2018/07/27

1152【古書を捨てる前に・1】江戸末期生花入門ハウツー本「生花早満奈飛第二篇」は曾祖母の遺品か?

 蔵書の整理処分をサボっている。本をゴミに出すことはさすがにできない。
 3年前に知人たちに差し上げて、ほぼ半分にしたが、その後は進まない。次々に毎日読んでは捨てるつもりだが、読む気力がなくなった自分に暑い寒い眠いと言い訳する。
 ここに古書蔵書とのお別れの言葉を連ねると、ゴミにして棄てる気になるかもしれないと思いついたので、【古書を捨てる前に】シリーズで書いていくことにした。

 古本と古書の違いの定義を知らないが、感覚的には「古本」と言えばセコンドハンドブックとして、新本でも購入した途端に古本になる感がある。
 それに対して「古書」と言えば、少なくとも半世紀くらい、いや30年前でもいいか、それくらい昔に出版した本であるべきのような気がするし、何やら貴重な感じがする。
 ということで、わが古書の話である。もっとも、わたしはモノを収集する癖はないので、たまたま何冊かの古書があるという程度である。

 中で最も昔の本は、奥付けに「天保6乙未年正月発行」とある。歴史年表を見ると1835年の江戸末期、この本は約180年まえのものである。
その頃の日本での主な事件は、1930年から37年にかけて天保大飢饉、1937年に大塩平八郎の乱、39年には蛮社の獄事件、41年から水野忠邦による天保改革などがある。外国では中国でアヘン戦争が起きたのが1840年。

 そのタイトルは「生花早満奈飛二篇」、読み方は振り仮名があって「いけばなはやまなび」とて、「生花早学」ともある。
 縦175ミリ、横12ミリ、和紙24枚二つ折り、和綴じ、木版刷、かなり古びている題簽は擦れていて文字が切れ切れである。中身は前頁そろっている。
 ネット「日本の古本屋」で調べると、これは全10巻がその頃に発行されていて、わたしのはその第2篇であるようだ。10巻揃いで85000円、一冊だけなら1500円の値がついている。国会図書館サイトには、第7編だけが載っている。

 著者は、序文の末尾に「壬寅の夏 真萩菴老人」とある人だろうが、この壬寅は天保13年で1842年にあたる。奥付けに「天保6乙未年正月発行」とあるから、序文原稿が発行よりも7年も遅いのは、何故だろうか。

 その内容であるが、ざっと目を通してみたら、生花の入門ハウツー本らしい。筆書きをそのまま木版にしているので、漢字は何とか詠めるが、慣れないひらがなを読みにくい。
でも挿絵があるので比較的わかりやすい。
 現代の生花はどうなのかまったく知らないが、植物を対象にしているから、基本的なことは変わらないだろう。現代生花が植物だけを使うのでもなさそうなことは知っている。

この古書がわたしの手元にあるのは、父(1910~1995年)の遺品のひとつだからである。遺品の古書類の品の中から2冊だけ貰ってきたうちの古いほうの1冊である。
 父が購入したのではなくて、祖父(1865~1931年)からの遺品らしいと分るのは、中の2カ所に「増田氏」という四角な蔵書印らしきものを押してあるからだ。

 祖父は増田家に生まれたが、6歳で両親ともに没して伊達家の養子となったと、わたしは父から聞いている。増田姓の印の意味はどう考えるべきか。
 祖父が生れる前に発行の本だから、増田家にあった本を祖父が持って養家に入ったのだろうか。とすれば実父の増田平太(1871年没)が所持していた本だろうか。
 父の話によれば、わたしの曽祖父・増田平太は備中松山藩家臣の武士であるが、どこかに武者修行に出かけて、家庭を顧みない人であったという。とすれば、生花の趣味を持った人とは思えないが、その妻・定子(1869年没)に生花趣味あったのか。これはわたしの曾祖母の遺品であるか
 
 「伊達」との丸い認印が押してあるが、これはたぶん父だろう。もうひとつ父の仕業と思えるものとして、新聞の切り抜きがはさんである。
 記事は「花道美術全集 重森三玲著」全6部完成発行のニュースである。この本をネットで調べると1930年から32年にかけて発行したとあるから、この記事は1932年のことだろう。
 父は1931年にその父をうしなって家督相続して、高梁盆地の御前神社宮司となったが、宮司は生花を必要としたのだろうか。
 この古書を読んで勉強し、あるいは他の巻もあったのだろうか、更に勉強したくてこの全集を買ったのだろうか。だがわたしの記憶では父の蔵書にそれはなかった。

 わたしの記憶には、父が花を活けて社務所や自宅の床の間に飾っていた。少年のわたしは、父が座敷で生花にする植物を、切ったり立てたりして、生花のデザインを検討している姿をたびたび見ていたが、日常のこととして気にも留めなかった。 
 父の遺品にあった初年兵の時の軍隊日記(1931年)に、兵営と病院で生花をした記述があり、生花展覧会の写真もでてきて、そこではじめて父は生花を趣味としていたことをわたしは知ったのだった。

 ご先祖さまから伝わった古書だが、だれも読まないし、私も特に読みたいとも思わないし、もうこの本も捨てる時が来たようである。(つづく)



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