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2026/03/04

1936【老酔録㉓祟り神】この蛮行かの言動あの姿こは祟り神トランプ顕現

 


 全くひどいものだ、トランプがイランと戦争を始めてしまった。怒ったイランは親米の近隣諸国を攻撃しだした。地球にはプーチンだけじゃなくてもうひとり酷いやつが君臨するようになってしまった。これがコロナ後の世界かよ。

 春が来た、3月だ、そのとたん、こんな戦争トップニュースが続けざまに世界を駆け巡った。わたしが期待していたコロナ後の世界は、実はこんな醜いものであったと、まざまざと見せつけられている。全くもって落胆の限りだ。

 2022年の2月末にプーチンがウクライナに侵攻して、世界のだれもがあっけにとられたが、3年後にはそれを真似する奴が登場してきた。トランプなら何かやるかもと思いはしても、本当にプーチンなみなことをやるとは思わなかった。
 その時私はこんなこと→「◆2022/03/01・1610【戦争ショック】コロナ来て戦争が来て地球病み」を書いていた。

 侵攻されたイランは中東諸国に報復ミサイルを放ちドローンを飛ばし、ホルムズ海峡を封鎖した。大西洋の向こうに居るトランプはまだまだ爆撃を続けるという。あらかじめベネズエラ侵攻して石油確保したのも、中東オイルに頼る必要がないようにしておいたのだろう。

中東諸国戦況

世界各国別のの平和度合い2025

 世界の火薬庫の中東に放火するなんて、トランプはあのイラク戦争でバカな目に遭ったことを覚えていないのか、いや、覚えていればこそ、俺ならがうまくもっとやって見せると自己顕示欲の表現の戦争か。そんな奴を自国の大統領に選ぶUSA国民がバカすぎる

 これでウクライナ侵攻に誰にも文句言わせないと、プーチンは大喜びだろう。現にこのところウクライナニュースがない。トランプのこの国際法(国内法も)違反に、正面から非難する世界各国リーダーはいならしい。日本の高市首相はもちろん何も言わない、言えない。

 それほどに世界中の政治トップたちはトランプを増長させたのだ。トランプはいま得意顔で喜んでいる。これをチャンスに、チャイナのシーチンピンが世界のトップになる足掛かりを得たにちがいない。いったいこの先どうなるのか。

 トランプの記者会見言動をネットで見ていて、こいつは何者と考えてハッと思い当った、祟り神。アメリカ国民が地の底から掘り出したのだ。うっかり悪口を言うとたちまち祟りを及ぼす。現世界三大祟り神はプーチン、トランプ、ネタニヤフか・・。

この蛮行かの言動あの姿こは祟り神トランプ顕現

 近いうちに高市首相はトランプに拝謁をたまわりに行くらしいが、そこで祟り神の求めに応じて、日本の存立危機状態であると解釈して、日本自衛隊軍を中東へ派遣するのだろう。他衛隊と名称変更しなさい。

 こうして、ほんとに何も対抗できないこちとら庶民は、狂歌でも詠って嗤うしかないのが癪だ。

AmericaとIsraelのトラとネタただいま流行AI騒動

他の国に侵攻爆撃人し得意げに言う「力による平和」

プーチンとトランプに世の悪のすべて押しつけ地球は滅ぶ

日本では「新しい戦前」と気取れども中東では「手垢まみれ戦中」

 さて先月末にチャイナから名指しされた日本の軍事産業は、これでますます株が上昇してさぞや景気が良いことであろう。それとも、せっかくの大儲けチャンスなのに、軍需用レアアース不足でお困りかしら。あるいはオイル高騰でお困りかしら。

 そして翻ってわが身の米呪に想を及ぼせば、老酔庶民が近接する第三次大戦の前にできること(すべきことか)は、かの2度ともう逃げだす必要ない絶対的安全安心な「あの世」に、できるだけ早く避難することである。わたしにその覚悟はあれど自信がないのだが、。

コロナには置き去りにされ大戦にまた出会いそうなアラ卒寿

(2026/03/04記 03/06付記)

(2026/03/07追記)
 今朝の新聞にこんな記事が載っている。中東での戦火拡大状況の図の隣には、日本の国会与党(自民党と日本維新)が高市首相に、人殺し兵器を紛争・戦争中の外国に輸出してもよろしいとするように、これまでの殺傷兵器禁輸政策を変更せよと提言したとある。諸外国と共同して兵器の開発ん¥も容認せよともいう。これで軍需産業は大いに発展して、ウクライナや中東に輸出して儲けるのであろう。


ーー当ブログ内関連記事ーー
◆2022/03/01 https://datey.blogspot.com/2022/03/1610.html
1610【戦争ショック】コロナ来て戦争が来て地球病み重篤な枕辺に花は来るのか

◆2022/03/16 
https://datey.blogspot.com/2022/03/1611.html
1611【続くウクライナ危機】ワクチンはコロナ攻略プーチンはウクライナ侵略地球騒乱

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2026/02/25

1934【老酔録㉑軍需大学】母校が軍事研究大学として隣国から忌避されるのは戦争体験世代として悲しい

 


●日本の軍需産業名が分かった

 日本の軍需産業名と軍事研究大学名を知った。チャイナ政府は高市首相の「台湾有事発言」に反発して経済的制裁をあれこれ打ち出しているが、こんどは日本の再軍備を阻止するとの理由で、日本の軍事企業名と軍事研究大学名を名指しで、輸出規制すると発表した。

 それらに対しては、軍事と民生の両方に利用できるチャイナ製品の輸出を禁止または制限するのだそうである。これが日本の産業にどのような影響をもたらすのか知らないが、かつて侵略をされた国に対しての警戒はもっともだとも思う。今それほどにも隣り合う日中両国の間はは緊張状態にあるのかしら。

 わたしの興味は、その輸出制限先のリストに並ぶ企業と大学の名前である。うすうすと日本の軍需産業名を知っていはいたが、こうやって突きつけられると、明確にその名が分かったのである。

 実際どうなのかは知らないが、これらの企業が、防衛産業という軍需産業に深くかかわっていることは、言われなくても常識であるような気がする。三菱とかIHIとか川重などは知っていたが、こうも並ぶと驚く。

 そういえば思い出したが、以前にこのブログでウクライナの戦争に関連して日本の軍需産業について書いたことがあった。
 ・2022/11/30・1659【プーチン戦争止まず】世界戦争の気配濃厚、戦争に便乗核発電復活、景気を左右する死の商人 https://datey.blogspot.com/2022/11/1659.html

 わたしの家にこれらの企業製品があるかと見まわしたら、あった。居間にある三菱製品の冷暖房機である。もっとも、これは住んでいる賃借住宅の備品だから、わたしが購入したのではないが、家賃の一部になっているのが癪だ。

●母校が軍事研究大学とは

 二つの大学名がある。防衛大学はさもあろうと思うが、東京科学大学があるのにショックだ。じつはここはわたしの母校でだ。わが母校は隣の大国から名指しされるほど、しかも防大と肩を並べるほどの有名な軍事研究大学であるのか、へえ~。

 たしかにこの前の戦争までは、東京工業大学(当時の名称)はそうであったのは確かだ。だが今も隣国から名指しで警戒されるほどの軍事研究大学であるのか。そういえば、防衛省からの公募に応募して研究しているとかの話を仄聞したことがある。

 実態は知らないが、卒業生としてはなんとも居心地が悪い。60年も前に建築の歴史研究で卒業して都市計画を仕事にしたわたしは軍事にはまるで縁がないし、とっくに母校と何の関係もないのだが、現今の国際関係の怪しい雲行きが急に足元に押し寄せてきた感だ。

