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2025/01/18

1863【大地震記憶】阪神淡路・中越・東日本・奥能登の大震災現地そして幼少期の大震災記憶

 これまで88年もの長い人生でありながら、幸いにして南キャリフォニアのような大火災にも、能登のような大地震にも直接に被災したことは無く過ごしてきた。これからどれほど生きるかわからぬが、大災害に合わない保証はない。できればそんな体験の無いまま今のうちに、この世からおさらばしたいものだ。

●阪神淡路大震災の現場へ

 昨日、2025年1月17日は、あの1995年阪神淡路大震災からちょうど30年目の日であった。わたしはそのような時間と事件とを結びつけて記憶するのは良いとしても、それから10年目とか30年目とかに特別な意味があるとは思えない。身内の死を何年忌とか言って覚えるのと同じかもしれない。わたしはあまりその記念日に興味はないが、事のついでにこれまでに出会った直接間接の地震について、まとめて書きとめておこうおこう。

 1995年の阪神淡路大震災は、長い人生でも飛び切り記憶に刻まれれている。自身が体験したのではないが、幼いころから比較的よく知っている大阪神戸あたりがどうなったか、どうなるのか大いに気になったので、関東住まいであったが仕事で関西に出かける度に、都合つけて神戸を何度も見に行ったものだった。もちろんそれには都市計画家としての興味が一番大きな動機だった。

 1月17日からTV映像を見続けて、すぐに行きたかったが支援する勇気はなくて、見学にゆっくには交通機関が通じてからと思っていて、3月4日になってようやく三宮に入ることができた。

 そこから破壊しつくされた街々を歩き歩きめぐった。何回も何日も見にいった。西は明石、東は芦屋まで歩きに歩いたものだった。カラー写真を何本も使って写真を撮り、スライドに残していた。今や一部をデジタルデータにしてPCに入れたほかは、最近になりすべて終活破棄した。30年とはそういう時間である。

 この地震は、最大震度7、死者・行方不明者6,437人であった。このときは何も復興支援にかかわることは無かったが、とにかくこの目で見ないと災害についてはわからないことばかりであると、心底知ったのが収穫であったと言える。

 以下は初めて神戸に入った1995年3月4日から5日にかけての写真のほんの一部。



 



●中越大震災の現場へ
 
 その次の地震災害地に入った体験は、2004年10月の新潟県中越大震災であった。このころわたしはNPO日本都市計画家協会の事務局長をしており、協会としての震災復興支援活動を行うことになった。
 この中越震災復興現場のひとつである長岡市の法末(ほっせ)という山村集落に、わたしもNPO仲間たち十数人のメンバーと頻繁に通うことになる。10年ほども続く長い支援活動がはじまり、初めは毎週末には泊りがけで通ったものだった。

 私的には豪雪の地域の生活に大いに驚いたものだった。生まれ育った山陽の地はめったに積雪はないし、その後に住んだ関東も同じようなものだったから、全く知らなかった北国の暮らしを知って、本業の都市計画に大いに役立った。

 復興支援とはいったい何だろうかと迷いつついろいろなことをした。要はその小さな被災山村を持続するための多様な活動だったが、人口減少がどこでも起きている日本で、これが果たして成功したのだろうか。






 美しい集落は復興したが、定住人口は減っている。減るとこの山村を支える農業者が減ることになる。生活圏としての山村は、元の緑の自然にもそどっていくばかりである。
 ひとつだけ成功と思うことは復興支援活動仲間の一人が、その山村に住み着いて農民となり、耕作放棄される棚田を引き付けて、美味い米つくりをしていることだ。
 その間のことをわたしの「まちもり通信サイト」の「法末集落復興日録」に載せている。

●東日本大震災の現場へ

 次の大災害現場は、2011年東日本大震災の東北地方であった。地震動災害に加えて津波災害、さらに加えて原子力発電所事故による核毒災害という三重苦巨大災害である。わたしはもう支援に加わる体力はなく、NPO日本都市計画家協会の一員として、何回か災害現場視察企画に参加して訪れ、人間と自然との対応にあれこれと思いをいたすばかりであった。

 それらについては、「まちもり通信サイト」の「災害日本オロオロ日録」に載せている。

地震災害に加えて核毒でゴーストタウンになった富岡町


津波と核毒に襲われた浪江町の漁港の街の廃墟の陸上のあちこちに漁船が

除染という核毒集塵掃除作業の結果は膨大な核毒ゴミ黒袋の山

浪江の村のどこもかしこも核毒汚染された田畑の一番豊かな土をはぎ取る

 特に福島第1発電所の原子炉の事故による巨大災害には、心底驚き、あきれるばかりのことばかりである。広範囲に核毒を振り撒いて国土を取り戻しようがないほどの汚染するという大事件である。今それから14年がたつのに、もはや忘れたように核発電所が、列島おあちこちに生き返りつつある。その後の処理がいまだに完了しないのに、忘れたとはどういうことだろうか。

●かつて訪れた能登半島地震の現場の今は?

