2008/07/11

016【文化・歴史】3つの展覧会(木喰・円空・バウハウス)、柏崎と長岡に木食仏を訪ねる旅

 この1週間で3つの美術系の展覧会に行った文化週間だった。
 まずは横浜そごう美術館の「生誕290年木喰展ー庶民の信仰・微笑仏ー」、昨日は東京国立博物館で「対決 巨匠たちの日本美術」と東京藝術大学美術館の「バウハウス・デッサウ」の連続鑑賞であった。

 木喰仏展にいったのは、この春に柏崎と長岡で木喰仏をいくつか見たからである。
 新潟県は木喰仏の宝庫であるが、このところ通っている長岡市小国町法末集落の近くにそれらがあるので訪ねた。

 小国町太郎丸の真福寺の山門に一対の一木彫りの巨大な仁王尊像があり、これはいつでも見ることができる。ちょっとユーモラスながら豪快な感じもある。
 同寺の立木観音は、本堂の後ろの小さな祠にあり、その顔はまさに微笑仏そのものである。
長岡市太郎丸 真福寺仁王 木食仏2008年撮影

長岡 真福寺の木食仏

柏崎市の街なかにある十王堂には十二体の木喰仏があり、その小さなお堂と木喰仏は昔は常住の尼さんがいて管理していたそうだが、今は町内会が管理しているからいつでも拝観できるのではない。わたしたちが訪ねたときに、たまたま掃除にいらした町内会の役員さんのご好意で見せていただいた。
 ここにある仏像は、三途の川を守る仏たちだから、みんなが微笑をしているわけにはいかないらしいが、それでもどこか愛嬌あるお顔であった。
柏崎 十王堂にて

柏崎 十王堂

 実は事前にどこに木喰仏があるか調べて、7箇所を2日がかりで訪ねる予定であったが、どこかに移ったり、管理者が不在だったり、博物館は閉館中だったりして、結局は3箇所で木喰仏に出会うことができた。
柏崎 安住寺 木食仏


これほど有名な仏像だから、いずれもそれなりのお寺で信仰の対象となっているのかと思ったら、意外にも集落や町内会で管理しているところもあり、いつでも見せてくださるわけには行かなかった。

 十王堂は中越沖地震での被害もあり、管理にはいろいろとご苦労があるらしかったのが、拝観料もおとりにならないのでお布施を差し出した。
 都会のお寺のように拝観料を当然に思うようなこちらの頭がはずかしい。素朴に地についた信仰の対象として、日常生活のなかにあるのが木喰仏だった。

 そごう美術館ではよくも集めてきたと思うほどの130体もの木喰仏に一度に出会ったが、それは越後の里で出会った木喰仏とは、ものは同じでもそれを見る目にははっきりと違うものであった。土地の信仰対象と都会の見物対象とは、違うのは当たり前である。

 さて、国立博物館では対決のひとつに「円空仏木喰仏」があった。
 100年も違う対決もヘンだが、それはそれなりに面白い。円空の彫りの荒っぽさ(もちろんそこがよいのだが)を見ると、木喰の荒っぽさは優美にさえ見える。

 バウハウス展は、1995年にセゾン美術館であった展覧会と大差はない展示であった。ミースのバルセロナ椅子は映像室で観客が座ってよい椅子となっており、モダンデザインの定着を見たと同時に、いろいろなバウハウス流工芸デザインをみるとモダンデザインがもたらした工業化への功罪も感じた。
 おもしろかったのは、国博では高齢者が非常に多かったのに、こちらはほとんどが若者だったという客層の違いである。デザインを志すものが一度はかぶれるバウハウスは、自分のことを思い出すと今も昔も同じなのであった。

2008/07/08

015【怪しいハイテク】便器のなかにボチャンと落して臨終まぎわから生き還ったカメラ

 4日に便器におとして、一時は水死したと思ったデジタルカメラは、5日にはやっと目を開けたが撮影不可の重症、そして6日朝には一部にボケはあるが撮影できるように軽症になってきた。
 貧者の百科事典であるWEBで調べると、水に落としたカメラはオンには絶対にしないで電池をすぐはずして、とにかく乾かすしかないらしいとわかった。

 電池をはずすのはうっかり手遅れだが、なおなお乾かせば全快するかもしれぬと期待して、昨日は電池入れやUSB接続など蓋のあるところは全部あけたまま冷房した部屋に放置しておいた。
 さて本日は溺死状態から5日目、恐る恐る電池を入れてスイッチオンにしてみれば、液晶画面はくっきり、おお、治ったか。
 でも、隅から隅までよく見ると、右上の端っこにまだなにか水のようなものがある。それでも注意しないわからないくらいになっている。
 あと一息で全快するだろう。とにかく良かった。

