2020/04/30

1461【フェイクバカ狐乱夢2020年4月号】この月はコロナでフールもできず始まりコロナばかりで終わってしまった

4月1日【災異改元提案】 
これだけコロナ禍が広がると、日本だからできる、日本しかできない、日本列島隅々まで行き渡るコロナ対策がある、それは「災異改元」、昔々は災害があると改元したものだ、あ、そうだ、もしかして去年の改元「冷WAR」が悪かったのかも、だっていまは新たな冷戦時代。

4月2日【国家支給マスク】
親切なる総理大臣様 うちにはマスクが十分あるので送らないでください マスク代の税金をコロナ患者の治療費にしてください。

4月3日【政府のコロナ見舞い】
マスク2枚・現金30万円を世帯単位で給付とは、子供が多いほど不利不公平、ああそうか、安倍政権は人口減少促進政策であったかあ~

【大岡川花見】
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごほがらに語らひあひて
………
コロナにまけずありけり



4月4日【コロナレース】
47都道府県対抗コロナ回避チャンピオンシップレースは、まだ岩手・鳥取・島根の3県が東北対山陰で競争中、どこが「防疫最優秀県賞」か、いや、どこが「ポツンと一県賞」か。

【コロナ横文字用の語翻訳と解説】
 COVID-19」恋人(19)=恋人は19歳のストーカー
 「クラスター」暗星=みるみる増加する暗黒星団
 「ロックダウン」岩石落下=都市出入り口が不通
 「オーバーシュート」翁婆舅=介護老人爆発急増
 「マスク」真救う=一家に2枚でOK布製覆面用具
 「コロナウィルス」古老難居留守=感染して体内に居るのに
          居ないふりして古老を難病に陥れる病原体

4月5日【コロナ鎖国】
世界中どこもかしこもコロナ鎖国→輸入食糧途絶→食糧難日本再来、おおそうだ、少年時代に太平洋戦争の災禍で、腹ペコの日々が何年も続いたが、あの思い出したくもない嫌な日々が、またもや来るのか、おお、長生きさせてくれなくていいよ、もう。

4月6日【対コロナ政策担当】
コロナ緊急事態対応大臣って、経済再生担当の片手間なんだね、ふーん、大したことじゃなさそうで、ひと安心。

4月7日【緊急事態宣言】
政府による緊急事態宣言が東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫、福岡の各都府県に発令された。それでどうなるのでもなかろうが、社会はどう反応するのか。なんだかその宣言期待の社会風潮を怖い、戒厳令を期待するのか、体制翼賛的雰囲気。コロナ後の社会はどう変わるのだろうか。コロナ緊急事態宣言で各地の各界に各種の要請がなされるらしいが、その中には東京オリパラ廃止もあるのでしょうね、当然。
【都道府県対抗コロナレース】
まだまだ頑張る岩手・鳥取・島根の無感染三県、防疫シッカリ、偉いっ、コロナ後に移住しようかな、生きてたらね。
【コロナ情宣活動】
もう直ぐ言いだすだろうなあ、「打倒鬼畜コロナ。出たがりません勝つまでは。一億一心火の玉だ。罹ってマスクの紐締めよ。足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」なんて、悲しい懐かしさよ。

4月8日【コロナ街徘徊】
 昼過ぎに横浜都心繁華街伊勢佐木町あたりを徘徊して、緊急宣言発出明けの日の町の様子を見物、物販店はほぼ開店、ただしどういうわけか電話屋だけはいくつも閉店、面と向き合って機種相談するためか。一般飲食店はほぼ開店だが、カニ道楽が閉じている。居酒屋は半分くらいは閉店、中でもチェーン店の閉店が目立つ。ドトールコーヒーが閉店している。パチンコ屋はほぼ閉店、例外的に営業している店がある。横つながりで決めるのではないのか。住宅のない人がとまるホテル代わりのネットカフェは営業していた。食品量販店は不通に営業、品数はそろっているようだった。伊勢佐木町裏の曙町あたりの風俗店街は、いつも朝も昼も夜も営業しているのだが、今日に昼過ぎも営業と休業は半々の感じだった。伊勢崎モールの人出は平日の昼過ぎとしては半分くらいだろうが、居ないわけではない。
【緊急と非常】
「緊急」なら「大急ぎ」で直ぐに出すもんだろっ?、ちょろちょろ小出しにゆっくりとやるってことなのかあ、どうして非常事態とか危機的事態宣言じゃないんだろ?
【金窮事態】
ウワッ 緊急事態宣言対策費予算が108兆円!、借金? 金窮事態宣言か、いや 金求事態宣言か、こりゃコロナ復興重税になるな、生きていてもタイヘン。
【緊急人権制限】
先がない老人のネット観察だが、今どきの世間には法的人権制限を求める緊急事態対策を欲しがって、国家に頼る雰囲気が蔓延みたいだなあ、先々生きていく人たちはそれでいいのかしら?
【都道府県対抗コロナレース】
コロナワーストセブン:東京・神奈川・千葉・埼玉・大阪・兵庫・福岡、アンチコロナベストスリー:岩手・鳥取・島根
【GOTOキャンペーン】
強盗キャンペーンだってさ、コロナ後観光促進政策って、こんなことやっていいのか、
物には言いようがありそうなものを、。

4月9日【コロナの赤レンガ】
アレマ、赤レンガ倉庫はコロナ様貸し切りか、、緊急事態宣言2日目。
【都道府県対抗コロナレース】
あっ、コロナレースから島根県脱落かい、残るは鳥取対岩手のタイマン勝負!
【アベノマスク】
政府からいただくマスク2枚を希望します、こんなのをよろしく。コロナをコテンパンにしますから。

4月10日【アベノマスク千人針】
そうだ、名案がある、マスク2枚を466億円もかけて全世帯配布するのだから、この際、これで「千人針」をやりましょうよ、これでコロナ除け完璧マスク。え、なんのことやらわからないか、。

【コロナ横浜港風景】
あれっ、またクルーズ船かあ、向こうに見えるベイブリッジの下でコロナ遭難していたクルーズ船が見えなくなっているから、こちらの大桟橋に移ってきたのかと思えば、これは「ASUKAⅡ」とあるから別の船、船の世界のことは知らないけど、あんな大事件があっても船客はいるのかしら、あっ、もしかして病院船になったか、いよいよ戦時中だな、そうか、山下公園のあの船も老躯に鞭打って帰り咲いてるのかな?

