2011/06/30

442怖いなあ、原子力という魔物は

 環境経済学の観点からエネルギー政策の研究者、大島堅一さん(立命館大学教授)の語る
実は誰も分かっていない原発のコスト
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110608/106639/?P=1

 まえからなんかヘンだなと思っていた。
 ・155電気のウンコ
   http://datey.blogspot.com/2009/07/155.html
 ・自動車社会を衝く
   http://homepage2.nifty.com/datey/jidosya-syakai.htm
 やっぱり、原発ってのはこんなに金がかかってるんだ。
 わたしでも原発のためにこんなに負担させられているんだ。
 後の世代はもっともっと負担するんだなあ。先が全然見えない。
 原子力というものは、金と命を食い物にして巨大化し、もう暴れても退治しようもなくなった、人間が作り出した魔物だと、貧乏人のわたしには思えてくる。
 怖いなあ。
 
 大島さんの話を要約するとこういうことになる。
   ◆◆◆
●政府発表の原発発電コストは最低額
・一般に発電コストは、2004年に政府が公表したが試算値が根拠
・液化天然ガスが5.7円/kWh、石炭火力が6.2円/kWh、石油火力が10.7円/kWh、一般水力が11.9円/kWh
・これに対して原発は5.3円/kWhと一番安い
・これには研究開発や立地対策に投入している財政はこの数字に反映されていない。

●現実に近い計算をすると原発発電コストが最高額
・年度ごとに『有価証券報告書総覧』で公表のデータを元に原発を持つ電力9社の発電原価を電源別に、設備の稼働率や減価償却などを含めた実態を反映して、可能な限り抽出して、総発電量で割り算すると
・1970~2007年の平均で、原子力8.64円/kWh、火力9.80円/kWh、一般水力3.88円/kWh
・原発とセットの揚水発電は原発の電力なので両者を平均して原発発電単価は10.13円/kWh

●実は更に高くなる原発発電コスト
・原発発電コストには(税金を投入する技術開発費と立地対策費年間約4000億円)が含まれていないが、これを含めるといくらになるか
・電源ごとの発電量当たり財政支出単価(1970~2007年平均)は、火力と一般水力がともに0.1円/kWh、原子力は2.05円/kWh
・財政支出を加えた総合の発電コスト(1970~2007年平均)は、一般水力3.98円/kWh、火力9.9円/kWh、原子力10.68円/kWh。
・揚水発電とのセットで考えると原発発電は12.23円/kWh

●どうしようもない原発廃棄物処理コスト
・原発発電コストには、莫大な使用済み燃料の取り扱い費用(バックエンド)が含まれていない
・六ヶ所再処理工場で40年間に使用済み燃料3万2000tを再処理するのに11兆円試算、MOX燃料加工に1兆1900億円、処置費用計12兆円以上
・そうして獲得できるMOX燃料をウラン資源換算で価格9000億円程度
・11兆円の大赤字

●そして大島さんはこう結ぶ
・バックエンド事業は数十~数百年、後世に負担だけを押しつけることになりかねない。
・それができない原発のコスト構造が本当の問題
仮に今すぐ原発をすべて廃止しても大量に蓄積された廃棄物の問題から逃げることはできない
   ◆◆◆
 今、起きている福島第1原発事故に対する補償やもろもろの復旧費用を入れたら、いったいどれくらい原発はコストがかかるものだろうか。
 長崎では昨日、経済産業大臣が「安全の責任は国が持ちます」って大見得きって、原発再開せよと自治体に首長たちにいったそうだ。
国が責任を持つ」の意味はどういうことなんだろうか。事故が絶対おきないってことはありえないと、現今の状況で証明されたのだから、この責任とは大臣の首を貰ってもしょうがないから、事故がおきたら国が補償するってことだろう。
 ということは、税金を投入するってことである。
 わたしは嫌だね。  
 怖いなあ、あと20年くらいで巨大な難問題に直面するのだろうが、わたしはその頃はこの世にいないから、シ~ラナイッ…。

