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2024/03/03

1800【悲しみの雛人形】男の子ばかりの家なのに毎春なぜか雛飾りした父母

 今日は3月3日、雛の節句である。わたしは男3人兄弟であったが、少年時の記憶では毎春には雛人形の段飾りが、床の間いっぱいにだされていた。もちろん端午の節句には、五月人形の武者飾りが登場したのは、その日がわたしの誕生日でもあるからだ。
 そのどちらも飾られなくなったのは、少年の日のいつのころであるか忘れたが、雛人形の方が先に消えたような気がする。

ネットで拾った画像だが、このような雛段飾りだった

 今日が雛祭りの日とて、それを思い出していたら、急に気が付いた、そうか、あの雛人形の飾りは、父母の悲しみを背負っていたのだ、悲しみの雛飾りであったのだ、と。わたしの2歳上に姉がいたが、3歳で急逝した。その亡き姉のための人形だったのだ。

 わたしにはその姉の記憶は全くないから、雛人形と関連して考えたことがなく、どの家庭でも3月には雛飾りをだすものだと思っていた。思えばあの雛飾りは、父母の悲しい思い出にある姉を祀るためで、雛祭りならぬ雛祀りだったのか。神社の宮司だった神道の父は、家族の死者を霊神として祀った。

 姉は父母には初めての子であったが、3歳半で感染症により急逝した。しかも不運なことに、父が日中戦争の中国戦線で兵役についていて、その不在時の不幸であった。母の嘆きはいかばかりであったろうか。わたしが母から姉のことを聞いたのは、「英子はほんとに可愛らしくて賢い子だった」と、死んだ子の年を数えるような言葉だけだった。あの毎春に出現した真っ赤な雛段のたくさんの人形飾りは、亡き子を偲ぶ悲しい行事であったのかと、今にして思うのである。

わたしと姉 1938年夏
 父母が遺した家庭アルバムには、幼い姉のスナップ写真が数多く貼り付けてあった。この姉が生まれたのでカメラを買ったのであろう。当時はカメラは高価なものであったはずだ。わたしのスナップ写真も多いのだが、姉と一緒の写真はたったの一枚のみであるのは、縁起を担いで他を捨てたのだろう。また、その後に生まれた2人の弟の幼少時写真がないのは、戦争末期になって写真材料が手に入らなくなったからだろう。

 そのカメラは蛇腹式のガラス乾板であり、父の遺品にそれを見つけてわたしが今も所有しているが、もうボロボロで使い物にならない。
 現像と焼き付けも父が自分でやったようで、その道具も一式あった。戦争末期から戦後は乾板も感光紙も手に入らなくなり、わたしの少年時におもちゃになり、カメラを壊し感光紙を露光させてしまった。このカメラのことは、このブログの記事にある。

 だが、あの雛人形や五月人形が父の遺品には無かったのは、定年退職後に故郷を出る時に処分してしまったらしい。さすがにその頃は雛人形に亡き子の思い出を託すほどではなくなっていたのだろう。

遠き日のひいなの飾り赤々とみとせのいのち姉を祀るや

(20240303記)

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伊達美徳=まちもり散人
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2024/03/01

1798【少子化時代】東アジアの半島国コリアと島国日本は人口減少でも競争するものだろうか

  2023年の日本人口での出生数が、総務省から発表された。毎年のように、今年も減少して記録更新とのこと。今に日本列島は無人になってしまうと思ってしまうのだ。でもたぶんそうなることはなくて、何かが起きて人口減少ストップの時来るのだろうなあと、希望的に根拠もなく思うのである。


 ところが、隣の半島国コリア(大韓民国)でも少子化が進んでいて、その勢いは日本以上だそうである。その出生率の減少傾向は、200年に日本を追い越して、というか日本よりも低くなって、どんどん下がるばかり、いまや072とは、世界一かしら。
 コリアについては、日本との間の歴史的な経緯もあって、何かと日本と競争する話を聞くのだが、こんなことに日本を追い越せと頑張るのではあるまい。東アジアから人間がそのうちに消え去るのだろうか。
 これって、日本とコリアはやっぱり同じ民族だから似ており、少子化も同じように進むのだろうか。チャイナは少子化政策をとっていた時代がずいぶん長かったから、更に少子化問題を抱えているだろう。もちろん高齢化もんだも大きいだろう。とすれば、東アジアから人間はどんどん減るばかりで、どうなるのだろうか。


 もちろん少子化と高齢化は対になっているから、コリアでも高齢化は著しいのだろうかとみれば、全人口に対して22年老年人口比は17.4パーセントである。日本のそれは29パーセントであったから、どうやらこの値は日本に追いついてはいないらしい。ここで「追いつく」という言葉が正しいのかどうか知らないが、そういう現象である。

 ところが14歳以下の2022年の年少人口比率は、コリア11.5パーセントに対して日本のそれは11.6パーセントで、実質的な差はない。つまり年少人口減少は日本に追いついたが、老年人口比率はまだ追いついていならしい。それだけコリアの少子化速度が日本よりも先に進んでいるということだろう。

 上下二つのグラフを見ると、日本の年少人口は11パーセントあたりで減っていかないのだが、コリアでは現在が11パーセントあたりになっており、この後に6.6パーセントにまで減少するらしい。日本の半分とは劇的な感もする。
 老年層も、日本が39パーセント弱で変わらない傾向になろうとするのに。コリアでは48パーセント近くまで増えていくのも、ずいぶん違う。

 何かというと日本と比較してしまうコリアだが、かなrずしも同一歩調でもないし、コリアが日本を何でも追い越しているのでもないらしい。経済の比較では勝ち負けみたいな感情が働くらしいが、人口という社会現象でもこの2国間に競争意識があるものだろうか?

(20240301記)

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伊達美徳=まちもり散人
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2024/02/16

1793【せいぜいAI時代】これからは何でもかんでも誰もかれもが生成AI統一教にひれ伏す時代か

●出たとこ勝負凋落日本

 わたしはこんな経済の話なんて全くわからないが、たまたま見つけた今日の新聞の記事の一部に目が行った。

 1989年と2023年の諸統計数値比較だが、この1989年がバブル絶頂期と書いてある。そうだったか、この年にわたしは28年間所属していた組織を離れて、一介のフリーランスの都市計画家になったのであった。

 その時はよくわからなかったが、実はバブル景気の絶頂期にあったのだった。ということはそこからは景気が悪くなるばかりだから、フリーランスなんて不安定な人間になるべきではなかったのかもしれない。渦中にいる者にはそこが絶頂期とか没落期とかわからないものだ。
 
 10年くらいは結構面白いフリーランス人生であったが、やがてバブルパンクがやってきて、どんどん不景気になってきた。上の比較数値を見ると、その後の今までには、どんどん悪くなる方向らしい。
 それはまた、次のような新聞の示す数字を見るとわかる。


 日本はある時期はGDPとかGNPとかが世界一になったと喜び騒いでいたが、そのうちに中国に追い抜かれたとかって、悔しがっていた時期があった。それももうあきらめてドイツにも抜かれるというありさまである。

 へえ~、そうなかあ、コロナで逼塞中にそうなったんだなあ。でもわたしは実のところはもうどうでもよいのである。だって、わたしは超高齢になって先がないからだ。そのことは敷衍すれば、こうも超高齢者が多い日本全体としても、国家全体がもうどうでもよい、てなことになるに違いない。

 どうも最近の政治のデッコミヒッコミのバランスの悪さは、だれもかれももうどうでもよい日本になってしまっているからに違いない。出てくる問題を俯瞰する判断をしないで、その時に必要なことをその場で解決するばかりのような気がする。ああ、出たとこ勝負場当たり時代なんだなあ、考えようでは気楽なもんだ。

●新興宗教AI統一教

 そんな気楽な時にふさわしい便利な道具が出てきた。「生成AI」なるものだ。これがまさに出たとこ勝負の解決道具らしい。まるで新興宗教のように、AI神様に身の上も身の下も何でもかんでもお伺いを立て、出たとこの答えにとりあえずすがれば、とりあえずの日々何とかなるらしいのだ。
 
 そいつには、こんな使い方があるそうだ。

 まあ、上等なの占いのようなものだろう。これからはこのAI教の教祖様に何でもかんでもお伺いを立てる世界が来るようだ。この安易な宗教がこれからどんな社会を生み出すのか楽しみだが、わたしが生きているうちはまだAI統一教会にはなるまい。

