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2026/09/03

1972【地球破滅中】巨大山津波の破壊力を建設力に変換する能力がネパールにあれば・・・

 ●ネパールで巨大山津波発生

 日本ばかりではなくて今や地球は災害惑星らしい。いま日本列島では豪雨による水害で大変である。ところがネパールでは雨も降らないのに、巨大水害で大勢の死者行方不明者続出だそうだ。ヒマラヤ山脈と氷河を抱える地勢のせいらしい。

 8月26日のこと、ネパール・チベット国境あたりの、ヒマラヤ山岳氷河が崩壊して、巨大土石流が急峻峡谷を流れ下り、沿川の自然と人間の暮らしを破壊しつくした。今のところ全貌は分からないが死者100人を超え、不明者5000人以上ににもなるらしい。

 わたしはネパールに遊びに行ったことがある。2011年の3月末から4月にかけの1週間ほど、そう、東日本大震災の真っ最中だった。「われら年寄りは日本にいても手足纏になるだけだから、海外に避難しよう」という理由をつけて、大学同期仲間4人で遊びに行った。

 そのころ東日本では、震災のために停電が毎日のようにあった。ところが行った先のネパールでも毎日停電時間があった。災害ではなくて慢性的電力不足のせいだった。日本でも昔々戦争直後のころにはそうだったことを、ネパールで追体験した。

 その旅のことを、このブログにも載せている(こちらをクリック)。カトマンズの街の過密さと建物の脆弱さを見て、こう書いていた。

 ネパールの全人口は2300万人、一極集中カトマンズ首都大都市圏エリアはこの20年でも倍増の勢いでその13パーセントの300万人が住み、カトマンヅ盆地には100万人近くも住んでいる。ここで大地震が起きると大変なことになりそうだ。海からの津波はないが、ヒマラヤの氷河湖が決壊したら、山の上から津波がやってくる。一方、原子力発電所はないから、その点での危険性はない国である。

  ところがその後に、こう書いた大変なことが起きた。4年後の2015年4月に、カトマンヅ北西7キロのあたりを震源とする巨大地震が発生、首都も大きく破壊された。そして今回の巨大土石流の、山津波がやってきたのだ。ただし今回はカトマンヅは被災地ではないらしい。


●ランタンリルンの氷河崩落し峡谷を急襲

 今回の山津波発生源は、ヒマラヤのランタンリルン峰(高さ7200m)の北側のようだ。標高5,200mあたりで起きた巨岩の崩壊がもとになり、急峻な谷沿いに氷や岩や土砂を巻き込みつつ、標高差4,500メートル以上を猛スピードで一気に駆け下った氷と岩の泥流は、20~70キロ以上先まで集落や道路、橋、国境検問所、水力発電施設を丸ごと飲み込み、寸断、破壊、流失させた。

 発生の翌日からネット上には現地山津波動画が次々と掲載されてきた。わたしはTVを持たないからPCのFB(FaceBook)、YT(YouTube)、Xなどを一日中見て過ごした。それは2011年の東日本震災で東北地方海岸部が津波に襲われる動画を見た日々を思い出させた。



 その発生源あたりをグーグルアースで見ると、どこもかしこも同じような氷河と急峻山岳だから、今後も同じようなことが起きるに違いない。 日本列島が周囲の海からの津波の危険にさらされているように、ネパールは北のヒマラヤからの山津波の危険にさらされている。 

 上の山津波が駆け下ったルートの下流部と、2011年のわたしのネパール旅行ルートの一部は重なっているようだ。あのカトマンヅからポカラへのバス旅で見たいくつかの街と道と川や橋はどうなったのだろうか。
2011年ネパール旅行行程図 カトマンズ・ポカラ・ルンビニ400キロバス旅

2026年8月26日山津波発生源あたり ランタンリルン google earth

●巨大土石流の破壊エネルギーに圧倒
 
 そして巨大な暴れ龍のように流れ下り、建築も橋梁も消滅させるほどの猛威を振るう土石流を見ていて、その破壊エネルギーに圧倒された。このエネルギーはどこから湧き出すものだろうか。昔々に中学校あたり教わった「位置のエネルギー」というものだろうか。

