2013/01/31

713スポーツ競技はもとが暴力行為だから指導者が暴力ふるって当たり前かも

 このところ運動競技に関して、その指導者が暴力をもって運動方法を教えているとて、その暴力でいじけた教え子が、自殺したり、上部団体に集団で哀訴したりして、事件になっているらしい。

 報道屋は面白がってケシカラン、政治家も尻馬に乗ってケシカランと合唱、運動団体の役員さんはお決まりのお詫びお辞儀記者会見。
 
 まあその通りだけど、どだい体力勝負の運動競技ってのは、もともと暴力沙汰である行為を、運動競技っていう一見きれいごとに仕立てたものである。

 柔道、相撲、拳闘、レスリングなんて格闘技の試合は、その典型的なもので、つまり喧嘩ですな。
 ラグビー、サッカー、ホッケーなどの試合は集団暴力行為、つまりデイリですな。
 これらが暴力でないなんて、チャンチャラおかしい。

 その競技の指導者とか監督なんてのは、つまり暴力方法にたけた人であるだから、教え方も暴力になるのが当たり前だろう。
 暴力の使い方を教える人に、暴力を使うなって言っても、そりゃ無理というもんでしょう。

 運動競技の世界には、もっとひどいこともある。
 銃による殺人事件が起きて社会問題になっているのに、ピストルやライフル等の銃砲を使った運動競技が平然と存在するのだ。
 平和の祭典なんてキレイごとを言っているオリンピックにさえあるのを、誰もおかしいと思わないのかしら。

 ところで最近はシゴキって言葉はないのかしら。わたしが高校や大学で運動部にいたころは、そういったものだ。
 例えば、山岳部では体重ほどの荷物を背負って歩いて疲れ果て、アア、今日はシゴカレタ。
関連:156昔山岳部
http://datey.blogspot.jp/2009/07/156_18.html

2013/01/30

712日暮里富士見坂から半身不随の富士山と満身創痍の都市風景が見える

 東京日暮里に富士見坂なる名前の場所がある。
 その名の通りここから、まだ富士山が見える。でも、そのうちに見えなくなる予定であるらしい。富士見坂と富士山との間にビルが建つからである。

 その富士見坂に、今日、大勢の見物人がやってきたそうだ。
 ここから見る最後になるかもしれない富士山頂上に沈む太陽を見るためである。まったく暇な物好きな人が多いものだ。
 なにもわざわざ日暮里まで行かなくても、太陽は毎日沈んでいるのだから、毎日どこかで富士山頂上に沈む太陽を見ることができる。今日に限らなくってもよさそうなものを。

 なんていうと怒る人がいるだろう、何をバカなことを言っておるか、富士見坂から見るから価値があるのだと、。
 でもね、「山あて」の道や坂はどこにでもあるよ、ここだけじゃないと思う、富士見坂ってのは、。
 で、ウェブサイトを見たら「東京の富士見坂」というのがあった。
http://www.t3.rim.or.jp/~kuri/fujimi/
 ここにも物好きな人がいて、都区内18か所の富士見坂を訪ねて、富士が見えるかどうかを確かめている。
 なんと富士山が少しでも見えるのは、たったの3か所だそうである。

 つまり日暮里の富士見坂におおぜいのヤジウマがやってきたのは、坂の名前に由来する風景が見えなくなるという噂に、ちょうど今日が太陽がてっぺんに沈むという現象とが重なった貴重なチャンスということだろう。
 で、その富士見坂から富士山をみえなくするビルが建つことに関しては、その眺望の消滅を惜しむ人たちにが建設反対運動を粘り強く続けているらしい。
 今日、ダイヤモンド富士を見に来た人たちは、もちろん、ビル建設反対運動をしているのであろう。

 ただし、そのビル建設を法的規制することは不可能だろう。今すぐできることは、だれか奇特な金持ちがそのビル用地を買い取ることしかなさそうだ。
 そのような奇特な人がいたとしても、富士見坂から富士山まで視線上にある土地あるいは視線を妨げる範囲の空中権を全部買い占めなければ、今後も同じことが起きるに決まっている。
 では、法的制限方法はあるか。都市計画でそれを決めることは法的には可能である。
 ただし、その制限受ける範囲の地権者や関係市町村の市民の意見も聞かねば決められない。さてそれは、どれだけのおおぜいになるのだろうか。

