2016/07/21

1206【住みたい街?武蔵小杉】ムサコタワマンニューヨークは川崎国際交流拠点を目指すのか

1205【名ばかりマンション広告】高層区分所有共同住宅いわゆるマンションの新聞折り込み販売宣伝を読んであれこれ思った」から続く


ヒマツブシに新聞折込広告を読む
熊五郎 こんにちわ、ご隠居、おや、マンション広告なんか読んでて、珍しいね。
ご隠居 おや、熊さん、いらっしゃい、うん、今日は新聞が休みって、しょうがないから昨日の折り込み広告を読んでるんだよ。
 でも、ご隠居はマンションを大嫌いでしょ。「名ばかりマンション」とか言って。
 そう、嫌マンだよ。区型共同住宅だから「分有アパートメント」と言ってる。分譲じゃないよ、譲ってないもんね。
 なんでそんなもの読むんですか、ほかに読むものありそうなものを。
 単なるヒマツブシだよ、でもね、写真はでかいけど字が小さくて困ってた、讀んでおくれよ、ついでにそこのPCでスキャンしてね。
 はいはい、こりゃ小さい字だねえ、しかも区切りなく書くって、わざと読ませないんでしょね、どうしてかな。

■武蔵小杉じゃないよ、小杉だよ
 なになに、「武蔵小杉最大の免震ツインタワー」だってさ、あんなところに超高層かい。
 あのね、ムサコってね、今はタワマンばっかりですよ。
 なんだい、ムサコってむさ苦しい、タワマンて撓まん、な~んてね。
 ケッ、武蔵小杉を略してムサコ、タワーマンションを略してタワマン。
 ふむ、ワイセツ語とも知らずに二子玉川をニコタマって言うようなもんだな、あのね、あの街は本当は小杉なんだよ、武蔵小杉ってのは鉄道駅の名だよ。町名に小杉一丁目はあっても、武蔵小杉なんて無いよ。東横沿線の人たちは武蔵なんてつけないよ。

■えっ、ムサコでオクション
 はいはい、え~と、で、このタワマン、いや、分有アパートメントハウス、1億円と書いてありますよ。
 エッ、あのむさ苦しいムサコ、いや小杉の工場街でオクションかい、まさかね、おまえさん、桁間違いだろ。
 いや、90㎡で1億390万円ですよ、
 高いのか安いのか相場が分らんが、知り合いが住む横浜都心賃借高層アパートは90㎡だよ、あれを買えばオクションかなあ、そうかなあ、う~む、、。
 それと、小杉はもう工場街じゃあなくて、工場はみんなマンションになっちまってね、ほれこのグーグルの写真を見てくださいよ。この広告のタワマンは左下の空き地に建つらしい。
このタワマンは左下の空き地に建つらしい
現地の様子、こんな共同住宅街、右の塀の中に建つようだ
 おお、これがあの小杉かい、工場群はどこに行ったんだい、へえ~驚いたね。で、この超高層アパート1本だけで613戸もあるのか、そんなに売れるものかい、しかもオクションだよ、あのむさ苦しいムサコでねえ、変れば変るもんだねえ。

■カンワカンワでタワマンだらけ
 で、これがそのタワマンの一番上の階から見る景色だそうですよ。
 なんだい、ちょぼっとしかタワマンがないぞ、あ、そうか、わざと見えない方を写してるんだな。
 でもねえ、そのうちにタワマンだらけになってね、そう、こうなるかもしれませんよ。
 おお、すごいねえ、そんなに建てても売れるわけないだろ、都市計画も許さないよ。
 都市計画は規制緩和カンワカンワ合唱ですからねえ、どうにでもなる世の中ですよ。
 おいおい、そりゃないよ、でも現実はねえ、都市計画は経済の従順な下僕になっているし、どこの都市計画審議会もいい加減だしなあ、トホホ。

