2018/05/23

1335【元号問題】和暦を西暦に換算する呪文は妙案だが来年からもっと長くなる呪文を覚えきれないかも

 幼馴染の友人が新聞に投稿して、和暦西暦換算呪文を公開しているのが、面白い。和暦の元号年を西暦年に換算するときに、この呪文を唱えるのだそうだ。
 『明治ムナ(67)しく、大正イイ(11)ぞ、
  昭和ニゴ(25)らず、平成ハヤ(88)し

 つまりそれぞれの「和暦→西暦換算式」は、次のようになっているのだ。
・明治X年=西暦(X+1967)年
・大正Y年=西暦(Y+1911)年
・昭和Z年=西暦(Z+1925)年
・平成W年=西暦(W+1988)年

 投稿は「1年後には新しい呪文を唱えなければならないが、さて…?」と疑問で結んでいるので、新呪文を勝手に考えてみた。
 「平成」の次の新元号が仮に「運成」とすれば(その理由はムニャムニャ)、その和暦→西暦換算式はこうなる。
「運成P年=西暦(P+2018)年」
とすれば呪文は、こうなるのだけど、どうですか?
『明治ムナ(67)しく、大正イイ(11)ぞ、
 昭和ニゴ(25)らず、平成ハヤ(88)し、
運成イヤ(18)だ』



 わたしは「和暦→西暦換算式」を覚えているので、その都度暗算してきたのだが、歳とって暗算能力が衰えてしまった。新聞とか本を読むときに、計算機を傍に置くことになった。
 換算式も忘れそうになってきたので、この呪文はありがたい。だが、来年から更に新元号が加わると、便利な呪文も長くなり、その呪文を覚えることさえ難しくなる。困ったものである。

 世の中はグローバルになってきて、時間を計る物差しは日本でも19世紀半ばにから太陽暦が標準になっているし、その通し年代記述についても、近世以前については西暦がデファクトスタンダードになっているし、近代以降もその傾向は強い。
 それなのに、官公庁や公的機関はいまだに元号を使用を止めないから、市民は元号使用を事実上は強制されていて、西暦と和暦の混在の中にいる。

 明治大正昭和平成が登場するたびに、グローバルに歴史的に物事を考えようとすると、いちいち呪文を唱えて回らぬ頭で換算したり、計算機を持ち出さねばならない。面倒なことである。
 なぜ、官公庁が西暦一本に踏み切らないのか、不思議でしょうがない。公共機関が発表する年代別統計の表やグラフに明治大正昭和平成の記述があるのだが、これは年が続いているのかしらと奇妙な錯覚が起きる。外国人はどう思って読むのだろうか。
 ネパールの本を読んでいたらビクラム歴による年代記述が出てきて、頭が混乱した経験がある。

 わたしは「元号をなくせ」とまでは言わないが、使用を強制するのを廃止してもらいたい。元号なんて使いたい人だけが使えばよろしい。
 どうしても官公庁で元号を使うなら、こうしてもらいたい。
次の元号を「西暦」とし、
そのカウントを「2019」から開始し、
今後は改元を一切しないこと

 こうすると新元号による和暦→西暦への換算式は、
「西暦R年=西暦(R+0)年」、
つまり和暦と西暦が一致するのである。これでもう和暦と西暦が混在していても、永久に換算問題は解消する。
 なお、日本史上で「暦」の字を使用した元号は13回もあるから、「西暦」という元号は伝統に反していない。
 これって、元号使用派にも西暦使用派にも、実に妙案だと思うのですが、いかがですか。