 この位置のエネルギーを電力エネルギーに変換する仕掛けが水力発電所だろう。ということは、ネパールには実は超豊富なエネルギーを潜在させていることになる。石油とどう比較できるのかわからないが、あの最貧国は実はエネルギー長者国なんだ、う~む。
  
 2011年にネパールに行ったときに、上記のように停電が常態だった。日本語学校の社会人生徒たちと食事する機会があった時に聞いた話がある。ネパールには川は多くあるが、発電所が少ない、その重要な理由の一つに、どの河川もその下流はインドに流れ込むが、そのインドに水利権を抑えられていて発電所設置が難しいからという。歴史的な何かあるのだろう。

 せっかくの巨大な位置のエネルギーという資源を抱えながら、それが破壊に使われるままとは、あまりにもったいなさすぎる、何とか利用できぬか。YOUTUBE動画でその凄まじい破壊風景を繰り返し見つつ、またランタンヒマールの様相をグーグルアースで探検しつつ、こんなことを思った。

 もちろん素人考えに過ぎないが、水をインドに垂れ流しのままとは、なんとももったいない。ネパールに有り余る自然のエネルギー資源を、人間の動力エネルギーに変化して使う能力はありそうなものだろうに。技術はあるが資金がないのかしら。

●ヒンズー教の火葬寺院

 さてネパールでもチベットでも多くの死者があるらしい。それで思い出したのが、ネパール旅行で立ち寄ったカトマンヅのパシュパチナート寺院である。ネパールのヒンヅー教徒はこの寺院の川辺に並ぶ火葬場で死者を灰にして、そのバグマティ川に流すのだそうだ。今はその煙が立ち込めているだろうか。合掌

ネパール パシュパチナート寺院の野外火葬場 2011年撮影・伊達美徳

パシュパチナートのバグマティ川と火葬場

カトマンヅ市内のバグマティ川(パスパチナートの下流)

 せっかくネパールに来たのだからと、ポカラからヒマラヤの峰々を眺めるサランコットという山の頂上に、早朝にやってきた。その雄大な峰々の夜明けを眺めてきた。その時は考えもしなかったが、今起きている巨大山津波は、これの右のほうにも連なるヒマラヤから起因するものだ。
ポカラから見るヒマラヤ 左からダウラギリ・アンナプルナ・マチャプチャレ
  
サランコットからヒマラヤ展望 あの山々は巨大なエネルギー源か

 その巨大さは、ポカラの街から雪の山脈を見上げると、首が痛くなるほどにも近く高いものだった。あいにくタイミングが悪くて、ヒマラヤ、エベレストを遊覧飛行に乗れなかったのが残念だった。あの高みから氷と岩と泥水に襲われたら、逃げようがほとんどないと思うのである。

(2026/09/03記)
ーーこのブログの関連記事ーー
◎2011/04/12・412・地震大国ネパールのカトマンヅ盆地には…
◎【ネパール風土探訪
カトマンズ・ポカラ・ルンビニ400kmバス旅2011(冊子pdf

◎ネパール:フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」(2012.01)

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2025/01/18

1863【大地震記憶】阪神淡路・中越・東日本・奥能登の大震災現地そして幼少期の大震災記憶

 これまで88年もの長い人生でありながら、幸いにして南キャリフォニアのような大火災にも、能登のような大地震にも直接に被災したことは無く過ごしてきた。これからどれほど生きるかわからぬが、大災害に合わない保証はない。できればそんな体験の無いまま今のうちに、この世からおさらばしたいものだ。

●阪神淡路大震災の現場へ

 昨日、2025年1月17日は、あの1995年阪神淡路大震災からちょうど30年目の日であった。わたしはそのような時間と事件とを結びつけて記憶するのは良いとしても、それから10年目とか30年目とかに特別な意味があるとは思えない。身内の死を何年忌とか言って覚えるのと同じかもしれない。わたしはあまりその記念日に興味はないが、事のついでにこれまでに出会った直接間接の地震について、まとめて書きとめておこうおこう。