 ほかの富士見坂でも、こんな富士山夕陽見物とか眺望消滅反対運動が起きたのだろうか。それとも、誰もなにも言わなかったのだろうか。その違いはなんだろうか。
 かつての高度成長バンザイの貧乏な時代を抜け出て、景観にも目を向けるよう豊かな時代になったということだろうか。

 だが、それもなにかおかしい。日暮里の富士見坂から富士山の方向を見る風景写真は、ウェブサイトにたくさん登場する。
 それらを見てわたしが奇妙に思うのは、もはや富士山は左肩(右肩か)を失って半身不随、そしてその富士山を取り巻く都市風景は満身創痍であることだ。都市風景についてはだれも何も言わず,富士山が見えないことだけを言うのは奇妙である。
http://www1.ttcn.ne.jp/fujimizaka-hozen/shinnookubo/20111007-1.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/07/96d0fae037f5d656083f8876db406c03.jpg

 いやはや、この日暮里富士の頂に夕陽の光背が輝けば、これは片翼を失った鶴が掃き溜めで昇天するの図である。

2013/01/23

711インフラ整備インフレ政策インフルエンザ流行で残るはインフリとインフロか

 ただ今の安倍政権は、日本にインフレを招く経済政策を採用するのだそうである。
 インフレね~、インフレというとまず思い出すのは、1940年代後半の太平洋戦争直後のころである。44年から49年までの消費者物価はなんと100倍になったそうだ。 今持っている1万円が10年後には100円になるのか、。
 わたしが大学生の1950年代の後半、山手線の1駅は10円、今は120円かしら、半世紀ほどで12倍である。10年で100倍はすごいものである。

 戦争直後インフレ時代に小学生だったわたしは、家計のことはわからないが、義務教育費は無料ではなかったから、父母がわたしにもたせる教科書代や給食代などに悩んでいた。
 なにしろ毎日物価がどんどん上がるのである。持って来いという教師も悩んでいただろう。
 対策として新円切り替えというのもあった。新札を出して旧札を使えなくするのである。その効果は知らない。

 戦後すぐの大改革に農地解放があった。大地主が小作人に耕作させている農地を、政府が強制買い上げして小作人に売り渡したのである。わたしの生家の神社の農地がまさにその対象になった。
 いくらで買い取られたか知らないが、年賦で支払われる債券(というのだろうか、切り取り式切符のようなもので、毎年の支払い額が書いてあって、銀行に持って行って現金に替えた)は、大インフレでたちまちにして紙くず同然となった。

 戦後は小作米が入らなくなって、その日の食うのにも困った。神社境内は芋畑になった。育ちざかりの息子3人を抱えて、親は大変だったろうと思う。
 この農地改革とインフレが、腹ペコ少年だったわたしの戦争への恨みになっている。食い物の恨みは怖いよ。今、その農地は住宅地になっている。
 長じてのインフレ記憶は、オイルショック後1974年の狂乱物価である。あまり実感がないのは、食い物の恨みになっていないからだろう。

 ブラジルは今は安定した経済の国になっているが、1980年代半ばからの10年ほどはものすごいインフレ国であったそうだ。
 わたしが訪ねたのは1990年で、インフレ時代の低額の紙幣は、1枚では紙くず同然で使いものにならない。そこで20枚とか50枚とかまとめて丸めてゴムひもでくくり、まるで硬貨のように通用していた。中身枚数が足りているかどうか誰も気にしないのが、おかしかった。
 ドイツでは第1次世界大戦後に猛烈なインフレで、日常の買い物もベビーカーに札束を載せていったとかいう話がある。

 さて、今日ただいま日本はインフレ政策だそうである。庶民にはインフレは生活の恐怖としての記憶しかないから、え~、なんでインフレ~なの~?、ってなもんである。
 物価上昇に収入が比例すればよいけど、そうじゃないとどうすればいいのか。

 さしあたりの心配は年金額である。2か月ごとの年金の受取り時点の物価上昇に合わせて上昇してくれるんでしょうね。でもねえ、どうせ役所仕事の常として手続きは1年遅れになるんでしょ。このギャップをどうしてくれる。

 インフストラクチャ強靭化とて金をかけるし、インフエンザは流行するし、インフーション進行に力を入れるし、あと残るはインフとインフ、ってか?