 大学同期仲間たちの中には、これらの日本の軍需産業に就職した者たちも多いことだろう。彼らは今どう思っているだろうか。60年安保世代がまさか軍需産業再興の役割をもって就職したのではあるまい。いつのころから隣国から指弾される軍需産業になったのか。

 わたしたち世代は、戦争を体験しているのだ。広島でピカドン被曝した仲間も、長崎のそれを遠望した仲間もいる(こちらを参照)。大学時には60年安保闘争を経験し、高度成長を牽引して復興させたのに、今、隣国から指弾される軍需産業に育った企業を、どう思えばよいのか。

 わたしの世代は、戦争を体験したればこそ、今の世界情勢からして戦力を備えるべきとするか、それともあの悲惨な体験を再び体験しないためには非戦しかないとするか、戦中に生まれた米寿あたり老人は悩む。
 後者
でありたいが、いずれにせよ、もうすぐ老死が解決してくれる。
 関連記事:昭和二十年それぞれの戦さ(大学同期生たちの手記集)

(2026/02/25記)

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2026/02/24

1933【老酔録⑳:プーチン戦争】わが生は出づるときも死ぬときも戦いさなか米呪とぞ思ふ

 

 今日は2月24日、そう、224事件というか戦争が勃発の日、2022年の2月24日、プーチンのロシアがウクライナに侵攻して、戦争を始めた記念日。
 まさか21世紀に、こんな堂々と領土侵犯の戦争を始めるなんて、思いもつかなかった。だから地球上のこの大事件について、あっけにとられてしまった、すぐに何か書くことができなかった。

 ようやく3月1日になって初めてこれについて、ブログに書いたのだった。そのころは何しろコロナパンデミックという地球上の大事件進行中だったから、コロナ戦争とプーチン戦争が重なって起きたので驚いだものだ。

2022年3月末のウクライナ戦争状況

 そしてコロナと戦争について、こんなことから書き始めた。日を追うにつれて状況を重ねつつ書いていったのだった。
●2022/03/01・1610【戦争ショック】コロナ来て戦争が来て地球病み重篤な枕辺に花は来るのか https://datey.blogspot.com/2022/03/1610.html
●2022/04/15・1616【プーチン大戦おろおろ日録】コロナ大戦も止まぬうちに新たなプーチン大戦が重なり続くとは、、 ttps://datey.blogspot.com/2022/04/1616.html

 コロナと重なる地球の不幸な時代にわが人生が遭遇したことを嘆きつつ、今にコロナがクレムリンに押しかけていけば戦争が終わるだろうと、コロナに期待をしていたのだったが、コロナの方が先に波を引いてしまったのが残念だ。プーチンは今も生きている。

 あれから今日で4年、すぐ勝負がつくと思って戦争を始めたらしいプーチンには不本意だろうが、いまだに勝負がつかない。ソ連がナチスと戦って勝った独ソ戦争よりも長期戦になっているそうだ。ロシア国内ではプーチンと戦争への支持は高いらしいのは、1940年代日本を想起させる。

 やがてトランプがオレならすぐに戦争を止めて見せると、大口をたたいて再登場してきたが、そうはいかないままだ。それに気づいた彼は自国第一主義を振り回してウクライナ支援から手を引くとて、去年と比べて95パーセントもの大幅な支援戦費削減とて、それだけヨーロッパ諸国の負担が大きくなっているとか。この先どうなるのだろうか。

 戦争は始めるのはやさしいが、終えるのが難しいといわれる。今のプーチンにとって実は深刻な事態にいるのかもしれない。戦争をやめると戦争景気で保っている国内産業は急低落する。制裁で西側市場を失っているロシアは、チャイナに従属して生きていくのだろうか。

 トランプの出たとこ勝負国際政策に振り回される地球は、この先どうなるのだろうか。日本が世界を相手に戦っていた十五年戦争の最中にこの世に出てきたわたしは、もうすぐ死ぬ米呪という年齢だが、この世を去るときも世界中が戦争のさなかだろうか。

 まったくもって酷いつまらない人生だったことよなあ。狂歌をひとつ。

わが生は出づるときも死ぬときも戦いさなか米呪とぞ思ふ
(2026/02/24記)

ーーーこのブログで関連する記事ーーー
コロナ大戦+プーチン大戦おろおろ日録

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2026/01/09

1924【ベネズエラ侵略トランプ】ネタニヤフにパレスチナをプーチンにウクライナ俺にはベネズエラを

 ●恥を知らぬトランプ

 正月あたりに大事件が起きると記憶に残りやすい。一昨年元旦は能登地震だった。去年は特に記憶ある事件は無かったが、今年は1月3日に、トランプがベネズエラ侵略して大統領を拉致した怪事件が起きた。

 ロシアのウクライナ侵略とかイスラエルのパレスチナ侵略を、トランプは仲介して和平に持ち込むと豪語しているがちっとも和平は来ない。それなのに、こんどは自分が侵略して国際法違反を起こしたのだから、どの国からも仲裁役としての信用失った。もう駄目だな。

 全くとんでもないやつだ、トランプというやつは。麻薬退治と言いながら、実は石油確保が目当てと、堂々と言うのに呆れてしまう。もしかして麻薬も欲しいかもしれないとさえ思えてくるくらい悪辣だ。

 そして更にこのれらに加えて、コロンビア、パナマ、グリーンランドなどへの侵略もあると口に出している。こんな気ちがいを選挙で選んだアメリカ国民の半分が頭がおかしいというべきである。わが戦後模範にした民主主義はどこに行ったんだ。

●内田樹氏の予言

 実は去年からトランプの挙動がおかしい、何を考えている奴だろうかと、不審に思っていた。そんなところに思想家内田樹氏のコラムを読んで、おお、そういうことがトラさんの狙いなのかと知ったのだった。

 今年にトランプによるベネズエラ侵略拉致事件で、それが予言のように的確だと知った。
 このベネズエラ侵略拉致事件に対する、わたしのコメントは、1月4日から昨日までの間に7件、フェイスブックに載せてきた、それらをここにまとめて転載しておく。

●2026年1月4日

トランプの他国侵略が始まった
 え、今度はそっちで戦争かい、いくら平和賞が欲しいったって、戦争おっぱじめてはとてもじゃないが無理ですよ、もうプーチンなみだね、トランプのバカ、石油を欲しいのが本音だろ、もうEU諸国首脳もゼレンスキーもプーチンもネタニヤフもシーチンピンも、だれ~もあんたを信用しないでしょ、これで地球は分断、そして第3次大戦に向かうだろう、ああ、これがわたしが見てから死にたかったコロナ後の新世界であったか、いやまったくオレは生き過ぎたなあーーー

●1月5日

侵略拉致トランプへの日本からの評価は?
 さあて、これから日本の総理大臣は、このトランプが始めた石油植民地獲得侵略戦争を、なんと評価するのだろうか、楽しみだなあ、怖いなあ、
 まったくもって、長生きするものではないなあ~、ロクでもないことに出会うだけだなあ、これがわたしの感想。

新春狂歌(分け前よこせ)
 ネタニヤフにパレスチナをプーチンにウクライナを俺にベネズエラを

♪MATILDA ♪
 ベネズエラといえば、ハリーべラフォンテの歌「マチルダ」が、頭に浮かんだだけで、なんの縁もないけど、大変だな、気の毒に。
  ♪Matilda,Matilda,Matilda,She take me money and run Vevnezuela♪
  ♪Dnal’Trump,Dnal’Trump,Dnal’Trump,He take me oil and run Vevnezuela

参照:https://youtu.be/wK50RRgUuf4

【太平洋戦争の記憶】
 アメリカ軍がべネスエラ大統領を拉致する時に使った船の名前が「イオウジマ」(たぶんこれは太平洋戦争激戦の硫黄島「イオウトウ」のアメリカ流誤読だろう)と言うらしいが、何か日本と関係あるのかしら?

