2010/03/28

255【東京風景】東京タワー半世紀

 東京の下町に新・東京タワーとて、スカイツリーなる鉄塔が立ち上がりつつある。
 今の東京タワーは1957年に着工し、1958年12月に完成した。
 その頃わたしは大学生になって関東に移ってきた。今のスカイツリーと同じように、東京タワーの途中の高さの鉄塔を見た。芝公園の緑の上に立っていた。
 なんだかスカスカした鉄骨だなあと、建築初学生は思った記憶がある。

 あれから半世紀以上がすぎて、スカイツリーは2011年12月に完成するそうだ。
 なんだかよく分からんが、テレビ放送がデジタル化するので、これが要るのだそうだ。今の東京タワーよりも高くしないと、デジタル電波って奴は届かないのだろうか。

 だったら宇宙衛星から電波を投げれば、あんなものよりもうんと高いから、それがいちばんよさそうなものだ。
 なんで地上デジタル、略して血出痔の電波にする必要があるんだろうか、全く分からん、まあ、わたしはデジタル化してくれなくても一向に差し支えないから、知りたくもない。

 お国の都合でデジタル化して、わたしの家にあるTV受像機という財産が機能を無理矢理停止させられたら、これは公共工事による私有財産の強制収容と同じだから、当然に正当な補償として新TV受像機をくれるんでしょうね。

憲法第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

2010/03/27

254【言葉の酔時記】感謝状は授与するもんじゃなくて贈呈するもんでしょうに

 横浜の関外の黄金町といえば、かつては青線街、特殊飲食店街として悪名高い街だった。
 警察の手入れと復活のいたちごっこだったが、2005年からその一掃に県警が乗り出し、地元団体や大学等も協力して「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」を作って地域再生に取り組んでいる。
 このたび、その取り組みに努力している安部 泰輔氏と横浜市立東小学校及び児童を、地域再生まちづくり貢献者として、横浜市長が表彰した。
 それはよいことであり、努力に敬意を表するものである。
   ◆
 わたしがこの件でひっかったのは、横浜市のWEBサイトにこう書いてあることだ。
「第11回協議会定例会の中で感謝状を受賞者に授与します。」
 この「授与」という言葉である。この意味は上から下へと授け与えるものである。
 感謝状というものは、授けるものだろうか。そうじゃなくて贈るものであろうと思う。
 市長が市民を代表して、感謝の意を込めてお礼を申上げるのだから、「感謝状を贈呈いたします」と書くのが普通だろう。
   ◆
 ところで授与式をネット検索すると、今ちょうどその最中だからか、卒業証書授与式、学位記授与式がいっぱい出てくる。ほかには本田賞授与式、ハイチ国際救援隊隊旗授与式なんてのが出てくる。
 大学という権威、本田宗一郎なる斯界の権威の財団、国家という権威が授け与えるある種の資格のようなものの場合らしい。
 授与と並んで授章式もある。これも権威筋から賞を授け与えるもので、文化勲章、芸術院賞、日本アカデミー賞なんてのが出てくる。
 では文学賞はどうか。これはどれも贈呈式である。芥川賞のような、いまや権威の世界になっても贈呈式である。上から授け与えるのではなく、下からか横からか知らないが贈るのである。
 授与か贈呈かで、それを出すほうが権威主義に乗っているとみるか、それともデモクラティックなスタンスに立っているか、なんとなく違いが見えてくる。
 貰うほうも、その権威にひれ伏すか、あるいは市民的連帯を喜ぶか、考えるところがあるかもしれない。
 なんにしても賞にも感謝状にも縁の無いこちとらがいうと、単なるヒガミに聞こえるかなあ、。

