2011/07/31

461大災害に都市デザインは無力か

 7月30日午後、YCC(横浜創造都市センター)で「横浜の年デザイン活動の40年とこれから」シンポジウムに見物参加。
 有名な横浜の都市デザインの来し方を見つめ、これからどうするかということだった。
 ●参照→http://datey.blogspot.com/2011/06/439.html

 横浜都心の傍らに暮す身としては、その都心デザイン放射線が降り積っているところを、毎日のように徘徊老人をやっている。都市デザイン消費者である。
 近くの大通り公園、ちょっと歩いて日本大通から山下町へ、そしてみなとみらい地区へ、きれいで格好よい街でございますって、デザイン放射線がだんだんと濃厚に立ちこめてくる。
 その放射能の濃さに息が詰まって、ついつい中華街とか野毛、福富町あるいは寿町あたりの、それも横丁や裏道に入って、眼の深呼吸をするのである。
 
 シンポジウムは「横浜都市デザイン村」の同窓会であった。
 行政マンにしては珍しく都市デザイン室に居つづけた、国吉さんの退職送別会の感もあり。
 昨日の話しを早く言えば、国吉さんのような特別な能力ある人がいたから、横浜都市デザイン室は市長が替わっても替わっても40年も継続し、彼の周囲には研究者、計画者、設計者たちの専門家の人的村社会ができ上がって、プロの目から見ると一定の成果をあげたってことなのだろう。

 ラウンドテーブルを囲むパネラーが19人もいたが、都市デザインの供給者側ばかりで、その消費者側がひとりもいなかったのが、ちょっとそういうものなのって思ったのだった。
 横浜都心のかたわらに暮す一市民(新参者でまだ9年)として参加した立場から言うと、村民だけにはよく分る横都デ語があるらしく、高い笑いがあがるのだが、解せぬこちらは疎外されて黙然とするばかり。

 まあ、わたしは元プロだったから、ある程度はその頃の知識を錆付く頭の引き出しの中を総動員するのだが、横浜の仕事はしたことがないから、ごく普通の市民なみに半分くらいしか理解できない。
 横浜市の主催だから一般市民も相手かと思ったが、どうもそうではなかったらしい。

 東日本大震災で広大なるデコンストラクション世界が出現し、このことが都市デザインの今後になにをもたらすのか、そのあたりの話題に期待したが、パネラーの一人だけがわずかに問題提起しただけで、何も展開しなかった。
 これだけ村の顔役たちを集めたのだから、都市デザインの無力への絶望とか新たな展望とかが語られるかと思ったが、大学まちづくりコンソーシアム横浜が提案したインナーハーバー計画への批判の種に使われただけだったのが、提案者にはタイミングがちょうど悪くて、お気の毒であった。まあ、言われてもしょうがないか。

2011/07/30

460八百長原発・原子力不安院

 原子力安全不安院(え、保安院だっけ)ってのは、国民のみなさまの原子力の安全性についての不安を、取り除くためのお仕事をする役所でしょ。
 いろいろとご努力の様子には、おアリガトウゴザイマスル、ホント。

 これはヤラセだよ~って、にわかに新聞テレビが騒いでいる。
 原発発電所の設置や新機能についての説明会に、電力会社と経済産業省原子力安全不安院とがグルになって、電力会社員や参加者を動員し、原発側に都合の良い発言をしてほしいと、Eメールなどで依頼したとかである。

 え~っと、なんだか似たような事件が、この数年のうちにあったような、なんだっけか?
 年とってくると大昔のことは思い出しやすいが、この数年のことが霞の中に消える。
 いや、そうでもないか、人の名前なんてのは、大昔も昨日も同じようにわすれているなあ、でも、これってわたしだけじゃないから安心だ、いや、安心でもないか。

 いや、原発である。あ、そうそう、おもいだした、八百長相撲事件である。
 え~っと、国際プロ相撲協会というのかしら、外国人が大勢いて年に数回の全国巡回場所興業をやっている集団があるよね、NHKでも放送してる。
 あそこで、力士の間で勝負のつけ方をメールを使って談合してたって事件であった。

