乗用車に乗って(正確には乗せてもらって)、公共交通機関のない近距離範囲をうろうろと乗り降りするのは便利で良いのだが、遠出の旅で何十、何百kmも長距離を走るのは大嫌いである。
棺桶みたいなあの狭いところに閉じ込められて、景色はろくに見えず、本は読めないし、運転してくれている人のてまえ居眠りはできないし、ましてや酒も飲めない。腰は痛くなるし、肩はこる。煙草を吸うヤツと同乗したら悲劇である。
運転してくれる人にいつも恐縮なので、なんとも心詰まりな旅となる。
すぐそばをビュ~ンとトラックが走ると怖くて怖くて、このまま文字通り棺桶になるおそれは十分にあるし、現実に毎日そのニュースがマスメディアに載る。
そんな旅のどこが面白いのか。旅は鉄道に限る。
◆◆
で、民主党政権の高速道路走行料金無料政策である。もうこのサイトに何度も書いたような気がするが、気に食わないので何度でも書く。
今日も今日とて新聞によれば、この無料化のためになんとまあ6千億円もの国家予算をつぎ込むのだそうだ。とりあえず社会実験用の金で、本格的になれば更に厖大となる。
そのなかには超少額ながらもわたしが納めた税金も入っているのが、なんとも腹立たしい。
それを無料にするなら、なぜ鉄道料金も無料にしないのか、不公平きわまる。
長距離輸送料金を税負担として個別利用者負担にしない国家政策ならば、鉄道のほうが利用者の数が断然多いから、鉄道料金無料化のほうがはるかに政策効果が高いはずだ。
誰もがおかしいと思うのが普通だろう。
◆◆
一般に、有料の施設と無料の施設とでは利用者の使い方に差が出て、無料の施設は汚され壊されやすいものとなる。無料高速道路はゴミと落書きだらけになるでしょうな。
犯罪も高速道路利用が便利なところで発生しやすいという。犯人は逃げやすくなるのだ。タダになれば無チェックで走れるから、なおさら犯罪促進だろう。
ただになったらあちこちに出入り口ができて、そのあたりに怪しげな店やら遊び場やら広告やらが立ち並び、日本の風景はドンドン悪化するに違いない。だって、民主党の公約に、高速道路出入り口あたりをどんどん開発するって、長妻ナントカさんが動画でそうしゃべってるんだもの。参照→167時代遅れの民主党公約
ところで、高速道路の無料化って、そんなにありがたいものなんですか? だって、今の休日千円って、いつもなら高い料金なのに休日だけは千円だってところに魅力があるんでしょ? 毎日どこでもタダなら、何のありがたみも無いでしょうに、、。
2009/10/16
2009/10/14
190【世相戯評】税金振り込みスギ事件
鎌倉市から、「過誤納金還付通知書等の送付について」と変な題名の書類が手紙で来た。
なんと家屋の固定資産税を、計算間違いで取りすぎていたので返してやるから、「市税過誤納金・返還金振替依頼書」を送れ、そうしたら金を振り込んでやる、というのである。
なんでも、毎年の家屋の評価替えで、25年経過したら当初評価額の20パーセントの下限値になり、以後は建築物価変動割合を乗じて評価し、それを元に固定資産税をかけるのであるが、1998年以来変動割合が下落していたのに、それを計算に入れないままであったのだそうだ。だから税金を取りすぎたことになったのだ。
鎌倉市でそれに最近気がついたらしく、取り過ぎ分を返すというのである。
わたしの家の場合は、1978年新築から2002年に25年経って下限値となり、以後2003年度から2008年度まで6年分が、税金の取られ過ぎである。
沢山ある書類のなかに、2003年度と04年度分の取り過ぎ分は、地方税法で時効となってしまって「還付不能となりますので過誤納金相当額を支払います」と書いてある。
つまり、「間違って取ったけどけど、実は法律ではもう返せない、でもここは特別にそれと同じ額を払ってやる」ってことらしい。
小さな木造の家だからたいした額ではないが、利子がつかないのはどうしてだろうか。
◆◆
鎌倉市全体での件数や金額がどれくらいか知らないが、この還付手続きのために結構な費用がかかっているだろう。こういう責任は誰がとるのだろうか。
役所言葉で気に食わないのは、「過誤納金」である。これでは納めたこちらに過誤があるみたいだ。ここは「過誤徴収金」と書くのが正しい日本語であろう。
笑ったのは、書類の一番下に「振り込め詐欺、還付金詐欺にご注意を、市役所から電話で銀行ATMの操作を依頼するようなことは一切ありません」と書いてあることだ。
この税金取り過ぎ事件そのものが、市役所が犯人の振り込め詐欺事件だった(振り込み過ぎ事件か)、みたいであるよなあ、、。
なんと家屋の固定資産税を、計算間違いで取りすぎていたので返してやるから、「市税過誤納金・返還金振替依頼書」を送れ、そうしたら金を振り込んでやる、というのである。
なんでも、毎年の家屋の評価替えで、25年経過したら当初評価額の20パーセントの下限値になり、以後は建築物価変動割合を乗じて評価し、それを元に固定資産税をかけるのであるが、1998年以来変動割合が下落していたのに、それを計算に入れないままであったのだそうだ。だから税金を取りすぎたことになったのだ。
鎌倉市でそれに最近気がついたらしく、取り過ぎ分を返すというのである。
わたしの家の場合は、1978年新築から2002年に25年経って下限値となり、以後2003年度から2008年度まで6年分が、税金の取られ過ぎである。
沢山ある書類のなかに、2003年度と04年度分の取り過ぎ分は、地方税法で時効となってしまって「還付不能となりますので過誤納金相当額を支払います」と書いてある。
つまり、「間違って取ったけどけど、実は法律ではもう返せない、でもここは特別にそれと同じ額を払ってやる」ってことらしい。
小さな木造の家だからたいした額ではないが、利子がつかないのはどうしてだろうか。
◆◆
鎌倉市全体での件数や金額がどれくらいか知らないが、この還付手続きのために結構な費用がかかっているだろう。こういう責任は誰がとるのだろうか。
役所言葉で気に食わないのは、「過誤納金」である。これでは納めたこちらに過誤があるみたいだ。ここは「過誤徴収金」と書くのが正しい日本語であろう。
笑ったのは、書類の一番下に「振り込め詐欺、還付金詐欺にご注意を、市役所から電話で銀行ATMの操作を依頼するようなことは一切ありません」と書いてあることだ。
この税金取り過ぎ事件そのものが、市役所が犯人の振り込め詐欺事件だった(振り込み過ぎ事件か)、みたいであるよなあ、、。
2009/10/09
189【建築家・山口文象】町田市博物館37年目の訪問
今から37年前に竣工した町田市博物館をはじめて訪問した。その建物の設計者は山口文象である。
40年前、わたしは山口が社長のRIAに所属していて、その博物館の設計を山口のデザインの指示に従って忠実に実施設計図面にする作業を、新入り間もない若手の二人とやったのであった。
その若手のひとりは後に三代目の社長となった。
実は、わたしは実施図面は描いたが、現場に行ったことが一度もなかったのである。
歳とってくると、“思いついたらすぐやる主義”になって(つまりぐずぐずしていると人生の機会を逃すのだ)、これもそのひとつで、行ってきたのだ。
図面と竣功写真を見ているから、現場のスケール観に違和感はなかったし、さすが山口の建築はプロポーションが良い。
ところどころヘンに不恰好なところがあるので、よく見ると後に付け足したり、修理したところである。
例えば入り口の大きな庇の軒先に、大きな箱型の雨樋を回しているのだが、実に不恰好きわまる。
わたしの記憶では、屋根を下ってくる雨は軒先の手前で屋根に溝をつけて樋にしていたのだが、その溝の先にもいくぶんか屋根があるので、そこの雨が軒先に直接落ちてくるのを増設雨樋で受けるようにしたらしい。軒先をシャープにしたかったのだが、ちょっとわたしの細部設計が甘かったか。
大きな変化は、壁面や軒裏のほとんどがコンクリート打ち放しにしていたのに、改修で全部に白い塗装が吹きつけてあるのだ。これで全体にシャープさがうすれて甘い感じなった。説明をしてくれた若い館員も、そう感じていると言っていた。
開館当初は町田郷土資料館といっていたが、今は町田市博物館となっている。郷土資料館系の出土品等は一部を管理しているが、とてもここだけでは不可能なほど大量にあるのだそうで、別に資料庫を作っているとのこと。
これは山口文象の晩年の作品であり、わたしの思うに、RIAにおける山口文象が直接手を下した最後の作品であろう。
晩年の山口文象作品は、大屋根がいつも基本モチーフとなっている。岡崎市にある是の寺はその典型例であり、京都岩倉にある平安教会もそうである。.JPG)
町田市博物館の大屋根は、すぐそばの史跡公園にある復元した縄文時代住居の茅葺大屋根と呼応しているかに見える。
実は戦中に設計した山口自邸は大屋根である。
参照:山口文象+初期RIAアーカイブス
https://bunzo-ria.blogspot.com/p/buzo-0.html
40年前、わたしは山口が社長のRIAに所属していて、その博物館の設計を山口のデザインの指示に従って忠実に実施設計図面にする作業を、新入り間もない若手の二人とやったのであった。
実は、わたしは実施図面は描いたが、現場に行ったことが一度もなかったのである。
歳とってくると、“思いついたらすぐやる主義”になって(つまりぐずぐずしていると人生の機会を逃すのだ)、これもそのひとつで、行ってきたのだ。