2013/01/22

710今年も年賀状ではなくて寒中見舞いを110枚に絞って書き送った

 今年の年賀はがきのくじ引きで当たったのはたった3枚、しかも最下等であった。
数年前から年賀状に替えて寒中見舞いにしている。年賀状は昔から出していたが、一番多い時は500枚くらいになった。それでも、もらう方が多かった。
 仕事を辞めてしまってから出す先を減らしていった。出す先をやめる基準が難しい。
 寒中見舞いに替えた次の年からかなり減った。向こう様もやめるタイミングを計っているのだろう。
 なかには宛先チェックしないで、機械的にプリントして出すらしい会社名義のものもあり、こちらがずっと出さないのに、いつまでも続いてやってくる。

 ちかごろ、いただく年賀状のなかに、これでおしまいにします、とかいてあるものが混じるようになった。年末にはたくさんの喪中欠礼状がくる。そういう年頃である。

 100枚以内にする方針であるが、今年は110枚になった。
 で、今年の年賀状の標準がこれで、相手によってそれぞれバリエーションになっていく。こんな物騒なことは賀状には不似合いだから、寒中見舞いでちょうどよい。

寒中お見舞い啓上
 この冬も北国は大雪、大地震と大雪は連動するようです。今年も豪雪の法末集落の小正月行事「賽の神・初釜茶会」に行きました。震災復興支援からもう8年目になります。
 昨秋、宮城県沿岸部を震災復興支援の小さな活動で訪ねました。荒涼たる津波被災の各地で、海辺の平地を居住禁止にして、台地上に移住する復興事業が進んでいます。
 重大なことに気がつきました。わたしの住む関東から西の太平洋沿岸部でも、確実に起こりうることです。今から事前津波被災復興事業をやるべきと思います。
 それをやっても太平洋岸の住人たちは不安で、内陸に移住して行き、海辺の街はしだいに空洞化するでしょう。だがいったいどこに移住すればよいのでしょうか。 
 どうせ移住するなら、海辺・火山・原発・軍事基地から遠くて地震も水害も少ない街にしたいものです。でも、そんな受け皿地域が、日本にあるのでしょうか。
 わが横浜都心はもろに津波が来ます。でももう歳が歳だからどうでもよいのです。遊べる体力あるうちに遊んでおくことにします。●●さんのお住まいは大丈夫ですか。
 当方は身体は元気ですが、言われて気づけば今年は喜寿とて仰天、会合や飲み会に出かけると年下ばかり、FACEBAKAをやると書き込みは年下ばかり、さすがに観念しました。
 今年もお元気でご活躍されますように期待しています。

2013年 1月の寒さの最中

●●様 

2013/01/20

709巨人大鵬卵焼き、阪神柏戸カレライス、江川ピーマン北の湖、東電橋下ノロウィルス

 大学の学生食堂のTVが、大相撲中継を映している。
 相撲取りにしてはスマートでしかもイケメンの若い男が立ち上がった。ほ~、こんなのもいるんだ。
 その若者は相手を押して押して土俵際、相手も徳俵で頑張る、その瞬間、相手の両脇にさしていた両腕をすっと抜いてその両手でどんと相手の胸を押した。途端に勝負あり。
 へえ~、あんなきわどい瞬間にそんな芸当ができるんだ、すごい。

 これがわたしがはじめて見た大鵬であった。
 1958か9年あたり、大学食堂で遅い昼飯を食っていたのだから、大相撲もまだ番付が下位の取り組みである。
 だから後の大横綱大鵬が、幕内に登場したての頃だろう。わたしは相撲好きでも何でもないのだが、その勝負のTV映像は奇妙に印象に残っている。

 TV受像機の普及は、1964年の東京オリンピックまで待たなければならない。そのころは駅前に「街頭テレビ」なるものがあった。
 東横線自由が丘駅の軒先にTVがぶら下がっていて、大鵬と柏戸が登場する時刻には、駅前広場に人があふれたものだった。

 そのTV電波は1958年に建った東京タワーから発していた。
 大鵬と東京タワーは日本がようやく戦後から脱しようとしていた時代の象徴であった。
 そうだ、建設途中の東京タワーを見た記憶がある。

 1956年、経済企画庁の経済白書は「もはや戦後ではない」と書いたが、大鵬をはじめて見たころの学生食堂での飯は、「外食券」(コメは政府による配給制だった)を出すと2円だったか安くなったものだ。定食が20~30円の頃である。
 庶民はまだまだ戦後を引きずっていた。

