2009/08/25

171【世相戯評】日の丸・軍旗・御真影

 なんでも民主党のどこかの会で、あの赤だるまみたいな党マークをつくるのに、日の丸の旗布二枚を切り張りして使った。
 そうしたらTVの党首討論会で、自民党の麻生さんが「国旗を切り刻むとは何事か」って噛み付いて、民主党の鳩山さんが謝ったのだそうだ。

 これで連想するのは、戦時中の御真影(天皇の写真)と軍旗である。
 政府が各学校に配布して拝ませた御真影を、火事から助けだそうとして校長が焼死したのが美談であったし、軍旗はそれこそ戦場だから命と引き換えた兵士が無数にいた。 どちらも天皇の分身として、文字通りに死んでも守らなければならなかった。
 抽象的シンボルが具象的物件に偶像化して取り替わり、人の命までも奪った時代が、私がこの世にいるときにさえあったのだ。
 星条旗模様グッズが下着まである垂れ流し的偶像文化のあちらと、党首討論の政治争いの種にまでなる不可侵偶像文化のこちらと、その文化の違いが興味深い。

 御真影で思い出したが、小学校(国民学校といった)にそれを格納する奉安殿なるものがつくってあり、朝礼では「奉安殿に敬礼!」と号令がかかった。ワルガキどもは「オオアンゴウにケツレイ」と言って無邪気に遊んだ(アンゴウとは阿呆の方言)。
 この記憶によれば「御真影に敬礼」ではないから、偶像化は写真から容れ物に移っていたことになる。そう、偶像は目に見えてこそ偶像なのである。

 わたしはこの日の丸合成事件で、おお、民主党赤だるまマークは実は日の丸のアレンジだったのか、ふ~ん、そうだったのか、と、麻生さんとはまるで正反対のことに気がついたのであった。
 偶像崇拝化が進み、民主党マークもダイエーのそれも偶像損壊と目の仇にされる時代が来るかもしれない、赤い水玉模様も、、、あ、日の丸弁当もか、いやこれは戦時中は推奨されたなあ、?、、。

2009/08/24

170【各地の風景】はるかなるベルリン

 偶然にTV放送の女性マラソン中継放送に行き当たり、ベルリンを走るらしいので見た。もちろん目的はマラソンじゃなくて、ベルリンの街並みを見たかったのだから、音を消している。

 なるほどベルリンの街はこうだったかなあ、と思いつつ見ても、何しろ行ったのは1973年だから、おおいに風景は変っているし、それよりも全く覚えていないのである。
 それとわかった建物は国会議事堂だけだった。例のドームをくっつけたヤツである。
1973年10月 西ベルリン中心街のクーダム


1973年10月 西ベルリンの中心街ウンターデアリンデン

 もちろんそのときには見ていないが廃墟だったはずだ。そのリニューアルの姿を雑誌で見て、これはすごいと思った。
 なにしろ国会をガラスの上から、一般の見物客がのぞくのだそうである。
 ついでに思い出したが、ブラジリアに行ったときも、あの国会議事堂の丸い屋根まですたすたと屋上を行けるのだから驚いた。日本だったらたちまちに逮捕である。話が逸れた。

 さてマラソン放送のマラソンのバックの風景を見ていたら、同じ風景が何度も出てくるのである。どうも同じところを何回もぐるぐる周るコースらしい。
 考えてみればそのほうがコース設定も進行運営も楽になるはずだ。ドイツ的合理主義か。もっとも、一周遅れなんてのが出てきたらこんがらかるだろうが、。

 だから終わりのほうは風景見物に飽きて、マラソンを見たら、なんと日本・中国・エチオピアの3女性がデッドヒートで、結局は一位は中国の女性であった。その名は白雪、おお、白雪姫がマラソンする時代になったのだ。
 この人が勝つだろうと思っていた最も体格もスタイルも良いエチオピア女性は3位だった。 日本女性が10歩のところを5歩で走る長い脚である。
    ◆◆
 今から36年前のベルリンは、まだ冷戦まっただなかの時代で、東西に分かれていて、その間を壁が厳しく隔てていた。
 壁の西側に接して見物のタワーが建っていて、そこから東を覗き込むと、壁の向うにもうひとつ壁があり、壁と壁の間に2重にバリケードがあり、その向うに鉄砲を構えた警備兵がいる。
 東西境界の川に沿う金網に花輪が掛けてあって、ガイドの説明でそれは最近に東から西に脱出しようとして、東の警備兵に討たれて死んだ人のためだという。
 西から東に観光バスで見物に行ったが、検問所の厳しさに驚いた。写真を撮ると討たれるとガイドに脅されるし、兵隊はバスの下の車の間に鏡を入れてそこに越境者が隠れていないか調べているし、そこらにいる兵隊はみんな銃を構えているし、国境とはこういうのなのかと信じられない思いだった。
 その検問所「チェックポイントチャーリー」(東側では「フリードリヒ通り検問所」と言ったそうだ)は、ル・カレのエスピオナージュ小説にも出てくるところである。
 東ベルリンでは、ソ連がナチスドイツに勝った記念施設ばかり見せられてうんざりした。
 とにもかくにも、マラソンなんて平和なことが、ブランデンブルグ門をゴールにして行なわれる時代になってよかった。
 参照→032オリンピックマラソンの風景

2009/08/21

169【都市政策】的はずれ緊急住宅対策

 今日の朝日新聞夕刊に「持ち家支援、利用4割 補正2600億円、大半残る」という見出しの記事がある。
 緊急経済対策のために「住宅金融支援機構」から住宅ローンを借りやすいように、09年度補正予算に盛り込んだ住宅取得支援策が、実際は4割しか効果を発揮していない。緊急対策になっていないのだ。
 あいかわらぬ持家政策偏重で、住宅政策を景気対策の経済政策にしていている。

 そもそも不景気な時代そしてこれからの低成長時代に、個人に巨大借金を奨励する政策が誤っている。今借りている住宅の借金返済ができなくて、住宅難民が出ている時代である。
 住宅を単に戸数だけで見ると足りているが、地域偏重、高額価格などで、実際は居住需要状況とマッチしていないのだ。住宅づくりが社会政策ではなくて経済政策だった誤りが出た。