4月11日【マスクで3密】
人と人を隔てるのかコロナ感染予防のとりあえずできることとて、全国に禁足令発令、特に密室・密集・密接の3密を避けろという。近所の横浜橋商店街は、いつもよしは少ないが買い物客はいる。その一角に人だかりがしているから見ると、「マスク入荷、ひとり5枚まで」とあるが、ここじゃあ2密が起きている。
【全国都道府県対抗コロナ回避レース】
チャンピオンは岩手県に優勝冠が輝きました。防疫能力最大にして人間交流量最小ということか、コロナ後は宮沢の賢治さが守る岩手さ移住するべか。
【コロナ療養ホテル出現】
神奈川県が、アパホテル&リゾート横浜ベイタワーを、新型コロナウイルス感染症陽性患者に係る宿泊療養施設に追加指定、病床数は約2300床とて、このできたばかりのバカデカ墓石型ホテルがかー、恐怖時代が目に見える形になるなア。

4月12日【コロナ対策担当大臣】
『新型コロナウイルス対策の特別措置法担当の西村経済再生担当大臣』は『休業要請などの措置は必要最小限であるべきだ』とのこと、そうか、コロナ撃滅って経済再生政策の一部なんだ、失敗しても死にはしないや。
【コロナ加持祈祷】東大寺で疫病退散国家護持ネット会議とて、「三密」は仏教用語なので、いよいよ仏頼みで加持祈祷かと、おちょくっていたら、本当なのですね、う~む。

【休業要請店舗】
政府が休業要請で特に強調したのが「接客伴う飲食店」というのだが、これって密閉密集密着の楽しい商売らしいが、どんな店なの?、コロナで死ぬ前に一度でいいから行ってみたかったなあ。

4月13日【コロナ世界大戦】
今や世界コロナ大戦の模様になってきたぞ、生きてるうちに世界大戦に2度も出くわすとは癪な人生だ、こうなりゃコロナ大戦後世界を見てから死のうっと、ピンピンコロナ死延期して長生き転向だあ。

4月15日【オリパラギャンブル】
東京オリパラが来年7月に延期開催と決まったというが、本当にそれができるかできないかを賭ける公営ギャンブルにして、結果の収益をコロナ復興資金に充てる、いかが?あ、もう、イギリスのbookmakerがやってるかな。

4月16日【コロナ巣ごもり】
コロナで家にいることを「巣ごもり」という流行語らしいが、これって「鳥の抱卵」つまり「子づくり」のことだよ、おお、コロナ後に出産ラッシュで人口回復、めでたい、巣ごもりには三密許可だ。
「巣ごもり」なんてこっぱずかしい言葉、よく平気で使うなあ、元の意味知ってるの?
   淫種ット裸淫で過ごす巣ごもりは 来年心配産院崩壊
       三密は密封密売密造酒 蜂蜜餡蜜壇蜜は三蜜

4月17日【各世帯マスク2枚と各人10万円支給決り】
マスクの布の間に1万円札が10枚か。次世代から大借金して国民全部に10万円支給する「金窮事態+金求事態」、コロナ苦を逃れても借金苦が待つコロナ大戦後 to be or not to be、
わからんなあ、全国民10万円配って、今頃になりマスク買わせるんだね、あの思いつき2枚マスクも来るなら466億円は無駄だった!、チグハグチグハグ

4月18日【全国に緊急事態宣言発令】
現金もマスクも
   福翁を十枚重ねて紙マスク もの言ふ唇寒くば覆へ
      

4月20日【世界コロナ大戦】
盛況の米西伊仏独英、いまや頭打ちの中韓、発展途上の土斯、そしてはるか後進国の日本、いやなに感染者数ランキング

4月21日【10万円支給】
コロナ不況対策として、住民登録しているものは外国人であってもすべて一人10万円給付するというのだが、政府や政党では支給始める前から閣僚や国会議員は辞退するなんて言っているのは、本当に必要な者たちの感情に無感覚すぎる。気持ちが悪い。
偉い人みな声高に辞退する これ貰っちゃうと非国民らしい
拾万円要らないブレーキ踏んで見せ まずは魁より始めたんだね
拾万円辞退ごっこしてみせて 「欲しがりません勝つまでは」だな
悪いことなんでもかでもコロナのせい これは便利な世の中になった

4月22日【疎開の復活】
コロナの盛んな都府県から他県に脱出を「コロナ疎開」というらしいが、本来の疎開の意味は、人間を疎らに散開して配置すること(軍事用語)、今やみんな疎開の日々、本来の意味に戻ったね。

4月25日【コロナの街徘徊】
徘徊の楽しみは書店めぐりだが、新本屋は営業だが、古本屋は休業ってどうして?、古本はコロナ感染しやすいの?、でもなあ、うちの書斎は古本だらけだよ。古本屋閉鎖でやむをえず新本屋の有隣堂書店へ、あらまあ、雑誌が全部ビニ本、懐かしくてつい手に取るから、かえって危ないな。

4月27日【コロナの街探検】
寿町ドヤ街の一角に、大空地が去年発生したので、建て替えで何ができるか、超高層簡易宿泊所ビルつまり超高層ドヤ出現かと思っていたら、建築計画看板が登場、見れば共同住宅129戸、11階建てとて、周りのドヤビル群と比肩するらしい。では、ここの立地と今の時代の複雑さの中で、コロナ大戦後の新たな都心型賃貸住宅の出現を期待します。ここにはUR都市機構の賃貸市街地住宅が建っていたのだからね。


【コロナ語分らん】
このところあちこちで、まだ始めてもないのに「イベント中止」が大流行、「中止」とは進行中を止めること、「不開催」とか「キャンセル」と言いなさい。

4月28日【医者にかかるな】
近所の内科医院入り口に「風邪ひいたら来るな」との張り紙がある。おお、いまや風邪ごときもひけないのかあ。

4月29日【コロナ世界大戦概況】
世界コロナ大戦ますます拡大、昨日まで感染確認者数311万人、アメリカ1/3、西欧諸国1/3、その他各国1/3、この分担率はなにを象徴しているのかしら、民主化度?富裕度?都市化度?握手接吻習慣度?
【コロナでネットばやり】
人が人にあるのが禁止の世の中、当然のことになんでもかんでもネットでやる世の中に日々刻々と変ってきて、「電網置去り正常性認知症老人」が日々刻々と激増中、コロナ大戦後をどうやって生きるかなあ。

参照:コロナ大戦争おろおろ日録

1460【コロナ幽閉の日々】空中陋屋に幽閉蟄居の身にできることは「おろおろ日録」を書き連ねるばかり

 誰もかれもがコロナ屋敷の座敷牢に幽閉された日々が続く。出歩くとコロナウィルスに出会うから逼塞せよの戒厳令である。
 この新型コロナウィルスによる第3次世界大戦は、いつまで続くのだろうか。
 そして対ウィルス戦に人間側が勝利する日がいつか来るとしたら、そしてコロナ大戦後の世界は元通りにならないとしたら、いったいどんな世界が来るのだろうか。どんな日常になるのだろうか。

