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2024/03/06

1801【歌集プロジェクト】歌詠む人花咲かす人絵描く人本作る人たずさへつ米寿へ

 今は八十路半ばのわたしたち幼馴染同級生4人が、米寿に完成させようと取り組んでいるプロジェクトがある。完成の日が来るまでは、誰ひとり呆けてはならぬと、ここに覚悟のほどを書いておく。

 そのプロジェクトとは、この4人で歌集を出版しようとしているのだ。まず短歌をつくる「歌詠み人」が中心にいることは言うまでもない。歌集には写真と挿絵を入れて彩る。その花を作って写真を撮る「花つくり人」がいる。挿絵もいれるからその「絵かき人」がいる。それらをまとめて歌集という本の形に編集・装丁・製本をする「本つくり人」がいて、これで4人である。

 出版と言っても、商業出版社が印刷販売の書店に並べるやり方ではない。「本つくり人」の本つくり趣味で、DTP(デスクトップパブリッシング)という机上印刷出版である。それはODP(オンデマンドプリンティング)つまり必要に応じて印刷製本するやり方である。

 この「本つくり人」とはわたしのことである。机上のPCを使って編集デザインして原稿編集し、印刷原稿を作り、家庭用プリンターで必要な毎数を印刷し、それを必要な部数に手作業で製本する。でき上がる本は、A5判のソフトカバーである。数部のハードカバーも作る。豪華本を作ることもできるが、ハンディにして手軽に読める本にする。それを4人それぞれが贈りたい人に贈るのである。これが本づくり趣味の神髄である。

 このプロジェクトは初めてではない。10年前に始めてからすでに3回の歌集プロジェクトをやって出版しているのだ。「歌詠み人」の第一歌集は商業出版として『春楡の歌』を2007年に上梓した。第二歌集からこの仲間プロジェクトにした。というよりも、わたしの本づくり趣味に引きずりこんだのが真相である。

これまでの歌集

 第二歌集『ぽかりぽかり』2014年、第三歌集『またぽかりぽかり』2016年、第四歌集『いまもぽかりぽかり』2021年とやってきたのだ。そして今、第五歌集のプロジェクトに入ってきている。これの出版をいつにするかと考えていて、そうだ、「歌詠む人」が米寿に突入する月にしようと決めた。2026年1月である。

 まだ2年弱もある、というのか2年しかないというのか、ちょっと悩む。そこには、これが4人いずれの人生にも最後の歌集だよなあ、いまでも歌集プロジェクトは無理かもなあ、いや、よし、とりあえずは米寿としておこう、なんとなく区切りは良いし、そこまでなら何とかボケないで生きている可能性もある、いや、そこまではなにがなんでもボケずに行こう、そう、あと2年はボケ禁止だ、というのである。特に本つくり担当のわたしはアンカーだからボケられない。

 もっとも、これは「本つくり人」のわたしの身体能力でそう思ったに過ぎない。他の3人のWIDOWたちは、わたしよりも元気そうだから、大丈夫であるはずだ。歌詠み人は毎月その撞くの歌をまとめてメールしてくれる。それをこの前の歌集以後の歌とともにまとめる。ある程度たまったところで、次の歌集用の選歌をすると、次第に基本原稿が出来上がる。

 しかし油断ならない、コロナのような不可抗力の不測の事態だってありうるのだから、。そこで何かでプロジェクト中断しそうになっても、その段階で出版できるように、毎月末にはそれまでの歌稿を全部見返して選歌し、編集しておくことにした。

 もちろん年末にはまた見直し選歌する必要があるだろう。そうやって次第に絞ってゆけば、2026年初には厳選歌集になるはずだ。
 というようなことでわたしはしばらくはボケ禁止で、本つくりの前に歌読みを楽しむのである。次は年末にでもこのプロジェクトの進行具合を書こうと思う。

歌を詠み花を咲かせ絵を描き本つくる四人たずさえつ米寿へ

 (20240306記)

本づくり趣味関連ページ
自家製ブックレット「まちもり叢書」シリーズ
https://datey.blogspot.com/p/machimorisosyo.html

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伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
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2023/04/30

1682【神宮外苑騒動】10年ぶりに神宮外苑あたりが騒がしいが再開発・都市・建築・植生の専門家はどうした?

外苑騒動戯像2013年作 ザハ競技場出現図

●10年ぶりに神宮外苑あたりが騒がしい

 東京の明治神宮外苑再開発について、世間が、と言うよりもネット空間が騒がしい。
 三井不動産を施行者とする市街地再開発事業に仕立てて、東京都知事による事業施行認可が今年の2月16日におりて、事業に着工したとのこと。

 その一方で、この市街地再開発事業に関する環境影響評価の審議が、都環境影響審議会で行われてきて、これはまだ審議が終わっていないようだ。施工認可が先になっても、アセスは事業が進むうちに審議も継続してもよいらしい。

 事業者が公表する事業内容の絵がネットに出たから、世間も興味を持つようになったらし。とくに外苑名所の公孫樹並木が再開発で切られるとか枯れるとか、だれもが分かりやすい問題があるとの情報がネット上にながれるようになった。

 そこに緑地に関する専門家の石川幹子さんが、イコモスの委員会の名で植生計画ついて問題提起と、独自開発計画案を提示した。
 それから「再開発で伐り倒される樹木が10000本」と数字があるだした。わかりやすい数字になると世間も話に乗りやすいのは、かつて国立競技場の建物の高さで、次いで工事費の高さで反対運動が高揚したことに似ている。今年になって次第に「樹を伐るな」テーマの運動がいくつか起きてきた。

 そして事業者が審議会に提出した「環境影響評価書」が公表されると、石川さんは植生学専門家として、評価書の植生調査に多くの問題を含むので、調査をやり直せ、アセス審議会をやりなおせと提案をしたのだった。

 調査方法がおかしい、間違い調査だ、記述間違いがあるなど多くの項目で環境影響審議会で説明させよと提案した。だが、東京都側はそれをうけることなく環境影響評価審議会開催、そして事業者側はそれに対して間違いも無いし、調査方法もこれでよし、と回答した。こうして今年も4カ月が過ぎた。

