今年も年賀状を書いていない。昨年からやめている。
理由は簡単、年末になると喪中葉書が多くなって、出してよい人と出していけない人の区別が面倒になったのである。
一年が巡っても、どうってこともない歳になったこともある。
でも、一年に一回くらいは季節の挨拶をしたほうがよさそうである。
身内に不幸のあった人にだって、浮世の習慣で年賀をお断りされても、寒中お見舞いならば受けとって下さるだろう。年賀の季節をはずして寒中見舞いを出すのだ。
平々凡々として、月日が過ぎていく。昨日の続きは元日もほかの日も同じである。そうやってしだいに終点に向っていく。
参照→077年賀状をやめる
2009/12/31
2009/12/29
222【くたばれ乗用車】交通信号を歩行者のために
酔っ払って歩いて帰る真夜中のこと、さすがに横浜都心部でも表通りのほかは車も人もめったに通らない寂しい街となっている。わたしの家の近くの交差点をわたった。
と、右のほうから「オトーサンオトーサン」と声が聞こえる。こんな真夜中に路上で親子喧嘩かしらと聞き流して直進する。ところが声は「オトーサン」と、わたしを追いかけて来る。
え、右に振り向けば、作業衣・作業帽子のような姿の若い男が追いかけてくる。
“あのね、わたしは息子が2人いますけど、3人目のあなたを誰かに生ませた覚えはありません、ごめんなすって”って言おうとしたら、
「オトーサン、信号無視は危ないですよ、気をつけてください」
え、なんだよ、大きなお世話だよ、って思いふと見ると、棒のようなものを持っていて、どうも警官らしい。
ごたごた言って引っぱられても困ると分別が働き、「ご忠告ありがとうございます」といって、そそくさとそいつと別れた。追っては来なかった。でも、なんでオト-サンなんだよ?
2009年12月28日の朝日新聞夕刊社会面に、「無視される信号なくせ」との見出しで、車がちっとも通らないのに交通信号が長い赤信号になっていて、歩行者や自転車の信号無視が常態化している場所があるが、実情に合わせて赤を短くとか、信号を取っ払うのだそうである。
そうだよなあ、誰にでも身に覚えがある。交通信号を歩行者向きにすることはよいことですよ、やってください。
わたしが住んでいるあたりは、たいした車の交通量があるのでもないあちこちの道に、やたらに信号がある。真夜中は無駄もいいところである。信号機屋と警察と結託でしているのかとあらぬ疑いを持つのである。
モチロンわたしはきち~んと信号に従って歩いておりますよ。
その記事には、警察庁によると、交通事故死者のうち歩行者が占める割合が日本は高く、2007年はドイツ、フランス、イタリア、オランダは10%台なのに対し、日本は33%とある。
おいおい、日本はそんなに車優先社会なのかよ、まったく、くたばれ自動車、。
ところが同じ夕刊にこんな記事がある。
「HV車「音だし」1月に指針公表」の見出しで、電気自動車が静かに走るので歩行者に危険だとして、走行音を出すようにするのだそうである。
国交省は「視聴覚障害者らが危険を感じているので、早めに開発を」といっているとある。
おいおいバカヤロ、わかんないヤツだな、おためごかしの口を利きやがって、。
これについては既にその馬鹿さ加減を書いているが、まったくもって、そこのけ自動車思想はやっぱり変らないのであった。
まったく、もう、くたばれ自動車!
参照→161そこのけ車が通る
と、右のほうから「オトーサンオトーサン」と声が聞こえる。こんな真夜中に路上で親子喧嘩かしらと聞き流して直進する。ところが声は「オトーサン」と、わたしを追いかけて来る。
え、右に振り向けば、作業衣・作業帽子のような姿の若い男が追いかけてくる。
“あのね、わたしは息子が2人いますけど、3人目のあなたを誰かに生ませた覚えはありません、ごめんなすって”って言おうとしたら、
「オトーサン、信号無視は危ないですよ、気をつけてください」
え、なんだよ、大きなお世話だよ、って思いふと見ると、棒のようなものを持っていて、どうも警官らしい。
ごたごた言って引っぱられても困ると分別が働き、「ご忠告ありがとうございます」といって、そそくさとそいつと別れた。追っては来なかった。でも、なんでオト-サンなんだよ?
2009年12月28日の朝日新聞夕刊社会面に、「無視される信号なくせ」との見出しで、車がちっとも通らないのに交通信号が長い赤信号になっていて、歩行者や自転車の信号無視が常態化している場所があるが、実情に合わせて赤を短くとか、信号を取っ払うのだそうである。
そうだよなあ、誰にでも身に覚えがある。交通信号を歩行者向きにすることはよいことですよ、やってください。
わたしが住んでいるあたりは、たいした車の交通量があるのでもないあちこちの道に、やたらに信号がある。真夜中は無駄もいいところである。信号機屋と警察と結託でしているのかとあらぬ疑いを持つのである。
モチロンわたしはきち~んと信号に従って歩いておりますよ。
その記事には、警察庁によると、交通事故死者のうち歩行者が占める割合が日本は高く、2007年はドイツ、フランス、イタリア、オランダは10%台なのに対し、日本は33%とある。
おいおい、日本はそんなに車優先社会なのかよ、まったく、くたばれ自動車、。
ところが同じ夕刊にこんな記事がある。
「HV車「音だし」1月に指針公表」の見出しで、電気自動車が静かに走るので歩行者に危険だとして、走行音を出すようにするのだそうである。
国交省は「視聴覚障害者らが危険を感じているので、早めに開発を」といっているとある。
おいおいバカヤロ、わかんないヤツだな、おためごかしの口を利きやがって、。
これについては既にその馬鹿さ加減を書いているが、まったくもって、そこのけ自動車思想はやっぱり変らないのであった。
まったく、もう、くたばれ自動車!