 でも、そういう世界のドタバタって面白そうだから、もうちょっと生きて面白がって眺めてから死ぬことにしたい。それにしても何でもかんでもAI様に聞いていると、だれもかれもが同じような頭の構造になるだろうから、それもつまらない世界だ。やはりそれが来る前にあの世に避難しようかな、、。 
(20240216記)

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伊達美徳=まちもり散人
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2024/02/03

1789【ミソジニー】外相にアッそうと超然見下され褒めたつもりの元首相ミソ爺

しこめぶおとこ
 ●政治家のミソジニー失言

 ヤレヤレ、またあの元首相自民副総裁のアソーおじさんの失言か、いやいや、あれは意図した発言だよな。上川外務大臣のことを大いに褒めたかったらしくて、ちょっとレトリックを弄したのだが、なんとも時代に歯向かうミソジニーであったとは、お気の毒。

 「そんなに美しい方とは言わんけど」といったん落としておいてから、「堂々と・・・英語できちんと・・・どんどん・・・云々」とほめちぎると、その落差が大きくなって褒め度合いがはるかに上昇すると踏んだようだ。ユーモアの効果も狙ったのであろう。

狂歌はブログ筆者まちもり散人詠

 ところがその前半がミソジニーだと、新聞屋の餌食にされてしまい、せっかくのレトリックを弄した褒め言葉が無駄になってしまった。あのモリキロー氏の「女は話が長い」以来だろうか。当人はユーモアのつもりだったのだろうが、それにしてもモリもアソーもちょっと古すぎた。言う場を今の時代として心得ていない、いや、老いの無頓着と言うべきか。

 さらに上川さんを「おばさんやるねえ」とほめたら、この「おばさん」を新聞屋はこれもミソジニーと言いたいらしい。でもわたしが思うに「おばさん」とは、中年以上の女性を呼ぶときに、普通にちょくちょく遣う言葉だからミソジニーではないだろう。え?、お前も味噌屋だ、といわれるかねえ。
 ただし、その場にいた新聞屋が聞いた麻生発言が、あの口ひん曲げ顔でいかにもミソジニー雰囲気であったとすれば、これもそうなのかと思うしかない。



 さてこれに対して上川さんはどう対応したかと言えば、言いたい奴には言わせておけと、動じていない態度を見せているとのこと。まあそうだろう、火に油を注ぐ様なことを、一国の外務大臣が言うはずがない。新聞屋や野党の焚き付けにも動じないで、超然黙殺外交であったのがすばらしい。

 それだけで麻生さんに発言撤回させてしまって個人外交の手腕も腕も確かなお方だ。さすがに一国の外務大臣のおばさんやるねえと、アソーさんは言うかしら。
 でもわたしとしては、上川さんに言ってほしいなあ、「アソーのおっさんは、顔も口も悪いお方ですけれども、なかなかにご立派なお方でいらっしゃいます」てなことね。

外相にアッそうと超然見下され 褒めたつもりの元首相ミソ

●わたしのBlack Joke失言

 ところで最近わたしも失言して、同年の旧友からから注意されたのである。まずはあらかじめミソジニーではないと言っておこう。ブラックジョークである。

 昔から親しい友人たちと会合や旅をした後で、そのときの顔写真をEメールで送るのがわたしの習慣である。古希を過ぎたころからその顔写真に、「今回の遺影です」と書き添えることをちょくちょくやってきた。もちろん、「もうそろそろあの世に行く歳だよ、これが役立つかもよ」というブラックジョークである。

 先日のこと、同年のその親しい友人たち十数人とZOOMミーティングをやり、その時のPCデスクトップの参加者が並ぶ顔をスクリーンショット、ZOOM終了後に「本日の遺影です」とメールで送った。これもちょくちょくやってきたことである。

 ところがその中の旧友のひとり(USA在住)が、゛遺影とは俺にはまだ早い、俺はもう少し生きるから、よせ“、なる意味の丁重な言葉で抗議の返信が来た。親友だから何を言いあってもわかるから、それに返信しておいた。「ゴメン、今後はBLACKな冗句JOKEを慎みます。(と言っても、すぐ忘れそうだけど、歳のせいで)」と。

 そこでちょっと考えた。う~む、これまでは、まだまだおれたちは死にっこないけど、立派な年寄りではある、だから遊び写真を遺影というブラックジョークが通じる、そう思っていた。ところが、八十路半ばになり、実際に同年配があの世に行きだした現今となると、本当に遺影になる確率が高くなった。こうなるともうブランクジョークではない。それに私は気付かなかった。

 そこでもう漫然とジョークとして遺影を使ってきたのを、今後はやめることにしよう。漫然としてミソジニーとなるのにも気をつけねばなるまい。
 ただし自分自身についてのブラックジョークはまだまだ続ける。例えばピンピンコロナ願望とか、災害から避難する超安全地帯はあの世、とか。

(2024/02/03記)

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2024/01/08

1777【老人二人の死】われよりも若き老衰に戸惑へば脳内にわかに昔歌ぞ流る

●篠山紀信の83歳老衰死に戸惑う

 近年はコロナパンデミックに加えて戦争紛争、地震津波豪雨など大災害による人間の大量の死が、毎日のマスメディアやネットに登場して 、人間の死に不感症気味である。それがさらに増幅されるのは、今や個人的に身近な知人たちの死も珍しくない年頃に自分が至っているからだ。もう人の死に驚かない。

 ところが、先日、新聞の訃報に驚いた。わたしでも名前を聞いたことがある著名な写真家の篠山紀信が死亡したとの15日の記事である。篠山氏に面識はないが、驚いたのはその死因である。なんとまあ「老衰」だそうだが、その年齢が83歳とあるところまで読んで、これはと驚き戸惑ってさえいる。

 エ~ッ、83歳?、いったいどうしたのかと狼狽気味、だって、わたしよりも3歳も若いッ、その歳で老衰ってことがあるのか、いやいや、こうして現実あるものなんだなあ。
 そうかそうか、わたしもついに知らぬ間に老衰死の資格の獲得に至っていたのか、気が付かなかった。では、これからは堂々と自分の死を語ることができるぞ。なんだか安心感もわいてきた。

 老衰死の人は、いわば生物的に完結したのであろう。それが若かろうが超高齢だろうが、これこそが天寿の人である。それに対して事故死や病死は、生物としての生きることができた期間を余儀なく短縮したのである。一般に非業の死という。逆に、老衰死しようとする人を、医療技術で無理やり生き永らえさせるのも、死者から見れば余儀なく延長である。どちらも不自然なる人生であったことになる。自分の意思による死も完結と言えるだろう。

 さて、私も生物としての人生を自然現象として完結したいものだ。近年ではコロナワクチンを入れたが、これまでめったに薬を入れた身体ではないから、ありうるだろう。
 だが、老衰死って苦しいのだろうか、楽なんだろうか、そこが気になるが、まあ、なるようにしかならない。願わくばピンピンコロリタイプの老衰死をやりたいものだ。

●中村メイコの死と70年前の歌の記憶

 今日のニュースのひとつに、俳優の中村メイコの訃報がある。こちら89歳で病死とあるから、この事実には驚かない。でも、彼女の歌に「田舎のバス」があったと書いてあるところにきて、脳内にその歌がワ~ッと流れたので、そんな自分にビックリ。

「♪ 田舎のバスは~おんぼろぐるま~タイヤ~は傷だらけ~ま~どは閉まらない~それでもお客さん~我慢をしてる~それ~はわたし~が美人だか~ら~ ♪

 ここまでだが、これで歌詞一番の全部だろう。たしかミキトリロー作詞作曲で、NHKラジオ放送番組の「日曜娯楽版」の中の「冗談音楽」で初めて聴いたような覚えがあるが、定かではない。冗談音楽の導入部も脳内を流れる。(参照:「冗談音楽」)

もしもしあのねあのねッ、これからはじまるッ、じょーだんおんがく~

 おどろいたねえ、これらの歌を聞いたころから今まで思い出したことは一度もないのになあ、いつの歌?。ネットで見ると1954年に作り、55年にレコード発売とある。70年も前のことだ。ユーチューブで歌詞とメロディーを確かめたら、あっていた(参照:「田舎のバス」)。