 WEBをあちこち見ていたら、このようなカメラを安く買う人がいて、それを分解して乾かし掃除して修理するのだそうだ。電子機器となったカメラは治らないものとも思い込んでいたが、そうでもないらしい。
 ただし、カメラ製造業者もそれをやられては困るからか、いろいろな螺子類を使っていて、分解には結構面倒なことを要求しているようである。もっと簡単にできるようにしてはどうか。
 PCも昔はマニアでないと中味に取り付くのが不可能だったが、今は素人でもなにがしかできるようになっているのだから、カメラだってできそうなものだ。

2008/07/06

014【怪しいハイテク】カメラを便器にボチャンと落して生きるか死ぬか重体の様子

 ズボンを脱ごうとしたら、なにかがポケットから落ちてガチャン、ボッチャンと音がした、ウワッ、カメラが水にっ、すぐに手を突っ込んで拾い上げ、首に巻いていたタオルで一生懸命に拭く。

 ここに来てやるべきことは忘れてしまって、きれいきれいに拭きに拭く、まあ、事の後でなくて事前だから不幸中の幸いかもなあ、、う~む、これくらいすばやくきれいにしたから大丈夫かなあ、。また拭く。

 不安にかられながらスイッチオンする。ありゃ、液晶に水の模様があるぞ、シャッターを押してみる、あれ、写らないようだぞ、、、、う~ん、あ、だんだんと液晶が消えていく~。

 後で聞いたら、すぐにオンしてはいけないんだそうで、乾くまで待つといいらしいが、そんなことは知らないから、ああ、。もう液晶は真暗で、シャッター押してもうんともスーとも言わない、ご臨終である。

 これは一昨日夕方のことである。あきらめてそこらあたりに放り出しておいた。コンパクトデジタルカメラって、修理っていくらくらいかなあ、いや、新品を買うか、、不調なので引き出しに入れてある以前のカメラを出して使うか、。

 昨日朝おきて、念のためスイッチを入れてみると、お、何も映っていないがぼんやりと明るく液晶画面が見えるぞ、ファンクションボタンを押すとあれこれの記号も登場する、時計も見えるぞ、生き返ったか。

 では写るのかしら、乾燥して治ったのか、喜びつつシャッター押すと発光して写っている様子。 おお、液晶はで見えないが実は写っているのか、いそいそとPCで見たら、ああ、ぬか喜びだった。
 今日もあまり変わらないが、なんだか液晶画面に向こうの景色が見えないこともない。
 明日になるともっと治ってくるといいなあ、、。

2008/06/30

013【老いゆく自分】道端で行き暮れている徘徊女性を拾って困ったがこれは自分の将来の姿

 今日午後2時頃、横浜国立大学近くの住宅街の坂道を登っていると、よろよろと下ってくる老婆に声をかけられた。胸を押さえつつ、病院へ行くのだが困ったと、小声でぶつぶつと訴える。

 この人が行くのなら近くだろうとおもい、では背負ってお連れしましょう、道を教えてくださいと、背を寄せる。こっちも老爺だから、さて背負っても持ち上がるかと一瞬不安がよぎったが、老婆は軽るかった。

 ではどっちですか言ってくださいと歩き出せば、実はよく分からないのです、こちらのほうらしいのですが、という。病院の名もわからない。
 え、それじゃあ、どこか近くの病院でもいいですかと聞くと、それでよいという。ところがこのあたりは、トンと不案内である。

 おんぶお化けじゃないけど、おろすにおろされず背負ったままとにかくにぎやかな国道のほうへと歩いて戻ると、自動車販売店の前にその店の人らしい男女がいるので声をかけて、実は通りがかりのもので、この人が道端で困っているのでつれてきている、このあたりに診療所がないかと聞くと、しらないという。

 老婆は背から降りて、いやいや自分でナントカしますから、もう結構ですから、という意味のことを繰り返す。でも、自分がどこに行くか分からない老人を、こちらは大の大人3人となって、放り出すわけに行かない。
 じゃあ、お宅の住所か電話を教えてくださいというと、持っていない、分からない、姉がどことかにいるんだけど、とかぶつぶつ言っている。完全なボケでもないらしく、会話はできるのだが、意味が通じにくい。
 こまった、これは警察に頼むしかないなあって、こちらの話がまとまった。わたしは大学授業開始が迫るので、後はよろしくと店の二人に頼んで離れた。