●1月7日

国際侵略拉致事件
 せんだって「どう考えても存立危機事態になり得る」と言ったから、こんどは「どう考えても国際法違反になりうる」と言うに違いないと、今日まで待っているのに、ちっとも言わないのは、どうして?、あれはうっかり放言だったかしら、ねえ、タカイチさん。

1月8日

トラさんに対抗して日中騒動も
 日本のタカイチさんが、チャイナのシーさんに叱られているようだけど、庶民にはなんだかよく分らないのでので、AIさんに「簡単に例え話にして教えて」と尋ねたら、こう教えてくれた。これでいいのかなあ。

ーーーAIさんのお話ーーーーーー
 高市発言とチャイナの抗議を、わが家と隣家の争いに例えるとこうなります。
登場人物など:
①わが家の主人(日本の高市さなえさん)
②わが家の隣家の母屋(チャイナ)に住む主人(シー・チンピンさん)
③隣家の離れ(タイワン)にはシーさんの親戚が住んでいるが仲が悪い

 わが家の主人が町内会の会合で、うっかりしゃべってしまった。
「隣家の母屋と離れとの仲が大喧嘩になって、もしも隣家が本気で手を上げたら、それはうちの家も危ない。だからうちも守るために手を上げて割り込むかもしれない」
 これを聞いた隣家主人が激怒して抗議した。
「お前の口出しは内政干渉だ! うちに手を出す気か!、謝れ、取り消せ」
 しかしわが家の主人はガンコで、謝りも取り消しもしない。
 そこで隣家母屋主人はわが家に対して嫌がらせを開始した。
「これまでそっちへ売っていた大事な物を売らない(レアアース輸出規制)し、そちらからから物を買わない(輸入停止)」
 お互いに譲らない結果、両家の付き合いが悪化してきた。でも経済的に隣家母屋の方が強いので、わが家の方が生活が苦しくなっている状態です。
 これが、今の日中関係のシンプルな例えです。 (20260109記)

1月10日(追記、11日一部修正)

トラさんを真似して町内でも
 では同じようにトランプのベネズエラ侵略事件も分りやすい例え話にします。
 隣家の主人が、わが家の井戸から美味い天然水が出てくるのを羨んで、わがの主人が麻薬を製造販売していると言いがかりをつけ、ある日のこと子分どもに急襲させて、井戸を占領するばかりか、わが家の主人を拉致していってしまった。
 そしてこれからはわが家の井戸水を隣家のものとして、ポンプなどを更新してジャンジャン汲み上げて飲み、よそにも売ると言っている。
 町内の人々は、よその家に勝手に入ってそんなことする隣家の主人をケシカランと文句を言いたいけれども、言うと同じ目にあう恐れがあるので、ぶつぶつ言うだけだ。町内に暴力団親分が住んでいるのが災難だとあきらめるしかない。
 これが、今のアメリカとベネズエラのシンプルな例えです、いや地球の例えかな。 

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2025/12/31

1922【老酔録⑫】コロナ後の地球は新たな輝かしい夜明けかと期待して生き延びたのは大間違いだった

 さてさて今日で2025年が暮れる。といっても普通に地球はまわっていて特別なことが起きてもいないのに、今日を大晦日と名付けて特別な日とするのは、人間の文化的勝手というものである。

 実はそういう特別さを嫌いであって、普通に過ごせばよいとも思うのだが、今年がコロナ罹患という、わたしにとっては世界的なパンデミックにちょっと引っかかったという特別なイベントで終わったので、世間並みに今年のことをちょっと書いておこうと思いついた。

 思いついたのはよいのだが、今日という大晦日中に書かねばならぬと、ちょっと焦っている。書いているうちに今年が期限切れになる恐れがあるのだ、いや、締切が過ぎても一向にかまわないとも思うのだが。

●今年第1の事件:かかりつけ医師ができたこと

 さて、これを書くわが身は、今年初めから普通後期高齢者並みの、月一回医者に行って薬を買い、食事の度にそれらを飲む習慣づけにさせられてしまった。血圧の薬らしいが、それを飲んでいったい何が効果があるのかわからぬところに悩みがある。

 ひごろどこも痛くもかゆくもないのに、丸薬を飲まされているのは不思議である。飲めば何がよくなっているかしらと懐疑を持っていては、丸薬の方もこいつに飲まれても効いてやらないぞなんて思うかもしれない。(参照:高血圧事件

 こうして生まれて初めてかかりつけ医者なるものがわたしにもできた、これが第1の事件であるとすれば、第2の事件は居宅を移転したことである。住まいを変えたのだが、正確に言えば移転後も同じ共同住宅ビルの中であるから、生活圏には変化はない。

●今年第2の事件:住み家を移転したこと

 おなじビルの中の住戸で2階分上方の9階に移った。移った理由は、昨年夏に独り者になったから、掃除しなくてよいように狭くしたのだ。昔、二人で住む身になってから家族の増加と転勤で少しづつ住宅を広くしてきたが、ここに来て一挙に4LDKから1LDKに縮小した。

 持ち物をほとんど捨てた。家人だった人の物はもちろん、自分のもちものも最低限にして他は捨てた。処分するものの家事から言えば蔵書が最も多かった。自分の著書さえ捨てた。要するにここで死ぬ準備のひとつである。

 立地環境は変わらないから移転後に迷うことは何もないのがよろしい。住戸は2階分高くなって、見晴らしも日当たりもよくなったし、空も広くなったのがよろしい。地上から高いだけに夏の風通しもよろしい。(参照:都市漂流

 たぶん、終の棲家になるはずだが、もう一度高齢者施設へ移転しなければならないだろうとも思う。実は今回の移転もそうしたいとも思って、いろいろ探したのだが適切なものを見つけることができなかった。高齢者の住まい選びはむつかしいと知った。

●今年第3の事件:たぶん最後となる故郷訪問をしたこと

 5月に思い立って大旅行をした。久しぶりに新幹線に乗って、西への旅に出たのだ。死ぬ前に一応は生まれ故郷を見ておこう、なんでわたしにしては殊勝なことを思いついたのだった。この度のことはこのブログに書いた(参照「故郷への最後の旅」)。

 考えてみるとわたしの生まれ故郷は、典型的な故郷であるような気がする。童謡や唱歌に故郷を詠うものが結構多い。例えばすぐおもい浮かぶ歌詞の一部は、「ウサギ追いしかのやま・・」とか「園の小百合撫子垣根の千草・・・」とか「更け行く秋に夜・・・」とか、出だしだけをいくつか思い出す。

 そこに出てくる田舎の風景や自然におむね適合する思い出景観が、わたしの故郷のどこかにあるような気がするのだ。故郷を持つとはこのようなことかと、時々思う。だからといって故郷を特に懐かしがってもいないのだが、わるくない気持ちだ。

●今年第4の事件:遅まきながらコロナに罹患したこと

 怪我やできもので医師にかかることはあっても、内科系の病気になることはほとんどなかったわたしでも、さすがにコロナのやつは見逃さなかった。12月になったとたんにコロナになって月の前半はごろごろして、何とか元に戻った。(詳しくは参照:老酔録⑩

 今年は世間のコロナが終わった様子であったから、わたしはほとんど忘れていた。マスクも医院でのみつけていた(いつも忘れて注意を受けた)。電車でも祭りでも雑踏を気にしないでいた。日頃ピンピンコロリと逝きたいと願っているから、ピンピンコロナで逝くのもよしと考えてはいた。

 「なんとかは忘れた頃にやってくる」というごとき今年の12月にもなって、ようやく私にもコロナが届いたのだった。やれ嬉しやとはさすがに思わないが、ピンピンコロナだぞと期待もあったが、見放されたのであった。後遺症もない。