 誰にでも必要な居住という権利の基本となる住宅を、西欧のように社会政策としてしない日本がおかしい。住宅建設という物的な経済政策であって、居住政策といわないところからいて間違っている。
 公営住宅を建てず、住宅公社を廃止し、都市機構の賃貸住宅を民間に移行しようとか、とにかく住宅賃貸住宅政策をないがしろにして、大借金国民を増やすのが景気対策なのか。

   ◆◆

 このところ新聞をにぎわす賃借人「追い出し屋」なんて商売が成り立つのも、賃貸借住宅が少ないから、つまり政策がないままに市場任せだからである。
 わたしの住む県公社賃借住宅は、追い出し屋はなさそうだが、それまがいのことがある。3年くらいごとに家賃改定、つまり値上げをするのである。
 その言い分は、周りの賃貸住宅が上がったからこちらも上げるというだけある。

 その根拠資料を示せと言いに行ったら、なんと「入居者には見せないことになっている」と回答。こちらは大いに腹を立てて情報公開請求をしたのだが、こんどは資料がないと回答してきたのであった。
 そんなことをもう2度も繰り返した。全くオハナシニならないのである。追い出したいのだろう。言っておくがわたしは家賃はきちんと払っている(いつまで払えることやら)。

 今度の選挙に向って、この住宅政策を転換して社会政策としての居住政策を打ち出している政党は、ない。
 各党の党首でも誰でも、いちどは民間の木造賃貸アパートなるものに住んで見ればよい。日本の住宅政策の至らなさがわかるはずだ。大邸宅に住んでいては本当の居住政策は見えないだろう。
参照◆賃貸借都市の時代へ

2009/08/19

168【世相戯評】新興宗教政党?

 いつもの表が騒がしさに今日から衆議院選挙立候補者宣伝カーが加わった。
 新聞に候補者の届出の一覧表が載っている。単独とか比例とかってわけがわからない。

 政党の名前が一覧表にずらーッと並んでいるが、聞いたことがあるようなないようなものもある。
 諸派という政党名と思ったら、その他の分類に入る雑魚政党らしい。かと思ったら、300人以上も立候補者がいる幸福実現党なる連中もここに含むと書いてある。
 え、人数じゃないのか、そういえば、政党名が堂々と書いてあるのに、立候補者1名という欄もある。では諸派という分類の基準はなんなんだろうか。わからん。(法による政党要件と新聞用語の諸派とは関係ないだろう)

 神奈川の立候補者一覧表の諸派欄に人数が書いてあり、欄外注に「諸派は幸福実現党です」とある。なら諸派じゃなくて党名を書けばよさそうなものを、、。
 念のために言っておくが、その党の肩を持つ気はさらさらない。ただ、「諸」とは複数の意であるから言葉としてヘンであるというのだ。

    ◆◆

 幸福実現党なんて聞いたこともないが、今回始めて登場したのだろう。ほかの新聞記事や広告を総合してみると、幸福の科学なる宗教団体(かしら?)がこれの本家らしい。
 つまり公明党と創価学会の関係と同じらしい。その昔、初めて公明党が出てきた頃の扱いもこうだったのかなあ、。
 ふ~ん、そうなのか、どうも宗教団体が裏にいる政党ってのは、なんだか薄気味悪い。

 それにしても宗教団体ってのは金があるのだなあ、こんなに泡沫候補を立てて、供託金没収額はいくらになるんだろうか。
  300万円×300人として9億円以上だよ、まあ、新聞などもタダで名前を載せてくれて、私でさえも名前を知ったくらいだから、これで布教活動費と思えば安いってところなのかしら、よく分からん。
 なんにしても庶民の身近な生活感覚ではない。

<後日付記090831>選挙が終わった。幸福党は全て泡沫候補ならぬ泡沫政党なみ得票で全滅だった。

2009/08/17

167【都市政策】まったくもって時代遅れそのものの民主党の選挙公約

 8月末の選挙に向って政局があわただしい。この選挙の結果で、もしかしたら民主党が内閣を組織する立場になる可能性もあるとかで、政治にあまり関心のない私も、ひとつだけ気になることがある。
 高速道を無料化するという公約が民主党の目玉らしいが、はっきり言って、これはおかしいと思う。 これまでにもこれがおかしいと言う人は多いようだ。
 その理由は、第1にCO2削減の環境政策に反していること、第2に財源問題の不明確さ、第3に負担の不公平、第4にむしろ渋滞が進む可能性があることなどである。
 ところが、どうもまだ言われていないことで、実は都市計画上での重大な問題があるのだ。
   ◆◆
 民主党ウェブサイトに、政策に関するQ&Aのページ(2003年10月)があり、高速道路無料化についてこんなことが書いてある。

「Q:東京近郊はわかりますが、地域経済はどうなのでしょうか?
A:地域経済も活性化されます。日本の高速道路は、料金が高い、そして出入り口の数が少なかったため、極めて使い勝手が悪かったと思います。ちなみにアメリカの高速道路の出入り口は、約3kmに一ヶ所ありますが、日本は約15kmに一ヶ所です。そこで、料金を無料にするだけではなく、出入り口の数を増やしたいと考えています。高速道路が利用しやすくなる、つまり生活道路になれば、高速道路の出入り口に街ができることになるでしょう。住宅建設だけではなく、商店も進出することになります」 
 また、同じく民主党のウェブサイトに、動画による政策解説があって、そこでこの件に関して、長妻昭政調会長代理がこうしゃべっている。
パーキングエリアなどが誰でも入れるようになるので、例えばそういう土地を使って、工場を誘致するとか産業を誘致する、あるいは遊園地などなど、地域振興の要になる可能性も出てくるし、、、、』 

   ◆◆
 21世紀の日本の都市計画は人口減少社会に向けて、20世紀の人口増加時代に拡大拡散した生活圏を、コンパクトにまとめて再編成し、都市の適切なる縮退をすすめることが主流になっている。
 民主党の言う「高速道路の出入り口に街ができ、、、住宅建設だけではなく、商店も進出することになります」とは、都市郊外に拡散している産業施設や都市施設を、高速道路インターチェンジ付近で更に拡大増設して、郊外開発を進める20世紀型の都市計画そのものである。

 いまごろ「地域振興の要」などとインターチェンジを持ち上げるなんて、時代遅れもは甚だしい。
 郊外のインターチェンジ付近の山林田畑をつぶして大規模商業施設を立地させる都市計画が、都市の中心市街地の衰退を招いて、都市住民の生活の不便さをもたらしいることは周知のことである。

