【怪しいハイテク】カメラの液晶表示がダウン

 デジタルカメラ(キャノンixy900is)の液晶画面が壊れた。
 それでも光学ファインダーがあるので、そこから見定めて撮影すると、画像は写っているので、カメラの機能は死んではいない。

 それでも一応、修理に近くのキャノンの店に行って聞くと、液晶画面だけ取替えは約1万円だと言う。ちょっと悩んだが、頼んだ。
 その日の夕方電話がかかってきて、カメラを開けてみたら、水に浸かったらしくてあれこれおかしいので、直すとなると新しく買うほうが安い、と言われた。

 う~む、以前に便所にボチャンしてから生き返ったのだが、やっぱりプロから見るとダメらしい。
 しょうがないので、そのまま返してもらった。ファインダーから覗けば撮影はできるのだが、問題は設定を変えることができないのである。でもまあいいや、と使うことにした。

 しかし、このままでも困るので、同じ型のカメラの中古品をインターネットで調べると、15000円前後で売っている。
 近くのソフマップに言ってみたら、10000円ほどで、ちょっと液晶に黒点があり、画像にも影響が出ると書いてあるixy900isがおいてある。う~む、どうしようかなあ、、考えているけど、、、。

 それにしても、液晶画面が見にくい明るい屋外の風景撮影がほとんどなので、光学ファインダーがあるこのカメラを買っただが、まさか液晶が壊れるとそれが役に立つとは思わなかった。
 まあ、昔のカメラはみな光学ファインダーだったし、設定を微妙に変えることもないし、しばらくこれで行こう。

 ところで、この型から後の新製品で28ミリのデジタルコンパクトカメラのどれにも、光学ファインダーがついていないのである。どうしてなのか、明るい山や海などで移すと困るのだ、なんとかせい、。

2008/12/09

072【建築家・山口文象】山形梅月堂シンポジウム 

 山形モダン建築の再発見
 建築家・山口文象が1936年に設計した山形市七日町にある梅月堂、いまや彼のモダニズムデザインはこの梅月堂と黒部第2発電所だけが現存。
 地方都市の中で生き続けるモダンデザイン,いわば「マレビト」としての建築の魅力を,山口作品を通して体験する展覧会,シンポジウムを,現地の梅月堂の建物内で開催。
 梅月堂のできたころの山形、梅月堂がその後に山形で果たした役割、梅月堂と神楽坂との思いがけない縁、梅月堂を設計した頃の日本の建築界と山口文象などの話題を提供、当時の建築設計図や写真も公開展示。
(日本建築学会東北支部山形支所事業2008)

●旧梅月堂展覧会・オープンハウス
・日時 2009年1月12日(月・祝)~17日(日)11:00~17:00

●旧梅月堂シンポジウム
・日時 2009年1月11日(日)14:00~16:00
・講演:伊達美徳
・座談会:伊達美徳,相羽康郎 他
・進行:香川浩 
・会場:YT梅月館(山形市七日町1-4-26)
・定員:30名(申込先着順)
・問い合わせ:東北芸術工科大学建築・環境デザイン学科相羽研究室
tel. 023-627-2057e-mail yaaiba@env.tuad.ac.jp

●関連→山口文象サイト

2008/12/05

071【世相戯評】年収100円の社長さんへ

 アメリカの自動車会社の社長さんが、自動車が売れなくて会社がつぶれそうなので、去年までの年間のお給料が10億円以上だったのを、これからは年に100円にすると決めたそうです。
 どうしてそれで生きていくのでしょうか、だってアンパン1個で100円ですから、腹が減ってしまうと思うのです。
 去年までの毎年10億円以上のお給料は、世界一の自動車会社の社長さんが大会社を維持するためには、いろいろとそれだけのお金が必要だから、会社は払ったのだとぼくは思います。
 アメリカはイラクやアフガンで戦争したりしてお金がたくさんいる時代に、まさか自動車屋さんは戦争に乗じて大もうけして、貯金をしているとは、ぼくは思いたくありません。もしもこれまで貯金できたのなら、副社長さんや専務さんたちも、みんなでその貯金を出せるはすです。政府に助けを求める必要はないでしょう。
 だからこそ社長さんは、アメリカ政府にお金を貸してください、税金で助けてくださいと、言っているのだと思います。

 でも、これはこれからの地球を救う大きなチャンスだと、ぼくは思います。
 自動車が多すぎる世の中になって、事故で死んだり怪我する人が多いし、排気ガスで臭いし、騒音でやかましいし、暴走族が怖いし、困っています。
 一家に2台も3台も持っていて電車で行けるのに自家用車で行くし、自動車専用のがらがらの高速道路をつくったり、それだけ余計に石油を使って、エネルギーの無駄つかいだと思います。
 郊外に自動車で行くショッピングや住宅や学校や図書館を作るので、自動車を運転できない子どもや年よりは困るばかりです。
 街の中はだんだんと店や建物がなくなってさびしくなり、たくさんの空き地は駐車場になり、それがみんな木を植えない上に汚い派手な看板を大きく出すので、街は殺風景になるばかりです。
 ですから、自動車が売れなくなって、乗らなくてもよい自動車が世の中から減ってくると、世の中はこれまでとは逆の動きになって、空気もよくなり、静かになり、鉄道やバスの経営もよくなり、今よりも暮らしよくなり、街もにぎやかになると思うのです。
 アメリカの社長さんは、つらいでしょうがしばらくはアンパン1個で1年を暮らして、自動車のために変になってしまった世の中を元に戻して、要りもしない自動車を作らなくてもよい、買わなくてもよい世の中になるように、がんばってください。
 参考→自動車社会を衝く

2008/12/02

070【能楽鑑賞】宮崎県の高千穂夜神楽を観に行ってきた

 宮崎県北の高千穂に、夜神楽見物にはじめていってきた。
 高千穂は天孫降臨神話に出てくる地名であり、昔むかし、だれか地域振興を考えた人が探しだしたのだろうが、高天原、天岩戸、天真名井など、それらしい地形地物にあわせて名づけた名所がある。
 戦中にはそれを教科書に載せて、皇民教育の材料につかわれた。
 天岩戸の場所に同名の神社を建てていて、神社の人が戦中の物語のままに解説してくれるアナクロさが面白かった。
    
 神話を基にした神楽が、町内の各集落ごとに伝わっていて、それらを総称して高千穂夜神楽というようだ。
 集落ごとにその内容に違いがあると聞いたが、標準33番の演目があり、18時間ぐらいぶっ続けに舞う。
 夕方から始めるのだから、当然に徹夜で次の日の昼ごろまでかかる。
 舞う場所は、各集落の中で毎年持ちまわって神楽宿を担当する仕組みである。これは山形県の黒川能で、当屋と言われるもちまわり当番の演能の家の制度と、ほぼ同じであろう。
 住家の中心に神楽の舞台となる2間四角の天井の高い部屋があり、一方は神棚があり、一方は楽屋となる座敷、残り2方は観客席となる座敷が取り囲むプランである。
 それにしても、相当に奥深い山村で、このような伝統芸能が伝えられているのは、驚くばかりである。
    
 秋元という集落の神楽宿を訪れた。
 高千穂の街からして奥深いが、秋元集落はそこからさらに14キロも山奥に谷を分けて入る。
 四国の祖谷も、ものすごく山谷越えて奥深かったが、あちらは妙な観光化していて偽物くさい山村、こちらは本物純粋の山村だった。
 この集落の世帯数は41、住人は約120人と地元の人から聞いた。
 集落の人たちほとんどみんなが神楽舞を習って舞うのである。だから演者は高齢者から中年がいて、一番の若者は中学生であった。
 岡山県に伝わる伝統芸能の備中神楽が、神話をもとにストーリーを持って演劇的かつ見世物的であるのに対して、高千穂神楽は神話に基づくストーリー性はあるが、むしろ舞踊性、音楽性、様式性を重んじ、演者たちが楽しむのであった。
 前者が半プロの社中制度であるのに対して、後者は集落ごとの伝統行事である違いが明確に出ている。
 山形県に伝わる伝統芸能の黒川能は、これら両方の特質をうまく組み合わせた感じである。 
 もうひとつの特徴は、地理的な関係もあるのか、備中神楽では出雲神話が重要な位置を占めるが、高千穂では全くそれがなくて主に岩戸神楽であることだ。
    
 とうとう徹夜で見てしまったのは、その笛と太鼓の単調なメロディーに覚醒作用があるのかもしれない。
 山深い里の 外に出て棚田の上から深い谷間と遠い山並みを見ていて、そこから湧いてくる楽の音を聴くと、それは神秘的でさえあった。
 その舞は、基本となるステップを、小道具や人数によるバリエーションで繰り返し繰り返し踏むのであった。踊りではなく舞の系統である。
 コミック性をもつ2番もあった。備中神楽が語りや演技でコミック性が高いのに、こちらは33番中のわずか2番であった。
 古拙な面が楽しい。能面ではなく狂言面に近く、男面も女面も顔にかぶさるほどに大きいのが特徴的である。
 集落住民たちが自分で楽しむ芸能だから、演技の途中でヒョイと停まって、次はこうしようかって相談しているらしい場面も時々ある。それがまた見ていて楽しい。
 黒川能、備中神楽、福井県の池田水海田楽舞(ミズミデンガクマイ)や若狭風祇能(カザイノウ)など、山村に伝わる芸能を見てきたので、その比較をいずれ書いてみたい。

参照 ◆自然と生活を二つの山村に見る-小国と祖谷
    ◆池田:能楽で地域興し(2001,03)
    ◆若狭:能舞台の宝庫(1997)

2008/11/28

069【世相戯評】蒙古襲来で敗退したモンゴルが雌伏720年余でついに日本征服成功の大相撲

 鎌倉時代のこと、1274年と1281年にモンゴル・高麗連合軍が日本に攻めてきて、2回とも日本軍に負けて逃げていった。
 ただし、戦争で負けたのではなく、たまたま来襲した台風によって軍船が徹底的に被災して負けたのだった。

 その戦いの様子は絵巻物などで有名だが、日本武士団は個人戦、つまり戦場で前にひとり進み出て、「やあやあ、われこそはナニノナニガシ、、」と名乗って、敵との一騎打ちから始まるとか、抜け駆けでひとりで敵に襲いかかるとか、集団戦術がないのであった。
 モンゴル軍は集団戦法でそんな作法にかまっちゃいない、どっとみんなで襲いかかって殺してしまうから、散々である。
 さすがに幕府軍もそのうちに集団戦術に変えたのだが、まあ、戦法と言い武器と言い、国際戦に長けたあちらと、国内戦ばかりのこちらでは、戦争文化?において大いに差があったらしい。

 わざわざ台風シーズンに来ることもあるまいにと、今だから思うのだが、問題は棚ボタ結果として勝った日本側が、あまり反省しなかったらしいところにある。
 神仏への祈りが効いて「神風」が吹いた、日本は神国だ、てなことになっちまって、それから660年後の太平洋戦争でもそれが通じて、連合軍はまたも負けるはずだった。

 さて、あれからモンゴルは雌伏720余年、21世紀となってついに日本軍に勝って見事に復讐を遂げたのである。
 国技大相撲である。少数精鋭を送り込み、あのときは負けた日本流の個人戦で、横綱、大関をはじめ主要な地位を奪取して大勝利をおさめたのである。
 3回目の襲来ともなると、戦術も台風も考えたうえでのことらしい。
 さすが大陸の人たちは、悠久に流れる時代を超えて物事を処理するものであるよなあ、。

 あ、そうだっ、だいぶ昔のこと、「神風」と言う名の力士がいた(引退後、相撲放送の名解説者)。日本人力士の誰か、この名に改名してはどうか、もしかして、2度あることは3度あるかもよ、。

2008/11/26

068【各地の風景】横須賀散歩1-竜本寺界隈

 横須賀に久しぶりに横須賀下町に散歩に行ってきた。GW(ゴールデンウィークじゃなくて原子力空母ジョージワシントン)で景気が良いというので見に行くのだ。
 京急横須賀駅を降りて、そうだ、すぐ坂上の竜本寺(日蓮ゆかりの名刹)に行ってみようと思いたち、ピンク飲食店街を抜けた裏参道に取り付く。
 この参道は濃い緑におおわれて、だらだらと登る気持ちのよい道である、、はずだったのが、えらく明るい。なんとまあ一本の木もない、すっぽんぽんになっている。
 登る参道から市街地が下に丸見え、上はブルドーザーがうなっている。
→写真1(竜本寺裏参道から)


写真2(写真1と反対側の岡田屋9階から)



→参照(クリック拡大):写真3(航空写真今昔比較)

 思い出したが、ここに超高層共同住宅(いわゆるマンション)が建つ計画があるのだった。
 それにしても、ものすごい急斜面地(竜本寺から街まで標高差約50m)であるし、その真下には京急電車のトンネルがあるから、えらく難しい工事だろう。
 それでも超高層建築とは、ほんとに近頃は建設技術が発達したものだ。
 そしてまた、それほど土地造成にお金をかけても回収できるほどに、高い価格で売れる時代なのであろう。驚くばかりである。
 あるいは今の工事は斜面地崩壊防災のための公共事業で、民間住宅開発の造成はこの後また別に行うのだろうか。よく分からない。
 ブルドーザーが怖いので引き返して参道を下り、別の斜面住宅地の中の小道を登って竜本寺の墓場に着く。見下ろすと、墓場の際まで土地造成が迫っていて、樹林地は丸禿げとなってしまって、市街地が海までよく見える。
 ここに超高層が建つと、どのような都市景観になるのだろうか。
 横須賀下町には、JR横須賀駅そばと京急汐入駅そばに、超高層建築がすでに1棟づつ建っているが、今度は京急横須賀駅そば(と言うより駅上空か)である。主要駅ごとにランドマークが建つことになる。
 今度は建つ地盤が平地から20~30mくらい高いから、実質高さ120m前後で一番高いものになる。緑の樹林の中に立つ姿を想像したいのだが、こんなに伐ってしまったらコンクリ擁壁の上に立つ超高層だろうか。

○参照
横須賀市中心市街地形成史ー成立と施策
◆横須賀散歩

2008/11/23

067【怪しいハイテク】鉄道カードを持たないし携帯電話器を持ってるけど電話だけ

 乗り物のナントカカードを持っていない。電車に乗るとき、必ず切符を買うことにしている。
 だって、事前に大金を取っておいて、金利を払わないなんて、悪徳高利貸よりももっと悪い。資本主義社会のテキである。よく皆さんはそんなことが平気なのですね。

 あれは鉄道屋さんの手数が省けるだけで、乗るほうは金利の損だけである。
 それに、大きな声ではいえないが、キセル乗車もできなくなったしなあ。鉄道屋さんは、それまでキセルで損してもやっていけていたのだから、いまやかなり儲かるようになったに違いない。
 金利をつけるようになったら、カントカカードを使うようにするつもりだ。その頃はカードシステムはなくなって、携帯電話に仕込まれるシステムになってしまっているかもなあ。

 ところがわたしの携帯電話機ではそれはできない。ネット接続機能をつけていないから、文字通り携帯電話機である。
 仕事していた頃はもちろんネット接続していたが、今は必要ないからやめた。
 携帯電話機そのものも必要ないかもしれない。母がもしものときのために必要だったが、それも終ったので、いまや、時計が一番の用途、次がカレンダー、3番目が電話、ほかはなんにも使っていない。やたらめったらある機能はみな枕を並べて死んでいる。
 たまに、つまらない会議中に、無音モードにしている携帯電話にかかってきたフリをして、外にしばらく抜け出すのに使っている。これは役に立つ機能である。

 ネット接続もテレビも家のPCで十分である。そもそもテレビをめったに見ないから、ワンセグ(これは珍妙な造語である、ワープロなみだな)なんて必要などころか、電車の中でまでテレビ見たいヤツの気が知れない。