2010/03/23

253【怪しいハイテク】情報の検閲と検索

 アメリカ企業のグーグルが、中国での検索事業から撤退すると発表した。
 中国で検索事業やるなら国家権力による情報検閲のもとで行なうべし、とする中国政府の指示のもとで商売するのはイヤだってのが理由だそうである。中国側は中国で商売するなら中国政府の方針に従え、いやならやめなさいってことらしい。
 一方は、検閲そのものがけしからんから引き上げだ、一方は、検閲する政策だから従え。国家権力の行使に仕方に関する基本的な違いは埋めようが無い。
   ◆
 商売人ならば、お上の言うことにしたがっておけば儲かるんだから、ここは目をつぶろうってのが普通だろう。
 現に、グーグルはこれまで中国での検索事業は、自主的に政府に都合が悪い情報は出てこないようにしていたそうだ。中国進出のときに政府と取り決めたのだそうだ。やっぱりね、。
 ところがここにきて突然に毅然とした態度になった、ように見えるのはどうしてか。本当にそんな格好よいものなのだろうか。国際的な中国非難の揺さぶりを期待できる環境になったってことかなあ、。
 思えば、グーグルが世界の先頭に立って築いたインターネット情報検索技術の発達は、国家権力による情報検閲技術も発達させてしまった。皮肉である。
   ◆
 グーグルが「日本語入力」という、PCで日本語を書くソフトウェアーを無料提供している。
 ダウンロードの最初のページに「豊富な語彙 Webで使われている膨大な用語をカバーしています」とある。検索能力を生かしてWEB上にある言葉を、キーボード打ち込みを日本語に変換するときに取り込むらしい。多分、使用頻度順の高い順に変換するだろう。
 問題は、猫杓子ブログ時代だから、間違いだらけの猫杓子語が横行する。
 でもそれが間違い言葉かどうかグーグル検索は判断をしないから、世に間違い言葉書き込みが多くなると、多数決でどんどん間違いが横行して、言葉は変わっていく。
   ◆
 このことについて先日の朝日新聞の日曜版に載っていたのは、「喧々囂々」(うるさいこと)と「侃々諤々」(各自固執すること)をごっちゃにした「喧々諤々」(あれ、IMEでこれが出てきたぞ、おかしいなあ)がグーグル辞書に登場する事例をとりあげて、グーグル日本語入力ソフト導入には注意せよとあった。
 たしかにケンケンガクガクっていいそうだなあ、でも辞書には載せないだろうって思い、ためしに広辞苑で「喧々諤々」をひくと次のようにある。
けんけん‐がくがく【喧喧諤諤】(「喧喧囂囂(ケンケンゴウゴウ)」と「侃侃諤諤(カンカンガクガク)」とが混交して出来た語) 多くの人がいろいろな意見を出し、収拾がつかない程に騒がしいさま。「―として議長の声も聞こえない」 おやおや、間違い語のままに辞書に載ってしまっている。IMEにもあるのだから、これじゃあグーグルにケチをつけられないなあ、朝日さん。こうやって言葉は変わっていくのだ。
 つまり検索技術が上達すればするほど、実は衆愚検索、いや、集愚検索となる可能性を持っている。こここそ検閲が必要だろうが、言葉を検閲をすると次は内容の検閲になるか、、う~む、。

2010/03/21

252【世相戯評】環境悪化移転制度?

 風で作った北海道産の電気を、東京駅前の丸ビルに送ると新聞に書いてある(2010年3月21日朝日新聞1面)。
 電気に色がついているのかしら。そんなに遠くまで送ったら途中でずいぶん減ってしまいそうだ。
 よく分からないのだが、東京都の新制度で、今後5年間でCO2削減目標6~8%に届かない場合は、自然エネルギーを使う方法で削減に対応することができるのだそうだ。そこで丸ビルは北海道や東北地方で作った風、水、バイオマスによる発電を買うのだとか。
 でも、本当にその電気が丸ビルまで電線を伝って来るのかしら。他の電気と混じっちゃうだろうし、電線の中で行く先を間違えるんじゃなかろうか。

 またもやよく分からないが、なんでもその間にグリーン電力証書なるシステムが介在するらしい。その証書を買えば、北海道から電気が来たとみなすらしい。だったら沖縄からでも、南極大陸からでも電気が来ることになるんだろうなあ。まだよくわからん。

 またまた分からんことも書いてある。森林のある地域では、その森林が吸収するCO2の量を他のCO2排出企業に売ることもできるとか。これも証書にして売るのだそうだ。
 ということは、もう林業できなくて常緑樹も広葉樹も茂り放題の裏山が、ある日突然に宝の山になるのかしら。何か不自然なような。うちの庭木も金になるかも。
   ◆◆
 関連して自分の専門領域のことで思いついたのは、容積率移転という都市計画手法である。
 土地には敷地ごとにその上に建てられる建築物の床面積の上限が法によって定められていて、それを容積率という。

 ある敷地に建物を建てるときに、ある一定区域の地域内ならば、他の敷地が上限まで使いきっていない容積率を持ってきて、こちらの敷地の容積率に加算して、上限を超えて建築することができる。
 このときこの2敷地の所有者間で容積率の売買を行なうことになる。
 CO2排出権の売買とは、どうも排出権という名の容積率移転を、日本中に広げたみたいなものらしい。

 建築の容積率は、かなり狭い範囲で限定された条件下でないと移転はできない。周囲の環境が異なる敷地間で移転が起こると、たとえば低層住宅地の中に超高層ビルが建つような環境破壊が起きるからである。

