2020/06/29

1473【横浜コロナ風景その2④】横浜元町も中華街や港観光街並みのコロナ風景だったが、、

 【横浜コロナ風景その2③】のつづき
横浜元真理商店街 左:コロナ緊急事態中、右:同解除後
横浜都心の繁華街をめぐって、コロナ禍の影響を観察するともなく眺めて、だらだらと感想を書くシリーズで、赤煉瓦パーク、中華街の次は「元町商店街」である。
 商店街のランキングがあるのかどうか知らないし、横浜元町商店街のことだって実のところよく知らないにしても、多分、横浜でもっとも有名であるような気がする。

 驚いたのは、コロナ緊急事態のただなか、このまちは真昼間に人っ子一人見えない風景であったことだ。
 港あたりの観光街はもちろん、中華街チャイナランドも観光専門の街だから、無人になって当然と思ったのだが、ここ元町も観光客でにぎわっていた街だったのかしら、だからこんなに無人なのかと、ちょと意外におもった。
コロナ禍で無人の横浜元町商店街 2020年4月21日
真昼の無人の元町をゆけば、街並み模型の中に入り込んだ気分である。無人の中華街では、アニメ映画に入り込んだ気分だった。この違いはもちろんそれらの風景の極端な違いからくる。
 中華街と元町とは対照的な風景で、中華街の姿かたちも色もとりどりで自由気ままに見える風景に対して、元町商店街は一定の枠内に秩序づけられており、窮屈な感覚をもたらす風景である。

 中華街では面にひろがりパースペクティブな視線を拒否するが、元町ではリニアーに伸びて透視を強要する。この対照的な風景感覚をもつ街が、川を隔てて隣り合わせにあることが面白い。両者は決してまじりあうことはない風景である。
 そんなことを強烈に感じたのは、真昼に無人の街となって、いわば街の裸身が出現したからである。人々が行き交うことで繁華街は街として成立するのに、その人々を拒否すると素っ裸になってしまう。それぞれの恥部を見たような気恥ずかしい風景だった。

 いま、中華街が自由気ままで、元町には秩序があると書いた。たしかに元町には建築。看板などについて、かなり厳しい規制を布いている。一定の枠にはめられると窮屈な風景をもたらす。
 一方、中華街にも街づくり規範を布いているが、その記述内容は元町ほどに厳しくない。だが、皮肉な言い方になるが、実際は元町よりも厳しいかもしれない。
 街づくり規範に具体的に記されていなくても、その基底には何しろチャイナランドという特異特別な異国風景を強要されているにちがいないからである。建築家ならば、中華街よりも元町のほうがデザインに自由さがあると思うだろう。

 元町が中華街と同様に観光客で成り立っているから、コロナ禍最中に無人の街なったと思ったのだが、なんだかそれは違うようだ。
 元町も休業店が多かったが、中華街ほどではなかった。その違いの元は、中華街がいわば中華料理一本やりであるのに比べて、元町には多様な店があるからだろう。中華街と違って、日常的な需要がそれなりにあるはずだ。
 いわゆる特色ある高級なファッション性の高い内容の店が多くを占めるが、特色ある工芸品や飲食店が仲通りにはある。居酒屋もある。
 
 コロナで流行文句となった「不要不急」の度合いから言えば、中華街へは年に一回行けばよいレベルに対して、元町は月に1回のレベルと言おうか、そのような違いを感ずる。
 物理的な位置は同じように市街地の中にあるが、中華街が日常世界から外れた独立的なレジャーランドであるのに対して、元町は日常の延長上の境界あたりに位置しているのだろう。そう、山手に続く住宅地のイメージを抱いている。
 こんなことは、街を徘徊するけれども買い物をほとんどしない私だけが知らないことで、実はだれもが知っていることだろう。
人が戻ってきた元町商店街 2020年6月20日
さて、コロナ緊急事態解除となって初めての休日、元町にも人々は戻ってきた。中華街にも戻ってきた。このときは外国人観光客はほぼゼロのはずだ。
 二つの街の歩く人々を見れば、ずいぶん違うことに気が付いた。中華街は若者中心のいかにも遊びに来た風、そう、ナントカランドの客である。これに対して元町を行き交う人たちは、大人中心の客層が中心で、ウィンドショッピングしつつ、なにかを買い求める様相である。
 その風景をうまく言えないが、コロナの闇がようやく開けようとする喜びの表現に、両者では大きな違いがあるようだ。