 日曜娯楽版はわたしが高校生のころだが、政治風刺がきつく効いたコントが続き、実に面白いラジオ番組だった。その風刺が効きすぎて、当局(政府か進駐軍か)からにらまれて、番組名が変わったら全然つまらないものになった記憶がある。

 あそうだ、おんぼろバスから思い出したが、そのころだったかしら、木炭車のバスが走っていた。バスの後部にそのための缶(かま、というのか?)が煙を出していた。力がないらしく坂道では客がおりて押した。あれはいつ頃だったろうか、この歌のころはもうガソリン車だったかな。ガソリン車が(再)登場したころ、子供らはその後ろで排気ガスを吸って、ああいい匂い、なんて言っていたが珍しい匂いだったのだ。なんて突然思い出した。

 篠山紀信も中村メイコもわたしは全く面識がないし、TVなどで見た記憶もない。だが、ある人の死は、その人とともにあった頃の昔の自分を、突然にむりやり引きずりだされる、これっていやなものだ、と、今思う。

われよりも若き老衰に戸惑えば脳内にわかに昔歌ぞ流る

(20240108記)


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2023/12/24

1768【夜行列車】特急寝台から鈍行普通まで思い出が多い夜行列車が今やたった1本だけとは

2023/12/22朝日新聞朝刊
 
 定期的に走る夜行列車はなんとまあ「サンライズ瀬戸・出雲」のしかないと、鉄道マニアらしい政治学者の原武史さんが書いている。へえ、そうなのか、新幹線と航空機の普及がいつの間にかそうさせているのであったか。思えば夜行列車には結構なんども乗ったなあ。

列車から眺める生家の神社の森(記事とは別の1975年)
 「サンライズ出雲」には東京から出雲市までの間を、一度だけ乗ったことがある。2004年のことで、大学時代の旧友たちと出雲に遊びに行ったのだった。
 列車はわたしの生まれ故郷の街を通るので、窓から眺めて生家の神社の森が健在なのを、寝台に横たわって確かめたのであった。

 この夜行寝台列車の個室は、窓いっぱいに横たわって寝るのだったが、2階建ての一階にあるので、目の高さが駅のホーム面にあるのが奇妙な感覚だった。駅を通過するときは、ホームにいる人たちから寝姿をじっくりと眺めおろされてしまうのだ。

 わたしは鉄道マニアではないが、仕事も遊びも夜行列車に乗った記憶が沢山ある。真冬に秋田の大舘に行くのに、名前は記憶にないが夜行寝台に乗ったことがあった。上野で乗った時は雪はなかった。わたしは上段の寝台にもぐりこみ耳栓をしてぐっすりと寝た。

 朝が来たらしく車掌が起しに来た。それが終点ではなくて途中のどこかの駅であった。大雪で途中駅で運行できなくなったので、乗り換えてくれと言う。
 仕方ないので通路に降りると、誰も乗っていない、というか、ほかの客はとっくに降りてしまったらしい。残されたわたしが一人だけ寝ていたらしい。そこから目的地に遅れて行った行路の記憶はないが、予定の会議に間にあった記憶はある。

 最も度々乗った夜行列車は、東京から広島までの特急寝台であった。「あさかぜ」という名前だったような記憶がある。広島県の仕事で1年ぐらい、毎週のように通って乗った。忙しくしていたころだから、ホテル代と睡眠時間の節約になり好都合だった。

 寝台でもなく特急でもない普通の夜行列車にも、何回も乗った。それは学生時代のことで、東京から岡山そして備中高梁まで帰郷する貧乏学生には便利であった。
 岡山と東京の間に直通の夜行普通列車があったか、なくて乗り継いだかの記憶があいまいだ。さすがに若くても、三等車の椅子は硬くて、尻も背中もも痛くなったものだ。

1950年代に見ていた大船観音
 帰郷先から東京の戻る普通三等車から、朝早くに大船駅あたりで見える大船観音の姿の記憶が印象深い。その頃は今のように真白に化粧してなくて、工事中にストップしたコンクリート肌の汚れた姿の仏様だった。

 これを寝ぼけ眼で見て次に記憶にあるのは、川崎駅の西口にあった東芝工場の壁に、真っ赤で真ん丸でどでかいネオンサインがあったことだ。大船観音と東芝ネオンがセットになって、わたしの若い頃の夜行列車の記憶にある。大船観音は健在だが東芝は消えた。あの大企業さえも消えるとか。

 大学時代には、大学山岳部の合宿に北アルプス方面にに向かうときは、もちろん普通夜行列車の3等車であった。大勢がみんな大きなリュックサックを背負っていくから、その荷物を列車で運ぶのも大変だった。重さが50kgくらいもあるのが普通だったから、かつぐのさえ大変であった。それを背負って山に登ったのだから、あの頃は若かった。

大学山岳部合宿の荷物 1958年

 今はないだろうが、そのころ乗車券を見せると大きな荷物を、1人1個だけ特別に乗せる許可を呉れた。ところが荷物の方が人数よりも多いので、たまたま同乗の見知らぬお方に頼み込んで乗車券を借りて、国鉄の許可を得たのであった。
 この許可手続きの時に一時的に乗車券を借りていかなければならないのだが、汚い姿のわたしたちを信用してもらうには、乗車券と引き換えに学生証を預けたものだった。許可証を得てきて乗車券と学生証を交換に返してもらう。

 山行きの夜行列車では、椅子の下にもぐって足を十分に伸ばして、床の上でぐっすりと寝たものだ。汚いという感覚から遠かった。目的地の駅についても、十分に寝てきた若い身に任せて、大きな荷物を背負って朝から行動したのであった。

 新幹線が伸びるにつれて、寝台列車には乗ることはなくなった。冒頭に書いた2004年の「サンライズ出雲」が最後だったような気がする。
 忙しい頃の新幹線がない遠い所への出張には、積極的に寝台列車に乗っていたのは、平素は忙しくて寝不足の日々なのに、寝台列車の夜は睡眠時間をたっぷりととることができるという楽しみがあったからだった。なんだか情けないような気もする。

 (2023/12/24記)

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2023/12/22

1767【健康保険証消滅】めったに医者にかからぬし近いうちそれも不要になるから平気だな

 

 日本政府が発行する「個人番号カード」というものがあるが、ご存じだろうか。そのためのれっきとした法律がある。「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」と言う長たらしい名前だ。

 その法の第16条にこうある。「機構は、政令で定めるところにより、住民基本台帳に記録されている者の申請に基づき、その者に係る個人番号カードを発行するものとする」

 で、この個人番号カードを「マイナンバーカード」とか「マイナカード」とかいうことにしたのは、総務省である。要するに「個人番号カード」では、国民に背番号をつけて徹底管理しようとする政府の意図が丸見えなので抵抗が多かろうと、勝手にマイナカードなんてニックネームというか、芸名を付けたのである。

 それにしてもだよ、自らの名を「マイナカード」と言うなんて、そんなにへりくだることはあるまいと思うのだ。国民みんなに持たせようっていうのだから、たぶん何百億円も費用がかかる、つまり巨額税金を投入する大仕事だろうから、これは「メジャーカード」と言うべきである。それを「マイナー」なんて国民をバカにしている、と思う。
 
 さて、その「個人番号カード」(これも略称として「個番カード」と言おう)を、健康保険証にしてしまおうという政府プロジェクトが問題をはらみつつ進んでいる。その略称をマイナ保険証と言うらしい。
 つまりマイナーな保険のカードであるのかと言うと、いやいや健康保険こそはメジャーである。政府はどうやら健康保険をマイナーなものにしたいらしい、その意図がカードの名付け方で判明する。でも、わたしはめったに医者にかからないからマイナーカードである。

 で、個番カード(政府が言うマイナーカードのこと)に健康保険証を合体させて、健康保険証を廃止するという政府作戦が着々と進みつつある。ところが、主として高齢者層から大反対の声が大きい。
 そもそも個番カード(マイナーカード)を持っていない老人がが多いのである。今更そのカード取得手続きなんて面倒くさいことをやりたくない、そんなもの無くても今の紙の保険証のままで何の不都合もない、これが大方の理由であろう。