 1995年の阪神淡路大震災は、長い人生でも飛び切り記憶に刻まれれている。自身が体験したのではないが、幼いころから比較的よく知っている大阪神戸あたりがどうなったか、どうなるのか大いに気になったので、関東住まいであったが仕事で関西に出かける度に、都合つけて神戸を何度も見に行ったものだった。もちろんそれには都市計画家としての興味が一番大きな動機だった。

 1月17日からTV映像を見続けて、すぐに行きたかったが支援する勇気はなくて、見学にゆっくには交通機関が通じてからと思っていて、3月4日になってようやく三宮に入ることができた。

 そこから破壊しつくされた街々を歩き歩きめぐった。何回も何日も見にいった。西は明石、東は芦屋まで歩きに歩いたものだった。カラー写真を何本も使って写真を撮り、スライドに残していた。今や一部をデジタルデータにしてPCに入れたほかは、最近になりすべて終活破棄した。30年とはそういう時間である。

 この地震は、最大震度7、死者・行方不明者6,437人であった。このときは何も復興支援にかかわることは無かったが、とにかくこの目で見ないと災害についてはわからないことばかりであると、心底知ったのが収穫であったと言える。

 以下は初めて神戸に入った1995年3月4日から5日にかけての写真のほんの一部。



 



●中越大震災の現場へ
 
 その次の地震災害地に入った体験は、2004年10月の新潟県中越大震災であった。このころわたしはNPO日本都市計画家協会の事務局長をしており、協会としての震災復興支援活動を行うことになった。
 この中越震災復興現場のひとつである長岡市の法末(ほっせ)という山村集落に、わたしもNPO仲間たち十数人のメンバーと頻繁に通うことになる。10年ほども続く長い支援活動がはじまり、初めは毎週末には泊りがけで通ったものだった。

 私的には豪雪の地域の生活に大いに驚いたものだった。生まれ育った山陽の地はめったに積雪はないし、その後に住んだ関東も同じようなものだったから、全く知らなかった北国の暮らしを知って、本業の都市計画に大いに役立った。

 復興支援とはいったい何だろうかと迷いつついろいろなことをした。要はその小さな被災山村を持続するための多様な活動だったが、人口減少がどこでも起きている日本で、これが果たして成功したのだろうか。






 美しい集落は復興したが、定住人口は減っている。減るとこの山村を支える農業者が減ることになる。生活圏としての山村は、元の緑の自然にもそどっていくばかりである。
 ひとつだけ成功と思うことは復興支援活動仲間の一人が、その山村に住み着いて農民となり、耕作放棄される棚田を引き付けて、美味い米つくりをしていることだ。
 その間のことをわたしの「まちもり通信サイト」の「法末集落復興日録」に載せている。

●東日本大震災の現場へ

 次の大災害現場は、2011年東日本大震災の東北地方であった。地震動災害に加えて津波災害、さらに加えて原子力発電所事故による核毒災害という三重苦巨大災害である。わたしはもう支援に加わる体力はなく、NPO日本都市計画家協会の一員として、何回か災害現場視察企画に参加して訪れ、人間と自然との対応にあれこれと思いをいたすばかりであった。

 それらについては、「まちもり通信サイト」の「災害日本オロオロ日録」に載せている。

地震災害に加えて核毒でゴーストタウンになった富岡町


津波と核毒に襲われた浪江町の漁港の街の廃墟の陸上のあちこちに漁船が

除染という核毒集塵掃除作業の結果は膨大な核毒ゴミ黒袋の山

浪江の村のどこもかしこも核毒汚染された田畑の一番豊かな土をはぎ取る

 特に福島第1発電所の原子炉の事故による巨大災害には、心底驚き、あきれるばかりのことばかりである。広範囲に核毒を振り撒いて国土を取り戻しようがないほどの汚染するという大事件である。今それから14年がたつのに、もはや忘れたように核発電所が、列島おあちこちに生き返りつつある。その後の処理がいまだに完了しないのに、忘れたとはどういうことだろうか。

●かつて訪れた能登半島地震の現場の今は?