 その間、次第にばらばらの市民たちによる再開発反対運動が起きてきて、今の時代らしくネット活用による情報流通で、活動は次第に櫃のネット空間にまとまろうとして、熱を帯びてきている様子である。この面のリーダらしい人たちも登場している。
 わたしは知らないが、著名な音楽家やタレントが反対運動に加わっているようで、盛り上がりに関係しているのだろう。

 10年前の国立競技場騒動のころは、都市計画家が反対運動に登場することはなかったが、今回は珍しくも都市計画家の大方潤一郎さんがこれに加担なさっている。大方さんは10年前も専門家として事情をよくご存知のはすで、国立大学を退職なさったからだろうか。
 ところで競技場騒動では多くの建築家が登場したが、今回もいるのかしら。

 さて外苑再開発事業は、市街地再開発事業としての施行認可で法的にGOサインが出てしまったし、アセス審議会も事業進行中に適宜審査継続するとウヤムヤ通過しそうだ。どうなるおろうか。
 これから外苑再開発は本格的に動き出すようで、現場はもう板囲いに囲まれて、工事中雰囲気に満ち満ちているようだ。

●五輪外苑騒動史わが10年前妄想予測は当ったか

 このところ外苑前再開発について何やら騒がしい。あの有名人が反対してるからとか、あのいちょう並木が切られるとか、卑俗なレベルになって、急に世に知られるようになったらしい。と言っても世間的には東京あたりの人に限られるのであろう。

 そしてこれまでこの再開発計画は、10年前から立案が行政と事業者たちだけで密かに進められてきた、なんて、隠某論みたいなことを言う人も出てきた。
 それはそれで社会現象として面白いのだが、わたしに言わせると、実は不十分ながらも基10年前には基本的なことは公表されていたので、そこから今日の現象をある程度予想することもできたのだ。

 それなのに秘密裏に関係者だけでで進めたと世間が言うのは、要するに世間では都市計画なる公共的な空間計画制度にほとんど関心がなくて、知ろうとしなかっただけなのである。
 都市計画は身の回りの生活空間の将来像を示しているのだが世間は無関心であり、その都市計画が目に見える事業になってようやく気がついて、俺は知らなかったとか、秘密に進めたとかいうのである。

 10年前には外苑再開発の概略が分かっていた証拠として、2013年に書いたわたしのブログ記事がある。そのころにおきた外苑地区の地区計画という都市計画について、あれやこれやと指摘をしていたのだ。

 わたしはかつてフリーランスの都市計画家だったが、2013年には仕事の現役をしりぞいてしまい、ただの隠居老人だった。だから仕事を通じて特別に外苑地区計画を知っているのではなくて、ネット空間徘徊で素人でも知りうる情報により、批評やオチョクリや妄想やらを書いていたのだ。

 いまごろになり急にネット空間に外苑再開発がなんだかんだ登場するので、思い出して2013年のブログ記事を読み返してみた。
 おお、そうだったよなあ、今ごろ起きている問題をあの頃にもう予想もしているなあ、当たり外れもあるけど、われながら面白いなあ、フムフムと読んだのであった。

 これをお読みのあなたも、お暇なら長文だけどお読みくださいませ。

2013年12月【五輪騒動)神宮外苑都市計画談議1~10
http://datey.blogspot.com/2013/12/866.html

2013年~2023年【五輪外苑騒動】国立競技場改築騒動と神宮外苑再開発騒動瓢論集http://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

●神宮外苑再開発コンサルタントは答えよ

 いまイコモスの石川幹子さんから指摘されている環境アセスメントの問題だが、このアセスコンサルも日建設計だろうか。間違いだ虚偽だレベル低いなどと、石川さんにあれほど言われても表に出て答えないのは、答えられない事情があるのかしら?、専門家としてさぞや苦しいだろう、お気の毒になあ。

 神宮外苑再開発は誰がやっているのかしら、いわば雇われ事業者の三井不動産ばかりがやり玉に挙がっている感がある。
 しかし、本当の事業主は大地主の宗教法人「明治神宮」と独立行政法人「日本スポーツ振興センター」(JSC)であることは明白。三井不動産は再開発事業の権利者ではないようだから、都市再開発法が許す形式上の事業主である。それはそれでよい。

 だが、本当に事業主は土地所有トップの権利者は明治神宮である。第2の権利者はJSCである。第3、第4がいるが弱小権利である。ところが事実上の事業者の明治神宮と第2のそれのJSCがまったく表に出てこない。
 つまり、雇われマダム(マスター)の三井ばかりが表に出てくるから、反対運動者たちもこの目くらまし陽動作戦に誘導されて、三井ばかりをやり玉に挙げている。もちろん三井は忠実に役目を果たしているのだろう。

 ところで、世間の反対運動者たちは、どうして三井の雇い主である明治神宮やJSCを相手にしないのだろうか。直接に文句言うのは何か不都合があるのだろうか、あるいは作戦か。
 例えば最大権利者の宗教法人明治神宮にアピールするには、その本拠の神宮内苑にも行くべきだろう、初詣デモとか、、。
 あるいはJSCに文句言うのは、その親分の居る文科省にデモかけるとか、、。そもそも都市公園の計画決定を外したから可能になったこの事業の元凶は、文科省の子分のJSCなのだ。

 更にこの騒動の当事者として登場するべきなのは、それにこの市街地再開発事業にかかわるその専門家たちである。この再開発の計画から事業に至るには、都市計画家や建築家などの専門家が大きな役割をしているはずだが、どうして世間はやり玉にあげないないのだろうか?