 わたしも高齢者であるから、その言うところがよく分かる。でも、実はわたしはその個番カードを、政府発行の最初の頃に取得しているのだ。その動機は、どこにも所属していないし、旅券も切れたし、今や自分が何者であるか他人にむけて証明するものががない。
 健康保険証だけが頼りだが、なくしたり忘れたりする恐れがある高齢者には、もうひとつ身分証明を持っておきたかった。そのためだけに個番カードを取得したのだ。

 その取得のため区役所での手続きが実に面倒であった。それを聞いた妻は取得しなかった。ところが、うやって取得した個番カードの出番はほとんどないままである。毎年使うのは所得税確定申告書にコピーを貼り付けるくらいなものである。これも必須とは言えない。
 そのほかで何かに身分証明として使った記憶があるが、ほとんど覚えていないほどに、どうでもよいことだった。つまり自分がそれほどにも社会とかかわりがないということだ。

 あ、そうだ、最も有効に使ったことが一度だけあった。最近になって取得すると政府が5000円くれるのだが、わたしが取得したころはくれなかった。そこで区役所に不公平だから俺にも5000円よこせと言いに行ったら、後追いでも呉れるという。当たり前だ。
 そこでまためんどくさいこと極まる手続きをやって、ようやくくれることになったが、実際に手に入ったのは、手続きから半年ほど後だった。バカにするな。

 その5000円手続き時に、銀行口座とか保険証とかも個番カードにリンクさせる(これを紐付けと言うらしいが紐はない)と、更にいくばくか呉れるという。金で釣ろうとするのが気に食わない、またまた面倒なPCいじりをするのがもっと気に食わない、もともと原資は税金だから素直によこせ、なんてことで、それらはやっていない。

 だがさて、来年末から健康保険証紙カードがなくすると言うから、それまでに何とかするべきか、わたしはできたとしても妻は身体を運びあれこれ手続き不可能な状況である。区役所にうち迄やって来てもらう方法があるのかしら、あるいは代理手続き可能なのか。

 考えているうちに、もうどうでもいいや、そうだ、健康保険証が無くてもいいのだ、と思いついた。その理由は簡単なことで、健康保険証廃止になった頃にはわたしも妻もこの世にいないから、どんなカードも全く不要になるのだ。ああ、気楽なものだ。ああ、よかった。

 あ、まてよ、政府はそれを狙っているのかもしれない。ごちゃごちゃ言う年寄りどもはバタバタと死んでいくから、個番+保険カードに問題提起して反対する奴らは、自然淘汰で来年末迄にはほとんど消え去る、政府はそう考えているに違いない。
 その手に乗るのは癪だが、乗らざるを得ないのも事実である。年を取るとはそういうことであるのか、そう思うことが近頃どんどんと増えていく。

(2023/12/22記)

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2023/12/20

1766【Q人会誌2023】八十路の岩壁登攀中の大学山岳部同期仲間たちの今を結ぶ冊子

  今日、郵便局にて「Q人会誌2023」なる小冊子を、その会員7名に送った。一人はUSAのCALIFORNIAに居るので航空便であるが、1週間くらいで着くらしいから、みんなに年内に間に合うことになる。よかった。

手作り小冊子「Q人会誌2023」

 「Q人会」とは、大学時代の山岳部同期仲間の会である。卒業後すぐに結成したのではなく、実質的には卒業後50年目からだった。そのきっかけは、その仲間の中のSが、2000年にノーベル化学賞を受けたことだった。
 山岳部同期だけでお祝いに集まろうとしたが、肝心のSが受賞騒ぎで超忙しかったので、ゆっくりでもいいやと受賞7年後に集って祝った。日比谷公園の松本楼だった。この時に、CALIFORNIAに住んでいる仲間のOも来たので、帰国歓迎会も兼ねた。

 そんなことから毎年に同期会総会を1回はやろうよと決めて、2011年から毎初夏にOも訪日をするようにして、同期会となった。この時の人数が9人であったので、名付けて「Q人会」とした。そのうちに蜂、質、録、誤人会と会名を変える必要があるなあと言っていた。そして今も「Q人会」だが、実は蜂人会とすべきなのを変える気がない。

 「Q人会誌」とは、わたしの趣味が本づくりなので、メンバーに大学時代などの山行記録などを書いてもらって本にして、総会の時に発行することにしたのだった。2017年が第1号で、以後2018、2019年まで来た。原稿の内容はだんだんと広くなった。
 コロナで集まれなくなったが、原稿はメールで集まるから、2022,2023と発行してきた。

 何しろ山岳部出身だから、みんな元気ではあるのだが、それでも八十路半ばになると、歳相応に何やかや起きる。中のひとりNはコロナではなかったがその渦中に宿痾であの世に行った。残る者にもなにやかやとあり、会誌の原稿書きも難しくなる。今回で最終号かも知れないと思いつつ作って、年内発行に何とか持ち込んだのであった。

 わたしの趣味の本づくりで、A5判、100ページほどの小冊子を10冊ほど、まるで小学生の工作の様に、いや本作り職人のように、シコシコと制作するのは楽しい。仲間からの原稿集め、レイアウト、ブックデザイン、PCによる編集作業、印刷、そして文房具を駆使して製本という一連の作業は、ボケの進行をストップさせているに違いない。

 わたしの趣味で本を作っているのだから、仲間に原稿を無理やり書かせるかけにはいかないが、趣味に付き合ってくれて感謝している。年に1回の集まりにそれぞれの本に互いにサインをしておいて、その日まで生きていた証拠としている。
 昨年までの各号の原稿を、執筆者ごとに集めて編集して、各個人作品集も作って配布した。

 なお一昨日のこのブログ記事は、この会誌に寄稿の一部である。実は今年のわたしの寄稿は、このブログの今年1年の記事から、毎月1編を選んで12のエッセイを載せたのである。ちょっと多すぎて全体の4割も占めたが、そこはわたしの本づくり趣味による造本作業に免じて許してもらうことに、勝手に決めた。

 さてコロナも明けたようなので、来年こそはQ人会総会開催をしたいものだ、それには最も遠方のCALIFORNIAからの遥かな八十路の旅の可能性にもかかっている。Oの体力を心配しつつ楽しみである。
 そしてまた、ほかの誰彼だってコロナ前のようにはいかない。八十路総会を開催することが、昔々の雪山合宿をする心持に似てきた。お手軽にZOOM総会という手もあるかなあ。

(2023/12/20記)

伊達ブログ記事参照

Q人会誌総目次(2017~2023)
https://datey.blogspot.com/p/q2022.html

本づくり趣味が嵩じてきて自分の本ばかりか他人の本まで作ったhttps://datey.blogspot.com/2015/01/1024.html

自家製ブックレット「まちもり叢書」シリーズhttps://datey.blogspot.com/p/machimorisosyo.html

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2023/12/18

1765【コロナ後の世界】期待するような新社会が待ち受けているのではなさそうだ

 

メタセコイア並木の黄葉 横浜日本大通り

 わたしはこのコロナパンデミックという地球的大事件が、その後の人間社会をどう変えるか大いに興味があり、それを見てから死にたいと思ってきた。
 この前の地球的大事件は、第2次世界大戦であった。個人的にはその一部であるアジア・太平洋戦争に直接間接に大きな影響を被ったが、その後の人間社会の変化かを、とくと見届けてきた。

 あんなことは2度とご免だが、コロナパンデミックの様にいわば自然災害の延長の様に起きてきては、防ぎようがない。できるとこは公衆衛生の普及、医療治療、医薬品の開発によって、拡大を防ぎ消滅へと努力することしかないし、そうやってきたのをつぶさに体験した。この地球規模の人類の体験が、この後で再構築する社会にどのような姿で出てくるのか、それはあの戦後社会の登場を見るような楽しみがある。

 そう思って期待しているのだが、コロナ中と末期にウクライナとパレスチナで大きな戦争が起きて、これは楽しみに期待するような新世界が生まれるのではないらしい気がしてきている。もしかしたらコロナで死んでしまう方がよかったのかもしれないと、思いつつある。

 個人的にはコロナウィルスに感染しないで来たから無関係だったのではなく、コロナによる行動制限は多くの影響をもたらした。2019年まではある程度は専門分野での会合にも参加し、あるいは出版原稿の依頼もあった。
 しかし、2020年からはパタッとなくなった。他人との交流の機会は大きく制限されて、それはまるで江戸時代の武士がお殿様から蟄居閉門を申しつけられたようであった。