 さて現在の地震災害主役は2024年能登半島地震であるが、もうわたしは現地を訪ねる気力も体力もない。2004年に訪ね巡ったあの奥能登の地は、今どうなっているのだろうか。
 じつは個人的には2004年の中越地震による大きな揺れを、偶然にも比較的近くの奥能登で身をもって体験したのであった。その地は輪島であったが、そこはまさに昨年2024年元日の能登半島大地震の地である。

 この能登半島で中越地震に遭遇したときのことはこのブログに載せているので、一部引用する。 
ガタガタみしみしとゆれる、地震だ、大きい。余震もきた。
2004年の奥能登ウォーキングコース
能登半島の輪島市の郊外、漁村集落の民宿について、やれやれと一休みしていた。大きな木造2階家は、古くて客が歩くとみしみしがたがた足音がする。音だけではなくてゆれたので、これは地震だ。コンクリ長屋の上のほうでユルユル揺れるのとは違う、ナツカシイゆれ方だ 
囲炉裏部屋のテレビを見ていると、震源は新潟といいつつ、しだいに被害が広がるのが分かる。能登は震度4だった。外では防災無線放送が津波の心配はないと言っている。
2004年10月23日夕刻から始まった中越地震に、こうして旅先で出会ったのだった。この旅は、わが大学同期の翁12人が、能登空港を起終点にして奥能登をひとまわりする120キロの行程を、5日間かけて歩きとおす企画である。
           (全文は『奥能登100キロウォーク』参照のこと)

 わたしが今も所属だけしているNPO日本都市計画家協会は、この能登半島震災復興のために、門前町に入っているようだ。わたしの奥能登の旅ではその街の黒島で一泊した。あの伝建地区の街並みどうなっているのだろうか。

●幼少期の大地震記憶

 ところで私の震災に関する記憶で最も古いものは、1943年9月の鳥取地震であるらしい。幼少時に揺れた記憶は一つしかないからこれであろう。わたしは7歳の時である。
 鳥取県の南隣の岡山県の高梁盆地で少年時代を過ごした。家が揺れるばかりか、周りの巨木もゆさゆさと揺れて倒れ掛かるのかと、怖かった記憶がある。わたしの生家は丘の中腹にある神社の森の中であったから、境内には巨木が立ち並んでいたのだ。
 それ以後でも、台風の時などは、巨木が揺れて枝が折れて落ちてくることはしょっちゅうで、森の中に住むのは平素の見た様子とは大いに違って、けっこう怖いのであった。

 その次の地震の記憶は、1948年の福井地震であった。新聞に載った百貨店建物の被災写真に強い記憶がある。
 また別の記憶につよい地震に関する新聞写真は、コンクリート中層共同住宅建築が横倒しになった悲惨な光景であるがいつのことか思い出せない。ネットを探したらあった、意外に最近で1964年の新潟地震であった。

 1957年からわたしは関東に住むようになったのだが、こちらは生まれた西の地と違ってずいぶん地震が多い地域であると思ったものだ。しょっちゅう体感地震があり、2年くらい離れなくてその度に怖くて胸がドキドキしたものだった。そのうちに慣れた。


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伊達美徳=まちもり散人
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2025/01/13

1861【LA大火事】森林から都市へ拡大した大火災の原因に異常気象があるとすれば他人事ではない

 


 ロス・アンゼルスで高級住宅地が大火事だそうである。7日発生から今日(20250113)現在も燃え続けていて、東京山手線内面積の倍以上も燃えたとのこと。
 データ的には、被災面積160平方キロメートル、死者16人、被災建物は1万棟以上、避難の指示や警告の対象になっている住民はあわせて30万人だそうだ。
 これでは山火事とはもう言えなくて、都市火災というべきだろう。

 昨夜はPCのSNS(youtubeとX)でいくつもの現地中継(LIVE)を見続けた。特に空中からの現場の火災進行実況は、まったくもって凄い、怖い、酷いものである。

 これはまるで炎の津波である。裏山から炎の横列の津波が下って襲い来るのを、なすすべもなく見る住民の気持ちを思うとやり切れない。ということは、あの大津波の時の沿岸の人々の気持ちもそうだったのだ。大自然からの攻撃に人間はなすすべもない。