 なかでもイオングループがその最大の元凶である(ちなみに、イオンの社長は民主党岡田幹事長の兄である)。
 高速道路が無料化するということは、これらの商業施設の市場エリアが広がることであり、この政策で民間企業としてもっとも利益を受けることになるはずである。それは今の都市問題の深刻さを更に推し進めるだろう。

 空洞化した中心市街地の再編成をどう考えているのだろうか。わたしは商業政策には興味はないが、それにしても自民党と公明党という今の与党公約の中には、商店街振興について言及しているのに、民主党にはそれさえない上に郊外開発促進とは、いったいどういうわけだろうか。

 思い出したが、民主党には知人の都市計画家・若井康彦さんがいるはずだが、彼はなにをしているのだろうか。
 政治に興味のないわたしにも、民主党のこの政策だけは、その基本的考えが気に入らないから、政権とるならぜひとも改めてほしい。

 ついでに言うが、インタチェンジは街への玄関口でもあるはずだが、どこのインタチェンジ付近も醜い商業建築と汚らしい看板だらけで、これがこの街の玄関の風景かと嘆かわしいばかりである。(090816)

参照・怖いぞ、郊外開発は生活圏を破壊する

2009/08/15

166【ふるさと高梁】夏の日の鎮守の森で

 ふと目覚めて見上げる窓ガラスの外の空には、樅と杉の大木の枝と葉が黒々と張りめぐらされている。
 枝と葉とが空を覆いつくさないあいまには、未だ薄暗い空を背景にして自然の自在な影絵の造型が見える。
 幼児の眼には、人の顔、動物の頭、怪物の形も見えて、はっと怖くなり布団にもぐりこんでまた眠りにおちる。
    ◆◆
 街の鎮守の神社は、盆地の東の山腹の森にある。
 道から石段を40段も登りつめたところに、南北30m、東西15mほどの平地が造成されて広場となっており、その片隅にわが家が社務所にくっついている。
 3方を樅、杉、松、檜、銀杏等の大木がある森がとりかこみ、もう一方の斜面には竹林がある。そこからまた20段ほど階段を登ると、社殿のある30m角ほどの平地があり、ここも森で囲まれ、背後は山林になっている。
 この境内地は、夏は蝉時雨に溢れて、慣れないと耳が痛いほどである。アブラゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、ヒグラシなど、初夏から真夏そして初秋へと、蝉の声はしだいに主流が移り変わる。森の中に縁台を出して、その上で蝉の声を枕に昼寝をする。
    ◆◆
 ある晴れた夏の日のこと、社務所の玄関先に近所の人たち10人くらいと、疎開児童の小学生たちが集まった。
 疎開児童引率の教師が持っていたラジオを、ここでこれから聴くのである。その頃、社務所には兵庫県の芦屋市の小学生1クラスが、アメリカ軍の空爆を避けて集団疎開してきて寝泊りしていた。
 8歳の少年のわたしもそこにいた。ただし、疎開児童たちを受け入れた側である。
 雑音の多いラジオからの言葉を、大人はどう聞いていたのだろうか。少年の耳には内容はわからなかったが、鮮明な記憶がある。
 それは、放送を聞き終えた大人たちが一列になって、社務所から広場へそして石段へと、一様に黙りこくってとぼとぼと歩く風景である。
 暗い鎮守の森から明るい太陽の下の街へ、それは時代の変わり目の象徴的風景として、思い出のなかの64年前の8月15日であった。
 父は月末に戻ってきた。彼の3回も兵役についた長い十五年戦争の日々が、ようやく終わった。
    ◆◆
 その夏休みが終わった日から、国民学校の教壇にある教師たちの戸惑いと転向を、少年ながらに目の当たりにした。
 教室机の並べ方が毎週のように変ったのは、民主教育実験だったのか。
 もっていた教科書に墨をぬった。なぜそれを塗るべきなのか、不思議だった。
 新教科書だといって、8ページ分を1枚に刷った新聞様の紙束が配布されて、裁断して本の形に綴じた。
 教師が黒板に書いたことを、いや、こういうことはいけなんだと、つぶやくのも聞いた。
 まったくもって、ひもじい毎日だった。少年は遊ぶのに夢中になってしまうから、気がついて突然に飢餓に陥り、母親に食い物をねだるが、なにもない。あの頃の親は実につらいものだったろう。
 学校給食のコッペパンと脱脂粉乳ミルクがおいしかった。家の前の境内広場は芋畑になり、人糞肥料の匂いが漂っていた。
 幼児の眼に怖かった樅や杉の大木も、沢山の実を降らした銀杏の大木も伐られてしまった広場は、今は駐車場となっている。耳を圧する蝉時雨は、今も降っているだろうか。
●参照→・戦後60年目の靖国(2005) 
    →少年の日の戦争ー母のための小さな自伝