参照→161そこのけ車が通る
2009/12/28
221【横浜ご近所探検】日の丸デモ・鉛筆ビル
◎ご近所探検その1・日の丸デモ
散歩に出ると横浜大通り公園が騒がしい。見れば沢山の日章旗(日の丸)やら旭日旗(放射状)が立っている。その旗棹を抱えた男女2~30人くらいが集まって演説をきいている。
まわりには制服警官や私服警官らしき人たちも、うようよといる。
アジ演説をしているが、演説口調がドスのきいた絶叫であるから、ウヨクさんたちかなあと近づいてみればプラカードやのぼりもあって、拉致問題にも触れて外国人犯罪を撲滅どうとかこうとかと、外国人排斥のようなことも書いてある。NPOナントカカントカとも団体名を書いてある。ふ~ん、NPOも色々あるんだなあ。
そのそばにはリサイクル露店群が地べたに品物を並べていて、福祉ボランティアの出店もあって、その平和な風景と対照が奇妙である。
そのそばにはリサイクル露店群が地べたに品物を並べていて、福祉ボランティアの出店もあって、その平和な風景と対照が奇妙である。
◎ご近所探検その2・鉛筆ビル
近所の方のビル建設計画のお知らせが郵便受けに入っていた。図面を見て現地と照合すると、左右後と三つの鉛筆ビルにはさまれた小さな敷地に、鉛筆ビルを建てるのである。裏になる隣の共同住宅は完全なる日陰になるが、仕方ない宿命であるとしてよいのかしら、。わたしが住んでいる横浜都心部にある共同住宅の周りには、大きな敷地の太目の集合住宅ビルも多いが、狭い敷地の細身のっぽビル、いわゆる鉛筆ビルがたくさんある。
これらのたいていは土地を持っている人がビルのオーナーであるらしく、下に店舗や事務所、一番上にはそのオーナーの住宅、中間に共同住宅というのが典型的な例である。
肩を接して建ち並ぶから、住宅の日照は道路側だけに頼らざるを得ない。近所よりは早めに建てて隣にむいて窓をあけていても、そのうちに建ち並んで日陰ビルになる。
じつはわたしの住む南側の道路向こうは、低層ビルと駐車場である。ここにいつ高層ビルが建つだろうかと、びくびくしている。そのときは引っ越すしかないが、借家だからその点はちょっとは気楽である。
その北側で建設中のままで止まってしまった高僧共同住宅ビルは、いまだに再開の様子は見えない.
参照→092隣に迫る大不況
2009/12/26
220【言葉の酔時記】数の単位
数の単位で、1キロは1000、1メガは100万、1ギガは10億、1テラは1兆、1ペタは1000兆だそうである。順に千倍になっていくのである。
日本語は万からさきは億、兆、京と、順に万倍になって単位がつくから、IT語とずれてしまって勘定がしにくい。
ところがコンピューターの情報量のバイト数は、1ギガバイトは1000メガバイトではなくて1024メガバイトなのだそうである。
そんな半端な数になぜなるのか、なんだか2進法に関係ありそうだが、1000倍ごとに単位を切り上げる法則から外れていて、奇妙である。
最近のハードディスクは1テラバイトなんて大容量の宣伝をしているが、あれは実は正確には1.024テラバイト(1兆240億バイト)なのだそうである。
デジタルカメラの画素数は、100万画素なんていって、1メガ画素といわないのもヘンである。ならば1テラなんていわないで1兆バイトって言ったらどうか。
IT用語はどうもいい加減で困る。
で、今年の政府予算案が92.3兆円だそうである。つまり92.3テラ円である。
なるほどそうか、この日本列島内外から集めるテラ銭を元手にしているからなんだな、。
日本語は万からさきは億、兆、京と、順に万倍になって単位がつくから、IT語とずれてしまって勘定がしにくい。
ところがコンピューターの情報量のバイト数は、1ギガバイトは1000メガバイトではなくて1024メガバイトなのだそうである。
そんな半端な数になぜなるのか、なんだか2進法に関係ありそうだが、1000倍ごとに単位を切り上げる法則から外れていて、奇妙である。
最近のハードディスクは1テラバイトなんて大容量の宣伝をしているが、あれは実は正確には1.024テラバイト(1兆240億バイト)なのだそうである。
デジタルカメラの画素数は、100万画素なんていって、1メガ画素といわないのもヘンである。ならば1テラなんていわないで1兆バイトって言ったらどうか。
IT用語はどうもいい加減で困る。
で、今年の政府予算案が92.3兆円だそうである。つまり92.3テラ円である。
なるほどそうか、この日本列島内外から集めるテラ銭を元手にしているからなんだな、。
2009/12/23
219【お遊び】大人の火遊びをやりに山梨県の韮崎まで行ってきた
大きな焚き火をしてきた。火遊び仲間4人は同年だから、焚き火は当たり前の時代に育ったから、懐かしいイベントである。
40台で鎌倉の一戸建てに移ったときに、庭でやりたいことのいちばんは焚き火だった。喜んでやっていたのだが、しばらくして近所から文句が来た。なにせ狭い敷地だから煙はどんどん隣に行くのである。そうか、ここは一山の森がある神社の境内ではないのだと気がついて、止めざるを得なかった。
昨年から年に1、2回、韮崎まで焚き火に通っているのである。ぜいたくな大人の火遊びである。
●参照→108焚き火http://datey.blogspot.com/2009/03/108.html
