2018/07/29

1153【言葉の酔時記:柱】アメリカ軍兵士の遺骨を「柱」と数えて日本神道の神様にしちゃってよいのかしら

 トラ・キムトップ会談で、朝鮮戦争で死んで現地埋葬されているアメリカ軍兵士の遺骨を、アメリカに渡すという記事がある。
日本軍兵士の遺骨も、アジア・太平洋地域の戦場に置き去りのままが無数にあるようだが、いちおう戦争そのものは終結している。
 ところが朝鮮戦争は1953年に休戦協定をしたままで、いまだに戦時中であるという。休戦中とはいえ、戦場から遺骨を引き揚げることにはいろ難しいことがあるだろうと思う。

 朝鮮戦争と言えば、1950年に始まって、その国連軍の兵站基地となった日本は、戦争景気に沸いておかげで戦争のどん底疲弊から復興ができた。
 他人の不幸を足場にして崖下から這いあがったのが、戦後日本だった。

 話はそのことではなくて、アメリカ軍兵士に遺骨の数え方のことである。このニュースは朝日新聞の記事に何度も出てきているが、例えば「約150柱の遺骨」というように、いつも遺骨を「柱」という数え方をしている。これにわたしは引っ掛かるのである。
 わたしは生まれが神社であったから、神の数え方が「ひとはしら」、「ふた柱」ということは、小さい時から常識として知っていた。そしてまた、そんなことを知っている人は、ほとんどいないだろうと思っていた。
 キリスト教やムスリムは一神教だから、神の数を数えることはありえない。仏教で使わない(はず)だから、これは神道専用言葉である。

 日本では昔から死者の霊を神とすることもあるが、遺骨をそう数えることはなかった。そもそも神という抽象的なものを数えることに使うのは分かるが、遺骨という具体的な物体に適用はかなり違和感がある。
 具体的実例を書く。わたしの生れた家は宮司を職業としていたから、先祖から家族の死者の霊を神として祀っていた。神社境内に小さな祠があり、「霊神社」とよんでいた。わたしの父が亡くなった時に、ここに霊神として祀った。遺骨は別の墓地にある。
 これら霊神として祀った霊は、「柱」と数える。それはこの霊神社に祀った霊に対してのみであり、本来埋葬してある墓(奥津城といった)の遺骨をそう数えることも、先祖の数をそのように勘定することもない。
 
 もちろんこの数え方は神道という宗教の世界のことであり、そのほかの宗教にはかかわりのないことであった。
 ネットでマスメディアたちがどう数えているか検索してみたらいろいろだが、記事の発信元が同じメディアもあるかもしれない。
 朝日新聞「約150の遺骨」、産経新聞「米兵遺骨55柱」、東京新聞「米兵の遺骨55柱」、時事「遺骨は約55柱」、共同通信「米兵の遺骨55柱」、CNN「55柱の遺骨」、赤旗「約5300の遺骨」、読売新聞「米兵200人の遺骨」、NHK「55人分の遺骨」、毎日新聞「遺骨55」、ニューズウィーク日本版「55の小さな箱」、ロイター「55個の小さな箱」
 
 では、どうして今の新聞に、このような日本神道の固有用語が登場するのであろうか。遺骨という物体、しかも棒状でない物をもって「柱」と数える言葉感覚には、どうにもなじめない。どうしてこう書かれているのか、推察してみる。
 近代戦争中の日本国家が、戦場で死んだ兵たちの霊を神として祀ることで、名誉を付与する仕掛けをつくりあげた。これは死者となるべき生きている兵士たちを鼓舞して戦場に送りこむ仕掛けであり、遺された者たちの悲しみを和らげるための仕掛けであった。
 それが今に見る東京九段の靖国神社という装置である。

 そのあまりにも戦死者が多く、余りにも多くの霊が神にされたものだから、神を「柱」と数えることが、神道儀式を通じて多くの人に知られたのだろう。その結果、戦死者の霊のほかにも、遺体も遺骨も霊もひっくるめて「柱」と数えるものだと、誤解が生じたのであろう。記者もそのひとりだろう。
 そう言えば、南方戦線に取り残された日本兵士遺骨の収集に関する記事を以前に読んで、遺骨を「柱」と数えた記事を見て違和感を持ったことがある。