 その専門家はどなたでしょうか?、少なくとも日建設計が関わっていることは確実ですよね、市街地再開発事業コンサルタント、都市計画家、ランドスケープアーキテクト、建築家など、全部の役割を請け負っているのかしら、ほかにも下請けの専門家も多くいるだろう。

 今話題のアセスについては、石川幹子さんから植生調査について論争を挑まれているのだから、その調査担当の植生専門家は堂々と名乗り出て、石川さんとの論争を受けて立ってはいかがすか、それが専門家というものでしょ。

 神宮再開発についての公的発表は下記にある。
●神宮外苑地区におけるまちづくりファクトシート(東京都都市整備局)https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/data/jinguu_factsheet03.pdf?230224=

神宮外苑地区のまちづくり(東京都都市整備局)https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/saisei07.htm

(20230430記)

2020/03/22

1450【怪しいハイテク】プリンタが尿毒症頓死買替えでプリプリ怒るも急転自主解決したので本づくり趣味を続けるぞ

●プリンターが気絶してしまった
 とうとうキャノンプリンタの奴が悶絶し動かなくなった。まさかコロナで頓死じゃあるまいな。
 「廃インク吸収パッドが満杯なので販売店に修理を頼め」と、遺言がコントロールパネルに表示、ほほう、尿漏れ小便で襁褓がびしょびしょ、ついに尿毒症で悶絶、襁褓を取り換えろというのだ。
 まったくもお、これまでこれでもう3台もプリンタ買い替えしたぞ、だって、その修理代が新品買うより高くつくんだもの。

 プリンタ屋の買換え強要戦術って汚いぞ、だってもったいないよ、他はどこも悪くないんだものなあ。襁褓交換修理代金を13000円も取る一方で、本体を安くして買い替えさせる、そして高いインクを買わせて儲けるという、あくどさ。
 こちらだって、負けないように100円インク詰め替え防衛作戦で対抗してきた。でもそのインク尿漏れで印刷を停止させるんだもんなあ。

●初めて買ったエプソン製だが、
   悶絶したキャノンプリンタMG3630は2年半前に6500円で買ったのだから、13000円も修理代に払うならプリンタを買い替えるほうがよい。買った近所のエディオン電器店でいろいろ見て考え悩んだすえに、9800円のエプソン製品プリンタEW452Aを選んだ。
 尿漏れ悶絶キャノンプリンタを店に持ち込んだら550円で引き取ってくれて、新品をもちかえった。インクを1割引きするというから、それも買った。これには100円インクを使えるのかしら。
2020年3月20日にやってきたEpsonEW-452A
実はこれまでのプリンタはキャノン製品ばかりだったので、エプソンには心配もあった。操作方法とか色々違うと迷うからなあ、若いときはそれもまた楽しみだったが、年取るとめんどく臭くなった。まあ、ボケ遅延策としよう。

 それでもエプソン製品を選んだ理由は、同じキャノン製品をネットで探すと買ったときは6500円だったのが今や不思議にも2万円以上しているし、同機能のものはどれも高かったからだ。
 そして本を作る趣味のために買うのだから、必須の自動両面印刷機能つきではこれが一番安価機種だったからだ。念のために店員に、キャノンと同様の冊子印刷機能があるかと確かめたら、あるというから決めた。これが後で苦労の種になるとはねえ。

 そしてもうひとつの理由は、交換式メンテナンスボックスという名の、使用者が自分で交換できる廃インク箱があるということだ。これまでキャノン4台もおしゃかにさせられた廃インク襁褓取り換え問題から、ついに逃れられるらしい、、本当かな?
 メーカーも廃インク問題のクレームにようやく対応するようだが、キャノンにはその機能はまだないらしい。

●肝心の冊子印刷できないぞ
 さて持ち帰って早速に、あれやこれやと面倒なセットアップ作業を乗り越えて、では、わたしがプリンタを持つ唯一の目的の冊子印刷にとりかかった。
 これまでキャノンプリンタで印刷していた冊子印刷用A5判文書ワードファイル原稿を印刷しようと始めた。だがエプソンのやつは、用紙の大きさが違うとか、メモリーが足りないとか、同時にできる機能じゃないとか、生意気にもあれこれいちゃもんつけてきて、ちっとも冊子印刷してくれない。マニュアル読んでもわからない。
 あの店員の奴はできるといったから買ったんだぞ、どうしてくれる、ぷんぷん。
 
 しょうがない、店に行って聞こう。店にはプリンタ係がいて対応してくれる。冊子印刷できるというから買ったのにできない、どうにかしてよと頼んだ。
 ところが、冊子印刷ってなにかを知らないというので、それを教えることから始めた。なんだよ、何がプリンタ係だよ~。
 店員はちょっと待てと店の奥に引っ込んで、しばらくしてマニュアルのリーフレット印刷方法のページをコピーして持ってきてくれて、こうすれば冊子印刷はできますという。

 実はそこに出ていることは既に見て知っているが、それによってもできなかったのだ。
 とにかくエプソンではリーフレットという冊子印刷できることはわかったが、肝心のプリンタが言うことを聞かないんだ、とかいろいろ話してもラチあかないので、もう一度試してみて、わからないとまた電話しますと言って帰ってきた。
 クレーマーにみられないように注意して、ハイテク無知困窮老人を演じた。

 でも、次の日にうちでやっても同じことばかりで冊子印刷できない。またそのプリンタ係店員に電話して、もう一度訪ねるから教えてくださいというと、PCとプリンターを持ってこい、そして講師料3000円という。
 おいおい、1万円もしないものの使い方を教えるのにそれは強欲だろ、じゃあ、この電話で教えてよというと、原稿のA5判がいけないのかもしれない、A4判に書きなおしてやってみてはどうかという。そんな数百ページものファイルを書き直すなんて面倒すぎる、そもそもキャノンにできてエプソンでできないとは何事か、いや、メーカーにより違いますから、とあれこれ話すも、先方も知らないことらだから解決しない。
 大いに腹が立ったが、もう疲れたのであきらめて電話を切った。やれやれ、寝よう。

●急転自主解決に持ち込んだぞ
 そして3日目、頭を冷静にして、こうなりゃ貧者の百科事典のネット検索で方法を見つけるしかない。冊子印刷、A5判、A4判、リーフレット印刷などのキーワードで検索始めたら、意外にも気が抜けるほど簡単にわかってしまった。
 
 そこに書いてあるように、ファイルレイアウト設定をして印刷したら、見事に冊子印刷ができて急転解決、この3日間の悩みは何だったのだ、われながら大感激、ひとりで拍手してしまった。
 実はプリンター操作しなくても、ワードファイルのページレイアウト設定で冊子印刷する方法があるのだった。https://getnavi.jp/business/58554/
 店員はこんな簡単な方法も知らないで3000円も取ろうって詐欺だぞ、あ、そうだ、これを店員に教えて3000円とってやろうかな。 

