2019/12/31

1435【紅白歌合戦】男女の分別が難しいこの時代になってもまだやっているとは懐かしや

 TVをまったく見ないから、世間のことは新聞とネットで知る。当然のことに世間知からどんどん遅れるが、それがどうした、。
 今日は大晦日、例年の如く年末の新聞となると、どこのページも今年の回顧雉だらけ、いいかげんにせえよ。読むところないけど、現段階の自分の世間知レベル記録のために、今日大晦日の新聞広告にケチをつけておく。

 なんだこの広告は、同じ顔の若い女性たちが並んでいるけど、はは~ん、これはひとりの女性を何度も撮影して、デジタル加工して一枚にしたんだね、いや、そうでもないか、それぞれ別人かもなあ、それにしても同じ顔の人をよく集めたもんだね、何の宣伝広告か分らないけど、近ごろは個性を発揮することは好まれないのかしらねえ、同じ顔、同じ髪型、同じ化粧、同じ服って、はずかしいよなあ、まあ、なんでもいいや。

 小さな字の解説を読んだら、どうやら「日向坂46」(ひうがざか?ひなたざか?ヨンジュウロク?シジュウロク?フォティシクス?)というグループで、今夜のNHK紅白歌合戦出演の宣伝らしい、ふ~ん、数を揃えりゃ何とかなるさってことか、まあ、どうでもいいけど。

 そういえば、「紅白歌合戦」とは懐かしい。むかし昔にTVを観てた頃もこの番組を見たことはないが、いったいつごろ始ったなかなあ、男女を「紅白」と分けるのも、「歌合戦」と言うのも、今じゃあ死語にちかくて、ここだけで生きているのかもしれない、いまじゃあ男か女か判別することさえも難しい時代なのよくやってるなあ、あ、もしかしてもう男女に分けずに混合して、単に赤白組み分けかもなあ。

 なんて思いながらページめくると、その歌合戦の出演者一覧表83人(組)が乗っているのだが、ほとんどが見たことも聴いたこともない歌手ばかり。なるほど歌手名を見たただけでは男女区別は不可能だ。
 実はその知らない中で、歌手名と曲名の両方を挙げることができるのがたったひとり、「石川さゆり:津軽海峡冬景色」、もともと日本歌謡にまったく興味ないわたしでも(ほんの一部でも)知るほどの有名な歌であったのか。

 もうひとり紅組最後出演の「MISIA」、話声も歌声も知っている唯一のわが耳の現役歌手である、実は夜遅く寝入りばなに聴くNHKFMにしょっちゅう登場する人で、お顔を知らないが声だけ知っている、あ、そうだ、今晩はお顔を観てみるか、もっとも、わたしがラジヲで聞く「ミイシャ」なるお人と同じかどうかわからないが。

 男組の最後登場に「嵐」という芸名があり、いつだったかやはり新聞広告でグループ写真を見たことがあるが、冒頭の女性グループと同じで、よく似た男をおおぜい集めたもんだと思った。今の芸能界は個性を求める時代ではないらしい。
 
 出演者一覧を見ると、ローマ字記載の芸名が多くいて、そのどれもが英語風であるのが、なんとも興味深い。戦後の日本の歌謡界はアメリカンポップスのマネゴトから始まったが、今もそうなんだろうか。
 もうそろそろハングル文字とかチャイナ簡体字の芸名が出てもよさそうな時代と思うのだが、歌謡界はそうでもないのか。

 さて、明日は2020年元日、新聞は例年のごとくにぶ厚い紙屑の束がドサッとやって来るだろう。広告だらけ、記事はあっても内容がまったく無くて、TVを観る気がしないのと同じで、ほとんど読むところがない、
 あれってなんとかならないものかしら、毎年いい加減にしろよっと言っているのだが、あんな紙屑は要らないから、その分を新聞代を安くしろよ、でなきゃ、新聞休み中3が日かかって読む分量の、小説本1~2冊分を載せろよ。(2019年12月大晦日)

   (追記20200101)結局は大晦日に紅白歌合戦を見なかった。元日の新聞は毎年恒例の紙屑の束が来たが、唯一の面白い記事は、15億円の費用をかけて2019年最後を飾るカルロス・ゴーン日本脱出大冒険ニュース、すごいなあ、ghosn has gone!、これで助かってるのは、ケチくさい博打場開設汚職の国会議員だね。

2019/12/28

1434【年忘れ雑言】男女両性原理表現が真正面衝突した国立競技場騒ぎも今となれば懐かしや

 年の暮になると、世間ではこの1年を振り返る。わたしは振り返るべきことがなにもないから、春頃に仲間内の会誌に書いていた悪口雑文を引っ張り出しておこう。
 おりしも神宮外苑隣の国立競技場の建て替えが終って新建築が登場したので、その祝賀の意味も含めて、これを載せておこう。
 元原稿のタイトルは「老いのクリゴト酔いのクダマキ」であるから、そんな口調になっている。

●どろり生ガキ女に大あぐら男が襲われた国立競技場騒ぎ
 無駄なカネって言えば、2020年開催のオリンピックとかいう世界運動会もヒドイねえ、わたしはああいう見るスポーツを大嫌い、世界運動会には全く興味ないけど、それに関連して起きるゴタゴタ騒ぎには野次馬興味、なかでも2015年に起きた例の新国立競技場騒動、これは実に面白い暇つぶしになった、
現在は明治神宮外苑の隣りに巨大な洗濯盥か寿司桶みたいな新競技場が姿を現しつつあるらしいが、あれって本当は全然違う形で建つはずだったんだよ、思い出すとあれは実にヘンな事件だった、2012年に国際デザインコンペで女流建築家ザハ・ハディドが堂々の一等賞、そのデザインは時代の最先端を行く建築だったのを、運動会ボス森喜郎ってわたしと同年ジジイが、「どろり生ガキみたいでいやだ」と言ったけど、ホントはオマ■コみたいと言いたかったはず、生ガキが聞いたら怒るよ、庶民も大好きなオリンピック物件だけに、神宮外苑に似合わないとか、ガラが大きすぎるとか、公園を潰してケシカランとか、あれこれ四面楚歌のうちに、工事費を計算したら膨大過ぎると分って、そうなるとドロリ××デザインのことをすっかり忘れて、もっぱらカネメばかりで悪口雑言、マスメディアもデザイン論より分りやすいから煽り立て、一方では実施設計まで終っていて既にかかったカネが60億円、あとは工事費調達だけになっていた2015年、どういうわけか一競技場ごときに時の総理大臣がシャシャリでて、60億円捨てて白紙やり直し命令、オジャ~ン、国内設計施工コンペやったけど、あれって業界では大成建設物件とお決まりで、実は一部工事に着手していて、出直しコンペもやっぱり大成組一等賞、騒ぎに懲りてデザインじゃなくて早い工期と安いカネメで決めたのが今の寿司桶競技場、なんとも発展途上の開発独裁国みたいで国際的大恥かいちゃった。実はこれには東京都市再開発奇々怪々利権が潜んでいて、オリンピック後に世間が知るその話はまた別のときに。
白紙出直しコンペ当選は早い安いマズイ案
どろり生ガキ露骨な女性原理表現のザハ・ハディド当選案


大あぐら露骨な男性原理表現の神宮絵画館
  
 わたしはザハ・ハディド案で建てばいいなあと期待していた、その建つ位置がなんと明治神宮外苑聖徳絵画館という外苑心臓部の隣なんだからすごい、その姿と言ったら、石造どっしり大胡坐の真ん中に四角な包茎に●頭を覗かせた男性原理も露わな太く短いチン■コ建築だよ、その隣に曲面うねり流れパックリ割れて女性原理も露わなドロリ生ガキ建築だよ、見ようによっては絶好のコンビだけど、実は女が巨大すぎて男が呑まれそう、これでは保守派にとっては明治王権を汚す不埒不届不敬者だと言いたかろう、だってそもそも明治神宮ってのは、明治政府が新統治体制のために京の都から拉致してきた貴族トップ雲上人を、近代統治機構のカリスマ王権に改造育て上げたけれどのに、その死後の後継者が脳の病でカリスマ性皆無、困った政府は死せるカリスマを神に祀るべしとて全国総動員体制で造営したのだからね、その内苑は日本的に森の奥深く隠れる宮とし、外苑は西欧的に視覚に訴える権威的表現とし、合せて王権カリスマ賛美装置、外苑銀杏並木の透視景観の焦点に男性原理建築の明治大帝聖徳記念絵画館、並べて建てようとしたのが女性原理建築の新国立競技場、完成したら明治王権呪縛景観をザハ・ハディド流テロ爆弾で文明批評建築になり得ただろうに、惜しかったなあ、惜しかったと言えば騒動最中にザハ・ハディド急死、世界の建築界に新デザイン潮流を巻き起こしたバグダッド出身の天才建築家は、日本のドタバタ騒ぎで魔女殺しに遭ったのかも。 

