2014/04/26

919桃源郷で徘徊老人の野外宴会は老人力増強自慢ごっこ

【桃源郷の春景色2014年4月25日】
 山梨県韮崎市の新府城跡から、花盛りの桃畑の向こうに、残り雪の八ヶ岳を望む。
 5年前から毎年、徘徊老人仲間と一緒に、穴山駅から桃畑の中をゆっくりと歩き、武田家滅亡の舞台となった新府城跡の小山に登り、桃源郷の眺めを楽しみつつ野外宴会をする。

 道々で採った山菜を天ぷらにあげつつ、美味い煮しめを食い、酒を酌み交わし、さて、来年は花はあっても、こっちが無くなるかもなあ、などと駄弁を弄している。駄弁の中心は、老人力(赤瀬川原平による)向上度自慢である。

 毎年やってだんだん分ってくるのは、食べる量が減り、飲むビールの本数が減り、たった高さ50mたらずの新府城址に登る時間が増え、老人力が確実に増強してくることである。昔は直登階段をつかったが、今では裏から山道をよろよろと登る。
 来年あたりは、たぶん、登るのをやめて、桃畑の花の下での宴会になるような気がする。再来年は、たぶん、駅前で宴会か。
 ことしは花見に行くのが遅そかったので、花盛りを少し過ぎた。
 いや、実は花盛りなのだが、桃を実らせるために農家による摘花が進んでいたのだった。
 桃畑は自然ではないから、電線が横切るし、桃の枝を吊る鉄柱が林立し、トタン屋根の作業小屋も点在する。それらを頭の中で映像調整して、八ヶ岳と桃の花だけを眺めるのであった。

関連ページ:260今、甲州は桃源郷
http://datey.blogspot.jp/2010/04/260.html

2014/04/21

918紛争地ウクライナの国連機関で活動する杢尾雪絵さんの現地報告をきいた

ウクライナ問題が毎日のマスメディアの話題です。
先日(2014年4月17日)、その紛争の国から一時帰国したユニセフ・ウクライナ代表の杢尾雪絵さんによる現地報告会を聴きにいきました。
そのNHKニュース番組がでていますので、ご覧ください。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140418/k10013837051000.html

ウクライナの内政問題が東西対立時代を彷彿させる国際問題となり、それが子ども世代や少数民族に直接的な被害をもたらすことになり、ユニセフの活動が大きな役割をもっているのだそうです。
ロシアに占領されたクリミアからの多数の避難民の問題は、福島原発核毒に占領された地からの避難民の問題に重なって聞こえました。

わたしは国際問題にはあまり関心がないのですが、こんどのウクライナ問題には、知人がウクライナに住んでいて、この騒乱に関わらざるを得ない立場にいることから、毎日のメディア報道に目が行きます。
そのウクライナの知人が、この報告者の杢尾さんなのです。

かつて杢尾雪絵さんは、わたしと一緒に都市計画の仕事をしていましたが、23年前にアメリカのコーネル大学院に留学後、国連機関のユニセフに入りました。
今はウクライナユニセフの代表者として、現下の困難な状況下での少年、少女、子どもを守る活動をなさっています。

モンゴル、コソボ、モンテネグロ、タジキスタンそしてウクライナと、彼女の行く先々が紛争地であり、国連の立場で政府と交渉しつつ、子ども支援に活躍しているそうです。
留学直前には、緒方貞子さんの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の国連ボランティア(UNV)としてトルコに行き、イラクからきたクルド難民救援をしたのでした。紛争地で弱者を支援する筋金入りの国際人です。
次は中央アジアのキルギスに転属とのことです。

日本を出てから23年、人なつっこい容貌もほんわかとした話しぶりも変わらないけど、国際人としての堂々たるその態度と言説に、すっかり感服しました。
私自身はなにもできなないのですが、一緒に仕事していた人がこのような国際人として活躍していることを誇りに思い、ちょっと自慢げに紹介します。

伊達関連ページ
タジキスタンでアフガン難民救援をしている友人(伊達美徳)
https://sites.google.com/site/matimorig2x/mokuoyukie-tajik

外部関連ページ
◆いつも心に青空を ユニセフ タジキスタン代表・杢尾雪絵(NHKオンライン)
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/1130/