 さて現在の地震災害主役は2024年能登半島地震であるが、もうわたしは現地を訪ねる気力も体力もない。2004年に訪ね巡ったあの奥能登の地は、今どうなっているのだろうか。
 じつは個人的には2004年の中越地震による大きな揺れを、偶然にも比較的近くの奥能登で身をもって体験したのであった。その地は輪島であったが、そこはまさに昨年2024年元日の能登半島大地震の地である。

 この能登半島で中越地震に遭遇したときのことはこのブログに載せているので、一部引用する。 
ガタガタみしみしとゆれる、地震だ、大きい。余震もきた。
2004年の奥能登ウォーキングコース
能登半島の輪島市の郊外、漁村集落の民宿について、やれやれと一休みしていた。大きな木造2階家は、古くて客が歩くとみしみしがたがた足音がする。音だけではなくてゆれたので、これは地震だ。コンクリ長屋の上のほうでユルユル揺れるのとは違う、ナツカシイゆれ方だ 
囲炉裏部屋のテレビを見ていると、震源は新潟といいつつ、しだいに被害が広がるのが分かる。能登は震度4だった。外では防災無線放送が津波の心配はないと言っている。
2004年10月23日夕刻から始まった中越地震に、こうして旅先で出会ったのだった。この旅は、わが大学同期の翁12人が、能登空港を起終点にして奥能登をひとまわりする120キロの行程を、5日間かけて歩きとおす企画である。
           (全文は『奥能登100キロウォーク』参照のこと)

 わたしが今も所属だけしているNPO日本都市計画家協会は、この能登半島震災復興のために、門前町に入っているようだ。わたしの奥能登の旅ではその街の黒島で一泊した。あの伝建地区の街並みどうなっているのだろうか。

●幼少期の大地震記憶

 ところで私の震災に関する記憶で最も古いものは、1943年9月の鳥取地震であるらしい。幼少時に揺れた記憶は一つしかないからこれであろう。わたしは7歳の時である。
 鳥取県の南隣の岡山県の高梁盆地で少年時代を過ごした。家が揺れるばかりか、周りの巨木もゆさゆさと揺れて倒れ掛かるのかと、怖かった記憶がある。わたしの生家は丘の中腹にある神社の森の中であったから、境内には巨木が立ち並んでいたのだ。
 それ以後でも、台風の時などは、巨木が揺れて枝が折れて落ちてくることはしょっちゅうで、森の中に住むのは平素の見た様子とは大いに違って、けっこう怖いのであった。

 その次の地震の記憶は、1948年の福井地震であった。新聞に載った百貨店建物の被災写真に強い記憶がある。
 また別の記憶につよい地震に関する新聞写真は、コンクリート中層共同住宅建築が横倒しになった悲惨な光景であるがいつのことか思い出せない。ネットを探したらあった、意外に最近で1964年の新潟地震であった。

 1957年からわたしは関東に住むようになったのだが、こちらは生まれた西の地と違ってずいぶん地震が多い地域であると思ったものだ。しょっちゅう体感地震があり、2年くらい離れなくてその度に怖くて胸がドキドキしたものだった。そのうちに慣れた。


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2025/01/13

1861【LA大火事】森林から都市へ拡大した大火災の原因に異常気象があるとすれば他人事ではない

 


 ロス・アンゼルスで高級住宅地が大火事だそうである。7日発生から今日(20250113)現在も燃え続けていて、東京山手線内面積の倍以上も燃えたとのこと。
 データ的には、被災面積160平方キロメートル、死者16人、被災建物は1万棟以上、避難の指示や警告の対象になっている住民はあわせて30万人だそうだ。
 これでは山火事とはもう言えなくて、都市火災というべきだろう。

 昨夜はPCのSNS(youtubeとX)でいくつもの現地中継(LIVE)を見続けた。特に空中からの現場の火災進行実況は、まったくもって凄い、怖い、酷いものである。

 これはまるで炎の津波である。裏山から炎の横列の津波が下って襲い来るのを、なすすべもなく見る住民の気持ちを思うとやり切れない。ということは、あの大津波の時の沿岸の人々の気持ちもそうだったのだ。大自然からの攻撃に人間はなすすべもない。



 燃え広がる炎の空中写真を見ていて、ちょっと気になったのは、全く別の場所が何か所も燃えていることだ。飛び火とみるのは遠すぎる。同じ条件化なら自然発火するところが何か所もあるのか、あるいはいくつかは人為的な発火かとも思えるのだ。


