2017/04/27

1263【言葉の酔時記】「ナニナニするものとすることにするものとすることにすることとすること。」

 ほほう、法律用語っていうのか、役人用語っていうのか、こんなにもいちいち「ものとすること」と繰り返している。
 これが無くても十分に意味が通じるのに、なぜこれを全文に付けるのかしら。
「ナニナニする。」で終わろうとしたら、ちょっと筆が(いやキーボードが)滑って、「ナニナニするものとする。」となっちゃったところで終ろうとしたら、また滑って「ナニナニするものとすること。」ってなっちゃったのか。
 だったら、ついでに、「ナニナニするものとすることにするものとすること。」って書いてはいかがかな。
 いや、「ナニナニするものとすることにするものとすることにすることとすること。」の方がよろしいか、いやいや「ナニナニ、、、

 あのお方のことを書くのだから、慎重かつ念入りに、間違いないようにしかも確実に実行するようにと、お書きになったのでしょうねえ、たぶん。
 わたしは中身には興味はないが、この言葉遣いに目が触れて、うっかり読んでしまった。でも内容を理解する能力がない。
 だって、いまどき、こんな人権無視の制度自体がおかしいんだもの。
 
 もしかして、これができたら天皇退位が容易になるんだったら(そうかどうかわからないけど)、次期継承者の病身の奥方のことを思っての制度改訂として、けっこうなことと思いますよ。
 だったら、少しは人権擁護になることとすることになることになるのでしょう。
 あ、そうだ、就位辞退制度があれば、あの気の毒の方のためになるのになあ。
◆◆
わたしのフェイスバカツッツイタアに最近に掲載した「言葉の酔時記」記事をまとめて載せておく

4月26日
【新聞サカサ読み】アレアレ、このお方はまことに正直なんだなあ、思ったことをすぐ口に出してしまうんだもんなあ、ほんとに良いお方なんだなあ、でも正直な人は大臣なんて職業には向かないって、証明してくれましたね、次はどなたが証明するんでしょうか。

4月18日
【新聞サカサ読み】この方のおかげで、学芸員なる日本の文化を支えている人たちがいるってことを、ひろく世に知らしめたから、その功績を讃えたいなあ。
 いちばん怒ってるのは「癌」だろうなあ、おいおい、覚えてろよ、お前に取り付いてやるぞって。それと「観光」も怒ってるだろうなあ、おいおい、おれたちは文化の邪魔者かい、なんて。また「文化」も怒ってるだろうなあ、おいおい、おれたちは観光の邪魔者かい、なんて。

4月9日【新聞サカサ読み】
おお、キズナ(正しくはキヅナだろうな)って言葉の本来の意味で言ってるんだろうなあ、さすがトランプからの「初めてのお使い」だなあ、
「絆=飼っている馬、犬あるいは鷹などを、逃げないように繋いでおく綱」
4月1日
一瞬、本気にしたぞ、ありそうだもんなあ、4月1日でよかった、よかった、、、ウン?

3月29日
【新聞サカサ読み】あちらでソンタク、こちらでソンタク、おやあそちらもソンタクかい、とかくこの世はソンタクだ、ソンタク忖度損得だ、!
3月11日
【新聞サカサ読み】面白いなあ、検査院からか政府からか、朝日がイチャモン付けられたんだろうなあ。
 元の記事と訂正後の記事の違いは、元記事は「安保関連法支出全部についての憲法違反検査する」とあるのに、訂正後は「文書だけについて憲法違反検査をすることもある」ってんですね。
 この文書への支出って、書類を作るためにかかった人件費や印刷代てことかしら。ってことは、安保関連法による南スーダンへの自衛隊派遣への支出は、検査対象じゃないんだなあ。来年の検査でやるのかしら、いや、やることももあるってのかしら。
 見出しの「憲法判断へ」と、「憲法判断も」との違いは、「へ」だと「やることにした」ってことになり、「も」だと「やるかもしれない」ってことになるんだなあ、ふ~ん。

2017/04/17

1262【横浜ご近所探検】半世紀前に建ったモダンデザインの防火建築帯ビルは生きながら廃墟化の道を進む

ふらふらと長者町通りの商店街を徘徊していたら、「長者町8丁目共同ビル」一階の店にシャッターが下りて、張り紙に「閉店のお知らせ」と書いてある。
 その理由として、「ビル老朽化の為」とある。

 でも、この店のあるビルは4階建ての共同建築だから、この店1軒だけが老朽化ではなくて、ビル全部がボロボロになったのだろう。
 他の店には張り紙はまだ無いが、そのうちに閉店のお知らせが順々に登場するのだろう。

 このビルは、今から60年ほど前に、土地所有者8人が共同して建築した「防火建築帯」である。いよいよ、今度こそは本当に取り壊して、新ビルに建替えるのだろうか。
 「今度こそは本当に」と書いたのは、だいぶ前にも同じことがあり、このブログに書いた記憶があるからだ、探したら、あった。
 2013年6月19日 http://datey.blogspot.jp/2013/06/797.html