 その間はそれが解けるのを待つしかなかったのだが、実は大きな問題が後ろに控えていた。それは自分が後期高齢者であることだ。若ければ蟄居が解ければまた世に戻ればよいのだが、超高齢者はその間に自身の肉体が衰えて簡単に復帰できなっているのであった。わたしも自分がそうなってみて愕然とした。

 コロナ前の頃と今のコロナ後とはたったの4年足らずだが、超高齢者にはそれだけの時間があれば肉体の衰えには十分であった。わたしの典型的な事件は、その間に街路の交通頻繁な交差点の中で転倒したことである。以後は杖を携えて徘徊に出ることにした。頭の方はまだ大丈夫だが、これは自分では判断できないから怪しいので、その判定は頻繁に書くブログを読む人にさせるのだ。

 もう一つ重大なことが起きたのは、同年の妻の身体の衰えが、わたしよりも先行してきて、介護保険適用の認定が要支援2の判定となり、日常的に老々介護をする側の初期体験中とにあることだ。このために脱コロナ後の今も外出制限が別の意味で続くが、幸いにして近居の息子に助けられている。
 もちろん妻ばかりではなく、同年の知人たちもそのような局面を無会えてるものが多い。もちろん死ぬものもじわじわと多くなってきた。

 こうしてコロナパンデミックは、わたしをすっかり社会から遠ざけ、戻れなくしたたのである。わたしのとってその代替は。ネット社会への一層ののめりこみである。ブログ書き込み、SNS活用はもちろんだが、コロナ以後に新たなネット武器としてZOOM meetingの登場である。

 コロナ前には無かったこれを使っての、専門的な研究会やシンポジウムに、会場に出向かなくても参加できるようになったのは、高齢者には実にありがたい大きな変化である。
 有料もあるが多くは無料参加が可能であるのが特に嬉しい。コロナの影響で嬉しいことはこれが唯一である。

 そしてビジネスで開発普及したこの会議ツールを、外出がままならない超高齢者たちの交流ツールにしている。わたしの場合は、大学同期生たちとの交流グループが、専攻分野、寮、山岳部の仲間たちの3組があり、頻繁にやっている組とあまりやらない組がある。

 だが、このZOOM交流は、参加者の高齢化による視聴覚機能の衰えで次第に人数が減る。もちろんほかの老化要因、例えばボケとか死亡もある。
 では同年の参加者を増やそうとしても、いまさらアプリケーションダウンロードしてあれこれいじって参加するなんてことを、八十路半ばになって新たにやる者はいない。

 そうやって八十路仲間たちには、次から次へとあの世へ先を越されて悔しがる日々である。わたしも近いうちに仲間を悔しがらせたてやるつもりだが、。(2023/12/15記)

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2023/12/02

1754【今年の新語流行語】ネットは観るがテレビを全く観ないわたしが知る言葉はわずか2語のみ 

  1カ月前に今年の新語流行語について、その候補30語が発表されていて、そのことについてこのブログ書いた(1728【今年の新語流行語候補】。要するに30候補語のうち、わたしが知るものはその半分の15語であったという話である。

 今日12月2日の新聞に、ベストテンと大賞の発表があったニュースがある。30候補から10を選んだらしい。今度はわたしが知る言葉はたったの2語になってしまった。候補語では5割を知っていたのに、ベストテンに残ったのは2割とは、どんな選考をしてるのだろうか。


 なお、大賞は「アレ(A.R.E)」で、これは野球の言葉らしい。見世物スポーツ嫌いだから、もちろん知らない。

 どうせどうでもよいことだが、これまでの記録をのせておく。全体的に見てみて、わたしが知っている言葉の数に特別の傾向も変化もないようだ。
 しかし自分では分からないが、WEBサイトやSNSをよく観るがTVをまったく観ない者の傾向はこうだと、言えるのかもしれない。知らなくても困ることはなにもない。

●2022年(わたしが知っていた語数3)
 ×「村神様」(大賞)、〇「キーウ」、×「きつねダンス」、
 〇「国葬儀」、〇「宗教2世」、×「知らんけど」、
 ×「スマホショルダー」、×「てまえどり」、
 ×「Yakult(ヤクルト)1000」、×「悪い円安」

●2021年(わたしが知っていた語数5)
 ×「リアル二刀流/ショータイム」、〇「ジェンダー平等」、
 〇「親ガチャ」、×「Z世代」、〇「人流」、〇「黙食」、
 ×「ゴン攻め/ビッタビタ」、×「スギムライジング」、
 〇「ぼったくり男爵」、×「うっせぇわ」

●2020年(わたしが知っていた語数5)
 ×「愛の不時着」、×「あつ森(あつまれ どうぶつの森)」、
 ○「アベノマスク」、○「アマビエ」、○「オンライン○○」、
 ×「鬼滅の刃」、○「GOTOキャンペーン」、
 ○「3密」(大賞)、×「ソロキャンプ」、×「フワちゃん」

●2019年(わたしが知っていた語数5)
 ×「そだねー」、×「ONE TEAM(ワンチーム)」、〇「計画運休」、
 〇「軽減税率」、×「スマイリングシンデレラ/しぶこ」、
 ×「タピる」、×「#KuToo」、×「◯◯ペイ」、〇「免許返納」、
 〇「闇営業」、〇「令和」

●2018年(わたしが知っていた語数4)
 ×「そだねー」、×「eスポーツ」、×「(大迫)半端ないって」、
 ×「おっさんずラブ」、〇「ご飯論法」、〇「災害級の暑さ」、
 〇「スーパーボランティア」、×「奈良判定」、
 ×「ボーっと生きてんじゃねーよ!」、〇「#MeToo」

●2015年(わたしが知っていた語数6)
 ×「トリプルスリー」、○「爆買い」、○「アベ政治を許さない」、
 ×「安心して下さい、穿(は)いてますよ」、○「エンブレム」、
 ×「五郎丸(ポーズ)」、○「SEALDs」、○「ドローン」、
 ×「まいにち、修造!」、○「一億総活躍社会」、

●2014年(わたしが知っていた語数2)
 ×「ダメよ~ダメダメ」、〇「集団的自衛権」、×「壁ドン」、
 ×「カープ女子」、〇「危険ドラッグ」、×「ありのままで」、
 ×「ごきげんよう」、×「マタハラ」、×「妖怪ウォッチ」、
 ×「レジェンド」

●2011年(わたしが知っていた語数7)
 〇「帰宅難民」、〇「絆」、×「こだまでしょうか」、
 〇「3.11」、 〇「スマホ」、〇「どじょう内閣」、
 ×「どや顔」、〇「なでしこジャパン」、
 〇「風評被害」、×「ラブ注入」

●2009年(わたしが知っていた語数5)
 〇「政権交代」、×「こども店長」、〇「事業仕分」、
 〇「新型インフルエンザ」、×「草食男子」、〇「脱官僚」
 〇「派遣切り」、×「ファストファッション」、
 ×「ぼやき」、×「歴女」

(20231202記)

2023/12/10追記
 このところ政界は大揺れ、自民党の安倍派の資金集めパーティで集めた億の位の金を、政治資金収支報告書に載せないで、裏金にしていたことが暴露されて、検察の手が入った。安倍派重鎮6人が次々と閣外に出されるらしいとて、新聞はパーティで集めた金を「還流」したとか「キックバック」したとかの記事ばかり。
 今年の新語流行語に追加か、特別大賞「還流/キックバック」

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2023/11/26

1750【横浜ご近所探検隊が行く】もしかして家を追い出された時のため安宿住いを考えておく

  街を徘徊していると、こんな安宿に出くわす。どうしてこれらに注目しているかと言えば、年寄りになると、年寄りには賃借アパート入居が簡単ではないらしいからだ。
 もしも今の住処をなにかの都合で追い出されることになったら、直ぐに泊まることができるホテルを平素から考えておく必要があるのだ。そこでこれらのホテルに目が行く。

