2011/12/11

551ふたつの美観地区

ふるさと高梁の紺屋川美観地区で、クリスマスイルミネーションをやっているという。
 紺屋川沿いは美観地区と名づけているが、美観地区といえば元祖は倉敷である。倉敷まで電車で30分ほどの高梁だが、どうも倉敷のほうが有名であるのは仕方がない。
 ちょっと二つの美観地区を比べて見てみよう。

 どちらもそれなりに個性的であるが、大きな違いは倉敷の美観地区は徹頭徹尾観光地区になっていることで、高梁は観光もあるが基本的には生活の町である。
 この違いはどちらが良いとか悪いとか言うのではない。立地がそうさせたのだろうが、観光写真にしやすいのは倉敷である。


 わたしの好みから言うと倉敷美観地区は、あまりにも川柳といい土蔵の町並みといい、どうも絵になりすぎる風景で、その統一感がいささか気持ちが悪い。
 それでもナマコ壁土蔵ばかりのなかに、昔の町役場の擬洋風建築と大原美術館の洋式建築が顔を出していて、ちょっとは救われる。街は程よい程度のざわめきのある風景がよい。

 ここへは少年の頃から大原美術館を訪ねて何回も行ったことがあるので、昔の姿も覚えている。もちろん今ほどになまこ壁の町並みはそろっていなかったし、土産物屋もなかった。
 高梁美観地区にもなまこ壁の蔵が、紺屋川下流の老松橋南の高梁川との出会うあたりにある。かつて高梁川が水運の道であった時代に活躍した建物だから、倉敷の蔵と機能的には同じだろう。歴史を思わせるとはこのような風景だ。

 ついでに言うが、その蔵の前の道の向かいにある紺屋川の堤防立ち上がりに、ペンキでなまこ壁を描いている。それが今はハゲてきて美しくないのだが、はげてなくてももともとペンキ塗りが奇妙であった。本物にしてはどうか。でなければ真っ白ペンキのほうが良い。

 倉敷が今に至るような歴史的町並み風景を作り上げていったのには、バックには倉敷の財閥の大原家がいただろうが、それなりの先進的な努力があった。
 なかでも美観地区の周辺に高い建物を建てさせないようにする背景条例の制定は、1970年代という実に先進的な施策であった。ただ、これほど観光商業的な風景を予想していたのだろうか。

 高梁も1970年代から倉敷に追随するように、紺屋川美観地区や石火矢町ふるさと村などの歴史的環境整備に力を入れだしたのであった。
 倉敷の美観地区の風景の特徴は、倉敷川の水面に写る柳や家並みの情緒がある。
 しかし、高梁の紺屋川はいつもはほとんど水が流れていない。だから、川底に散歩道を作っていて、いくつもの小さな橋をくぐっていくことができるのが面白い。

全文は→ふたつの美観地区(紺屋川:ふるさとの川その3)

2011/12/10

550月蝕記念写真

ただいま月蝕進行中。バルコニーから見上げたら、三日月に近い。
写真を撮ったが、実際とは違うなあ、ズームにしてだめ、フラッシュたいてもしょうがないよなあ。
もっと高級カメラじゃないと無理か。
まあいいや、とりあえず2011年12月10日月蝕記念。

2011/12/09

549自作2012年手帳

いまどき紙の手帳は時代遅れかと思えば、文房具屋には今年も手帳を売っている。
 わたしもず~っと紙手帳を使ってきているが、だんだんと記入が少なくなってきた。
その原因は、わたしが仕事の現役でなくなったこととともに、携帯電話機やPCなどデジタル機器に書くことにもある。
 それでも一応は紙手帳を持っているのは、メモ帳とカードと札入れのためである。

 これまでに使った手帳が保存してある。最も古い手帳は1974年であるから、結構な数である。
 その日の行動しか書いてないが、見ればそれなりに思い出すことが多い。昔は毎日こんなにも書き込むほどに、あれこれとやることがあったのだなあと、感心してしまう。
 1ページに1週間、しかも週ごとに罫線だけのページもあった。いまや手帳のスタイルも簡単になって、1ページに1か月分でよくなった。
 日記は書いていないから、手帳ストックを見ながら思いだして自伝でも書くなあ、ボケないうちに。

 わたしの2012年の手帳は、100円均一店で手帳型の「名刺ホルダー」を買ってきて、こいつに自家製の日付書き込み手帳を貼り付けただけで、名刺の代わりにカードを入れる。
 今年の手帳からこうしているが、けっこう便利に使えるし、見栄えもよろしい。
 自家製日付書き込み手帳は、WORDでつくって、机上のプリンターの冊子印刷指定で裏表プリントしてつくった。
●簡単な紙の手帳がほしい人は下記からWARDデータのダウンロードをどうぞ
http://goo.gl/sWaKp