 中越の山村・法末では携帯電話が通じない。仕事の電話から逃げる口実に使っている仲間もいる。それももうだめで、近いうちに集落ど真ん中にアンテナが建つらしい。 
 それにしても公衆電話が激減しましたな。どこにあるか、探す難しさが公衆便所なみである。 そのうちに公衆浴場なみになるだろうなあ。公衆電話保存運動の果てに、公衆電話遺跡指定なんてね、。

2008/11/21

066【老いゆく自分】身内に不幸があっても喪中ごあいさつなるものを出さないのだ 

 年の瀬が近づくと、「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申しあげます」と、グレーの葉書がたくさん来る。
 こちらが歳をとるにつれて、その数が毎年毎年増えていくような気がする。枚数が毎年末のわが老化度指数である。
 昔は差出人の祖父母が多かったのに、今頃は父母の死が多い。そのうちに差出人ご当人になる順序である。
 11月半ばというのにもう6通が来た。

 実は、わたしも母を送ったのが今年であるから、普通なら今頃は喪中葉書を出しているはずだが、出す気がない。父が95年に亡くなったときも出さなかった。
 それは、わたしには喪中の意味が分からないからだ。葉書に書いてあるなくなったお方をわたしが知っているならば、それなりに哀悼の気持ちも持つが、ほとんどの場合は差出人を知っていても亡くなったご当人は知らないお方である。なぜわたしにお知らせが来るのか理解できない。

 だからこちらもその必要はあるまいと、父の逝った年も普通に年賀葉書を出したし、今年もそうする。
 なにかで、どうして喪中にしないのだと聞かれたら、変に言い返すのもおかしいので、父は神主だったから、神道では喪はないのですと言っていた。
 母もそうするが、神道でどうなのか、実は知らない。宗教的なことに無関心だからだ。あ、いや、お祭りは大好きだけど、。

 死を穢れとするから喪に服するのだろうと思うが、父は85歳、母は98歳であったから、長寿を全うしたと言ってよい。まさに寿であるなら、祝いこそすれ、穢れではあるまい。
 ただ思うのだが、喪中葉書を出すことで、多くなりすぎた年賀状の送り先を整理する作戦には有効だろうと思う。やってみるなら今年が最後のチャンス(のはず)だが、それもめんどくさい。あ、いけね、ホンネが出てしまった。

2008/11/20

065【くたばれマンション、横浜都計審】ミニ開発の名ばかり邸宅地が農地をつぶして広がる横浜

 ちょっと必要があって、横浜市内の14箇所の「生産緑地地区」を回って見た。生産緑地地区とは、そこは農林業のほかに使ってはいけないと、都市計画で指定した地区のことである。

 行ってみて驚いた。
 ミニ開発住宅地の造成中、数棟の建物建設中、すでに建物が立ち並んで入居しているところなど、農業など影も形もなくなっているところが、ひとつやふたつではなくてたくさんあるのだ。
 え、生産緑地指定してあることは確実なのだから、これは違法建築かと見れば、開発許可済みとか建築確認済みとか看板が掲げてある。合法らしい。どういうことだ?

 実例をひとつ挙げると、港北区内のある住宅地の中、このあたりは田んぼを1枚づつ次々と住宅地に変えていって、次第に住宅地となったスプロール市街地である。
 その密集する狭い道路の住宅地の中に、生産緑地地区となっている畑が一枚ある。

 探し訪ねてみると住宅建設の真っ最中、既存の4mほどの道路からその生産緑地の土地の中央に新しい5m道路が突っ込んで行き止まり、その両側に7軒の住宅が建つ。
 ひとつの敷地は100㎡くらいか、もちろん庭はなくて、道路がオープンスペースであり、周りの住宅地と同じような密集状況である。
 「●●●○○○×××」と格好よい邸宅地名がつけてあり、●と×には庭園と大邸宅をイメージするカタカナ、○には隣の隣の町名で1キロ半ほど先の駅名がはいっている。

 さて、名ばかりマンションを非難しているわたしには、これのほうが良いというべきか。
 まあ、どちらかといえば、名ばかりマンションよりも、まだこちらのほうが安心度は高いと言える。震災で隣が倒れても、こちらが負担することはないから、。 火災はもらいそうだが、。

 それにしても、名前は立派だが、日照通風防災にどうかなあと思うような「名ばかり邸宅地」も、困ったものである。
 でも、住宅政策貧困日本では、庶民はこういうのでないと一戸建て住宅は手に入らない現実だから、しょうがないか、都市計画屋の端くれのわたしも含めて、。

 ところで、初めに書いた生産緑地地区指定のままなのに、現状は生産緑地でないのはどういうことかと調べたら、そこで農業をしていた人が死んで農業継続の後継者がいないと、生産緑地地区が指定してあっても自動的に農業をやらなくてもよくなり、家でもビルでも建ててよいのだそうだ。
 えっ、じゃあ、何のために生産緑地地区指定を都市計画で決めているんだよ~?、意味ないじゃん、都市計画ってのは土地が誰のものであろうが関係なく決まるものなんだぞ~、。

 参照→都計審初出演と生産緑地の不思議

2008/11/17

064【世相戯評】まったくもう、近頃の若いモンは、 

 横浜国大に週2回、各1時間半の講義を聴講に行っている
 この歳になって講義を聴くと、昔に学生だったときとはいろいろな意味で違って聞こえて面白い。
 最も面白いのは、現実に自分の仕事を学者の側から見るとそのようになるか、へえ~理論ってそういうものなのかと、現実と理論を照合して納得やら不思議やら、心の中が忙しいことである。

 嫌なことは、講義中に学生たちが平気で私語することである。そして周りの誰もが注意もしないことである。
 あれはどういうことなんだろうか。横浜国大特有なのだろうか。受講する学生が200人もいる多さだからだろうか。普通の礼儀がなっていない。
 とにかく女も男も同様にやかましいので、おい、そこ、黙れ、とわたしが注意する。一応は黙る。
 そろそろ講義が終る雰囲気となると、また私語が始まる。おい、もう少しだから、もうちょっと我慢しろよ、とまた言う。素直に、はいと言ってくれる。
 なんだか、どこかが抜けている感じがしないでもない。

 わたしが講義していたいくつかの大学では、受講する学生が少なかったからか、私語はなかった。講義中に何時でも質問なり意見を挟んでよし、としていた。
 最近の講義は、映像を使うので、教室を暗くする。そうなるともうそこら中がグッスリ学生である。
 まあ、私語よりはるかに良いけど、寝るならもっと寝やすいところがありそうなものだ。出席の実績だけ上げるために出席しても、意味あるまいになあ。

 さて、では昔のわたしはどうだったっけか?教室で私語や居眠りしたことはないような気がする。それは要するに、興味がない分からない講義には、ハナから出席しなかったのだ。
 そして興味ある講義は、単位は特に取得する必要がなくても出席したものである。
 ある学期、政治学の講義に興味あり受講したが、受講者が少なくてたびわたしひとりになった。
 単位が要らないので試験を受けなかったら、講師から自宅に電話がかかってきて、どうしてだと問われたので、その旨を言うと、せっかくだからレポート一枚でも良いから出しなさい、単位を上げるからと言ってくださった。
 ありがたく頂戴したが、これは衛藤瀋吉先生であった。まあ、そんなものであった。
 大学ってそういうもんだろうに、ほんとに、近頃の若いモンは、、。 

2008/11/14

063【世相戯評】地球が人間の繁殖で溢れる 

 国連の世界人口白書の2008年版を、ちらちらと眺めている。世界人口はいまや67億人だそうだ。
 19世紀初めは10億人、それから100年で2倍の20億人、それから100年の20世紀末に3倍の60億人、そして2050年予測は5割増の92億人である。
  成長曲線というのがあるが、初めは緩やか、ある程度で一気に上昇に向かい、あるところまで行くとなだらかになって、次に下り坂になる。世界人類はまだ一気に上昇に向かっているらしい。
 もちろん国によって差があり、日本、韓国、イタリアなどは、なだらかになって、減り始めてきた。日本は今は1.3億人、2050年には1億人にまで減る。

 中国は今は13.3億人、2050年には14億人に増加する。ただし中国は一人っ子政策によって、高齢化が急進展するから、その後は増加しないだろう。
 アジアではなんと言ってもインドである。今は11.8億人、2050年には16.6億人までも増えるのだからものすごい。世界一の人口を擁する国となる。
 インドは不思議である。東や東南アジアでは、安価な人件費をもとに安い製品を作って売ることから初め、技術輸入によって次第に高付加価値の技術立国へと進んできた。日本がその典型である。

 ところが、インドは高度情報技術者という安価ながら高い能力の人材から始まってきており、その人的能力が高い付加価値として世界に進出している。安価なものづくりを経ないのである。メイドインインドなんてものに、お目にかからない。これからどのような産業立国の展開をするのだろうか興味がある。

 国連の人口白書に、一人当たりのエネルギー消費量を国ごとに出しているのだが、トップ2には産油国のUAE,クェートが占めるのはさすがである。そのつぎがどういうわけかトリニダードトバゴである。
 第4位がカナダ、第5位がUSA、以下、シンガポール、ノルウェー、フィンランドとつづく。

 日本は何位になるか勘定していないが、ロシアや韓国よりも少ないが、中国の3倍は使っている。
 インドや中国が、人口が増えた上に日本なみの消費となると、世界のエネルギーと食糧事情は大変なことになりそうだ。
 かつて日本が南方の石油を求めて第2次世界戦争に突入したように、第3次世界大戦が起きるのだろうか。

 2008年の都市人口の割合は、50%とある。世界の人口の半分は、都市に住んでいるのである。そして都市人口は増加する一方である。都市問題はまだまだ世界の課題である。

2008/11/10

062【法末の四季】秋深い法末で紅葉をめでつつ蕎麦の脱穀をした

 中越の山村法末は、今、紅葉が盛りである。山林には、黄色はブナ、ミズナラ、イチョウ、赤色はヤマモミジ、ナナカマド、ヤマウルシ、ヤマザクラなど、緑濃い針葉樹林と混交しながら競い合っている。


 集落の中は、家の周りは用材と防風のために針葉樹林が取り巻き、そのところどころにイチョウやブナあるいはモミジが色を添えている。
 稲を刈り取られて来春を待つ棚田は、法面の枯れ草と田んぼの土の色が交互に重なっている。

 先月末に刈り取って、茎がついたままに軒下につるして乾燥させていた蕎麦の実を脱穀した。
 脱穀機は、戦前の製品らしい「組合号」と名前がついている足踏み式である。簡単な器具だから、長持ちするのだろう。

 それで脱穀しても、葉っぱなどが混じっているから、篩でより分ける。しかし、乾燥が足りなくて、実だけの分離がしづらい。もう一度乾燥させてから篩にかけることにした。まだ蕎麦を食うには半月は先となる。
 蕎麦は、畑での栽培は簡単だが、刈り取りから後が手間がかかるものである。

 刈り取りを泥がつかないように注意ながら慎重にやり、乾燥、脱穀、葉や茎などのゴミを取り除いてようやく実だけにして、石臼で挽いて粉にし、打って、切って、茹でてようやく食べることができる。
 わたしは育ちがうどん文化圏だったから、よほどうまい蕎麦でないと食う気にならない。初めて蕎麦を食ったのは19歳で関東に移った時である。こんなまずいものをよく食うもんだと思った。有名な信州に行けばうまいかと思ったが、もっと不味かった。

 ついでに言うが、うどんについても関東の流儀では、どうしてこんなにも不味い食い方なのかと、今も不思議である。
 蕎麦なんて土地の痩せたところでないと育たないから、不味くても仕方なく食うもんだろうとバカにして、今もめったに食わない。そばがきの方を好む。
 あるとき、蕎麦うち趣味の友人が、新取り入れの蕎麦の引き立ての新粉で、打ちたて、茹でたてで食わせてくれて、初めて蕎麦の味が分かった。もう60歳を越えていた。大人でないと分からない味である。
 その友人の打つ蕎麦だけがうまい蕎麦で、店などで食う蕎麦を美味しいと思ったことは一度もない。
 そのうえ、気取った蕎麦屋で出してくる、はげ頭の櫛毛のようなざる蕎麦の値段のバカ高いことは、いったいどういうことなのか、たかが蕎麦で、、。 

2008/11/07

061【世相戯評】不良老人がはびこる

 
 7日発表された「犯罪白書2008年版」には、2007年の65歳以上の刑法犯は48,405人で、刑法犯全体に占める割合は13.3%、去年は2.5%だったから大躍進?である。 受刑者に占める割合は6.2%だそうだ。
 日本の高齢化率は22%だから、これは少ないというべきか、。世の中に高齢者が増えてきているのだから、犯罪者も増えていくのは当然だ。
 その高齢者の犯罪では、万引きなどの窃盗犯が65%と一番多いのだそうだ、
 なんとまあ、情けない、せっかく長生きして知恵を蓄えて高齢者になったのに、それを生かした知能犯じゃなくて、そんなみみっちいことしかできないのかよ~、って高齢者の一人として思うのだ。
 要するに貧乏は高齢者にまで行きわたったのか、おお、サムイ。

2008/11/05

060(横浜ご近所探検】真金町の大鷲神社の酉の市が大賑わい

 今日は今年の一の酉の日で、横浜真金町の大鷲(おおとり)神社の一帯は歩行者専用道となり、屋台がぎっしりと並んで裸電球や提灯があかあかと光っていて、大勢の人たちが通る。
 縁起物の熊手を担いで帰る人はあまり見かけないが、屋台をひやかす子ども連れや若者が多い。
 いつの時代も祭りは楽しいものであるが、こんなにたくさんの屋台を見るのも、毎年のこの時期だけである。

 昔は真金町一体は遊郭街で、大鷲神社のにぎわいもそれとかかわりが深かったのであろう。
 裏通りなのに中央分離帯に柳や桜が植わって奇妙に広い通りはかつて遊郭が立ち並んでいたが、今は中高層共同住宅街となって、屋台が立ち並んでいる。

 その共同住宅のネーミングに、いずれも町名の真金町をつけているものは皆無で、かなり離れた関内とか大通り公園の地名をつけているものが多いのが、どこかおかしい。

 遊郭だった名残を見つけるのは難しいが、ある唐破風の門構えが立派な堂々たる瓦葺の家が1軒だけあるのがそうかもしれないし、風呂屋2軒があるのもそうかもしれないし、産婦人科が数軒あるのも名残かもしれない。

 大鷲神社の玉垣には、この地の遊郭経営者の子として生まれ育った噺家の桂歌丸の名が刻まれている。
 それにしても夜店屋台デザインのなんともキッチュなことよ。このバラエティに富みながらも、ある種のデザインコードがあるのは、屋台専門の制作者が居るのだろうか。 

2008/11/04

059【くたばれマンション】怖い超高層・大規模名ばかりマンション

 それみたことか、オレが言ってるとおりじゃん、って言いたい。
 今日の朝日新聞の生活面に「将来の展望不良?超高層」とて、超高層建築の分譲共同住宅について、その規模と形態からして膨大にかかる修繕費と、数百世帯の合意の難しさ等の諸問題を載せている。
 結論として、「超高層の未来を語ること、それは業界のタブーでもあるんです」と、業界人に言わせている。おい、大丈夫か?