 話はコロナと関係ないほうに行く。前々から思っていることで、元町通りの西側にそって中村川があるのだが、せっかくのこの都市内水路空間が、街にまたく生きていないのが残念である。
 中村川の上空を首都高速道路が覆っていて、元町には騒音と排ガスが一日中降ってくる。川辺には高架を支えるコンクリ柱が不愛想に立ち並び、陽のささない水面は陰気に暗い。同じ横浜都心の川でも大岡川とは大違いで、単なる排水路である。
中華街と元町を分断する中村川と首都高の風景 2020年4月24日
中村川とその上空の首都高が、城塞の堀と石垣のように中華街からの攻撃に、身を守っている。つまり二つの繁華街を分断している。
 このところの観察で、どうもこの分断が両者によい効果をもたらしているような気がしてきた。
 たまたま隣りあわせだが、両者は月とスッポン水と油で、あまりに違いすぎる。川がと首都高がわざと隔てているようだ。そのほうが個性を際立たせて良いのかもしれない。

 ところで、東京では日本橋川上空の首都高を撤去するらしいので、横浜でも中村川と堀川上空についてもそうして欲しいものだ。中華街と元町を隔てるのは、中村川だけでよろしい。
 あの高架がなくなると、どんなにかすっきりした横浜都心風景が出現することだろうと夢想する。これについては別に詳しく書いている(都市プランナー田村明の呪い)。

 さて次は「馬車道商店街」に行こうか。
 (つづく

◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録

2020/06/25

1472【横浜コロナ風景その2③】横浜中華街がコロナショック最大の風景だった

 【横浜コロナ風景その2②】のつづき
コロナ禍緊急事態前、その最中、その解除後と、あちらこちら不要不急徘徊を続けている。その横浜都心徘徊で見るレポートシリーズ、今回は横浜中華街
 中心部の繁華街で商売に最も大きな影響があったのは、横浜中華街かもしれない。何しろ、あんなにたくさんの店があり、あんなにたくさんの人が、昼も夜も行き交っていたのが、店はほとんど休業し、街の道はほぼ無人になっていたのだから。
横浜中華街風景
左:コロナ緊急事態自粛中2020年4月21日 右:同解除最初の休日6月20日
ここは要するに中華料理に特化した食堂街であるが、同時に遠来の客を対象とする観光の街であることがはっきりと分かった。
 2004年に新地下鉄道「みなとみらい線」が、横浜駅から元町・中華街駅まで開通、東横線が乗り入れてきた。とたんに街に人が増えて混雑してきた。東京や北関東からの観光客がやってくるに違いない。

 店の競合も激しくなったらしく、派手派手の街並みに変化しきて、路上看板類が増え、そして声高の客呼び込みなど、観光地によく見る街に急激に変貌していったが、さすがに中華コンセプトは変わらなかった。
 変らないような努力がされているらしい。例えば、このまちでは共同住宅ビルを建てないようにしている。媽祖廟があるところに共同住宅ビルが建とうとして地元で買い取って、この廟を建てたという話も読んだことがある。

 ところが緊急事態発令、中華街はだれもいなくなった。いや、いないことはないのだがコロナ前の賑わいと比べると無人同然である。
 ほとんどの店が休業しているのは、客がいないからか、それとも店が開いてないから客がいないのか。中華料理店も自粛要請のメニューに入っていたのだろうか。いや、そんなはずはない。少ないが横丁には営業している店もある。
コロナ緊急事態下の中華街メインストリート 2020年4月21日
同上関帝廟通り
同上 路地

赤黄青で彩られて派手派手姿の街並みは、だれ雑踏の観光客がいてこそ生き生きと見えるものと知った。この特有の風景は、まさに作り物チャイナランドだ。人がいないと生きてこない。わたしが目で見た本物チャイナランドは、香港と上海だけだが。
 歩いていてアニメ映画に入り込んだ小人になった気分になる。営業する占い店から客引きの声がむなしく響くのが、かえって寂しい。土産物店も細々と営業、店先にマスクをならべているのが、侘しい。

 ここはコロナで緊急事態の移動自粛がかかると、とたんに人が行かなくなる街、行かなくても困らない町である。だから店のほうも当然のことのように、ほとんどが休業する。
 他の都心繁華街とはかなり異なるのは、ここがチャイナランドとでもいうべき年か2000万人を呼び込むレジャーランドであり、異郷演出の地であることだ。他の繁華街がどこかで地域の生活とつながっているのに対して、ここはそれがほとんどないらしい。

 ここの営業者や住人が、どの程度にチャイナ系であるか知らないが、かなりの高い割合だろう。
 それがチャイナ系であろうがなかろうが、ここではチャイナ系、現代シノワズリをもって商売の種としていることを、コロナが見せてくれた。それはそれで立派な戦略である。

 考えてみると、この街の特色である中華料理を食べるとなると、コロナ三密回避あるいは口頭飛沫防止には、かなり不利であると思う。
 あの大皿に盛る料理を回転テーブルを回しながら、みんなで次々に取り分けて、談笑する宴会形式は、人の口から感染して来るコロナにとっては絶好の機会を提供するだろうから、かなり怖い。

 わたしも大学山岳部同期会を、新橋の新橋亭という中華料理店で行うのが、毎年5月の定例になっていたのだが、さすがに今年はやめた。
 緊急事態自粛解除の新しい生活様式になったいま、あの大皿共食宴会様式は、どうなっているのだろうか。

