2018/09/01

1160【8月後半フェイスバカ】落橋、禁煙、マンション、スルガ銀行、水増し

8月16日【イタリアで落橋】
う~む、落ちる橋は格好いい、それにしても共同住宅の迫り方よ、

8月17日【言葉の酔時記:禁煙ご遠慮】
そうか、店内では「禁煙」も遠慮するべきかあ、でもなあ、
オレは喫煙 しないから、そりゃ無理だよ、
もう、この店に来るのやめようっと。

8月19日【言葉の酔時記:ボロコプター】
「ドローン」でできる空飛ぶクルマの名が「ボロコプター」ってさ、泥と襤褸で空飛ぶことができるんだ~、現代の技術革新はスゴイ!!

8月21日【言葉の酔時記:マンション】
ラジオから「マンション」という日本語が聞こえた。japanese-english入門会話番組らしいので、ではenglishではどういうか聞いていたら、なんとまあ「apartments house」つまり「アパート」、あちゃらではマンションをアパートという。こちゃらのアパートを、あちゃらではなんというのだろうか。

8月21日【八月詠】
8月初
ねがはくは熱に中りて夏死なむ 
その八月の真中真昼に
8月末
この夏も熱中コロリならぬまま 
あはれはや秋の気配か

8月24日【政府官庁で障害者雇用水増し】
セクハラや文書改竄できる人
たくさん水増しショウガ(ナ)イ者雇用

8月26日【怪しい融資スルガ銀行】
古い格言を思い出したぞ!
ならぬ勘定スルガ銀行
さて、もとの格言は何といいますか?

8月26日【横浜港あたり風景】
北仲通り、しばらく来なかったら、
ずいぶんうっとおしい風景になりつつあるなあ



横浜港、象の鼻の緑の館は今年も健在、観光超一等地、
いつまでこの姿で続くのかなあ


8月26日【言葉の酔時記:正直、公正】
このニュースはフェイクのような気がする。
 政党トップ選挙候補者の標語が「正直、公正】って、本当かしら、小学校の学級委員長を選ぶのかい。しかもそれを取り下げたというから、なおオカシイ。
 更にオカシイのは、取り下げ理由が、それを言うと「今のトップの個人攻撃になる」と、党内で言われたからだそうだ。ってことは、今のトップは「不正直、不公正」と、党内では認めているのだな、なるほど、取り下げることで見事に的を射たってわけだ。
 こんなニュースって、まさかほんとじゃなくて、政界冗談話でショ。

【言葉の酔時記:ご迷惑】
今日の新聞に、JR東海の「お答え」が掲載されている。「ご迷惑をおかけしました」と、迷惑かけた事実はあっさり認めているが、事実認定だけで、それについて謝るとかお詫びとか、ぜんぜんしていない。
 そう言うものなのかなあ、常識的には「深くお詫び申し上げます」と書くものでしょうに、あ、そう書くと「補償請求」が来るとでも思ってるのかな、そんな世かあ~、、

2018/08/26

1159真夏に寒さに震えつつシネオペラ「アイーダ」見物ってシャレているような

 今日は暑い、しょうがないや、久しぶりに冷房するか。口では熱中症コロリ狙いと言っていても、暑いとすぐ冷房の意志薄弱。
 じつは昨日の真昼、寒さに震えていた。場所は県民ホールのなか、冷風が当らないように、半そでシャツから腕を引きぬいて中にいれ、前をしっかり締めても寒い。
 でも、もうすぐ終わるから我慢だと、がんばった。
 
 オペラ「アイーダ」のライブビュー上映を見ていたのだ。パルマ歌劇場での録画を、映画にしている。実はこの手の舞台映画を見たのは初めてだ。
 それは毎年見ている県民ホールプロデュースオペラの、今年の公演「アイーダ」を見たかったのだが、気がついたら、わたしの財布に見合う席が売り切れ、しょうがないのでこちらにしたのだ。
 でも、よかった、なかなかの『愛~だ』だったな。オペラを観たい貧乏人向きだ。でも、小ホール客席の入りは3分の2くらい、世にオペ見物貧乏人は少数らしい。

 実舞台のオペラを見ていると、いつも全体とその部分とを構造的に眺めているのだが、映画は全体と部分とが別々に切り替わりつつ登場するので、観はじめはなんだか違和感があった。映画作ったやつに観方を制限されている、おれの好きな様に見させてくれ。
 でも次第にそれに慣れてきて、本物舞台ではありえない出演者の大写しを楽しんだ。もっとも、ホールの遠くから見る本物の出演者はいつも美しいが、このような大写しになると、あれこれボディとかアラが気になって気が散る。

