2018/02/24

1320・新聞はオリンピック記事ばかりで超ウンザリなので逆療法で読もうとしたけど、

  今日も朝日スポーツ新聞がやってきた。スポーツ記事の占める割合は、第1面60%、17~23面100%、38面20%、39面90%。
 もう、いいかげんにせいよ、超うんざりだ。

 読みもしない、見もしない紙面がこうもたくさん占められては、購読料を払う身としてはまことに癪に障る。
 興味はまったくないけど、ヒマでもあるし、カネももったいない、せめて眺めるだけでもしてみるかと思いついた。まあ、逆療法みたいなものだな。

 記事を読む気に全くならないので詳しいことはわからないが、ざっと写真だけ眺めて気が付いたのは、ほほ~、オリンピックってのは、女ばかり、それも少女ばかりのようだ。男はやらないものらしい、女尊男卑だな。
 いやそうじゃない、男尊女卑だな、だってさ、あんな寒いところで、しかも氷の上で、しかもあんな薄着で重労働させるんだもの、少女虐待か。

 見出しだけ眺めていたら、池上彰の署名記事がある。ほお、池上はスポーツ記事も書くのかと、これを読む気になった。
 さすがにスポーツ記事じゃなくて、朝鮮半島の非武装地帯の話で、オリンピック開催地はその近くだそうだ。

 こういう記事なら、朝日スポーツ新聞でも、まあ、いいけど、スポーツ欄にあると、スポーツ好きは読まないだろうし、わたしのようなスポーツ嫌いは、読もうにも記事に出くわさないよなあ。

 池上の記事を読んで、第2次大戦が終った時に、もしも東北地方以北がソ連の管轄下におかれていたら、日本列島も今ごろは朝鮮半島と同じような、北日本国と南日本国のあいだで、深い深い悩みの中にあったかもしれないなあ、と思った。

2018/02/23

1319久しぶりに大学山岳部同期生たちと都心部で昼飯会をやって周りから妙に浮き上がったわたしたち

 平日の昼飯を外で食うなんて久しぶりである。大学山岳部の同期生5人が、横浜でランチミーティングをやろうとなった。年寄りの集まりに特別の目的はない。ヒマだからちょっと集って駄弁ろうかと、メールやり取りする。
 夜はもう面倒だよな、昼飯がいいな、よし12時集合、いや、平日だから堅気の勤め人たちの昼飯の邪魔だよ、そうか、それなら11時集合だな、てなことで、さてどこがよかろう、徘徊コースの中で見つけろと、昔のサブリーダーからわたしに命令がくだって、はい、では明日のアタックルートの偵察に行ってまいりますと、前日の昼に行ったのは、横浜駅の東北にある「BAYQUARTER」なるウォーターフロント、朝から居酒屋でもあるまい、老人ならシーフードがいいだろうと見当つけてきた。

2018/02/21

1318【FACEBAKA与太記事2018年2月前半】結婚延期騒動、Y字路、空き家だらけ日本、朝日スポーツ新聞、謝罪させていただく失礼大臣、、

2月1日
 この数年は、家から遠くでの夜呑みをしないことにしたのだが、今日は超久しぶりに田町の同窓会関係施設で、大学卒業研究の指導教官を囲んで、計8人の夜飲み会をやって、酔っ払いも久しぶりにやって、家の近くに戻って地下鉄駅をでれば、おやおや、みぞれが降り始めているぞ、明日は積もるのかなと思いつつも、ウン、積ったってわたしは行くとこもないから平気、ドンドン積れ~。
 降る雪や昭和も遠くなりにけり平成さえも断末魔の宵 

2月7日
 おお、それなら、ジイちゃんが引退を延期するから、早く結婚しなさいよ、って、普通のウチなら言うだろうな、、。

2月7日
横尾忠則を真似して、Y字路風景 


2018/02/12

1317・不良共同住宅ビル→不良民泊共同ビル→空き家ビル→ドヤビル:不良住宅再生産ドミノ現象の街

熊五郎:チワーッス、ご隠居、元気に生きてるかい。
ご隠居:おお、熊さん、いらっしゃい、何とか生きてるよ、今年は寒いねえ。
:寒いっても、うちに籠ってちゃ身体によくないですよ、徘徊に行かなきゃ。
:うん、ありがとね、ちょっと徘徊してきたよ、昨日の証拠写真だ。

