2013/09/30

838TV番組を見たことがないけど「あまちゃん」と「半沢直樹」を論評してみるのだ

 TV放送を日常的に見ることはない。3年前の震災当時はよく見たが、最近はたまに震災関連のNHKスペシャルぐらいなものだ。
 そんなわたしにも、「あまちゃん」とか「半沢直樹」とかってTV番組が評判になっているらしいと、それとなくわかるのは、新聞記事とfacebakaのせいである。

 で今、日本中のいい歳をした男ども(女もか)が、あまちゃん放送終了で落ちこみそうとか、半沢直樹の終わり方が気に入らないので続編を待ち望むとか、ヤレヤレ。
まあ、なんと言いましょうか、「なんとまあ日本は平和なことであるよなあ、TVごときで…」との一言で片づけることもできる。

 あまちゃんは、言ってみれば要するに女の子の出世物語(らしい)って、昔からシンデレラの典型的な物語だから、いまさら、それがどうしたって言うんだよ(もちろん、中身は全然知らないが)。

 半沢直樹は、言ってみれば要するに、サラリーマンの悲哀と復讐(らしい)って、これもまあ、昔から敵討ち時代劇だから、いまさら、それがどうしたって言うんだよ(もちろん、中身は全然知らないが)。

 そういえば、「おしん」が映画リバイバルしているそうだ。
 思い出せば、あれはもう大昔、いつだったかしら(今、ウィキペディアで調べたらなんと30年も前)、寒い朝だったなあ、山形駅で乗り換え時間をつぶすために待合室でウトウトしていたら、急に人が増えてきて、みんなTVを見つめだした。

 え、なんなんだよ、大事件かって見たら、これが「おしん」番組の放送だった。ほう、これがいま評判のあれかと見たが、前を知らないから面白くもなかった。
 これもまあ、シンデレラと同類の刻苦勉励努力出世物語である(らしい、もちろん中身は知らないが)。

 世の中、人間の心の中の営みは、何年かごとに同じことが繰り返されていて、平和なもんである。そしてまた、人間の身体の外の自然の営みは、大地震や大洪水など、これも何十年か何百年ごとに同じことが繰り返されている。

 この自然にとっては当たり前の時間間隔による繰り返しが、人間には当たり前でない時間間隔であり、それが災害となる。
 つまり、人間のほうが自然よりも短いサイクルで生きていることが、忘れたころに災害がやってくることになるのだろう。
 この時間間隔のギャップを人間は心で埋めようとして、「あまちゃん」へ、「半沢直樹」へ、「おしん」へ、宗教へと走るかかもしれない。

 そうか、わたしもこれら人間癒し用の物語を見ておかないと、この先の心の平安がないかもしれないなあ、いまから「おしん」でも見にいくかなあ。
 いや、へそが曲がり徘徊老人には、もう手遅れだろうから、どうでもいいや。


2013/09/25

837こんなに売れてこんなにゴミになるスマートフォンなんて買ってやるものか

 ハイホー、ハイホー……今、世界中の哀れな小人たちが、マック王妃に騙されて食った毒入り林檎で脳がマヒしてしまって、次から次へと毒りんごを食わされる羽目に陥っている。(現代グリム童話)
 マック王国の王妃様は、今年も5sとか5cとかのバージョンの毒林檎を売り出し、それをふらふらと買わされて喜んでいる小人たちが世界中に、売り出し3日で900万人もいたのだそうだ。

「GigaOMによると、今年のスマートフォン出荷台数は合わせて8億9700万台に達する見込みで、昨年の7億1200万台に比べて26%ほど増加することになりそうだという。それに対して、昨年あわせて1億3400万台を記録したiPhoneの販売台数は、今年1億5000万台程度に留まる可能性が高いという。なお、前年(2011年)のiPhone販売台数は9300万台前後で、2012年には対前年比44%増加していた。(wirelesswire news)」

 ヤレヤレ、毎年7億台以上を売るってことは、毎年どれほどの機械が捨てられているのだろうか。毒りんご食わされた小人どもは、廃棄するゴミという本物の毒を排出していることになると気が付かないのだろうか。
 あ、そうか、毒りんごで脳が麻痺してるんだな。