 2007年末までに完成した分譲の超高層共同住宅は、403棟だそうである(不動産経済研究所調べ)。そこに何戸の住宅が入っているか書いていないが、これを少ないというか多いというか難しい。
 超高層住宅は、まだ建設からそれほど年数はたってはいないが、古いものでは15年経ち、修繕に3億円もかかったこと、そして当然にもめたことが記事にある。

 超高層に限らず、近年は100戸を越すような大規模で権利者の多い分譲型共同住宅(私に言わせると名ばかりマンションーmancionとは庭のある豪邸のこと)が売りに出されている。
 そこでは超高層と同じような問題がわかっていながら、誰もタブーにして問題を先送りしているが、いつの日か突然に全国的に大問題になるに違いない。

 特に近いうちに確実に起こるとされる東海や関東の大震災が、先送りを許さなくするだろう。そのときなってあわてても知らない~っと、。
 未来じゃなくて、阪神淡路震災でも、姉歯震災でも起きたし、今も問題があちこちが起きているのに、普通の人たちは買ってみて初めて分かるのである。

 でも、そのときはもう遅い、家を買うような巨額の投資をやり直すことのできる人は、世にほとんど居ないからである。
 分譲名ばかりマンションは、日本の潜在的不良資産の巨大な巣窟なのである。今のうちに規制か禁止するしか、世を救う方法はないのだ。日本の戦後住宅政策の貧困による破綻は、もうそこまで来ている。
分譲マンションの未来を語ること、それは政治のタブーでもあるんです」って、誰か思ってるのか、。
参照→◆名ばかりマンション
  ◆姉歯大震災の喚起するもの(2005~2007)
  ◆賃貸借都市の時代へー体験的住宅論(2000~2008)

2008/10/31

058【世相戯評】調剤薬局では人前で平気でわたしの病名を大声で言うがプライバシーなしかよ

 調剤薬局に薬を買いに行くと、他人の病気が分かってしまう。
 薬剤師が客に病状を聞き、薬の説明をするのに、待合室に他に客がいても店先で平気に大きな声でやるからである。
 もちろん、私の病気も他人に知られてしまう。

 病気とは、究極のプライバシーに属することなのに、それで良いのだろうか。
 奇妙な病気に対する偏見だってあるし、他に感染する病気持ちに近づきたくないし、政治家は選挙で落選する可能性もある。
 医院では待合室とは別の診察室で医者と話すからプライバシーは保たれるのに、調剤薬局ではそうなっていないのが不思議である。

 昨日は、いつもの調剤薬局の薬剤師に、他人がいるところでそんなプラバシーに関わることを大きな声で言うな、他の人の病気も聞きたくない、と、叱りつけた。
 これが2回目である。分かっていないやつである。

 医薬分業になって、患者の側は面倒になってしまった。昔のように医者が薬をくれると便利だし、なによりも処方箋代とか薬屋の管理費とかそんなものはいらなかった。
 どうして患者の負担を多くするようになったのだろうか。
 命を担保にとられているから、医者には文句を言いにくい。

2008/10/28

057【世相戯評】毒を食う日々

 このところ毒入り食品がしょっちゅう話題になる。あれは内部告発者がマスメディ屋(新聞屋というより格好いいかも)などに漏らして、企業がやむなく公表ってことなんだろうか。

 毎日の新聞の社会面に、食品に限らず欠陥商品類のお詫びの広告が出る。
 それらの文面はどれも一定の暗黙ルールに沿っており、独自の書き方での心からお詫びと読めるものに出会った覚えがひとつもない。

 あるとき、これは独特だなあ、責任者の写真まで載っているし、と読んでいたら、なんとまあ、お詫びを装った映画広告であった。うまくはめられた。

 毒入り食品広告で気になっているのは、これを普通に食っていても毒は微少なので健康被害はないから安心せよ、そんな旨が書いてあることだ。
 毒入り食品がこれだけ多くなると、そのひとつの食品は微少だろうが、いろいろな種類の毒入り食品を3度3度の飯で毎日食っているから、それらを合わせるとかなりの量の毒を摂っていると思うのだ。問題ないのかしら。

 いろいろな毒が体内で複合して、新たな毒になっているかもしれない。あ、いや、毒をもって毒を制しているのか、それならアンシンだなあ、??

2008/10/27

056【各地の風景】信州・松代で江戸時代の街並みと昭和戦中の大本営跡をみてきたが、、、

 10月25,26日に、「全国路地サミット」なる会議が長野市であり、善光寺門前町と松代の街を訪れてきた。
 松代は私は初めての訪問であった。わたしがある街を初めて訪問する時は、事前に調べることをしない主義である。ぶっつけで行って見て、その街がどれだけ私を街の入り口から歓迎してくれるか、そして街のなかをいかに上手に見せてくれる仕掛けになっているか、それを試すのである。

 結論から言うと、この松代は落第生であった。
 もっとも、これまで及第した街はないから、仕方が無いとも言える。
 いずれ私の「まちもり通信」にも松代のことを書くが、ここにはとりあえず落第の理由をレポートしておく。
 長野駅前からシャトルバス「エコール・ド・松代」号に乗る。日曜日というのにガラガラである。
 この日はたまたま私たちサミット参加仲間が乗っているからにぎやかだが、いつもは乗客がいるのかしら。ハイデッキの観光バスタイプの乗り合いバスなので、もったいない。
 そもそも、これに乗るのに、駅前で乗り場案内からして、どこにあるのか探すのにうろうろしてしまい、交番でも分からず、どうも不親切であった。

 私は観光的に用意されている名所旧跡には、あまり興味がないへそ曲がりなので、普通の街並みを主に見て歩いた。
 松代の街は、観光への取り組みをそれなりに街づくりとしてやっているようで、歴史的な武家町も商人町も、そして木町通りの新しい街並み作りへの努力も、なかなかよかった。
 一応は観光スポットとして、池田満寿夫美術館、佐久間象山記念館、大本営地下壕の3箇所でけは見学した。これらも満足だった。 


 
 大不満であったことが二つある。
 第1は、観光案内地図が全くもってなっていないことである
 歩くには、その距離が分からないのが一番困るのであるが、それが松代のどの地図を見ても分からない。かろうじて、街角に立つ案内看板が、縮尺が合っているのみである。
 一生懸命作ったらしい「信州城下町松代まるごとミュージアムかわら版絵地図」なる観光地図も、買い物ついでにくれる地図も、地図の基本である距離と南北が分からないのである。縮尺が合っていないお絵かきでは、これを持って歩くのが不便で仕方がない。

 それらの観光地図には、観光スポットしか書いていないから、そこが街の中なのか、田んぼの中なのか、山の中か分からないし、私の興味のある街並みはどこにあるのか分からない。路地も書いていない。
 これは松代に限らず、長野の善光寺門前町の観光地図も同じだったし、私の知る限り、日本全国の街で同じである。困ったものである。

 もっとも、私くらいの街歩き達人となると、わが眼と鼻だけでも、街並みのよさそうなところ(特にB級街並み)を探し出すことができるのであるが、。
 地図を作るには、どこの市町村にも、縮尺1/2500の地形図(国土基本図)がある。まずこれを下地に薄く印刷し、その上にお好きな案内地図を描いてはどうか、そこから先はデザイナーの腕次第である。
 そして重要なことは、地元の人が作ってはいけないのだ。知りすぎていることを記入しないからである。地図はよそ者のためのものなのだ。
 と、いつもどこの街でも観光関係の方にこう言っているが、やってもらえない。唯一、私が指導?した鯖江市の地図のみが、私の眼に適うものだ。

 大不満の第2は、街の中はそれなりに景観を保つ努力をされていて、ちょっと気持ちがよいのだが、街の出入り口周りになると、とたんに広告だらけのハデ派手な醜い風景に出くわしたことだ。
 頭かくして尻かくさずというか、玄関はゴミだらけでも居間がきれいならよいのか

 街を訪れる客が、最初に出くわす松代の風景が、こんなに汚れていても松代の人たちは平気なのだろうか、不思議である。わがコレクション「日本全国醜い風景アルバム」ここもクリックをどうぞ)に風景がひとつ増えた。

2008/10/24

055【各地の風景】大阪の駅前から御堂筋そして心斎橋筋へと繁華街を久しぶりに歩いてきた

 2年ぶりくらいに大阪駅に降りた。ついでに御堂筋、道頓堀、ナンバ辺りをちょっとだけ見てきた。
 近頃は建築のスピードが速いから、2年位のでもずいぶん変わる。大阪駅前では、かの伝統ある阪急デパートの建物を建て替えの真っ最中である。低層部に既存のデザインイメージを継承し、上に超高層が載るというお決まりパターンである。

 阪急から駅ビルの大丸をはさんで西には、未だ取り壊しは始まっていなかったが、吉田鉄郎の大阪中央郵便局が黒く見えている。近いうちにこれも下半身は今の形をイメージ継承、上半身に超高層建築が建つだろう。
 これをペアのような郵政建築の東京中央郵便局の建て替えは、もう施工会社まで決まったと報道だから、近いうちに工事だろう。

 御堂筋を行くと、31mのスカイラインがそろう銀杏並木は、落ち着いた風格をもつ景観だが、次第に超高層がスカイラインを乱して来ている。
 そごう本店と大丸本店は並んでいて対照的である。そごう本店は、かの村野藤吾の名作の面影もなく、軽薄なる超高層建築に建て替えた。
 これに対して隣の大丸はヴォーリスの名作を今も大事に使っている。建物の風格に格段の差がある。
 横浜の松坂屋も閉店で、この風格あるデザインがどうなるか気になっているときに、大阪の大丸本店は実に堂々たるものである。

 心斎橋筋に入り、道頓堀橋まで来ると、橋の袂にあった高松伸怪作のキリンシティがただいま取り壊し真っ最中である。
 あれができたのはいつだったか、奇天烈な広告建築で、道頓堀筋への猥雑さを象徴していたものだ。

 ちょっと横に入り、法善寺横丁に行く。火災で丸焼けになったあとに工夫を重ねて、元のような狭い路地の飲み屋街を再現したのだが、新しいような古いような、そして猥雑にして親密なる空間が生きている。

 それにしても心斎橋筋もナショナルチェーン店が多くなっているようで、仕方ないのかもしれないが、東京の渋谷と変わらない。人出はさすが大阪の目抜き通りで、平日の昼間なのにずいぶんとにぎわっている。 

2008/10/22

054【横浜ご近所探検】象の鼻とトロッコ線路

 横浜港が幕末に開港した当時(1859年)のもっとも古い近代港の位置は、黒船でやってきたぺリーの上陸地点である。近代港湾として徐々に整備をして行くが、明治初期に作った防波堤は、その形から象の鼻とよばれる。

 
 今の横浜港は現代的なコンテナ埠頭が他に作られていて、象の鼻の中は小船のたまりになっているが、この周辺を整備して歴史的港湾の公園とする整備工事が、横浜市によって行われている。

 日本大通から直接には入れるように元税関の倉庫群を取り除いて、公園整備のための掘削を始めたら、線路が出てきた。
 調べてみたら、20世紀初頭頃の荷役用の人力トロッコの線路であることがわかったというのである。左側見学に行った。 
 丸い転車台、つまりトロッコの向きを変えるための1台分のターンテーブルがあちこちにある。

 この線路の方式は、人力で押す労力を最小にするために原則として線路はまっすぐに敷いて、方向を変えるときは、この転車台で必要な角度に方向を変えて、その方向の線路にまた載せて進める仕掛けである。

 線路はたくさんの倉庫や桟橋を結ぶ多方向にあるので、そのたくさんの結節点ごとに転車台を設けていいる。煩瑣なようだが、その時代の技術をなるほどと思わせる。
 まだ完成していないが、この公園から見る港の風景はいかにも港らしい。

 横浜ご近所探検隊が行く<「伊達の眼鏡」ブログ連載中>

2008/10/21

053【横浜ご近所探検)郊外スプロール風景に画像でちょっと手を入れてみた

 保土ヶ谷区の横浜国大近くに郊外地域の典型的な風景がある。地形的には谷戸と丘陵であり、土地利用としては残存緑地、農地、バラたち戸建住宅、バラたち共同住宅、ゴルフ練習場、野球演習場などが入り乱れる。
 なんとも典型的な大都市郊外のスプロール景観である。せめてスカイラインにあるあたりに、緑を保全するような土地利用コントロールをすれば、それだけでも景観は落ち着くと思うのだが、。 

 →現場風景をちょっと画像処理をしてみたのでご覧ください。

現況の風景はこうなのだが、、、

せめてスカイラインだけでも緑を保全すればいいのになあ

2008/10/20

052【横浜ご近所探検】横浜一番の繁華街だった伊勢佐木町からとうとう百貨店がなくなった

 横浜の伝統ある都心商業地・伊勢佐木町にある百貨店「松坂屋」が、2008年10月26日に閉店する。横浜駅前の三越が一昨年だったかに閉店したから、横浜の都心の百貨店は高島屋、そごうだけで、どちらも横浜駅前である。
 横浜松坂屋はその前身は「野沢屋」といって、生糸商から始まる横浜地元資本の伝統のある百貨店だったが、30年位前だったか横井英樹が株買占めで登場してごたごたの末にいろいろあって松坂屋となっていた。

 横井英樹といえば、東京日本橋の白木屋百貨店(石本喜久治設計・1926年)にも登場して、ごたごたの末に東急百貨店になってしまい、それも閉店(2000年)した後に今は外資による新ビルとなっている。
 関内、関外という横浜の伝統的と商業的停滞とみるのか、それとももう百貨店の時代ではなくなったということなのか。わたしはむしろ後者だと思う。

 わたしの横浜ご近所探検のコースでもあり、買い物はほとんどしないが4階にある郵便局にちょくちょくいく。
 いつ行ってもガラガラで店員のほうが多い。よくやっていけるものだと思ってはいたが、本当に閉店となると残念な気もする。

 戦前の様式建築なので、建物の表の顔は凝っている。建築保存運動がおきつつある。ただし、建物としてはつぎはぎつぎはぎで建てて来ているから、プランは悪いし、不等沈下しているし、耐震性もよくないとあって、多分、持ち主は建て直したいに決まっている。

 今の持ち主が建て直すならば、この建物の姿に愛着があるかもしれないから、なんらかの表顔だけでも継承した伸建物にするかもしれないと期待もしたくなる。
 この土地建物をそっくり他の企業、たとえばファンドとか不動産デベロッパーとかに売ってしまったら、通常はそうはいかない。保存なんて儲からない面倒なことはお断り、ってことになる可能性が高い。

 建築デザインとしては二流だが、戦前の建物は珍しいし長く市民に親しまれたから保存したいのも分かる。だが、保存運動はどのような戦略があるだろうか。
 わたしが思うには、最も効果的な保存運動は、毎日買い物に行くことである。
 この数日間は閉店セールの安売りをやっているらしく、店内にはものすごく大勢の客があふれている。いつもと大違いである。いつもこれほどの客が来るなら、廃業はしないで続けられるだろうから、当然に建物も保全されていくだろう。

 建物保存も地方の鉄道線の保存と同じようなことで、へいぜい利用しないでいて、廃止になったとたんにただただ保存をしてほしいといっても、それは無理というものだろう。
 もしもなんらかの保存をされるとしても、うまくいっても今の表の壁の一部を新らしい建物の一部に取り付けてお茶を濁すくらいかもしれない。もっとうまく行けば、今の半分くらいはどこかに再現するだろう。

 ファサードだけでも良いからきちんと保存するなら、なにか行政からインセンティブを与えるとしても、容積率の上乗せしかないだろうが、そうすれば超高層建築になるだろう。この街並みの中で超高層建築が果たしてどうなのか。
 床の使い方としても分譲共同住宅が一番可能性が高いだろうが、それはわたしの主義としては全くいただけない。公的賃貸住宅ならまだ良いが、。

2008/10/16

051【法末の四季】棚田でコシヒカリをつくる稲作遊びはななか難しいけど面白い

 このブログの9月30日の記事に、法末集落の棚田での稲刈りのことを書いた。あれから2週間、ハサ掛けした稲穂が乾いた頃とて、仲間と一緒にハサからおろして脱穀をした。
 脱穀は昔流を貫徹させるならば、稲コキで手でしごかなければならないが、さすがにそこまではやらない。田の持ちのTさんが操作してくださるコンバインを使っての機械式である。