 原発推進派が勝つか、反対派が勝つか、この両派が相撲して決着しようとして、談合したってことではないんだな。
 まあ、原発推進説明会やシンポジウムに、政府機関が意図して推進派を動員したって、どうも八百長相撲、いや八百長原発くさいよなあ。

 ただ、どうもヘンである、ナンデ今ごろになって言うの?
 だって、説明会やらシンポジウムやら、ずいぶん前のことだよ。
 その八百長お願いは、秘密でもなんでもなくて、堂々とやってるんだろ。八百長ってみんな知ってたんだろ?
 もしかして、その頃に八百長だとかヤラセとか言うと、どこかから脅しがかかったのかしら?コワ~。
 今、ようやく言っても大丈夫な世の中になったのかしら? コワ~

2011/07/27

459義経千本桜を能の目で見る

 久しぶりに歌舞伎を見た。10年ぶりくらいだろうか。
「義経千本桜 渡海屋の場 大物浦の場」である。国立劇場の歌舞伎鑑賞教室が、近くのホールのやって来たのだ。
 歌舞伎の事はほとんど知らないが、この演題と碇をもったポスター写真を見て、ハハン、能の「船弁慶」と「碇潜」の歌舞伎アレンジ版だなとわかった。
 歌舞伎は能をベースに脚色したものがたくさんあるが、これもそのひとつである。能から歌舞伎でどう変わるのか、そこに興味があった。

 物語のベースにあるのは、鎌倉幕府の兄の源頼朝から追われる身となった義経一行の逃避行だが、能でも歌舞伎でも義経の役は重要ではなくて、主役は平家の大将知盛である。
 能「船弁慶」では、大物浦を船出した義経一行に、以前に檀の浦で義経と戦って、海に飛び込んで死んだ知盛の幽霊が襲いかかってくるのが見せ場である。
 能「碇潜」でも知盛は死んでいることになっている。これは史実である。

 ところが歌舞伎「義経千本桜」と来たら、知盛は檀の浦で実は逃げて生きているし、そればかりか安徳天皇や女官たちも生き延びていることになっている。
 そして大物浦の船宿の主の父と娘に身をやつして、義経の命を狙っているのである。
 能とは比べ物にならない飛躍する創意である。面白い。
 この最後に知盛は死に、安徳天皇は義経が助けて、その身を奉じて落ち延びるのだが、さて、この先で安徳天皇はどうなるんだろうか。

 安徳天皇が生きて、平家の落人と一緒に落ち延びたという伝説は、日本のあちこちにあるらしい。
 10年ほど前に四国の山奥に行ったとき、有名な平家落人集落があり、そこに安徳天皇の衣装を干したと伝える木があった。
 そこの旧家で平家の赤旗を見せてもらった。かなり古ぼけて赤というより垢に近い感じであった。
 本当に平家落人かもしれないが、急な山地の貧しい暮らしを支えるためには、貴種出自伝説は心の拠り所となったであろう。

 この歌舞伎をその元となった能を頭に置きながら観ると、かなり違ってほとんど別物を言ってよいが、ところどころでひょいと能が姿をあらわすのは、竹本の文句である。
 あれなんだか聞いたような言葉と思ったら、これはたしか能「田村」だよ、何でここで田村だよ、とか、ははんこれは元歌「船弁慶」ですねえ、とか。

 演技のほうは能と比べると過剰すぎて、目の中が満員になる。舞台装置のあれこれも過剰だ。
 ただ、刀剣などでの斬り合い演技が妙に様式化した動きで、いわゆるちゃんばらにならないのがおかしい。
 やはり義経が出る「正尊」で様式化した大立ち回りの斬り合いがあるが、歌舞伎はこれを継いでいるかもしれない。能にはトンボはないが、仏倒れのようなケレンはある。