 燃え広がる炎の空中写真を見ていて、ちょっと気になったのは、全く別の場所が何か所も燃えていることだ。飛び火とみるのは遠すぎる。同じ条件化なら自然発火するところが何か所もあるのか、あるいはいくつかは人為的な発火かとも思えるのだ。


 SNSには例のごとくに、陰謀論はもちろん、被災画像に人種差別的コメントとか、AI製の偽画像とか、怪しい書き込みがある。
 そんな妙なときにトランプは政権に就くのだが、どうするのだろうかと思っていたら、さっそくに民主党知事の失策だと言っているらしい。困った人だ。USAは大丈夫か。

 なぜこれほどに火災が拡大するのか。日本でも近年では2024年元日の能登輪島の朝市通りとか、2016年の糸魚川大火とかあるが、LAほどの大規模ではない。USAの住宅地の住宅の建て方(材料とか防火対策)とか、住宅地の都市計画(山林と住宅地の配置)とかに原因があるような気がするが、正確なところはわからない。

燃え尽くした山と住宅地

 LAの郊外には広大な住宅地がとめどもなく広がっている。まさに自動車社会の国である。緑に覆われた広い宅地に大きな住宅が、たぶん木造でびっしりと建てられている。燃えた跡の住宅地のあまりにもひどさに驚くしかない。画一的に作られた住宅地らしいが、全く画一的に廃墟になっているのが痛ましい。

 この森林火災の拡大から大規模都市火災への展開の原因を言う識者によれば、近年の異常気象によって森林が燃えやすい条件になっていたとのとこと。それが分かっているなら、森林火災拡大防止対策を取り入れた居住地づくりの都市計画があってもよいはずだ。


 例えば、延焼拡大防止のために、広い幅の空地の延焼防止帯を設けることが有効だろう。しかし、この写真に見るように、LAの郊外住宅地開発は野放図に森林を侵食している。特にキャリフォニアにおける乾季の山火事騒動は、毎年のことだからとっくに分かっていたはずだ。

ここは被災地ではないが広大な郊外住宅地が山を切り開いてい広がる

 そもそも森林地帯で人間が住むようなところじゃなかったのに、無理やり開発したのである。人がいなければどんなに森林が燃えても災害とは言わないだろう。
 そんなところに住み込んだ人間に、自然が土地を返せと迫っているのが、この大火災かもしれない。

 異常気象がこの大災害の原因ならば、日本列島も同じようなことが起きないとは限らない。太平洋を挟んだ対岸の火事ではなくなる。
 特に人口が減少しつつある郊外住宅地や地方小都市では、いったん燃え広がるとそれを止める人手がないから、拡大するばかりになるおそれは十分にある。
日本の都市の郊外住宅地開発も似たようなものだ

 コロナ禍は終わるらしいが、異常気象禍は今後ともつのるばかりのようだ。このところあちこちで戦争が多いのも、異常気象が人間の生存本能を掻き立てている現象かもしれない。右傾化する世界、強権国家の出現はまさにそうだろう。
 なんとも嫌な時代に生きることになったものだ。

 (2025/01/13記)

(2025/01/14追記)14日朝のNHK報道では、死者は24人に増え、避難指示や警告対象住民数は、ピーク時には30万人以上だったが、13日時点では18万人余りに減少。一方、LA近郊では14日早朝から15日正午ごろまでは「特に危険な状況」に風が強まるとのこと。

2025/03/05追記)他人事ではないと書いたら、まさに今、日本列島でも山林火災が燃え
広がる事件が起きている。岩手県大船渡市で2月26日に起きた山林の火事は、その後どんどん燃え広がっていて、いまだに消火できていないそうだ。なんとまあ、これまでに2900ヘクタールも燃えて、住宅78棟が焼失したそうだ。他人事ではない。キャリフォニアLA火災に比べるとその10分の1くらいの面積だが、国土の規模が違うから同様のレベルだろう。

大船渡市の山林火災(2025年3月5日読売新聞より)

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2024/09/01

1834【ようやく秋】猛暑や豪雨が毎年だから今や異常気象じゃなくてこれが普通かも、戦争もこれが普通かも

 今日から2024年9月、停滞のろのろ台風でこの数日は雨続き、おかげで涼しくなって、秋の気分だ。例年になく暑い夏と言っていたが、やはり秋は来るものだ。そして水害という災害も毎年のようにちゃんと来るものだ。異常気象が異常でなくなる時とは、災害も暑さも例年通の過酷現象になったときだろう。いつも異常だと異常とは言えなくなるからだ。

●異常気象が普通になる

 コメが食品店から消えてもう何日になるだろうか。これも異常気象のせいだろうか。しょうがないから三食を麺かパンか外食に頼る毎日だ。
 米を買えない現象はいつだったか大不作の年があって、タイから緊急輸入したのだった。今年はどうなんだろうか。農水省がコメの作柄を発表している。不作でもなさそうだからもうちょっとの辛抱か。


