2019/02/26

1389【浜離宮庭園の景観変容】(その5)築地市場跡地は同じ東京都管理の浜離宮庭園に隣接するから総合的に都市計画を立案しているのだろうなあ

【浜離宮庭園の景観変容】(その4)から続く
景観戯造「浜離宮庭園景観どれが今どれが過去やら近未来やら」まちもり散人詠
:浜離宮庭園の西側の汐留開発は国鉄用地だったから、国政府が風景破壊したようなもの、こんどの築地市場跡地は東京都都有地、つまり自分が管理するこちらの都営の公園の景観を壊すのじゃないでしょうねえ。
:いま、都議会では築地市場跡地利用の方向を巡って都知事とあれこれやっているようだから、東京都の担当当局は専門家を使ってあれこれ計画してるんだろうね。そこには当然のことに都市計画の専門家もいて景観に関する検討もしているはずだよね。
:たとえば市場跡地に髙いビルを建てないとか、なにか考えているのでしょうかね。
:ちょっとネットで調べてごらんよ。
:はいはい、ありましたよ、浜離宮庭園の周りの街には、都市計画的規制というか、景観的な規制がありますね。周りに建てるには届け出が必要らしいですよ、それにビルの高さ20m以上については看板禁止らしいですね。
:あれ、シオサイトのビルの上の方にでっかく「コンラッド」とか「日通」とか書いてあったけどなあ。
景観コントロールで庭園景観が美しく保たれてはいないよね。それどころかか、空を埋め立てるばかりか、庭園の池の中にりこんでいて、大いに景観阻害してるよね。
:で、届け出るとどうなるのですかね。
:ああ、そうか、これまで見てきた西、南、東の景観の現状からすると、それが届け出て審査の結果だろうから、だから北側にも同じように超高層ビルが並ぶんだろうね。
:あのねご隠居、そのうちに技術革新で、髙くても目に見えなくて、池の水面にもぜんぜん映らないなんて、完全透明超高層ビルが建ちますから、待っててくださいよ、ハハ。
:ワハハ、ステルスビルってかい、ふん、何をバカなことを言っとるか。
:どうやったら日本庭園と調和する高層ビル群の景観デザインができるんですかね。行政も都市計画家も建築家も考えているのでしょうかねえ。東京都が雇っている専門家には、この景観のことを分っている専門家もがいるのでしょうかね。
:いや、いないような気がするねえ、いつものことながら都市計画でそこまでちゃんと考えないから、ヘンな建築が建ってきて目に見えてから市民が文句を言うんだな。
:都市計画の段階でのチェックを誰もしないで、建築になって初めて文句つけるが、その時はもう遅いってのが、日本の景観の運命なんですね、築地もそうなるんでしょうかね。ほかの公園ではどうなんですか。
:このような公園は東京にはいっぱいあるね。ずっとまえに東京や横浜の有名な主な庭園をまわってみて、こんな景観戯造の遊びをやったよ。
さてどちらが現実の風景でしょうか:東京・清澄庭園

さてどちらが現実の風景でしょうか:東京・小石川後楽園

さてどちらが現実の風景でしょうか:東京・小石川後楽園

さてどちらが現実の風景でしょうか:横浜・三渓園
:外国じゃあどうなんでしょうね。
:さあ、よくしらないけど、ニューヨークのセントラルパークに昔に行ったことあるけど、あそこは公園の周りが高層ビル群だった記憶がある。
:じゃあ、ちょいと行って写真撮って来ましょう、いやなに、グーグルアースですよ。
:そうか、便利になったもんだよなあ、どれどれ。
:あっちは浜離宮と比べて、あまりに広すぎて比較にならないけど、こんな写真でどうですか、まとめてGIFアニメにしましたよ。
ニューヨークのセントラルパークの景観 google earth
:う~む、セントラルパークは、日本式庭園の様に植栽や水がチマチマと縮景するのじゃなくて、広くおおらかな造り造園だから、ビル群との景観的な対応も無理がないような気がするね。
:そうですねえ、こっちはチマチマと手仕事の和菓子、あっちは大雑把に飾るクリスマスケーキみたいなもんですかね。