 中華街では歩き食い(食べ歩き)が大いに流行っていて、歩き食い専門の食い物店もあちこちにある。大きな中華まんじゅうを、男女カップルがかじりあいながら歩く。
 日本流にいえばお行儀が悪いのだが、ここはチャイナランドだからそれが流儀であるらしい。いや、鎌倉では歩き食い自粛条例ができたらしいから、今や日本観光地どこでもの流行らしい。

 緊急事態自粛解除したら、この観光街でも歩く人たちは律義にマスク姿である。歩き食いはさぞ面倒だろうと思うが、マスクを外しながら歩き食い、またマスクをつけて歩く、また外して食っているのだ。お行儀の悪さが増した。
 コロナ感染は開放的な外気の空間では避けられるというから、どうやら歩き食いが本流になているかもしれない。中華街の道路全部が歩き食い空間になってり、食事風景が店内からこちらに展開あるいは移動するのだろうか。
 道がどこも狭いから、そのうちに二つの廟の広場も野外レストランになるかもしれない。 

 もうすぐこの街は元のようににぎわいそうだが、ここは野外さえも密な空間であり、店内では中華流宴会が続けば、感染クラスターが発生しやすいような気がする。外国人来街者が半分を占めるらしいことも心配である。そんなことのないように願うばかりだ。
緊急事態外出営業自粛要請解除直後の中華街 2020年6月20日

同上
つづく


2020/06/23

1471【横浜コロナ風景その2②】横浜赤煉瓦パークに不思議な新しい生活様式の空間秩序が出現

横浜コロナ風景その2①】のつづき
コロナ禍のなか、緊急事態前、その最中、その解除後と、世の中変り方を見たくて、不要不急徘徊してきている。
 ご近所の横浜都心繁華街の定点(線、面)観測をしてみて、コロナの影響が大きいのは、なんといっても観光客を主体とする街であった。それは当然に予想できるし、現実にそうであった。
 その影響は一時的なことなのか、それともコロナ後にどう持ち越されるのか、興味深い。繁華街の街並み変化に興味はあっても、その内容や人出にあまり関心のなかったわたしにも、いろいろと興味深いことである。

 このコロナ禍横浜都心徘徊レポートは、コロナの影響が大きかったところから書くことにする。といっても、これは研究ではなくて、老人が暇つぶしに不要不急徘徊して、人出や休業店舗の多さなどの、目に見える感想に過ぎない。
 
 非常事態宣言真っ最中に、人っ子一人いなくなったと見えたのは、横浜港周辺の観光の街であった。観光名所として一番有名なところは、たぶん赤レンガ倉庫のあたりだろうが、ここは見事に無人の街になっていた。
 それは赤レンガ倉庫とというショッピングセンターが休業しているからだろう。だが、この広い外の空間では、コロナは関係あるまいと思うのだが、なぜこうもがらんとしているのか。
2020年4月8日 横浜赤レンガ倉庫とその広場
ここは港の歴史的な雰囲気を生かした公園としての環境デザインがすばらしくて、わたしも好きな場所である。
 そこがこうもガランとしていて、わたしはこの空間を独り占めして、赤煉瓦倉庫の姿を詳細につくづくと観察し、公園にある地下遺構も、そうか、こうだったかとゆっくりと眺めて楽しむ。わたしにとっては、今はコロナ様様であった。
 
 そして緊急事態が解除された先週、その最初の土曜休日は、横浜都心各地繁華街は、すっかりコロナ前の人出が戻ってきていた。
 そして赤煉瓦パークは、不思議な風景になっていた。ほお、これが新しい生活様式による外部空間の使い方というものか、ほほお、なんだか笑える。

 ここ自由で多様な活動を予期して作った何もない広場に、まるで学校の儀式空間のような長椅子がお行儀よく並べてしつらえられている。
 座る人たちはだれもかれもがみんな海のほうを向くように、長椅子の両端にはなれて座るように指示されている。ソーシャル・ディスタンシング・パークって言うものかな。
 みんなお行儀よく座っている、これからどなたか独裁者でもやってきて演説会が始まるのだろうか。
緊急事態自粛解除直後
2020年4月20日 人が戻ってきた赤レンガ倉庫広場の風景
いつまでもこうではあるまいが、広場という自由な使い方の空間が、コロナによって見事に秩序立てられている風景が出現していた。
 もしかして、コロナ後には、このような空間秩序がどこもかしこも出現し、空間ばかりか社会全体にこのような秩序が出現するのっだろうかと、これが新しい生活様式か、心寒くなってきた。

 山下公園は、いまちょうど緑が燃え盛ろうとしていて、人々がコロナ前のようにもどってきていた。ここは赤煉瓦広場のような新しい生活の秩序はやってきていなくて、ほっとする。子供が走り回り、みんな生き生きとしている。ほっとする。
2020年6月20日 山下公園