2014/04/15

917建築家山口文象の自邸がTV番組に登場「古くて新しい家」

 本に書評があるように、TV番組にも「映評」ってのがあるのかもしれないから、いちおう書いておく。もっともTVをめったに見ないので、他の番組をみて比較する批評にはならない。
 2014年4月13日夕方、建築家山口文象の自邸を写した番組が、フジテレビで放送された。わたしも取材に協力をしたので、めったに見ないTVをその時間だけ見た。
 しかし、たった2分ほどの番組で、その前後途中に見たくもないたくさんの商業広告がでてきて、これだからわたしはTVを嫌いなのだ。

 番組名は「ロマン建築の旅」といい、有名建築家の住宅作品を順次放送するそうだ。
 その1回目は坂倉順三による「岡本太郎邸」であり、2回目が「山口文象自邸」(1940年竣工)をとりあげた。
 自邸の外観、中庭、サロンを中心の映像に、自邸と同じころにできた山口の作品である「黒部第2発電所と「林芙美子邸」の写真を挟み、山口文象の子息の音楽家山口勝敏さんが語り、プロのナレーションによって概括する。

 ナレーションが、「古くて新しい家」、「74年前に建てられたが、いまだ未完成」という通り、できてから実に多様なる変遷があって、いつも新しいことがあったこの家、それが最も面白いところなのである。
 山口の頭の中の常に変更中の設計図によって、金ができると始めてしまう毎度の改変工事が続いて、金がなくなると工事が止まり、とりあえずの完成、入れたコインの額だけ動く器具(そのときはベルリンで住んだアパートの暖房器具を例にとりあげた)みたいなもんだと、山口当人から聞いたことがある。毎度動かされる家族は大変な目にあっていたらしい。
 いつも新しいこの家は未完成こそが本来の姿であるのだが、山口文象がいなくなったいまでは、これが完成した姿だと言わざるを得ない。

 2分やそこらの超短時間番組では、その変遷を詰め込むのはとうてい無理だろうが、当初のコテコテの民家風のインテリアと、いまの姿を重ね合わせるbefore-after映像を見たかった。
 家族や生活様式の変化によって、また山口文象の気分によって、間取りが何度もドラスティックに移り変わったてきたが、実に面白いのだが、。

 勝敏さんがそれについて、「いつまでも和と洋のデザインの間で、悩みつつ矛盾に揺れていた自作の実験場」と語るだけで、映像に出なかったのが残念だった。
 和と洋の両方の名手だった山口文象の世界を、ひとつの建物で長期間にわたって見せた建築作品であるが、建築は今の姿しか見えないので、この作品の真髄は見えないのである。

 ナレーションで気になったところ。
東京大田区、閑静な住宅街にひときわ目を惹く、一軒の家がある
 ふむ、一般の眼から見ると、あの家は「ひときわ目を惹く」のであるか。わたしは何回も訪ねて見慣れたせいもあるかもしれないが、そうでなくても、あの家は目を惹く代物だろうか。
 あのような道から平入りの瓦屋根の和風の家は、できたとき1940年の昔からの普通の住宅地の風景であった。モダンデザインで売り出した山口文象だが、実はこのような和風はお得意だった。
 それが今や、ナニヤラハウスとかナントカホームという大衆好みの今風住宅が建ち並ぶのが、この久が原でも当たり前の風景であり、山口邸は居ながらにして特異な姿になった、ということだろう。

浅草の大工の棟梁の息子として生まれ、独学で建築家になった
 ふむ、独学でねえ、わたしは山口文象自身の口から、独学だと言っているのを聞いたことも読んだこともない。わたしもこれまで山口についてはいろいろ書いてきたが、独学と思ったことは全くなかったので、ちょっと意表を突かれた。
 建築の専門家である大工を育てる中学校(職工徒弟学校大工分科)では「学」になならず、大学の建築学科を出ていないから、これを「独学」というのかしら。
 山口文象に建築を教えた師匠はいなかったのかと言えば、当人の口から出る彼が師匠とした建築家の名前は、山田守、岩元禄、石本喜久治(後に大喧嘩するが)、グロピウスである。
 特に、18歳で就職した逓信省営繕課で、多くの大学出のエリート建築家たちの下で修業をしたのだから、これを独学と言ってよいのだろうか。

 独学と自分でも言っているらしい有名な建築家に、安藤忠雄がいる。その彼とても、水谷頴介の下で働いたこともあるし、大阪工業大学に籍を置いたこともあるようだ。
 実は山口は学歴コンプレックスを持っていたようで、東京帝大の偽学生として伊東忠太の講義を聴いた(ほんとうならば時期的には東京美術学校であろう)とか、ドイツでグロピウスアトリエにいた頃にベルリン工科大学大学院で学んだとか、しゃべっている記録がある。それは後に東京工業大学の講師になったことで解消したようだ。
 大学で専門的に勉強しないで一流になることを独学というなら、学歴社会の象徴のような言い方の感がある。