2011/06/29

441総理大臣が毎年交替する事情

 新聞社のネットにこうある。
『菅直人首相は6月27日、首相官邸で記者会見し、自らの辞任条件として「今年度第2次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立が一つのめどになる」と明言した』

 政治のことはよく分らんが、補正予算てのは総理大臣が自らのクビをかけるほどの議案なのかしら。
 ということは、毎年補正予算があるけど、その都度クビをかけているんだね。
 だから、日本では首相が毎年変わるんだな、やっとその事情がわかったぞ。

 だけど、ヘンだなあ。これらの議案は、みんなびっくりするほどの特殊な、菅さん独特のものなんだろうか。
 再生可能エネルギーとか特例公債とかも、今、どれも必要な、あたりまえの法案じゃんかよ、それとも何かわたしが理解できないイデオロギー問題が裏にあるのかしら?

 当たり前のことにクビを掛けなけりゃならん政治の状況って、選挙民にとってはヘンな人たちを選んだもんだと思うのだろうなあ、、、わたしは選挙に行かないけどね。

440原発事故の株主責任は?

 東京電力の株主総会で、一部株主による脱原発提案は圧倒的多数の反対で否決されたそうだ。ほかの電力会社も同様であった。
 株の数と株主の数は一致しないから、株主の頭数による差ではないだろうが、それにしてもこれだけ事故が拡大して恐怖を世界に与えていて、東電の責任であることが明白になっている状況でも、株主たちは責任をとろうとしない。
 
 株主ってのは、投資したさきが何やろうと、責任がないものなの?
 株主たちは東電に投資して配当を受けてきているから、その利益のなかには原子力発電による分がかなり入っているだろう。
 株主たちは東電に金を与えて原子力発電をさせ、それによって利益を得てきたし、それによって現在の被災者を生み出しているのだから、株主は東電と肩を並べる加害者のはずだ。
 それなのに圧倒的多数で原発を支持するとは、いったいどういうことなんだろうか。
 そういうことで、この世の中は良いもんだろうか?

 そりゃまあ、投資した株が紙切れになるのが、原発の放射能よりも怖いのでしょうがねえ、。
 もともと株式投資とはそういうリスクを背負ってやるもんでしょう、ってことで、またこれからも放射能リスクを背負って行こうって、金持ちの強欲には負けるなあ。
 紙切れになるの嫌だから、原発の責任は知らない、もっと原発作れよ、利益のために投資してるんだから、ってのかしら。
 これって、どう考えても、被災者たちへの冒涜であるとしか思えないなんだよなあ。

 信念として原発反対運動のために、まえまえから株主となって発言しているかたたちへの敬意は表するのだが、株主とは社会的にはいったいなんだろうか。
 儲かるなら死の商人へだって投資するのが株主だって、そういうものであったか、怖いなあ。
 蕪には縁があっても、株にはまったく縁のないわたしには、株主たちの態度は不可解きわまるのである。

2011/06/28

439シンポジウム横浜の都市デザイン

このシンポジウムは面白そうだ。

シンポジウム
横浜の都市デザイン活動の40年とこれから
2011年7月30日(土) 13時00分~16時30分
(受付開始12時30分)
ヨコハマ創造都市センター 3F(事前申込必要・参加無料)
横浜市中区本町6-50-1
みなとみらい線「馬車道駅」1b出口[野毛・桜木町口(アイランドタワー連絡口)]
主催:横浜市都市整備局
共催:大学まちづくりコンソーシアム横浜