2018/05/22

1334【フェイスバカ2018年5月前半与太記事】ネット広告、緑の家、横浜再開発未来像、戦争体験記、柳瀬さん、木造新国立競技場、ホントに邪魔な元号

5月3日 ネット広告は役に立つのか?
 fake baka屋の若オヤジが、なにやら殊勝なことを言っている。わたしが不思議なのは、ネット上の広告が、これら新興企業を成り立たせていることだ。
 わたしはネット社会に触れるようになって40年くらいだが、ネット画面の広告を全く目に入れることがない。この40年ほどで、そのように頭と眼の構造を自ら訓練してしまったらしい。
 汚らしい広告だらけの画面は大嫌いで、わたしが主宰するサイトやブログには広告は一切登場しない。ヤフーの汚さよりも、グーグルの汚さの方がまだマシとて、ヤフーを忌避してグーグルを使う。
 フェイスバカのタイムラインに広告が登場するが、わたしはそれがなにか見もしないで、2度とその企業広告が出ないように設定して削除する。もしも世の中にそんなことしてる人が多いと、ネット広告することは広告の死を意味することになるが、どうなんだろうか。


5月6日 緑の家 横浜中華街にて



5月7日【戯報新聞ニューススクープ】
 来年5月からは和暦の元号は「西暦」(セイレキ)と定めて、その元年を2019からカウントを始める。
 つまり今年は2018年(平成30年)だが、来年は2019年(西暦2019年)、再来年は2020年(西暦2020年)となる。
 これで西暦と和暦の呼び方は完全に一致!、西暦と元号の混在による混乱は解消、暗算の不得意な高齢者も低齢者も、もう和暦西暦換算に困らない!!
 そして今後はもう改元をしないものとする。
 どうです、名案でショ。
http://datey.blogspot.com/2018/04/1331.html

5月7日 横浜仲通り再開発の未来像
 横浜都心海辺の津波除け超高層壁づくり事業進行中、この壁ができる頃は、わたしは生きていないから、関係ないけどね。
https://www.facebook.com/dateyf/videos/1671939862881995/


5月9日 7歳児たちの戦争体験
 このような体験をした記憶を持たないように、この7歳児たち戦争体験記憶が、役に立ってほしい。
 ネット社会の登場で、リタイアしてリアル社会と遠ざかった老人たち、足腰弱って出歩けなくなった老人たちには、高齢社会のあらたな社会参加の場となっている。
https://datey.blogspot.com/2018/05/1133.html

5月11日 ヤ~ナヤナセさん
 モリカケのカケ問題は、愛媛県地方政府vs日本国中央政府の構図になってきたな、ヤナセさんは愛媛県民から嫌われてしまったな、もらった名刺を証拠に出しても、自分の名刺かどうか記憶にないと言うだろうな、そうしたら次はモリトモ問題の様に、音声録音が出てくるんだろうね、そうしたら自分の声を忘れたとか、それは捏造だって言ったりして、ワハハハ、こちとらヒマ老人にはヒマツブシになってありがたいねえ、え~と、近ごろ中央政府の首相をはじめ若いもんたちは、みんなバカになったのかねえ。


5月11日 新国立競技場は木造?
さすが国家的事業にふさわしい新技術!、木でつくった鉄骨だよ、すごいなあ。
 まさかとおもうけど、本当は鉄だけでいいのだけど、木で作ったように見せるために、お化粧したインチキじゃないでしょね、

5月13日 困ったもんだ元号
 コンピューターのために人間が、ありもしない元号を使うなんて、根本的に間違ってるよ、なんてバカなんだろ、
 そもそも行政システムに元号を使うからこういうことになるんだよ、こんなことが起きるって当然に分ってただろうし、また2~30年後に同じことが起きるって分ってるでしょうに。
 元号って使いたい人だけが使いなさいよ、行政システムに使うのはいますぐ廃止しなさい、西暦から和暦に暗算で換算できないオレが困るんだよ!!、

2018/05/08

1333【戦争体験記】『昭和二十年それぞれの夏』大学同期生七歳児たちの戦争体験記憶簿

 アジア・太平洋戦争が終ってここまで時間が経つと、戦争体験の無い世代が社会を動かしているから、戦争体験世代から見ると、危なっかしくてしょうがないことも、すらすらと世間に通る。ネット社会発言もそうだ。