今はCO2の排出が増えるとかダイオキシン発生とかで、焚き火はどこでも禁止らしい。世知辛くなったものである。
わたしは森の中の神社で生まれ育ったから、冬の朝は広い境内からはき集めた落ち葉を盛大に燃やす焚き火で身体をあっためてから登校したものである。お正月の初詣の人たちも皆焚き火の周りで暖をとっていた。40台で鎌倉の一戸建てに移ったときに、庭でやりたいことのいちばんは焚き火だった。喜んでやっていたのだが、しばらくして近所から文句が来た。なにせ狭い敷地だから煙はどんどん隣に行くのである。そうか、ここは一山の森がある神社の境内ではないのだと気がついて、止めざるを得なかった。
昨年から年に1、2回、韮崎まで焚き火に通っているのである。ぜいたくな大人の火遊びである。
●参照→108焚き火http://datey.blogspot.com/2009/03/108.html
2009/12/19
218【老い行く自分】微妙な年頃
今の自分は、実に微妙な年頃であると思う。
古稀過ぎたなんていうと、昔なら大年寄りだが、今はそうでもない、だけど年寄りではあるから、社会的な立場が微妙である。
もっと微妙に思うことは、自分に課している人生の宿題となる、いくつかの調べごとがあるのだが、それらをあまり早く仕上げてしまうと、その後の人生がつまらなそうであるし、そうかといってボチボチとやっていて、まだ気がすまない状況のままにボケたら、それもまた悔しいと思うのである。
なにしろ、これから渡っていく自分の人生時間という綱の先ッぽがどの辺にあるのか分からないままながら、そう遠くではあるまいと分かってからの綱渡り人生は、考えてみるとスリルに満ちている。
◆◆◆
同年の友人が言う。
「時間は今や無限にあるようになった」
わたしが言う
「時間って有限だろ」
「ところがね、今や仕事はないし、稼ぐ必要もないので、自由な時間だけで過ごしている。この状態が死ぬまで続くことは間違いないからだよ」
「じゃあ、死ぬまでしか時間は無いだろ、有限だよ」
「いやいや、時間は人間が作り出したものだよ、その人間が死ぬまで時間を気ままに使えるってことは、時間に限度が無いんだよ」
「まあな、仕事という自分の外部から決まる締め切りという有限の時間に追われることのない生き方は、無限に時間があるってことだな」
「そういう状況の中で死ねば、締め切りなる有限時間はいまからずっと永遠に存在しないんだよ」
「ふ~ん、実存哲学のような、至極単純アタマのような」
古稀過ぎたなんていうと、昔なら大年寄りだが、今はそうでもない、だけど年寄りではあるから、社会的な立場が微妙である。
もっと微妙に思うことは、自分に課している人生の宿題となる、いくつかの調べごとがあるのだが、それらをあまり早く仕上げてしまうと、その後の人生がつまらなそうであるし、そうかといってボチボチとやっていて、まだ気がすまない状況のままにボケたら、それもまた悔しいと思うのである。
なにしろ、これから渡っていく自分の人生時間という綱の先ッぽがどの辺にあるのか分からないままながら、そう遠くではあるまいと分かってからの綱渡り人生は、考えてみるとスリルに満ちている。
◆◆◆
同年の友人が言う。
「時間は今や無限にあるようになった」
わたしが言う
「時間って有限だろ」
「ところがね、今や仕事はないし、稼ぐ必要もないので、自由な時間だけで過ごしている。この状態が死ぬまで続くことは間違いないからだよ」
「じゃあ、死ぬまでしか時間は無いだろ、有限だよ」
「いやいや、時間は人間が作り出したものだよ、その人間が死ぬまで時間を気ままに使えるってことは、時間に限度が無いんだよ」
「まあな、仕事という自分の外部から決まる締め切りという有限の時間に追われることのない生き方は、無限に時間があるってことだな」
「そういう状況の中で死ねば、締め切りなる有限時間はいまからずっと永遠に存在しないんだよ」
「ふ~ん、実存哲学のような、至極単純アタマのような」
2009/12/13
217【能楽鑑賞】野村四郎の能「鵺」を観る
久しぶりに野村四郎師の能を観てきた。
能 鵺 白頭
シテ野村四郎 ワキ江崎金治郎 アイ山本則秀
大鼓佃良勝 小鼓幸正昭 太鼓観世元伯 笛一噌隆之
地頭浅井文義 2009年12月12日 川崎能楽堂
「鵺」という能ははじめて観た。源頼政に退治された怪物の話である。頭は猿、身体は虎、尻尾は蛇というキメラである。
例によって、旅の僧が泊まった川辺の仏堂に怪しいものが出てくる。お前は誰かと聞けば、頼政に殺された鵺の幽霊で、成仏できないので弔ってほしいと言って姿を消す。
ここまでが前場で、後場は僧が読経していると、鵺が出てきて殺されたときの様子を仕方話して、また消える。話はそれだけである。
見所は、鵺が殺される前後の演技であろう。鵺が自分のことの物語だから、殺される側の鵺の演技はあたりまえだが、殺す側の頼政の演技もするので、よく考えるとおかしいのだが、能にはそんな演出が普通にある。それを観ているときはおかしいと思わないのは、演技の力である。
この怪物の鵺は、僧の念仏で成仏したのだろうか、そこがよく分からない。鵺の最後は、祈ってくれといいつつ、よろよろと幕に入ってしまう体となる。これは川流れである。
◆◆◆