図面と竣功写真を見ているから、現場のスケール観に違和感はなかったし、さすが山口の建築はプロポーションが良い。
ところどころヘンに不恰好なところがあるので、よく見ると後に付け足したり、修理したところである。
例えば入り口の大きな庇の軒先に、大きな箱型の雨樋を回しているのだが、実に不恰好きわまる。
わたしの記憶では、屋根を下ってくる雨は軒先の手前で屋根に溝をつけて樋にしていたのだが、その溝の先にもいくぶんか屋根があるので、そこの雨が軒先に直接落ちてくるのを増設雨樋で受けるようにしたらしい。軒先をシャープにしたかったのだが、ちょっとわたしの細部設計が甘かったか。
大きな変化は、壁面や軒裏のほとんどがコンクリート打ち放しにしていたのに、改修で全部に白い塗装が吹きつけてあるのだ。これで全体にシャープさがうすれて甘い感じなった。説明をしてくれた若い館員も、そう感じていると言っていた。
開館当初は町田郷土資料館といっていたが、今は町田市博物館となっている。郷土資料館系の出土品等は一部を管理しているが、とてもここだけでは不可能なほど大量にあるのだそうで、別に資料庫を作っているとのこと。
これは山口文象の晩年の作品であり、わたしの思うに、RIAにおける山口文象が直接手を下した最後の作品であろう。
晩年の山口文象作品は、大屋根がいつも基本モチーフとなっている。岡崎市にある是の寺はその典型例であり、京都岩倉にある平安教会もそうである。
町田市博物館の大屋根は、すぐそばの史跡公園にある復元した縄文時代住居の茅葺大屋根と呼応しているかに見える。
実は戦中に設計した山口自邸は大屋根である。
参照:山口文象+初期RIAアーカイブス
https://bunzo-ria.blogspot.com/p/buzo-0.html
2009/10/04
188【言葉の酔時記】女子、女性、女流
女のテニス選手やゴルファーの誰やらが引退したとか優勝したとかニュースである。それが誰でも一向に興味はないのだが、気になるのは、どうして女のスポーツプレイヤーは「女子」なんだろうか。なぜ、女流とか女性とか言わないのか。
女の小説家を女流作家というが、女子作家とは言わない。ついでに、作家というと小説家を意味するのも不思議である。美術作家も建築作家もいるのに。
女の歌人や俳人は女流かな、能役者も女流能楽師か、古典的な代物は女流というのかもなあ、いや、娘浄瑠璃とか女義太夫と言うなあ、わからん、漫画家やイラストレーターはどうなんだろうか。
女流建築家ということもあるような気がするが、女性建築家というほうが普通かもしれない。UIFAという国際組織があるが、この日本支部は、国際女性建築家会議という。
女子アナと電車の吊り下げ週刊誌広告に書いてあるのは何のことかと思ったら、女のアナウンサーのことらしい。なんで女性アナ、女流アナでないのか。
囲碁将棋では、女子棋士ではなくて女流棋士とか言ったような。スポーツは女子でゲームは女流かしら。
女子社員なんていうが、女流社員とは言わないなあ。帰国子女って、あれはなんだろうね。
なんとなく女子→女性→女流の順で、格が上になっていくような感がある。ついでに、新聞では、女とあれば悪いやつで、悪くないのは女性と書くのも不思議である。
ところで、男子、男性とは言うが、男流とは言わないのはどうしてだろうか。男流作家とか男流棋士とか言ってもよさそうなのに。
芸人的世界では男は当たり前なので、わざわざ言う必要がないということかしら、でもそうかなあ、今や小説書きは女の方が多いかも、。多いほうに短称優先権があるなら、そのうちに作家とは女のことで、男は男流作家というようになるかもしれない。
俳優のみが男優と女優と両方を区別するのは、映画や演劇では男女同じ数だけ俳優は必要だからか。それなら、なおさら分けて言う必要もなさそうだが。
そういえば、病院ではちょっとまえまでは看護婦がいた。それがいまは看護師に統一されたということは、そのまえは男子看護婦とか看護夫と言っていたのだろうか。
女の小説家を女流作家というが、女子作家とは言わない。ついでに、作家というと小説家を意味するのも不思議である。美術作家も建築作家もいるのに。
女の歌人や俳人は女流かな、能役者も女流能楽師か、古典的な代物は女流というのかもなあ、いや、娘浄瑠璃とか女義太夫と言うなあ、わからん、漫画家やイラストレーターはどうなんだろうか。
女流建築家ということもあるような気がするが、女性建築家というほうが普通かもしれない。UIFAという国際組織があるが、この日本支部は、国際女性建築家会議という。
女子アナと電車の吊り下げ週刊誌広告に書いてあるのは何のことかと思ったら、女のアナウンサーのことらしい。なんで女性アナ、女流アナでないのか。
囲碁将棋では、女子棋士ではなくて女流棋士とか言ったような。スポーツは女子でゲームは女流かしら。
女子社員なんていうが、女流社員とは言わないなあ。帰国子女って、あれはなんだろうね。
なんとなく女子→女性→女流の順で、格が上になっていくような感がある。ついでに、新聞では、女とあれば悪いやつで、悪くないのは女性と書くのも不思議である。
ところで、男子、男性とは言うが、男流とは言わないのはどうしてだろうか。男流作家とか男流棋士とか言ってもよさそうなのに。
芸人的世界では男は当たり前なので、わざわざ言う必要がないということかしら、でもそうかなあ、今や小説書きは女の方が多いかも、。多いほうに短称優先権があるなら、そのうちに作家とは女のことで、男は男流作家というようになるかもしれない。
俳優のみが男優と女優と両方を区別するのは、映画や演劇では男女同じ数だけ俳優は必要だからか。それなら、なおさら分けて言う必要もなさそうだが。
そういえば、病院ではちょっとまえまでは看護婦がいた。それがいまは看護師に統一されたということは、そのまえは男子看護婦とか看護夫と言っていたのだろうか。
2009/10/01
187【世相戯評】民主党の居住・住宅政策は?
9月から国交省に民主党の大臣が座って、ダムやら道路やらちょっと目先の派手な話題ばかりだが、もっとも基本的な居住政策については、なにか変えてくれるのだろうか。
日本では55年体制の自民党政権下では、基本的人権としての社会政策であるべき居住政策が存在しなくて、住宅政策という経済政策で住むところをつくってきたのである。
居住政策は持ち家建設促進政策という経済政策であって、ちょっと景気が悪くなるとローン優遇なる借金政策を進めるのである。借金で持ち家にしないと、屋根の下に暮らせない政策なのである。
その結果は、日本人の家庭はどこでも大借金返済を数十年もかけて、ほかの生活費を犠牲にして暮らしているのである。
生存権という基本的人権のひとつの居住の場を、借金で買い取らなければならないという奇妙なことが、先進国といわれる日本では起きている。
だから、今の100年に一度のような不況が来ると、目に見えてその矛盾があらわれて、住宅戸数は統計上では十分に足りているのに、借金が返せなくなって住宅が無い人が出てくるのである。
では借家に入ればよいはずだが、日本では借家には全くといってよいほど促進政策がないのである。だから狭くて環境の悪い高家賃の賃貸借住宅しか、一般向けには無いのである。
低家賃の公営賃貸借住宅はもうほとんど建設をしないから、なかなか入れない。公社や都市機構(UR)のような公的賃貸住宅も新規建設をやめて、しかも現在の賃貸住宅の家賃を民間なみに高額にしているのである。
全くこの国は、人間の居住権という基本的なところに政策が欠けていることおびただしい。
◆◆◆
そして今日(2009.9.30)の朝日新聞には、賃貸借住宅の家賃滞納者のブラックリストを作って、その者の入居を排除するシステムを共有する家賃保証会社の団体ができるとある。
ちょっとでも滞納すると業界に知れわたって、家を借りることができなくなるのだそうだ。なんだかサラ金みたいである。
そんなことをすると社会的にまずい、という家賃保証業界の同業者もいるし、弱者救済活動をしている人は反対を表明している。
「連帯保証人を見つけられない低所得者が増えたうえ、滞納を避けたい家主側の需要もあり、(家賃保証)業界は急成長。国土交通省によると全国で約70社。民間賃貸契約の約4割にかかわっているとのデータもある。民間信用調査会社の調べでは把握できる29社の売り上げは08年は約218億円で、2年前の2倍以上に達した」(asahi.com 2009年8月15日)
このように強気の業界状況からわかることは、家賃保証業界が成り立つほどに日本の賃貸借住宅市場において家賃滞納ケースが多くなってきていることと、賃貸借住宅業界はあいかわらず貸す方が借りるほうよりも強い立場を堅持しているということである。
家賃滞納で借家を追い出されて、別の貸家を借りようにもブラックリストに載っているので入居を断られ、行くところがなくて野宿者になる人が、これからどんどんでてくるのだろうか。
悲惨なアジア・太平洋戦争が終わって既に64年、衣食住のうち衣と食は戦後復興したが、住はいまだに戦後復興から置き去りなのである。
居住政策を経済政策担当の国交省ではなく、社会政策担当の厚生労働省の所管にしてはどうか。トンカチ屋ばかりの国交省には社会政策は無理である。
民主党さんよ、社民党と共にご努力いただき、賃貸借住宅促進策を展開していただくことを期待している。(090930)
日本では55年体制の自民党政権下では、基本的人権としての社会政策であるべき居住政策が存在しなくて、住宅政策という経済政策で住むところをつくってきたのである。
