2011/02/28

391エッセイコンテスト

 このところエッセイのコンテストに応募することに凝っている。
まちもり通信」や「伊達な世界」に書き込んできたことを、募集のテーマと規定に沿ってエッセイに仕立てるのである。
 今日発表あった「風花随筆文学賞」に応募していたが落選した。
 その内容はこのサイトに「法末の四季」としていくつも書いていることのなかで、「棚田の米つくり」についてエッセイ風にまとめたものである。
 農村や高齢問題をからませたつもりだが、入選作を見るとどれも身辺の家族のことなどが主題で、中味が軽いのである。
 先月落選した「安曇野エッセイ賞」もそうだったが、入選作を読んで分ったのは、これは観光宣伝が主催者の目的で、安曇野賛美の軽い内容ばかりであった。
 それなのに、わたしときたら安曇野にもう行かない、なんてことを書いてしまった。これでは落選は当たり前だ。
    ◆
 まだコンテスト初心者であるとつくづく思った。むかしむかし建築や家具のコンペに出した頃のことを思い出すと、戦術を忘れていた。
 1月に表彰式があった「ホームページコンテスト」は、シニアの部優秀賞にひっかかったが、全体ではかなり下位の入選であった。
 わたしは景観の変化について社会批評をした作品のつもりだったが、それは評価されなかったらしく、表彰式会場での作品紹介では、美しい風景に詩が書きそえてあると言われて、ほんとにがっくりしたものだ。入選はどれも事実報告の努力賞的なものが多かった。
 入選するための戦術は軽く軽く書くことであるらしいが、ただいま応募済みで発表待ちがいくつかあって、軽く書いたものもある。さてどうなるか、タノシミ。

390入試問題即時漏洩事件

 クライストチャーチの地震で倒壊したビルの中に閉じ込められた人から、携帯電話によってSOSを外に伝えて救助されたニューズがあった。
 そんなところに、こんどは入学試験を受けるために試験場に閉じ込められていた人から、携帯メールで問題回答要求のSOSをWEBサイトに伝えて救助された?ニューズである。
 山で遭難して救助を求めるのも同じことだから、ありうることだが、どうやって試験監督者の目を盗んであの長文を送信できるのだろうかと、話題になっている。
    ◆
 ある日のこと、書店で立ち読みしている男がいて、左手に本を持って読みつつ、右手で携帯電話機を持って指で猛烈な速度でキイを打ち続けている。
 本を読んでいるのだから右指はまったく見ていない。本を書き写しているのだろうか。
 携帯電話機でもブラインドタッチができるのだと、いたく感心してみていたことがある。
 あれができるなら、試験問題を見つつポケットの中で送信できるに違いない。
 でも、返信された回答を知るにはどうしても電話機画面を見なければならないが、それはどうやるのだろうか。
 文字を読むソフトウェアがあれば、極小イヤフォンを使えるかもしれない。
    ◆
 試験問題即時漏洩をWBサイトをやったのでは、IPアドレスからたどられてしまうだろうから、かなり稚拙である。
 でも、試験終了後では間に合わないから、ここで対応策をわたしが教えましょう。
 大学側はすぐさま、受験者がどれにしようかと迷うほどたくさん間違い解答を投稿すればよいのだ。
 合っているようで間違いの解答にしておいて、それを試験の解答に書いたやつは不合格、どうですか、こんな対策は。
    ◆追記110306
 昨日の報道によれば、ついにIPアドレスから追跡逮捕されたケータイカンニング受験生は、数箇所の大学の試験会場内で、股の間でキーを打つというありふれた手法で発信・受信したそうだ。共犯者もいない由。
 ジャーナリズムどもははじめは面白がって、受験体制への批判だろうとか、外に共犯者大勢いるに違いないとか、大事件に仕立てたかったらしいが、当て外れ、ほんのおバカなヤツの仕業であった。
 お馬鹿にされたのはマスメディアと、もっともらしい意見を述べた有識者であった。
    ◆また追記110306
 3月5日のMSN産経ニュースに「2日掲載の記事について」と題して次のようにある。
「MSN産経ニュースは2日午後、「都内2高校生が関与1人は外で中継京都府警ほぼ特定」と伝えましたが、誤報になってしまいました。読者の皆様におわびするとともに、当該記事を削除します。(以下略)」
 続きを読むと、捜査関係者などに取材した結果であったそうだ。とすると悪いのは偽情報を流した捜査関係者たちだから、産経新聞社はそれらを偽計業務妨害罪(受験生と同じ罪名)で訴えるに違いない(多分、もしかしたら、あるいは、)。
 あのおバカ受験生に振り回されたマスメディアの姿がここにある。
 でもこれって誤報と言うのかしら、偽報というべきのような気がする。