2009/08/13

165【くたばれ乗用車】下種のマヌケフェスト

 選挙に行かない主義だが、今度の選挙はもしかしたら民主党がトップになるかもと、世の中が騒がしいように、新聞に書いてある。テレビ番組を見ないから、そっちはなんと言っているか知らない。
 そこで、政党の公約(最近ではマヌケフェストとかいうらしい)をウェブサイトで読んでみることにした。殊勝な心がけだと自分でも思うが、実はこれが結構手間がかかる。さっと出てこないのであるし、出てきてもこれが実に読みづらいのである。
 書きぶりも読みづらいが、見開き印刷用の原稿をそのままPDFにするものだから、画面では右左とスクロールが面倒なことおびただしい。html版でも、レイアウトが悪いから、途中でいやになる。他人に読ませようって努力がなっていない。どの政党もである。
    ◆◆
 全部を読むのがめんどくさくなったので、住宅・都市政策と高速道路料金問題だけ拾い読みした。
 公明党が住宅・都市政策について言及した文字数がいちばん多かった。コンパクトシティとかモーダルシフトとかトランジットモールとか、まあ、専門語というかオタク言葉でも書いてあって、ここは都市計画関係者が書いたらしい。
 もっとも、内容はプロからみると目新しいことは何もない、ただの羅列である。
 民主党の住宅・都市政策記述は、都市政策はなくて住宅政策についてちょっとだけある。
 わたしが注目したのは、「多様な賃貸住宅を整備するため、家賃補助や所得控除などの支援制度を創設する」ことで、やってもらいたいが、具体的になにをするのかしら。
 「定期借家制度の普及を推進する」なんて書いてあるが、元はといえば借家人追い出しのためにできた制度であるだけに、これを使ってなにをしようというのか、貧乏賃借人には不気味である。
 自民党の住宅・都市政策記述は、民主党よりは行数が多いが、たいしたことは書いてない。
 「特に子育て世帯や高齢者等が安心して生活できるよう、子育て支援施設やケア施設の併設された住宅等、良質な賃貸住宅を供給する」のところに注目するが、具体的になにをするのだろうか。
    ◆◆
 さて高速道路路料金問題である。
 自民党は触れず、公明党は現政策を恒久化するとのこと。
 で、無料にする民主党である。こう書いてある。
===引用===
「30.高速道路を原則無料化して、地域経済の活性化を図る
【政策目的】
○流通コストの引き下げを通じて、生活コストを引き下げる。
○産地から消費地へ商品を運びやすいようにして、地域経済を活性化する。
○高速道路の出入り口を増設し、今ある社会資本を有効に使って、渋滞などの 経済的損失を軽減する。
【具体策】
○割引率の順次拡大などの社会実験を実施し、その影響を確認しながら、高速道路を無料化していく。
【所要額】1.3 兆円程度
===引用終り===
 その一方で、「CO2等排出量について、2020 年までに25%減(1990 年比)、2050 年までに60%超減(同前)を目標とする」と書いている。
    ◆◆
 民主党ウェブサイトに一問一答の動画がある。そこでこの件について長妻民主党議員が言っているのは、経済効果が大きい、特にインターチェンジ付近の開発を誘導するので工場や産業や遊園地を誘致することができる、とある。
 おい、語るに落ちたとはこのことだぞ。高速道路IC付近でいちばんの産業は、郊外型ショッピングセンターなのである。そして現在それをいちばん抱えているのが、ジャスコのイオングループである。無料化するといちばんうまい汁を吸うのがイオンである。
 巷の噂では、イオン社長は岡田さんといい、民主党の岡田幹事長と兄弟だそうである。まさかと思うが利益誘導ではあるまいなあ、。
 それはともかく、これじゃあコンパクトシティ時代に郊外開発を賞賛していて、公明党にも劣るじゃないか。自民党だって商店街振興策を言っているぞ。都市問題に弱い民主党である。
    ◆◆
 そしてまた、環境政策との矛盾について動画では、渋滞が減る可能性があるから、総合的に見てCO2はそれほど増えないように思う、と、あやふやなことを言っている。おい、大丈夫か。
 そもそも道路の渋滞なんて、朝から晩まで365日やっているのじゃないのだ。多分、1年の時間のうちの数パーセントに過ぎないだろう。それくらいなら我慢しなさいよ、1.3兆円だよ、これでほかにやることがいっぱいあるでしょ。
 これについては、NGOがしごくもっともな共同声明をだしている(12日現在で21団体)。
「高速道路無料化・自動車関連諸税の暫定税率廃止に、反対します~ 高速道路無料化・割引は撤回し、暫定税率は炭素税などにシフトを ~」
http://www.kikonet.org/iken/kokunai/2009-08-05.html
 政治の流れが変るのは何かに期待したいが、タダだからいいだろうって下種の人気取りマヌケフェストで、こちとら車に乗らないものにも1.3兆円と排気ガスを負担させるなんて、気に食わない。
 え、なに、流通費が下がるから車に乗らないものも恩恵を受けるって?、、、それなら、流通業トラックや乗合バスだけ無料にすればよろしい。遊び乗用車はど~ンと高額にしてね、。1.3兆円もあるなら、CO2削減に寄与する鉄道や路線バスなど公共交通に投資しなさいよ。

2009/08/11

164【父の15年戦争】石原莞爾の「世界最終戦論」を古本屋で見つけて買ったら

 野毛坂の古本屋で変な本を見つけて、つい、買った。
 石原莞爾著「世界最終戦論」(第一改定版1940立命館出版部発行)である。
 父の十五年戦争を追っていて、満州国に興味が深まった。満州というキメラには前から興味はあったのだが、そこに身内が命を懸けたとわかると、それなりに興味の湧き方も深まるものだ。

 徘徊老人のいつものコースの横浜ご近所古本屋探検は、ちかごろは105円棚の充実する伊勢佐木町ブックオフで思いがけない掘り出し物に凝っているのだ。
 特にこのところの十五年戦争関係資料の掘り出し物は、「日中戦争」児島襄の第1巻と2巻であったが、この類はブックオフにはめったに出ない。

 やはりブックオフでは奥が浅いので、古典古本屋にも回帰しつつあり、今回の石原莞爾である。
 ときには古典的な紙魚の香りがする古本屋さんにもいかないと、禁断症状が出る、ということもある。
 満州のことについてなにを読んでも教祖様の如く石原莞爾が出てくるし、とくにその「世界最終戦論」は、彼の満蒙植民地化論のバイブルみたいに書いてある。その後の世界の構造を予言したとも書かれている。

 気になっていたが特に探す気もなかったのに、偶然にその論の本に出会ったのだ。四六判、100ページ足らずで定価40銭、古本価格は1000円であった。
 1940年9月10日初版5000部発行、すぐに20日には増刷5000部、更に重ねて買った改訂版まで合計3万1千部発行である。
 大ベストセラーである。時代の空気をどう読むべきなのだろうか。

 たまにこのような戦前戦中の古い本を買うことはあるが、これまではほとんど建築か都市系の本であった。
 いよいよ老人趣味になってきたか、、、もっとも、初版本や稀覯本をあさるような古書趣味は全くない。

追記:その後、青空文庫に「世界最終戦論・戦争史大観」という石原の著書があるのを見つけた。買わなくてもよかったのだ。インタネット時代はすごい。

2009/08/09

163【言葉の酔時記】へんな政党の名前だこと

 「みんなの党」だってさ、新党である。
 おかげで「みんな投票に行こう」なんて投票宣伝文句は書けなくなった。
 ひらかな党は、むかし「新党さきがけ」ってのがあったな。

 思い出せば、むかしは選挙のたびに「公明選挙をしよう」といっていたものだ。
 公明党のことじゃないよ、公明党ができるまでのことだ。それがあの党ができてふっつりと消えた。投票キャッチコピーを乗っ取られたのだ。

 政党はどんな名前をつけてもかまわないのだろうか。選挙広報や新聞に書かれるので、宣伝になるとて、変な名前の政党が時々出現するようだ。
 どうだい、「選挙党」とか「投票党」ってのは、、。選挙に行きましょうとか投票しましょうとか、言えなくなっちまうぞ。

