2014/08/20

984・戦争でも死んでしまえば敵も味方もないだろうと地域別戦没者数を見て思う

 8月15日に訪れた千鳥ヶ淵戦没者墓苑の入り口の脇に、大きな説明版がある。東アジア、東南アジア、中部太平洋の地図に、各地域ごとの戦没者数が書いてある。

 先の大戦における海外主要戦域別戦没者数一覧図 
 総数 2,400,000人
 備考
 1.本図の戦没者数は、昭和12年7月7日以降、各主要戦域毎の軍人軍属及び一般邦人の数    である。
 2.国名地名は、平成15年4月1日現在の表記である

 つまり、盧溝橋事件の日、日中戦争が本格的に始まった日からである。
 ということは、日本の戦間期は、日露戦争が終わった1905年から、この1937年までであったのか。でも、わたしの父は、その前の満州事変と言われる戦いに兵役について、万里の長城で戦闘に参加した。

 地図に記載されている主な地域の死者をあげると、中国本土465,700、旧満州245,400、フィリピン518,000、中部太平洋各地247,000、東武ニューギニア・ソロモン諸島246,300、ミャンマー・インド167,000などなど、ものすごい数である。

 そんな遠くまでそんなにも大勢が出かけていって死んだのか。しかもこの数字は、「軍人軍属及び一般邦人」とあるから、軍隊の構成員でない人たちも含んでいる。
 その一般邦人がどれくらいの数だろうかと気になった。ネットで調べていて、下記のサイトを見つけた。
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html

 そこには軍人軍属の戦没者数を書いてある。これに、上記の墓苑のにある掲示の数字をそれぞれに赤で書き込んで比較して見た。
 これをみて驚くのは、旧満州地域である。軍人軍属が46,700人に対して、一般人が20万人近くも死んでいることである。
 軍の庇護のもとに進出して行った日本人たちでさえ、これほどの死者数ならば、現地の住民たちはどれほど死んだのか。

 さらに驚くのは、沖縄では軍人軍属89,400人に対して、一般人が10万人近くが死んでいることだ。
 日本での地上戦でこれほど死んだのなら、そのほかの各国の各地の地上戦では、そこに暮らす人々がどれほどの人が死んだのだろうか。

 死んでしまえば敵も味方もないだろうから、両方の戦没者を記録することが、次の戦争を防ぐための道だと思うのだが、どうしてそうならないのだろうか。
 地域ごとのその国の人々の死者数をネットで探したのだが、どうしてもうまく見つからない。

参照→靖国神社の喧騒と千鳥ヶ淵墓苑の静寂


2014/08/16

983終戦記念日の靖国神社の喧騒と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の静寂に思うことども

 今年も8月15日に、靖国神社に行ってきた。参拝ではない。まあ、徘徊老人のヒマつぶし野次馬見物である。この暑い陽射しの中を物好きなことである。
 実は去年もこの日に行っているし、その前は2005年に行っている。
https://sites.google.com/site/dandysworldg/yasukuni20130815

 何を見物かと問われれば、あそこは日本社会のある断面の歴史が、ギュッと詰まっているところであり、それが8月15日になんとなくほどけて、なにやかやが露出してくるようなので、それを眺めに行くのだ。
 参拝しないのは、まったく宗教心はないし、霊なるものをまるで信じないからだ。ここに限らず神社仏閣教会いずれでも、拝礼しない。ちなみに、わたしは町の鎮守社の宮司の子に生まれ育った。

 去年は8年ぶりだったので、ちょっと面白かったが、今年は去年と同じ風景で、野次馬見物客としては、なんだか興が冷めた。
 九段坂には、あい変わらぬ右っぽい人たちが露店のごとくに構えていて、ビラを配り署名運動をしており、多くの人が署名している。
 境内でも、河野談話とか従軍運慰安婦とかに異議を唱える書物を積み上げて売り、戦没者慰霊施設設置反対やら、天皇参拝を望む署名活動をしている。

 広場の群集の中に軍服コスプレ男たちがいて、拝殿の前から参拝の長い行列、VIP参拝用の社務所玄関にテレビカメラが何台も国会議員を待ち受け、遊就館なる戦争賛美博物館も賑わい、群衆には男女の若者が多くいて、それは初詣の風景と見まがうのであった。
 この暑い日差しの杜の中の喧騒は、なにもかも去年と同じであった。 

 そこで今年は早めに切り上げて、靖国神社が目の敵にしている、千鳥ヶ淵戦没者慰墓苑に行ってみることにした。初めてである。
両岸の桜の杜の緑が濃い千鳥ヶ淵に沿って歩けば、ここは喧騒から逃れて、セミ時雨が降り続けている。ふとおもいついて、セミ採りならぬセミ撮りをしつつ行く。
 横浜都心のセミもそうだが、ここのセミも逃げないので、手を伸ばせばひょいと捕まえてしまうことができる。少年時に育った神社の境内のセミは、近寄ると素早く飛び去ったものだ。しかも小便をひっかけて。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑の静寂なることは、喧騒の靖国神社とは大違いである。こちらは十数名、あちらは数千人、今日が特別な日であるならば、なぜにこうも違うのか。
 こちらは36万人の無名の死者たち、あちらはA級戦犯など超有名人も含めて名を持つ246万人の死者たち、この差だろうか。
 もうひとつ大きな差があるのは、こちらは遺骨という実体があり、あちらは遺名だけで実体が無いことだ。
 死者は生者の心にしか生きられない。実体があろうがなかろうが、生者は名も知らぬ死者に礼を尽くすことはない、ということか。一般にそういうものなのか。
 もっとも、無神論者のわたしは、どちらにも礼を尽くさないのである。

 献花の名札を右から順に、フォーラム平和・人権・環境福山真劫、衆議院議員簗和生、民主党、公益社団法人日本会、内閣総理大臣安部晋三、天皇皇后両陛下、呉竹会頭山興助、社会民主党党首吉田忠智、う~む、この右から左までの取り合わせが、この墓苑の今の位置を示すのか。

墓苑の入り口の脇に大きな説明版がある。そこに東アジアの地図「先の大戦における海外主要戦域別戦没者数一覧図」があり、総数240万人とある。
 地図に記載されている主な地域の死者をあげると、中国本土465,700、旧満州245,400、フィリピン518,000、中部太平洋各地247,000、東武ニューギニア・ソロモン諸島246,300、ミャンマー・インド167,000などなど、ものすごい数である。
 そんな遠くまでそんなにも大勢が、わざわざ行って死んだのか、と眺めていて、ふと気が付いた。
 出かけて行った先は外国である。そこで戦争をして日本人が死んだということは、外国の戦争相手や巻き込まれ住民たちも戦没したはずだ。その数はいったいどれくらいか。

 日本軍はフィリピンのマニラで市街戦を行ったので、巻き込まれた住民が10万人以上も死んだという。ほかの地でも同様なことが起きただろう。わたしの叔父もマニラで戦ったが、追われて東部山地で戦死した。
 戦争をしに出かけて行ったこちらは死も覚悟だろうが、やって来られて戦争された住民はたまったものではない。その向うの立場の視点を忘れそうになる。
 生者に生きる死者は、生者に対して死者の側からのみ過去を見させるのだろう。

 この海外戦没者の地図を見ていてもう一つ気になったことは、国内戦没者もいたことを忘れてはいけないことだ。
 1942年から全国各都市が空から爆撃を受けた。それによる死者は33万人とある。45年3月の東京大空襲の一晩で10万人も死んだ。
 そしてこれこそが、上に述べた外国のその地の人々の戦没者と同じ立場に、日本人もあったのだ。攻撃が地上か空かの違いだけで、マニラの市街戦と同じである。
 戦争が終わってあしかけ70年、客観的に俯瞰することができるだけの時間は十分に経ったと思うのだが、靖国神社ではいまだに死者の戦争が続いている。

 墓苑は静寂だったが、納骨堂からふと振り返ると、その景観は靖国神社よりも喧騒であった。

2014/08/12

982【本日の新聞広告批評】超高齢社会到来でジジババマーケットは芸能界にも及んでいるんだ

 芸能界のことはTVを見ないから、ほとんど知らない。全く知らない、とは言わないのは、新聞やPCを通じて、なんとなく入ってくる情報もあるからだ。
 今日の新聞に、似たような内容の舞台公演広告が、別ページに載っている。
 浅丘ルリ子、小林旭、千昌夫、山本リンダ、まあ、これくらいは同時代的記憶にある名前である。
でもなあ、わたしが記憶してるんだから、今じゃ爺さん婆さんだろうなあ、お元気に舞台出演で、ご同慶の至りですな。

         ◆◆◆

なんだか最近、ジジババ芸能人による舞台公演の広告が、多いような気がする。それも日本全国あちこちの公共ホールって、いわゆるドサ廻り公演である。
 だれが聴きに観に行くんだろうかと考えたら、そうか、舞台に昔の名前で出ています(これも古いけど)なら、観る方も昔の人たちなんだな。圧倒的にバアさんが多いだろが。

 う~む、舞台の上も下もジジババ大会なんだ。それをジジのわたしが気持ち悪いなんて言っちゃあナンだけど、まあ、勝手におやりください。
 これだけ高齢社会が進むと、舞台の上も下もジジババマーケットがひろがっているんだな。ガキどもだけに、公共ホールを占領させることはないのは、当たり前だ。
 いや、今に国立競技場でジジババコンサートをやる時がくるだろう。そう、いまのガキどもがジジババになった時だ。まあ、頑張ってください。

         ◆◆◆

 最近の芸能人と言えば、キムタクという人がいることを、TVを見なくてもうすうす感知していた。名前からして、金タッ、いわゆる韓流イケメン男だろう。
 昨日、PCの中のドラマにうっかり引っかかって、2時間も見てしまった。「HERO」という検事ものであった。TV放送コピーを動画投稿サイトにULした海賊版らしい。

 PCドラマがTVドラマより便利なのは、広告やクレジット画面をすっ飛ばしてみることができるし、小便タイムは一時停止しておけばよいことだ。
 で、その「HERO」が少し面白かったので、クレジット画面を飛ばさないで、主演はなんという名か見たら、木村拓哉と書いてある。
 この名を貧者の百科事典(ウェブ検索サイトのこと)でみたら、なんとこの木村拓哉がキムタクであった。どっちでもいいけど、韓国人か日本人か。


2014/08/11

981横浜都心のセミしぐれの中で大人のセミ採りならぬセミ撮りをした

 世の中は夏休みらしい。新聞も今日は休みである。
 そういえば8月11日は2016年から国の祝日になるそうだ。ほっといても世の中が休みである日を、わざわざ祝日指定する意味が分からないが、まあ、こちとらは毎日休日だから関係がない。

 昼日中に散歩に出て、木陰が続く横浜大通り公園をふらふら歩いていたら、木の根元まわり地面のあちこちに、直径1センチほどの小さな穴がたくさんあいている。
 なんだかこれは見たような気がする、あ、そうだ、これは幼いころに遊んだ生家の神社の境内にあったなあ、セミの幼虫が土の中から抜け出た跡だ。懐かしや。