 興味津々と言っては語弊があるが、わたしの人生でこのような大戦争に出会うことは、またとないだろうからしっかり見届けたいと思うのだが、そこまで生きていられるだろうか。
 何しろ対岸の火事見物ではなくて、わが身にコロナがとりつくおそれも十分にある。

 だが実は何もしないことがコロナから逃れる道だというのだから、ただただオロオロと過ごすしかない日々である。そう、このブログに「コロナ大戦争おろおろ日録」を記すばかりである。
 なんだかグダグダと書いているなあ、われながらオロオロだなあ。

 これまでにこれに似た日々があった。それは、2011年の3月に起きた東日本大震災そして引き続いた福島核発電所大事故の後の日々であった。
 あの時もただただオロオロと「地震津波核毒オロオロ日録」を書き連ねるばかりだった。
 その記録を1年づつまとめて編集し、わたしの趣味「まちもり叢書」(DTP)に4冊の本にした。
(まちもり叢書第14号)
「福島原発を世界遺産に― 地震津波そして原発の日々(2011)」
・地震勃発記 ・地震おろおろ日記 ・福島第1原発を世界遺産に登録しよう 
・原発おろおろ日記 ・津波と戦争そして原発1933年と2011年 
・原爆と原発の夏 ・核毒の森へ ・ 分らん原発の日々
 (A5版 108ページ  2012.05発行)

(まちもり叢書第15号)
「地震の自然と人間の文化ー2012年 地震津波そして原発の日々」
・『津波と村』海辺の民の宿命か ・絆を解いて民族大移住時代へ
 ・森の長城が津波災害を防ぐ ・森の長城で大津波に備える市民プロジェクト 
・震災復興で自然と人間はどう折り合うか 
・日本で地震津波原発基地 から安心な町はあるか

(まちもり叢書第19号)
「広域巨大災害があぶり出す日本列島の人間のはかなさ
ー地震津波そして核毒の日々・2013」
・再び唱える「福島第1原発を世界遺産にしよう」
・震災核災3年目 ・東北大津波被災地を訪ねて(名取、東松島) 
・奇蹟の一本松のレプリカ復元保存の意味は  他

(まちもり叢書 第21号)
「核毒の荒野へー地震津波そして核毒の日々・2014」
はじめて福島県の原発事故被災地に行ってきた。
核の毒に汚染された地域は復興がありうることなのか、
われわれ都市計画プランナーにできることはあるのか、
あまりに多くのことを考えさせられて、
心の中にどんよりと澱のようなものが溜まっている。
 あの時はいわば内戦であったが、今回世界大戦である。一般論としては内戦のほうが身辺に影響があるものだ。確かに地震で本棚が倒れたり、停電などの身辺に被害があったが、被害とも言えないくらいであった。
 それにしても、広範囲にわたって壮絶な風景が日に日に明らかになっていく体験と、その後にどのような地域が再登場するのかはらはらしたが、その思いは今と似ている。

 そしてまた、今のこの状況は1945年に終わった第2次世界大戦に似ている。
 あの戦争は1931年から15年も続いたが、わたしは幼少年だったし、静かな田舎町にいたから、真に体験しているとは言い難いが、父が3度も戦場に駆り出された戦中の家庭と世の中の雰囲気、そしてなによりも戦後の空腹の日々を戦争の傷として忘れない。

 今回も世界戦争だが、先の戦争のように目に見える空爆や身辺から物がなくなり人が居なくなっていくことは起きていない。それにも関わらず、毎日の行動に制限が誰にも及ぶことになるとは、身近な戦争である。
 いやいや、これから、人が居なくなっていく現象が身近に起きるかもしれない。自分自身がコロナに連れ去られる恐れもある。

 わたしがあの頃に大人だったら「太平洋戦争おろおろ日録」を書き連ねていただろう。そう思うと、長くもない人生なのに、2度も世界大戦に出くわすとは、今回は大人だからしっかりと見てやろうと思う。
 それにしても良いことは何にもなさそうだから、気が滅入るのは仕方ない。これから死ぬしかない身はともかくとして、次やその次の世代はどのような戦後の日々を送るだろうか、心配でならない。杞憂になってほしい。
 とりあえずは趣味の本づくり「まちもり叢書」に、「コロナ大戦おろおろ日録2020」制作を目標とするか。

2020/04/26

1459【横浜コロナ風景】そこそこ人出の伊勢佐木・横浜橋、ガラーンとした馬車道・元町、人が消えた中華街と観光街

 コロナ大戦戒厳令下、横浜都心の商店街の人出見物徘徊に出かける。
 伊勢佐木モールでは休日も平日も少ないながらもそこそこの人出である。休業店舗が目立つが、特にチェーン店の飲み屋は休業している。
 このところ伊勢佐木モールは安い飲み屋が増えてきたし、物販もチェーン店が増えるし、安物を売る店やリサイクル屋が増えてきて、この横浜一番の老舗商店街の面影はどんどん薄れていくばかりだ。
 コロナ戦争後は、どうにも見る影もない商店街、いや飲み屋街になってしまいそうな気がする。いやいや、もしかしたら風俗街になるかもしれない。
伊勢佐木モール 20200425

 伊勢佐木モールには新本屋と古本屋が数件あり、それを巡るのがわたしの徘徊の楽しみであるが、新本屋は営業、古本屋は休業である。この差は、行政からのコロナ緊急事態宣言という戒厳令下の要請の有無らしい。
 新本屋よりも古本屋が混みあうってことは、経験的に絶対にないはずだ。なんだかおかしい。本屋巡りなどしない人が決めたのだろう。
伊勢佐木モールの古本屋は閉店して店先で無人店舗 20200419

 横浜橋商店街は庶民の日常商店街で、平常よりは少なくはなったが、あまり変わらないように見える人出である。ここは同じ業種の店が適当に散らばって多くて、混雑が集中することはあまりないんが、量販店よりも強みがありそうだ。
 長さ約350mに130店舗ほどらしいが、今日徘徊して休業や空き店舗を数えたら、シャッター店が48件もあったから、これは結構な数である。でもそれほど目立たないのは、休業店舗の前の道路上に隣の営業店の商品がはみ出しているからだ。
 3日前の金曜日に数えた時は25店舗だったから、日曜休業店舗が20店以上あるようだから、空き家商店街ではなさそうだ。
横浜橋商店街 左は営業するパチンコ店 20200425

 伊勢佐木モールとその周辺のパチンコ屋は7店舗全部しまっていたが、横浜橋商店街のパチンコ屋2店舗のうち1店は営業中である。何処やらでは休業要請に応じないパチンコ店は、店名公表するとかの強行行政もあるらしいが、神奈川県ではそうでもないらしい。
 表のガラス越しに見える店内には、いつも通りに結構たくさんの客が入ってチンジャラやっていたから、世の中には一定数は感染を恐れない人たちがいるようだ。これって横浜港山下埠頭ギャンブル再開発構想(IRとも言う)の下支えを示しているのだろうか。

