2016/01/13

1164【横浜ご近所探検】横浜駅西口地区で60年以上も生きる飲み屋の屋台群と20年で消えた東急ハンズの大規模建築


●20年で消えた大型店舗ビル

 久しぶりに横浜駅西口地区をぶらぶら、駅ビルが消えて、ただ今再建工事中。横浜駅は永遠に工事中である。
 ひょいと思い出して、東急ハンズの跡がどうなったか、行ってみることにした。東急ハンズは、今は西口駅前のビル内にあるが、その前はパルナードという商店街の先の方にあって、2013年に駅前に移転したのだった。

 それまでのハンズの店は、専用の7階建てくらいのけっこう大きなビルだった。全階がスキップフロアーという、ハンズのために設計したらしい独特な作りになっていた。ハンズ撤退跡のそのビルはどう使われているか興味がある。
 駅前からパルナードを歩いて行くが、はて、目指すあたりにハンズ跡のビルが見えない、大きな空き地の駐車場に出くわして、あ、ここだったなあ、おやまあ、ビルは消えている。ここで商店街が途切れてしまった。

 え、ハンズがここに建ったのはそう昔じゃないよなあ(今ネットで調べたら1990年)、しかもけっこう大きなビルだったよ、それが壊されたととはねえ、定期借地契約だったのかね。
 それにしても、もったいない。


この左角にハンズがあったハズだが、、

ハンズはこんなビルだった

●60年を超えて生き残る屋台群

 あんなに大きな新しいビルでも壊されるのだなあ、それならば、そうだ、あれはどうなったかなあ。
 西口地区内では、大昔からこれこそ壊されてしまう第一番の候補となっている建物群があることを思いだした。
 新田間川のほとりにある飲み屋の屋台群である。こちらはハンズと違って、超小さな小屋が建ち並んでおり、多分、1950年代からある古いものだ。
 
 おお、あるある、それなりにまだ健在だ。昼間見るとみすぼらしく、懐かしい風景で立ち並んでいる。
 法的には公道の不法使用なので、強制的に撤去するとか、しないとか、昔からときどき話題になりつつも、どうやら営業は続いているらしい。ところどころに歯抜けに金網囲いなっているのは、撤去跡だろう。

 昔から立っている警察と市の「警告」看板も健在である。昭和63年と書いてあるから30年弱、屋台は、多分、そのずっと前の戦争直後からからだろうから、60年以上も経っているのだろう。 
 ここまで来ると文化財級かもしれない。撤去しても、どこかにこれらの屋台を持って行って営業を続ける、なんて策もあるかもしれない。




●決定から45年経っても動かない再開発都市計画事業

 それで思い出したのが、野毛の都橋商店街である。1964年、野毛の道路上で営業していた露店群を、都橋そばの堤防の上に建てた2階建てビルに移して、今は都橋商店街となっているのだ。
 東京オリンピックで外国人がやって来るとはずかしいからとての超法規的措置だった、というから、なんとも面白い。
 今しも2020年オリピックが来る時でもあるし、西口地区の屋台でも、背後の新田間川堤防の上に、同じようなことをやったらどうですかね。あ、もしかして東京あたりでは、超法規的な措置がおきつつあるかもなあ、でも時代が違うか、。
道路と堤防の上に建って大岡川の上にせり出す都橋商店街

 もっとも、このあたりは横浜駅西口地区市街地再開発事業の予定地だから、その再開発に合わせて屋台群も整備する計画があるのかもしれない。
 横浜駅に接している地区なのに、このあたりだけが奇妙に低層建築ばかりであるのは、都市再開発法による市街地再開発事業の都市計画決定(1970年)をしているので、大規模建築を禁止されているからだ。
 もしかしてこの未成の再開発事業都市計画決定は、日本最古かもしれない。そのことも文化的価値があるかもなあ。
45年も予定のままの西口再開発予定地の駅前低層建築群

再開発予定地区内
20年で消えてしまった大規模商業ビルとの対比で、この再開発予定地区のオンボロ低層建物群や屋台群を考えると、なんとも奇妙なものである。
 再開発事業とは街を大きく変化させるための都市計画の仕掛けだが、いつまでたっても実現しない再開発なものだから、都市計画が街の変化にストップをかけているという、なんとも皮肉な現象である。そういえば、鎌倉の大船駅前のあたりもそうだなあ。

(2016・01・19追記)
え~っ、ついに消えるのかあ、今月限りって、知らなかったなあ、。


●参照「横浜ご近所探検隊が行く
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_19.html
 

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