 イタリアから見ると、エジプトやエチオピアはどれほどの異国なんだろうか。日本ほどではないだろうが、見ているとやはり異国オリエンタリズム趣味にブラックアフリカ気分がないまぜになっているようだ。まあ、見世物だからそれでいいのかな。
 大写しになる出演者の肌を見ていると、実物のネグロイド系もいるようだが、多くのコーカソイド系も薄ネズミ色あるいは薄青い化粧をしているのは、異国趣味だろうか。
 その典型として大写しになるアムネリスが、ちょっと気の毒な感じだった。 

 とにかく、実物はどうか知らないが、古代エジプトらしい雰囲気の様式の装置と衣装を楽しむのも、ヨーロッパ的な異国情緒趣味だろう。
 オペラ「アイーダ」というと、有名な凱旋の場に象や馬が出てくると聞いているのだが、今回それを期待したが、動物は出なかった。野外でやる時に出るのだろうか。
 それにしても大勢が登場するものだ、300人もいそうな。まさにおおがかりな見世物である。

 お話は、戦争する二つの国の、敵と味方の関係にある男ひとりと女ふたり、つまり三角関係だが、これに権力がからむから面白いのだろう。
 敵味方関係の男女の恋物語は、ロメオとジュリエットにみるように、珍しいテーマではない。ロメオたちも最後は墓場で心中だが、このアイーダとラダメスも同じだなあ。ストーリーがよく似ているのは、ウェストサイドストーリーと同じで、シェークスピアはエライなあ。
 ストーリーや芝居の細部では、なんだかつじつまが合わないところもあるが、まあ、なにがなんでもと強引に愛を死に昇華させて、
愛~だっ!” 
(これを言いたかっただけ)

 本物オペラ見るのはこの数年はいつも天井桟敷、昨日のライブビューでは一番前かぶりつき席、料金は天井桟敷よりも安い。寒さを別にすれば、また観たいなと思った。
 でもホントのオペラ舞台なら中間に休憩があるのに、ライブビューでは2時間半休憩なし、寒さに震え、終りの方では尿意にも震えた

 ここで県民ホールの中ホールに苦言を呈しておく。
 まずは、上に述べた冷房問題である。わたしの周りの人たちも、ごそごそと羽織るものをとり出したりしていたから、わたしだけ寒かったのではない。 
 最後のカーテンコール場面は、実物がいないのに見ても意味がないので途中で立ち、寒さから脱出してロビーに出ることにしたのだが、ホールからロビーに降りる階段が真っ暗なのには大いに困った。足元灯を階段につけよ

 せっかく初めてのライブビューに思いがけなく感激しつつも、一方では難行苦行になったのであった。
 そして外に出ると真夏の焦熱、よろよろと山下公園の木陰に避難、先ほどの極寒のエジプトは夢だったにちがいない。

〇データ
アイーダ
スザンナ・ブランキーニ(S アイーダ)
ワルテル・フラッカーロ(T ラダメス)
マリアーナ・ペンチェヴァ(Ms アムネリス)、ほか
アントーニオ・フォリアーニ(指揮)パルマ王立歌劇場管弦楽団、合唱団
ジョゼフ・フランコーニ・リー(演出)
収録:2012年2月、パルマ王立歌劇場 (154分)

2018/08/18

1158【フェイスバカ8月前半与太記事】酷暑、杉田、朝日スポーツ、サンマータイム、セミ取り

8月1日 酷暑詠
ねがはくは熱に中りて夏死なむその八月の真中真昼に
(東行放恣)

8月3日 杉田水脈議員「新潮」に生産性云々執筆
新潮を欠き杉田ぞと叱られて水脈文脈脈絡乱脈

8月6日 朝日スポーツ新聞
今日の朝日新聞はまさに「朝日スポーツ新聞」であり、全30ページの内14ページ分がスポーツ欄である。特に高校野球の記事が、第1面のトップ記事であるが、高校野球ってそんなに重大なことなの???、そんなところに若者たちの力を集めて、球で遊ばせるんじゃなくて、震災や水害の被災地に向けてはどうですか、朝日新聞さんよ。
今日は原爆投下の日である。その記事は隅っこに押しやられている。今日の新聞は30分ほどで読み終えてしまった。購読料を返せ!