548ずるがしこい代物

「スマホ」たあなんだ、「スマフォ」だろ!
 スマートばやりらしい。スマートフォン、スマートグリッドくらは聞いていたが、先日ラジオで「スマートドライブでお気をつけて」なんていってた。
 日本じゃあ昔からスマートっていうと、やせた男の格好いい様子を言ってたものだ。
 スマートフォンは、細身の薄い痩せてる電話機のことかしら。
 英語のsmartは、賢いって意味だけど、いろいろな使い方を見ると、どうもズル賢いって意味が潜んでいるようだ。オリコウチャンネエ、とか。

 WIKIPEDIAを見たら、スマートIC、スマートエントリー、スマートカー、スマートガラス、スマートカード、スマートグリッド、スマートセンサー、スマートシティ、スマートドラッグ、スマートハウス、スマートメーター、スマートフォン、スマート爆弾が書いてある。
 いちいち中身を見るのは馬鹿らしいから想像することにしたが、それでもわからない。

 スマートカーってのは、裏道なんかを走って狡賢く運転できるのだろう。
 スマートガラスってのは、例のこちらからは見えるけどあちらからは見えないガラスだな。
 スマートシティとかスマートハウスってのは、狡賢い人たちが住んでいるんだな。
 スマートメーターを取り付けると、電気代とかガス代とか狡賢く表示して安くなるのかもなあ。
 スマートフォンをもってる人はみんな狡賢いのかしら。
 スマートカードのクレジットカードで買い物すると、支払い金額は実際よりも安くなるとか。
 スマート爆弾ってすごい。何の前触れもなく爆発して、知らないうちに殺されちゃうのだろう。まあ、武器にずるいも賢いもないけどね。
 わたしは「スマートシニア」っていわれないように気をつけよう。

2011/12/08

547古臭い地震命名

神奈川県では大地震でやってくる津波の高さを、ド~ンと高く予想し直すことにしたという。
 鎌倉では相模湾から押し寄せてきた津波は、2キロ奥の八幡宮の裾までやってくる。わたしが8年前まで住んでいたところは、さらに奥だから大丈夫らしい。
 ところが、8年前に引っ越してきた横浜都心の今の家は、津波に襲われるらしい。おやおや、そうとは知らずに危険なところに引っ越したのか。

 でもまあ、共同住宅ビルの7階にある空中陋屋借家だから、うちまでは波は到達はしないだろう。
 もっとも、3.11地震では津波でビルがバタ~ンと横倒しになった例もあるから、安心してはいられない。

 鎌倉市の中心部は、都市計画の景観地区や高度地区指定で、15m以上の建物は禁止だから、14.4mなんて津波高さだと、屋上避難しても攫っていかれるかもしれない。
 世界遺産になるかならないかって景観よりも、人間の命のほうが大事だと、避難用の特例高さビルを作るのか。
 それとも周りの丘陵のあちこちに、逃げてのぼりやすい道を作るか。こちらのほうがやりやすいだろう。

 それにしても、地震の命名はどうして明応地震(1498年)、慶長地震(1605年)とかって、元号なんだろうか。貞観地震というのもあるなあ。
 阪神淡路は昭和地震、今年の3.11地震は平成地震といっているのかしら。
 どうして、1498地震とか、1605地震とか、1995地震とか、2011地震とか言わないのだろうか。
 元号では、今から何年前におきたことなのか、どれくらいの間隔で起きているのか、そのような歴史感覚がともなわないだろうに。
 命名者は地震学会か何か知らないが、古臭いところである。

2011/12/07

546伊達という姓について

わたしの姓の伊達は、伊達政宗なんて歴史上の有名人がいたから、それなりに知られていて、珍しいようでいて極端な難読でもない。
 ちょっと変わっている程度で他人様に覚えていただけるには都合が良い。逆に忘れてほしくても覚えられているという難点もある。

 伊達のよみかたはダテであるが、大昔はイダテ、イタテ、イタチであったそうだ。そういえば、イタチさ~んと銀行だったかで呼び出されたことがある。
 ローマ字で書けばDATE、外国ではミスターデイトである。
 伊達政宗が1613年にローマ法王に送った書簡には、IDATEと書いてあるし、近世の仙台伊達家では、伊達に振り仮名をつけるときは故実として「いだて」としていたとも伝える。(これらは孫引きだが「仙台市史資料編10『伊達政宗文書』」にあるそうだ)
 15世紀始めころにはダテというようになって、故実としてイダテを使ったらしい。(これも孫引きで、小林「伊達政宗」吉川弘文館)