わたしが学生だった頃の母校キャンパス風景と寮舎
戦争中は軍事研究メッカ、紙風船を飛ばしてアメリカ爆撃研究も

●大学同期生たちの戦争体験記憶

 最近、同世代連中と話をしていて、ちかごろ戦争体験が風化しているとの話になり、思い出したことがある。同期の大学寮仲間の戦争体験記憶を集めたことがあったのだ。
 2014年8月に大学寮同期仲間のメーリングリストを使って、語りあったのである。

 1961年に卒業しのだから、1945年の敗戦時は7~8歳児である。そして敗戦の日に居た場所は、北は満州、朝鮮、南は台湾、そして鹿児島から茨城まで、多様な地域に亘るのである。多様な地域での、多様な戦争体験がある。
戦争記憶簿に執筆した同期仲間たちが1945年8月15日にいたところ
実はそれらのメールをまとめたファイルがあるのだが、それをネット公開したらどうだろうか、公開価値があると思いついて、執筆した仲間たちに聞いてみた。
 ネット公開反対の者はないので、一部を修正したうえで、ブログを開設して載せた。

 「1945年8月15日あなたはどこで何をしていましたか」
   昭和二十年それぞれの夏 
七歳児たちの戦争体験記憶簿
東京工業大学1961年卒業向岳寮同期生有志著

●ネット公開は実名か仮名か

 ネット公開にあたって、公開そのものに反対はなかったが、多少の論議があったのは、元のファイルはそれぞれの執筆者名は実名であるが、公開にあたって実名とするか、仮名とするか、ということである。
 取りまとめ役のわたしがまたメーリングリストを通じて、最初にネット公開原案を示して公開の可否を聞いた。そこには執筆者名をとりあえずローマ字イニシャルにしたが、わたしだけは実名にしておいたのだ。

 そして実名にするかどうか、内容はこれでよいかと聞いた。内容については修正や追加の各自からの指示をそのまま入れた。
 執筆者名についての反応は、実名とするものは少数であった。わたしとしては、このような戦争体験記を公開するにあたって、内容に責任を持つために実名にする立場であるが、他に押し付ける気はまったくない。

 実名を出すべきでないとする意見が数名からあったが、どれもその理由は、ここから住所や電話番号等の個人情報を探り出す者がいて、年寄りのわが家に詐欺電話をかけてくるおそれがあるからという。イニシャルでも危ないからランダムに英字1字のみの仮名にすべきとの意見さえもあった。

 わたしの意見は、これは共同執筆ではなく、ひとりひとりの執筆の集合なので、全員をそうすべきとの意見には賛成しない、それぞれ執筆者の意向に沿うので指示をほしいとして、それぞれの意見に対応して個別に修正したり、そのままにしたりした。
 なにも反応ないものは、呈示した原案のままにした。

●ネットの功罪と高齢社会

 わたしたち世代は、ネット社会の草創期にはもう結構な年齢だったから、Eメールくらいはやるとしても、自分のウェブサイトやブログを持つもの、あるいはSNSを使うものは、かなり少数で珍しい部類に入るようだ。ネット社会とはある距離を持っている。
 それが自分の名前と文章がネット社会に登場するとなると、その功罪の罪の方に目が行くことになるのだなあと、興味深く思ったのだった。

 わたしは功の方がはるかに大きいと思っている。わたしがもう20年にも亘って、実名もメールアドレスも公表してネット社会へ発言してきたが、幸いにして不都合なことが起きたことは、一度もない。
不都合よりもむしろ、わたしが載せた各種の論考等を読んだ研究者や院生学生から連絡をもらって、その研究になにほどかは役立つこともあるくらいだ。

 この戦争体験記もなにかに役立つことを願っており、そのサイトの問合せ先にわたしの名とメールアドレスを載せておいた。語り部として責任を持ちたい。
 ネット社会の登場で、リタイアしてリアル社会と遠ざかった老人たち、足腰弱って出歩けなくなった老人たちには、高齢社会のあらたな社会参加の場となっているが、これもそのひとつである。

