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2024/02/09

1791【言葉の酔時記:無洗米】意味不明の高価なコメだが「無銭米」の変換間違いか

  妙な名前のコメを近くの食品量販店で買ってきた。5㎏入りの袋の中央に「あきたこまち」とあるのはコメの銘柄だろうが、その右上に「無洗米」と大きく書いてあり、さらに「とがずに炊ける」とも書き添えてある。

 はて、「無洗」とは「洗って無い」ということだろう。でも普通は買ったコメを洗って炊いて飯にしているのが日常のことだ。それなのにわざわざ洗ってないと断わるのはなぜだろうか。

 同じ「あきたこまち」の米袋でも、無洗米と書いてないものもたくさん積んである。それらとこの洗ってないのとはどう違うのかしげしげ眺めたら、値段が違う。「無洗米」の方が200円も高いのだ。洗う手間がかかってない方が高価とはなぜ?

 「とがずに炊ける 無洗米」は特別な栽培方法であり、販売前に洗うと、例えば超美味とかって効果がなくなるにちがいない。だから消費者に洗わないで売るのだろう。買ってから洗うのは、すぐ炊くから効果があるのだろうか。研ぐのもいけないらしい。

 近ごろは「コメを洗う」と言うのが普通だが、わたしが少年のころは「コメを研ぐ」と言ったものだった。コメに糠が多くまみれていたので、洗うときにしっかりと研ぐように何度もかき混ぜるのだ。近ごろは精米がきちんとしているから洗うだけでもよいと言う。

 そういえば少年のころ、米を入れた一升瓶に細い木の棒をさし込んで、何回も撞く作業をさせられたことがあった。あれはたぶん配給の玄米を家庭で精米する作業だったのだろう。撞いたコメを水で洗いつつ研いだのも、糠を拭うには洗うだけではなく研がねばならなかった。

 この「無洗米」のいう「とがすに炊ける」とは「研がずに炊ける」の意味だろうから、「洗ってない米を研がないでも炊ける」ということになる。つまりこれは「無洗米かつ不研米」ということかしら、どうもよくわからない。洗ってもないし研いでもない「無洗米」なるコメは、いったいどんな付加価値で200円も高いのか。

 ところで、新商品として開発してほしいコメがある。それは「無銭米」または「無円米」である。待っているぞ。

(20240209記)

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伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
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2023/10/30

1724 【新聞広告ご馳走】どれ食っても同じ味にちがいないと見えるご馳走極彩色写真に辟易

 新聞が来ても全く見ないページがかなりある。とにかく全面広告ページは全く見ない。スポーツページも99%見ない。ごくたまにスポーツ界キャンダルが載ると読むだけだ。

 ところで、こんな料理の極彩色の全面広告ページに、つい目が行った。派手な総天然色写真の「おせち料理」が、もう予約の季節なのか全面広告に登場している。しかし、全体を見てもどれかを見ても食欲がわかない。同じ味に見えてくる。

 むかし、この外注型お節料理を何度か購入したことがある。夫婦二人には食べきれないし、そもそも味がどれも同じようなもので飽きてしまう。正月3日目には食卓に残飯の散らかる様相を呈してきて、見るのも嫌になる。


 また別のページの全面カラー広告には、毎食事用のおかずであり、家庭にどさっと冷凍で送り付けてくるのを、毎食時にレンジで温めるらしい。
 フム、歳とって老人一人か二人で食べるのに便利であるような気がする。和洋中なんでも日替わりで食べられて、便利そうだ。

 だが便利には見えても、美味にはちっとも見えない。見たところ食材は異なるようだが、どれもこれも同じような色で、皿に同じようにレイアウトされているから、どれを食べても同じ味に違いないと思えてくる。まあ、実物は魅力的な味と姿だが、この広告写真の出来が悪いのであろう、たぶん。

 それで思い出した。昔々のこと、東京駅前の大きなオフィスビル内に仕事場があった頃、昼前になると弁当屋がオフィス内にまで売りに来たものだ。外の店に行くと混雑するのでよく利用した。毎日異なるメニューであった。

 初めのうちは毎日違う料理の弁当を食って楽しんでいたが、毎日その同じ弁当屋から違うものを買っていても、いつも何を食っても同じ味になってきて、嫌になってしまった。弁当が変わったのではなくて、こちらの口が変わったのだ。
 多分、大きな厨房で大量の弁当を作るのだろうが、同じ厨房でいつも同じ作業員や同じ機械が量産体制で作れば、材料に関係なく同じ味になるものだろう、と思った。

 この広告写真の同じ様に並ぶおかずを見ていて、そのことを思い出した。わたしは食い物には恬淡としているのだが、これは願い下げである。朝昼晩と異なるおかずで毎日の飯を食うのはいいことだと思うが、毎度またこの味かあ、なんて思いたくない。

 まだ飽食の時代が続いているようだ。だが、国際情勢が不安定なコロナ後世界が来ると、食糧難の時代が来るだろう。その頃はどのような生活をしているのだろうか。1940年から10年間ほどのあの酷い生活がまた来そうだ。その頃はわたしはこの世に居ないから、知ったことではない。

(20231030記)

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伊達美徳=まちもり散人
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2022/10/21

1651【背番号カード】マイナーな庶民がわずかなマイナーポイントに釣られて作るマイナーカード

●マイナーカードにマイナーポイント

 国民背番号券というものがある。正式名称を知らないが、世の中ではマイナーカードと言っているようだ。なぜメジャーではなくマイナーなのかも知らぬが、なんだか控えめな態度である。

 わたしはそのマイナーカードをすでに2016年に作って持っている。何の役に立つか知らないが、それでも持つ理由はそれが個人の身分証明書になるからである。世の瘋癲老人たちと同様に、わが身を証明するものは健康保険証の紙きれだけであるのが、ちょっと不安になっていたのでこれを取得した。幸か不幸か未だに役立った記憶にない。

 ところが聞くところによると、いまごろになってマイナーカードを取得すると、取得者に対して政府が5000ポイントを付与するという。早く言えば5000円を税金から還付するらしい。ポイントなんてケチなことじゃなくて現金をよこせと思う。

 それを聞いて思ったのは、早く取得した私には5000ポイント付与が無い、それって不公平だぞってことである。更に加えて、健康保険証をカードに記憶させたら何千ポイントか、銀行預金番号を覚えさせたらさらに何千ポイントか付与するそうだ。要するにマイナーカード普及が進まないために、カード特売おまけ作戦である。

 政府も落ちぶれたもんだ、国民もバカにされたもんだ。カードが普及しないのは、音頭を取る政府に信用がないからである。制度に信用がないからである。信用構築が先だろ。
 政府がポイント業を始めたのかと思ったら、民間ポイント屋に頼るのだそうだ。おいおい民間ポイント屋がつぶれたらその付与した税金はどうなるんだよ、無責任だぞ。

 なんだかあさましい感じがする。このところ民間ポイント屋が、何でもかんでもポイントだのペイペイだのって、あさましい商戦展開しているのに政府も乗るのかい、そして小金が欲しい貧乏庶民も乗せられるのかいっ。わたしはどうもポイントって小金をちょこちょこためているようであさましい感があって馴染めない。貧乏人は貧乏っぽいことが嫌いなのだ。

 だからと言ってポイントを全く無視しているのでもないのが、これまた貧乏庶民である。昨年にガラパゴス式携帯電話機スマートフォン転落したときに、諸般の事情から「落転カード」を取得したら、なんと1万5000ポイントが付いていた、初期サービスらしい。

 そこで貧乏人は喜んで越後のコメとポイントを米と交換して、コシヒカリを味わった以後このカードで買い物をするとポイントが勝手についているので、時には一掃して買い物に充てている。しかし、たいした額にはならぬのは、貧乏人は大量ポイントを獲得するほどの買い物をしないからだ。ポイントなんてどうでもよい。

●マイナーポイントゲット第1回戦

 そんなところにマイナーカードのマイナーポイントの話である。健康保険証や預金通帳との連動は論外の大きなお世話だからやらない。それほども政府を信用していない。
 しかし、もう取得してしまったマイナーカードにもマイナーポイントをよこさないと、実に不公平であると思ったのである。なにせそのポイントの原資は、わたしもなけなしの年金から差し引かれた税金なのだから。

 ある日、いつもの市中徘徊中に市庁舎を通り抜けようとして、その一角にマイナーナンバーカード受付コーナーなるものがあるのに気づいた。数人の市民が何やら担当者らしい人と話をしている。そうだ、ここで不公平の文句を言ってやろう。

「わたしはすでに制度当初から背番号券を持っている、5千ポイントよこしなさい」
「はい、それならば、お近くでもどこでもよいのですが、区役所にその受付がありますから、いらしてください」
「おお、そうですか、カード持って行けばいいのかい」
「お持ちになるものは、マイナーカード、その4桁の暗証番号、キャッシュレス決済サービス銀行預金通帳健康保険証です、はいこれがそのメモです」
「ありがとう、でも銀行通帳と健康保険証をカードに覚えさせるのは嫌です」
「それなら通帳も保険証もなくてけっこうです」
「え~と、キャッシュレス何とかカンとかって何ですか」
「いわゆるポイントカードのことですが、、、」
「わたしはポイントカードは嫌いだけど、落転クレジットカードはどう?」
「はいそれでも結構です。その暗証番号もお忘れなく」
ということでポイントゲット作戦第1回戦が終わった。次は区役所に行こう。