 ことのついでに言うけど、カネがかかると言えば、なんと言っても原子力発電所が王者ですね、わたしはどうもこの原子力って言葉がうさん臭くて、ホントは核力でショ、原子力発電技術って核兵器開発と隣合わせなので、わざと言い換えているのかなあ、水力やら火力とおなじように核力って言いなさいよ、その原発じゃなくて「核発」が津波で大事故の事件、あの福島核発事故処理にかかる費用が2016年経産省試算では核廃炉8兆円、
ヒロシマとフクシマ
核毒被害賠償7・9兆円、核毒除染4兆円、核毒物質中間貯蔵施設1・6兆億円、なんと合計21・5兆円!だそうで、最初の想定が2011年で6兆円だったそうだからものすごい膨れ様で、そんなカネって1万円札でどれくらいの厚さか見当つかないけどもっと膨らむかもしれない、だって今までやったことないことやるんだからね、それでね、もっと驚くのはそれを負担するのは事故責任者じゃなくて日本国に住む者たちってこと、つまりみんなが払う税金と電気代なんだってさ、そうすると廃炉事業費が不足すると政府は税を上げるし、発電屋は電気代を値上げすればいいって、なんとまあ気楽な商売なんでしょね、打出の小槌ってこのことだな、これから福島以外の廃炉がどんどん起きてくると、もうとんでもない費用負担がわたしたち、いやわたしはもうすぐ死ぬ年寄りだから知ったことじゃないけど、次の世代もその次もその次もホントに大変だねえ、これって戦後高度成長時代を築いてきたわたしの世代がバカだったんだ、ほんとにお詫びするしかないですねえ、なのに次世代人がやってる今の政治は今後も核発電所を作り続ける政策だって、どうも分らぬこの世から、もうおさらばしたいものだ。
   (以上は、Q人会誌2019掲載:20190505)

 新国立競技場に関する孤乱夢は、竣工したそれを観てからまた書きたいとも思うが、どうせ分かっていることだからもう見に行かないことにして、その悪口雑言はこれで終わりとする。なお、神宮外苑再開発に関してはまだまだ興味が尽きないので、随時イチャモンを書き続けたい。

新国立競技場や神宮外苑再開発の孤乱夢一覧(まちもり散人筆)
https://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

2019/12/27

1433【言葉の酔時記】「つい言ったあ」トレンド大賞2019トップは「平成最後の日」っていったい世間は何に乗せられているのかしら

●20件中知っているのは8件のみの惨敗

 年末になるといつものようにその歳総まくりがいろいろと出るが、この「#つい言ったあ~トレンド大賞2019」ってのは初めて見た。SNSでのヤリトリを分析してランキングしたらしい。
新語流行語大賞と同じく、わたしがこの言葉のいくつを知っているか数えてみたら、20件中たったの8件、つまり4割しかない。TV見ないわたしは世のトレンドの外に住むらしい。

 わたしはTVを観るのはやめたけど、SNS世界では「FAKE BAKA」にも「つい言ったあ」にも「裸淫」にも、アカウントを持ってますからね、もっともそれらの利用頻度は7:2:1くらいの比だけどね。
 これら20件の内でわたしがツイートし、タグ付した記事を追ったのは5位につけている「#台風19」のみであった。

 それにしても「平成最後の日」って、そんなに評判になったのかい?、世の中なにも変らず単に元号が変っただけじゃん、世間はいったい何に乗せられてるんだろうか。そのカラ騒ぎがあったらしいことを知っていても、その関連ニュースに全く興味なかった。
 その改元の話題に関連して、今年の5月に親しい仲間内の会誌に書いた、言いたい放題エッセイの一部を載せておく。

●改元騒動老いのクリゴト酔いのクダマキ

 今年2019年4月と5月、日本全土にカイゲン令布告、どこもかしこも猫も杓子も「屁せえ最後・冷WAR最初」、世の中そろってから騒ぎ、言うにこと欠き「平成は戦争なかった平和な時代」、おいおいそんなバカ賛辞ってはずかしいだろ、え、湾岸戦争、ソマリア内戦、チェチェン紛争、アフガン侵攻、イラク戦争、シリア内戦、クリミア危機にウクライナ東部紛争、どれもこれも平成で1989年以後だよ、しかも湾岸とイラクには事実上の参戦、なに寝ぼけてるのか大間違いだよ、やっぱり元号で考えるから国際感覚全く欠如、米中冷WAR時代開幕だよ、うす気味悪い空気がドヨ~ンと濁る世の中、こうなりゃ憂さ晴らしに繰言寝言戯言小言に妄言、年寄りの大得意をちょいと一席伺いましょう。 

 みんな右向けはい右向きますって、庶民マスコミ嬉々として、ありがたがって押し頂く
なんて、いったいこれはどうしたことか、このグローバル時代と言いながら、日本だけはガラパゴス、いやガラパゴスが聞いたら怒るけど、役所ときたら未だに元号強要、ほんとに困るよ年寄りは、和暦西暦換算するのに「明治+1867、大正+1911、昭和+1925、平成+1988」、これを覚える呪文はこうだ、「メイジイヤダロナ、タイショウヒドクヒドイ、ショウワヒドクニゴル、ヘイセイヒドクハンパ」、これに加えて「レーワジワットイヤ」、こうも長いと呪文記憶できず、暗算しょっちゅう間違える、自分の生れを西暦でしか覚えてないから、せめてこれだけでも使うのをお許し下せえましお代官様なんて哀願もだめ、婚姻届も出生届ももう書けない、しょうがないや離婚再婚子づくり一切あきらめます。

 まったくも~、おれの人生の時間だぞ、それを赤の他人のナルヒト君が、父の商売跡継ぎしたとてあたしにゃ何も関係ない、その後継時間に無理矢理合わせろなんてマッタク理不尽きわまる、あ、そうだ、理不尽と言うならナルヒト君こそ理不尽きわまる運命の人、その一族は基本的人権さえもない法の埒外とて、この現代にそんなこと許すばかりかありがたがるのがホントに不思議、ナルヒト君の細君なんてほんとに気の毒きわまるなあ、きけば君の世襲候補が少なくて、制度の存続が危ういそうだけど、そんなの解決簡単だよ、だって民法埒外だから側室何人でも持てば直ぐに子だくさん、君の曽祖父は側室の子つまり婚外子だよ、江戸時代の大昔のことじゃないよ、君の地位になった人たちの歴代の半分は側室腹だってさ、こんな日本の歴史的伝統を重んじたらどうですか、それにしても、近ごろ代替わりとかで世の中はアキヒトさん賛美空気が濃いなあ、それなのになんで国民栄誉賞を与えないだろ、このまえイチローとかって野球男が退職するとて、政府がホイホイ与えようとして、2度も断られたってドジなこと、アキヒトさんも真似して断ったのかな、またまたドジなこと、でもなあ、どうしてあんなに税金使う特権階級が今の世にあるのかね、1945年敗戦混乱日本占領統治側の誤解的都合と指導層側国体護持論とが便乗野合の結果の制度なんて、もうここまできたら廃止してもいいでしょ、朝鮮の李垠も満州の溥儀も王朝復活しなかったでしょ。