 ハサ掛けのそばにコンバインをつけて脱穀作業開始、ハサ掛けした稲束をはずしては次々に運んでコンバインに入れると、もうもうとした藁埃と稲藁束が排出され、籾は袋に入る。
 脱穀しても稲藁にたくさんの穂が残る問題があり、それを再度抜き取ってコンバインにかける手間があった。
 それは稲束の穂先がそろっていないからである。来年は稲刈りのときに穂を揃えるよう注意して短く刈るようにしよう。
 藁ホコリまみれになりながら、機械に追われて休みなく3時間ほどの労働で、新潟コシヒカリの籾は合計17.5袋、約500kgを得て、米も稲藁束も今年は豊作だった。

 ところが、さて脱穀して籾はできたが、今年の籾は乾燥不足で水分が多すぎることが分かった。乾燥がよくないと梅雨時にカビの原因となる。
 これでは機械乾燥をする必要がある、Mさん所有の乾燥機で引き受けてくださることになり、その作業場に籾を持ち込んだ。
 現在の籾の水分は18.3パーセント、これを理想的な15.4パーセントまでに涼風でゆっくりと乾燥することとし、それは明日までかかる。その上で、後日に精米機にかけることになった。

 一昨年も昨年も除草剤は入れず、機械は脱穀コンバインだけだったが、今年は除草剤を入れ、機械は稲刈りバインダー、脱穀コンバイン、乾燥機を使い、3年目にして農遊から農業に近づく気配がしてきた。
 ということで、いまだに新米の飯にありつけていない。

 なにしろ一年がかりの作業だから、1~2週間ぐらいずれてもどうということもない、、と思ったのだが、考えてみるとそれは大きな問題がある。
 売っているのではないから、マイペースで適当にやりたいと思うのだが、季節がこちらの都合に関係なく、雨・風・気温・水温などで農作業を待ったなし、あるいは延長、延期を要求してくるので、従わざるを得ない。

 機械を使うとなると、こちらは全く所有していないから、地元の農家の方たちに頼らざるを得ない。そうなるとその機械の稼動工程に合わせなければならない。
 稲作の農作業は勝手な遊びでやっているのではできないのだと、3年目にして分かってきたのである。
 実際のところ、田起こし、水管理、農用機械使用、作業のタイミング指導などなど、集落の人たちの支えがあるから作っていられるのだってことを、わすれないようにしなけば、、。

 参照→法末の四季物語

2008/10/09

050【能楽鑑賞】能「摂待」をみて「安宅」と比較すると面白いと思った

 この10月5日の観世会秋の別会は、「摂待」という珍しい演目があった。能の解説本にもないし、印刷物の謡曲全集にも載っていない。
 「安宅」と同じように、義経が弁慶たちと12人の山伏姿に変装して、奥州平泉に落ち延びる途中の出来事であるが、史実とは異なるらしい。

 「安宅」では、安宅の関所で不審尋問され、弁慶が機転を利かせて主人義経を棒で滅多打ちして主従でない証拠と見せかけることで、義経一行と見破られずにようやく関守から解放される。もっとも芝居の勧進帳では、関守が知っていて逃がしたとしているようだが、。
 ところが「摂待」では簡単に見破られて、白状してしまうのである。

 義経一行は、落ち延びる途中に福島あたりの民家で行きずりの山伏をもてなす接待の席を訪れる。
 そこで接待役の老婆(シテ:野村四郎)とその孫(子方:小早川康充)に、弁慶(ワキ:宝生閑)も義経(山階弥右衛門)も供の者も見破られてしまうのである。

 官製の安宅の関所はいい加減だが、こちらの私設関所のほうが厳しいのである。
「安宅」の弁慶は武士を相手に強いのに、「摂待」では女・子ども相手にまことに弱いのである。
 この弱さの原因は、実は義経はこの老婆と孫に借りがあるからだ。
 老婆の息子つまり孫の父親は義経の家来の武将であったが、八島の戦で義経の身代わりに立って矢に射られて死んだのである。

 老婆は、義経たちがこのあたりを通って逃げてくると聞いて、道端に山伏接待所と掲げて誘い込む算段をして、義経たちを待ち受けていたのである。
 弁慶はものの見事にこれに引っかかった。
 待ち受けるのは「安宅」と同じであるが、こちらでは見事につかまえて正体を暴き、子を返せ、父を帰せと義経に詰め寄るのである。
 が、いかんせん、頼朝に戦犯にされて追われ逃走中の義経は、彼らに何の補償することもできない。ただ悲しいと嘆くばかりのだらしなさである。

 親子の愛、親への孝、主への忠、敵への仇、これらの間で苦悩するという古典的な仕掛けであるが、「安宅」が忠をテーマにしているのに対して、「摂待」は忠よりも愛を主題にしている。
 子を殺された母親が犯人である領主に子を返せと迫る「藤戸」にも似ている。藤戸では母親は補償を受け問い、供養をして仏教的な救いにエンディングを納める。

 ところがこの「摂待」のエンディングはちょっと意表をつく。
 子が突然に、親の敵(かたき)を探すために義経たち山伏一行について行く、と言い出すのである。
 親の敵はすでに屋島で討ったと教えられているのに、そう言い出すのは幼少だから聞き分けないのだといえば、そのままだが、これはもしかして本当の敵は義経だと知ったからかも知れない。
 いい所に旅に出て、義経を討とうと決心したのだろう。忠より孝である。
 一同あわててなだめすかして、逃げるように出て行くのであった。

 「安宅」では、大勢の山伏たちがすわや戦いかとばかりに緊張感を盛り上げる集団演技があるが、「摂待」では全員がほとんど座ったままで、舞台に壁をつくっているばかりある。
 シテは悲しみの口説きばかりだが、ワキは戦の場面を朗々かつ切々と語って、シテよりも演技どころがある。
 また子方もかなりのせりふと演技があり、この「摂待」はシテよりもワキと子方に負うところの多い演目であり、その点でも珍しい。

 舞もなくて名優野村四郎でも、老母の悲哀だけの演技では、こちらがついつい期待するその華麗さがないが、どこか立ち居に足弱な感じがしたのは老いの演技だろうか。

 この別会では、ほかに「栗焼」(野村万作、野村万之介)、「江口」(木月孚行)、「道成寺」(岡久広)があった。
「道成寺」の間(アイ)に野村萬斎がいて、「摂待」の山伏に野村昌司がいたから、野村家3兄弟とその息子たち合わせて5人の出演であった。

 万之介は野村4兄弟の末っ子なのに、久しぶりに見た顔は一番の老けだった。大病が癒えないのか。
 萬斎も顔色が悪いが、もしかして忙しすぎるのか。売れっ子になっても能楽堂に本職できちんと出演するのがエライ。

参照→能楽師野村四郎師
   →わたしの能楽入門

2008/10/03

049【モノづくりとまちづくり】めがねとアメリカ大統領選挙

 自分が今の世界の話題の人のかけるめがねと同じデザイナーによるめがねを着けていると、今日はじめて知った。
 アメリカ大統領選挙でペイリンアラスカ州知事が共和党副大統領候補で登場して、何かと話題になっているが、日本でも話題になっていて、それが全く政治的話題ではなくて、彼女のかけているめがねが日本製だから、という新聞記事を今朝読んだ。
 日本のめがねといえば福井県産(特に鯖江)に決まっているが、彼女の眼鏡はその増永眼鏡製の川﨑和男デザインだそうだ。
  
 1991年の湾岸戦争を指揮していたアメリカのパウエル国務長官が、増永眼鏡製・川﨑和男デザインの縁なしめがねをかけていた。実はそれが、私のかけている今のめがねと同じデザインだった。

 私が遠近乱視めがねをかけだしたのは40台の半ばからだが、壊したり合わなくなったりしていくつかけ替えただろうか。この8年くらいは、今の川﨑和男デザインのふちなし眼鏡をかけて、度の合わなくなったレンズを1回換えただけで使いとおしている。
 その前にもふちなし眼鏡を使っていたが、弦と玉の付け根で壊れる連続だった。

 ペイリンやパウエルのほかにも、アメリカ政界の人が川﨑デザインめがねをかけていると、今朝の新聞に書いてあったから、あちらで流行なのだろうか。
 それとも、品質がよくて高価な眼鏡を選ぶと、福井の産地の物になるという自然の成り行きなのか。それならめでたいことである。

 増永といえば、増永五左衛門という人が20世紀初めに、福井県の鯖江と福井の間にある麻生津村(現在は福井市内)に、めがね弦を作る産業を起こしたのだ。それがいまや鯖江といえば、めがね弦生産は日本の9割を越す産地となったのである

 と、宣伝するのは、これまで15年くらいの間、私は鯖江市に通って産業政策と都市政策を融合するまちづくりを手伝っていた経緯があるからだ。めがね、越前漆器、繊維が鯖江の3大産業である。
 鯖江の眼鏡が生産日本1と威張ってても、実は鯖江に行ったら良い眼鏡を安く求めることができるか、私だけのデザインの眼鏡をすばやく作ってくれるか、と期待しても、そうはいかないのである。長い間に組み立ててきた生産と流通の仕組みが、そうなっていないのである。

 それをそうはいくようにしたい、生産する力は十分にあるので、デザイン力と販売力をつけて、産地の地域で売るように、眼鏡を買いに来てくれる観光の力もつけよう、まちづくり全体として取り組もう、というのが狙いであったが、諸般の事情であまりうまくいっていない。
 でも、こうやって“外圧”が宣伝してくれると、外圧に弱い日本では、もしかしたらなにかが起きるかもしれないと期待している。

 中国製の安物眼鏡ばかりがもてはやされる今の時代に、海外からの逆宣伝で日本人が日本製品を見直すのは情けなくもあるが、この機会を生かすのもよいだろう。
 日本でも選挙騒ぎのようなことがあったけど、あ、これからもあるか、でも、ファッショナブルなお話は出てきませんな。 そのかわり、日教組をぶっつぶすなんて大臣が言うファッショな話題ならあるよなあ。
 →参考ページ・鯖江ファッションタウンへの提言(2002)
         ・もの・まちづくり運動と都市の再生(2005)

048【世相戯評】外国人労働者

 ハンブルグでタクシーに乗って、中央駅まで行きたいと運転手に英語で言って通じない。同乗者がドイツ語で言ってもフランス語でも通じない。しょうがないから機関車シュシュシュッと、ボディランゲージでなんとか通じた。

 これは1974年だったか、植生調査団でヨーロッパを訪れたときのことであったが、言葉も知らないものがタクシー運転手をやってよいのかと、びっくりしたものである。そのうちに日本でもそうなるのだろうか。 おかしなことに、あれこれと話しかけていてなんとなく分かったのは、トルコからの出稼ぎで、朝鮮戦争のとき日本に行ったことがあるとも言った。

 昨日、鍋料理屋の外国人のことを書いたが、この10年くらいのうちに飲食店、特に居酒屋の店員に外国人が多くなった。イラッシャヤセー、アリアトゴサイターなんて、調子が良い。
 顔つきからして主に中国系や韓国系であろうから初めはわからないが、マニュアルにないことを聞くと言葉の調子が乱れるので分かる。

 その外国料理を食わせる店なら、明らかにそれらしい顔の外国人がむしろ良いのだが、日本料理を主に食わせる店で明らかに外国人顔の店員だと、なんとなく違和感がある。
 日本の寿司屋で外国人が握るのはちょっと想像しがたいが、アメリカのショッピングモールの中の寿司屋では当然に日本人顔でない人が握っていて、それは場所柄そうであるだろうと納得した。
 これから日本の人口が減ると、労働人口としてさらに外国人が入ってくるのだろう。いまは技能技術を要しない単純労働の分野が多いようだが、次第に専門分野にも及ぶだろう。

 西ヨーロッパ北部中部諸国が、南部や東部諸国からの労働者を入れて、いろいろと問題が起きているようなことを、今度は日本が経験することになりそうだ。
 今と同じくらいの労働力を保つためには、ものすごい数の外国人を急いで入れる必要があるから、そうなるとあちこちで文化摩擦がものすごいことになるだろうなあ、。

2008/10/01

047【横浜ご近所探検】「肉屋の正直な食堂」は実は外国人鍋料理屋だった

 横浜で徘徊老人をやっていて、伊勢佐木町商店街に「肉屋の正直な食堂」なる看板を掲げた店があることを書いた。→横浜ご近所探検・伊勢佐木町 
 書いただけでは申し訳ないので、今日、夕食をそこで食ってきた。カウンター席だけしかなくて、そのカウンターに電磁誘導加熱装置(induction Heating)がずらりと並んではめ込まれていて、客はそこに置かれた鍋物を煮ながら食うのであった。

 牛、豚、鳥の肉のいろいろな鍋料理がある。しかし、鍋だからとて大勢で囲むのではなく、小さな鍋にご飯と味噌汁がついていてひとりで喰う。要するに肉鍋定食屋である。
 蓋をした鍋物が出てきて、砂時計が落ちるまで待つと煮えるから、それから食い始めろという。
 さてそうして食っていたが、鍋の中が焦げ付くのである。鍋料理ってのは普通はワリシタとかの汁や水で煮るのだが、ここでは鍋蒸し焼きなのかと思いつつポン酢で食っていた。

 するとカウンターの中の女性がやってきて、鍋を指し示して「ミズイレマスカ、アリマスカ、、」みたいなことを言っている。「エッ、なに?」と問い返してもさっぱり要領を得ない。
 別の男性がやってきて、「水入れるのを忘れてました、ごめんなさい」という。どうやら、厨房から出すときに、あらかじめ入れておく水を入れ忘れたってことらしい。 だから焦げている。

 このあたりで私は気がついたのだが、顔は日本人と同じだが言葉から判断してこの二人とも外国人らしい。
 厨房にいる間違えた張本人を見ると、これは立派なインドアーリアン系の外国人顔である。
 その厨房の黒い顔も出てきて、「すみません。鍋と料理をとり換えて持ってきます」と流暢にいうのだが、もう半分も食っている。

 そんなに食えないから、いいよいいよ、と言うと、「すみません、ではコーラを飲みますか」といって、気を使ってくれる。「年寄りはそんなに飲み食いできないから、いいよ」とやさしく断る。
 「ねえ、君たち、どこなの、コーリア?」と聞けば、初めの男女は中国、厨房の男はバングラデシュだという。

 この外国人3名で日本鍋料理屋をやっているのかしら、そんなわけはなかろうと、インタネットで調べるとやっぱりチェーン店であった。
 マニュアルどおりにやれば外国人でも日本式肉鍋料理屋ができるってことである。 ただ、食べつけない料理には、料理人もちょっとマニュアルを間違えるってことか。

 「肉屋の正直な食堂」は、こうしてそれなりに“正直”ではあった。だが、 「正直な食堂」であって、「正直な肉屋」ではない看板は、いまどきはどうも気になる。

 参照→横浜ご近所探検隊が行く

2008/09/30

046【法末の四季】ううっ肩が凝る腕がしびれる腰が痛い、稲刈りをしたのだ

 今年も法末の棚田の米が稔った。出来具合は地元の人がほめてくれるくらいの良さである。
稲刈りを先日の土日で無事に終えた。いや、無事じゃないか、肩や腰や腕が痛い、痛い。
 1日目が10人、2日目が5人、これで棚田3枚、計約700㎡を手で刈り取ってハサにかけるまでやったのだが、やっぱり苦しい。

 機械は使わない主義を放棄して、2日目の昼にはバインダーを、ついに隣から借りてきた。エンジンで動いて稲を刈り結束するのだが、手でハンドルを持って方向を決めて行く。
 本格的なコンバイン稲刈り機ではないが、さすがに人間よりは早い早い、でも荒っぽい。