 あっ、今、このブログを書きおわり、公開する作業の画面にしたら、「幸福実現党」の宣伝文句がでてきたぞ、う~む、この政党名もなんだかなあ、、。

 いや、そんなことより、このグーグルのブログは企業等の宣伝がないので気にいっていたのだが、開設の初めのうちは宣伝文句を見せないようにしていて、もうブログをやめそうにない頃になると見せるって作戦なのか、う~む、おぬし、ようやるよのお、けっ、。

2009/08/07

162【言葉の酔時記】ご苦労さまとは失礼な首相である

 首相ともあろう人が、こういう時にこういう言葉づかいはないだろうと思った。
 6日に広島で、原爆症救済策の確認書に首相と原告代表が調印して、原爆症認定訴訟を終結させたときである。
 原爆被害者側の『坪井代表委員が麻生首相と握手し、「ご決断ありがとうございました」とお礼を言うと、麻生首相は「ご苦労さまでした」と答えた』そうである(8月6日YOMIURI ONLINE、同日朝日新聞夕刊)。

 わたしくらいの年代では、首相のこれは誠に不遜なる言葉使いであって、失礼にあたると腹が立つのである。
 訴訟に絡むことだから微妙なこともあるだろうが、調印は対等であるし、相手が礼を言っているのに、それに対して目下をねぎらう「ご苦労さま」との言い方はないだろう。
 文字が読めない人として有名だが、言葉づかいも知らない人である。

 最近、メールの出だしに「お疲れ様です」なんて書いてくる変なやつが複数いる。 外でも会議の後で「お疲れ様でした」などと送り出されてムッとすることがある。
 もちろん言うほう書くほうは気にせずに気楽につかっているのだろうし、言葉は時代と共に変ることも承知しているが、このつかい方は未だ変り切っていないことも事実であるから、使うほうも気をつけてもらいたいのだ。
 その辺のガキどもならともかく、アソウさんのようなお方はねえ、。

2009/08/06

161【くたばれ乗用車】そこのけそこのけお車様が通る

 電気モーター自動車とか電気ガソリン併用自動車とか、要するに電気モーター走行自動車がもてはやされつつある。そこには排気ガスがない(これは疑問であるが)とか、騒音がないとかの利点があるそうだ。
 今朝の朝日新聞社会面に「静かすぎ車 音出す実験 電子音・擬似エンジン音・・「わかりにくい」多く」との見出しの記事がある。

 電気モーター走行の自動車が歩行者のそばにやってくるとき、騒音がないので歩行者が気づかないので危険であるから、気がついてよけてくれるように、安全のために騒音をわざと出すのだそうだ。
 全くもって世の中には、とんでもないバカなことを考える人たちがいるものである。
 だって、自動車の騒音が深刻な社会的公害問題であることは明々白々であり、自動車のほうが歩行者よりも絶大に強くて加害者になることも明々白々であるのに、この記事はそのどちらも否定しているのである。

 国交省の委員とかの意見として「音だけで車だとわかり、、、」と、騒音発生を肯定し、音を出して歩行者がよけることを前提にしているのである。
 絶対的に強い自動車のほうが注意して歩行者を回避するべきが前提なのに、その逆を前提にものごとを考えている。
 自動車が歩行者を回避できないときは、停まればよいのだ。そして窓から首を出して、「恐縮ですがそこを通してください」って言いなさいよ。

 刃物を振り回しているヤツの刃物を取り上げるのじゃなくて、振り回すと刃物から音が出るようにして、近くにいるものが逃げやすいようにしようって発想である。
 バックしてくる自動車が「バックします、注意してください」と、甲高く機械発音するのがいつも癪に障る。注意するのはそっちだろうが、、。
「そこのけそこのけ車が通る」思想は、抜きがたい20世紀型発展神話として、日本人の脳裏に植えつけられてしまったのだろう。 頭の中はいまだに発展途上国である。

 そういえば、60年代に自動車が普及し始め頃、車を運転するヤツはやたらとクラクションを鳴らしていたものだ。日本が発展途上国の頃、自動車が発展神話の象徴だった。今は中国だろうか。
 電気自動車の出現で空気がきれいになるというのは嘘でも、騒音はなくなるのは本当らしいと思っていたら、なんとわざわざ騒音発生装置をつけるんだとさ。
 それがいかにも歩行者の安全のためにというおためごかしの理由で、、、バッカジャナカロカ、、、静かに走って自動車のほうで気をつけてよけろよっ!。
 そのうちに携帯電話の着信音みたいに、それぞれ自動車ごとにてんで勝手な音を出して、そこのけそこのけって走るんでしょうな。、、、いやだいやだ。
 参照→電気自動車に税投入は適切か

付記:インタネット新聞JANJAN2009.8.12に、「歩行者脅す「エコカー音発生装置」は本末転倒」という記事が載った。
付記2:2009年8月18日朝日新聞朝刊「声」欄に、「HV車 音に頼るより声掛けを」と題して、天野俊歩さんの次のような投稿が載った
「・・・私は歩行者が多い道を走るときにはほとんど歩行者同じ速度を保つようにしている。モーターで動くHVはエンジンと違ってエンストすることもないから容易なことだ。しかし追い越したいときには窓を開けて「すみません、先に行かせてください」と声をかけている。これでたいてい気がついてよけてくれる。もちろん、お礼を言いながら頭を下げる。・・・だいたい音を出して歩行者をよけさせようという発想が傲慢だ。道の上ではお互いに尊重しあうのがあたりまえではないか

2009/08/05

160【法末の四季】都会の中の自然の音と山村の自然の音

 横浜都心の7階に住んでいると、聞こえる音は、ほとんどが自動車走行の騒音であり、近くに消防署があるので救急車が特にうるさい。
 朝はシャッターが上がる音が毎日定時に聞こえる。時には人の声も聞こえるが、それは喧嘩のような大声であるときだ。
 時にはどこかのビルの火災報知非常ベルが聞こえ、いつまでも鳴っていると不安になる。

 自然の音といえば、強風のときの壁に当り角を切る音が強烈である。
 雨は、吹き降りで窓にたたきつけると音が聞こえるが、普通の雨はまったくわからない。雨だれの音はないから、外を見ないと雨かどうかわからない。
 今は真夏、この季節だけは蝉の鳴き声が、ミ~ンミンミン、ジージージーと聞こえている。これがこの家でのもっとも自然の音らしい音である。