山下公園風景 左:2020年4月8日  右:2020年6月20日
つづく

参照:コロナ大戦争おろおろ日録

2020/06/22

1470【横浜コロナ風景その2①】非常事態解除によって街はどう変わるか定点線面観測の不要不急外出の日々

 4月初めから続いていたコロナによる緊急事態の日々、政府があれこれと行動自粛を呼びかけて、市民は従順に従ってきた。特に商業や産業活動の打撃が大きい。
 へそ曲がりのわたしは、2日に一回は横浜都心部の繁華街やら観光街を徘徊している。わざと反抗しているのではなく(その気味もあるが、もちろんマスク防止手袋で武装)、コロナパンデミックという超珍しい大事件に遭遇して、それがどう私たちの生活に影響しているのか、好奇心で興味津々だから見届けたいだけのことである。何かの役に立てようようという気分はさらさらない。

 しかし、幸いにして自身の身辺も近所にも、コロナという病の人々はいない。だからと言って好奇心に任せて、まさか病院に出かけるわけにもいかない。
 コロナは人間にとりつくのだから、人間のいない所に出かけても観察にならない。せいぜい近所の繁華街の人出やら、営業店舗やらを観察するしかない。
 それでもコロナの影響の大きさに驚きつつ観察できている。人々が繁華街から消えた日々は特に驚いた。それはコロナ恐怖に対する人間の、従順な姿であった。これじゃあ細菌テロをやるやつが出るかもなあと、チラと思った。実は人が消えなかった繁華街もあるのだ。

 そして先週ようやくにして、政府は自粛解除を布告、学校も再開、諸店舗も営業再開とて、喜びと不安の錯綜する世の中になった。
 先週の土曜日は解除後最初の休日、さて横浜繁華街はいかがかと、一巡してきた。まるでコロナ前の賑わいの街になっていた。昼間の街がこうだから、夜の街の飲み屋街も復活だろう。
 なんとも人間は、政府が作り上げた操作される秩序にさえ、こうも従順なものか、コロナパンデミックに改めて不安な気が起きる。

 実のところ、コロナがいなくなったのではなくて、少なくなったから解除したに過ぎない。そこらあたりにうようよいるコロナは、これでまた復活できると、さぞかし喜んでいるだろう。
 わたしが見てから死にたいと思っているコロナ後の世界が、こうやって少しづつ見えてくるのかと、若干の期待と不安がある。街の風景が大きく変わるのか、ほとんど変わらないのか。

 わたしが横浜都心の空中陋屋に住むようになって18年、近所の街をコロナ以前から徘徊して観察してきた。商業や観光系の繁華街、都心住宅街、斜面地の住宅街など、それぞれ面白い姿を持っている。その変化が面白い。
 コロナ時代になって特に観察してきた横浜都心の街は、伊勢佐木モール・馬車道・元町・横浜橋の商店街、中華街・新港地区・山下公園の観光街、そして寿町簡易宿舎街という特殊住宅地区である。
 これらをぐるりと回ると約11キロ、歩いてちょうどよい運動だが、実は白状すれば年取って足が弱ってきたので自転車に転向である。昔山岳部員も老いたものだ。
 この典型的なコロナ下不要不急外出の繁華街定点定線定面観測について、順番に感想を記しておこう。

 非常事態で激変してきた街もあれば、自粛中もコロナ以前と変わらない繁華街もあった。もちろん住宅街は見たところは変わらない。
 このブログに非常事態による自粛行動さなかの「4月26日横浜コロナ風景その1」を書いたが、解除直後の「その2」を書いておく。
つづく

参照:コロナ大戦争おろおろ日録


2020/06/15

1469【コロナ世界探検】この手探りで行くコロナ暗闇現実世界の先にどんなディストピアが待つのか

 今や地球上の世界は、新型コロナウィルスによる大変革期到来の予感の時代である。
 私の体験した世界的な変革期の最新は、1989年から始まった冷戦の終結であった。その前は、1945年のアジア太平洋戦争の終結だった。
 どちらも世界戦争の終結がもたらす変革だった。

 さていま世界を席巻するコロナが終結後には、どんな変革世界が来るのか、それが自分に良いことなのか、悪いことなのか、さっぱり分からないが、何か大きく変わりそうだ。いや、変わらないのかもなあ。
 ただし、八十路を行くわたしには、コロナ後人生があるかどうか、それさえもわからない。ただ、好奇心としてコロナ後社会を見たいとは思う。

 探検家・作家の角幡唯介が、2020年6月12日の朝日新聞朝刊に「人間界を離れた54日 社会は殺伐として毎日が未知の現実」と題して寄稿している。
 今年1月中旬に氷の国グリーンランドに入り、3月19日から5月11日まで人っ子ひとりいない極北の氷の地を犬橇で探検したそうだ。