 このコメの状況のマップを見て思ったのは、コメは熱帯植物とばかり思っていたら、北海道や東北の方が育ちがよいらしく、冷温帯の植物に変化していることだ。
 これはコメの品種改良によるのだろうが、それよりも気になるのは、暑い日々が続く異常気象が定着して、コメも南方よりも北方の方が育ちやすくなっているのだろう。南方の昆虫や魚が来たのちや海でみられると同じことで、稲も次第に北上しているのだ。
 念の為2016年の同じマップ(右)を見たら、ほぼ傾向は同じだから、もうずっと前から本州中四国はもとより北海道も熱帯に近くなっているらしい。

●コロナは今や第11波だが

 異常気象が異常じゃなくなれば、新型コロナ禍も普及してしまって、いまや異常ではなくなるほどにも定着してきたのかもしれない。5年前の当初から数えると感染の流行の山は今や第11波だそうだ。こうも何度もやってくると異常ではなくて普通のことに思ってしまうのももっともだ。マスクもつけなくてもいいや、飲み会やって大声でしゃべりあってもいいや、なんて思う。

 2020年初からのコロナ来襲で、人々との出会い制限が特に老人には強烈にはたらき、社会的ネットワークが次々となくなってきた。これに加えて2021年から家人への介護が始まり、コロナ禍と老々介護が重なってくるともう身動きとれない日々であった。辛かった。

 今コロナ禍はほぼなくなり、家人の介護も7月末に終了し、5年ぶりに獄外に出て自由な日々を謳歌してよい日々が来た。ただし、その間にわたしに老いを確実に重ねてもいたのであった。いったん切れた社会的ネットワークはおいてしまうともう元には戻らないし、身体の老化も不可逆である。この最晩年という貴重な日々を失ったのは、大きなショックであった。

●プーチン戦争は泥沼化して続く

 そして今のもう一つの大きな悩みは、s無所の地球の争いと分断である。プーチン戦争については報道メディアのニュースは小さくなってきたが、コロナのように終息が見えてきたのではなく、むしろロシア本土攻撃へとウクライナは戦争拡大の様子である。

 これは泥沼戦争なのか、かつてに日本軍がチャイナへと攻め入った日中戦争と同じかどうか知らぬが、日本の軍部が当初考えていた短期終結が泥沼化したようなことを、今はプーチンがやっているのだろうか。
 クリミア半島は朝鮮半島であり、東南部諸州は満州のようなものか。日本の失敗の歴史的教訓をプーチンに教えてはどうか、なんて思う。いや、もっと近い時代にもベトナム戦争とか9・11復讐アフガン戦争におけるUSAの泥沼敗退の歴史もあるよなあ。
 
 気候はどんどん悪くなるし、戦争はあちこちでやまないし、USAトップ選挙に代表されるような人間社会の分断は地球上のあちこちで起きているし、わが身は老いに迫られているし、全くろくでもない時代に生きてるものだ。もしかしたら、異常気象が定着して異常といえなくなるように、戦争も定着してこれが人間の普通の地球というようになる時代が来る、いやもう来ているのかもしれない。と、慨嘆しきりの日々である。
(20240901記)
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2024/04/18

1812【豊後水道で地震】東京湾内に現存する原子力発電戦艦で近未来の関東大震災は超悲惨

 

東京湾内にある巨大核発電所

また地震だ、また核発電施設がある、困った日本列島だ。
 

2024年4月17日南予で震度6弱の地震発生 伊方は?

 ●伊方原発の近くで大地震

 昨夜、もう寝ようかなと思ったとたんに、ラジオから聞いたことのある不穏な心を掻き立てる音、チャランチャランチャラン緊急地震速報です緊急地震速報です!!
 眠気が突然去ってしまい聞き続けて、南予だって、え~?、あの辺りにはまた核発電所があったなあ、なんて言ったっけなあ、なんてうつらうつら深夜の時報を聞いたあたりで眠ったようだ。

 朝起きて新聞みればまだ書いてない。ネットを見れば、右のようにたくさん登場する。書き方がいろいろあって興味深い。大きな被害はなかったらしいとはわかるが、気になったのは、核発電所の伊方原発についての表現である。先般の能登半島地震での志賀核発電所(わざと原発といわないのだ)のことがあるから気になる。

 「問題ない、安全だ」から「事故があって発電能力が下がった」まで、各様である。能登と違って運転していたが、一部事故で出力が下がったまま発電を続けている様子である。「だから安心しろ」とその筋は言っているらしい。それは事故ではないのかしら?