居住政策は持ち家建設促進政策という経済政策であって、ちょっと景気が悪くなるとローン優遇なる借金政策を進めるのである。借金で持ち家にしないと、屋根の下に暮らせない政策なのである。
その結果は、日本人の家庭はどこでも大借金返済を数十年もかけて、ほかの生活費を犠牲にして暮らしているのである。
生存権という基本的人権のひとつの居住の場を、借金で買い取らなければならないという奇妙なことが、先進国といわれる日本では起きている。
だから、今の100年に一度のような不況が来ると、目に見えてその矛盾があらわれて、住宅戸数は統計上では十分に足りているのに、借金が返せなくなって住宅が無い人が出てくるのである。
では借家に入ればよいはずだが、日本では借家には全くといってよいほど促進政策がないのである。だから狭くて環境の悪い高家賃の賃貸借住宅しか、一般向けには無いのである。
低家賃の公営賃貸借住宅はもうほとんど建設をしないから、なかなか入れない。公社や都市機構(UR)のような公的賃貸住宅も新規建設をやめて、しかも現在の賃貸住宅の家賃を民間なみに高額にしているのである。
全くこの国は、人間の居住権という基本的なところに政策が欠けていることおびただしい。
◆◆◆
そして今日(2009.9.30)の朝日新聞には、賃貸借住宅の家賃滞納者のブラックリストを作って、その者の入居を排除するシステムを共有する家賃保証会社の団体ができるとある。
ちょっとでも滞納すると業界に知れわたって、家を借りることができなくなるのだそうだ。なんだかサラ金みたいである。
そんなことをすると社会的にまずい、という家賃保証業界の同業者もいるし、弱者救済活動をしている人は反対を表明している。
「連帯保証人を見つけられない低所得者が増えたうえ、滞納を避けたい家主側の需要もあり、(家賃保証)業界は急成長。国土交通省によると全国で約70社。民間賃貸契約の約4割にかかわっているとのデータもある。民間信用調査会社の調べでは把握できる29社の売り上げは08年は約218億円で、2年前の2倍以上に達した」(asahi.com 2009年8月15日)
このように強気の業界状況からわかることは、家賃保証業界が成り立つほどに日本の賃貸借住宅市場において家賃滞納ケースが多くなってきていることと、賃貸借住宅業界はあいかわらず貸す方が借りるほうよりも強い立場を堅持しているということである。
家賃滞納で借家を追い出されて、別の貸家を借りようにもブラックリストに載っているので入居を断られ、行くところがなくて野宿者になる人が、これからどんどんでてくるのだろうか。
悲惨なアジア・太平洋戦争が終わって既に64年、衣食住のうち衣と食は戦後復興したが、住はいまだに戦後復興から置き去りなのである。
居住政策を経済政策担当の国交省ではなく、社会政策担当の厚生労働省の所管にしてはどうか。トンカチ屋ばかりの国交省には社会政策は無理である。
民主党さんよ、社民党と共にご努力いただき、賃貸借住宅促進策を展開していただくことを期待している。(090930)
2009/09/30
186【世相戯評】東芝の不可解な広告
「王子さま、太陽の光をもっと上手につかえば、未来はもっと明るくなると思うんです」
イラストレーションは、サン=テグジュペリの「LE PETIT PRINCE」の挿絵をモディファイしている。
この広告主の東芝は、どういう頭の持ち主なのであろうか。
きっと地球人の科学技術信仰への皮肉としてこの広告を載せたのにちがいないと、わたしは思うのだ。
だがしかし、どうも東芝はまじめに森をパネルに置き換えたいと考えているようにも思える。
地球を大切にしたくないという意思を表明する、いまどき大胆というか、不可解な企業の広告である。
185【法末の四季】棚田で稲刈りが終わったがへとへと
棚田の稲刈りをこの前の週末2日間で終えた。3段に分かれた棚田の約700平方メートルの稲を、延11人が取り組んで、実働は10時間くらいで、全部をハサにかけた。

倒れている稲が6割くらいあって、腰を曲げて起こしつつ刈るのは骨が折れた。
更にまた、水が引いていないところが全体の2割くらいあって、ここでの稲刈りは、田の草取りと同様の難儀なことであった。
とにかく脚が泥田に取られて、簡単に移動できないのだ。
泥の中に倒れている稲を起こしつつかるのだが、刈った稲を泥の中に置くわけにも行かないので、畦まで持っていくのが一苦労である。

とにかく脚が泥田に取られて、簡単に移動できないのだ。
泥の中に倒れている稲を起こしつつかるのだが、刈った稲を泥の中に置くわけにも行かないので、畦まで持っていくのが一苦労である。
地元の人たちはコンバインでダダダ~ッと刈り取り・脱穀・稲藁裁断散布を同時にやっているが、わたしたちは昔流の手刈りだ。
しかし、手刈りだけだと2日間では終えることができないので、バインダーなる手押し刈り取り&結束機を借りてきて、一部は機械刈りとなった。
刈った稲を束ねて、背負ってハサ掛け場まで持って行き、ハサに下から順に乗せ掛けていくのだ。
この作業を一日中やっていると、次の日は背中と腰が猛烈に痛くなって、2~3日は起き上がれなくなる経験を3年前にした結果、いまではアミノバイタルなる筋肉疲労予防薬をあらかじめ飲んでから取りかかっている。どうやら効き目があるらしい。
今年はプロの田んぼも稲の倒壊が著しい。倒壊した稲を刈るコンバインは大型でないと、起こしながら刈ることができないのだそうだ。
機械が刈り取りやすいように、倒れた稲を一定方向に揃える人手もかかる。
機械が刈り取りやすいように、倒れた稲を一定方向に揃える人手もかかる。
ある地元の篤農の人の話では、稲のでき具合はそれほど悪くないのだがほとんど倒れたために、いつもは要らない大型コンバインを借りた損料や、人手が要ったための人件費などで、これも百年に一度の不況みたいに人生70年初めての天候のせいで、今年は稲作の儲けはゼロになったと嘆いていた。
ハサ掛けで乾燥した米を取り込んで、脱穀・籾摺・精米して飯となって口に入るのは、2週間後のお楽しみである。
2009/09/25
184【法末の四季】もうすぐ美味い新米が食えるぞ嬉しいなあ
今年は雨が多くて育ちが悪いのか良いのか、半分以上は育ちすぎて倒れているので、稲刈りが面倒そうである。いちいち起こしながらかるので、手間がかかるのである。
わたしたちの田んぼばかりではなく、米つくりプロの地元の人たちの田んぼでも、今年は稲が倒れているところが多い。
わたしたちは手で刈って、ハサ掛けして天日干を10日ばかりやった後に、脱穀・精米する。
田植えも手でやったし、草取りも這いつくばってやったし、そんな手間のかかることやっているのは、これが趣味だからである。
地元の人たちはコンバインなる機械で、ダーッと刈り取りから脱穀・稲藁を切り刻んで田に撒くところまでいっぺんにやってしまう。乾燥は機械で行なうのだ。
でも、集落内のところどころにハサ掛けもしているから、プロだって自分の食べる米は美味いのが良いと、ひと手間かけているらしい。
春の田植えからようやく口に入るときがやってきた。あと半月ほどである。
農作は天の導くままに1年がかりのサイクルでやるだけで、高度工業化しようと高度情報化しようと、急ぐこともゆっくりすることもできない。
2009/09/24
183【言葉の酔時記】仏事の経文と神事の祝詞
今朝の朝日新聞にお経の現代語訳を唱えているという坊さんの投稿が載っている。
わけの分からぬ言葉ではなく、しっかりと意味の通った現代日本語に翻訳して、仏前で唱えるのだそうである。
当然のことのように、年寄りにはありがたみがないと評判悪く、若者には評判が良いとのことである。
葬儀や法事などの訪問先の仏事で、坊さんのお経と唱和するようにと、葬式屋が経文パンフレットを渡してくれることが往々にしてある。
やむをえず周りに合わせて口だけ動かすまねをしつつ、この字をどうしてこう読むのかしら、解説を読んでどうしてこういう意味になるのかしら等とマジメに見ても、ほとんど意味を成さないのである。
どうも中国語でもなさそうなので、インド語のなまったのじゃあるまいかと思いつつ、それ以上の興味も湧かないでいる。
◆◆
では神事ではどうか。
こちらは祝詞(のりと)であるが、共通祝詞とイベントごとに作る祝詞とがある。
前者は「大祓詞」(おおはらえことば)とよばれて、万葉仮名による古文の日本語ではあるが、経文ほどではないがわからぬことには変わりはない。
後者は、読み下し漢文もどきの擬古文であるから、聞いていてほぼ何とかわかる。
経文も祝詞も特徴ある抑揚をつけて唱えるのは、なにか宗教的ヒーリング効果を狙っているのだろう。歌みたいなもので、うたっていると安らいできて、それがありがたみにつながるのだろう。これはキリスト教の賛美歌の類と全く同じだろう。
だから聞いていて意味がいちいちわかると、そのたびに頭が覚醒してしまうので困る、なんてことで、年寄りが抵抗するのは、年寄りとしてわかるような気がする。
わたしは経や祝詞などを唱えるような殊勝な心がけは全く無い。門内の小僧と違って、鳥居内の子は習わぬ祝詞は読めないのである。
しかしながら何事にも例外はある。昨年の母の葬儀では、父がこの日のために書き遺していた母への誄詞(れいし、死者へは祝詞ではなくこういうらしい)を、わたしが奏上した。糟糠の妻をたたえる言葉が連ねてあった。
わけの分からぬ言葉ではなく、しっかりと意味の通った現代日本語に翻訳して、仏前で唱えるのだそうである。