●マイナーポイントゲット第2回戦に敗退

マイナーポイントとコロナワクチンが並ぶところが今日的風景

 数日後(正確には2022年10月21日13時半)、先日にくれたメモにあるものを用意して、区役所の当該担当に行った。
 ちょっと待たされたが、先に座っている老人らしい男の声が大きい。
「もういいよ、うそばっかり、こうしろっていうからそうしてここに来たんだよ、それなのにこれは何だよ、ちっとも進んでないよっ、もう帰るっ」
「はいはい、でもせっかくいらしたのですから、解決しましょうよ」

 おやおや、いるもんだなあ、何だか機先を制せられた感があった。わたしは怒らないでやろう、なんて思うのだった。まもなくPCのあるデスクに座らされた。
 まずマイナーナンバーカードを小さな判読装置(というのか)に乗せろという。担当女性がPCをいじって言う。

「マイナーカード暗証番号を記入してくださってよろしいですか?」
「あのね、よろしいかとわたしに訊かれても、初めてここに来たばかりですので、よいか悪いか判断できません」
「え、あ、ああ、では、暗証番号を入力してください」
「はい、カタカタ」(キーボードの音)
「では、キャッシュレス決済はなにですか」
「はい落転カードです」
「えーと、この一覧の中でこれですか」
「あ、そのロゴは落転ポイントでしょ、わたしのは落転カードです」

 カード屋のロゴマークがいっぱい掲載されているマニュアルのようなものを示された。その数のあまりの多さに驚く。どいつもこいつもこれで一儲けとて参加してるのだな、近あにいれば中にはつぶれる奴もいるだろう、付与ポイントはどうなる、リスクは誰が?

「はい、クレジットカードですね、あ、こちらですね、あのね、いいですか、ポイントを使おうと思ったら、その前に2万円チャージが必要になりますが、よろしいですね」
「え、チャージ?、あのねクレジットードに金銭チャージ機能はないよ、できないよ」
「あ、あ、そうでした、ゴメンなさい」
「おい、大丈夫かい、いいのかい、分かってるんかい」
 担当者もすべてを知っているのでもないらしいのが気になる。

「では次にここにそのクレジットカードの決済サービスIDを入力してください」
「え~と、落転カードIDはメールアドレスだ、カタカタカタ、あれ、受け付けない、じゃあPWかな、カタカタ、え、これも受け付けないよ」
「あの、決済サービスIDなんすけど、」
「なに?、それ、ここに来る前の市役所でそんなもの必要と言わなかったよ」
「でも、それが要るんです」
「ああ、ちゃんと言ってほしかった、でもそんなもの知らない、見たことない」
落転カードサイトのe-NAVIに入るとそれが書いてあります、スマフォお持ちでしょ」
「ここにもってるけど、年寄りはね、こんな小さな字の入力ができないんだよ」
「でもそれがないと、、」
「あ、そうだ、このPCでネットにつないで落転サイトに入るよ、それならすぐだ」
「あ、これはこれ以外に使えないのです」
「う~む、しょうがない、うちに戻ってPCでそれを探します」

 第2回戦に敗退してスゴスゴと帰宅、でも最後っ屁にひとこと言っておいた。
「あのね、そういうIDが必要と市役所では全く言わなかった、あそこにちゃんと連絡して、それも必要だと教えておいてください、わたしのような無駄足踏ませないようにね」

●マイナーポイントゲット第3回戦で成功

 うちにもどって、もう何だか嫌になってきたが、せっかく始めたのだからと気を取り直してPCに向かった。例の「決済サービスID」なるものの発見作業である。
 今はこのマイナーポイントが世間の評判だから、落転サイトに大きく出てるだろうと思ったら大間違い、あれやこれやと探れど不明、途中で嫌になって何度もやめようとした。ようやくe-NAVIの片隅の片隅で発掘した。30分以上もたっていた、暇つぶしそのものだ。

 そこには「決済カードサービスID」(英数大文字9字)と「セキュリティコード」(数字8字)なるものが載っている。先ほど区役所担当は、IDを持って来いとはいったけど、もしかしてふたつとも要るかもしれないとメモを取った。
 さてもう4時過ぎだよ、また区役所にいくのか、面倒だなあ、でも明日は土曜日だしなあ、月曜まで今の意気込みが持続しないよなあ、えい、4時半までなら大丈夫だろうと立ち上った。

 区役所の先ほどのところに行くと、先ほどの女性がまた担当してくれた。
「おっしゃる通りに見つけて、意気揚々と再び今度こそとやって来ましたよ」
「おお、それは良かったですね、さあ、どうぞ」

 先ほどと同じ工程でPCに入力、そして件の「決済カードサービスID」入力が来て無事通過、そうしたら次の入力要求がなんと「セキュリティコード」である。言われなくてもメモしてきてよかった。これも無事通過で、何やら担当者がいじって「完了」、ヤレヤレ。

「おお、ありがとう、今度こそうまく行ったね、でもこの件で役所に来るのはこれで3度目だよ、こんなことしてる人が日本列島で何万人もいるだろうなあ、何とかしなさいよ、この状況をちゃんとフィードバックしてね、じゃあ、どうもありがとう」

 とにかくようやく3回戦にして勝負がついてよかった。延長4回戦に持ち込まれたら、ぜったいに怒鳴ったね。
 といっても、ポイントをすぐさま利用できるのでもないらしく、数か月先になる可能性もあるらしい。でもいいのだ、ポイントが欲しくて意地張ったのじゃない、不公平が嫌だからゲットしただけだからね、フン。    (20221021記)

(2023/01/25追記)
 上記の様に去年10月に、マイナーカード利用者としての権利であるところの、マイナーポイント5000Pを落転カードに取り入れて、税金を取りもどすべく面倒な手続きをしたのを忘れていた。
 今年の初めに思い出して、未だポイント付かないのはなぜか、政府に騙されたのかと思ったが、また忘れていた。今日、落転カード屋からのメールで5000p付与した通知あり。
 これって「付与」するものかしら、付与とはgiveってことだが、あれは「還付」または「交付」と言うべきだろう。ましてやカード屋が与えてくれるものではない。
 あれからもう3カ月、なるほど、あんな面倒な手続きしたのだから、ポイントを呉れるための政府とカード屋の側の手続きも、同様に面倒なんだろう、しっかり時間がかかったね。

(2023年2月15日追記)
 マイナーカードから落転カードにつけてきた5000p、つまり5000円のおまけを、買い物などで落転カードを利用した今月分支払いに使いきり、3万円なにがしかの支払額が2万円なにがしかに減額した。なんとまあ手続きから5カ月もかかって、ようやく税金5000円の取り戻すことが実現したのであった、ヤレヤレ。

 ところで最近のニューズによれば、政府はマイナー押しつけを強力にやる方針らしく、そのうちにマイナーカード国民皆所持強制制に持ち込む算段らしい。誰もかれもがマイナー国民になるのだ。もうメジャーなことは言っていられなくなる。
 なんしろ健康保険カードと合体から始まり、各種給付金支払い銀行口座もおぼえこませる、そのほか何でもかんでも合体させる噂がある。地方自治体ごとにマイナーカード取得を子沿わせて、その成績によっ地方交付税に差をつけるという、やくざな話もあるとか。
 どうせそうされてしまうのなら、今のうちにおまけを貰うように手続きするかなあと、だれも思うに違いない。ヤレヤレ。

2022/07/08

1628【痛風かしら】突然の右足親指付け根あたり痛み、久しぶりに病院で3時間半を過ごしてきた

  病院とはなんと時間を食うところか、足が痛いだけで入って出るまで3時間もかかった。

●右足付け根あたりが痛い
 5日前から急に右足親指の付け根あたりの左側が痛くなってきた。赤くむくんでいて触ると痛い。右足裏の内側を床につけると痛いので、外側だけを使うのだがそれでも痛いし、力が入らない。親指を使うことができないと力が入らなくて不便なことが分かった。ビッコ歩きである。

 右足に力が入らないので、立ち上がるときに左足だけに頼るのだが、左足だけでは立ち上がることができなくなっていることに気が付いた。老化である。あたりにすがってよろよろ立ち上がる。
 こんなことは初めてだが、体験的にはこの痛みは、転んで腕骨にヒビが入った時の患部とと同じ感じである。でも、ひびが入るほどの衝撃を右足親指近くに与えた記憶が全くない。

2番目の関節が痛い
 すぐ治るだろうと放っていたがだんだん痛くなる。これは医者に見せるのがいいなと思い、どこに行けばよいかネットで調べる。「右足親指付け根が痛い」で検索したら、いきなりこれが出てきた『足の親指の付け根が痛い強剛母趾』。おおこれだ、書いてある症状が私にピッタリ、これならば整形外科に行けと書いてある。

 そうか、寝てるだけでも痛いから、明日は近所の掖済会病院に行こうと決意する。掖済会病院の整形外科には、20年前にここに移転した時も右足股関節が痛くて診察してもらったのが初めて(2003年)、その次は自転車から落ちて腰椎圧迫骨折の時(2015年)、それ以来である。

●久しぶりに病院に
 ということで2022年7月8日、うちから50mほどの病院に、杖ついて15分くらいかけてよちよちと歩いた。7年ぶりに掖済会病院の整形外科で、8時半受付開始、9時診察開始とて、8時40分に入った。出てきたのが12時だったから3時間20分もいたことになる。

