2011/03/18

404戦時中のような

 太平洋戦争の時代みたいな言葉が行き交っている。
挙国一致」というのがいちばんすごいと思う。そのうちに大政翼賛になるか。
 西日本に住む知人たちから、関東に住むその子や孫が「疎開」してきたと、Eメイルで教えてくれた。そのような例は多いだろう。
「疎開」も懐かしいといっては語弊があるが、戦中の言葉である。
 阪神淡路大震災のときには避難とは言ったけど、疎開はなかったような気がするが、どうか。
 広辞苑によると
そ‐かい【疏開・疎開】
①とどこおりなく通ずること。開き通ずること。
②戦況に応じて隊形の距離・間隔を開くこと。
③空襲・火災などの被害を少なくするため、集中している人口や建造物を分散すること。疎散。「学童―」「強制―」
    ◆
 太平洋戦争末期には、空襲に対応して避難路や延焼防止のために街を壊したり、空き地を作ったり、あるいは軍施設をつくったりしたこともあった。強制疎開である。
 今回はどうか。今後のまちづくりでは、津波に対応して街の疎開が必要かもしれない。
 太平洋戦争末期に、都市空襲出被災し、あるいは空襲を避け、あるいは上に述べたような疎開にひっかかって強制されて移転せざるを得ない都市住民が、都市から離れて地方各地の移動したことがあった。
 小学校がまるごと地方の町などに移ったのは、学童疎開である。
 1945年のはじめ頃、わたしの生家の神社の社務所には、芦屋市から小学校6年生のひとクラスが空襲を避けて学童疎開してきた。
 親戚の家などに避難するのは縁故疎開といった。
   ◆
 今回の原発疎開は、まさに空襲そのものである。そして強制疎開の再現である。
 避難よりもこの疎開が使われるのは、そのあまりの規模の大きさが、かつての戦争時代を思い出させるからだろうか。
 外国人がどんどん国外脱出しているし、関東の企業も関西に移動しつつあるらしい。これもまさに疎開である。
 外国人が脱出するのは、理解できる。もし自分が言葉も不自由な外国でそのような目にあったら脱出しかない。
 今、外国にいる日本人も心配で帰国したいだろう。もしかして、あの時の「交換船」のような交換飛行機が出るかも。
    ◆
 自衛隊の予備自衛官に召集令状が来たとニュースで言っている。「予備自衛官」という制度があったのか。
 これはまさにあの戦争時代の予備役軍人への非常時招集の再現である。
 太平洋戦争末期には、40歳以上の老兵の予備役も招集され、兵役年齢も21歳から19歳に下げて、若者だけでなく少年も中年も戦場に駆られたのであった。
 まさに「挙国一致」の翼賛体制になり、その後は歴史の示すとおりになったが、あれとこれは違うとしても、さて、この大災害がどのように日本を変えるのだろうか。
 ちょっと気になるのは、震災対策への批判、例えば東電や当局の発表の仕方などが下手で分りにくいのでこのブログで批判したら、ある人から今はマイナスの言を慎め、現場は寝ずにやっているんだと、なんだか「非国民」みたいに逆に非難されてしまったことだ。これも戦時中の言葉である。
 戦争中は、政府、軍部、兵士への批判を、そして遊びをも「非国民」なる言葉で、庶民自身が互いに封じたのであった。

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