「巨人・大鵬・卵焼き」とは、その頃に流行ったフレーズだが、だれが最初に言ったのだろうか。庶民の一番人気者を皮肉を込めて並べているから、大宅壮一あたりか。(追記、違っていた、言いだしっぺは堺屋太一だったとネット情報あり)
 わたしはもっとひねくれていて、「阪神・柏戸・カレライス」と、自分で発明して言ってたものだった。要するに1番手に対する反感と、2番手に対するシンパシーである。

 後に「江川・ピーマン・北の湖」とのフレーズがあったらしいが、それは知らなかった。ただ、この並べ方には見え見えの意地悪さがあって、上手ではない。
 今の世ではなんというのか。TVを見ない都心隠居老人にはさっぱりわからない。
 見え見えの底意地悪さを承知で言えば、ただ今のわがNOTORIOUS御三家は、「東電、橋下、ノロウィルス」

 大鵬が逝き、2代目東京タワー(スカイツリーとかいうらしい)が建ち、軍隊を持とうという首相が出てきて、戦後復興東京駅は姿を消して戦前の姿に戻った。
 もはや戦後ではないどころか、今や戦前である、かもしれない。戦前の次は、いうまでもなく戦中である。

 

2013/01/17

708核毒の地で懸命に生きる脱走豚と野良猪の愛の賜物イノブタも駆除されるのか

 福島県富岡町でイノブタ発見とか。

 東京電力福島第1原発事故で立ち入り禁止となった地域で豚舎から逃げたブタと、野生のイノシシが交配して生まれたとみられるイノブタの目撃情報が、原発周辺地域で相次ぎ、福島県が今月下旬から実態調査を行うことが16日、県への取材で分かった。(産経ニュース 2013.1.16 08:44)

 おやおや、がんばって生きてますねえ、ブタとイノシシが協力して子孫を残そうって、涙ぐましいなあ。
 東電原発から降り注いだ核毒にまみれながら、ちゃんとやることやってるんだ。どっちが雄でどっちが雌なんだろうか、どちらの組み合わせも再生産可能なんだろうか。

 でもこのニュースの続きには、増えすぎると農地を荒らすので、駆除するのだそうだ。可哀そうだなあ、その努力は虚しいんだ。
 でも、農地ったって、何も植えてるはずはないなあ、あ、そうか、核毒境界領域での農地かもなあ。そこは東電に柵を造らせましょうよ。
 鉄砲で撃っても、核毒にまみれているから、福島名物イノブタ鍋ってわけにもいかないしなあ。

 ウシもヤギもイヌも核毒の地をさまよっているから、ヤギウシとかウシイヌとかできるって、それはないか。ウナギイヌはどうか。

そういえば、昔々どこかの動物園でレオポンが生まれたってニュースがあったなあ、え、ご存じない?、ライオンと豹の子。
 これって人間が生命をもてあそんでるよなあ。その点、核毒イノブタは、飼育から逃れて自然に還ってるんだもんなあ、おおらかなもんだ。
 そのおおらかさと核毒のギャップに、こちらが考え込んでしまう。

 まあ、まだまだ消えることのない核毒に負けずに、イノシシもブタもウシもヤギもイヌもウナギも頑張っていてください。
 そのうちに東電が「核毒の森」自然動物園を作ってくれて、安楽に余生を過ごさせてくれるでしょうから、それまでの我慢です。
 「核毒の森」についてはこちら
 

地震津波火事原発コラム集
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html

2013/01/16

707豪雪3mの中の年中行事「賽の神」から戻れば東京横浜も豪雪10cm

 青空の東京を出発して、上越国境トンネルを抜けると越後は雪降りだった。
 ことしも法末集落の小正月行事「賽の神」と「初釜茶会」に行ってきた(2013年1月14日)。
 「賽の神」はこのあたりの昔から伝わる年中行事のひとつで、日本各地で「ドンド焼き」とか「左義長」あるいは「三九郎」と言われる小正月行事である。

●真っ白な法末集落


●私たちの拠点「へんなかフェ」は雪の中

 集落の中心部にあるキャンプ場の雪の中に、笹の葉がついたままの青竹を2本立てて、その周りに稲藁やマメガラを巻きつけて、藁でぐるぐると巻いて高さ6mほどの塔にする。
 藁やマメガラは、この日に備えて各家に保管してあり、各自が背負って持ってくる。わたしたちも稲刈りの時にとっておいた藁束を納屋から出して運んだ。
 塔の正面と決めたほうに、正月飾りやしめ縄類を塔にぶら下げ、その手前に雪で祭壇をつくって、お神酒や肴を供える。
 雪の降る中、ここまでを午前中に集落の男衆10数人があつまってやるのだ。毎年のことで、その協力の仕方も要領がよい。