2011/02/25

389東京都心夜景

 東京は空気がキレイになったと感じる。
 今日は春一番が吹いて塵埃ホコリスモッグ類を吹き飛ばしたのだろうが、こんなに遠くまで夜景の光がはっきり見えるようになった。
 東京タワーもなんだか妙にはっきり見える。もうすぐ王座を奪われる老人の、最後のあがきか。 

388食い物と文化と行列

 誘われて上野の国立博物館に平山郁夫展を見に行った。
 平日というのにかなりの人が入っている。それで絵の前を行列移動である。
 見渡すと7割くらいが中年以上の女性、男は高齢者ばかり、若者がちらほら。
 他人のことをあげつらって言えないことと承知で書くが、いまは年度末近くで超忙しい世の中なのに、実はまったくもって閑な人が多いのだ。平和で文化的な日本である。
 平山郁夫の絵になぜこれほど人が寄ってくるのだろうか。
 はっきり言えば分りやすいってことだろうなあ。
 画像処理でちょっとだけ朦朧調子にすれば、こんな絵になりそうだとも思う。もちろんそんなことはなくて、平山のデッサンの画帳や下書きまで展示されている。
 絵を見るのは評判によることが多いのは、大昔、モナリザが来たときに大騒ぎであった。わたしはその前にルーブルで見ていたから、行かなかった。
 長谷川等伯展も行かなかったが、大行列が博物館の前にできたそうだ。
 等伯は七尾の出身で、だいぶ前のことだが、わたしは仕事ついでにたまたま立ち寄った七尾美術館で、等伯描く松林図に出会った。
 わたしがいた間にほかに誰も入館者はなくて、たったひとりで隅から隅まで鑑賞したことがある。至福のときであった。
 地方都市の美術館行くとそういうことがよくある。もったいないが、そういうときの自分は幸福者の感がする。
 もっとも、世の中には行列するのが好きという変な人のほうが多いらしい。
 わたしの家の近くにラーメン屋があって、いつも行列している。ラーメンごとき下司な食い物を何で行列までして食いたいのか。
 体から出すほうの行列は時にやむをえないが、入れるほうは替わりがいっぱいあるのに変なやつが多い。わたしは食い物で行列は大嫌いである。
 とにかく、世の中に、とくにネットとかTVで評判になると、とたんにそっちに流れて行列も辞さないやつが多いのは、文化も食い物も同じであるらしい。
 自分の目と舌で価値を判断しろよ。

2011/02/23

387雪とロボット

 2月14日といえばバレンタインデー、それと何の関係もない同年の仲間3人で、甲府郊外の山を歩いてきた。
 薄曇りで寒いが、先日の雪が林床には10センチくらいあって、面白いトレッキングであった。
 そう、この仲間はネパールに仲間であるから、トレッキング練習なのだ。
 登る途中で、父がかつて権禰宜を務めていた神社の方から電話あり、わがサイトの「父の十五年戦争」を見たとメールを下さった方の祖母と母親(らしい方)からで、なにやら親父のことを長々と歩きながら聞いた。
 山中でラーメンを作って昼飯、3時頃下山して、公衆浴場に行き、ファミリーレストランで夕食。雪が段々と積ってきた。韮崎穴山の仲間の家に行き泊まる。
 翌朝起きてみれば快晴、30センチくらい積雪、雪かきをするが、昨日でなくてよかった。でも法末の4メートルに比べるとあかんぼ並み。桃畑の向うに甲斐駒がけぶっている。
 畑に行ってみると、わたしの設計施工の小屋が雪帽子をかぶってけなげに建っている。期待の焚き火をできなかったのが残念。
 山梨大学の森研究室に行き、盲人歩行ガイドロボットデザインとネパール予習をする。
 ロボットカバーのデザインが、ロングスカートみたいで野暮ったいので、一部を切ってミニスカートにしてかわいらしく直した。