 もうひとつ能の延長上にあると思ったのは、平家方の男も女もぞろぞろと長袴姿であることだ。
 実は能でも長袴の装束で登場する役は多いのだが、例えば「隅田川」の船頭までも長袴というのが、いつも解せない。アンなの穿いて舟がこげるものかよ。
 貧乏性のこちとらは、あの袴の足の下に踏まれて床にこすられてるところは、穴があいてるんじゃないの、って心配になるのだ。

 それにしても歌舞伎の舞台装置のチャチなことよ。
 芝居小屋という仮設性を引きずっているのだろうが、舞台の建物の柱も鴨居も壁も、まるで仮設住宅のように作りが悪い。わざと悪く見せるのだろうか。
 最後に知盛が登って飛び込む海岸の大きな岩のつくりが、おいおいそんなところで重い碇を振り回していると、岩ごと崩れ落ちるよって言いたくなるほどだ。

 いや、これはケチをつけているのではない。そう見てはいけないのだ。
 観客はその舞台での建物が御殿の役割ならそう見るし、その屋根だけがつけ替わると浜の苫屋に見なければならないのである。

 能舞台ではほとんど舞台装置はないし、あってもあまりにも簡素すぎて、つまりチャチの極限なので、抽象化されて象徴性が浮き出る。
 こうなると見るほうの頭の中で、それを豪華な御殿にでも乞食の小屋にでも、一生懸命に変換しなければならない。
 だから変換能力が無い初心者は能を見てもつまらない。何回も見ているうちに変換能力がついてくる。

 その点、歌舞伎は直ぐにとっつける。
 ただし、歌舞伎の舞台のチャチさは、能に比べると半端なのである。
 その半端さがチャチさを浮かび上がらせて、観客に変換能力を発揮させない。見立てのジャマをする。

2011/07/25

458核の降る街を

  核の降る街を 核の降る街を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  核の降る街を
  あの原発から おちてくる
  このうつし世は このうつし世は
  いつの日に 変わる
  底知れぬ恐ろしさ ふくしま
  
  核の降る街を 核の降る街を
  足音もなく 追いかけてくる
  核の降る街を
  人の心に 満ちてくる
  この哀しみは この哀しみは
  いつの日に 消える
  緑なす春の日よ ふたたび
  
  核の降る街を 核の降る街を

  息吹とともに こみあげてくる
  核の降る街を
  だれもかれもの その心
  この空しさは この空しさは
  いつの日に 醒める
  新しき光ふる ふるさと

(内田 直也作詞「雪の降るまちを」のパロディ)

2011/07/24

457ゴーマンNHK血出痔

 お待ちしていましたア、めったに見ないTVをわざわざ見たんだよ。
 さきほど、NHK衛星放送がプッツリ、「ごらんのBS穴魯愚放送は今日正午終了!」ってさ、パチパチ(わたしが手を叩く音)。

 今朝の新聞のチャイナ新幹線みたいに、停められなくて衝突脱線転覆じゃなくて、無事にアナログ放送を停めることができて、よかったね。
 
 さて、うちのTVは衛星放送は映らなくなったから、NHK受信料は今日の正午をもって地上契約に自動的に移行するのでしょうな。
 こちらから契約変更をお願いするモンじゃないですよね、だって、契約相手のそっちが勝手に停めたんだからね。
 でもそれらしいことを、契約当事者であるわたしのところに、これまで何の通知文書もきていない。
 失礼なやつと思うけど、まあ、そちらで変更してくれて、8月からは受信料は年25520円が14910円に下がるんでしょう、当然。

 でもちょっと心配になって、NHKのサイトで受信契約なるものを見たのである。
放送受信規約(放送法第64条第1項による規定)
14 (一部略)衛星契約を締結している放送受信契約者が、アナログ放送終了により、地上系によるテレビジョン放送のみを受信できることとなったときは、アナログ放送終了日から1年以内に、次の事項を記載した放送受信契約書を放送局に提出しなければならない。(1)放送受信契約者の氏名および住所、(2)変更にかかる受信機の数、(3)受信機を住所以外の場所に設置していた場合はその場所、(4)受信できる放送の種類に変更が生じた事由