 SNSには例のごとくに、陰謀論はもちろん、被災画像に人種差別的コメントとか、AI製の偽画像とか、怪しい書き込みがある。
 そんな妙なときにトランプは政権に就くのだが、どうするのだろうかと思っていたら、さっそくに民主党知事の失策だと言っているらしい。困った人だ。USAは大丈夫か。

 なぜこれほどに火災が拡大するのか。日本でも近年では2024年元日の能登輪島の朝市通りとか、2016年の糸魚川大火とかあるが、LAほどの大規模ではない。USAの住宅地の住宅の建て方(材料とか防火対策)とか、住宅地の都市計画(山林と住宅地の配置)とかに原因があるような気がするが、正確なところはわからない。

燃え尽くした山と住宅地

 LAの郊外には広大な住宅地がとめどもなく広がっている。まさに自動車社会の国である。緑に覆われた広い宅地に大きな住宅が、たぶん木造でびっしりと建てられている。燃えた跡の住宅地のあまりにもひどさに驚くしかない。画一的に作られた住宅地らしいが、全く画一的に廃墟になっているのが痛ましい。

 この森林火災の拡大から大規模都市火災への展開の原因を言う識者によれば、近年の異常気象によって森林が燃えやすい条件になっていたとのとこと。それが分かっているなら、森林火災拡大防止対策を取り入れた居住地づくりの都市計画があってもよいはずだ。


 例えば、延焼拡大防止のために、広い幅の空地の延焼防止帯を設けることが有効だろう。しかし、この写真に見るように、LAの郊外住宅地開発は野放図に森林を侵食している。特にキャリフォニアにおける乾季の山火事騒動は、毎年のことだからとっくに分かっていたはずだ。

ここは被災地ではないが広大な郊外住宅地が山を切り開いてい広がる

 そもそも森林地帯で人間が住むようなところじゃなかったのに、無理やり開発したのである。人がいなければどんなに森林が燃えても災害とは言わないだろう。
 そんなところに住み込んだ人間に、自然が土地を返せと迫っているのが、この大火災かもしれない。

 異常気象がこの大災害の原因ならば、日本列島も同じようなことが起きないとは限らない。太平洋を挟んだ対岸の火事ではなくなる。
 特に人口が減少しつつある郊外住宅地や地方小都市では、いったん燃え広がるとそれを止める人手がないから、拡大するばかりになるおそれは十分にある。
日本の都市の郊外住宅地開発も似たようなものだ

 コロナ禍は終わるらしいが、異常気象禍は今後ともつのるばかりのようだ。このところあちこちで戦争が多いのも、異常気象が人間の生存本能を掻き立てている現象かもしれない。右傾化する世界、強権国家の出現はまさにそうだろう。
 なんとも嫌な時代に生きることになったものだ。

 (2025/01/13記)

(2025/01/14追記)14日朝のNHK報道では、死者は24人に増え、避難指示や警告対象住民数は、ピーク時には30万人以上だったが、13日時点では18万人余りに減少。一方、LA近郊では14日早朝から15日正午ごろまでは「特に危険な状況」に風が強まるとのこと。

2025/03/05追記)他人事ではないと書いたら、まさに今、日本列島でも山林火災が燃え
広がる事件が起きている。岩手県大船渡市で2月26日に起きた山林の火事は、その後どんどん燃え広がっていて、いまだに消火できていないそうだ。なんとまあ、これまでに2900ヘクタールも燃えて、住宅78棟が焼失したそうだ。他人事ではない。キャリフォニアLA火災に比べるとその10分の1くらいの面積だが、国土の規模が違うから同様のレベルだろう。

大船渡市の山林火災(2025年3月5日読売新聞より)

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2024/09/01

1834【ようやく秋】猛暑や豪雨が毎年だから今や異常気象じゃなくてこれが普通かも、戦争もこれが普通かも

 今日から2024年9月、停滞のろのろ台風でこの数日は雨続き、おかげで涼しくなって、秋の気分だ。例年になく暑い夏と言っていたが、やはり秋は来るものだ。そして水害という災害も毎年のようにちゃんと来るものだ。異常気象が異常でなくなる時とは、災害も暑さも例年通の過酷現象になったときだろう。いつも異常だと異常とは言えなくなるからだ。

