2018/10/31

1368【フェイスバカ10月与太記事】ノーベル賞、元号廃止、また台風、筒井康隆展、インチキ免振、歴史偽造伊藤邸、酒屋年齢確認

2018年10月2日【ノーベル賞が激化させる人口問題】
こうやって人間を死なせない技術が普及していくと、有限な地球の未来はどうなるのだろうか???、そのうちに死なせる技術がノーベル賞になるかもなあ。

10月2日 【横浜市の敬老特別乗車証】
8千円で地下鉄・バス市内乗り放題。おや、今年のは平成30年と書いてあるのに、来年の期限は2019年だよ、なんで元号じゃないんだよ、ははん、来年からお役所も元号使用をやめるんだな、そうそう、そうしてくれよなあ、歳とると西暦と元号の換算を、暗算で出来なくなるんだよ、高齢者福祉対策としても元号廃止すべき、横浜市はエライ。


10月3日【おなじみ今週の台風】
中韓朝ソ協力して台風押し戻し技術開発したらしいな、

10月8日【横浜北仲通りあたり景観】
ホテル、市庁舎、オフィス、共同住宅、結婚式場等々、つぎつぎに登場してくる大きな建築の向き方やスカイラインが、それぞれ微妙にそっぽを向きあっているのは、これが横浜の都市デザインの神髄なんだろうなあ、たぶん。それにしても、どれもこれもお行儀よいデザインですこと。

10月8日【成蹊学園並木道】
時の総理大臣も、都市計画界の大ボスも、ご卒業の学園の欅並木道の風景。
友人がこの道で歩行ガイドロボット実用実験をするので手伝いに行ってきました。

10月9日【SNS川柳】
裸淫とは俺のことかとLINE言い

Twitterつい言ったあと後悔し


facebaka馬鹿面だして身も曝し


10月12日【筒井康隆展】
こうまでがっちり系統だてるって、そんなことできっこない筒井康隆だと思ってたけど、さすがに専門家はすごいなあ、この展示に持ってきた人の努力と能力に脱帽!、撮影可のところだけの写真。




10月12日【三軒茶屋の三角地】
乗り換えついでにちょっと確認、健在!


10月16日【脅迫メールが来た】
こんなメールが来たぞ、日本語で言ってこいよ~、バカヤロ、そのメールアカウントはとっくの昔からもう使ってないんだよ。

10月20日【建設業者、工事監理者、建築家の責任は?】
東洋ゴムによるインチキ免振ゴム事件の記憶が薄れないうちに、こんどは免振・制震ダンパーのインチキ事件とはねえ。
 メーカーばかりを責めている報道だけど、建築オーナーはメーカーから直接に買って取り付けたのではあるまいし、そこには建設業者が必ず間にいて、そこから買ったはずだから、インチキ製品を検査もしないで売りつけた建設業者をなぜ責めないのか。
 そしてまた建築には建築業者とは別に、その建築の工事監理者が必ずいて、使用する製品の検査を必ずしているはずである。その検査をいいかげんにしてインチキ製品の取り付けを認めた工事監理者をなぜ責めないのか。
 そしてまた、その建築にはそれを設計した建築家が必ずいるはずだ。建築家はその建築の仕様書で、正しいダンパーの指定をしていたのだろうか。
 ところがである。世の中には奇妙なことがあり、この建設業者と工事監理者と建築家とが同じ人物(法人)であることがかなりあるのだ。つまり、全員がグルならば、インチキが最後まで通ってしまうのである。
 さてさて、今回はどうなんでしょうか??