 診察は予約者が先らしく、1時間も待った。読むべき本を持ち込んで読むべきところを読み終えた。若い男性医師(釜田祥史)の診察は足の状態をちょっと触ってみて「痛風かもしれません」とて、血液検査、尿検査、X線撮影に回された。

 採決する女性看護師が私の腕の静脈を探しあぐねて、「いつもどのあたりで採りますか」と聞く。「いつもといわれても、めったに採られないので分かりません」、しばらく探してようやく見つけたらしく無事採血完了。X線はさすがに全身ではなくて、右足首から下だけ撮影だった。近頃はX線も当然デジタルでフィルムレスと、後で見た診療明細に書いてあった。

 それらの結果が出るには1時間かかり、それからようやくまた釜田医師の診断に戻る。
 モニターに血液検査の数字が並んでいるのを見せながら、
「いくつかにエンショウがあります。これは痛風ですね」
「エンショウって何のことですか」
 答えてくれたが実は覚えていない。延焼か円生でもないな、まさか艶笑でもないな、なんて考えていたら、左耳から右耳へ頭を通り抜けた。

●痛風の診断
 要するに痛風なんだろ、友人に多くいるよ、数字を見てもなんだかわからないよ。要するにたくさんの検査項目の中に何か不都合な数値があるのだろう。

 だが整形外科に来ることにしたネットページ「強剛母趾」とは異なるのが解せない。
「先生、ちょっと立ち入って伺いますが、どの医科に診てもらうかネットで見たら、わたしとピッタリの症状の足の骨の病気が乗っており、その病名は忘れましたが、そこには整形外科に行けとあり、だからここに来ました。でも、今お聞きすると痛風とのことですが、そのネットにある骨の病気ではないのですね。では内科に行くべきでしたか」

「痛風は整形外科でも内科でもどちらでもよいのです。X線撮影写真でご覧のように骨に異常はありません。痛風の痛み止め薬を1週間分出しますので、また来週に状況を見ましょう」
「おお、これが私の足の骨ですか、へ~、面白いなあ、ちょっと写真撮らせてください」、足の骨写真を見ているうちに、何しに来たのか忘れた。

 ということで、こちらの都合を聞かずに一方的に1週間後の「次回予約票」を渡された。こいつは全く予定のないやつだと見破られたらしい。
 診療費は1320円、処方箋薬は痛み止めとその薬用の胃薬1週間分で180円、3時間半でこの値段なら映画見るよりも安いヒマツブシだった。

 ●本当に通風だろうか 
 でも本当に通風かなあ、だって痛風って贅沢病というよなあ、わたしは何の贅沢なものも食ってないよ、グルメ好きじゃないし、そもそも食べ物に興味ないしなあ、それにコロナ禍以来誰も付き合ってくれないから酒もめったに飲まないしなあ。友人たちの中に痛風の奴がいて、プリン体がドートカコートカ言いつつ酒を選ぶのを変な奴と思ってたけど、わたしもそれやるのかなあ。 

 実はこの病院の整形外科で誤診された経験がある。2003年に初めて来て、股関節の痛み神経痛と診断された。でも、その治療してたけど、ちっとも治らない。
 そこでセカンドオピニオンを市大の市民総合医療センターでやったら、不治の病の大腿骨骨頭壊死症と診断されて治療方法なし、定期検査だけ。
 ところが不治の病のはずが半年後に自然治癒した。つまりこれも誤診で、実は大腿骨骨頭萎縮症であったとの診断(詳しくはこちら)、以後は医師を懐疑の目で見る。

 今回のように近頃の患者は、あらかじめネットで自分の症状を自己診察してきて、素人考えをあれこれ知ったかぶりで喋るから、医者はやりにくいだろう。しかし、今回のようにこちらにその件では一言も対応してくれないのもどんなもんだろうかと思う。
 その逆に、医者のほうは初めて出会う症例でも、その場でネット検索して関連情報を得ることができるから、対応しやすいだろう。

 というわけで久しぶりの病だが、このままではわたしの唯一の能力である歩行がなくなって、生きている甲斐がない。とりあえず1週間後に薬が効いて治っているか、それともまたもや不治の病か、はたまた誤診か興味深いことである。  (20220708記)

腫れも赤みも引かない
(20220710追記)
 毎食後の痛み止め薬が効いたのか、痛みは9割がた消えたので、歩行が楽になった。しかしまだ右足親指第2関節あたり甲と裏の腫れが引かないので、歩行時に違和感がありかばうのでビッコ歩きになる。指に触ってもなんともないが、腫れのあたりに触ると痛くはないが違和感がある。

 贅沢病といわれる痛風にかかるとは、平素は粗食だし酒もコロナでの飲み会禁止だし、徘徊で適宜運動しているから、私に覚えがない。ちかごろ何か特殊なものを食ったに違いない。考えていて思いついたのは、7月2日午後に昔山岳部仲間7人との会合あり、とんかつパクパクビールガブガブ、これだな、7月4日午後から痛くなったということは、痛風毒が足まで回るのに2日かかったのか、そうに違いない。

(20220712追記)
 10日の症状とあまり変わりないが、また痛くなるという恐怖からは逃れている。
 同年輩の友人たちに「貧乏な俺だって贅沢病になったぞ」と自慢メールを出したら、数名から先輩として返信があった。
 「贅沢病にようこそ」と歓迎をされ、とにかく水を飲んで痛風毒を流し出せとの助言も有り難く嬉しい、水ならば薬と違って貧乏人向きだ。
 ゆっくりと近所買い物往復を復活したが、徘徊はまだ怖い

(20220715追記)
 予約していたこの日に診療に行った。医師が見て触り聞き、治りつつあるとのこと。
 「もしもかかりつけ内科に行きたいならそうしてください」というのは、「前回に私が痛憤なら外科じゃなくてないかでしょ」と聞いたことを覚えていたのだろう。
 「いや、かかりつけって無いし、そもそもめったに医者にかからない。今更どこかのないかを探すのも面倒なので、続けてよろしく」
 塗り薬と尿素退治の飲み薬を1か月分処方、診療代200円、薬代250円。所要時間は受付から支払いまで30分で、前回の3時間と大きな違い。



2022/01/14

1605【コロナ第6波来たる】人生に飽きた八十路にパンデミック行方見たくて生き甲斐ふつふつ

●ロッパが来た

熊五郎
:やあ、ご隠居、生きてますかい、謹賀新年ですよ~。
ご隠居:おや熊さんかい、ウン、新年おめでとう、まだ生きてるよ。まあお上がりよ、新年会やろうよ。
:はいはい、久しぶりに飲み会やりましょう、二人だとコロナまん延防止規制の飲み会人数制限以下ですね。
:そんなことはどうでもいいだろ、ささ一杯やりなよ。
:あのね、ご隠居、沖縄とか山口とかの県では大変らしい、なのに酒飲んでいていいのかしらと思うでしょ。
:お前ね、まるで戦争中の「戦地の兵隊さんのことを考え我慢せよ」と、あれこれ生活に難癖付けられたことを思い出させるね。
:うわ、古いこと言う。でもね遂に来たんですよ、ロッパですよロッパが来た
:お前こそ古いね、昔、古川ロッパという俳優がいたな、それがどうした?
:いや、そうじゃなくてコロナ第6波ですよ、ものすごい感染者数の増加ですよ。
:おお、そうだった、1月14日には一挙に2万人増加、先週の同じ日に比べて9倍も多く、去年の9月1日以来とのことで、こりゃもう第5波を越えるな。
:第5波が静まった去年の秋、日本に第6波が必ず来ると専門家たちが言ってた通りです。



●アメリカ細菌部隊降下

:この最新日本コロナ感染者統計を見て思い出すのは、一昨年初期のころ鳥取島根秋田山形の各県が長らく感染ゼロ県だったことだよ。もともと人口も少ないけどね。
:今もその4県は少ないけれど、一昨日までは鳥取島根秋田3県が千人台だったけど、昨日13日から秋田が2千人台に脱落、防疫トップ3県は山陰県になってきた。
:それにしても沖縄県の感染者数は、単位人口当たりで見て異常値だね。
:それはね、アメリカ軍が独自に県内軍事基地に感染者を輸入してるからだそうですよ、岩国基地のある山口県も多いのがその証拠、しかもアメリカ軍は感染者がどこにいるか言わないそうですよ。

:あ、それって、たぶん、細菌部隊が落下傘降下してるんだね、きっと。
:ワハハ、まさかねえ、そうなら細菌部隊作戦動向の軍事情報だから隠すでしょうね、そうか、なるほど、怖いなあ。

:そして地球全体ではもっとすごい勢い、昨日から340万人も増えて合計3億2千万人、WHO発表では、欧州・中央アジアでは6~8週間で人口の半数超が感染おそれがあるというよ、国民の半数がコロナの病だよ、どうするんだろう。
:それにしてもアメリカのはすごいものですねえ、この勢いで沖縄に攻め来てるんだから、たまらないや。
:この表を以前から見ていつも気になるのは、人口が多いアフリカ大陸が登場しないのはなぜだろうってこと。全体として多いけど多数の国があるからランキング上位には登場しないのか、そもそも医療統計が出てこないのか、どうなんだろうねえ。他大陸が落ち着いたころアフリカ大陸からぶり返すのではあるまいな。