この鵺を退治した頼政に関しては、その名をつけた能がある。彼は歳とってから、どうでもよいことで平家に刃向い挙兵して殺されてしまう。能「頼政」はその殺される合戦の様子であり、能「鵺」と似ている。作者がどちらも世阿弥だから、つながりを持って作っているだろう。
その能「頼政」も、最後は「あと弔い給へ、御僧よ」と頼みながら草の陰に消えるのであるが、明確に成仏したとは謡われない。
能ではどんな苦しむ霊でも最後に成仏させることが多い。例えば能「清経」では、「仏果を得しこそありがたけれ」と納まるし、能「砧」では「成仏の道あきらかになりにけり」と謡うのである。
それに比べて鵺も頼政も踏ん切りが悪い。どうもこれは成仏していないらしい。敗者の悲哀がこの能のテーマと言われるのはそこにあるのだろう。
だから演技でいちばんの核となるのは、実は最後のほうで流れ足で橋掛かりに入ってからの、小舟で流されていく遺骸となった鵺の哀感表現かもしれない。今回の野村四郎の演技も、そこに惹かれた。
◆◆◆
狂言は「福の神」であった。山本則俊以下、則重、則孝、泰太郎、則秀と大蔵流山本東次郎家がぞろぞろ登場して、西の和泉流茂山家に対抗できる人数で、まことに繁盛おめでたいことである。
来年2月13日午後、目黒の喜多能楽堂で野村四郎「松風」がある。野村四郎はやはり三番目物がいい。
参照→野村四郎師サイト
能 鵺 白頭
シテ野村四郎 ワキ江崎金治郎 アイ山本則秀
大鼓佃良勝 小鼓幸正昭 太鼓観世元伯 笛一噌隆之
地頭浅井文義 2009年12月12日 川崎能楽堂
「鵺」という能ははじめて観た。源頼政に退治された怪物の話である。頭は猿、身体は虎、尻尾は蛇というキメラである。
例によって、旅の僧が泊まった川辺の仏堂に怪しいものが出てくる。お前は誰かと聞けば、頼政に殺された鵺の幽霊で、成仏できないので弔ってほしいと言って姿を消す。
ここまでが前場で、後場は僧が読経していると、鵺が出てきて殺されたときの様子を仕方話して、また消える。話はそれだけである。
見所は、鵺が殺される前後の演技であろう。鵺が自分のことの物語だから、殺される側の鵺の演技はあたりまえだが、殺す側の頼政の演技もするので、よく考えるとおかしいのだが、能にはそんな演出が普通にある。それを観ているときはおかしいと思わないのは、演技の力である。
この怪物の鵺は、僧の念仏で成仏したのだろうか、そこがよく分からない。鵺の最後は、祈ってくれといいつつ、よろよろと幕に入ってしまう体となる。これは川流れである。
◆◆◆
この鵺を退治した頼政に関しては、その名をつけた能がある。彼は歳とってから、どうでもよいことで平家に刃向い挙兵して殺されてしまう。能「頼政」はその殺される合戦の様子であり、能「鵺」と似ている。作者がどちらも世阿弥だから、つながりを持って作っているだろう。
その能「頼政」も、最後は「あと弔い給へ、御僧よ」と頼みながら草の陰に消えるのであるが、明確に成仏したとは謡われない。
能ではどんな苦しむ霊でも最後に成仏させることが多い。例えば能「清経」では、「仏果を得しこそありがたけれ」と納まるし、能「砧」では「成仏の道あきらかになりにけり」と謡うのである。
それに比べて鵺も頼政も踏ん切りが悪い。どうもこれは成仏していないらしい。敗者の悲哀がこの能のテーマと言われるのはそこにあるのだろう。
だから演技でいちばんの核となるのは、実は最後のほうで流れ足で橋掛かりに入ってからの、小舟で流されていく遺骸となった鵺の哀感表現かもしれない。今回の野村四郎の演技も、そこに惹かれた。
◆◆◆
狂言は「福の神」であった。山本則俊以下、則重、則孝、泰太郎、則秀と大蔵流山本東次郎家がぞろぞろ登場して、西の和泉流茂山家に対抗できる人数で、まことに繁盛おめでたいことである。
来年2月13日午後、目黒の喜多能楽堂で野村四郎「松風」がある。野村四郎はやはり三番目物がいい。
参照→野村四郎師サイト
2009/12/12
216【言葉の酔時記、怪しいハイテク】中身を真っ新に改めないのに「更新」とは言葉が違うよ
インタネットサイトの「更新」という言葉がおかしいと昔から思っている。
この世界では、なにか記事を付け加えただけで「更新」というのである。何も書き換えていないのに、なぜ更新なのか?
ではおなじみの広辞苑。
・こう‐しん【更新】①あらたまること。あらためること。「記録を―する」 ②〔法〕契約などの期間が満了した時、その期間を延長し、または新契約を結ぶこと。 ③〔生〕植物群落の遷移。特に、極相森林で世代の代ること。
・あらた・める【改める・革める】①新しくする。これまでのをやめて、別のものにする。 ②あるべき状態になおす。改善する。正す。 ③(ことばや態度を)堅苦しく儀式ばらせる。きちんとさせる。
ということで、ブログのようにただ付け加えただけでは更新とは言わないのである。掲載記事を書き換えたら更新なのである。
まったくもって、IT用語の日本語知らずである。
思い出せば、ずっと以前に「購読」てのがあって、インタネット用語では「サイトを見ること」だって、ある人から聞いたことがある。
でも、無料で購読ってのはおかしいでしょといったら、今はカイヘンをゴンベンに直して「講読」と書くことにしたと返事をもらった。
今もそうしているのだろうか。辞書で「講読」を引いてみなさいよ、大間違いなんだから、。
この世界では、なにか記事を付け加えただけで「更新」というのである。何も書き換えていないのに、なぜ更新なのか?