 だがこれは神道という宗教界のことだから、例えばキリスト教徒の戦死者の霊が神として靖国神社に一方的に祀られることに対する異議がだされたように、当然のことにそれらの死者の霊を遺族は「柱」と数えてはいないだろう。
 仏教徒の遺族から異議は出ないのだろうか、それとも靖国神社に戦死者の霊はすべて祀られているとの前提で、記者は記事を書くのだろうか。
 アメリカ軍兵士の遺骨を「柱」とかぞえるのは、その死者の霊を神道の神として祀ったことを意味する。つまり、アメリカにも靖国神社の分社があって、アメリカ兵の戦死者の霊を神として祀っってある……、なんてことがあるはずがない。

 一部の右よりメディアは意識して、戦死者の霊も遺体も遺骨も一括して「神」として数えているのかもしれない。一神教の国アメリカから抗議が来るかも、。
 わたしは言語や民俗学の専門的な知識はないが、マスメディアの記者たちの困惑というか、無知が見えるような気がする。

2018/07/27

1152【古書を捨てる前に・1】江戸末期生花入門ハウツー本「生花早満奈飛第二篇」は曾祖母の遺品か?

 蔵書の整理処分をサボっている。本をゴミに出すことはさすがにできない。
 3年前に知人たちに差し上げて、ほぼ半分にしたが、その後は進まない。次々に毎日読んでは捨てるつもりだが、読む気力がなくなった自分に暑い寒い眠いと言い訳する。
 ここに古書蔵書とのお別れの言葉を連ねると、ゴミにして棄てる気になるかもしれないと思いついたので、【古書を捨てる前に】シリーズで書いていくことにした。

 古本と古書の違いの定義を知らないが、感覚的には「古本」と言えばセコンドハンドブックとして、新本でも購入した途端に古本になる感がある。
 それに対して「古書」と言えば、少なくとも半世紀くらい、いや30年前でもいいか、それくらい昔に出版した本であるべきのような気がするし、何やら貴重な感じがする。
 ということで、わが古書の話である。もっとも、わたしはモノを収集する癖はないので、たまたま何冊かの古書があるという程度である。

 中で最も昔の本は、奥付けに「天保6乙未年正月発行」とある。歴史年表を見ると1835年の江戸末期、この本は約180年まえのものである。
その頃の日本での主な事件は、1930年から37年にかけて天保大飢饉、1937年に大塩平八郎の乱、39年には蛮社の獄事件、41年から水野忠邦による天保改革などがある。外国では中国でアヘン戦争が起きたのが1840年。

 そのタイトルは「生花早満奈飛二篇」、読み方は振り仮名があって「いけばなはやまなび」とて、「生花早学」ともある。
 縦175ミリ、横12ミリ、和紙24枚二つ折り、和綴じ、木版刷、かなり古びている題簽は擦れていて文字が切れ切れである。中身は前頁そろっている。
 ネット「日本の古本屋」で調べると、これは全10巻がその頃に発行されていて、わたしのはその第2篇であるようだ。10巻揃いで85000円、一冊だけなら1500円の値がついている。国会図書館サイトには、第7編だけが載っている。

 著者は、序文の末尾に「壬寅の夏 真萩菴老人」とある人だろうが、この壬寅は天保13年で1842年にあたる。奥付けに「天保6乙未年正月発行」とあるから、序文原稿が発行よりも7年も遅いのは、何故だろうか。

 その内容であるが、ざっと目を通してみたら、生花の入門ハウツー本らしい。筆書きをそのまま木版にしているので、漢字は何とか詠めるが、慣れないひらがなを読みにくい。
でも挿絵があるので比較的わかりやすい。
 現代の生花はどうなのかまったく知らないが、植物を対象にしているから、基本的なことは変わらないだろう。現代生花が植物だけを使うのでもなさそうなことは知っている。

この古書がわたしの手元にあるのは、父(1910~1995年)の遺品のひとつだからである。遺品の古書類の品の中から2冊だけ貰ってきたうちの古いほうの1冊である。
 父が購入したのではなくて、祖父(1865~1931年)からの遺品らしいと分るのは、中の2カ所に「増田氏」という四角な蔵書印らしきものを押してあるからだ。