 それで思い出したが、ある建築史家は、山口文象が大工から転身して建築家になったと思い込んでいたそうだ。
 山口は大工の子だが、当人は大工を仕事にしたことはなくて、その兄の山口順造が父を継いで大工となり、この山口自邸も彼の仕事であった。
 学歴ついでに、山口文象がバウハウスで学んだと書いてある建築史の本があるが、それは間違いである。山口が弟子入りしたしたグロピウスは、既にバウハウス校長を退任し、ベルリンでアトリエを持っていた。
  
離れには、下町情緒あふれる長屋
 ふ~ん、下町情緒ねえ、何だか雰囲気が違うよなあ。
 ここは当初は書生部屋だったのであり、その後は親戚や弟子たちが住んだこともあり、自邸改造中の家族の避難場所であったりした。まあ、形は長いから長屋だろうが、下町情緒はどこにもない。裏に路地があるくらいか。
 このナレーションの作者は、山口が下町の長屋で生まれ育った出自を、ここに文学的に託したのだろうか。

ヨーロッパ建築をとりいれた黒部川ダム
 あれ、これはダムじゃないよ、発電所だよ、正確には「黒部川第2発電所」、ついでに言えば、これにつながる山口がデザインしたダムは「小屋平ダム」。
http://www.suiryoku.com/gallery/toyama/kuro2/kuro2.html

「明治から昭和へ駆け抜けた建築家は、古い殻を破りたいとあがき続けていたのかもしれない」
 おお、これはうまくナレーションを納めてくれましたねえ、そのとおり。
 江戸の残る旧弊な下町から抜け出て山手のこの地に家を構えこと、和風の名手でありながら西欧モダンデザインで世に出たこと、個人作家と集団オルガナイザーの間で悩み続けたこと、そう、あがき続けた建築家であった。

◆「山口文象+RIA」サイト
https://sites.google.com/site/machimorig0/#bunzo
◆「山口文象アーカイブス」サイト
https://sites.google.com/site/dateyg/bunzo-archives-1

2014/04/13

916寮仲間メーリングリストをAhooからfreeMLへ移行したがインタネット屋は信用ならん

 仲間内でのインタネットで情報交換する仕組みにはあれこれあるだろうが、なんといっても伝統的なのは「メーリングリスト」だろう。
 fase baka(face bookともいう)やツッツイタ(ツイッタ―ともいう)が出る前からの道具で、今や伝統的情報交換道具といってよいのだろう。
 Ahoo(Yahooともいう)が、「Yahoo!グループ」なる無料で使わせるメーリングリストの仕組みを造っていて、けっこう大勢が使っているらしい。

 ところが、そのAhooがこんなことを言っている。
「2014年5月28日(水)午後3時(予定)を持ちましてYahoo!グループはサービスを終了させていただきます。10年もの長きに渡り、ご利用いただきありがとうございました」(「させていただきます」とは言葉を知らん奴だ、こちらが頼んだのじゃないぞ)
 TVがデジタル放送になって、アナログ受像機がパアになったが、これはそうはならないが、チャンネルをあわせてもダメだよ、もうヤーメタってことらしい。
 ということで、これまでこの情報連絡システムを使っていたものは、今慌てて、別の同じような仕組みを探して、移行しつつあるらしい。

 ところがその移行ってけっこう面倒なのである。どうして面倒であると知っているかというと、実はわたしもその“被害者”だからである。
 大学時代の寮仲間40数人のメーリングリストに、このahooグループを使っていたのだ。しょうがないから、あれこれ探してahooグループとほぼ同じことをやっている「freeML」なるところに移行したのだが、その移行作業を私がやったのである。
 いやなに、面倒な作業だから、無為徒食の身には、ちょっとは暇つぶしかつボケ防止、もしかしたら仲間のためにもなるかもしれない、なんて思ってやったのだから、それはそれでよいのである。