 まあ、なんでもいいけど、元号なんて勘弁してほしいよ、和洋チャンポンやめて西暦統合しろよ、歴史の本だって近世までは西暦なのに、近代以後は和暦ってヘンだと思わないのかい、レイワってサラ金レイクと似てるな、REIWAと書くらしいけど発音だとLEIWAが近いよ、実は「冷WAR」って冷戦時代再来でトランプ対シーチンピンか、そういや冷戦終った30年前に「平成」って発表されたとき、大阪人は「屁せえ、?!、ギャハハッ」爆笑だったらしいよ、だからわたしは次は「ウン成」と思ってたし、それよりもっと良い案も考えていたよ、元号を「西暦」として2019年からカウント開始すれば、ホントの西暦と一致して、和暦西暦換算難問は一挙に解決、もちろん今後は改元しないってね、なんせ「暦」の字を付けた元号はこれまで13回もの歴史先例あって、伝統に則りなんの問題もなし、え、ダメかなあ、じゃあ、そんなに元号を好きなら、首相代替わりごとに改元したらどうだい、安倍元年とかって復古好き宰相向きだろ、一首一元制だな、そうすりゃみんな嫌がって使わなくなるのがわたしの狙い目だよ、とにかく元号強要行政やめろよ、ナルヒト一族や元号好きな臣民庶民だけが勝手に使えばいいんだよ、八つ当たり。

 あ、そうだ、ぐだぐだ書いていて思い出したのは、ひと月ほど前に郵便局で、預金関係書類を出す必要があり、局員の指示に従って用紙に記入、「では住所を書いていただいても、よろしいですか」って言うので、「よろしいかよろしくないか、わたしに質問されても、初めてなので、まったく判断できません」、「あ、書いてください」、書類のその欄の左に「じゅうしょ」とあるから、ひらがなで書いたら、「あ、漢字でお願いします」、用紙を替えて書きなしたら、「ではお名前をお願いします」、用紙欄の左には「なまえ」と印刷してあり、念のために「ひらがなで書くのですね」と聞けば、「いえ、漢字でお願いします。用紙は読み方だけです」って、え、読み方って言っても、どこにも「住所」「名前」の漢字を書いてないぞ、あ、これって園児学童向け用紙か、おれは小学生か、次は生年月日でチェック欄に明、大、昭、平だけなので、チェック入れずに西暦で書いたら「西暦ダメなんです」、「なんでだよ~」、また紙を替えて一から書き直し、トホホ、で次は、「ここにハンコを押していただいても、よろしいですか」、だからさあ、よろしいかよろしくないか、おれに訊いても分らんと最初に言っただろ、てなことで面倒な年寄りと思われつつ書類提出完了、でもなあ、今ごろは新元号を5番目チェック欄に印刷した用紙につくり替えたかな、もったいないなあ、郵便局ばかりか日本列島全部の役所で膨大な新用紙印刷、膨大な旧用紙廃棄だろうなあ、膨大な税金を投じてもったいないバカらしい、西暦一本にしときゃいいのに、あ、キリスト暦嫌いって人もいるって、それなら神武暦でもいいよ、え~と西暦+660だから今年は紀元2679年か、それにしてもアキヒト辞職ナルヒト世襲儀式費用もすごいだろうが、官公庁や民間で改元のためにかかる費用はいったいいくらだろうか、100億円?、500億円?、さっぱり分らんけど無駄、紙屋と印刷屋とコンピュータ屋は儲かるかな、また30年ほど先には同じことやる、バカだねえ、そのカネの百万分の1でいいから頂戴な。(「Q人会誌2019」掲載 20190526)

2019/12/23

1432【現代演劇鑑賞】秋元松代作「常陸坊海尊」の演劇公演を観たが脳内で夢幻能に再構成してやっと理解できた


●演劇「常陸坊海尊」の時代と風土


 神奈川芸術劇場(KAAT)にて、現代演劇「常陸坊海尊」を観た(2019年12月6日)。秋元松代作、長塚圭史演出、白石加代子主演。
 能楽をちょくちょく観るほかは、舞台劇を観るのはオペラと歌舞伎がごくたまにあるくらいで、とくに現代劇というか新劇の舞台を見ることはめったにない。
 はて、この前に見たのはいつどこでだったか。新宿紀伊国屋ホールで「父と暮らせば」(井上ひさし作)という分りやすい演劇を観たのはもう10年も前だったろうか。
 大昔に渋谷のパルコ劇場で「砂の女」(安倍公房作)を観て、なんだかわからないが面白かった記憶がある。

 「常陸坊海尊」の舞台の時代設定は、第1と第2幕が1944年~5年、つまり戦争が過酷になり終った時であり、第3幕が1961年、つまり戦後復興から高度成長へと踏み出した時である。1945年前後は戦争疎開の小学生の少年の眼から、1961年はその16年後のその少年たち眼から見る地域社会である。
 秋元松代がこれを書き下ろしたのは1964年だそうであるから、その時代の空気の中で構想したことになる。

 この演劇を観るわたしは、1945年は8歳で山陽の小さな盆地の小学生、1961年は大学を卒業して社会に出た年だから、1911年生れの秋元はわたしの父母の世代だが、舞台登場の少年たちとわたしはほぼ同じ世代として、それなりに時代の空気を分る。
 だが舞台の空気は、東北の小さな町であるから、言葉も風土も私の育った山陽のそれとは大きく違うのが、理解を難しくする。しかし、地の風土よりも社会の動きから見るとよく分るのである。

 演劇の舞台の東北の風土をほとんど知らない、演劇の底流を流れる常陸坊海尊伝説も知らない、演劇を通して語る津軽弁の科白を聞き取りにくい、なによりもこのような純粋な演劇を観ることはめったにない。
 それなのに観たのは、いつだったか昔にこの演劇の評判を高く聴いていた記憶、そして趣味の能楽鑑賞の延長上で観ようと思ったからである。
 実は見てもその場ではよく理解できなかったのだが、あとでじわじわと分ってきたので、ここに自己流演劇評を書いておく。

●第1幕、第2幕1944~45年

 第1幕と第2幕の舞台は、東北津軽の田舎町の温泉旅館とその山奥の家、登場人物は東京から戦争による学童疎開の少年たちと引率の教師、地元側はイタコのオババとその孫娘の雪乃、住民たちである。
 疎開児童たちは戦災で東京の家族も家も失って、終戦になっても戻るところがない。その現実を受け入れできない少年は、疎開先の旅館から山奥のオババと雪乃の家に逃げ出す。

 オババの家には常陸坊海尊のミイラがあり、オババはその海尊の妻であり、夫をミイラにしたのだと言う。ミイラを見せてイタコ口寄せ、そして時には身を売って、孫娘と生きて来たらしい。その孫の親のことは何も語らない。
 オババは母を恋しがる少年に、イタコの口寄せで少年の母親を呼び出してみせる。少年は美少女の雪乃に惹かれている。
 時にはどこからか時と空間を越えて海尊が舞台に登場して、琵琶に載せてその裏切り物語を詠い、ストーリーの背景に裏切りと悔悟の海尊伝説があることに気がつくのだ。

 疎開して戦災の逃れた少年たちには、戦争に勝つと教えられた大人には裏切られ、まさに時代に裏切られたのである。そのいっぽう、少年たちは死んだ親や家族を裏切って生き残り、逃げたとする悔悟があり、世の中に超然とする土俗きわまるオババの世界に逃避する。
 これらの裏切りと裏切られは、まさに土俗的海尊伝説の世界の現代表現になるのである。海尊は義経を頂いて鎌倉や京都の中心世界から裏切られて逃走、身を寄せた平泉の藤原氏にも裏切られて襲われ、それを更に主の義経を裏切って逃亡する。
 京や鎌倉と平泉、東京と津軽の田舎町、田舎町とその山奥の家、これらのいくつもの同心円的な中心と周縁の裏切りや逃避が、舞台でも重なっていく。

 実はわたしは中国山地の盆地の神社に生まれ育ち、この演劇舞台と同じ1945年にはその神社には疎開学級の児童が暮していた。その兵庫県芦屋市の国民學校6年生20名は、わたしよりも4歳ほど年上のほぼ同世代である。
 その児童たちも疎開中に芦屋の街が空襲に遭って、親を失った子たちもいたのだから、舞台の温泉旅館に疎開していた学童たちと思いは同じだっただろうか。
 そんな少女の心を、その頃の幼いわたしは知る由もなかったが、暗い神社の森の中から明るい都会に逃げ出したかったことだろう。今のわたしには、少年がいくつか年上の美少女雪乃に焦がれ逃避したかった気持ちもわかる。