 と、急に蝉しぐれが降ってきた。いや、前から降っていたのだが、気にしていなかったのだ。アブラゼミが中心で、ミンミンゼミが混じる。
 セミしぐれが上から来れば、車騒音時雨も横から間断なくやってくるのが、都会の真ん中である。

 幼虫の穴があり、成虫が鳴いているなら、抜けがらがあるに違いないと、クスやサクラの幹に目を凝らすと、あるある。あんな高いところに登って羽化するのか、都会のセミは。
  そして成虫が幹や枝にとまって、羽を少し広げ気味、肢も立て気味にして、一生懸命に鳴いている。ニイニイゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシが聞こえないのは、まだ早いのか、もともといないのか。

 こうやって、70年ぶりくらいにセミ採りならぬセミ撮りをしたのであった。セミ撮りをしていて、ちょっと不思議だったのは、夏休みというのに、子どものセミ採りをひとりも見かけなかったことだ。
 近ごろはそういう幼稚なことはしないのだろうか。それとも冷房の部屋で、蝉取りゲームなんてのをやっているのだろうか。

 わたしの幼児の頃には、毎日のようにセミ採りをしたものだ。生家の神社の境内をひとまわりすると何十匹もとれてしまう。獲物は飼っていた鶏の餌にするのであった。鶏は喜んでついばんでいた。
 わたしの生家の神社の境内は、今頃はセミしぐれというよりも、セミ夕立、セミどしゃ降りほどにも、社叢林はセミの声で充満していた。
 そのセミ夕立は、セミの合唱団による圧倒的な斉唱であり、森の底に充満したセミの声に、おぼれそうなほどだった。
 少年のわたしは、その斉唱の森の中に縁台と蚊取り線香を持ち出して、そこに寝そべって本を読み、セミしぐれを子守歌にして昼寝をするのが夏休みの日課だった。

 大通公園はセミしぐれと自動車騒音しぐれが競争していて、昼寝の子守歌にはなるまい。ホームレスおじさんも見えない。
 こんなにセミの穴やセミしぐれに気が付いたのは、もしかしたら少年の時以来かもしれない。この大通り公園も毎夏に歩いているのに、今ごろ気が付いたのも不思議なことだ。 
生家の神社の社叢林


2014/08/10

980福島原発なみの東京湾巨大原発が稼働中なのを忘れてはいけない

 【図1】の日本地図は、最近のメディアで話題になった日本の各地で市町村が消滅するという話のもとになっている若年女性人口井減少率を示している。日本創生会議とかって団体が発表した図に、解説を一部入れたのはわたしである。
【図1】

 その会議によれば、若年女性がこれから2040年までに50%減ってしまう市町村は、人口再生産能力がなくなって、いずれ消滅するのだそうである。
 わたしはその辺の推計の真偽は、その会議のお方にお任せするとして、この図をみて感じたのは、あちこち繕ったぼろきれみたいだよなあ。

 これだけボロボロならもうすぐ大穴があいてしまうだろうなあ、そう思って眺めたら、なんと本当に大穴があいている。福島県が大穴である。
 統計図の趣旨からいえば、黒いところほど存続が危ういということであり、大穴に見える福島県が真っ白なのは、上記の若年女性50%減少に至っていないということある。つまり、消滅じゃなくて存続するという表現である。

 どうして福島県だけが、全県真っ白、つまりどの市町村も若年女性減少が50%未満なのだろうか。他の府県と大きく異なる。
 そこで、元資料にあたってみたら、なんと、福島県の市町村は福島第1原発事故から避難で、人口推計が不能なのだそうで、ここだけ全県を一つの単位で推計したのだそうだ。
 では、福島県全体での若年女性減少率の値はいくらであるのか見たら、49.8%とあった。危うく消滅県を逃れたのである。もう50%ギリギリだから実態は消滅候補なのだ。

 そのことよりもわたしが怖いと思ったのは、あれから3年経っても、福島県の市町村は将来人口予測ができない不安定な行政体であり、社会不安があるということだ。
 この地図を見て消滅するとかしないとかいうよりも、原発核毒がぼかんと大穴を日本地図に空けてしまって、深い深い白い闇が居座り続けていることを、しっかりと見据えなければなるまい。

 【図2】は、2010年に政府が発表した、10年以内に消える可能性ある集落の地域別の数である。発表から4年ほどたっているから、もう消えたところもあるだろう。
【図2】
図1は市町村単位の話、図2は集落単位だが、原発核毒拡散という巨大事故が、あるいは巨大地震という大災害が、この消滅方向へのアクセルを踏ませることになるはずだ。

 各地で集落や街が消滅するとき、その人口移動先の大都市、なかんずく東京圏だけは肥大していくのだろうか。
 最近喧しい首都圏直下地震とか南海トラフ地震が来れば、東京圏も壊滅的になって、福島のような大穴を抱えるのだろうか。

 ところで実は東京湾には巨大原発があるのだ。それは横須賀のアメリカ海軍基地に、ずっと停泊し続ける航空母艦の原子炉である。潜水艦ももっているだろう。
 【図3】の示すことは、忘れてはいけないのだが、つい忘れやすいだろう。
【図3】
ジョージワシントン号は、福島第1原発の中の1基分の発電能力を持っているらしいが、軍事機密で教えてくれないそうだ。
 なにもかにも軍事機密の中に包まれていて、当然に日本政府の規制の外にある。
 もしもこれが事故をおこしたら、東京圏の機能はあまりに濃密で高度であるだけに、実態的には壊滅するであろう。そう、福島のごとくに、真っ白な闇の大穴があくのだ。

 なお、東京圏には東芝や大学の研究用原子炉がいくつか動いている。
 参照http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-661.html

【図4】東京圏原発のある場所

2014/08/09

979【言葉の酔時期】ヘンな言葉イチャモン総まくり=このブログ開始以前に書いていた言葉のイチャモン

*ここに載せた「言葉の酔時記」は、このブログを始める前に「まちもり通信」サイトに書いていたもので、プロバイダ変更準備のためにこちらに移し替えた。


言葉の酔時記(その11)2008年4月16日


●アパートとマンション
 どことかの殺人容疑者の住んでいるのが「4階建てのアパート」と、新聞に書いてある。
 え、アパートってのは、せいぜい2階建てまでの賃貸借型集合住宅だろうと思っていたのに、4階となると違うなあ。
 記事を書いた記者の解釈はどうなんだろうか?
 早速、「貧者の百科事典」(インターネットWEBサイトこと)であちこち開いて調べて、分かった。
 というよりも、分からないってことが分かった。
 まず建築構造の違いで、木造と軽量鉄骨の2階建てまではアパート(わたしのこれまでの印象)、重量鉄骨や鉄筋コンクリートあるいは鉄骨鉄筋コンクリートで3階以上となるとマンションである(らしい)。
 次が、境目は分からないが、高級ならマンションで低級ならアパートである(らしい)。

 問題は賃貸借居住か自己所有居住かのちがいであるが、どうもこれがわからない。わたしは漠然とながら、マンションというと区分所有型高層集合住宅を言うらしいと思っていたのだが、賃貸マンションという用語もある。となるとわたしは賃借マンション住まいとなるわけだ。
 ウィークリーマンションとかマンスリーマンションもあって、これは短期間賃貸型集合住宅であり、要するに長期滞在型ホテルである。
 また高層賃貸借型集合住宅でも、「アパートメント」といっているものもある。アパートよりも高級なものの様子が伺えるのだ。
 そういえばそうだった、かの同潤会の集合住宅はアパートメントと言ってかなり高級だったし、その後の野々宮アパート、代官山アパート、三田アパートなど、どれも高級だったよなあ。
 いつからアパートが低級集合住宅用語になったのだろうか。


 そうだ、そのうちに高層低級集合住宅のことをマンションという日が来るにちがいない、いや、もう来ているか。
 たしかに、米欧マンション(庭園のある豪邸)と比べて、日本マンションの低級なることよ。

 ようするに不動産屋が場当たりにテキトーに名づけているに過ぎないのだった。
 冒頭の話の4階建てアパートは、もしかしたら高級賃貸借型マンションのアパートメントなのか、それともその逆で低級なのでアパートと言ったのか、どっちなんだろう。
  参考→・賃貸借各都市の時代へ  ・姉歯大震災の喚起するもの


言葉の酔時記(その10) 2008年3月21日

●ご利用
 どこの生鮮品の店や売り場に行っても、「ゴリヨー、ゴリヨー、サ、ゴリヨください!」と、生の声や録音らしいスピーカーの声がやかましい。
 どうやら「ご利用ください」といっているらしいが、状況から判断して「買ってください」の意味のようだ。
 たとえば「肉が安いよ~ゴリヨーゴリヨー!」というのだが、わたしたちはものを
「買う」ことを「利用」とは言わない。店を利用するとはいうが、肉を利用するとはいわない。その肉を使って料理をする場合は利用すると言う。
 あ、そうか、この肉を勝手に持って行って料理してもいいよ、って言っているのか、嬉しい。


●元社長
 大昔のロスアンジェルスでの犯罪被疑者が、今頃になってアメリカで逮捕されてマスコミが騒いでいる。その被疑者を「○○元社長」とある。わたしは事件に興味はないが、その呼び方が気になる。
 新聞の解説によると、日本で同事件で無罪となっているので、「○○容疑者」と書かない内規とかがあってこうなったそうだ。では、それまでずーっと無職だったら、なんと書くのだろうか。
 あ、そうだ、誰にも使える肩書きを思いついたぞ、「○○
元小学生」。


●邦楽
 レコードというか音楽ディスクの店に行くと、棚に並ぶ商品の分類に「邦楽」「洋楽」とある。
 邦楽の棚が結構多いので、おお、清元や浄瑠璃あるいは能楽がこんなにも売れるものなのかと見れば、そんなものはなくて和製ポップスばかり。
 おや、いつの間に「邦楽」がこんなものに変わったのだ。NHKのラジオ放送に「
邦楽百番」とか「邦楽の時間」とかあるが、ここで和製ポップスを聴けるってことはない。
「邦楽」を聴いたこともないやつが勝手に決めたのか。それにしてもレコード屋ってのは結構古い商売だろうから、邦楽の何たるか知っていたはずだよなあ。
 それじゃあ日本の外のアジアの音楽はどういうのだろう、「
亜楽」じゃあ、亜流音楽みたいだよなあ。あ、そうか、楽には東も含むのか。


●遺産
 ちかごろ世界遺産登録が、なんだか流行みたいにあちこちで言われる。この「遺産」がわからない。3代目が食いつぶすとか、見捨てられた古物とか、なんだか積極的よりも受動的な感じがある。
 英語の文をちょっとだけのぞいてみたら、heritageとpropertyの両方の言葉が使われているようだ。どう違うのか、そこまで読みこなせない。「
世界資産」と翻訳すればよかったのに。



●激しく渋滞
 交通情報の放送を聴いていると、高速道路で「激しく渋滞しています」という。渋滞とは停止している状態だろうから、激しく停まるとはどういう意味だろうか。
 沢山の自動車が急ブレーキをかけて「激しく」停まるので渋滞するのか。「
著しく」の言い間違いだろう。