 祖父は増田家に生まれたが、6歳で両親ともに没して伊達家の養子となったと、わたしは父から聞いている。増田姓の印の意味はどう考えるべきか。
 祖父が生れる前に発行の本だから、増田家にあった本を祖父が持って養家に入ったのだろうか。とすれば実父の増田平太(1871年没)が所持していた本だろうか。
 父の話によれば、わたしの曽祖父・増田平太は備中松山藩家臣の武士であるが、どこかに武者修行に出かけて、家庭を顧みない人であったという。とすれば、生花の趣味を持った人とは思えないが、その妻・定子(1869年没)に生花趣味あったのか。これはわたしの曾祖母の遺品であるか
 
 「伊達」との丸い認印が押してあるが、これはたぶん父だろう。もうひとつ父の仕業と思えるものとして、新聞の切り抜きがはさんである。
 記事は「花道美術全集 重森三玲著」全6部完成発行のニュースである。この本をネットで調べると1930年から32年にかけて発行したとあるから、この記事は1932年のことだろう。
 父は1931年にその父をうしなって家督相続して、高梁盆地の御前神社宮司となったが、宮司は生花を必要としたのだろうか。
 この古書を読んで勉強し、あるいは他の巻もあったのだろうか、更に勉強したくてこの全集を買ったのだろうか。だがわたしの記憶では父の蔵書にそれはなかった。

 わたしの記憶には、父が花を活けて社務所や自宅の床の間に飾っていた。少年のわたしは、父が座敷で生花にする植物を、切ったり立てたりして、生花のデザインを検討している姿をたびたび見ていたが、日常のこととして気にも留めなかった。 
 父の遺品にあった初年兵の時の軍隊日記(1931年)に、兵営と病院で生花をした記述があり、生花展覧会の写真もでてきて、そこではじめて父は生花を趣味としていたことをわたしは知ったのだった。

 ご先祖さまから伝わった古書だが、だれも読まないし、私も特に読みたいとも思わないし、もうこの本も捨てる時が来たようである。(つづく)



2018/07/16

1151【フェイスバカ7月前半与太記事】世界タマケリ大会敗北、不思議街発見、横浜都計審、西日本大水害、ドヤ街繁盛

7月2日ブログ【伊達の眼鏡・不思議街発見3】 
ご隠居:不動産屋はこの環境でもこの立地では市場性があると見るし、建築家はこの環境でも住みよく設計して見せる自信があったのだろうなあ。
熊五郎:どちらもすごいですね、実際に建ったし、入居者もいるようですからね。
隠:で、その時に高速道路の下を公開空地にして地域環境の向上に貢献し、それと引き換えにビルの高さとか容積率などの都市計画規制の緩和を受けたのだろうね。
熊:既存の高速道路の下を広場にして、どれだけ環境がよくなったのかしら。高速道路の下の建築できない敷地の一部を残しただけでしょ。なんか不思議ですね。

7月3日【世界タマケリ大会日本チーム敗北】 
やれやれ、これでうちに配達される朝日タマケリ新聞も、朝日新聞に戻るんだろうなあ、わたしの国賊月間がおわるか、あ、いやいや、次は朝日高野球新聞になるんだな、ゲンナリ、まだまだ国賊かあ~、

7月3日【LINE】
LINEなるものにつないでみた。未だなんだかよく分らないが、FAKE BAKAと同じようなものらしい。
ところで「らイン」と発音するとばかり思っていたら、ラジオで「ラいン」(裸淫!)といってた。アクセントの位置が違うから英語じゃないのか、へ~。

7月3日【ご近所迷惑極まるDハウス】
これはかなり失礼な言い草だと思うのに、平気で掲げてある、街でよく見かける看板だが、前々から不思議である。
 なにが失礼かって、「たいへんご迷惑」をかけるのに、「申し訳」がない、というのである。つまり、どんな迷惑をかけるのか、それはどうしてか、かけずに済むことはできないのか、一切「申すわけ」にいかない、らしい。
 迷惑をかけるからって、「お詫びします」と、事前に謝る言葉がないのは、迷惑のつど謝ってくれるのだろう。それなのに、「「しばらくの間、ご協力」せよって、まったくもって一方的な言い方である。

7月3日【不思議街発見】
騒音排ガス渦巻くジャンクションのまっただ中に、超高層巨大マンションと幼小中一貫の学校、どちらもジャンクションができた後に建てたそうだからすごいなあ。