 でもねえ、地震あるたびに核発電施設の心配をしなけりゃならない現実は、その心配する人間が自ら作ったものである。地震に伴って起こる津波や山崩れの自然災害ではないのだ。心配当事者が自ら作り出した心配であるところがおおきな問題である。そしてこの災害原因を除去することをしないままに過ごしていることが、さらに大きな問題である。いや、しないままどころか、もっと心配の種を増やそうとしているのだから、困ったものである。

 ハザードマップには核発電施設の存在が書いてあるのだろうか。洪水とか津波とか火山噴火とかと並んで書いてあるのだろうか?、もしも書いてないとしたら、大失態である。すぐに核発電所とか核のゴミのような核物質関係施設も重要なハザードとしておくべきだろう。

●東京湾内に現存する核発電施設

 さらに核兵器も書き込むべきだ。え、日本には核兵器はないハズと言うかもしれないが、いや、れっきとした核兵器があるのだ。神奈川県横須賀市のUSA ARMY BASE(米軍基地)の核発電施設を載せた巨大軍艦の空母ジョージワシントンは立派な兵器であり、これの動力は核発電が搭載されている。これが核兵器でなくて何であろう。

 もしも東京湾に巨大津波が押し寄せてきたら、巨大な航空母艦は核発電所を抱えたまま東京湾をさかのぼって、横浜川崎東京を襲うに違いない。それは3・11で東北地方の各海岸部に船が陸に上がった風景を見たのが、ここでは核発電所が陸に上がるのである。どんな事故が起こるか想像すると、身の毛もよだつことだ。関東南部は壊滅するに違いない。


 そうならば、わたしの住む横浜のハザードマップには、横須賀港にあるUSA軍の空母と潜水艦などの核発電施設がハザードとして書いてあるはずだ。そう、書いてあるに違いない。

●第2次関東大震災で東日本壊滅

 神奈川県のサイトには、下記のようなページがある。これは「防災。緊急情報」とあるから、怖いことなのである。今ここに大地震・大津波が来たらどうなるのだろうか?
神奈川県の「米原子力艦寄港情報」ページhttps://www.pref.kanagawa.jp/docs/bz3/cnt/f417274/index.html

 航空母艦は令和5年11月19日から(っていつのこと?、去年かな)潜水艦は令和6年4月18日から(っていつのこと?、今日かい)、どちらも私の住み街の近くに居座っているようだ。怖い怖い。戦争の道具として怖い震災の拡大原因として怖い、それなのにだれもそれを言わないのは何故かしら?、言っても無駄とあきらめているのか、素人の杞憂か?
これが関東大震災で核発電航空母艦だったら?  3・11岩手県大槌町赤浜

 この次の関東大震災は、これらの核兵器戦艦が津波に乗って東京湾を遡上して、その抱える核発電施設から核毒を関東全体に振りまくにちがいない。超悲惨なことになり、すくなくとも関東、いや東日本は壊滅するだろう。
 わたしにできることは、その前にこの世からさっさと退散することだ。それが唯一にして最も効果のある、そして完璧なる防災対策だ。

(20240418記)

本ブログの関連記事

2008/09/29・045【世相戯評】地震に強いかも原子力発電船https://datey.blogspot.com/2008/09/nuclear-carrier.html

2014/08/10・980福島原発なみの東京湾巨大原発が稼働中https://datey.blogspot.com/2014/08/980.html

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2024/03/21

1805【震災ミニ訓練】能登の次は関東で大地震があるような気配で今日は断水訓練

●次は房総半島地震だろうなあ

 なんだか最近は関東あたりが震源の地震が多いような気がする。今日2024年3月21日、朝9時頃に地震があった。うちの横浜あたりは震度3だったが、埼玉県では震度5という結構なレベルで揺れたそうだ。

2024年3月21日9時過ぎの地震の震度分布図
 何しろ今年は北陸では元旦から大揺れだったが、そのあたりではそれよりもだいぶ前から子鯰が群発していたそうだ。関東でもこのところ群発しているから、能登のように今にドカンと親玉鯰が登場してくるに違いないと思う。

日本列島過去100日間の震央分布図

 上のここ100日間の日本列島東半分での震央の分布図を見ると、元旦に起きた能登半島大地震のあたりが特に目立っている。それに次いで南関東あたり特に房総半島がにぎやかであるのが、同じ半島として能登並みになる恐れがありそうだ。できればわたしが死んだ後で来てほしいものだ。大地震が来るよりも先に死のうと、ただいま競争状況にある、か。