:あそうだ、庭園でも公園でもないけどセントラルパークなみの広い緑地が東京にもあるな。昔の江戸城、今の皇居だよ。ここは昔から覗き込みをタブーとされるお方が住んでるから、厳しい高さ規制が昔から行われているね。これは日本でも例外的事例だね。
:あ、そうですね、外から覗きこまないよう、中から外のビルが見えないようにって、なんだかんだって騒がれた歴史がありますね。いまも江戸城として将軍が住んでいたら、そうしたでしょうから、その点では歴史を継承していますね。
:築地跡地計画では跡地の中だけじゃなくて、隣接してしかも同じ地主の持つこちらの庭園も合わせて総合的な計画を立てるべきだね。特に景観としては、18世紀から20世紀の重層する歴史的景観に、21世紀の景観を重ねてさらに美しい歴史的景観を創り出してほしいもんだね。
:そうそう、日本庭園にいきなりビルを建てるみたいに木に竹を継いだ景観を生みだすのじゃなくて なにかいい方法はないんですかい。そうだ、瓦屋根付き超高層ってのはどうです、外装に木を気を使うとか、いっそのこと木造超高層ビルとかね。ちょっとやって見ましょうか。ほれ、ね、日本調でショ。
:ウワッ、ワハハ、そうか、浜離宮庭園はもともとは江戸城の出城だったんだからねえ、そうか、江戸キャッスルランドにするか~。
:ベタだねえ、ホントは皇居の中に江戸城天守を復元するってのが普通でしょうが、そこにはアンタッチャブルのタブーの空気がみなぎってるから、いっそのことこっちに建てようってのは、ちょっと面白いでショ。名古屋城に負けずに木造がいいでしょ。
:木さえ使えば良い建築なんて、デザインできない奴が言うことだよ、新国立競技場みたいにね、でもそういうのがホントにできちゃったりするから、コワイよな~。
:じゃあもうひとつ、こんなのはどうです?
:な、なんだい、でも何だか見たことあるような、、。
:へへへ、さっきご隠居が言ったから思いついたんですよ、例のザハ・ハディドの新国立競技場コンペ一等当選案ですよ。
:ワハハ、ザハハ、一等なのにあっちに建ててもらえなかったから、築地の隅田川の水べりに幽霊になって「うらめしやー」ってのかい、こりゃいいや、面白い、。
:ばかな戯造景観やって面白いけど、新たな時代の歴史的景観ってどんなものなんでしょうね。そうだ、この浜離宮庭園はどんな歴史があるんですか?
つづく

参照:【浜離宮庭園の景観変容】(その1)(その2)(その3)(その4

2019/02/25

1388【浜離宮庭園の景観変貌】(その4)浜離宮庭園の北側はまだ超高層の見えない20世紀の景観を保っているようだが、

浜離宮庭園の景観変貌(3)の続き

:では、こんどは北側だよ、どうだい、20世紀の風景か、いやもしかして江戸時代の風景かもね。
横堀に架かる海手お伝い橋から北を見る

潮入りの池(大泉水)のお伝い橋から北を見る
上のふたつの写真撮影の場所(赤矢印)パンフの案内図を北を上にした
:あれれれ、北側だけはこうなんですかあ、ほんとですかあ、あ、左にちょっとだけビルが見える。でも、これまで西や南や東とはとずいぶん違いますね。
:それじゃあ、どっちの写真も左の西と右の東の一部を入れて、パノラマにしてみようかね。
潮入りの池お伝い橋から北を見るパノラマ
左に西のシオサイト超高層群、右に隅田川を隔てて勝どき超高層群
横堀の海手お伝い橋の上から北を見るパノラマ 
左に西のシオサイト超高層群、右に隅田川を隔てて勝どき超高層群
:おう、おう、左右に超高層ビル群が控えていますねえ、
:参考までに海手伝い橋から左の方に頭を回して、西のシオサイトを見るとこうだよ。
海手お伝い橋から東のシオサイトを見る
:おお、こんな風に見えるんですねえ、北にも建つとこんなになるのかあ、ということは、この浜離宮の西でも南でも東でも東京で大流行の超高層ビル開発が、北側のあたりには及んでいないってことですね。こっちの北の外側の街には、超高層ビルを邪魔しているなにかがあるってことでしょうかね。
:おお、そうらしいねえ、ちょっと空中から北を覗いてみようか。
下中央に浜離宮、左の西にはシオサイト、
右の西には隅田川を隔てて豊海、勝どき、上の北には築地川を隔てて築地市場跡地
:おお、ご隠居、この浜離宮のすぐ北にある奇妙な曲った建物みたいなのは、なんですかね、これですよ邪魔しているのは。
:そうそう、浜離宮の北側には築地川があり、その川向うは築地市場だね、いや、もう閉鎖したから市場跡地だな。
:そうだ、あの移転するしないって長いこと揉めていた築地市場ですよ、やっと豊洲に移転したんで、この広大な跡地をどうしようかって計画があるけど、都知事が替ってからもあれこれと揉めていて、決まらないらしいですね。
:そう、市場の建物は広いけど高くないから、浜離宮庭園の北側は建物が見えないんだね。
浜離宮庭園の北東角あたりから北を見る
正面が築地市場跡地、右は隅田川、橋から右が勝どき地区
:ふん、でも、どうせここも西側の汐留操車場跡のシオサイトみたいに、またまた超高層ビル群を林立させるんでしょうね、たぶん、ご隠居あっしにちょっとやらせて下さいよ、こんどは有る建物を消すのじゃなくて、これからできるまだ無いものを描きこむんですよ。
:ああ、そうだね、さてどうなるか、。
:ほれほれ、できましたよ、これでいかが?、何だか見たようなビルが建ってるけど、まあ、どうせ想像だからどうでもいいでしょ。
潮入りの池を隔てて西と北のパノラマ 左半分はシオサイト現況、右半分は戯造ビル群
横堀の海手お伝い橋から北にパノラマ 正面のビル群は戯造
:おお、こっちもこうかい、ひどいなあ。ほんとにこうなるのかなあ、まさかなあ、いやあるかもなあ。う~む、うまいもんだね、いや、感心しちゃいけない。
熊:じゃあ、これ、どれが現実で、どれが未来で、どれが過去でしょうって、クイズですよ。