8月6日 広島原爆忌
今日は広島原爆忌、たまたま今日、その被爆者のひとりである同期生の友人と会っていた。もちろんその日の話を聞いた。これまでもなんども聞いて来たが、それでも聴き足りない。聴くほどに奇跡的に今を生きている人である。
https://datey.blogspot.com/2015/10/1134.html

8月12日 オリパラドサクササマータイム
サマータイムやりたいと、アベさんなんかがが言っている
やって、やって~、そうすりゃ、
毎日起きるドタバタ騒ぎ、うまい退屈しのぎになるよなあ
オリパラなんかに興味はないが、2020年が楽しみだ
むかし懐かしサンマ~タイム~
でもなんだかオカシイな、昔は1時間ずらしだったのに
今度は2時間ずらしにするらしい
つまり昔と比べたら、夏冬日の出と日の入りが
更に1時間ずれて来た、それじゃあ地球も老いたのか~

8月13日 つい言ったあ
「つい言ったあ」とか 「フェイクバカ」とかで、
 「いいね!」ってタメクチで言うのは失礼ですよ。
「よろしうございますね!」って言いましょうね。


8月15日 緑の館
空きビルかしら(靖国神社近くにて)

8月15日 千鳥ヶ淵公園の蝉
東京千鳥ヶ淵あたりの蝉は、どいつもこいつもホントにドジだなあ、ひょいと手で捕まってしまう。千鳥ヶ淵にセミ取りの子は来ないので、すっかり人間を見くびってるのか。それとも、ここで蝉取り禁止、死刑か。


2018/08/16

1157【靖国8・15定点観測】夏まつり森の社のにぎわいは今日も戦をたたえる見世物

 境内にスピーカーで放送が流れる。「間もなく正午です。みなさなご起立下さい。一分間の黙とうをささげます」
 まわりに人たちが、いっせいに立ち上がる。やがて時報、みんな頭を垂れている。やがて元通りの暑い日のざわめきがあたりに戻る。
 この間、わたしは腰を下ろしたまま、まわりを観察していた。こんなにも大勢の人間が時を停めている中に、ひとり時を動かしている自分、そばには大砲と戦闘機……、SF的風景。
 
 今日は8月15日、ここは東京九段の靖国神社境内、わたしは去年のこの日もそうであったように、今年も定時定点観測にやってきた。この日にここで、ある社会の断面を見るためだ。
 観測報告まとめは、今年も相かわらずの風景だった、ということ。境内にねっとり暑苦しく淀む空気のなかに、ここの地中に眠る戦争人形たちが目覚めて、いつもの夏のこの日のように今日も出てきている。真夏の暑さにボケる頭、真昼の光にしょぼつく眼、これは現実かまぼろしか。
 今年は暑さのせいだろうか、人の出が少ないようだった。

  夏まつり森の社のにぎわいは 今日も戦をたたえる見世物

 では2018年8月15日真昼の靖国神社風景をどうぞ。実は毎年の風景と繰り返しであり、それは神社境内は昔から芸能の場であったことを再確認するようなもの。

毎年おなじみ九段坂ウヨ屋台




 今年はいくぶん人出が少ない感じ、暑さのせいか


 境内の毎年おなじみコスプレ 


爺ちゃん婆ちゃんの代理参拝か若者が多い

 遊就館では小学生に描かせた兵器の絵の表彰展示

マスメディアのカメラがセンセイたちを待ち受ける

うって変わって千鳥ヶ淵戦没者墓苑は静寂そのもの 



 8月15日、1945年のその日は、わたしの人生の出発点あたりで、その前の時からみると超大方向転換が待ちうけた日である。その日から、民主主義すくすく世代に入り込んだ。
 暑い晴れたその日、城下町盆地にある森の中の神社では、近所の人たちや疎開女児童たちとが、一台のラジオを取り囲んでいた。わたしの生家である。
 聞き終わった大人たちは、一様に黙りこくったままの列で、参道石段をとぼとぼと暗い森の中から、明るい盆地の街に下って行った。
 
 春にやってきていた疎開児童たちは、数日の内に阪神間の都市に戻って行った。そこはアメリカ軍の空爆で焼け野原であり、疎開中に戦災孤児になった子もいた。
 その月末、わたしの父が兵役解除されて戻ってきた。1年8か月前、今度こそ帰れぬだろうと号泣する母に送り出された父は、満州事変、支那事変、太平洋戦争と、十五年戦争中に7年半3度もの戦場をくぐり抜けた強運の人であった。その子のわたしこそ強運である。

 毎年、そのことを想う。そしていまだに戦争賛美する人々がいて、その人たちがやって来る8月15日の靖国神社を、定点観測のように訪れて、観察する。
 わたしは神社に生れたが、神仏を拝むことは決してない。それは思想ではなくて、神とか霊とかの存在をどうしても認めることができないという、単にプリミティブな科学的合理主義に過ぎない。