●われらが呼び戻した第6波

:ところでコロナって、第6波が必ず来ると言われて警戒していたにもかかわらず来てしまったでしょ、これって人間には不可抗力な自然現象なんですかねえ。
:いやいや、そうではあるまい。要するに警戒不足だったってこと、端的に言えば人間が呼び戻したってことだろう。だって人間と人間が出会わなければ感染しないのにここに至ったということは、昨年末から今年にかけてのクリスマスと年末年始休暇が、ちょうどコロナ低迷期だったから、コロナは居なくなったと油断して、人々が出会ったってことだろう。
:そう、コロナをバカにしたかもねエ、いや、次の第6波が必ず来るのなら、今の内に宴会でも旅行でもパーティでもやっちまおうって駆け込み面会したんですね、それが見事にコロナにバレちゃって感染しちまった。
:う~ん、それが第6波の原因とすれば、人間の自業自得というものだねえ。
:そういえば去年の第5波だって、夏休みとオリンピックが招いたに違いないですよ。
:去年のデルタ株後継となったオミクロン株は、デルタよりも死亡率は低いが、感染力が高いらしいよ。
:その死亡率が低いのはワクチンのせいかもしれないでしょ、だとするとワクチンの普及してない世界お国々からまた感染が広がるでしょ。
:地球上のそれそれの国を閉じてコロナ侵入防止をこれほどやっていても、オミクロン株のように、どこかから入国してくるのだねえ、ワクチンを押しのけて感染するしねエ、よくやるねえ、コロナもえらいもんだ。
:感心しちゃいけないでしょ。去年の夏にあれほど大騒動してワクチンを打ったのに、こうなってしまうはどうしてなんですかねえ?
:そして今頃になって3回目ワクチン打つべきだって、せんだってと同じようなドタバタしているのもヘンだね、分かってるのにねえ。
:それに既にロッパが来てしまった今も、その3回目ワクチンを打てないままなんですね、政府はなにしてるのでしょうか。
:首相の岸田さんは「先手先手を打ってやっていく」と言ってるらしいけど、政府の対策がコロナの後を追いかけていると言うべきか、それとも、政府対策に反抗して人々が出会って感染しあっているのか、どっちなんだろう。
:先手打ってこうやると首相が言うと、コロナのヤツがそれを聞いて先手の先手を打ってロッパを連れてきたんでしょ。
:ワハハ、「これからは黙って先手打ちなさい」と助言しようか。

●社会崩壊堂々巡りか

:今度はというか今度もというか、あまりの感染拡大の速さに、医療体制が追い付かない状況が来ているそうですよ。
:これだって夏ごろに経験済みの大事件だったのに、その後の今までに態勢立て直しができないほどに、日本の保険医療体制とその行政はひどく痛んでいたってことなんだろうか。
:さっぱり知らないことですが、これらの現象は公衆衛生学という分野でこれまで研究してきたのでしょうかね。
:わたしも知らないが、医学でもあり社会学でもある分野に思えるな。でもこれによる分析と予測を現実に動かすのは政治だから、そこには学ではない不純要素が入るだろうな。
:そうそう、その最たるものが「経済を回す」ことですよ、政府のコロナ対策担当大臣が経済再生担当大臣であることが如実にそれらを物語っていますよ。
:そのとおりだけど、今回の第6波の急激さで起きてきたのが「社会を回す」という言葉だな。しきりに言われているが、どうやら経済を回すよりも前に、経済が乗るべき基本となる社会そのものが回らなくなってくる心配が大きいのだろうな。
:そうか、社会の現場で働く人たち、エッセンシャルワーカーって言われる人たちが、感染者の増大に巻き込まれてみな寝込んでしまうと、医療崩壊どころか社会崩壊に至るでしょうね、コワイコワイ。
:う~ん、この前の大戦後の体験の再現か。そうならないように、感染者への濃厚接触者判定範囲を狭くしたり、隔離期間を短縮することで、名目上の休業者を減らす工夫をしているようだが、これってなんかおかしいと思うね。
:これまでと感染実態は変わらないのに制度変更で感染者数を減らすって、科学じゃなくて政治そのものですね。公衆衛生ってのはそういうもんなんですかねえ、無い袖を振るしかないのでしょうねえ。なんだか不可思議です。
:もしそれで感染者が増えたなら、またもとのよにうにやり直すしかない、これはもう堂々巡りだな。
:そもそも波が何度も来てそのたびに右往左往しているのが、まさに堂々巡りのこの2年ですよ。パンデミックてそういうもんなんですかね。

●コロナに生かされる老いの日々

:そうなんだねえ、不謹慎だが面白いと言えば面白い、いや、実に面白い、わたしはちかごろコロナを好きになりつつあるんだよ。
:えッ、ご、ご隠居、だ、大丈夫ですかあ。
:ほれ、わたしは以前からピンピンコロナで死にたいなんて冗談半分で言ってただろ。もちろん本気半分だよ。
:そうそう、去年の冬にはこんな西行の本歌取り狂歌を詠じてましたよ。
  願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月のコロナ
:そうだったよ、もう長生きし過ぎて人生に飽きてたときに、ちょうどうまいことコロナが来たから、ピンピンコロリコロナのチャンスと言ってたんだがね、近頃、心をを入れ替えたんだよ、長生きしようとね、しかもそれがコロナのおかげでね。
:そりゃまたどういう心境の変化、しかもコロナのおかげとは、。
:わたしの少年時には世界大戦があって、老年時に至ってこのパンデミックだろ、人生で2度も地球的人類危機事件に遭遇するって珍しいことと思うよ。
:そりゃまあそうですね。
:初めの世界大戦の行方は見届けつつ生きて来たよ、面白かったね、そこでせっかくだからパンデミックも行方を見届けてから死にたいと思うようになったのだよ。行方も見たいけど、只今現在の日々も世界中でのドタバタ騒ぎも野次馬でね、これが何もできない老いの日々に生きる刺激だよ。
:それがコロナのおかげで長生きですかい、コロナを年寄りの生き甲斐にしようってことなんですね。コロナは長寿の種なのかあ、マッタク。
:そういうことで、コロナに生かされる人生だよ、こんな狂歌を詠んだ。
 人生に飽きた八十路にパンデミック行方見たくて生き甲斐ふつふつ

(20220114記)

参照◆コロナ大戦おろおろ日録


2019/01/17

1381【寝たままPC】狂れ人ネット遊びもタブレット狂れ心の積り行くらむ

熊五郎:ちわ~っ、ご隠居、生きてますか~。
ご隠居:おお、熊さんかい、あがってきておくれ。
:じゃあお邪魔しま~す、アレッ、布団に寝たままって風邪ですか。顔の上にヘンな板ぶらさげて、それは新型氷嚢かしら……。
:いやいや、元気なんだよ。いまちょいと実験中でね、顔の前にぶら下がってるのはタブレットPCなんだよ。
ベッドの上に紐と金網で吊り下げたタブレット
:ってことは、寝たままでネット遊びやってるんですかい、ははん、ご隠居もとうとう寝たきり老人になったね。
:いや、まだそこまでいってないがね、今にそうなるから事前訓練中だな。元旦に息子が持ってきてくれたんだけど、まだ使い方がよく分らない。
:で、そうやって蒲団の上に天井から吊る仕掛けも息子さんが持ってきたのですかい。
:この仕掛けはわたしが工夫したDIYだ。
:100円ショップでへんなもの探したんだな。
:あたり、合計216円の投資だよ。新タブレットPCをあれこれいじってると、いつの間にか真夜中になっちまう、寝転んで手で持ち上げたまま居眠りすると顔の上に落ちてくる、でも、これならそのまま眠ってしまうことができる、便利だよ。

:で、目が覚めてからもそのままで、今みたいに昼間も寝て遊んでる。それじゃあ寝たきり老人そのものでショ、訓練中じゃないよ。ちょっとは起きて徘徊に出かけないと、本当に寝たきりになりますよ。
:うんうん、ありがとよ。でもWIN7からWIN10に乗り換えると、なんだかさっぱり勝手が違ってね、こいつを征服しようといじってると、ボケが止るね。
:じゃあ、あっしが10の使い方を教えましょうかね。
:あ、大きなお世話だよ、このわけのわからん奴をいじり倒して取り組むバカらしい楽しみを奪わないでおくれ。

:ケッ、かわいくない年寄りだね。そもそも、スマホとかタブレットって、外に持ち運びに便利なように出来たものでショ、それを寝転び用に使うのが、今どき老人ですね。
:そう、スマホじゃあ画面が小さすぎて読めないからタブレットにしたんだがね、最近は仕事で外に出かけることはめったにないし、徘徊に持って出るほどの物でもなし、そこで寝たままネットってことだよ、ま、考えようによっちゃ高齢社会向きだね。
:でもねご隠居、そうやって寝ても起きてもネット遊びやってると、この部屋のこのたくさんの本、ヒマになったら死ぬまでに読むんだと買っておいた未読本でショ、これを読む暇がないでしょ。
:そうそう、このタブレットが来るまでは、ネット遊びは机で、本を読むのは寝転んでと、一応は分担していたけど、これがきてから本を読む暇がなくなった、困ったね。

:でもね、ご隠居、ノートからタブレットに変えても、ネットに登場する中身は同じなんですよ、いまにどっちかに飽きるでしょうね。
:あ、そうだね、う~む、そうなると安楽な寝たきりタブレットに向かうね、う~ん、ますます寝たきり老人だなあ、困ったなあ。
:便利だからとタブレットばかり観てると、ネット屋に誑(たぶら)かされますよ。
:あ、「狂れ人」(たぶれびと)って「タブレット」とも読めるな、わたしは「狂れ心」の「狂れ人」かあ。(注)
:観るべきか観ざるべきか、それが問題だ、かのシェークスピアもタブレットに言わせてるなあ。
:うまいっ、ハム、、。
 
(広辞苑より):たぶる【狂る】<自下二>常軌を逸する。万葉集巻17「狂れたる醜(しこ)つ翁の言だにも」

2016/09/26

1214懐かしい味の小豆アイスバーとチキンラーメンに出会った夏が過ぎていった

 夏がとうとう過ぎ去った。この夏はついに冷房をしないで、アイスバーを舐めてしのいだぞ。
 夏をもしのぐ強力アイスバー、それは「井村屋小豆アイスバー」であった。いろいろな氷菓を試した末に、これがわたしの消夏材に落ち着いたのだ。朝昼晩と舐めた。
 これは昔のけっこう高かった小豆味のアイスキャンデーを思い出させて、懐かしい。

 この小豆バー6本入りの箱を、いろいろな店で何回も買っているうちに気が付いたが、値段が200円台から400円台まで、さまざまでずいぶん差があるのだ。
 暑くなるほど高くて、寒くなるほど安くなるのか?