●言葉の酔時記(その9)2008年2月13日


 2008年2月、パック旅行で北海道に冬の定番イベント見物に行ってきた。

 空港からの借り切りバスに乗ってきた現地女性ガイドが、態度からはベテランに見えたが、長い北海道のバス旅行の間中、のべつ幕なしにどうでもいいことをしゃべり続けてうるさい上に、へんな日本語に閉口した。
 今回はたった一人の発した言葉をあげつらうという、あまり感心しない酔時記である。それでも書くのは、その人が言葉をもってその仕事とするプロの観光ガイドでありながら、同じへんな言葉を、堂々と自信を持った態度で、しかも4日間にわたって何度も繰り返して、発したからである。


●拝見
『お客様には、ペンギンのお散歩を拝見していただきました』『バスの窓から流氷を拝見させていただくことができます』
 そうか、北海道では観光客はなんでもありがたく見せていただくものであったか。


●あらせられる
『お客様、昨夜のお宿では、いかがであらせられましたか』
 平安時代の古語を使われてもなあ、いっそのこと『いかがあらせられ給ひしや』っていったらどうだ。


●かわす
『道が左にカーブしておりますので、バスはカーブをかわしてまいります』
 っていうのだけど、かわすことなくカーブしていくのであった。


●鉾先
『ではこれよりバスの鉾先を札幌に向けさせていただきたいと思います』
 もしかして「方向先」といってるのだろうかとも思ったが、それでもおかしい。


●時間帯
『ではこの後のバスの出発の時間帯は4時30分にさせていただきたいと思います』
 おいおい、幅がないのになんで時間なのだ、それを言うなら時刻だろ。


●させていただきたいとこのように思うのでございます
 「させていただく」と「思う」の乱用で、語尾をいつもこのようにダラダラと延ばしてしまうから、肝心のことがなにであったか、聞いていたこちらが忘れてしまうのである。

 集合時刻のような指示事項も「思う」で終わるのだが、君がそう思うのは勝手だけど、どうしろと言っているのかはっきりさせていただきたいと思ったのでございました。



言葉の酔時記(その8) 2008年1月8日伊達美徳


●出痔亀
「デジカメ」って、「出歯亀」と一字違いで、気持ちがわるい。え、デバカメってなんですかって? そうか、知らないのかあ、、。


●血出痔
またなんとキタナイ、「地デジ」なる放送用語?をPCの日本語ワードプロセッサー(いわゆるワープロ)で書くと、こう出る、、、もちろん嘘だけど、こう出てもおかしくない。なにしろ語感が悪すぎる。

●エキセル
出痔樽業界は、ワープロ以来へんな略語やらカタカナ語を平気でいうもんである。「デジタル」だって、元の発音に近く言うなら「ディジタル」だろう。CDなどはディスクと言ってデスクといわないし、TEXTは「テキスト」と読むのにEXELはなぜ「エキセル」でないのか。

●デジ馬鹿
日常会話で使いっこないのに、PCでは平気で登場する言葉を、i.e画面を見つつまた思いつくままに並べ、この際、私が翻訳してやることにする。
インターネット=電網、ツール=道具、フレーム=区切り、ウィンドウ=画面または窓、
ヘルプ=助言、インポート=取り入れ、ビューバー=見当欄、コンポーネント=部品、
プロパティ=わかーらん、トラックバック=大型荷物車後退、ブリーフケース=下着入れ、
ブックマーク=本印、サムネイル=親指の爪、ウェブサイト=波止場、、
、だめだこりゃ、そもそも元の意味をを知らないのだから、、。

●円貯め
 エンタメって、そりゃまあ「円貯め」ると楽しいんだろうが、、。



言葉の酔時記(その7)2007年5月 伊達美徳

●ワーキング・プア
 これまで長い間「ワーキング・プア」をやってきたが、両方兼務はもう疲れたので、ワーキングを辞めて、プアだけに専念することにした。これを引退という。


●美しい
 うっかり「美しいナントカ」って云おうものなら、時の権力者にへつらうみたいで、もうこの言葉を使えない。政治家に『美しい』って言葉をのっとられた。


●談合 古くは「ダンコウ」と発音して、話し合いという普通の意味だったのに、建設業者か新聞記者かにのっとられた。
 建設業界では談合を「ネゴシエイション」(英語で本当にこういうのかどうか知らない)、簡単に「ネゴ」といっていたような。これを「値交渉」(ネゴウショウ)と名訳する。


●アパート
 戦前にできた「アパートメントハウス」は高級共同住宅だったが、戦後は低級2階建共同住宅にのっとられてしまった。
 大阪あたりでは「アート」ともいう。不動産広告では「アパ6・4.5・台・水洗」とか書いてたなあ、そういえばアパって安物マンション屋もいたような、。


●実家
 最近の中年から下の人たちは、男も女も既婚者も未婚者も、親の家を「実家」と言うようである。20年も前には、嫁(婿)が実の親元の家を云うときだけに使ったものだ。


●ご集金
 ピンポ~ン「朝日新聞です、新聞代の集金にまいりましたあ、」へ~、集金にわざわざおいでいただき、ありがたいことで、、。


●マナーモード
 意味が分からなかった。やっぱりあちらは「サイレントモード」というらしい。英語知らずの私にも英語のほうがよほど分かりやすい。ふた昔前なら、「エチケットモード」といっただろうなあ。


●ホワイトプラン
 8年使った2台目の携帯電話機(携帯がケータイにのっとられた)を買い換えた。月980円という超低料金に魅かれたのだが、この料金制度を電話屋は「ホワイトプラン」という。貧乏人のためのホワイトナイト(白馬の騎士)のつもりだろうか。大きなお世話なネイミングだぞ。


●電話機0円
 携帯電話機を買い換えた。機械0円、月980円に魅かれた。その機械0円には複雑な手続きいるのだ。なんだかよく分からないのだが、どうもリース屋と契約させて、そのリース代相当分を通話料金から月々値引きする仕掛けらしい。
 2年間は電話機を変更するな、他の電話屋に移るなというのだが、それは契約期間中だかららしい。機械は実は店頭に書いてあるように0円ではなく、早く言えばわが借金契約らしいのだ。窓口のニイちゃんにそのあたりの事情を聞いても説明できない。おい、契約ごとでそんなんで大丈夫か、ヤフー孫さんよ正義さんよ、なんだかあぶない商売だぞ。


Soft Baka
 で、この電話機はインタネットにどうしてもつながらない。機械0円月980円安物とはそういうものなのか、それとも私の設定に問題あるのか、、。しょうがないからマニュアルを端から端まで見てもよくわからないのは、いつもの通りである。
 こんなものは分からないものとこれまでの経験でわかっているのに、また読もうとする自分がばかばかしい。
 何とかメールがつながるようになったのは、手に入れて三日目である。その電話屋Soft Bankが決めてきたメイルアドレスが、乱数表から取ってきたらしく、でたらめな英数字が10数字も並んでいて気持ちが悪い。
 で、これを変更しようといじっていると、もうすぐできるというところまで行くと、何やら(ローマ字3字で意味不明)をしてないからできないと言ってくるのだ。ところがその画面から、なにやらをどうする画面にはどうやっても行けない。
 その馬鹿文字列のままでやるかとあきらめて、弟にメイルアドレス通知を出したら笑われてしまった。癪だからまた変更に挑戦すれども相変わらぬありさまで、遂にあきらめて買った店に行って女店員に変更させた。
 何でも自分でできると思っていたのに残念であるが、これは明らかに電話屋のSoft Bakaのせいである。変更手続きの教え方が悪い、なっとらん!。余計な手間を取らせた時間の補償をしてくれ。


●Yahooのahoo
 大学同期の友人たちでメーリングリストを始めた。Yahoo Groupというシステムで、メイル交信の登録は管理者となった友人がやってくれた。これに加えて各人がYahooID登録すると、いろいろサービスがあるという。
 そこでそれぞれこの登録手続きをページ上でやるのだが、その案内がどこをどうせいと言っているのやら分からない。年寄りとはいってもそれなりに理工学部を出た誰も彼もが悪戦苦闘。
 いくら利口学部出ではないにしても、これはシステム案内設計の悪い「Yahooのahoo」のせいだと、さっそく腹立ちメイルが行き交う。どこがおかしいか言うこともできない悪案内に、もうどうでもいいやと適当にあちこちいじっていると、いつの間にやら登録できた。どうしてできたのか、いまだにわからない。そんなのが何人もいるし、2ヶ月たってもできないヤツもいる。たしか、YahooってのもSoft Bakaがやっていたような、おお、ahoo+Bakaには勝てっこない


言葉の酔時記(その6)

させていただく
 以前にこの言葉の変なことについて書いたことがある。今日2006年9月7日の朝日新聞東京版夕刊2面に、
 「続・させていただく」というコラムがある。8月20日にも筆者はわたしと同じくこの言葉のおかしさを指摘していたが、
 大勢から反応があったのでその続きであるという。「言っている人はかしこまり、へりくだっているつもりかもしれないが、卑屈さと高慢さがにじみ出ている。そう感じる人は少なくない。また責任逃れや保身をはかる処世術のにおいをかぎとる人もいた。
 本来は自分の行為を(相手に:引用者伊達の補足))許可してもらい、そのことで恩恵を受ける際に使う「謙譲」の表現である。そんな状況でないのに乱発すれば逆効果になる」このように読者の反応をまとめて書いている。
その朝日新聞のある日の1面に、こうある。「きょう10日(日)は新聞製作を休み、11日の朝刊は休刊とさせていただきます。ご了承ください。11日の夕刊は発行します」
 さて、これでよいのか? 購読料を払っている当方が許可するであろうという一方的推測で、休刊するぞ、了承せよ、と書かれても、気分悪いぞ。休刊はさせていだくけど、発刊はしますのは、どういうわけ? 卑屈さと高慢さ?