当然のことのように、年寄りにはありがたみがないと評判悪く、若者には評判が良いとのことである。
葬儀や法事などの訪問先の仏事で、坊さんのお経と唱和するようにと、葬式屋が経文パンフレットを渡してくれることが往々にしてある。
やむをえず周りに合わせて口だけ動かすまねをしつつ、この字をどうしてこう読むのかしら、解説を読んでどうしてこういう意味になるのかしら等とマジメに見ても、ほとんど意味を成さないのである。
どうも中国語でもなさそうなので、インド語のなまったのじゃあるまいかと思いつつ、それ以上の興味も湧かないでいる。
◆◆
では神事ではどうか。
こちらは祝詞(のりと)であるが、共通祝詞とイベントごとに作る祝詞とがある。
前者は「大祓詞」(おおはらえことば)とよばれて、万葉仮名による古文の日本語ではあるが、経文ほどではないがわからぬことには変わりはない。
後者は、読み下し漢文もどきの擬古文であるから、聞いていてほぼ何とかわかる。
経文も祝詞も特徴ある抑揚をつけて唱えるのは、なにか宗教的ヒーリング効果を狙っているのだろう。歌みたいなもので、うたっていると安らいできて、それがありがたみにつながるのだろう。これはキリスト教の賛美歌の類と全く同じだろう。
だから聞いていて意味がいちいちわかると、そのたびに頭が覚醒してしまうので困る、なんてことで、年寄りが抵抗するのは、年寄りとしてわかるような気がする。
わたしは経や祝詞などを唱えるような殊勝な心がけは全く無い。門内の小僧と違って、鳥居内の子は習わぬ祝詞は読めないのである。
しかしながら何事にも例外はある。昨年の母の葬儀では、父がこの日のために書き遺していた母への誄詞(れいし、死者へは祝詞ではなくこういうらしい)を、わたしが奏上した。糟糠の妻をたたえる言葉が連ねてあった。
2009/09/22
182【言葉の酔時記】ジェフリーアーチャーの小説に出てくるJapanese knotweedって変だよ
イギリスの大衆小説家ジェフリー・アーチャーJeffrey Howard Archerの『A Prisoner of Birth』なる三文小説を、今、ペーパーバックで読んでいる。
全615ページの349ページまできたところに、Japanese knotweedという単語が出てきた。
なにかわからないままに読み進むと植物らしく、それが土地に生えているとそこに建っている建物に地下茎が侵蝕していって、コンクリート建物でも知らぬ間に倒壊するほどになる、とあり、大阪でそのために集合住宅が倒壊した事件があって、それにちなんでの命名だと書いてある。
え、そんな危ない植物があるかしら、そんな事件あったっけ、聞いたこともない。
困ったときのウィキペディアで、検索してみるとなんとイタドリのことである。
イタドリとはスカンポともいって、その辺に生えている雑草で、わたしたちが子供のころは皮をむいて塩をつけて食った、あのただの雑草のことだそうである。
あんなものが家を倒すことは絶対にない。せいぜい道路舗装の割れ目が広がるくらいだ。
英語版Wikipediaを見ると、どうやらイギリスでは繁茂しすぎて困っている外来種植物で、駆除を進めているらしい。でも建物を倒すとは書いていない。
この小説の舞台は主にロンドンである。どうやらイタドリ建築倒壊説は、小説家の創作であるらしい。
この公害植物がこれからどのような役割を小説の中で果たすのか、いまのところおよその見当がついているが、ここではもちろん書かない。
でも、これを読んだ世界中の読者が、そんな怖い植物が日本にあるのかと思うに違いない。
Japaneseとあるだけに、日本にとっては罪作りである。
◆◆
アーチャーの三文小説は、Kane and Abel、As the Crow Flies、First Among Equals、Sons of Fortune等、ほぼ例外なく面白い。最近は、偽証罪で有罪となって投獄された経験を生かして、A Prisoner of Birthのように牢獄小説とでも言うべきジャンルで稼いでいて、小説家は転んでもただでは起きない。
イギリスにはケンフォレットKen Follettがストーリーテラーとして名高いが、作品の質によしあしがある。概して歴史もの(The Eye of the Needle、The Pillars of the Earth、A Place Called Freedom、World without End 等)は面白いが、現代物はどうも面白くない。
フォーサイスFrederick Forsythは最近は書かないようだ。処女作「ジャッカルの日」や「The Devil's Alternative」のように実に面白いのだが、本題に入る前に衒学的に説明がくどすぎて、わたしのような英語を母国語としないものが受験英語勉強程度の実力で読むには、ちょっとめんどくさい。そこを乗り越えると面白くなるのだが、。
三文小説に限って英語ペーパバックで読んでいるが、原則として辞書を引かない。単にめんどくさいからであって、3割くらいは分からない単語があるが、前後から類推すると、三文小説だからなんとかなるものである。
それでも読み終えるのに、同じ値段の日本語三文小説の5倍以上の時間がかかる。だから安くつく娯楽であるし、なんだか英語の勉強しているような気になるところが、三文小説にうつつを抜かしている自分に対する言い訳けになる。
毎日読み続けていると、時に夢が英語になることがある。目覚めてなんであったか思い出せないが、夢の中では流暢にしゃべっていたのであった。
全615ページの349ページまできたところに、Japanese knotweedという単語が出てきた。
なにかわからないままに読み進むと植物らしく、それが土地に生えているとそこに建っている建物に地下茎が侵蝕していって、コンクリート建物でも知らぬ間に倒壊するほどになる、とあり、大阪でそのために集合住宅が倒壊した事件があって、それにちなんでの命名だと書いてある。
え、そんな危ない植物があるかしら、そんな事件あったっけ、聞いたこともない。
困ったときのウィキペディアで、検索してみるとなんとイタドリのことである。
イタドリとはスカンポともいって、その辺に生えている雑草で、わたしたちが子供のころは皮をむいて塩をつけて食った、あのただの雑草のことだそうである。
あんなものが家を倒すことは絶対にない。せいぜい道路舗装の割れ目が広がるくらいだ。
英語版Wikipediaを見ると、どうやらイギリスでは繁茂しすぎて困っている外来種植物で、駆除を進めているらしい。でも建物を倒すとは書いていない。
この小説の舞台は主にロンドンである。どうやらイタドリ建築倒壊説は、小説家の創作であるらしい。
この公害植物がこれからどのような役割を小説の中で果たすのか、いまのところおよその見当がついているが、ここではもちろん書かない。
でも、これを読んだ世界中の読者が、そんな怖い植物が日本にあるのかと思うに違いない。
Japaneseとあるだけに、日本にとっては罪作りである。
◆◆
アーチャーの三文小説は、Kane and Abel、As the Crow Flies、First Among Equals、Sons of Fortune等、ほぼ例外なく面白い。最近は、偽証罪で有罪となって投獄された経験を生かして、A Prisoner of Birthのように牢獄小説とでも言うべきジャンルで稼いでいて、小説家は転んでもただでは起きない。
イギリスにはケンフォレットKen Follettがストーリーテラーとして名高いが、作品の質によしあしがある。概して歴史もの(The Eye of the Needle、The Pillars of the Earth、A Place Called Freedom、World without End 等)は面白いが、現代物はどうも面白くない。
フォーサイスFrederick Forsythは最近は書かないようだ。処女作「ジャッカルの日」や「The Devil's Alternative」のように実に面白いのだが、本題に入る前に衒学的に説明がくどすぎて、わたしのような英語を母国語としないものが受験英語勉強程度の実力で読むには、ちょっとめんどくさい。そこを乗り越えると面白くなるのだが、。
三文小説に限って英語ペーパバックで読んでいるが、原則として辞書を引かない。単にめんどくさいからであって、3割くらいは分からない単語があるが、前後から類推すると、三文小説だからなんとかなるものである。
それでも読み終えるのに、同じ値段の日本語三文小説の5倍以上の時間がかかる。だから安くつく娯楽であるし、なんだか英語の勉強しているような気になるところが、三文小説にうつつを抜かしている自分に対する言い訳けになる。
毎日読み続けていると、時に夢が英語になることがある。目覚めてなんであったか思い出せないが、夢の中では流暢にしゃべっていたのであった。
2009/09/21
181【横浜ご近所探検】お三ノ宮神社の神輿見物
横浜都心の関外地区は、今、お祭の最中である。ビルの谷間にお囃子のBGMが流れている。
メインストリートの伊勢佐木町の通りは、端から端まで車はシャットアウトして、道の真ん中にみこしがデンと置いてあったりする。
関外の鎮守とも言うべき「日枝神社」、通称「お三ノ宮神社」の祭であることが、あちこち掲示してある。
うちの空中陋屋にも、お囃子と神輿のワッショイなる掛け声が聞こえて、バルコニーから見下ろせば子ども神輿が行く。町内のものらしい。