●参照:「昭和二十年それぞれの夏
http://kgr36.blogspot.jp/p/blog-page_8.html

2018/05/04

1332【FAKEBAKA4月後半与太記事】甲州・信州花見旅、青森長寿防止先進県、懲戒させていただく、元号やめようよ等

4月16日【甲州花見旅】
毎年の花見をいつも同じところでやっていると、花は毎年同じでも、こちらは確実に変化していることを自覚する。動きが鈍いのだ。
 昔の人が言ってたなあ、「年々歳々花相似 歳々年々人不同」ってね。この漢詩の意味は、花見とは自分の老い具合を見に行くことだ、と覚った。

4月16日【fake baka問題】
ほらね、ヤッパリ、フェイクのバカなんだよ、アレッ、雑貨獏って馬鹿面つまりフェイスバカなんだあ、儲け上手のバカ運営者がいて、フェイクに騙されるバカ利用者がいて、とかくこの世はバカとバカ、バカは死ななきゃ治らな~いッ!

4月16日【安売り財務省、セクハラ役人、隠匿自衛隊】
財務・防衛・文科等の各省の役人たちが、懲戒処分を受けてもかまわぬと覚悟か、われとわが身を犠牲にしても、安倍内閣打倒プロジェクトを実施中!!、、か?

4月19日【今朝の新聞広告】
こりゃ、モリトモ問題でイジメられた「財務省」と、女性記者がイジメられた「テレ朝」とが、手を組んで安倍世政権打倒に立ち上がったんだな、たぶん、チガウ?
中央政府と地方政府の中枢あたりが、週刊誌のシモネタ記事のネタになっちゃうとは、それを喜んで買う読者がいるんだね。
ま、喜んで読む新聞読者もいるし、こうやってショウモナイFAKEBAKA記事にする奴もいるけどね。
それにしても、女性週刊誌って、ノーテンキなんだね。
週刊誌って、もう何十年も読まないけど、そういうものかい?

4月23日【信州高遠花見旅】
 今年の花見徘徊の遠出は、信州伊那谷の高遠に行ってきた。いまや散り舞う桜花の風景は、なかなかによかった。
 高遠さくらホテルの大浴場に、真昼間にゆっくりと、ほぼ借りきり状態で入ってきた。風呂を特に好きではないが、露天風呂の雰囲気が実によかった。
 露天風呂から花の城址公園も見えるが、浴槽脇の桜からはらはらと舞い散る花びらが、わたしの裸の肩に降りかかり、湯面に花びらが散り群れて揺れ、湯を掬うと花びらが掌を彩る。そう、花と混浴したのであった。さて花は何と思っただろうか。
 花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける
           (西行作 能『西行桜』世阿弥作より)

4月24日【今朝の新聞:青森県が長寿ワースト1位】
この記事は間違ってるよ、短命一位の青森県はワースト1位じゃなくて、ベスト1位でショ、今の世の中では、、、。
長寿って幸せと同義語じゃなくなった今の日本、今や青森県こそ「長寿防止政策先進県!」、わたしも長く生き過ぎて不幸になりそうだ、弘前にでも引っ越したいなあ、いや、もう手遅れだな。

4月28日【国民党とは!?】
ふ~ん、じゃあ、略称「国民党」かあ、おいおい、蒋介石かよ~、共産党を敵に回して負けて逃げ出すかな、、。
wikipediaに曰く「国民党は、一般的には国家主義や民族主義などを掲げる政党である」、、ふ~ん。

4月28日
金沢街道道端の磨崖仏のなれの果て、「鼻欠け地蔵」は今や顔欠け胴欠け地蔵に、、。これはこれで歴史的風格あり、ヘンに復元しようなんて言わないでね。

日本語を知っている高齢者にも分る日本語にしてくださいな、地下鉄さん、
 銀行さんも、、

4月28日【2つの「処分させていただく」ニュース】
 昨日の夕刊、アソオ大臣がフクダ次官を「処分させていただく」と発言したニュース、今日の夕刊には、東大生協が宇佐美桂司の絵を「処分させていただく」とホームページに書いたニュース。
 さて、わたしがここでとりあげるのだから、その内容じゃなくて、その日本語がヘンだよなあって言いたいのである。処分にあたって「させていただく」なんて敬語を使ってへりくだるものかい?