 そういえば、箸に突き刺した竹輪状のアイスキャンデーは、今はどこで売っているのだろうか。
 昔々、自転車の後ろに乗せた木箱に入れて(参考写真)、チリンチりんとなる鐘の音と共に「キャンデー、キャンデー、アイスキャンデー」の売り声を、炎天下に響かせながら、道を売り歩いていたものだ。一本5円だったかしら、そのなかで小豆アイスは7円か10円だったかな。

 いつもは食品店なんて酒を買うしか用事はないのだが、このアイスバーを買うために他の売り場に出入りして、ひょいと見つけたのが「日清チキンラーメン」の袋である。
 ふむ、ふむ、聞いたこと見たことあるような、懐かしいような気がする、買った。

 ネットで調べると、安藤百福がチキンラーメンを世に出したのは、1958年8月25日とある。横浜にはチキンラーメン博物館がある。 
 とすると、わたしがインスタントラーメンを初めて食ったのは、1959年になるはずだ。
 それは大学山岳部の食料として合宿に持って行ったのである。多分、携帯食料として山行きに可能かどうか試したのであろう。
 日本アルプスでの合宿中のある日の夕食にそれを食った。その日は部員の誰かの誕生日だったので、特別食だった。美味かった記憶があるが、それ以後にチキンラーメンを合宿で食べた覚えがないのは、コストと携帯効率が不十分なものだったのだろう。

 その後もチキンラーメンを食った記憶はあるが、もうずっと昔に縁切りになって忘れていたのを、アイスバーを買った店で出会って思い出した。
 昨日のブランチに、それを料理?して食った。ふむ、この麺のワラワラとした姿、どこかワサワサする歯ごたえ、ちょっとゲスっぽい味、そうだったなあ、うん、うん、昔もこんな味だった、今も同じなのか、すごい。
 それは、とにもかくにも、不味かった、、だめだ、こりゃ、でも食い物のない時代に育ったので残さず食ってしまった、うーむ、マズイ口直しにアイスバー

2013/02/02

715うちの本棚にある未読数とわたしの余命数とが釣り合ってきたようだ

 暮れと正月の閑な日々(実は毎日ヒマだけど世間なみに格好つけて)に読む本を、伊勢佐木町有隣堂の地下売り場で探していて、Jeffrey Archerの新作らしいペーパーバック2冊を見つけた。アーチャーの小説はこれまでほぼ読んだ。
 どっちか一冊でいいやと、安い方「Only Time Will Tell」を買ってきた。あまり面白い出だしではなかったが、途中から面白くなって最後の450ページまで一気に読んだ。

 ところがなんと話は終わらなくて、「The story continues in THE SIN OF THE FATHER」と書いてあるのだ。
 ここで主人公はイギリスからアメリカにわたり、ちょうど窮地に陥っている。どうなるか気にかかるところである。続巻が図書館にあるかと探したが、ない。

 しょうがない、正月が終わってまた有隣堂に、このまえ高くて買わなかった「THE SIN OF THE FATHER」を買いに行った。
 さて、主人公は窮地を脱してイギリスに戻り、またもや難題に直面、さてどうなるかと最後429ページ、ああ、またもや「 The story continues in REST KEPT SECRET」ときたもんだ。今年3月出版だってよ。
 もうういいや、これまでのアーチャーの作品と比べて、大して面白くもなかった。
 その間にジェフリー・ディーバーの新作を図書館で借りて読んだが、アーチャーのほうがだんぜん読みやすい。わたしの英語力ははまだちょっとたりないが、三文小説だから何とかなる。
 ケン・フォレットも読みやすい。フォーサイスはちょっと面倒だがまあまあ。イギリス作家の英語のほうが読みやすいのはどうしてだろうか。

 この数年前から、本は買うものではなくて、図書館で借りるものとしたのである。
 もうどうしても今すぐ読まなければならないような本があるわけもなし、金ももったいない、本棚の余裕もないし、というのが理由。

 その上、うちも本棚にはまだ読んでいない本がいっぱいあるし、読んでいたとしても忘れている本が山ほどある。これを片端から読めば死ぬまで続くと、ようやく気が付いた。つまり未読本の多さと、余命の短さとが釣り合ってきたということである。
 いっぽうで、もう読む気のない本がいっぱいあるのだが、これをどう処分するか。処分も金がかかる時代になったからなあ。

 ただいま図書館納入待ちのペーパーバックは、ケンフォレッの20世紀三部作の『Fall of Giants』 (2010)の第2巻『Winter of the World』である。まだかなあ。

●関連
182 Japanese knotweed
http://datey.blogspot.jp/2009/09/182japaniese-knotweed.html
535 千ページ英語小説一気読み
http://datey.blogspot.jp/2011/11/535.html

2013/01/22

710今年も年賀状ではなくて寒中見舞いを110枚に絞って書き送った

 今年の年賀はがきのくじ引きで当たったのはたった3枚、しかも最下等であった。
数年前から年賀状に替えて寒中見舞いにしている。年賀状は昔から出していたが、一番多い時は500枚くらいになった。それでも、もらう方が多かった。
 仕事を辞めてしまってから出す先を減らしていった。出す先をやめる基準が難しい。
 寒中見舞いに替えた次の年からかなり減った。向こう様もやめるタイミングを計っているのだろう。
 なかには宛先チェックしないで、機械的にプリントして出すらしい会社名義のものもあり、こちらがずっと出さないのに、いつまでも続いてやってくる。

 ちかごろ、いただく年賀状のなかに、これでおしまいにします、とかいてあるものが混じるようになった。年末にはたくさんの喪中欠礼状がくる。そういう年頃である。

 100枚以内にする方針であるが、今年は110枚になった。
 で、今年の年賀状の標準がこれで、相手によってそれぞれバリエーションになっていく。こんな物騒なことは賀状には不似合いだから、寒中見舞いでちょうどよい。

寒中お見舞い啓上
 この冬も北国は大雪、大地震と大雪は連動するようです。今年も豪雪の法末集落の小正月行事「賽の神・初釜茶会」に行きました。震災復興支援からもう8年目になります。
 昨秋、宮城県沿岸部を震災復興支援の小さな活動で訪ねました。荒涼たる津波被災の各地で、海辺の平地を居住禁止にして、台地上に移住する復興事業が進んでいます。
 重大なことに気がつきました。わたしの住む関東から西の太平洋沿岸部でも、確実に起こりうることです。今から事前津波被災復興事業をやるべきと思います。
 それをやっても太平洋岸の住人たちは不安で、内陸に移住して行き、海辺の街はしだいに空洞化するでしょう。だがいったいどこに移住すればよいのでしょうか。 
 どうせ移住するなら、海辺・火山・原発・軍事基地から遠くて地震も水害も少ない街にしたいものです。でも、そんな受け皿地域が、日本にあるのでしょうか。
 わが横浜都心はもろに津波が来ます。でももう歳が歳だからどうでもよいのです。遊べる体力あるうちに遊んでおくことにします。●●さんのお住まいは大丈夫ですか。
 当方は身体は元気ですが、言われて気づけば今年は喜寿とて仰天、会合や飲み会に出かけると年下ばかり、FACEBAKAをやると書き込みは年下ばかり、さすがに観念しました。
 今年もお元気でご活躍されますように期待しています。

2013年 1月の寒さの最中

●●様 

2013/01/01

702 賀春

賀春
日本海側の日本は大雪らしい。
地球の太陽ひとまわり分の出発点と決める日を元日というらしい。
どうしてこんな寒い盛りにしたのだろうか。
6か月ずらして真夏だってよさそうなものを。
3か月ずらせば学校だって役所だって企業だって便利だろうに。
どうしてその日を祝うのだろうか。
地球が太陽を無事に回ったのがそんなに嬉しいのか。
もしかして今年は太陽を回りきれないと毎年思うのだろうか。
とにかく去年も地球は無事に太陽を回りきれたらしく元日の新聞が来た。

2012/12/31

701新年になっても手帳を持たなくてもよい身分になりたいようななりたくないような

本年の締めくくりは、自作1年手帳の制作である。3年前から手帳を買うのをやめて、自分でMSWORDで編集、卓上で印刷して綴じる。裏表冊子印刷でたったの16ページ、1か月が1ページである。
 百円店で買ってきたカードフォルダーなるビニルのカード袋がいっぱい綴じこんで手帳に、自作手帳を合わせて綴りこんだだけである。
 材料原価は120円くらいか、とりあえず見た目はそれなりに立派である。