つづく

参照:【浜離宮庭園の景観変容】(その1)(その2)(その3


2019/02/18

1387【浜離宮庭園の景観変容】(その3)天下の德川将軍家江戸城の出城だった大名庭園も21世紀にはぼ陥落か

【浜離宮庭園の景観変容】(その2)からのつづき


●浜離宮庭園に南から無理矢理貸景するものたち

:浜離宮庭園を見下ろして景観を壊しているのは、西側の汐留開発ばかりじゃかないよ、南側ももっとひどいよ。
:南側は汐留川を隔てて竹芝方面ですね、おや、こっちもビルラッシュのようですねえ。ゴチャゴチャ建ってますねえ。これじゃあ浜離宮庭園が完全に負けてしまった。

:うん、工事中の大きなビルも見えるねえ、こちら側は逆光になるからビルそのものが暗いし、その暗い影が池に映るから庭園そのものが暗くなったねえ。
:一体何が建ってるんでしょうねえ、ちょっとネットを探しましょうか、あこれこれ、こんな姿になるらしいですよ、竹芝ウォーターフロントとか言っちゃって。
:おお、右下が浜離宮庭園だな、こうも超高層建築が建ってはしょうもないなあ、なんだか三角屋根が見えるけど、なんだろね。
:劇団四季の劇場らしいですよ、こんなのでちょっとスカイラインに変化をつけてくれるといいですね、縦の四角な筒ばかりが何の調整もなくて、勝手に立ち並んで屏風になっちゃあ、どうしようもない。
:でもこれみると、まだ中高層のところが、超高層に建てなおされる可能性があるねえ。
:う~ん、そうですねえ、じゃあ、せめてこうしてビル群を消して、昔の姿でも偲びますかね。
:ああ、広々と明るくなったねえ、むしろ寂しいくらいかな。
:どうも問題は水面ですね、上に見えるビル群もなんとも重く暗い、それが水に映り込むから上から下まで全体が暗くなってしまう、この映り込みがなんともイケませんねえ。

●東側もすごいことになってもっと危ない

:じゃあ、こんどは東側を見ようかね、この中央から左にかけて見えるビル群は、隅田川を隔てて対岸の勝どきや豊海の街のビル群だよ。どうだい、うっとおしいねえ。


:そうですね、池が汚れてる。勝どきや豊海の街は、工場倉庫ばかりだってのが、ドンドン再開発で超高層住宅ビルになっていってますよ。ちょっとグーグルアースで観ましょうか。

:おお、てまえが浜離宮庭園、その向こうが隅田川、その向こうの島が豊海と勝どき、その向こうの島が晴海だな。これ見るとまだまだ再開発して超高層ビルが建つかもなあ。
:晴海の左の方にはタワー形の超高層群があるけど、右の方はまだ何にもないですね。
:ええと、そこは2010オリンピックの選手村にするんじゃなかったかい?
:あそうだ、ちょっとネットで探しましょうかね、あったあった、この辺りの分っているけどまだ建ってないビルも、グーグル空中写真に書き込んだものらしいですよ、すごい技術だなあ。
:おお、左上に小さく見えるのが浜離宮庭園で、いちばん手前がオリピック選手村で、終ったら住宅団地として売り出すんだろ、そのほかもすごいなあ、すごい開発量だなあ、こんなに市場があるのかねえ。
:低く見えてるところには、まだまだ建つかもしれませんねえ。
:それはまあ物理的には建つだろうけど、不思議だねえ、日本列島人口は減るってのに東京だけは増えるのかねえ、沿岸部は地盤は悪いし低いから、もうすぐ来るに違いない大地震津波も起こると危険だろにねえ、不思議だね。
:ちょいと描きこんで近未来景観を作ってみましたよ。ビルの形はいい加減ですがね。
:うわっ、なんだいこりゃあ、いやいや、もっと建つかもなあ。
:それじゃあ、こうやってみ~んな消しちまいましょう、どうです、これは過去景観かもしれないけど、実は大震災で全部倒れたってことで、これも近未来景観ですよ。
:う~む、これも近未来景観というところが、怖いねえ。
:大津波が来たらこっちの庭園もなくなっちまいますがね。
:天下の德川将軍家の江戸城出城だった大名庭園も、21世紀にはまわりから攻められて陥落だね、そのうえ津波が来たら完全消滅かい、やれやれ、じゃあこんどは北側を観ようかねえ、。(つづく

参照:【浜離宮庭園の景観変容】()()()(



2019/02/12

1386【インポ建築展】建たない建てない建てる気がない建つこと拒否された建築の展覧会はザハ・ハディドへのオマージュか

 
「インポッシブル建築展」を観てきた(2019年2月11日)。
 埼玉県立近代美術館「インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」展覧会(~3月24日)である。
展示はタトリンの傾き屹立廃墟「第三インターナショナル記念塔」から始まり、ザハ・ハディドの背割れ瀕死亀「新国立競技場案」を終わりに据える。
 このインポ性を強烈に放つ口と尻こそ、企画立案者の建畠晢館長の考えたインポ建築展の基本的なフレームだそうである。面白い。

 観たわたしの基本的な印象は、これはザハ・ハディド「新国立競技場案」への厳粛なるオマージュ展であるな、ってことだ。
 累々たるインポ建築のミイラの最後に登場したなのが、この一昨年に死んだばかりの生な死骸の「新国立競技場案」だった。
 これがあることで、この展覧会がインポを越えてポシブルへと橋が架かった。そこまで観てきた累々たる死骸が、ここで生き生きとした死骸になった。フィクションをリアルへとつないで見せたと言ってもよいだろう。