 稲は不規則に植えてあるし傾いたり倒れたりしているのに、機械のヤツはきれいに一列づつに立ち並んでいることを前提に動く設計らしいから、あちこちに刈り残しやら踏み倒しやらの稲が残る。まあ、それでも早いからしょうがない。

 もうひとつ今年の主義違反は、除草剤を入れたので、田の草取りをしなかったことだ。もっとも、これは田の持ち主が、私たちの知らぬうちに入れたのである。去年の私たちの苦労を見かねての好意であるらしいから、仕方がない。

 そろそろ暗くなろうとする6時頃に、ようやく最後の稲束のハサ掛けを終えた。
 その帰りの新幹線は事故の影響で満員立ちんぼ、ああ、でも稲刈り重労働に比べりゃ、これしきなんてこともない。横浜に帰りついたのが11時半。

 さて次は2週間後の脱穀精米である。ようやく食べられるのだ。
関連サイト「法末四季物語」

2008/09/29

045【世相戯評】地震に強いかも原子力発電船

 横須賀米軍基地にアメリカ軍の原子力航空母艦が配備された。乗っている兵員が6000人もいるという。ちょっとした街であるが、超過密居住である。
 その人間の暮らしとともに、あのドデカイ図体を自力で動かし、戦争という効率のことは考えない超浪費もするのだから、そのためのエネルギーを作り出す原子力装置は、いったいどれくらいの能力なのだろうか。
 バックアップ用も要るだろうから、多分2基以上はあるだろう。

 日本にある原子力発電所は、それ比べると大きいのか小さいのか?
 それで思いついたのだが、いくらあんなにでかくても海の上にいるのだから、四六時中揺れているだろう。
 ということは、地震の巣の真上にある日本の原子力発電所よりも、もっともっと危険な状態が日常的に起きていることになる。それで、いいのかしら、。
 日本じゃあちょっと揺れても大騒ぎなのに、四六時中ゆれている原子炉は、いったいどうなっているのか。
 日本の原子力発電所とは違って、ゆれても大丈夫な技術なのかしら。だったら、日本の原子力発電所もその技術で作れば、大丈夫のはず。

 アッ、そうだっ、原子力発電船を作ればよいのだっ、いい考えだぞこれは、。
 海に浮かんでいても、アメリカ政府や日本政府の言うように絶対に事故がおきないのなら、電力需要の多い地域の港に停泊して発送電すれば、エネルギー効率が断然良くなる。大規模工場はたいてい海べりにあるから、原子力自家発電船を作ればよい。
 万が一、事故がおきたらすぐにはるか沖に出て行ってしまえば、害を及ぼす範囲は格段に小さくなる。

 どうです、これは、良い考えだなあ、。
 ところで、原子力空母が出す特有のウンコ、つまり核燃料廃棄物はどこにどうしているのだろうか。ものがものだからず~っと船のなかに抱えっぱなしではあるまいし、まさか海に捨てているとも思えない。
 もしかしてこれからは、横須賀基地の洞穴(あそこは旧日本海軍の掘った壕がいっぱいある)にいれておくのかも、。
 これは怖い。

2008/09/26

044【世相戯評】秋のGWはゴールデンウィークじゃなくて航空母艦ジョージワシントン

 GWと書くと、普通はゴールデンウィークのことであるが、この秋の新聞はそのGWが話題となっているので、秋はたしかシルバーウィークでSWのはずと、よくよく見ればなんとジョージ・ワシントンのGWであって、それもあの桜の木を切って正直に言いましたってムカシムカシの古典的少年偉人伝のお方じゃなくて、原子力航空母艦の名前だそうである。

 それにしても、日本じゃあ、政治家の名を戦艦につけるなんてありえないよなあ。
 そこでまねして、イラク戦争支援の給油艦には「コイズミ」とつけるのはいかがでしょうか。
 この間、漁船を沈めたイージス艦には、え~と、、時の防衛大臣の名をつけようと思ったけど、誰だったか思い出せない、ころころ変わるからなあ。

 政治家は地位も人もころころ変わるけど、評価もころころ変わるから、うっかり名をもらえないってことですね。
 それにしても、ドゴール空港とか、ケネディ宇宙基地とか、あちらでは大丈夫なんでしょうかね、政治家の評価が、、。日本とは文化的風土がかなり違うのですね。

2008/09/23

043【世相戯評】事故米事件事故焼酎自己責任事故チュウ

 農水省が保管するカビや毒のある米を事故米と称して、人間が食って事故を起こさないように非食用限定で安価に民間事業者に売ったら、その事業者は食用に高価に再販売してボロもうけ、市場に事故食品が出回ったのがばれて回収に追われているが、この回収した事故食品をどうするのか、ラベルだけ張り替えて再登場とか、回収処理費用公共負担となるとBSE事件みたいに補助金詐取とか、二重三重事故米事件なんてことも起きるかも、ところで回収した事故焼酎をどうするのか、捨てるなんてマーモッタイナイとマータイさんも言うかも、ならば事故焼酎半額投売り!ノンベは待ってます、自己my責任で飲みます、、え、、。
 あ、そうだ、回収されたのは食品だけじゃなくて農水省事故次官と事故大臣がいたなあ、三笠フーズの自己チュー社長なんかも回収されるんだろうなあ、。
 それにつけても、太平洋の向こうでも金融事故米国ってね。

2008/09/22

042【世相戯評】わたしは選挙に行かない主義なのだ

 ちかごろ選挙の話題が多い。でも、わたしは選挙には行かない。行ったことがないのではないが、30代の中ごろからやめた。
 そのころの仕事の関係で、左系も右系も、後に首相や大臣になった人たちも、その秘書などもの政治家に会わざるを得ないことが多くなり、会っているうちにあれこれあって、もう選挙なんてと嫌気がさしたのであった。

 それはともかくとして、最近の選挙のやり方はおかしい。
 全国区(というのが今もあるのかどうか知らないが)ならともかくとしても、地方区に、政党の戦術でその地域に何の関係もない人を立候補させるって、私の頭ではどう考えても変である。
 選挙で地方区があるのは、その地域をよく知る人を地域の代表として国政に送り込む仕組みだとばかり思っていたのだが、どうもそれは違っていて、政党の選挙戦術の仕組みらしい。

 政党からの刺客とか言って、地域無関係無思想芸能的有名人物を立候補させたり、これまで東北あたりで当選してきた某党首が、競争相手党の有力候補者が立候補する東京あたりかどこかの選挙区に移転して、相手を蹴落とそうって選挙戦術をやろうとしているとか。

 そういえば、ある地区の固定支持選挙民を受け継いだ2代目3代目の血族後継政治家が多いが、選挙区は東京外の地方にあっても、彼ら彼女らは実は東京で生まれ育ち仕事している人がほとんどだろう。今度、首相になりそうなお方は、どうなんですねかねえ。

 まあ、それでもほいほい票を入れるおバカな選挙民がわんさといるのは、小泉内閣のときの郵政解散翼賛選挙で見たとおり。
 わたしはもうアホらしい、どうぞご勝手におやりください。

2008/09/21

041【世相戯評】世間に流行るものsubprimelamidophos サブプラメラミドホス

 偽ブランド品、すぐ壊れる玩具、すぐ破れる繊維製品、すぐ壊れる電器製品を先進国に輸出して、ぼろくそにいわれている国、いや、中国じゃなくて1960年代の日本である。特にアメリカからそう言われていた。
 そのうちにだんだんと日本製品の質がよくなってくると、今度は安価すぎるダンピングで輸入国アメリカの産業を脅かすと、あいかわらずぼろくそに言われた。今もそうかも、。

 その頃、「made in Japan」とは「安かろう悪かろう」の代名詞だったが、今は「made in China」がそれを立派に相続してくれたのである、国威発揚オリンピックとともに、。 まるで自分の若い頃を見るようだ。

 日本は自分が食うのに一生懸命で食糧輸出はできなかったから、毒入り食品輸出事件は発生しなかった。ところが、今や中国のmelamineやmethamidophos毒入り食品がたちまち日本にも波及する。
 かつて日本でも国内では森永砒素入り粉ミルク事件(1955年~)で乳児が死んだが、外国には波及しなかった。今の中国で同じようなmelamine毒入り粉ミルク事件がおきているが、それは中国内にとどまらないで日本に飛び火して食品回収が起きている。

 アメリカからはsubprime lendingサブプライムローン破綻とかで金融恐慌が日本にも飛び火、アラブのあたりからは油の値段が飛び火、北朝鮮からはミサイルの飛び道具、じっとしていると火の粉が降りかかる。
 昔と違って地球はずいぶんと狭くなって、住みにくくなったものだ。

 これだけ飛び火しやすくなっているのにどうも変なのは、サブプライムなんて言わなかったけど日本でも同じような住宅ローン破綻がバブル経済パンクのときに起きて後始末に追われたが、この教訓はアメリカに全然飛び火していなかったのかしら。

 さて歴史は繰り返す、中国製品もそのうちに質がよくなってきて、食品も安全になってくると、価格だけで日本製品と勝負するときが今に来るだろう。
 問題はその次に来るものはなにか、である。安価で質がよくなった中国製品に頼りきると、それが入らなくなったときが大問題である。

 なにしろあちらは世界最大の人口13億人だし、未だ人口は正常なピラミッドに近い形をしているから、今後の国内需要は高まるばかり、今に食糧は輸出禁止になるに決まっている。
 そのとき日本はどうするか?

2008/09/17

040【世相戯評】アメリカの破産株屋の名前がLehman利満兄弟証券とはねえ

 アメリカで株屋が破産したとかで、今朝の新聞は大騒ぎである。
 その株屋の名前が「利満」というのだから、こちとらは笑って、いや、哂ってしまう。
 そういえばもう10年も前だったか、日本でも山一という株屋がつぶれて、社長がウェ~ンと泣き面漫画顔を見せたことがあった。この名前も、ヤマかけてイッパツ当てるっていうのかしら、利満に引けを取らないいかにも株屋らしい。
 だがどちらも「名前負け」そのものだ。

 それにしても腑に落ちないのは、山一がつぶれたときも、日本がいわばサブプライムローン状態であって、金融屋は貧乏人にもどんどん貸し付けた結果だったのじゃないかしら。その後に銀行もつぶれて、しょうがないから公的資金注入して、苦労しつつ何とか立ち直ったはずである。
 で、今、規模はともかくとしても、アメリカで同じ問題が起きているなんて、金融界はかつての失敗に学ぶってことをしないものなのかしら。

 そういえば、恐慌とか不景気とか何回でもやってくるもんなあ、学べない代物なのかしら、。
 なんだかマスコミは世界金融不安をあおっている感じだが、株とは木の株と野菜の蕪しか知らないこちとら庶民にとっては、どうでもよいことである。ジマンじゃないが、金融とは金属を融かすこと、って思っていたくらいなもんだ。
 もしかしたらどうでもよくないのかもしれないが、金に縁のないこちとらはさっぱり分からないから、とりあえず今日と明日の飯を食えればよいのである。

 株と言えば、むかしむかし戦争をしていた頃、女子供しか残っていないわが家の母も駆り出されて、山で松の木の株を掘り起こしたのであった。負け戦の末期に石油がなくなったので、代わりに松根油なるオイルを抽出して飛行機の燃料か何かにするのだそうであった。
 それでほんとに飛行機が飛んで、利満の国の愚羅満駄愚羅須をやっつけたのだろうか。
 そのときから、株といえばろくなことがないと思うようになっている。 

2008/09/16

039【横浜ご近所探検】横浜一番の繁華街伊勢佐木町でタバコバラ売りとはねえ

 徘徊老人としては、横浜ご近所探検がいちばん面白い。  
 「タバコバラ販売はじめました」と、横浜の伊勢佐木町商店街スーパーマーケットの入り口の柱に張り紙がある。
 タバコバラという薔薇があるのか、スーパーマーケットで売るくらいだから、いまどき流行している園芸種なんだろうなあと、ちょっとだけ思った。
 すぐに気がついたが、これは、タバコを箱から出してバラバラにして、1本でも5本でも売るってことに違いない。

 突然に頭は半世紀ぐるぐると回転して戻り、大学生協の売店で、10円玉1個で「新生」5本を買った記憶がよみがえった。
 あの頃、一番安いタバコが新生であったかゴールデンバットであったか忘れたが、貧乏学生のために大学生協だけで「タバコバラ」売りしていたのである。
 ということは、今は大学生協店じゃなくてもバラで売るような貧乏な時代に戻ったのだろうか。あ、それよりも、今も大学生協でタバコバラ売りしているのだろうか。

 「肉屋の正直な食堂」と、レストランの看板にある。笑ってしまった。
 そうだよなあ、BSE対策にかこつけて輸入牛肉を国産牛肉と偽って平気で税金をだまし取った雪印、ハンナン、日本ハムとか。
 偽物の肉を平気で売った丸明、ミートホープ、比内鶏とか。
 あまりに多くて、すっかり肉屋はウソツキが本性みたいに思えてきたもんなあ。その面の皮のものすごい厚さには、もう感銘するほどだ。
 毒肉、偽肉なに食わせられるか分かったもんじゃない。

 でも肉屋さん、ご安心ください、「米屋の正直な食堂」も「魚屋の正直な食堂」も、もうすぐに登場する可能性のある時代になりました。 毒米、偽米、偽産地魚の登場である。
 眼民土干す、え、いや、メタミドホスも腐れた肉も、何でも食って大きくなった、、。

 参照→横浜ご近所探検隊が行く

2008/09/11

038【各地の風景】路地を愉しむイベント「全国路地サミット2008長野」にいらっしゃい

 どこの町にも表通りと裏通りがある。表通りは車でうるさくいし危険だが、裏通りは車は少ないし、飲み屋があったり、生活がはみ出ていたりして、歩いていて面白い。曲がりくねっていると、次に何が見えてくるか楽しみもある。
 
 そんな道を路地(露地、小路、横町、横丁、辻子など)という。飲み屋横丁とか、焼き鳥横丁とか、裏道にはお世話になりっぱなしである。

 そういえば思い出したのが、故郷の城下町にあった「牢屋小路」である。江戸期にまさに牢屋があった路地だが、この路地にお世話になるのはどうもね、。さすがに今は、町名変更している。
 都市計画の世界ではずっと(今もか)、狭い路地は、日当たり悪いから不衛生、消防車や救急車が入らないから危険とて、文字とおりに日陰者扱いであった。いつの日か広げて日のあたる場所にするべきと、まちづくりではそれが正道とされてきた。

 ところが最近、多分、へいぜい路地裏の飲み屋にお世話になっているまちづくり屋たちからだろうが、そのような路地こそ生活空間として見直せ、むしろ路地を狭いままに生かす街づくりをやろうと言う空気が出てきた。

 実際そのようなまちづくりを積極的にやって、高く評価されているところもあちこちで出てきた。東京下町の向島地区、神楽坂地区、大阪の空堀地区、法善寺横丁などが有名である。
 そんなことをしている人たちの話が、あちこちから全国に伝わって、それじゃあ知恵を持ちよろうよとて、全国路地の街連絡協議会(路地協)なるものができたのが2003年のこと。

 以来、毎年1回、各地を持ち回りで「路地サミット」なる、真面目なイベントと路地裏飲み会をやっている。
 今年は長野市と松代町で、10月25,26日に行う。毎年新しい仲間も参加してきて、面白がり屋のひとたちばかりなので、楽しい。
 
 そしてまた路地協サイトにもどうぞお立ち寄りください。→全国路地の町連絡協議会

2008/09/10

037【東京風景】銀座の曲がる風景でまたもやバブル再来かな

 久しぶりに銀ブラ(古い言葉だ)をしてきた。老人にふさわしく懐古風に言えば戦前の風格あるデザインの建物が次々と壊されて、軽々しい現代風流行デザインに建て替えられつつある。まあ、それはよいとしよう。