 カード入れに諸カードやら名刺を入れるとけっこう分厚い。カードの数を勘定したら、なんと25枚もある。
 オレはカード嫌いなのにいつの間にこんなに、、、医院、図書館、銀行、電器屋、学会などなど、今や何でもカードである。
 自慢じゃないがと自慢するが、乗り物カードは持っていないのだ。あ、1枚あるなあ「横浜市敬老特別乗車証」、タダじゃないよ、市内の地下鉄バス乗り放題で年間8000円である。

 4年前までは、だれもするように毎年の暮れに文房具屋で買っていた。今から考えると、もっと前から自作してもよかったはずだが、知恵がなかった。
 わたしは1974年からの手帳を39冊を保存している。39年分の簡単自分史である。
 それよりも前にも手帳を持っていただろうが、その年から勤め先の経理システムができて、何の何をいつ何時間やったか記録することになったので、手帳を克明につけ出した。

 もちろん仕事の記録だけではなくて、いろいろな行動記録がある。日記をつける習慣を持っていなかったけれど、この手帳を見ればほぼその日に何をしたかがわかる。
 ただし、ほとんど符牒書いてあり、その符牒が何であるかもう忘れているので、その頃何をしたのか手帳を見て思い出そうとしても困ることが多い。

 毎年買ってきた手帳の仕様は、大きさだけは一定だが、中身は毎年のように違うものを買っている。
 要するに毎年気に入らなくて、毎年今年こそは適切なものをと、毎年探していたのである。自分の行動を自分流に書き込む手帳は意外にないものである。
 それでいつかは自作をしようと思っていたのだが、技術がなくてできないままできて、今頃になってようやくできる様になったのだ。

 だが、今はもう仕事をほとんどしていないから、昔のように毎日びっしりと書き込むことがない。
 かつての手帳は原則として1週間が2ページであったのが、今や1か月が1ページで済むのが、嬉しいような情けないような。だから自作手帳も簡単で済むのだ。
 技術的には市販品のようなあれこれと付録をつくることもできるのだが、今や電話帳も地下鉄路線図も、その他あれこれも不要であるのが悔しい。

 そのうちに手帳そのものが不要な身分、というか境遇になるだろう。その日は近い。
 とりあえず今年は終わり、来年の手帳もできた。あと1時間半で2013年となる。
 今年は世は右回りになってイヤな年であった。身には歯と眼と手の故障があった。
 ここまで生きてくると、まあ、年が明けようが明けまいが、ほとんど気にならない。

 
 では、これをお読みいただいたあなたに、来年はよいことありますように。

2011/12/09

549自作2012年手帳

いまどき紙の手帳は時代遅れかと思えば、文房具屋には今年も手帳を売っている。
 わたしもず~っと紙手帳を使ってきているが、だんだんと記入が少なくなってきた。
その原因は、わたしが仕事の現役でなくなったこととともに、携帯電話機やPCなどデジタル機器に書くことにもある。
 それでも一応は紙手帳を持っているのは、メモ帳とカードと札入れのためである。

 これまでに使った手帳が保存してある。最も古い手帳は1974年であるから、結構な数である。
 その日の行動しか書いてないが、見ればそれなりに思い出すことが多い。昔は毎日こんなにも書き込むほどに、あれこれとやることがあったのだなあと、感心してしまう。
 1ページに1週間、しかも週ごとに罫線だけのページもあった。いまや手帳のスタイルも簡単になって、1ページに1か月分でよくなった。
 日記は書いていないから、手帳ストックを見ながら思いだして自伝でも書くなあ、ボケないうちに。

 わたしの2012年の手帳は、100円均一店で手帳型の「名刺ホルダー」を買ってきて、こいつに自家製の日付書き込み手帳を貼り付けただけで、名刺の代わりにカードを入れる。
 今年の手帳からこうしているが、けっこう便利に使えるし、見栄えもよろしい。
 自家製日付書き込み手帳は、WORDでつくって、机上のプリンターの冊子印刷指定で裏表プリントしてつくった。
●簡単な紙の手帳がほしい人は下記からWARDデータのダウンロードをどうぞ
http://goo.gl/sWaKp

2011/06/13

432森英雄・盲人外出案内ロボット開発に熱中

 バアチャンが押して歩くババ車がある。商品としての一般名はシニアカーとか言うらしいが、ジイチャンが押していることはめったにないのはどうしてか。
 でも、押す老人がボケたら、どこに行ってしまうか分らない。ボケてなくても、年とると道に迷う。いや、年とらなくても道に迷う人は多い。

 そこで提案、このババ車を外出案内ロボットに改良するのだ。このロボットにいろいろな行き先を教えておく。
 そうすると、このババ車に掴まって引っぱってもらえば、朝の散歩で公園ひとまわり、かかりつけの近所の医院、コンビニでも飲み屋でも連れて行ってくれる。
 どうです、こんなものがあったら、ボケ老人といわず、方向音痴の貴方にもピッタリでしょう。

 ここに「ニューひとみ」という代物がある。
 その名のごとく人間の目の代わりをして、手を引いて道案内をするロボットである。盲導犬をロボットにしたようなものだ。
 そうなのである、上に書いたロボットが本当にあるのだ。
 もっとも、シニアカーをロボットにしたのではなく、駆動モーターのある電動車いすに、コンピューター、カメラ、センサーなどをつけて、自動ロボット車にしたのである。

 昨日(2011.4.12)のこと、千葉市内のある会場で「第10回アイ・フェスタ」なるイベントがあった。
 アイとは眼のことらしい。はじめて行ったのだが、盲人のためのいいろいろな生活用品・機器類の展示即売会であった。盲導犬、文字読み上げPCソフトウェア、点字印字機、文字拡大機器などなど、多くの業者が出展というか出店している。

 なかには資生堂という化粧品屋も出ている。お化粧と盲人ってどうしてと思ったが、考えてみると鏡を見てお化粧をするのがあたり前だが、盲人はそうではないのだ。
 とすればそれなりの化粧作業術があるのだろう。それを伝授して化粧品も売る(のであろう、多分)。
 なるほど、盲人マーケットというか、そういう業界もあるのだと知った。
 
 わたしがそのフェスタに行ったのは、そこに出展する「ニューひとみ」の「展示業者」としてであった。
 主催者側が出展者のことを展示業者といって、そう書いた名札をぶら下げさせられたが、じつはこのニューひとみ出展は「業者」ではないのだ。
 ほかの業者とちがって、全く売る気がなくて、純粋にロボットの開発研究のためなのだ。業者ではなくてボランティアである。

 盲人外出案内ロボットの「ニューひとみ」を開発したのは、森英雄さんである。森さんは山梨大学の電子工学の教官に在職中に、このロボット開発をした。
 定年退官後は退職金をつぎ込んで会社とNPOを作り、その改良と普及に熱中している。
 わたしは森さんと専門は異なるが大学同期で、今は遊び友達。遊びのついでに、ロボット開発に野次馬として参加することもある。そのホームページもわたしが作った。
 森さんが千葉アイ・フェスタに「ニューひとみ」を出展するというので、手伝いに行ったのであった。

 会場は体育館であり、大勢の盲人用商品業者のテーブルのある中で、異色なのがこのロボットであった。隣には盲導犬協会の案内テーブルがあった。
 できそこないの白鳥模型玩具(よく言って)のような格好の「ニューひとみ」が、自動で会場の中を行ったり来たりしている。
 ナンダナンダと来場者たちの興味をひき、次から次へと訊いてくる。

 森さんはもう何回か出展しているから、なかには旧バージョンの「ひとみ」も知っていている人もいて、新バージョンの「ニューひとみ」改良点を褒めてくれたりする。
 森さんは張り切って、その都度いちから説明し、盲人たちに掴まり歩きの体験をさせてあげる。
 一緒に歩きながら、蹴飛ばしても轢かれて大丈夫と、身を挺して実演する。

 なにしろ、そこらにいる展示業者の「商品」ではなくて、自分ひとりでコツコツと作りあげてきた「作品」である。だから、その開発苦労話までしてしまう。素人は聞いても分らないメカニズムも一生懸命に説明するのだ。
 とうぜんのことながら、はっと気がつくと疲れ果てている。
 そこにわたしが説明係ピンチヒッターで登場するのである。こちらは適当にやる。

 森さんがここにきている目的は、このロボットを最良のものにしたいことにつきる。
 そのためには実際の利用者の声を聞いて改良すること、そして商品化をする業者が現れるかもしれないことを期待しているのである。異色の出展業者である。

 それにしても、よくやるものである。安くない出展料金を支払い、安くないロボット運送費と自分の交通費をかけて、その見返りは開発に役立つ盲人たちの声だけである。
 それを糧にして、今日もまた改良へと熱中しているに違いない、あの山梨大学ベンチャーのガラクタだらけ(に、わたしには見える)部屋で、奥方の持たせてくれる弁当を食いながら。

 こういう人を純粋ボランティアと言おう。
 このさき、どこまで改良が進み、どんな「ウルトラひとみ」や「スーパーひとみ」が出てくるのか、楽しみである。互いに長生きをせねばならぬ、わがジジ車とするためにも。

●歩行ガイドロボット「newひとみ」
http://sites.google.com/site/robotictravelaid/home?pli=1
●newひとみパンフレット
http://sites.google.com/site/robotictravelaid/home/new%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95110609D%EF%BC%ADD.pdf?attredirects=0&d=1