ではおなじみの広辞苑。
・こう‐しん【更新】①あらたまること。あらためること。「記録を―する」 ②〔法〕契約などの期間が満了した時、その期間を延長し、または新契約を結ぶこと。 ③〔生〕植物群落の遷移。特に、極相森林で世代の代ること。
・あらた・める【改める・革める】①新しくする。これまでのをやめて、別のものにする。 ②あるべき状態になおす。改善する。正す。 ③(ことばや態度を)堅苦しく儀式ばらせる。きちんとさせる。
ということで、ブログのようにただ付け加えただけでは更新とは言わないのである。掲載記事を書き換えたら更新なのである。
まったくもって、IT用語の日本語知らずである。
思い出せば、ずっと以前に「購読」てのがあって、インタネット用語では「サイトを見ること」だって、ある人から聞いたことがある。
でも、無料で購読ってのはおかしいでしょといったら、今はカイヘンをゴンベンに直して「講読」と書くことにしたと返事をもらった。
今もそうしているのだろうか。辞書で「講読」を引いてみなさいよ、大間違いなんだから、。
215【言葉の酔時記】富士通社長にとってスパコンなんてどうでもいいことなんだな?
広辞苑に曰く
こだわ・る
①さわる。さしさわる。さまたげとなる。膝栗毛六「脇指の鍔が、横腹へ―・つて痛へのだ」 ②気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。「形式に―・る」 ③故障を言い立てる。なんくせをつける。
さて、今朝の朝日新聞経済欄に、富士通なる電器屋の社長の言が載っている。
「富士通はスパコンの開発にこだわっていく」
先般、政府事業の仕分けなるイベントで、槍玉に上がったのがこのsuper computerの開発であったことは記憶に新しい。
この富士通社長の発言から見ると、super computer開発なんて、「気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる」ことであるらしい。
だとしたら、仕分け人が言う如く、そんなものを国がやることはないってのは、事実なんだろうなあ。
ワープロと双璧の変な言葉のスパコン、え~と、スパンコールってあったなあ、なんだっけか?
こだわ・る
①さわる。さしさわる。さまたげとなる。膝栗毛六「脇指の鍔が、横腹へ―・つて痛へのだ」 ②気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。「形式に―・る」 ③故障を言い立てる。なんくせをつける。
さて、今朝の朝日新聞経済欄に、富士通なる電器屋の社長の言が載っている。
「富士通はスパコンの開発にこだわっていく」
先般、政府事業の仕分けなるイベントで、槍玉に上がったのがこのsuper computerの開発であったことは記憶に新しい。
この富士通社長の発言から見ると、super computer開発なんて、「気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる」ことであるらしい。
だとしたら、仕分け人が言う如く、そんなものを国がやることはないってのは、事実なんだろうなあ。
ワープロと双璧の変な言葉のスパコン、え~と、スパンコールってあったなあ、なんだっけか?
2009/12/09
214【日々の生活】美術展のハシゴ
昨8日は思い立って3つの展覧会をハシゴしてきた。
ひとつは東京丸ノ内にできた三菱1号館美術館のプレ展覧会「一丁倫敦と丸ノ内スタイル」展、2番目は千葉・松戸の松戸市立博物館の「日本表現主義」展、3つ目は東京・木場の都立現代美術館で「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展である。
復元三菱1号館にはじめて入った。展示よりも内部の復元はどう見せているのかが気になっていたのだ。このことで考えさせられることがあったので、いずれまちもり通信の瓢論で書く。
日本の表現主義展は、既にこの春、栃木県立美術館で見ているのであるが、あまりに厖大で見たりなかったので、招待券をいただいたのを幸に再訪した。
ただし、栃木県美よりもっ会場が狭いので、あまり見ごたえがなかった。
3回に分けて展示替えするのだそうだが、あれほど沢山の資料を集めたのを、できれば一度にゆっくり見たいものだ。それが表現主義を多様な面から再評価する良い機会になるのだ。
この展示ではちょっと残念である。
松戸市博物館には、どこでもよくある郷土史の石器やら甕やらジオラマ等があったが、わたしが面白かったのはそれではなくて、常盤平団地という1959年から入居が始まったいわゆる公団団地の中の住戸を再現したものであった。
あの時代の生活を思い出した。しかし、不満だったのは、常盤台団地の成り立ちなど現代史としての展示があっても良いだろうに、たんに2DKの再現だけであったことだ。
ファッションの欲望展は、実はよくわからないのだが、招待券をもらったので、久しぶりに服飾ファッションを見てきた。
仕事でファッションタウンなるものに長く関わっていたことがあるので、まんざら無縁ではない。
隣の部屋でアメリカの絵画展をやっていて、ウォーホールやリキテンシュタインのポップアートの作品に出会った。
リトグラフの何枚もの色違いマリリンモンローとか、漫画の1コマを拡大して印刷のドットまで丹念に模写した油絵とかで、ああ、アレはここにあるのかと、ちょっと驚きつつ楽しんだ。
外に出ればさすがにとっぷりと日は暮れている。
近くの門前仲町の居酒屋「魚三」による。壁に貼られた100以上もありそうな手書きメニューがポップアートにみえる。
酒3本、生と焼と煮魚をひと品づつ、良い機嫌で締めて1200円、急に文化のレベルがダウンしたのであった。
参照→207日本の表現主義展
