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2025/02/24

1869【音楽堂でオペラ】能「隅田川」を見る目でモンテヴェルディ「オルフェオ」を見た

  久し振りにオペラを見に行った。横浜にある県立音楽堂、17世紀初めに初演というモンテヴェルディ「オルフェオ」である。世界で初めてに近いイタリア作品。

●ヴィチェンツアのテアトルオリンピコ舞台を思い出した

 音楽堂だから舞台が狭いしオーケストラピットもないから、本格的なオペラには向いていない。それでも近頃はプロジェクションマッピングという映像映写技術が発達して、何枚も幕をつかわなくても巨大な背景が変化する舞台効果ができるようになった。

神奈川音楽堂でオルフェオ開演の前 舞台中央に門がひとつ


 今回の舞台装置は、西洋古典様式建築的な門がひとつ、しかも左右も前後も舞台中央部に立っているだけ。舞台装置らしきものは他にはなくて、演技はその門の前の狭い舞台でのみ行った。オーケストラは舞台前の平土間部分に固まっていた。

 その舞台構成を見て、かなり前に訪ねたことがあるイタリアのヴィチェンツアにあるテアトロ・オリンピコという劇場舞台を思い出した。この建築は16世紀末に有名な建築家パラディオの設計作品である。

ヴィチェンツア・テアトル・オリンピコの本格建築物の舞台装置
同上の舞台と客席
 
 この2枚の写真はわたしが1995年に訪ねて撮ったものだが、劇場を見ただけであり、それがどのように使われるのか知らない。舞台上にはこのような中央にゲートがある建築物が建っていて、ゲートの向こうは街並みのように作られている。

 このような本物建築が固定されていて、これを背景に舞台演技を行ったそうだ。舞台そのものの奥行きが意外に浅いのは、まだそのような必要があるオペラの時代がまだ来ていないということであろう。

オルフェオの舞台装置の前と後の舞台が同じくらい奥行き

 この建築背景の中央部のゲート部分だけが建つ舞台、それが今回の「オルフェオ」である。そのゲートと背後の板壁との間もゲート前と同じくらいの舞台奥行きである。舞台背後の壁は木製板壁であり音響反射板であろう。その木目の板壁に直接映像映写していた。門の前の舞台がもう少し広い方がよかったと思う演技だったが、映像映写の都合で門の背後もそれくらいが必要だったのだろうか?

 オペラを好きだがしょっちゅう見に行くには高価なので、我慢して年に2回くらいなものだ。この前に見たオペラはやはりこの音楽堂での「魔笛」だった。今調べたら一昨年の11月のことだった。去年は全く見てなかったのか、ウ~ン、これは高価で行けなかったのではなくて、家人の介護真っ最中だったからなあ。

 オペラよりは安い能(近ごろは高くなって来た)を好んで見に行く。だが去年は見ていないのは横濱能楽堂が修復中で休館していたからだが、いまだに開場していない。開場したころはこちらがあの紅葉坂を昇り降りする体力気力がなくなるだろう。

●日本の能「隅田川」を思い出した

 オルフェオを見ていて、そのストーリーの最も重要なところ、死んだ妻を冥界に訪ねたが、顔を見ただけでまた分かれる第3幕あたりで、能「隅田川」を思い出した。よくにているようなのだ。

 この能は15世紀初めにできているから、「オルフェオ」よりも150年以上も前だ。ついでにこれはすでに言われていることだが、「古事記」にある死んだイザナミを冥界に訪ねたイザナギの話との類似があるが、こちらはもっと古い。洋の東西や時代を問わず、親しかった死者に再開したい人間の気持ちは変わらないというだろうか。

 オルフェオが死んだ妻を求めて、冥界への川を船で渡るために、渡し守との間で乗せろ乗せないのやり取りするところから、オペラの後半第3幕が始まる。そして渡し守の居眠りのすきに川を渡ったオルフェは冥界にいたり、その王から妻を連れ帰る許可を得るのだが、その条件は帰る途中で妻を振り返り見ないこととされ、オルフェオは妻を後に従えてこの世への途に出る。

 しかし、その途上で後ろに本当に妻が後ろについてきているのかと疑念がわいたオルフェオは、妻を見たい願望に負けてしまって振り返る。その瞬間だけ妻の顔を見ることはできたが、約束破りなので冥界の王に妻を取り戻されしまい、ひとり寂しくこの世のトラキアの野に戻る。

 能「隅田川」の主人公は、死んだ子を訪ねる母親である。同じように川を渡って死んだとは知らぬ子を求めるのだ。彼女にとっては実は渡る前の川のこちら側はこの世であり、渡った向こう岸は彼女にとってはいわば冥界であったのだ。

国立能楽堂提供:『能之図(下)』より「能 隅田川」
 そこで子の墓を訪ねあてると、その日がその子の一周忌であるので、近くの人々が大勢集まって、供養の念仏を唱えているのだった。
 母も共に祈ると墓の中から死んだ子がは姿を見せる。だが一瞬だけで消えてしまう。母は「草ぼうぼうとして浅茅が原」の中に立ち尽くすと朝日がさして能は終わる。この母にはオルフェオのような救いの幕はない悲劇である。

 ということで、大筋ではかなりの類似性があり、これは決して牽強付会にはならぬ程度だと、わたしは思うである。そんなことを思いながらオルフェオの第3幕以降を見ていたのだが、比べてみてて能「隅田川」のリアリズムに今更に驚いたのである。

 それにひきかえ、オペラ「オルフェオ」は作者がいったように「音楽寓話劇」そのものである。「隅田川」の母親に救いはないままに悲劇に終わるのだが、オルフェオは悲劇かと思えばまだ先の幕があり、父のアポロによって天国に送られるという無理筋のハッピーエンドである。

 「オルフェオ」よりも150年以上前の「隅田川」の演劇として完成度の高さを感じてしまうのは、筋違いだろうか? もっとも、能には「オルフェオ」に負けない無理筋ハッピーエンドの曲はかなり多い。最後の最後で苦悩する主役が仏に救済される「清経」、「砧」、「鵜飼」など、オルフェがアポロに救済されると同様である。

 ここでもう一度思い直すのだが、「隅田川」は本当に悲劇のままだろうかと。朝日の中にひとり立ち尽くすと見える母は、実はその周りを共に念仏を唱えて供養してくれた大勢の人々に囲まれているはずだ。舞台上でそれは船頭、地謡い方、囃子方、後見の大勢の姿である。

 この地でたまたま行き倒れ死んだ見知らぬ旅人であったその子を、その一周忌に集まって供養をする「このあたりの人々」の親切な心は、悲しみに立ち尽くすその母親をも救済するに違いないと思うのである。見えない第五幕があるのだ。観世元雅の天才を想う。