:よしよし、昨日の日付があるね、でも、ただのマンションでしょ。
:あのなあ、マンションてのはもともとは環境の良い超豪華邸宅のことだよ、それが日本じゃあ不動産屋が誇大広告宣伝文句に使いおって、それに世のバカが乗せられてるんだよ、これは単なる共同住宅ビルだよ。しかも目の前が高速道路の劣悪環境だよ。
:そうそう、ご隠居に言わせりゃ「名ばかりマンション」、で、これがどうしたんです。

2018/02/02

1316【FACEBAKA与太記事2018年1月】ロシアバカメール、カリフォルニア俳人、茶席宝庵、明治大好き、終活コンサル、ドーピング解禁、昔美男などなど

1月29日
【モテてる気分!?】ロシアから連続バカメール攻撃だあ、 数日前から、いろいろな名前の外人女性(らしい)から、バカメールがやってくる。 その名は、Katya、Julia、Natasha、Polina、Anastasia、Irina、Helen、Yulia、Victoria、Valeria、Ksusha、Kseniya、Natalia、Sveta、Ekaterina、Alexandra、Kate、Darya、Sasha、Masha、、なんだかロシア名が多いような気がする。
 そして、1部を開いて読んだが、たぶん、文章はどれも同じで、最後の名前だけが違う、つまらないなあ、いろいろ変えて書いて欲しいなあ、せっかくくれるんだからね。
You seem like my type and I would like to know you more! Write me if you are interested, here is my email e●●●a@rambler.ru and, if you want, I will send some of my photos. Hugs, Yulia、

2018/01/14

1315【言葉の酔時記:アメリカ俗語研究】トランプはshit-hole countriesと言ったと非難されてるが実はshit-hot countriesと褒めたかったのをうっかり言い間違えたのかもなあ

 “Why are we having all these people from shit-hole countries come here?”  中米とかアフリカとかの国々を、トランプがこう罵ったらしくて、「野外便所」の国と朝日新聞は訳している。ネットでも話題で、世界各地でそれぞれ勝手な訳語をあてているらしい。  スラングの辞書をみたら、shit-holeのあたりは罵り言葉ばかり並んでいて、面白いけどねえ、そんな汚い言葉を大統領が話すって、アメリカって庶民の国なんだなあ。
 わたしが一番に思い付いた訳語は「野壺」あるいは「肥溜め」なんだけど、思えばこれはいまでは死語なんだね。  昔は人糞を作物の肥料にしていた。田畑の畦道際に大きな丸い桶を埋めて、人糞をこれにしばらく溜めて腐敗させてから作物の根にまいていた。ときどき子どもがこれにハマって糞だらけとか溺死する事件が起きたものだ。いたずらで石を投げ込んでいたら、農家のひとに「こらっ、拾い出せッ」って叱られて、なんともはや困りきったこともある。  うーむ、「肥溜め国」ねえ、よく言うよなあ、すごいなあ、正直だよなあ、政治家には向かない人だなあ、。  もしかしてトランプは、アメリカの肥やしになる国々って言いたかったのかなあ。それも正直な発言の様な気もする。  いや、もしかして、実は「shit-hot countries」と、おおいに褒めるつもりを、「shit-hole countries」って言い間違ったのかもしれないなあ、、あるいは聞いた方が聞き間違えたかもなあ。

2018/01/03

1314【FACEBAKA与太記事2017年12月】退位、原発、ミサイル、なんだかんだ、、、

2017年12月にフェイスバカに掲載した与太記事のまとめ

12月2日
天皇が退位したら、当然のことに、内閣総理大臣も退位するんだろうなあ、むかしから天皇を敬愛する偉い人って、ホラ、追い腹切るでしょ、乃木さんみたいにね、

12月4日
あっちじゃ造ったものが壊れて撤去作業中、
こっちじゃ作ることやめて会社切り売り中、
どうなるんですかねえ、TOSHIBAさん

2018/01/01

1313【更に・山口文象設計茶席常安軒】北鎌倉浄智寺谷戸に関口邸茶席を創った人守ってきた人未来に伝える人

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その6
伊達 美徳

北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、
その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)
その5】のつづき