●異常気象が普通になる

 コメが食品店から消えてもう何日になるだろうか。これも異常気象のせいだろうか。しょうがないから三食を麺かパンか外食に頼る毎日だ。
 米を買えない現象はいつだったか大不作の年があって、タイから緊急輸入したのだった。今年はどうなんだろうか。農水省がコメの作柄を発表している。不作でもなさそうだからもうちょっとの辛抱か。


 このコメの状況のマップを見て思ったのは、コメは熱帯植物とばかり思っていたら、北海道や東北の方が育ちがよいらしく、冷温帯の植物に変化していることだ。
 これはコメの品種改良によるのだろうが、それよりも気になるのは、暑い日々が続く異常気象が定着して、コメも南方よりも北方の方が育ちやすくなっているのだろう。南方の昆虫や魚が来たのちや海でみられると同じことで、稲も次第に北上しているのだ。
 念の為2016年の同じマップ(右)を見たら、ほぼ傾向は同じだから、もうずっと前から本州中四国はもとより北海道も熱帯に近くなっているらしい。

●コロナは今や第11波だが

 異常気象が異常じゃなくなれば、新型コロナ禍も普及してしまって、いまや異常ではなくなるほどにも定着してきたのかもしれない。5年前の当初から数えると感染の流行の山は今や第11波だそうだ。こうも何度もやってくると異常ではなくて普通のことに思ってしまうのももっともだ。マスクもつけなくてもいいや、飲み会やって大声でしゃべりあってもいいや、なんて思う。

 2020年初からのコロナ来襲で、人々との出会い制限が特に老人には強烈にはたらき、社会的ネットワークが次々となくなってきた。これに加えて2021年から家人への介護が始まり、コロナ禍と老々介護が重なってくるともう身動きとれない日々であった。辛かった。

 今コロナ禍はほぼなくなり、家人の介護も7月末に終了し、5年ぶりに獄外に出て自由な日々を謳歌してよい日々が来た。ただし、その間にわたしに老いを確実に重ねてもいたのであった。いったん切れた社会的ネットワークはおいてしまうともう元には戻らないし、身体の老化も不可逆である。この最晩年という貴重な日々を失ったのは、大きなショックであった。

●プーチン戦争は泥沼化して続く

 そして今のもう一つの大きな悩みは、s無所の地球の争いと分断である。プーチン戦争については報道メディアのニュースは小さくなってきたが、コロナのように終息が見えてきたのではなく、むしろロシア本土攻撃へとウクライナは戦争拡大の様子である。

 これは泥沼戦争なのか、かつてに日本軍がチャイナへと攻め入った日中戦争と同じかどうか知らぬが、日本の軍部が当初考えていた短期終結が泥沼化したようなことを、今はプーチンがやっているのだろうか。
 クリミア半島は朝鮮半島であり、東南部諸州は満州のようなものか。日本の失敗の歴史的教訓をプーチンに教えてはどうか、なんて思う。いや、もっと近い時代にもベトナム戦争とか9・11復讐アフガン戦争におけるUSAの泥沼敗退の歴史もあるよなあ。
 
 気候はどんどん悪くなるし、戦争はあちこちでやまないし、USAトップ選挙に代表されるような人間社会の分断は地球上のあちこちで起きているし、わが身は老いに迫られているし、全くろくでもない時代に生きてるものだ。もしかしたら、異常気象が定着して異常といえなくなるように、戦争も定着してこれが人間の普通の地球というようになる時代が来る、いやもう来ているのかもしれない。と、慨嘆しきりの日々である。
(20240901記)
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2024/04/18

1812【豊後水道で地震】東京湾内に現存する原子力発電戦艦で近未来の関東大震災は超悲惨

 

東京湾内にある巨大核発電所

また地震だ、また核発電施設がある、困った日本列島だ。
 

2024年4月17日南予で震度6弱の地震発生 伊方は?