 角幡は妻からの衛星電話によって新型コロナウィルス蔓延を知り、探検出発前にはグリーンランドにも感染者が発生した。
 そして探検の旅にでたのだが、旅の間に彼が出て来た世界は、みるみる危険なる地に急変した。いっぽう、氷の探検世界には、コロナで最も危険な動物の人間がいない。角幡は実は地球上で一番安全な地を探検していることになった。

 角幡が出かける前にいた世界は、ある予定調和的に進行する安全な場所だった。そして探検する先は先が見えない未知の世界のはずだった。
 ところが新型コロナウィルスにより、人々がいる世界は明日がわからない未知の世界に踏み込み、角幡の探検は用意周到な計画に基づく、先がわかる世界にいるのだ。
 世界はひっくり返ったというのである。探検家としてはどうすればよいのか。

 そして旅を終えてディストピアに帰還した今、彼は浦島太郎になってしまったという。
 なんとも興味深いところに期せずして嵌まり込んだ探検家は、当然、次の探検先はこの未知なるコロナ世界であろう。
 極北の地がユートピアであったかどうかわからないが、このコロナ世界ディストピア探検記を、おおいに期待する。

 さてそのディストピア世界といえば、新型コロナウィルス発症が中国大陸に端を発し、ユーラシア大陸を西に移り、さらに大洋を超えてアメリカ大陸へと、そのコロナの版図は拡大の一方である。
 奇妙なことに、アメリカ国家はこのところチャイナ国との覇権争いに忙しいが、コロナでは出遅れたアメリカ国家だったが、その後の派遣奪取への勢いはものすごく、今やチャイナ国家など相手にしないコロナ大国家となった。他国を寄せ付けない勢いで感染者と死者を輩出し、コロナ覇権国のディストピアへ昇りつめたのである。いつ収まるのか、どう収めるのか。

 それに加えて最近になって、アメリカの一都市で起こった警官による黒人殺害事件がもとになり、人種差別問題への抗議デモが起きた。
 アメリカではよくあることだと思っていたら、各地の都市にも広がり、止む様子がない。1968年の公民権運動でキング牧師暗殺以来の規模という。
 更にアメリカ大陸を問わずヨーロッパ諸国にもデモが感染して、この世界のディストピア模様はさらに深刻になりつつある。それはコロナによる閉鎖社会のもたらす大きな副作用らしい。

 コロナ以前の人種問題は、ヨーロッパにおける大量の中東難民問題だった。最近、そのニュースを聞かないから、コロナの蔓延により難民の動きが止まり、一時収まっているのかも思っていたが、実はコロナが衛生環境の悪い難民キャンプを襲うのは避けられないらしい。それは南米諸国のコロナ感染者の急激な増大が、ファベーラを襲っていることと似ているようだ。
 それに加えて、コロナ発症に由来するアジア人種へ差別問題も顕在化してきているようで、なんとも面倒な世界になりつつあるらしい。

 アメリカ在住の歌人・大竹幾久子さんが最近こんな短歌を詠み、朝日新聞朝日歌壇に入選している。

  コロナ禍で退屈した人あまた
       射撃場に行き銃ぶっ放す  (2020年5月31日)

  アジア人はじめて銃買う人多し
       コロナの元とねらわれる故 (5月31日) 

  コロナ禍で必要不可欠(エッセンシャル)と認められし
       銃を買わんと列なす人々  (6月7日)

 かの地では、日常世界がなんとも居心地が悪いことになっているらしい。銃社会アメリカでの、銃の益々の普及とおもに、アジア人差別も進む。コロナ禍は肉体だけでなく、アメリカの人々の心をむしばみ、病的社会になりつつある。

 この未知の現実世界を角幡に探検してもらい、安全な極北の地からの純なる眼で、じっくりと見てもらいたいものだ。
 今や、探検は未知なる未開世界に向かうではなく、開発しすぎて未知なるウィルスを発掘して嵌まり込んだ未知なる現実のコロナディストピアに向かうしかないようだ。
 そこはかつて人々が信奉したグローバル教世界ではなく、コロナ鎖国群の国境を乗り越えつつ探検を続けるのだろうか。

 ところで日本は、角幡が興味を持つような探検すべきコロナディストピア世界がどう広がっており、これからどう広がるだろうか。
 世界の先進国の中では、低いコロナ感染率を維持しているし(もっとも致死率はアジア諸国の中ではフィリピンに次ぐ高率)、復興財政出動もまれにみる巨額公費投資が予算に組まれている。
 しかし、この3か月間の逼塞による経済と生活の打撃は、どう回復するのか、だれにもわかっていないうえに、わかっていることは次の感染波が必ず来るといわれる。

 だれもかれもが未知の現実の暗闇のなかを、手探りで未来へと歩く状態が続く。しゃべると感染するとてマスクのうちに沈黙し、まるで歌舞伎のだんまりだ。
 コロナ後の世界があるならば、それを見てから死にたいが、底無しの長期ディストピアが続くか、それともまるでコロナなんてなかったような世界が回復するのだろうか。
 今、書けることはこれくらいなものだ。われながら稚拙だが、わからないことをわからぬと書いておくしかできない。