●関口邸茶席を創った関口泰

 この茶席をつくった関口泰(せきぐち たい 1889~1956)は、朝日新聞論説委員だったジャーナリストであり、評論家として政治や教育論の著作を多く世に問い、加えて旅と山歩きを趣味として随筆や短歌俳句もよくした。
 著作の公刊書も36冊と多く、『民衆の立場より見たる憲法論(1921年)から始まり、『軍備なき誇り(1955年)が最後であった。没後に関口を惜しむ人々や近親者が編集刊行した『関口泰文集(1958年)と『関口泰遺歌文集 空のなごり(1960年)に、主な著作が収録されてその足跡がよく分る。
 この浄智寺谷戸を愛した関口は、『金寶山浄智禅寺(1941年)なる深い歴史考証の著作を出版した。その「後書」に、関口が浄智寺谷戸に居を構えた1930年頃の風景や人物の状況を細かに記している。それらを瞥見して関口のことを記す。 
浄智寺の庭の関口泰 引用元:『空のなごり』1960年

2017/12/29

1312【又々・山口文象設計茶席常安軒】鎌倉に居ながら京都の大徳寺忘筌の庭に高台寺遺芳庵吉野窓を眺めようと欲張り技の茶室写し

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その5
伊達 美徳

北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)


その4】のつづき
さて、ようやく関口邸茶席の本館とも言うべき
数寄屋会席について述べる。

どこか別のところで見たことあるような


 
●関口邸茶席の数寄屋会席今と昔

 浄智寺谷戸の道から草屋根の門をくぐり路地を歩めば、最初に出会うのがこの数寄屋建築の会席である。吉野窓茶席はその裏に隠れて、やがてやってくる客を待ち受ける。

 吉野窓茶室が小面積なのに大きな髙い屋根を載せて、ボリュームを大きく見せているの対して、数寄屋会席の方はその大面積をできるだけ小さく低く見せようとしている。屋根を小瓦一文字葺きと杮(こけら)葺き(いまは金属板葺き)の奴(やっこ)葺きで薄く軽く見せる。
左に数寄屋会席、右に吉野窓茶室

2017/12/25

1311 【又・山口文象設計茶席常安軒】北鎌倉には三角茅葺屋根とまんまる吉野窓が浄智寺谷戸にも明月院谷戸にも古雅な姿を見せる

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その4
伊達 美徳

北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)

【その3】のつづき

●大工棟梁山下元靖の回顧譚

 この茶席常安軒の工事をしたのは、大工棟梁の山下元靖であり、『工匠談(1969年 相模書房刊)という本を出して、自分のいろいろの仕事を語っているが、その中でこの茶席の想い出も35年も前のこととして語っている。
 この本には、山口文象による「山下さん」という序文があり、関口から設計を依頼され、山下と「毎日浄智寺の現場で……けんかをしながら楽しんで仕事に没頭した」と記している。どちらも30歳そこそこの若者だった。


 山下はその本の「北鎌倉の関口邸の茶室」という章で、数寄屋会席については何も述べず、吉野窓茶室と離れの工事についての自慢話をしているのが興味深い。
 その吉野窓茶室について、草ぶき屋根の小屋組み仕口の仕事を茅葺屋根専門の職人から褒められたこと、吉野窓を貴人口にも使うように工夫したこと、土庇柱の沓石に寺院の向拜の沓石を転用したように古びて見せる工夫をして関口を感心させたことなど、職人肌が面白い。
窓は吉野窓にし、直径を京間の六尺の大丸窓にしました。
それは貴人口にも使用する関係で、丸窓の下部を半紙幅の半幅、
つまり下から約四寸の高さのところを図のように水平に切り、
掃き出しも兼用できるようにしました
」(『工匠談』)