 伊勢佐木モールの周りには、曙町や福富町という風俗店舗街がある。昼間徘徊で表から見ただけではよく分からないが、いくつかの店舗前には客引き男が立っているし、昼間からギラギラ照明がついている。見た感じでは7割がたの店舗は通常営業している様子である。
 風俗店舗は休業要請の対象外なのだろうか。いわゆる3密の内、少なくとも2つは立派に行う業態のような気がするが、社会的間隔をあけて性的サービスをできるものだろうか、よくわからない。
 そのうちに伊勢佐木モールにも進出していくような気がする。現にタイ式マッサージ店がかなり多くなりつつある。もっともマッサージ店は風俗営業類似かどうか、さっぱりわからないがそんな気がする。
曙町風俗街 20200408

 中華街はコロナ前と比べて極端に落差が激しいようだ。ここは観光飲食街だから、観光客が来なければほとんど成り立たない。あの派手派手の街並みが、まっぴるまにガラーンとしてチラホラとしか人が通らない風景は、衝撃的でさえある。MM線開通以来、ものすごい人出が続く街となっていたのが、まるで嘘みたいである。架空の街だったような不思議さが漂う。
 あちこちの閉めた店先で、中国からの輸入品だろうか、マスクを売っている風景がもの悲しい。
中華街大通り 20200421
中華街関帝廟通り 20200421
  落差が中華街ほどではないが、元町商店街馬車道通りもさびしすぎる。
元町商店街 20200421
馬車道通り 20200414

 横浜港に沿う観光街は人が消えていて、怖いぐらいである。だが、この港観光のために作り上げた空間は、素顔を見せると妙にそのデザインに空虚さが漂うのが悲しい。観光地は人が居てこその街であると、つくづく思わせる。
山下公園 20200409

赤レンガ倉庫 20200409

 こうやって横浜都心繁華街を見ると、その機能の日常生活への近さと今回の閑散度合とは反比例、あるいは不要不急度合と比例しているようだ。つまり都市における生きるために必要度が示されているのが、さて、これが進んでいって生命維持必要度レベルまで限定されてくるのだろうか。

 コロナ戦争はまだまだ少なくとも2年くらいは続くらしいから、その間に街はどう姿を変えるのか観察しておきたい。建物は変わらないにしても、それを使う人間がいなくなる期間が長期に続くと、街の機能が衰えあるいは消滅が起きるだろう。
 たぶん、コロナ戦争が終わっても街の姿は元通りにはならないだろう。それはどんなものになるのだろうか。

 わたしの今の関心の中心は、コロナ感染よりもそれを克服したコロナ大戦後のことである。
 わたしはアジア太平洋15年戦争の最中にこの世に生を受けて、物心ついて戦争とともに生きてきて、小さな地方都市だったから、戦中のほうがむしろ平和であり、戦後の食糧難による空腹少年の日々こそが、わたしの戦争被害であった。
 戦争が終わってから立ち直るまでが大変なことを、空腹を持って体験させられた世代であるから、またもやあの空腹に出くわすなら、さっさとコロナで死ぬほうがましだ。

〇参照:伊達の眼鏡「コロナ大戦おろおろ日録2010~

2020/04/24

1458【横浜ご近所探検】横浜都市デザインのひとつの成果にもコロナ大戦が見えない大きな影を落としている

 横浜の都心の片隅の空中陋屋に住むようになって18年、年寄りの暇つぶし徘徊で街をうろうろして、横浜都心あたりの風景が、じわりじわりと変化していくのを面白く観察している。
 横浜は都市デザイン行政に力を入れているので、ほお、これがその成果であるのかと、感心したり首を傾げたりする楽しみがある。

●万国橋通り北仲地区街並み形成を褒める

 風景変化で興味深いのは、昔からの都心市街地と港が接するあたりである。港の機能が大きく変化して、建物が建て替わり、新たな道や緑地あるいは埠頭が出現する。
 それらが開港以来の都心市街地といかにうまく連続するか、なかなかに見ものである。多分、都市デザイン行政も力を入れるところなのだろうと思う。

 今、変化が最も大きく眼に見えるのは北仲地区である。わたしが変化に注目しているのはそこの超高層建築群よりも、その万国橋通り側の街並み景観がどう変わるかであった。
 最近になって、ついにその景観が完成した。
 結論から言うと、じつにうまく仕上がったものだ。さすが横浜の都市デザインである。
万国橋通りの北仲側の街並み

 異なる機能の別々のオーナーによる建築群を、見事に一群の景観として違和感なくまとめあげて、街並みに再編成した。
 大きな超高層もある建築群ながらも、それらの分節が上下方向も左右方向もうまくできた。その先の万国橋を渡って新港地区に入った左のホテルまで、一連の景観になっているが快い。横浜の都市デザイン行政の成果として白眉と言えるだろう。
 もっとも、けっこう長い街並み建築群と言いつつも、オーナーの数はたったの3者、しかも国、独法、大企業だから、デザイン調整の話をつけやすかったかもしれない。それにしても何十年もかけての仕事だから敬服する。

●新港地区の新建築はつまらない

 新港地区にはいろいろなデザインの建築が建ってきた。赤レンガ倉庫が出発点なので、赤レンガイメージがそのコンセプトにあるらしい。
赤レンガ倉庫はコロナに占拠されて誰もいない 20200409

 しかし、首をかしげるものもある。昨年末にハンマーヘッドがあるところに新たな埠頭施設ができて、大型客船が停泊するようになった。ここに最初に停泊した大型客船は、ダイヤモンドプリンセスといった。そう、例のコロナクルーズ船であるが、もちろん事件前だった。
 だが、その新埠頭ターミナルビルは、外から見たところは何ともつまらないデザインで、赤レンガイメージなんてお呼びでない。
横浜新港ハンマーヘッド埠頭新ターミナルビルとクルーズ船 20191104

 北仲から万国橋を渡った右側に工事用板囲いができていて、ここにあった港湾関係庁舎を建て替えているらしい。かなり広い敷地だし、間口も広いし、新港の市街地側の入り口だから、ここに建つ建築は景観上かなり重要になるだろう。
 塀の中を覗くと、壊した建物のがれきの山のあいだに、建物の基礎が残っているのが見える。おや、赤レンガ基礎もある。
万国橋から新港地区を見ると工事用の白い板囲い
手前に屋形船、塀の向こうに赤レンガ倉庫 その先に
大桟橋のクルーズ船、