 しかし、キャノンではこのような元原稿ファイル設定でなくても、普通にA5判原稿で、プリンターを冊子印刷指定すれば普通に印刷できた。
 しかしエプソンでは、ファイルのページレイアウト設定を一部変更する必要があるので、これまで作ってきた本づくり趣味のA5判原稿の全部について、若干手間どるその作業をしなければならないし、やり方によってはレイアウトが崩れる恐れもありそうだ。
 まあ、一度にやらなくても印刷するときにやればよいのだが、忘れそうである。

 さてこれで本づくり趣味をつづけることができるぞ、ことしも山岳部仲間の冊子を作るかな、幼なじみ歌人の歌集をつくるかな、。

2016/09/10

1210【本つくり趣味】この夏は趣味の本つくりで「歌集」に没頭していて暑さを忘れていた

 今朝起きたら、ツクツクボーシの鳴き声がする、おお、秋だなあ。
 今年はとうとうわが書斎兼工房兼寝室を、冷房しないままに秋が来てしまった。
 この夏は冷房しないで過ごそうと決めたのは、うまくいけば、熱中症でポックリとなるだろうって期待をしたのだ。ついでに電気代も少ないエコ生活にもなるという一挙両得?も。

 ところが、意外というか残念というか、あまり暑い日がなかったし、暑い日は風が吹き抜けて、なんとか過ごしてしまった。だからポックリの目論見が外れた。
 もっとも、本当は暑い日があったのかもしれないが、歳とると気温に鈍感になって、暑さが身に応えなくなったのかもしれない。それはそれでエコな体質でよろしい。
 
 もうひとつ冷房しなくても過ごした大きな原因は、この夏は趣味に没頭していて、暑さを心がはねのけたのかもしれない。
 その趣味とは「本つくり」である。この夏はその趣味を生かして、他人様の「歌集」をつくったのだ。6月から編集にかかり、7月に校正、8月に入ってから100冊を造本した。
 これにかかりきりの夏は、心頭滅却すれば火もまた涼しの心境で、暑さも逃げたらしい。

 3人の幼馴染が、それぞれの趣味を持ち寄って、歌集を作ったのである。
 ひとりは歌を詠み、ひとりは花をつくるのが趣味であり、わたしは本をつくるのが趣味だが、3人は全く別々の遠隔地に住むので、一度も顔をあわせることなく、インタネットで結んでの作業であった。いつもは自著の本しか作らないのに、珍しくも他著の本つくりである。

 歌つくり、花つくり、本つくりという、それぞれの趣味を生かして、薔薇の花が彩る可愛らしい歌集が生れた。
 今月になり、その歌集を遥か西の地の二人に送りとどけたら、いつのまにかミンミンゼミが去ってツクツクボーシの鳴く秋になっていた。
歌集『ぽかりぽかり 2007~2016』
歌つくり:藤本孝子、花つくり:定森治子、本つくり:まちもり散人

 その歌集に書いた「あとがき」を載せておく。その歌集の出自を書いておいた。

               ◆◆◆

 (あとがき)  本つくり        まちもり散人(伊達 美徳)

 日常の只事をそっと掬い、はらり羽化させると言霊の蝶になり、軽やかに舞う翅はしばし花に休らう、そんな歌に花を添える歌集の本をつくりたかった。 
 本つくり…これがわたしの趣味、書斎机の電子道具と百円文具を操って、原稿書きから編集装幀印刷製本へと独り愉しむ紙工作の手芸である。
 できた自著自作本を、ひとさまに読めよ観よと押しつけるのも愉しく、そのなかに高梁盆地オマージュ本の『美しい故郷へ』もある。
 他著自作本も稀に手がけるので、幼馴染の媼二人に押しかけ勧誘メールをした。

  近作の歌花集め書に編まむボケの雲霧湧きくる前に

 かくして高梁三原横浜なる歌人花人散人の文芸園芸手芸を電網に結んで編めば、春楡の樹の下にぽかりまたぽかりと歌集が三年に二つ生れ出た。
 はからずも喜寿傘寿記念にもなり、お互いおめでたくてホッとしている。折りから高校卒業還暦同期会にて、これが旧友たちへの挨拶がわりにもなれば、造本担当としてもぼっこー嬉しい。

               ◆◆◆

関連ページ
◆「まちもり叢書」自家製ブックレットシリーズ
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html
1007短歌を詠んだがいつもは詠む趣味はないから突然の歌人
http://datey.blogspot.jp/2014/10/1007.html


2015/07/13

1106【終活遊び】書棚から記憶にない社寺建築の教科書が出てきてデジタル復刻遊びをした

 近ごろは人生の終活中である、といいつつ、身辺のあれこれもろもろを捨てているのだが、実は終活だからと自分に言い聞かせている気配も濃い。
 捨てるのにいちばん悩むのが蔵書である。これまでの人生でどれだけ本を買って来たかよく分らないが、延べ冊数にしたらずいぶんの数で、万の単位だろう。
 自宅もオフィスも本だらけだったが、どちらも何回も引っ越ししたから、その都度にたくさん捨ててきた。
 いま、手もとに残った蔵書は、床から天井までの本棚の幅にして7m足らず、いったい何冊だろうか。半分くらいは、買ったままで読んでない「未読本」である。未読本の読破も終活の重要な仕事である。

 どんな本が本棚のどのあたりにあるか、ほぼ頭の中に入っているので、物書きの時は引っ張り出す。無い本は近くの市立か県立の中央図書館に行けばほぼ間違いなくある。
 だが、ウチの本棚を漁っていると、えっ、こんな本を持ってたっけ、ということもある。
 最近も2冊を発見、発掘した。一冊は大正14年8月発行の雑誌「新建築」創刊号である。
 といっても、本物ではなくて1975年12月号「新建築」の付録の復刻版である。