【プログラム】
挨拶 小松崎 隆/横浜市副市長
第1部|講演+鼎談 「都市デザインの40年を振り返る」
講師 国吉 直行/横浜市立大学特別契約教授
コメンテーター 佐藤  滋/早稲田大学教授
  西村 幸夫/東京大学教授
第2部|ラウンドテーブルディスカッション
「これからの都市デザインが目指す方向」
ミニレクチャー1 50年後の横浜の姿
 鈴木 伸治/横浜市立大学准教授
ミニレクチャー2 モビリティデザイン
 羽藤 英二/東京大学准教授
ミニレクチャー3 コミュニティデザイン
 山崎 亮/studio-L代表、京都造形芸術大学教授
スピーカー
 佐藤  滋/早稲田大学教授
 西村 幸夫/東京大学教授
 鈴木 伸治/横浜市立大学准教授
 羽藤 英二/東京大学准教授
 山崎 亮/studio-L代表、京都造形芸術大学教授
 大学まちづくりコンソーシアム横浜委員
  ・横浜国立大学/北山 恒・野原 卓、
  ・神奈川大学/曽我部 昌史、
  ・関東学院大学/中津 秀之 ほか
 特定非営利活動法人 横浜プランナーズネットワーク
   (山路清貴、菅孝能)
ファシリテーター
  国吉 直行/横浜市立大学特別契約教授
*終了後、大学まちづくりコンソーシアム横浜による交流会
 (事前申込み 要・会費制1000円/人 当日支払い)を予定しています。
   
申込方法
件名に「都市デザインシンポジウム参加」と明記の上、
(1)住所(2)参加者全員の氏名(3)所属(4)交流会の参加・不参加を記入し
電子メールまたはファクシミリにて申し込みを行ってください。
電話でのお申込は受付けていません。
○電子メール:tb-udsympo@city.yokohama.jpあてに送信してください。
○FAX:次に示す案内チラシのFAX申込フォームに記入のうえ、
045-663-8641あてに送信してください。
○【シンポジウム案内チラシ】(PDF形式、208KB)
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/pdf/sympo.pdf
※定員に達した時点で受付を終了します。(定員150名)
その際は、ホームページにてお知らせします。
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/

●関連→大震災に都市デザインは無力か

2011/06/27

438ミサイルと原発

 数日前の新聞に、福島第1原発から降ってくる放射能を避けるために、葛尾村では「外国からのミサイル攻撃に対処する避難計画」によって村民が疎開をした、とあった。
 えっ、そんな計画がそんな田舎の町にもあるのか、ギョッとして不気味な気持ちになった。
 それからその不気味さが、心の中に広がるばかりである。

 で、ネットでそのキイワードで調べたら、なんと「国民保護法」なるものがあって、これに外国から攻撃を受けたときの対処方法があり、そこに避難のことが書いてあるのだ。
●参照→国民保護法サイト
http://www.kokuminhogo.go.jp/arekore/shikumi/hinan.html
 あの村の人たちもそれによって避難したのかあ、知らなかったなあ、平和ボケになっているのかなあ。
 わたしの住む横浜市でもやっているんだろうか。
 なにか国家的・国際的陰謀が裏にあるのだろうか、なんだか怖くなってきた。
 
 考えてみれば津波がなくても、どこかからミサイルが飛んできて原子力発電所にドッカーン、今度のようなことは起きるんだろうな。
 核弾頭が乗っていなくても、原発を狙えば原爆を落とすのと同じ効果になるんだなあ.
 ならばミサイルはどこへでも飛んで来るだろうから、日本列島は原爆列島なんだよなあ。
 原発のない沖縄だけが安心だ。
 と思ったけど、ミサイルが狙うのは軍事基地だろうから、あそこも安全じゃないなあ。
 あ、ミサイルじゃなくても飛行機が事故で墜落してきたら、これはどうなるんだ。
 もう考えるのが嫌になってしまう。

 まさか、それは杞憂です、とは言われないだろうなあ。
 杞の国の人たちは、天がおちてくると心配して笑われたが、福島原発には本当に天が落ちてきたのであった
 これはやっぱりミサイルを打ってくる外国をやっつけようって、そう思うものだろうか。
 それとも原発をやめようと思うものだろうか。
 福島以外の原発のある市町村では、目先の金ほしさに原発廃止に抵抗しているようだが、そういうものでよいのだろうか。

 戦争、核兵器、兵器産業、原子力業界、原発、これらがつながっていて、国民保護の建前で大震災対応と戦争対応とが巨大収益事業として連動しているとしたら、これほど不気味で怖いことはない。
 エネルギー革命を言う菅直人さんが、総理大臣の座から無理矢理引きずりおろされようとしている現在進行の政治劇は、じつは裏にはそんなことがあるのかと、勘ぐってしまう。