●これで「オルフェオ」を3度も見た

 特にそのファンでもないが、実はモンテ・ヴェルディ「オルフェオ」を見たのは、これで3回目である。最初は2007年11月17日に北区の「北とぴあ」での公演「オルフェ―オ」(指揮は寺神戸亮)であった。これを見に行ったのは、そのころ能謡を教わっていた能役者の野村四郎さんが、これを演出・出演したので行かねばならなかったからだ。

 そのこ、野村四郎は東京芸大教授であったが、実に積極的に他の分野とのコラボレイションをしていた。能の他流派とはもちろん、オペラ、歌舞伎、文楽、美術などの芸術家たちと新分野の舞台芸術を模索していた。
 参照:野村四郎舞台芸術コラボat東京芸大2003~07

 笠井健一と組んでの野村演出は、もちろん能の様式を生かしていたが、オペラそのものであり、結構面白かった記憶がある。舞台は2階建ての装置で大掛かり、天上界が上にあった。衣装も能装束イメージの興味深いデザインだった。

2008年のオルフェオ公演
 この2007年は、初演から400年にあたるので、各所でこのオペラの公演があった。2008年1月20日、近所の神奈川県立音楽堂でもあったので、もともとはどんなオペラなのか知りたくて見に行った。指揮は今回と同じ濱田芳通であった。そのほかに今回も出演者がいるかとパンフを見たら、彌勒忠史がいた。

 よく覚えてはいないのだが、古楽器演奏者たちは舞台上にいて、狭い舞台には立体的に回廊のようなものが組んであった記憶がある。古楽器の旋律が美しくて、それで今回も同じ楽しみを求めて音楽堂に行ったのであった。美しい音色に癒されて、いってよかった。

 実は次第にわが身の老化が進み、県立音楽堂のような階段客席を歩いて登るしかない劇場には、敬遠するしかなくなりつつあるのだ。その点では、隣の横浜能楽堂が平土間だけで実によろしい。再開場を待ち焦がれている。(2025/02/24記)

 ●参照 YouTube動画による能楽とオペラ鑑賞はこちらへ
・能「隅田川」 ・オペラ「Claudio Monteverdi - L`Orfeo

ーーーこのブログでのオペラや能の関連記事ーーー

趣味の能楽・オペラ等鑑賞記録
https://matchmori.blogspot.com/p/noh.html

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2024/12/07

1854【八十路ZOOM】ネット世界で大流行のズームは超高齢者こそが使いこなすべきかも

●米寿前後仲間とZOOM談義 

 穏やかな冬の日の午後、うちのパソコンに八十路の爺顔が2時間ほど並んでいた。ZOOMというバーチャル宴会である。
 12月6日の午後は大学寮同期仲間十数人が、PC画面に顔を並べてZOOM談義をやった。毎月1回の定例で、午後を2時間ほどあれこれとしゃべりあう。家に居ながら集まることができるという、年寄り向きインタネット遊びである。

 今どきZOOMなんて珍しくもないだろう。だが、わたしたちのような八十路半ば、米寿前後の者ばかりの超高齢者たちがやるの珍しいことらしい。
 これを若い知人に話すと、あまりの年寄り仲間であることに驚かれて、かえってこちらが驚く。なんだかバカにされたような気にもなるのが悔しい。
 そもそも年寄りであることを驚かれたり、歳にして元気ですねと言われるのが、気に食わない。差別である。

●ネット原始人のズーム

 でも、考えてみると確かに自分でも驚くことをやっている。なにしろ、わたしの世代はコンピュータ以前の、今から見ると前世紀原始時代の生まれ育ちであり、しかも大学学生時代さえももそうであったもだから。
 さらに社会に出てからも、コンピュータが日常用具の世界になるには、20年以上はかかった。そんな原始人のわたしたちが、いわば最先端?のズームを使うのは、猿がスマホを使うような驚きだろうか。

 社会に出てからコンピュータに出会うのだが、仕事や趣味でその出会い時期や密度は、人によりかなりの差がある。専門的な知識と言うよりも、興味の対象として面白がるかどうかが、その後にかなり違いを生じるようだ。
 わたしはPCの技術的なことにはあまり興味は持たないが、言語の扱いに大いに興味を持った。だからワードプロセサー初期からキーボードに取り組んだ。

 わたしのZOOM仲間の大学同期たちとの交流の連絡手段は電話から始まったが、21世紀になってEメールを使うようになった。
 これが今やSNS時代になっているのだが、これに移行するのは年寄りたちには面倒くさくて、今もEメールが主要手段である。
 電話は補助的になったが、これもスマートフォンによるインタネット電話になり、とにかく年寄りでも否応なくインタネットにすがらざるを得ない。

 このズームなるものは、年寄りにまことに都合がよい。もう足腰の力や減退して、仲間で集まるのがむつかしくなった頃に、このZOOMなる顔見世通信手段が出てきたのだ。
 ZOOMは老人活性化になるし、移動困難になる高齢者こそ使いこなすとよいはずだ。それが、ちょうどコロナによるZOOM出現と軌を一にしているのが、偶然ながらオカシイ。

 これでもう家にいながら顔合わせでバカ話をやれる。すごいのは日本各地にいる仲間はもちろん、カリフォルニア在住の仲間も参加できていることだ。
 その頻度が月に1回だが、かつて電話時代には半年に1回がせいぜいだった出会いと比較すると、格段に親密度が増してきた。これはコロナがもたらした効用である。

ズームは年寄りにぴったりか

 その一方で、家にいながらなのに、ネットの談議にどうしても乗ることができない者が次第に増えてくるのは。年寄りとして仕方がない。たとえPC画面越しでも、年齢相応に面と向かって会話するには、あれこれ故障が出てくる。この世から消えた仲間もいる。そうやって不参加者が増えてくる。

 実はわたしは最近はちょくちょく単語を忘れる。脳内にはその姿かたちは描いているのだが、言葉にするのにちょっと考えることがある。これは脳の老化のせいだろう。
 他人に迷惑かもとZOOMで話しだすのを躊躇する。途中で出てこないと誤魔化すから、つい話がそれる。

 もっと怖いのは、老人お得意の居眠りである。長時間PCを見ていると目はしょぼしょぼするし、そのうちにZOOM中に眠りこけてしまい、目を覚ますとPCに寄りかかっているかもしれない。まあ、お互いさまか、、そこで狂歌一首。

言葉つっかえ目はしょぼしょぼに居眠り
行方も知れぬ米寿のズーム

 さて、このZOOMという老人遊びが、いつまで続くだろうか。誰かがいなくなっても気が付かないままに、だらだら毎月開催しつつ、そのうちに自然消滅かしら、それもまたよし。
 海の向こうから参加できるなら、あの世からも参加できるかとも思うが、去年逝ったやつも3年前に逝ったやつも顔出さないあなあ。