 CO2排出権の移転はどこにも持っていってもよいらしい。となると、ある施設がCO2排出権をよそからじゃんじゃん買い取れば、その施設周辺はどんなに環境悪化しても構わないってことになるのだろうか。
 なんだか環境悪化移転制度みたいである。日本のゴミを開発途上国に捨てるってことが起きているそうだが、どこかしらなんだか似ているような、違うような、、。
 とにかく、排出権が移転してきた施設の辺りには住みたくないよなあ。
 またもやまたもや言うが、どうもよく分からん。

2010/03/18

251【都市と地域】百貨店時代の終わり?

 東京都武蔵野市の吉祥寺にある伊勢丹百貨店が閉店したそうだ。
 わたしの近くでは横浜・伊勢佐木町の松坂屋が昨年に閉店した。
 どちらの街も人口が減ってはいないから、基本となる購買客はいる。閉店の理由は、近くの商業施設あるいは繁華街に負けたか、百貨店という業態が終わろうとしているのか、どちらかだろう。
 吉祥寺伊勢丹百貨店については、わたしは思い入れがある。1970年前後のこと、現地に通ってこの建物の設計監理をしたからだ。開店は1972年だから38年でひとつの幕が下りた。
 わたしは1990年に、こんなことを「週刊まちづくり」に描いたことがあるので再掲する。
   ========
●吉祥寺は中心市街地活性化の元祖だ(気まぐれコラム1990 伊達美徳)
 吉祥寺はいまでこそ一大商業地だが、1970年でしたか伊勢丹百貨店の開店から急上昇した街。なぜ吉祥寺まちづくりは成功したか、思い出してみる。
 第1に、地域にまちづくりリーダーたちが居たのです。加えて、積極的にまちづくりを進める革新行政(有名な社会党市長)があった。伊勢丹のビルは実は市の公社が事業主です。ついでに、それを支えるコンサルタントがいた(つまり私たちのことですね)。
 第2に、当時としてはしっかりしたマスタープランをつくって再開発を進めたこと。もちろんプランどおりにできあがってはいなけど、プランがまちづくりの羅針盤であったことはたしか。
 第3に、大型店の配置が、既存商店街の外周部にあること。街を楽しく回遊するように伊勢丹、近鉄、東急の3店がとり囲むようにした。アメリカ型大ショッピングセンターと同じですね。駅前で客をすべて吸収してしまうような、よくある大型店配置ではないところがミソ。
 第4に、まちづくりの端緒となった伊勢丹のビル(正式には伊勢丹も含めて武蔵野市開発公社ビルという)づくりは、実は道路づくりと一体となっていること。当時バス通りが今のサンロードであったごとく、まるで道路が無い吉祥寺に、2本の都市計画道路を抜いた。その道路に当った商店群をこのビル内に移転してもらうためのビル建設だったのです。
 第5に、自動車を商店街の中から排除したこと。今ではあたりまえですが、当時としては画期的で、わたしはこの計画を警視庁の交通担当者に説明して、えらく怒られた覚えがあります。地上を人だけにして、地下に車のネットワークを作りますと案を説明したところ、なにを寝ぼけたことを言うか、車でどこでも行けるのが街だ!と。
 第6に、これが最も重要と思いますが、吉祥寺には密度の高い暮らしの街がとりまき、緑濃い井の頭公園があること。しかも所得階層の高い世帯が多いことが特徴です。商業側から言えばしっかりした日常マーケットがあり、都市としては街を支える緊密なコミュニティベースがあることですね。
 つまり、良い街はよい暮らしをする住民がいることが大前提であるということで、思えばあれは中心市街地活性化事業の元祖であったか。
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 さて、そうして2010年であるが、周りに密度の高い高所得世帯がいることは、今も多分変わらないと思うのだが、それでも伊勢丹の撤退とは、、?
 1970年代の中央線の街には、立川にも八王寺にも伊勢丹は進出した。そのどちらも今はない。
 当時の伊勢丹の人に、吉祥寺店を作る意図を聞いたところ、新宿の伊勢丹を旗艦店舗として、その裾野にあたる中央線市場を総て手に入れるためとのことであった。中央線沿線の客は、新宿まで来なくても、伊勢丹ブランドを地元で享受できるようにするというのであった。
 伊勢丹が吉祥寺に進出後に、百貨店は近鉄(後に三越となり今は安売り電器屋)と東急が、専門大店として丸井とパルコが出てきた。
 何でもあるようで何にもない百貨店といわれるそうだ。わたしは、本と電気製品のほかには買い物をしないから、よくわからない。
 ただ、いつも買わないもの、例えば贈り物とかお土産を買うとき、どこになにを売っているか何を買って良いか分からないから、とりあえず百貨店に行けばなんとかなるのが便利ではある。こんな客だけ相手では、成り立ちっこないなあ、。