 戦争が終わると、疎開児童引率の教師は東京に逃げ出して消息不明、戻ることころのない少年たちは、地元のあちこちの家にもらわれるのだが、この劇の主人公の啓太少年は、オババ、雪之と共にどこかに逃走雲隠れする。
 それは少年の仲間への裏切りであり、裏切られた社会からの逃避であり、一方、戦争に右往左往する中心から超然としていた周縁のオババの土俗世界があり、オババによる海尊の血の系譜継続の陰謀と表裏をなしていた。

●第3幕1961年

 第1幕から16年後、舞台の場所は移って津軽のどこかの海に近い街の岬にある神社の境内。
 舞台には鳥居、拝殿、本殿が建つのだが、そのシルエットは立派な神社建築を見せているのに、わざとペラペラの書割りであることを誇示しているのが、カリカチュア的である。
 温泉町を逃げ出したオババ、雪乃、啓太3人のその後がこの神社にある。
第3幕の神社の舞台装置は書割の
骨組みさえ見えているペレペラ感


 公演を思い返すと舞台装置に限らず、この幕はすべてがカリカチュア的であった。登場人物の有様はいずれもファナティック、エキセントリックなのである。
 第1幕と第2幕では土俗な世界であっても、それなりにリアルな風景であり人物像であったのと比べて、あまりに対照的である。

 疎開児童だった啓太は、神社境内の掃除をするような下働きになっている。オババの孫娘の雪乃は、美少女から成長して妖艶な巫女となり、神社を事実上支配しているようである。
 オババは今はミイラとなり、第1幕の山中のあばら家にあった海尊のミイラはここの移り、それら2体の神社秘宝であるらしい。その秘宝の公開でもって神社は町の観光名所になっており、東京から観光団体がやって来る。
 東京に戻った疎開児童の豊が、啓太を探して来訪して二人は再会、その会話で今の状況が露わになってくる。

 雪乃は啓太の子を産んで、海尊の血をつなげたいとしたオババの陰謀の通りになっている。だが啓太と雪乃は夫婦ではなく、その関係は女王と奴隷の間柄の様だ。腑抜けになって雪乃にまとわりつく啓太は、今も逃避を続けている。
 雪乃はオババの構想を見事に現実化して、あの山中からこの由緒ある神社に海尊のミイラを移動して安置し、それにオババのミイラも並べて、自信満々の若オババの様である。どうやら奔放な性的行いもうかがえるのは、オババと同様である。

 オババの頃のあの土俗きわまる山奥から、ここ観光名所として大きな神社に移り変り、社殿は立派らしいが妙に軽やかに存在している。
 1960年安保闘争から1964年東京オリンピックへと喧騒な中央の空気の一部が、津軽の最果ての地にも片鱗を見せて、団体観光客が一様な姿でお仕着せツアーにやって来る。
 日本のマスツーリズムは1960年代に始まり、70年代からはノーキョーと言われる海外旅行ブームになるのだが、まさにこの舞台に登場するのはそのような始まりのころの旅行客である。土俗世界も変容する。

 だが、登場人物たちの奇矯さはどうだ。妖艶にして驕慢なる支配者然とふるまう雪乃、その雪乃に下男扱いされて悄然と従うばかりの啓太、宮司補の海を渡って大陸への逃避行の奇矯さ、東京から再訪した豊もまた雪乃に翻弄され、団体観光客の一様なる腑抜けさ、どれもこれもエキセントリックであり、カリカチュアでさえある。

 この演出はいったい何なのか。
 しかも最後の最後に、啓太は突然現れた常陸坊海尊に、おまえも今や第4の常陸坊海尊になったのだと告げられて、その魂を救われてエンディングとなる。これはなんだ。

●この演劇は夢幻能だ

 わたしはここで突然に気がついたのは、この演出はどうやら能に寄っているらしい、ということだ。この最後の突然の主人公の魂の救いは、能の得意とする納め方である。
 死んでも悩み苦しむ主人公を、ワキの僧が祈って成仏させて終る能が、有名な能で例えば「砧」「清経」「藤戸」等いくつかあり、エンディングパターンのひとつである。
 信仰心の無いわたしには、いかにも不自然な終わり方といつも思うのだが、この啓太への救いはまさにそれである。
 
 だが、啓太にとってそれがなぜ救いであるのか。家族が全員戦災死したのに、自分は生き残ったという罪に意識にさいなまれる状況からの救いは、その記憶から逃げるのではなくて、それを積極的に語って後世に伝えることである。それが裏切り者の常陸坊海尊が時を越えて語ってきた生き方である。
 秋元は知らないが、2011年3月11日の大津波による生き死にの別れにおいて起きたことと同様だろう。生き残った者は語ることでしか自分を癒すことはできないのだ。

 そう気がつくと、この演劇「常陸坊海尊」は、じつは能の「夢幻能」の構成を採っていると思えてきた。前場は第1幕と第2幕、後場は第3幕である。
 全体を通して登場するのは常陸坊海尊であり、能に登場する一所不住の僧どころか、時代さえも漂流する一時不住の僧だから、海尊がワキである。
 啓太はワキツレにしよう。前シテはオババ、後シテは雪乃である。

 だが夢幻能とするならば、前場は現在であり、後場は過去であるのが原則であるが、この演劇では前後が時間経過の順序になっているから、これは「現在能」の構成である。
 だが、考えてみると、後場を未来とする夢幻能もあって良いだろうと、新案を思いついたのだ。能にその実例はないが、あってもよいだろう。
 後場を、未来の夢の世界とすれば、そのエキセントリシティとカリカチュアを納得できる。なにしろ夢なのだから。
 では誰の夢なのかといえば、能の基本ではワキの見る夢であるが、ここではむしろオババの見る夢をワキが見させられたとしよう。

 この演劇を能の影響下にあるとみるのは、あながち的外れではないようにも思う。それは第3幕に能そのものがナマで登場するからである。宮司補が突然に謡い舞うのは、義経物の能「屋島」の一部である。
 秋元は能を意識してこれを書いたことは間違いないが、常陸坊海尊はそこには出てこない。

 人物のエキセントリシティを能で解釈すれば、多くの枝葉を切り捨てて抽象化の結果表現であるともいえる。
 またカリカチュアライズは、秋元松代はオリンピックのカラ騒ぎの中でこれを書き、高度成長初期の高揚のむなしさを撃ったのであろう。
 だが前半には、戦争のむなしさを撃つ何かが見えなかったのは何故だろうか。戦意高揚教育をしながら敗戦と共に逃げ出した教師だけに、それを負わせるはちょっと軽いと思う。


 ところで、能楽に常陸坊海尊が登場するかと調べてみたのだが、「義経物」と言われる能は33演目もあるとされ、わたしが見たことがあるのはその内の7演目である。
 それらの内で義経と共に登場する家来は、武蔵坊弁慶の場合がだんぜん多いが、ほかに家来を大勢(11人)連れて登場する演目は「安宅」と「接待」である。
 そこにはとうぜんに常陸坊海尊もいるはずと能謡本を読んだら、「安宅」にだけ「常陸坊」とのみ記してある。その他大勢のひとりの扱いである。
秋元松代「かさぶた式部考 常陸坊海尊」
河出書房新者1982年

 わけのわからない演劇を、こうやって自分流にようやく読み解いたら、観劇から18日も経っているのであった。能よりも見方が難しい。
 この間に秋元松代著「かさぶた式部考 常陸坊海尊」(1982年河出書房新社刊)を数回読み返しもした。舞台を聞いてもよく分らない津軽弁を本で解読した。
 考えようによっては、観劇料金5500円をしっかり取り戻したかもしれない。(2019/12/23)

2019/12/21

1431【怪しいハイテク】携帯電話機もプリンターもPCも雁首並べて取替え要求とは??

