2008/06/30

013【老いゆく自分】道端で行き暮れている徘徊女性を拾って困ったがこれは自分の将来の姿

 今日午後2時頃、横浜国立大学近くの住宅街の坂道を登っていると、よろよろと下ってくる老婆に声をかけられた。胸を押さえつつ、病院へ行くのだが困ったと、小声でぶつぶつと訴える。

 この人が行くのなら近くだろうとおもい、では背負ってお連れしましょう、道を教えてくださいと、背を寄せる。こっちも老爺だから、さて背負っても持ち上がるかと一瞬不安がよぎったが、老婆は軽るかった。

 ではどっちですか言ってくださいと歩き出せば、実はよく分からないのです、こちらのほうらしいのですが、という。病院の名もわからない。
 え、それじゃあ、どこか近くの病院でもいいですかと聞くと、それでよいという。ところがこのあたりは、トンと不案内である。

 おんぶお化けじゃないけど、おろすにおろされず背負ったままとにかくにぎやかな国道のほうへと歩いて戻ると、自動車販売店の前にその店の人らしい男女がいるので声をかけて、実は通りがかりのもので、この人が道端で困っているのでつれてきている、このあたりに診療所がないかと聞くと、しらないという。

 老婆は背から降りて、いやいや自分でナントカしますから、もう結構ですから、という意味のことを繰り返す。でも、自分がどこに行くか分からない老人を、こちらは大の大人3人となって、放り出すわけに行かない。
 じゃあ、お宅の住所か電話を教えてくださいというと、持っていない、分からない、姉がどことかにいるんだけど、とかぶつぶつ言っている。完全なボケでもないらしく、会話はできるのだが、意味が通じにくい。
 こまった、これは警察に頼むしかないなあって、こちらの話がまとまった。わたしは大学授業開始が迫るので、後はよろしくと店の二人に頼んで離れた。

 さて、その後のことは知らないのだが、なんだか逃げたようで申し訳ないとも思う。
 商売柄、方向感覚はめっぽう強いから道で迷うことは今のところはないが、あすはわが身とひしひしと感じたのであった。
 今は徘徊老人と自称してうろうろいるが、そのうちに徘徊ボケ老人となるだろう。自分のいるところ、行くところが分からなくなるときに備えて、いまから自宅の電話など書いたカードを身につけておこう。
 とりあえずこのカードは、飲んだくれて道端に寝ちまったときに役に立つか、、。

2008/06/26

012【世相戯評】みみっちい、SECOの時代

 霞が関の国家公務員が常用するタクシー運転手からビールやお金をもらった、けしからん、道路財源で役人の健康管理費用をまかなった、けしからん、。
 最近新聞をにぎわわせている話題だが、どうもみみっちいなあ。民主党の何とかさんというひとが国会で追及して、新聞やテレビ(見ないからやってるかどうか知らないが)が、けしからんと囃している。
 まあ、それはそのとおりにちがいないが、大衆迎合的なにおいがふんぷんとして、げすっぽい。
 タクシーだって営業でお得意さんに特別サービスするだろうし、役人だってあんな大金を扱う沢山の仕事をするには、健康管理のためにマッサージ器だっているだろうよ、普通にかんがえるとね、。
 それを、国会で鬼の首でとったようにあげつらい、世間もそうだそうだと囃すのは、みみっちい。今日の朝日新聞の漫画「ののちゃん」のばあちゃんが、ECOをもじってSECOをやっているが、これもSECOである。
 国会でやるにはSECOすぎて、なにか本質を忘れさせるための裏仕掛けがあるんじゃないか。それとも逆に、なにか本質に迫るために、将を射んとして馬を射ているのだろうか。
 国会はもうちょっとやるべきことがあるんじゃないですかねえ。なんでもかんでも国会でやらないと是正されないって、情けないレベルにこのごろの世は堕落してるんでしょうか。
 わたしもむかしむかし、横須賀で芸術劇場の計画をやっていた頃は、夜遅く汐入駅前からよくタクシーに乗って家に帰った。行き先をいおうと思ったら運転手が先に“分かっています”なんて言うくらいになったが、ビールも金券もくれなかったなあ。あ、そうか、タクシー代が2千円くらいだったもんなあ。
 こうなれば、バータク、カラオケタク、コンビ二タク、ジャンタク、フウゾクタク、センタク、ドンタクキムタクなんてのを正々堂々と営業してはどうか。あ、もう、やってるかな。

2008/06/25

011【怪しいハイテク】TV放送が血出痔になると今の受像機をNHKが無料で取り換えてくれるんだな?