7月4日【世界タマケリ大会日本チーム敗北】 
もうグダグダいうのヤメルつもりだけど、最後に一言、どうやら1勝1分け2敗だったそうで、要するに4回やって1回しか勝てなかったボロチームなのに、昨日の夕刊も今日の朝刊も、トップも社会面も埋めて満艦飾って、これって戦中の大本営発表かい?、しかも勝った相手は人数が欠けてたとか、なんじゃ

7月5日:ブログ【伊達の眼鏡】掲載記事【不思議街発見・4】
都心部のあまりにも殺風景な高速道路ジャンクション、砂漠のような広大な駐車場、せめて戯造gifアニメでもいいからと、樹木を植えて森にしてみたが、ちょっとは見栄えがよくなったかしら。

7月6日 【言葉の酔時記:子ども】
こうも政府でヘンなことが引き続いて起きると、もう麻痺してきてそんなもんかあ、って思わせる政府の作戦かなあ。
 で、この記事だけど、「子ども」と複数で書いてあるから、佐野さんのお子さんたちが何人か知らないが、医科大に2人も3人も入れてもらったんだね、とすれば、何年にもわたってやっていたんだなあ。このニュースは正しいのか?

7月7日【地震大流行り】 
20時30分ごろ、風呂に入っていたら、ぜんぜん長湯じゃないのに湯あたりしたか、頭がフラフラ、身体もユラユラ、脳卒中かも、いけない、ここで沈没したら困る~、、アレ、お湯が前後に揺れる、あ、湯船も揺れてる、うわ、地震だあ、、。

7月8日【ブログ伊達の眼鏡;横浜都市計画審議会】
わたしが市民委員をやっていた時、1回出席すると13800円(税別)だった。
 市議委員や学識委員の報酬がいくらかは知らないが、審議会での態度や発言を聴くと、現地や関連資料を審議会前に調査して出席していた委員はひとりもなかった。
 それでも内容をわかったふりして、ロクな意見も言わずに原案賛成をするので、事前調査をして原案に意見を述べているわたしは、おおいに腹が立っていたものだ。
 そんな委員が、市民委員を選定して、この都計審は大丈夫かなあ。

7月8日【西日本大水害に故郷に詠める見舞歌】
基地原発火山海嘯遠くして地震希なる故郷に豪雨
高梁盆地を想いて散人詠

7月10日:ブログ「伊達の眼鏡】新掲載【不思議街発見その5】
●高速道路に囲まれにやってきた学校
●わたしのような高齢者には良い街だ
●東京日本橋で首都高を地下に埋めるらしい
●横浜の首都高も地下に埋めてほしい
●揺り籠から墓場までの街へ

7月11日【繁盛する寿町ドヤ街】
この高層新築ドヤビル、4畳の広さで宿泊費1日1700円、月家賃にすると51000円、いかがですか、新築でキレイですよ、え、高いですか、じゃあ古くて臭いけど1100円もありますよ、簡易宿泊所だけど住民登録して住みついていいですよ、このあたりには120軒の8500室があり、6500人が住みついていますよ、9割近くが生活保護受けてね、他にも高層ドヤに建替え新築中ですよ、まだまだ貧困ビジネス繁盛繁盛、こういうのもセイフティネットというのだろうか、人口密度1000人/haって、人間はけっこう過密でも生きていけるもんですね、。(B級横浜ツアーガイド資料より)
寿町ドヤ分布図

寿町新築ドヤ


7月11日【ストロー】
strawを麦わらと知らないのかな、昔は切った麦わらで吸ってたよ。ニセモノがダメなら、ホンモノ麦わらに戻せばいいでしょ。

7月14日【ブログ伊達の眼鏡:西日本大水害】
#西日本大水害 で大浸水した #倉敷市真備町 では、近年になって、#氾濫想定区域 つまり #ハザードマップ浸水区域内 に、#宅地拡大 していった様子が分るマップ(国交省作成)。

7月14日【西日本大水害】
これでもう、堂々と2020年オリンピック返上できるね。
東日本震災と同じように、また復興税を設ければよろしいってことになるかしら。それなら東京都民だけにオリンピック税をかけてくださいな。あるいは参加するアスリートたちに、オリピック出場税をかけるとか。そうだ、メダルも有料にしよう。