 実はわたしの叔父が、靖国神社に合祀されているのだが、そのことを思い出したのは、たった今である。過去に何度か靖国神社にいたときにも、一度もそれを思い出さなかったなあと、それもいま思い出している。
 わたしを可愛がってくれた叔父は、若妻と乳飲み子を遺して、フィリピンの山中に消えた。わたしの「父の15年戦争」の記録とともに、その叔父の悲惨な戦場のことも書いておいた(「田中参三叔父の戦場」)。

参照:靖国8・15定点観測記録
靖国神社815点々観測2019】その1 2019
◎【靖国神社815定点観測2018】今日も戦を讃える見世物2018
◎【靖国神社815定点観測2017】軍服若者がスマホいじる2017
◎【靖国神社815定点観測2005-2013】靖国神社風景2005、2013

参照:「父の十五年戦争:通信兵神主の手記を読み解く

2018/08/12

1156【カリフォルニア夫婦歌人朝日歌壇登場】朝夕に行きたくて行く人よりも行かねばならぬ人で混む電車(アメリカ)大竹博


 今朝の朝日新聞の朝日歌壇に、カリフォルニアに住む2人の知人による歌が載っている。夫婦二人仲良く並んで入選しているのを発見、驚きつつ嬉しくて笑う。

  浴衣着た人は右前左前スニーカー履きロスの盆踊
                (アメリカ)大竹幾久子
  朝夕に行きたくて行く人よりも行かねばならぬ人で混む電車
                (アメリカ)大竹 博

 大竹幾久子さんは昔から歌を詠んでおり、ときにはこの朝日歌壇にも登場する。夏には故郷広島の原爆を詠うことが多いのだが、今回はロスの盆踊とは、平和である。
 いっぽうの大竹博君は、昨年から詠み始めた。そして幾久子さんのご指導よろしいせいかどうか知らぬが、朝日歌壇にこれで3首目の入選である。月曜日の新聞を楽しみにしている。

 大竹博君はわたしの大学山岳部同期生であり、専門は電子工学で、宇宙ロケットを飛ばす仕事に携わっていたアメリカに居付いてしまった。その山男ロケットマンが今は歌人とは、人の才能は分からぬものである。
 ならば、わたしにもその才が潜んでいないこともあるまいと、ひそかに歌を詠む。いつかわたしも朝日歌壇に登場するぞ。
 というわけで、大竹夫妻に便乗して近作一挙公開だあ~。

  基地原発火山海嘯遠くして地震まれなるふるさとに豪雨  
  被災の地「まきびまち」と読みてをれば 
            テレビラジヲは「まびちゃう」と言ふ
  古も大水害のありぬべし吉備真備は施策なせしや  
  昨日今日天然空気で暮らせども熱中するには至らず候
  暑ぢちちち暑暑暑暑暑熱い焼け死に給ふな恋人たちよ
  ねがはくは熱に中りて夏死なむその八月の真中真昼に
  生命に関わる豪雨猛暑とて避難するべし安全なあの世へ
                 (まちもり散人)

関連記事;カリフォルニア歌人
https://datey.blogspot.com/2013/01/705.html
 

2018/08/05

1155【言葉の酔時記:裸淫】SNS「LINE」を始めたが英語かと思ってたら発音が違うから日本語らしい

 「LINE」ってご存知ですか?、英語のlineかと思っていたら、発音が『裸淫↑』だから、どうも日本語らしい。
 SNSの「LINE」なるモノを、1ヶ月ほど前から始めた。ただしスマートフォンを持っていないから、PC上である。
 始めた動機は、単なる好奇心であって、使う必要があるか分らぬし、使い方もまだ分らない。まあ、フェイスバカの親戚みたいなもんだろうから、徐々に分るだろう。

 幼児が玩具に初めて触る時って、今の私みたいなもんだろうと思う。目の前になにか面白うそうなものが転がっているなあ、なんだろ、とりあえずゴロゴロいじくって見るか、お、こんなことができるんだ、そんなところである。でも、すぐ飽きて放り出すかもしれない。
 5年ほど前に始めたフェイスバカを、1年たらずで放り出しそうになったがなんとか持ち直して、もう4年ほども玩具にしている。
 それ比べて1年ほどのツイッタ―はつまらなくて、ほとんど放り出している。

 ライン「友だち追加」画面をみれば、人名がずらずらと登場している。見も知らぬ人が多いが、どうしてここに出てくるのだろうか。
 知っている人も多いが、かなり長くご無沙汰の人たちが多いのが、なんとも不思議である。いまさら裸淫友だちになるのも気恥ずかしい。

 中に一人、日頃よく一緒に遊ぶ友人の奥方の名がある。もちろん存じ上げているが、友人当人じゃなくて奥方だけってのは、なんでだろうか。
 いったい、裸淫屋はどんな基準で、ここに友だち候補者を登場させているのだろうか。

