2018/11/27

1169【親友が逝った】生と死のあわいの浜の引き潮にためらい漂ういまわの友よ

熊五郎:ご隠居、こんちわ―、寒くなりましたね。
ご隠居:あ~おや熊さんかい、元気にしてたかい、風邪ひいてないかい、ご飯ちゃんと食べてるかい。
:エエッ、ど、どうしたんですかい、そんな優しいご隠居って、どこか悪いのかな、ついに呆けたか。
:いやいや、からだは丈夫さ、ちょっと心がね、実は昨日、長年の親しい友人があの世に行ってしまったんで、ちょいと悲しくてね。
:おお、そりゃご愁傷様。それにしても、十年ほど前にご隠居の親が死んだときも泣かないよなんて、ヘンに粋がってたのに、さすがに歳とって涙もろくなったか。
:まあ、それもあるかもね、一昨日、そいつを見舞に行って顔見て来たばかりで、次の日に居なくなるって、突然のギャップがあんまりなんでね。
:ご隠居ほどの年寄りになると、ご友人の不幸は年ごとに頻繁になりますね。
:そうそう、昔なら若いうちから適当にいなくなって、年寄りはそれなりに少なかったのに、いまじゃあ、あの世行きのバス乗車口あたりに行列して待ってるもんねえ、私もそうだけど。
:つまり超高齢社会問題ですね。
:この超高齢社会をもたらした犯人は、ひとえに医者だね。昔なら死ぬのに今じゃあ無理矢理に治してしまうから、人口は増えるはヨボヨボ老人は増えるは、困ったもんだよ。
:でもヨボヨボ患者でも治してほしいって望むからでしょ、医者じゃなくて。
:医者がそれに応えたからだよ。今の様に長生きするには、古代では帝王が万金をかけて不老不死の薬を探させても不可能だったのに、今じゃ貧乏人が帝王以上になったね。だから問題なんだよ。ここいらで生かすばかりが医者じゃなくて、適切に死なせる医者が必要だね。
:でも、今年のノーベル医学賞もがん治療法の発見ですから、死なせない方法奨励ですよ。
:あのね、そのうちに死なせる医療方法がノーベル賞になるに違いないと思うよ。人間が完全に不老不死ロボットになるのならともかく、人間が人間のままなら、どんなにやっても死ぬのを延期しているだけって、こんな不自然をいつまでも続けていることはできないよ。この辺で自然の摂理にそって、生と並んで死の医学が必要だと思うね。
:ちょっとちょっと、この話はあれやこれや難しすぎて、長屋の話題になりませんね。
:ごめんごめん、友人の死でいつものオフザケ気分じゃないのだね。じゃあ、もっと情緒的な話にしようか。ちょうど読んでた本にこんな短歌が載っていた。ほぼピッタリの気持ちなんだよ。

 終わりなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ 土屋文明

:どういう意味です?
:歌人の穂村弘の解説があるから引用するよ。
(土屋の)妻への挽歌である。人は皆死ぬ。でも、その時期にはズレがある。死という終わりなき時の長さにに較べて、それはほんのわずかの違いなのに、自分ももうすぐそちらに行くのに、愛する者の死が何故かこんなにも悲しいのだ
:ふ~む、死んだらその先には時間の長さがなくなるんですかね。永遠なんですか。
:土屋はそう思ったのだろうなあ。わたしはそうは思わないね。時間は死で終わりだよ、そのさきはなにもない、だからわたしならこう詠うね。

  終りたる時に至らむに束の間の後前ありや有りてかなしむ

:ご隠居流の単純合理主義ですね。それなのに終りの時に入った友人の死を悲しむのは、やっぱり友人には時は終ってもご隠居の心の友人の時間は終らないんですね。
:そうだねえ、合理も心情に負けるねえ。次はわたしの詠んだ友人の死を悼む歌だよ。作ってからまだ時間があまり経たないので推敲が足りないけど、生な気持ちを記録しておくよ。

 (20181125 親友Kを病の床に見舞って)
生と死のあわいの浜の引き潮にためらい漂ういまわの友よ
引き潮に竿差さんとする方舟は黄金比率に彩らるべし
物質へ炭素へ水素へ酸素へと宇宙の塵に還りゆく友よ
還りゆく方を見つめるうつろなる大き瞳のなかにわが顔
還りゆく友を包みて冬の陽は宇宙の塵のごとくやわらに
信州の安曇野の奥の森の小舎に宴をしたり翁と孫と

 (20181127 親友Kの訃報に接して)
死の床の友はいま自然なる物質に還らんとして厳然たる姿
自然なる元素にいま還らんと旅発つ友に淡き冬の陽
今ははや出発せんと死の床に毅然としたる面がまえあり
死の床にカッと眼を見開きて今はや出発せんとしたるか

:ほう、今日はその友人の通夜を勝手にやってるみたいですね。
:おお、そうだねえ、では勝手ながら遠くから偲んで酒を飲もうか。