■ヱビスジョージハマオカジュムサコ
 売れるってわけは、ほれここに「住みたい街ランキングで自由が丘と肩を並べる第4位となった武蔵小杉」って書いてありますよ。
 なんだいそのランキングってのは。
 ネットで見ると、SUUMOって住宅・不動産購入サポート情報サイトにでてきます。不動産屋のアンケートだから、どこまで信用していいのか分りませんがね。
 そうだね、まあいいや、で、ランキングのベスト5はどこなんだい。
 いいですか、1番は恵比寿、2番は吉祥寺、3番は横浜、4番が自由が丘と武蔵小杉が同順位だそうですよ。では、これらの街の上空からの写真を並べましょう。同じスケールですよ。
恵比寿駅周辺
吉祥寺駅周辺
横浜・関内駅周辺
自由が丘駅周辺
武蔵小杉駅周辺
 ほお、恵比寿はビール工場の街だったがねえ、吉祥寺って2年ばかり仕事で通ってたから懐かしいよ、でも横浜ってヘンだね、横浜駅前なんていいのかねえ、まさかMM21のタワマンじゃあるまいなあ、で、学生時代に隣町の緑ヶ丘に住んでた懐かしい自由が丘。
 で、ナンバーファイブがこの武蔵小杉ですよ、スゴイもんでしょ。
 なんだか武蔵小杉だけが、頭の中のイメージも、現実の写真も、他とはずいぶん違うけどなあ。
 そりゃもうご隠居の頭が古いってことですよ。ベストテンには目黒、池袋、新宿なんて昔なら田舎とか不良の街が入ってますからね。昔とは大違いですよ。
 でもなあ、特にすぐ近くの自由が丘と武蔵小杉とは、余りに違いすぎるよ。同じランキングってオカシイよ、じゃあ、わたしが2002年まで住みついてた鎌倉はどうだい。
 え~と、あったあった、14番目ですよ、もう郊外住宅地が売れる時代じゃないってことですかね。

■ムサコタワマンNewYork
 こうやって小杉の街の今と昔と写真を比べるてみると、まったく隔世の感だね。小杉が川崎内陸部のものづくりの街じゃなくなって、ちょっと残念だなあ。タワマン街よりは特色があったと思うけどなあ。

1963年の武蔵小杉駅周辺 工場ばかり
2003年武蔵小杉駅周辺 工場が空き地になりつつある 赤四角が広告タワマンの位置
2015年武蔵小杉駅周辺 高層共同住宅街 黄四角が広告タワマンの位置
 このタワマンは社宅跡地のようですね。広告によると、その北隣の日本医大と南隣の駅近くも再開発のようで、そうなればまだ周りに社宅群があるようですから、こりゃもうタワマンが次々に建つドミノになるかもなあ、ちょっと今と近未来のムサコを戯作しましょうか、どうですこんな絵で?
 ワッ、タワマンジャングルかよ~、いや、ムサコニューヨークだね、ワハハ、1本で600戸もあるなら、こんだけあればムサコ市だな、まあ、勝手にやってくれ。

internatinal MUSACO tower mansion project
 この広告って、あちこち英語で図面の部屋名も英語ですよ、格好つけてますね。
 いや、気取ってるんじゃなくて、外国人にも販路を広げるためだろ。そうだよ、もう日本じゃあ人口減で住宅需要なし、空き家がどんどん増えてる、だから売るのは海の向こうの市場を狙うしかないんだろなあ。
 あ、そうですね、たぶん、ほかに英米韓中越比露蘭獨仏の各語パンフもあって、国際都市川崎の戦略拠点形成の核となることを狙ってるんでしょうねえ、ハハ。
 おっ、じゃあ私も負けずに、インタナショナルムサコタワマンタウンプロジェクトだな。
 おっ、英語で来たな。
 でもなあ、そうなるとこの分有アパートメントハウス管理は大変だろうなあ。
 なんでです?
 だってさ、文化や価値観がかなり異なるこんなにも大勢の人たちがひとつの巨大巨額資産を共有するんだよ、組合つくってで仲良く運営管理するってかなり難しいだろうなあ。分有じゃなくて全有貸借型アパートメントハウスなら何とかなるけどなあ。
 もうすぐやってくる巨大地震で揺れに揺れて撓んだり壊れたりして、大規模修繕とか建て直しとかになっても、こりゃ意思疎通から合意形成そして全員同意へと大変でしょうねえ。
 撓んだまんまタワマンムサコゴーストシティにならないことを祈るばかりだよ。


●「伊達の眼鏡」中の関連記事
http://datey.blogspot.jp/2015/12/1150.html



2016/07/19

1205【名ばかりマンション広告】高層区分所有共同住宅いわゆるマンションの新聞折り込み販売宣伝を読んであれこれ思った

●え、7月18日が祭日って?