 では、このわたしはどうなのか。そう、昔からこういう類の大人のおもちゃが大好きである。小さなハイテク機が出るとすぐ買ったものだ。
 マイクロテープレコーダー、ポケットコンピューター、スパイ用デジタルカメラ録音機、携帯ワードプロセサー、携帯PC、携帯電話、iPodなど、次々と死骸になっていった。

 でも、実は、わたしはスマートフォンなる代物をもっていない。携帯電話機だけである。しかもこれはインタネット接続できないのである。もちろん接続しないという契約をわざわざしたからである。
 だから正真正銘の電話機なのだが、ごくたまにショートメールをやり取りするから、それなりの利用もしている。
 いちばん利用している機能は、時計である。昔から時計を持つ習慣がないので、街で歩きながら店先を覗き込んで時刻を知っていたが、いまはこれである。
 携帯電話をいちばん必要としたときは、超高齢の母がそろそろ危ないころだった。それが終わった今は、こちらが危なくなって必要を感じているのが、哀しくも可笑しい。

 TVを見る習慣がないからワンセグなんていらないし、買い物もめったにしないからおサイフケータイなんてアホらしいし、写メールもデジタルカメラとPCで十分、なにがスマートフォンだよ、いらない機能ばかり売りつけようたって、そうはさせるもんか。
 白状すれば、softbakaを嫌いなのでこれまで買わなかったのだが、doromoがiPhoneを売ると聞いて、あ、買い換えようかなと思った。
 だが、こんなに世界中で毒林檎中毒小人がいると知って、ヘソが曲がってしまった。
 ふん、一緒にされたくないぞ、買うもんか。
 

2013/09/21

836【横浜ご近所探検】恨めしオコゼ、絶品料理サンプル

 右足親指の爪が肉に食い込んで化膿、外科医院で切開して爪切りをしてもらった。自分で自分の身体を攻撃する自傷作用とは、これも老人力のひとつだろうか。

 医院から帰りの道々、横浜橋商店街を徘徊、魚屋でオコゼが恨めしそうな顔をして売られている。

  ちょっと休んでいこうかと喫茶店のショーケースを見て、そのサンプルの作り方のうまさに驚く。
 これほど上手に、いかにも不味そうにつくるのは、かなりの技術がいるだろう。つい、本物の料理を並べたままに、月日が経ったのかと思った。



2013/09/18

835横浜港景観事件(14)あの結婚式場が姿を現したがどうもつまらない風景だ

 ようやく暑さも控えめになった日、みなとみらいホールに出かけた。
 途中の桜木町駅前からみる新港の風景の中に、例の景観問題になった結婚式場の工事用の囲いが取り外されて、その華麗なる?姿を現しているのであった。
 ほお、これがあの騒ぎの結果であるかと、日本丸パークからしげしげと眺めたのであった。
 まずは汽車道からの新港、北仲にかけてのパノラマをご覧あれ。

 記憶を戻して、例の結婚式場の最初に事業者から出された絵である。これが横浜市都市美対策審議会でNOと言われたのであった。設計者は清水建設である。

 その案をもとに横浜市当局と事業者が調整して、結論としてGOとなったのが、この絵↓である。上の絵とはどこが違うか、クイズになる。

  そうして、今、これが現実に姿を見せた実物である↓。さて、上の絵と同じだろうか。

 わたしの第1印象は、計画時に示されていた絵よりも、なんだかボケているなあ、であった。色もメリハリがないが、建築の形もごたごたしていてメリハリがないのである。
 隣のワールドポータースの建築デザインは、なんともまとまりがないが、その延長上でまたゴタゴタデザインが登場した。なんだか増築に見えるが、それは相互に商業的には成功かもしれない。

 どうもつまらないのだが、なにが詰まらないかと考えて、いわゆる遊園地型の商業建築としてのデザインを狙ったのだろうが、万事中途半端なのである。いろいろな形態が登場しているのだが、その間に統一感はないし、ひとつひとつにも美しさに欠ける。
 かといって、異なるものの組み合わせによるポストモダンやハイブリッドのもつ面白さもない。
 全体的にプロポーションがよくない。基壇部とその上という二つに分けているのだが、その間のプロポーションが悪いし、基壇上部の建築プロポーションもよくない。

 どう見ても、お隣の遊園地にある大観覧車と一体になった遊園地施設である。その点では、周辺景観と調和していると言える。
 以前に観覧車を人質にとったデザインだと批評したことがあるので、もしもこの観覧車が無くなったらどうなるか(仮設だから)、いたずら戯造をやってみた。
 おお、なんだかしまりのない風景になったなあ。あとからあとから増築を重ねた旅館のようである。悪い景観が出現したというよりも、つまらない景観になってしまった、というところだろう。 
     
   ちょっと悪乗りして、こんな戯造をやってみた。
 ふふふ、もしも、こういうのが出てきていたら、どうする?