 もう一冊は、「社寺建築構造」とタイトルがあるA5版、116ページの冊子である。紙が赤茶けてしまっている。母校の大学の講義用と書いてあるから、教科書らしい。
 あれ、なんだろうとパラパラとめくると、まさに神社や寺院の建築構造について、足元から屋根まで、外装から内装まで、図も豊富な教科書である。これは面白そうだ。
 でも、講義を受けた記憶がない。さっそく同期生たちにMLメールで問い合わせたが、誰も記憶がないという。わたしだけがサボったのではなかったと、ホッとした。


そこで同期仲間8名が協力して、デジタル化しつつ読み合わせすることになった。超久しぶりで建築の勉強をすれば、ボケ進行が少しでも遅くなるかもしれないという期待もある。
 スキャナーで画像を取り込み修正、文字はOCRで読みこんで校正という作業を、数ページづつメールで交換しつつ進めた。
 いまどきらしいやり方であるが、旧仮名遣いだし、印刷が悪いので、OCRの誤読が多くて骨が折れた。それでも2カ月でデジタル復刻版が完成した。

 ところが、この本には発行年も著者も書いてない。旧仮名遣いだから戦前の執筆だろう。
 そこで大学時代の恩師である平井聖先生にうかがうと、この教科書の原本は『高等建築學8 建築構造』(常磐書房 1936年刊)の中のひとつ、「社寺建築構造」(角南 隆著)であるとご教示いただいた。
 角南は戦前に東京工業大学で非常勤講師をしていたことがあり、それをそっくりそのまま冊子にして教科書にした。戦前には印刷をもって謄写に替えるとして、著書を教科書に使うことがあったとのこと。

 角南 隆(1887-1980)は、1916年東京帝国大学を卒業して明治神宮造営局、内務省神社局を経て、明治神宮、伊勢神宮をはじめとして数多くの神社建築に携わった建築家である。
 特に明治神宮には創建時から携わり、太平洋戦争の空襲で焼失して戦後再建した現在の社殿は、戦前の形をそのままコピー再現するのではなく、角南による独自の設計が多く加わっているらしい。

 季節がよくなったら、この本をもって明治神宮に行って、冊子の図と社殿とを見比べてみようかと思う。まことに意義深い紅葉狩りになるはずである。
 これをわたしが所蔵していたのは、たぶん、藤岡研究室で京都御所遺構に関する卒業研究の時に、平井先生からいただいたのであろう。
 そういうわけで、今ごろになって勉強した不肖の弟子の話で、これもわたしの本づくり趣味のひとつである。

2014/10/03

1007短歌を詠んだがいつもは詠む趣味はないから突然の歌人

 短歌を詠んでみた。いつもは詠む趣味はないから、突然である。

                        遥 
                        か 
                        西 
ふ   花   大   空   沈       の 
る   咲   川   翔   黙       故 
さ   か   よ   け   の   少   地 
と   せ   わ   る   湖       を 
は   歌   れ   少   に   年   想 
晩   詠   を   年   な       い 
夏   み   連   の   り       て 
や   重   れ   夢   た       `
少   ね   去   い   る       歌 
年   少   れ   く   盆       人 
老   女   濁   た   の       に 
い   ら   流   び   地       倣 
に   よ   に   も   よ       い 
け                       て 
り   老   い   醒   昭       詠 
    い   ず   む   和       め 
は   に   く   れ   二       る 
あ   け   に   ば   十         
り   ら   て   盆   年         
ゃ   し   あ   地   八         
あ   な   れ   の   月       ま 
さ   生   空   森   真       ち 
∫   ひ   広   の   昼       も 
よ   に   け   奥           り 
お   け   れ   底           散 
お   る   ば               人 
い   ぞ                     
や   や                     
さ                         
あ                         
 
     
 詩や歌に解説はいらないだろうが、せっかく詠んだのだから解説しておく。
 「遥か西の故地」とは、わたしが少年時代を過ごした生まれ故郷のの高梁盆地(岡山県)のことである。どうでもいいけど、映画「男はつらいよ」シリーズで、寅次郎の義弟(妹さくらの夫)の出身地で、シリーズに2回登場する町である。
高梁盆地
「歌人に倣いて」とあるのは、これは故郷に住む歌人の歌集の「あとがき」として載せているからだ。なぜ頼まれたかと言えば、実はその歌集を、わたしがDTPで制作したからだ。
歌集「ぽかりぽかり」
歌つくり:藤本孝子
花つくり・写真:定森治子
本つくり:まちもり散人
あとがきを頼まれて、そうだ、わたしも歌を詠んでみるかなと考えていたら、意外にすらすらと心象風景がでてきた。もちろん推敲を何度もした。
 歌のできの良し悪しはともかくとして、詠んだ当人はよくできたもんだと自賛している。
 故郷を想えば誰もが歌人になれるらしい。斉藤茂吉も石川啄木も寺山修司も、そういう歌が多い。それでは、べつの主題で詠んでみようかと頭をひねったら、これがぜんぜんできないのは、何とも不思議である。

 「沈黙の・・・」の歌に解説はいらないだろうが、あの敗戦放送に黙りこくった大人たちの風景である。

 「空翔ける・・」の歌は、さすがに今は見なくなったが、少年時代には空を飛ぶ夢を見たものだった。いや、結構大人になっても見た。
 わたしは丘の中腹にある神社の森の中で生まれ育った。境内から見下ろす街の屋根の上を、夢で何度も飛びまわったものだ。だが、盆地を囲む山を越えることはなかった。

 「大川よ・・」の大川とは高梁川である。この川が盆地をつくって、南に流れて瀬戸内海に注ぐ。少年のわたしは四方を山に囲まれた盆地の閉塞感に悩み、どうやって抜け出るか考えていた。
 結局は大学に入って関東へと脱出を果たしたのだった。故郷の町の歴史文化の深みと美しい景観を認識して高く評価できるようになったのは、ずいぶん後のことである。

 「花咲かせ・・・」は、歌人の親友が育て撮った花の写真が、この歌集に文字通りに花を添えているので、この2人の昔の少女たちへの挨拶歌である。
 歌の後段は、「筒井筒井筒にかけしまろがたけ 生いにけらしな老いにけるぞや」(世阿弥元清・能「井筒」より)のコピーだが、格好よく言えば本歌取りである。
 老いと生いを入れ替えたのは、二人の若さへのお祝いのつもり。老いたのか、いや、成長したのだ、と。