 蝉といえば、生家は神社の鎮守の森の中にあったから、夏の間は蝉の声に包まれていた。それはもう、森の中の空間には蝉の声が充満していた。森の中に縁台をだして、蝉の音にくるまれつつ昼寝をしたものであった。
 その音色が夏のはじめから秋に向って次第に変っていった。それは蝉の種類が変るからだ。その音色の変り具合で、耳から季節の変化を感じ取ったものである。ヒグラシが鳴き出すと、夏も終わりの寂しさがただよう。

 中越山村の法末の夏、茅葺民家に寝ていると、早朝一番にヒグラシが鳴きだす。日暮しならぬ日明しである。その音でちょっとだけ目を覚まし、あちこちでカナカナカナと交互に呼び合いつつ鳴く声を聞きながら、また寝入るのは心地よいものである。
 夜中には、庭の池の主である蝦蟇がゲコゲコググと鳴き続けるの聞きつつ寝入る。

 茅葺の上にトタンを張っているから、雨音は大きい。雨だれが土を打つ音も聞こえる。でも、雨音で目覚めることはない。
 朝目覚めて初めて聴く雨音で、今朝は田んぼ仕事は休みだなあと、また2度寝に入るのは、ちいさな幸せである。

2009/07/28

159【父の十五年戦争】戦場はかくも悲惨だったのか

 父の遺品の中にあった、1931年から45年までの兵役時代の手記や記録類を解読して、「父の十五年戦争」としてまとめる作業をしている。
 そのために5月ごろから、満州事変から日中戦争のいろいろな戦史・戦記を読んでいる。

 関連して母方の叔父が戦死したと聞いていたので、その娘の従姉妹にどこで、いつなのかと聞いたところ、1945年フィリピンのマニラ近郊であった。
 なんとその戦場がわかったのは戦後も40年経ってから、部隊長だった人からの手紙であったそうだ。遺族としては、どう受け取ったのだろうか。
 この叔父は1944年7月、わたしの父は1943年12月、共に戦局のきわまりつつある時に充員召集され、叔父は南方戦線に送られ、父は輸送船が無くて内国勤務と、運命を分けている。

 わたしが棚田の米作りに行っている中越の山村の法末に、90歳の元気な長老がいる。
 この人も戦争体験者だとて、先日の夕方、ひとり暮らしの自宅に夕飯持参で訪ねて、話を聞いた。こちらは中国の宜昌作戦と、ビルマのインパール作戦に参加したのであった。

 叔父のマニラの戦いと、法末長老のインパールの戦いは、ともにアジア太平洋戦争のなかでも特別に悪名高い負け戦であった。それらの関連資料など読むと、あまりにも悲惨きわまる非人間的な戦場であり、それらが元はといえば作戦計画のずさんさからきているのが、まったくやりきれない。
 これまで興味が無かったが、こうして初めて戦記や戦史あるいは戦争文学を読んでみて、人間そのものへの不信感と嫌悪感がわきでてくるのをどうしようもない。人間同士で文字通り相食むのだもの、、、。
   →131戦争情報を下さい

追記:ここに書いた叔父と長老の二人の戦争に関する記録を、下記に載せた。
父の十五年戦争(附:田中参三叔父の戦場)
村の長老・大橋正平さんが語ったビルマの戦場

2009/07/26

158【山口文象】ほろ酔い気分で隅田の川風に吹かれつつ豊海橋へ

 昨日土曜日、新宿で旧友たちと久しぶりに逢って昼食、別かれてから東京駅丸の内探検へ。
 東京駅は今や工事現場と化していて、景色がはなわだよろしくない。北の三角ドームは皮をはがれて頭の骨が見えている。
 政治家も登場してお騒がせだった東京中央郵便局は、駅前広場側の2スパンを残して、裏側はきれいさっぱりなくなっていた。

 その斜め南向い側にあった丸の内八重洲ビルは、その南の三菱商事ビルと一体開発の丸の内パークビルとなっていて、角の塔が超高層ビルにくっついている。
 三菱商事ビルの跡には、コピー復元した三菱1号館が、超高層パークビルに従うように完成している。
 さてこの新三菱1号館を建築家・建築史家たちはどう評価するのか、タノシミである。京都の元第一勧銀ビルのように無視を決め込むのか、文化財の復元だとほめそやすのか。
   ◆◆
 今日は、隅田川花火大会の日であると知って、見てこようかと思いついて、地下鉄東西線に乗って、どこで下りようかと路線図を見ていて、門前仲町が目に付いた。
 そうだ、あそこの駅近くにうまい魚を食わせる酒場があったぞ、と思い出した。ここで花火見物は二の次になってしまった。

 門前仲町に下りるのは10年ぶりくらいだろうか、あの居酒屋が未だあるだろうか、どこにあるか分かるだろうか、店の名前も思い出さない。
 でも酒飲みはすごい、すぐに見つかった。魚三酒場である。
 1階は味のしみこんだカウンター席ばかり30席ほど、昔はすぐには入れないほど混んでいたのが、土曜日のせいか不景気のせいか、その中の5席ほど空いている。

 冷酒で鰯てんぷらを食いつつ見れば、ほぼ満席になかに以前は見かけなかった若い女性が、6,7人いる。男ときている者や女二人連れも居る。女一人は居ないようだ。
 でもこんなうまくて安い店に女性も入るようになって、それはよいことだが、混み具合が進むのが困るような。
 酒2合、肴4品で1240円、美味くて安かった。
  ◆◆
 さて、花火を思い出した。隅田川の橋まで歩けば見えるかと、ふらふらと永代橋までやって来た。
 だが、花火は遥か遠くの北のほうで、ビルや高速道路の裏から、頭だけパッパッとみせていて、これでは見物にはならない。

 そばの豊海橋がライトアップされているのを見つけた。
 この橋はわが師匠の山口文象がデザインにかかわっているから、敬意を表しに行き、半分だけ渡ってもどってくる。
 この橋から永代橋の夜景もよく見える。

 それにしても橋をライトアップすると、なんだかそれは元の橋とは違うものに見える。
 河川や両岸の風景とあわせて結ぶ風景、そしてその構造技術の美しさ、それらがあいまっての全体像が橋の基本的な風景なのだが、ライトアップされると特定部分の強調となってくるので、昼間の太陽の下の橋とは別物に見える。
 それがよしあしではなくて、そういうものとしてライトアップデザインをしているのだろうか。