 あのもう見慣れた巨大な背割れ亀模型もすごいが、なんといっても圧巻は膨大な実施設計図書の展示である。折り込み縮刷A4版製本して何十冊ものあの量だから、実物の図面や書類ならば展示してある小間にいれたら、部屋に一杯で天井までも積みあがるくらいはあるのだろう。さすがに大規模建築にふさわしいすごい量だ。
  それが実は既にできていたのに、土壇場でインポになったのだから驚くばかりだ。現実はインポでもフィクションでもないのだった。
 この最後の小間に至る前までの模型や図はすべて、まるきり建とうともせず建ちもしなかったものだが、これだけは実は建つ寸前クライマックスまで行って突然に脳溢血で(じゃなくて時の首相に寝首を掻かれて)腹上(下)死インポ化であった。
 その無念さが、あの膨大な何千枚もの実施設計図書の展示に込められている。
 
 昨日は建畠館長と五十嵐太郎さんの話を聞いたのだが、建畠さんの美術家らしいいくつかの牽強付会を面白く聴いたので、わたしも牽強付会をするのだ。
 この最後の部屋は能「道成寺」の能舞台であった。あの2年前の新国立競技場騒ぎを思い出せば、今ここにある設計図書類は、道成寺の鐘供養にやってきた白拍子である。
 かつて愛する男に拒否されて鬼女となって殺し、逃亡していた女が、2年後に再登場して怨念を再現するのだ。
 模型や図面を観ていて思ったが、このデザインの持つ怪しい雰囲気が、鬼女さながらに世間から拒否されたのだ。これが女性原理の表現(あからさまに言えば壮大なる女陰)であるのが、それが建たなかった理由かもしれない。
 たしかにその美しさが一転して鬼女になる恐ろしさを秘めているように見える。

 わたしはこのザハ・ハディド案で建ってほしかったと考えていたことは、あの騒ぎが始まった頃にこのブログに書いているが、それはその異教徒的な怪しさが、あの明治神宮外苑の持つ19世紀的帝国主義王権の原理的景観を、21世紀の今ぶち壊してくれることを期待したからだった。
 それがこうなった今では、どこかにこれを建ててインポからポシブル建築にしてやって、この建築インポ騒動のせいで死んだ(のかもしれない)ザハ・ハディドを供養しなければなるまい。
 隈・大成による実現新国立競技場の竣工の日に、ザハ・ハディドの白拍子姿の幽霊が登場して、釣鐘に見立てた新競技場に舞い込んだとたん、9.11のごとくに崩落する幻想を抱く。
 
 今回の展覧会に出す予定だったが、土壇場でキャンセルになったインポ建築に白井晟一の「原爆堂」があったそうだ。
 その出展しない理由が、これを実際に建てようとするポシブル化運動が起きているので、インポ建築展に出すわけにはいかない、とのこと。
 そう、インポもいつかはカネとクスリと技術革新と社会状況でポシブルになるのだ。

 インポシブルにはポシブルも含むのだ、だからパンフのIMPOに抹消線がかかっているのだと、建畠はトークで言っていたが、もともとそう思っていたのだろうか。
 展示資料収集過程で、原爆堂と新国立競技場の状況を知って、インポの領域を思案したのではあるまいか。ポシブルまで含むとしたら、これは単なる建築展の一部展示になってしまうだろう。
 単なる空想建築展でないとして、インポシブルからポシブルへと迫る編集があるべきだ。展示作品のインポ度合いを、観た人たちに投票してもらったら面白い。

 あ、そうだ、ザハ・ハディドの「新国立競技場案」を、築地市場跡地にそのまま建ててはいかがですか、小池都知事さんよ。
 こんなにも図面準備万端ととのっているのだから、もうあとは金さえ用意すればそのまま建つようだ。跡地利用をどうしようかとグダグダいうよりも早いですよ。
 冗談半分本気半分で言っているのだが、ありえないことではなかろう。

 いくつかの「建てばよかった」と思うものがあった。京都国際会議場の菊竹清訓案は、まさにそのひとつである。応募してかすりもしなかったひとりとして、同時代的にすごい案だと眺めたものだが、模型を観てもやはりすごい。惜しい。
 もっともさすがに菊竹は、後に「江戸東京博物館」でこれをポシブル建築にした。でも京都で大谷案ではなくて、こちらを造ってほしかったと思った。
 そう言えば思い出したが、あのコンペ審査で菊竹案をして、「異教徒的」と評した言葉があった記憶があるが、ザハ・ハディド「新国立競技場案」こそ異教徒的姿への反発が、これをインポ建築にしたのだ。

 落選承知のインポ建築案で有名なのは、前川國男の「帝室博物館」コンペ案だが、はじめてその模型を観て思ったのは、意外にヘタクソというか、真面目な案だったことである。これに瓦屋根を付けたら当選したかも、いや、それほどうまくもないか。
 影付きの立面パースのうまさと、模型のつまらなさのギャップがおかしかった。

 川喜多煉七郎の図面がたくさんでていて、あらためて思ったのは、このひとはこんなに才能があったのに、その後は店舗設計の世界でしか生きなかったのは、どうしてなのだろうか、ということである。
 川喜多と同時代の山口文象の「丘上の記念塔」もでていたが、山口と比べても出自も才能も似ていたと思うのだ。
 山口も川喜多も、もっとも働き盛りに戦争時代になって仕事がなくなり、才能の発揮をできなくて、インポ建築さえもできかった不幸がある。惜しい。