 「ふるさとは・・」の後段は、高梁盆地に伝わる盆踊り歌の囃子言葉である。知っている人なら、そのメロディーが頭の中を流れてくるだろう。
 この歌も本歌取りである、と格好つけて言っておこう。元歌は「村境の春や錆びたる捨て車輪 ふるさとまとめて花いちもんめ」(寺山修司・歌集「田園に死す」より)。

(2016年9月10日追記)
 この藤本孝子歌集「ぽかりぽかり」の続編として、2016年9月に「また、ぽかりぽかり」を制作し、高校の同期会では配布した。
 更に両歌集を総合編集して「ぽかりぽかり2007-2016」を制作した。なお、藤本孝子氏には歌集「春楡のうた」(2007年 砂子書房)がある。
参照記事http://datey.blogspot.com/2016/09/1210.html


2011/10/18

507わたしの本棚

(このエッセイは、雑誌「本の雑誌」に投稿して2011年11月号に掲載された)

 小中学生のころは戦争直後で、本が無かった。あちこちの大人の本棚をあさったので、戦前の漱石とか日本古典の全集もあったが、戦後のカストリ雑誌も読んだ。
 貸し本屋が流行っていて、少ないお小遣いで探偵小説を借りたものだ。わたしには大人用の江戸川乱歩が先だった。

 勤め人になって自分の金で本を買えて嬉しかったが、狭い家ですぐに困って、本棚の空きと相談して買うようになった。
 50歳でフリーランスとなって、東京に仕事場と平日泊りの部屋を借り、鎌倉の自宅は休日用にした。3ヶ所あればもう置き場に困らないと、本買いが止まらなくなった。
 そして20年、仕事をやめて大量の本の処分に窮した。古本屋に売る気にならず、知人たちにあげたり、イベントに無料お持ち帰りをと出したりした。たくさんの「本の雑誌」、「東京人」(坪内さんのころか)、「季刊銀花」なども同じ運命。

 なんとか整理して自宅だけにしたが、ついつい本買いが止まらない。だがいまや本棚も年金家計も限界である。
 そこで去年から、近くの市立と県立図書館の積極活用で、本買い停止と決めた(あ、「本の雑誌」だけは買ってます)。
 近頃の図書館員は若い美女が多くて、「どうぞこちらへ」「ありがとうございました」なんて、町の本屋並みに親切、もっと前から利用すればよかったなあ。

 蔵書量増加は止まったが、机上のPCの中のデータはどんどん増えていく。これは置き場に限度は無いが、難点は整理しにくいことだ。
 本は版型や色を視覚で記憶しているから、たとえ名前がわからなくても、ほぼ間違いなく見つけられる。PCデータは名前でしか記憶できないので、歳とともに名前を忘れるから行方不明が増加する。もっとも、棚の蔵書と同じく、保存してから一回も見ないデータがけっこう多いのだが。

 さて、自分の蔵書が増えなくなったので、他人の蔵書を増やしてやる趣味をはじめた。PCの中にあるわたしの著述類を机上で編集して、「まちもり叢書」と名づけて十数種類、これを装丁・印刷・製本して手製ブックレットにする。
 いやとは言わせないように、わたしの遺言だから受け取ってくれと、知人たちに配っている。ただいま延べ発行部数105冊。(伊達美徳・都心隠居74歳・横浜市)

(この投稿に対して本の雑誌の浜本編集発行人のコメントがついている。曰く「なにはともあれ、本誌だけは購入いただき、ありがとうございます」)

●参照→まちもり叢書
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html

2011/02/18

386「まちもり叢書」発刊

わたしのWEBサイト「まちもり通信」に、あれこれと掲載してきて既に10年余、気がつけばなんだか厖大な数になっている。
 なにしろ書いたもので公開できるものは全部掲載する主義で来たからである。実は家族だけに公開している非公開サイトにあるから、数はもっと多いのである。
 それなりに編集しているのだが、どうもまとまりに欠けるところがある。

 そこで編集趣味に加えて造本趣味を始めることにした。つまりあるテーマで集めた論を、本として編集、装丁、印刷、製本するのである。
 といっても本格的な出版ではなくて、わたしのいつもの机の上でPCを使って編集・装丁、プリンターを使って印刷、机の上でカッターとステップラーと糊で製本するのである。つまり家内DTPである。

 題して「まちもり叢書」シリーズ、昨年の半ば頃から始めて、いまでは9冊になった。続刊も進行中である。会う人ごとに渡して読め読めと迫るのである。
 もしも、この叢書のどれかをほしいという奇特なお方がいらっしゃるなら、
     Eメール(dateygアットgmail.com
にご連絡ください。制作して送ります(もちろんタダ)。

●詳しい内容は→「まちもり叢書」発刊
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html

2010/11/03

344【本づくり趣味】「本の雑誌」に本づくり趣味のことを投稿したら掲載された

「本の雑誌」という名の雑誌がある。椎名誠たちがもう35年も前に創刊した、本好き人間のための月刊誌である。わたしはその頃から愛読している。
 ちょっとマニアックな面もあるが、書き手がなかなかに興味ある人たちだし、小説やエッセイもあって面白い。
中に「三角窓口」という読者投稿欄がある。始めてそこに投稿したら掲載された。下記のような文である。