 ●できあがった「賽の神」の前でわたしの喜寿記念撮影

 雪は降りやまないが、午後1時から行事開催、60人くらい集まってきた。
 このうち集落住民は4分の1くらいだろうか、それぞれの子や孫がこの日のためにやってきたのだ。めずらしく子どもの声が聞こえる。
 わたしたちは、毎年バスを仕立てて関東からやってくる。今年は15人がやってきた。中越大震災の翌年の2005年以来、毎年やってきている。

 今年は巳年なのでその年男や年女が、その塔の根元に火をつけることから行事が始まる。でも神事はない。昔はあったのだろうか。
 お神酒を祭壇から下げて、紙コップで参加者に配り、最長老94歳の正平さんが音頭をとって、祝唄「法末天神囃子」をみんなで歌うのも恒例である。
 正平さんはあい変わらぬ元気ぶりである。この人は太平洋戦争の悪名高い負け戦インパール作戦に参加した、数少ない生き残りである。

 燃え上がる藁から黒い灰が落ちてくる。これをコップ酒に受けて、藁の火であぶったするめや餅を肴にして飲めば、今年は無病息災。
 久しぶりの出会いの挨拶などしながら、降りしきる雪の中で、突っ立ったままの宴会は続く。
 子どもはみんな宴会に飽きて、そばの雪の斜面を登り滑りを繰り返して歓声を上げている。この集落で子どもの歓声を聞くことはめったにないから、大人たちも嬉しくなる。

 ●「賽の神」は燃え上がる。


 1時間ほどで、藁の塔はくずおれて燃え尽き、今年の賽の神もお開きである。まだ雪は降りやまない。
 さて次は、会場を屋内に替えて「初釜茶会」である。ぞろぞろと会場のやまびこ食堂に集まる。本式のお手前で立てた抹茶をいただくのである。
 集落の人々が神妙なお手付きでお茶いただく様子は、賽の神の陽気な気分と対になって、なかなかに法末らしい小正月の雰囲気を醸し出している。

 茶会は法末の新しい年中行事である。中越大震災の翌年に「復興見守り隊」として入った国際女性建築家会議日本支部(UIFA)のメンバーが始めたのである。
 初釜茶会は、いまではもう法末の年中行事に定着した感がある。
 わたしが乗ってきた貸し切りバスは、じつはUIFAのお茶会担当が法末に行くために出したので、それに便乗したのだ。

 おわって17時ころにバスは出発して帰途についた。
 ところがこの日、関東地方も北部から南部まで思わぬ積雪だそうで、交通路線は大混乱、かなりの渋滞が予想されるので覚悟せよとのこと。
 高速道路は閉鎖で、雪の一般道を南下するが、2時間近くたっても新潟県を抜けられない。このままだと東京着は、夜中の2時か3時ころとの予想である。

 そうなると東京からまだ南下するわたしは、電車が無くなってしまう。タクシー料金と新幹線代を比べ、さらに体力も考慮して即座に決断、越後湯沢駅で新幹線に乗り換えることにした。
 意外にもこの判断をしたものは15人中の3人だけ。なんだか仲間を置き去りにして逃亡する気分であったが、残る方もそれなりの判断であろう。

 わたしたち逃亡組は21時30分には東京駅に着いたのだが、後で聞いたらバス組は、やはり練馬ICを降りたのは午前2時ころであったという。
 そこから先もタクシー探し騒動やら、都心仕事場泊り込み始発電車帰宅やらと、大変だったらしい。
 それはそれで貴重な体験であるが、年寄りにはつらいから、われらが判断はよかった。

 それにしても豪雪3mで平然としている法末から戻ってみると、こちらは10cmで豪雪騒ぎであった。

関連サイト
●法末集落の四季
https://sites.google.com/site/hossuey/home/siki-animation
●中越山村の暮らし
https://sites.google.com/site/machimorig0/datemegane-index#chuetu
●法末集落へようこそ
https://sites.google.com/site/hossuey/