 美術家の荒川修作、相田誠、山口晃の作品が、なんと言っても面白いインポ建築である。
 メタボリ派アーキグラムの劇画みたいなインポを前提しながらも、じつは実現可能かもしれない姿を描くのに対して、美術家の作品はできるかもしれないと思わせながらも、実はインポであることを誇っている感がある。
 もっとも、荒川修作はその更に逆をいって、インポと思わせて実はポシブル(建つ、勃つ)ものがあるのだから、建築家は負ける。
 山口晃と会田誠の日本橋提案戯画もあった。日本橋については、わたしは日本橋の上だけ高速道路高架を保存せよと言っているだが、さすがに美術家はもっと突き抜けるのだった。負けた。
つづく

(追記 2019/03/25)
 図録の中の山口文象の項をチェックしていたら、年表に誤りを発見した。
 082ページ1950年の欄に記載してある『岡村蚊象(山口文象)「中央航空機停車場」』は、正しくは、1927年に三科新興形成芸術展覧会に出展作品であり、作品名は『1950年計画 中央航空機停車場』である。なお、1930年に岡村家との養子縁組を解消して、以後は山口姓を名乗っている。
 山口文象についてはこちらを参照のこと

(追記 2019/11/07)
 インポ建築展はその後は新潟、広島へと巡回して、昨日、最後となる大阪の国立国際美術館での展覧会の案内が届いた。
 タイトルが「インポッシブル・アーキテクチャー 建築家たちの夢」となっている。
 アレッ、なんだか違うみたいとこのページで確かめたら、埼玉での展覧会でのタイトルは、「インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」であるから、サブタイトルに変更があった。ということは、美術館によって展覧会の意味づけが異なるらしい。国際国立美術館での企画者の考えだろうか、もしかして展示の内容も変わっているのだろうか、なかなか面白い。


2019/02/10

1385【能楽鑑賞】怖くも哀しい女ストーカー物語の琉球組踊「執心鐘入」と能「道成寺」の公演を合せて観て面白かった

 横浜能楽堂にて琉球組踊「執心鐘入」と能「道成寺」を観た。2019年2月9日午後。
めったに見られないこの組合せ公演、ところが前日から大雪になるとの天気予報、楽しみしてたのだから絶対に見に行くぞと思いつつも、年寄りは雪道ですってんころりが怖い。いくら昔は山岳部だったとて、もうダメだ。
 出かけるときは未だ曇空、でも、帰りには予報通りに大雪が積もってるんだろうなと、そこは昔山岳部だから、ヤッケ着てストック持って雪靴履いて、しかも万一に備えて易アイゼンも持参した。半分は心配だけど半分は期待している。
 能楽堂の中はもう別世界、外の世界のことなどまったく忘れて、3時間ほど酔っていた。終ってたちあがりハッと思い出して、期待と覚悟を秘めて外に出ると、な~んだ、ぜんぜん雪など積もってなくて小雪がホロホロ舞うばかり。
 
 琉球の組踊(くみおどり、クミゥドゥイ)を観るのは、何度目だろうか、これまでに「萬歳敵討」「執心鐘入」「花売りの縁」「女物狂」、ほかに題名を忘れたが沖縄の「国立組踊劇場おきなわ」でももうひとつ観ている。
 「執心鐘入」を観るのは今回が2度目で、このまえはもう20年ほども前に、国立劇場の小ホールで見て、大いに驚いた記憶がある。
「女物狂」http://datey.blogspot.com/2015/01/1049.html
「花売りの縁」http://datey.blogspot.jp/2011/06/434.html

 能が貴族や武士階級の芸能であったと同じように、組踊も琉球貴族のものだった。
 組踊「執心鐘入」は、琉球王朝の踊り奉行であった玉城朝薫が、17世紀初めに江戸で見た能「道成寺」から想を得て創作したとされる古典芸能である。
 当時は琉球は九州の薩摩藩と中国清朝の2重支配下にあり、組踊は清朝の冊封使を歓待するために作ったとされる。
 
 組踊「執心鐘入」と能「道成寺」とは、どちらも同じ中世仏教説話にある事件を題材にしているのだが、先にできた能のほうは、その事件がすでに昔のことになった後年に再発した事件であるのに対して、あとからできた組踊の方は元の事件を扱っている。二重の時間差があるのがおもしろい。
 今回の公演は、この二つの演劇を、組踊、能の順番で演じたので、それなりに筋が通っていることになる。だが、二つの演劇は、登場人物や場所の設定が違うし、一方では男が殺されるが、もう一方では男は無事に逃げると言うことで、筋書としては必ずしもつながらない。
 しかし、だからと言って関係ない演劇ではなく、むしろ合せて観ることで奥深い鑑賞をすることができた。
「執心鐘入」の女が男を口説く場面 (能舞台ではない資料映像)
  実は、釣鐘における鬼女の演出が、組踊と能とどう違うかが興味あるところだった。
 以前に国立劇場で「執心鐘入」を観た時に驚いたのは、釣鐘の中に入った女の再登場の場面だった。釣鐘が上ると、なんと舞台上には誰もいない、つまり鐘の中で女が消えていた。マジックショーかと思った。
 すると、上った釣鐘の下から鬼女の顔が逆さに登場し、やが上半身が逆さにぶら下がってでてきた。ケレンそのものである。
「執心鐘入」の鬼女が鐘からぶら下がる場面 (能舞台ではない資料映像)
http://www.ent-mabui.jp/news/4725
国立劇場の舞台は能舞台ではなくて、横に広がる歌舞伎形の舞台である。そこでの「執心鐘入」の鐘は、能の様に鐘の下から中に入るのではなく、鐘の後にある(らしい)穴から入るのであった。
 今回の横浜能楽堂の舞台では、「執心鐘入」を始める前から、いつもの能「道成寺」に使う鐘が吊り下げてあった。はて、この鐘の中から逆さまにぶら下がる仕掛けを施したのだろうか。