 若い頃は、読んでいる本を他人に知られるのが恥かしかった。紙カバーのかけ方を数年にわたっていろいろ工夫していたが、ある方法に落ち着いた。
 本誌6月号の「カバー掛けの旅」を見て、おお、わたしは「由緒正しい掛け方」に自主到達していたのだった。
 歳とって恥を知らなくなってカバーはやめた。本屋さんで「カバーはいりません」というと、かならず「恐れ入ります」というのだが、あれは本屋同盟の談合事項だろうか。
 本誌9月号に新潮社『幻の特装本』のイラストがある。わたしは専門書はいくつか出版したが、雑文はわがホームページに載せている。すぐに世に出せるし、売れなくても絶版はないし、世界中の誰かがどこかで読むし、だいいち金がかからないのがよい。
 でもせっかく書いてきたのだから本の形にしてみたい。そこで執筆、印刷、装丁、製本、発行を、机上のPCで5冊だけやると決心。栃折久美子さんの本を読んで、道具を百円ストアで揃えたのが3ヶ月前のこと。
 だが、まだとりかかってていない。そうか、どうせやるなら皮の特装本でつくるぞ。装丁がすごいのなら厚さもいるし、中味もそれなりにしなくちゃ。
 実は父の遺品に、三回の戦場体験の手記があったので、手製ブックレットにして息子や従兄妹に配ったのだが、今度はこれに自分史も加え水増しして大河小説仕立てにすると、それなりの厚さの本になりそうだ。これはなかなかの大プロジェクトである。
 問題は、締切がないので原稿が上がらないおそれがあることだが、人生の締切が近い年頃とも気がついている。
 果たして手製特装本はこの世に出現するか、本当に幻となるか。(伊達美徳 本屋徘徊老人ときどき越後に米つくり73歳・横浜市)

 これに対して、発行人の浜本さんから、「プロジェクトの成功を祈っております」とコメントがついていた。
 文中の新潮社『幻の特装本』とは、新潮社では自社発行の単行本で10万部を突破したベストセラーには、革で特別に装丁した本を4部を作り、2部を著者に寄贈、2部を保存するのだそうだ。
 その革で装本する職人芸をイラストで紹介した記事のことである。下手くそでもいいから、わたしもやってみたい。
●参照→325まちもり叢書縁起

●自家製ブックレット「まちもり叢書シリーズ

2010/10/07

325【本づくり趣味】「まちもり叢書」縁起

 以前に書籍の手作りなる趣味をはじめたことを書いた。
 306手製本2種http://datey.blogspot.com/2010/08/306.html
 268本作り趣味 http://datey.blogspot.com/2010/05/268.html
 本日、第5号「街なかで暮らす」ができて、これまで5種類の本を編集したことになる。
 そこで、よく会う人たち、久しぶりに会う人たち、その人が読みそうなもの、というより、その人に読ませたいものを選んで手製の本にして、勝手に押し付けている。
 5種類ともなると、なんだかシリーズになるような気がしてきた。
そこで「まちもり叢書」と名づけることにした。随時出版つまりDTPである。
 各本の最後に下記のようないわれを書いた。

●まちもり叢書縁起 2010年8月 まちもり散人
 長い人生で仕事やその周辺、そして趣味でたくさんの文章を書いてきた。いわゆる商業出版物は、共著も含めて10冊くらいだろうか。仕事でまとめた報告書なる印刷物は、200冊を越えるだろう。それらは商業出版ではないが、わたしとしては面白がって、私見もたくさん書き込んだものである。雑誌への雑分類の寄稿もある。
 それらの昔の頃からの書き物を整理して、2000年末からインタネットサイト「まちもり通信」に掲載を始めた。そのうちに書き下ろしも載せるようになり、ついには2008年からブログ「伊達な世界」も始めた。ぼう大なファイル数のサイトになってしまった。
 実は10年くらいまえに、主なものをまとめて出版しようかと思ってその気になった。だが思い直した。これほどにインタネットが普及すると、紙情報よりもこちらのほうが優れていると思うようになった。絶版はないし、誰でもアクセスできるし、ほとんど無料だし、随時公開できるのである。
 だが問題は、読ませたい人が読んでいただいているかどうかとなると、インタネットはまことに心細い。これが書籍ならば、こちらから一方的に直接押し付けて、読め読めと催促できるし、読む人も持って歩いて電車でも読める。
 そこで考えた。ジャンルを決めて編集し、机上でデザインして編集、プリントして装丁・製本、趣味の手作り本にして、そのときどきの見せたい人に配ることにしたのである。
 題して「まちもり叢書」、随時出版、つまりDTPである。
 今これをお読みの方は、その被害者のお一人である。なにとぞ、徘徊老人のボケに免じてご容赦を。

 そして現今既刊と将来刊行見込みはこうである。

●まちもり叢書・趣味の卓上手作り出版
―――既刊(2010.10時点)―――
父の十五年戦争/神主通信兵の手記を読み解く
波羅立ち猜時記/日々の小言僻言繰言寝言
・街なかで暮らす/あぶないマンション・いらないバイパス
―――続刊(見込み)―――
・建築保存とは何か/赤煉瓦東京駅舎の復原から考える
・中越山村の四季/棚田の米つくりから見てくること
・自然の風景・文化の景観/なにもかもが人間の仕業
・山口文象/時代の先端を駆け抜けた異色建築家
・高梁川/鎮守の森から

 さて、続刊できますかどうか、われとわが身を試すお楽しみである。

●参照⇒「まちもり叢書」ブックレットシリーズ

2010/08/28

310【本づくり趣味】手製本「まちもり叢書」第3号と4号を発行

本作り趣味を始めて、第3号と第4号の著書を作った。
 第1号は「父の十五年戦争」(発行部数11部)である。父が兵役についた満州事変、日中戦争、太平洋戦争の時に書いた手記である。
 
 第2号は「横浜B級観光ガイドブック・関外編」(同6部)。関外地区のことをあれこれ書いている。
 このガイドブックは、表紙をデザインしてくれた友人に3冊、そのほかの友人2人に1冊ずつ、息子に一冊で、今日までに合計発行部数は6冊である。

 今度の第3号は「波羅立ち猜時記」なるイチャモンエッセイ集で、堂々の120ページである。背に文字が入る。これは友人3名に居酒屋で押し付けた。今のところ発行部数3部である。

 つづく第4号は「あなたの街の都市計画はこんな会議が決めている」というのである。
 2008年11月から今年7月まで横浜都市計画審議会で公募市民委員を務めたので、その全7回の会議のドキュメンタリー報告である。これも堂々の112ページ。
 これは発行部数2冊、都市計画審議会の会議のための下調べなどで協力してくれた友人2人に送った。

 オンデマンド出版である。もっとも、デマンドはどこからもないので、デマ運動出版の押し付け発送である。
 だれかに送りつけようと思いついたら、その都度、内職みたいに机上作業をやる。何冊もやってくるとそれなりに手際がよくなってくる。
 いまのところホッチキス中綴じ製本だが、いつになったら糸でとじて、花きれもつけ、ハードカバーで、革装の豪華本を制作することができるだろうか。