 川風が涼しい。 魚三酒場の冷酒の酔いがまわってきて、橋と水の夜景がだんだんとぼやけてきた。
 よりかかる欄干からドボン、、。

2009/07/22

157【ふるさと高梁】少年の日にあった日食の思い出

 ただいま2009年7月22日午前11時ちょっとすぎ、半分以上は太陽が月に覆われているはずである。
 だが、横浜あたりは空は雲のおおわれていて、なんだか薄暗いだけで、ただいま進行中の日食は目に見えない。

 日食といえば、いつも北海道の北にある礼文島を連想する。
 小学生のころに、皆既食ではないが印象に残る日食を見た。
 生家の神社の境内で、子どもも大人もガラスのかけらにローソクで煤をつけて眺めたものだ。肉眼でも見えるぞと、じっと見つめていたら確かに太陽の姿が見えるのだが、その後しばらく目が見えづらくなった。

 そのときは、礼文島が観測適地だったらしく、新聞に礼文島のことがよく載ったので、記憶に日食=礼文島が刷り込まれている。行ってみたいと思いつつ、いまだに行っていない。
 調べてみるとそれは1948年5月9日のことである。その日は雲のない晴天であった。

 その3年前の8月15日も雲のない晴天であった。その昼過ぎ、この境内を近所の大人たちが黙りこくって、列になって街に戻る姿を思い出す。終戦の天皇の詔勅放送を、神社の社務所に集まって聴いた後であった。

2009/07/18

156【老いゆく自分】昔々の大学山岳部員だったころ岩場から落ちて死にかけた

中高年の山登りが流行とかだが、その60歳前後の山登りツアー客が北海道の山で10人も一日のうちに死んだという報道である。
 それもなんと、雪崩や岩崩れではなくて、寒さによる凍死だそうである。
 お気の毒とは思うが、そのひとびとの歳が歳だから、大学山岳部OBとしては、この山行きはどこかおかしい。
 ガイドに率いられて10数人が出発し、男女年寄りが風雨のなかで疲れた人の度合いによって、ばらばらになって離れて歩いていったというのは、常識はずれの言語道断である。まずガイドの資質を疑う。
    ◆◆
 思い出せば半世紀も前のこと、大学山岳部では若かったから、結構無茶もしたような。
 夏の剣岳合宿でのこと、仲間と2人でその日の行動に出たところ、わたしはうっかり雪の急斜面を滑落したのだ。
 すぐにピッケルを刺してとめようとしたところ、雪面が切れて急な岩壁になってしまった。
 岩壁ではごつごつした岩に跳ね飛ばされるからもう駄目だと観念して、ひょいと下を見たら小さな岩棚がある。
 うまい具合にその棚めがけて飛び降りて、ようやく滑落は停まった。下は絶壁である。
 死ぬ直前だったから、しばらくはショックで息が切れて、座り込んでいた。
 どれくらいそこにいたろうか、上にいる仲間の声にわれにかえって、のそのそと落ちたところを登って仲間の隣に戻った。 
 わが身を見れば、擦り傷はあちこち、すねに打ち身、ズボンはビリビリになっていた。岩場のせいである。
 その日の予定行動は取りやめてキャンプ地に戻った。
 それでも歩けるから、すねの打ち身を揉みながら合宿は続け、岩登りもしたし穂高までの縦走もした。
 そのときは合宿が終わってから横尾に残り、屏風岩の第2ルンゼを登ったのが、わが岩登りの最大ルートであった。つまり全く反省しないのであった。
◆◆
 この滑落は、わが人生の最大ショック事件で、それから半世紀後の去年、山岳部同期生のあつまりで、そのときに一緒だった相棒にこの事件を話して、ショックだったよな~って言うと、そんなことあったっけ覚えていないよ、と言う。これまたショックであった。
 不思議でさえあったが、人の生とは人それぞれにそういうものなのである、、自分でも言ってることがなんだか分からないが、、、。
 この山岳部同期仲間からどえらいやつが出た。ノーベル化学賞の白川英樹である。
 合宿テントの中で俺があいつに化学を教えてやったからなんだよって、受賞当時にヨタ話をしたものであった。
 なにで受賞したか当人から話を聞いたが、何のことだかさっぱり分からなかった。
 ときどき中高年の山登りに誘われるが、行かないのである。昔の山と今の山とは、風景も人もおおいに違うだろうから、それを見たくない。が、本音は、もしもバテたら昔山岳部として恥だからである。
 大学山岳部時代には夢のまた夢だったヨーロッパアルプスの山登り(正確には山降りだが)に、2006年に行ったからそれで満足である。
参照◆昔山岳部その2
参照◆ヨーロッパアルプスは棚田だった(2006)
参照◆アイガー北壁

2009/07/16

155【怪しいハイテク】出るばかりで浄化できずに貯まるばかりの電気のウンコ 

 電気はクリーンエネルギー、つまりきれいな動力源だから、電気自動車も環境によいのだって風潮がこのところあるけど、ほんとうかしらと疑問に思っている。
 今朝の朝日新聞東京版10面に、『使用済み核燃、貯蔵限界 再処理動かず原発ピンチ 「中間貯蔵」整備急ぐ』とて、原子力発電所で使い終わった核燃料がたまり続けている記事が載っている。
 ようするに発電したあとのゴミ処理ができないで、どんどんたまっているのだ。そのゴミが簡単には始末できない放射性物質だから、処理は容易なことではない。

 その処理工場を青森県六ヶ所村に作って試運転しているのだが、不具合続きで本格運転ができないのだそうである。
 工場にはこれまでの12年間に、ウランの量にして2500トン分が貯まっており、満杯に近づいている。各原子力発電所の敷地内にも核燃料ゴミは置いてあるのだそうだ。

 核燃料ゴミの量と環境汚染との関係は知らないが、なんにしても処理できない放射能ゴミが貯まり貯まっていけば、問題が起きるに決まっている。
 素人考えで不思議なのは、処理方法が確立しないのに、どうして放射能ゴミを出す発電を平気で行なうのだろうか、ということである。

 例えてみれば、口から美味いものを食うばかりで、尻からウンコは垂れ流しなのである。いやまあ垂れ流しはできないから、ウンコダメをあちこちに作っているが、そこで盛り上がっているままにしているのである。いつか溢れて流れ出すだろう、キタナイ、、。

 これでもクリーンエネルギーなのだろうか?
 江戸のウンコは下肥として、例えば川越のサツマイモになった。
 電気のウンコは、何か美味いものになるのだろうか? 
  