●今年第5以下の事件はなかったが・・

 それなりに身辺は平穏な生活であるのはよいのだが、世間はなんともはや不愉快な年であった。実はコロナパンデミックという地球規模の大事件が終了後には、その地球規模災禍を教訓にして、地球規模の新たな世の中ができるに違いないと期待していた。それを見たくてここまで生きたようなものだ。

 ところが2025年の世界の酷くなったことはどうだ、コロナの後遺症を地球も患ったに違いない。ウクライナからプーチンは一向にひこうとしない。侵略戦争が21世紀の4分の一が過ぎる時代になったもあり得るのだ。

 トランプはコロナ中に2度目の登場して、1回目のドジを踏まないように身辺を固めて、世界に騒ぎをもたらしている。戦争を終わらすという大口をたたくが、プーチンやネタニヤフの手玉にとられてウクライナもガザも一向に解決しない。

 そのうちに業を煮やして、新モンロー主義を唱えて一切を放り出すにちがいない。ユーラシア大陸のことなんかもう知らないと言い出すだろう。そして南北アメリカ大陸のトランプ王国形成にのみ興味を示すのだろう。ベネズエラの石油があれば東世界は要らないのだ。

 そうやって地球に東西対立の新体制ができる行方は、第3次世界大戦である。そんなコロナ後遺症の発病なんて、これがコロナ後の新世界であったのか。思えば2009年に逝った友はコロナもウクライナ戦争も知らずに、羨ましい。

 コロナ中にも去年も今年も、何人かの同年の畏友たちが逝ってしまった。彼らは世界戦争を知らず逝って羨ましい。あ、そうだ、ことしはあの右翼政権だった安倍晋三を継承する高市政権が誕生したのだった。これも知らずに逝った友を羨む。

 コロナ開けて新しい秩序の輝かしい新世界が生まれるかもしれないと期待して、それを見たくてここまで長生きしてきた。だが、大きな誤解だった。コロナに罹った地球は、新東西分断世界誕生から世界戦争へという、とんでもない後遺症を地球に患わせたのであった。

 こうであってもわたしにできることは、せいぜいあいも変わらず、ピンピンコロリを願うしかない日々になるらしい。

コロナ後の後遺症かやこの地球 分断社会戦争紛争温暖化

(2025/12/31記)
(20260104追記)
●生き過ぎてトランプトランプ戦争に出会ってしまった

 東西分断から戦争へと書いたら、トランプが昨日ベネズエラに爆撃をかけて、大統領夫妻をアメリカに拉致してきたとのニュース、え~っ、今度はそっちで戦争かい、いくら平和賞が欲しいったって、戦争おっぱじめてはとてもじゃないが無理ですよ、もうプーチンなみだね、トランプのバカ、石油を欲しいのが本音だろ、もうEU諸国首脳もゼレンスキーもプーチンもネタニヤフもシーチンピンも、だれ~もあんたを信用しないよ、停戦仲介なんておよびじゃなくなるね、これで地球は東西分断、そして第3次大戦に向かうだろう、ああ、これがわたしが見てから死にたかったコロナ後の新世界であったか、いやまったくオレは生き過ぎたなあーーー

参考までに思想家内田樹氏の予言的コラムを載せる。

このブログ関連ページ
コロナ騒動オロオロ日録

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2025/08/17

1905【少年の日の戦争】80年前の少年の記憶の戦争は小さな城下町盆地の鎮守の森に

中国侵略日本軍の父(1939年保定にて)
  今年2025年の夏は、1945年8月15日に当時の裕仁天皇が、太平洋戦争に負けたことを、ラジオ放送を使って、国民に直接知らせた日から、ちょうど80年ということらしい。それをなんだか特別に雰囲気が世の中,特にジャーナリズムにある。80年だろうが79年だろうが変わりはないだろうが、なぜか。たぶんそうやって戦争を忘れないようにする仕掛けであろう。それは故人をしのぶ法事のようなものだろうか。

 でもまあ、わたしも88歳という覚えやすい年齢だから、せっかくの敗戦80年に協賛して、幼年時少年時に出くわした戦争の、いかにもそれらしい出来事を、記憶から引っ張り出すことにした。実はこれまでもばらばらにこのブロブに書いている(参照:まちもり通信「戦争の記憶」)のだが、 まだボケないうちに、ここでまとめて書いておくことにする。

 たまたま、今年いっぱいかけて月間として私的発行している歌集に挟み込む栞に、少年時を過ごした生まれ故郷故郷高梁盆地での戦争の記憶を書いたので、それに少し手を加えたものをここに載せる。

故郷高梁盆地の戦争の記憶   伊達 美徳

 この文を藤本孝子第五歌集「碧空へぽかりぽかりとんでゆけ」の8月版栞原稿として書いている日は2025年8月14日です。80年前の明日15日は、日本が太平洋戦争に負けたことを、当時の天皇がラジオ放送で国民に伝えた日です。この日を日本では敗戦記念日としています。夏八月は今でも戦争を思い出します。

 わたしは日本の十五年戦争(1931~45)の真っただ中の1937年に生れ、敗戦の時は国民学校初等科3年生でした。高梁盆地は空襲という直接的な被害はありませんでした、住民の生活には深い被害がありました。わたしには戦後の貧窮で空腹の日々こそが最大の戦争被害でした。8歳の夏に敗戦の日を迎えたわたしの戦争の記憶を書きます。

●80年前の8月15日のこと

 1945年8月15日は、いかにも夏らしい晴天でした。わたしの生家は御前神社です。その社務所の大広間座敷には、その1か月半前から芦屋市の精道国民学校初等科六年生女児20人と職員1名が、集団学童疎開でやってきて滞在していました。盆地内のほかの寺社などに児童51名が戦争避難しており、その子どもには戦場でした。

 そのころはラジオのある家は限られていましたが、その疎開学級にはありました。その社務所の玄関口に近所の人々十数人が集まってラジオを囲んでいます。その横でわたしは大人たちを見ていました。ラジオからヒロヒトさんの分かりにくい言葉と雑音がながれていました。それが敗戦の詔勅放送でした。もちろん8歳のわたしには内容を分りません。その場の情景の記憶のみです。

 放送を聴き終わると誰もみな声もなく散会して、誰もみな黙りこくって一列になって、参道の長い石段をトボトボと下って行くのを、わたしは社務所縁側から見送っていました。緑濃い社叢林の上空あくまで晴れわたり、森の中はいつものように蝉の声に満ちていました。

沈黙の湖になりたる盆の地よ昭和二十年八月真昼 

           (2014年藤本孝子第二歌集あとがき掲載の拙詠) 

 それから数日の後に疎開児童たちは芦屋に戻ってゆきました。ところが芦屋はその数日前に空襲を受けており、中には親を亡くした子もいたのでした。あの女の子たちはその後どのような人生だったのでしょうか。
 その半月後、父が参道の石段を登ってきて、3度目の戦争からの帰還をしました。

●父を戦場に送り出して号泣する母

 わたしの父は、日本の十五年戦争中に三度も招集され、最初と2回目は中国へ赴き、3回目は国内に居ました。延べ7年半も兵員として過ごしたのでした。その三度目の太平洋戦争への招集礼状は1943年12月に来ました。これについて強烈な記憶があります。

 戦争に出かける父の出発を、備中高梁駅で母と共に見送りました。家に帰りついて玄関を上がり、畳の間に入ったとたん、母は前に倒れ、両手で顔を覆って畳に押し付け、号泣し始めました。その慟哭の大声はやむことなくつづきます。目の前で大人に泣かれる5歳の幼児のわたしは、そばに座りこんでおろおろ、号泣に合せて母の背にある帯の結び目が大きく上下するのを、ただただ見つめているばかりでした。