●関連→306手製本2種

2010/08/18

306【本づくり趣味】手製本を2種つくった

 暑い、暑い、この3日間は締め切って冷房機をつけっぱなし。潜水艦の中にいるようで、閉所恐怖症気味のわたしはどうにもたまらない。
 時々は浮上して窓をあけて、ホンモノの空気を入れるが、これがまあ潜水中にいつのまにか熱湯の風呂桶の中に来ていたらしいのである。
 こもっていて不全をなすだけではなるまいと、ここらで趣味の手製本にそろそろ取り掛かることにした。

「父の十五年戦争」は、5月にキンコーズでプリントだけして、中綴じ10部つくって、息子や弟、従兄妹たちにくばった。これがまあ、テストである。
 今回からは、材料のほかはなにからなにまで自家製とするとして、「父の十五年戦争」新規製作からはじめた。
 東急ハンズで買ってきた二つ折り中綴じ専用のA4用紙に、これも最近買った新しいプリンターで冊子印刷で自家プリント、二つ折り中綴じホッチキスとめ製本、別紙で見返しと表紙をつけて、A5版55ページの本として製作した。これは息子にやった。
 その次は、「横浜B級観光ガイドブック 関外 横浜戦後復興の残照」である。
これには、絵画を趣味とする畏友に表紙のデザインを頼み、ついでに装丁もいろいろと助言してもらった。6冊と20枚程度の失敗刷りを経て、A5版、中綴じ、36ページ、オールカラーでできあがった。
 こちらは「父の十五年戦争」よりも、かなり質が高い。いや中味じゃなくて、体裁のことである。
 さっそく試作第1号を畏友にさし上げたところ、沢山のダメ出しをくらった。どの意見もごもっともである。
 で、今日は大幅に直して、40ページに仕立て直した試作第2号を送った。またどんな意見具申がくるか楽しみである。
    ◆
 こんな程度の厚さの本では、いつか買ってきた道具は、まだほとんど出番がない。
「本の雑誌」9月号に、新潮社では10万部販売突破した自社出版本は、4冊限定で特性の豪華皮装本にするとて、その製本過程のイラストレーションが描いてある。
 これだけで製本方法が分かるわけもなし、ものすごい年季の入った職人芸らしいから、わたしがすぐ真似することはできないが、こちらは自分が書いたものを、自分の趣味で本にするのだから、ちょっとくらい不体裁にできてもいいから、イッチョウやってみるかって気になった。

 立派な本は厚みが必要である。まあ、内容はともかく厚みだけなら、これまで書いてきた駄文を、アンソロジー風に編集すればなんとでもなる。
 しかし、装丁が立派なら、ついでに中味も立派な内容にしたいようにも思う、という大問題がクラウドの如く立ちのぼってきた。あ、いまどきのクラウドとはちがいますね。

 そうだなあ、書きおろしは大変だから、書き下ろし風におおきく編集し直しするか。
 それなら「父の十五年戦争」にくわえて、ご先祖様のこと、故郷のこと、自分自身のそこでの暮らしのことなどを、これまで書いてきたものをつなぎ合わせ、間につなぎ文を書き加えつつ、大河小説風にまとめると、けっこういいかも、、うん、いいぞ、やれ~。だれでもひとつは小説を書けるって、ソレである。

 大問題は、いつになったらその原稿がまとまってできあがるかである。なにしろ出版社から締切を追われることがないのだから、いつになってもできそうもない。
 だが、気がついたのだ、出版社よりも厳しい締切があることに、。
 ボケである。うん、早くやらなくちゃ。
 
 ●参照→268本作り趣味  http://datey.blogspot.com/2010/05/268.html

2010/05/17

268【本作り趣味】新しい趣味として自家製本づくりを始めることにした

 新しい趣味を始めようと思い立った。思い立ったら書いておかないと忘れるから、ここに書く。
 しかも、道具をすぐに揃えたから、思うだけでやらないってわけには行かないハメに、自分自身を陥らせたのである。
 製本というか装丁というかブックデザインというか、そういう手仕事をやってみることにした。

 早速に図書館からそのための本を借りてきた。栃折久美子著「ワープロで私家版づくり」と同じ著者の「装丁ノート」である。
 読んで基本的なことは分かった。そこでWEB検索したら、ここにも製本の方法を書いたサイトがいくつもある。
 WEBサイトでわかったのだが、自分史を書いて本にしたり、ブログに書いたことを本にするのが流行しているらしい。

 それは自費出版もあるけど、製本趣味で本にすることも流行しているようだ。製本趣味の教室もあるらしいし、NHKで趣味の放送もあったとか。
 なるほど、そういう時代なのか。
 栃折さんの本を読むと、製本はけっこう大昔からあった手仕事で、それなりに面白そうで、奥も深いようだ。
   
 わたしが突然に製本を趣味にしようかと思いついたのは、「父の十五年戦争」なる長文の記録を書いて、キンコーズでプリンター印刷し、ステップラーで中綴じしたA5版冊子を数冊つくり、従兄妹と息子たちに配ったことに端を発する。

 一応は配布し終えたのだが、そうか、表紙をつけてもうちょっと格好よい本にすることもあるなと気が付いた。しかも自分の趣味で一冊一冊異なるデザインにするのだ。いいぞ。
 そうやって、東急ハンズと100円ストアーであれこれと材料と道具を買ってしまったのだ。

 では早速に本にしようかと、新たな紙に新たなインクで印刷をして、5折りの本文(ほんもん)はできた。これを糸で綴じるかと眺めているうちに、もっと厚いほうが立派になるなあ、なんて、欲が出てきた。
 そうなると、ほかの原稿も取り出して編集することになる。それはそれで面白そうだ。やってみようと思いついた。

 だが、まだ始めていない。ほかに先にやるべきことが、それなりにある。
 楽しみは6月になってからだ。趣味は急ぐことはない。問題は忘れることだけだ。だからここに書いておく。

参照⇒◆「まちもり叢書」自家製ブックレットシリーズ