 ちょっと困るのは、奇妙に曲がって建ちあがるヤツである。日本橋の角にあった白木屋(東急百貨店になっていたが)の跡には、ガラス面が曲線で上にカーブするのに加えて壁も斜めだから、カメラの水平に構えるのが難しい。

 銀座7丁目あたりに来るともっどひどい。蛇使いの蛇のごとく曲がりくねるから、自分が酔っ払いになったとしか思えない。どうやってもまっすぐにカメラを構えられない。こいつは酔っ払って見たら、まっすぐに見えるだろう。

 その2、3軒先には、壁はまっすぐだがアバタのような不整形の窓がいくつも不規則についていて、こんどは上やら下やら分からない。

 東京はまたもやバブル時代が来ているらしい。まあ、見て歩くのは楽しい。酒飲まなくても酔った気分になるから、銀ブラは安上がりだ。
関連ページ→東京町並み探検

2008/09/08

036近頃の新聞

大分の教育委員会でロシアから来た力士が毒入り米に大麻を混ぜて食用と偽って売り、その責任を取って総理大臣のキタノウミ自民党理事長が辞め、後任に5人も立候補して結局は民主党のオバマが共和党のオザワを破って当選したとか、、、、?。

2008/09/06

035【世相戯評】ChinaもJapanも同穴ムジナ

 今朝の新聞によれば、食品屋が毒入り米を、食用やら酒用に売っていたって記事が一面トップである。中国を哂った者は、次はどこを哂えばよいのかしら。
 中国ギョーザでおなじみのメタミドホスまで再登場してきた。まあ、もとが中国からの輸入米だからそれはそうなるだろう。
 な~んだ、中国食品が危ないから買わないなんて言っていて、わたしたちはほんとにお馬鹿さんである。
 そういえば、肉屋も鰻屋も大うそつきばかりだから、世の食い物は偽ものと毒入りばかりなのかあ~。
 九州あたりで作る焼酎の原料になっているというから、これはもうノンベイのわたしも逃れようがないぞ。
 どうもおかしいのは、そんな物を食っているのに、日本人の平均寿命はどんどん延びていることだ。女は男より寿命が長いってことは、毒に強いってことだろう。
 毒でも偽でもどんどん食って、1年や2年寿命が縮んでも、今さらどうってこともない。こうなれば、中国でも日本でも毒食っても長生きできるって証明されたみたいなもんである。
 もしかしたら毒を食っているから長生きできるのかもなあ、。
 毒入り食品を売った奴らに感謝しよう?、、と書いて、まてよ、長生きしすぎて年金原資が足りなくなってオロオロしているのだから、やっぱり毒入りは毒として効いたほうがよいのか、、、、う~ん、、そんな風になにか自然の摂理が働いているのかも、、コワイ。

2008/09/01

034【世相戯評】ウェブページに出てくるバナーも道端に出てくるバナーも大嫌い

 バナーというやつが嫌いである。
 ひとつはWEBサイトにめったやたらに登場するヤツ、もうひとつが道端にめったやたらに登場するヤツ、目障りでうるさくてしょうがない。

 WEBサイトのヤツは、ニフティとか楽天とかの商用サイトのトップページを見れば、いっぱい出てくる。
 あれは、なんであんなに汚らしいのか。
 中には動くやつもあって、目障りで目障りで、とにかく見ないようにしているし、見ても読みはしないし、早く逃れたくて目的ページへの移動(ほとんどは検索のためにそのトップページに行っている)を急ぐのである。
 だから、とにかくバナーは見ないものだ、という習慣がついているから、本当に必要なことがバナーになっていると検索できないのだ。

 最近になって知ったのだが、視覚障害者はWBサイトを「聞いて」いるのだそうである。
 ページを音声で読み上げるコンピューター・ソフトウェアがあって、それを使うのだ。これはテキストを読みあげるので、画像で作ったバナーは読めないから、存在しないも同然である。
 画像には代替テキストをくっつけておけばソフトがそれを読み上げるので、視覚障害者はそれを聞いて画像内容を判断する。
 しかし、わたしがその身なったとして、バナーにつけた代替テキストを次から次に読み上げられるのを聞かされるとなると、このバカヤローメってすぐに他のページに飛ぶに違いない。

 もうひとつのバナーは、最近、どこに行っても道路わきに安物の幟旗が何本も立ち並ぶ景色に出くわす。
 極彩色でひらひらしているから何を書いてあるのか、車の中からは読めない。ただただ眼にうるさいだけで、美しい田園風景が壊されるばかりである。お行儀の悪いことおびただしい。
 まさか、ゴミを捨てるなとか、美しい郷土をつくろうとか、そんなことを書いてるんじゃなかろうなあ、。でも黄色い交通安全をうたう幟もよく見かけるが、あれは公的機関が立てているのだろう。困ったもんだ。

 最も行儀の悪いのは、自動車販売屋である。毒々しい色の幟旗を並べ、毒毒しい色の造花が無数についた紐で頭上を飾り立てる、あれはどういう神経なのだろうか。これがどこの街に行っても同じような有様だからあきれる。
 この数年、しげしげと中越の美しい田園と森の風景の町や村を訪れているが、だんだんとその幟が道端に増えてくる。

 最近、直江なんとかと人名を書いたものが増えているので、聞いてみると、越後の武将だった人の名前で、テレビのドラマの主人公であるらしい。テレビを見ないから何のことか分からないが、おかげでこの美しい越後の風景を台無しにしつつあることはたしかだ。

 そもそも幟旗は、お祭りのときにしか出さないものだったのだ。日常の「ケ」とは違うイベントの「ハレ」の空間にする装置の一つだったのだ。
 ある日、幟が立ち、屋台、出店、見世物小屋が立ち並んで、お祭りの空間が出現する。それが終った次の日はまた元の静けさに戻る、あの空間の劇的な変化が楽しかったのだ。
 宣伝広告屋が毎日をお祭りにしてしまったから、今やあの非日常の楽しみがなくなってしまった。
 あの日常、非日常の日々を返せ。

2008/08/26

033【世相戯評】オリンピックが終ったらしい

 今朝の新聞が妙に黒っぽい。そうか、昨日まではオリンピックで赤っぽい写真が多かったんだなあ、、終ったのかあ、やれやれ。
 でも、どうしてオリンピックは赤っぽいのかしら、特に見ないからどこが赤かったのか分からないが、中国共産党の影響か、、なんて。

 昨日まで社会面のページは、面積の7割くらいがオリンピック記事だったのが、今日は全然ない。
 そこで気がついたのだが、社会面記事の面積の9割5分くらいが、なんらかの違法行為の記事である。え、世の中にそんなに犯罪が多いのかしら。
 そうか、新聞屋ってのは、良くも悪くも騒動がないと記事にならないんだな。

 それにしても昨日までの数日間は、新聞づくりは楽だったろうなあ、オリンピックと高校野球のことさえ書けば紙面が楽に埋まるんだもんなあ、社会面担当の新聞屋さんは夏休み同然だったのかも。新聞代金を負けろ。

2008/08/24

032【各地の風景。世相戯評】北京風景を見たいので北京オリンピックマラソンTV長兄を見たがつまらなかった

 北京オリンピックの男マラソンを見た。例によってマラソンそのものには興味ないが、北京の都市風景がどのように出てくるか興味を持ってみた。
 マラソンのTV中継放送は、いながらその地域の風景がみられるので、たまに興味を持って見ることがある。オリンピックマラソンを見たのは、シドニーのほかにバルセロナだったかアテネだったか忘れたが、3度目のような気がする。

 世界中に北京という中国首都の都市風景を同時中継で見せるのだから、多分、国家の威信をかけてその現代都市の表の風景だけを見せるに違いないだろう、コースもそのように決めているだろうと、あらかじめ偏見をもって見始めた。

 結果はその通りであった。
 超広い道路、林立する高層建築、高架道路、手入れの行き届いた花壇や並木、、、世界の都市のありふれた表の顔そのものであった。
 北京の人の顔も見えなかった。日本だと沿道観衆の振る小旗が走者にあたるのではないかとはらはらすくくらいなのに、走者と観衆はものすごく隔てられていて興が冷める。
 北京らしい生活景はまったくでてこなくて、ほんとにつまらなかった。

 天安門を走る走者は、いかにも国家ランドマークへの敬意を表するごとく、走者がいるのかいないのか分からない、巨大な毛沢東の顔ばかりが目立つ静止画像と見まがう写し方だった。
 そして、「鳥の巣」競技場は、それに対する新たなランドマークのように見えた。

 私はこのヘルツォーク設計のデザインは、天安門とは対極のデコンストラクションで、中国に対する文明批評になりえている建築であると、この風景を見るまでは思っていたのだ。
 ところが、こうしてみると、これは天安門と並ぶ新たな時代の国家ランドマークになりえているかもしれないと思うようになった。中国は無理やり何でも飲み込んでしまうのか、。
 これが今回マラソンTVをみた一番の収穫だった。
 アナウンサーがやかましいので音声をOFFにしていたから、北京の街の音も分からなかった。
  参照→170はるかなるベルリン

2008/08/20

031【文化。歴史】オリンピック作戦Operation Olympicなるものがあったが戦争の作戦だった

 オリンピック作戦と聞いて想像するのは、メダルを取るためのどこかの国の選手養成作戦かと思うが、1945年に実在したそれはそんな平和なものではない。
 連合軍の日本本土上陸作戦の暗号名である。
 わたしは一般に戦記には興味がないのだが、たまたま戦争終結と横浜の当時のことが書いてある『横浜市史Ⅱ第2巻(下)』を読んでいて出てきたので、ここに紹介する。

 1945年2月までに連合軍は太平洋域で勝利を収めると、アメリカ軍統合参謀本部は3月末に暗号名「ダウンフォール作戦」(滅亡作戦か)と名づけた日本本土への侵攻作戦を立てた。
 そのなかに本州上陸の「コロネット作戦」と九州上陸の「オリンピック作戦」とがあった。

 5月25日に決まった「オリンピック作戦」は、南九州に1945年11月1日上陸と確定していた。
 沖縄の次は九州が戦場となる予定であったが、7月16日に原爆実験が成功したことにより、この作戦は転換されたのであった。
 つまり、原爆で日本は11月以前に降伏するであろうとなったのである。そして事実そうなった。

 なんとまあ血なまぐさいオリンピックだ。
 その5年前の1940年には東京オリンピックを開くはずだったのを、日中戦争悪化で返上し、その次の年末には太平洋戦争を開始した。
 1930年の日中戦争開始から15年戦争となったのを終結させるのに、オリンピックが平和の祭典ならぬ戦争の作戦として登場したのは皮肉であった。

2008/08/16

030【世相戯評、文化・歴史】映画「YASUKUNI」を観たがその評価は見る人の立ち位置によってどうにでもなる

 国会議員がはからずも宣伝して?評判になった映画「YASUKUNI」を、近所の映画館でやっているとて観にいってきた。
 さて、 これをどう評価するか。

 よく言われるように、右寄り国会議員がどうして問題にしたのか、それほどのもんじゃないよって、言い方もできるが、これでは映画を観る眼がないといってよいだろう。
 これはそのつもりで観れば、靖国の英霊を慰霊するよくできた映画であると、観ることもできる。
 一方、これは左翼の陰謀映画で靖国を侮辱していると、そのつもりで観ればそう観ることができる。
 また一方、これは靖国の今日的問題を正面からとりあげてえぐりだしたとも、観ることができる。
 まさに観る人の心と時代の空気が、これに評価軸を与える。 ぼんやり見れば、ただの珍しい映像の羅列である。

 たとえばラストの夜の航空撮影で、暗い森の中にほのかに光る靖国神社の灯火を見せ、しだいにカメラが西に向けて行くと、灯火まばゆい東京のビル群が広がる。
 これをこの森に祀る英霊の犠牲のおかげで今日の繁栄があるとみるか、靖国の森の闇が象徴する暗かった時代を乗り越えたらこそ実現した今の繁栄だとみるか、それは観る人によるだろう。

 あるはまた、中国での百人斬り競争の新聞記事や写真のような映像を、残虐と見るのは今の時代の空気による見方であり、反対に英霊を賛美する立場からは勇ましくも戦う兵士の活躍をたたえるものと観ることができる。
 天皇が参拝する映像も、参拝を求める立場からはあんなにもかつては参拝を繰り返していたのだったとありがたく思うだろうし、逆の立場からはA級戦犯合祀以来は参拝しない天皇の立場に思いをいたすだろう。

 このように、右にも左にも、ある種の扇動を与えるかもしれない映画である。その意味ではかなり危険な映画ともいえるのである。かの国会議員たちはそれを感じ取ったとすれば、あたっている。
 しかし、どうも国会議員たちが問題にしたのは、この映画の監督が中国人であるというだけで、ヤスクニ反対映画と先入観の決め付けだったように思われるが、どうだったか。
 まさに時代の空気である。だが結局それは、わたしさえも観にいったごとく、格好の宣伝となったのである。

 もしかしたら映画監督の一枚上手の老獪さに、引っ掛けられたのか。
 作者の意図は一体どこにあるのだろうか。
 いみじくもわたしが野次馬で行ってみた2005年8月15日の靖国神社が、この映画の主な撮影日であった。わたしは長居しないで帰ったのだが、実はこんなにもいろいろなことがあったのだった。どこまでも執拗に追いかけるカメラの野次馬精神には恐れ入った。

 わたしが映像を観て感じたことは、靖国神社の前で英霊をたたえる人たちの、良くも悪くもあまりにもひたむき過ぎていて、どこかアナクロニズム演技に見え、どうしてもカリカチュアライズされやすい姿かたちであった。
 これは映画のなかだけでなく、その日現場にいたわたしが眼で見た風景でもある。あの人たちはそれが戦術なのだろうか。
 現場を追いつめるとともに、資料映像を豊富に並べて、観るものにいやおう無しに考えさせる優秀なドキュメンタリー映画であった。わたしは映画は作れないが、文章でこんなことをやってみたい。

2008/08/15

029【老いゆく自分】リウマチかと思って慌てて診察うけたら、

 今日は8月15日、敗戦記念日である。北京オリンピックで平和なような、その一方ではグルジアとか中国内陸部とかで戦争やテロがある。
 この63年間は世界戦争はないが、いつもどこかで地域戦争があるから、実はあの戦争は終っていないのかもしれない。
 さて、とりあえず平和に生きてきたが、人間は歳をとるとどこかしこ故障が起きて死に一歩進むのは、人生そのものが緩慢なる自殺行為だから仕方がない。

 両手の指がこわばる。もう2年くらい前から、両人差し指がこわばってきたが、近頃は指全部がこわばってきたのは、こうして今もやっているキーボードのたたきすぎだろう。
 なにしろもう30年以上も、WPやPCのキーボードで朝から晩まで日常的に文章書きしているのだから、変になるのはあたり前と思っていた。

 先日、ふと思いついて、「指がこわばる」とWEB検索をしてみた。なんと、それはリウマチであるらしい情報が満載であったのだ。え、リウマチ?、ショケイじゃないの?
 左右対称に起きるーーその通り、朝こわばるーーその通り、指の第1関節と第2関節あたちーーその通り、ピッタリだ、、おお、オレはリウマチか、、でも、そんな病気ぜんぜん知らないぞ。

 あわてて早速に近くのリウマチ科の医院を検索して、専門医の診察を受けに行ってきた。
 結果は、「これは120パーセント、リウマチではありません」と保障されたのであった。バネ指の気があるから、両指をぱっと広げる運動をせよとのこと。おお、それはよかった。
 となるとあのWEB情報はいったいなんだろうかという疑問が起きる。専門医の言うことのほうがもちろん正しいはずであるが、WEB情報があまりにもピッタリしていた。