 息子がやってきたので、君はラインに登録しているかと聞くと、しているという。では、なぜここに登場しないのだろうか。とりあえず息子に、第1号ライン友人になってもらった。
 一昨日、大学での同研究室同期生の親しい知人が登場したので、第2号ライン友人となってもらった。
 ということで、ただ今3人友だち同士の超ミニソーシャルネットである。

 ところで、LINEの発音だが、当然のことに「イン」と発音するとばかり思っていたら、たまたまラジオで「ラいん↑」と、後にアクセントをおいて発音するのを聞いた。「裸淫」かよ~。
 そう言えば、「ライン河」も「裸淫河」と発音するなあ、ドイツ語ではLINEじゃなくて、「RHEIN」で「イン」だけどね。

 どうも関東東北方言は、しり上がりアクセントの傾向がある。それをコンピューターがらみの英語でやるからおかしい。もちろんアクセント無しの平板な発音もある。
 例えば、「WORD」を「ワー」(和銅かよ)、「NET」を「ネッ」(熱湯かよ)、「SERVER」を「サーばー」(鯖かよ)、「BLOG」を「ブろぐ」(付録かよ)、「LINK]を「リんく」(臨空かよ)などなど。
 これについては「珍迷解IT用語アホバカ訳語辞典」であげつらっているので、そちらをどうぞ。

2018/08/01

1154【フェイスバカ2018年7月後半】逆走台風、故郷大水害 酷暑の日々、日本橋、熱中したい、認知症になりたい

7月16日【真備町大水害】
被災の地「まきびまち」と読みておれば
テレビラヂヲは「まびちょう」と言う

古も大水害のありぬべし吉備真備は施策なせしや

7月16日【O.R女史】
昨日、ある公民館に、ある講演を聴きに行った。休憩時間に講師に教えを乞いたいことあり、初対面の挨拶したら笑われた。「もう、何回かお会いしていますわよ」と、会った場所まで言われて、ウワッ、でも思い出せなくて平謝り、戻って日記と名刺を検索したら、一昨年11月に久が原で会っていた証拠発見、ウ~ム、具合悪いことは歳のせいにしよう、いつものように。いや、今なら暑さのせいにできるな。

7月17日【熱中症】
暑いと熱中になるとウェブニュースにある。これ幸いと暑い今日は、昼寝に熱中しようと頑張ったが、暑くて眠れない。フェイクニュースであったか。

7月17日【言葉の酔時記:認知症】
ちかごろ、老人に「認知症」が流行と聞く。「不認知症」と言わないから、物事の認知能力がどんどん向上する症状だろう。わたしも老人だから、早く認知症に感染したいな。

7月18日【将棋の王様】
棋聖王将棋王王座王位叡王竜王名人王様だらけの将棋界ってヘンナの~権威ないね

7月18日【大水害とオリパラ】
熊本と大阪で大震災、西日本で大水害、、来年再来年もなにか災害があるはず、それでもオリパラをやめたくないので、オモテナシ代として各参加選手から参加料1千万円、各観客から観覧料5万円をいただきます、よろしく。

7月19日【またぞろ東京日本橋の首都高を取っ払う話】
熊五郎:東京の日本橋の上に架かる首都高の高架を、地下に埋める計画中って話を新聞で読みましたよ。
ご隠居:ああ、そうだね、日本橋の話は10年ほど前にもあったね、でもねえ、わたしはどうして日本橋のところだけなんだろうかと不思議なんだよ、あそこが特に住宅が多くて公害問題があるとも聞かないよね。他に問題あるところも多いはずだよ。
熊:天下に名高いお江戸日本橋の上を通るのがケシカラン、重要文化財の日本橋の景観が悪いとか、もう老朽化してきたとかってね。
隠:でも老朽化は他もいっぱいあるよ、なんで日本橋なんだよ。
熊:ははん、その重文を鼻にかけた権威主義的な理由づけが気にくわないんでしょ、ご隠居は。
隠:そうだよ、わたしはずいぶん前から言ってるよ、あのあたりの高速道路を地下にしても、日本橋の上だけは記念建造物として高架構造物を保全せよってね。
参照⇒日本橋高架撤去反対論http://datey.blogspot.com/2012/04/605.html
熊:ウワッ、そりゃまたどうして?
隠:わたしは学生の時に、あの高速道路をつくるために、真っ黒に汚れた日本橋川に基礎杭を打ち込んでいるところに出くわしたんだよ。で、1964年の東京オリンピックに間にあわせてできたんだ。だからね、あの悲惨な戦後から高度成長へと、ようやく日本が歩み出す時代の象徴的な記念物だよ、
熊:不細工だから撤去せよと言われても、今やそれ自体が文化的記念碑だって言いたいのですか。それが求められる時代を経て今がある、軽々しく扱ってはいけないんですね。
隠:そうだよ、下の日本橋は1911年だから、日本が近代化を歩み出す時代の象徴だ、ふたつの象徴的な構造物が重なっているのが重要なんだよ。
熊:なるほど。それって前にご隠居が唱えていた東京駅復原反対論に似てますね。
隠:そう、それとセットにして1990年頃から言ってるんだよ。東京駅は負けたけど、こっちもまた負けるかな。まあ、実はあの上を取っ払っても、たいした景観が現れはしないんだけどね。(参照⇒日本橋景観戯造gif)
熊:日本橋川の上を地下にするのなら、横浜都心にある中村川の上と石川町ジャンクションを地下にしてもらいたいですね。