 浜岡原発停止の要請をするにあたって、事前にこれがもれると絶対に反対されて出来なくなるから突然にやったのだと、菅さんがあのときにいったと、その当時の新聞記事に載っていて、こんな正論に一体誰が反対するのだろうと不思議に思った。
 ところが、そのころから急に新聞論調が「菅やめろ」の雰囲気になってきたので、変だなあ、何か裏がありそうだと勘ぐっていたのだ。
 それは、そういうことなのかあ、あ、いや、考えすぎなんだろうか。

(追記 110731)
 今朝の朝日新聞に、「原発への攻撃、極秘に被害予測 1984年に外務省」の見出しで、もしも日本国内の原発が攻撃を受けて、原子炉や格納容器が破壊され全電源喪失で大量の放射性物質が流出したら、最大1万8千人が急性死亡するという研究していたが、反原発運動の拡大を恐れて、報告書を公表しなかった、と書いている。
 やっぱりなあ、日本は原爆はないというが、原発はいつでも原爆に化けることができるんだなあ。

2011/06/26

437原発事故と復興構想

 東日本大震災復興構想会議から「復興への提言」が出されたので、インタネットサイトでぱらぱらと議事録と資料を読んでみた。
 それぞれのご専門のかたがたの話があるが、なんとも評価しようがないのは、こちらにその能力がないからである。

 興味があるのは、どのお方も苦手であろうと思われる原発事故と復興について、どう述べておられるのかであった。
 だが、案の定、発言は少ないし、ナントカしなけりゃとは言っても、どうするかについては、どなたも歯に物が挟まるのは、仕方ないことである。

 提言の中の第3章が、原発災害の話である。その出だしのところがブンガクテキで、前半の悲観的な口調と、一転して楽観する後半との落差、ちょっとわざとらしいノーテンキさに引っかかる。
ーーーその部分を引用するーーーー

「復興への提言~悲惨のなかの希望~」平成23年6月25日東日本大震災復興構想会議
第3章 原子力災害からの復興に向けて
(1)序
 原子力災害の大きさと広がりには、底知れぬ恐怖がある。
 そして人々は、「戦後」を刻印したヒロシマ、ナガサキの原爆と、「災後」を刻印しつつあるフクシマの原発とを一本の歴史の軸の上に、あたかもフラッシュバックされる映像のように思い浮かべる。
 今回の地震と津波被害を起こりえないものとして、考慮の外に追いやっていたのと同様の思考のあり方が、ここにも見出せる。
 いや、人々は原子力については、ことさら「安全」神話を聞かされるなかで、疑う声もかき消されがちであった。
 原発事故を起こりえないものとした考え方は、その意味では、地震や津波災害の場合よりも、何か外の力が加わることによっていっそう閉ざされた構造になっていたのだ。
 今、人々は進行中で収束をとげぬ原発事故に、どう対処すべきか、思いあぐねている。
 今回の地震と津波の災害に対し、「減災」という対応方式が直ちに認知されたことと、それは対照的と言わざるをえない。
 ある型に回収されるような事態ではないからだ。パンドラの箱があいた時に、人類の上にありとあらゆる不幸が訪れたのと類似の事態が、思い浮かぶ。
 しかし、パンドラの箱には、たったひとつ誤ってしまわれていたものがあった。
 それは何か。「希望」であった。
 それから人類はあらゆる不幸の只中にあって、この「希望」を寄りどころにして、苦しい日々をたえた。
 「希望」―それは原発事故に遭遇したフクシマの人々には、まだ及びもつかぬ、とんでもない言葉かもしれぬ。
 しかしここでもまた人と人を「つなぐ」意味が出てくる。原発事故の被災地のなかに「希望」を見出し、あるいは「希望」をつかむことは、被災地内外の人と人を「つなぐ」糧となりうる。
 いや人は人とつながることによってこそ、「希望」の光のなかに、明日のフクシマを生きることになろう。
 だから、フクシマの復興は、「希望」を抱く人々の心のなかに、すでに芽吹き始めているに違いない。
ーーー引用ここまでーーー