ワッショイではなくて、雅楽の優雅な響きが聞こえてきて、また見下ろせば今度は本物の神輿である。日枝神社のものらしい。担ぐのではなくてトラクターのようなものが曳いている。
では、日枝神社に神輿を見に行くかと、ご近所探検の徘徊に出かける。
このあたりは各町内に神輿や山車があって、それぞれに街角や町内会館に飾っている。そこが日枝神社の神輿のお旅所でもあるらしい。
日枝神社は江戸中期に江戸山王の日枝神社を勧請し、埋立地の吉田新田の守り神様にしたとかで、埋立地の端っこの大岡川のほとりにある。かつては伊勢佐木通りが参道のようになっていたのかもしれない。
境内には懐かしい露店がたちならび、神楽殿では笛・太鼓・鉦のお囃子を大人や子どもが演奏している。
あった、神社の一角に見下ろしたあの神輿が鎮座している。実に立派な典型的な百貫神輿である。
境内には大人や子どもが祭気分丸出しで大勢たむろしていて、せんだって長岡市小国町の太郎丸で見た村の祭も、この横浜都心の街の祭も雰囲気はまったく同じである。
そこからぶらぶらと大岡川沿いに弘明寺まで散歩することにした。
やがてやってきた弦巻橋、そのたもとの傾いた公衆便所はまだ健在であった。
1年前に「発見」して、いつまであるか気にかかっていたが、大丈夫であった。きちんと用を足してきた。
次に来たときもあるといいなあ、って、別にとり立てて特別なデザインじゃないけど、傾きだけで立派な存在価値がある、、か。
参照→・横浜ご近所探検隊が行く
2009/09/20
180【言葉の酔時記】わが国わが党ってなんだか差別感ある言い方だよなあ
このところ政治の季節で、政治家は「わが党は、、」ってあちこちで言っているようだ。わざわざ「わが党」なんて、こ難しく言わなくてもよさそうなものである。
まあ、他の党とうちの党ではこんなに違うんだよと、政策の差を強調するつもりであろう。でも、なんだか威張っているようで、いやな語感である。
わが国、わが軍、わが党、わが社、わが町、わが家などは、そう言う人が帰属する組織や社会を意味しているようだ。
「我が大君」なる言葉がある(あった)が、これは国家への帰属を明確に言い表していたのだ。
わが意、わが命、わが田、わが妻、わが子、わが輩、わが身、わが物顔、わが世の春などは、言う人の所有観念の表現である。
このうちほとんど死語はわが輩であろうが、そのほかもある特定の慣用句とか格言でしか使われない。
政府文書には「わが国」との言い方がほとんどである。なぜ「日本」と書かないのだろうか。他国へ対置する表現としてならそういう必要もあるだろうが、かならずしも他の国とは違うんだといいたいばかりでもないときも使うから、慣用語になっているのか。
色々な学術的な論文類にも「わが国」は実に多く登場するのは、どうしてなのだろうか。
なんにしても現代の「わが・・」は、帰属意識の強調であると共に、他との区別・差別を強調していて、わたしにはあまり快くは聞こえない言葉である。
昨年に共同執筆して出版した本「はじめて学ぶ都市計画」では、原稿に「わが国」とある表現は、全て「日本」と直したのであった。
ところで英語圏では、my country my party my company my home my town等の日常的な言い方があるのだろうか。
まあ、他の党とうちの党ではこんなに違うんだよと、政策の差を強調するつもりであろう。でも、なんだか威張っているようで、いやな語感である。
わが国、わが軍、わが党、わが社、わが町、わが家などは、そう言う人が帰属する組織や社会を意味しているようだ。
「我が大君」なる言葉がある(あった)が、これは国家への帰属を明確に言い表していたのだ。
わが意、わが命、わが田、わが妻、わが子、わが輩、わが身、わが物顔、わが世の春などは、言う人の所有観念の表現である。
このうちほとんど死語はわが輩であろうが、そのほかもある特定の慣用句とか格言でしか使われない。
政府文書には「わが国」との言い方がほとんどである。なぜ「日本」と書かないのだろうか。他国へ対置する表現としてならそういう必要もあるだろうが、かならずしも他の国とは違うんだといいたいばかりでもないときも使うから、慣用語になっているのか。
色々な学術的な論文類にも「わが国」は実に多く登場するのは、どうしてなのだろうか。
なんにしても現代の「わが・・」は、帰属意識の強調であると共に、他との区別・差別を強調していて、わたしにはあまり快くは聞こえない言葉である。
昨年に共同執筆して出版した本「はじめて学ぶ都市計画」では、原稿に「わが国」とある表現は、全て「日本」と直したのであった。
ところで英語圏では、my country my party my company my home my town等の日常的な言い方があるのだろうか。
2009/09/14
179【世相戯評】敬老から軽老へ
19日から5連休であるとか。
え、どうして?、9月23日は秋分の日だから休日だと知っているが、21,22、がどうして休日なのか?
そういえば、9月15日が敬老の日だったはずが、今年はなくなっている。21日あたりに飛んだらしいが、まあ、どうでもよろしい。そのあたりは混むだろうから、出かけないようにする。
横浜市から「敬老パス」なる、市営地下鉄、市内バス路線乗り放題の乗車証を受け取ることができるお知らせが来た。70歳以上がその資格がある。
乗り放題と言っても、無料ではなく1年間6500円、去年が8000円だったから、今年は値下げになった、のではなくて、所得額つまり課税額によって負担額が異なる制度(5段階)なので、こちらの所得が下がったということである。
地下鉄は200円、バスは210円が最低料金だから、往復16回ほどで投資採算がなりたつ。なんにしてもこれは買ったほうが得である。
◆◆
解説パンフレットが同封してあり、「70歳以上の市民の社会参加に役立てていただける」ことが目的であるが、2009年度は利用者自己負担額が15億円に対して、市費負担額が85.6億円、そして「運営が困難な状況となっています」とある。老人が毎年増える一方だから支出は多くなるばかりだから、制度維持が今後は危ないのだろう。
よく分からないのは、では、この老人パスは老人の社会参加に役立っていて、それは金額に換算すると、どの程度社会に還元されているのだろうかってことである。
そもそも敬老パスは、どうして出てきたものだったのだろうか。
70歳を越えると暇になるから、その人たちを社会活動に参加させて有用に活用したいってことなのか。それならば有料パス保持者に、なんらかの社会活動義務を負わせてはどうか。
あるいは、病気がちの老人を病院に通いやすくするためか。
それとも、健康な老人がゲートボールに行きやすくして、保健費用支出を減少させるためか。
所得額によって負担額が違うということは、基本は福祉政策のようである。社会活動参加促進政策ではなさそうだ。
よその都市の同様の老人優遇例として、東京都では20510円(課税者)、川崎市では課税額によらず毎回100円か年12000円かの選択だそうである。
◆◆
負担額といえば、健康保険による医療負担額について奇妙なことがあった。
わたしの保健医療費は1割負担であったが、一昨年の年度の途中で政府管掌保険から国保に切り替えたら、アラ不思議、1割から3割負担になったのだ。
年度途中だから、その保険料の算定根拠となる所得額は同じなのに、なぜ負担額が変わるのか?? もちろん、わたしは市の窓口の人に噛み付いたのであった。
彼は社会保険事務所の担当者と電話で話していたが、それでわかったことは、政府管掌健康保険料の所得根拠は「給与」だけであるのに対して、国保のそれは報酬とか原稿料とか印税など他の収入も含むのだそうである。
それで国保に切り替えたとたんに保健料の算定根拠の所得額が上がり、わたしの医療負担額は一挙に3倍になったのだ。
え、法律は同じじゃないの?、変だと思いませんか?、と食い下がったが決まりは決まりだと退けられた。
そこで今年の所得税の確定申告は「慎重に計算」して、1割に戻ったのであった。 これは敬老パス負担減額にも及んだ。
しかし、国と地方自治体で保健医療負担額算定根拠が違うってのが、いまだに腑に落ちない。地方分権だからってことではあるまい。ただし、理論的には自治体のそれが正当なように思う。
◆◆
そもそも敬老って、その意味はどこから出てきたのだろうか。
多分、老人が今ほど有り余っていなくて、彼等が希少価値の時代の思想というか、世の思惑だったのであろう。
年金制度がなくて、年寄りは誰かに頼らなければならない時代の処世の言い訳であったか、。
それがこれほど老人が多くなり、しかも金持ち不良老人も多くなると、敬老などと言って大事にする必要はないぞ、なんてことかもしれない。
それでも、敬老パスとかシニア料金とか、惰性で続いているとしたら、行政の財政が逼迫してくると、なんで特別扱いをする必要があるのかという市長や議員が出てくるだろう。
普通は特別扱いってのはマイノリティのためだから、マジョリティのための特別扱いは、理屈から言えばヘンではある。
先日、横浜市長選挙があって、民主党が支援して当選した女性市長となった。敬老パスがどうなるのだろうかと思うが、なにしろ企業経営者が出自だからなあ、、。
あ、今に、軽老の日、軽老パス、軽老料金になって、むしろ高値設定とか、、困る。
え、どうして?、9月23日は秋分の日だから休日だと知っているが、21,22、がどうして休日なのか?