10月23日【障害者雇用水増し統計】
全国お役所パラリンピックで、水を飲み過ぎるドーピングがあったらしいなあ

10月26日【歴史を偽って伝えるのか】
大磯の旧伊藤博文邸を公開しているとて、見学に行きガイドツアーに参加した。
 妙なことに気がついた。あれは「旧伊藤博文邸」じゃないよなあ、どう聞いていも、どう見ても、どう考えても、あれは「旧李王家別邸」だよなあ。
 伊藤が死んだのが1909年、1921年に李王家に別邸として譲渡、1923年に関東大震災で元伊藤邸は崩壊、1926年に新たに再建したときは、宮内省が王族の家として設計したのだから、崩壊した元伊藤家の古材など使って建てるはずがない。たとえ一部にあったとしても、できがった建物はこの世に居ない伊藤とは関係ない建物である。それなのに、どうして今も旧伊藤邸と言って、旧李王家別邸と言わないのだろうか。せいぜい「元伊藤博文邸があった土地」だろうに。
 日韓併合のセンジティブな問題に触れるのを恐れて、歴史を改変するのだろうか。歴史と言えば、明治150年という歴史を記念する施設として「旧伊藤邸」公開だそうだ。それならなおさら、150年分の歴史を語らせるべきであり、その最初のいっときだけを歴史と言っては、歴史に哂われるぞよ。西武プリンスホテルが、李王家別荘をボロボロにして使ったことも、明治150年の立派な歴史として認識せよ。 
 あ、そうだ、李王家の赤坂本邸の方は、別邸と違って、上手く保存されたなあ、。


10月28日【鴨居が低いのは?】
大磯にある伊藤博文、大隈重信、陸奥宗光の別荘だった家と庭が公開とて見てきました。その広大な敷地と大邸宅を見て、政治家って儲かる商売だなあと思いました。山形有朋の別荘は中学校になっていましたが、中学校になるほどの広大さです。
 ガイドの説明でいろいろ気になることありましたが、それは本当かいと思ったことの一つ。和室の鴨居の高さが低いのを、「要人なので暗殺者が来るおそれあり、その振り上げた刀が鴨居にぶつかるように低くしている」と説明しました。その鴨居の高さはその当時では、ごく普通の5尺7寸でした。
 今では鴨居の内法高さは6尺が普通、あるいは2mも当たりまえですから、昔を知らぬ人たちは勘違いというか思い過して、このような説明をするのが普通なのでしょうか?


10月29日【酒屋の年齢確認】
今朝の新聞の投書欄に、酒屋で年齢確認とて、なにやらボタンを押せと強要する不快さが載っている。わたしもそんなことがあっったから、コンビニで酒を買わないおかげで減酒することになり、フトコロと健康にまことによろしい
 どうも、これは酒屋の親切なサービスかもしれないと思うが、その理由。
1.あなたは19歳にしか見えない、お若いですねえ
2.たまには自分の年齢を自分で確認したほうがいいよ。
2.スマホやパソコンに無縁な人もここでタッチの練習。
3.ボタン押さないなら酒を売りませんが、あなたの健康のためです。
【酒屋談議】https://datey.blogspot.com/2016/02/1174.html

2018/10/25

1167【生涯メールアドレス】理工系大学同窓会のメールシステムがスパム屋に潰された

 大学同窓会が運営するメールシステムがある。ここに登録して得るメールアドレスを「生涯メール」と言う。
 それは、色々なプロバイダーによるメールアドレスを使うとしても、生涯メールからそれに転送する設定にしておけば、表向きは生涯を通じて同じメールアドレスで通じるからだ。知人たちにメールアドレス変更通知の必要がない。
 わたしもそこに登録して、ニフティやグーグルなどのプロバイダーを移るごとにそうしてきて、それなりに便利であった。よく分らないが、これはプロバイダーではないという。

 ところが、その生涯メールのシステムが、どういうわけか、スパムメールダダ漏れシステムになってしまって、毎日数十通ものスパムメールがくぐり抜けてやって来る。
 実はこの十年ばかりはなんだかオカシイと気がついて、Gメールを主として使って生涯メール発信をしないようにしているのだが、スパムメールは例外なく生涯メールアドレス宛に来ているのである。
 はじめはもちろんスパム遮断をいちいちやっていたが、やりきれなくなってしまったのだ。

 挙句の果てに最近来たスパムは、お前のメールを乗っ取ったぞ、お前が見るエロサイトも知っているぞ、エロサイト見て興奮している姿をPCカメラで撮ったぞ、もし削除してほしいなら、$573をビットコインで振り込め、、、、。