 えっ、なんだよ、おいおい、これじゃあこっちがNHK様にオオソレナガラって申し出るのかよ~、そりゃないよ~ッ、受信料は税金じゃないんだよ、そっちと相対契約して払ってるんだよッ。
 一方的に勝手に送るの止めておいて、なんだよ~。
 こりゃ片務契約の最たるモンだよ、放送を見せてやるってこの高姿勢は、いまどき珍しいくらいだよなあ。
 でも「1年以内に」って書いてあるから、NHK大明神様は1年以内には、こちらが何もしなくても、ナントカしてくださるのでしょう。そして今日からの差額受信料金は返還して下さいますに違いないよねッ!

 え、おまえんちのTVがBSが映らないかどうかわからないって?
 そんあことないでしょ、血出痔にしたら双方向通信とかナンジャラカンジャラ最先端技術でなんでもできるって、原発安全並み大宣伝じゃんかよ、おれんちのTVのことぐらい分かってるんでしょ、当然。

 でもなあ、これまでなんのお知らせも無い態度からして信用ならんなあ。
 それじゃ銀行に行って受信料自動引き落としをやめようっと

2011/07/23

456原発会社と地域にもストレステストを

 原発にストレステストなんてものをやって、耐性を評価するんだとさ。
 よくわからんが、想定外のことが起きても、想定内に収まるって耐性があるかどうか、そんなことをテストするんだろうかね。
 これって明らかにトートロジーだね。
 まあ、なんでもテストすることはよろしい。
 
 ところでこの体制じゃなかった耐性評価の試験は、原発という装置だけについてやるんだろうか。
 もしそうだとしたら、おかしい。
 だって、福島第1原発でわかるように、原発でなにか起きたら、原発装置だけじゃなくて、東電という組織にも、地域社会にも、国土全体にも、国際的にも大影響が出ているのだ。
 だから、それらもテストの範囲にいれないすると、現在発生してることが全く教訓になっていない。
 
 だから日本の原発ストレステストは、万一福島第1のようなことが起きたら、原発会社(これこそ体制評価か)、立地地域社会、日本社会、そしてアジア近隣諸地域において、どのようなことが起きるのか、それがはたして耐えられるものか、そのような耐性評価を行なうべきである。
 これこそが、ストレステストの真髄であると思う。

2011/07/22

455蛸様へ振替

 PCで電子銀行取引(インタネットバンキング)振替をしようと、あれこれキイを押してログイン、振込み手続きでむやみやたらにキイを押させられ、ようやくこれで最後とキイを押したら、
「振替可能金額が0円ですからできません」…ドヒャ
 おいおい、なんだよ、そんなはずないよ、20日前にもやったんだよ。
 またもう一度はじめから面倒なことをやったら、まただめ、コノヤロー。
 これって手数料無料のインタネット振替えをさせないように、わざとしてるのだろうか。

 しょうがないから、初めてインタネット銀行に電話をした。
 これがまた、電子声ネーちゃんがでてきて、次のどれかから選んで用のある項目の番号を押せと、1番から順番に試験問題を問いかけてくる。
 それに回答の番号を押すと、また次のレベルで同じことをさせられ、こんなことが3回もあって1次試験合格。
 次に2次試験で、支店番号やら通帳番号やらパスワードやら入れろと指示され、ようやく本物のネーちゃんの声に到達した。
 これって電話を途中であきらめさせるように、わざとやっているのだろうか。

「あのねえ、ここまで来るのにえらく苦労しましたよ、途中で何度も挫折しそうになったなあ」
「は、なんでございましょうか」
「あ、〇〇円を振替えしたいのだけど、できないのですが」
「はい、蛸さんに振替えですね」
「は? いや、蛸に知り合いはありませんが、」
「他の銀行さんに振替えですね」
「え、よその銀行のことを蛸というの? あ、他行さんかあ、固有名詞でもないのにさん付けするのはよしなさいよ」
 まあ、こんなやり取りからはじまって、振替はできるようになった。