もうひとつ悪乗り、こんなのだったら?

だんだん過激?になる 結婚式場に洲崎弁天復活か
  
ついでに右のほうにも、へへへ

参照:これまでのこの件のブログ記事
723横浜港景観事件(13)キリンが見ている横浜新港の結婚式場工事
660横浜港景観事件(12)ほぼ当初計画でGOサインの結婚式場計画
647横浜港景観事件(11)新港地区という島全体をどうしたいのか
646横浜港景観事件(10)横浜の景観行政見に新港地区へ
640横浜港景観事件(番外2)建築家の言うことはよくわからない 

634横浜港景観事件(番外)神戸の港でもコスプレ建築の結婚式場が
633横浜港景観事件(9)新港登場「新擬洋風」建築は新ランドマークか
632横浜港景観事件(8)赤レンガ建築群が建ち並ぶ出島かと思ってたら
628横浜港景観事件(7)現代の結婚式場は鉄柵の中の異教徒礼拝所
                                        
                
626横浜港景観事件(6)もっと楽しい風景にしてほしいと思うけど、
624横浜港景観事件(5)ラブホは愛の空間、結婚式場は幸福の時間
623横浜港景観事件(4)幸せと愛の空間は教会と城郭と神殿にある  

622横浜港景観事件(3)隣の遊園地と景観的調和を図りました
621横浜港景観事件(2)下手な模倣デザインをするなとデザイン指針
620横浜港景観事件(1)かの有名な横浜市の景観政策が座礁気味 
 
599横浜港景観事件(序2)非日常・異日常そして日常の風景
592横浜港景観事件(序1)市場における都市美とは?

2013/09/12

834【横浜ご近所探検】金庫屋さん、未来はない住宅展、タダ乗りデー


 街をふらふら徘徊すれば、ヘンなものに出くわす。

 道をはさんで左に「城南信用金庫」の看板、右に「山形金庫」の看板。
 はて、どう違うのか違わないのか。

 
 道端にポスターが貼ってある。「カーフリーデー」だそうである。カーとは自動車のことかしら、フリーとは自由とか無料のことかしら、デーとは日のことかしら。
 ということは、9月22日はバス代とタクシー代が無料乗り放題になるんだな、ありがたい。

 地下鉄に乗ればぶら下がり広告に、「未来をのぞく住宅展」とある。
 うん、そりゃそうだ、過去と現在の住宅は展示できるけど、未来を展示することは不可能だから、わざわざ「除く」と言わなくても当たりまえだろうに。
 
 

2013/09/08

833【五輪騒動】えっ、また東京でオリンピックやるの? 福島でやればいいのになあ。 

 えっ、オリンピックやるの? 
 じゃあ、お祝いに、オリピック音頭をひとつ、、。
 ♪オリンピックの顔と顔、ホレ、シャシャントシャシャント、かおと~かあうぉ~♪♪  三波ハルオでございます。


 
 こういう時なら、福島でやるべきでしょ、なんてったって日本は安全だと総理大臣がご一行様を引き連れて、地球の裏側にまで行って大金かけて宣伝してるんですから、自信を持って福島で、そう、双葉郡でやりましょう。
 あ、そうだ、マラソン会場だけでも、そうしたらいかがですか。あの有名になった第1原発をバックにゴールインするって、世界中への安全PRとして、これ以上ないですね。

 あれは1960年頃かしら、日本橋を通ったら、川の中に太い杭を打ち込んでいた。なんせヘドロ川だから、杭がズルズルと自重でもぐりこみ、それにまた杭を継ぎ足して、スカッ、スカッ、しばらくしてようやくカ~ン、カ~ンて打ち込む音になった。
 そうやって石の日本橋の上空に鉄の日本橋ができた。
 あれから半世紀のちの日本橋で、なにか起きるでしょうか。
  参照⇒http://homepage2.nifty.com/datey/nihonbasi.pdf