 広辞苑で伊達を引くと次のようにある。
だて【伊達】
(一説に、「立つ」から。人目につくように形を表す意)
・ことさら侠気(キヨウキ)を示そうとすること。人目をひくように、はでに振舞うこと。
・好みがいきであること。あかぬけて洗練されていること。さばけていること。
・見えを張ること。外見を飾ること。「―めがね」

 この派手とか見栄とかにかかわる意味は、伊達政宗の軍勢が派手な格好であったことからそのような意味が出たと俗説にいう。
 しかし、伊達政宗以前にダテなる言葉はあったから、政宗のせいでこういわれるのは間違っているという説があるらしいが、政宗の軍勢の格好が派手なのでダテをもって派手好きという評判が立ったことも、その俗説を補強しているとも。
 ダテ男、ダテ眼鏡、ダテ姿、ダテの薄着、、どこか軽薄さが漂う。なお、わたしの眼鏡は遠近乱のまじった本物のレンズが入っている、ネンノタメ。

 この数年前から、宮城、仙台あたりで「伊達な国づくり」とかいって、ブランド化を図るネーミングに使っているから、今ではちょっとは良いイメージもできたか。わたしのブログ名「伊達な世界」もそれにちゃっかり乗っかったのである。
 
 まあ、どうでもよろしいが、わたしの伊達姓は仙台の伊達家とは関係なくて、先祖のひとりが岡山県北にある伊達という地区からの出であると、父に教えてもらった。
 ではその地名はどうしてできたのか、そこまでは知らない。
 ただ、ダテがタチから変化したとしたら、そこに大きな館(タチ)、たとえば領主の館があったことに由来するかもしれない。
 昔、田中館(タナカダテ)愛橘という科学者がいたが、多分、田んぼの中にある館という由来があるのだろう。わたしの母方は田中姓だから、わたしこそタナカダテである。

 30年くらい前のことだが、仕事で宮城県庁に行ったとき、名刺を出してぎょっとされたことがある。あのあたりでは伊達姓はお殿様系だけで珍しいらしい。
 またあるとき、相馬*胤さんという方に会ったことがある。名詞を出したら難しい顔をされた。聞けば、福島のお殿様の相馬家の末裔とて、むかしむかしは北隣の仙台伊達藩にいじめられた小藩として積年の恨みがあるのだとおっしゃる。あわてて弁解?したのであった。
 あ、相馬といえば、現代では南隣のほうから核毒でいじめられていて、お気の毒なことである。

2011/12/06

545生活景と造園景-故郷の谷川の公園

●谷川に出現した滝石組
 狭い谷川に沿た道をだらだらと登っている。両側の山の森と谷川の間には、雑木林や狭い畑と農作業小屋があったりして、日本の原風景の趣もあって楽しい。どうってこともないのだが懐かしい風景である。
 と、こ谷の向こう岸に突然、にょっきりと巨大なとがった屹立する2本の巨岩が顔を立っている。
 ふむ、支流の谷かと見れば谷はなし、岩がすっくと直立しすぎているし、周りには似たような石はまったくないし、どうも不自然に見える。
 巨岩の間によく見るとその2本の間には石垣が積んであって、水が流れ落ちているのがみえる。下のほうにも巨岩がいくつか転んでいて、滝つぼのようなものを作っている。
 自然でこううまくは並ぶまい。そうか、これは日本庭園によくある滝石組らしい。2段の竜門瀑かしら、そう思ってみると、下のほうに滝を登る鯉を模した鯉石のようなものもある。これは造園工事だな。
 でも、ここは日本庭園でもなし、どうしてだろう。

●続きと全文は「生活景と造園景-故郷の谷川の公園
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/seikatukei-zouenkei

2011/12/05

544被災地に賃貸住宅政策を

東北の震災地域では、復興に向けての市民参加の街づくり計画策定の動きが著しいようだ。
 高台移転か現地再建か、それはそれぞれの人生の時間がもとになっているから、理想と現実の狭間に多くの人たちが落ち込んでいるだろう。
 これから続くひとりひとりの生きる時間を推計しながら、そのために復興という名目で短期に投資をすることが果たしてどれだけ有用なのか、迷うことだろう。地域への投資の時間と、人生への投資の時間とのギャップをどう乗り越えるのだろうか。

 しかも共同の街づくりとなると、一人一人の時間をみんなの時間に置き換える必要があるから、ことは複雑である。たとえそれが一致したとして、新たな街ができて地域社会の再建が一時はできたとしても、人の命はそれぞれに異なる。
 高齢社会でしかも後継者の少ない少子社会では、再建した地域社会はどこまで保つのだろうか、その不安は付きまとうだろう。
  中越震災復興の山村の現状を、いまこそ検証する必要があるだろう。投資効果だけで判断してはいけないのはもちろんだが、復興はどう生活を支えることができたのだろうか。
 わたしが見てきた中越被災山村でのこの7年間の経験は、単純には評価できないものがある。
 