板囲いの中を覗くと発掘されたレンガ造基礎、100年余前の発電所の一部か
そうだ、前に調べたことがあった。この敷地には新港ができた1915年の最初には保税倉庫群があり、その一角にはレンガ造の発電所が建っていたのだった。ほかに新港事務所がレンガ造り建築だったが、どちらも関東大震災で崩壊した。今ある赤レンガ倉庫2棟は、一部崩壊だった。 
 もしかして、あの塀の中のレンガ基礎は発電所の一部かもしれない。当時の図面だとそのあたりである。今回の建て替えで発電所建築のイメージ復元なんてことをするのだろうか、そうなれば面白い。
関東大震災まで新港地区にあった赤レンガ造の事務所と発電所

 と思って、ここにどんなものが建つのかネットを探したら、「横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業民間事業者選定結果 平成31年3月4日」と題する報告書があった。ここに建つのは「横浜地方合同庁舎」といい、政府のいくつかの機関が同居するらしい。
 事業手法はPFI方式で、その民間事業者を公募したら、応募は戸田建設グループのみだったが、審査の結果当選して今の工事になったようだ。

 その報告書の末尾に合同庁舎のパースが載っている。アレ、なんだかつまらない姿、でもどこかで見たような、あそうだ、ハンマーヘッド埠頭ターミナルビルそっくりだなあ。設計はどなたかとみれば、事業グループメンバーに梓設計がある。なるほどハンマーヘッドも梓設計だから、新港地区の新建築はこのデザインで行くのだな。
 それはそれで都市デザインとして筋が通っているけど、はっきり言ってヘタクソつまらない姿だ。事務所だからと言っても、もうちょっと色気はないのか。他の引き立て役としては図体がでかすぎる。
みなとみらい21新港地区9街区事業者提案に対する考え方より引用 
20191227 横浜市港湾局整備推進課

 市街から新港に入る玄関の万国橋からは、赤レンガ倉庫がよく見える。その視線を手前にこの新合同庁舎が邪魔して建つことになる。ナビオスみたいな芸当はできないのか。新たな景観への楽しみがなくなった。
 新港地区には赤レンガイメージという共通デザインコンセプトはなかったのか。発電所建築の復元なんてお遊びは、政府施設だからしてくれないのか。外壁を赤くするればいいってもんじゃないよ。

 コンペだからそれなりに発想豊かな、あるいは歴史を踏まえたデザインが出るかと思ったが、たった一案だけでは選びようもなかったのだろう。PFIだからデザインよりも事業性を見てこれに決めたのだろう。
 都市、建築系の審査委員は結構辛いものがあっただろうなあ、気の毒に。もっとも競争相手がいなかったのだから、これから協議して、それなりのデザインに変更しても、だれからも文句言われることはないな。

●ここにもコロナ戦争の深い影が
中央の白いビルがアパホテルでコロナ軽症感染者療養所

 さて、この工事現場の運河沿い遊歩道から先ほどの北仲方面を眺めると、事務所、共同住宅、ホテルなどの超高層建築が立ち並ぶ風景である。
 そして今その中央に見える白い新開業のホテルは、なんとまあ新型コロナウィルスの軽症感染者の療養施設に充てられているのだ。時代の最先端を走っているというべきか。
 人出ががらりと減ってシャッターが続く都心繁華街ばかりでなく、この新しい風景にも実は目には見えないがコロナ戦争が深い影を落としているのである。


2020/04/23

1457【コロナ戦下の人々】感染防止のための避難は「地域間疎開」ではなくて「人間(じんかん)疎開」する社会の先に何がある?

 戦争の時代がやってきた雰囲気だと思っていたら、太平洋戦争時代の用語が復活しているようだ。
 その典型は「疎開」だろう。コロナの大流行の地域から、まだ流行していない地域への移動を「コロナ疎開」というらしい。そういえば2011年の福島原発事故の時は「原発疎開」があり、それはいまも続いている。三度目の疎開である。

 一般に「疎開」というとかつて太平洋戦争下で、連合軍の空爆のある都市から、空爆がないかもしれない地方へ移動することに使われた用語だった。
 正確には避難とか退避とか言うべきなのに、戦時下で「逃げる」意味あいの用語を嫌って「疎開」と言ったのだそうだ。れっきとした法令上の言葉である。
 戦中は生産疎開、建物疎開、人口疎開など、地域間で避難移動した。学童疎開は人口疎開のひとつである。それが疎開の意味として広くつかわれたので、今もその意味で使われる。

 ところが今や、地域間疎開は疎開者がコロナ感染を拡大することになるとて、疎開される地域から「コロナ疎開お断り」とされる。疎開の意味を変えなくてはならない。
 ところが、実はもともとの「疎開」とは軍事用語で、兵士が集中していると敵からの攻撃に被害を大きくしやすいときに、疎らに散開して兵士相互の間隔を開けることを言う。

 そう、疎開とは実は近頃流行語の「ソーシャルディスタンス」であったのだ。日本語にすると社会的間隔となってちょっと変だが、コロナ感染を防ぐには人と人の間隔を2mほど開けろとして、これが現代コロナ大戦下社会の基本マナーであることになった。
 つまり、ここでようやくにして疎開が本来的な意味に戻ったことになる。この前の大戦中には疎開の意味を曲げていたが、今や堂々と復活したことになる。

 つい4か月ほど前のコロナ戦争前は、やれ絆だ、やれインバウンドだ、やれ交流人口だ、イベントだオリパラだと、とにかく人と人が出会って近くにいるほど先進的社会であるみたいな雰囲気だった。
コロナ3密禁止
若干意味は違うが、今はやるなと言われるコロナ新語の「三密」こそ意義のあるような
社会だった。

 それが今は何だよ、うっかり飲み会やると知らない間にコロナちゃんが接客サービスしてくれてエライことになる。そればかりか道で出会っても近づくのは危ない、学校さえも行くな、親子さえ会うな、密室に入るな、密閉するな、密集するな、だから、この間のものすごい落差にただただ驚くばかり。あれは何だったんだ?
 この先に何があるのだろうか?
 