もう一度拍手を
 シンポジウムやら講演やらの会で、終わりの直前に司会者が言う。

 「もう一度、講師の方に盛大なる拍手をお願いします」
 これって、講師に対してずいぶん失礼な言いぐさだと思う。だって、司会者が言わないと拍手も起こらないような、くだらない話を貴方はしたのだ、ってことになるだろうよ。 最近はこれを当たり前にみたいに言う司会者ばかりだ。誰がいつこんな言い方をはじめたのだよー。少なくともわたしは、いつも腹を立てている。

ご挨拶を頂戴いたします
 会合の最初や最後に、主催者側が挨拶をする。このとき、挨拶する人を紹介するのは、上と同様のバカ司会者である。ほとんどの場合にこう言う。

 「それでは会長の○○先生のご挨拶を頂戴いたします」
 「○○会長のご挨拶をいただきました。ありがとうございました」
 おい、司会者は通常は主催側にいるのだから、おまえにとって先生であろう先輩であろうと、呼び捨てにするもんだよ。
 「それでは主催者を代表して会長の○○がご挨拶を申し上げます」「会長の○○から、ご挨拶を申し上げました。ご清聴ありがとうございました」って言うんだよっ、。
 今日も今日とて、日本建築学会全国大会が横浜市内であったが、そこの開会式でも会長のご挨拶を頂戴してお礼を言う司会者がいた。学会だから司会者も大学の教員であろう。


除く以外
 久しぶりに横浜市立大学市民総合医療センターに行った。大病院はえんえんと待たされることを忘れて、読むべき本を持っていかなかったので、整形外科の内待合室で3時間も退屈きわまる状況に。
 しょうがないから、掲示物を片端から読んだら、ヘンなのが見つかった。血液の検査結果を教える日程のことだったが、
・・・手術等の緊急を要するときを除く以外は、数日後に通知します

 はて、これは緊急な時にはすぐには教えないってことになるのだが、それでいいのかしら、大学さんよ、、。

してもらっていいですか
 店やホテルあるいは電話サービスなどで、話す相手がよくこういう。
 銀行で「ここに印鑑を押してもらっていいですか?
 電話サービスで「では貴方の電話番号を教えてもらってよろしいですか?」
 ホテルフロントで「では、お名前をおしえていただいてよろしいですか?」
 あのなあ、そういわれるとへそ曲がりのわたしは、
 「よいかよくないか、どちらなのかってお尋ねなのですね、では、よくないって答えるとどうなるのですか?」
といいたくなるのである。
 ここはYES、NOの2者択一問題の質問形式じゃなくて、普通に「お電話番号を教えてください」って言えよ、。
(2006.9.7)


ニフティさん、NTTさん
 通信回線を変えてセットアップがうまくいかなくて(こういうのがうまくいいったためしがない)、
 NTTと二フティの電話サービスに電話した。また変な日本語を聞かされるだろうなと、びくびくしていたが、予想がはずれて、、まあまあ良く教育が行き届いている。
 ひとつだけ気になったのは、NTTでは「ニフティさん」、ニフティでは「NTTさん」と、企業名に敬語をつけるのである。
 そちらは互いに取引関係にあるから、お互いにそう呼ぶのは勝手だけど、わたしの会社でもなんでもないんだから、
 第三者に対して企業名にいちいち敬語つけなくていい、いや、つけないほうがいいんですよ。
 そういえば、最近の広告印刷物の地図に、いちいち店の名にさん付けにしているヤツを見たことがある。さすがに自分の店にはつけていなかったが、アレはどういう神経なんだろうか。 


飲用後は必ずキャップをはずして
 ペットボトル飲料「午後の紅茶」(キリンビバレッジ)なるものがある。何気なく書いてある注意書きを読んでいたら、分からないことに出くわした。
 「飲用後は必ずキャップをはずしてください
 この意味が分からない。だって、飲用するためには、その前にキャップをはずさざるを得ないのに、どうして飲用後にはずせ、というのだろうか。
 これは「飲用前に、、」のミスプリントにちがいない。
 それにしても、こんなことを書かないと飲めない人もいるものだろうか。

 「ある日、キリンの会社に電話がかかってきて、買ったけど中身が出てこなくて飲めない、という文句を言う人がいた、としよう。よく聞いてみると、キャップをはずさないままに飲もうとしていた」、なんて事件があって、あわててこれを書いたのだが、間違って書いてしまった、、てなことだろうか。
 もしこれで正しいとしたら、困ることがある。買ったときに一度には飲み干せないから、キャップをして持ち歩く。ところがこれは衛生上いけないらしい。

 キャップはずしたまま、こぼれないよう持ち歩くのも面倒だよなあ、、。
 「おいしいお茶」(伊藤園)のペットボトルを買った。
 注意書きを読んでいたら、似たようなフレーズがあった。
 「ボトルを捨てる際はキャップをはずしてください
 もしかして午後の紅茶も、この意味のつもりだろうか。それならこれと同じに書けばよかろう。
 キリンは日本語をもっと十分にできる人に、飲料の注意書きを書かせるように。
 ところで、今日始めてそれを実行したが、どうして捨てるときにキャップをはずすのだろうか?(060909)

言葉の酔時記(その5)    伊達 美徳

・のっとられた言葉:携帯
 近頃、「携帯」というと「携帯電話機」のことである。
 正確に言えば「懐中式電子情報交換無線装置」である。
 ポータブルを今は携帯と訳すが、昔は「懐中」といった。いわく懐中電灯、懐中時計、懐中鏡そして懐炉。
 懐中汁粉って最中状菓子に湯を注ぐと汁粉になるヤツ、今じゃあインスタント汁粉とでもいうか、そんなのもあった。

・のっとられた言葉:公明
 近頃、「公明」というと特定の政治団体のことである。
 昔は「公明選挙を目指そう」などの標語として使ったが、政党名となるとさすがに選挙には使えないので、一時は明正選挙なんて標語も発明したが廃れた。
 公明なる一般名詞はのっとられて固有名詞になってしまったが、民主とか自由とか社会とかは未だにのっとられないのはどうしてだろうか。そういえば共産という言葉はずいぶん昔にのっとられたような、。

・のっとられた言葉:パンツ
 近頃は、ズボンのことをパンツというようになりつつあり、パンツは今はブリーフとかトランクスとか言うらしい(昔は猿股だった)。
 ブリーフというと布キレみたいな感じでどーも落ち着かない。ズボンをパンツというと下着のままで歩くようでこれまた不安である。
 ついでに、越中ふんどしを今はクラシックパンツと名づけて売っているとか。あれ、どうしてパンツなんだろう、あれで歩いていても良いのかしら?

・のっとられた言葉:楽天
 楽天的な人だねえ君は、っていわれたら、どうおもいます?
 お気楽な人ねっていわれたのか、敵対的なヤツっていわれたのか、なんだか考え込んでしまう時代が来ているようです。
 あ、あの楽天の社長さんてもしかしたら、株なんて何とかなるさー、野球業も放送業もなんとかなるさーって、実は本当にしんそこ楽天的なお人なのかも、。

・のっとられそうな言葉:認知
 認知症ってなんだか落ち着きが悪い言葉ですね、ボケを差別用語とどなたかが認知したらしく、人が周りを認知できなくなるほどにボケたと認知したら、そのひとは認知症になったと認知しようと、どこかその筋で認知したらしいのですが、認知症なる言葉を世間が認知するには、まだ時間がかかりそうで、まだ、のっとられていないように認知しています、ヤヤコシイ。

 婚外子を認知したら認知症、、じゃないよなあ。(051030)

言葉の酔時記(その4) 2005年2月 伊達美徳

●新幹線・在来線
 鉄道の乗車券を窓口に買いにゆく。
できてから40年経ってもまだ新幹線とはこれいかに、新しくできても在来線とはこれいかに、なにか変だ。
 新橋とか新宮とか固有名詞ならともかく、一般名称としてはどちらも詐称である。

●話せりゃいいじゃん
 携帯電話機で話すだけのものが発売されて、大いに売れているという。
 高齢者に人気ってところが引っかかるが、IT馬鹿どもも世の中のことに少しは気がつくようになったか。
 だから前から俺が言ってるだろ、PCだって変換能力抜群のワードプロセサーだけありゃいいんだよ。

●ブログ
 簡単に誰でも始められるインタネットサイトの簡易システムとて、ブログなるものがはやっているとか。
 でも、まずブログが分らない、WEBLOGだって分らないのだからなおさら分らぬ。
 開けてみればCommentsとかTrackBackとか、いったいなんのこっちゃ、。まだまだIT馬鹿がはびこっている。

●ユビキタス
 指切ったス、、湯引き足す、、、なんのこっちゃ。
(「湯引き」とは、魚の皮・身、鶏の笹身などを、熱湯をかけたり熱湯の中をさっと通したりして霜降りにすること。)

●ラテカトケ
 これは、わたしが35年も前に,どこかで開発してくれるといいのにと考えていた商品名。
 ラジオ、テープレコーダー、カメラ、時計、計算機が一体になった軽量小型携帯機器である。電話とテレビが無いところが時代をあらわしている。
 今、わたしが持ち歩いているのは、デジタルカメラ、携帯電話機(時計にもなる)、ICレコーダー、iPod(ハードディスク)、モバイルPC(計算機に使える)、それぞれ別の代物である。重い、面倒、かさばる。あのころのわたしの頭ほどにも世の中は進歩していない、、か。

●雪国はつらい
 どことか北国の村で「雪国はつら条例」があると教科書に載ったら、実は「雪国はつら条例」の誤りだったという話があった。
 市町村合併でその条例もなくなるそうである。合併するとつらくなくなるのか、あ、いや、はつらつでなくてよいのか。

●南セントレア市
 隣町にできた空港の名を頂戴しまえっていう、市町村合併どさくさちゃっかり名づけ作戦は、市民などから反発が出て考え直し市民投票の騒ぎらしい。
 わたしゃこの新聞報道で中部新空港の名をはじめて知ったから、まんざら無意味じゃなかった。
 合併協議会メンバーの頭に「南アルプス市」って前例がよぎったに違いない。ところが昨日2月27日、両予定市町村で住民投票の結果は、どちらも合併ご破算になったそうで、ごくろうさん。
 「四国中央市」ってのもできたなあ、そうだ「日本中央市」ってのはどうだっ、昔、兵庫県西脇市が「日本のへそ」って売ってたなあ。
 ついでに、JR東海は、英文ではCentral Japan Railwayなんですって、「JR中央」じゃん、中央線よりも東海道線がイメージがよいと思ったか。(050227)

言葉の酔時記(その3)  伊達美徳

【紅白歌合戦】

 このTV番組を10年以上も見たことないから、今の中身がどうなのかは知らないが、字面だけをよく見ると、実にどうも古めかしい言葉である。
 ゼンダー分類の『紅白』も、コンペティションの『歌合戦』も、まるで中世の言葉のようで、ここまで来ると保存に値しそうである。
といっても、めったにTV番組を見ないから、ほかでも使っているのかどうかさえ分からない。
 ついでに、このところNHK不祥事で、新聞があれこれとあげつらっている。受信料をくすねるのはよくないが、あげつらう側の新聞社が深く関係する民間TV局の放送番組のあまりのくだらなさは、どうしてくれるのだ。
 わたしのようにめったにTV番組見ないものが、たまに見ようと思うのはNHKしかないのである。だから仕方なく受信料を払っている。

【韓流】

 「冬のソナタ」とかなんとかこのところ韓国産の映像ドラマが流行らしく、中高年おば様を中心に韓国旅行もブームとか、、。本当によいことであると、つくづく思う。
 だって、ついこの間まで、いわれない差別用語を駆使していたのが、まさにこの中高年層だったのだから、。映像はおわっても「韓流」が続いてほしい。
 ところで、昔、香港映画が流行ったけど「香流」って言わなかったなあ。で、「中流」とか「台流」あるいは「朝流」ってのは、これからあるのだろうか。

【くそ珍妙丁寧語】
ごくろうさまですがおなまえさまをちょうだいさせていただいてよろしかったですか
てな具合に、サービス業の店員から間違珍妙言葉5発連続ミサイル攻撃を食らう。心中で大笑いしつつムカつく。
 それはこう言うもんだよと教えてやりたいのを、まあ大人気ないかと、ぐっとこらえるから、返事がワンテンポ遅れる。
 あちらにしてみれば、この反応の遅いぼけジジイめ、と思うだろう。
 それは、よく分かる、自分が若い頃そう思ったのだから。
 いまごろになってやっと、この反応遅れの原因はボケ(だけ)ではなくて笑いと怒りと分かった。でもまあ、ひとつの老人力(赤瀬川原平による)とは言える。今のところ、自分に老人力のつく過程、つまりボケ老人になっていく様子を客観的に見ることを楽しんでいる。