 委員の発言の中で、興味深く読んだのは、民俗学者の赤坂さんの発言である。
「東北なるもの」はこうであったかと、東北地方に疎いわたしには分ったし、「原発なるもの」がもたらす東北地方の展望も興味深いものである。
●参照→「鎮魂と再生のために――復興構想会議2011,4,30 発表メモ」赤坂 憲雄
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou3/akasaka.pdf

 西郷真理子さんは、都市計画家の肩書きで委員となっている。
 他の委員たちが職能ではなくて大学とかの職場の肩書きであって、エライセンセイらしいが、なにをする人か全然分らないのと比べて、この態度に好感をもった。
 税金つかってカイギする人なのに、それが何者か分らないのは、納税者はカイギにカイギ的になってしまう。
 安藤忠雄さんは、建築家と並べて東大名誉教授と肩書きにあるのが、気に入らない。
 なんで建築家だけじゃいけないのか、名誉教授なんて肩書きは落ちぶれたセンセイがつかうもんだぞ。
 
 西郷さんが、100年前の津波被災地の地図に、津波被災エリアをかぶせてみたら、100年前の街はほとんど津波がかかっていないことを見せている。
 人口は2~3倍になっているが、市街地は10倍、20倍以上に海に近い低地の農地をつぶして拡大している。だから、そこがもろに津波をかぶったのであった。
 高台を新規開発しなくても、人口も減ってきたし、街を100年前の範囲にコンパクトに戻してもよかろうと、よく分るのである。
●参照→「復興構想会議検討部会メモ 持続可能(Sustainable)なまちづくりをめざして 2」2011年5月7日西郷真理子
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kentou4/saigou.pdf

2011/06/25

436くたばれ血出痔

 TVはほとんど見ないが、夕食の後で19時からのNHKTVニュースを見ることがある。
 それを今日見ていて、なんだかいつもと違うなあ、なんだろ、
 あ、そうか、あのいつもうるさい血出痔脅迫お邪魔テロップが、画面に登場しないのだと、気がついた。
 いつも右上にある穴魯愚の表示もない。

 もちろん、TV受像機を買い換えてはいないから、この5年間愛用の受像機が自分で気を利かせて、あのテロップを消すようになったのであろう。
 他のチャンネルはどうかと巡回して見たら、10チャンネル分くらいはお邪魔テロップがない。
 だが、いくつかはまだお邪魔テロップが出てくる。こいつらは来月は放送まるごと消えるんだろう。
 ふん、それでも一向に構わないのだ、どうせオレはアホTV番組なんて見ないんだから。

 それにしても、TV受像機を買い換えろと脅迫お邪魔テロップで、電気屋のコマーシャルをNHKまでもやってる。
 だけど、わたしの家のようにCATVでは買い換えなくても構わないんだよって、どうしてテロップ放送しないんだよ、え、おかしいぞ。都合の悪いことは教えないのか?

145血出痔の準備
http://datey.blogspot.com/2009/06/145.html

011血出痔問題
http://datey.blogspot.com/2008/06/blog-post_25.html

295血出痔TV
http://datey.blogspot.com/2010/07/295.html

355立ち退き補償よこせ血出痔TV
http://datey.blogspot.com/2010/11/355tv.html

385出痔樽出歯萎奴
http://datey.blogspot.com/2011/02/385.html

2011/06/23

435【くたばれ乗用車】風景破壊の自動車屋

 横浜関外にあるわたしの棲家から外を見ると、目の前に真っ赤な屋上広告塔が建っている。
 自動車屋のニッサンである。他のビルには広告塔はないのに、これだけが突っ立っている。夜間はライトアップする。
まったくもってジャマでジャマで、9年間毎日これを眺めさせられていても、ちっとも慣れっこにならない。ニッサン製の自動車には乗らないと決めている。
 あれがないとどんなにセイセイするだろうか、ついでに、その向うに見える高速道路の高架構造物も邪魔である。