 やがて誰かがやってきたらしく勝手口の方から案内を乞う声が聞こえました。母は急に泣き止み、今泣いていたことを誰にも言ってはいけないと、わたしに厳しく言いつけて立ちあがりました。その時に母の胎内には半年後に生まれる第三子がいましたから、その慟哭は当然でしたが、世間で表向きには、戦場への出征を嘆くのは非国民でした。

 父は南方戦線に送られるのを姫路城内にあった兵営で、しばらく待機していました。何回か母と共にそこに面会に行った記憶があり、幼児には楽しい遠足でした。だが、負け続ける日本軍は制海権を失い、輸送船もなくなり南方行きは取りやめになりました。母とわたしたちには幸運でした。

 1945年春に父の隊は小田原に移駐しました。湘南海岸に上陸するであろう連合軍を迎え撃つべく、本土決戦準備をしていました。小田原はその敗戦記念日となった日に、アメリカ軍の空襲を受けたのですが、父は仰撃陣地づくりの山中に居て無事でした。敗戦の月末に帰宅したときは、家族が一人増えていました。

 こうして幸いにも母の嘆きはむなしいものとなり、戦争が終わると同時に夫を無事に取り戻すことができました。しかし母の実弟は、その年の5月にフィリピン・ルソン島山中のジャングルで戦死し、その若妻と乳児が母の実家に残されたのでした。思えば敗戦時に、父母はともに35歳でしたが、3度の戦争兵役を経て夫婦ともに健在は、奇跡的だったかもしれません。

●国民学校初等科の戦中戦後 

 戦争教育については、国民学校初等科の低学年ですから、あまりそれらしい記憶はありません。修身の時間に校長先生が教室にやってきて、神話の話をしたような気がします。広くもない校庭でグライダーを見た記憶があります。

 本館に天皇の写真があるという奉安殿があり、前を通るときに「奉安殿に礼!」の号令で一礼しました。ある時、悪ガキ上級生が「オオアンゴウに礼!」と怒鳴って逃げて行きました。岡山方言で大馬鹿者の意味です。

 校庭で毎日の朝礼の時に、壇の上に立った先生か上級生かが、モールス信号の機械でなにか文を打ち、分かった生徒は手をあげて答えます。今のクイズのようで面白く「イトー」「ロジョーホコー」と信号を覚えたものです。こうして「銃後の少国民」が育っていました。

 戦争が終わると、月に1回ぐらいの割合で、学級に編入生がやってきました。ほとんどが引き揚げ者、つまり中国や朝鮮半島からの帰国者のこどもです。はじめは転校生に違和感をもっていても、子どもはすぐに仲良くなりました。田舎の子には刺激になりました。隣町の小学校に、満州の奉天(現在は審陽)からの引き揚げ少女が編入しました。ずっと後にわたしの連れ合いとなる人です。

 敗戦の年は教科書が問題でした。教育方針が180度転換して内容を変える必要があるけれど、紙がないし印刷も間に合わない。学校からの指示にしたがって、それまで使っていた教科書のあちこちの文章を、母と一緒に筆で墨塗りしました。教科書は大切にして汚さないようにといわれ、使い終われば知り合いに譲っていたものでした。それをこんなことしてもよいのか、と思ったものです。

  でもそれは、なんだか面白い作業でもあり、あちこち消すために終わりのペー ジまで読むことになり、ちょっと勉強した気になりました。消すところは国語に多くて、どういうわけか理科にもあったような気がします。なぜここを消すのか不思議に思ったところもありましたが、母がそういったのかもしれません。

 次の年、印刷した新しい教科書がきましたが、それは製本してありませんでした。8ページ分が1枚になったままの数枚でしたので、それらを切りはなしてページ順にそろえて、自分流の表紙をつけて1冊の書物に作り上げました。自分が教科書を作ったような気になりましたが、それは今のわたしの「本づくり趣味」のルーツかもしれません。

 大人たちは価値観の大転換に直面してとまどい右往左往でした。小学校の教育のやりかたも変わり、教室の席の並び方が何度も変わった記憶があります。黒板に向いて先生の話を聞く授業から、みんなで話し合って考える方式になったらしいのです。でも、教師もよく分かっていないらしく、グループに分けたり、丸くならべたり、四角にしたりと、あれは実験していたのでしょうか。

 時には、教師が授業中に黒板に書きながら、「こんなやりかたをしてはいけないんだけど、」と、弁解していた記憶があります。それは戦時中の教育方法で、これからはやってはいけないと教育委員会あたりからでも言われていたのでしょう。どこがいけないのか子どもには分かりませんが、教師が学童に弁解するのもおかしなものだと思いました。大人たちは狼狽していました。

●新制中学校へ

 そんな中から、戦後民主主義教育は着々と進んできました。戦後の教育改革でわたしが出会って当惑したのは、1947年に新制度になって新しい中学校が誕生したことです。盆地内には旧制の中学校がありましたが、これを新制の高等学校としたので、新制中学校は盆地内の別の場所に建てられました。

 ところがその新制中学校の急造校舎は狭くて、生徒が入り切らないのでした。そこで二年生からそこに入ることにして、進入の一年生は盆地内の南端にあった南小学校の空き教室に仮住まいしました。わたしたち小学校を卒業してまた別の小学校へ通うのでした。

 わたしの家は盆地の北の方でしたから、通学路は盆地を北から南まで縦断する遠距離でした。2年生から急造校舎の本校へ通うようになりましたが、校庭は狭く、校舎は粗末、鉄道騒音や工場悪臭など、酷い環境でした。だからでしょうが卒業数年後に他に移転しました。

 でも、ここでよかったと思うことは、新制中学校には戦後の新しい高等教育を受けた教師が赴任してきて、素晴らしい教育に出会ったことでした。わたしは戦後民主主義教育の最前線を歩んで来て、「民主主義スクスク世代」と自負しています。教育は敗戦がもたらした良いことでした。

●空腹の日々 

 敗戦は飢餓をもたらしました。幼い少年にとってはここから戦禍が始まりました。盆地内の別のところに、神社経営を支えていた広い小作の水田がありましたが、農地改革でなくなりました。長期割賦支払いの補償金は、戦後の超インフレにより紙屑同然になりました。

 神社の小作米収入が消えて、父母は食糧の調達に苦労をしていたようです。5人家族が食べていくのは大変なことだったでしょう。神社の広い境内広場は、戦中は武道鍛錬の野外弓道場でしたが、戦後は芋畑に転じました。子どもにはただただ空腹の記憶ばかりです。

 なによりも、戦争推進の末端組織の一つでもあった神社への信仰が、敗戦で地に落ちてしまいました。父の神社神主という職業自体がなりたたなくなり収入の道が絶えたようです。 教科書も給食も有料でしたから、学校への支払いについての親の態度で、わが家の経済状態が児童のわたしにもよく分かりました。数年後に父が高等学校に事務職を得るまでは、家計は大変だったようです。

 大人たちは、どこでもいつでも食糧調達の話ばかりしていました。それが大人の通常の会話なのだとわたしは思っていたのですが、あるとき伯父が誰かとの会話で、こんな食い物の話ばかりして世の中困ったものだ、というのを聞いて、これは大人にも異常な状況なのだと気がついたことがあります。

 小学校で給食が始まりました。脱脂粉乳を湯に溶いたミルクと、マイロ粉という輸入トウモロコシ粉の黄色コッペパンがメインで、たまに干した果物がついたりしました。当時でも美味だったとは言えませんが、空腹のこどもには嬉しかったものです。多分、一番嬉しかったのは、一食分を食べさせなくてもよくなった親たちでしょう。

 まともな主食はなくて、朝早く行列して買った水ぶくれこんにゃく、麦のほうがはるかに多いお粥、野菜たくさんの雑炊、薄いうどん粉団子のすいとん(団子汁といいました)、蒸したさつま芋(これはご馳走)などが主役でした。もちろん、これらが同時に食卓に並ぶことはなく、一人あたりの量もすくなく空腹でした。あの頃の親たちは、自分の分を減らし、時には食べないで、こどもに食べさせていたはずです。思い出したくない食い物の恨みです。