 今日は新聞が休みである。なぜだろうと聞けば、なんと昨日が祝日だったからだそうである。
 え、7月18日が祝日???、初めて聞いたぞ、なんだよそれ、え、「山の日」だって?、、そんな日がいつできたか知らぬが、そのうちに川の日とか畑の日とか、365日が祝日になるだろう。まあよろしい。
 新聞休刊日が増えても新聞代が下らないのが不思議だし、高校野球とか隣の東京都知事選挙とか、読みもしない記事ばかりのゴミを買う日が続く。

 で、しょうがないから新聞のかわりに、昨日の新聞折り込み広告を読むことにした。いつもは読まずに廃棄紙になる代物である。けっこう枚数があるが、買い物しないから、興味を惹く広告がなにもない。
 しょうがないから美麗なる広告として、新築区分所有共同住宅販売広告、早く言えば「いわゆるマンション」の広告を読むことにした。昔は仕事で読む必要があった時に読んだことはあるが、もともと買う気も金もないので読みたくて読んだことは全くない。

 なになに、熱海の「温泉付きマンション」かい、桜木町の「ファミリーマンション」ってか、武蔵小杉の「カスタムオーダーマンション」、あれ、もうひとつも武蔵小杉で「ツインタワー」かい、ムサコがどうしてそんなにいいんだろ。

●「名ばかりマンション」なるもの

 わたしは世にいう「マンション」なる言葉を大嫌いである。昔の不動産屋の誇大広告でつかった言葉がいつの間にか世間に通用して、あげくのはては「マンションの建替えの円滑化等に関する法律」(マン円法?)なんてものができた。
 mansionのことをマンションというのは和製英語であり、標準英語ではcondominiumという。では標準英語のmansionとはなにか。アメリカ人に聞いたら、大統領公邸のホワイトハウスのような大邸宅のことだそうである。ウサギ小屋をマンションとは言わない。
 そこらあたりにできる「マンション」は、「名ばかりマンション」である。
アメリカ大統領が住むホワイトハウスのような豪壮大邸宅をマンションという
ついでに、その名ばかりマンションの一戸一戸を「邸宅」と、広告には書いてある。
 あのなあ、「邸宅」ってのは「低い家」って意味なんだよ、ほら、邸のヘンと低のツクリが同じでしょ、わかるかい。超高層の邸宅なんて超誇大広告してはいけませんよ。
 ついでに、刑法での邸宅の意味は「空き家」のことで、19世紀日本の西洋法典翻訳言葉がいまだにそのままだそうである。不動産屋が売るのは原則として「空き家」だから、あながち間違いではないけど、、。
http://style.nikkei.com/article/DGXNASDB05004_V01C13A1000000
 
 というわけで、ここでは「区分所有型共同住宅」のことを「分有アパート」ということにする。
 アパートとは、apartment〈米〉「共同住宅の一世帯分の区画のこと」で、建物全体は apartment houseである。
 今の日本でアパートとは、2階建て貸借型共同住宅を言うらしいが、昔は日本でも中高層共同住宅ビルを、アパートメントハウスと言っていたものだ。例えば同潤会アパートがその典型。
山口文象設計「アパートメントハウス青雲荘」1936年
なんだか広告の内容よりも、その言葉にひっかかって前に進めないなあ。

●ゴーストタウン熱海はタワマンタウンになるのか

 さて、では広告を読むことにする。まずは熱海駅前に建つ「温泉付きマンション」、29階建て、335戸、超高層分有アパートビルである。
 熱海では建築高さ制限をしていて、この場所も31mまでしか建てられないはずだ。広告には高さを書いてないが、29階なら100mくらいはあるだろう。ってことは、これはその制限適用以前の申請建築なんだろう。

 わたしがこの広告の絵で注目したのは、その左にある建物である。これは市街地改造事業による再開発で、1962年に完成したビルである。
 市街地改造法による再開発地区は、16地区しかないが、そのうちのひとつである。しかも2番目にできた歴史を持つ。再再開発時代になっているが、今も健在らしい。これの再再開発と一緒にする案を考えなかったのだろうか。