  で、肝心のあのオリンピックを、TVでも見た記憶がない。え~っと、アベベって裸足のランナーがいたような、、。

2013/09/07

832【東京路地徘徊】元麻布の谷底街の路地の上に狸の大入道が真昼に出てくる

 久しぶりに東京・広尾に用事あって出かけた。
 用事と言っても親しい仲間との夕食飲み会であるが、いきなり会場に着いては徘徊老人の名折れになる。一山向うの麻布十番からふらふらと回り道しながら、途中でお勉強もしながら行くことにする。

 このあたりは坂道ばかりである。こんな山の中に街をつくらなくても、関東には平野がいっぱいあるのに、江戸東京の人はなにが面白くてこんなところに住んだのか。
 樹木が怖いほど繁っていた暗闇坂、化かしに出てくる狸坂なんて、田舎そのまんまの命名である。
 

暗闇坂を登り切ったところに長傳寺、麻布十番から標高差約20mの丘の上は、こんな風景である。近頃の寺院は、五重の塔ならぬ三十重の塔を持っているのであった。このあたりには寺院が結構多いのは、江戸時代からの街ということだろう。
 
 その長傳寺の向かいに、なんとなく気になる洋館風の住宅のような建物がある。あたりにはこの家のほかは、お高そうな集合住宅ばかりが見える。


 こんどは狸坂を下って行く。坂の途中には、これまたお高そうな格好良いお住まいが立ち並んでいる。狸は住みにくいことだろう。

 狸坂を下りきると、狭い5差路に出る。この交差点が谷底で、そこから出る道は一本を除いてどれも上り坂になる。
 その手前に左手が擁壁の幅90センチほどの路地を見つけて入り込む。
 奥へ奥へと行くと、意外にも下町風情の路地となった。地名は元麻布2丁目5だが、町内会の掲示には麻布宮村町と書いてあるから、こちらが伝統的地名だろう。


 このあたりは谷のドンつまりで、前も左右も高くなって上に集合住宅ビルや学校の石垣が見える。路地は崖下に突き当たってしまった。
 振り返ると、おお、路地の物干し台の上に大入道が突っ立っている。狸のお得意な化け方である。真昼間から出てきている。

 こちらの向こうには、親分狸の大入道が腹を出して突っ立ち、その前には赤いおべべの女大入道が2匹立っている。

 さっきの狸坂下の5差路交差点に戻って、北へと坂を登っていく。丘上街に来ると、路地はこんな風になってしまって、谷底街の生活感のあるわたしの好きな風情は消える。

 まわりはお高そうな集合住宅ビル、お庭がバッチリ広~いお屋敷(これがホントのマンション)、お屋敷を集合住宅ビルに建て替え中のところもある。 
 児童公園がある。ほう、遊んでいるガキどももカアちゃんどもも、なんだか毛色が違うなあ、ふ~ん。
 
 尾根の上の道を行けば、ちょっと雰囲気の異なる塀が続いて、大きな中華料理屋だろうと歩いて行ったら、なんと中国大使館であった。向うに腹の出っ張った大入道が見えている。

 中国大使館の門の前には、男女二人が人権なんとかと書いた布を広げており、なにやら中国語らしき大声をあげている。
 そばに3人の警官が手持無沙汰のような緊張しているような感じで突っ立っている。
 坂の下の谷底街はいかにも平和なのに、坂の上の街は国際情勢を反映して何やら騒がしい。 

 そういえば、このあたりの丘の上の街のあちこちに、世界中の大使館があるから、その御国の政治情勢によって、あっちが騒がしかったり、こっちが騒がしかったりするのだろう。

 グーグルアースで、このあたりの今と昔を比較してみた。
 まずは、路地の街・麻布宮村町の2012年である。
 
同じく宮村町の1997年である
  
ついでに六本木ヒルズの今昔。まずは2012年。
 
六本木ヒルズ1997年 
  この六本木ヒルズの二つの画像を眺めていて気が付いたことがある。
超高層ビルにするとその周囲が広く空くので、都市に緑の空間を多くもたらすという、森ビルがしょっちゅう唱えている開発理論?がある。
 ところが、どうもそうでもないらしい。どう見ても、ヒルズができる前のほうが緑が多くあるように見える。
 もちろん、そこは公開空地ではなくて個人所有の緑の空間だったろうが、個人所有の緑でもその景観や微気象にもたらす良い影響は、公共の緑と変わりはないはずだ。