●神社に今ものこる戦争の傷

戦争に行った釣り鐘の帰還を待ち続ける御前神社鐘撞堂
 生家のあった御前神社は、今も境内の山林も広場も変わりなく存在しています。戦前からの社殿建築の本殿、拝殿、御輿蔵、鐘撞堂もそのままに建っています。変わったのは老朽化した社務所が建て替えられたことと、宮司の社宅(わたしの生家)が消滅したことです。

 実は神社建築にはいまだに癒えない戦争の傷跡があります。それは17世紀から鐘撞堂に釣られていた時の鐘(1651年設置)が、鋳潰されて兵器となるために1940年に金属供出され、いまだに不在のままであることです。鐘のない鐘撞堂は鐘の帰還を待ちくたびれて、今や立ち腐れしようとしています。

 この鐘は城下に時刻を知らせる「時の鐘」の役目で、当時の藩主により設置されました。藩政期には鐘守役の人たちの住む長屋が近くにあり、毎朝夕の定時につきました。維新以後は神社に帰属して宮司が守役となり、父も撞いていました。父が不在の時は母が撞いていました。高い楼閣に上る急な階段は、結構怖いものでした。

●またもや戦争の気配

 今、世界各地で国家間や国家内部で紛争や戦争が起きて、止みそうもありません。欧米諸国でも日本でも、あの戦争を忘れた言説を唱える極右政党が台頭しつつあります。理解できない奇妙な言動をする大国リーダーたちもいて、力を振り回しています。
 なんだか世界戦争の再来の気配です。戦後90年、戦後100年には、第三次世界大戦になっているに違いない雰囲気です。しかしそうなるにしても、その時にはわたしは存在していないので、安心です。その前に「絶対究極安全圏」へ、早急の避難しておきたましょう。もう88年も生きたので人間生活は十分に体験しました。

(2025年8月14日記、補綴2025/0817)

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戦争の記憶
父の十五年戦争

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2025/04/10

1877【戦間期終わるか】昔の防空壕をシェルターと言い換えてすでに用意を始めたらしい日本

 

そろそろ防空頭巾を用意するかな

●あれから80年余またもや防空壕か

 どうやら戦争が迫っているらしい。ひたひたと足元に来ているようだ。今朝(20250410)の新聞で、小さな記事を読んで、そう確信した。こんなべた記事だが、こんなことを政府が調査していることに驚いた。いや、知らないのはわたしだけで、驚くのが遅すぎるのかもしれない。あれから80年、またもや防空壕が必要らしい。


 これって、昔々わたしもよく見たことがある防空壕でしょ。ほら、80年ちょっと前の頃、空から飛行機で爆弾落としに来る時代を迎えてしまって、家の裏山の崖に横穴を掘って、避難する場所を作った。都会では、家の地下に穴を掘って、そこに避難する場所をを確保した。

 空襲でそこに逃げ込み避難して助かった者もあれば、火の海となってそのまま蒸し焼きになった者もいた。
 そんなことを思いつつこの記事を読んだら、同じ新聞の別のページに右のような記事が載っている。あの戦中の防空壕政策でむしろ被害が大きくなったというのだ。

 今ではビルが立ち並ぶ都会では、地下室のあるビルも多いから、上の調査のようになるだろう。しかし戸建て住宅地では、やはり地下を掘るしかないだろう。

 だが、思うにあの頃の戦争と、今の戦争はどう違うのだろうか。名をシェルターと替えた防空壕は、いまでも有効なのだろうか。

●バカトラ世界関税戦争が引き金か

 このところUSAのトランプのバカが暴れており、世界経済戦争が始まった。関税という経済ミサイルを世界の国々に見境なく、或は狙いを定めて、次々と発射している。発してみて突然やめたり、2重に発射したり、出たとこ勝負を好き勝手にやっている。いやまったく面白いだろうなあ、世界を手玉に取っている気分だろうなあ。

 だが、これが本物のミサイルになる日が、もうすぐやってくるに違いない。かつて日本が戦争に乗り出したのは、ABCD包囲網とか言って、経済封鎖を国際的にやられたことが、直接的な原因と言われている。

 とにかく今はロシア、ウクライナ、イスラエル、ガザ、中東、ミャンマー、アフリカ諸国などなど紛争があちことであり、いつ戦争になってもおかしくない。
 そんな不安全な地球に、平和なはずのUSAから経済紛争をこんな生っぽい形で仕掛けてよいことがあるはずがない。今のトランプ関税攻撃が、どこかに戦争の引き金を引かせるかもしれない。
 それにしても思うのは、あの国の大統領選挙民の目を覆わんばかりのバカさかげんに、先達だったUSA民主主義の余りの凋落ぶりである。よくもこんな人を選ぶものだ、バカUSA国民どもよ!

 そうか、だから今から防空壕なのかい、おっと、今はシェルターと言うそうだ、戦争シェルターというのかしら、そういえば、ちょっと前には「核シェルター」が話題になったことがあった。
 そうだ、あの福島原発爆発の時は、本当にシェルターが必要だったんだな。いや、これからも日本全国にこんなにたくさんの核発電所があるのだし、もっと増やそうとしているようだから、多数の核シェルターが必要だろう。

 日本はどこかから飛んできたミサイルが、どこの核発電所にぶつかれば、それでもう核戦争になってしまう環境にある。福島原発爆発で、その恐怖を実体験したのに、核発電所をやめようとしない。何故だろうか。

 そういえば防空頭巾というものもあったな、用意しとくかなあ。飛散核物質除けに役立つかどうか知らないが、ないよりはよいかもしれない。それよりもなによりも、できるだけ早いうちに、事前避難しておく方がよいとの思いがますます強くなる。
 その点、わたしには身近に絶好の避難シェルターがある。そこに今のうち避難しておけば、それからは2度と避難の必要がない絶対的シェルター、それはあの世である。

(2025/04/10記)

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2024/09/01

1834【ようやく秋】猛暑や豪雨が毎年だから今や異常気象じゃなくてこれが普通かも、戦争もこれが普通かも

 今日から2024年9月、停滞のろのろ台風でこの数日は雨続き、おかげで涼しくなって、秋の気分だ。例年になく暑い夏と言っていたが、やはり秋は来るものだ。そして水害という災害も毎年のようにちゃんと来るものだ。異常気象が異常でなくなる時とは、災害も暑さも例年通の過酷現象になったときだろう。いつも異常だと異常とは言えなくなるからだ。

●異常気象が普通になる

 コメが食品店から消えてもう何日になるだろうか。これも異常気象のせいだろうか。しょうがないから三食を麺かパンか外食に頼る毎日だ。
 米を買えない現象はいつだったか大不作の年があって、タイから緊急輸入したのだった。今年はどうなんだろうか。農水省がコメの作柄を発表している。不作でもなさそうだからもうちょっとの辛抱か。


 このコメの状況のマップを見て思ったのは、コメは熱帯植物とばかり思っていたら、北海道や東北の方が育ちがよいらしく、冷温帯の植物に変化していることだ。
 これはコメの品種改良によるのだろうが、それよりも気になるのは、暑い日々が続く異常気象が定着して、コメも南方よりも北方の方が育ちやすくなっているのだろう。南方の昆虫や魚が来たのちや海でみられると同じことで、稲も次第に北上しているのだ。
 念の為2016年の同じマップ(右)を見たら、ほぼ傾向は同じだから、もうずっと前から本州中四国はもとより北海道も熱帯に近くなっているらしい。