(2024/12/07記)

このブログで関連記事
2023/11/12:1737【老いとネット
https://datey.blogspot.com/2023/11/1737.html

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2024/12/03

1852【今年の新語流行語】知っているのは候補30中7語、トップテン中の2語のみ

 毎年暮れが来るとどこかから出てくる「今年の新語流行語」なるもの、だれがどうやって選ぶのか知らない。でも毎年、わたしが知っているそれらを数えて、どれだけ世間から遠くなりつつあるかを測定するのである。

 今年2024年のそれがは発表された。また世間が遠くなっている。

わたしが認知する今年の新語流行語印:知っている、×印:知らない)

 候補の言葉と結果を見ると、わたしが知っている言葉のあまりの少なさに、愕然とすることには、毎年のことでもうとっくに飽き飽きしている。
 まず、ノミネートされた言葉30語中で、知る言葉は7語のみであった。これをこれまでの成績と並べてみよう。
  2024年:7(23%)、2023年:15(50%)、2022年:11(37%)、
  2021年:11(37%)、2020年:21(67%)、2019年:12(40%)、
  2018年:15(50%)
 今年のわたしの新語流行語認知度は、これまでで最低であるのはどうしたことか。その原因はわかっているのだ、そう、認知度が下がるとはつまり文字通り今年から認知症にかかったに違いない、トホホ。もう覚悟したからいいのだ。
 
 さて、新語流行語トップテンの内で私が知る言葉はたったの2語である。それは私がオカシイのか、それとも、これらを選ぶ選考委員(がいるのだろう)がオカシイのか、まあ、どちらでもよろしい。
 もっとも、最初から分かっている私の新語流行語認知度の低さの根本的な原因は、TVを全く見ないからである。つまりこの新語流行語とは、TV新語流行語なのである。
 それが証拠には、ネットの世界であれほど毀誉褒貶まみれの新語流行語が、このランキングにはないのだ。それは折田楓である。これこそふさわしい低俗性と政治性を備えた新語流行語だと思うけど、違うの??

ーーーこのブログの関連記事ーーー
2023/11/03・1728【今年の新語流行語候補
TVを全く見ない老人でもこれくらいは珍語流行語を知っているhttps://datey.blogspot.com/2023/12/1754.html

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2024/02/14

1792【カリフォルニアの歌詠み】アリゾナの動くものなき荒野なる大岩割って初日登り来

  短歌を詠むのが今の流行らしい。わたしは短歌を詠むことはめったにしないが、狂歌をちょくちょく詠む。形式は短歌と同じだが、狂歌はダジャレと皮肉で時代を風刺するものと心得ている。

 短歌を読むことを好きである。各新聞が歌壇を設けて、読者の投稿欄としている。毎日曜日朝刊に載る「朝日歌壇」を読む。この2月11日の朝日歌壇に、知人が2首入選している。この人はちょくちょく入選する。

 まず、馬場あき子と高野公彦の二人の選者にダブル入選歌。

  動くものなきアリゾナの荒野なる大岩割って初日登り来
                 (アメリカ)大竹幾久子

 もう一首は永和弘選。

  戦禍にて生後三日で逝きし子のたった三日も人生とよぶのか
                 (アメリカ)大竹幾久子

 短歌は詠み人の口から出たら最後、その人の作品であってももう誰でもそれぞれの自己流の解釈で自由に読んでよいだろう。それが短歌を読む側の楽しみである。

 この二つの大竹幾久子作短歌を、わたし流に自由に読むことにする。それには前提がある。この作者が日本出身の人であり、今はUSAに市民権を得てカリフォルニア州に住んでいることだ。初日の歌のアリゾナは彼女の東隣の州である。その北にはネバダ州がある。

 「動くものなきアリゾナの・・」と初句と二句を七五としているが、普通なら「アリゾナの動くものなき・・」と五七順に並べるだろう(このブログ記事のタイトルのように)。この方がすらすらと読めるのに、この歌の破調は何を意味するのか、歌人の意図を勝手に考えて遊ぶ。

 アリゾナの北隣のネバダには核爆弾実験場があり、そこでは巨大爆発の火の球が、まるで太陽のように輝き、キノコ雲を天にめり込ませ、地を割って生じた大量の猛毒の放射性物質を、ネバダにはもちろん隣のアリゾナにもまき散らし降らせた。

 この歌が破調で揺らぐのは、このアリゾナの初日の出も核実験の巨大火の玉の暗喩と読むこちらの心だろう。歌人はそこを狙ったのかどうか知らない。かつて核実験初期には、このあたりの住民は、まるで遠花火を眺める如くに、核爆発火の玉やキノコ雲見物をしたそうだ。もちろんそれによる後遺症が続出したはずだ。

 そしてまたその暗喩が重要なことは、この歌人が1945年の広島で人類最初の戦争下の核爆弾を被爆している人であることだ。揺らぎつつ大地を割って昇りくる初日の出は、ヒロシマにもつながる火の玉かもしれないと、この歌人は詠んだのかと、勝手に深読みして遊べば、おめでたくない不吉な初日の出になるのだ。

 この歌人はその不吉さを詠んだとしたなら、もう一つの永田選の「戦禍にて・・・」の、たった三日の人生の赤子は、もしも生きながらえたとしても、核の火の玉のもとで逝く運命だったかもしれぬと、歌人は言外に詠んだのかも知れぬと、深読みをして遊ぶのだ。どこか不吉な遊びだ。

 このブログで大竹幾久子さんの歌について書いた記事は多い。その夫君と実兄がわたしの大学以来の畏友であるという縁がある。
●2011/09/26・カリフォルニア歌人…
   https://datey.blogspot.com/2011/09/500.html
●2012/07/31・日本人は5度目の…
   https://datey.blogspot.com/2012/07/648.html
●2012/11/12・原発事故調報告を読んだ… 
   https://datey.blogspot.com/2012/11/688.html
●2013/01/07・カリフォルニア歌人…
   https://datey.blogspot.com/2013/01/705.html
●2013/12/23・カリフォルニア閨秀歌人…
   https://datey.blogspot.com/2013/12/879.html
●2015/10/18・いまなお原爆と向き合っ…
   https://datey.blogspot.com/2015/10/1134.html
●2018/08/12・カリフォルニア夫婦歌人…
   https://datey.blogspot.com/2018/08/1156.html
●2018/12/23・カリフォルニアの旧友…
   https://datey.blogspot.com/2018/12/1175.html
●2019/03/03・カリフォルニア歌人登場…
        https://datey.blogspot.com/2019/03/1191.html
●2019/08/11・戦争の八月広島核爆弾…
   https://datey.blogspot.com/2019/08/1414.html
●2020/06/15・コロナ世界探検…
   https://datey.blogspot.com/2020/06/1469.html
●2022/10/03・朝日歌壇の歌人】カリフォルニア夫婦歌人
   https://datey.blogspot.com/2022/10/1549.html
●2024/02/14・アリゾナの動くものなき
   https://datey.blogspot.com/2024/02/1792.html