 テレビを見ないから、今あれこれといわれている出血樽やら血出痔(キタナイ略語だね)放送問題に興味が無い。なんでももう何年かしたら、わたしのうちのテレビでは放送が見られなくなるのだそうである。

 勝手にそう誰が決めたのか知らないが、その理由はいつか専門家に聞いたことがある。
 高度情報通信時代になって、限られた電波を有効に使うために、電波を使っている各種の放送や通信の使い手たちに、使い方に対応して周波数を再配分するのだそうである。

 そうすればテレビジョン放送も沢山のチャンネルが使えて便利ですよってことらしいが、そもそも今の放送内容があれほどくだらないものがおおいのに、この上さらにチャンネル増やして何を放送するのか不思議ではある。
 世の中そういうものなら勝手にどうぞである。

 だが問題は、私だってたまに映画とか重大ニュースはテレビジョンで見る。
 それを見られないとなったら困ると思ったが、インタネットで見ることができるようになるらしいのでこれは問題は無い(らしい)。

 今のテレビを大好きな人たちには買い替えの問題があるのは分かる。でも、あんなしょうもない放送を見たいのなら、それはお好みの問題だからご自分の金で新型受像機を買えばよろしい。 なんなら、そんなものでも見てもらいたい番組提供スポンサーが、新型受像機を提供してはどうか。
 これで電器屋さんたちが一儲けした上に、電器ごみが沢山出るのが癪に障る。このごみをどうするか、どこかの途上国に輸出するのかしら、、。

 ところで、今の受像機で見ることを前提の受信契約しているNHKからは、一方的処置に伴う私の所有受像機無機能化に関して、なにか補償してくれるのだろうか。

NHK「このたび当方の勝手な都合でお宅様のテレビ受像機が使えなくなり、まことに申しわけございません。これはお詫びのしるしのでございます」
こちら「どうして鏡なんです?」
NHK「これを使えなくなったテレビに貼り付けると、お化粧用の鏡台として再利用できますので、、」

2008/06/19

010【お遊び】ゴルフなんてあんなバカらしく易しい遊びに夢中になる大人の気が知れない

ゴルフなる遊びはやらない。
 あんな地上に置いた石ころを棒切れでひっぱたくなんて、幼児のやるような遊びはやらないのだ。
 ではやったことがないかと問われると、実は2回だけゴルフコースなる野原で回ったことがある。

 もう40年近くも昔だったか、そのころの勤め先の上司がゴルフ狂で、お前もやれと道具一式を1万円で売りつけられた。
 それでもやらないでいると、1週間先に顧客とコースを回る予定を入れたという。
 あわててビルの屋上の金網の中で、棒の持ち方、球の打ち方を習った。

 さて、当日、もちろんルールは知らないから、そのつど教えてもらいながら打っていく。最初は空振りだったと覚えている。
 どんどん打っていけばよいので、横に外れることもなかったし、池にも落ちず、砂場に入っても力任せに打ち出せばよい。
 真ん中に穴のある丸い平らな芝のエリアまでは、たいしたこともなく順調に進むのだった。  

 だが問題は、丸芝エリアに入ってからであった。トンと打てば丸からはみ出る、ソッと打てばチョロとしか転がらない、穴を境にして何度も行きつ戻りつするばかり。
 ここに来るまでの打数よりもここでのほうがはるかに多くなるばかり。この穴入れだけは練習しておくべきだったと思った。
 でもまあ、みんなから特に遅れることもなく済んだ。点数のつけ方は知らないから、いくつだったかも知らない。何のことか知らないままにドラコンなる賞をもらった。

 2回目もどこかのコースだったが、この日は雪が降って白銀の野原で、打った球が見えない時もあった。
 いちいち打棒をとリ換えるのが面倒なので、ときには何度も同じ打棒のままで続けて打っていった。
 それでもとくにご迷惑もかけずに、初めてと同じように無事に終った。