ひとつは東京丸ノ内にできた三菱1号館美術館のプレ展覧会「一丁倫敦と丸ノ内スタイル」展、2番目は千葉・松戸の松戸市立博物館の「日本表現主義」展、3つ目は東京・木場の都立現代美術館で「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展である。
復元三菱1号館にはじめて入った。展示よりも内部の復元はどう見せているのかが気になっていたのだ。このことで考えさせられることがあったので、いずれまちもり通信の瓢論で書く。
日本の表現主義展は、既にこの春、栃木県立美術館で見ているのであるが、あまりに厖大で見たりなかったので、招待券をいただいたのを幸に再訪した。
ただし、栃木県美よりもっ会場が狭いので、あまり見ごたえがなかった。
3回に分けて展示替えするのだそうだが、あれほど沢山の資料を集めたのを、できれば一度にゆっくり見たいものだ。それが表現主義を多様な面から再評価する良い機会になるのだ。
この展示ではちょっと残念である。
松戸市博物館には、どこでもよくある郷土史の石器やら甕やらジオラマ等があったが、わたしが面白かったのはそれではなくて、常盤平団地という1959年から入居が始まったいわゆる公団団地の中の住戸を再現したものであった。
あの時代の生活を思い出した。しかし、不満だったのは、常盤台団地の成り立ちなど現代史としての展示があっても良いだろうに、たんに2DKの再現だけであったことだ。
ファッションの欲望展は、実はよくわからないのだが、招待券をもらったので、久しぶりに服飾ファッションを見てきた。
仕事でファッションタウンなるものに長く関わっていたことがあるので、まんざら無縁ではない。
隣の部屋でアメリカの絵画展をやっていて、ウォーホールやリキテンシュタインのポップアートの作品に出会った。
リトグラフの何枚もの色違いマリリンモンローとか、漫画の1コマを拡大して印刷のドットまで丹念に模写した油絵とかで、ああ、アレはここにあるのかと、ちょっと驚きつつ楽しんだ。
外に出ればさすがにとっぷりと日は暮れている。
近くの門前仲町の居酒屋「魚三」による。壁に貼られた100以上もありそうな手書きメニューがポップアートにみえる。
酒3本、生と焼と煮魚をひと品づつ、良い機嫌で締めて1200円、急に文化のレベルがダウンしたのであった。
参照→207日本の表現主義展
213【日々の暮らし】貼り紙だらけ
その内容が恥かしいくらいに低級で、小学生に言い聞かせるような常識的なご注意ばかりである。その中には自分もいるのだが、この共同住宅に住んでいる人たちのレベルが今頃になって分かった。
家庭ゴミのだし方の案内パンフレットが、中国語、韓国語でも貼ってある。
それなら注意書きも3ヶ国語である必要がありそうだが、日本語だけのところを見ると、注意するべき行為をする奴等は、日本語のわかる人たちだけかしら。
2009/12/06
212【言葉の酔時記】辺野古に仕分けに分別
広辞苑にはこう書いてある。
『へ‐の‐こ【陰核】 ①陰嚢中の核。睾丸。〈和名抄三〉 ②陰茎』
ちかごろのTVでは、男女が平気でヘノコヘノコとのたまうのだが、紳士たるわたしはどうにもはずかしくて聞いていられない。辺野古には申し訳ないが、。
◆◆◆
また広辞苑に、こう書いてある。
『し‐わけ【仕分け・仕訳】 ①区分すること。分類。類別。「郵便物を―する」、②簿記上の取引を借方と貸方とに区別し、それぞれに適当する勘定科目をつけること。③税関上屋(ウワヤ)内などにおいて、貨物を荷主別・到着港別などに分割・類別すること』
今の評判の政府事業の仕分け作業とは、要るもの、要らないもの、再検討するものに分類することを言うらしい。
これってゴミ出しの分別(ぶんべつ)と同じである。燃やすもの、再利用するもの、埋めるものである。
どうせなら、国の仕事分別作業と言うほうが、とりあえずは分かりやすいと思う。
で、仕分け人やら政府側の人やらが、マスメディアから資格があるのかとか、やりすぎだとか、なってないとか色々言われているが、ようするに彼らが分別(ここではフンベツと読む)をもって分別(ここではブンベツ)してるかどうかだな。
またもや広辞苑にこう書いてある。
『ぶん‐べつ【分別】:種類によってわけること。区別をつけること』
『ふん‐べつ【分別】:①(もと仏語から) 心が外界を思いはかること。理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること。徒然草「―みだりに起りて、得失やむ時なし」、②考えること。思案をめぐらすこと。狂、萩大名「今日はどれへぞ珍しい所へお供致したいものでござる。汝、―をしてみよ」、③世間的な経験・識見などから出る考え・判断。五人女四「久七―して、いやいや、根深・にんにく食ひし口中もしれずと、やめけることのうれし」。「思慮―」、④(僧の隠語) 鰹節(カツオブシ)』
『へ‐の‐こ【陰核】 ①陰嚢中の核。睾丸。〈和名抄三〉 ②陰茎』
ちかごろのTVでは、男女が平気でヘノコヘノコとのたまうのだが、紳士たるわたしはどうにもはずかしくて聞いていられない。辺野古には申し訳ないが、。
◆◆◆
また広辞苑に、こう書いてある。
『し‐わけ【仕分け・仕訳】 ①区分すること。分類。類別。「郵便物を―する」、②簿記上の取引を借方と貸方とに区別し、それぞれに適当する勘定科目をつけること。③税関上屋(ウワヤ)内などにおいて、貨物を荷主別・到着港別などに分割・類別すること』
今の評判の政府事業の仕分け作業とは、要るもの、要らないもの、再検討するものに分類することを言うらしい。
これってゴミ出しの分別(ぶんべつ)と同じである。燃やすもの、再利用するもの、埋めるものである。
どうせなら、国の仕事分別作業と言うほうが、とりあえずは分かりやすいと思う。
で、仕分け人やら政府側の人やらが、マスメディアから資格があるのかとか、やりすぎだとか、なってないとか色々言われているが、ようするに彼らが分別(ここではフンベツと読む)をもって分別(ここではブンベツ)してるかどうかだな。