219大人の火遊び http://datey.blogspot.com/2009/12/219.html
136小屋を建てる http://datey.blogspot.com/2009/05/136.html
094ロボット車いす「ひとみ」http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_09.html

2011/02/18

386「まちもり叢書」発刊

わたしのWEBサイト「まちもり通信」に、あれこれと掲載してきて既に10年余、気がつけばなんだか厖大な数になっている。
 なにしろ書いたもので公開できるものは全部掲載する主義で来たからである。実は家族だけに公開している非公開サイトにあるから、数はもっと多いのである。
 それなりに編集しているのだが、どうもまとまりに欠けるところがある。

 そこで編集趣味に加えて造本趣味を始めることにした。つまりあるテーマで集めた論を、本として編集、装丁、印刷、製本するのである。
 といっても本格的な出版ではなくて、わたしのいつもの机の上でPCを使って編集・装丁、プリンターを使って印刷、机の上でカッターとステップラーと糊で製本するのである。つまり家内DTPである。

 題して「まちもり叢書」シリーズ、昨年の半ば頃から始めて、いまでは9冊になった。続刊も進行中である。会う人ごとに渡して読め読めと迫るのである。
 もしも、この叢書のどれかをほしいという奇特なお方がいらっしゃるなら、
     Eメール(dateygアットgmail.com
にご連絡ください。制作して送ります(もちろんタダ)。

●詳しい内容は→「まちもり叢書」発刊
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html

385出痔樽出歯萎奴

 わたしのところのTV受像機は穴魯愚である。
 画面にはいつも、「早く血出痔にしないと見えなくするぞ」って、政府からの脅迫状が書いてある。
 ばかやろう、こっちが頼んだのじゃなくて、そっちの勝手で出痔樽にして見えなくするのだから、憲法を遵守して損失補償金をよこせ。
 その脅迫状画面のために、全体の8割くらいしか放送画面が映っていないのだから、聴視料金を2割分返せよ。
 昨日のこと、CATV屋がやってきて、なにやらアンテナの接続口を取り替えるという。それをやると双方向とかCSとかなにやらよく分らんことができるのだそうである。
 こちとらはそんなもの要らないのだが、大家がそうせいとCATV屋に言ったのだろう。
 やって来た作業員にあれこれと血出痔問題を吹っかけて聞いたが、取り替えるだけで何も知らないのであった。
 もうこうなれば、7月の何日とかにはジッと画面を見つめて、フッと真っ暗になるところをじっくり鑑賞しようと思う。
 録画してU-TUBEに投稿するかなあ、そんなもの見るやつがいるかなあ。
 参照→295血出痔TV
   ◆
 血出痔TVのことも出痔樽出歯萎奴のひとつだが、最近の流行のツィッターをやろうとしたら、携帯電話のメールアドレスがないとダメというのである。
 わたしは携帯電話はそのなのとおりに、携帯する電話として使っているので、そのほかの機能は時計を見るくらいなものだ。
 メールアドレスはないから、墜田なるものには参加できないのである。
 このところ出痔樽出歯萎奴ってヤツのいじめに、しょっちゅうあっている。
 新し物好きの好奇好例陋人は住みにくい世の中になったもんだ。

2011/02/17

384また住宅政策の後退

 どうも民主党政権は、賃貸借住宅政策に冷たい。今日の日経新聞に次のようにある。
「国土交通省は今年秋にも、独立行政法人の住宅金融支援機構(住宅機構)が手がける一般賃貸住宅の事業者向け融資(アパートローン)の新規分を打ち切る方針だ。
今後は融資対象を、緊急システムを備えた高齢者住宅や省エネルギー住宅に絞る。
非効率経営が指摘される独立行政法人改革の一環で、住宅機構による事業者向け新規融資額は将来的に半減する見込み。
資金の流れを官から民に変えていく狙いだが、賃貸住宅の賃料などに影響が及ぶ可能性もある」
 この融資政策の中身は知らないが、なんにしても賃貸借型の住宅に冷たく、名ばかりマンション政策に傾く住宅政策は困ったものである。