●参照→中心市街地活性化問題の背景と周辺

2010/03/15

250【ふるさと高梁】大銀杏が死んだ日

 鎌倉の鶴岡八幡宮のシンボル的な大樹の大銀杏が倒れた。樹齢は800~1000年だそうだ。いくうもの気根が垂れ下がっていて、いかにも老木の感じであった。
 1219年に源実朝を暗殺した公暁は、このイチョウに身を隠していて躍り出て刺したという言い伝えがある。樹齢800年ならまだ幼木だから身を隠しようもないが、1000年なら可能だったろう。
 生き物だからいずれは死ぬ運命にある。いつ倒れてもおかしくない樹齢である。
 今の鶴岡八幡宮は大きな樹林に覆われていて、大昔からこのような姿だったと思いがちだが、実はそうではない。明治時代の写真を見ると、大銀杏はあるが裏山は貧相な松の疎林である。江戸時代もそうだったろうが、どこでも山は薪炭林として定期的に切りたおしたから、貧養立地で松林が多かった。
 生態景観は替わっていくものである。ただ、大銀杏のように特別に伝説もある樹木は、生態に文化が付与されるから無理矢理に生かされるのもやむをえないだろう。
 もっとも、銀杏は原始的な種だから移植はやりやすいし、 けっこうしぶとく生き残るものだ。この銀杏も根とヒコバエがすぐに生えて来るだろう。
   ◆◆
 大銀杏といえば、わたしの生家の神社境内の広場の端にも、大人3抱えほどもある大銀杏があった。気根はなかったから樹齢は八幡宮のそれほどではなかっただろう。
 毎年秋になるとたくさんの実を落とす。それを拾い集めて、臭い皮を落とし、種を干す。保存食みたいなものだった。戦争直後の食い物のない時代は、街の人たちも拾い来た。
 その大銀杏を、1950年ごろと思うが、どういうわけがあったのか知らないが切り倒した。多分、神社修復費用調達のために売ったのだろう。
 長方形の広場の角にある大木で、広場方向のほかは崖地だから、切り倒す方向は広場の対角線上の位置のみである。さすがにプロの技だったらしく、みごとにその方向に倒れた。地響きがした。
 誤算は、広場に埋設してあった湧水の排水管が破損したことであった。
 切り株からひこばえが何本も出ては消えていたが、結局は再生しなかった。

2010/03/13

249【父の十五年戦争】父と叔父の戦場

 十五年戦争中に、父親が3回延べ7年半の兵役についた記録をまとめた。
 満州事変での父の激戦地である中国河北省「界嶺口」、太平洋戦争で叔父が戦死したフィリピンマニラ東方の山地が、いったいどこであるのかインターネットのgoogle earthで探してみた。
 正確な地名が分からないし、山の中の辺境もいいところだから、探し当てるのはかなり苦労したが、あれこれやっているうちに両方とも見つけた。
 1933年、22歳の父が最前線に出て銃弾をかいくぐった「界嶺口」は、河北省北部の万里の長城の関所だったみたいな村であるらしい。
 なるほどよくみると万里の長城が、峰を伝ってえんえんと延びているのがgoogle earth画像に見える。それをどんどん伝っていくときりも無い。まったくもって人間がつくった最大のものといわれることが分かる。
 今の山村風景からは想像できない戦場であったのだ。
    ◆◆
 1945年、31歳の叔父の終焉の地は、「千秋山」と生き残った部隊長の戦記には書かれているのだが、これは日本軍が勝手につけた名だから検索しようがない。
 モンタルバン、ワワダム、マリキナという地名が出てくるので、これでまず検索したら日本からの観光旅行の記事が出てきた。
 戦場であったことを知らないでいた人もいれば、慰霊に訪問した遺族の記事もある。ただし、そのままではgoole earth検索のキイワードにならないので、適当にローマ字を当てて何度も検索をくり返し、地形をたどっていたら遂にあたった。
 ここはダムがあって、今はマニラ郊外の観光地だそうだ。
 現地に行かなくてもこんなことが分かるのだ。goole earthはほんとにすごい。こんなことができる時代にわが人生が間に合ってよかった。
 そうそう、グーグルストリートで、わたしの生家の神社が出てきたのには驚いた。