 そんなわけで、ゴルフなんてものはこんなにも易しいものか、穴入れ練習さえすれば上手くなるもんだろうと、すっかりバカにしてしまったのである。 以後、お誘いがあっても頑として行っていない。道具は赤鰯になって、捨てた。

 いま、弟がゴルフ狂らしく、毎週のようにやっていて、それを自分のウェブサイトで点数を公開している。
 70点台から80点台程度で、時に90点台もある。
 100点満点だろうから、下手な奴である。

2008/06/17

009【世相戯評】うちの共同住宅で硫化水素テロだよ~ってもう大変な騒ぎだったが

 夜10時頃、表が妙に騒がしい、救急車のピーポーがあちこちに聞こえる。そのうちに、「異臭がしているから、窓を閉めよ、外に出ないように」と、放送をして回っている。え、なんだよと思いつつ窓を閉める。

 10時40分頃、ドアチャイムが鳴る、こんな夜中になんだと出てみれば、消防士が出動服で立っている。
 「このあたりで異臭がして、よくまだ原因など分からないのだけど、硫化水素のおそれがあって危ないから近くの警察署か公園に避難せよ」と言う。

 え、最近新聞をにぎわせている自殺かい、それじゃあこの共同住宅全部が避難か、大変だ、そそくさと身支度して避難する。表の通りには消防車が10数台並んでピカピカしている。道は封鎖だ。
 これって、不安と野次馬心とが入り混じって奇妙な心持であった。もちろんカメラでばっちり撮ったが、ただの暗闇に赤ランプだけ。

 公園に行くと大勢立ち並んでひそひそと話している。表の通りに人が倒れていたなど聞こえる。
 そこに来た近所の知り合いが教えてくださったが、ガス発生元はわが家の隣に位置する2階上の住戸だそうである。
 空気より重い硫化水素なら、そのまま降りてきてわが家を襲撃か、怖い。
 処理に2,3時間かかるかもしれないとも聞いたという。もう11時だから、それでは寝られないぞ、。息子に電話して、徹夜になったらタクシーで行くから泊めてくれと頼む。

 11時15分頃、わが共同住宅の前あたりから放送が流れてきて、避難勧告解除だという。ほっとして帰宅、風呂に入ってやれやれ。
 新聞を騒がせていることは知っていたが、自分が巻き込まれるとは思わなかった。テロで共同住宅を爆破予告をされたら、こうやるんだろうなと思った。まだ詳細は分からない。

 洗剤でそんなことができるのかとワイフに聞くと、洗剤によってはなにやら禁止事項が書いてあるという。困ったモンである。便利と危険は隣り合わせである。
 こうなったら硫化水素で自殺したら死刑って、厳罰の法律を作ってはどうか、、と思ったが、死ぬ奴に死刑は意味ないなあ、。(080618)

(追記)翌日に分かったのは、その住戸はゴミだらけで、なにか腐ったものが臭っていたとのことだった。
 

2008/06/10

008【世相戯評】水着で水泳競技の記録が左右されるのが問題ならば全裸で泳げばよかろう

 水着によって水泳競技の記録が違うそうで、オリンピック関係者がおろおろとしているのがおかしい。まあ、陸上競技では靴によって違うようなもんだろう。 

 水着製造着用技術で勝負となると、その素材と着後の形態が勝負なんだろう。
 着後の人体の形態は、そのでこぼこをいかに抑えつけて、魚みたいにすっきりとさせるかが勝負となるだろう。

 となると、男は例のナニが邪魔である。女もナニナニが邪魔である。となるとそのナニ類のペチャンコ始末方法で勝負ってことになるのだろうなあ。
 しかし、どうも腑に落ちない。肉体の鍛錬による記録を競うはずが、水着製造着用技術を競うのでは、水着メーカーが競争しているようなものか。

 あ、いや、もちろん泳者の努力も認めるがね、それでも早く泳げる水着を先に着た泳者が、まずは新記録を作る栄誉を受けることになる。
 それって、単なる早い者勝ちってことだけど、それでいいのかしら。
 まあ、競泳は早い者勝ちには違いないなあ、意味が違うけど。