 電話機屋から郵便が来た。10年間使った携帯電話機を、「修理受付終了」、「スマートフォンに取り替えろ」、「代金は1万円~2万円off」なんて、一方的に勝手なことを通知してきやがって、プンプン。


 バカヤロ、そっちの勝手で受付終了するんだから、新しい携帯電話機をタダで寄越すのが礼儀ってもんだろ、高い機種の高い通信費に変えさせようって、こんなことを公正取引委員会とか消費者庁は、黙っていていいのかい?
 スマートフォンなんていらないんだよ、単なる携帯電話機でいいのだよ、それで10年間通用してきたんだから、ネットつながりはノートPCタブレットで十分なんだよ。

 ところがそんなところに、こんどは、そのノートPCのWIN7が、来月14日にサポート終了と告げてきた。
 7年使ったウチの7を、10にヴァージョン変更できるんだろうか、これまた3台目のPCを買うべきだろうか、バカバカしいなあ、棄てるにカネかかるし、ごみ増やしてもなあ、、、。

 実は今月初めにはプリンターが、もうすぐ廃インク一杯になって、動かなくなるぞって警告してきた。
 その修理代金12000円と言うから、1万円以下で新品を買うかと思案中だが、そうするとウチに3台もプリンタがあることになり、この無駄の解決方法は高くても修理するかなあ。
 なんだよお、泣き面をハチが3匹も襲ってきたあ~。

2019年末におけるわたしのハイテク機器集合記念撮影
このうちプリンタふたつとももうすぐダウン警告来襲中
ノートPCはWIN7メンテナンス放棄の警告来襲中
このうち3つはスマートフォンにできるなあ

 それにしても、この2019年の終り近くになって、ウチの最新兵器がどんどん最古兵器に変身を告げてくる、いったいなにごとが起きてるんだろ?。
 こうなったらこの次はたぶん、「あなたの身体は、修理受付終了となります。スマートボディへのお取替えを、ご検討下さい」との通知が、docokaから来る違いない。
 そうなれば故障ヨイヨイボディには、携帯電話機もPCも不要だよな、うん、これが解決の一番の近道かな。

2019/12/08

1430【東京徘徊】大変化中の渋谷駅をちょっと見てヘタクソぶりを面白がるイチャモン

 一昨日(2019年12月6日)のこと、渋谷駅の外に出た。1年2か月ぶりである。

●このヘタクソ建築家は誰だ
 東急東館のあったところには、スクランブルスクエアなる名前の超高層ビルが建っていた。東横線地下駅を出て、地上に出てから銀座線に乗るには、このスクランブルスクエアを通り抜ける。(上図の赤丸の現在地表示のあたりから上方へ)
 このときにJR線渋谷駅を乗り越えるために、スクランブルスクエアのエスカレーターや階段のホールを通りぬける。ところが、このホールあたりの建築的処理のあまりのヘタクソさに、しげしげと見入ったのだった。
 これはインスタレーションかしら?
キモチ悪い

不器用を建築にしたような

オサマリ悪いなあ

 ヘタクソさを口で言うのは難しいが、縦横斜め上へ下へと部材が交叉していて、構造的にも意匠的にもいかにも現場当りやっつけ出たとこ勝負の仕事なのである。現場でツギハギするのを、木切れじゃなくてサッシとガラスと鉄骨でやった、としかみえない。
 いや、今どきだからコンピューター使って、あの複雑珍妙なデザインを克服したのだろうが、口では言い難いがどう見ても素人が増築した家にしか見えない。
 インスタレーションならテンポラリーなものだろうが、これはしっかり建築らしい。
なんじゃコレ
建築家と言うものは、このような複雑な空間でも、スマートに解決して納めて見せるのが腕前であるはずだがなあ、
どうなってんだろ、今どきの建築家は? 
このデザインした建築家は誰なんだろうか、あのヘタクソ建築家クマさんだって、もうちょっと上手にやるだろうになあ。
 デタラメに行き交う部材を眺めて、しばらく楽しんだ。

追記20100109
 この建築の名前が「Scramble Square」と言うのだが、建築意匠は上に見たようにデタラメだし、電車乗換径路は何が何だかわからない迷路だし、たしかに上手い名前を付けたというか、名前に合わせて設計したのか、「ゴッチャゴチャの2乗」とのネーミングに感心するばかりである。

●ボケ防止には渋谷駅へ
 渋谷駅はこのところ数年がかりの大普請中で、シッチャカメッチャカのヤッチャ場だから、1年余り敬遠していた。
 うっかり駅の外に出て電車を乗り換えようとすると、行くたびに通路が変るし、階段やら昇降機の位置がわからず、ウロウロウロウロ。
 足の運動にはなるのだが、どこに拉致されるか分からない。
 
 地下深く潜った東横線渋谷駅から、地上髙くにある地下鉄銀座線に乗り換えるためには、右や左や上へ下へと移動して、山岳冒険の森と言うか、立体迷宮というか、探検状態となり、実はけっこう楽しい。
 渋谷駅で乗り換えようとするヒマな年寄りには、電車賃だけの低価格で、ボケ進行遅延アスレチックステーションなので、なんともはやありがたいことだ。
 
 渋谷駅に大きな変化が起きていることは、SNS情報でそれなりに刻々と知っているのだが、3年ほど前に地上に出て乗り換えの超面倒くささを経験してから、地上に出るのを敬遠して、このところ地下で乗換ばかりやってきている。
 でもそれだと、なんだか地上の世界から取り残される浦島気分になってきたので、14か月ぶりに冬眠から覚めた蛙のように、こわごわと渋谷駅の地上外界を見てきた。

●土木と建築のデザイン競争はどちらが勝つか
 乗り換えで30分ほど観ただけだが、総じてJR渋谷駅の東側が大変化したが、その西側はまだらしい。
 東横百貨店の西館の建物はまだ建っていて、地下鉄銀座線渋谷駅を支えているが、店舗営業はやめたらしい。
東横西館は健在、右下は銀座線渋谷駅移転先工事中の屋根
あの面倒くさいJR線上空東西山越えルートはまだ健在で、東横西館からの銀座線への乗り換え階段の、バリアだらけの風景がなつかしかった。

銀座線駅ホームも移転改造が迫ってきているようなので、今のあの太い柱が邪魔な狭いホームに黄色電車風景も、もうすぐなくなるだろうと写真を撮った。でもわたしは鉄チャンではないよ。
今の銀座線渋谷駅ホーム
現銀座線渋谷駅ホームの移転先の屋根



現銀座線渋谷駅ホームとその上の東横西館

 今渋谷駅は建設工事を眺めるには面白そうなところである。大きな土木の構造物のデザインと、超高層建築のデザインとの競演を見ることができる。
 渋谷駅で土木構造物は、なんといっても空中を飛んでいる高速道路だろう。これができてもう30年くらいたつだろうか、ディビダーク工法とかって、左右から長大キャンティレバーで構築する様子が面白かったし、できあがった姿もダイナミックで美しい。
 ところがある時、そのダイナミックなコンクリート構造物に、ギンギラのステンレスを貼りつけるバカなことをやったのが、今の姿である。
左の高速道路構造物脇腹にギンギラ銀紙
ダイナミックな高速道路と繊細な歩道橋のとりあい


その高架の下にある、歩道橋がすっかり姿を変えてできていた。
 以前は、必要なところに必要な形で作りましたって、なんとも不細工なツギハギ姿だった歩道橋が、サークル状に結ばれてスマートな橋となっている。
 なかなかよろしいのであるが、頭上の高速道路の高架がダイナミックだが、チトうっとおしい。

 そういえばこのデッキから駅につながる一部に、かつての東横線駅構内のような空間を作ってあった。あの丸っこい菱形が並ぶ壁面、鉄骨アーチが連なる天井、鉄道レールを埋め込んだ床など、再現とも言えないがそれらしいつくりである。でももうちょっと何とかならないかなあ、なんとなく遠慮デザイン、まあよいか、、。
旧東横線渋谷駅ホームと線路のイメージ継承のつもりらしい