383インターネット時代

 10日ほど前に加入したSNSのface bookから、こんなEメールが来た。
『こんにちは、美徳さん Livingstone KishidaさんからFacebookの友達リクエストが届いています。敬具 Facebookチーム』
『こんにちは、美徳さん Yusukeさんがあなたの友達リクエストを承認しました。敬具 Facebookチーム』
 あのなあ、何回教えたら分るんだよ、名で呼ぶな、姓で呼べってフィードバックで送信したでしょ、FACE BAKAさん。
 それからね、「敬具」で文末を納めるなら、文頭は「拝啓」なんだよ。日本語を勉強しなさい、FACE BAKAさんよ。
 はじめのEメールの名前の方は、二世か何からしいが、まったく覚えがない名前である。
 二つ目は、はは~ん彼だなと分ったが、「おい、Yusuke」「おい、美徳」って呼び合う仲ではない。
 なんとかせい、FACE BAKAさん。
    ◆
 言葉を直せとFACE BAKAを罵っても、まったくなんにも直してくれないからもう飽きてしまった。
 そんなときに別のSNSからお誘いが来た。(NPO)日本都市計画家協会の仲間で作る「まちづくりSNS]である。
 これは教養ある日本人がつくるSNSサイトなので、いまのところFACE BAKAのようなことはないのだが、それでも気になることはある。
 参加者がまちづくりに関する意見や情報を交換し合う書き込み欄のタイトルが「日記」と名づけられている。
 公開する前提で日記を書くのは断腸亭日乗とか土佐日記の作者のようなお方ならともかく、わたしのような凡人にはできないことである。
「日記」じゃなくて「コメント」と直してほしいと、管理者にお願いしている。
    ◆
 父はもう16年も前になくなったが、彼の書いた戦争日記を編集して「父の十五年戦争」と題する冊子を作り、そのままわたしのサイトにも載せている。
 その父が晩年に権禰宜をしていた神社の方から、そのページを偶然に見たとてEメールをいただいた。その方は若い方で父を知らないらしいが、感謝の返事をしたら、父の写真を送ってくださった。次の日には、当時の父をよく知っているその祖母の方(81歳)から電話をいただいて、昔のことを長々と話した。
 まさにインターネット時代のなせる情報交流である。

2011/02/12

382雪中の婚礼

 珍しく雪が降った。なんだか大騒ぎであるが、中越の山村の豪雪と比較すると、こんなのは赤ん坊のおしっこ程度だ。
 鎌倉に行く用事あり、思い立って鶴岡八幡宮の雪景色を見に寄ったが、積るほどではなかった。
 舞殿で楽の音がするので近寄ってみれば、この寒い中で婚礼の儀式であった。屋根はあるが四方吹きさらしの舞殿では、出席者は寒かろうが、雪であろうと予定を変えるわけにはいかないか。
 去年、舞殿でなにやら工事をしていたが、できたのを見たら向拝と階段がくっついていたのは、登殿しやくして婚礼儀式をさせるためであったか。八幡様は商売がうまい。
    ◆
 それでおもいつくのははるか大昔のこと、ここで悲劇の舞姫のおはなしがあることだ。
 義経が頼朝に追われて吉野山に逃げ込んだときに、一緒にいた愛妾の静はここで捨てられ、さまよっていたところを捕まって鎌倉に連行された。
 その静が頼朝と政子に強要されて舞殿で舞ったときに、「しずやしず、しずのおだまきくりかえし、むかしをいまになすよしもがな」と歌ったと「吾妻鏡」にある。頼朝の前で、彼が敵とする男を公然と慕う宣言である。
「二人静」という能がある。捨てた男を慕って吉野で舞う亡霊の静が登場する。この能は詞章もメロディーも舞いも実に美しくて、わたしは大好きである。
 義経は正妻を連れて奥州に逃れたのだから、捨てた男を慕う女は哀れである。
 その悲恋の舞台で婚礼儀式というのも、縁起かつぎするなら、どうなんでしょうか。まあ、大きなお世話ですね。
 寒い雪中婚礼も熱いふたりには祝福の紙吹雪、お幸せにね。