 たぶん、ただ今、日本中で、あるいは世界中で、AhooグループからfreeMLに移行作業をやっている連中が、たくさんいるのだろう。家賃がタダだからとて、借家を追い出されても、文句を言わずに引っ越し作業をするしかない。
 どれくらいの人がこれに関わっているか知らないが、移行しても得になることはなんにも無い。まったくもって無駄なエネルギー消費であって、暇つぶしにしか役に立たない。
 
 ahooはどうしてこのシステムを廃止したのだろうか、ちょっと考えてみた。
 思うに、たくさんのMLグループが使っているが、かなり多くのもう使っていないMLグループもあり、そのメールがahooのサーバーの中にたくさんたまりすぎて、邪魔になって来たのだろう。
 そこで、それらを一掃したいのだが、それには、いちいち使っていないグループに問い合わせて削除するのは手間がかかる。システム自体を全部やめちまえば、手間が一番かからない、という判断だろう。乱暴である。

 無料と言っても、毎度毎度メールごとに広告だらけの汚い画面を見せられつづけてきているのだから、こちらに借りがあるってことじゃないんだぞ。
 それなのに、都合が悪くなったら家ごと取り壊すから出て行け、タダだから勝手でしょ、なんてことをやっていると、汚い無料画面を我慢しつつ、メール情報を預けているこちとらは、もうお前なんか信用できないぞと思ってしまう。

 しょうがなくて移行した先のfreeMlだって、広告だらけの汚らしい画面を見せながら、やめた~っ、無料だからいいでしょって、いつ居直るかわからない。
 たぶん、このfreeMLの利用の初めに何やら条件が書いてあって、そこには「いつ止めても文句言わないこと」なんて書いてあるのだろう。
 以前にグーグルにも同じような仕組みがあったが、ある日ヤーメタってことがあったから、インタネット業界は、信用ならない。

2014/04/10

915【横浜ご近所探検】日ノ出町あたりの特徴のない街は、これから再開発でどう変る?

◆大岡川べりに再開発ビルの工事中
 大岡川の桜はほぼ散った。その長者橋の袂に、工事中の巨大な日ノ出町駅前再開発ビルが見える。
2008年に再開発事業の都市計画決定をしたのだが、直後のリーマンショックのせいだろうか、しばらく動きがなかったのが、ようやくここまで姿を現した。
完成予想図   ・着工前の現地風景


 工事の囲いに、なにか建物ではない絵が掲げてある。ほほ~、長者橋の際に船着き場をつくって、道から降りる階段もつけるとある。大岡川でボートや乗合船による船遊びのためらしい。
 再開発組合の名前で書いてあるから、この護岸再整備も再開発事業の一環で行うらしい。河川の整備を再開発事業で行うのは珍しい例だろう。横浜市はなかなかやるものである。

 数年前に黄金町にこれと同じ物をつくって、先日の花見の時にはイベントに活用していた。日ノ出町でも、これを活用すれば面白くなるかもしれない。
 横浜都心徘徊老人のわたしとしては、再開発ビルができ、このような環境整備で、日ノ出町はこれからどう変わるのだろうか、楽しみである。

◆いっそのこと「京急野毛山駅」に改名してはどうか
 日ノ出町の昔のことは知らないが、太平洋戦争直後は占領軍に接収された関内・関外から移ってきた商人たちによる闇市の街であったらしい。
 今は浄化作戦できれいになくなったが、かつては私娼の巣窟街であった黄金町の隣続きである。
 だから、かなり怪しげなところであったようだが、今もその伝統を受け継いでいるらしいストリップ劇場とエロ映画館がある。

 日ノ出町というところは、京浜急行でやってくると、横浜の伝統的な都心部の北の玄関口の位置にある。それなのに駅から降りてみると、なんともしょうがない街である。
 街に特徴ある施設もなし、特徴ある風景もない。あると言えば、京急の駅と例の劇場があるくらいなものだ。
 すぐそばに、野毛飲み屋街があり、野毛山公園があり、動物園中央図書館があり、大岡川を渡れば伊勢佐木モールも近いのだが、それらとのつながりイメージにならない。
 

 野毛の飲み街へは駅から便利であるが、野毛山公園にはちょっと厄介である。
 駅を降りても、花見にも動物園にもどう行ったらよいか、さっぱりわからない。水平距離は300mほどだろうが、標高差が100mはあるだろうから、歩くのも結構大変である。
 例えば、「京急野毛山駅」とでも改名してくれるとイメージがわくし、駅前から野毛山に登るシャトルバスを出してくれるといいのにと思う。

 せっかく、このあたり唯一の文化施設である市立中央図書館があるのに、日ノ出町から坂を登ってようやく建物までたどり着けば、そこからまた階段を登れという構造になっていて、年寄りや子連れにはけっこう厄介である。
まあ、年寄りには、図書館通いが足腰を鍛え、ボケ防止に役だつ、ということにしておいてもよい。だが、子連れにはそうはいかないだろう。