【申請手続き】
 コンピュータ屋のAppleから、頼んだ覚えないのに勝手に宣伝Eメイルを何通も送ってくるので、そのたびに、頼んでない、俺の電話代でお前の宣伝するな、以後送るなと、返事すれどもすれども送ってくる。当然、中身は読んでいない。
 バカヤロウ、もうApple製品を買わないぞ、と思いつつ(実はついふらふらとiPodminiを買っちまったのだ)、もしかしたらどこかに止め方が書いてあるかと、初めて読んだら、あった。
 『メールでの情報提供を中止されたい場合は、 下記URLにてメール配信中止希望の申請手続きを行ってください』
 ムカムカッ、Appleはお役所か、もともとおまえの不良行為なのに、どうして俺の電話代を使って、俺の手間ひまかけてして、俺のほうから手続きを行ってなるみをしてわなけりゃならんのだッ、顧客を馬鹿にするなっ、俺のメイル読んだらそっちで止めるもんだよッ、、。

【言葉の常備薬】

 これは呉智英さんの著書である(2004 双葉社)。
 ちかごろの珍妙なる言葉について薀蓄をかたむけてお書きになっていて、わたしの「言葉の酔時記」ごときのただの思い付きではない内容で、なるほど「常備薬」である。
 わたしも以前に書いた新聞用語の「」や「容疑者」について、そこに呉さんもお書きになっている。
 それによると、新聞で「女」よりも「女性」が上位になるのは、前者が和語、後者が漢語つまり外来語だからだそうである。外国産ほど高級感があると思うのは、言葉も物品も同じらしい。
 ふーん、そうか、、<おんな、かみさん、つま、山ノ神、奥方>→<妻(さい)、女房、家内、家人、夫人>→<ワイフ、ベターハーフ、ハニーとか>となるのかあ、気をつけようっと、。

【事件政治家の肩書】
 2005年1月13日朝日新聞朝刊社会面に“村岡氏の指示証言”の見出しにて、自民党橋本派「平成研究会」が1億円を隠した事件の裁判の記事がある。
 被告は村岡某、証人は滝川某である。同じ記事の中で二人の名前の呼び方が、それぞれ、村岡氏→村岡被告→村岡元長官、滝川・元会計責任者→滝川氏と変わっていく。なんだか変である。村岡某は被告だから、いつもの朝日では「氏」をつけないのに、今回はどうしたのか。「元長官」というのもおかしい。
 この人が罪を問われているのは、派閥の会長代理職であったからだから、書くなら「村岡元会長代理職」のはずである。滝川某もおかしい。この人はこの件で、すでに有罪確定と書いてあるから、いつもなら「滝川受刑者」と書くはず、のような気がする。
 同じ事件報道を日本経済新聞で見ると、村岡被告、滝川・元会計責任者で通しているから、まあ、一応の筋は通っている。日経の見出しは“「村岡氏から指示」”と、証人の言葉としてかぎ括弧でくくっているいるので村岡となっていてもおかしくないが、朝日の見出しはかぎ括弧はないのである。
 まあ、なんでもよいのだが、読んでいて目がひっかかるのが、嫌である。

【韓国名、中国名】

 新聞での外国人名で、韓国人の名は現地発音に近いカタカナで、中国人は日本式音読みで振り仮名をつけるのはどういうわけかと、このサイトで以前に書いたことがある。
ところが今日の新聞(2005.1.13朝日夕刊)に、こんなことが書いてある。
 「韓国では、日本の人名は発音通りにハングルで書き表すが、中国では漢字を中国語読みする。」
 そうなのか、だからこっちもそれに対抗しているのかしら、なんだか大人気ない感じがする。でも最近は、中国人名にも現地発音らしい振り仮名がつくようになってきた。
中国には仮名のような表音文字がないから、外国人名にはその発音に近い読みの漢字をあてるらしい。
 では日本人名の漢字に、日本式読み方に近い振り仮名ならぬ振り漢字をあてるのだろうか。でも、中国にない日本発明の漢字はどうするのだろうか。
 上記の呉智英さんによれば、そのときは日本読みをしているのだとか。

 なんだかいろいろとこんがらかる漢字、じゃなくて感じがする。両方とも漢字を使っていながら、読みが違うから困る。
 してみると日本の仮名は偉大なる発明だったことが分るが、漢字の発祥地の先進国中国と、それを輸入して一生懸命に消化するため仮名発明の必要に迫られた後進国日本の差であろう。
 中国の文化大革命時代を書いたベストセラーの英訳ペーパーバックを読んでいて、毛沢東(もうたくとう)やら周恩来(しゅうおんらい)やら劉少奇(りゅうしょうき)などが登場しても、Maoくらいはなんとか分るが、まったく違う表記であるために誰やら見当がつきにくかった。
 英訳が現地発音に近いのかどうか知らないが、いずれにしても各国で勝手な読みでは、国際化時代には不便なことである。ところで、ショパンChopinを英語圏ではチョピンと発音するのかしら。(2005.01.15)

言葉の酔時記(その2) 2004年10月号

●天動説

 近頃の子どもの4割は、地球の周りを太陽が回っている天動説を信じているという新聞記事を読んだ。
 考えてみると地動説よりも天動説を信じるほうが自然である。
 毎日の太陽のもとの日常体験から、だれだって天動説と思うほうが素直である。
 地動説なんて理論は、小学生ごときに分かってたまるか、わたしだって分かっていないのだから。

●ストライキ

 プロ野球選手がストライキで試合をしなかった。
 このストライキとピッチャーが投げた球のストライクとは、英語だと同じつづりなんだろうなあ、、。
 ついでながら、ストライキ騒ぎで、これまでプロ野球に全く関心無かったわたしも、ちょっとは関心もってスポーツ欄なんか見るようになったのは、
 コワモテ渡辺さんとか,カッコイイ古田さんとか,オカザリ根来さんとか,Tシャツ若僧社長とかいう、
 この騒ぎの個性的登場人物たちのおかげである。とはいってもスポーツ欄でも騒ぎ記事しか読まないのだけれどね。
 ついでにもひとつ、ストライキの日の朝日新聞と読売新聞の記事編集や社の論調が、
まさに正反対であったのが、実に面白かった。

●天災

 今年は台風やら地震やら噴火やらと、天災が多い。天災とは天然自然の現象によって人間が被災することだから、だれもいない海中、極地、山地でどんな大爆発やら大洪水がおきても天災にはならない。
 大昔は天災が少なかったというのは、要するに人がいたところが少なかったということだろう。地球に人間が増えれば天災も増えるのはあたりまえのこと。
 天災とは天が原因ではなく、実は人間がひき起こしているのである。

●よろしかったですか

 9月のある日、倉敷駅前のホテルにチェックイン。
 フロントマン「明日の朝食はよろしかったですか
 よろしかったもなにも、まだなんにも言っていない、おお、倉敷でも過去形が流行か、。
 
【追記】11月のある日、半田市のビジネスホテルにチェックイン、フロントマンのよろしかったですか攻勢に笑う。
  なぜこの客が笑うのか、フロントマンは分からぬ様子。
  部屋に入り、ピッツァの出前注文をする。
  電話の相手が注文を受けるに「では、お電話よろしかったですか?
  わたし「よろしかったから君とこうして話してるんだろう」
  あいて「いや、お電話番号よろしかったですか」
  わたし「だからさあ、、?、?、?」
  相手「あ、いや、お電話番号を教えてください」(このボケジジイ!)
  やがて届いて「ご注文は、この○○ピザでよろしかったですか
  おお、正しい使いかたも知っているのかあ。
  そしてその次の日、山形市内のキャッスルホテルにチェックイン。
  今日もまた、よろしかったが出るかと、びくびくと期待もしたが、
  そこではまったく出ず円滑に話せた。さすが老舗ホテルである。
  ア、待てよ、みちのくの山形はよろしかった文化にいまだ侵されぬ辺境かしら。
  このところ福岡でも京都でも福井でも“よろしかったホテル”に泊ったのだが、
  ホテル業界ではそういう用語をつかう研修をしているのか。

●でよろしいですか

 倉敷での次の日、岡山駅売店で土産物を買うのに5千円札をだした。
 売り子「5000円でよろしいですか?」
 1000円のお菓子に5000円もとられたまるか、
 わたし「よくないです、おつりくださいよ
 売り子はキョトンとしてこちらを見るばかり、、?

オツカレサマ
 近頃は電話の挨拶とか、仕事がおわったときとかに、「オツカレサマ」という奴が多い。
 だいたい、「ご苦労様」とか「お疲れ様」とかのねぎらい用語は、自分より目上にあたる人にはつかわない言葉だったはずだのに、若い者が平気で使う。
 もしかしたらテレビ業界語かもしれないと想像するのだが、そのうちに昼も晩も「オハヨウゴザイマス」って言う奴が出てきそうである。あ、もう言ってるか、。

残酷暑
 (畏友の原和照さんからのEメイル一部引用)
 『今夏の猛暑も終わり涼しくなりましたが、この“猛暑”という言葉がどうもスッキリ来ない、こんな言葉は造語ではないかと思って、常用している安物の辞書を引いてみたところ残念ながらありました。同様な意味の言葉として“酷暑”というのがありました。また、薄っぺらな和英辞典を引いてみたら、“酷暑”はありましたが、“猛暑”は載っていませんでした。矢張り“酷暑”の方が良さそうです。ついでに寒さの方も安物の辞書で調べてみました。
極寒”という言葉があるのは知っていましたが、“猛寒”は無く“極寒”と同じ意味で“酷寒”はありました。それなら暑さにも寒さにも使える“酷暑”“酷寒”を使うべきだと思いますが如何でしょうか。

 話はまだ続きます。酷暑が終わり残暑の時期になり、矢張り猛烈に暑い日が続きました。これをどのように表現すれば良いのか、猛残暑、残猛暑どちらもスッキリしない。
しかし、“残酷暑”これは実にピッタリ来る言葉です、これを言いたいために長々と書きました』


 (ここから伊達記)“暑い暑い”の単語を広辞苑第4版CDで引いたら、なんとまあ、炎暑、激暑、劇暑、厳暑、酷暑、極暑、甚暑、盛暑、大暑、熱暑、猛暑、おお、いったいどう違うんだよ。こうなりゃわたしも追加するぞ、特暑、超暑、爆暑、どうだっ。(041001)

言葉の酔時記(その1) まちもりコラム2004年9月号

*温泉

 全国の温泉地で水道水わかして温泉と言っていたことがばれた。
 ある旅館「ただの水道水を沸かしていたのに温泉だと言っていました、ごめん」
 つぎの日「昨日、水道水といいましたが、実は本物の温泉です、ごめん」
 その翌日「その温泉は、実は違法掘削してつかっていました、ごめん

*方言

 コンピューター用語は東北弁イントネーションで発音するものらしい。
server[魚~青](鯖を引き伸ばしたイントネーションのつもり)
・net[熱湯]
site[斉藤]
・word[和~銅]
・data[出~たっ↑]
・disk[でぃ掬う↑]
・mail[眼選る↑]
 少なくともわたしの周辺ではこうなのだが、関西ではどうなんだろうか?