7月14日【猛暑来る】
残念無念、負けたあ~、ことし初めてエアコンを、とうとうつけちまったよ、熱中症でポックリを、狙ってたのになあ~

2018/07/13

1150【西日本豪雨大水害】基地原発火山海嘯遠くして地震希なるふるさとに豪雨

近ごろ大災害がたびたび起るような気がするが、昔はそうでもなかったのだろうか。災害とは人間が関係するところで起きるのであり、人に無関係な地で何が起ろうが災害にならない。
 ということは、人間が災害に遭いそうな土地にも広がって利用する様になったからだ。都市計画から言えば、土地利用の規制緩をしてむやみに市街地を拡散してきた結果だろう。気候変動のせいかもしれないが、身近で分かるのは土地利用問題である。
2018年7月倉敷市真備町大水害区域における宅地拡大

●倉敷市真備町の大水害を地誌的に調べてみた

 わたしに土地勘のないところで大災害が起きても、なかなかピンとこない。1995年の阪神淡路震災の時はある程度はぴんときたが、2011年の東日本震災では東北地方に土地勘がないので、細かい状況をなかなか理解できなかった。
 ところが、このこの7月初めの西日本豪雨災害は、わたしの岡山県の故郷あたりも水害に遭ったから、これはある程度は土地勘がある。
 幼いころから知っている地名が、ネットや新聞に出てきてやきもきした。故郷にいる幼馴染たちにメールで色々と状況を聞いたら、知人たちには大きな被害はないらしい。

 しかし、倉敷のすぐ北にある真備町の広大な地域が水没し、死者も多く出たのは、まことにお気の毒なことである。このあたりは高梁川流域でも最大の水害名所である。
 今回の大浸水が起きた地区は、倉敷平野から丘陵を北にひと山越えた真備町の盆地状の平地である。真備町は高梁川支流の小田川流域で、1894年、1972年、1976年に大きな浸水被害、そのほか何度も水害に遭っている。
 それにもかかわらず宅地化は進み、今回の2018年大浸水被災である。

 大昔から何度も浸水が起きていて、1894年の大水害のあとで20年以上もかけて徹底的な河川改修が行われた。
 それは日本でも有名な大事業であったらしく、わたしが少年時になにやら偉業として聞いたがもう忘れていて、「酒津の堤防」という言葉だけが頭の片隅にあった。今回の水害でネットで調べてその内容を知った。関連していろいろ知ったので、それらをもとに書く。
1925年までは高梁川はふたつの分れて流れていた

 北から高梁川が丘陵を開削するように伐りこんで、南の倉敷平野に注ぐ直前に、西の真備町から流れ来る小田川を合流する。今回の氾濫は、小田川の洪水を高梁川と合流点で呑みこめなくて、また真備町側に戻ったことが原因らしい。
 そうなることが予想されていたので、小田川の流路を変更する計画を国土交通省はもっており、近々に着工する予定であったのが、間に合わなかったようだ。
1925年高梁川大改修後も真備町ではたびたび浸水している

 その間に合わなかった小田川の流路変更の計画(高梁川水系河川整備計画 平成 29 年6月国土交通省 中国地方整備局)を見ると、興味深いことに気がついた。
 かつては高梁川が、この小田川との合流点から下流で、2筋に分れて東高梁川と西高梁川になっていたのだ。1894年大水害後、これを一本にまとめる河川改修をして、1925年に完成した。
 その東高梁川を廃して堰き止めたのが、私の記憶にあった「酒津の堤防」である。東高梁川の跡地は倉敷の市街地に飲み込まれた。
 酒津から上流側は東高梁川を本流として残し、西高梁川を廃して上下を堰き止めた柳井原貯水池になっている。

 小田川の流路の変更計画は、小田川を柳井原貯水池につないで、廃止したかつての西高梁川を復活、つまりもとの西高梁川に戻すのである。西高梁川を完全復活をするなら、東高梁川も復活しなくてもよいのか、なんて思ってしまう。
 河川治水技術をわたしは知らないが、治水対策で廃止した河川を、また治水対策のために復活するとは、1925年に廃止した河川改修自体が失敗もしくは不全であったことを意味するのだろうか
 たしかにそれ以後は、倉敷市街地の水害はなくなったようだが、真備町の小田川大氾濫は相かわらず起きているから、その面での治水は失敗だったのだろう。もっと推測すれば、用水を優先して治水が不完全であったのだろうか。