 かつて太平洋戦争末期には、大慌てで地域間疎開をしたものだ。わたしは学童疎開に出くわしている。わたしが疎開した学童ではなくて、わたしの生家の神社に都会の学童が集団疎開してきていたのだ。その間に疎開元の都市が空爆に遭って、親を亡くした子もいた。
 今のコロナ大戦下では、コロナ空爆は都会も田舎も無差別だから、爆撃機となる人間を相互疎開する「人間(じんかん)疎開」が日常生活で求められている。

 その人間(じんかん)疎開が何をもたらしつつあるのか、この眼でしっかり観たいと考えて、コロナ戦争空襲警報発令じゃなくて緊急事態宣言下の今の世を見つめるべき街を徘徊する。
 目的を持つ出歩きを徘徊とは言わないが、実のところはどこもかしこもコロナ戦禍の街だから、うろうろしてしまってやはり徘徊である。

 住宅街、中心商店街、近隣商店街、観光街など、人の姿が消えると街の姿はどう変わる
対コロナ武装 マスクに千人針
のか、なかなかに興味津々
たるものがある。
 日々の記録をしておきたいと、うしろめたさを感じつつも、帽子マスク眼鏡手袋ステッキで不完全武装して、三密禁止人間疎開の街を眺め歩いて、戻りつくと玄関先で身辺消毒をする。どこか滑稽にして深刻な自分の姿に、なんだか老後の生きがいが出てきた感があるのは、コロナのおかげか。

 そういえば「三密」というコロナ新語も、実は仏教用語として存在しているのだった。
 現今の三密は「換気の悪い《密閉》空間、多数が集まる《密集》場所、間近で会話や発声をする《密接》場面だそうで、これを避けるとコロナ退治になるらしい。
 真言密教には「身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)」という三密があるそうだ。ネットに出て来る詳しい解説を読んでもよく分からないが、ありがたい仏の教えらしいから、神仏頼りになったコロナ退治に役立つかもしれない。

 もひとつコロナ新語「巣ごもり」ってのも、変だなあ。もともとは鳥が卵を抱いて孵すために巣に籠ることを言うのだから、子づくりの意味である。
 コロナ疎開で引きこもって子づくりするとなると、コロナ禁止3密の内の2密をやるってことになるけど、いいのかしら。ま、コロナ後に人口が増えるっていいことか悪いことか分からないが、わたしには巣ごもりは無理だな。

〇参照:伊達の眼鏡「コロナ大戦おろおろ日録2010~

2020/04/20

1456【コロナ蟄居の日々】寝たきり回避理由でコロナ戦火燃え盛る街を見物徘徊なれど図書館も劇場も閉鎖でデジャビュ本物戦火の日々

 息子の勤め先に感染者が出たそうで、しばらく息子に会えそうにない。コロナ戦争の戦火が身近に迫っている。
 買い物には困らないが、文化施設閉鎖に戸惑う。図書館閉鎖に困っているが、あそこはそんなに人間密度が高いかなあ。新本屋も古本屋も半部程度の営業であるが、密度あるかしら。
 近所の有隣堂書店は営業継続、そこそこに人が入っている。支払いカウンター前の列が妙に長いのは間をあけて立つからで、そうかとコロナ戦争を思い出す。
 
 もう10年ほども前からだったか、本を買うのをやめる決意を実行しだした。そしてけっこうたくさんの積読本をまとめて、あちこちの人様に差し上げる減本プロジェクトを開始した。うちに残すのは、わたしの残り人生で読破できそうな量にした。
 要するに本をついつい買っちまうのだけど、うちにこれ以上の本があっても、人生の残り時間で読む能力がなくなったからである。金もないし。

 日常の本屋巡りの楽しみから買うという行為を廃止するって、初めはつらかったが、そのうちに慣れてきて、立ち読みだけになってしまい、更に本屋巡りをやめてしまった。
 その代わりに図書館に通うことが多くなった。徒歩圏に県立と市立の中央図書館があるから、ほぼ無い本は無いといってよい。新本屋も古本屋もすっかりあきらめがついた。

 これでうちに本が増えることはなくなったし、本屋巡りに変わる趣味もできて、本に関する問題は解決した。
 ところが、これで問題が起きたのは、図書館内徘徊やって読むだけではなく、ついつい読みたい本を借りるので、せっかくうちに残してあるそれなりに多くの未読本を読むひまがなくなるということである。減本プロジェクトの意味が失われる。

 そして今のコロナによる図書館閉鎖である。図書館徘徊が不能となり、しょうがないからうちにある本を読む日々である。コロナのお陰で減本プロジェクトの原則に立ち返ったことになる。
 ではそれで朝昼晩に積読本の消化が進んでいるかというと、これもコロナのおかげで、そうとも言えないのである。
 なにしろPCのなかのネット社会にはコロナ戦争情報が満載で、これがまるで先行きまったくわからぬハラハラドキドキの長編大河ドキュメンタリー小説を読んでいる気分になるのだから、読書時間がおのずから削られるのだ。

 年寄りはコロナ蟄居のままだと足腰が弱って、コロナ戦後は寝たきりになるおそれがある。それでは戦後復興の足を引っ張ることになるし、年寄りは死ぬ前にこの世がどう変わるか見届けたいからと、脅迫したり遺言したりして、外出禁止の戒厳令下の目を盗んで、街の中を徘徊する。

 飲み屋に入るのは怖いしカネもかかるから、ついつい本屋巡りを復活させた。商店街の街の通りはコロナ戦前の半分以下の様だが、本屋の中は戦前の7割くらいはいるようだ。みんなコロナ蟄居中の読書に励んでいるらしい。コロナ関連本が積んであったから、コロナ景気もあるのかしら。

 図書館のほかの文化関係にも戦火が身に及んできた。楽しみにしていた6月10日の神奈川芸術劇場での芝居公演キャンセルの通知が来て、チケット代と郵送料を返すからどこの振り込むか手紙をよこせとのこと。ご時世だから窓口で直接返却はしないという。ご親切でありがたいが、さぞや大損だろうなあ、気の毒に。世界中で起きているのだろう。
 次の7月の野村四郎能楽公演も、10月のトゥランドット公演もキャンセルになるかもなア。

 何でもかんでもご時世だからって、怖いなあ。色々と都合悪いことの言いわけとか、都合よく使うとか、何でもかんでもコロナのせいにすれば、当座は逃れられる。
 でも、なんでもご時世のせいにしたために、何か大きなことに大失敗するような、デジャビュの気分がする。コロナ戦争は、人間を原則に立ち還らせたり、ご都合主義を助長したりして、戦後にどんな社会が来るのか、不安になってしまう。
 やはりこのあたりでピンピンコロナが良いかもなア。

●参照:「コロナ大戦おろろろ日録2020/01//24~
https://datey.blogspot.com/p/corona.html

2020/04/17

1455【世界コロナ大戦】人生2度目の世界大戦に遭遇して戦中の今をよく見ておいて更に戦後世界も見てから死にたい

●コロナ大戦後世界を見てから死のう
 
 この4か月ほどで突然に世界中の地域にゲリラ兵を展開して、人類に本格的な戦いを挑んでいるのは「新型コロナヴィルス」別名「COVID-19」、これが敵の名である。
 れっきとした殺人ゲリラであるが、コロナというとどこか可愛らしいような名前に幻惑されて、コロナ君とかコロナ姫とか言いたくなるし、COVIDというと小人とか恋人とか、これも可愛らしいのが癪である。
日本の新型コロナウィルス感染者数と死亡者数推移 20200416現在