床にレールを埋め込んでいる ちょっとおざなりだよなあ

 渋谷駅東駅前広場の上空を跨いで駅とヒカリエを結ぶ歩行者デッキは、東急文化会館時代からなかなかに良いものだったが、今回はすっかり架け替えられていた。これもなかなかによろしい。
 土木構造としてはどうなっているのか、しげしげと見たがよく分らない。どうやら大スパンを天井の上にある大梁一本で飛ばしていて、そこから歩行床を吊っているらしい。やるものだなあ。
通路天井を縦に貫通する大桁から床を吊っているのかしら

 この歩廊の北に見える銀座線駅の土木的デザインも、まだ囲いがあって良く見えないが、なんだかダイナミックのようで期待する。
 東駅広場上空を飛ぶ高速道路、歩道橋、鉄道高架、そして駅前広場などの土木デザインがこれから完成形を表すと、どんなダイナミックな風景になるのか楽しみである。

 総じて建築はたいしたことないようだが、土木は面白そうだ。これまでは敬遠していたが、これからはちょくちょく外に出て乗り換えして探検もよいなあ、と思った。
 
参照:これまでの渋谷の記事
●2018/10/09 https://datey.blogspot.com/2018/10/1165.html
1165【渋谷アスレチックステーション】久しぶりに渋谷駅から外にでてみれば高齢者の足腰を鍛えるサービス充実を再確認
●2016/11/18  https://datey.blogspot.com/2016/11/1133.html
【東京・渋谷駅定点観測】日夜どんどん変わりゆく渋谷駅で老人はウロウロ、立体迷路のどこかから三途の川と黄泉の国へつながってるかも
●2015/03/12 http://datey.blogspot.com/2015/03/1066.html
ただいま渋谷駅は巨大な立体迷路遊園地かつ健康ウォーキングランドでバリアフリーくそくらえ
●2013/03/28 https://datey.blogspot.com/2013/03/746.html
玉久三角ビルから東横デパートへと渋谷の変わりゆく姿を追う
●2012/05/08 http://sites.google.com/site/dandysworldg/sibuya20120508
渋谷駅20世紀開発の再開発時代

2019/12/07

1429【フェイクバッカ11月狐乱夢】政治家策士、鳥居、新港埠頭、寿ドヤ街、SDGs、公害表彰、

11月1日 エグジットばやり
マラセグジット、英語民間テステグジット、ダイジネグジット、次はオリンぺグジットだな

11月2日 なるほどなあ、政治家は策士であれ?
 ある政治家、実は賛成でないある施策を管轄する政府機関のトップに任命された。
 実施の土壇場まで来ているその施策を、権限を発揮して取りやめ指示できるが、それでは権限乱用と官僚からも世間からも非難されるだろう。
 そこで採った策略が、その施策に関して誰でもわかる失言をすることだった。策略は見事に当たって、マスコミも世間も非難ごうごう、政府もその施策を一時的にも延期せざるを得なくなった、そう、作っておいた落とし穴に導いたのだ。
 身を捨てて実を取る、さすが政治家たる者は、こうでなければなるまいか、なあ?

11月2日 ご近所探検:もしかして鳥居の意味を知らないのかも
公園で発見、よく見えるように目の高さだが、そこじゃあ高すぎて小便無理ですよ、普通は筒先が狙う足元に表示しますがねえ、もしかして鳥居マークの意味を知らない人が貼りつけたかな。ミミズとか鳥居の根元に小便そそぐと、腫れちゃうんだよね、、、

11月5日 伊達の眼鏡ブログ新記事:横浜新港に新埠頭開設
 さて、ここの港湾の歴史を物語る遺産、ハマーヘッドクレーンを見に行こう。だが、新ビルの陰になってしまい、知っていないとそんなものがあることは、ほとんど分からないのだった。
 新ビルの横をトコトコ歩いて裏に回ると、殺風景な広い駐車場があり、そのむこうの水際に健在であった。お懐かしや、お元気ですかあ、いやもう死んでいるんだな。
 レンガを砕いた赤土舗装(?)の空き地に巨大な古鉄骨組物、これでもし錆びていたら、けっこういい雰囲気なのだが、残念にも?ピカピカにペンキ塗り修理してあった。

11月11日 人間と自然のシンギュラリティとでも言うのかしら

11月14日 伊達の眼鏡ブログ:横浜寿地区ドヤ街は超過密空き家街
ご隠居:ドヤ住人数とドヤ部屋数と較べると2600室も空いている。
熊五郎:びっしりとドヤビルが建つから通風も日当たりも悪く、狭い3~4畳間で暮らしてる、しかも約6ヘクタールの寿地区に5700人だとヘクタール当たり950人って超過密、それなのに実は空き室だらけって、なんだかひどく矛盾してますね。

11月14日 まあ、どうでもいいけどね、


11月15日 SDG'sってな~に?
SDGsとて、プラスチックストローやめて木製ストロー、値段100倍、使い捨てだってさ、なんかオカシイなあ??、え~と、昔にも聞いたことあるような、あ、そうだ割り箸だよ、あの騒ぎはいったいどうしたんだろ、そもそもストローなんて昔は使ってなかったよ、なくてもいいんだよ、やめっちまえばいいでしょ。どうしてもというなら、わざわざ木を伐って作らなくても、里山には笹竹がいっぱい生えてるよ、切ればそのままストローだよ、山村ジジババ小遣い稼ぎになるかもよ。

11月18日 横浜徘徊大発見:都市公害元凶が表彰されてる
元町商店街の裏にある堀川には、高速道路が上空に被さっている。ふらふら歩いていて大発見!!、「この高速道路は、地域環境に調和し、景観に優れ」ているとして、土木学会から表彰されていたんだあ!!、そうでしたかあ、わたしはこれまで、何という不細工で邪魔なモノ、騒音と排ガスふりまく悪環境元凶、こんあところを通しやがって、まったくヘタクソ土木屋め!、、、と思っていたけど、そうでしたかあ、田中賞受賞かあ、ゴメンナサイ、スミマセン、そんなに環境に調和し美しい景観でしたか、そうかあ、あらためて見れば見るほどさすが都市デザインの先端を行く横浜都心にふさわしい土木デザインですねえ、ほお、はお、へえ、


11月19日 意味が分からなくなる外来語発音
TVを一切見ないで、NHKFMラジオ放送を聴く。
でも、発音がヘンで、言ってる単語の意味が分からないことがある。しばらく考え込んで意味を探して、あ、そうなんだ、と気がついたらラジヲの語りはとっくに終わっている。
例えば、こんなのである。
「LINE」を「裸淫↑」と発音、え、英語の「line」と同じじゃないの?、
「リスナー」(たぶんlistenerのこと)を「リスナー↑」と言うし、
「ディスク」(たぶんdiskのこと)を「ディスク―↑」と言うし、
「クラブ」(たぶんclubのこと)を「クラブー↑」とか、
「サーバー」(serverのこと)を「サーバー↑」とかね。
 総じて外来語の発音は、なんとなく尻あがりイントネーションで、これって関東東北方言のようだなあ。関西じゃあどう発音するのかしら。
 わたしは英語しゃべりじゃなないけど、たまたま発音を知っていると、聞いただけでは意味不明。

11月22日 冬も野分かよ~、勘弁してよ

11月23日 不景気を売り物の商売か?
いま「ブラックフライデー」なるものが流行とか、なるほどそうかい、1929年ニューヨークから起きた大恐慌がブラックサーズデー、1987年10月19日月曜日に、香港から起きた大恐慌がブラックマンデー、いままた香港が危ない、こんどはブラックフライデーかい。

11月25日 ローマ教皇のおしゃべり
言っていることはぜんぜん目新しくもないのに、なんで大ニュースになるんだろ?、でも核兵器廃絶を言いながら、その弟分の核発電廃絶を言わないのは、なぜ?

2019/12/03

1428【新語・流行語ベストテン】半分しか知らないけど知っててもなぜ新語流行語なのか分らない

 今年の「新語流行語」ベストテンなるものが発表された。
 いつものように、自慢するけど知らない言葉ばかり、知らない原因は十分に分かっていて、わたしはTVを見ないからだ。新聞とネットの社会しか知らないと、こんなもんである。

×大賞「ONE TEAM(ワンチーム)
 なんか知らないが、何かを一緒にがんばってるとかって、災害とかの現場美談だろうか?