 治水の難しさを思いつつ、真備町から倉敷にかけての地形を眺めていて、なんとなく気がついたことがある。
 もしかしたら、真備町の盆地状の平地は、倉敷平野への高梁川の氾濫を防ぐために、洪水時の一時的な遊水池として設定されていたのではないか、ということである。その昔には、人が今ほど平地部に住んでいなかっただろうからである。現に小田川もその支流も、天井川に近いようだ。

 もしも今回の豪雨で、高梁川合流点より下流の倉敷の酒津あたりの高梁川堤防が切れていたら、合流点から小田川へのバックウォーターが発生しなくて、真備町の浸水は無かっただろう、逆に言えば、真備町の浸水が倉敷市街への浸水を防いだのかもしれない、と思うのである。
 わたしは治水の専門家ではないから、どなたか専門の方から、あるいは地元のお方から、お叱りを覚悟で書いた。

 余談をひとつ。わたしはてっきり、真備町を「まきびまち」と読むとばかり思っていたら、実は「まびちょう」と読むらしいのだ。この町出身の右大臣吉備真備(きびのまきび)の街でしょ、井原鉄道には吉備真備駅だってあるのに、いいのかなあ。

被災の地「まきびまち」と読みておれば
           テレビラジヲは「まびちょう」と言う

いにしえも大水害のありぬべし
  吉備真備は施策なせしや


(追記20180717:岡山の知人が「まびちょう」と読むことについて、町史で調べて教えてくれた。1952年の昭和の大合併で「真備町」が生れたのだが、このとき吉備真備に因んで町名をつけたが、「真備公の人名は「まきび」であるが読み易く「まび」とした」との記述があるとのこと。ちょっとどうかなあと思う。わたしの出身地の高梁も「たかはり」と読むように変えていはいかがでしょうか。

●大局的には高梁は日本列島でいちばん安全かも

 近頃は各地域ごとにハザードマップなる地図が公表されるようになった。昔は公表しようとすると、町内会とか不動産業界から反対を食らっていた。土地の評判が悪くなる、地価が下るというのである。
 さすがに近ごろのように災害が多いと、ハザードマップ公表が普通になってきているらしい。よいことである。問題は住民がそれを気にするかどうかである。事件が起きて初めて気がつくのだろう。
 ただし、ハザードマップには、洪水、土砂災害、津波についてのみの局地的な地図情報である。災害発生の種は軍事基地、核発電所、火山等もあるが、これら広域的な災害の種はどうしてハザードマップにないのか。

 わたしの生まれ故郷は、川の名前の由来になっている高梁市内の高梁盆地である。今回の豪雨はここも襲って、地区によっては浸水がおきたり山際が崩れたりした。
 このような局地的な災害は起きるが、大局的に見て高梁あたりは、日本列島では有数の災害の起きにくい地域だと、わたしは気がついたのである。
 日本列島レベルのハザードマップは一般にはないので、自分でネットから災害の原因となる地形や施設などを探してきて、そこに高梁の位置を入れてみたのだ。
核発電所の立地状況(赤丸が高梁の位置)

火山の位置(赤丸が高梁の位置)

アメリカ軍基地の位置(赤丸が高梁の位置)
地震発生率(黒丸が高梁の位置)

 これらを見ると、わたしのふるさと高梁は、いずれの災害の種からも遠く離れていて、安全なところなのである。日本一安全な地域かもしれない。
 豪雨で局地的に被災したが、それは日本列島どこでもありうることだから、大局的に見て比較すると、やっぱり高梁は日本でいちばん安全な地域だろうと思うのだ。
 地域振興にこういうネタを使えば良いのにと思う。