 さて、熱海は温泉旅館の衰退で空き地だらけゴーストタウンになる様子だが、どうやらこんどはタワマンタウンになるらしい。
 旅館なら廃業して壊せるが、超高層共同住宅となるとゴーストタワーになるおそれがある。これは怖いよなあ。
 1976年と2014年の熱海の空中写真があるが、昔は旅館が密集して建っていた海岸沿いのあたりに、大きな空き地が見える。これらがどうなるのだろうか。
1976年の熱海 海沿いに旅館街が密集
2014年の熱海 海沿い旅館街は空き地だらけ

●横浜野毛は今やMM21イメージで売るのか

 次は横浜桜木町の「ファミリーマンション」で「桜木町駅近レジデンス」である。 
 桜木町駅徒歩3分で、この広告写真(桜木町の海側駅前広場)なら、MM21地区に建つビルだろうと、わたしは思った。
 いや、最初は3階建ての共同住宅ビルかと思った。広い所にゆったり建つんだなあって、、でも実は10階建て28戸と書いてあるからペンシルビルである。

で、実際に建つ所番地を読んだら、この写真の裏側の旧市街地の中、つまりガチャガチャした野毛の街中なのである。2つの信号に引っ掛からなくて走れば3分で行けなくはないが、かなり苦しいと思うよ。
 ガチャガチャした街なかが悪いというのではない。MM21の中よりもはるかに住みやすいだろうし、超高層よりもはるかに安全である。
売るのは3階建て共同住宅かと思ったらこれは桜木町駅
売る共同住宅が建つのは野毛の街なか
この左の駐車場がその建つ場所らしい(google street)
  面白いのは、不動産屋の販売作戦が、桜木町周辺は今や「みなとみらい21」のイメージで売ろうとしていることである。実際は野毛の方が住みやすいだろうに、、。
 昔々、MM21開発が見えてきて、桜木町駅に東急が来なくなるとなったとき、野毛の街が凋落するとて大反対運動があった。東急が大金を積んで、野毛振興策への基金にしたことがある。
 かつて桜木町は元祖横浜駅であり、野毛の街は駅前に広がる横浜の玄関だった。その海側は港湾用の貨物駅がある裏だったのだが、今や裏表が逆転してしまったらしい。
 さて、今の野毛はMM21の添え物に凋落したのだろうか、このような広告を見るとね。

 (つづく、次はムサコ超高層分有アパート広告) 

●「伊達の眼鏡」中の関連記事
http://datey.blogspot.jp/2015/12/1150.html

2016/07/16

1204【能役者・野村四郎】兄弟3人そろって人間国宝とは野村家はすごい

 おお、ついにというか、ようやくというか、野村四郎が人間国宝になった。



 現在の能楽界で能シテ方の人間国宝は、友枝昭世と梅若玄祥の二人のみである。これに野村四郎と大槻文蔵が加わって4名となった。
 狂言方には人間国宝は、野村萬、野村万作、山本東次郎の3名がいるから、能楽界は野村3兄弟が人間国宝認定となった。野村家はスゴイ。

 野村四郎は日本能楽会会長であり、野村萬は能楽協会理事長だから、野村兄弟がシリアスな能とコミカルな狂言の能楽界のリーダーとなった感じである。

 さて、3兄弟の跡継ぎ息子たち、萬の息子の万蔵、万作の息子の萬斎、四郎の息子の昌司、これからどう芸を継承していくのだろうか。芸の家に生まれるとは、大変なことであろう。

能楽師・野村四郎のプロフィル
http://nomura-shiro.blogspot.com/p/blog-page_2.html

 わたしは野村四郎先生に、20年ほど謡を習っていたことがあるから、わたしにとっては師匠である。
 思えば、あの華麗な謡を目の前で聞くことができたのは、まこと幸せなことであった。
 月に2回の個人授業は、その美声の謡もそうだが、その教え方の巧みさ、そしてなによりも豊富で深い造詣の能楽話に彩られるぜいたくな時間であった。

 おかげで、わたしの謡の能力も能楽の知識も、大いに積み上がったものだ。実を言えば謡を習うことは2の次で、その芸談を聞きたくて通っていたのである。

 能を観るのが趣味となり、いっときは毎週のように松濤や青山や水道橋の能楽堂に行った。
 
 謡の稽古中に色々な話を聴いたが、その一部は「野村四郎師に能の観方を聴く」として、ここに載せた。
 野村先生の師匠は観世寿夫であるようで、このように演技せよと教えられたとか、こう言っていたとか、その名が話によく登場した。
 その話の中で覚えているひとつは、居グセ(長い地謡にジッと座ったまま)のときは、身体から四方八方にピイーンと張って出ている見えない糸をたるませないように演技する、と言われたとのこと。いつもそれを思い出しながら能を見ている。