 かつて誤診で重大な病に診断されたこともあるから、何が正確か本当はわからない。
 まあ、少々のことがあっても、とにかくここまで生きたのだから、たいしたことはないと思って生きていくことにする。

2008/08/12

028【世相戯評】毎日毎日の新聞がほとんどゴミばかり買わされているような

 8月日11.5/28、8月11日11.5/32、8月10日11/40、8月9日12.5/36、、これは最近の朝日新聞朝刊の全ページに対するスポーツ欄のページ数である。
 毎日毎日、A2版の大きな紙を、読みもしないし要りもしないのに、6枚も押し売りされている。

 北京奥林匹克では高校野球もやっているらしいから、地元出身の出場者やチームの話題が地方版にも出る。どんどん読まないページが増えてくる。
 このほかに全面広告や株価ページもあるから、実際は9~10枚もになる。さらに夕刊にも同様な読まないページがある。

 これすなわち完全なるゴミを買わされて、そのまま捨てているのだから、環境問題についてはわたしは悪い加担をしている。

 そもそも、スポーツ競技の新聞記事なんて何の役に立つのか。テレビ見てればすぐに勝負が分かるし、中継を見ていなくても新聞よりもはるかに早く結果がニュース番組で報道されているだろう(多分、テレビ見ないから知らないが)。

 だからだろうか、出場者の出身地の騒ぎとか苦労物語とか、読む気にならない記事が社会面にも進出してくるから、たまったものではない。
 そんなものはスポーツ新聞に任せておけばよいのだ。

 せめてオリンピックと高校野球の期間は、スポーツ欄分の新聞購読料を負けてくれ。
 グルジア戦争とスポーツ戦争が同時に開会、奥林匹克とテロの並存、時代の空気は逆撫で、ちぐはぐもはなわだしい。

2008/08/08

027【世相戯評】どうやら世の中ではオリンピック競技大会なってものをやっているらしい

なんだかよくわからないが、お隣の中国北京のあたりでオリンピック競技をやっているらしい。

 オリンピックで高校野球もやっているとか、選手が鳥の巣でギョーザを食べてあたったとか、チベットで聖歌でもめたとか、なんださっぱりかわからない、、けれどもどーでもよいことだ。

 ドーデも良くないのは、あの四川大震災は、いったいどこの国のことだったのだろうかってことだ。
 そして身近にドーデも良くないのは、このところ新聞のスポーツ欄がやたらに増えて、読むところが減って困ることだ。
 今朝数えたら、全36ページのうち7ページも占めている。興味ない読まないゴミページばかりそんなにも増えて、購読料を割り引いてほしいもんだ。

 1964年の東京オリンピックの競技に関する記憶は、不思議にも全然ない。
 関連して思い出すのは新幹線が開通して、その模様を中継していたテレビを見たことだ。えらく速いものができた、と感心した。

 もうひとつは、その前々年くらいか、日本橋川の上に高速道路を架けるために、どぶ泥の川の中に基礎杭を打ち込んでいた風景とその打ち込む機械の音の記憶である。
 あ、そうだ、「オリンピックノオ、カアオトカアオ、ホオレ、シャシャントシャント、、」って、まことにノーテンキな節まわしも思い出したぞ。

 あのころの日本は、今の中国とあれこれ比較して、政治体制のほかは生活レベルも庶民の考えもほとんど似通っていたような気がする。
 今の中国を見て、今の日本は進歩したのかしら、、、進歩を大義名分とした時代のオリンピックだったもんなあ、、。

 オリンピックの鮮明な記憶は、あれは小学生のときだったかしら(と書いてから調べたら、1952年夏ヘルシンキだったからわたしはもう中学生だった)、フジヤマノトビウオ古橋とライバルの橋爪が泳いでいたなあ、ラジオの中で、、。

 あ、もうひとつ、シドニーオリンピックの女性マラソンをテレビで見たのが、わたしの唯一のオリンピック競技観戦だなあ。
 もっともそれは競技に関心あったからではなく、マラソンコースのシドニーハーバーの景観を観たかったからだが、ついでに競技も見て高橋尚子という名を覚えた。

2008/08/06

026【老いゆく自分】昔々は山岳部でロッククライミングをやっていたもんだが、

 大学時代は山岳部にいて、本格的なロッククライミングを楽しんだ。あたりまえながら今は不可能だ。
 一昨年にヨーロッパアルプスに行って、登山電車やロープウェイで登っては歩いて下るという、登山ならぬ下山をやって、アイガーやらグランジョラスやらグレポンやら、はるか昔の夢の中の憧れであった岩壁を眺めてきた。
 そういえば、自分の足と手で登った日本の穂高や剣岳の岩場を、もう長らく眺めてもいない。

 先日、韮崎に住む友人(盲人用ハイテク電動車椅子発明者の森英雄)と一緒に瑞牆山の麓に車で行って連なる岩峰をはるかに眺め、その一部のカンマンボロンとよばれる岩峯の直下までよたよたと登ってきた。

 森林を登り詰めて直立する岩の足元までたどりつくと、ものすごい屹立した岩場であり、上空に巨大なオーバーハングが突き出ている。今は人工登攀が当たりまえらしく、岩の面に直接にボルトを打ち込んだままにしているのも見える。

 学生時代ならば、ここから取り付き、あのリスにハーケンをうち、こちらのチムニーを登り、大オーバーハングを巻き込んで、などと登攀ルートを考えつつ登ったかもしれない。
 久しぶりに日本の岩登りのトレーニング場にやってきて、昔の雰囲気だけ思い出して帰ってきた。今度は剣か穂高に行ってみたい。センチメンタルジャーニーである。

2008/08/04

025【老いゆく自分】わたしが今もしも失明したらこの「ひとみ」なるロボットを使おう

 今もしもわたしが失明したらどうするか、といってもちょっと想像もつかないのだが、少なくとも家の外に出ることは、ひとりでは不可能になるだろうとは思う。
 ところが、それをナントカしてやろうと、視覚障害者用自動走行電動車椅子を開発した大学教授がいる。
 わたしは好奇心が湧き、山梨大学を訪ねて、自動走行する電動車椅子を体験してきた。

 それは要するに電動車椅子に機械の眼(カメラ)と頭(コンピューター)をつけて、散歩や買い物などの日常的な外出ルートをおぼえさせておくと、これに乗ってボタンを押せば、目が見えなくても往復できるのである。
 そのメカニズムは聞いてもよく分からないが、そんなことができる時代なのである。

 もっとも、この車椅子がSFに出てくるロボットのように、ご主人の命令あればビューンと買い物に連れて行ってくれるには、あれはお話でこれは現実で、人間と機械の関係はそうは行かないものである。

 出かける外の街には工場の生産ラインのようにルーチン化した経路があるわけではなく、機械の判断しなければならないことが山ほど待ち受けている。
 それらは眼の見える人間ならすぐ判断して造作もなくやることだが、それを全部機械にやらせるとなると、図体は肥大し超高価になって、日用品の車椅子にはならない。
 だからある程度で製品化して、それを補完するのはそのあたりにいる眼の見える人間がやればよいのだ。それでもこの車椅子の視覚障害者サポート力は十分すぎるほど大きなものがある。

 今わたしが失明したら、日常的な移動経路については記憶にあるから、この車椅子の動きをある程度予知できるし、住んでいる横浜都心には大勢の人がうろうろしているから助けてもらえる。安心して外出に使えそうである。
 そのような機械と人間の関係を超える人間と人間の関係は、この車椅子だけのことではなく、どんなことにもいえることだろう。

 それを作っている人は、わたしの大学時代の同期の友人で、山梨大学の精密工学の森英雄さんである。大学での研究で開発し、名誉教授になった今も大学ベンチャーとして学内に部屋を持ち、改良、製作、普及、販売をやっているのである。
 さて、この「ひとみ」と名づけたハイテク車椅子を、どうやって世に知ってもらうか。

 森さんは「ひとみ」を自家用車に乗せて出かけ、あちこちの福祉イベントに参加してデモンストレーションをしている。旅の楽しみと福祉貢献という、結構な二股かけた全国行脚旅である。
 まあ、大学教授の常?として世間的なことにはどこか疎くて宣伝が下手だから?、かどうか知らないが、こんなすごいものだからとて世に知られてさっさと売れるものではない。

 どうも、森さんは売る気はあまりないらしく、とにかくだれか困っている人、特に中途失明者が使ってみてほしくて、在庫をもう無料でいいから貸し出す気らしい。
 自宅にNPO法人まで設立して普及に努めているのが、わが同期のセンセイながらいじらしい。なにかわたしもできる協力をしたい。

  まずは視覚障害者が読めるWEBサイトつくりである。最近はWEBサイトを音声読み上げするソフトがあるので、それを聞けばよいので便利らしい。ただし、ソフトが読み上げやすいデザインをする必要がある。

 美しくてデザインしても、読み上げソフトが読めないと意味がない。画像には代替文字をつける必要があるし、凝った表やフレームによる構成もいけないらしい。
 情報伝達の基本を考えさせられている。

参照→次世代インテリゼント車いす「ひとみ」
  →ロボット電動車いす「ひとみ」

2008/07/29

024【世相戯評】日本国土は太りつつある?

 食料のカロリーベースでの日本の自給率は、40パーセント以下だそうである。つまり日常食べているものの6割以上が輸入品ということである。  
 これって、つまり、わたしたちが毎日食っては出し、あるいは捨てている食い物のうち、6割以上が、地球上のよそからこの島にやってきていて、この島の中になんらかの形で居座っているということだ。
 水に流して海に行くものも、また魚になって食われるから、最終的には日本列島の土になるのだろう。そして植物を育て、それを食う動物を育てているのだ。
 これはすごいことである。毎日毎日、ものすごい土を外国から輸入しているのである。日本の国土は次第に盛り上がり、はみ出ると海を埋めて陸になる。
 中国から食品輸入ばかりか、土から生えた植物を使った製品、土そのものの製品の陶磁器など、多品種が大量に入ってきているとすれば、大陸の一部を引き取りつつあるのだ。
 これは現代の国引きである。えーっ、そんなことになっているのだろうか???

2008/07/27

023【怪しいハイテク】うちのPCのやつがオカシー、オロオロ

 今朝からPCがオカシー、デスクトップが壁紙だけになった。
 しょうがないからセーフモードってやつで立ち上げて使っている。ネットでいろいろ調べてあれこれやってみても、治らない。

 なにやらのファイルをどこかに移せ、とお知らせが出てくるのだが、そのファイル名を書いてないから何のことか分からない。そんなことでよいのか、ウインドウズ屋さん、、。
 うごきが遅い、できないことがある、画面ががへんだ、でも、しょうがないからセーフモードで使っている。この書き込みもできる(多分)。

 3月にハードディスクの入れ替え修理をしたばかりなのに。どうやれば元に戻るかしら、、う~む。
ro-maji de naito kakenaku nattazo komatta,,,,, と思ったら治ったぞ、ってことは、なんだか、だんだんと壊れていくのかしら、、。

 昨日、いらないソフトを消していて、うっかり必要なウィルス除去ソフトを消したので、再インストールしたのがいけなかったのかなあ、不機嫌なのは、、。 4:00
 ^^^^^^^と、ここまで書いて、しばらく休ませて、またこんどは「前回の正常立ち上げの構成」とかいうところで立ちあげたら、おお、元に戻った。
 でも、これをログアウトしたら、またもとの木阿弥かもなあ、。 8;00
========
 おお、やっぱりもとの木阿弥だあ~、 どうすりゃいいんだよ~、、9:30
------------
 今度は、外付けのHDDなどすべてはすして立ち上げたら、おお、尋常な立ち上がりになったぞ、、。しかしこのままでもこまるなあ、。10:15

2008/07/26

022【東京駅復原反対】東京中央郵便局の建て替え建築案はパロディとしての文明批評デザインになっている

 東京駅丸の内駅前広場の南にある東京中央郵便局の改築計画を、日本郵政会社が2008年6月25日に発表した。
 1931年に竣工して現在に至るまで使っているビルであり、建築界ではヨーロッパからのモダニズムデザインを正面切って取り入れた最初といってもよい建築で、そのころ逓信省に所属した建築家・吉田鉄郎の名作としている。

 丸の内の隣の日比谷の三信ビルが2008年に壊されて、このあたりの戦前建築の取り壊しと保全が一通りけりがついたあたりで、最後に中央郵便局の改築が登場してきた。
 その背景などは別に記しているので、ここでは発表された改築案(「JPビル」というそうだ)の絵について考えてみたい。

 JPビルは、現在の中央郵便局舎の5階建ての形態はそのままに下層階に保全し、その上にガラス張りの超高層建築が立ち上がっている。全部で地下4階・地上38階にするそうである。
 これは丸ビルよりも一層多い新丸ビルと同じで、丸の内最高の高さになるのだろう。

 この絵をしげしげと見ていて、はっと気がついたのだが、この上部構造の超高層建築のデザインは折り紙飛行機なのである。ガラス板で折ったヒコーキは今、下部構造たる中央郵便局舎に突っ込んできて、まっさかさまにブスリと突き刺さったのだ
 次の瞬間、、、、折りガラスヒコーキは、、、ある幻惑にかられる。21世紀幕開けの年にニューヨークで起こったあの9.11事件、これはそのパロディにちがいない。
 業務中枢のマンハッタンと丸の内、最高に高いWTCとJPビル、そしてガラスに託したヒコーキのメタファー、これはパロディであるとしても、真正面からの文明批評と言わねばなるまい。

 地球の裏側の9.11事件は、日本も巻き込む地球全体の事件となった。WTCのあのあまりにも無残な崩壊は、20世紀工業主義建築の行き着いた先を見せたのであった。だが、かの国はそれを承知できずに、超・超高層建築を拡大再生産している。そして、こちらの地においても、。

 そうしたところに、かの建築家ヘルムート・ヤーンが示したデザインは、9.11事件後の世界の危うさを、この地の象徴的な場所において、ガラスと折り紙ヒコーキというもろく儚ない象徴で表現して見せてくれたのである。これを文明批評と言わずしてなんであろうか。

 日本の建築界は今や、西欧から移入した技術を素朴に表現する赤レンガ東京駅舎(1914年)と中央郵便局(1931年)を従え、その克服を超えて文明批評にまで昇華する段階に至ったのである。慶賀すべし。

 とは言っても、このようなパロディも文明批評も、かの地ではなりたつまい。ひとつにはそのような批評を受け入れる土壌がないだろうこと、そして二つ目に、折り紙ヒコーキの日本では誰もが知る遊びの知識の素地が、かの地にはないからだ。

 こうして日本だからこそ成立する文明批評をもって、文明批評という普遍性を持つだろうかと、言い出しっぺながらも、疑問も出てくるのである。さりとて、このパロディを捨て去るのももったいない。(080726)

2008/07/22

021【老いゆく自分】老いて徳はなけれど得はする

 もう20年くらいテレビを見ない。もちろんぜんぜん見ないのでもないが、多分、ひと月に2時間もみるだろうか。
 見たくないのではないが、見るものがないのである。世に珍しきこと無し、である。それはまさに年寄りになった証拠である。
 旅番組を見ると、解説するやつの言いっぷりが、妙にヒョウゲていて嫌だ。
 最近、テレビ画面の端っこに小さく顔が写っていて、なんだかへらへら動くので、眼がうるさくてしょうがない番組が多い。もちろんそのようなのは、本画面が良くても見ない。大きな大世話である。

 見ていてコマーシャルが出ると、NHKに切り替える。そろそろ良いかと元に戻す。それを繰り返す。 
 そのうちにNHKのほうに引かれて、うっかり元に戻すのを忘れる。まあ、どうでも良いからそれでいいのだ。
 だから映画はNHKをみる。それも時間が限定されるのが面倒なので、最近はレンタルディスクである。老人割引で半額である。これは年寄りになった得(徳ではないな)である。

