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2025/03/31

1875【大岡山恒例花見これが最後】願わくは花のもとにと来てみればあはれ花こそ先にゆきけれ


●毎年恒例の母校へ花見に

 花見に大岡山に登ってきた。満開ではなく八分咲きというところであろうか、まあ、よろしい、毎年恒例の大岡山花見登山も、これでおしまいだな、わが年から言っても、今やそんなころ合いだな。

 そもそも母校の名前が変わったし、何よりも学んだ建築意匠系(歴史)の学科が、田町キャンパスに移転して出て行ったそうだから、もう余所だよなあ。さすがに卒業後66年も経つと、ソフト面もハード面も大きく変わってしまい、ほぼ縁がない場所になった。

 そんなことで桜の花見も、これが最後と思って見れば、もうヨレヨレ真っ黒デブデブコブコブの老木が、わが身に似て見えるのもつらいものだ。ついつい花よりも老幹を見る。そしてとうとう次世代の若木に交代する現実も見た。では、最後の花見報告を書いておこう。

 大岡山駅を出て見回すと、左に百年記念館(篠原一男設計)という大岡山のランドマーク、右に蔵前会館(坂本一成設計)の風景は変わらない。あのワニ口のような半円筒の突出は、まさにこちらの駅に向かっており、招いているらしい。


正門前からキャンパスを眺める。

 正門から振り返って駅前方面を眺める。左の草に覆われた病院の建築(安田幸一設計)が駅舎。

 正門を入ろうとするとこんなキャンパス図がある。オヤ、去年の花見の時とは違うぞ、東京工業大学から変わって東京科学大学とある。もちろん知ってはいたがこうやって見ると、よその大学に見える。工業よりも科学の方が格が上だな、だって科学を基礎にして工業があるんだもんね、ちょっと大学の格が上がったかも、なんて考える。
 Institute of SCIENCE TOKYOとあるから、略称はIOSTだろうか、それともISTかしら。改称前の東工大はTOKYO INSTITUTE of TECHNOLOGYであり、わたしが在学していたころは略称をTIT としていた。所属していた山岳部はTITーACといった。
 なお、英語のスラングでtitとは女性のおっぱいのことである。それかあらぬか、いつのころからか略称をTokyo Techというようになっていた。
 
 さて今年もキャンパスを通り抜けて帰ろう。結果としては大岡山から緑が丘を経て、裏門からキャンパスの外へ出て(赤い線は実際に通ったところ)、更に九品仏川緑道を自由が丘まで歩いてしまった。
 マイペースでノロノロだが、昔よく歩いた道を今も歩くことができたのが、われながらエライもんだ。これでもう終わりにする。

 正門を入ったところから構内を見る。右に図書館(安田幸一設計)左に滝プラザ(隈研吾設計)。滝プラザまだ屋根の上の緑が育たないらしく不細工な姿のままである。早く森に埋もれてほしい。これはもしかしてここにある百年館や図書館や七十年館の引き立て役としてのデザインをしたのかもしれない、なんて思う。


●老木は頑張って今年も花を

 では本館前広場の定番写真である。まだ枝の先の方まで咲きそろってはいないが、あのよろよろ桜が今年も咲いた。その齢は70年にもなるはずだが、偉いものだ。ヨレヨレと曲がる枝がすごい。

 左正門から右の図書館まで、本館前のパノラマも定番。滝プラザが緑の中に隠れるのはいつになるのだろうか。

 では桜の花の下に入ろう。上を見上げればいつもの用の本館の時計台が見える。あの時計のあたりに山岳部の部室があった。そこまでエレベーターもなく平気で昇り降りしたし、それどころか塔の屋上に出て、外壁をアップザイレンの中吊りで降りたこともある。

 花は咲いているが、それを支える幹を見れば、そのあまりのヨレヨレさに、かえって興味をそそられるほどだ。わたしが卒業するころにようやくちらほらを花を咲かせだして(参照→1950年代の桜とキャンパス風景)、片手で握れるほどの細い幹だった若木が、今やこんなになってしまった。それはもう、わたし自身の身体そっくりであると、感慨と嫌悪とを交互に催すのであった。 