 野村先生は、世阿弥よりもその父の観阿弥の芸に惹かれるとのことである。だから、自分のことを能楽師というよりも能役者とよばれたいと語っておられた。

 昨年、「狂言の家に生まれた能役者」という本を上梓されたが、ここに自分のことを能役者」と現しておられる。

 自分史のような能楽論は、実に面白い。「伝統に爪を立てる」のだそうである。
 常に新たな開拓を、能楽世界だけでなくオペラ界にまでも広げる。能は日本オペラだから当然かもしれないが、現実には野村四郎だからできるのかもしれない。

 
能楽師 野村四郎サイト


趣味の能楽鑑賞(まちもり散人)




2016/07/11

1203【選挙騒動】改憲発議可能国会ができちゃったようだけど若者が政権寄り思想のせいらしい

熊五郎 ご隠居、暑いけど元気ですね。
ご隠居 おや、熊さん、いらっしゃい、まあね、ソレナリ元気ってところかな。
 ところで選挙の結果は、新聞が書いていたとおりに、改憲派がほぼ3分の2になりましたね、改憲発議可能国会ができましたね。
 いつの世も若者はアンチ権力志向だから、18歳から選挙権でまさかそうなるまいと思ってたけどねえ。時代は変わったね。
 なにしろ、投票所出口での新聞屋アンケート結果によると、近ごろは若い奴らほど、政権寄り思想なんですよ、
 昔とさかさまで、若者よりも年寄りの方が野党支持が多いって、驚いたねえ。
 その、年寄が野党寄りって、なんですかねえ。
 わたしが考えるにはね、70歳代は60年安保世代、60歳代は全共闘世代、そいつらの生き残りがいまだにアンチ権力意識だからなんだろ。
 なるほど、って、ご隠居がそのうちのひとりでしょ、どうせ選挙にはいかなかったんでしょけど。
 あ、いや、それがね、今回はちょいと気の迷いが出てね、投票して来たんだよ。
 なんだよ、40年以上も投票離脱派だって威張ってたくせに、さすがのご隠居も歳とって気が弱ったか、で、どうでした、あのジンクスは?
 ああ、わたしが票を入れる人は、必ず落選するってジンクスね、それがだねえ、今回はジンクス半分解除だったんだよ。
 やっぱり歳とって神通力が薄れたな、で、半分とはどういうことです?
 選挙区の人はジンクスどおり落選だったけど、比例区の方はなんとその党たった一人が当選したんだな、ま、残念というか、、。
 何も残念がることはないでしょ、ご隠居の票が生れて初めて生きたって、めでたいことでしょ、生きてるうちに間に合ってよかったですね。
 おまえね、死んだら投票に行けないんだよ。まあ、いいや、幸先良いから、宝くじでも買おうかな。
 いや、およしなさい、投票でご隠居の一生分の籤運を使い果たしたんだから。


2016/07/07

1202【選挙騒ぎ】国政選挙で憲法改訂が話題になる一億総赤尾敏時代がとうとう来てしまったのかあ~

●選挙で憲法改訂が話題になる時代

熊五郎 ご隠居、暑いねえ、うるさいねえ、元気ですねえ。
ご隠居 おや熊さん、いらっしゃい、で何を言いたいんだい。
 はい、参議院選挙で世の中うるさいですねえ。特に現憲法について、離脱派と残留派とがね。
 そうそう、憲法を変えろなんて、昔むかしはアベの爺さんと鳩山の爺さんが「自主憲法制定」って言ってたなあ、それが失敗した後は、大日本愛国党総裁の赤尾敏が死ぬまで、有楽町駅前で怒鳴っているくらいなものだったがねえ。

 そりゃ有名な右翼ですね。それが今や、あっちもこっちも赤尾敏だらけですよ。
 しかも政権党が大真面目でそれをいうんだから、なんとまあ人生長く続けていると、奇妙な時代に遭遇するものだよ。
 そればかりか、今度の選挙で、憲法改訂を唱える党派勢力が、国会議員の3分の2を占める可能性が高いなんて、新聞報道が大真面目にでてますよ。