世界各国の新型コロナウィルス感染者数 20200417現在

世界各国の新型コロナウィルス死亡者数 20200417現在

 今や地球を挙げて第3次世界大戦、別名コロナ大戦と言ってもよい。
 わたしは日本の十五年戦争の真っ最中に生まれ、少年時代に第2次世界大戦に遭遇したから酷い目に遭った。同世代の中では比較的に被害が少なかったほうだが、大人の戦争で子供がひどい目に遭うのは今も昔も変わらない。
   今回は大人も子供も参戦であるから過酷過ぎる。この前の大戦のように大人の対応がドジであれば子供世代が一番のひどい目に遭うにちがいないと、気が気でない。

 今が大戦の前半なのか真っ最中なのか、終わりが近いのか、それさえも分からない五里霧中だ。この前の大戦では、末期から終戦直後ころが最もひどい時代だった。今回の大戦でもあのようなものすごい貧困とすさんだ心の時代が、またもや来るのだろうか。
 そのような体験のない世代がリーダーの今の世の中は、どのように進むのだろうか。今のマスク2枚配給や現金10万円給付のドタバタ政策を見ていると、ほんとに大丈夫かと思うが年寄りのわたしは何もできない。

 第2次大戦後はそこそこに平和に生きてきて、まあまあよい人生であったと思いつつ終幕を迎えることができそうだ、そろそろピンコロと逝きたいと思っていた。
 そんなところにこれである。老年時代のドンつまりあたりで、またもや第3次世界大戦に出会うとは、何とも不運な人生である。

 だがこうなったならば、もうひと踏ん張り生きて、コロナ大戦後の世界がどうなるのか、その端緒でも見てから死ぬことにしたい。
 しばらくはピンコロ願望を棚上げして、長生き派に転向することにした。その時にひどい目に遭いそうになったら、さっさとピンコロにしよう。
 いったいどんな世界が来るのだろうか、このところ考えているのだがどうもわからない。でも考えるだけでも結構面白いのである。
 
●地球全部が突然変化の先にある社会は?

 最初にチャイナの武漢でコロナが発生してから、2月はジャパンでクルーズ船騒ぎでは、まだよそ事感があったが、3月になるとあっという間に日本中に、一方では世界各国へ、しかも先進国での過激な流行となり、最初から5か月で完全に世界戦争の様相になった。

 この戦争突入の劇的な速さに戸惑うばかりの人間世界、始末に負えないのは闘う敵が見えないどころか、隣の人が敵になる可能性があるということだ。
 人間相互の隔離は初めは都市隔離と国家間隔離だったが、今では一人一人の隔離が声高に叫ばれる始末である。

 つい昨日までは人々の交流こそが平和をもたらすとして、過剰なるイベント開催、過剰なる観光客引き込み、過剰なる商業娯楽空間への誘客、そして過剰なる高度土地利用で高密度都市づくりなどの、20世紀から21世紀にかけて70年ほどかけて作り上げてきた人間活動の在り方は、半年もしないうちにガラガラと崩壊してしまった。
 しかもこれがいつまで続くのかさえ分からない。すごいことになったものだ。

 たとえコロナ感染対策が医学の力でできてコロナ戦争が収まったとしても、その時には人々の心は変わり、暮らし方が変わり、都市にも産業にもコロナ後の新たな世界が来るのだろうか。それがどのような世界か分からない。
 人間は物理的に隔離しつつ電子的につながるヴァーチャル世界がメインとなるのだろうか。それは都市という目に見える形はどのような姿なのだろうか。

 それよりも、果たしてコロナ後の世界があるだろうかとさえ思う。アジア太平洋戦争中は少年で幼かったから、未来に思いをいたすことができなかったが、わたしたちの親世代の人たちは、アジア太平洋戦争末期や終戦直後のころ、何をどう考えていたのだろうか。
 あの疲弊しきった中で空腹を抱えて泣く子等を育てつつ、次のあるべき社会を考えて生きていたのだろうか。考えていたからこそ、わたしが歩んできた民主主義と高度成長の平和があったとしよう。今の大人はいったい何をしたらよいのだろうか。

 しかし今、これほどに国際依存状況になっているのに、それを無理やり断ち切るしかない状況に、これから何が起きるのだろうか。一番心配は、自給率40パーセント以下になっている食料が、コロナ後にも輸入があるのだろうかということだ。
 国際孤立が続けば輸入が絶える、輸出制限がそれよりも人出が足らないくなって食糧生産がとまるかもしれない、すでに世界各国で食糧輸出制限が始まっているニュースもある。

●とりあえず戦中の今を見つめよう

 ところで、世界中から忌み嫌われているコロナ君のことを、これから褒めてみようと思うのだ。隔離蟄居してみると、いろいろ興味深いことがあって、暇つぶしになる。
 コロナ君がもたらした生態現象はまことに困るのだが、社会現象については単に困るよりも、おお、お陰でよくなったよなあ、なんて思うこともなくもない。コロナ大戦が終わると、けろっと忘れてしまうような気がするから、今の内に書いておこう。
 
 まずは半径5メートルほどの身近なことで褒めたい。もともと隠居してネット生活が中心だったから、コロナ蟄居になっても、実のところ生活の仕方はたいして違いはない。
 むしろネット世界の中に、コロナのコンテンポラリーなドタバタ騒ぎ話題が、次々と党のすいてくるから、ずいぶんと面白くなって、むしろコロナで脳が活性化してきた。これでもボケ進行が遅延するだろうから、コロナに感謝である。

 毎朝やってくる新聞が、コロナ以前には読まないページがずいぶんあって、それはスポーツ欄である。紙くずに金払っていると腹を立っていたのだが、いまはそのページががくんと減ったので気持ち良い。
 観戦スポーツには全く興味がないので、読みも見もしない。今はプロもアマもスポーツ界は何もできないから、スポーツ欄は1ページ程度で、まことにありがたい。

 オリパラになったら紙くずだらけになる新聞をスッパリやめようかと思っていたが、延期とてほっとしているし、加えてオリパラ延期騒ぎのドタバタが面白い記事でなかなかよろしい。コロナ君のおかげである。
 わたしはTVをまったく見ないから知らないが、そっちもスポーツ番組がなくなっているのだろうなあ。ラジオで毎朝聴くNHKニュースには一般ニュース枠とスポーツニュース枠があるのだが、前者はほとんどコロナ話題であるが、後者は競技開催とりやめ通知ばかりで、そんなのわざわざ聞かせてくれなくていいよ。

 近所の半径2キロメートルほどのエリアの横浜中心繁華街や、近隣商店街を観察する徘徊はなかなか面白い。
 政府の緊急事態宣言発令による休業等の要請により休業店舗は、特に全国チェーンとか大企業店舗がそれに応えているが、小さな地元店舗は頑張っている。問題は大きな店舗の休業で商店街が歯抜けになることだろう。歩く楽しさがないのだ。