●計らずも自宅でミニ被災訓練

 能登震災地ではいまだに水道が開通しないところが多いらしい。実は今日はわたし住まいでも、朝9時から上水道が停まっている。なんとなく能登の被災者気分をちょっぴり味わっている感じであった。災害ではなくて、住まいのある共同住宅ビルの上水道給水ポンプ取り換え工事だから、事前通知により昨夜汲み置きの水で十分間に合ったが、ミニ訓練にはなったかもしれない。

能登の震災地では苦境が続く 20230421東京新聞


断水通知チラシ 
文中に「※不足の事態が・・」とあるが、たしかに水不足事態ではある

 給水がないということは、下水に流せないということで、便所の利用が不便であった。使うたびにバスタブに溜めた水を洗面器に汲んで便所まで持って行き便器に流す。その間4mほどだが、途中でこぼさないようにするのに疲れた。そんな震災ミニ訓練していた朝に、本物地震に出くわしたのであった。

 キッチンには薬缶や鍋に汲み置いておいた。今までにまる1日中をこんなことをやった記憶がない。これが災害で長く続くと、それだけのために避難することになるだろう。人間は水がないと生きられない生物である。


●断水、停電、波、断食など

 ふと思ったのは、水が止まると「停水」でなく「断水」というのはなぜかということ。電力が止まると「停電」といい、「断電」と言わぬのは何故か。電波が止まると「断波」じゃなくて「停波」と言うような気がするなあ、ガスが止まると断か停かどっちだろうか?

 そうか、「断」は水のようにそれがないと、すぐに生きられなくなるものに使うのだろう。「停」は、電力のようにそれが無くてもとりあえずは生きられるものに使うのだろう。
「断食」はまさにそうだなあ、でも「断気」とは言わないなあ。

(20240321記)

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2024/03/11

1802【3・11記念日】この13年間に書いた東日本大震災論考・提案・迷言・オチョクリ200件読み返し

 今日は3月11日、つまり東日本大震災が2011年のこの日に発生した災禍記念日である。直接被災したのではないから、それがどうしたと言われればグーの音もない。しかしまあ、人間は何かを思い出すため、忘れたくないために記念日なるものを発明したのだろう。

 わたしはこの日を思い出すためではなく、この災禍についてただただ好奇心で、この13年間にたくさんの駄文記事を【災害日本オロオロ日録】と題して、このブログに書き記してきた。初めは勢い込んで毎日書いていたが、次第に間遠になり忘れそうになっていたが、能登半島震災が呼び覚ましてくれた。

 このブログに書いたのは、真面目な提案・論考・紀行もあれば、迷言・妄言・オチョクリなどなど、約200件もの駄文である。自分でもよくも書いたと思うが、まあ、ボケ防止対策でもある。このような駄文はいくらでも書くことができるのは、下図に見るように種は尽きない地震列島に住むからである。

地震列島近現代歴史図 202403011東京新聞朝刊

 今ここで【災害日本オロオロ日録】を読み返しているのだが、初めは勢い込んで毎日書いていたのでなかなか面白い。特にわれながら面白いと思うのは、発生すぐの3月21日に「福島原発を世界遺産にしよう」と提案していることだ。その後にそんな話もちらほらネットに登場したが、今は忘れられているらしい。

 この地震最大のイベントであった福島第1原子力発電所の水素爆発については、わたしはネパールでTVを見て知り、大いに仰天したものだ。日本はこの地震で停電続きの日々だったが、ネパールでは停電は日常的な電力事情であるのにも驚いた。

 東日本大震災の現地に初めて入ったのは翌年の11月だった。この時は「森の長城」と称する緑の防波堤づくりボランティアとして、どんぐり拾いに行ったのであった。その時に拾ったドングリは、今はどこかの森の長城の一員としてのシイやタブの木となって、防潮堤の上に育っているに違いない。

 現地を知らないのにネット情報だけで、盛んに復興案の批評・論考・提案をしているのが面白い。今読むとどれ一つとして実現した提案はないようなのは、机上の空論だからだ。だがわたしにはずいぶん勉強になる自主作業だった。
 その一つに有名な陸前高田の松原と一本松に関する論考を書いているが、さて、現実はどのような姿になているのだろうか。

 大きな震災地に復興支援の手伝いで初めて入ったのは、2004年の中越震災の時だった。10年ほども継続した現地入り活動については、【法末集落復興日録】と題してこのブログに載せている。しかし東日本大震災現場へは、復興支援ではなくて何回かの野次馬見学であった。それでも中越の時と同じように学ぶことが多かった。

 2013年4月には仙台から釜石までの津波被災地をめぐってきた。津波のエネルギーの強大なことに、既存防波堤や防潮林の破壊ぶりに見て仰天した。机上の都市計画のもろさも知った。2014年9月にはようやく福島核発電所事故被災地へ入ることができた。目に見えない被災を見つめ、発見し、考える旅であった。核発電の恐怖を身近に見て感じて、観念的でない核発電反対を言うようになった。福島県ではいまだに核毒から逃げて大勢が避難している。

今も核の毒から避難する人が大勢いる 東京新聞20240311

ここを最終処分地にするしかない!、ここを福島県から分離すれば県外処分だ!?