*講読

 コンピューター業界ではmail magagine配信を、有料なら「購読」、無料なら「講読」というのだそうだ。ダジャレかと思ったら本気で「講読」だそうだ。辞書を引きゃ大違いと分かりそうなものを、。

*分3

 調剤薬局で薬を買うと、説明書が付いてきた。なかに「分3毎食後服用」とある。
 “分3”が分からないのできくと、1日に毎回1錠ずつ3回のむことだって、辞書にも無い業界用語を書くなよ。

*丁寧

 実際に受け取ったことのある文章
 「作業スタッフ4~5名で伺わせていただきまして、お部屋の中からお部屋の中までお運びさせていただきまして、インターネット割引をさせていただきまして、できるだけお勉強させていただきたいもので、上司に交渉させていただきましたところ、100,000~120,000円(税別・保険代1,000円)まで、何とかOKを取らせていただいたのですけれども・・・」(引っ越し屋から)

*申告

 関東でバスに乗降するときに、機械に運賃カードを通す。カード残金が料金に足らないと、機械が女の声でこうしゃべる。
このカードは料金不足です。何等かのお支払方法をご申告下さい
 そこで、申告書を書いてはんこを押して、運転手に提出すると許可が出て、・・ウソ。 

*発券

 東京の地下鉄駅で券売機から回数券(10枚分料金11枚出る)を買おうとてボタンを押す。しばらくゴトッゴトッと何かしている気配のなかで、機械が女の声でこうしゃべってくる。
 「ただいまハッケンしています。しばらくお待ちください
 「発券しています」なら、切符が次々と出てきそうなものだが、11枚まとめて出てくるから、違うのだろう。
 「発見しています」か?。たくさんある切符から必要なもの11枚を次々と発見している最中か。
 それを言うなら「ただいま切符をつくっております」だろうが、。

*有無

 関東でJR駅の切符売り機械で運賃カードを買うとき、女の声でこうしゃべってくる。
領収書のウムを選んでください」 
 ウムとは有無なんだろう。ここで領収書をほしいがまだ手元には“無い”からとて、
「無」を選んで押すと領収書は出てこないのである。
 ほしいなら反対に「有」を押さなければならない。なんで?
 それを言うなら「領収書の要、不要・・・」なんだよ、機械女のバカタレ。

*日本人名

 テレビはほとんど見ないから、特に電車内の吊り広告に登場する人名は、読めないものが多い。
・松井稼頭央[まついかせぎがしら](直截な名前でよろしい)
・広末涼子[すえひろりょうこ](ひろすえと分かったのはずいぶん経ってからだった)
・朝青竜[あさおりゅう]
・天海裕希[てんかいひろき](男か女か?)
・イチロー(これは読めるけれど、姓はなんというのだろうか。、「野茂一郎」か、)

*外国人名

 中国人名は、漢字に日本式音読み発音の振り仮名がつく。
 韓国や北朝鮮の人名は、漢字に現地発音に近いカタカナ振り仮名がつく。
 漢字のない国の人名は、いきなり現地発音に近いカタカナで書く。
 韓国人名でも「冬のソナタ」の俳優名は、ペ・ヨンジュン(漢字ならば裴勇俊)のようにいきなりカタカナで書く。
 これらの違いはどいうわけ、ねえ、新聞屋さん?

*協働

 「市民と行政の協働」というのが流行りつつあり、ある市では条例にもなっている。
 「参加」が手垢がついたので「協働」に取り替えたのか?
 市民は税金を払って、行政機構に一定の範囲の仕事を委任している。いわば市民は雇い主、行政は雇われ人の関係にある。それなのに、雇われ人のやるべき仕事を、雇い主も協力して働けってことらしい。
「協働」という言葉では、意図する意味とは違うように思う。

*五輪

 「五輪」ってことばが最近しきりに新聞に出てくるけど、いったいどう読むのだろうか。「ゴリン」では、宮本武蔵じゃあるまいし、なんことだか、。
 「オリンピック」なのか、あ、「ゴリンピック」か、。

*広告

 「ナントカ一発 疲労回復」って広告だけど、疲労が戻ってくる薬なんて、だれが飲むのだろう?

*放置

 「車内放置」防止要綱を、逗子市では制定したという。なにを放置かって?、自分の子どもですって、。

*割引

 JRの運賃を高齢者に特別割引してくれる「ジパングクラブ」に入会した。
 割り引きで買った切符に大きく「ジ割」と記入してある。女性の切符には「バ割」となっているのだろうか。

*mansion

 「マンションの建て替えの円滑化等に関する法律」とか「マンション売出し中」のマンションとは、集合住宅(共同住宅)建物あるいはその住戸のこと。
 アメリカでマンションといったら、「ワシントンのホワイトハウスのような個人住宅のこと」(アメリカ人から聞いた話)

*借景

 「素晴らしい借景」を惹句にして、庭の無い集合住宅を売っている。
 よそさまの庭園の借景をぶち壊し、バルコニーから勝手に覗き込むのである。

*建物名

 横浜市南区の真金町永楽町の真ん中あたりにある集合住宅ビルの名前。
 グリーンハイツ大通り公園、コスモスクエア大通り公園、ホーメストハイツ大通り公園、ライオンズマンション大通り公園南、ジュネス伊勢佐木、センチュリー伊勢佐木、東横イン横浜関内(これはホテル)。
 大通り公園からは200m、伊勢佐木町からは500m、関内駅からは800mも離れている。
しかも、いずれも隣の中区の地名である。

*associates 

 友人の会社の英文社名○○の末尾に associates と付けている。あるとき受け取った返信メイルで 「○○ ass 様」と短縮されていた。

*ビデ

 自動洗浄式便器をわが家にも備え付けた。操作盤に曰く、肛門は「おしり」と大和言葉、もうひとつは「ビデ」、おフランス語?、ふーん、。
 でもって、「おしり」には“桃割れに噴水”の絵がついている。

 「ビデ」には女の顔が書いてある、そうか、ビデって顔に水をかけるものなのか。
    ***
(040902)***
【講読】
書物を読み、その意味を解き明かすこと。またその課目。「原書講読」
【借景】庭園外の遠山や樹木をその庭のものであるかのように利用してあること。またはそのような造園法。
(以上引用:広辞苑)
【mansion】 大邸宅, 館(やかた)(解説:個人の豪壮な大邸宅をいう; 日本でいう「マンション」に相当する英語は 《米》 apartment, 《英》 flat; 高級分譲マンションは 《米》 condominium; 高層マンションは high-rise apartment) 
【ass】ロバ. ばか; がんこな人. 《米卑》 尻; 肛門.
(以上引用:New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998)

2014/08/08

978・【再掲過去弧乱夢】10~15年前のわたしのネット環境事情が実に面白く懐かしい

【2014再掲】まちもりコラム2000~2005年
 ほんの10年から15年ほど前のネット環境等について、わたしが腹を立てていたことを、このブログ開始以前の「まちもり通信」書いていた。ここにプロバイダー乗換に備えて再掲したが、懐かしいような面白さとともに、今もあい変わらぬ腹立つものがある。




2005年6月●IT業界はほんとに変だ


 4月のコラムにマッチポンプか、と書いた、ウイルス駆除ソフト会社がウイルスソフトをばら撒いた事件のことの続きである。
 たまたま買ったPC関係雑誌(Yahoo Japan2005.7月号)を読んでいたら、この事件のことがコラムに書いてある。気になったところを引用する。


 その1(この事件の背景には)『新種ウィルスの頻発と不正プログラムの悪質化という大きな問題があります』
 これはその会社の社長の弁明である。おい、それはおかしいでしょ、だってそういうことがあるから、そんなソフトを売って儲けてるんでしょ、病気に効くよというので買った薬が原因で身体を壊したら、それは病原菌が悪いっていうなんて、加害者が言う言葉ではない。


 その2『被害にあったユーザーで、業者などに依頼して復旧を行った場合、その費用を8500円まで負担する。ソフトウェア障害で補償を実施するのは非常に珍しいケース』
 なんで8500円かというと、そのソフトの販売価格らしいが、それはないでしょ、現実に被害額はそんなもんじゃないはずですよ。それに補償は非常に珍しいケースだというのも、えっ、そういう変な業界なの?って感じです。買ったものによって起きた被害、明らかに売った側の責任であるのに、それを補償しない業界って、あるんですねえ。人命にかかわらないからよい、と思っているのか。しかし、いまやそうばかり言っていられない使い方をコンピューターはしているところもあるはずだ。


 そしてこのコラムニストの結論は、インタネットは安心できないから、こういうことが起きても大丈夫なように、ユーザー自身で日ごろから気をつけましょう、って言う調子。

 おいこら、これじゃあ業者は悪くないって結論になってしまいますね。いくら雑誌が広告で成り立っているといっても、結論がこれではあまりにひどいと思います。
 とにかく、IT業界は変なところです。(050608)




2005年4月●やっぱり、マッチポンプか

 「もしかしたらウィルスはウィルス駆除ソフト制作会社がつくっているのかも、、、これをマッチポンプと言うのですが、、まさかね。
 これは以前にこのページの「害虫に寄生されたわがPC(まちもりコラム2004年2月号)」に書いたし、同じことを「もういいんだ」の中の一節にも書いた。
 その「まさかね」が起きた。


 新聞によると2005年4月23日にウイルス駆除ソフトウェアのアップデートソフトが原因で、コンピューター障害が世界中に起きたというのだ。リリース前に検査をしなかったのが原因だと製造配給元はいっているそうだが、実態はコンピューターウィルス駆除ソフトを偽装したウィルスソフトをばら撒いたのと同じである。
 幸いにもわたしはこれに引っかからなかったが、それはその高価なソフトウェアを買う金がないので、ほかの安物を入れているからにすぎない。


 ところで、これによって被害をこうむった人たちに、製造配給元はどうやって補償をするのだろうか。企業活動被害は巨額だろうし、世界中のそれを足すと膨大な額となるはずである。
 それとも、そのソフトウェア使用許諾条件に「このソフトウェアによる被害については一切の補償をしません」なんて書いてあるのだろうか。24日の朝刊に出ているお詫び広告にも、できる限りの対策をとるとは書いているが、被害補償するとはない。


 いつもソフトウェア取り入れるときに、あの長たらしい許諾条件の文が出てくるが、これをまじめに読んだ上で「承諾クリック」をしている人が世の中にどれくらいいるだろうか。
 わたしは読むことはまったくないのが実情だけど、たいていの人がそうだろう。もしかしたらあそこに、「これを使うと1億円支払うことを承諾する」って書いてあるかもしれないなあ、、おお、怖い。だからインストールしてもメーカーに登録はしないのだ。ま、これは公序良俗に反するから法的には無効だろうが、被害補償しないとは書いてありそうだ。


 ところで、わがPCには1980円の安物ウィルス駆除ソフトウェアが入っているのだが、それが高価なソフトウェアと同じなのだろうかと気にはなっている。高いから駆除能力が高い、安いからダメってことはやっぱりあるんだろうなあ、と思うのが世の常識である。
 この安物ソフトウェアも一生懸命にデータスキャンして、ウィルスはありませんでした、なんて言ってくる。でもねえ、お前、ほんとに駆除してるの?、ただただスキャンしているだけで、実はな~んの能力もないんだろ?って言ってみたくなる。