2013/01/08

706地球に雑巾がけするような原発核毒掃除なんてできっこないことをなぜやるのだろう

 このところ「手抜き除染」なる記事がマスメディアに出ている。
 福島原発事故でまき散らされた核毒を浴びた地域の、家や庭や道や山などをきれいにする「除染」なる工事が進められているが、これがいい加減であることがばれたそうだ。
 その降り注いだ核毒まみれの土・草・枝葉・枯葉・ゴミ・ホコリなどなどを、人力でかき集めている。
 そんな、地球をせっせと雑巾がけしてどうするんだよ~。

 雑巾がけなら、汚れ水はその辺にまけばよいが、核毒水はそうはいかない。ゴミも汚れ水も汚れ作業着も集めて、それをまたどこか別のところに集めるそうだ。
 要するに核毒が移動して、移動先でさらに核毒の濃度が高まるという、危険物移動毒力強化工事である。

 さてそれで、除染作業を終えましたよ、元の住民の皆様、安心してお戻りください、と言えば、みなさま喜んで戻ってくるのだろうか。
 まあ、よほどの愛着がある年寄りだけが戻ってくるだけで、特に若いものが戻ることは皆無のように思う。
 だって、そうやって核毒を除去したとしても、その周りの掃除しない山や野原にある核毒が風や雨で移動してくるから、また汚染する恐れが十分にあるからだ。
 子どもを育てる環境では断じて、ない。

 福島は除染産業で雇用回復だといっても、いくら仕事して金にはなるとしても、人間はこんな虚しい作業をやるのはバカバカしくなるのが当たり前だろう。
 もちろん手抜きがよいことではないが、賽の河原の石積みを仕事にして出すほうがおかしい。
 そんなことに金を使うよりも、被災者の生活再建を積極的に支援するべきである。

 ところで、これまで核毒事故関連で、なんだかんだとかかっている費用は、もちろん核毒汚染犯人の東電が支払っているんでしょうね
 まさか税金で出しっぱなしってことじゃないでしょうね。
 東電は、いくらでも金がある会社なので、核毒除染にも被災者補償にも、じゃぶじゃぶと金を使うことができるのでしょうね。
 そうか、株主が反省してお金を出してるのだな、そうに違いないぞ、うん。

 もしも、東電がその費用を電気料金で取り返そうとするのなら、わたしは東電の電気を使わないことにする。
 そのためには東電じゃない電気屋と契約したいけど、どうやればよいのだろうか。それとも沖縄に移住するかなあ。でも軍事基地が怖いもんなあ、、。
 まあ、歳が歳だから、近いうちにあの世に逃げてしまうから、東電の電気も使わないし、福島問題で毎日悩むこともないし、はやくそうしたいもんだ。
 あ、そうか、悩みから逃れるにはボケりゃいいんだ

 
 核毒で汚れた地域は、汚した犯人の東電に高く売りつけて、核毒汚染した何でもかんでもを集めて、核毒処分の「核毒の森」をつくるのである。
 その管理はもちろん東電が行う。それしかないであろう。

 ついでに言えば、わたしが福島核毒事故直後から唱えている
福島原発世界文化遺産」登録も推し進めてほしい。
 原発事故に関するあらゆる情報も
福島原発世界記録遺産」として登録してほしい。 

 これほどの「人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」をもつ物件」は、ちょっと見当たらない。
 その有名さ(notoriety)をホコリとすべき日本の大文化遺産である。

●参照 福島原発を世界遺産に
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hukusimagenpatu-worldheritage
●参照 地震津波火事原発コラム
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html

2013/01/07

705カリフォルニア歌人の朝日歌壇賞の受賞歌は原発と原爆の両悲劇を結ぶ

 今朝(2013年1月7日)の朝日新聞の朝日歌壇に第29回朝日歌壇賞が発表されている。2012年入選歌から各選者が選らんだ。
 永田和宏選者が選んだ歌

 
あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
                  (アメリカ 大竹幾久子)
 

 この歌のことは、それが昨夏に掲載されたときにここですでに紹介した。
日本人は5度目の大被爆体験をしても原発を動かす
http://datey.blogspot.jp/2012/07/648.html