参照:コロナ大戦争おろおろ日録

2020/06/10

1468【コロナ用語爺典その2:ひもづけ】個人番号カードと預貯金口座をひもづけて「ひもつき給付金」かよ

新型コロナ時代になってしまって、その時代が要請するらしく、わたしが知らない言葉、あるいは知っていても意味が異なる言葉が、次々に登場する。
 それを見るたびに、どういう意味かと考えるので、後期高齢者のわたしはボケる暇がないのは、新型コロナのおかげである。
 先日もその戸惑いを「コロナ用語爺典その1」に書いたので、これはその続きである。

 今朝(2020/06/10)の朝日新聞トップに「1口座ひもづけ義務・・」なる見出し、この「ひもづけ」を知らない。もちろん「ひもつき」(よい意味ではない俗語)なら知っているが、その動詞があるとは知らなかった。
 他のニュースをネットで読むと「預貯金口座にマイナンバーを登録して管理すること」(NHK)とある。
 紐を着けるから類推して、たぶん、個人番号カードと預貯金口座の情報を連結するということだろう。それを「ひもづけ」というのか。
 
いm

 このまえは「突合」を知らなかったが、元バンカーの友人に聞いたたら、銀行ではごく普通に使う言葉という。
 漢語の突合に対して、こんどは大和言葉そのものの「ひもづけ」だけど、ここまで生きていても知らないのだ。わたしはほんとに無知なのか、それとも特殊用語なのか。
 個人番号カードと預貯金カードとを紐で結ベば良いのか、簡単なことだ、早速やってみた。これでよろしいか?

 うちにある広辞苑には「ひもづけ」はない。「紐付き」ならあり、「衣服・諸道具などの紐をつけるべき所」とあるだけだ。これが原義らしいが、今求める意味ではない。名詞はあるが動詞は無いのだ。

 そこでネット辞書で「ひもつき」をひいたら、大辞林 第三版として次の3解説。
 紐がついていること。 「 -の寝巻」
 女性に、情夫がついていること。情夫のある女。
 ③見返り条件がついて、人の言動や物の機能が制約をうけていること。「 -の金

 このは、広辞苑と基本的に同じ。
 については、カード紐付け担当大臣が女性だからといって、これは関係ないよな、、いや、まてよ、預貯金カードとマイナンバーカードを紐付き関係にすることか、つまり、政府が国民のヒモになることかな、国民はせっせと稼いで政府に貢ぐのか、うん?

 については、なんだか重要な意味ありげである。
 個人番号カードと預貯金口座をひもつきにすることで、政府が国民に給付金を振り込むが、その見返りとして個人の言動や物に制約がつくのだな。
 なるほど、マイナンバーカードはヒモツケカードか、つまりひもつき預貯金、ひもつき給付金、ひもつき年金とか、そうかそうか。

 なるほど、「ひもづけ」の意味がよく(?)分かった。だが、これでは妙に分かりすぎて、本当にこれでよいのか心配になる。まさか政府が自ら「ひもづけ」と言ってることはないだろう、いじわるメディア用語だろうな。
 そこで衆議院予算委員会(2020年6月9日)の中継動画をネットで観たら、担当の総務大臣発言「マイナンバーへの預貯金口座のひもづけ・・・」、アレレ、政府がヒモツキにすると言ってるのか、まことに政府の意図が分かりやすいのである。

 なお、ネット情報としては、IT業界用語では20世紀末ごろから「紐づけ」を使っていたと出て来る。
  例:https://www.majishini.net/hg/post/2016/20160924-001/
 いろいろ読んでみてもその世界のことはよく分からないのだが、要するに「タグづけ」とか「リンク付け」のようなことらしい。それがどうして「紐付け」になるのかわからないが、日本語無教養IT屋がテキトーに翻訳したのだろう。
 もしかしてこちらの特殊用語「ひもづけ」が、ようやく一般用語化してきたのかもしれない。

 わたしはもう40年ほどもWPからPCへとIT関係機械を使ってきたが、IT業界用語に悩まされっぱなしである。IT屋さんは翻訳すれば間違った意味(例:更新、購読)にするし、翻訳できないとカタカナのままにするから、日本語を知らない人たちらしい。
 そのことは、こちら珍迷解IT用語辞典2018年怪訂版に書いているが、そろそろ2020年怪訂版をだすかな。

◆参照「コロナ用語爺典その1 https://datey.blogspot.com/2020/05/1466.html
参照:コロナ大戦争おろおろ日録

2020/06/02

1467【フェイクバカ狐乱夢2020年5月号】今月もコロナコロナにウンザリしてたら突然出現の賭け麻雀検事オソマツ事件

 5月もコロナに明け暮れて飽き飽きしていたら、検察庁法で国会がちょっともめて暇つぶししてたら、突然に文春一発、賭け麻雀検事スクープ、暗~いコロナ世間に一服の清涼剤(?)を提供した