 さて、その後のことは知らないのだが、なんだか逃げたようで申し訳ないとも思う。
 商売柄、方向感覚はめっぽう強いから道で迷うことは今のところはないが、あすはわが身とひしひしと感じたのであった。
 今は徘徊老人と自称してうろうろいるが、そのうちに徘徊ボケ老人となるだろう。自分のいるところ、行くところが分からなくなるときに備えて、いまから自宅の電話など書いたカードを身につけておこう。
 とりあえずこのカードは、飲んだくれて道端に寝ちまったときに役に立つか、、。

2008/06/26

012【世相戯評】みみっちい、SECOの時代

 霞が関の国家公務員が常用するタクシー運転手からビールやお金をもらった、けしからん、道路財源で役人の健康管理費用をまかなった、けしからん、。
 最近新聞をにぎわわせている話題だが、どうもみみっちいなあ。民主党の何とかさんというひとが国会で追及して、新聞やテレビ(見ないからやってるかどうか知らないが)が、けしからんと囃している。
 まあ、それはそのとおりにちがいないが、大衆迎合的なにおいがふんぷんとして、げすっぽい。
 タクシーだって営業でお得意さんに特別サービスするだろうし、役人だってあんな大金を扱う沢山の仕事をするには、健康管理のためにマッサージ器だっているだろうよ、普通にかんがえるとね、。
 それを、国会で鬼の首でとったようにあげつらい、世間もそうだそうだと囃すのは、みみっちい。今日の朝日新聞の漫画「ののちゃん」のばあちゃんが、ECOをもじってSECOをやっているが、これもSECOである。
 国会でやるにはSECOすぎて、なにか本質を忘れさせるための裏仕掛けがあるんじゃないか。それとも逆に、なにか本質に迫るために、将を射んとして馬を射ているのだろうか。
 国会はもうちょっとやるべきことがあるんじゃないですかねえ。なんでもかんでも国会でやらないと是正されないって、情けないレベルにこのごろの世は堕落してるんでしょうか。
 わたしもむかしむかし、横須賀で芸術劇場の計画をやっていた頃は、夜遅く汐入駅前からよくタクシーに乗って家に帰った。行き先をいおうと思ったら運転手が先に“分かっています”なんて言うくらいになったが、ビールも金券もくれなかったなあ。あ、そうか、タクシー代が2千円くらいだったもんなあ。
 こうなれば、バータク、カラオケタク、コンビ二タク、ジャンタク、フウゾクタク、センタク、ドンタクキムタクなんてのを正々堂々と営業してはどうか。あ、もう、やってるかな。

2008/06/25

011【怪しいハイテク】TV放送が血出痔になると今の受像機をNHKが無料で取り換えてくれるんだな?

 テレビを見ないから、今あれこれといわれている出血樽やら血出痔(キタナイ略語だね)放送問題に興味が無い。なんでももう何年かしたら、わたしのうちのテレビでは放送が見られなくなるのだそうである。

 勝手にそう誰が決めたのか知らないが、その理由はいつか専門家に聞いたことがある。
 高度情報通信時代になって、限られた電波を有効に使うために、電波を使っている各種の放送や通信の使い手たちに、使い方に対応して周波数を再配分するのだそうである。

 そうすればテレビジョン放送も沢山のチャンネルが使えて便利ですよってことらしいが、そもそも今の放送内容があれほどくだらないものがおおいのに、この上さらにチャンネル増やして何を放送するのか不思議ではある。
 世の中そういうものなら勝手にどうぞである。

 だが問題は、私だってたまに映画とか重大ニュースはテレビジョンで見る。
 それを見られないとなったら困ると思ったが、インタネットで見ることができるようになるらしいのでこれは問題は無い(らしい)。

 今のテレビを大好きな人たちには買い替えの問題があるのは分かる。でも、あんなしょうもない放送を見たいのなら、それはお好みの問題だからご自分の金で新型受像機を買えばよろしい。 なんなら、そんなものでも見てもらいたい番組提供スポンサーが、新型受像機を提供してはどうか。
 これで電器屋さんたちが一儲けした上に、電器ごみが沢山出るのが癪に障る。このごみをどうするか、どこかの途上国に輸出するのかしら、、。