 とにかく以前に比べて中心商店街の人出は2割くらい、近隣商店街は4割くらいだろうか。商店街っていつもは賑やかに込みすぎていると感じる。今くらいが歩きやすくて静かだし、具合がよろしい。
 伊勢佐木モールと横浜橋商店街を観察していると、打撃は買回り型商業のほうが大きく、最寄り型生業店舗は細々とたくましく頑張って生き延びる様子だ。しばらくこの比較観察徘徊をやってみよう。
淋しい伊勢崎モール 20200408

横浜橋商店街の人だかり「マスク入荷」

 一方、港あたりの観光街とか中華街ではいつもの1割の人がいるかどうかだ。
 閑散とした山下公園や赤レンガ倉庫って、なんだかコロナに貸し切りみたいで気味が悪い感もあるが、建物などの風景の写真を撮るには、人が居過ぎるという邪魔が無くて、具合がよろしい。
 まだゴーストタウンにまではなっていはいないから、これが普通の状況であれば、むしろ望ましいくらいである。コロナ君のおかげである。ずっとこうであってほしい、というわけにもいくまい。
コロナに貸し切り赤レンガ倉庫 20200409

 コロナで奇妙な繁盛している施設もあって、北仲通りに開業早々のアパホテルは全2300室そっくり神奈川県の借り上げで、コロナ感染者の療養施設になった。
 これって、この近くの港で立ち往生していた例のクルーズ船が、別の姿でまた現れたようなものだ。やれやれものすごいことである。
コロナ感染者療養施設になった開業早々のアパホテル(北仲)
   あっ、タワマンなる高密共同住宅ビルがそっくりそのままコロナクラスターになるってこと、まさかないだろうなあ。


2020/04/15

1454【コロナ巣ごもりオペラ】魔笛・トゥーランドット・エウゲニオネーギン・義経千本桜を書斎で無料で観るってコロナも悪くないや

【コロナ巣ごもりオペラ】
 久しぶりに新国立劇場にでオペラ見物、いや、さすがにこのご時世、行ってきたのではなくて、ネット上でのことである。
 コロナで休演中のサービスとて「巣ごもり劇場」と題して、上演オペラ3作の動画を週替わりでユーチューブで無料公開中、これは、まあ、コロナのおかげである。

 今週はモーツアルトの「魔笛」、午後の3時間を、うちの書斎でまったりじっくりオペラ見物って、あの華麗な劇場空間でないのはつまらないが、くしゃみしようとせんべいかじろうと、中座しようが勝手なのがよろしい。

 オペラを批評するほどは見ていないが、最近では2018年と2017年の神奈川県民ホールプロヂュースの魔笛を見た。今回見た新国立劇場の魔笛は、2018年10月3日公演である。
 指揮:ローラント・ベーア、演出:ウィリアム・ケントリッジ、出演:サヴァ・ヴェミッチ、スティーヴ・ダヴィスリム、安井陽子、林 正子、アンドレ・シュエン、九嶋香奈枝、升島唯博ほか

●新国立劇場「巣ごもりシアター
  https://www.nntt.jac.go.jp/release/detail/23_017336.html
●上演作品のさわり部分
・魔笛 https://youtu.be/gbgFQKWngs0 
   4月10日(金)15:00~17日(金)14:00 
・トゥーランドット https://youtu.be/Qq-yp2YzKmE
   4月17日(金)15:00~4月24日(金)14:00
・エウゲニ・オネーギン https://youtu.be/HGkzeLPN6-w 
   4月24日(金)15:00~5月1日(金)14:00

 好き嫌いを言うと、あまり好きになれなかった。プロジェクションマッピングは近頃当たり前になってるのだろうが、その映像がなんだかわけがわからない。抽象なら最後まで抽象で押し通してほしいのだが、部分的に魔笛らしいところがあるだけに、戸惑う。
 まあ、もともと支離滅裂な話だから、舞台も訳わからなくてもよいのだがねえ、、。
 配役については、シリアスなパミーノ、コミカルなパパゲーノ、これじゃあ顔つきも体躯も逆だよ、この二人を入れ替えるほうがよかっただろう。

 次はエウゲニ・オネーギン、その次はトゥーランドットで楽しみである。
 もっとも、ネットにはオペラ公演動画はたくさんある。特に外国の劇場での公演が多く、ネット巣ごもりオペラには困らないが、劇場空間だけはわが空中陋屋書斎では、何ともしようがない。

 この前に新国立劇場に行ったのは、1997年11月「ローエングリン」、今、調べてみると、それは開場記念公演だった。
 指揮:若杉弘、演出・装置・照明:ヴォルフガング・ワーグナー、ローエングリン:福井敬、エルザ:小濱妙美、テルラムント:大島幾雄、オルトルート:小山由美などの顔ぶれだった。このなかでオルトルートの小山由美が印象に残った。

 たまにはオペラに行くことにしているが、新国立劇場は遠いから行かない。近くの神奈川県民ホールや横須賀芸術劇でのオペラには行くのだが、貧乏だからたいていは天井桟敷である。それでも劇場空間で観るのは格別のものがある。
 外国では1994年にウィーンに行ったときに、フォルクスオパーで「ドンジョバンニ」を見た。この時は街を歩いていてたまたま運よくチケットを見つけたのだが、座席位置は中央の前近くの一等席で、料金4000円ほど、日本だと数万円かな、高いよなあ。
1994年11月25日ウィーンのフォルクスオパー
 わたしは日本古典オペラの能楽を好きなのだが、オペラと比べるとネットでこれは非常に少ない。細切れの部分紹介はたくさんあるのだが、全曲はめったにない。
それは多分、オペラと違って日本でしか公演がないからだろうが、それにしてももっと多くの全曲公演動画がユーチューブに出てきてほしいものだ。

 そういえば国立能楽堂も巣ごもり能楽やってるかと調べたら、同じ国立で日本芸術文化振興会の運営なのに、やってないのはどうしてかしら、国立文楽劇場も国立劇場おきなわも国立演芸場も巣ごもりやっていない。やってくださいよ。
 ところが国立劇場は、「義経千本桜」を無料公開している。   https://www.ntj.jac.go.jp/topics/kokuritsu/2020/4190.html
 
 コロナ巣ごもりを機会に、各種の劇場公演動画がネットに多く登場するようになるだろうか。ネットと劇場とは相性はどうなんだろうか。
 と、ここまで書いたところで、神奈川芸術劇場6月公演キャンセル通知が来た。チケットを送り返せ、チケット代と郵送料を指定する金融機関に振り込むという、ヤレヤレ。

参照「趣味の能楽鑑賞(まちもり散人)」
https://sites.google.com/site/machimorig0/#nogaku