(20240214記)

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2023/11/28

1751【Yahoo!LINEかよ~】LINEの裸淫とヤフーのヤプーとがつながって奇書が取り持つ縁かいな

 このブログに今月の初めにも採り上げた【LINE裸淫】についてまた書く。どうでもよいのにヒマだねえ。


 これについてはこのブログでずいぶん前から何度か面白がって指摘しているのだが(初出は2018年のコレ)、かいつまんで書くとこうだ。
 そのLINE発音の日本語イントネーションが、英語式ではなくて日本式「ハダカでミダラ」であるのを奇妙に思いオチョクリ面白がっていたところ、何故か使えなくなったので復活する操作が面倒なので、裸も淫も卒業したからもういいやと、全部アンインストールしたという話であった。

 さて、今日の新聞に「ライン情報44万件流出』との大見出し、使っていないから記事内容には興味がないのだが、「IT大手のLINEヤフー」と企業名が書いてるのに気が付いた。


 え、そうだったのか、ヤフーとラインは繋がっていたのか、知らなかった。これでまたオチョクリ種が増えたのが嬉しい。裸にして淫だからヤーにつながるのか、なるほど、。

  IT起業の「Yahoo!」の名を知ったのはいつだったか覚えていないが、「家畜人ヤプー」よりもはるか後だったことは確かだ。なる企業名を初めて見た時に、変な名前を付けるものだ、あの奇書「家畜人ヤ」から採ってきたのか、奇人が社長かしら、どんな人だろうと思った。日本法人のトップは孫正義だったから、この人が奇人かと思った。

 後にヤフーは外国企業と知ったので、奇書がもとではないと分かったが、日本企業としてはヤフーのままでよいのかなあと思っていた。それからヤフーが検索サイトなどでぐいぐいと伸びてきて、一時わたしもヤフーメールを使っていたこともあった。が結びつけられて語られたとは聞いたことがない。世間ではマイナーな奇書だったのか。

 しかしわたしはヤフーのネットサイトデザインが広告だらけで、実に汚らしいのでヤフーを嫌になった。そのうちにグーグルの方がサイトデザインがすっきりしていることに気が付いて、今ではそちらに乗り換えてヤフーとは縁が切れている。今も汚らしいようだ。

 さて、これをここまで読んで、「家畜人ヤプー」なる奇書をご存知ないお方にはちんぷんかんぷんであろう。今ではネット検索すればすぐ分るからここで解説しない。私がその奇書を読んだのは角川文庫本になってからずいぶんたった頃だから、1970年代後半だったか。

 あまり昔なのでもう内容をほとんどを忘れたが、寺山修司や澁澤龍彦が激賞するほどのSF、SM、エロ、グロ、冒険など満載の奇書であった。そのヤーイメージでヤーなる企業名に出会ったものだから、奇妙な偏見にとらわれたのであった。

 今調べたら「Yhoo!」の創設者によるネーミングの元は、スウィフト作「ガリバー旅行記」に出てくる野獣の名だと出てくる(Wikipedia)。そう言えばそうだ、朝日新聞にガリバー旅行記の新訳が連載されたのは5年ほど前だったろうか、「馬の国」でガリバーは「ヤフー」という退化した人間に出会う。ヤフーは理性ある馬「フイヌム」たちにこき使われれていた。

ガリバー旅行記 フィヌムとヤプー

 ガリバー旅行記はよくできた風刺小説であり、その時代としては一種の奇書だっただろう。そして「家畜人ヤプー」は、この元祖奇書がはるか後世に産み出した奇書であろう。
 やはり「YAhoo!」と「家畜人ヤプー」はガリバーを通じてつながっており、ヤフーは資本を通じて「LINE」とつながり、牽強付会で「裸淫」とつながり、メデタシメデタシ。

 ここで歴史的経緯(というほどではないが)をまとめておく。
 ・1735年 スウィフト「ガリバー旅行記」完全版の出版
 ・1956年 沼正三「家畜人ヤプー」が「奇譚クラブ」に初出現
 ・1996年 IT企業「ヤフー」設立
 ・2011年 SNS「LINE」出現
 ・2018年 まちもり散人 ブログ「伊達の眼鏡」で「LINE裸淫説」初出
 ・2023年 ヤフーとLINEが結びついた 

 というまことにもってどうでもよい話である。

(20231128記)

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2023/11/20

1744 【まだやってる紅白歌合戦】TV見ぬ老人でも名だけ知る歌手10人、いまに紅青白歌合戦になるか

 個人的にはなにも感じないが、クリスマスとか年末が近いらしい。

 クリスマスが近いということについては印象深い記憶がある。
 あれは30年も前だったか、仕事でヨーロッパのあちこち訪問する旅があったとき、仕事とは関係のないウィーンに泊まった。11月25日の夜のこと、前の日までは静かだった街が、その夜から電飾がきらめき、街の広場は明るく照らされて沢山の屋台が出ている。

クリスマス市が立つウィーンの電飾 1994年11月25日

 クリスマスのちょうど1カ月前の今日から、クリスマス用品を一斉に売りだす習慣があるのだ。街のあちこちの広場に市が立つし、商店街はイルミネーションの飾りつけで明るい。それはクリスマスがもうそこにやってきたという、期待のある賑わいの雰囲気だった。
 そうか、キリスト教の国の街ではこうやるのか、さすが日本ではやらないなあ、日本のお正月飾りのようなものもあり、けっこう珍しくも楽しかった。最近は日本でもやっているのだろうか。

 日本では年末が近いとて、例の今年の新語流行語大賞候補の発表とか、年末恒例のNHK放送の紅白歌合戦出場者発表とかがあると、若干は季節の節目を感じる。
 だが、わたしはTVを全く見ないから、紅白歌合戦なんて忘れてしまった。今日の新聞の漫画にその話題が載っていて気が付いた。

 ネット検索して、今年の紅白歌合戦出場者名簿を探し出した。その番組を観ようというのではない。この漫画や新語流行語と同じで、わたしが出場者とかその歌とかをどれほど知っているかを調べてみたかったのだ。

 その結果は、意外と言うべきか、少しでも知っていた人たちがいたのが奇跡のような感である。
 全出場者数44人(組)のうち、名前を聞いたことがあり歌も何だったか聞いた記憶があるお方(印)はわずか3人である。
 名前だけは聞いたか読んだかした記憶があるが、歌は全く記憶にない人(印)が7人、後は全く名も歌も知らない。