●ついに世代交代が始まってしまった

 だから老い木がいつ死んでもよいように、この桜並木の背後には若木が立ち並んでいるのだ。既に花を咲かせつつ交代を待っているのである。交代がいつ起きるか楽しみである。


 老い木と若木の花との饗宴であるが、明らかに老い木の劣勢がみえている。

 ややっ、ここの老い木はついに世代交代しているぞ、う~ん、既に若木に植え替えられてしまった。たしか去年はここにあった老い木がまだ花を咲かせていたが、あれは断末魔の姿であったか。
 眺め渡すと交代したのはまだこれ一本だけらしいが、来年はさらに増えるだろう。いやどれも断末魔模様だから、全部植え替えられているかもしれない。これはまさにわたしたち年代のことである。そうかそうか、悲しむことではない、後継がいることをむしろ喜ぶべきだが、さてさて。
 
 では世代交代桜への感慨を書いておこう。それには歌を詠むのが格好よろしい。ここはやはり桜の花を大好きだった先人の西行法師についていこう。
  
 願はくは花のもとにと来てみればあはれ花こそ先にゆきけれ

●花のキャンパスをゆく

 右に七十年講堂(谷口吉郎設計)を眺めつつスロープを下っていく。この季節は花とともにこの名作を眺めるのを大好きだ。
 昔々山岳部の訓練で、このスロープにあった洗濯板状の坂道をうさぎ跳びで登ったものだったが、あれはひどかった。今も足だけは丈夫なのは、そのお陰でもあるまいが。

 スロープ下の花越しに眺める本部の建物は清家清の設計である。こちらにも敬意を表しておこう。

 ちょっと戻って、東急線路上の橋から眺める景色。手前の空き地は昔々水力実験室(谷口吉郎設計)があったところで、水銀汚染で建物撤去したのちも、土地も汚染で使えないらしく空き地のまま。
 その向こうに見える丸屋根の建物が新築で、ここに建築系学科が緑が丘の上から移ってきたそうだ。ただし、建築意匠系は田町キャンパスに出て行ったそうだ。ということは、わたしは意匠系の建築史の研究室だったから、もうここには縁がなくなった。


 よく知らないが、科学大学と銘打った限りは、文理融合の教育と研究の場とするためだろうに、建築意匠系といういわば人文科学系だけを追い出してよいのかしら。まさかと思うが、工業大学の中では建築意匠系という人文科学系が邪魔だったのだろうか。さらに思うのは、リベラルアーツ系も田町に移ったのかしら、まさかねえ、そうなら文理融合どころか文理分離であるよなあ、まあ、何も知らないのだけど、。

 このあたりが新築された建築で、緑が丘から移ってきた土木・建築系の入る棟らしい。スカイラインが円弧を描いているのは、近くの七十年講堂に倣った景観デザインだろうか。

 東急線のガードをくぐる前にグラウンドに行ってみた。地面が見えなくて緑の人工芝であるようだ。向こうに見える白い低層建築は体育館であり、東急設計コンサルタント設計(実は建築同期の後藤宜夫と笠原弘至の設計)である。
 わたしが在学の頃は体育館は大岡山駅前にあり、どこかの飛行場の格納庫を映して持ってきたと聞いたことがある。わたしは入試をそこで受けた記憶がある。東急が駅改良のためにその土地が必要となって移転してここに来た。だからこれは東急の寄付によるもので、設計も東急設計コンであり、その社員だった笠原が担当し、親しい後藤を外注の相棒に選んだと、これは笠原から直接に聞いたことだ。

 大岡山地区から緑が丘方面への線路トンネルは、歩行者専用となっているが健在である。去年もこうだったが作り直すのであろうか。

 心字池のあるあたりは、キャンパス内では珍しく建築が入りこんでいなくて、公園のように緑が濃い。実を言えばそれもそのはずで、このあたりは都市計画で公園に指定されているのだ。いずれ公共公園整備がされて、公開されるだろう。

