2014/11/23

1031山口文象90年前の橋の設計図:新宿地下広場で土木学会百年記念展覧会

 
久しぶりに山口文象が描いた設計図を見た。しかも1925年という大昔のものであるから、山口文象がまだ岡村蚊象と名乗っている、駆け出しの頃の作である。
 その駆け出し時代の図面とは、帝都復興局土木部橋梁課の嘱託技師をしていた頃に作成した「八重洲橋」の手すりや橋塔の詳細図である。どっしりとした石張りで、表現は風の刻み込みを指示している。
八重洲橋は右上方に見える八重洲通りが外堀を渡る位置にかかっていた
土木学会100周年記念事業の土木エンジニアドロウイング展として、土木学会の土木コレクションアーカイブのなかから、他の関東大震災復興橋梁の図面と共に出品されていた。
 ガラスケース入りで大事に、しかもこの図面だけ、山口文象デザインであるとの顔写真つきの解説がある。山口文象もこうなるとは夢にも思わなかったろう。

 その八重州橋の詳細図の右下を見れば、山口文象のサインが設計と製図の欄に「岡村」とあり、その上に技師と照査欄に「成瀬」のサインがある。成瀬勝武であろう。
右上には「親柱詳細」と、山口文象の筆跡でタイトルがある。
 この図面の描き方は、線がコーナーでクロスしていていかにも建築図面である。他の人の手による八重洲橋の几帳面な図面とくらべて、筆致が分って味がある。



 なお、八重洲橋は木下杢太郎のデザインという説があるらしいが、本当だろうか。杢太郎の兄の太田円三が復興橋梁建設の指揮をしたから、詩人の杢太郎は兄からその風景のあり方を相談されたかもしれない。実際はどうなのだろうか。 
 八重洲橋は1948年に外堀の埋立てで、地の中に埋もれて消えた。
 
 たくさんのパネル展示を見ていて、その土木建造物の設計者やデザイナーが記されているものが結構多くあることに気が付いた。かつては土木の世界では、特定の設計者の名前を出さないのが約束のようであったが、どうやら変わったらしい。
 土木系の設計者名の他に、建築系の設計者あるいはデザインに係った者の名もちらほらある。その建築家のひとりとして、駆け出し時代の山口文象の名が顔写真と共に登場するのが嬉しい。

 山口文象がかかわった土木構築物の内、上記の八重洲橋のほかに、清洲橋、数寄屋橋、そして富山県の庄川にある小牧ダムが展示されて、山口の名が記されていた。
 ちょっと残念だったのは、山口が世に出てから設計した黒部発電所の目黒橋と小屋平ダムがなかったことだ。土木界では高く評価していないのだろうか。

 山口文象の他に登場する建築家は、「聖橋」デザインの山田守と「東京駅」設計の辰野金吾のほかには、見当たらなかった。それだけ山口文象は特異な存在であるらしい。
 しかし、実のところ、山口文象が土木デザインに実務として、どの程度かかわったのかは、よく分らない。そのあたりのことも知りたいのだが、小牧ダムの解説に同じようなことが書いてあるから、土木界でもよく分らないらしい。
山田守デザインの聖橋のパース(岡村蚊象画)
その頃、山口は創宇社建築会を結成して、若い仲間たちと大井瀧王子の自宅を梁山泊のようにして、建築運動の拠点にするとともに、橋の設計の仕事をしていたらしい。
 創宇社建築会仲間の竹村新太郎にわたしが直接聞いた話では、山口の担当する橋の欄干や親柱あるいは照明器具などのデザインは、創宇社建築会仲間でアルバイトでやっていたとのことだった。

 わたしが山口文象に、現物の橋のそばで直接に聞いた話(1976年12月11日)は、清洲橋では川の中の船から橋を横に見るとき、橋桁とそこからはねだす歩道の鉄骨の見付が、いかにスレンダーに見えるようにするか腐心したということだった。
 浜離宮南門橋は、その様式デザインを求められてやったけれど、これは好きではないとのこと。数寄屋橋については、稲田御影の手すりの天端からサイドへと角を丸くしていくのだが、その丸みのカーブに腐心したといっていた。
 戦後の貧乏で無骨一点張り、あるいはデザイン下手の見本みたいだった土木構築物にも最近は、今回の展示に見るような戦前に倣う良いデザインが、ようやく登場するようになった。

 この展示は土木構築物をテーマにしているのに、辰野金吾の東京駅がはたして土木構築物であろうかという疑問がわいた。
 そしてこの東京駅を最近の復元による改築をテーマにしてとりあげているのだが、その解説に辰野金吾は登場しても、肝心の復元設計の建築家の名が登場しないのは、どうしてだろうか。かつての土木の無記名性がよみがえったのか。
 東京駅の復元をとりあげているように、展示を戦前に絞ったのでもないようだ。とすれば、最近は建築家によるデザインの土木構造物もあ多いだろうに、数が多くなりすぎるので限界があったのだろう。

 今回の展示は、このような誰もがアクセスできる会場にて行うとは、土木学会はずいぶん開けていると思う。
 しかしそれでもひとこと言いたいのは、内容がやはり普通の眼で見るとマニアックであることだ。わたしはマニアだから面白かったが、これでは一般には興味の湧きにくいプレゼンテイションであった。
 土木は一般に身近にある日常世界のものである。日常の世界でこんなにも素晴らしい役目をしているのだと、普通の人たちの眼にももっと面白い展示を次は期待している。

 そういえば、わたしの生まれ故郷の高梁盆地の高梁川にかかる「方谷橋」が展示にあった。この橋は、わたしが少年の頃に何度も行き来し、毎夏には橋の下で泳いだ日常の思い出が深い橋である。わたしが生れた年にできた橋だから、同年同期である。
 パネルの写真には、わたしの生家の神社の森も写っている。こうやって見ると、ああ、これも記念すべき土木遺産なのだと気がついた。わたしはそんな事情でこの橋に感情移入できるが、ふつうなら解説を読んだだけでは特にどうってことはない。
竣工時の方谷橋。現在はこの親柱は失われている

参照→「ふるさとの川と橋」(伊達美徳)
参照→「山口文象アーカイブス」(伊達美徳)

参照→「土木コレクションアーカイブ」(土木学会)
http://dobokore.jsce.or.jp/archive/

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