 そこで大改革提案がある。いっそのこと、競泳時には水着等一切の着用を禁止するとともに、刑法第174条及び175条、軽犯罪法第1条第20号を不適用とする「水泳競技の実施に関する特別措置法」と関連国際協定を定めてはどうか。
 こうすれば肉体鍛錬のみの勝負で実に公平だし、人気競技になること間違いなし、、。
 

 と思ったが、あ、選手になりてがいなくなるか、。

2008/06/05

007【怪しいハイテク】ボケ防止に役立つのはわけのわからないコンピューターをいじることだ

 この風呂具を読んだ知人が、あきれたらしく「ブログまでも始めたのか」って、メイルをくれた。 普通のWEBサイト<まちもり通信>でのイチャモンだけでは、まだ足りないのかってことらしい。
 それに返事を書いていて、ハッと思い当たったことがある。

 この風呂具もそうだけど、コンピューター屋があれこれと腹を立たせてくれるのは、もしかしたら、わざわざそうしているのかもしれないなあ、ということである。
 なにしろ、コンピューターではなにか新しいことをやろうとするごとに、あるいはちょっとした故障ごとに、もうわけの分からない面倒なことが起きて腹が立つのであるが、それにもめげずに何とか立ち向かっていると、そのうちに解決する。

 最近のこと、大学時代の同期友人が光ブロードバンドに変えたら、ほとんど1か月間わけの分からないことに巻き込まれて、あちこちにお助け電話しつつ、まるで銀行で振りこまされているような気分でキーボード操作をさせられて、ようやく元に戻った体験を書いてきた。誰も似たような経験があるだろう。

 そうやって、ああ、よかったなあと、つい喜ぶのである。
  しかしである、実は、それは何も創造的なことが起きたのではなくて、単に元に戻っただけなのであったと気がつくと、また猛烈に腹が立ってくるのである。

 ところがである、こうして毎度毎度腹を立てていると、廊下、じゃなくて蝋化、じゃなくて老化の進むわが脳が活性化してちょっとは元に戻るし、キイボードをたたく指先を使う運動も脳によろしいとか、つまりぼけ防止に大いに役立っているような気がしてきた。

 そうか、これまで腹を立ててコンピューター屋を馬鹿呼ばわりしていたけど、わけの分からんことをさせていたのは日本の超高齢化社会を救うボケ防止策だったか、つまりこれは企業のフィランソロピーなんだな、そういう遠謀深慮があったのか、だとすれば本当は感謝するべきであったか、すまんすまん。

2008/05/27

006【怪しいハイテク】インターネットが停まったので治そうと四苦八苦の挙句が

 5月21日頃の2日半ほど、わがPCで外との通信ができなくなった
 画面には、IPがどうのとか、サーバーが見つからないとか出てきて、メールもWEBサイトもせっかくの光回線につながらない。
 何もしないのにどうしてだろうと、では、机上PCじゃなくてもうひとつの膝上PC(そういえば最近はこのラップトップって言葉を聞かないなあ)をつないでも、やはり同じになる。でもIP電話は活きている。

 それじゃあ、こっちのPCのせいではなくて、プロバイダー@nifty側のサーバー故障で、今に治るだろうとおうように構えていた。だが、2日たってもつながらない。
 これだけ長く商用ネットで故障が続くと、新聞にでるだろうと、見ても記事はない。なにしろつながらないのだから、プロバイダーにメール問い合わせもできない。

 同じプロバイダーに加入している奴も、同じようになっているに違いないと思っていた。でも、ちょっと聞いてみるかと、同じ@nifty加入の友人に電話してみたら、なんだ、普通につながっているというのだ。 おいおい、どういうことなんだよ、まったくPCって奴は困ったモンである。

 しょうがないから、パンフレットの山からようやく探して@niftyに電話をした。こういう電話はえてしてつながらないものと決まっているのが、意外にもつながって、出てきたお兄ちゃんがあれこれと指図してくれて治った。

 結論は、要するにPC、ルーター、モデムの電源を全部抜いて、また入れたら元に戻ったという、実に原始的なものである。足で蹴飛ばしても治ったかもしれないぞ、おい。
 それくらいのことなら、2日も音信不通にさせなくても、ためしにやってみなさいって、どこか画面に出てきてもよさそうなもんだ。気が利かないやつである。