 気になっていることは、住宅の復興が経済政策としての旗振りとなってしまって、社会政策であることを忘れはしないだろうか、ということである。
 日本がアジア太平洋戦争からの復興にあたって、当初は社会政策としての住宅づくりであったものが、60年代から経済政策になっていいった。
 庶民に大借金をさせて仕事場から遠い郊外に小さな住宅を持たせて、保守中流層にすることで55年体制を維持したのである。
 一生かかって返すような大借金しなければ家に暮らせないなんて、こんなおかしなことはないと思う。
 その体制が崩壊した今、いまだに日本には住宅問題があることが見事に露呈した。
 衣食住の前2者がファッションとグルメになったのに、最後の住だけは2重ローンとか、住宅難民とか、ホームレスとか、幾多の問題を抱えている。

 そして震災はその問題をさらにむき出しにしている。大地震は高齢社会における地域の消滅スピードを、ど~んと背中をたたいて押してくれた。
 また経済政策としての住宅作りを、このたびの大震災の後にもやるのではないかと気になる。しっかりと公営住宅を建て、賃貸住宅政策を促進するべきである。
 高齢社会のまっただなかの被災者たちが、借金をしなければ住宅にすめないような持ち家優先政策は、あきらかにおかしいと思う。
 不動産屋的復興政策を排除するべきである。

 それにつけても思うのは、原発被災地では復興を言葉にさえできないことである。
 除染(この言葉は除汚の間違いのような気がする)をどうするのか、いや除汚ができるのかどうかさえわからず、その先をいうことさえできない。
 そういう現実に直面しても、それでも原発はこれからも存在するのか。

                                 核   

          太郎を眠らせ、太郎の屋根に核ふりつむ。

          次郎を眠らせ、次郎の屋根に核ふりつむ。

2011/12/02

543知らない流行語2011

今年の流行語賞なるものが新聞に載っている。
・「帰宅難民」
・「絆」
・「こだまでしょうか」
・「3.11」
・「スマホ」
・「どじょう内閣」
・「どや顔」
・「なでしこジャパン」
・「風評被害」
・「ラブ注入」
 わたしが知らない言葉は、まず「こだまでしょうか」である。
 これってTVCMらしいが、「のぞみ」や「ひかり」じゃなくて「こだま」にも乗ろうってJR東海の広告なのであろう。なんでこれが流行なの?
 次に知らないのが「どや顔」、ドヤに泊まっている人の顔のことなんだろうなあ。
 次が「ラブ注入」だけど「楽しんご」もあわせてサッパリわからない。

 要するにTV番組を見ないと流行遅れになるらしい、という程度のことである。
 で、結構震災関係言葉が多いのに、どうして「脱原発」と「想定外」が入らないのだろうか。
 「TPP]とか「ユーロ危機」がなぜ入らないのか。
 どうやらイデオロギー的なにおいのする言葉を避けているらしい。そこにこの賞のがどの程度のものかを物語るものがある。

 プロ野球に興味はないけど今日のニュースがらみでついでに書くが、「ディー・エヌ・エー」(DeNA)とか言う企業が参入するそうだ。
 で、なんでもオーナー会議で「楽天」が参入反対だったそうだ。つまりその企業の持つDNAに対して最も楽天的でなかったのが楽天である、ということだな。

関連→知らない流行語2009
http://datey.blogspot.com/2009/12/209.html

2011/12/01

542飯倉界隈魁偉ビル

 ふらふらと飯倉あたりを歩いていて、容貌魁偉なるビルに出くわす。
 なんだか壁に草でも生えいるよだが、それにしても整形過ぎるし、赤い鉄骨はナンだ?
 ふむ、あの赤いのはビル本体じゃなくて窓ガラスに映りこむ東京タワーであった。
 奇妙な形の壁の緑はと近寄ってみると、蔦類を植えたスポンジ板を窓枠内に貼り付けてあるのだった。
 ほ~、それにしても植物の自然形態を無理矢理に幾何学模様にはめ込んだところが、無理なような、面白いような。東京タワー映りこみも計算のうえだろうな。

 飯倉交差点に向けて坂を下る途中にある教会。
 アングリ大口開けた一つ目小僧に飲み込まれそうだ。

 飯倉交差点の角の建築業界的には有名なNOAビルは健在であった。
 白井晟一のデザインの魁偉さをそのままに、赤レンガ土台の上にドラム缶タワーが逆光を浴びて黒々と立ち尽くしていた。