2013/09/05

831集団自衛権容認のついでに婚外子差別容認の憲法解釈をすればいいのだよ

熊五郎 ご隠居、猛烈に暑いと思ったら、今度は雨ばっかり、そうしたら竜巻だなんて、世の中オカシイですね。
ご隠居 おお、熊さん、お前でも世の中オカシイって思うかい、そうだよ、なんてたってあの選挙のあとから次々と怪しいことが起こるねえ。
 選挙のあとからねえ、そういやそうかもなあ、こりゃやっぱりアホのミックスなんですかねえ。
 おお、アホなことがいろいろ取り混ぜて起きてるねえ。戦争に傾く憲法改定推進とか、柔道界のドタバタとか、核毒水垂れ流しとかねえ。天候異変もそれだろ。
 ところで今朝の新聞に、婚外子相続差別についての民法規定が、憲法違反て最高裁判決が出たって出てますね。親が死んだときの相続額が、結婚してない親の子は結婚してる親の子の半分なんで、これが人間みな平等とする憲法に違反するってんですね。
 今の民法は、親の不倫をその子で罰してるんだよ。生まれる子がかわいそうだから、不倫してもいいいけど子はつくるなよって、そういう親切な民法なんだねえ。前々からこの民法条項を変えようって動きがあるんだけど、保守系の国会議員さんたちが、そんなことしたら不倫の子が増えて家族制度が崩壊するから反対ってんで、法改正にならないんだな。
 え、そう考えるんですかい。余計なお世話てなもんでしょ。じゃあ、できちゃった婚てのがあるでしょ、あれって本当は結婚しないで子だけほしいってのもあるはずでしょ、なのに、相続で可哀そうだからって、したくもない結婚してるかもしれませんよ。強制結婚っておかしいでしょ。
 う~ん、自分が死んだときのことまで考えて、子をつくったり、結婚したりするものだろうかねえ。
 こういう判決が出たら、民法を変えるんでしょうね。
 いや、わからんぞ、憲法のほうを変えるかもしれないよ。人間平等の条項に、ただし不倫の子にはこれを適用しない、ってつけくわえるんだよ。
 あ、そういう手があるか。
 それが間に合わないなら、集団自衛権容認の内閣法制局長官に取り替えたのだから、ついでに婚外子差別容認の憲法解釈もさせればいいのだよ、自民党お得意の、。
 あ、そういう手もあるのか、え?

2013/09/01

830横浜能楽堂で若い演者たちによる若い主人公の能『敦盛』を観たが、、

 今日は特に暑さがもどってきた。その中を横浜能楽堂に、能「敦盛」を観にいった。
 初めに歌人の馬場あき子による解説があったが、さすがにうまい。中身はともかく、こういう風に話をしたいものだと、大いに参考になった。

 この連続公演企画「時々の花」というテーマは、世阿弥生誕650年記念だそうだ。650年にどんな意味があるのだろうか。
 月1回の3回公演の第1回であるが、「青春の巻」とて若い主人公の能を、若いシテ方による公演とて、金剛龍謹の敦盛であった。
 シテは金剛流宗家の跡取り息子だそうで、25歳である。
 ワキもはじめて見る若者で、有松遼一という。

 若者のはつらつたる能を期待したが、ワキはまあまあだったが、シテの金剛跡取り息子は、なんとも溌剌さに欠けていた。
 期待していた後場の見せ場の舞が、クセも中の舞もなんとも優しい動きで型を追うだけ、若者らしいスカッとしたキレというものが見えなかったのは、わたしの鑑賞眼のなさだろう。とにかく眠くなってしまった。

 次回は10月26日、今度は中年シテ梅若紀彰が出る井筒、最後の12月が師匠の野村四郎の桧垣で、これが目的でつい3回分のセット券を買ってしまった。
 帰りに音楽堂のチケットセンターで、10月14日午後の文楽公演「生写朝顔話」(しょううつしあさがおばなし)の切符を買った。大昔の少年の頃、講談の本で読んだ朝顔日記の話らしい。
 実は文楽を見るのは初めてである。