 4年前にも、別の店が「建物老朽化に伴い、お客様の安全が確保できない為」に閉店すると張り紙をしていたのだ。
 だがこのビルは今まで取り壊しもせずに建っている。
 たぶん、建替えしようとしているのだが、8人の持ち主の気持ちがそろわないので、いまだに壊せないのだろうなあ。

 ビルはどんどん汚れてきている。
 上のアパート階の外廊下には、手すりがわりのベニヤ板がボロボロにめくれていく。プレコンに塗ったペンキがボロボロと剥げていく。
 中央図書館への往復で前を通るたびに、この生きた廃墟化の過程を興味深く観察している。

 この建築デザインを専門家筋から見ると、戦後モダンデザインとしてなかなかよいものである。さすが横浜の名建築家・吉原慎一郎の設計だ。
 きちんと改修すれば見栄えの良いビルに変身するはずだ。ほったらかしは惜しいなあ。

●参照:「横浜ご近所探検隊が行く
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_19.html
 

2017/04/16

1261【新聞ハテナ読み】チャイナとコーリアの外国人名表記はいったいどうなってるんだ?

 前々から新聞読みながら変だなと思っていることに、チャイナ(China)とコリア(Korea、DPRKorea)の人名の振り仮名である。今日はそれらを纏めて拾ったので、あげつらっていく。
 まずはチャイナ系である。かの有名なシュウキンペイもしくはシーチンピンさんである。チャイナの人には、現地読みに近い振り仮名をカタカナで書くしい、、。

 と思ったら、こちらはなんと、たいせいごさんと、振り仮名がひらがなである。ひらがなってことは、つまりこれは日本流音読みなんだな。同じチャイナ系でどうしてちがうんだろ。まさかご本人が、こう発音しているのじゃないでしょ。

 そこで他のページでチャイナ系を探したら、あった、あった、スポーツ欄でピンポン選手名である。でも、どういうわけか、カタカナもひらがなも振り仮名がないのである。なんと読めばよいのだろうか。
 丁寧さんて名の人がいるよ、テイネイさんと呼び、ホントに丁寧なピンポンをやるのだろうなあ。

 次は、コリア系である。南系は、ムンジェイイン、アンチョルスと、カタカナ振り仮名である。では北系の方々はどうかと見れば、キムイルソン、キムジョンウンと、カタカナ振り仮名である。

つまり、振り仮名では南北統一である。でもなあ、コリアでは漢字を使ってるのかなあ、廃止したとか聞いてるけどなあ、だったら初めからカタカナだけで書けばいいでしょ、なぜそうしないのかなあ。
 
 まあ、どうでもいいような気もするけど、国際交流で話す時に、ついシュウキンペイさんこんにちわとか、キンショウオンさんこんにちわとかって言って、気分悪くされるようなことがあるような気もする。
 中国の革命時代の騒動をかいた「ワイルドスワン」という英語ペイパーバックを読んでいたら、周恩来とか毛沢東とかが出てきてもsyuonraiとかmotakutoとかじゃないから、それがそうだとしばらく分らずにいて、当惑苦笑したことがある。

 ネットでちょっと調べたけど、相互主義とかいって、アチラがそうだからこちらもそうするんだとかってあるらしいけど、バカみたいだね、大人げないねえ。
 このいい加減な表記のバカ朝日新聞しか読んでないけど、他の右翼産経新聞とはどう書いてるんだろうか。
  

2017/04/09

1260【花見と戦争】あの戦場に消えた人や戦場に送りだした人のことを改めて思う花の春の日だった

 久しぶりに日吉の慶応大学キャンパスを訪れた。花見ではなくて、戦争と大学についてのお勉強会である。
慶應大学福澤センター、戸倉武之さんの講演「大学は戦争の何を『引き継ぐ』のか?ー慶應義塾における実名と実物の継承の試みー」。
 慶應義塾関係者の戦争体験を、兵士となった本人はもとより、その周辺の家族や恋人など、ひとりひとり個人史としての戦争を追う研究をしているのだそうだ。その中間報告の講演会であった。

 これまでよくある政治や戦況や勇将による戦争史ではなくて、参加した兵士個人とその周辺人物が語る言葉と保存する実物からの視線で戦争の時代を問い直す研究は、この分野を拓いた白井厚さんの研究をひきついだのだそうだが、実に興味深い。
 慶應大学という広範で強力なネットワークをつかって、人間情報と実物情報の収集は膨大なものになるらしい。

 慶應大学の日吉キャンパス自体が、海軍地下壕遺跡という戦争を語る重要な物証であり、ここから戦争の現場につながっていることも、この研究を地に足が着いたもの入しているのだろう。この講演会主催者は、その「日吉台地下壕保存の会」であった。
 白井厚さんも会場のおられて、三田キャンパスが空襲で炎上したのだが、今はその跡が全く見えないないので、それを教えることも必要と発言しておられた。