 なんだよこれはバカヤロ、と思ったけど、もういいや、スパムが来ないようにしよう、もう生涯メールをやめようと、その手続きをした。
 トタンに見事に、スパムメールが一通も来なくなった。う~ん、これまで毎日スパムメールを消す作業を、それなりにヒマツブシに楽しんでいたのに!!!。

 スパムメールって読まなくても、そのタイトルから内容を知ることができるから、長い間の経験から世相による変化があって面白かった。
 エロ勧誘、ヤミ金融、TVニセカードなどがいつもあるが、世相により王座が入れ替わる。ほかにちょこちょこなにか大安売りとかが登場する。

 いっとき、いろいろなロシア女性名(Katya、Julia、Natasha、Polina、Anastasia、Irina、Helen、Yulia、Victoria、Valeria、Ksusha、Kseniya、Ekaterina、Alexandra)でつぎつぎと英語によるエロへのお誘いが頻繁に毎日来ていたが、あるときパッタリと来なくなった。あれは何だったのか。
それにしても、どうも同じ題名の同じ内容らしいスパムメールが、次々と発信者名を変えてやってくるのは、まさか手じゃなくて機械がやるのだろうが、無駄にご苦労なことである。下手な鉄砲でも数を撃てば、誰かが引っ掛かるってものなんだろうか。

 それにしても大学同窓会の、ちょっと気の利いた先端的サービスが、アホメールに潰されたのが、まことに残念なことである。
 そう思う一方では、現代の最先端の情報工学だってやってるはずの理工系大学の同窓会が、こういうことには負けちまうのは、いったいどうしたのだろうか。

 生涯メールアドレスを廃止してgメールだけにしたよと、知人たちに通知しなければなるまいが、めんどくさいから、もういいや。
 これをお読みの方で、もしかして該当者がいらしたら、そう言うわけですから、ドメインがkuramaeとなっているメールアドレスを削除してくださいませ。
 ま、これも終活の一種だな。


2018/10/11

1166【山口文象作品追跡:都橋】横浜大岡川にかかる関東大震災復興橋梁の「都橋」は山口文象デザインと判明

 横浜の建築家の笠井三義さんからメールをいただいた。
「都橋の当初の図面が横浜市の橋梁課で見つかりました。そのなかに設計者 岡村龍造 名がはいっており、製図 古川末雄とあり、創宇社の同人の中に古川さんも入っておりました」
 おお、山口文象作品新発見だ、うれしい。笠井さんは、横浜の復興橋梁や防火建築帯について研究をされていて、これまでいろいろと教えていただいている。
 
 山口文象は関東大震災後の内務省復興局橋梁課で、橋梁の設計に携わっていた。もちろん構造本体の設計ではなくて、高欄、親柱、照明器具などのデザインであるが、橋全体の透視図を描いているから、景観的検討に加わっていたかもしれない。
 隅田川の橋梁と御茶ノ水の聖橋は、山口の手になるスケッチパースがある。山口のサインがある橋梁図面は、「八重洲橋」だけを確認しているが、他には見つかっていなかった。
 
 横浜の「都橋」(1927年竣功)と「平岡橋」(帷子川、1926年竣功)の、当時の写真が山口の所蔵していた資料の中にあるから、何らかの関係しているだろうとは思っていた。
 ずっとまえに横浜市の都市発展資料館で、復興橋梁の資料はあるかと聞いたことがあるが、戦災で資料はなくなってしまったとて、確かめる方法がなかった。
山口文象が所蔵していた竣功当時の都橋の写真
その都橋の図面が見つかった、しかも山口のサインがあるというのである。喜んで見せていただきに笠井さんのオフィスに伺った。
 A2版コピー図で、「都橋竣功圖」とタイトルがある図面である。その中の5枚が高欄、燈柱、ランプ(照明器具)の図であり、「設計岡村」とある。
 例えばその一枚には、右下に「復興局橋梁課」「技師 成瀬」「照査 成瀬」「設計 岡村」「製図 古川末雄」「大正十五年九月十四日完了」と記入がある。
都橋竣工図のサイン欄
 