 蛸とはねえ、銀行村方言を普通の庶民に向って使うなよ。
 昔のことだが、キャッシュディスペンサーのいろいろな表示ボタンに、「おつけ込み」というのがあった。
 通帳記入をどうすれば分らなくて銀行員に聞いたら、これだと教えてくれた。たくあんでも漬けるのかよ。
 実は振込みと振替えとが区別がついたのは、つい最近のことである。世の庶民はみんな知っている言葉なんだろうか?
 そもそもカネって振るものか? 
 そりゃまあ、カネには振り回され、フられてばかりだけどね。

2011/07/21

454オール電化

 福島第1原発爆発、あちこちの原発も停止中、今日は関西方面も節電お願いニュースである。
 近所に共同住宅ビルが建設中である。区分所有で販売するらしい(名ばかりマンションという)。
 工事用の塀に「オール電化」と宣伝文句が書いてある。
 そうだったよなあ、工事を始めたのは去年の末だったかしら、それが最先端だったんだよなあ。なんだか大昔の感じだなあ。
 その宣伝リーフレットをもらって来た。もちろん名ばかりマンションは大嫌いだから、買うつもりはサラサラ無い。電化をどう書いてあるか興味があった。
 で、隅から隅までシゲシゲと見回しても、どこにもオール電化と書いていないのである。
 え、今じゃ宣伝文句にならないから引っ込めたのかしら。
 それとも設計変更してガスにしたのかしら、でも工事用の壁には今も大きく「オール電化」と書いてあるぞ。
 オール電化住宅は今後はどうなるのか、各自に自家発電機を備えるのかなあ。
 そういえば、この春に訪問したネパールは、日常的に停電の国なので、どこでも自家発電装置があるのがあたりまえのようであった。
 そのうちに日本もネパール並みになれば、電気麻薬中毒から立ち直ることができるだろう。

2011/07/20

453 一億総電気麻薬中毒(電麻中)

 原発がその立地する地域の麻薬であるということは、だいぶ前から言われている。原発関連税収ほしさの地域経営に貪してしまっているからである。
 ところがこうやって、福島第1原発事故、核物質降下、節電、全国原発停止、脱原発、反脱原発などの一連の騒ぎを見ていると、これはもう電気そのものが麻薬なんだ、わたしたちみんなが電気麻薬中毒になっているんだと、わたしはつくづく思うようになってきた。

 わたしの幼少時代(1950年代前半まで)のある城下町小都市での生活を思い出せば、電燈は20燭光(今で言う20Wか)が一室に一灯づつと、居間にラジオが1台、たったこれきりであった。親子5人がこれで普通の生活をしていた。
 いまやわたしの住いにはどれほどの電気器具があるのか。電燈だって一室に40wから100wの電球が2灯も4灯もある。全部はとても勘定ができないくらいある。
 
 こんなに必要なのか、と思えど、この電燈の明るさ、このインタネットや電話の便利さ、エアコンディショナーの快適さ、冬の便座の暖かさ、夏の冷たい飲み物などなど、いったん体験したらこれから逃れられない。
 電気器具はアヘン吸引器具であり、わたしはアヘンもコカインも知らないが、確実に麻薬中毒患者である。

 わたしたちは長い時間に亙ってすこしづつ電気麻薬を注入されてきて、すっかり中毒患者にさせられていたことに、今、気がついた。
 わたしは少なくともテレビジョンなる電器麻薬中毒にはなっていないが、インタネット電磁麻薬中毒患者であることは確実である。
 
 そんなところに節電騒ぎであるが、要するにこれは麻薬製造工場が故障して、麻薬の供給が切れたので、中毒患者が禁断症状を起しているのである。
 一億総電気麻薬中毒(電麻中)で、総禁断症状である。
 麻薬が切れたかわりに核物質つまり加工前の麻薬製造原料が飛び散って、電麻中患者のだれかれにかまわず襲いかかっている有様である。