●ロボット車いす「ひとみ」(2009.02)
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_09.html

●今もしも失明したら(2008.8)
http://datey.blogspot.com/2008/08/blog-post.html

2009/12/05

211【日々の暮らし】喪中葉書

 年末になると「喪中につき云々」なる葉書が続々とやってくる。
 これって年賀状を出さないってお詫びらしいのだけど、喪中には人様からお祝いを言われるのはそれが何であれ嫌なのかもしれないが、人様にお祝いを言うのもいけないのかしら。そこがよく分からない。

 わたしの場合はどうしたか。実は何もしなかったのである。普通に年賀状を出した。
 親戚にはともかくとしても、こちらの親族と知己でもなんでもない人様に喪中といっても、なんの関係もないからである。
 同様に、他人からその親族の永眠をもって喪中といわれても、お知らせをいただいたご当人は知っていても、その親族を知る場合はめったにないから、どうもピンとこないのである。

 ほとんどの葉書がそっけないお知らせである中に、「永年、一家の手法をつとめながら、学校教育および社会教育に取り組んだ母は、近年、幾多の病に臥しがちでしたが、、」とあるものがあり、この友人のご母堂は見知らぬが、母子の情が感じられたのである。

 それにしても、永眠された方の年齢をちょっと挙げてみても、98、100、84、89、88、82、94,91と、将に超高齢社会の真っ只中であることが分かる。
参照→077年賀状をやめる  066喪中ごあいさつ 

2009/10/22

192【日々の暮らし】日常の買い物と年寄りのボケとは関係ありそうだ

 最近、私が買い物に出かけて食材類を買うことが続いている。
 これまで私の買い物といえば、書籍類と電器関係用品だけであったから、新分野開拓でそれなりに楽しいともいえる。
 もともと店で食品そのものを形や色や珍しさで、しげしげと見ることは好きで、出先で市場の生鮮品売り場でうろうろすることはよくあったが、これは買い物ではなくて単なる見物である。
 特に地方の海産物市場が面白い。あのゴチャゴチャがなんともいえず好きである。そういえば金沢の近江町市場が、最近大改築されたらしいので、どうなったか行ってみたいと思っている。

 近所のマーケットで家計支出として食材を買うことはほとんど無かったから、値段も知らなかったのに、このところ値段のことを気にするようになってきた。
 今は秋刀魚が出盛りらしいが、値段が日により店によってずいぶん違うはなぜだろうか。1尾200円もするのかと思えば、別の店では50円だったり、次の日は98円だったり。鮮度が違うのか、仕入れ市場の差か、それとも店の戦術戦略か。たかが50円で戦略も無いか、、。

 米の値段は、法末集落で米つくりしているから、ちょっとは興味がある。わたしの作る米は新幹線料金と人件費を入れると、原価は一粒あたり幾らと計算することになるから値段のことは考えないのだ。
 近所で売っている南魚沼産コシヒカリは1kgが700円くらいだが、安い米は300円くらいもある。ハサ掛け天然干し米だとて、結構な値段のものもあるから、私の作る米は減農薬ハサ掛けだから売れば700円でも良いのかもしれぬ。

 法末の営農組合から私が毎月送ってもらっている米は、特別栽培米と称する減農薬なので650円である。普通は600円である。
 地理的にはすぐ隣が魚沼産と銘打つことができる小千谷市であるから、実情は魚沼産コシヒカリである。

 毎日買い物しても食材の値段は、高いのか安いのかさっぱり判別できない。
 セルフサービスのマーケットと、商店街の店売りとは、値段がどう違うのだろうか。近所には食材の100円ストアーなんてのもあって、何でも105円である。
 値段はその品質と大いに関係があるが、書籍や電器用品は品質がある程度は経験的にあるいは客観的にわかるのだが、生鮮食品の質はどう判断するのかさっぱりわからない。

 本日は高い買い物したのか、それとも安い買い物して儲かったのか、、?
 毎日こうして品物や値札とにらめっこして考えていると、ボケが停止するだろう。そうか、どちらかと言えば女性のほうがボケないのは、買い物好きだからであったか。

2009/09/22

182【言葉の酔時記】ジェフリーアーチャーの小説に出てくるJapanese knotweedって変だよ

 イギリスの大衆小説家ジェフリー・アーチャーJeffrey Howard Archerの『A Prisoner of Birth』なる三文小説を、今、ペーパーバックで読んでいる。
 全615ページの349ページまできたところに、Japanese knotweedという単語が出てきた。
 なにかわからないままに読み進むと植物らしく、それが土地に生えているとそこに建っている建物に地下茎が侵蝕していって、コンクリート建物でも知らぬ間に倒壊するほどになる、とあり、大阪でそのために集合住宅が倒壊した事件があって、それにちなんでの命名だと書いてある。

 え、そんな危ない植物があるかしら、そんな事件あったっけ、聞いたこともない。
 困ったときのウィキペディアで、検索してみるとなんとイタドリのことである。
 イタドリとはスカンポともいって、その辺に生えている雑草で、わたしたちが子供のころは皮をむいて塩をつけて食った、あのただの雑草のことだそうである。

 あんなものが家を倒すことは絶対にない。せいぜい道路舗装の割れ目が広がるくらいだ。
 英語版Wikipediaを見ると、どうやらイギリスでは繁茂しすぎて困っている外来種植物で、駆除を進めているらしい。でも建物を倒すとは書いていない。

 この小説の舞台は主にロンドンである。どうやらイタドリ建築倒壊説は、小説家の創作であるらしい。
 この公害植物がこれからどのような役割を小説の中で果たすのか、いまのところおよその見当がついているが、ここではもちろん書かない。
 でも、これを読んだ世界中の読者が、そんな怖い植物が日本にあるのかと思うに違いない。
 Japaneseとあるだけに、日本にとっては罪作りである。

   ◆◆

 アーチャーの三文小説は、Kane and Abel、As the Crow Flies、First Among Equals、Sons of Fortune等、ほぼ例外なく面白い。最近は、偽証罪で有罪となって投獄された経験を生かして、A Prisoner of Birthのように牢獄小説とでも言うべきジャンルで稼いでいて、小説家は転んでもただでは起きない。

 イギリスにはケンフォレットKen Follettがストーリーテラーとして名高いが、作品の質によしあしがある。概して歴史もの(The Eye of the Needle、The Pillars of the Earth、A Place Called Freedom、World without End 等)は面白いが、現代物はどうも面白くない。

 フォーサイスFrederick Forsythは最近は書かないようだ。処女作「ジャッカルの日」や「The Devil's Alternative」のように実に面白いのだが、本題に入る前に衒学的に説明がくどすぎて、わたしのような英語を母国語としないものが受験英語勉強程度の実力で読むには、ちょっとめんどくさい。そこを乗り越えると面白くなるのだが、。

 三文小説に限って英語ペーパバックで読んでいるが、原則として辞書を引かない。単にめんどくさいからであって、3割くらいは分からない単語があるが、前後から類推すると、三文小説だからなんとかなるものである。

 それでも読み終えるのに、同じ値段の日本語三文小説の5倍以上の時間がかかる。だから安くつく娯楽であるし、なんだか英語の勉強しているような気になるところが、三文小説にうつつを抜かしている自分に対する言い訳けになる。
 毎日読み続けていると、時に夢が英語になることがある。目覚めてなんであったか思い出せないが、夢の中では流暢にしゃべっていたのであった。

2009/08/21

169【都市政策】的はずれ緊急住宅対策

 今日の朝日新聞夕刊に「持ち家支援、利用4割 補正2600億円、大半残る」という見出しの記事がある。
 緊急経済対策のために「住宅金融支援機構」から住宅ローンを借りやすいように、09年度補正予算に盛り込んだ住宅取得支援策が、実際は4割しか効果を発揮していない。緊急対策になっていないのだ。
 あいかわらぬ持家政策偏重で、住宅政策を景気対策の経済政策にしていている。

 そもそも不景気な時代そしてこれからの低成長時代に、個人に巨大借金を奨励する政策が誤っている。今借りている住宅の借金返済ができなくて、住宅難民が出ている時代である。
 住宅を単に戸数だけで見ると足りているが、地域偏重、高額価格などで、実際は居住需要状況とマッチしていないのだ。住宅づくりが社会政策ではなくて経済政策だった誤りが出た。

 誰にでも必要な居住という権利の基本となる住宅を、西欧のように社会政策としてしない日本がおかしい。住宅建設という物的な経済政策であって、居住政策といわないところからいて間違っている。
 公営住宅を建てず、住宅公社を廃止し、都市機構の賃貸住宅を民間に移行しようとか、とにかく住宅賃貸住宅政策をないがしろにして、大借金国民を増やすのが景気対策なのか。

   ◆◆

 このところ新聞をにぎわす賃借人「追い出し屋」なんて商売が成り立つのも、賃貸借住宅が少ないから、つまり政策がないままに市場任せだからである。
 わたしの住む県公社賃借住宅は、追い出し屋はなさそうだが、それまがいのことがある。3年くらいごとに家賃改定、つまり値上げをするのである。
 その言い分は、周りの賃貸住宅が上がったからこちらも上げるというだけある。

 その根拠資料を示せと言いに行ったら、なんと「入居者には見せないことになっている」と回答。こちらは大いに腹を立てて情報公開請求をしたのだが、こんどは資料がないと回答してきたのであった。
 そんなことをもう2度も繰り返した。全くオハナシニならないのである。追い出したいのだろう。言っておくがわたしは家賃はきちんと払っている(いつまで払えることやら)。