 横浜市内にある橋であるが、都橋は内務省復興局で施工した。「成瀬」とは復興局土木部橋梁課課長の成瀬勝武のこと。
 「岡村」とは当時の山口文象の姓である。図面によって岡村、岡村滝造あるいは岡村瀧造となっているが、本名が「岡村瀧蔵」であったから、このように記していたのだろうか?。それにしても自分のサインを同じときに滝と瀧の使い分けをするものだろうか。

 これまでにみた八重洲橋の設計図面のサインは「岡村」であるし、その頃に書いた建築図面が多くあるが、滝造あるいは瀧造なんて見たことがない。岡村ばかりである。
 このサインは、その下にある古川末雄が書いたものかもしれない。古川は山口文象たちと一緒に活動した「創宇社建築会」の創設メンバーのひとりである。
 でも古川が書いたとしても、なぜ戸籍名の瀧蔵じゃなくて滝造、瀧造なのか、ちょっといいかげんすぎるよなあ。
八重洲橋設計図の山口のサイン

 当時山口文象が住んでいた大井町の家は、創宇社建築会会員たちのたまり場であり、山口の橋梁設計を手伝って欄干や親柱、照明器具の図面書きをしていたと、創宇社建築会メンバーの竹村新太郎から聞いたことがある。
 竣工図の製図を古川がやり、もとの設計は山口文象だから岡村のサインであることはおかしくはないにしても、このサインの筆跡が古川と同じだから、古川が自分のサインついでに書いたのだろう。図面の筆跡も、もちろん山口のそれではない。
 いずれにしても、都橋が山口文象の設計であることが判明して嬉しい。

 山口が描いた原設計図が見つかるともっと嬉しいが、たぶんそれは戦争で焼けてしまったのだろう。
 橋梁管理のためには設計図がなくても、竣工図があれば十分だろう。この図面が見つかったのも、都橋を戦後に大修理した時の関連図面として出てきたのだそうである。
 今の都橋は戦前の姿ではないから、山口文象デザインは消えている。そのあたりの詳しいことは、笠井さんがよくご存じなので、いずれ発表されるのを期待している。
現在の都橋の親柱、高欄、照明は山口文象デザインではない

 わたしは長年やってきた山口文象追っかけをもうやめたとして、三年前に蒐集資料一切をRIAに寄贈してしまった。
 ところが昨年末に、「関口邸茶席」(1934年)の図面発見、そしてその茶席が今年4月から公開されるという連続する偶然が起きて、なにやらまた山口文象虫が騒ぎだしたのが、やっと治まったと思ったら、都橋の図面発見とてまた虫が起きてきた。面白い。

●関連
山口文象+初期RIAアーカイブス
https://bunzo-ria.blogspot.com/p/buzo-0.html
山口文象と橋梁
https://bunzo-ria.blogspot.com/p/bridge.html

2018/10/09

1165【渋谷アスレチックステーション】久しぶりに渋谷駅から外にでてみれば高齢者の足腰を鍛えるサービス充実を再確認

 東京の渋谷駅に久しぶりに降りて外に出てみたら、立体迷路を上へ下へ右へ左へあっちへこっちへと歩かされた。
 高齢者には衰えつつある足腰を鍛えられて、まことに嬉しい健康のためになるアスレチックステーションだった。しかも入場料金は、うちから片道270円の交通費だけ。

 これをお読みで、行ったことある方はそのとおりとお思いでも、行ったことのない方にはチンプンカンプンだろうが、要するにもう3~4年も大規模工事中で、いつ行ってもまともに歩いて目的のところに出ることができないのが、渋谷駅なのだ。
 つまり、鉄道利用者を犠牲にして、鉄道駅改造工事をやっているのである。横浜駅はもう何十年もいつ行っても工事中で有名であるが、渋谷駅ほど利用者イジメをしてはいないような気がする。
 いや、イジメじゃなくて、アスレチックサービスなんだな、ありがたい。

 このブログにそのことを一昨年にもその前にも書いている。だから、このところ2年ばかり渋谷駅下車を敬遠している。
 とは言ってもここを経由しないと行けないところもいっぱいあるから、そのときは地上には出ないで地下で乗換だけはしていた。
 地上に出ようとするとあちこち歩かされて、永遠に出られないかと心配にさえなるからである。