 持ち主であってもその中身がどうなっているのか全く分からないで使わざるを得ないのがソフトウェアなんだから、IT業界はどこか世の常識と違うことが多すぎる。(20050425)




2004年4月●ブロードバンドで情報伝達の本質を忘れる

 ちかごろはEメイルで重いファイルを、平気で送ってくる人が増えてきたような気する。昔もあったが、それはメイル初心者がよく知らないで送ったのだが、近頃はそうではなくて、確信犯的に送ってくるようだ。
 どうもブロードバンドの急速普及に原因がありそうだ。

 わが家の通信環境は--自慢するけど--ピポパピポじゃなくてパルスによる普通回線である。インターネット接続はアクセスポイントの電話番号に、ブツブツブツ・ブツブツ・ブツ・・てな調子で、PCが自分でお電話する(ダイヤルするというのか)ことから始まる。
 なにしろ一昨年まで鎌倉の家では、わが机の上にはPCと並んでダイヤルをジーコジーコと回す黒電話が鎮座しており、こいつがPCに合わせてチリリン、チリン、チリチリと、けなげにも小声で歌うのが楽しかった。


 さすがに東京の2ヶ所のわが仕事場ではISDNとADSLになっているし、わが家のある集合住宅ビルも光ファイバーが敷設してあるのだが、わが家はあくまでアナログ低速、いや普通速度回線のままである。
 だから、重すぎるファイル付きメイルはダウンロードに数十分もかかる。いらいらする、健康によくない、だからプロバイダーのメイルサーバーからいきなり削除してしまって、受け取らないことにしているのだ(そうもいかないこともあるが)。
 えーっ、そんなことでよいのか、せっかく送ったのに見ないとは何事か、失礼なヤツ、すぐにADSLに変えろっ、こう立腹するお方がいるに違いない。すまん、ごめん
 いや、ちょっと待ってもらいたい、ちょっと違うのである。

 高利貸(サラ金とかまち金ともいう)の宣伝ちり紙(ティッシュペーパーともいう)を街角や駅前で配るのはずいぶん前からやっているが、ちかごろは広幅帯(ブロードバンドともいう)通信道具を配っている。
 デジタル最先端技術の道具でも、はじめは、あの風俗客引き風のなんともはやアナログなやり方でないと、かんたんには普及しないものなんだなあー。


 そうやって高速通信道具が組織にも個人にも急速に行きわたりつつあるのだが、その道具としての普及の急速さと、その使い方の普及との間にギャップが出ているのが今の状況である。
 ちかごろは最初から広幅帯通信のひとは、そういうものだと思っているだろう。乗り換えた人も速さに大喜びしているうちに、誰もがそれでやっていると思い込んでしまう結果が、相手の状況を考えない通信となる。


 先日、わが家の通信環境を若い人たちに話したら、いまどきすごいですねと驚いて笑われた。そうなんだよー、いまに電話局がわが家にやってきて、もうアナログはお宅だけです、おねがいですからブロードバンドにしてください、と言って来るまで変えないぞ、なんて酒飲み話をした。
 インターネットは世界をめぐるのだが、世界中どこもブロードバンドの通信環境ではあるまい。わが家の様なところは、世界中まだまだ多いに違いない。
 人にものごとを伝えるということは、相手の立場になり、分かりやすい言葉にするのはもちろんだが、伝える手段も相手に伝えやすい方法とするべきである。
 そのとき、ブロードバンドを標準にするのではなく、わが家のようなのがまだ「世界標準」だと思う。ブロードバンド普及で、情報を伝える本質を忘れてきているように思う

 わたしは会員数600のNPO事務局で情報発信しているが、会員みんなに配信するメイルはかならず本文テキストで要領よく書くことにしている。重いファイルはHTMLにしてINサイトに載せて、先方からアクセスしてもらう。
 つまり人様に情報を伝えるマナーを、遅さが自慢のわが家を標準にして、その環境での分かりやすさと速さを考えて情報発信をしているのである。これなら地球上のどこでも通用するのだ(と思う)。

 と、まあ、ここまで格好つけた話をしたが、本当このことを白状すれば、わが家の普通回線通信とブロードバンド通信をコストパーフォーマンスで比較すると、前者のほうが低廉なのである。だからビンボー人は乗り換えられないのだよ、すまん、ごめん。
 それにもうひとつ、外でも中でも頻繁に使っているモバイルPCにつなぐ携帯電話によるインタネットは、わが家をいくら高速にしても、なんの関係もないのである、、、なんだか納得がいかないのだ。
 というわけで、まだまだ使うぞブツブツ電話、、引っ越しのときにNTTに返した黒電話ジーコ君が懐かしいなあ、。(040327) 




2004年2月●害虫に寄生されたわがPC

 わが家のコンピューター(FMV)のヤツが3日前から馬鹿になって、たびたび「Remote Procedure Callが異常終了したために、、ウンタラカンタラ、、、早く仕掛け中のファイルを保存しないとなくなってもしらねーぞ、、」ってみたいなこと言ってきて、50秒くらいのカウントダウンを始め、やがてシャットダウン⇒再起動を、ご主人様の私にことわりなしに勝手にやるようになりました。


 このやろう、どうしたんだ
 なにか治療方法はあるのでしょうかと、まわりのあちこちに病状を吹聴して、多くの方々のお見舞いとご助言をいただき、これはどうやらコンピューターウィルスに罹ったらしいと分かったのです。実は初めてです。
 助言に従い、あれこれと病機を診察してみると、これはW32.Blaster Wormなる名前の害虫がいつの間にか寄生していて、こいつが勝手にPCを再起動カウントダウンさせるのだと分かりました。
 そこで苦闘4時間の大手術の末、「worm has been succesfully removed from your conmputer!」と出て、駆除除去に成功しました(らしい)。

 10年くらいのコンピュータ通信歴で初感染した記念に、この虫を剥製にして保存したいのですが、どうすればよいのでしょうか。

 ノートンさまが「脅威のウィルスだぞよ」と脅してくるそばで、なんだかわけの分からない日本語の駆除マニュアルを読みつつ、何回も失神させたり生き返らせたりしながら、手間ばっかり掛かったあげくが、ただ単に元に戻っただけのですから、この4時間はなーんにも成果がない。
 そう、人間のからだの病気治療も考えてみると同じで、治ったと喜んでも実は元に戻ったので、得るものがあったわけじゃない。


 あっ、先般わが身の病に大誤診があったごとく、もしかしたらこれも誤診で、明日になったらまた害虫ぞろぞろかもしれないなあ。
 これで儲かるのはシマンテックばかり、もしかしたらウィルスはウィルス駆除ソフト制作会社がつくっているのかも、、、これをマッチポンプと言うのですが、、まさかね。それにしてもなんともはや分かりにくい診断治療マニュアルだなあ。
 いずれにしろ今の時点では治癒したことにして、こころからお礼申し上げます。(040104)




2003年12月ちょっとは態度が変わったかマイクロソフト

 わがPCを替えて3ヶ月がたつ。WIN98からWINXPになって、ちょっとは馬鹿翻訳がなくなったなかあと思っていると、でてきたでてきた。
 98で頭にきていたことは、フリーズしたり変になると、「お前が不正なことしたからだ、こんどからきをつけろー、、」みたいな言い方で、自分が故障したのをこっちのせいにするヤツである。しかも「不正」なんて、まったくもって言葉知らずの失礼きわまるやつである。
 それがれがXPでは、「すみません、間違えましたので、やり直してください、、」みたいな文章に変わった。おお、よしよし、ちょっとは分かってきたか。


 で、そのあとに続いて、「この故障をマイクロソフトに通知してくれ、、」なんていうのだ。で、それをクリックすると電話回線にはいってインターネットに自動的につながるのである。
 おいおい、ちょっと待ってくれ、その通信費、電話代は誰が払うんだよ
 そっちの欠陥のせいを、費用こっち持ちで教えろとは、なんとまあ虫のよいこと。
 え、その通信費なんて安いもんだっていうのですか、なにをおっしゃる、世界中の故障ユーザー何億人もが負担するのですよ、何十億円になるかしら、。
 これ本当は、全部メーカーのマイクロソフトなんかで負担するべきでしょ。


 最近は、売ったXPだかなんだかソフトに不具合が出ることが分かって、そこを直したから、インタネットでアクセスして修正用ソフトをダウンロードせよといってくる。その数がめったやたらに多いのである。
 おいおい、欠陥商品を売っておいて、買い手が交通費負担して修繕用具を取りにこい、それ使って買い手が自分で手間ひまかけて修理せよって、そんな馬鹿なことが通じるのが、ITの世界なんですか、え?(031204)




2002年8月●食い物もPCもこうなったらもういいんだ

 まったくもって、何を食えばいいのだろうか。あれもこれもニセモノだった、毒が入っていた、なんてことが次々とばれてくる。味が分からないと思ってバカにしやがって、、。
 でも、もーいいんだ、ここまで偽ものや毒食っても生きてきたんだから、この後の人生もなんとかなるさー。

 それにしてもこのところ、大組織首脳部の平身低頭お詫び写真が、新聞によく載る、肉屋とか金貸しとかケーサツとか。テレビ見ないから知らないけど、そっちはもっとしょっちゅうなんだろう。
 お詫び図鑑なんてのをつくると、結構売れるんじゃないだろうか。日本ハムみたいに、お詫びや事後処置が下手糞だと、これからは「お詫びコンサルタント」なんてのが商売になるかもしれない。
 記者会見での頭を下げ方や受け答えの仕方、偉い人やドジしたやつの処分の上手な発表の仕方なんかね。あっ、私が思いつくぐらいだから、もうとっくにやっている人がいるにちがいない、危機管理コンサルタントとか言って。

 ニセモノといえば、最近は他人の名を騙って電子メイルでバイキンを送りつけてくるやつがいる。騙られたご当人は何にも知らないし、ご当人のコンピュータもなんともないというのに、。
 これはわがイチャモン妄想だが、もしかしたらウィルス開発しているのは、ウィルス退治ソフトをつくっている人じゃあるまいか、マッチポンプで儲ける、なんてね。ウィルスがウィンドウズにばかり感染するというのは、もしかしたらMAC陣営が作っているんじゃないか、なーーんて、まさかね。(2002.08)

2002年5月●ユーザーに手間ばかりとらせるPC

 
今月もハイテクイチャモンをつける。新しく買ってきたコンピューターの類の設定とか立ち上げは、どうしてあれほどうまくいかないのか。
 アプリケーションをなんとかして使えるようにするのに、取り掛かってから気がつけば2時間も3時間もたっている。
 だいたい、その解説書もヘルプも、書いてある日本語が翻訳者の頭の悪さ丸出しでたらめで、読んでも分からない。クイズを解いてるんじゃないんだよ。 


 そうやって悪戦苦闘の末やっと使えるようになったとしても、それまでの苦労はなーんにも成果がない。要するにやっと出発点に立っただけで、それからが仕事なのである。
 それまではマイナスをゼロにする仕事をせっせとやらされていたのであり、それをやらせたコンピュータ屋が言うには(多分)、お前のやり方がまずいんだよ、とて、なーんにも補償してくれない。
 こんな悪習慣を世間はどうして黙って許しているのか?