 今度の選挙に向って、この住宅政策を転換して社会政策としての居住政策を打ち出している政党は、ない。
 各党の党首でも誰でも、いちどは民間の木造賃貸アパートなるものに住んで見ればよい。日本の住宅政策の至らなさがわかるはずだ。大邸宅に住んでいては本当の居住政策は見えないだろう。
参照◆賃貸借都市の時代へ

2009/08/13

165【くたばれ乗用車】下種のマヌケフェスト

 選挙に行かない主義だが、今度の選挙はもしかしたら民主党がトップになるかもと、世の中が騒がしいように、新聞に書いてある。テレビ番組を見ないから、そっちはなんと言っているか知らない。
 そこで、政党の公約(最近ではマヌケフェストとかいうらしい)をウェブサイトで読んでみることにした。殊勝な心がけだと自分でも思うが、実はこれが結構手間がかかる。さっと出てこないのであるし、出てきてもこれが実に読みづらいのである。
 書きぶりも読みづらいが、見開き印刷用の原稿をそのままPDFにするものだから、画面では右左とスクロールが面倒なことおびただしい。html版でも、レイアウトが悪いから、途中でいやになる。他人に読ませようって努力がなっていない。どの政党もである。
    ◆◆
 全部を読むのがめんどくさくなったので、住宅・都市政策と高速道路料金問題だけ拾い読みした。
 公明党が住宅・都市政策について言及した文字数がいちばん多かった。コンパクトシティとかモーダルシフトとかトランジットモールとか、まあ、専門語というかオタク言葉でも書いてあって、ここは都市計画関係者が書いたらしい。
 もっとも、内容はプロからみると目新しいことは何もない、ただの羅列である。
 民主党の住宅・都市政策記述は、都市政策はなくて住宅政策についてちょっとだけある。
 わたしが注目したのは、「多様な賃貸住宅を整備するため、家賃補助や所得控除などの支援制度を創設する」ことで、やってもらいたいが、具体的になにをするのかしら。
 「定期借家制度の普及を推進する」なんて書いてあるが、元はといえば借家人追い出しのためにできた制度であるだけに、これを使ってなにをしようというのか、貧乏賃借人には不気味である。
 自民党の住宅・都市政策記述は、民主党よりは行数が多いが、たいしたことは書いてない。
 「特に子育て世帯や高齢者等が安心して生活できるよう、子育て支援施設やケア施設の併設された住宅等、良質な賃貸住宅を供給する」のところに注目するが、具体的になにをするのだろうか。
    ◆◆
 さて高速道路路料金問題である。
 自民党は触れず、公明党は現政策を恒久化するとのこと。
 で、無料にする民主党である。こう書いてある。
===引用===
「30.高速道路を原則無料化して、地域経済の活性化を図る
【政策目的】
○流通コストの引き下げを通じて、生活コストを引き下げる。
○産地から消費地へ商品を運びやすいようにして、地域経済を活性化する。
○高速道路の出入り口を増設し、今ある社会資本を有効に使って、渋滞などの 経済的損失を軽減する。
【具体策】
○割引率の順次拡大などの社会実験を実施し、その影響を確認しながら、高速道路を無料化していく。
【所要額】1.3 兆円程度
===引用終り===
 その一方で、「CO2等排出量について、2020 年までに25%減(1990 年比)、2050 年までに60%超減(同前)を目標とする」と書いている。
    ◆◆
 民主党ウェブサイトに一問一答の動画がある。そこでこの件について長妻民主党議員が言っているのは、経済効果が大きい、特にインターチェンジ付近の開発を誘導するので工場や産業や遊園地を誘致することができる、とある。
 おい、語るに落ちたとはこのことだぞ。高速道路IC付近でいちばんの産業は、郊外型ショッピングセンターなのである。そして現在それをいちばん抱えているのが、ジャスコのイオングループである。無料化するといちばんうまい汁を吸うのがイオンである。
 巷の噂では、イオン社長は岡田さんといい、民主党の岡田幹事長と兄弟だそうである。まさかと思うが利益誘導ではあるまいなあ、。
 それはともかく、これじゃあコンパクトシティ時代に郊外開発を賞賛していて、公明党にも劣るじゃないか。自民党だって商店街振興策を言っているぞ。都市問題に弱い民主党である。
    ◆◆
 そしてまた、環境政策との矛盾について動画では、渋滞が減る可能性があるから、総合的に見てCO2はそれほど増えないように思う、と、あやふやなことを言っている。おい、大丈夫か。
 そもそも道路の渋滞なんて、朝から晩まで365日やっているのじゃないのだ。多分、1年の時間のうちの数パーセントに過ぎないだろう。それくらいなら我慢しなさいよ、1.3兆円だよ、これでほかにやることがいっぱいあるでしょ。
 これについては、NGOがしごくもっともな共同声明をだしている(12日現在で21団体)。
「高速道路無料化・自動車関連諸税の暫定税率廃止に、反対します~ 高速道路無料化・割引は撤回し、暫定税率は炭素税などにシフトを ~」
http://www.kikonet.org/iken/kokunai/2009-08-05.html
 政治の流れが変るのは何かに期待したいが、タダだからいいだろうって下種の人気取りマヌケフェストで、こちとら車に乗らないものにも1.3兆円と排気ガスを負担させるなんて、気に食わない。
 え、なに、流通費が下がるから車に乗らないものも恩恵を受けるって?、、、それなら、流通業トラックや乗合バスだけ無料にすればよろしい。遊び乗用車はど~ンと高額にしてね、。1.3兆円もあるなら、CO2削減に寄与する鉄道や路線バスなど公共交通に投資しなさいよ。

2009/07/16

155【怪しいハイテク】出るばかりで浄化できずに貯まるばかりの電気のウンコ 

 電気はクリーンエネルギー、つまりきれいな動力源だから、電気自動車も環境によいのだって風潮がこのところあるけど、ほんとうかしらと疑問に思っている。
 今朝の朝日新聞東京版10面に、『使用済み核燃、貯蔵限界 再処理動かず原発ピンチ 「中間貯蔵」整備急ぐ』とて、原子力発電所で使い終わった核燃料がたまり続けている記事が載っている。
 ようするに発電したあとのゴミ処理ができないで、どんどんたまっているのだ。そのゴミが簡単には始末できない放射性物質だから、処理は容易なことではない。

 その処理工場を青森県六ヶ所村に作って試運転しているのだが、不具合続きで本格運転ができないのだそうである。
 工場にはこれまでの12年間に、ウランの量にして2500トン分が貯まっており、満杯に近づいている。各原子力発電所の敷地内にも核燃料ゴミは置いてあるのだそうだ。

 核燃料ゴミの量と環境汚染との関係は知らないが、なんにしても処理できない放射能ゴミが貯まり貯まっていけば、問題が起きるに決まっている。
 素人考えで不思議なのは、処理方法が確立しないのに、どうして放射能ゴミを出す発電を平気で行なうのだろうか、ということである。

 例えてみれば、口から美味いものを食うばかりで、尻からウンコは垂れ流しなのである。いやまあ垂れ流しはできないから、ウンコダメをあちこちに作っているが、そこで盛り上がっているままにしているのである。いつか溢れて流れ出すだろう、キタナイ、、。

 これでもクリーンエネルギーなのだろうか?
 江戸のウンコは下肥として、例えば川越のサツマイモになった。
 電気のウンコは、何か美味いものになるのだろうか? 
  
参照→・くたばれ乗用車

2009/06/24

146裁判の誤判事件にわが身に起きた誤診事件を思った 

 誤判事件が今話題となっている。
 DNA鑑定の結果で有罪判決を受けて服役してしまった人が、そのDNA鑑定が間違っていたとなって、再審裁判で無罪になる予定だそうだ。
 名誉は挽回しても、服役した17年の人生は絶対に戻ってこない。国家賠償金もあるだろうが、時間は不可逆だから購いようがない。生物である人間の宿命である。

 わたしにも似たような?ことがありえた事件があった。いや、犯罪じゃないんだけどね。
 誤判ではなくて誤診である。
 2002年から2004年にかけて、左股関節に異常が起きて、医者が言うには
「大腿骨頭壊死症といって、治療方法のない絶対に治らない国指定の難病である、悪くなった骨を切り取って人工関節に取り替える手術しかない」
と診断された。
 その経緯は「にわかハンディキャッパーは誤診だったに書いているから、ここには詳しいことは繰り返さない。

 わたしの場合はさいわいに、手術の前に自然治癒したから誤診とわかったのだが、どうせ手術するなら体力のある今のうちにやろうとも思っていたので、
「先生、チタン製人工関節に取り替えて、わたしを鉄人にしてください」
なんて早とちり手術していたら、あとで誤診とわかっても人間の身体は不可逆だから、もう取り返しがつかなかったのである。
 誤診のままに手術をするということは、誤判のままに刑に服することである。さて、上の誤判のように、後で誤診とわかるものかどうか、そこが大問題である。

 医療行為は、裁判のように公判、つまり公けに証拠が維持されていなくて、全くのブラックボックスであるから、どうやっったら誤診だったと見抜くことができるのだろうか。
 実はそのような誤診・手術・不可逆被害の事例はあるかもしれないと思うと怖い。
 昨年、母を送って焼骨を拾うとき、人工関節のセラミック製ボールがきれいな形のままにあった。みょうに生々しかった。