 ところで、今の受像機で見ることを前提の受信契約しているNHKからは、一方的処置に伴う私の所有受像機無機能化に関して、なにか補償してくれるのだろうか。

NHK「このたび当方の勝手な都合でお宅様のテレビ受像機が使えなくなり、まことに申しわけございません。これはお詫びのしるしのでございます」
こちら「どうして鏡なんです?」
NHK「これを使えなくなったテレビに貼り付けると、お化粧用の鏡台として再利用できますので、、」

2008/06/19

010【お遊び】ゴルフなんてあんなバカらしく易しい遊びに夢中になる大人の気が知れない

ゴルフなる遊びはやらない。
 あんな地上に置いた石ころを棒切れでひっぱたくなんて、幼児のやるような遊びはやらないのだ。
 ではやったことがないかと問われると、実は2回だけゴルフコースなる野原で回ったことがある。

 もう40年近くも昔だったか、そのころの勤め先の上司がゴルフ狂で、お前もやれと道具一式を1万円で売りつけられた。
 それでもやらないでいると、1週間先に顧客とコースを回る予定を入れたという。
 あわててビルの屋上の金網の中で、棒の持ち方、球の打ち方を習った。

 さて、当日、もちろんルールは知らないから、そのつど教えてもらいながら打っていく。最初は空振りだったと覚えている。
 どんどん打っていけばよいので、横に外れることもなかったし、池にも落ちず、砂場に入っても力任せに打ち出せばよい。
 真ん中に穴のある丸い平らな芝のエリアまでは、たいしたこともなく順調に進むのだった。  

 だが問題は、丸芝エリアに入ってからであった。トンと打てば丸からはみ出る、ソッと打てばチョロとしか転がらない、穴を境にして何度も行きつ戻りつするばかり。
 ここに来るまでの打数よりもここでのほうがはるかに多くなるばかり。この穴入れだけは練習しておくべきだったと思った。
 でもまあ、みんなから特に遅れることもなく済んだ。点数のつけ方は知らないから、いくつだったかも知らない。何のことか知らないままにドラコンなる賞をもらった。

 2回目もどこかのコースだったが、この日は雪が降って白銀の野原で、打った球が見えない時もあった。
 いちいち打棒をとリ換えるのが面倒なので、ときには何度も同じ打棒のままで続けて打っていった。
 それでもとくにご迷惑もかけずに、初めてと同じように無事に終った。

 そんなわけで、ゴルフなんてものはこんなにも易しいものか、穴入れ練習さえすれば上手くなるもんだろうと、すっかりバカにしてしまったのである。 以後、お誘いがあっても頑として行っていない。道具は赤鰯になって、捨てた。

 いま、弟がゴルフ狂らしく、毎週のようにやっていて、それを自分のウェブサイトで点数を公開している。
 70点台から80点台程度で、時に90点台もある。
 100点満点だろうから、下手な奴である。

2008/06/17

009【世相戯評】うちの共同住宅で硫化水素テロだよ~ってもう大変な騒ぎだったが

 夜10時頃、表が妙に騒がしい、救急車のピーポーがあちこちに聞こえる。そのうちに、「異臭がしているから、窓を閉めよ、外に出ないように」と、放送をして回っている。え、なんだよと思いつつ窓を閉める。

 10時40分頃、ドアチャイムが鳴る、こんな夜中になんだと出てみれば、消防士が出動服で立っている。
 「このあたりで異臭がして、よくまだ原因など分からないのだけど、硫化水素のおそれがあって危ないから近くの警察署か公園に避難せよ」と言う。

 え、最近新聞をにぎわせている自殺かい、それじゃあこの共同住宅全部が避難か、大変だ、そそくさと身支度して避難する。表の通りには消防車が10数台並んでピカピカしている。道は封鎖だ。
 これって、不安と野次馬心とが入り混じって奇妙な心持であった。もちろんカメラでばっちり撮ったが、ただの暗闇に赤ランプだけ。

 公園に行くと大勢立ち並んでひそひそと話している。表の通りに人が倒れていたなど聞こえる。
 そこに来た近所の知り合いが教えてくださったが、ガス発生元はわが家の隣に位置する2階上の住戸だそうである。
 空気より重い硫化水素なら、そのまま降りてきてわが家を襲撃か、怖い。
 処理に2,3時間かかるかもしれないとも聞いたという。もう11時だから、それでは寝られないぞ、。息子に電話して、徹夜になったらタクシーで行くから泊めてくれと頼む。