参照→・くたばれ乗用車

2009/07/14

154全国市長会で講演「伝統文化を活かした地域再生の可能性」

 「全国市長会」から講演の依頼が来た。
 日本各地の市長さんの会であって、税金で運営されているという。 そこの経済部の地方の活性化に関する検討会とて、「伝統文化の再生と地域の活性化』というテーマで、なにか話をしてほしいとのこと。
 おお、市長さんがたには言いたいことがいっぱいある。伝統文化にかこつけて、言いたいことを言ってこようと、喜んで引きうけた。

 7月7日の午後、東京は平河町の全国都市会館には、東北から九州まで25市長と、その随行の市役所職員が倍くらいいた。
 わたしが市長さんたちに訴えたかったことのひとつは、地方都市の郊外部のあまりに汚いので、これに気がついて早くなんとかしてほしい、ということである。
 わたしが撮り貯めている全国各地のいくつもの汚い郊外風景の写真と、その街の中心部の美しい風景とを対置してみてもらった。玄関にこんなにゴミを積んでおいて、それで観光に来いといっても駄目なのであ る。 
   参照→日本全国醜い風景アルバム

 もうひとつは、どこでもなんでも再生とか活性化とかの政策ばかりに金がつくが、人口減少する日本のどこもかしこも再生や活性化はできっこないのだから、もう一方の政策として山や村や街を閉じる政策、しかもそれを幸せに閉じる政策が必要である、ということである。
 このことは市長も役所の人も、心に思っていても絶対に言えないことだ。たちまち大反対にあうだろう。つまり総論としては必要だが、各論としてどこを閉じるかとなると大騒動になるからだ。わたしのような、何のしがらみのない者だからこそ言えることだ。

 多分、政策として理解されるのが難しいだろうが、今すぐ始めなければならないのだ。現実にやむをえず閉じつつある農山村や商店街が日本にいっぱいあるはずだ。
 今のように多くの人たちが、超高齢化してやむをえず農山村から街に移り住んでも、それは幸せなこととはいえないことが多い。

 それに対して何の政策の手を伸べずに、負け組だからほっておけでは、もう見過ごせないときが目の前にきているのだ。もう遅いかもしれないくらいだ。
 このことは誰もがわかっていても、簡単には言い出せない。 
 さあ、どうする、市長さん?(090707)

 参照→地域のしまいかたを考える
 
 講演全文→伝統文化を生かした地域再生の可能性

153【言葉の酔時記】こちらアイスクリームとなりますと言うので、そうなるまで待っていたら、 

 このごろ「・・・となります」と、言葉尻を結ぶのをよく聴く。
 居酒屋で、「こちらビールとなります」(未だ醸造中なのか、出来立てビールになるにはどれくらい待つんだよ)
 喫茶店で、「こちらアイスクリームとなります」(なるまで待ってると溶けちゃうよ)
 鉄道駅で、「まもなく列車の到着となります」(人間が運転するものと思ってたら、自然にやってくるものだったか、)
 旅行の広告に、「このツアーは2人部屋となります」(と言うことは、これまでは1人部屋か3人部屋だったのか、)

 もともと「・・なる」とは、「現象や物ごとが自然に変化していき、そのものの完成された姿をあらわす」(広辞苑第4版)ことである。
 転じて特殊な使い方では、「(そのことが自然に生ずる意から)〓高貴の人の行為をあらわす」とある。 ビールや列車が高貴の方になったのではあるまい。

 普通なら、「アイスクリームでございます」、「ビールでございます」、「列車が入ってまいります」、「2人部屋でございます」というのだ。
 世の中、普通でないことが多くなった。こちら老人となります、、、。

2009/07/08

152【言葉の酔時記】まったくもって無礼な電話屋の言葉遣いだぞ

 電話屋のNTTから「ひかり電話ルータの不具合に関するお詫びとバージョンアップのお願い」なんて長たらしい郵便が来た。
 ルータってなんだ、バージョンアップったあなんのことだ、日本語で言えよ。

 要するに、NTTが売った電話機と電話線をつなぐ機械(これをルータというらしい)が欠陥商品と分かったので、買った客が自分で治せ、というのである。
 そりゃないでしょ、欠陥商品なら治しに来るか、欠陥のないルータを持って取替えに来るのが、世の常識だろうよ。

 治し方を書いてあったので治したけど、来た文書を読み電話機に取り付いて治しおわるまでに20分はかかったぞ、それに加えて本当に治ったか確認のために天気予報にかけたから、その人件費と諸経費と通話料はどうしてくれるんだよ。
 そりゃまあ、たいした金額じゃないけど、でも100円くらいになるだろうよ(時給300円か、安いな)。光電話加入が何件あるか知らないけど、仮に100万件なら合計1億円だぞ。そんだけNTTは自分が原因の損失を免れて、消費者に負担をかけたのである。

 わたしの場合は一番簡単なやり方で治ったけど、それで治らなかったらという方法の、ひかり電話サイトにPCをつかって入ってやることになったら、もっともっと時間がかかるはずだ。
 お詫びとは言いつつ、こっちで治すのが当然の言い方、誰でもこれくらいは知っているみたいなカタカナ用語(ルータ、バージョンアップ、ファームウェア、プログラム、アラーム、INIT,CONFIG)を使って、とにかくそれが気に食わない。

「バージョンアップを行ないます」なんて、いかにも性能を高くするのをタダでやらせてやるみたいな言い方だが、要するに欠陥の修理である。
 「修理を致しますので、お手を貸してください」と言いなさいよ。

 コンピューター関係業者も礼儀知らずだけど、電話屋も無礼である。
 それにしても、買ってから6年9ヶ月経ったら、電話が自分で死んでしまうんだってさ、、バッカみたい。

 多分、この光電話を始めてから今頃が6年9ヶ月なんだろう、どこかでうんともスーとも言わない電話になってしまって、どうしたんだよって文句が出て、おやそうなのかってはじめて「ファームウェア(機器のプログラム)の不具合があり」って、欠陥商品だったことが分かったのだろう。

 この次はどんな欠陥が出て、どんな修理のご指示をいただくのか、タノシミである。
 あ、そうだ、これからは何か間違ってたら、ではバージョンアップします、って言おうっと。