 戦場に消えた人や戦場に送りだした人々の、いくつかのエピソードを聴かせてもらった。個人的な生々しい資料を発掘して、戦争を平地から見る視線には興味深い展開がある。
 例えば、学徒兵の遺稿集『きけわだつみのこえ』に登場する、自由主義者として死ぬと書いた特攻隊員の上原良司のことである。安曇野の上原家に保管されていた膨大な資料を発掘して、あの有名な「所感」をとりまく上原の家族の幸福と悲劇を、庶民史の断面として見せてくれる。

 もうあの時代を自身のこととして語る人たちはほとんどいなくなる中で、このような発掘仕事は困難なことであるらしいが、それでも意外に多くの人や物が貴重な資料として登場してくる。
 戸倉さんは、実名と実物に語らせることに大きな意義があるとしている。
戦争の呼称や期間が人によって論争になる

 情報収集の範囲は、慶應大学関係に限るとしておられるらしいが、他の大学でもやっているだろうか、あるならそれと連携することで新展開があるだろうか。
 戦争の研究となれば、右や左の喧しい人々が妙な口を出すのではないかと、ちょっと心配になるが、戸倉さんは心得ておられるようだ。
 終わりのない研究になるようだが、ネット公開するとのことなので、楽しみである。

 そういえば昨年、わたしの家族の戦争史とでもいうべき「父の十五年」をお読みになった、海外神社研究者からお問い合わせをいただいた。わたしも興味を持ってその公開研究会傍聴に行ったが、これもまた別の意味での戦争研究の新地平かもしれない。
 以前に戸倉さんの著述を読んで、『戦争に翻弄された大学とモダン建築ー谷口吉郎設計の慶應日吉寄宿舎』の一文を書いていたので、本日、それをプリントした冊子を渡して、お礼を言って辞した。

 外に出て、1970年代に住んでいた南日吉団地のあたりを久しぶりに歩いてきた。団地は建替えられて風景が変り、まわりの田園風景は密集する住宅地に変っている。
 なにしろ今では地下鉄の駅ができているのだから、変るのも当たり前だ。
それでも丘陵の裾あたりは、かつて子どもを連れて散歩した田畑と山林の入りまじる風景があり、いまちょうど満開の桜と菜の花が美しい。花だらけで食傷する名所の桜よりも、このような自然の樹木の取り合わせの素朴な風景が目に染みる。

2017/04/06

1259【お花見宴会】母校キャンパスの満開桜の下で楽しむ花見を来年もできるだろうか

  同期仲間5人を誘って、ふらりと母校の大岡山キャンパスに、春の花見に行ってきた。去年やってきた4月1日は満開だったのに、今年の4月5日は7分咲きだった。
花見には絶好の本館正面広場は、いつもの春のように花見客が大勢すわりこんでいいる。特に走り回る幼児を連れた母親たちが多くいのが目立つのは、ここが飲酒禁止のキャンパスだからだろう。わたしたちのような年寄りもいる。子どもにも老人にも好かれる花見の場である。なかなかよろしい。
 花は美しいが、その花を咲かせる桜の木が、黒々とした太い幹、あちこちにコブや穴があり、枝はよじれて地を這うよう。昔々この庭で山岳部トレーニングしたころは、細くて背丈ほどだったのになあ。
 人の少ない桜を求めて、キャンパスを貫通する呑川河畔は満開の花、そこにかかる木橋の上にちょうどよい枝が伸びている。

おお、ここは川の上だからキャンパス外にちがいない、禁酒じゃあるまいと勝手に決めて、持ちよりの酒やつまみを橋の上に広げて宴会開始。
 天気よし、花よし、酒よし、仲間よし、酒と肴に花びらが散りこむ。 
 宴半ばにガードマンらしき二人の男がわきを通る。もしもし、構内は飲酒禁止です、あー、はいはい、ご忠告ありがとう。でも宴会は続く。

◆◆

 本館前の新図書館の横、この場所には名建築家・谷口吉郎設計の出世作「水力実験室」が建っていた。
 今は取り壊されて空き地である。実験のために使った水銀汚染が残るので、取り壊さざるを得なかった。
 でも、わたしはそこにあった実験用のプールで泳いだよなあ、いいのかなあ、ここまで元気に生きたのは、水銀のせいかもなあ、やっぱりよくないか。


 水力実験室はなくなったが、そこから本館寄りには、谷口設計の70周年記念講堂が建っている。そして本館そのものも、若い時の谷口が関わったデザインで健在である。
 桜名所の本館前広場には、谷口吉郎の一番弟子の建築家・清家清設計の大学本部や、その弟子の篠原一男の設計になる百年記念館もある。
 更にその篠原の弟子である安田幸一設計の新図書館が最近の広場の建築であるが、それは一部しか地上に顔を出さずに、多くを広場地下にいれている。
 こうして花見で師弟四代にわたる建築を見ることができるのである。

参照:1183【花見と老木】願わくば花の下にて春死なむ卯月朔日想い出の地に