 そこで、電麻中毒患者たちは、こんな汚い怖い核物質の原料から麻薬を作るのはやめようという派と、いや汚くても怖くてもこの原料がいちばん安いんだから作り続けようという派に分かれて、いがみ合っているのである。
 この後者のバックには、これまで核物質原料麻薬工場を作り経営してきた巨大な既得利権集団が控えていることは、これまでの超巨額投資からみて当然に考えられる。
 
 こういうとき庶民はどう考えるべきだろうか。
 まずは電麻中から抜け出すべきであろう。ヤクは適切に使えば薬である。
 次は汚く怖い原料による製造をやめるべきであろう。安価な毒より高価でも安全な薬を供給してほしい。

 さて、麻薬製造書の故障現場が撒き散らしている核物質は、脱原発への強烈なる麻薬解毒剤であろうか。
 それとも、更なる原発推進への麻薬強化促進剤なのだろうか。

2011/07/19

452女タマケリ

 毎日毎日原発津波記事ばかりが新聞の一面を飾っているのに、今日は「なでしこ世界一」って、半ズボンの制服の女どもの写真である。
 この世に原発津波以上の物凄い事件があるものかしら、なでしこの花が咲くのがなんで事件だろうか?
 え、なんだよ、女タマケリ競技でワールドチャンピオンになったってことかよ。
 よくわからんが、お祝い事らしいので、おめでとうと言っておく。
 
 じゃあ、どんな試合だったんだろうと、あちこちにデカデカとある女タマケリ記事を読もうとしても、勝った勝ったと書いてあるばかりで、試合の流れなんてものはロクに書いてはないのである。
 ふ~ん、これってもしかして、誰もがTVで試合経過を見ているんだろうって、そういう、新聞の対TV敗北主義の上で記事を書いてるのだろうなあ。

 こう書いていて気がついたのだが、新聞記事ってもしかして読者のだれもがTVを見ているってことを前提に記事を書いているのだろうか。
 そうだとすると、わたしのようなTVを嫌いで見ないものには、相当に偏った情報ばかりがきているってことになるのか。
 ふ~ん、そうなんだあ、って言っても、これからTVを見たいとも思わない。あんなものわたしの残り少ない人生の時間の無駄遣いである。
 こうなれば、せめてインタネットで情報を補強するしかないな。

 まあ、なんにしてもわたしのような観戦型スポーツ嫌いTV嫌いにとっては、女タマケリも女ゴルフも女スモウ(あるかしら)も、そんなニュースはお呼びでないのである。
 で、問題は、何ページも何ページも読まないページだらけの新聞が毎朝やってくることだ。特に夏が来るとガキの野球で何ページも要らない新聞がやってくる。
 ゴミに金を払うのはまったくもってシャクに障るのである。

◆追記(110719)
 これをフェイスバッカに載せたら、数名の知人からコメントが来た。なかでもタマケリ女狂いらしいM田さんからこんなことを、。
「これはすごい事なんです!昨日早朝の生、昼前、夜10時からの3本繰り返し観ちゃいました。あの大きくて、早くて、強くて、それから・・・美人が多いアメリカを、ちっちゃくておかめな日本の女の子がやっつけたのは痛快ですね。津波や原発でヘコンでいる日本に、明るい話題は世界?中が望んでいたのでしょう。(以下略)」
 ふ~ん、そうなんだ、アメリカデカ美女対ニッポンチビ醜女の戦いだったのかあ、だからナデシコメなんだな。
 で、何回も見てると、そのうちに日本得点が増えるの?

 新聞の書きぶりは、列強西欧に押されていた1933年に日本が国際連盟脱退で一矢報いたと誤解した時、あるいは日露戦争でロシアに辛勝したのに大勝利と勘違いした時のような。
 あ、それとも太平洋戦争での敗戦以来の対アメリカ勝利?、それで喜んでるのか。