 あ、そうだ、日ノ出町駅前の再開発ビルに中央図書館を移転してくれたら、年寄りだけではなく市民一般に便利になり、日ノ出町もイメージを一新できるだろう。今の図書館を売れば、移転費用は出るような気がするが、いまさら言っても遅いか。
 あ、そうだ、いい考えがあるぞ、日ノ出町から黄金町までの京急の高架の下に市立中央図書館を持っていけばいいんだ、これなら便利だし、地域イメージ大きく上昇するし、投資も少なくて済むし、京急だって助かるだろう。どんなもんだろう。

 野毛山斜面地の住宅街が、このあたりの特徴的風景あるいは環境と言えるかもしれない。横浜にはあちこちに斜面住宅地が多いのだが、野毛山の四方の斜面も典型的なそれである。
 迷路のような細い坂道に、びっしりと重なるように建つ小さな住宅群は、街歩き好きの徘徊老人には、実に興味深い空間体験をさせてくれる。
 だが、いまや高齢社会になってしまったし、近いうちに大地震がくるし、この先どうなるだろうか。


関連ページ
819横浜・吉田町で炎天下の道路ビアホール2013年8月13日
http://datey.blogspot.jp/2013/08/819.html
603花見は花街で2012年4月8日
http://datey.blogspot.jp/2012/04/603.html

◆横浜ご近所探検隊が行く全目次


2014/04/03

914【横浜都計審】いまどきニュータウン開発かと思えばこれは大型店舗誘致が目的らしい

◆横浜市最後の郊外ニュータウン開発か
 横浜市の西の方の郊外、藤沢市との境界に近いあたりの畑の上空に、ちょっと格好よさそうな電車の駅がある。
 そこから100mほどのところの畑の地下には、地下鉄の駅もある。広大な畑には、野菜よりも雑草や自動車を植えてあるところの方が多い。
 横浜駅と湘南台を結ぶ二つの鉄道ができて駅もできたのは、15年も前のことであった。それは1992年に「いずみ田園都市構想」なるものがぶち上げられたことによるらしい。あるいは地下鉄をつくるためにぶち上げたのかもしれない。


2014年3月の横浜市都市計画審議会で、「泉ゆめが丘地区」ニュータウン開発が承認された。24ヘクタールの広さの畑を、市街化調整区域を市街化区域に変更して、土地区画整理事業で新市街地をつくるのだそうである。
 どうやら、横浜市最後の市街化調整区域に残る特定保留人口フレームらしく、その5200人がすべて市街化区域人口に組込まれて、これで横浜市には保留人口はゼロになった。

人口減少時代になって、都市計画もコンパクトシティへと市街地を縮小再編することが主流になっているのに、今から郊外に市街地拡大とはどういうことなのだろうか。
 なぜこんなところに二つも駅ができて、なぜ今ごろここで土地区画整理事業が始めるのか、都市計画審議会の資料を見ても理解できない。
 現地の諸事情などは全く知らないが、ヒマにまかせて花見になるかもしれないと、現地の畑の中をぐる~っと徘徊してきた。
 もっとも、計画地内では全く花見に無縁の殺風景で、その周りの川沿いや既存集落では美しい桜が咲き誇っていた。

◆郊外型大規模商業誘致が目的らしい
 都計審資料の「将来イメージパース」をしげしげと見ると、どうも低層商業施設と駐車場がべたーっと開発地のほとんどを占めていて、そのまわりに中高層共同住宅群がまとまりなく立ち並んでいる。
 これはなんともはや、イメージ図とは言いながら、なんにもイメージがわかない雑な絵である。土地区画整理事業をやった後は、勝手に建てましょうってことだろう。

想定土地利用図を見ると、まんなかはべたーっと赤くなっていて商業開発、そのほかはほぼなんでもありみたいな書き方である。
 わたしには、この都計審を傍聴した時にもらった資料では、どんな街が生れるのかほとんどわからない。資料と首っ引きで、計画地区のまわりをぐるっと歩いたのだが、それでなんとなくこの開発イメージが湧いてきた。
 簡単に言えば、どうも郊外型大型ショッピングセンターを誘致するのが本音らしい。そのついでに周りに、名ばかりマンションからミニ住宅地、工場も倉庫もあるという、なんでもありの街をつくるのだろう。