またもや広辞苑にこう書いてある。
『ぶん‐べつ【分別】:種類によってわけること。区別をつけること』
『ふん‐べつ【分別】:①(もと仏語から) 心が外界を思いはかること。理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること。徒然草「―みだりに起りて、得失やむ時なし」、②考えること。思案をめぐらすこと。狂、萩大名「今日はどれへぞ珍しい所へお供致したいものでござる。汝、―をしてみよ」、③世間的な経験・識見などから出る考え・判断。五人女四「久七―して、いやいや、根深・にんにく食ひし口中もしれずと、やめけることのうれし」。「思慮―」、④(僧の隠語) 鰹節(カツオブシ)』
2009/12/05
211【日々の暮らし】喪中葉書
年末になると「喪中につき云々」なる葉書が続々とやってくる。
これって年賀状を出さないってお詫びらしいのだけど、喪中には人様からお祝いを言われるのはそれが何であれ嫌なのかもしれないが、人様にお祝いを言うのもいけないのかしら。そこがよく分からない。
わたしの場合はどうしたか。実は何もしなかったのである。普通に年賀状を出した。
親戚にはともかくとしても、こちらの親族と知己でもなんでもない人様に喪中といっても、なんの関係もないからである。
同様に、他人からその親族の永眠をもって喪中といわれても、お知らせをいただいたご当人は知っていても、その親族を知る場合はめったにないから、どうもピンとこないのである。
ほとんどの葉書がそっけないお知らせである中に、「永年、一家の手法をつとめながら、学校教育および社会教育に取り組んだ母は、近年、幾多の病に臥しがちでしたが、、」とあるものがあり、この友人のご母堂は見知らぬが、母子の情が感じられたのである。
それにしても、永眠された方の年齢をちょっと挙げてみても、98、100、84、89、88、82、94,91と、将に超高齢社会の真っ只中であることが分かる。
参照→077年賀状をやめる 066喪中ごあいさつ
これって年賀状を出さないってお詫びらしいのだけど、喪中には人様からお祝いを言われるのはそれが何であれ嫌なのかもしれないが、人様にお祝いを言うのもいけないのかしら。そこがよく分からない。
わたしの場合はどうしたか。実は何もしなかったのである。普通に年賀状を出した。
親戚にはともかくとしても、こちらの親族と知己でもなんでもない人様に喪中といっても、なんの関係もないからである。
同様に、他人からその親族の永眠をもって喪中といわれても、お知らせをいただいたご当人は知っていても、その親族を知る場合はめったにないから、どうもピンとこないのである。
ほとんどの葉書がそっけないお知らせである中に、「永年、一家の手法をつとめながら、学校教育および社会教育に取り組んだ母は、近年、幾多の病に臥しがちでしたが、、」とあるものがあり、この友人のご母堂は見知らぬが、母子の情が感じられたのである。
それにしても、永眠された方の年齢をちょっと挙げてみても、98、100、84、89、88、82、94,91と、将に超高齢社会の真っ只中であることが分かる。
参照→077年賀状をやめる 066喪中ごあいさつ
2009/12/04
210【各地の風景】鎌倉の世界遺産
日本各地で世界遺産登録の暫定候補地がいくつかある。どれも登録に至るには足踏みしている。鎌倉はその中では老舗格になってしまった。
その鎌倉で今年も11月8日に、市民による世界遺産を考えるワークショップがあった。一昨年から3回目である。
鎌倉世界遺産登録推進協議会と鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会が音頭とりであるが、鎌倉にいる建築家の畏友が事務局長兼総括進行役ボランティアでがんばっていて、わたしはコメンテーター、つまり全体の論の整理係として参加した。
市内外から公募に応じた60人ほどの市民たちがやってきて、市役所の大きな部屋で、6つのグループに分かれ、土曜の午後の半日をかけての話し合いであった。テーブルごとに討論する遺産候補群をそれぞれ定めているが、論は登録のテーマとしている「中世武家の都」を超えて、時間的にも空間的にも広がるばかり。
みんなの論点は、とにもかくにも登録に持ち込む算段はどうするか、登録するにはまちづくりをちゃんとしよう、登録して市民に何のメリットがあるのか、そもそも登録する遺産を市民は知っているのか、などなど、毎年のように堂々巡り気味にもなる。
参照→◆裏長屋の世界遺産談義(2009)
◆102世界遺産よりも宇宙遺産
◆世界遺産とはなんだろうか(2008)
◆山並み眺望をついに守りとおした鎌倉(2008)
2009/12/02
209【言葉の酔時記】今年の流行語を半分も知らない
今年の新語流行語大賞なるものがあるとマスメディアが伝える。どこかの企業が決めているらしい。
で、そのトップテンは次のようなものというのだが、半分は知らない。
「政権交代」はもちろん知っている。だが、これは新語じゃないが流行語か?
「こども店長」ってなんだ?
「事業仕分」は、あまりに有名になった。新語のように聞こえる。
「新型インフルエンザ」はもちろん承知。未だかかっていないけど。
「草食男子」たあなんだ、要するによわよわしい男ってことか?
「脱官僚」は新語じゃないからとて、なんで流行語なんだよ、いまごろ流行語というほうがおかしい。
「派遣切り」なんて、今年の新語のようだが、流行語にしたくないという皮肉をこめて社会批判として採用したのかしら、それならこの企画にも芯があるけどな。
「ファストファッション」、こりゃなんだね、ファスト風土とかファストフードの類か、お手軽で半分裸の格好のことか、ならばチジミのシャツにステテコこそファストファッション?