 あれまあ、いつのまにか世の中の選挙権者たちは、大日本愛国党支持者ばかりなって、体制翼賛選挙をやっているんだねえ、わたしの幼少時代に逆戻り、ヤダヤダ、あたしゃ共犯者になりたくないから、投票離脱派になるよ。
 またそれを言う、しょうがないご隠居だな、でもねえ変なんですよ、新聞、TV、ネットでは憲法についてなんだかんだとうるさいのに、選挙の演説にもポスターにも、憲法改定って一言も出てこないんですよ。
 そうそう、うちの近くに指名手配の顔写真みたないのがずらりと貼ってるよ、しげしげと見たんだけど、憲法改訂なんてどこにも書いてないんだな。
 それどころか政策のようなこともほとんど書いてないですよ。憲法改訂に一番肩入れしてる自民党候補者のポスターは、ただの顔だけ、
 人相で投票するのかい、だから投票って嫌なんだよ。



●現行憲法と自民憲法案の読み比べ

 先日の新聞に、自民党の憲法改訂案の一部について、かなり危ないぞと言う、意見広告が載っていました。言論自由を中国なみにしたいらしいですよ。
 ほう、こりゃすごいなあ、これ見ると明治憲法の方が、まだ可愛らしいもんだね。こういうのを政権党が堂々と発表する、今の時代ってのがすごいなあ。

 それでね、ネットで自民党の憲法改訂案を探して、現憲法と比較してみました。簡単なところを並べましょうかね。

第20条(信教の自由)
(現)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
(自)信教の自由は、何人に対しても保障する。
第23条(学問の自由)
(現)学問の自由は、これを保障する。
(自)学問の自由は、何人に対しても保障する。
第29条(財産権)
(現)財産権は、これを侵してはならない。
(自)財産権は、侵してはならない。

 なんだい、こりゃ同じだろ、、いや、そうじゃないな、同じようだけど、「これを」ってのを、自民案ではどの条文からも外してるんだな。ハハ、こりゃオカシイね。
 ね、これってなんでしょうねえ、もとが間違ってるんで字句訂正したつもりですか。
 いやいや、そのつもりだろうが見事に自民案は文法を間違ったね。日常会話ならまあそれでもいいよ、だけどねこれは最高法規だよ、まじめに日本語文法で書いてほしいもんだよ。
 え、どういうことです?
 例えば29条だよ、「(現)財産権は、これを侵してはならない」とあるだろ、これはね、「財産権というものについてだが、国家は財産権を侵してはならないぞ」ってんだよ。国家が主語で財産権が目的語になってるよね。
 では、「(自)財産権は、侵してはならない」のほうはどうなるんです。
 それだと文法上は「財産権は」から「侵して」が続いてしまったから、財産権が主語になって、「何を」侵してはならないのか目的語がなくなったヘンな日本語だ。
 なるほど、「(現)財産権は、これを侵してはならない」の方は、「これを」ってきちんと目的語があるんですね。
 そう、出だしの「財産権は」ってのは、この条文はこれが主題だよって、強調する書き方なんだな。自民党案では話し言葉なみに「これを」を削ってしまうから間違い文になる。
 う~む、一事が万事で、言葉を知らないやつが作る憲法案なんて、とても大丈夫じゃないような気がしてきますね。
 近ごろは主語と目的語の助詞の使い方が大混乱しているからなあ、「魚が食べたい」なんて、魚がなにを食うんだい、「魚を食べたい」って言いなさいよ?
 へへ、そういうご隠居が大好きですよ、あ、いけね、ご隠居を大好き、、か。

2016/07/04

1201【昔の遊園地を探して】二子玉川に久しぶりに降り立って60年前の記憶の二子玉川遊園はどこに行ったと探してみた

●昔、二子玉川園という遊園地があった
 昨日は暑い日だった。夕方に東急大井町線の二子玉川駅に降りた。特に用はないのだが、電車を乗り過ごしたので、フト思い付いた二子玉川徘徊である。
 再開発後の二子玉川をはじめて見たが、ちょっと昔に高島屋だけだったころと比べて、なんとまあ、上にも横にも街が大きく広がったものだ。
 買物も飲食もしないのでビルに入る気はない。ふ~ん、こんなビルができたのかと見回して、それよりも懐かしい「二子玉川園」がどうなっているのか見たくなった。