 あれから13年、毎年のようにこの前日の3月10日から、人災と天災について考えるのだ。特に今年は元日の能登震災から始まったので、記憶の底になりそうだった東日本震災時にあれやこれやと考えたことの記録を読み返したのであった。われながら面白い。4冊のブックレットも作っているのだ。

 さて、来年もまた読み返して考えることができるかどうか、地震ならぬ自信のない年齢になってしまった。いや、来年早々にも大地震が来るだろうから、きっと読み返すだろうと思う。それは自分が被災してあの世に避難してしまっていなかったならば、、いや、被災の前にすでに自主避難完了かもしれない。

 アッ、そうだ、まさかと思うが大人災が起こって、【戦争の記憶】も読み返すことになるだろうか。ウクライナ、パレスチナ、さて次は東アジアのどこか?、いやだいやだ、やっぱり早期自主避難しかないな。

(20240311記)

参照ブログ記事災害日本オロオロ日録

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2024/03/02

1799【コロナ10波越え房総に地震】願わくは花のもとにて春死なむその房総になゐ振る前に

●コロナ第10波がピークを過ぎたらしい 

 2月から3月へと移行したが、とたんに天候が変わるわけでもないのに、なんだか春になったと感じるのがおかしい。今月は桜の花見できるぞと思うだけで、春になったことは確実だ。そこで毎年詠う本歌取りのうた。

 願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月のコロナ

 西行のこの元歌は旧暦2月詠であり、今は3月に詠うべきだから、まだあと1カ月はコロナが消えない限りはこの歌の効力はあるのだ。コロナ以来この4年、毎年毎年詠うのだが、実現しないままだ。

 と思っていたら、どうやらもうこの歌も今年で終わりらしい。それは、コロナ第10波が山を迎えて下り坂に来たからである。もちろん11波も12波のあるのだろうが、このところどうも歌に詠うほどの迫力がコロナに失せてしまったのが、残念、いや、喜ぶべきだな。



●能登半島の次は房総半島か 

 コロナが終わろうとしたところに、能登半島大地震がやってきて、災害日本いや災害地球を如実に感じている。さらにそれを強調するかのごとくに、今度は房総半島の沖で地震が群発しているとのことである。そういえばうちでも昨日も揺れたなあ。房総半島のナマズが能登半島のナマズに負けてはならないと、暴れ出したらしい。

 わたしの住む横浜の東京湾を挟んで東にあるのが房総半島だから、能登半島に対する金沢の立地に似ている。能登並みに房総が揺れたら、こちらも安泰ではない。コロナに続いて、まだまだ心が休まることがない。というか、あれこれと心が忙しくて、これではボケていられないと年寄りは思うのである。もしかしたボケ防止には災害がイチバン効果あり、?

●東京湾の核発電所は大丈夫か

 ところで能登には志賀町に核発電所があるごとく、東京湾にも巨大核発電炉があるのだから心配だ。これって、もしかしたら忘れている人が多いかもしれない。これが大地震が来たらどうなるのかしら。10年前にわたしはこのブログにこんなことを書いている。

 あるネットページにはこう書いてある。
 原子力空母ジョージ・ワシントンは、米海軍の主力空母ニミッツ級の6番艦で、1992年に就役。通常型空母キティホークの後継として、2008年に横須賀港を事実上の母港として配備された。全長332.85m、満載排水量10万2千トンと、軍艦としては世界最大の大きさを誇る。加圧水型原子炉2基で駆動する4基の蒸気タービンを主動力とし、最高速力は30ノットを超える。戦闘攻撃機、哨戒機、ヘリコプターなど約70機の航空機を搭載し、乗組員はおよそ5500人
USA軍横須賀基地と核空母停泊場所

 今はUSAで改造中なの東京湾にはいないが、今年中に戻ってくるらしい。つまり5500人の生活を支えつつ10万トンもの軍艦や70機もの軍用機などを動かすほどの大エネルギーを生産する2基の核発電炉が東京湾上にあるのだ。これが地震で事故を起こさない保証はあるのだろうか。例えば能登のように海底が盛り上がってきて、空母が座礁したらどうなるのか。よくわからぬが、東京圏ではものすごく怖いことが起きるだろう。

 そこで本歌取り狂歌   (注:「なゐ振る」とは大地が揺れることの古語)