 ●伊方原発の近くで大地震

 昨夜、もう寝ようかなと思ったとたんに、ラジオから聞いたことのある不穏な心を掻き立てる音、チャランチャランチャラン緊急地震速報です緊急地震速報です!!
 眠気が突然去ってしまい聞き続けて、南予だって、え~?、あの辺りにはまた核発電所があったなあ、なんて言ったっけなあ、なんてうつらうつら深夜の時報を聞いたあたりで眠ったようだ。

 朝起きて新聞みればまだ書いてない。ネットを見れば、右のようにたくさん登場する。書き方がいろいろあって興味深い。大きな被害はなかったらしいとはわかるが、気になったのは、核発電所の伊方原発についての表現である。先般の能登半島地震での志賀核発電所(わざと原発といわないのだ)のことがあるから気になる。

 「問題ない、安全だ」から「事故があって発電能力が下がった」まで、各様である。能登と違って運転していたが、一部事故で出力が下がったまま発電を続けている様子である。「だから安心しろ」とその筋は言っているらしい。それは事故ではないのかしら?

 でもねえ、地震あるたびに核発電施設の心配をしなけりゃならない現実は、その心配する人間が自ら作ったものである。地震に伴って起こる津波や山崩れの自然災害ではないのだ。心配当事者が自ら作り出した心配であるところがおおきな問題である。そしてこの災害原因を除去することをしないままに過ごしていることが、さらに大きな問題である。いや、しないままどころか、もっと心配の種を増やそうとしているのだから、困ったものである。

 ハザードマップには核発電施設の存在が書いてあるのだろうか。洪水とか津波とか火山噴火とかと並んで書いてあるのだろうか?、もしも書いてないとしたら、大失態である。すぐに核発電所とか核のゴミのような核物質関係施設も重要なハザードとしておくべきだろう。

●東京湾内に現存する核発電施設

 さらに核兵器も書き込むべきだ。え、日本には核兵器はないハズと言うかもしれないが、いや、れっきとした核兵器があるのだ。神奈川県横須賀市のUSA ARMY BASE(米軍基地)の核発電施設を載せた巨大軍艦の空母ジョージワシントンは立派な兵器であり、これの動力は核発電が搭載されている。これが核兵器でなくて何であろう。

 もしも東京湾に巨大津波が押し寄せてきたら、巨大な航空母艦は核発電所を抱えたまま東京湾をさかのぼって、横浜川崎東京を襲うに違いない。それは3・11で東北地方の各海岸部に船が陸に上がった風景を見たのが、ここでは核発電所が陸に上がるのである。どんな事故が起こるか想像すると、身の毛もよだつことだ。関東南部は壊滅するに違いない。


 そうならば、わたしの住む横浜のハザードマップには、横須賀港にあるUSA軍の空母と潜水艦などの核発電施設がハザードとして書いてあるはずだ。そう、書いてあるに違いない。

●第2次関東大震災で東日本壊滅

 神奈川県のサイトには、下記のようなページがある。これは「防災。緊急情報」とあるから、怖いことなのである。今ここに大地震・大津波が来たらどうなるのだろうか?
神奈川県の「米原子力艦寄港情報」ページhttps://www.pref.kanagawa.jp/docs/bz3/cnt/f417274/index.html

 航空母艦は令和5年11月19日から(っていつのこと?、去年かな)潜水艦は令和6年4月18日から(っていつのこと?、今日かい)、どちらも私の住み街の近くに居座っているようだ。怖い怖い。戦争の道具として怖い震災の拡大原因として怖い、それなのにだれもそれを言わないのは何故かしら?、言っても無駄とあきらめているのか、素人の杞憂か?
これが関東大震災で核発電航空母艦だったら?  3・11岩手県大槌町赤浜

 この次の関東大震災は、これらの核兵器戦艦が津波に乗って東京湾を遡上して、その抱える核発電施設から核毒を関東全体に振りまくにちがいない。超悲惨なことになり、すくなくとも関東、いや東日本は壊滅するだろう。
 わたしにできることは、その前にこの世からさっさと退散することだ。それが唯一にして最も効果のある、そして完璧なる防災対策だ。

(20240418記)

本ブログの関連記事

2008/09/29・045【世相戯評】地震に強いかも原子力発電船https://datey.blogspot.com/2008/09/nuclear-carrier.html

2014/08/10・980福島原発なみの東京湾巨大原発が稼働中https://datey.blogspot.com/2014/08/980.html

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