7月19日【大水害と大爆発】
これって大水害の陰に隠れて、報道がほとんどないけど、2011年東日本大震災時に福島原発が、核毒をばらまいたと同じだなあ、その後どうしてるのかなあ?

7月19日【暑さのせい】
暑い、でも風があるからクーラーつけずに、昼寝をむさぼってると、電話着信音で起され、画面には今日会う約束の知人の名、時計を見れば約束時間を40分も過ぎている、平謝りして出かけたが、これは暑さのせいだな、歳のせいじゃないな。

7月20日【老化PC】
PCのセブンちゃんの寝起きが悪い。「開始できませんでした」とて、スタートアップ修復なるモノを勝手に動かして、「これには数分かかることがあります」なんて言ってるのに、35分もかかってしまったぞ、お前も暑さにやられたな、まさか歳のせいじゃないよな、まだ6歳だもん、暑い。

7月21日【酷暑詠】
昨日今日天然空気で暮らせども熱中するには至らず候

華の100度の天然気温 空中陋屋天然生活
趣味と昼寝に熱中し これがほんとの熱中症

7月22日【酷暑詠】
暑ぢちちち暑暑暑暑暑暑い焼け死に給うな恋人たちよ
(この歌1音違いで自分のこと)

7月23日【オリパラマスコット名称】
どうでもいいのだけど、「木乃伊永遠」と「総酩酊」って、なんのことかなあ。

7月25日【気温ランキング:高梁2位】
気象庁発表の今日7月25日の気温ランキングに、わたしの故郷高梁は堂々の銀メダル、ガンバレタカハシ!
1 山口県山口市 38.8度C
2 岡山県高梁市 38.7
3 広島県安芸太田町 38.6
4 高知県四万十市 38.5
4 京都府中京区 38.5

7月28日【言葉の酔時記:バーガー屋の詫び広告】
このお詫びの仕方って、マックバーガー屋は官庁かい、謝りゃいいんでしょって態度。
面白いなあ、屑肉バーガーも塊肉バーガーも、値段は同じなんですね、だって屑肉バーガー食った客に詫びるのじゃなくて、宣伝文句を一緒にしたのを、お役所から叱られたので、しょうがないから詫てますって、そんな空気がありありと伝わってくるもんね。
あ、もしかしたら、塊肉よりも屑固めた肉の方が高価なのかあ、そうかそうか。

7月29日【逆走台風】 
まさかもうひとまわりして、再度やって来るんじゃないでしょうね、12号さん、、

と思ったら、そうでもなかった。

列島を串刺し台風襲い来る 避難するべし列島外へ
(列島外とはあの世のこと)

2018/07/29

1153【言葉の酔時記:柱】アメリカ軍兵士の遺骨を「柱」と数えて日本神道の神様にしちゃってよいのかしら

 トラ・キムトップ会談で、朝鮮戦争で死んで現地埋葬されているアメリカ軍兵士の遺骨を、アメリカに渡すという記事がある。
日本軍兵士の遺骨も、アジア・太平洋地域の戦場に置き去りのままが無数にあるようだが、いちおう戦争そのものは終結している。
 ところが朝鮮戦争は1953年に休戦協定をしたままで、いまだに戦時中であるという。休戦中とはいえ、戦場から遺骨を引き揚げることにはいろ難しいことがあるだろうと思う。

 朝鮮戦争と言えば、1950年に始まって、その国連軍の兵站基地となった日本は、戦争景気に沸いておかげで戦争のどん底疲弊から復興ができた。
 他人の不幸を足場にして崖下から這いあがったのが、戦後日本だった。