 その@niftyの「年寄り電話相談室」のお兄ちゃんは、それなりにちゃんと教えてくれたのであるが、言葉でちょっといらいらした。なにか操作を指示するときに、いちいち「~してもらってもよろしいですか?」と、こっちに質問するのである。

 「コントロールパネルをクリックしてもらってもよろしいですか」って尋ねられても、よろしいかよろしくないか、そんなこと分かるもんか、分かればこんな電話しない。
 その相談係はそう言えと研修を受けているのだろう、いちいち聞くなといっても、すぐに「よろしいですか?」の攻勢である。
 もうあきらめて、毎度毎度「はい、よろしゅうございますとも」と、お答え申し上げるしか、前に進む方法がないのであった。

 あれはどういうことなんだろう、もしそれで事故がおきても、「そっちがよろしいと承諾してやったことだから、こっちに責任はない」と、逃 げるためだろうか。
 それとも、"would you?"の直訳だろうか、まさかネ。(080523)

2008/05/08

005【怪しいハイテク】ブログを始めたけれども、イチャモンだらけ(その4)

・密林探検のブログシステム内部
 さて(その4)の書き込みである。ご覧になればわかるように、各文末の「コメント」の表示がなくなっている。昨日、いじっていたらコメントを管理するページに出くわしたので、表示しないように設定しなおしたのだ。
 そこまではともかくとしても、今日、そのコメント表示をしないように設定したページを出そうと、あちこち見たが、どこにあるか分からないのである。元に戻せないのである。 これは実はほかにもいっぱいそういうことがおきているのだが、要するに、そこにたどり着くのに論理的に表示をたどったのではなく、たまたま鼠を押したらでてきたからである。

 つまり、用語から内容を判断して押しても、まったく違うものが出てくるのであるそれでも出てくると、おお、ついでにこれをちょっといじくってやろう、となるからである。だからもう一度そこに行こうとしても、そのページとは偶然の出会いだから、再会が無理なのである。これはもう密林探検だよな。

 このブログにかぎらず同じようなことは、コンピューターのソフトウェアには実に多い。
 そんなわけで、なにか意見とか質問とかある方は、WEBSITE版<まちもり通信>の「MAIL」からどうぞ。

・わたしのキーボード歴
 最初のキーボードは、70年代の、あれはなんといったっけか、電電公社のホストコンピューターに接続して計算をするまさに電子計算機だったが、これはわたしの手におえなかった。
 所属オフィスでは構造計算と経理に使っていた。 都市計画の統計処理なんかはIBMの計算センターを使っていた。

 その次が日本で最初の東芝製WP専用機JW10であったが、これもわたしは手におえなかった。大きな事務机にはめ込みセットされていて、タイプライターと同じ機能しかなかったが、使用説明書(マニュアル)が超難しかった。まったく何のことが理解不能だった。
 どういう魂胆でこのような文章を書くのか、そのときからコンピューター屋への不信が始まったといってよい あれと比べるとこのブログのほうが、まだ格段に容易に理解できる。もっとも、比べるようなものではないが、、。

 ついでに思い出したが、70年代の初めに四則算のできる(というよりも四則算しかできない)計算機ができて、それは60センチ角くらいの大きさで、4本の車つきの足がついていた。ネオン管のような数字表示だった。それで手回しのタイガー計算機から開放された。
 わたしがキーボードに本格的に触れだしたのは、80年代になってからであるが、まずはワードプロセサー(WP)専用機であった。

 83,4年頃だろうか、ようやく今のコンピューターに似た形のWP専用機が事務機として登場し普及して、わたしもタイプライター熱をそちらに向けて愛用者となった。
 「ワープロ通信」なんてのが始まって、ニフティサーブに入会したのはその頃だったか、それが「パソコン通信」となり、「インターネット」となったのである。

 WP専用機は家電メーカーが発明したこともあって、個人用の普及をしだすと、その使い勝手や使用解説書は、今のコンピューター屋とは違って、さすが分かりやすかった。
 この頃、今の電子辞書くらいの大きさの「ポケコン」がでてきて、一時持ち歩いていた。四則算よりは複雑なルートとか偏差値とかの計算ができたからである。BASICで書いていたような気がするが、もちろん遊びを出ない。

・作る側と使う側のギャップ わたしは90年代半ばからコンピューターに乗り換えた。最初はマッキントッシュだったが、そのうちにウィンドウズ95がでてそちらに乗り換えた。このときからコンピューター屋の日本語知らずに、ず~っと悩まされ続けている