 TV観ないから当然のことに惨憺たるものだが、わたしとしては少しでも聞いたことある人が、10人もいることが驚きであった。
 それにしても紅白歌合戦なんて、少年のころに聞いたような記憶があるが、何時からやっているのかしら。
 そう思ってネット検索したら、なんとラジオで1951年1月からとあるから、わたしの記憶は正しい。5球スーパーラジオだったかしら。

 さらに続くとすれば、近いうちに歌合戦になるだろう。男と女とを別の組にし分けて競わせることに、異議を唱える人たちが必ず登場してくるに違いない。世に性別で競う遊びや文化はたくさんあるが、これから面白いことになりそうだ。

(20231120記)

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2023/06/26

1694【能楽鑑賞】三十年ぶりに能「二人静」を観てきた

 横浜能楽堂で能「二人静」(ふたりしずか)を観てきた。この能を観るのは3回目である。最初は1993年2月4日青山の銕仙会舞台での公演で、シテ野村四郎、ツレ清水寛二だった。これが実に強く印象に残っていて、かなり細部まで覚えている。
 実はその時に密かに録音したテープもあり、もう100回くらいは繰り返して聞いている。もう一回はどこで観たか記憶がない。

 今日の「二人静」は、喜多流であった。初めに歌人の馬場あき子さんと古典芸能解説者との肩書の葛西聖司さんの対談があった。というよりも、葛西さんは馬場さんの話の引き出し役だった。葛西さんはむかしNHKTVの古典芸能担当の司会アナウンサーだった記憶がある。

 馬場さんの解説は、これまで何回かこの能楽堂で聞いていて、なかなかに含蓄があり、興味深いものがある。今日も面白かったが、馬場さんの解説の解説が入る葛西さんが邪魔な感もあった。
 ひとつどうも気に入らない彼の言動があった。何かの話の途中で、「ハイ、こちら95歳で~す」と、いかにも歳にしては若いだろうと言外の動作に込めて、笑いを取るのである。
 馬場さんはちょっと見には謙遜している様子にみえたが、あれは明らかに迷惑がっていると、こちらが超高齢者だからよく分かる。年寄りの癖に若くて何がいけないんだよ、大きなお世話だよ、文句のひとつもを言いたいのだ。

 ところで、馬場さんもこれまで「二人静」を観たのは2回だけとのこと、10歳も年上の馬場さんがわたし同じ回数とは、どうでもよいことだが、なんだか近しいと感じる。ということは、あまり演じられない曲であるのか。
 それにしても馬場さんは今95歳だそうだが、その博識や論評はもちろんだが、切戸口からの舞台登場と退場の所作も舞台上の椅子で語る姿勢もキリリとしていて、口調も滑舌であることにただただ見とれる。こうありたいと思わされる数少ない超高齢者である。

 今日のシテの佐々木多門(1972~)もツレの大島輝久(1942~)も初めて観る能役者である。横浜能楽堂の企画で、馬場さんが推した「この人この一曲」であるとのこと。わたしから言えば、能役者よりもこの曲と馬場あき子と組合せを気にいって観に来たのだ。

横浜能楽堂サイトより引用

 能役者の上手下手は、よほどの下手でないとわたしには見分ける能力がない。二人静の見せどころの相舞は、それなりに合致していたのだろうが、良し悪しを言えない。
 このたびの座席の位置が、脇正面の橋掛かりから3列目後方から2列目で、これほど隅っこで観たのは初めてだった。鏡の間の気配を感じるし、登場する役者やその装束をごく近くで見ることができて、それなりに面白かった。

 この席からは舞台を真横で見ることになり、能の見巧者には能役者の所作の良しあしがよく分かるのだそうだ。観られる役者にはいやなものであるらしい。今日はその席で観たのだが、舞台正面に向かった並んで舞うシテとツレのふたりの動きを、真横から観るとほとんど重なっている。ふたりの相舞がぴったりと合致するとほぼ一人に見える。逆に一致しないと、ばらばらに見えることになるが、それをいかに面白がるか。

 多分、基本はぴったりと重なるように舞うべきなのだろうが、実際に見ていると重ならない方が面白い。二人が同じ動きをするのだが、それが微妙に時間差があって位置がずれると、舞台に奥行きが生じてくる。その時、その動きの違いを計測するが如くに観ていると、舞台に深みが生じるようだ。 

 能開演前の馬場さんの、二人静について大昔こんなことがあったとの話のひとつ。
 不仲の師弟の役者がシテとツレを演じた相舞で全く反対の舞をしたという昔人の書き残した話題を述べて、それも小書きになると面白いのに、と笑うのだった。
 やはり正面からあの華やかな装束が二つも舞台に左右に広がって、同じ様にきらめきながら二つ蝶のごとくに舞い続ける姿を観る方が良いと思った。あるいは見巧者になると、脇正面から観てその相舞のずれ具合の美しさを楽しむようになるのかもしれない。

 30年も前に見たシテ野村四郎の「二人静」では、舞台上にいるツレが、橋掛かり途中に腰掛けるシテの動きに操られているように動く、いや、動かされる印象的な場面があった記憶がある。でも今回それはなかったが、そのような演出もあることを、事前の馬場さんの話にあったから、わたしの記憶は確かなものと確認した。

 そういえば思い出した。その野村四郎シテの「二人静」を見てから10年以上たっていたころだが、その謡を習うことになり、ようやく謡本の1級に到達したのだ。
 その稽古の初めにわたしはこの曲の師の舞台を観たことを得意げに話したら、すぐにわたしの一部記憶間違いを指摘された。そうか、観た方よりも舞った方がよく覚えているのは当然だろうが、プロは自分の全部の舞台を細部まで覚えているものなのかと、ちょっと驚いたことがあった。その師もコロナ中に去ってもういない。

能「二人静」(喜多流)   主催:横浜能楽堂主催

私が選んだ訳」 馬場あき子(歌人)、聞き手:葛西聖司

シテ(静の霊)佐々木多門
ツレ(菜摘女)大島輝久
ワキ(勝手神社の神職)大日方寛
アイ(従者)野村拳之介
笛: 一噌隆之
小鼓: 飯田清一
大鼓: 佃良太郎
後見: 塩津哲生  狩野了一
地謡: 出雲康雅、長島茂、内田成信、金子敬一郎
    友枝真也、塩津圭介、佐藤寛泰、谷友矩