●コロナは今や第11波だが

 異常気象が異常じゃなくなれば、新型コロナ禍も普及してしまって、いまや異常ではなくなるほどにも定着してきたのかもしれない。5年前の当初から数えると感染の流行の山は今や第11波だそうだ。こうも何度もやってくると異常ではなくて普通のことに思ってしまうのももっともだ。マスクもつけなくてもいいや、飲み会やって大声でしゃべりあってもいいや、なんて思う。

 2020年初からのコロナ来襲で、人々との出会い制限が特に老人には強烈にはたらき、社会的ネットワークが次々となくなってきた。これに加えて2021年から家人への介護が始まり、コロナ禍と老々介護が重なってくるともう身動きとれない日々であった。辛かった。

 今コロナ禍はほぼなくなり、家人の介護も7月末に終了し、5年ぶりに獄外に出て自由な日々を謳歌してよい日々が来た。ただし、その間にわたしに老いを確実に重ねてもいたのであった。いったん切れた社会的ネットワークはおいてしまうともう元には戻らないし、身体の老化も不可逆である。この最晩年という貴重な日々を失ったのは、大きなショックであった。

●プーチン戦争は泥沼化して続く

 そして今のもう一つの大きな悩みは、s無所の地球の争いと分断である。プーチン戦争については報道メディアのニュースは小さくなってきたが、コロナのように終息が見えてきたのではなく、むしろロシア本土攻撃へとウクライナは戦争拡大の様子である。

 これは泥沼戦争なのか、かつてに日本軍がチャイナへと攻め入った日中戦争と同じかどうか知らぬが、日本の軍部が当初考えていた短期終結が泥沼化したようなことを、今はプーチンがやっているのだろうか。
 クリミア半島は朝鮮半島であり、東南部諸州は満州のようなものか。日本の失敗の歴史的教訓をプーチンに教えてはどうか、なんて思う。いや、もっと近い時代にもベトナム戦争とか9・11復讐アフガン戦争におけるUSAの泥沼敗退の歴史もあるよなあ。
 
 気候はどんどん悪くなるし、戦争はあちこちでやまないし、USAトップ選挙に代表されるような人間社会の分断は地球上のあちこちで起きているし、わが身は老いに迫られているし、全くろくでもない時代に生きてるものだ。もしかしたら、異常気象が定着して異常といえなくなるように、戦争も定着してこれが人間の普通の地球というようになる時代が来る、いやもう来ているのかもしれない。と、慨嘆しきりの日々である。
(20240901記)
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2024/08/16

1832【敗戦記念日定点観測】靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に戦争残滓と予兆を探る徘徊

 8月半ばになっても暑い日が続く。それでも思い立って、昨日(2024年8月15日)のこと、東京九段の靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑を徘徊して来た。そう、参拝ではなくて徘徊である。

 5年前までは毎年のこの日、つまり太平洋戦争敗戦放送記念日に訪ねていたのが、この数年はコロナパンデミック老々介護に襲われて遠出することができず、2020年を最後に途切れていた。今年の夏はコロナも遠ざかったようだし、2年余の老々介護が終了したので、ようやく復活した。

 なぜそこを毎年8月15日訪れていたかといえば、そこに祀られる戦死者への参拝では決してないのだ。その日にこの二つの場に出現するあの戦争の残影を眺め、さらに次の戦争の予兆を探り観るためである。いわば社会見学的な野次馬見物である。
 4年ぶりの九段徘徊だったが、靖国神社には大勢の人出であり、それに比べて戦没者墓苑は静かなものであった。

九段坂上へ

 九段坂下の地下鉄駅から靖国神社に一番近い出口を地上に出ると、いきなりにぎやかな客引きの群れというか、ビラ配りというか、各種の政治的アピール集団が歩道の両側に並び、まことにかまびすしいのは例年通りだ。
 さまざまなその集団は、日本の右寄りの人たちばかりではなくて、台湾やチャイナからの政治的な訴えもあるようだ。ウィグル族の訴えがあったのは、これまでで初めてだ。





 それらの勧誘をかわしつつ抜けて、靖国神社境内の外苑に入り大鳥居をくぐると、一転して静かになる。10年ほども前まではこの境内の中にいろいろな訴えの集団がいて煩かったものだが、今は排除されてしまったので参道は広々としている。

 4年前まではこの広場にテントをはって、何か記念集会らしもの催されて、演説のようなものが聞こえていたものだが、それもなくなっていた。もっとも、その集会がなくなったのではなく、野外ではあまりに暑いのでどこか室内のホールにでも場所を移したのかもしれない。


 それでも毎年おなじみの軍服コスプレのおじさんたちが数人いて、日の丸や日章旗を掲げたりしているが、いっときと比べて勢いがない。

軍服コスプレおじさんたち

 十数人の集団らしきの男女たちが、何かの記念碑を囲んで国歌や軍歌の合唱をしている。靖国神社らしい音楽だ。
 前にはよく出会った見るからにウヨク集団らしいお兄さんたちに、今回は出会わなかったのは、いなくなったのではなくて、わたしが来るのが遅かったからだろうか。

君が代や軍歌を合唱する人たち

 内苑に入る二の鳥居をくぐると、神門から行列がはみ出している。拝殿まで続く参拝の待ち行列である。この暑い中をじっと立ち尽くしてそろそろと列が進むのに従っている。わたしは参拝者ではないので、その横を通りぬけて神門をくぐる。そして能楽堂を横に見て、遊就館に入る。

神門外に伸びる拝殿からの参拝者行列


拝殿前

遊就館展示

戦記物は戦意高揚の本ばかり

戦争コスプレさせている母と子

 ここまでいつものコースである。今年の様子を一応眺めたので、これでもう引き返すことにした。これまでと比べて、境内全体が少し落ち着いてきた感がある。それでも戦争の残滓の臭気が漂う。

千鳥ヶ淵へ

 南門を出て、千鳥ヶ淵に向かう。堀の沿った桜並木の木陰道は、この暑い日でも気持がよい。歩く人が急に少なくなってしまった。堀の向こうの森の上に、東京駅あたりだろうか、超高層ビルがたくさんに建ち並んで、でこぼこのスカイラインを見せている。しばらく来なかったら、森の上部の風景がずいぶん変わった。

千鳥ヶ淵の桜並木も老いてヨレヨレ

森の上に都心超高層スカイライン出現

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、いつものように靖国神社とは比較にならぬほどの少ない人である。これくらいの人、建物、緑の密度が最も気分がよい。
 六角堂には礼拝する人たちが十数人集まっている。その中で女性が立ち上がって何かしゃべり始めたが、拡声器付きやかましくい。雰囲気が壊れる。つい耳に入ったのはコリアヘイトスピーチであった。そうか、ここにもヘイト集団がやってきたとちょっと驚いた。これも戦争の残滓であろうか。

靖国神社と比べて静かな戦没者霊園にもヘイトスピーチ

 長居は無用と引き返して九段坂を下りつつ見れば、かつての軍人会館、今の九段会館が復元保全修復されて見え、その背後に超高層ビルが建っている。これもいわば戦争の残滓のひとつである。
左に菊竹清訓設計の昭和記念館、中央に旧軍人会館、右に九段会館新高層ビル

 九段坂下の交差点に来れば、おお、やっているよ今年も、ウヨクさんの演説である。通り過ぎようとして耳に入ったのは、ここでもコリアヘイトスピーチであったのは、今はこれが右方面では流行っているのだろうか。

九段交差点のウヨクさん

 日の丸デモ行進が来るかと思ったがが来なかった。しかし、戻ってからYOUTUBEを見ていたら、デモの映像が出てきたから今年もやったらしい。ずいぶん大勢の中年や若い男女が、こういうデモに参加するって、そういう時代が来たのかなあと、これは毎年8月15日に感じる戦争復活の気配である。
九段下の日の丸デモ(youtubeより引用)