 大竹さん、おめでとうございます。
 このカリフォルニア歌人の夫なる男も兄なる男も、半世紀以上にわたる畏友であるから、わがことのようにうれしく思ってしまう。
 
●関連 「カリフォルニア歌人」
 http://datey.blogspot.jp/2011/09/500.html

2013/01/06

704日産自動車のバカ赤広告が消えてホッとしていたら跡地に高層住宅ビルが建つらしい

 横浜都心の関外にある空中陋屋にわたしは住んでいる。
 南東方向に見える景色の真んなかに、屋上に真っ赤な広告塔が立つビルがある。
 周りはそんなものがないのにここにだけ広告塔がある。夜はライトアップするので目立つ。周りはほとんどが住宅ビルであるから無神経さが目立つ。
 その広告主は日産自動車である。自動車屋はどこでも風景を乱す元凶だ。特に郊外の道路沿いで、その醜いことがおびただしい。
    (その広告塔がある2010年の風景)

 去年2012年の4月に、その広告塔のあるビルが消えた。ほっとしたのであった。
 無くなってみるといかにあれがひどかったかよくわかる。
    (ビルが無くなった2012年の風景)

 でも後に何が立つか心配で、前よりももっとひどいものが建つかもしれない。例えばこんなものが。
   (もしもこんなのが建ったらどうしようと描いてみた風景)

 さて、2013年の正月、そのビル跡地に重機が入って仕事が始まっている。
 囲いの塀に建つ予定のビルの絵が描いてある。分譲共同住宅(いわゆる名ばかりマンション)らしい。
 「開放感抜群の希少立地」の意味が、周辺を見てもよくわからない。少なくとも目の前にうるさい高速自動車道路がとおっていることは確かである。
      (塀に書いてある完成予想図らしい絵。)

 そこで、その絵をもとにして、今度はどんな風景が見えることになるのかやってみた。邪魔だけどまあしょうがないか。
     (こんなになるらしいと描いてみた予想風景)

 問題は、さらにこの上にまたもや真っ赤な広告が乗るかもしれないことである。それだけは勘弁してちょうだいよ。
   (まさかこんなになるのじゃあるまいなと描いてみた風景)

 今戦々恐々は、目の前の低層ビルと駐車場が共同開発して、高層ビルになることである。そんな予想図は描いてみたくもない。

参照→「景観戯造世の中の変な景観にちょっと画面で手を加えて
http://homepage2.nifty.com/datey/keikangizo/index.htm

2013/01/02

703ヨボヨボ旧PCが息子の腕であっという間に元に戻った、さすがに餅は餅屋

 去年7月にわたしが8年ほどかわいがってきたPC(MSXP)が、その飼い主に似てヨボヨボになっってしまった。
 あれこれいじっても元に戻らない。イライラして血圧によくないので、新PC(MS7)を買った。さすがに新PCはなんでも早くなって、よいものである。

  だがしかし、唯一困ったのは、使い慣れたHP制作ソフト(MSFRONTPAGE)がないことである。いまさら買って入れるのもアホらしい。HP制作フリーソフトを探してKompoZerを入れたが、機能的にはイマイチであるのは無料だから仕方ない。

 わたしのHPサイト「まちもり通信」の基本レイアウトは、もうほとんど完成の領域に達していて、新記事も文字が多いので、その無料版でも、まあ、ほとんど問題ない。
 でも、もしもなにかちょっと凝ったことをするには、ヨボヨボ旧PCを使うしかないので、捨てないで机の隅で埃だらけになりながら佇んでいる。

 昨日の元日、息子夫婦が年賀挨拶にやってきた。息子はどうもIT関係の仕事で飯を食っているらしいのだ。
 このPCを治せるかいとけしかけたら、チョロッといじって、あっという間にヨボヨボPCはしゃんと腰が立った。すらすら動くのである。
 さすがに餅は餅屋で、あのバカ息子を見直した。

 プロ仕事に報酬よこせというので、長岡・法末集落棚田産の超うまいコシヒカリを持たせた。江戸時代は米が通貨だったんだぞ、オレの小学校修学旅行は米を出して旅館に泊まったのだぞ。

●参照http://datey.blogspot.jp/2012/07/642pc.html
http://datey.blogspot.jp/2012/07/637.html

2013/01/01

702 賀春

賀春
日本海側の日本は大雪らしい。
地球の太陽ひとまわり分の出発点と決める日を元日というらしい。
どうしてこんな寒い盛りにしたのだろうか。
6か月ずらして真夏だってよさそうなものを。
3か月ずらせば学校だって役所だって企業だって便利だろうに。
どうしてその日を祝うのだろうか。
地球が太陽を無事に回ったのがそんなに嬉しいのか。
もしかして今年は太陽を回りきれないと毎年思うのだろうか。
とにかく去年も地球は無事に太陽を回りきれたらしく元日の新聞が来た。