 横浜能楽堂は、自宅から近くて都心隠居の身には願ったり叶ったりの所だったが、改装のために1年ばかり休場するとのこと。
 コロナでながらく休場状態だったのにまた休場とて、年寄りにはまことに困る。休場が明けたころには、こちらの足腰が立たなくなっている可能性があるからだ。
 コロナで逼塞させられている間に、年寄りは再起不能になってしまい、まだ動けるし好奇心もある晩年の貴重な時間を奪われてしまう不幸に出くわした。もう取り戻せないのだ。

(20230625記)

筆者の能楽鑑賞記録一覧「趣味の能楽鑑賞瓢論集


2023/04/03

1680【来年の花は?】まったくもって世の中に絶えて桜の無かりせば、、な春だ

 遂に4月も3日になって本格的な春到来、今年の桜開花は去年よりも早いようで、3月半ば過ぎからこちらの心が落ち着かずに、花ばかり気にしているのは、今の自分の年齢のこともあるが、なんとなくコロナ明けという世間の様子もある。

 ほぼ毎日徘徊に出かけるが、今日も根岸森林公園の桜を見てきた。近くの森林公園には何度も行っていながら、春の梅の花はみても桜の花見は初めてだ。もう盛りを過ぎていたが満開の時はかなりすごい風景と想像することができる。来年の花見をするなら、ぜひとも盛りの時に来よう。

根岸森林公園の桜、狂気のごとく咲く花というのもしらけるものだ

根岸森林公園の花見

 今年3月末からこれで花見を目的とする徘徊(徘徊定義は無目的だから正確には徘徊ではないが)に、もう5回も出かけたことになる。
 花吹雪は波もいいものだから、まだまだ花見徘徊やれそうだ。大岡山キャンパスには2回も花見に行ったし、横浜の近くの大岡川も掃部山ももちろん、わが家から見下ろす花見もあるのだ。

大岡川の花見

自宅下に咲く花には小さな布の花も咲く


大岡山のキャンパス花見

 桜の花見に心が急くのは、何しろ花の期間が1週間もないから、花に追いかけられている感があるからだ。
 来年もあるから急がなくてもいいよと言われそうだが、それがわたしの歳になるとそうはいっていられない。八十路半ばとなると、来年も花を見られるかなあと本気で思うことが、まわりから起きてくる。訃報である。

 同年の親友のひとりが重病でこの1年を送っているが、彼からのメ―ルに「来年も見られるかな」と一言あって、ズキンと響いた。もう10数年前にも、ある親友が病床で同じことを言い、次の花を見ることはなかった。
 わたしがそういう時はいつだろうかと思う。何かもっと格好良い言い方を、今の内から考えておこう。

 コロナがやって来た次の年の2021年春に、願わくは花のもとに春死なんその如月の望月のコロナと狂歌を詠んだ。そして22年もそう詠み、今年も詠んだ。
 いつになれば最後の「ナ」を言わなくて済むようになるか。いや、その時が来たらもとにもどって、狂歌でなくなるから詠まないな。

 実のところはコロナ禍であろうとなかろうと、今やわたしはこの心境である。西行は73歳でこの歌の通りに春に死んだそうだ。しかしこの歌が載る歌集が世に出されたのは死の5年前だから、この歌を彼が詠んだのは少なくとも死の5年以上前だ。つまり68歳以前だから、わたしよりも15年以上も若い頃だから、偉いものだ。いや、昔はいまより若くて死んだものだから、実年齢は同年くらいなんだな、と思うことにしよう。

 老いると桜の花見の視線が変わる。母校の大学キャンパスの花見を同期仲間と毎年やっているが、その桜の樹がもうヨレヨレの老木なのである。樹幹は広がっているから花は大きく広く咲く。もう70歳くらいの超老木なのに偉いものだ。
 だが、花の下の幹を見ると黒々とひと一抱え以上もあり、ごつごつとして左右に凸凹とし、そこからいくつもの枝が、自由自在に上下左右に伸びる。地を這うように横に伸びる枝もあるし、半分皮がむけて筋肉が見える枝もある。
 そんな老木が花お咲かせているのは、どうも無理やりやっているような、それはそのままわれらが老いの無理矢理姿に思えてしまう。花見ならぬ幹見をして、気の毒になる。

大岡山キャンパスの桜 老幹にも一輪づつ咲かせる健気さ

 今年の花見の時は、コロナ明けともいえる時期に重なったから、なおさら感慨深い。本当にコロナが明けたとは到底思えないが、とりあえずは政府がマスクはいらないよと言ったから(本当に言ったかしら)、いつもは政府嫌いなのに、こんな時ははいはいと便乗していうことを聞いてしまい、マスクを外して人に会って喜んでいる。

 言い訳すれば、じつはそれには切ない心情が裏にあるのだ。そう、花に来年は会えないかもと思うように、人にも同じ様に思うのである。
 3月から急に親しい知人たちに会う機会が多くなった(多くした)。リタイアした仲間同士では特に用事があるでもないが、花と同じでいま会わないと次がないかもしれないから、今のうちに会おう会おうと言いあう。これでコロナがぶり返すかもしれない。そうなると本当に会えなくなる。

 一緒に花見酒を飲もうよと言いあっている人も多いだろう。だが、わたしはコロナで逼塞中に酒飲む気がなくなってしまった。コロナ前にはよく一緒に飲んでワイワイとやる人たちも、互いに敬遠しあうしかなかった。
 その時期がこれほども長くなり、わたしはひとりで飲むのもバカらしいままでいたら、酒の美味さも誰かと飲む楽しさも、どうやら忘れてしまったらしい。

 先日、久しぶりに大学時代の山岳部仲間7人で飲み会やった時に、わたしはビールをグラス一杯だけで後はお茶を飲んでいたが、それで十分に楽しかった。これは年寄りには懐にも健康にもよいこと思うと、われながら殊勝げで、かえって癪に障る。まあ飲まないでいいや。
 でも、なんだか他人とじっくり話す方法も忘れたような感もある。これは年寄りのボケが進んだということだろう。

(2023年4月2日記)


2023/03/26

1679【大岡山花見2023】毎年恒例人生最後の花見を今年も雨中ながらも決行

 毎年、大学同期仲間数人と、春になると母校の花見で一杯の集まりをやってきた。コロナ中も人数は激減したが、欠かさなかった。
 今年はコロナ忌が明けたらしいのだが、仲間に誘いメールしても反応がない。そうこうするうちに花は待ってくれず、咲き出したらしい。とにかく下見にでも行ってくるかと、自由が丘に用事を作って、そのついでという名目で出かけた。

 大岡山駅に1年ぶりに下車、地上に出ると、おお、なんということ、本格的にザアザアと雨が降っている。駅前広場に何やら露店が出ているのは、花見客を狙ってか駅前商店街イベントらしい、雨で気の毒。篠原建築の百年館はキャンパスランドマークとして健在。