 大昔に駅近くに広い遊園地があった。その遊園地に入った記憶はないが、入り口横にあった二子映画館には入った記憶がある。それはもう60年も前のことである。
 もちろん、今はもう遊園地がないことは知っていたが、再開発事業に合わせて公園に生まれ変わっているだろう、どこかにあるはずだ。

●遊園地は二子玉川公園になっていた
 駅前あたりには、商業施設ばかり、その向こうは超高層共同住宅群ばかりで、公園の案内がない。
 とにかく駅からビル街を通って行けば、どこかにあるだろうと歩けば、結局のところ、東の端の一番遠くにあった。初めて歩く道だし、しかもむやみに暑い日だったから、その遠いのなんの、疲れた。
 いまは緑の豊かな世田谷区立「二子玉川公園」となっていることを発見したが、もう中に入る気力がなくなって、入り口で引き返した。往復で疲れ果てた。
公園はこの共同住宅群の向うらしい

RISEには緑が多いが公園はまだまだ向うの方らしい

 なんでこんな遠くに公園を作ったのか、どうせ再開発事業と合わせて作るなら、東西に細長い回廊の形にすれば、駅からも利用しやすいし、街に接する部分も長くなって良さそうだし、再開発施設群もそれに接してつくれば良い環境なのになあ、そうだ、そうやって公園と一体的に計画すれば、こんなに超高層住宅でなくて中高層高密度住宅にできたろうに、、などなど、暑い中を疲れた足を引きずってブツブツ言いながら戻った。
ようやくに二子玉川公園に着いた

公園のはるか向こうに見える建物群は武蔵小杉の共同住宅群らしい




●都市公園の奇妙な都市計画の記憶
 この公園の都市計画について、奇妙な記憶がある。この開園に至るまでには、面倒な紆余曲折があったはずである。
 今は「二子玉川公園」と言っているこの公園は、1957年に都市公園として都市計画決定した。しかし、公園として開園していないままに、東急電鉄が「二子玉川園」の遊園地や自動車教習所等に使っていた。
 実際に都市公園として開園したのは、つい最近の2013年だそうだ。

 だが、最初の都市計画決定の図書に妙な齟齬があった。昔の都市計画図があればよいのだが、見つからないので記憶で書く。
 地図に線を引いて囲っている「二子玉川公園」の図面の範囲は、「二子玉川園」遊園地もその東の教習所もテニスコートも全部を含む広い範囲を描いてある。
 しかるに、都市計画文書の方の面積の数値は、その図の範囲の実面積の半分ほどしかないのであった。図と数字の間で面積に極端に大きな差があった。
 どうして間違ったのか分らないが、そのどちらが正しいとするのか、図の通りという東京都と、数字の通りという東急電鉄とのあいだで揉めていると、仄聞したことがある。
 そして今のようなったらしいから、それが紆余曲折である。

 見てきた今の公園の状況では、どうやら東急の言い分が通ったらしく、「二子玉川公園」の範囲は「二子玉川園」等の頃の半分くらいになっている。
 1989年6月16日に公園の都市計画の変更決定をしたとあるから、この時に西半分を公園でないとしたのであろう。
 その公園でないとしたところの二子玉川園だった土地と、周辺の市街地を合わせて、今の「RISE」と名付けた巨大開発「二子玉川東地区第一種市街地再開発事業」ができたのだろう。
1966年の二子玉川あたり

2015年の二子玉川あたり

●駅名が昔とは変っている
 今は駅名を「二子玉川」というが、昔々は「二子玉川」だった。遊園地がなくなった頃に改名したのだろうか。
 なお、東急東横線に「多摩川」という駅があるが、こちらも昔々は「多摩川」と言っていた。駅前に多摩川園という遊園地があったからだ。
 戦後ながらく、電鉄屋が経営する郊外遊園地が全盛時代が続いたが、元はと言えば阪急がやった通勤とは反対方向電車に客を乗せる作戦だったのだろう。それもディズニーランドの出現が大きく様相を変えた。

 わたしが二子玉川に最近いつ降りたか記憶がないが、とにかくこのような超高層ビルが建つ前だった。
 生れてはじめてこの駅の降りたのは、1957年だったろうと思う。ここから玉川橋を渡った先の高津に住んでいたからだ。
 その頃は、大井町線がここから路面電車になって、ゴロゴロと玉川橋の中央部を渡って川崎側に乗り入れて、溝口が終点だった。