父の15年戦争

2010/03/10

248【老い行く自分】わたしの傷病譚

 いま排水装置が故障している。前立腺が錆付き膨張しているとて、脱錆薬で修理中だが、順調に機能回復中である。
 実はこれと同じことを4年前にもやった。そのときは突然に39度の熱が出て、震えがすごくて立っていられなかった。このときも突発性の炎症で、1か月くらいかかって薬で治った。
 わたしは幸なことに大病をしたことがない。もの心ついて入院した経験は2回しかない。思い出して書いておく。

 最初は中学生1年生のときで、右腕骨折。校庭で走っていて、丸太で作った平行棒のような遊具に足をすくわれた。
 ちょうどその頃、母親もなんだか忘れたが接骨医院に入院していて、わたしもついでに入院した。いま考えると父親は大変だったろう。

 2回目は、40歳の頃、ある日駅の階段を登っていたら、突然に左の臀部が痛くなり、歩きにくくなった。
 大腿骨の頭と骨盤とのフリージョイント部には、潤滑油のようなものが入っていて円滑に動くようになっているのが、重い荷物をもって階段を駆け上がったので、その潤滑油が切れて骨と骨とが接触したのであった。
 実はこうわかるまで1ヶ月くらい、あちこちの医者で見てもらったが一向によくならなかった。鎌倉のS病院でそうとわかって、10日間くらい入院した。
 やった治療は、ベッドで寝ていて右足に紐をくくりつけ、その先に錘をつけてこれをベッドからぶら下げておくのである。要するに、骨と骨の間をひぱって開けておき、そこに切れた潤沢油を戻すのだ。分かりやすい治療である。
 そんなことは通院でもできそうなものだが、それでは行きかえりでまた元に戻ってしまうから、ベッドにくくりつけておくのだそうだ。

 入院配しているが気分のほうは全く問題ないのだから、ワードプロセッサーを持ち込んで仕事をしていた。
 大部屋だったので周りの入院患者たちの様子を観察してもいたが、これは面白かった。
 骨折して入ってきた80歳の老人は、完全介護の付き添いが何もかにも世話していた。そのうちにしだいに老人はボケが進んでいく様子で、これはちょっとこわかった。
 もう何回目かの入院ベテラン中年男がいて、看護婦をこき使っていたのも奇妙だった。次の入院も人生模様のある大部屋がよい。
 夕方になると近くの銭湯に行く。胃腸は健康そのものだから、病院の給食を食ってから後がこまる。幸にして銭湯のまん前が酒屋である。カーテンの中で本を読みつつ、ばれないように一人静かにカップ酒を飲むのは、なんとなく禁酒法時代もかくやと、悪くなかった。
 退院してからもしばらくは、わが家で足引張りをしていたら、そのうちにどちらの足か忘れるようになった。

 入院はその2回だけである。全くもって生命傷病医療保険の料金の払いすぎである。
 入院こそしなかったが、現代医学で社治療方法がない難病、奇病にかかったことがある。
 この大腿骨頭壊死症、萎縮症の件はすでに別のところに書いた。
 ●参照→にわかハンディキャッパーは「誤診」だった(2003~06)https://sites.google.com/site/machimorig0/handicapped
 
 奇病といえば、大学2年生のときにメニエル氏病になったことがある。
 三半規管が故障して、まっすぐに歩けないのである。例えば、歩道でふち石の上を歩いても、3歩も続かず足が外れる。
 原因は分からないままだったが、2、3ヶ月だったか通院を続けて栄養剤の投与をしばらく続けて治った。
 
 これは奇病かどうか分からないが、帯状疱疹で寝込んだことがある。30台の終り頃だったろうか、勤め先の仲間と大勢で山陰の海に泳ぎに行った。
 どういうことだった忘れたが、かんかん照りの太陽の下を、裸で3時間ぐらい歩き続けた。そのときは特になんともなかたが、自宅に戻った次の日から、腹と胸を一周してたくさんの真っ赤な粒粒が出てきた。触ると痛くて痛くて肌着も着ることができない。
 真夏なのにふわふわ毛布を出してひろげ、その上のそ~っと寝転び、寝返りもうてずに安静にするしかない。あれは苦しかった。1週間ほど寝込んだ。
 後で知ったが、もともと体内にあるヘルペス菌が体調がわるいと出てきて発症するもので、帯状疱疹は命に関わることもあるとか。