 鐘入り直前に女が笠で顔を隠して素早く紅で隈取り化粧をして鬼女に化けた。能の場合は鐘の中で鬼女になるのだが、こちらは鐘入り前に鬼女になった。
 女が鐘に入る場面は、能と同じように女は下から入って、鐘が上から落ちてきた。
 やがて鐘が上がると、般若面蛇鱗装束の女が立っていた。逆さ吊り演出ではなかった、残念。後は能とほぼ同じだ。
「執心鐘入」鬼女と僧との闘い場面 (能舞台ではない資料映像)
組踊が終っても鐘は舞台中央にぶら下がったままだった。それは次の道成寺のためには当然と思って休憩時間の舞台を観ていたら、狂言方らしい数人が出てきて鐘を下ろすのであった。
 おや、どうせこのあと使うのに、と思ったが、以前に観たある「道成寺」で、鐘を吊るところから能が始まったことがあったと思いだした。それはアイが山本東次郎とその弟だった。和泉流のアイの時の「道成寺」では、その演技はないから、山本家あるいは大倉流の演出なのだろう。
 つまり山本家のアイの時は、鐘を釣ることも演技なのである。出演者リストを見ると、今日のアイは山本家である。なるほど。

 そして「道成寺」の始まりは、やはり、つい先ほど下ろしたばかりの鐘を、またもや元の様に吊ることから始まった。
 だが、狂言方の鐘後見が黙々と吊りあげ作業ばかりである。前に見た記憶では、アイの掛け合いの会話などがあったような気がするのだが、、。
 これなら初めから吊ってあってもよさそうなものだ。終わる時も、狂言方鐘後見4人が黙々と吊り降ろして、鐘を吊った棒を前後で持ち上げて橋掛かりをでていった。

 「執心鐘入」は前半はあまりにもゆったり、琉球の空気が舞台に充満、そして後半の急さとの対比のバランスがよろしい。そう思ったのは、その後の「道成寺」前半の全く別のゆったりさ、というか、乱拍子の長さと比較してのことであった。
 道成寺をもう10回くらい観たが、こんなに乱拍子が長かっただろうか。これまで観世流ばかり見てきたので、宝生流はこうなのだろうか。それともわたしが歳とって、せっかちになったのか。
 道成寺はこの乱拍子の緊張感がよいのだが、今回はこうも長いと緊張を保つのに飽きるというか疲れてくるのだ。
 
 もうひとつのゆったりし過ぎは、アイの演技である。これは前に東次郎家のアイを観た時もそうだったが、いらない演技があり過ぎる。鐘の吊り上げ下ろしそうだが、カネが落ちた時の騒ぎが冗長で、これは和泉流もそうである。
 鐘の中のシテの装束替えの時間稼ぎは、ワキの語りプラスアルファで十分にあるように思うのだがどうだろう。
 
 二つの道成寺物を並べて観て思ったのは、「執心鐘入」の前半と「道成寺」の後半を合わせた演出の能を誰かやってくれないかなあということである。
 追いかける女から逃げてくる男を、道成寺の僧が鐘の中に隠してやるのだが、見つけて追いかける女のすきを狙って鐘から更に逃してやり、反対に女を鐘の中に閉じ込めるところまでが前場、鐘の中の女を祈り殺して鐘を上げると、鬼女が出てきて丁々発止が後場、こんな順当な筋書はどうですか。わたしが思うくらいだから、もうやってるかもなあ。

 女ストーカーが想いを容れてくれない惚れた男を追いかけまわすだけの、実に単純なストーリーだけど、現代風な解釈ではいろいろな演出の「道成寺物」ができるらしい。
   女の美しさと怖さと共に、鬼女となったその哀しさ、悲しみを表現するところに、この演劇の面白さをがある。今回の能ではそれを確かに観た。

(データ)
横浜能楽堂・伝統組踊保存会提携公演
主催:横浜能楽堂主催
「能の五番 朝薫の五番」第5回「道成寺」と「執心鐘入」
2019年2月9日 14:00~17:00

組踊「執心鐘入」
宿の女:佐辺良和  中城若松:新垣悟  座主:玉城盛義
小僧(一):石川直也  小僧(二):嘉手苅林一  小僧(三):宮里光也
歌三線:西江喜春 仲嶺伸吾 花城英樹
箏  :名嘉ヨシ子  笛:宮城英夫  胡弓:又吉真也  太鼓:比嘉聰
立方指導:宮城能鳳 眞境名正憲
 