 一昨日、久しぶりに地下5階の東横線から、地上3階の京王線に乗り換えることをやってみた。2年もご無沙汰していれば、その間の連絡はエレベーターかエスカレータでラクラクになっているにちがいないと期待したのだった。
 だが、やっぱりアスレチックステーションであった。階段をヨタヨタと登らされて、高齢者の足を鍛えるために、東急電鉄はアスレチック健康サービスを続けているのであった。

 ついでに(方向は反対だが)、ヒカリエのスカイロビーにも久しぶりに登ってみた。おやおや、目隠しビルが建ってまるで景色が無くなっている。
 あの眺めを楽しむ出入り自由の素敵な空間は、目の前に巨大ビルがいくつも立ち上がっていて、渋谷駅や桜ヶ丘の眺めはまるで失われていた。かろうじて新宿方面を未だ眺めることができるが、こちらもいずれ目隠しビルが建つだろう。
 渋谷で降りたら、ヒカリエのここからの眺めを楽しんでいたが、もうヒカリエに行く用事はなくなった。

 ついでに(ついでにどころじゃなかったが)、その眺めを阻害した新ビルにも行ってみた。「渋谷ストリーム」とかって名前である。そのビルはヒカリエから見えているから、簡単に行けると思った。
 なまじっか、昔からある横断歩道橋の位置を知っているものだから、当然にヒカリエの2階からそこに簡単につながっていると思ったのが大間違い、これまた親切にも大回り上下階段つきのアスレチックルートであった。
 
 「ストリーム」なるその名の由来は、あのドブ川として有名な渋谷川の流れを、足元まわりの外部デザインに取り込んだことによるらしい。
 ここは、もとは高架線だった東横線が渋谷駅に入るあたりで、右下に渋谷川とその向こうのボロビル群の裏が見えていた、なんとも場末感あふれる風景だったところであるらしい。

 さすがにドブ川のままではなくてそれなりの修景をしている。ヘンに凝っていなくてよろしい。でも、流れる水は水道水とか、浄化水とか、何かやっているのだろうなあ。
 そんな新ドブ川のほとりの遊歩空間で、ちょっと腰を下ろしてビールを飲んできた。まわりは若者ばかり、そうか、これが今の渋谷か、まあ、よろしいですな、平和で、。

 ストリームからもう帰ろうとしたら、そばに東横線の地下駅に下るエスカレーターがあったが、その深いこと深いこと、そうか川底の更に下まで降りるんだもんなあ。
 ということは、ここに出て来るまでの渋谷川は、地下のゴチャゴチャ迷路空間の天井の中を流れてるんだろうなあ。
 人間は上下する迷路でもなんとか流れるが、ドブは一定下り方向しか流れないから、そっちはスムースな動線を確保してるんだろうなあ。
 
 今回、写真を撮る気が起きなかった。もう半世紀も前から、街の変化を記録するるために、どこに行っても記録写真を撮っているのだが、渋谷はもう写真にならない。
 迷路なんて写真にしても、どこだかさっぱりわからないし、窓の外の向かいの目隠しビルの窓を写しても記録になりっこない。
 もう渋谷は記録写真にならないな、これまでこのブログに載せた写真で、もういいや。

参照:これまでの渋谷の記事
●2016/11/18  https://datey.blogspot.com/2016/11/1133.html
【東京・渋谷駅定点観測】日夜どんどん変わりゆく渋谷駅で老人はウロウロ、立体迷路のどこかから三途の川と黄泉の国へつながってるかも
●2015/03/12 http://datey.blogspot.com/2015/03/1066.html
ただいま渋谷駅は巨大な立体迷路遊園地かつ健康ウォーキングランドでバリアフリーくそくらえ
●2013/03/28 https://datey.blogspot.com/2013/03/746.html
玉久三角ビルから東横デパートへと渋谷の変わりゆく姿を追う
●2012/05/08 http://sites.google.com/site/dandysworldg/sibuya20120508
渋谷駅20世紀開発の再開発時代