◎「計画運休」
 これは知っているけど、これって新語・流行語なのかい、昔からあるでしょ、選んだ人が知らなかっただけのような気がする。

◎「軽減税率」
 これも知ってるけど、これって新語・流行語なのかい、昔からあるでしょ、複雑きわまる軽減の仕方で、わたしはいまだに軽減の恩恵に浴したことがない、軽減じゃなくて「不公平税率」だぞ、バカヤロ

×「スマイリングシンデレラ/しぶこ」
 ナンダこりゃ。

×「タピる」
 ナンダこりゃ。

△「#KuToo」
 よく知らないけど、#MeTooを真似して、痛い靴のことらしい。靴ごとき、痛けりゃ履き替えりゃいいだろ。

×「◯◯ペイ」
 U.S.Aにイオ・ミン・ペイという建築家がいたなあ、もう死んだからこの人のことじゃないよね。

◎「免許返納」
 年寄りになったらボケて自動車運転で事故る前に免許を自主返上して不免許にするってことでしょ。こうも年寄りが多くなると、ボケてるやつも多くなるから、事故が多くなるのは当たり前でしょ、突然に多くなったわけじゃないのに、新語とか流行語って言うのがオカシイ。

◎「闇営業」
 芸人が所属事務所を通さないで仕事することを言うと新聞で読んだことがある。流行してるんですか?、ずっと前からやってたんでしょ?、なんで新語・流行語なの?

◎「令和」
 もちろん知ってますよ、あんなにマスコミが宣伝するんだもの、宣伝しすぎですよ、まあ、これこそ新語・流行語ですな。それにしても、この前は「屁せえ」だったから、今度は「ウンせえ」に違いないと思ってたのになあ。でもなあ「冷WAR」なんて米中冷戦時代が来るのかな、きな臭い元号だねえ。
  参照 https://datey.blogspot.com/2018/04/1331.html

 ということで、今年は10件中5件を知っていて5点、やっぱり落第ですね。
 昨年までの成績は2018年4点、2016年6点、2015年6点、2014年2点、2011年7点、2009年5点であった。
  参照 https://datey.blogspot.com/2018/12/1170.html



2019/11/13

1427【横浜徘徊】横浜寿町ドヤ街ではこれまで増えてきたドヤ数もドヤ居住者数も頭打ちになりどう変るのだろうか

●寿地区に市の新しい施設が建った
熊五郎:やあ、ご隠居、生きてますか。
ご隠居:おお、熊さんかい、まあ、おあがりよ、ああ、生きてるよ、ちゃんとね。
:ひと月余り前から腰が痛いと寝てたけど、治りましたか。
:ああ、いつものように念力で治したよ、だから黄金町にアート展を観に行ったし、久しぶりに簡易宿泊ドヤ街の寿町あたりの徘徊もしてきたよ。
横浜市中区の寿地区俯瞰全景
:そりゃ良かった、で、久しぶりの寿地区はどうでしたか。
:つい先日、寿地区で地域活動する専門家のガイドによる見学会に参加して、ちょっと詳しく実情を知ったね。
:そういえば、寿町に近ごろ大きなビルが建ったでしょ。
:あれは実はもとあった市営住宅や福祉施設が古くなったので、機能を見直して建て直したのだそうだよ。
:じゃあ、マンションとか、おっとご隠居はマンションって言葉を嫌いで共同住宅ね、あるいは高層ドヤビルとか、ホテルとかですか。
:いやいや、横浜市の施設だからそうじゃないよ。寿地区がかつては若い日雇い労働者たちの街だった時代につくった施設だけど、今は社会的援助の必要な高齢者たちの街になったので、それに対応する施設に建て直したのだね。市営住宅も家族向けを多くしてね。
中央の高いビルは市営住宅、右は民営簡易宿泊所ビル、手前は飲み屋街

横浜市寿町健康福祉交流センターと市営住宅

:それで街がなにか変りそうですか。
:さあ、歩いてみてるだけのわたしには分からないけどね、施設はかなり開放的で、寿地区の簡宿滞在者が大勢たむろしてたよ、近隣の人たちも入り易い様な気がしたね。
:じゃあ、ご隠居も徘徊中はそこで休憩してはいかがですか。
:そうだね、だれでも利用できる広いラウンジや図書室コーナーがあるからね。

●寿地区のドヤもドヤ住民も減少傾向
:ドヤという貧困ビジネスは相かわらず繁盛のようですか。
:この数年は寿地区を訪ねるたびに高層の簡易宿泊所いわゆるドヤのビルが新しく建っているから、簡宿は景気よく増えていると思っていたんだがね、どうも違う感じなんだよ。
:ほお、不景気ですか。
:それはなんとも言えないけど、今回は地域活動しているNPOの方に話を聞き、資料をもらったのでそれを見ると、簡易宿泊所はこのところ減少して停滞気味らしいのだよ。ほれこの寿地区の統計グラフをごらんよ。
「横浜市寿福祉プラザ業務概要」より引用
:ほほお、ドヤビルの数とドヤの部屋数の経年変化ですね、おや、2010年まで増え続けてピークには8800室もあったのが、去年は8300室に減ってます、この傾向が今後も続くのですかねえ。
:さあ、どうなんだろうかねえ、もうひとつ、こちらの寿地区の宿泊者数のグラフをごらんよ、宿泊と言っても実は寿地区ドヤで暮している人たちの数だよ。
「横浜市寿福祉プラザ業務概要」より引用
:おお、こちらも減ってきていますね。1998年がピークで約6500人、それが20年後の2018年には約5700人になっていますよ。どうしてなんでしょうかねえ。
:わたしにはわからないけど、日本の人口減少が及んでいると考えるのは早計だよな。福祉政策が進んで簡宿ドヤ暮らしから抜け出る人が増えた、あるいはドヤ暮らしに入らないでも暮らす人が増えたとか、それならむしろ良いことだよね。
:でもねえ、ドヤ暮らしの人の9割は生活保護受給者しかも高齢者ですから、簡単には抜け出られないような、どうなんでしょうかねえ。

●空き室だらけ過密居住という奇妙さ
:宿泊者数と宿泊部屋数と較べると2600室も空いていることになるけど、これじゃあ空き家だらけの街だね。
:そうなるけど奇妙ですねえ、びっしりとドヤビルが建つから通風も日当たりも悪く、狭い3~4畳間で暮らしてる、しかも約6ヘクタールの寿地区に5700人だとヘクタール当たり950人って超過密、それなのに実は空き室だらけって、なんだかひどく矛盾してますね。この受給アンバランスでドヤ商売の経営も沈滞ですかねえ。
:ところがそうとも言えない感じで、このところ寿町地区のあちこちにで古い中層簡宿ビルを高層簡宿ビルに建て直してるよなあ、それでエレベーターがあり車椅子に対応できる新しい簡宿に人気が出ているらしい。
新旧の簡易宿泊所ビル
:そうか、ドヤ住人が高齢者ばかりになって、古いドヤでは暮らしにくい、となると空き室の多くなる古いドヤビルの建て替えがもっと進むかもしれませんね。でも、ドヤビル商売そのものは不動産業としてどうなんでしょうね。
:簡易宿泊所稼業は不動産営業としては、普通のホテルや賃貸住宅よりも賃貸収入が高率だし、生活保護費から宿泊料の取りはぐれはないし、いい商売のようだよ。
:じゃあドヤ需要が伸びなくても、ドヤの新旧入れ替えと集約的な新陳代謝が起きるでしょうね。
:そう、特に寿町地区では、戦争直後に安く買った土地の地主がドヤビル事業主だから、建物は古くて減価償却してるし、新たな土地投資がないので、建て替え投資しても経営的にはよい商売だろうねえ、たぶん。でも需要が減っては仕方ないから、なにか転換が起きるかもしれない。