 
   

 模様替え中の校門を入ろうとすると、大きなキャンパス案内板の展示、フムフムこれが最新のキャンパスか、全体の形は昔と変わらぬが建物は激変。
 でもこれが近いうちにまた激変するとか、なんでも田町にある付属高校を緑が丘にもってきて、田町の高校跡地にの校舎や貸室の超高層ビルを建てて、こちらから一部学部など移転するとかで、建築系もこ田町に移すらしい。そうだ、近日中に大学名も激変らしい。





















 校門あたりから見る雨で何となくうす暗い風景の間に、桜の花の華やぎがほの見える。手前左にあるクマ建築が邪魔、お前のせいで桜も本館もろくに見えないぞ。















 
 本館の正面に回ってバックして階段を上って全体を見る。左のクマの滝プラザは変な格好だなあ、屋根に木を植えるなら、白壁にツタをまとわせてはどうか。中央に本館前桜広場、右に図書館。今年の桜は花は去年よりも何となく密度があり、まとまっているような。去年の老桜の枝枝はもっと暴れていた記憶がある。






















 本館前の花の広場は、花でおおわれてしまっている。今年の老桜はなんだか頑張っているみたいだ。何か老いを止める治療でもやったのか。





















 たしかに去年まではもっと暴れた枝があちこちに跳ね上がっていた。どうやらそれなりに剪定されたらしい。そしてそれに応じてどこやら行儀よく咲き誇ったらしい。雨が降りしきるのに合わせて花びらも散り敷きつつある。
 カメラもリュックサックも肩もズボンも雨に濡れる。まあ、花の下の暗がりでしっぽり濡れるのも悪くないと思うが、一人なのが残念だ。それにしても老桜の幹の迫力というか、けなげというか、老残というか、わが身を見るがごとき。


 左に列植してある若木の桜がこの老桜にとって代わる頃を、わたしが見ることはもちろんない。わたしがこのキャンパスに初めて来た頃、今の老桜があの若木であった。





















 スロープ下に2軍ともいうべき桜並木が色とりどりに咲き誇っている。

 スロープ途中から、谷口吉郎建築と清家清建築に敬意を表しつつ、雨中花見をする。


 緑が丘方面へとトンネルをくぐり、呑み川の橋を渡りつつ、坂を登りつつ宇宙花見を続ける。実のところは、雨に負けてもうやめたい気分でもあったが、ここまで来たらいつものコースを行くぞと、意地になってきた。






















 緑が丘上から呑川にかかる木造橋の手すりに触れるばかりに、土手に狂気のごとく咲きそろい、絶え間なく雫を垂らす花々を見つめる。濡れた妖気が漂う。
 緑が丘の上から裏門に向かって下る道から振りかえってみる。昔々大学寮からこの坂道を歩き下って、緑が丘や自由が丘の街に出かけたものだ。今はこの一帯は建築系のエリアらしいが、遠くないうちに付属高校になるとか。そうしたら建築系は入れ替わって、田町に移るらしい。いつ頃のことだろうか。

  裏門を出て街から振り返る。裏門というには立派過ぎるほどに大きくなっている。

   緑が丘の「緑が丘百貨店」という市場は昔もあった気がする。健在である。





















 緑が丘駅は立派な高架駅である。この効果の下をくぐって向こうに行けば、そちらにも裏門ができている。





















 これで今日の雨中単独花見はおしまい、また晴れた日に仲間と語らって出直し、花吹雪を浴びようか、それとも葉桜見物でもやりたいものだ。(20230325記)

(20230329追記)
 物好きにも3月29日に今年2度目の大岡山花見をしてきた。この前が雨だったので、晴れた日に見ておこうと、同期同クラス仲間も誘ったら5人が集まった。その中には私と同様に2度目が一人いた。晴れたり曇ったりだったが、桜はやはり雨より晴れた空のもとで見る方が美しい。





























 ついでに2018年の参加者も見よう。故人となったものが一人いる。



2021/12/28

1602 【紅白歌合戦】出場歌手も曲名もほとんど知らぬ中に両方共記憶にあるたった一人は

 TVを見ないから用が無いのだが、毎年暮れに恒例のNHK紅白歌合戦なるものが、世に存在するくらいの知識はある。昔々にTVを少しは見ていたころもあったが、紅白合戦を観た記憶はない。

 今日12月28日の新聞の社会面に、この暮れの紅白出場歌手名と歌う曲名の一覧表がある。ヒマなので眺めていたら、当然のことに総勢50数名50数曲の歌手名も曲名も、それらのほとんどがわたしの記憶にない。


 そのなかにたった一人だけ、どちらも記憶にある人を発見した。それは「石川さゆり・津軽海峡冬景色」である。

 たぶん、わたしが昔々まだTVを見ている頃、石川とその歌を何回か見聞きしたのだろう。表には石川の出場回数が44回とあるから、少なくとも44年前頃にはTVで何度か見聞きしたのだろう。まだ生きてるのか、自分のことを棚に上げてそんなことを思う。いやはや、たった一人だけとはねえ。

 ほかに歌手名だけ記憶(容貌をおぼろに思い出す程度)があるのは、「郷ひろみ、薬師丸ひろ子、松平健、さだまさし」である。それぞれどんな曲の記憶があるかと聞かれても無理である。

 一方、曲名だけ記憶(メロディーの一部をおぼろに思い出し程度)にあるのは、「有楽町で逢いましょう」。これって1950年代後期だったかにフランク永井が歌っていて、今はもうない「有楽町そごう百貨店」の宣伝歌だった記憶がある。ということは、石川さゆりよりも昔の歌だ。ちかごろ復活しているのだろうか。

夜明けの歌」も曲名に記憶がある。昔々に岸洋子なる歌手が歌っていが、その復活だろうか。「いい日旅立ち」って、昔々に山口百恵って歌手が歌ってた旅行宣伝歌だったような記憶があるが、これも復活か。

 わたしはもともと歌謡曲に興味ないし、カラオケ大嫌いだから、これだけでも記憶にふれる歌手名と曲名があるのが不思議なくらいである。まあ、長生きしたからね。

 ところで新聞の別の欄の記事に、ちかごろはLBGTとか性別が多様になり、単純に男女分類歌合戦に分類不能というか拒否する歌手もいるし、世間も男女色分け批判の潮流にあるので、NHKもこの分類を考えなおすかもしれない、ようなことが書いてあった。

 ではどう分類して歌合戦にするのか、白黒分け、美醜分け、貧富分け、老若分け、大小分け、、、どう分けてもあれこれ言われるなあ、そうか、くじ引き分け、じゃんけん分けしかやりようがないな。(20211228記)