 同年齢あたりの仲間が集まると、どうも病気の話になりやすい。あまり経験がないので話の仲間に入りにくいのが、残念なような、それでよいような。

2010/03/08

247【言葉の酔時記】建築家、建築士、設計士

 珍しくTV番組を見た。長周期振動の地震波による建築物の倒壊の話を、昨夜のNHKでやっていた。
  内容は高層ビルが長い波長の地震波で壊れるかもしれないが、対策はほとんどとられていないというのであった。そのことについてのコメントは「長周期地震波災害」を見ていただくとして、ここでは一般の建築を設計する専門家への見方のことである。
 芝居仕立ての番組構成は、超高層ビル45階にあるバーのバーテンダーが狂言回しとなる。カウンターで男女の客が地震を怖がる話をしていると、やおら別の男が割り込んでくる。
 何者かと聞くと「建設会社の建築設計士」と名乗るのであった。
 ここでわたしは引っかかった、オカシイ、。え、どうして、と、オカシイと思うほうを世間の方はオカシイと思うだろうか。
長周期地震波災害-明日来る大地震に備えて借家へ(2010.03)
   
 実はこれまで多くの建築の設計を専門とする人に出会ったが、誰一人として自分のことを「設計士」といった人に出合ったことがない。自分が建築設計をしていた30年以上前でも、そういう職業名を考えたこともなかった。
 でも、天下のNHKが設計士というのである。世間では建築士あるいは建築家のことをこう言っているのであろうか。
 そういえば先般、文筆家の方から私の文の引用依頼があり、その引用の外の文章に知人のことを「建築設計士」と書かれていたので、専門の世界では使わないことを申上げたら、全く他意なく使っていたとのご返事であった。
 そうか、世間では「建築設計士」というのか、。
   
 でも、本当は「士」がつくのは国家資格である。弁護士を筆頭に、公認会計士、司法書士、計理士、税理士、航空士、航海士などなど、はいて捨てるほどあるうちに、「建築士」もあるのだ。一級建築士資格はわたしも持っている。都市計画に関する資格の「技術士」ってのも持っている。どちらも持っているだけで何の役にもたっていないが、、。
 世間にはナントカ士って勝手に資格を考え出して、金を取って売る商売もあるらしいから、ナントカ士の全部が国家資格でもないようだ。逆に国家資格のナントカ士を資格も無いのに詐称すると罰せられる。
 とういうわけで、バーで自らを「建築の設計士」と名乗る人がいたら、これはほぼ間違いなく「建築士」と間違わせようって魂胆のある人、つまり偽専門家である。お気をつけ下さいませ。

くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/datemegane-index#mancion

2010/03/07

246【くたばれ乗用車】轢き殺される側

 世界一に成り上がった自動車メーカーのトヨタが、なんだか知らないが欠陥車を売ったとて、アメリカから叱られているらしい記事が新聞に載っている。
 運転していると突然スピードが出るとか、ブレーキが利かなくて暴走するとからしい。それで欠陥商品だ、いや運転が悪い、とか言い争っていて、アメリカの国会からお呼びだし食らった社長が、とうとう「謝罪」したとある。
 謝「罪」だから犯「罪」行為だったということなんだろうなあ。なんでもアメリカあたりじゃあ、謝ったほうが悪いって習慣らしいよ。
 あれ?、日本の国会はどうして呼ばないのかしら。
    ◆◆◆
 で、気に入らないのが、車を買った客に謝っただけらしいってことだ。新聞論調も、消費者の立場で作ってるのかって口調であるのも気にくわない。あまりに一面的だぞ、その暴走車に轢き殺される側の身にもなってみろってんだ。
 何の関係も無い歩行者が、道端で突然に襲ってくる車に殺されることは、日常茶飯事で起きている。それが運転過誤で起きている現状に加えて、運転者も知らない原因での襲撃も加わってきたとなると、そんな通り魔型大量殺人機械に進化されては、こちとらはどうしようもないぞ。
 ついでに言えば、排気ガスによる長期的殺人装置でもあるし、騒音による慢性痴呆化促進装置でもあるぞ。 
 こんな殺人機が、日常的にそこいらじゅうを走り回っているのが不思議である。
    ◆◆◆
 もしもこれまでに世の中に自動車がなかったとする。そこに突然、こんなものを発明しました、超便利だがこんな害毒もあるってわかって売り出すとなると、はたして世のに受け入れられるだろうか。
 自動車は長い年月をかけて徐々に既成事実を積み上げ、素人も使うことができる殺人機であることをデファクトスタンダードとして世に公認させた稀有な商品である。
 それには戦争という天下公認の殺人ごっこが、大きなドライブとなったことを忘れてはならない。特に第1次世界大戦(1914~18)では、自動車が兵器として大きな役割を果たし、その後の普及を促進した。
 殺人機であるからこそ、厳重な法的規制がかかっている。運転免許という国家が運転を許す仕組みがその最たるものである。
 とにかく、わたしもあなたも、この殺人機に、今日か明日には轢き殺されるか、廃ガスで喘息窒息死するかもしれない運命にあるのだ。
 メーカーもマスメディアも、轢き殺される側の視点が欠けている。
    ◆◆◆
 とりあえずやるべきことは、法律を変えて運転免許を厳格なる審査を経たプロフェショナルにしか交付しないこととせよ。ド素人でも殺人機を運転できる今の制度は間違っている。これじゃピストル売買自由と同じだ。
 2つ目は、自動車は何か異常があると、とにかく停止するフェイルセイフ設計とすること。例えば50キロ以上の速度が出たら自動的に停まるのだ。
 3つ目は運転者が最も衝突リスクを負う設計にせよ。運転者がまず安全とする設計にするからスピード出すのだ。ぶつかって一番先に死ぬのは運転者にせよ。ぶつかられたこちらが安全な設計にせよ。
 