 そうやってテレビをみなくなると、当然に世の中と話が合わなくなる。雑談中に他人が突然笑い出すことがあって、どうしてと不審に思うことがある。それがどうもテレビに起因するらしいとなると、仲間はずれである。
 しかし、そこが年寄りの年寄りたるところで、そんなことにはちっとも動じない。知らぬことを誇りに思っているからだ。もちろん勝手なホコリである。

 年寄りになって得することは、入場料が減免されることだ。
 顔だけ見てOKの場合と、証明書提示を要求される場合がある。窓口係の目利き力のあるなしによるのだろうか。
 顔でOKよりも、「ほんとうですか~?」って疑り深く見上げてくれると嬉しい(かもしれない)。

 横浜地下鉄と市内のバスは、70歳以上市民は年間8000円で乗り放題である。ありがたく使っている。
 年寄り得ではないが、広島で被爆した友人と国立博物館に行った。彼は被爆者手帳を見せると付き添い人とともに入場無料となる。もちろん押しかけ付き添いした。

 古希となったばかりの知人とある会合で同席して、意気投合した。「もう古希だから」を積極的に使おうということである。
 つまり、「もう古希だから」と言い、「だからそれは勘弁してください」と逃げる。
 そしてまたあるときは、「だからやらせてください」としゃっしゃり出るのだ。
 われながら勝手老人である
  

2008/07/19

0208【老いゆく自分】不良老年の時代

 自分が古希を超えたことを、自分自身がどうしても信じられない。子供のころは、そんな人はものすごい年寄りに見え、もうすぐ死ぬ人だったものである。自分が今どうしてそうなのか、いまだ不審である。 ただし、周りの状況でいやおうなしにそれを知らされるのは、いろいろな会合でふと気がつくと、自分が一番年上であることが、ずいぶん増えたことだ。気がつくまでは気楽にいい加減なことをいつものようにしゃべっているのだが、それに気がつくと突然にシュリンクする。

 変なことをしゃべってもわたしはかまわないのだが、もしかしたら同じような歳の人に失礼になるかなと思うのである。あの人はいつものことだからいいけど、それにしても最近の年よりには困ったもんだと、一般論として思われては、やっぱりまずいかもなあと思うのである。

 自分が年寄りであることを少しづつそうやって自覚し始めると、周りの年寄りを観察するのが面白くなる。自分のボケと比較して勝ち負けを判定するひそかなゲームである。 もちろん自分のボケ度はわからないから、お互いに勝手にやればオアイコである。

 こっちの勝ちは、同年のあいつはなんでも口出しする癖が嵩じてきたなあ、2年上の先輩は人の話の途中で話し出す回数が増えたなあ、5歳上のあの先生は時代遅れの考えをいつも自慢げに言うなあ、とか、、。

 逆に負けは、喜寿なのに日本の都市計画の行方をいまだに現場でひねくり回すあの先生は疲れない人だなあ、限界集落の法末の老人たちはなんでも自力でやってしまうなあ、身軽に屋根に登るあの茅葺職人は80歳になるんだ、とか、。

  先月から今月にかけて、法末で屋根の茅葺作業を手伝ったのだが、学生時代は山岳部でロッククライミングやってたくらいだから高所は平気なのに、今や高い足場に立つのが怖くなっていた。足のばねが衰えていてなにかあっても瞬発的に動けそうにないのだ。持続力はあっても瞬発力は衰えた。

 内部から明確にわが身の老いがわかるのは、頭の中の固有名詞の引き出しが錆付いていることである。思い出せないと気になって一日中思い出そうと考えることもある。じれったい。
 老いにとって嬉しいのは、ボケる前に高度情報時代に間に合ったことである。インターネットは超高齢社会を生きるおおきな武器となった。いながらにして何とか世の中と通じるし、ボケ頭代わりの情報の引き出しともなる。
 これからは、老人犯罪が多くなるに違いない。暇と小金と悪知恵を持つ不良老年がはびこると、かなりやばいことやるやつが出そうな気がする。自分はその外だけど、。 

2008/07/17

019【くたばれマンション】名ばかりマンションが売れないって不況でまことに喜ばしい

 アメリカではマンションとは金持ちが住む広い庭園のある豪邸を言う。日本では庶民が住む狭い区分所有型立体長屋を言う。
 日本の首都圏でマンションが売れなくなっているという。㈱不動産経済研究所によれば、2008年度上半期首都圏のマンション市場動向調査によると、発売戸数は2007年の上半期と比べて23.8パーセント少ない21,547戸だったそうだ。しかもこれからも回復の見込みはなくて、下半期も16パーセントからの減少見込みとある。

 人口の東京圏への集中は当分やみそうもないのに、これはどうしたのかと思えば、要するに高くなったからだそうだ。裏にはこのところのマンションミニバブルで悪徳業者が出てきて金融機関が融資渋りとか、外人投資家の資金引き上げとかがあるらしい。社会資本の住宅が投資屋にもてあそばれているのだ。

 そんなことよりも、あの危ない危ない分譲型立体長屋が売れないことが喜ばしい。あんな危険なものを売るほうも問題だが、買うほうも問題なのである。
 もうすぐ必ずやって来る首都圏地震で、どんなに頑丈に作ってあるビルでもかなりの被害がかならずある。そのときに、一棟で100戸どころか500戸、1000戸もあるような分譲戸数だと、どうやってみんなが意志をそろえて建て直しとか大規模修繕とかやれるのか。 
 そろえないとできないんだよってことが、阪神淡路大震災でその難しさがよ~くわかったはずだし、その後の“姉歯震災”でも念押しされるように問題がわかったはずだ。なのにどうしてあんなもの売るのか買うのか?

 首都圏地震では、マンションに戻れない大量長期住宅難民が発生するに違いない。いや、震災が来なくても、いずれ老朽化するビルは、分譲所有者のみんながその気にならないと、管理されないままに放置されて化け物屋敷マンションになっている例も沢山ある。

 家賃払ってもなにも残らない、マンションを買うほうが得だ、という不動産コマーシャルは大嘘である。短期でも長期でもボロ財産が残るのが、マンション(区分所有型共同住宅ビル)である。
 それを知ってか知らすか早く売り逃げした奴が勝ちという現状は、社会資本である居住環境を金融投機対象としている。実にいびつな日本の都市社会である。

 政府は所有型住宅優先の政策をやめて、都市における優良な一棟丸ごと賃貸共同住宅の供給政策を打ち出すべきである。これなら地震で被災しても早期に回復ができるのだ。所有が一体化しているから管理もやりやすい。共同住宅は利用と所有を分離するべきである。
 高くて買えないと思案している人は、ちょうどよい時期だから考え直してはどうか。

→参照:姉歯大震災の喚起するもの
→参照:賃貸都市の時代へ

2008/07/16

018【東京駅復原反対】丸の内は時代と共に景観がどんどん変わるところに特徴がある

 この写真は1987年にわたしが撮った東京は丸の内の風景である。手前に新幹線から東京駅ホームの屋根、その向こうに赤レンガの「東京駅丸の内駅舎」の台形屋根が3つ並ぶ。これは後3年したら、両脇のふたつが台形から丸になる予定である。

 その向こうにある真っ白い「新丸ビル」、その左のちょっと日陰っぽいのが「丸ビル」で、今はどちらも超高層建築に建替えられた。
 新丸ビルの向こうの赤い超高層ビルが「東京海上ビル」で、これしか超高層が見えない。1974年に丸の内で始めての超高層ビルとして建ったが、丸の内ではこの高さ100mを限度としようという暗黙の了解ができて、次々と超高層ビルに建替えられてきた。その100m暗黙了解は、2006年の丸ビルの改築で破られて、今では200mの時代である。

 新丸ビルの右に小さい茶色のビルが見えるが、「日本工業倶楽部」でこれも隣と一緒に建替えて超高層となったし、その右の元国鉄本社も「丸の内オアゾ」って奇妙な名前の超高層になってしまった。

 というわけで今ではこの角度で見ると、超高層ビルの立ち並ぶ棒で作った壁であるはずだ。この写真を撮った大丸がなくなり、今は昔と違って勝手にビルに入れない時代になったから、いまやどうやって撮るか思案中である。

 さて、丸ビルの左隣に陰になっている横幅のある低いビルが「東京中央郵便局」である。東京駅が改築復原に入ったから、今でも戦前からの形のままであるのはこのビルだけになってしまった。
 ところがこのビルも、郵政民営化で郵政会社が不動産経営に精を出すとて、6月に超高層建築に建替える案を発表した。

 ところがこのビルは、建築家にとっては結構大事な歴史的名建築なので保存してほしいのだが、普通の人がみてもなんの変哲もないビルであるから、東京駅のようには市民から保存運動が起こりにくい。
 それでも郵政会社の開発案の絵には、今のビルの表の形はそのままに継承して、上部に超高層ビルを乗せる形になっている。
 それでこの歴史駅名建築の保全になるのかどうか、建築家たちは論議している。 重要文化財に国が指定せよという運動も起きている。

 さて、東京駅のようにそっくりそのままに保全できるか、それとも今の形を腰巻にする銀行協会ビル形式となるか、どちらにしてお金のこと、景観のこと、文化のこと、都市計画のことなど、問題はあれこれといっぱいある。

 ところで、日本郵政株式会社が発表した中央郵便局の改築計画の絵をみていて、妙なことに思いいたった。
 低層下部には今の郵便局がそのままあって、その上にガラス張りの超高層建築が乗っている格好なのだが、そのガラス面がまるで折り紙飛行機が上から突き刺さった形なのである。
 これは9・11のパロディにちがいない! え、ヘルムート・ヤーンさん、、、。

→参照「東京中央郵便局の保存について考える」 


2008/07/15

017【世相戯評】オイル高騰してECOならぬSECOい生活をするか

 このとことろ原油の国際価格の高騰とて、エネルギー源ほとんど輸入国の日本はまさにその影響を受けている。ついこの間は、揮発油税の暫定税率期限切れ問題でどたばたしたと思ったら、今度は国会でドサクサしてもどうにもならない騒ぎである。

 ガソリンに頼るエンジンの機械類による仕事はもろに影響を受けるとて、漁船のストライキである。
 ストライキとは通常はなにか不都合が起きたときに、それの原因者に向かって抗議して打撃を与えるために行うものと思っていたが、漁業者の抗議の相手は誰なのだろうか。

 石油価格が高くなった原因が、石油を掘る業者やそれを売る事業者が値上げしたのかどうか知らないが、なんでもアメリカのプライムローン破綻騒ぎでドルが下がり、あちらに投資していた国際金融投機屋さんが金を引き上げて、石油に回しているからなんだと、なにかに書いてあった。

 金融とは金属を融かすことかとわたしは思っていたくらいだから、なんのことかまったく知らないが、それではストライキしても、ぜんぜん相手にならないなあ。
 それがなくてもオイルがいつかは高くなって困ることが起きる思ってはいた。これほどに自動車を乗り回し、電気を使い放題では、そうなるに決まっている。

 米つくりだって、農薬や肥料つくりにも農業機械にもオイルがじゃんじゃん使われていて成り立っているのだ。 真冬のきゅうりやトマトは、オイルを食っているようなもの。
 要するにわれわれにできることは、オイルを何とか使わない方向にするしかなさそうである。生活レベルを下げるのである。需要が減れば物は安くなるのは不変の法則だろう。

 真冬には真冬の野菜を食い、魚も遠くで採ったやつは食わない、レストランで残すような食い方はやめ、自家用車に乗るのはできるだけやめてバスや電車にし、歩ける範囲はできるだけ歩き、いらない電気は消し、テレビは夜12時から朝5時までは放送をやめ、とか、いろいろやることあるだろう。

 ECOの上を行くせこいSECO生活の再来である。もう20年も前にはそれがあたりまえだったような、。
 1960年代だったかニューヨークで大停電があったとき、その10ヵ月後に出産が多かったという都市伝説がある。
 そうだ、いっそ夜間点灯禁止制にしてはどうか。おお、日本の少子化対策とエネルギー対策の一石二鳥だあ~、、。

2008/07/11

016【文化・歴史】3つの展覧会(木喰・円空・バウハウス)、柏崎と長岡に木食仏を訪ねる旅

 この1週間で3つの美術系の展覧会に行った文化週間だった。
 まずは横浜そごう美術館の「生誕290年木喰展ー庶民の信仰・微笑仏ー」、昨日は東京国立博物館で「対決 巨匠たちの日本美術」と東京藝術大学美術館の「バウハウス・デッサウ」の連続鑑賞であった。

 木喰仏展にいったのは、この春に柏崎と長岡で木喰仏をいくつか見たからである。
 新潟県は木喰仏の宝庫であるが、このところ通っている長岡市小国町法末集落の近くにそれらがあるので訪ねた。

 小国町太郎丸の真福寺の山門に一対の一木彫りの巨大な仁王尊像があり、これはいつでも見ることができる。ちょっとユーモラスながら豪快な感じもある。
 同寺の立木観音は、本堂の後ろの小さな祠にあり、その顔はまさに微笑仏そのものである。
長岡市太郎丸 真福寺仁王 木食仏2008年撮影

長岡 真福寺の木食仏

柏崎市の街なかにある十王堂には十二体の木喰仏があり、その小さなお堂と木喰仏は昔は常住の尼さんがいて管理していたそうだが、今は町内会が管理しているからいつでも拝観できるのではない。わたしたちが訪ねたときに、たまたま掃除にいらした町内会の役員さんのご好意で見せていただいた。
 ここにある仏像は、三途の川を守る仏たちだから、みんなが微笑をしているわけにはいかないらしいが、それでもどこか愛嬌あるお顔であった。
柏崎 十王堂にて

柏崎 十王堂

 実は事前にどこに木喰仏があるか調べて、7箇所を2日がかりで訪ねる予定であったが、どこかに移ったり、管理者が不在だったり、博物館は閉館中だったりして、結局は3箇所で木喰仏に出会うことができた。
柏崎 安住寺 木食仏


これほど有名な仏像だから、いずれもそれなりのお寺で信仰の対象となっているのかと思ったら、意外にも集落や町内会で管理しているところもあり、いつでも見せてくださるわけには行かなかった。

 十王堂は中越沖地震での被害もあり、管理にはいろいろとご苦労があるらしかったのが、拝観料もおとりにならないのでお布施を差し出した。
 都会のお寺のように拝観料を当然に思うようなこちらの頭がはずかしい。素朴に地についた信仰の対象として、日常生活のなかにあるのが木喰仏だった。

 そごう美術館ではよくも集めてきたと思うほどの130体もの木喰仏に一度に出会ったが、それは越後の里で出会った木喰仏とは、ものは同じでもそれを見る目にははっきりと違うものであった。土地の信仰対象と都会の見物対象とは、違うのは当たり前である。

 さて、国立博物館では対決のひとつに「円空仏木喰仏」があった。
 100年も違う対決もヘンだが、それはそれなりに面白い。円空の彫りの荒っぽさ(もちろんそこがよいのだが)を見ると、木喰の荒っぽさは優美にさえ見える。

 バウハウス展は、1995年にセゾン美術館であった展覧会と大差はない展示であった。ミースのバルセロナ椅子は映像室で観客が座ってよい椅子となっており、モダンデザインの定着を見たと同時に、いろいろなバウハウス流工芸デザインをみるとモダンデザインがもたらした工業化への功罪も感じた。
 おもしろかったのは、国博では高齢者が非常に多かったのに、こちらはほとんどが若者だったという客層の違いである。デザインを志すものが一度はかぶれるバウハウスは、自分のことを思い出すと今も昔も同じなのであった。