5月1日【4月尽コロナ戦禍の街徘徊】
 近くの郵便局に行けば、ATMもカウンターも大行列、そうか、月末は混むのか、ならばビジネス街の局なら空いてるかもと、日本大通の港郵便局へ、案の定こっちはガラガラ、局員が手持無沙汰の様子。
 今日は五月晴れの快適、ついでにコロナ占領下の街を徘徊、象の鼻公園は人けパラパラ、山下公園は芝生にいくつか小テントを張って家族で遊んでいて、散歩がパラパラ、花壇の咲き誇る花も観る人がいない。
 中華街は、観るも気の毒な閑古鳥が鳴くばかりだが、人がいない派手派手街並み景観の奇天烈さよ。
 寿町ドヤ街は、良い天気で住人たちが道に出ている。その一角の店は道にはみ出る客、店内は3密どころか5密の様相、天井からいくつもの大液晶パネル、異なる競技場風景、あ、公営ギャンブルって無観客でやってるんだ、で、私営ギャンブル場がコロナ下絶賛三密営業大繁盛。
 3日前まで頑張っていた横浜橋商店街のパチンコ屋は、とうとう閉店していた。
ということで、中華街とドヤ街風景写真。


5月2日、【コロナ百人一首】
 春過ぎて夏来にけらし白妙のアベノマスク未だ来たらず
 君がため初夏の街にいでてマスク買ふ わが衣手にコロナ降りつつ
 ひさかたの光のどけき初夏の日に静心なくコロナ散るらむ
 買い物にうち出でてみれば白妙のマスク高値に腹は立ちつつ」

5月3日 ブログ【コロナ巣ごもり長屋談義https://datey.blogspot.com/2020/05/1462.html
淫種ット裸淫のコロナ巣ごもりで来年心配産院崩壊

5月4日【アベノカイケン】
 会見じゃなくて改憲のこと、なんでもかでも都合悪けりゃコロナのせいにする便利な時代が来たと思っていたら、これはその中の最たるもの、首相がねえ~、緊急事態条項を憲法に居れるために改憲したいらしい。

5月5日【コロナ新薬】
日露戦争には「征露丸(セイロガン)」、コロナ戦争には「安倍丸(アビガン)」

【新しい生活様式】
コロナに罹らないようにマスクしろ、手を洗えとか、人から離れろとか、横に並んで飯を食えとか、そんな暮らしからを「新しい生活様式」なんて言って、首相が押し付けようとするなんて、なんだか記憶にあるなア、あ、「新生活運動」だ、太平洋戦争後の窮乏生活対応策、鳩山政権提唱、懐かしや。

5月8日 【横浜都心徘徊】
 この前の休日5月3日の「伊勢佐木モール」では、安物衣料店の前に入場待ち行列ができる賑わい、連休明け5月7日は安居酒屋もパチンコ屋も再開、コロナってやってるの?、それにしてもこの街はどんどん安物の街になってくるなア、ま、貧乏人にはありがたいけどね。それにひきかえいまだに馬車道ガラガラ、みなとみらい新市街ガラーン、中華街閑古鳥ばかり、、ま、住人は関係ないけどね。


【GATED横浜市庁舎出現】
 連休明けの横浜都心をふらふら、おや、新市庁舎がオープンしてるよ、ちょうど小用も
したいから入ってみるか、あらまあ立派なこと、手洗いは3階にあるとの掲示、エスカレーターで登ればガラーン、まだ移転中らしい、でも、どこに仕事する机があるんだろ、あれ、改札口がいっぱいあるぞ、みなとみらい線にここから乗るのか?、受付でカードを配っているな、それを持って改札口から入っている、そうか、ここから市庁舎オフィスに入るのかあ、あの壁の向こうに机が並んでるんだな、ふ~ん、今どきセキュリティかよ、昔はフラフラと机まで近寄って訪ねたもんだけど、こりゃ敷居がえらく高くなったもんだ、ゲーテッドオフィスだな、まあ、庶民は区役所に行けばいいんだな、いや、区役所もこうなってるのかな、いやな世の中になったもんだ。いやいや、コロナが終われば、以前のようにオープンな市役所に戻ることでしょう。

5月9日 【コロナ巣ごもり】
 外出しないで「巣ごもり」しろというけど、子供や老人は「巣ごもり」できないよ、差別用語だから使わないでほしい、え、そうだろ、「巣ごもり」とは、鳥が巣の中で「子づくり」することだよ、コロナベビーラッシュが来るな、来年は。

5月10日 【コロナ検察庁法案が揉める】
 国会では検察庁法改正案(定年延長の特例)が揉めていて、抗議タグの付いたネットデモが600万件。この法改正が必要なのは、日本で同時多発進行中の新型コロナウィルステロ事件の捜査公判に対応するには、検察官の人材不足が見込まれるので、多くの優秀な人材確保のために、その定年延長を内閣が臨機応変にできるように、検察庁法の改正を行う、コロナ関連緊急法案です、まさに、いずれにしても。