●参照→くたばれ自動車

2010/03/06

245【世相戯評】優勝は銀メダルらしい

 まったくもう、新聞の社会面にも第1面にもづかづかと土足で、毎日毎日入り込んできて、本当にジャマであった。スポーツ欄に引っ込んでろよ、オリンピックめ!
 TVは見ないから言いようがないいが、あちらはモットすごかったのだろう。
 なんでこんなに大ニュースなのか。社会面にはなんだか美談調のお話らしい見出しである。中味はもちろん読まない。
 この紙面の感じは、どこかで見たなあ、そうだ、この1年ほど父の戦争史を調べているので、図書館で1931年からの戦中の新聞を見出し読みしてきたのだが、その激戦の報道とソックリである。
 負けているのに勝ったかのような報道は、スケートで韓国と日本の女の子が競った記事である。いや、読んではいないのだが、見出しだけ眺めていると分かるのだ。
 第1面にどかどかと瓜実顔の女の子が出ていて、「銀」、と大見出しである。ふ~ん、この報道量の大きさからしてオリンピックってのは昔は金が優勝だったけど、いまは一等賞が銀で、2等賞が西瓜顔の女の子の金なんだ、、。
 この書きっぷりは、日本軍の大本営発表(戦後になって嘘発表の代名詞になった)鵜呑み記事に、雰囲気がなんだか似ている。 ボロ負けしてもボロ勝ちしたように書かされるのだった。
    ◆◆
 1933年3月3日に、日本の東北の三陸地方で大津波が発生して、1500人以上も死者が出る大災害が起きた。新聞はそれまでは毎日毎日、満州事変が拡大して日本軍が万里の長城を越えて侵攻した熱河作戦記事でいっぱいだった。その日から毎日がこの昭和三陸地震記事(死者1522名、行方不明者1542名)で埋めつくしている。かなりの期間、中国での戦争は脇に追いやられた。
 後の太平洋戦争末期の1944年12月7日に、東海地方で1200人以上の死者が出た東南海地震について、当局は「戦局苛烈な折、国民の士気を阻喪してはならない」と実情報道を禁じた。翌12月8日の朝日新聞は「一部に倒半壊の建物と死傷者を出したのみで大した被害もなく、郷土防衛に挺身する必勝魂は、はからずもここに逞しい空襲と戦う片鱗を示し復旧に凱歌を上げた」とある。
 満州事変時代はまだ少しは健全であったとも言える。
 今はどうか。オリンピックの前に起きたハイチ大地震の記事は、オリンピックになってからぱっと消えさった。
 と思ったら、オリンピック終了直前にチリ大地震である。さすがに1面に載ったが、社会面はオリンピックお涙頂戴記事、次の日からオリンピックがすぐに押し戻した。遊びが災害に勝った。いま、時代は健全か?