そういえば、9月15日が敬老の日だったはずが、今年はなくなっている。21日あたりに飛んだらしいが、まあ、どうでもよろしい。そのあたりは混むだろうから、出かけないようにする。
横浜市から「敬老パス」なる、市営地下鉄、市内バス路線乗り放題の乗車証を受け取ることができるお知らせが来た。70歳以上がその資格がある。
乗り放題と言っても、無料ではなく1年間6500円、去年が8000円だったから、今年は値下げになった、のではなくて、所得額つまり課税額によって負担額が異なる制度(5段階)なので、こちらの所得が下がったということである。
地下鉄は200円、バスは210円が最低料金だから、往復16回ほどで投資採算がなりたつ。なんにしてもこれは買ったほうが得である。
◆◆
解説パンフレットが同封してあり、「70歳以上の市民の社会参加に役立てていただける」ことが目的であるが、2009年度は利用者自己負担額が15億円に対して、市費負担額が85.6億円、そして「運営が困難な状況となっています」とある。老人が毎年増える一方だから支出は多くなるばかりだから、制度維持が今後は危ないのだろう。
よく分からないのは、では、この老人パスは老人の社会参加に役立っていて、それは金額に換算すると、どの程度社会に還元されているのだろうかってことである。
そもそも敬老パスは、どうして出てきたものだったのだろうか。
70歳を越えると暇になるから、その人たちを社会活動に参加させて有用に活用したいってことなのか。それならば有料パス保持者に、なんらかの社会活動義務を負わせてはどうか。
あるいは、病気がちの老人を病院に通いやすくするためか。
それとも、健康な老人がゲートボールに行きやすくして、保健費用支出を減少させるためか。
所得額によって負担額が違うということは、基本は福祉政策のようである。社会活動参加促進政策ではなさそうだ。
よその都市の同様の老人優遇例として、東京都では20510円(課税者)、川崎市では課税額によらず毎回100円か年12000円かの選択だそうである。
◆◆
負担額といえば、健康保険による医療負担額について奇妙なことがあった。
わたしの保健医療費は1割負担であったが、一昨年の年度の途中で政府管掌保険から国保に切り替えたら、アラ不思議、1割から3割負担になったのだ。
年度途中だから、その保険料の算定根拠となる所得額は同じなのに、なぜ負担額が変わるのか?? もちろん、わたしは市の窓口の人に噛み付いたのであった。
彼は社会保険事務所の担当者と電話で話していたが、それでわかったことは、政府管掌健康保険料の所得根拠は「給与」だけであるのに対して、国保のそれは報酬とか原稿料とか印税など他の収入も含むのだそうである。
それで国保に切り替えたとたんに保健料の算定根拠の所得額が上がり、わたしの医療負担額は一挙に3倍になったのだ。
え、法律は同じじゃないの?、変だと思いませんか?、と食い下がったが決まりは決まりだと退けられた。
そこで今年の所得税の確定申告は「慎重に計算」して、1割に戻ったのであった。 これは敬老パス負担減額にも及んだ。
しかし、国と地方自治体で保健医療負担額算定根拠が違うってのが、いまだに腑に落ちない。地方分権だからってことではあるまい。ただし、理論的には自治体のそれが正当なように思う。
◆◆
そもそも敬老って、その意味はどこから出てきたのだろうか。
多分、老人が今ほど有り余っていなくて、彼等が希少価値の時代の思想というか、世の思惑だったのであろう。
年金制度がなくて、年寄りは誰かに頼らなければならない時代の処世の言い訳であったか、。
それがこれほど老人が多くなり、しかも金持ち不良老人も多くなると、敬老などと言って大事にする必要はないぞ、なんてことかもしれない。
それでも、敬老パスとかシニア料金とか、惰性で続いているとしたら、行政の財政が逼迫してくると、なんで特別扱いをする必要があるのかという市長や議員が出てくるだろう。
普通は特別扱いってのはマイノリティのためだから、マジョリティのための特別扱いは、理屈から言えばヘンではある。
先日、横浜市長選挙があって、民主党が支援して当選した女性市長となった。敬老パスがどうなるのだろうかと思うが、なにしろ企業経営者が出自だからなあ、、。
あ、今に、軽老の日、軽老パス、軽老料金になって、むしろ高値設定とか、、困る。
2009/09/11
178【怪しいハイテク】どなたが読んでいるかしら
この「伊達な世界」ブログなるものを書き始めてから1年4ヶ月、もうひとつの「まちもり通信」サイトを始めてから9年9ヶ月である。
読んでるよといってくれる近しい友人はいるが、そのほかどなたが読んでいいただいているのか気になるのが、それはわからない。
せめて人数でも知りたいと、「まちもり通信」に8年4ヶ月前につけたカウンターが、今、93636となっている。もちろん正確な数ではないが、これだと1日に30人程度のお方が見て下さっているらしい。ありがとうございます。
ところで、「伊達な世界」と「まちもり通信」とで、ヒットする回数がずいぶん違うことに最近気がついた。ちょうど1ヶ月前にそれぞれにカウンターをつけてみたら、「伊達な世界」は1266ヒット(42/日)、「まちもり通信」は644ヒット(21/日)と、倍の差があるのだ。
どちらのサイトからも互いにリンクするようにしているのだから、普通に考えると同じになりそうなものだが、これはどういう違いなのか。多分、10~30日間隔記入の「まちもり通信」と、2~3日間隔の「伊達な世界」との差が出るのだろう。
◆
どちらのサイトからも読者のご意見などを、メールでいただくことができるようにしているのだが、これからの反応はあまり無い。1ヶ月にひとつあるかないか程度である。
ご意見などをいただくと、必ず返事をすることにしているのだが、たまに匿名で変なことを書いてくる人がいる。あるいはまじめな質問をするのに、匿名で書いてくる人もいる。こちらが本名を出してるのだから、失礼なものである。
そこで匿名の人には返事をしないと記している。
まじめな質問をいただくことがいくつかあるのだが、そのなかで真剣なのは難病の「大腿骨頭壊死症、同萎縮症」に関するわが体験記を読んだ、同病患者からのものである。
こちらは医者ではないから、まちもり通信に書いている以上には答えることはできないのだが、なんらかのご返事をさし上げることで、ちょっとはお役に立つかもしれないとは思っている。
それにしても、かつては「家庭の医学」なんてのを読んで一人で悩んでいたのを、いまどきはインターネットで同病相哀れむのだから、すごいもんである。
余計な知識で悩みは増えるのか、それとも減るのか?
最近来た質問で、匿名の意味がわかっていないらしく、「サンマ(もちろんHN)」と名前を書いて、若い人の拙い文ながらもまじめなメールがあり、困った。
読んでるよといってくれる近しい友人はいるが、そのほかどなたが読んでいいただいているのか気になるのが、それはわからない。
せめて人数でも知りたいと、「まちもり通信」に8年4ヶ月前につけたカウンターが、今、93636となっている。もちろん正確な数ではないが、これだと1日に30人程度のお方が見て下さっているらしい。ありがとうございます。
ところで、「伊達な世界」と「まちもり通信」とで、ヒットする回数がずいぶん違うことに最近気がついた。ちょうど1ヶ月前にそれぞれにカウンターをつけてみたら、「伊達な世界」は1266ヒット(42/日)、「まちもり通信」は644ヒット(21/日)と、倍の差があるのだ。
どちらのサイトからも互いにリンクするようにしているのだから、普通に考えると同じになりそうなものだが、これはどういう違いなのか。多分、10~30日間隔記入の「まちもり通信」と、2~3日間隔の「伊達な世界」との差が出るのだろう。
◆
どちらのサイトからも読者のご意見などを、メールでいただくことができるようにしているのだが、これからの反応はあまり無い。1ヶ月にひとつあるかないか程度である。
ご意見などをいただくと、必ず返事をすることにしているのだが、たまに匿名で変なことを書いてくる人がいる。あるいはまじめな質問をするのに、匿名で書いてくる人もいる。こちらが本名を出してるのだから、失礼なものである。
そこで匿名の人には返事をしないと記している。
まじめな質問をいただくことがいくつかあるのだが、そのなかで真剣なのは難病の「大腿骨頭壊死症、同萎縮症」に関するわが体験記を読んだ、同病患者からのものである。
こちらは医者ではないから、まちもり通信に書いている以上には答えることはできないのだが、なんらかのご返事をさし上げることで、ちょっとはお役に立つかもしれないとは思っている。
それにしても、かつては「家庭の医学」なんてのを読んで一人で悩んでいたのを、いまどきはインターネットで同病相哀れむのだから、すごいもんである。
余計な知識で悩みは増えるのか、それとも減るのか?