 ひとつは伊勢佐木町界隈に何棟かある「ウィークリーマンション」と称するが実質はホテルである。最も安くて1泊4900円(水道光熱費込み)、シングルルームでバストイレ付、約20㎡とある。通常のビジネスホテル並みだろう。
 一泊2650円の安い部屋もあるらしいのは、新築らしい建物もあれば、戦後復興期の防火建築帯の改装ビルもあるからだろう。


 ただし一週間以上連泊が条件であるようで、長期になるほど安くなるらしい。独り暮らし老人にはちょっと魅力的である。わたしがまだ足腰立つうちにならば、ここに住んでもよいように思う。ほかにもあるか探してみるか。

 もうひとつは寿町あたりに多く集まる「簡易宿所」(俗称ドヤ)で、一泊1700円(水道光熱費別)であり、室内にバストイレはなくて、共同便所とコインシャワーがある。これは多分7㎡くらいの広さだろう。
 寿町で下記画像の表示がある「ベイサイド横浜」なる簡易宿所は、一番最近にオープンしたもので、ドヤでは最も新しい設備と言ってよいのだろうっと思う。

 こちらは通常のホテル並みの設備ではないが、何しろ安い。この値段には理由があるらしく、生活保護受給者が住宅に支払うことができる上限という。どの簡易宿所も同じ様な宿泊室と設備でこの値段だから、古いそれよりもこの新築に泊まる方がはるかに良い。

 わたしは十数年前に寿町の簡易宿所に泊ったことがある。友人たちと寿町見学会をやり、ホステルヴィレッジ運営で1泊3000円のドヤだった。その時のドヤ建物は清潔だったが古いので、人間の垢のような臭気がこびりついていて愉快ではなかった。

 新しいならば値段にひかれて泊まりたいが、年とると小便が近くなり、室外の共同便所通いを嫌だから、いまや敬遠したい。もっとも、最近のドヤ建築はもしかしてバストイレ付になっているのかしら。でもそうなると一泊1700円ではあるまいが。

(20231126記)

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2023/11/25

1749【今日は戦前・明日は戦中】今ははや戦前なるかと書きたるはクリミヤ併合前年のこと

 近ごろ何となく知ったのだが、『2023年は新しい戦前になる』と言葉が静かに流行中らしい。これをTV番組で言った人はタモリとかいう芸人だそうだ。わたしはTVを全く見ないから、このように1年ぐらいギャップがあって知ることになる。

 ところが、わたしはもう10年も前に同じ意味の発言をしていたのだ。それは「伊達の眼鏡」ブログ2013年1月20日の記事の中である。わたしは忘れていたのだが、FACE BOOK    が思い出させてくれた。
 その話題は戦後のある流行言葉だったが、話の最後を下記のように結んでいるのだ。

大鵬が逝き、2代目東京タワー(スカイツリーとかいうらしい)が建ち、軍隊を持とうという首相が出てきて、戦後復興東京駅は姿を消して戦前の姿に戻った。もはや戦後ではないどころか、今や戦前である、かもしれない。戦前の次は、いうまでもなく戦中である。 https://datey.blogspot.com/2013/01/708_20.html

 TVという超大声メディアで人気タレントが言うのと、個人ブログという超小声メディアにひっそりと書き込むのとは、同じ内容であっても、こちらにはなんの世間の注目が集まらないのは当たり前のこと。

 同じ様なことを思う人がいもるのだなあと、タモリ氏の歳を調べたら1945年生れだそうだ。戦中のことを体験的には知らない人である。いっぽう、TVでこの発言を引き出した話し相手は黒柳徹子で1933年生れだそうだから、明確に戦中体験がある。むしろ黒柳氏がそう言ってくれたのなら真実味があると思うのだが、。わたしはこの二人の中間の生年だ。

 2014年にはロシアがウクライナのクリミヤ半島の一方的併合、更に2022年にウクライナ侵攻、今もも戦争状態にある。2021年にはミャンマーで軍事クーデターで内戦状態が今も続く。そしてまたもやイスラエルとパレスチナ紛争である。ほかに内線続きの国がシリア、イェメンソ、ソマリア、アフガンなどいくつもある。

 日本列島の北隣には、行方定めぬミサイルの打ち上げに余念がない国と、西方への領土拡大戦争に懸命の国がある。そして政治だけでなく宗教対立で地球は2分している。

現在の地球は政治体制でこんな色分けがあるのだそうだ

 これらの地球上の各地のいがみ合いが、あちこちに飛び火して世界戦争になる日が近い気がするのは当たり前だ。
 今日は戦前であり、明日にも戦中になるかもしれない。このところ日本政府も軍備拡張に余念がないらしい。

 わたしはできるだけ急いで、そうなる前に用意万端整っている最も安全な世界、つまりあの世に避難するべきと切実に考えるのだ。

今ははや戦前なるかと書きたるはクリミヤ併合前年のこと

今ははや戦中なるかウクライナまたパレスチナ地球が燃える

(20231125記)

このブログ内関連記事参照
戦争の記憶

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2023/11/23

1747【酉の市風景】かの遊郭時代の歴史的空間が毎年霜月に時間限定で出現

 いつものように遠まわり買い物徘徊に出かけた。脚力維持のために、わざと遠い商店街に遠回りして行ってくるのだ。なお、脳力保持のために、わざと長たらしくこのブログを毎日書くのだ。

 商店街の裏のいつもは静かな都心部住宅街が、大雑踏で屋台群が立ち並び喧噪極まりない。あ、そうか、今日はあの神社の酉の市であったかと気が付いた。コロナ中はほんの小規模であったが、コロナ退散で去年から大雑踏復活になった。

 どこから湧いてくるのかこの人並みの多さ、そしてこうも雑多な屋台群もどこに隠れていたのかと思う。食品を焼くにおいが雑踏に充満する。そしてキンキラ熊手を売る店も立ち並んで、売れるごとに「お手を拝借!」と両手を打ち鳴らす賑わい。

 どれもこれも初めて見た20年前とちっとも変わらない、あまりにも日本的な風景である。変わったのは、あれから確実に一世代分の歳をとったわたしであり、久しぶりのこの超雑踏を歩くのが怖くなったのだ。そう、周りの人たちの予期しない動きに、こちらのヨロヨロ足がついていかないのだ。早々に退散するしかない。










  今日は平日なのに、小学生たちが大喜びで走り回っている、コロナが明けて親たちも喜んで鷹揚なものだ。なんて思ったら、なんと今日は勤労感謝の日なる祭日であった。そう、その日であることはPCのカレンダーでわたしも知っていた。だが、近頃は祭日は毎年動くので、記憶にある祭日を信用しなくなっているのだ。

 最近では敬老の日も9月15日ではなかった記憶がある。ではなぜ勤労感謝の日は動かないのかしら、動く祭日と動かない祭日があるなんて、不公平である。今日のような日に、また動いて平日だろと思って医院とか区役所に行くと、ひどい目にあう。全部動くか全部動かぬかどっちかに決めろ!。

 静かな都心型住宅街が、突然に非日常の賑わい空間に年の暮れ近くのこの日の(年に2日または3日)だけ変身するのは、実に面白い。この辺りは今は2階建ての仕舞屋と高層共同住宅ビルが混じる住宅街になっているが、実はここの街は戦前から1956年までは横浜永真遊郭だった。その名残は十年くらい前までは風呂屋と婦人科医院があったが、いまでは数軒のラブホテルのみになった。
 思うに、この酉の市の日の賑わいこそは、あの横浜遊郭の雰囲気を伝える唯一でしかも時間限定で復元的に出現する歴史的空間かもしれない。

 20年前に撮った、今と全く変わらぬ風景をのせておく。




(20231123記)

参 照
2022年の酉の市 ・2011年の酉の市 

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2023/11/21

1745【ぶら下がり健康法か】街なかの小公園に鳩のウンコに烏の針金の巣そして私の鉄棒

 日々の徘徊のたびに通る小公園には、ぶら下がって身体を延ばすのにちょうどよい高さの鉄棒がある。よく利用する。
 鉄棒体操とか懸垂とか逆上がりとか、子どものころにやったことをやるのではない。いや、もうそんなことはできなくて、ただただぶら下がるだけである。

 ある日もいつもの様にぶら下がり、ひょいと真上を見あげた。公園には欅の木が大きくそだち、枝と葉をを広げている。見上げる枝に鳩がたくさん留まっている。
 アッと気が付いた、あの真上の尻の穴が見える、奴が糞をしたら面倒なお土産が来る、と。早々に鉄棒ぶら下がりをやめたのだった。