能「道成寺」(宝生流)
シテ(白拍子・蛇体)宝生和英  ワキ(道成寺住僧)福王和幸
ワキツレ(従僧)村瀬提  ワキツレ(従僧)矢野昌平
アイ(能力)山本泰太郎  アイ(能力)山本則孝
笛:松田弘之  小鼓:大倉源次郎  大鼓:亀井広忠  太鼓:小寺真佐人
後見:朝倉俊樹 當山淳司
鐘後見:野月聡 水上優 和久荘太郎 東川尚史 川瀬隆士
地謡:武田孝史 金井 雄資 大友順 小倉伸二郎 内藤飛能 佐野弘宜

参照●趣味の能楽等舞台鑑賞(まちもり通信サイト)
https://sites.google.com/site/machimorig0/#nogaku

2019/02/08

1384【浜離宮庭園の景観変容】(その2)浜離宮庭園の西に押し貸景した人たちの見る借景としての浜離宮庭園


:ところで、庭園の中から見ているこれらの西隣のビル群は、20年も前の国鉄汐留操車場跡地に建ったものですよね。オフィスもあれば共同住宅もある、そのビルから見る浜離宮庭園の景観はどうなんでしょうね。
:そうだねえ、『浜離宮というこの上ない借景を得て真の都市居住・・』って2000年の宣伝文句につられて共同住宅を買った人たちは、自分たちが浜離宮庭園に無理矢理貸景してるって気がついてないんだろうけど、どんな「借景」を見てるんだろうね。
:あそうだ、ちょいとグーグルアースで眺めてみましょうかね。ほれこうですよ。
:ありゃ、こんな景色なのかい、へえ~、なんかケチつけたくなるなあ。
:そう来ると思った、日本庭園は空中から見下ろしてもただの雑木林と水溜まりで、どうってことないですねえ。やっぱり地上から鑑賞するように造ってあるんですね。

:そうだね、回遊式庭園だから、地上で歩き回ると次々と展開するシーンを楽しむように、地上のミクロ視線でデザインをしてあるから、空中からマクロ視線で俯瞰しても、その良さはわからないね。西洋式の幾何学的な庭園なら、上空から見ても楽しいけどね。
:せっかく浜離宮庭園を「借景」したのに眺めて楽しむ景観じゃあないし、その庭園の向こうにはごちゃごちゃ並ぶ高低大小のビル群も一緒に「借景」してますねえ。まあ、目の前にビルが立ちふさがらないのが取り柄でしようけどね、
:宣伝文句の『この上ない借景』とは、こういう風景だったんだねえ、住宅を買った人は知ってたのかねえ。

:あ、それもどうかと思うけど、もっと問題はホレ、この高層ビルの足元の庭園の手前にある首都高速道路ですよ、毎日朝から晩まで騒音と振動と排ガスが渦巻いてますよ。せっかく広い庭園があっても、この環境じゃあ住みよいのかなあ。
左は浜離宮庭園、右上は庭園を覗き込む汐留開発、その間に首都高速道路の高架
:この写真が浜離宮庭園の傍から見上げる汐留開発の高層ビルと高速道路だよ。この裏側にはモノレールと新幹線や東海道線や山手線の高架もあるよ。まあ、ビジネス環境としては便利だけど、もともとが鉄道用地の中なんだから、生活環境はよくないな。
高速道路と鉄道の高架に囲まれて騒音・振動・排ガス渦巻く汐留開発
:うわ、これはどうもひどいなあ。まあ、人好き好きだから、窓締めきって空調してればいいや、ってなもんでしょうかねえ。
:高速道路の高架構造物は、庭園の周りの森にさえぎられて、庭園の中からは見えない、ビルもこの高さ程度なら庭園景観には問題ないのにね。
:その程度の高さじゃあ、あまりのダウンゾーニング過ぎてできなかったんでしょうね、でも、この開発の都市計画で、ビルの高さを庭園景観との対応でどの程度のコントロールしたのでしょうかねえ。騒音振動排ガスはどうしようもないけど。

:そういえば、横浜都心に首都高ジャンクションがあるんだけど、その中にわざわざ後からやってきて高層住宅と小中学校を建てているよ、なんともすごい時代だよ。汐留もうそうだけど、人間はけっこう悪環境でも生きていけるって実験場みたいないもんだな。
横浜都心部にある首都高石川町ジャンクションの中の高層住宅と学校
https://datey.blogspot.com/2018/07/1146.html
:そうだ、その汐留開発計画の頃には、ご隠居も都市計画やってたんでしょ、何故もっと総合的に環境にも景観にも配慮した計画しなかったのですか、都市計画家はいったい何をしてたんですか。
:おお、痛いところを突いてくるね、そう、わたしは汐留計画にタッチしなかったけど、同じ頃に東京駅周辺の大規模開発計画をやっていたなあ、これも汐留と同じで国鉄民営化による鉄道関連跡地利用計画だったね。
:で、そこも浜離宮庭園と同じで、東京駅赤レンガ駅舎だけは復元的な開発になったけど、そのほか周りはめったやたらに超高層ビルだらけになってますね、良いのか悪いのか分らないけど。
:うん、わたしは実は東京駅の復元には反対で、その当時の姿で保全すべきと唱えてたんだけどなあ、そう、東京駅は日陰者になてしまったし、浜離宮庭園もやっぱり日陰者になっちゃった。
東京駅赤レンガ駅舎は赤線の先のビルに不利用容積率を
移転して超高層ビルの谷間に埋没する日陰の身になった
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki
:とにかく保全と開発の取り合いが、まるでガチンコ勝負でしょ、重層するあるいは対峙する美しさとか考えないもんですか。
:うむ、いろいろとあってね、まあ、この話をすると長くなるから次に行こう。詳しくはこちら参照https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki
:あ、逃げたな。
隠:いやいや、浜離宮には西ばかりじゃなくて、南東北にも景観があるんだから、そっちも見てから話を続けようよ。(つづく