 そこでせめて画像だけでもと思って、こんな処理をしてみた。セイセイするなあ。

●横浜関外某所の風景


 さて、数日前からその広告塔に覆いがかかっていたが、今日それが取れたのをみたら、おお、広告塔が撤去された! う~ん、セイセイしたぞ。よかったよかった。

 でも、まてよ、ビル全体に覆いがかかってるなあ、まだ工事は終っていないのか、ということはビルを改装してもっとでかい広告塔を建てる気かなあ。
それともビルを壊して、もっと高いビルに建て直すのかしら、う~ん、そうなったらやりきれないなあ。引っ越すしかない。

 自動車屋は風景について鈍感というか、まったくもって風景破壊屋である。
 自動車の野外展示の売り場のなんと汚らしいことよ、どこの展示場でもひらひらと幟や旗や造花が軽薄に舞っていて、人目を引くのだけが目的らしいが、完全に間違っているのに気がつかない。あれでは商品の車も安物にしか見えない。
 どこの安売り量販店の屋外駐車場も、殺風景とはこのことだというばかり。なぜ樹木を植えないのか。

 自動車の普及が、日本の風景を壊した大きな原因である。
 あのスピードで動く人々に何かを見つけさせるためには、周囲といかに関係ない形や色を出すか、そればかりが広告のデザイン原理となった。
 それを見ている方も、次第に鈍感になってきたらしい。だから破壊風景が広がるばかり。
 広告物ばかりか、建築デザインもそうなった。 その結果の典型的な破壊風景が、郊外のバイパス道路周辺の風景である。泣きたいほどひどい汚なさだ。
 あまりひどいので、そのコレクションをしている。
●日本全国醜い風景アルバム

 さて、東日本大震災の復興後の風景はどうなるのであろうか。自動車時代にふさわしい汚ならしい風景の再生復旧になるのであろうなあ、、、。
●風景の自然・景観の都市
http://homepage2.nifty.com/datey/keikan/index.htm

2011/06/20

434横浜で琉球のゆったりとした時間

 沖縄のゆったりとした時間を、横浜で久しぶりに味わった。
 琉球王朝の芸能である「組踊」を、横浜能楽堂で観たのである。
 組踊をはじめてみたのはもう20年も前だったろうか、TVの「萬歳敵討」であった。その時は能「放下僧」とあわせて放送され、江戸武家文化と琉球王朝文化の交流を初めて知って興味を持った。
 能をベースにして琉球芸能と合体させたものが、組踊である。18世紀のはじめに、琉球王朝に仕える玉城朝薫が創作、演奏したのをはじめとする。

 実際の舞台での演奏を観る機会はなかなかなくて、10年ほど前だったか国立劇場で「執心鐘入」を観たのがはじめてであった。
 これは能「道成寺」のアレンジによるものだが、能がそぎ落としたケレン味のある演芸的な面白さをもっていて、興味深く見た。
 例えば、落ちた鐘が上がると中にいるはずの白拍子の姿は消えている。やがて宙に吊るされた鐘からさかさまにぶら下がって蛇体が姿を見せるのであった。
 その次に観たのは、沖縄に遊びに行ったときに国立組踊劇場であった。遊びの日程を劇場の日程に合わせたのである。
 その時見た演目は忘れたが、城を攻め落とすというような筋書きであった。

 今回は近くの横浜能楽堂で「首里の祝い」(2011年6月19日)と題する芸能である。出し物を書いておく。
・老人踊「かぎやで風」 老人:島袋光晴 老女:宮城能鳳
・若衆踊「四季口説」 金城真次、玉城匠
・女踊「かせかけ」 東江裕吉、新垣悟
・二才踊「上り口説」 田口博章
・独唱「赤田風節」 照喜名朝一
・打組踊「しよんだう」 美女:東江裕吉、新垣悟
・醜女:金城真次、玉城匠
・独唱「仲村渠節」 城間德太郎
・組踊「花売の縁」
 森川の子:親泊久玄、乙樽:宮城能鳳、鶴松:比嘉克之、
 猿引:嘉手苅林一、猿:古堅聖也、薪木取:島袋光晴、
 後見:金城真次・玉城匠
 歌三線:西江喜春・仲嶺伸吾・玉城和樹、箏:池間北斗、
 笛:宮城英夫、胡弓:川平賀道、太鼓:比嘉聡、
 立方指導:宮城能鳳、音楽指導:照喜名朝一