2021/12/02

1597【今年も知らない流行語】いつものようにわが流行度を判定してみたらいつものように中間値の5点

  これは自慢して言っているのだが、毎年の流行語大賞に挙げられる言葉のかなりが分らない。自慢する理由は、そんなものどうでもいいじゃん、であるが、年取って来ると、世の中からどれだけ遅れているかということを、一種の自慢としたくなるからである。要するにへそ曲がり。

 今年2021年の「現代用語の基礎知識 選 2021ユーキャン新語・流行語大賞」のトップテン発表と(ユーキャンってなに?)、ネットや新聞に出ているので、いつものように眺めて、自分の知らない度合いを測定する。

 10語中で知っている言葉を1点、知らないと0点として採点する。
 これまでに記録によれば、実績は次の通り。https://datey.blogspot.com/2020/12/1506.html
 
2009年:5点、2011年:7点、2014年:2点、2015年:6点、2018年:4点、2019年:5点、2020年:5点である。平均5点というところ。

 さて今年2021年はどうか。○はわたしが(わずかでも)知っている言葉。

×「リアル二刀流/ショータイム」
〇「ジェンダー平等」
〇「親ガチャ」
×「Z世代」
〇「人流」
〇「黙食」
×「ゴン攻め/ビッタビタ」
×「スギムライジング」
〇「ぼったくり男爵」
×「うっせぇわ」

 というわけで、2021年は5点であるから、去年よりもボケているのでもないらしい。
 これらをどういう基準で選ぶのか知らないが、新型コロナウィルス流行関連用語が2語だけとは意外に少ない。去年は(少なくとも)4語あったから、2年目ともなるとショックがなくなったということか。
 なお、ノミネートされた全29語に対しては12点である。

 わたしがそれら流行語を知る情報源に、TVが無いことが一般世間と大違いである。紙情報は朝日新聞ひとつだけ、そのほかはネットのSNS(フェイスバカ、つい言ったあ、乱淫)情報である。

 当然のことに、世の中一般とは異なる。自分が興味のある情報しか読まない。藝能やスポーツには興味がない。だから、流行語で知らないものは、どれも藝能やスポーツの世界の用語であるらしい。

 知らなくて困ることは何もないが、身の回りに流行語を操る孫世代が居ないことに、ちょっと寂しい気もする。
 まあ、今年も5点で中間値であるということは、去年よりもボケているのでもないらしい、いやもう10年も前からボケているのかもしれない。(2021/12/02記)

参照:https://datey.blogspot.com/2020/12/1506.html

 

2021/10/22

1592【俺たちに明日はない】コロナ波底をとらえて久し振り老人飲み会で盛り上り生き返った

 このところ新型コロナウィルス感染の大波が静まってきたようだ。
 だが、それは人間たちがアレコレ努力したせいなのか、それともそれとは関係なくコロナの側の生態的都合なのか、どちらだろうか。

コロナ波浪とジタバタ対策禁酒法動向

 これまで、こちらがあれこれジタバタしても、実はあちらさんの都合だけで何度も波が来ていて、こちら人間はその波間をなすすべもなく漂っているだけ、のような気がしてならない。
 だとすれば、次の第6波も第7波もあるに違いない。次々と強力な変異株コロナ君が、選手控室に待機しているのだ。 
 そこで、それが来るまでの波底の今をとらえて、八十路老人は飲み会やっておかなくてはならないのだ。

 だって、老人はもう完全に大丈夫なんて時が来るまで待っていると、その前に死んじゃう恐れがあり、永久にできなくなるってあせっているのだ。健康に良くないのだ。
 つまり、老人には明日が無いのだからね、そうだ、昔、「俺達に明日はない」って映画があった、あれだよなあ、今の俺たちは、まさに、。

 絵画を趣味とする旧友のF君が、その画塾生たちの絵画展に出品するので、観に来いとの誘いが来た。ただし当人は持病あるため、コロナが消え去るまでは慎重を期して外出しないので、悪しからずとのこと。

 この展覧会は毎年の春秋の行事で、一昨年まではF君と共に常連数人が誘い合って鑑賞に行き、鑑賞批評会のつもりの飲み会をやるのであった。だがコロナのせいで昨年はできなかった。

 今年はどうしても見に行きたいので、波底でもあるし常連を誘って行ってきた。
 本来の常連は大学同期生たちのF君、K君、Y君、S君、I君、私の6名である。だが、八十路ともなればいろいろと身体事情が発生してくるものだ。
 F君はそういうわけであり、Y君は足の手術をするというし、K君ときたら一昨年にあの世に行ってしまった。というわけで今回は3人だけだった。

 それでも展覧会場で久しぶりに顔合せて喜びつつ、いつものF画伯の抽象絵画にアレコレと頭ひねりあって盛り上がったのであった。

「明け方にみたかった夢」古田淳一郎


 そしていつも行っていた魚を食わせる居酒屋に場所を移したら、なんとまあ休業しているのであった。コロナのせいだろう。フラフラと野毛の飲み屋街を彷徨って魚を食わせる店を探す。
 なんだか懐かしい名前の「養老の滝」なる居酒屋を見つけて入った。この居酒屋チェーンはずいぶん昔からあるので知っていたが、久しぶりに出会って気が付いたのは、老人向けの店名であるということだった。自分が老人になったからだな。
 養老の滝で思い出したが、10年ほど前にこんなことがあった。
   信州山中の金ぴか御殿 https://datey.blogspot.com/2010/10/241.html

 店内に客が誰もいない。平日の午後1時前だから当たり前かもしれぬが、それにしてもコロナ不景気はこういうものかと、久し振りの居酒屋の空気にたじろぐのだった。
 といわけで、3老人は誰に気兼ねもなく、マスクを外して大声で話あうのだった。

 久しぶり過ぎる飲み会に、酒の飲み方を忘れたとか言いながら、しだいに調子を取り戻して酔っぱらった。
 話題は絵のことをすっかり忘れていて、老人を困らせるスマホとかコンピュータとかの愚痴であり、ちかごろ知人の訃報が多いとか、いつしか3時間もしゃべっていた。

 明らかに3人ともハイになりすぎて、「やっぱりこうやって顔つき合せて飲むって、ボケが治るよなあ」と言い合ったのである。そう、飲み会こそ老人福祉である。
 その間にほかの客が一人だけはいってきたのみ、お勘定は割り勘にして2500円ずつ、こんなので居酒屋経営が成り立つのか。

 外に出るとまだ明るいが冬が来そうな気配の街、このへんで老人は帰宅しよう。なんにしても、結構な絵画鑑賞会と愉快な飲み会開催の機会を作ってくれたF画伯に感謝した日であった。ああ、生き返った。(20211022記)

参照:コロナ大戦おろおろ日録