 心字池は無粋にも金網で囲われている。もったいない。

 森の中にはワグネル先生の碑がある。ここにはしょっちゅう来たことがあるが、実はワグネル先生とはどんなお方か全く知らないし、知ろうともしないできたが、この碑文を読んでみればわかるだろう。

●昔々住んでいたあたりの今は

 池のほとりを歩いてゆけば、昔々に2年間を暮らした如月寮があったところだ。キャンパス内だから教室にちかくて便利だった。今は自動車部の部室が建っている。

 中学校グラウンドとの間を抜けると向こうに、呑川を渡る木橋が見えてきた。昔々は橋はなくて、流れの上に板をかけて向こう岸にわたり、崖を昇ったものだ。

 橋の上からの三川沿いの桜を眺める。

 橋を渡れば、昔々はこの丘の上全部が向岳寮で、わたしは1年間住んだ。どこかから移築してきたという古い木造平屋の寮室群が2棟、ほかに食堂とホール棟が建っていた。火が出ると全滅だなと思っていたが、わたしが出てから何年か後に燃えてしまった。寮は再建されることなく、跡地には建築、社会工学、土木系の教室研究室が建った。それらも今、建て直されている。

 ここには田町にある付属科学技術高校が移転してくるそうだ。建築・土木棟、社会工学棟が建っていた敷地はきれいさっぱり空き地になり、ただいま高校校舎工事中である。
 掲示を見れば、その設計は石本建築事務所である。たぶんプロフェッサーアーキテクトのどなたかが監修しているのだろう。


 もう見るべきほどの桜もつきたし、懐かしい場所の風景もがらりと変わったので、裏門から緑が丘の街に出た。昔々出入りしていた裏門は粗末なものであったが、今はそれなりに堂々としている。

 緑が丘の街にある例の市場風店舗の緑が丘百貨店は健在だったが、今日は日曜日で休店日だったようだ。すぐ隣は空き地になっているしその隣は建築中だし、この記念的百貨店も来年もあるかどうか怪しいものだ。

●さらに自由が丘までよろよろ歩く

 さてここでもう電車で帰宅しようかとも思ったが、日はまだ高いし、そうだ、昔々よく通ったみを自由が丘まで歩こうと思いついた。学生の頃に家庭教師アルバイトで、自由が丘の駅近くにあった商家の家庭に通った。そのころどぶ川沿いに歩いて往復した道が、川が暗渠となって桜並木の遊歩道になっている。これまで大岡山花見に来て何度か通っているが、そこも懐かしい路だ。問題は脚力が耐えるかどうかだ。
 
 その桜並木の道(九品仏川緑道)は健在だったが、桜の木がここもかなりの老化で、よれよれであった。道路上に張り出さないように強剪定されて可哀そうだ。どうやら椿の花の道にとって替わりつつあるようだ。ここでもわが身と比較するのであった。


 自由が丘の街は相変わらずにぎわっている。昔と比べるとおしゃれな店ばかりのようだ。昔よく来た飲み屋街のあのうまい魚を食わせる店はまだあるかなと探せば、今日は日曜日でお休みだが健在であった。

 自由が丘駅前広場に出て驚いたのは、ここでも巨大再開発事業が始まっていることであった。広い板囲いの中に工事用タワークレーンが建っている。
 写真の右側に東横線駅があり、その線路沿いに自由が丘デパートだが、その向かいの道を挟んだ大きな街区全部が再開発とはねえ、自由が丘の一番の場所だ。でもここには何があったったけか、そうだモンブランというケーキ屋があったなあ。飲み屋街の裏路地もあった。


 自由が丘デパートとその向こうのひかり街という、懐かしい二つの共同店舗ビルは、再開発から外れている。何となくほっとするのは齢のせいか。
 あの昭和時代感覚に満ちた共同店舗ビルが今も営業を続けているのは、それなりに理由があるのだろうが、こここそ自由が丘で最初に再開発事業になりそうな気がしていたので、ちょっと意外だ。

 というわけで、久しぶりの自由が丘は、変わっているようで変わっていないが、駅前再開発が出来上がると大変化が来るはずだが、それをわたしが見に来ることはもうないだろう。
 そして、ほぼ縁が切れた感じの大岡山母校花見にも、もう来ることもないだろう。
 2025年けっこうな最後の母校花見徘徊であった。
(2025/03/31記)
==このブログのこれまでの大岡山花見記事==
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伊達美徳=まちもり散人
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2024/11/02

