2016/11/10

1231【北陸に蟹を食いに】金沢近江町市場の再開発事業の成熟ぶりに驚きつつ漁解禁初物の香箱蟹を買い込んで賞味してきた

 北陸に行ってきた。福井県池田町で友人の所有する国指定名勝の「梅田氏庭園」を鑑賞し、金沢で駅前、武蔵、香林坊あたりの都市軸街づくりを眺め、富山で総曲輪あたりの再開発の様子を眺めて来た。
 金沢と富山では、昔に来てみた街と今の街の変りようを観るという、半分はセンチメンタルジャーニーである。もう旅に出ると言うと、いつも感傷旅行になる。これが人生最後から2番目の長旅かもしれない。

 今月7日からカニ漁解禁、さっそく蟹食い旅行でもあった。蟹を買うならなんといっても、金沢の近江町市場である。
 この市場は、先年に再開発事業で建て直しされたと聞いたので、あの市場の雑踏・雑多・猥雑・多様さが消えたのだろうかか、そばに建つ村野藤吾設計(1932年)の北國銀行は道路拡幅で壊されたか、金沢の街にまたひとつ超高層ビルが建ったか、などと気になっていた。
2003年2月撮影の北國銀行 村野藤吾設計 1932年
だが、見事にその心配は裏切られて、ホントに再開発したのかと疑わしいほどの、昔のままの雑多な賑わいのある市場風景に、ほう、こういう再開発もできるのかと吃驚したのだった。
 再開発となると決まって建つ高層ビルはなくて、地味な形と色の4~5階程度の建築だし、北國銀行はそっくりそのまま曳家して営業しているし、市場の中はあい変わらぬ賑わいと猥雑さで、市場を歩いていてどこを再開発したのか、どこはまだ再開発していなのか、その区別が全く分らない有様である。

  おお、この再開発はスゴイ、再開発事業やったのに、まるでやってないかのごとき変わらなさである。低層低容積の建築だし、記念的建築保全もやってるし、市場の猥雑さの再現までもやってる。
 こんな再開発事業もやれるんだ、そのような時代が来たか、あるいは再開発手法がここまで成熟したのか。
北國銀行は道路拡幅分を曳家移築して保全
近江町市場 左は再開発ビルの市場、右は既存の市場
再開発ビルの中の近江町市場
1998年、再開発前の近江町市場

再開発事業というと、その都市でもっとも高くて格好良い建築を作りたいたいと、どこの市長も言ったものだ。だが、これまで長年にわたっていくつもの都心部再開発をやってきた金沢市では、そのような規模や形の時代を抜け出して、内容と質を追及する時代に至ったらしい。
 近江町市場では、あの市場を元の市場のままとするべく再開発したらしいが、それを見事に事業採算にのせたとは、大いに興味がわいた。

そこには事業関係者たちの大変な努力と工夫があったはずだ。計画、事業、設計まで通してやったコンサルタントのRIA金沢支社の人に、その内容をちょっと聞いてきた。
 制度的には、都市再開発法に基づく第1種市街地再開発事業(都市局採択組合施行)であって特別なことはないのだが、権利者全員が参加し、各種の公的助成制度をとりいれ、事業運営組織を確立して、このような再開発らしくない形にできたらしい。
 詳しくはRIAの「武蔵ヶ辻第四地区第一種市街地再開発事業」ページ参照。http://www.ria.co.jp/town-planning-story/kanazawa/

金沢市武蔵が辻地区 2015年 
金沢駅からのメインストリートの正面に村野建築がアイストップ
 もちろん忘れずに蟹も食った。再開発でできた市場の2階の海鮮料理屋で、解禁とれたて香箱蟹を賞味した。美味かったので次の朝には市場で蟹を買い込んだが、結局は金沢名所にはどこも行かなかった。
 次は、富山の街見物へ、総曲輪あたりの都心部の変化を見たのだが、金沢のような成熟した街づくりの面白さが富山には無いのだった。はっきり言ってつまらなかった。

 そして次は上市町へ、そこには昔の山岳部仲間が住んでおり、東京方面から同じ山仲間2人もやってきた。もう山に登れない4人で、能登の地物香箱蟹と菜園の野菜とワインで、夜更けるまでしゃべり続ける宴会であった。
 剣岳の麓の町にやってきたからには、センチメンタルジャーニーの仕上げとして、せめて剣岳の姿を麓からでも拝んでから帰りたかったが、あいにくの雨ふりで全く見えなかった、残念。

昨年春の第4腰椎圧迫骨折事故後に初の遠距離旅だったが、その後遺症はカニで治っただろうか。こうして人生最後から2番目の旅を終えた。

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