033オリンピックが終ったらしい

2010/03/05

244【怪しいハイテク】ローテク掃除

 3月になった朝から体調が悪い。排水装置のあたりに故障があるらしい。2日に専門医に診てもらうと雑菌で錆付いているとて、薬を貰って飲んだら少しは排水機能回復したが、まだ錆排水で不調である。
 微熱があるらしく、コンピューターいじりも気分が乗らない。毎日かわいがっているうちのPCに触らないのもかわいそうである。
 そうだ、まわらぬ微熱頭を使わないいじり方がある。キーボードの掃除をすることにした。これまでやったことが無い。刷毛でささっとそよがせるくらいだ。
 この刷毛は製図用刷毛である。製図版で設計製図をやったことある人は、アレだっ、そんなものまだ持ってるのかって懐かしがるだろう。消しゴムかすを掃き落とすヤツで、KENTのブランド品である。製図版は7年前の引越しで捨てたけどこれはもっている。そういえば製図版を蕎麦打ち板にして再利用している知人がいる。ちょうどよいとか。
 あ、製図の話じゃなくてキイボードである。もう7年も使っている。
 しげしげと見ると、茶色のものがあちこちについてる。たぶん蜜柑の汁が飛んだのだな。
 キイの間には綿埃がたまっている。ためしに中央あたりのキイを3つはずす。ありゃ、埃モワモワの中にクッキーのかけらがある。
 3つ分くらいの大きさのENTERキイをとる。ウワッ、ゴキブリの巣か、埃の山に煎餅のかけらもある。
 こうなったらしょうがない、徹底的にやるぞ、気分はすぐれないが、なんだかファイトが沸いてきた。どうもお安いファイトである。
 かたはしからはずしていく。問題はそれらがどこにあったのか分からなくなることだ。慎重にもとの配置のように別のところにおいていく。
 綿ぼこり、煎餅かけら、クッキーかけら、ステップラー針、そして茶色のこびりつき、まったくもう机上の魔窟である。
 ミニ掃除機、刷毛、濡れ布巾、爪楊枝、塵取りをもって、ボードとキイとを徹底的にほじくり、吸い、吹き、掃き、拭う。
 さて、キイを戻していく。これって、ジグソウパズルか、いや、なんだか少年時のラジオキットの組立みたい。
 あれ、こんなキイあったのか、一度もたたいたことないぞてのがいくつもある。だいたい辺境の地にいる奴らである。
 北極のあたりにいるF1からF12の流氷キイ群に触ったことあるかしら。PCのやつからなにかで押せと命令されたことがあった様な気がするだけだ。
 アラスカのもっと北東カナダ奥地にいるエスキモーキイ群のなかではDeleteはよく使う。Insertはまれに使うが、それはDeleteと間違えて押したときに元に戻すために過ぎない。PrtSc--SysRqなるわけの分からんキイは、画面コピーでたまに使う。ダウンロード禁止措置をしているページの盗撮である。これを知らないころは、カメラで写すとモワレがでて困っていたが、このキイではそんなことはない。Pause--Breakってなんのことだか。
 辺境にありながらよく使うのは、Enter、BackSpace、半角/全角‐漢字である。これらやDeleteが、有用なる能力を持ちながら、なぜ辺境配流の気の毒な境遇にあるのだろうか。
 未利用キイはほかにもあるけど、使ってないってことはいらないってことだろう。そのうちに何かで使うようになるかもしれない。
 そうやってPCのほうの魔窟はローテクノロジーでもって撲滅したのだが、体内の魔窟はどうなるのか。いや、医者は魔窟ってほどじゃなくてすぐ治るといっている。そうだ、ちょうど「父の十五年戦争」を1年ほどかかって書き上げたので、気と体が緩んだのであろう、、なんて、いかにも作家みたいで格好よろしい、はは。

2010/03/01

243【くたばれマンション】片想いの賃貸住宅政策

 住宅供給公社よ、もっとがんばってくれ
  わたしが住んでいる賃借住宅の家主である県住宅供給公社から、「家賃改定に関するお知らせ」なるものがポストに入っていた。
 おお、値上げか、また文句をつけるかと読んでみると、こうである。
「皆さんの現在お支払いただいている家賃につきましては、平成22年度4月に改定することを予定しておりましたが、昨今の社会・経済情勢を踏まえ熟慮の結果、平成22年4月の家賃改定は見送ることといたしましたので、お知らせいたします」
 ありゃ、値上げしないのか、でもデフレ時代だから値下げするのが本当かもよ。
 文面で気になるのは「昨今の社会・経済情勢を踏まえ熟慮の結果」のところである。つまり公社が考えに考えた末ってことらしい。この賃貸住宅ビルだって空き家がたくさんあるしなあ。
 でも、値下げするのが嫌だから、「熟慮」して「見送」ったのだろうと、意地悪く読めるのである。
 これでよいのだろうか。というのは、公社家賃は市場価格と連動すると制度上の決まりがあるからだ。
 実は2002年入居からこれまでに2回の家賃改訂があった。2回とも値上げである。その最初の家賃改定のとき、わたしと家主の公社の間でトラブルが起きた。

●以下全文は→片想いの賃貸住宅政策