 だから結構うらみつらみの期間は長く、アホ馬鹿コンピューター屋と罵倒歴も長いのである。要するに使う側の立場ではなくて、作る側でしか物事を考えないらしいのである 早い話が「ワードプロセサー」ってのも、制作者は日本語をいかに処理して機械に載せるか苦心惨憺したので「処理機」としたらしいが、そんなことは使う側は知ったことではなく、きれいな文字と文章が出てくればよいのだから「清書機」のほうが分かりやすいのだ。「ワープロ」なんてわけの分からん言葉が登場したのも不思議であった。

 このあたりの基本的なことがコンピューター屋は分かっていないらしいから、どんなに変な言葉でも、使う側が作る側についてこいっ、てなもんで、パソコン教室を流行らせて2重に儲けようという魂胆なのだろう。昨日まで書いてきたことも、みなそうである。

 日本語を良く知っているものほど、コンピューターは難しいもの、というよりも、バカ日本語が分からんからであるのだ。
 つまり高齢者ほどそうなるのは、老人が物分りが悪いからではなく、バカ日本語にとりつくには、老人の日本語知識がバリアーとなっているのだ。  

2008/05/07

004【怪しいハイテク】ブログを始めたけどイチャモンだらけ(その3)

 さて第3回の挑戦、っていうほどではないが、まだまだイチャモンは続くぞ。
 今回は、前回の終わるときに「投稿を編集」なるページをみつけて、これを「お気に入り」(気に入らんな)に記録しておいたので、そこから入ったら簡単であった。

 本題に入る前にMSI.E.の「お気に入り」を、言葉としてわたしは気に入らないのでに、ここでイチャモンつけておく。
 ほかは検索とか表示とか編集とか硬い言葉なのに、なんでここだけ妙にクダけた用語なんだろう。それなら、「戻る」は「お戻り」、検索は「お探しもの」、表示は「お見せ」、編集は「お書き直し」、「ヘルプ」は「お助け」に、それぞれ直しなさいよ。
 「お気に入り」を普通にほかと同じような言葉に統一するなら「閲覧簿」か「閲覧控え」だろう。

 さて本題である。
 こちらで表示を直せないないので心に抵抗あるままにストレスを抱えて、われとわが風呂具に「投稿」をする。
 記事記入→記事登載→記事公開→記事訂正→記事登載→記事公開というサイクルとなる順序を、このような普通の日本語を使って、ブログシステムできれいに用意してほしいものである。

 第3者がこの風呂具のの記事を読んで、本当に「投稿」しようとしたらどうすればよいのか、自分で実験してみようとした。
 ところが、今度は「投稿」という記載がブログ画面にないのである。
 え、日本語では投稿資格に抵触する自分は投稿できて、投稿資格のある赤の他人は投稿できないのか?

 よく見ると記事の最後に「コメント」とあったので、これかと押せば記入欄が出てきて、書き込みして「投稿」を登載したのだった。
 で、ブログ画面に戻って載っているかどうか見たけど、それが無いのである。

 まあ、その後いろいろいじっていたら出てきたのだが、いろいろいじらないと出ないってのが、どうも不可解である。
 ところで、今これを書いている画面は、たった14行だけの表示である。
 あのなあ、お買い物のメモを書くんじゃないんだよ、きちんと記事を書くならこれじゃあ少なすぎるんだよ。
 長文書くきにはそれまで書き込んだことも時々見返しながらやるもんなんだよ、いちいちスクロールしてめんどうでしかたがないよ、なんとかしなさい。これは後で修正するときに、その場所を探すのに特に面倒である。

 しょうがないので、時々「投稿を公開」を押して、ブログ画面に行ってみて読んで、またこちらに戻ってきて書き続けるのである。

 それにここが「コメント」でよいのか。
 これだとコメンテーターの立場としては、なんだかどうも、立派なご意見を言わなければならない感じである。意見ばかりか、質問とか、関連情報のおしらせとか、挨拶とか、気軽に投稿したいこともあるでしょうにねえ、。こここそ「投稿」と書くべきところなんだけどなあ
 さて、ではこのあたりで、イヤな「投稿」をするか。