願わくは花のもとにて春死なむその房総になゐ振る前に

(20240302記)

参照
2014/08/10/・980福島原発なみの東京湾巨大原発が稼働中https://datey.blogspot.com/2014/08/980.html

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2024/02/21

1795【みちのく潮風トレイル】太平洋岸の自然と文化を辿る旅路から福島第1原発を除外は何故か

 今日の東京新聞夕刊1面に「みちのく潮風トレイル」なる長距離遊歩道の紹介記事がある。環境省の仕事で、北は八戸から太平洋海岸伝いに松川浦までの1000km、その間の自然と文化をたどるそうだ。

 おお、あの福島原発事故現場も当然にトレイル上にあるはずだ。あの原発爆発写真は世界に知られているから、多くの外国人もトレイルを辿りに来ていることだろう。ましてや日本人はゆきたいだろう、なかなか良い仕事だ、さすが環境庁だ。

 と思って、ネットで公式サイトを見たのだが、どこにも福島第1原発あたりの地域をめぐる話はない。おかしいなあ、あれこそ超有名なみちのくの名所なのに、なぜ出てこないのかしら?

 環境庁サイトにはこう書いてある。
 「森、里、川、海のつながりから生まれた自然とそこで紡がれた物語は、このトレイルだけが持つ美しい魅力。そしてこの道から人々の暮らしが伝わり、やがて未来へと続いて行くことを願っています。どうぞ、東北を、この道を歩いてください。それが東北の復興の歩みとも重なっていきます。」

「みちのく潮風トレイル」のルート図に赤で福島第1原発を書き込んでみた

 東北の復興を言うのなら、あの3・11を辿るルートであるはず、それならその最も重要な場所のフクイチを外せるわけがない、しかも環境省の仕事ならなおさらのことだ。
 ところが、みちのく潮風トレイルには、どういうわけか、福島第1原発事故関連の場所も情報もないのだ。

 そのルートが八戸から南下して終点は松川浦であり、浪江町やいわき市へは届かないのだ。もしかして、みちのくとは松川浦から北であったかと調べると、いやいや、福島、宮城、岩手そして青森までを含む地域を言うのだ。

 みちのくの太平洋側海岸地域で、現在最も注目すべきところは、福島第1原発事故の地であることは、だれも異存ないはずだろう。これはどうしたことか。
 もちろん現地の中を通ることは無理としても、近くで眺める位置までは、みちのく潮風トレイルに含めてやってほしいと、切実に真剣に思う。

 わたしは3・11発災から3年目に、その第1原発を北から眺める被災地の浪江町請戸地区まで行ったことがある(ブログ記事参照)。漁港集落は津波に一切合切をさらわれてその時は草原になっており、向こうの丘陵上に原発が見え、手前の草原には漁港から流れて浮いた何隻もの漁船が転んでいた。廃墟となった小学校のみが建物らしい建物だった。

集落跡の草原に廃船や廃車、左向こうの丘陵の上に事故原発の煙突3本が見える

 この請戸地区は、結果は比較的放射線量は低かったのだが、発災時はそんなことは誰もわからず、放射線ゆえに救助隊が集落に入ることを阻まれて、地震と津波の2重被害で倒壊した家屋の下敷きになった多くの人々が、苛烈な死に方をしたのだった(ブログ記事参照)。

 今は人が住まない地になっているようだ。この請戸までみちのく潮風トレイルを、何故に伸ばさないのか。松川浦から30キロほどのところだ。今もあるかどうか知らないが、福島第1原発の煙突が3本立つのが見えており、被災地の苛烈な風景を忘れられない。

 トレイルが歴史文化を訪ねることも強調しているのだから、この原発事故という稀な人災という文化的巨大事件こそは、みちのく最大の歴史文化記念の地である。現在の今も歴史文化を築きつつある貴重な風景にあるのだ。これを除くルート設定をする理由がわからない。原発による危険な区域だけをバスによるトレイルとしてでも取り込むべきだ。そこだけをバスルートにすることに大きな意味がある文化イベントそのものになるのだ。

 ここで遊歩の道がいったん途切れるということさえも、それこそが3・11以後のみちのくの歴史文化として重要なのであることが、訪ね来る人々によくわかうことになる。みちのくの南端までトレイルを伸ばしてほしい。あ、もしかして只今整備工事中かもしれない、そう出すに違いない、そう思おう、さすがに環境庁だ、、、?

 ついでに書いておくが、わたしは3・11事故があってすぐに「福島第1原発を世界遺産に登録しよう」との提案を、このブログに書いている。今もそう思っている。

(20240221記)

災害日本列島おろおろ日録
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