参照:【浜離宮庭園の景観変容】()()()(

2019/02/05

1383【浜離宮庭園の景観変容】(その1)伝統的日本庭園の空と水に踏み込んだ巨大都市開発がもたらす景観変容をどう受け止めるか

熊五郎:ご隠居、元気ですかあ、流行のインフルなんて罹ってないでしょうね。
ご隠居:おお、熊さん、元気だよ、ちゃんと徘徊にも出かけてるよ。
:そりゃ結構、おや、そのパソコンの写真は、どこか行ってきましたね。
:ああ、そうだよ、久しぶりに東京の浜離宮庭園に行ったね。


:あれ、美しい日本庭園ですねえ、浜離宮って言えば、ご隠居がだいぶ前にボロクソにけなしていたところでショ、こんなのをぼろくそですか?
:そうだよ、実はボロを隠して撮ったんだよ。ボロも見せると、こうだよ。
:うわっ、すごいね、立派な超高層ビルと美しい庭園だ。
:なに言ってんだよ、違うだろ、。
:エッ、どうして、。

:あのね、この庭園には若い頃の昔に行ったことあったけど、2000年の新聞広告に高層共同住宅の販売広告が出てて、それがこの庭園の隣にある国鉄跡地の汐留開発なんだよ。庭園の向こうに超高層ビルが建ったモンタージュ写真に、『浜離宮というこの上ない借景を得て真の都市居住・・』を楽しめって宣伝文句だよ。その写真と文句に驚いたね。
:庭を覗き込んで庭の景観をぶち壊しにすると堂々と写真つきで宣伝してたんですね。
:そう、借景じゃなくて押し貸し景だな、それで2003年に見に行ったら、そのビルが建ち並んでいて、もう庭園景観はむちゃくちゃになってた。今の景色だよ。

:でも、庭園の中まで破壊じゃなくて、外の隣に建っただけでしょ、いいじゃありませんか。
:いや、よくないよ、まあ、この撮ってきた写真をごらんよ、庭園の最も中心部の潮入りの池を通して西の方を見た風景だよ。
:ほほう、立派な広い豊かな緑と水の自然環境の向うに、現代モダン超高層建築群が建ち並ぶ都市風景、自然と人工との迫力ある対比、、、。
:いやいや違うよ、自然環境なんかじゃないよ、人工の極を尽した伝統的な回遊式日本庭園だよ、そしてもう一方も人工の極を尽くした超高層ビル群だよ。
:あ、いけね、どうも樹木や芝生や池の水を見ると天然自然環境と思ってしまう。
:そう、一方は自然の素材をそのまま生かしつつ自然を縮小模倣した芸術的人工物、もう一方は自然資源を原料にしているが完全に加工した工業的人工物だね。両極端の人工物がなんの調整もなく出くわしているから、奇妙な風景になった。
:なにが奇妙なんですか。
:むちゃくちゃだよ、地上に多くの縮景の手法を尽くして、空と地とが一体になる別天地の空間を創り上げていたんだがねえ、どうだい、森の上から無作法に覗き込んで空を奪った上に、池の水に映りこんで庭内の風景も奪ったよ、外だけじゃないんだよ、まったくくもう、、。
:まあまあ、おちついて、血圧が上りますよ、この風景だってそのうちにこんなもんだって慣れますよ。変りゆく社会において風景も価値を変えてゆきますでしょ。
:あのなあ、人間が創造した文化歴史景観を破壊しても、そのうち慣れるから良いんだよ、てなもんじゃないよ。

:あ、そうだ、じゃあねご隠居、この画像を加工して邪魔なビル群を消しちまいましょう、ちょいとPC借りますよ、さあ、どうだ、こうなったけど、どっちが良いか勝負!
:わはは、すごい、うん、すっきりした、明るくなった、いいなあ、昔の人はこの風景を創り愛でたんだな。どうだ、これでも新しい価値観のほうがいいのかい?
:う~ん、とても東京とは思えない、そうか、まさに別天地を作ってたんですね。もうちょっと考えますよ。
:あ、そうだ、わたしもその画像加工をやってみよう、では、ちょいちょいちょいと、ね、どうだ、こんなのは。


:え~っ、そんなところに富士山があったかなあ、変だなあ。
:まあ、どうせ戯造画像なんだから、逆さビルよりも逆さ富士の方がいいだろ。もしも本当にこうやって向こうに借景の山があったとしたら、ビルを建てたら罪深いとわかるだろ。
:うん、そういうことか、こうやってみるとビル群が無いほうがいいような気もしてくる、いや、無いと寂しいような。
:どっちかにしろよ。(つづく

参照:【浜離宮庭園の景観変容】()()()(