●高島屋からRISEへと街が動く
 その後は、玉川高島屋に来た記憶があるから、1969年以後だろう。
 日本で初めての郊外ショッピングセンターと言われた高島屋が、駅の西側にできたのが1969年であった。それはまちづくりとしても大きな話題となった記憶がある。
 高度成長期の大型店進出でも、郊外への出店は珍しかった。大井町線のイメージが変わり、更に田園都市線が乗り入れて、二子玉川は大きく変わる。

 そののちにこの街に来た記憶は、この街で今のような再開発事業を始めようと東急が考えだした頃で、このあたりのどこかで東急の開発担当の人たちと会合をした記憶がある。1980年代の初め頃だろうか。
 それはRIA(今のアール・アイ・エー)の都市開発の仕事としてRISEになったようだが、担当したMさんは30年がかりだったと、今年の年賀状に感慨深く書いていた。
 そののちにも全く来なかったとは思えないのだが、記憶がない。

 そしていま、高島屋と駅をはさんだ東側に、「RISE」という一大開発ができて、40数年ぶりの大きな動きであるらしい。
 なんだか今はお洒落な街とかで、そのニックネームが「ニコタマ」だそうだ。これを若い女性でも平気で言うとかだから、昔人間のわたしはおおいに嗤うのである。でも、どうして笑われるのか分らないらしいので、そこことを以前にこのブログに書いた。http://datey.blogspot.jp/2015/04/1078.html

2016/07/01

1200【横浜都心史】横浜の昔のことを久しぶりに勉強して『関内関外まちづくり史年表』を作成した

 国土や都市の計画についてのある研究会で、横浜発祥の地とも言うべき関内関外の歴史について話す羽目になり、久しぶりに勉強し直した。
 江戸期以前の歴史がない街だから、1世紀半ほどの期間である。
 以前に戦後史ー特に戦後復興期の研究をやったことはあるのだが、幕末開港から現代までを通して見ることにして、地図や写真類を並べて歴史年表を作成編集したら、実に面白かった。
 中でも興味深いのは、1959年開港から100年ほどの間に人災と天災による3回もの壊滅復興と、江戸期以前を欠く街の歴史文化編集という、二つの系統の大悪戦苦闘である。


1.横浜都心関内関外まちづくり史概観

■概略の年代区分
・創生期の壊滅から生成期
 1959年~幕末無理矢理開港、幕府による出島型開港場既成事実化
 1866年~豚屋火事による壊滅から都市計画的整備
 1873年~吉田新田埋立てにより出島型から盆地型都市へ 
 ぺリー、ハリス、パークス、オールコック、ブラントン、モレル、ブリジェンス
 清水喜助、吉田勘兵衛、高島嘉右衛門
・震災壊滅から復興と成長期
 1923年~関東大震災による壊滅からの復興と成長そして戦中衰退
 池田宏、牧彦馬、妻木頼黄
・戦争壊滅から復興期
 1945年~横浜大空爆と占領接収による壊滅からの復興
 マッカーサー、平沼亮三、渡辺銕蔵、畔柳安雄
・高度成長開発期
 1963年~革新市政と参加型政治による基盤整備と開発誘導調整
 飛鳥田一雄、田村明、岩崎駿介、国吉直行
・都心重心移動期
 1990年代~横浜駅周辺とMM21地区へと都心重心が移動中

■僻地立地選択と僻地脱却のあがき   
・僻村の横浜村を神奈川の一部という幕府の詭弁 
・横浜駅の3度もの移動(桜木町→高島町→現横浜駅)
・戦後接収のため復興が遅れて横浜駅周辺に都心重心が移動
・港湾流通の消長に命運を任せる都心からの脱却
・横浜駅前からMM21開発で新旧都心無理矢理連結再編

■江戸期を欠く都市の歴史発掘と文化編集
・臨海部A級観光地から寿町ドヤ街スラムまでピンキリ文化圏再編集  
・江戸期の歴史をもたない後発都市の歴史文化発掘編集
・多民族多様異混在文化編集
・アーバンデザイン手法による視覚的価値編集
・創造都市政策による都市文化政策による価値新規創作編集

2.横浜都心関内関外まちづくり史年表こちらを参照
https://sites.google.com/site/matimorig2x/y-tosin-nenpyo


■関連まちもりサイト内ページ
横浜関内地区戦後まちづくり史(2007)pdf (html版はこちら