最近来た質問で、匿名の意味がわかっていないらしく、「サンマ(もちろんHN)」と名前を書いて、若い人の拙い文ながらもまじめなメールがあり、困った。
2009/09/10
177【老いゆく自分】理工学部卒引退後の趣味
理工学部を出たものが現役を引退すると、どんなことを趣味にして生きていくのかと、自分のことはさておいて、同期あたりに興味を持っている。
趣味も理工系かとおもうと、趣味とはそういうものではないらしいく、絵画、登山、旅行が普通だが、なかに日本舞踊のひともいる。
昨日、横浜都心の大岡川沿いの画廊で、化学を出た同期生たちの展覧会とて、観にいった。
洋画、日本画、写真、陶磁器と、これはまさに世の趣味一般である。なかに焼き物の金継ぎ(日本古来の修理方法)を趣味にしている人もいたのが、ちょっと理工系っぽいような、、。
これを観に来たわたしの仲間6人の趣味がウォーキングで、これまた理工系と関係ない。
数年前から誘い合って、春秋に5日間100キロを歩く旅をしている。なかには1日に50キロ以上も歩けるマニアもいる。
この歳になると、建築、寮、山岳部など、年に数回あれこれと大学同期のあつまりがある。
高校の同期会もあった。暇になって酒を飲む言い訳けをみつけることと、頭が未だナントカしている今のうちに昔の仲間の顔を見ておこうということか。
先日は建築学課程(わたしの頃は学科制はなかった)のあつまりで、エンジンつき模型ヘリコプターを飛ばすのが趣味という、理工系のようだが、とても建築出とは思えない者もいる。孫は大喜びらしいが、。
ではわたしの趣味はといえば、近所の裏町やら、地方都市の商店街やら、棚田の農村やら、それも名所でもなんでもないところを彷徨することが、かなりのウェイトを占めている。
そしてそれをこうして駄文に綴ることが趣味であるが、これは明らかに建築から都市計画へと仕事をやってきた延長上にあるのだ。
建築でも都市計画でも、街の構造を現場で調べて、それがどのような背景でできてきたのか、それはどんな方向に動こうとしているのか、今後どうあるべきかを考察する。
そしてそれを文や図や写真で記述し、その町に暮らす人々にわかりやすく伝えること、これが建築や都市計画の仕事であるのだから、今もその延長を走っていることになる。
違うのは、現役時代はそれによって報酬を得ていたが、いまは無料であることだ。この駄文が、時には社会の役に立つかもしれないと思いつつ、、。
あ、そうか、もしかたら、わたしは趣味を仕事にしていたのかも、、、どうりで儲からなかった。
趣味も理工系かとおもうと、趣味とはそういうものではないらしいく、絵画、登山、旅行が普通だが、なかに日本舞踊のひともいる。
昨日、横浜都心の大岡川沿いの画廊で、化学を出た同期生たちの展覧会とて、観にいった。
洋画、日本画、写真、陶磁器と、これはまさに世の趣味一般である。なかに焼き物の金継ぎ(日本古来の修理方法)を趣味にしている人もいたのが、ちょっと理工系っぽいような、、。
これを観に来たわたしの仲間6人の趣味がウォーキングで、これまた理工系と関係ない。
数年前から誘い合って、春秋に5日間100キロを歩く旅をしている。なかには1日に50キロ以上も歩けるマニアもいる。
この歳になると、建築、寮、山岳部など、年に数回あれこれと大学同期のあつまりがある。
高校の同期会もあった。暇になって酒を飲む言い訳けをみつけることと、頭が未だナントカしている今のうちに昔の仲間の顔を見ておこうということか。
先日は建築学課程(わたしの頃は学科制はなかった)のあつまりで、エンジンつき模型ヘリコプターを飛ばすのが趣味という、理工系のようだが、とても建築出とは思えない者もいる。孫は大喜びらしいが、。
ではわたしの趣味はといえば、近所の裏町やら、地方都市の商店街やら、棚田の農村やら、それも名所でもなんでもないところを彷徨することが、かなりのウェイトを占めている。
そしてそれをこうして駄文に綴ることが趣味であるが、これは明らかに建築から都市計画へと仕事をやってきた延長上にあるのだ。
建築でも都市計画でも、街の構造を現場で調べて、それがどのような背景でできてきたのか、それはどんな方向に動こうとしているのか、今後どうあるべきかを考察する。
そしてそれを文や図や写真で記述し、その町に暮らす人々にわかりやすく伝えること、これが建築や都市計画の仕事であるのだから、今もその延長を走っていることになる。
違うのは、現役時代はそれによって報酬を得ていたが、いまは無料であることだ。この駄文が、時には社会の役に立つかもしれないと思いつつ、、。
あ、そうか、もしかたら、わたしは趣味を仕事にしていたのかも、、、どうりで儲からなかった。
2009/09/02
176【老い行く自分】本に埋もれて逝く至福
これは他人ごとではない。そう思ってネット検索したら、やはり同じようなことを思った人たちがいる。
わが狭小なる書斎兼PC部屋兼寝室兼物置兼工作室兼・・・の四周の壁全部が(つまり窓と扉部分を除いて)、床から天井間際まで本棚であり、本がぎっしり詰まっている。
もちろん本棚そのものは、紐や針金で壁にひっくくったり、棒で押し付けたりして、どうやらこうやら倒れないように工夫はしているが、本そのものはとめようがないので、落ちてくるだろう、コブくらいつくるかもなあ、とは思っていた。
でも、窒息死なんてことがほんとにあるんだ、、、、まあ、本にうずもれて逝くなら、それはなんとなく至福の感がないでもないが、、、。
2009/08/31
175【世相戯評】選挙TV報道
久しぶりに長時間TV放送を見た。選挙速報番組である。
これで麻生さんと鳩山さんの動画を始めてみたのである。ふ~ん、こんなしゃべり方をするのかあ、。
麻生さんは口をへの字に曲げて、それも中央からじゃなくて、文字通り「へ」の字に右寄りが曲るのだなあ、それで損をしている。どこかひねたような口調があるのも損をしている。
政治家は人相と口調だなあとつくづく思う。
鳩山さんは良くも悪くも先生口調で特徴はないが、麻生さんと比較されると得をしている。先生口調だと思ったら、政治家になる前は大学の助教授だっとか、そうかやっぱり。
それにして開票速報報道は変なものである。
アナウンサーが、「しだいに追い上げております」なんていうのだが、もう投票はとっくに終わってるんだよ、単に票を開けているだけで、この速報を見ながら投票してるんじゃないんだよ、。
でもそれを聞いて思ったのだけど、例えば、年齢の奇数の人は今日、明日は偶数の人って、2日にわたって投票するのはどうか。。
開票は初めの日の投票後にも行なって、得票を発表するのだ。そうしたら次に日はそれを参考に投票するであろう。
どうですか、こうすれば前回や今回みたいな翼賛選挙じゃなくて、2日目にある種のバランス感覚が働くような気がする。
横浜市長選の結果を見てから寝ようとして、ついに午前2時半までTVを見てしまった。なんでも開票ミスでトラブルがあったらしい。
これまで官僚→政治家(社会党)→官僚→官僚→政治家とやってきた歴代横浜市長とは違って、女性・企業家市長となれば、なにかCHANGEが始まるだろうか。
これで麻生さんと鳩山さんの動画を始めてみたのである。ふ~ん、こんなしゃべり方をするのかあ、。
麻生さんは口をへの字に曲げて、それも中央からじゃなくて、文字通り「へ」の字に右寄りが曲るのだなあ、それで損をしている。どこかひねたような口調があるのも損をしている。
政治家は人相と口調だなあとつくづく思う。
鳩山さんは良くも悪くも先生口調で特徴はないが、麻生さんと比較されると得をしている。先生口調だと思ったら、政治家になる前は大学の助教授だっとか、そうかやっぱり。
それにして開票速報報道は変なものである。
アナウンサーが、「しだいに追い上げております」なんていうのだが、もう投票はとっくに終わってるんだよ、単に票を開けているだけで、この速報を見ながら投票してるんじゃないんだよ、。
でもそれを聞いて思ったのだけど、例えば、年齢の奇数の人は今日、明日は偶数の人って、2日にわたって投票するのはどうか。。
開票は初めの日の投票後にも行なって、得票を発表するのだ。そうしたら次に日はそれを参考に投票するであろう。
どうですか、こうすれば前回や今回みたいな翼賛選挙じゃなくて、2日目にある種のバランス感覚が働くような気がする。
横浜市長選の結果を見てから寝ようとして、ついに午前2時半までTVを見てしまった。なんでも開票ミスでトラブルがあったらしい。
これまで官僚→政治家(社会党)→官僚→官僚→政治家とやってきた歴代横浜市長とは違って、女性・企業家市長となれば、なにかCHANGEが始まるだろうか。
2009/08/30
174【世相戯評】選挙あれこれ
これはタンホイザーかな、だんだんと大音響になってくる、右翼街宣車もちかごろはしゃれた音楽なんだ、でも、もう5分以上経つけど一向にいつものガラガラ声の演説が始まらない、そのうちに、ポップスになった。
あれ、銀座通りに下町商店街並みにBGMかしら、ようやく4丁目交差点にきた。
なんと交差点の真ん中に白い乗用車を止めて、ルーフのハッチを開けて立ち上がっている男がいる。楽団の指揮でもとるかっこうで両腕を頭の上でふらふら振っている。
なになに、マック赤坂って書いてるけど、どこの右翼サンなの?、よく警察が許すもんだなあ、と近づけば、おお、選挙街頭演説の幟がたっている。え、スマイル党って?、ああ、例の新聞が書く諸派、世の言う泡沫候補なんだ、、。
これはなんと総選挙候補者の街頭演説会であるらしい。これじゃ警察も手が出ない。
ただ、一向に演説をする気配はなく、軽快なポップスが大音響で延々と銀座の街に響いている。男は屋根から上半身出してマラカスを両手に振って踊っている。
ふ~ん、まあ、こういう選挙演説もあるんだなあ、さすが東京は人材?が豊富?なんだなあ、と、踝をかえした。
今朝の新聞に立候補者一覧表があって、その諸派は343人とあるのだが、注意書きがついていて、「諸派には幸福実現党337名を含みます」とある。
え、ほかの諸派はどうしたの、書かないの?、マックさんのスマイル党は書かない?、それって幸福党の肩を持つ偏向報道じゃないかしら、などと、昨日チラと見かけただけのお方に、どうでもいい同情をしてしまった。
ほかにどんな面白い諸派がいるのだろうか。
<後日追記090831>選挙が終わった。マックさんは東京1区、987票を獲得、1位と14万票余の差をつけて9人中の堂々ビリから3番目であった。
◆◆
新聞一面を使った選挙広報というか広告というのか、政党や候補者の広告がこのところ何ページも占めている。 裁判官裁長官の国民審査投票への意見広告である。何回だされてだろうか、全国紙数社の全国版にだしたら数億円の広告費だろう。名を連ねている人は20名くらい、わたしが名前だけを知っている有名人も幾人か名を連ねているが、この人たちがだしたのだろうか。
結構なことだが、ちょっとその金持ちぶりに、鼻白む思いもある。
で、そこに書いてあるのを読むと、高知県の選挙区の3区と比べると、東京3区はその0.5倍しかないのだそうだ。
つまり、高知では50人で1人を国会に送り込めるのに、東京では100人でひとりしか送り込めないってことだろう。
さて、高知3区の選挙権者はどれくらいの投票率なんだろうか。
算数のことはよく分からないが、もし投票に高知3区では投票率が50パーセント、東京3区で100パーセントだったら、1票の重さはどう計算するのかしら。
なんにしても高知3区のお方の責任は重いようですよ、どうします?