「花売りの縁」は能の「芦刈」に想を得た作品であるそうだが、わたしは「芦刈」をまだ観ていないのでなんとも比較できない。
 中で小猿を出すのは、狂言の「靭猿」によるのだろうが、「芦刈」にもあるのだろうか。
 能に想を得た組踊は他には、「女物狂」(能「隅田川」)、「銘苅子」(能「羽衣」)などがあるそうだ。

 能舞台での組踊ははじめてみたが、地謡座に奥から順に太鼓、筝、三線、胡弓、笛の順に座って演奏する。能のように地謡と囃子とは席が分かれていない。
 そして3名の3線演奏者が歌も担当する。
 ゆったりと抑揚のある音曲と歌三線が流れ、台詞もゆったりと歌うごとくである。
 
 能では舞いといって、踊りとは言わないように、原則として水平に様式的に動く。能のできた時代の演芸を取り入れていても、能の様式に変換してしまっている。
 組踊では明らかに琉球舞踊そのものであるらしく、踊りであるから手ぶり足ぶりは上下左右に自在に動く。
 能では装束は派手な色であっても、顔は仮面を使うし、使わない場合でも役者が化粧することはない。
 組踊の登場者のなんとまあ美しい化粧であることよ、本土の大衆演劇がそうであることをちょっと連想してしまう。
 多文化日本を思った。

2011/06/17

433原発と空爆

 どうもこの原発事故は、太平洋戦争末期と似ているようなのだ。
 こんなことはもう誰か言ってるだろうが、いちおう書いておく。

 原発から発した放射能物質が広く天から降ってくるのは、太平洋戦争末期に米軍機から受けた無差別空爆(空襲といった)と同じである。
 人口が集中しているから殺傷が効果的な都市を狙って、焼夷弾を雨のごとく降らした。おびえた人々は、都市から田舎へと避難(疎開といった)していった。
 米軍機は遠く南方の基地から飛び立ってやってきたが、放射性物質は近くの原発基地から飛び立って風に乗ってやってくる。おびえる人々は、風のとどかない遠くに疎開(今は避難という)している。

 太平洋戦争の空爆基地は、はじめは日本列島から遠くの島からだったから空爆機の航続距離の都合で少なかったが、そのうちに近くに占領した基地が増えて、空爆は毎日のようになった。
 放射能空爆原発基地は、いまのところ一ヶ所だが、その候補地は日本列島にまだまだ50ヶ所以上もあるらしいから、どうなるのだろうか。疎開先は原発のない沖縄だけになるのだろうか。

 米軍空爆はこちらの無条件降伏で止んだが、原発空爆はとっくに無条件降伏しているのにいまだに続く。やむをえず、本土決戦の肉弾戦がつづいている。
 原発空爆の殺傷効果はその後も何十年も後を引く。後を引く殺傷効果は、太平洋戦争でも広島と長崎で強烈に経験済みである。

 日本軍の大本営は、絶対に勝つといい、空爆機は撃墜したといい、本土上陸では国民皆兵で撃退するといい、どうもそれを、だれもが信じたらしい。反戦論者は抹殺された。
 原発推進者たちは、絶対に安全だといたし、事故はないといい、今はそれくらいの放射能を浴びても大丈夫という。反原発論者は異端とされてきた。

 そして敗戦、とたんに一億総懺悔と言って、責任は国民みんなにあったとする。
 そして原発事故、とたんに一億総節電といって、電気を使いすぎた国民みんなに責任があるとする。
 
 で、戦争放棄の憲法を作ったが、まだまだ敗戦の記憶のあるうちに、また軍隊を持ってしまった。
 で、原発敗戦の生々しい記憶を積み重ねている今でも、原発廃止が世論の大勢にならない。わたしたちはまた原発を作るのだろう、自衛隊設置の論理をなぞって。

 歴史は繰り返すとは、本当のことであるらしい。

 新聞に川柳が載っていた。
 このたびは三国同盟なりたたず
 第2次大戦では手を組んだドイツとイタリアに、反原発については日本は置いてけぼりにされたのである。この件では歴史は繰り返していない。