 例えばですよ、本を買ってきて、読みはじめるまでに2時間も3時間もかからないと表紙が開かない仕掛けになっているなんて、あーた、考えられますか?
 実は、携帯電話を買って1ヶ月たっても、そいつとMOBILE PCがいまだに交尾に成功しないんだよなー、くそっ。(020501)




2000年10月●IT時代に身近ないちゃもん
 
 いまどきホームページを開設しても、ほお、あなたもやっとホームレスじゃなくなりましたか、と、おちょくられかねない。
 だが、キャットもスプーンも、IT、愛茶、アー痛てー、逢いてえと、日常生活に入りこんできて、困ったもんである。なにも電話代わりのコンピュター使うやり取りばかりじゃなくて、なにかと電子情報使った機械が身近に出てきて、困らせる。


 まず、駅の切符売りが愛茶になって、自動販売機に向かうと、あれこれ操作の注文が多い。注文の多い切符売りである。「東京駅」と一言いえば、さっと切符と釣り銭が出てきた無愛茶時代の昔が懐かしい。
 バスに乗ってもカードで決済だから愛茶である。ところが,わたしの乗る京急バスの「カード型料金支払い機」は、珍妙なる言葉を使う。
 カード支払い時に料金が残金が不足していると、女の声でこうしゃべる。
「このカードは料金不足です。何等かのお支払い方法をご申告下さい」。


 いかがです、「何等かの」ですよ、「お支払方法」ですよ、「ご申告」ですよ。たかが百円程度のことで、申告書を書いて、はんこ押して、社長の決済とって、支払うんですか、といやみのひっつもいいたくなる、いかにも役所的な言葉つかいですねえ、誰が教えたんだろう。
 どうして、「バス代が足りません。追加して払ってください」と、簡単に言えないのかなあ。
 ついでに、なんでバス会社ごとにカードの入れ方が違う機械なんだよお、乗るごとにおたおたするじゃないか。バス愛好者は頭に来る。


 同様なことは、今これを書き込んでいるコンピューターの使う言葉のひどいことも、いつも頭に来る。自分が勝手にフリーズしておいて、仕方ないから電源切って立ち上げると、不正な処理をしないでくれ、なんてイチャモンをつけて、次からマジメにやれ、なんてお説教まで垂れる。馬鹿め。


 ついでに、人間のほうも変だ。メイルとかワードとかサーバーとかの発音を、尻上がりに関東なまりか東北弁で言うのも、なんとかしてほしいもんだ。
 なにを言いたいかというと、人間との接点における基本的なところが抜けてるよ、それじゃなんのためのITだかわからんじゃないのってえの。


 日本語の言葉づかいもろくに知らないIT屋に任せておくと、これからバスにも電車にも乗れなくなって、どうなるものか分かったもんではない。ここは分別ある高齢者がたちあがって、愛茶社会を牛耳る必要がありそうだ。


(愛の茶で一服する年計画化ーうちの機械は都市計画家と言ってくれない。 001029 

*このコラムは「週刊まちづくり」に掲載した。週まちHPhttp://member.nifty.ne.jp/Teru2/w-machi/

977・俳人の松尾芭蕉「おくのほそ道」になんと「まちづくり」が出てくる

【2014再掲】まちもりコラム2004年4月号 

「おくのほそ道」と「まちづくり」

 
毎回のコラムで腹立てていては健康に悪いので、今月は古典文学のはなしと、ちょっと気取ってまいりましょう。


       白き袂のつづく葬礼    北枝
     花の香は古き都の町作り    曾良
       春を残せる玄仍の箱    翁


 これは1689年、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途中で、山中温泉(石川県)に滞在したときに巻いた「山中三吟両吟歌仙」出てくる句です。
 芭蕉、同行した弟子の曾良、金沢の俳人立花北枝の3人で詠んだ36連句集で、上の句はそのなかほどに出てきます。翁とは芭蕉翁のことです。

 なんと「町作り」という言葉が出ています。その頃からこの言葉があったのでしょうか。この句の読み方は、こうです。

     花の香は古き都の町作り 白き袂のつづく葬礼
     花の香は古き都の町作り 春を残せる玄仍の箱

 さて、「町作り」の意味はどうなのかと、解説書を読んでみると、どうやら「街のたたずまい」という意味ですね。街の風景といってもよいかもしれません。
 現代の「まちづくり」と通じてはいますが、違うようでもあります。「町作り」が近代的意味を持つのはいつごろからでしょうか。
 もっとも、いまでさえも「まちづくり」の意味は人により千差万別ですが、。

(このコラムは2004年5月29日に「まちもり通信」に記載したが、都合によりこちらに転載した)       

2014/08/07

976・【本日の新聞広告イチャモン】お高いところから安倍イズムご説教をありがとさん

 今朝の朝日新聞に。一面を使って「意見広告」とて、安倍イズム後押しを、保守派論客たちが連
名で載せている。お金があるんだな
 その内容については無学のわたしにはあまりにも難解だが、今じゃあ一国平和は手遅れで、集団防衛の時代だそうだ。こわいねえ。

 ただねえ、このお写真を拝見してつくづく感じたのであるよなあ。
 どなたか知らんけど、読む者を見上げさせる姿勢、お高いところからの視線。
 ふ~ん、なんだねえ、偉い人なんだろうねえ、お前たち無学のものに教えてつかわす、って、たしかに「意見された」みたいで、有難いことでごぜえますだ、ムカッ。

2014/08/03

975能「鉄輪」を蝋燭能でみたが暗くて目が疲れて眠くなり面白くなかった

 久しぶりに松濤の観世能楽堂で、能「花月」(山階弥右衛門)、狂言「隠し狸」(野村万蔵、萬)、能「花筐」(野村四郎)、能「鉄輪」(観世清河寿)を観た。終演が16時5分だから長い座り通しの日だった。
 いずれもすでに見たことがある。「花月」は旅芸人の芸事を見せるのが趣旨で、見て面白かった。
 「花筐」は、継体天皇が越前の田舎から出てくる時に置いてきた女に追いかけられた話で、狂女ものでそれほど面白くもない。継体天皇を題材にしたことが面白いと言えば言える。

 「鉄輪」を見るのは2度目であるが、ちょっと不気味に面白い能である。
 名もない庶民の女が主役の能は珍しい。女の夫がほかに女をつくって捨てられたとて、大いに恨んで相手の女も前夫も呪い殺そうと、貴船神社に深夜にたびたび参詣して祈願する。
 ある日、貴船神社の社人からその願いを叶えてやるから、顔を赤く塗り、赤い衣装を着けて、頭には鉄の輪を嵌めてそこに3本の松明をつけて参詣せよと告げられる。
 そこで女は、深夜にその姿になて参詣して祈るのだが、祈り殺されるはずの男が事前に察知して、陰陽師の安倍晴明に頼んで呪いを阻止する仕掛けを施しており、それに負けた女はすごすごと帰っていく、という筋である。

 女の橋姫の面も怖いし、頭に松明という奇怪な姿もおどろおどろしている。その呪い殺すという題材と姿の不気味さがこの能の面白さであろう。
 ワキの安倍晴明は、女がやって来る前に祭壇で呪い排除の祈りをして、そのあとは女がやっくる。ここでシテとワキとが祈り祈られる、能によくある戦いをするのかと思ったら、ワキの晴明は座ったままである。
 女が祭壇に寄って、呪いの言葉で先ず夫の新しい女を呪い殺し、次に夫を殺そうとしたら晴明の手先の神たちが待ち構えていて呪いの力を失った、と、地謡が口でいうだけで終わり。女は呪いの身振りをするが、蝋燭の灯の暗い中での演技がよく見えない。

 今回のこの「鉄輪」が、蝋燭能だったのだ。わたしは、これまで200番くらいは能を見ているが、蝋燭能なるものを初めて見た。
 舞台と橋掛かりのそばの白洲に蝋燭の灯を13本立て、電気照明は真っ暗ではないがかなり暗くしてある。あまりに暗くて、目がしょぼつく老人には舞台がよく見えないのだ。
 それでも期待したのは、作り物で出てくる祈祷台の蝋燭とか、頭に鉄輪のうえの3本の松明には、本物の灯がついて出てくるのだろう、そういう部分照明の効果が面白いだろう、ということであった。
 ところが、見事に期待は外れて、どちらにも灯はついていなかった。ただただ暗い舞台だった。

 以前に見たときは、普通にライトがついていた。あの時の方が、不気味さがよく分り、ちょっと怖かった。今回は暗くてよく見えないので、怖くないのだ。
 蝋燭能はどういうつもりでやるのだろうか。たしかに鉄輪は夜中のシチュエーションである。だから暗くするのか。そういうものかしら。
 これは芝居なんですよ、演技で暗さを表現するべきだと思いますがねえ。歌舞伎でダンマリという暗闇の芝居があるが、舞台照明は明るいのに、演技は一寸先も言えない暗黒の場である。見物客が、頭の中で暗闇を演出する。芝居とはそういうものだろう。

 能「隅田川」も中心となる場面は、真夜中である。これを蝋燭能でやるのだろうか。
 わたしはこれまで10回くらいは隅田川を見てきたが、その記憶にある舞台は、前半は明るく、中盤以降は暗い(ように思う)。そして終幕に「ほのぼのと明けゆけば」と地謡が謡うと、舞台が明るくなってくる(ように思うのだ)。
 ほとんど舞台装置のない能舞台は、見物客の頭の中で舞台美術をつくりあげなければならない。演技者は、見所にそう見せる演技しなければならない。そこが面白くも、また難解であるのが能である。
 というわけで、鉄輪は頭の上で蝋燭が燃えていたなら面白かったが、照明がただ暗いだけの蝋燭能は、目を凝らすので疲れただけ、眠くなっただけだった。

 それにしても、鉄輪の女主人公は、新しい女に走った男に敵討ちもできずにすごすごとかえっていくなんて、可哀そうである。救いがない。
 能に良くある、最後の土壇場で「仏果を得たり」と救われるという、ご都合主義もないのである。気の毒にもそのいでたちの異様さによって、同情を得難いのだろうなあ、可哀そうに。
 これこそ悲劇の能である。
鉄輪を頭に嵌めて3本の松明を立てる
  悲劇の能として有名なのは、能「隅田川」である。これは救いのない悲劇とされるが、わたしはどうもそうでもないように思うのだ。
 母親は、京から東国の果てまで長い長い旅の末に、ついに探していた息子の最期を知り、墓も見つけて、幻ではあるが再会し、これでようやくにして彼女の旅は終わり、「東雲の空はほのぼのと明け初めて」新たな日がはじまり、新たな人生を始めることできる。
 そして「あわれなりけり」の終章の意味は、「哀れ」ではなくて、深い詠嘆の「あはれ」なのである。こう示唆して終止のトメになる。

 鉄輪の女は、返り討ちにあって何も解決できずに、「時節を待つべし」と謡って、再度の復讐劇を心に秘めて幕に走り込む。まだまだ悩みを持ち続けるのである。
 隅田川の母の夜が明けたが、鉄輪の女の夜は続くのである。
貴船神社奥宮