 この公園の欅の木には、それぞれ別の3本の木の高い枝の間に、烏が作ったらしい巣がある。よく観察しなければ存在が分からないのだが、わたしは鉄棒にぶら下がりながら発見した。巣としては不細工な作りである。

 その巣の材料が、なんと針金であり、しかもそれは洗濯物ハンガーである。田畑があれば藁や草や小枝で作るのだろうが、ないからとてハンガーとはなぜだろうか。あの形のままに組み合わせるのだから、どうも巣にまとまりをもたせることは不可能だろう。居心地悪い巣のようだが、それで子育てしているらしい。
 せめて小枝にしてはどうかと思うのだが、都心のカラスは火災に備えて不燃性材料にするのだろう。あ、そうか、外装は針金だが内装は小枝かも知れないが、見えない。

 このぶら下がりを、もう20年くらい2,3日に一度はやっている。そうやって自重で身体を延ばすのは健康法らしい。経験的には腕や肩が痛いということがなくなっていくのだ。ぶら下がり健康法なるものが昔にはやってことがあるが、それなのかもしれない。

 面白いというか悔しいのは、この20年間に同じ高さの鉄棒でやって来て、次第に手が届きにくくなることである。昔はちょっと爪先立ちすれば鉄棒に届き、しばらくぶら下っていると、靴ばペタンと地面につくようになっていた。つまり背が伸びるのである。
 ところが今では、うんと背伸び爪先立ちしないと届かないし、次第に足が地に着くようなこともない。ということは、歳のせいで背丈が縮んでもう伸びようがないのであろう。そういえば身長を測った記憶がもう何十年もないなあ。

(20231121記)

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2023/11/20

1744 【まだやってる紅白歌合戦】TV見ぬ老人でも名だけ知る歌手10人、いまに紅青白歌合戦になるか

 個人的にはなにも感じないが、クリスマスとか年末が近いらしい。

 クリスマスが近いということについては印象深い記憶がある。
 あれは30年も前だったか、仕事でヨーロッパのあちこち訪問する旅があったとき、仕事とは関係のないウィーンに泊まった。11月25日の夜のこと、前の日までは静かだった街が、その夜から電飾がきらめき、街の広場は明るく照らされて沢山の屋台が出ている。

クリスマス市が立つウィーンの電飾 1994年11月25日

 クリスマスのちょうど1カ月前の今日から、クリスマス用品を一斉に売りだす習慣があるのだ。街のあちこちの広場に市が立つし、商店街はイルミネーションの飾りつけで明るい。それはクリスマスがもうそこにやってきたという、期待のある賑わいの雰囲気だった。
 そうか、キリスト教の国の街ではこうやるのか、さすが日本ではやらないなあ、日本のお正月飾りのようなものもあり、けっこう珍しくも楽しかった。最近は日本でもやっているのだろうか。

 日本では年末が近いとて、例の今年の新語流行語大賞候補の発表とか、年末恒例のNHK放送の紅白歌合戦出場者発表とかがあると、若干は季節の節目を感じる。
 だが、わたしはTVを全く見ないから、紅白歌合戦なんて忘れてしまった。今日の新聞の漫画にその話題が載っていて気が付いた。

 ネット検索して、今年の紅白歌合戦出場者名簿を探し出した。その番組を観ようというのではない。この漫画や新語流行語と同じで、わたしが出場者とかその歌とかをどれほど知っているかを調べてみたかったのだ。

 その結果は、意外と言うべきか、少しでも知っていた人たちがいたのが奇跡のような感である。
 全出場者数44人(組)のうち、名前を聞いたことがあり歌も何だったか聞いた記憶があるお方(印)はわずか3人である。
 名前だけは聞いたか読んだかした記憶があるが、歌は全く記憶にない人(印)が7人、後は全く名も歌も知らない。

 TV観ないから当然のことに惨憺たるものだが、わたしとしては少しでも聞いたことある人が、10人もいることが驚きであった。
 それにしても紅白歌合戦なんて、少年のころに聞いたような記憶があるが、何時からやっているのかしら。
 そう思ってネット検索したら、なんとラジオで1951年1月からとあるから、わたしの記憶は正しい。5球スーパーラジオだったかしら。

 さらに続くとすれば、近いうちに歌合戦になるだろう。男と女とを別の組にし分けて競わせることに、異議を唱える人たちが必ず登場してくるに違いない。世に性別で競う遊びや文化はたくさんあるが、これから面白いことになりそうだ。

(20231120記)

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2023/11/19

1743【都市の高齢化率比較】歳取ればどの街に住むのが得なのかとZOOMで考えた

●年寄りにはZOOM同期会が適している

 リアルに出会ってやる飲み会とか同期会とかは、この4年間コロナで止められていたが、コロナが終わった(らしい)からもう解禁である。
 ところが、コロナ期間中に同期仲間は後期高齢者から末期高齢者に突入してしまった。そこで起きたのが、高齢化による身体やら家族やら、でいろいろな不都合なことである。コロナが終わっても、リアル飲み会の復活は無理になってきたのだ。悔しい、コロナの奴に腹が立つが、どうにもしょうがない。

 そこで登場したのがコロナ中にビジネス世界で大流行のZOOMである。それを動けぬ老人たちの遊びに取り込んだのである。ヒマツブシばかりではないが、それに近いことをだらだらと、同年のヨイヨイ同期生たちとPCに向かって話すのである。

 その老人無駄話ZOOMを、これまで1年ほどあれこれやったが、これははっきり言って、老人のボケ対策にまことに有効であると分かった。老人のボケ防止と言うか、ボケ進行遅延策と言うか、あるいは社会復帰の機会になるかもそれない。

 同じ釜の飯を食った大学寮仲間10人前後で、毎月2回の定例ZOOMである。話題はその時の持ち回り担当者が適当に決める。みんなにアンケートで話題を組み立てることもある。
 つい先日のZOOM話題は、「先般、敬老の日があったが、自治会とか自治体とかが、何かお祝いのようなことをしてくれたか」というものであった。

 参加者がそれぞれ自分の場合を話したのだが、内容はわたしのような「全く何もない」を最低にして、最高は「外国旅行券(くじびきだが)」というのまで、各種各様で地域の貧富の差というか、コミュニティの緊密度と言うか、それぞれだった。
 饅頭を10個ももらって老夫婦で20個もどうするかと問題にもなったとか、羨ましい話もあった。それらの話は措いておく。

 ZOOM参加者はみな85歳前後の後期高齢者どころか、今や末期老齢者になりつつあるものばかりである。本州の東から西へ11都市の11人、太平洋を越えたCALIFORNIAから1人であった。男ばかりというのが当時の理工系大学の様相だ。

●年寄り日本列島

 わたしが個人的に気になったのは、それぞれの暮らす街には、高齢者はどれくらいいるものかということである。そこでそれぞれの住む自治体の人口統計をネット検索して、参加者の住む都市の高齢者比率を比べてみることにした。それがこの表である。


 東から西へ並べた。大都市から小都市までそろっていて、高齢率も様々で面白い。久しぶりにこんな表を作った。少し驚きつつ、ほう、日本の高齢化はこうなのかと眺めてみた。なお、こっれらどの都市にも仕事か遊びで訪れたことがある。

 昔々、日本全体の人口のうち65歳以上が7%になると高齢社会に入り、その倍の14%になると高齢化社会に入ると、勉強したものだった。そしてある時14%になって、おやおやと思った記憶があるが、今調べたらそれは1995年のことだった。そうか、直接関係ないが、その年は阪神淡路大震災があったなあ、その年に死んだ父親よりも長生きしてるなあ。

 なお、7%を越えたのは1970年だそうだが、そのときの記憶はない。若くてあまり老人のことに気が回らなかった証拠か。2倍になるのに四半世紀かかって、今や28.22%だから酷いもの、いや、すごいものだ。
 なお、21%を超えると超高齢社会と呼ばれるそうで、わたしもそれに立派に寄与している。まさにその時代にいるのだ。