 話はそのことではなくて、アメリカ軍兵士に遺骨の数え方のことである。このニュースは朝日新聞の記事に何度も出てきているが、例えば「約150柱の遺骨」というように、いつも遺骨を「柱」という数え方をしている。これにわたしは引っ掛かるのである。
 わたしは生まれが神社であったから、神の数え方が「ひとはしら」、「ふた柱」ということは、小さい時から常識として知っていた。そしてまた、そんなことを知っている人は、ほとんどいないだろうと思っていた。
 キリスト教やムスリムは一神教だから、神の数を数えることはありえない。仏教で使わない(はず)だから、これは神道専用言葉である。

 日本では昔から死者の霊を神とすることもあるが、遺骨をそう数えることはなかった。そもそも神という抽象的なものを数えることに使うのは分かるが、遺骨という具体的な物体に適用はかなり違和感がある。
 具体的実例を書く。わたしの生れた家は宮司を職業としていたから、先祖から家族の死者の霊を神として祀っていた。神社境内に小さな祠があり、「霊神社」とよんでいた。わたしの父が亡くなった時に、ここに霊神として祀った。遺骨は別の墓地にある。
 これら霊神として祀った霊は、「柱」と数える。それはこの霊神社に祀った霊に対してのみであり、本来埋葬してある墓(奥津城といった)の遺骨をそう数えることも、先祖の数をそのように勘定することもない。
 
 もちろんこの数え方は神道という宗教の世界のことであり、そのほかの宗教にはかかわりのないことであった。
 ネットでマスメディアたちがどう数えているか検索してみたらいろいろだが、記事の発信元が同じメディアもあるかもしれない。
 朝日新聞「約150の遺骨」、産経新聞「米兵遺骨55柱」、東京新聞「米兵の遺骨55柱」、時事「遺骨は約55柱」、共同通信「米兵の遺骨55柱」、CNN「55柱の遺骨」、赤旗「約5300の遺骨」、読売新聞「米兵200人の遺骨」、NHK「55人分の遺骨」、毎日新聞「遺骨55」、ニューズウィーク日本版「55の小さな箱」、ロイター「55個の小さな箱」
 
 では、どうして今の新聞に、このような日本神道の固有用語が登場するのであろうか。遺骨という物体、しかも棒状でない物をもって「柱」と数える言葉感覚には、どうにもなじめない。どうしてこう書かれているのか、推察してみる。
 近代戦争中の日本国家が、戦場で死んだ兵たちの霊を神として祀ることで、名誉を付与する仕掛けをつくりあげた。これは死者となるべき生きている兵士たちを鼓舞して戦場に送りこむ仕掛けであり、遺された者たちの悲しみを和らげるための仕掛けであった。
 それが今に見る東京九段の靖国神社という装置である。

 そのあまりにも戦死者が多く、余りにも多くの霊が神にされたものだから、神を「柱」と数えることが、神道儀式を通じて多くの人に知られたのだろう。その結果、戦死者の霊のほかにも、遺体も遺骨も霊もひっくるめて「柱」と数えるものだと、誤解が生じたのであろう。記者もそのひとりだろう。
 そう言えば、南方戦線に取り残された日本兵士遺骨の収集に関する記事を以前に読んで、遺骨を「柱」と数えた記事を見て違和感を持ったことがある。

 だがこれは神道という宗教界のことだから、例えばキリスト教徒の戦死者の霊が神として靖国神社に一方的に祀られることに対する異議がだされたように、当然のことにそれらの死者の霊を遺族は「柱」と数えてはいないだろう。
 仏教徒の遺族から異議は出ないのだろうか、それとも靖国神社に戦死者の霊はすべて祀られているとの前提で、記者は記事を書くのだろうか。
 アメリカ軍兵士の遺骨を「柱」とかぞえるのは、その死者の霊を神道の神として祀ったことを意味する。つまり、アメリカにも靖国神社の分社があって、アメリカ兵の戦死者の霊を神として祀っってある……、なんてことがあるはずがない。

 一部の右よりメディアは意識して、戦死者の霊も遺体も遺骨も一括して「神」として数えているのかもしれない。一神教の国アメリカから抗議が来るかも、。
 わたしは言語や民俗学の専門的な知識はないが、マスメディアの記者たちの困惑というか、無知が見えるような気がする。

2018/07/27

1152【古書を捨てる前に・1】江戸末期生花入門ハウツー本「生花早満奈飛第二篇」は曾祖母の遺品か?