5月11日 【コロナ休校中のお勉強】
 コロナ休校の子供に国会中継放送を見せて、あの首相答弁テクニックを学ばせるのは、教育上いかがなものかと危惧するのであります、まさに、ぃずれにいたしましても、しっかりと。

5月12日【コロナ休業中暇つぶしサービス】
 政府と致しましては、コロナ禍で外出自粛中の国民の皆様が、日々を有意義にお過ごしいただくため、「検察官定年恣意的延長法案」を国会提出しましたので、老人も芸人も高校生もお楽しみください、まさに、いずれにいたしましても。

5月16日 【横浜コロナ風景】
 横浜橋から伊勢佐木町あたりフラフラ、なんだかコロナ前に戻った感がする。伊勢佐木では閉店自粛継続中だが、横浜橋商店街のパチンコ屋はやってる。ここは散歩で通るたびに閉店と開店を繰り返すのだが、毎日のように要請攻防が行われているのかしら?

5月17日【コロナの街徘徊】 
 日曜で天気よし、緊急事態宣言はまだ解除でないが、都心はどんな様子だろうかと徘徊に出る、寿町ー中華街ー元町-バス‐馬車道商店街ー伊勢佐木モールー横浜橋商店街と巡るが、どこも人出があり、コロナ以前よりは少ないだろうが繁華街回復の様子が見える。パチンコ屋は寿町と横浜橋の2件開店、伊勢佐木モールの4店は休業中。 

【コロナの唄】 ふいにこんなものが頭の中をよぎった、わかる年寄りにはわかる。
♪ 大学合格 嬉しかったが いきなり出てきた新型コロナ コロナ 
 今日もコロナ明日もコロナ これじゃ年がら年中コロナ
 アイタタッタ アイタタッタ こりゃ辛い
♪ 大学入学 嬉しかったが 何時までたっても授業がオンライン オンライン
 今日もオンライン 明日もオンライン これじゃ年がら年中オンライン
 アイタタッタ アイタタッタ こりゃ堪らん」
 *参考までにhttps://youtu.be/aY66ixyTdZI

5月20日【文春検事長賭け麻雀スクープ】
 週刊文春が黒川検事長の麻雀賭博スキャンダルスクープ、これで一気に検察庁改正案反対ムードがバカバカ事件ぺっちゃんこ、反対運動で引っ込んたのじゃなくてこの文春屁イッパツで引っ込めたのだったという、超お粗末な話。
 そうだ、わたしにも覆面用マスクと賭け金用給付金が来たら、さっそく4密ゲームしようっと。
 もしも政府が、これで検察庁法改正法案を先送りにしたのなら、あの大衆ネットデモはいったい何だったんだ、ツィート千万スクープ一発、ムナシイ。
 黒川様 余人をもって代えがたい人材として特別に定年延長された貴方が、賭け麻雀ごとき微悪で退職されては、コロナをはじめ巨悪撲滅の先頭に立つ検察が弱体化するので、ぜひそのままお続け下さい。一庶民より
 緊急事態宣言下での賭け麻雀」だから訓告で辞職らしい、緊急事態下じゃなかったらOKなんだね、焦点がズレてるぞ、辞職願を受理するな、余人に代えられない重大な仕事を続けさせろ!

5月22日 【黒川賭け麻雀事件】
 問題の黒川検事長が辞任、彼一人の罪にして一軒は矮小化して決着か。国会の法務委員会では、森雅子法務大臣が野党に言い立てられて、壊れた録音機みたいに同じことを繰り返し答弁、気の毒なようなバカなような阿保らしいような。
 なんだか自爆テロのような気がしてきたなあ、いやなにK川さんのこと。これで検察庁法改正の特別規定が外されたら、K川さんは身を挺して検察独立を守ったことになるし、内閣の大臣の交代にも及んだら、まさに、いずれにしても、自爆テロ聖者になるなあ、不気味。宣言中とイヤに強調してるけど、麻雀した人は宣言中でもいっぱいいるでしょ、そこじゃないでしょ、不気味、、。

5月25日【コロナ緊急事態解除】
 緊急事態解除前最後の日曜日繁華街風景、伊勢佐木モール、元町、中華街、象の鼻パーク、赤煉瓦パーク





5月26日ブログ【コロナ緊急事態解除 https://datey.blogspot.com/2020/05/1465.html
病魔退散経済回復とて格好よくぶち上げて背負う次世代200兆円大借金

5月29日ブログコロナ用語爺典https://datey.blogspot.com/2020/05/1466.html
アベノマスク、ソーシャルディスタンシング、三密、巣ごもり、突合、ロックダウン

参照:コロナ大戦争おろおろ日録