<後日付記090831>
選挙が終わった。最高裁判官審査の結果はこのアピールが少しは効いたらしく、1票の不平等を容認判決をした二人の裁判官への×印が、他のそれ比べて2~3割も多かった。
高知3区では74489票で当選、東京3区では121699票で落選、これはものすごい格差であるよなあ、、。ついでに最低得票当選者を探したら、高知1区の44085票であった。
今回の選挙では0票でも当選が出たらしい。
仕組みが不可解だが、なんでも民主党が票を取りすぎて比例区の候補者が足りなくなって、残余の票が自民党にまわってタナボタ当選者を出したそうだ。
おお、補給作戦がいい加減で前線では敵の武器や住民の食糧をかっぱらって戦った日本軍の伝統が生きている、、な~んて、、。
2009/08/29
173【横浜都計審】市民委員は審議会でまたもや独り相撲であった
公募に応募して昨年11月から委員となった横浜都市計画審議会に、昨日はわが4回目の出席であった。
議題は3つあったが、図らずも、またもや、わたし一人がしゃべったのだ。委員のみなさまどなたも、ご意見を出されなかったのであった。
いつも寡黙なるわたしが、なぜに都市計画審議会では饒舌になってしまうのか、われながら不思議である。もちろん饒舌であるか否かは、他の委員との比較にすぎないのだが、。
前回と同様に今回も廃棄物処理場の新設許可議案があった。前回はわたしは現地を見てきて、その周辺を住宅立地規制をする附帯決議を提案したのだが通らなかった。
今回も現地を見てきて、前回のような混在可能な立地ではなかったし、環境アセスメントで審査会が専門的な注文をつけているので、内容的には特に異議はない。
ただし、手続きおいて法的な疑問があったので、その指摘をしたのだ。これが今回の審議会の唯一といってよい審議であった。
しかし、である。その法的解釈が実はわからなかったのであった。
え、こんなこと、法に基づいて執行する行政庁が知らなかったのか。
法学部教授の学識委員が解釈を披瀝されたが、それが定説というものでもないらしい。
ふ~ん、そうなのか、法律を読めば誰もが疑問に思うはずと、そう思ったわたしは、どうも変な人らしい。
参照→ ●横浜市都市計画審議会報告
議題は3つあったが、図らずも、またもや、わたし一人がしゃべったのだ。委員のみなさまどなたも、ご意見を出されなかったのであった。
いつも寡黙なるわたしが、なぜに都市計画審議会では饒舌になってしまうのか、われながら不思議である。もちろん饒舌であるか否かは、他の委員との比較にすぎないのだが、。
前回と同様に今回も廃棄物処理場の新設許可議案があった。前回はわたしは現地を見てきて、その周辺を住宅立地規制をする附帯決議を提案したのだが通らなかった。
今回も現地を見てきて、前回のような混在可能な立地ではなかったし、環境アセスメントで審査会が専門的な注文をつけているので、内容的には特に異議はない。
ただし、手続きおいて法的な疑問があったので、その指摘をしたのだ。これが今回の審議会の唯一といってよい審議であった。
しかし、である。その法的解釈が実はわからなかったのであった。
え、こんなこと、法に基づいて執行する行政庁が知らなかったのか。
法学部教授の学識委員が解釈を披瀝されたが、それが定説というものでもないらしい。
ふ~ん、そうなのか、法律を読めば誰もが疑問に思うはずと、そう思ったわたしは、どうも変な人らしい。
参照→ ●横浜市都市計画審議会報告
2009/08/27
172【世相戯評】またもや翼賛選挙
8月30日が衆議院選挙投票日とて、大勢の立候補者名の一覧が新聞に載っている。
さて、年寄りがどの程度いるものかと、70歳以上を数えていったら、いるわいるわ、20名を越えたところであほらしくなってやめた。
では80歳以上だ、いるのかしら、いた、81歳!、名前を見れば、おお、ドクトルナカマツだよ、あの、発明と選挙でいつも出てくる、あのお方である。そうかあ、さすがに80歳を越えたのか、なになに、あれ、幸福党なの?ふ~ん、まあ、お元気でね。
もう少し見ていったら、いた、今度は85歳!!、全くもって後期高齢爺バンザイである。よくやるものだ。以上二人であった。
まてよ、65歳から74歳までが前期高齢者とすれば、そこから先の10年の75歳から84歳までが後期高齢者かしら、ならば85歳からはなんというのか、末期高齢者か、その先は晩期とか、ああ、なんだか終期が見えてくるなあ、、。
<後日追記090831>選挙が終わった。ドクトル中松は落選、というよりも幸福党が泡沫党というか、全国で惨敗であった。
◆◆
今朝の朝日新聞には「民主320議席獲得も」なんて、予想記事が出ている。これがあたるかどうかは別にしても、なんだか民主党翼賛選挙ムードであるのが、いやな感じである。民主党がいやとかいいとかじゃなくて、翼賛選挙がいやなのだ。
2005年の郵政解散(そういえば、今回の解散はなんというのかしら)のときに、こんなことを「まちもり通信」コラムに書いた。
===まちもりコラム2005・10月号===
●翼賛選挙でだいじょうぶかしら
私が生まれて3年目の1940年、大政翼賛会なる組織ができて、政党はみな解散してこれに加わり、東亜新秩序建設に邁進、つまり戦争体制が整い、次の41年に戦火が始まった。
2005年9月11日、戦後55年体制の総決算がされたようだ。自民公明民主大政翼賛政治が始まった。まさか戦争じゃないだろうが、何か不安でしょうがない。
カウンター勢力かとおもっていた民主党の若旦那党首の言うことが、自公と大差ないように聞こえてきて、つまり翼賛選挙だったとわかった。
最近はこういう状況を招いたことをポピュリズムというそうだが、昔は衆愚といった。 5年前の9月11日のニューヨークでの事件でも、衆愚が原因にも結果にも悲惨を招いている感がある。(051002)
============
さて2009年8月である。あのときの衆愚の結果が自民党にお任せ政治をさせてしまい、今の世相に至り、今度は民主党にお任せ衆愚になるんじゃあるまいか。
あの時に自民党お任せ政治にさせてさすがにこれはいけないなと、衆愚も若干は「衆賢」を取り戻したのが、参議院選挙の結果で、いわゆネジレ国会で自民党チェック体制を作り出したのであった。
さて、こんどは衆議院でも民主党にボロ勝ちさせたら、もう本当に翼賛選挙になっちまうぞ。高速道路タダなんてアホな政策が通って、地方都市は疲弊するぞ、。
適当に勝たせた方がいいですよ、。
<後日追記090831>選挙が終わった。まったくもって、この前も今回も翼賛選挙そのもの、ちょうど自民と民社を裏返しにしただけである。これからの政治も、これまでと同じになるのだろうか。新人と女性の頑張りが通じるか、、。
さて、年寄りがどの程度いるものかと、70歳以上を数えていったら、いるわいるわ、20名を越えたところであほらしくなってやめた。
では80歳以上だ、いるのかしら、いた、81歳!、名前を見れば、おお、ドクトルナカマツだよ、あの、発明と選挙でいつも出てくる、あのお方である。そうかあ、さすがに80歳を越えたのか、なになに、あれ、幸福党なの?ふ~ん、まあ、お元気でね。
もう少し見ていったら、いた、今度は85歳!!、全くもって後期高齢爺バンザイである。よくやるものだ。以上二人であった。
まてよ、65歳から74歳までが前期高齢者とすれば、そこから先の10年の75歳から84歳までが後期高齢者かしら、ならば85歳からはなんというのか、末期高齢者か、その先は晩期とか、ああ、なんだか終期が見えてくるなあ、、。
<後日追記090831>選挙が終わった。ドクトル中松は落選、というよりも幸福党が泡沫党というか、全国で惨敗であった。
◆◆
今朝の朝日新聞には「民主320議席獲得も」なんて、予想記事が出ている。これがあたるかどうかは別にしても、なんだか民主党翼賛選挙ムードであるのが、いやな感じである。民主党がいやとかいいとかじゃなくて、翼賛選挙がいやなのだ。
2005年の郵政解散(そういえば、今回の解散はなんというのかしら)のときに、こんなことを「まちもり通信」コラムに書いた。
===まちもりコラム2005・10月号===
●翼賛選挙でだいじょうぶかしら
私が生まれて3年目の1940年、大政翼賛会なる組織ができて、政党はみな解散してこれに加わり、東亜新秩序建設に邁進、つまり戦争体制が整い、次の41年に戦火が始まった。
2005年9月11日、戦後55年体制の総決算がされたようだ。自民公明民主大政翼賛政治が始まった。まさか戦争じゃないだろうが、何か不安でしょうがない。
カウンター勢力かとおもっていた民主党の若旦那党首の言うことが、自公と大差ないように聞こえてきて、つまり翼賛選挙だったとわかった。
最近はこういう状況を招いたことをポピュリズムというそうだが、昔は衆愚といった。 5年前の9月11日のニューヨークでの事件でも、衆愚が原因にも結果にも悲惨を招いている感がある。(051002)
============
さて2009年8月である。あのときの衆愚の結果が自民党にお任せ政治をさせてしまい、今の世相に至り、今度は民主党にお任せ衆愚になるんじゃあるまいか。
あの時に自民党お任せ政治にさせてさすがにこれはいけないなと、衆愚も若干は「衆賢」を取り戻したのが、参議院選挙の結果で、いわゆネジレ国会で自民党チェック体制を作り出したのであった。
さて、こんどは衆議院でも民主党にボロ勝ちさせたら、もう本当に翼賛選挙になっちまうぞ。高速道路タダなんてアホな政策が通って、地方都市は疲弊するぞ、。
適当に勝たせた方がいいですよ、。
<後日追記090831>選挙が終わった。まったくもって、この前も今回も翼賛選挙そのもの、ちょうど自民と民社を裏返しにしただけである。これからの政治も、これまでと同じになるのだろうか。新人と女性の頑張りが通じるか、、。
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