2015/10/05

1130【地震津波核毒騒動】東北地方の津波被災地復興に取り組むアドボカシーな都市計画家たちの重くて軽い存在

 新国立競技場の計画に関して、都市計画家という職能の専門家が関わっていることを、このブログの記事に書いたら、それまでに書いた多くの新国立競技場関連記事の20倍以上の読者数になり、これを「炎上」というのであろうか。
 都市計画家って、それほど人気があるものなんだ、え、ほんとかよって、面くらっている。
 では、都市計画家が関わる別の話を書こう。これも「炎上」すれば、都市計画家の人気度合いが本物かどうかわかる。
(追記:この記事を掲載3日後のアクセス記録は、この前の新国立競技場の都市計画家の記事の10分の1にも及ばない。残念)

●東北の復興に関わる都市計画家たち
 東日本大震災から4年半、各地の復興の動きに、都市計画家たちも当然にかかわってきている。
 だが、いろいろなメディアに復興の動きと諸問題が報じられるが、それを支援している都市計画家たちのことは、ほとんど出てこない。いったい何をしているのだろうか。
 昨日(2015年10月4日)、NPO日本都市計画家協会(以下「家協会」と言う)が主催する「全国まちづくり会議」において、その家協会が会員の都市計画家を現地に派遣して支援する復興計画について、復興の現状、問題、展望などについて報告とシンポがあった。

 巨大津波で壊れ失われた街への都市計画家の復興支援とは、行政が作る大きな網かけの復興基本計画づくりへの仕事から、その網目から漏れた小さな集落住民が自力で取り組む復興へのボランティア的支援まで、大小いろいろな段階がある。
 聞いてみると、家協会が現地からの要請によって派遣している先は10地区ほど、いずれも上に述べた後者の、小のほうにあたる地区ばかりらしい。派遣専門家は20人足らずのようである。
 
 だから、大の復興計画づくりのような大きな金が行政からでるものではないから、家協会も専門家たちもカネの苦労をしている。
 とにかく地域の住民たちとひざを交えて、これからどうしたいのか、話し込んで聞くことから始める。初めは手弁当で通うしかないが、そのうちに行政から地元への支援金がでると、そこから家協会にいくばくかはまわしてくれることもある。
 あるいは家協会が諸財団や企業の公益支援事業に応募して、いくばくかは自前調達する。

 しかし、いずれにしても交通費程度の費用にしかならないから、専門家としての人件費は持ちだしボランティアである。「金持ちでないと専門家としての支援継続は難しい」と、報告者の専門家から述懐があった。もっとなことである、泣けてくる、シクシク。
 都市計画家たちは、いずれも小さな都市計画事務所を構えているが、家協会は個人会員制だから、個人のボランティア仕事に所員を使うわけにはいかないし、そのようなカネはでないが、とにかく忙しい。大学の研究者である都市計画家たちもいるが、同じようなものだろう。
 しかも、地元密着型であるから、時には行政計画に対する批判も含む地元型復興計画づくりになるから、これを行政が支援する筈もない。

●大きな行政復興と小さな地元復興
 家協会が派遣している専門家たちは、いずれも都市計画家の職能から言えば「建築・まちづくり系」である。
 都市計画家に一般分類があるのではないが、大別して「土木・都市基盤整備系」(仮に「土系」という)と「建築・まちづくり系」(仮に「建系」という)があると言えよう。もちろん、この境界は明確ではないが、その人の大学での専攻が土木系か建築系かで分れる。
 家協会会員にはそのいずれもがいるが、派遣しているのは家系のようだ。

 聞いてみると、各被災自治体が国政府の支援を得てつくる大きな復興計画は、土系の都市計画家が受注したらしい。
 これに建系がはじかれたのは、国が支援にあたって起用する都市計画コンサルタントを、土地区画整理事業の実績のある土系にせよと指示したからだそうだ。どうやら土系の大学教授が国を指導したかららしい。
 その大復興計画は、巨大防潮堤、広範囲盛土市街地、丘上住宅地となって、今、現れつつある。

 だから建系都市計画家は、その巨大計画から漏れた小集落の復興支援とか、あるいは行政と対立する住民たちの相談相手とか、大復興計画の中の一部のまちづくりとか、小さな復興へと取り組んだのだ。しかもどこかからカネを調達してくるしかない。
 派遣専門家がその大きな復興計画の携わっていれば、それとあわせて小さな復興計画にも動くことができるのだが、そうはうまくいかないものだ。

 もっとも、そのことは支援する都市計画家にとっては、誰に雇われているのでもない個人だから、柔軟にして自由に発送し行動できる専門家として、復興への思いを地域の人々と一緒に計画へと積み上げて行き、行政の計画に反映させることもできるのだそうだ。
 家協会の考える復興のあり方は、自立と持続をテーマに、住民が自ら考え、住民が自ら行動することを支援することで、地域の自立的復興を促し、そこから持続するコミュニティーを組み立てることにあるという。
NPO日本都市計画家協会の考える復興のあり方

●アドボカシープランナーとしての都市計画家
 これが全部でもないだろうが、小さな地元からの復興計画は、そのような専門家たちの支援状況で動いているらしい。
 これはまさにアドボカシープランナー(advovacy planner)である。だが、それで食える道は、今の日本にはなさそうだ。
 これまでのそのような努力に、心から敬意をはらうのである。2004年中越震災での経験を、わたしから言えば次世代の都市計画家たちが、立派に継承していることに感激したのだ。
 家協会による2005年からの中越復興支援は、限界集落のある山村に集中的にかかわり、古民家を手に入れて、どっぷりとはまり込んだ。あちこちから支援資金を受けながら、似たようなもんだったなあと、回顧と反省をしたのであった。
 中越支援は今は日本都市計画家協会の手を離れた。その時の支援仲間たちが出資して地元組織として会社を設立し、集落住民に「帰化」してしまった仲間のひとりが社長となり、棚田で米つくりをしつつ、村起しに取り組んでいる。

(追記;10月4日の全国まちづくり会議の震災復興フォーラムで報告したプランナーの名前を列記しておく。小泉秀樹、江田隆三、神谷秀美、高鍋剛、渡会清治、加藤孝明、内山征)

●参照:法末集落へようこそ 
https://sites.google.com/site/hossuey/
 
●参照:地震津波核毒オロオロ日録 
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html
 

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