 そうやって久しぶりの九段徘徊だった。靖国界隈の戦争の残滓と気配は、5年前と大きな変化はないようだった。戦死者賛美の空気は色濃く漂うのである。
 そこでいつも思うのだが、戦争兵員として殺されたものは、その一方で人を殺した可能性がることを、だれもが忘れていることだ。そしてあの戦争で死んだのは日本人だけではなく、それ以上の人々がアジア各地で死んだことも、これまた忘れていることだ。

 これまでの九段徘徊につてはずいぶん書いてきた。わたしが戦死者を悼まない理由も何度も書いてきた。今年で最後になるかもしれないので、これまでの一連の8月15日の思いをまとめておく。
 〇2005年と2013年・靖国神社815定点観測風景2005、2013
 〇2014年・終戦記念日の靖国神社の喧騒と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の静寂
 〇2017年金モール軍服長靴の若者がスマホをいじる靖国の夏
 〇2018年・夏まつり森の社のにぎわいは今日も戦をたたえる見世物
 〇2019年敗戦記念日は東京九段の靖国神社に戦争の残影を見物に
 〇2020年・コロナ禍敗戦記念日の変わらぬ靖国神社風景が怖い
 〇2021年・この前はアメリカに敗れこの度はコロナに破れかぶれ
 〇2022年あの敗戦から77年の歳月に次々と戦争の日々が重なる 
 
2023年・敗戦記念日に戦争準備を叫ぶ政治状況に閉口するばかり

 それにしても、今年もいつものコースを歩きとおすことができたが、5年前には普通に歩いた道のりに苦労するようになり、来年があるかどうかわからない歳になってしまった。
 乗り慣れていた地下鉄の駅駅でうろうろ迷ってしまった始末は、わたしが老いたのではなくて、この間に駅改造や路線進展のためであると思いたい。次は東京駅周辺と渋谷駅周辺の徘徊に出かけなければなるまい。そう、浦島太郎気分で街で迷うのは楽しいものだ。

(2024/08/16記)

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2024/04/01

1807【四月バカの日】戦場と戦争準備の記事の日々エイプリルフール毎日であれかし

 2024年4月1日東京新聞、見開き全部が4月バカ記事ばかり。もちろんのこと広告の腰痛薬も、飲む目薬も、オーディオ高価買取も、男の悩みズバリも、み~んなエイプリルフール!(だよね)。


 更に下に載せた同日の別面の記事、沖縄ではもうすぐ戦争になるから準備を始めたというのだ!、これももちろんエイプリルフール記事であろう、これこそ四月バカであろうなあ。


 日本が戦争する気になっていることは、エイプリルがまだ来ない数日前のこんな新聞記事にも表れているから、もう確実に本当のことであろう。いやだいやだ。
 安倍政権のころから特にそうなのだが、じわじわと戦争やりたい気分が日本国政府には高まってきている気配であったが、ここまで来ているのである。いやだいやだ。


 わたしはギリギリ戦争当時を身体的に知る年齢である。戦争によって少年時に最も身に応えたことは、日常的に食べるものが少なくて、いつも腹を空かせていたことだった。食い物の恨みは一生続くものだ。たぶんそのころの親たちは、自分が食べる分の食事を、その子たちに食べさせていたのだと、大人になってからようやくわかったのであった。

 幸いにもわたしの子等にそれを体験させないできたが、どうやら孫(わたしには孫はいないが)の世代の親子たちには、またもやありそうな気配だ。すでに外国では現実にウクライナやパレスチナあるいはミャンマーで起きているから、日本にそれがやってくるのは確実だろう。

 もう年とってよれよれになって何もできないわたしは、この現実から早く立ち去るしかない。そう、「あの世」と言う絶対的に安全にして、いつでも行くことができる避難先を用意しているのだ。

戦場と戦争準備の記事の日々エイプリルフール毎日であれかし

(20240401記)

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2023/12/10

1761【国連右往左往】米・英・独・仏・伊・蘭・露・印・土・白・波・越・宇いくつ判るかな

 イスラエルのパレスチナのガザへの攻撃は続く。国連安全保障理事会では何度目かの即時停戦決議案が、9日に提案された。15常任理事国の内で13か国が賛成、反対1国、棄権1国だそうだ。常識ではこれで決議案は可決だが、USAが拒否権発動の反対で没になった。
 棄権はUKであり、西側諸国の代表的な2国が停戦に賛成のである。いろいろ国際情勢で理由はあるのだろうが、いずれにしても困った地球である。

休戦決議反対の手をあを挙げるUNITED STATES
 
 この写真を見て、UNITED STATESUNITED KINGDOMの国名表示にふと思った。これらのどこにもアメリカとかイギリスとか、日本のマスコミが使う国名が無いのは、どうしてなのだろうか。国連が使う国名と違うのはなぜか、日本では間違った翻訳をしたままで使っているのだろうか。

 マスコミでは表記を短縮するために米国とか英国とか書くこともおおいが、これこそ明治かそこらの開国当時の外国語の漢字表記をそのままだろう。独、伊、露、比など使わないのはなぜか。あまりに古すぎてもう通じないと言ってもよい。ときにとあるので食べると勘違いする。米国はよしてほしい。英国も今では何の意味もないからよしてほしい。

 参照:http://www1.odn.ne.jp/haru/data-list/w_ryaku.html

 米国を正式に日本語で書くとなるとアメリカ合衆国なのだから、これもめいじかよ~と笑うしかない。連邦というのが普通だろう。ときに合州国と書く人もいるが、stateを州と翻訳したから、この方がそれなりに合理性があるように思える。

 話を戻して国連で机の前の国名であるが、UNITED STATESUNITED KINGDOMもどちらも一般名称であり、国名という固有名詞ではないのはなぜか。世界で俺たちの国だけが連邦だというのか。大国の影をひけらかしているのか。

 ちょっと調べたら、United Mexican StatesUnited Republic of Tanzaniaという国名がある。ならばメキシコもUnited  Statesであり、タンザニアはUnited Republicだろうか。一般名称を国名にするのは、思い上がりというものだ、とそんな嫌な感がある。特にUKとUSAの地球上における大国としての歴史を考えると、気持ちが悪い。

 国名ついでに言うと、北朝鮮というのも何とかならなものか。国交がないからとか、棄権跡売り者がいるからとかで、わざと見下す言い方をするのは、どこか子供っぽい。もっと大人になって朝鮮民主主義人民共和国(Democratic People's Republic of Korea)の短縮国名を使ってはどうか。

 実は韓国についても同じように思っているのだが、大韓民国(Republic of Korea)が正式国名だから、短縮するなら大韓というべきだろう。ついでに中国もおかしいと思っている。大国、中国、小国に通じるから、今や大国に復活したから変えるべきで、中華人民共和国(People's Republic of China)ならば中華または中共と短縮するべきだろう。そういえば、国民党と内戦やっていたころは、中共といえば中国共産党のことだった。

 それで思い出したが、日本JPANはこのままで良いのだろうか。だって当事国の人たちは誰にトリとして、じぶんのくにをJAPANと呼ばないのに、国連など外国ではJAPANと呼ぶのは、どうかんがえても奇妙と思う人はいないのかしら。

 USA人たちは自国をアメリカとは呼ぶことはなくて、UNITED STATESと自国を呼ぶ。そして国連での表記もUNITED STATESである。
 一方、日本人たちは自国をJAPANと呼ぶことはなくて、日本と呼ぶ。それなのに国連での表記はJAPANである。USAがそうならば日本も、国連ではNIPPONまたはNIHONと表記するべきであろう。
 この食い違いはどこから来たのだろうか。政府は是正する必要はないのか、その気もないのかしら。もっとも、わたし個人は困らないが何となく気分がすっきりしない。

 (20231210記)

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伊達美徳=まちもり散人
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