●寿地区にゼントリフィケーションが起きるか
:今後は簡宿所の数が減っていくとしたら、寿地区もあらたな動きになる可能性も出ますね。例えば不動産デベロッパーが地上げして、なにか新開発をするとかね、だってここは横浜都心の便利なところですから、潜在的開発能力を持っていますからね。
:う~む、どうなんだろうねえ、もうちょっと見ないと何とも言えないねえ。
:ふ~む、寿地区のイメージを転換するには、まだ時間がかかりますかね。でも、地上げ型の不動産開発で、例えば分譲マンションいや共同住宅ビルが進出してくるとなるとゼントリフィケーションが起きますね。
:あ、そうだね、それでドヤ住いの人たちが追い出されて、しかもどこにも行くところがないとなると、社会問題が大きくなるね。
:寿地区って、都市レベルの社会的セイフティネットの役割を持ってますから、きちんと別の受け皿がないままに、経済原則に押されて無くなっては、困ることになりますね。
:そういえば先日、寿町に大きな空地ができていたよ、あそこになにができるのだろうかねえ。
寿地区の状況と空き地となった場所(赤四角部分)
空き地になる前はこのような下駄ばき住宅ビルだった

上のようなビルが取り壊されておおきな空き地になった
:え、ドヤビルの再開発ですか。
:いや、70年代からだったかねえ、当時の日本住宅公団いまのUR都市再生機構がね、各都市の都心部で土地を持つ企業と協力して、下層階は企業所有施設で事業をして、上層階に公団住宅を載せるという「市街地住宅」ビルをたくさんつくったのだよ。この寿町で空き地になったところは、その仕組みで建てたビルがあったのだよ。たぶん昔からの港湾関係の企業だろうね。
:ということは、URがそこに新しい住宅ビルと建てるとか?
:いやそれはないだろうね、たぶんURは撤退して地主企業が何かを建てるのだろうね。細分化されている寿町の民有地の中では、あれほど規模の大きな空地出現は珍しいから、なにができるのか興味あるね。
:いまさら超高層ドヤビルってことはないですね、高層マンションかな。
:う~む、高層共同住宅ビルってのも、どうかねえ、寿町地区の外殻の幹線道路沿いには、高層共同住宅がいくつか建っているけれど、この空地はちょっと内側でドヤに囲まれているからねえ、一般住宅としては売れにくいかもなあ、いっそのことホテルはありうるかなあ。

●寿地区に大学サテライトキャンパスを
:そうだ、ドヤも頭打ち傾向が見えるのなら、いっそのこと一足飛びに、まったく新しい機能が入ってくればいい、それを契機にドヤ街イメージを払拭するんですよ。え~と、例えば大学ってのはどうです。
:お、すごいこと言うね、う~む、大学のサテライトキャンパスならありうるかもね、いや、無理かな。
:ホラ、関東学院は公園通りの教育文化センター跡地に、そして神奈川大学もMM21に、それぞれ建設中ですよね、となると残りの地元大学なら、横浜市立大学か横浜国立大学ですね。
:そうそう、いいねえ、そもそも大学が都心部にサテライトキャンパスを持つのは、30年ほども前から流行が続いているけど、集客目当ての駅前立地なんて商業施設みたいな考えだよね、大学が都心立地をするなら、その立地によって地域の課題を解決するという社会的目的も持ってほしいよ。
:その点では、解決すべき社会的都市的課題を抱えている寿町地区に、大学がキャンパスを構えることは大いに意義があると思いますね。地域に入って問題に対応する大学って、いいですねえ。
:もっとも、大学が勘違いしてゼントリフィケーションに与するかもなあ。
:それは困りますね。
あ、そうだ、2000室も空いている簡宿の部屋を、大学の施設にリニューアルするってのはいかがかな。
:おお、それなら今すぐにでもできるなあ、街に溶け込んだ大学キャンパスって、いいなあ、横浜市大・国大寿町キャンパスを期待しましょうかね。
:まあ、今のオーナーがどういうかは、全く分からないけどね。

●環境悪化大原因は中村川の高速道路
:先日の見学会で10年ほど前に泊った簡宿の中に入ってきたよ。綺麗にリニューアルされていたよ。
:あ、寿地区のあちこちのドヤの空き室を安宿にして運営しているホステルビレッジですね。そうですか、広い部屋でホテルみたいになってましたか。
:いやいや、間取りは相かわらず3畳間で便所共用、コインシャワー、エレベーターなしだけどね、ちょっと内装を変え、ベッドを入れたりしてたね、外国人客が多いそうだよ。
以前に泊まったと同じタイプの宿泊室

コテコテ装飾した宿泊室の中廊下
:あの運営してるホステルビレッジは、繁盛してましたか。
:前はいくつかの簡宿をホステルに運営していたけど、いまは一軒だけの上層階40室ほどだけというから、あまり展開していないらしい。でも外国人が多く利用するので、それ自体は繁盛している様子だったよ。
:ほお、安宿を探す外国人なら地域偏見はないだろうから泊まるでしょうね。でもあの狭さや過密さに辟易しないのかしら。
:そうだねえ、以前にその簡宿に泊まった時に部屋の窓を開けると、目の前がいきなり隣の簡宿の窓で驚いたけど、先日は中村川の側の窓を開けてこれも驚いたね、こちら東南は道と川だから良い環境かと思えば、目の前に高速道路がガンガンと騒音と排ガスを振りまいているんだよ、眺めが悪いなんて言う前に、とても人間が住む環境じゃないね。
簡宿の窓の外は中村川上空の高速道路が大騒音

寿地区の隣りの石川町では高層共同住宅を高速道路がとぐろを巻く
:そうそう、寿地区ばかりじゃなくて、中村川と堀川沿いには一般の共同住宅ビルがたくさん建ってますが、都心部の同じ川でも大岡川沿いと比べると、あまりにひどすぎますね。あの高速道路は寿地区ばかりじゃなくて、関内と関外地区つまり横浜都心部の環境悪化のガンですよ、
:中村川の高速道路は、都市計画当初案では大通公園を通る様になっていたのを、こちらに変更したんだよ。
:え、そうなんですか、どうしてこっちに変えたんですか。
:この高速道路を決める当時の飛鳥田市長が反対して、当時のその懐刀だった田村明局長がこのルートに変えたんだよ。だから今じゃあ大通り公園沿いにも高層共同住宅が建っているけど環境いいよね。
:どんな事情があったか知らないけど、中村川のあたりは被害者ですね。あ、そうだ、東京の日本橋では川の上の高速道路を地下に潜らせる計画が進んでいますよ、同じ首都高だからこちらも地下にしてもらいましょうよ。
:それがいいね、石川町ジャンクションもまったくひどいもんだから、あれも含めて高速道路全部を山手の丘の地下にもぐらせるといいね。そうすれば都心部に山手の緑の眺めが戻ってくるし、堀川と中村川沿いにも桜を咲かせたいねえ。
:寿町ドヤ街から話がそれたけど、考えてみればそれも寿地区の都市的環境改善の大きな方向ですよね。
:皮肉な見方をすれば、寿地区のゼントリフィケーションを防止してきたのは、この高速道路かもしれないね。

●これまでに書いてきた寿地区の話
2019/09/27・1421都市プランナー田村明の呪い…いつだれが解くだろうか(中村川上空の高速道路の酷さ)
https://datey.blogspot.com/2019/09/1421.html

2019/01/05・【2019初徘徊は寿町】B級横浜ガイド・寿町・松影町あたり:デラシネ日雇労務者が高齢化定住した貧困ドヤ街
https://datey.blogspot.com/2019/01/1180b.html

2018/12/19・【寿町の繁栄】貧困で超高齢化する日本の縮図のようなこのドヤ街は縮図どころが拡大しているような
https://datey.blogspot.com/2018/12/1173.html

2018/02/12・不良共同住宅ビル→不良民泊共同ビル→空き家ビル→ドヤビル:不良住宅再生産ドミノ現象の街
https://datey.blogspot.com/2018/02/1317.html

2015/01/05・横浜寿町ドヤ街は新築高層ドヤ建築が林立して周辺へも拡大中にて貧困ビジネス繁盛
https://datey.blogspot.com/2015/01/1046.html

2009/02/16【横浜ご近所探検】哀しきは寿町といふ地名と詠むホームレス歌人  

2007/09/03・横浜寿町ドヤ街宿泊体験記