 蔵書の整理処分をサボっている。本をゴミに出すことはさすがにできない。
 3年前に知人たちに差し上げて、ほぼ半分にしたが、その後は進まない。次々に毎日読んでは捨てるつもりだが、読む気力がなくなった自分に暑い寒い眠いと言い訳する。
 ここに古書蔵書とのお別れの言葉を連ねると、ゴミにして棄てる気になるかもしれないと思いついたので、【古書を捨てる前に】シリーズで書いていくことにした。

 古本と古書の違いの定義を知らないが、感覚的には「古本」と言えばセコンドハンドブックとして、新本でも購入した途端に古本になる感がある。
 それに対して「古書」と言えば、少なくとも半世紀くらい、いや30年前でもいいか、それくらい昔に出版した本であるべきのような気がするし、何やら貴重な感じがする。
 ということで、わが古書の話である。もっとも、わたしはモノを収集する癖はないので、たまたま何冊かの古書があるという程度である。

 中で最も昔の本は、奥付けに「天保6乙未年正月発行」とある。歴史年表を見ると1835年の江戸末期、この本は約180年まえのものである。
その頃の日本での主な事件は、1930年から37年にかけて天保大飢饉、1937年に大塩平八郎の乱、39年には蛮社の獄事件、41年から水野忠邦による天保改革などがある。外国では中国でアヘン戦争が起きたのが1840年。

 そのタイトルは「生花早満奈飛二篇」、読み方は振り仮名があって「いけばなはやまなび」とて、「生花早学」ともある。
 縦175ミリ、横12ミリ、和紙24枚二つ折り、和綴じ、木版刷、かなり古びている題簽は擦れていて文字が切れ切れである。中身は前頁そろっている。
 ネット「日本の古本屋」で調べると、これは全10巻がその頃に発行されていて、わたしのはその第2篇であるようだ。10巻揃いで85000円、一冊だけなら1500円の値がついている。国会図書館サイトには、第7編だけが載っている。

 著者は、序文の末尾に「壬寅の夏 真萩菴老人」とある人だろうが、この壬寅は天保13年で1842年にあたる。奥付けに「天保6乙未年正月発行」とあるから、序文原稿が発行よりも7年も遅いのは、何故だろうか。

 その内容であるが、ざっと目を通してみたら、生花の入門ハウツー本らしい。筆書きをそのまま木版にしているので、漢字は何とか詠めるが、慣れないひらがなを読みにくい。
でも挿絵があるので比較的わかりやすい。
 現代の生花はどうなのかまったく知らないが、植物を対象にしているから、基本的なことは変わらないだろう。現代生花が植物だけを使うのでもなさそうなことは知っている。

この古書がわたしの手元にあるのは、父(1910~1995年)の遺品のひとつだからである。遺品の古書類の品の中から2冊だけ貰ってきたうちの古いほうの1冊である。
 父が購入したのではなくて、祖父(1865~1931年)からの遺品らしいと分るのは、中の2カ所に「増田氏」という四角な蔵書印らしきものを押してあるからだ。

 祖父は増田家に生まれたが、6歳で両親ともに没して伊達家の養子となったと、わたしは父から聞いている。増田姓の印の意味はどう考えるべきか。
 祖父が生れる前に発行の本だから、増田家にあった本を祖父が持って養家に入ったのだろうか。とすれば実父の増田平太(1871年没)が所持していた本だろうか。
 父の話によれば、わたしの曽祖父・増田平太は備中松山藩家臣の武士であるが、どこかに武者修行に出かけて、家庭を顧みない人であったという。とすれば、生花の趣味を持った人とは思えないが、その妻・定子(1869年没)に生花趣味あったのか。これはわたしの曾祖母の遺品であるか
 
 「伊達」との丸い認印が押してあるが、これはたぶん父だろう。もうひとつ父の仕業と思えるものとして、新聞の切り抜きがはさんである。
 記事は「花道美術全集 重森三玲著」全6部完成発行のニュースである。この本をネットで調べると1930年から32年にかけて発行したとあるから、この記事は1932年のことだろう。
 父は1931年にその父をうしなって家督相続して、高梁盆地の御前神社宮司となったが、宮司は生花を必要としたのだろうか。
 この古書を読んで勉強し、あるいは他の巻もあったのだろうか、更に勉強したくてこの全集を買ったのだろうか。だがわたしの記憶では父の蔵書にそれはなかった。

 わたしの記憶には、父が花を活けて社務所や自宅の床の間に飾っていた。少年のわたしは、父が座敷で生花にする植物を、切ったり立てたりして、生花のデザインを検討している姿をたびたび見ていたが、日常のこととして気にも留めなかった。 
 父の遺品にあった初年兵の時の軍隊日記(1931年)に、兵営と病院で生花をした記述があり、生花展覧会の写真もでてきて、そこではじめて父は生花を趣味としていたことをわたしは知ったのだった。

 ご先祖さまから伝わった古書だが、だれも読まないし、私も特に読みたいとも思わないし、もうこの本も捨てる時が来たようである。(つづく)