 高齢者を分類して、65歳以上~75歳未満を「前期高齢者」といい、75歳以上85歳未満を「後期高齢者」と政策的に言うそうだ。では85歳以上を何と言うか。政策的には超後期高齢者と言うそうである。
 でもこれはあまり聞かないなあ、わたしは語感から言って末期高齢者」と言えばよいように思う。末期とはマッキと読むが、マツゴとも読めるから適していると思う。

●年寄り比率の意外な都市

 こうして11都市を比較して見て意外に面白方。
 浦安市は高度成長時代に東京湾を広大に埋め立てて市域を5倍ほどにも広げ、隣接する東京都区内からあふれる人口を計画的に受け止めた。若い人たちやってきたから、いまも高齢者比率が低い。日本一の若い都市である。
 なお、わたしは1970年ころから10数年、浦安市の埋め立て地に何にもない頃から、都市計画の仕事として土地利用計画を作り、ディズニーランド周辺構想にも関わった。懐かしい街であり、それほどにも若い街であるのだ。

 関東の南近郊都市の横須賀市が、意外に高齢都市であるに驚いた。ここも80年代初から90年代末ころまで、仕事で都市計画にかかわった懐かしい都市である。
 この横須賀市に高齢状況が似ているのが、阪神の近郊都市の宝塚市であるのも意外だ。どちらもイメージが良い巨大都市近郊都市なので老後に住みに来る人が多いのだろうか。

 三鷹市宝塚市は地政学的に似た立地と思うのだが、宝塚市の方が高齢化率では大きくリードするのはなぜだろうか。
 同じ東海道筋の都市でも、三島市豊橋市の違いはなにだろうか。豊橋の方が若いのは工業化かによる違いか。
 韮崎市三次市は、いずれも地方小都市であり、予想通りにずれも日本の典型的な高齢化と人口減少中である。どちらも山間部の盆地都市であることが似ている。

 私が住む横浜市中区は、大都市としては古い都心部だから高齢化率が高いと思っていたが、意外にそうでもないのである。都心部だけに人の出入りが多いのだろうか。
 これらいろいろ私が意外に思うことは、人口学者には常識的なことかもしれないが、ちょっと興味をそそられている。

 年取るとどこの町に住むのが得だろうかと昔から考えていて、高齢者仲間に入ると同時に今のところに移り住んで20年になった。個人的には生活圏としては移転成功したと思う。
 しかし、あまりにも課題が多く積み残し過ぎているのが今に日本の居住政策だ。いや日本には住宅政策はあったが、居住政策はなかったし、いまもないと思うのだ。

(20231119記)

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2023/11/17

1742【難病再来?】ふた昔前の記憶にある痛みが身の内よりまた湧き出てくる不気味さよ

 あれ?、また例の難病か??、10日ほど前から、左の尻の奥の芯のあたりが、何となく痛むのだが、実はこの場所でこの痛み方には、苦い記憶がある、あの時によく似ている。

 それは2002年から2年間ほど悩まされた、不治の病と医師に宣告されたのに、実は自然治癒してしまったという、妙な誤診事件である。
 その病名は「大腿骨頭壊死症」であった。これな治療が公費負担されるほどの難病である。これが別の病目になって治ったのだ。

 仕事が忙しかった頃なので、痛みを辛抱して杖を突いて、全国各地のどこにでも出かけていた。医師は言う、今は痛くても歩ける、そのうちに股関節がぐじゃりと潰れて歩けなくなる時が必ず来る、今のうちに手術して金属製の関節に取り替えておくこともできる、などともいう。

 そういえば母の骨上げをしたときに、人工関節のセラミックボールが、きれいに焼け残っていた。母の様に手術するかな、どうしようかなあと悩みつつ、忙しい日々を過ごして半年ほどたった頃から、次第に痛み薄れてきた。医師が言う不治の病が治るはずがないからと、それでも杖を離さず、骨の壊死破壊を恐れつつ歩てていた。

 そして発病から1年半後のある定期診断の日、それまでとは別の医師がでてきて、おもむろに言った。これは病名が違っていた、実は「大腿骨頭萎縮症」と言う病で、数カ月で自然治癒する病だ、と。妊婦がかかりやすいとか。
 え、え?、ほんとう?、オレは妊婦か?、大逆転というか、地獄から突然天国へと言うか、いや、なんでもいいや、治ったあ~。

新旧杖2本
 つまり、もう痛くないないということは、とっくに自然治癒していたのであった。大誤診であると言うべきか。あまり落差にちょっと呆けつつも、良いことなので医師の気が変わらないうちに病院を逃げ出し、ニヤニヤと笑いつつ、杖を肩にかけて帰宅したのであった。

 さて、そんな体験のある病が、またも舞い戻ってきたのだろうか。日々少しづつ痛みが増してくる感がある。だが、これが大腿骨頭萎縮症ならば、この前の様に放っておけば自然治癒するのだから、半年ほどの辛抱ですむだろう。

 だが、もしも今度こそ骨頭壊死症ならば、ある日歩けなくなる。今の段階で医師の診察を受けて、骨頭壊死症と言われても、あるいは萎縮症と言われても、どちらも信用できない。いや壊死症と言われても絶対に信用したくない。

 ということは、要するにまだ当分は医師に見せたくないということだな、まあ、20年前と比べるともう末期高齢者だから、たとえ手術すると言われても、もう体力がないから無理だろうし、手術したとしてもすぐに死ぬ時が来るから、コストパフォ-マンスが悪すぎる。

 と言うわけで、近頃また20年前の杖を出して使ってみている。不治の病を治した縁起が良い杖だからとゲンをかついでいるのではない。
 今や老いと言う病で脚がふらつき気味なのを、杖でサポートする身になっている。ウォーキング遊び用の杖をそのメインにして、20年前の杖も予備としている。

 実はやってみて、老いの杖曳きは道を譲られる確率がかなり高い。こちらは譲られるほどのよぼよぼでもないのになあと恐縮がっているのだが、病の故の杖ならば、なんだか堂々と譲られてもよい気がする。 

 なんてことをくよくよ考えてヒマツブシの種が一つ増えたので、ここに書いておくのだ。 

(20231017記)

関連ページ:
思い出エッセイ「杖」
にわか身障者顛末記:大腿骨頭壊死症難病誤診事件

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2023/11/16

1741【コロナ後廃頽】コロナ消えまた街にあの喧騒そして地球にひろがる戦火

 コロナでバッタリだった外国から日本にやってくる人たちの数が、ようやくコロナの前の水準に戻ったのだそうだ。このグラフの訪日客の全部が観光客かどうか知らないが、まあ、ほとんどがそうなのだろう。


 思えばコロナのおかげで、日本も静かになっていたのに、あの喧噪な人々がまたどどっとやってくるのかと思うと、うんざりである。典型的なのが、近所の横浜中華街である。
 観光業で食っている人達は良いだろうが、地域生活者にとってはちっとも良いことはない。まあ観光地帯に近づかけねば良いのだろうが、日々の徘徊で時には気になるので、どんな感じだろうかと野次馬に出かけては、毎度毎度のガキの騒ぎに辟易するのである。
 コロナ中は中華街も港あたりも、静かでよかったなあ。

人影まばらで静かな横浜中華街大通り 2020年5月

 この訪日観光客相手に儲ける観光事業関係者は、地域生活者になにか慰謝料と言うか、迷惑料と言うか、呉れているのだろうか。観光収入を基にする税金がまわりまわってこちらにも何か恩恵があるのかしら。気が付かないなあ。

 その一方で、日本の実質GDPはこの7~9月期では、マイナス成長だそうである。良く分からないが、この外来観光客回復とGDPダウンとは無関係なのだろうか。不思議である。


 そしてこのままいけば、名目GDPはインドにもドイツにも追い抜かれそうとあるのだが、これもどういうことだろうか。

 生活者にとっては、この数年間はちっとも豊かにならないどころか、むしろ貧乏になろうとしている日常感覚が、このように数字に現われるのだろうか。

 生活圏は観光客に荒らされるばかり、日常物価は上昇するばかり、年金は目減りするばかり、地球は人間がいがみ合い、空気は汚くなってきたし、こうなればもう超高齢者は生きているうちに、この先に良いことはなさそうな世の中である。まったくロクでもない時代を生きたものである。ヤレヤレ。

 それにつけても思うが、あの静かな街を懐かしいなあ、またコロナがやってくることを期待しているぞ!

(20231116記)

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