1847【渋谷浦島太郎気分・4】赤クレーン骸骨お化けに襲われて渋谷はハロウィンお休みします

(【渋谷再開発浦島太郎気分・3】から続く)

●渋谷のハロウィン

 東京渋谷駅あたりでは、毎年10月末日には、若者が集まってきてハロウィン騒ぎが起きる。わたしはハロウィーンがなぜ渋谷なのか、その理由を知らない。まあ、若者が集まって騒ぎたいなら、渋谷でも新宿でも池袋でも構わないのだろう。

赤クレーン骸骨お化けに襲われて渋谷はハロウィンお休みします

 「NO 渋谷は、ハロウィンをお休みします

 あまり騒ぎになって暴動並みの事件があってから、もう来ないでくれとの施策が打たれるようになったらしい。今年の渋谷駅前には「渋谷は、ハロウィンを休みします」という大きな垂れ幕を出している。それでも集まってきて困ったらしい。


 わたしはこのハロウィンなるものがなんであるか全く知らないが、集まってきて仮装行列とか、ハロウィン音頭なんてのを歌ったり、ハロウィン踊りとかやるのだろうか。ただ集まるだけではつまらないだろうに、。
 この新聞記事で渋谷区長が言うには「仮装しているのは外国人が多かったのが、昨年と大きく変わったところ」とあり、そしてその外国人とは外来観光客が多いと記事にあるのが、なんだか可笑しい。

 その外来観光客たち(印旛饂飩=インバウドンというらしい)は、渋谷でハロウィンやりたくて日本に来たのだろうか。いつもは自国でハロウィンをやっているが、たまたま日本でハロウィンの日に当たったのか。それとも、渋谷ハロウィン騒ぎが観光案内書に載っていて、わざわざ狙ってやってきたのか。
 そういえば、先日のこと、例のハチ公広場に超久しぶりに立ちよた。外国人観光客と思しき多様な大勢の人たちが、あの犬の銅像を取り囲んで、記念写真を撮りっこをしていた。こんな平凡なところをなぜ観光客が好むのかしら。
外国人ばかりがハチ公記念写真撮り


 まあ、何でもよいが、観光客を呼び込むのに苦心惨憺している街もあれば、渋谷のようにもう来るなと追い返すのに苦心惨憺している街もあるのが可笑しい。どこか過疎地にハロウィンランドなんてのを作って、一年中ハロウィンやってるってのは、どお?

●工事だらけ迷路だらけ坂だらけの渋谷

 その渋谷はいま、あの狭い谷の中の街のそこらじゅうをほじくり返し、工事中の板囲いだらけ、階段だらけで、迂回路だらけ、迷路だらけ、クレーンだらけ。これがもう7~8年も続いていて、全くもってハロウィンお化け出現にお似合いの街である。
坂の街を再開発しても坂だらけ もっと楽しい坂を作ってくれ!


工事現場の中の西口広場

ビルは建っても広場は無茶苦茶

東横デパートがなくなって空中に地下鉄高架が現れた

地下鉄を支えてきた古い構造物が露出

ボロボロ渋谷駅舎と板囲い通路

懐かしい暗く怖く汚い3Kガード下をぬけて桜ケ丘地区へ

広場の頭の上をなんだかんだと塞がれてうっとしいことよ
 
 都市再開発というある面では新たな美しいビルや広場で、華やかさがある写真が一枚も無いのは、撮らなかったのではなくて、撮ったけど見てもつまらないから載せなかったのだ。ハロウィンというお祭り騒ぎの足元は、実はこんな前近代的地獄的風景であることを言いたかった。

 それにしてもよくまあこんなごたごたの街に、こんなに大勢がやってきても事故がないのが不思議だ。こんなに広範囲で多様な再開発を、だれが全体を総合的に計画して、事業間の調整役をやっているのだろうか、知りたいものだ。
(20241102記)
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