「ぼやき」ってのは、なんでもプロ野球の監督のことらしいが、興味ない。
「歴女」、??
こうしてみると、わたしの知らないのはどれもTVタレントものらしい。知らなくてあたりまえだ、だってTVを見ないんだもん。
で、そのトップテンは次のようなものというのだが、半分は知らない。
「政権交代」はもちろん知っている。だが、これは新語じゃないが流行語か?
「こども店長」ってなんだ?
「事業仕分」は、あまりに有名になった。新語のように聞こえる。
「新型インフルエンザ」はもちろん承知。未だかかっていないけど。
「草食男子」たあなんだ、要するによわよわしい男ってことか?
「脱官僚」は新語じゃないからとて、なんで流行語なんだよ、いまごろ流行語というほうがおかしい。
「派遣切り」なんて、今年の新語のようだが、流行語にしたくないという皮肉をこめて社会批判として採用したのかしら、それならこの企画にも芯があるけどな。
「ファストファッション」、こりゃなんだね、ファスト風土とかファストフードの類か、お手軽で半分裸の格好のことか、ならばチジミのシャツにステテコこそファストファッション?
「ぼやき」ってのは、なんでもプロ野球の監督のことらしいが、興味ない。
「歴女」、??
こうしてみると、わたしの知らないのはどれもTVタレントものらしい。知らなくてあたりまえだ、だってTVを見ないんだもん。
2009/12/01
208【怪しいハイテク】欠陥IT商品の責任
官庁の諸手続きを、コンピューターからインタネットつかってできるように、電子化システムを各官庁が整えてきたが、なんとまあ、その利用率がぼろくそに悪いとマスメディアが伝える。
システムの開発費と維持費ばかりかかって、利用者1件あたり数万円もかかっている計算になるものもあるという。
そりゃそうだろう、例えばわたしだって所得税の確定申告で、その電子システムでやろうとしたが、まず認証のめんどくささでひっかってやめた。
ネットにある計算システムだけ利用して、紙に印刷して郵送しているのである。
要するに使い勝手があまりに悪いので、紙で届けるほうが楽なのである。
ほかも同じだろうが、なんでそんなに利用率が低いか、それはコンピューターの普及とかではなくて、やってみればわかるが、システム利用案内の日本語が分からないのである。
これも私が何度も言っているように、日本語を知らないITバカ技術者が作るからである。
そんなシステムを買う官庁も官庁である。買う前に市民に利用の実験してみればすぐにそのバカさ加減が分かることである。
マスメディアは、役所が無駄使いしてけしからんて論調だけど、これははっきり言ってIT業者が欠陥商品を納入したのである。使えないものは欠陥商品である。
たとえて言えば公共施設として劇場を建てたとしよう。
先ずそこを使うには鍵を開けて入らなければならないが、これが面倒くさい手続きを要求するから、嫌になって使うのをやめるのである。
たとえ鍵を開けたとしても、こんどは中の部屋や設備の使い方の案内書が分からないのである。
たとえ使えても、その面倒なことおびただしい。
というわけで、使えないもの、つまり欠陥商品を売りつけたのである。
素人をだまして、高い金を取ってつくり、維持費も独占的に高い金を取って、要するにこの件でボロもうけしたのはIT業者で、大損をしたのは税金を納めた市民である。
そこをマスメディアはなぜ追求しないのか、メーカーやソフト業者の責任をなぜ言わないのか不思議である。欠陥建物ならすぐ設計者や建設業者をどうのこうのというのに、お前等おかしいぞ。
思い出せば、森喜郎首相というどうみてもITと程遠いお顔の方がIT立国なんていっていた。IT業界を税金で儲けさせたのであった。
システムの開発費と維持費ばかりかかって、利用者1件あたり数万円もかかっている計算になるものもあるという。
そりゃそうだろう、例えばわたしだって所得税の確定申告で、その電子システムでやろうとしたが、まず認証のめんどくささでひっかってやめた。
ネットにある計算システムだけ利用して、紙に印刷して郵送しているのである。
要するに使い勝手があまりに悪いので、紙で届けるほうが楽なのである。
ほかも同じだろうが、なんでそんなに利用率が低いか、それはコンピューターの普及とかではなくて、やってみればわかるが、システム利用案内の日本語が分からないのである。
これも私が何度も言っているように、日本語を知らないITバカ技術者が作るからである。
そんなシステムを買う官庁も官庁である。買う前に市民に利用の実験してみればすぐにそのバカさ加減が分かることである。
マスメディアは、役所が無駄使いしてけしからんて論調だけど、これははっきり言ってIT業者が欠陥商品を納入したのである。使えないものは欠陥商品である。
たとえて言えば公共施設として劇場を建てたとしよう。
先ずそこを使うには鍵を開けて入らなければならないが、これが面倒くさい手続きを要求するから、嫌になって使うのをやめるのである。
たとえ鍵を開けたとしても、こんどは中の部屋や設備の使い方の案内書が分からないのである。
たとえ使えても、その面倒なことおびただしい。
というわけで、使えないもの、つまり欠陥商品を売りつけたのである。
素人をだまして、高い金を取ってつくり、維持費も独占的に高い金を取って、要するにこの件でボロもうけしたのはIT業者で、大損をしたのは税金を納めた市民である。
そこをマスメディアはなぜ追求しないのか、メーカーやソフト業者の責任をなぜ言わないのか不思議である。欠陥建物ならすぐ設計者や建設業者をどうのこうのというのに、お前等おかしいぞ。
思い出せば、森喜郎首相というどうみてもITと程遠いお顔の方がIT立国なんていっていた。IT業界を税金で儲けさせたのであった。
登録:
投稿 (Atom)