 まず財務省の「懲戒させていただく」ニュース。
 不良役人を罰するのを「させていただく」とは、「世間が罰せよというから、皆様のご意向に従って、罰することにいたします」と、へりくだって言ってるんだよなあ、そうなのかい?。
 ま、そう思ってるんだよね、アソーさんて、正直バカな人だもんね、思ってることをすぐに言葉にしちまうからね。「言われたからしょうがないや、次官さん、処分させてちょうだいね」とかってね。

 次は東大生協の方の「処分させていただくニュース。
 この「処分」とは、罰するんじゃなくて「廃棄する」という意味で言ってるとすれば、誰かに廃棄せよと言われたので、「お言葉に従って廃棄いたします」ってへりくだっているのだけど、そういうことなの?
 まさか東大生協ともあろうものが、その有名画家の絵を「廃棄処分」する、なんてバカなことをしないだろうから、ここはどこか誰かに「譲渡処分」か「売却処分」するってことだろうと思うけどなあ、そういう意味でショ、え、違うの?

 ところで、「処分」の意味は、実に広いのであり、世間一般常識的に思うような「罰する」とか「棄てる」とかマイナスの意味は、ほんの一部に過ぎない。
 でも、「処分させていただく」の意味は、ここの様にマイナスの意味の時は奇妙だよなあ、いまに、「死刑にさせていただく」って判決文を書く裁判官が現れるかもなあ。

4月29日【カリフォルニヤ歌人登場】
今朝の朝日新聞歌壇に、カリフォルニアに住む大学山岳部同期生の歌が載っている。3月にも入選した。
40年以上あちらに住んでいて、話すと日本がおかしいのに、こんな歌を詠めるのかと感服するばかり。

4月30日【元号なんてもう止そうよ】
だからさあ、何度も言ってるけど、元号なんてモノを、役所が使うのやめようよ、日常生活に困るんだよ、いいかい、来年からの元号だって、20年くらいでマタマタ変えなきゃならないんだよ、またドタバタやるのかい、無駄なことだよなあ、分ってるのかい?、

元号なんてのは使いたいやつだけが、勝手に使えばいいんだよ、
それが役所で使うもんだから、
いちいち西暦と換算しなけりゃならんのだけど、
歳とるとそれがパッとできないんだよ、
先日も同期生からメールで、2014年のつもりで平成14年なんて
書いてくるバカがいて、こんがらかったよ、
それにしても意外にも若い奴に元号使うヤツがけっこう多くて、
だから国際感覚に欠けてるんだよ、
なんて年寄り愚痴説教してもしょうがないな、
まあ、わたしは来年には死ぬかボケていて、
この問題は解決済みのはずだから、どうでもいいけどね。

4月30日【怪しい日本語】
 左上の張り紙には、「店内ではご遠慮願います」の一覧は、「ペット持込、店内撮影、禁煙、ご飲食」である。
 「禁煙ご遠慮」だから「喫煙奨励」のお願いとなるが、近ごろの禁煙流行に敢然として抵抗するとは、なかなか気骨のある店である。
ところで、その下には「写真OK」の張り紙、え~と、先ほどの「店内撮影ご遠慮」とこれとは矛盾しないのかしら?、小さい字になにかその留意事項があるのかと読めば、写真撮ってSNSに載せろと英語で書いてある。
 ということで、この写真は上の「ご遠慮」貼り紙じゃなくて、下の「写真OK」貼り紙に従って撮って、fake bakaに載せた。
 この店の名前は、「ダイソー伊勢佐木町店」である。気骨ある店なのか、それとも単なるバカなのか?