 11時15分頃、わが共同住宅の前あたりから放送が流れてきて、避難勧告解除だという。ほっとして帰宅、風呂に入ってやれやれ。
 新聞を騒がせていることは知っていたが、自分が巻き込まれるとは思わなかった。テロで共同住宅を爆破予告をされたら、こうやるんだろうなと思った。まだ詳細は分からない。

 洗剤でそんなことができるのかとワイフに聞くと、洗剤によってはなにやら禁止事項が書いてあるという。困ったモンである。便利と危険は隣り合わせである。
 こうなったら硫化水素で自殺したら死刑って、厳罰の法律を作ってはどうか、、と思ったが、死ぬ奴に死刑は意味ないなあ、。(080618)

(追記)翌日に分かったのは、その住戸はゴミだらけで、なにか腐ったものが臭っていたとのことだった。
 

2008/06/10

008【世相戯評】水着で水泳競技の記録が左右されるのが問題ならば全裸で泳げばよかろう

 水着によって水泳競技の記録が違うそうで、オリンピック関係者がおろおろとしているのがおかしい。まあ、陸上競技では靴によって違うようなもんだろう。 

 水着製造着用技術で勝負となると、その素材と着後の形態が勝負なんだろう。
 着後の人体の形態は、そのでこぼこをいかに抑えつけて、魚みたいにすっきりとさせるかが勝負となるだろう。

 となると、男は例のナニが邪魔である。女もナニナニが邪魔である。となるとそのナニ類のペチャンコ始末方法で勝負ってことになるのだろうなあ。
 しかし、どうも腑に落ちない。肉体の鍛錬による記録を競うはずが、水着製造着用技術を競うのでは、水着メーカーが競争しているようなものか。

 あ、いや、もちろん泳者の努力も認めるがね、それでも早く泳げる水着を先に着た泳者が、まずは新記録を作る栄誉を受けることになる。
 それって、単なる早い者勝ちってことだけど、それでいいのかしら。
 まあ、競泳は早い者勝ちには違いないなあ、意味が違うけど。

 そこで大改革提案がある。いっそのこと、競泳時には水着等一切の着用を禁止するとともに、刑法第174条及び175条、軽犯罪法第1条第20号を不適用とする「水泳競技の実施に関する特別措置法」と関連国際協定を定めてはどうか。
 こうすれば肉体鍛錬のみの勝負で実に公平だし、人気競技になること間違いなし、、。
 

 と思ったが、あ、選手になりてがいなくなるか、。

2008/06/05

007【怪しいハイテク】ボケ防止に役立つのはわけのわからないコンピューターをいじることだ

 この風呂具を読んだ知人が、あきれたらしく「ブログまでも始めたのか」って、メイルをくれた。 普通のWEBサイト<まちもり通信>でのイチャモンだけでは、まだ足りないのかってことらしい。
 それに返事を書いていて、ハッと思い当たったことがある。

 この風呂具もそうだけど、コンピューター屋があれこれと腹を立たせてくれるのは、もしかしたら、わざわざそうしているのかもしれないなあ、ということである。
 なにしろ、コンピューターではなにか新しいことをやろうとするごとに、あるいはちょっとした故障ごとに、もうわけの分からない面倒なことが起きて腹が立つのであるが、それにもめげずに何とか立ち向かっていると、そのうちに解決する。

 最近のこと、大学時代の同期友人が光ブロードバンドに変えたら、ほとんど1か月間わけの分からないことに巻き込まれて、あちこちにお助け電話しつつ、まるで銀行で振りこまされているような気分でキーボード操作をさせられて、ようやく元に戻った体験を書いてきた。誰も似たような経験があるだろう。

 そうやって、ああ、よかったなあと、つい喜ぶのである。
  しかしである、実は、それは何も創造的なことが起きたのではなくて、単に元に戻っただけなのであったと気がつくと、また猛烈に腹が立ってくるのである。

 ところがである、こうして毎度毎度腹を立てていると、廊下、じゃなくて蝋化、じゃなくて老化の進むわが脳が活性化してちょっとは元に戻るし、キイボードをたたく指先を使う運動も脳によろしいとか、つまりぼけ防止に大いに役立っているような気がしてきた。

 そうか、これまで腹を立ててコンピューター屋を馬鹿呼ばわりしていたけど、わけの分からんことをさせていたのは日本の超高齢化社会を救うボケ防止策だったか、つまりこれは企業のフィランソロピーなんだな、そういう遠謀深慮があったのか、だとすれば本当は感謝するべきであったか、すまんすまん。