 小さな地方都市ではなくて、横浜と藤沢という大都市の近郊であるから、商業も住宅も需要はあるだろう。
 土地区画整理事業としては、商業デベロッパーに保留地を一括して処分すれば、事業はやりやすい。多分、この区画整理組合はそのような事業者に支えらえているのだろう。
 それはそれで開発仕掛けの定番だろうが、近ごろの大規模開発計画には珍しいくらいに、新たな提案やプラニングの先進性が見えない計画である。いや、あるのかもしれないが、まったくうかがわせてもらえない。
 どうもおかしいのは、この計画がもうかなり長い歴史を持っているらしいのに、この程度かということである。

◆構想20年以上でこの程度のイメージか
 横浜市の都市構想で、このあたりの開発が「いずみ田園都市構想」として位置づけられたのが1992年というから、これは多分、バブル期に初期構想をぶち上げてパンクしていたのだろう。
 地元に開発協議会ができたのが1998年で、地下鉄と相鉄の駅ができたのは1999年、現地を見てこんな畑ばかりの中に駅をよく駅をつくったもんだと思ったが、すぐに開発するという前提だったのだろうか。
 沈没していた開発計画がこれで再浮上したのかもしれないが、リーマンショックでまた沈没だったのだろうか。
 土地区画整理事業準備組合ができたのが2007年で、今ようやく初めての都市計画だから、20年以上の長い長い検討の歴史があるはずだ。
 それにしては、中身があまりにいいかげんなのはどういうことなのだろうか、と、思ってしまう。

 この新たな市街化区域編入エリアは、横浜市の市街化区域から半島状の突き出しており、まわりは畑作の田園地帯がじわじわと開発されていき、大都市横浜の調整区域らしい(といってはおかしいが)なんとも、魅力のない田園地帯になってきている。
 今回の都市計画で、とりあえず市街化調整区域を市街化区域に、事業手法を土地区画整理事業で、最低限の用途地域として第1種住居専用地域に、そして二つの駅と環状2号を結ぶ回遊型の都市計画道路を決めたのである。
 今後、仮換地に向けての詳しいことが決まってくるにつれて、それに対応する用途市域変更は地区計画を決めるということらしい。
 要するに開発計画を具体的に律する都市計画は、都市計画道路のほかは何も決めていないのと同然である。地区計画の方針だけでも決めればよいのに、それさえもしていない。

◆醜い郊外商業風景がここにも生れるか
 今回の市街化区域編入で、早期に土地区画整理事業にとりかかることができるのだろうか。
 これまでは市街化調整区域だからバラ立ち建設に歯止めがかかっていたが、これからは市街化区域になって第1種住居専用だから、事業が遅れて住宅がばらばらと立ち並びだしたら、目も当てられないことになる。
 
 ここは電車駅も市営地下鉄と相鉄線のふたつの鉄道駅があり、横浜環状4号の広域幹線道路もあるから、大型量販店屋とかロードサイド安売り屋などが狙いそうなところである。
 駅前大規模商業開発も、よくある郊外型ショッピングセンターの、けばけばしい、安っぽい建物、殺風景な広い駐車場などが並び、よほどきちんとした上物コントロールをしないと、看板だらけ、旗だらけ、色も形も勝手な建物が立ち並ぶだろう。
 賑やかといっては褒め言葉だが、要するにどこの地方都市の郊外にも繁殖している、あの醜い郊外商業の街が出現するおそれがある。
 ちょっと気になることは、藤沢市の湘南台駅からは一駅目の近さだから、ここに大規模ショッピングセンターができたら、湘南台駅周辺の商業は影響が大きいだろうことである。

上は今の「ゆめが丘」駅前畑風景だが、これが
下のような地方都市の郊外沿道商業風景になるかもしれない
参照:https://sites.google.com/site/machimorig0/keikangizo#yatu

 ということで、そのあたりの事業の確実さと、今後の街づくりコントロールの方針のあたりを、都計審ではしっかりと確かめて審議してほしかったのであった。
 それにしても「ゆめが丘」とは、はずかしいような名をつけたものだ。でも、その名のごとくに夢のある計画には、資料ではとても見えないのが残念である。
 いまどき不思議なことに、この開発事業計画についてネット検索しても、横浜市の行政情報のほかには見つからないのである。どうしたのだろうか。
 ここに書いたわたしの悪口や心配が杞憂に終わって、哂い者にされる日が来ることを切に期待する。

 ではお口直しに、この開発予定地外の隣あたりの花の風景をどうぞ。