基地原発火山海嘯遠くして地震希なるふるさとに豪雨
               はるか故郷を想いて散人詠

2018/07/10

1149【不思議街発見5】ここは揺り籠から墓場まで生涯を暮らす理想的な街になるかもしれない

不思議街発見1】【】【】【のつづき
左が学校、中央が高速道路、右が高層共同住宅
左が石川町駅(駅の下に保育園)、中央が学校、右が高速道路
●高速道路に囲まれにやってきた学校
ご隠居:それじゃあ、こんどは駅の南側に行ってみようか。この駅のガード下にある保育園も、園児をあの駐車場と高速道路に囲まれた遊び場に連れて行くらしいよ。
熊五郎:こっちの駅前の大きな建物は、幼稚園、小学校、中学校が入ってますよ。こりゃ子供にはたいへんだ。この学校はまさか騒音排ガスのまん中に、後からやってきて建てたのじゃないでしょうね。
:それがねえ、これはつい最近の2010年にできたらしいよ。しかも山手の丘の上から引っ越してきたそうだ。
:エッ、わざわざ高速道路に囲まれに来たのですか。教室は防音空調設備で何とかなるけど、校庭は騒音排ガスの真っ只中ですね。この空からの写真見ると、狭い三角校庭の2辺が首都高に接しています。
:でも社会環境から言えば、都心部だから歩いてくる子も多いし、駅前だから遠くから通学する子にも便利ともいえるね。
:なるほど、学校経営面からは好ましいのか、それが移転してきた目的かなあ。
:教育環境としては、都市公害問題の勉強を身をもってやる場所とか、直ぐ近くに寿町ドヤ街があるから、いろいろな意味で社会勉強になる環境ではあるな。

●わたしのような高齢者には良い街だ
:この高速道路もジャンクションも都市計画で決めて造ったものでショ、それなのに地面の歩行者の交通や土地利用の計画が、いかにも場あたり的なのは、どうしたんでしょうね。
:そうだね、まず高速道路があって、その隙間を駐車場や建物で適当に埋めている感じだ。高速道路に防音壁は全然ないしねえ。
:なんともすごい街ですねえ、この先、人口が減って住宅余りになると、このような環境の住宅ビルは空き家ビルになるでしょうか。
:ところが、そうとも言えないような気がするんだよ。だって超高齢者が多くなると、寝たきり老人は外の公害に関係ないし、耳が遠いから騒音には平気だし、排ガス吸って命が縮んでもどうせ先は長くないだろ、都心部だから病院は近くにあるし、そんな人たちにはここは良い環境だよ、空き家にはならないね。
ジャンクションの中の斎場
:ハハン、それってご隠居の自分のことでしょ。もっとも、ご隠居は徘徊老人だけど。
:ばれたか、そのとおり、要介護や介護予備群の老人の街には、いいと思うよ。
:アッ、ほらそこの駅前のビルは葬儀関係らしいですよ。まさにご隠居の言うとおりだなあ。
:いいねえ、火葬場があれば自動車排気ガスとまぎれるし、空き家ビルを立体墓地ビルに改装するのもいいねえ。そうなりゃ、ゆりかごから墓場までの街だ。
:本気で言ってるのかね。

●東京日本橋で首都高を地下に埋めるらしい
:ところで、首都高と言えば、東京の日本橋の上に架かる高架を、地下に埋める計画中って話を新聞で読みましたよ。ここだって、地下にすればいいですよね。
:ああ、そうだね、日本橋の話は10年ほど前にもあったね、でもねえ、わたしはどうして日本橋のところだけなんだろうかと不思議なんだよ、あそこが特に住宅が多くて公害問題があるとも聞かないよね。他に問題あるところも多いはずだよ。
:天下に名高いお江戸日本橋の上を通るのがケシカラン、重要文化財の日本橋の景観が悪いとか、もう老朽化してきたとかってね。
:でも老朽化は他もいっぱいあるよ、なんで日本橋なんだよ。
:ははん、その重文を鼻にかけた権威主義的な理由づけが気にくわないんでしょ、ご隠居は。
:そうだよ、わたしはずいぶん前から言ってるよ、あのあたりの高速道路を地下にしても、日本橋の上だけは記念建造物として高架構造物を保全せよってね。(参照⇒日本橋高架撤去反対論
:ウワッ、そりゃまたどうして?
:わたしは学生の時に、あの高速道路をつくるために、真っ黒に汚れた日本橋川に基礎杭を打ち込んでいるところに出くわしたんだよ。で、1964年の東京オリンピックに間にあわせてできたんだ。だからね、あの悲惨な戦後から高度成長へと、ようやく日本が歩み出す時代の象徴的な記念物だよ、
:不細工だから撤去せよと言われても、今やそれ自体が文化的記念碑だって言いたいのですか。それが求められる時代を経て今がある、軽々しく扱ってはいけないんですね。
:そうだよ、下の日本橋は1911年だから、日本が近代化を歩み出す時代の象徴だ、ふたつの象徴的な構造物が重なっているのが重要なんだよ。
:なるほど。それって前にご隠居が唱えていた東京駅復原反対論に似てますね。
:そう、それとセットにして1990年頃から言ってるんだよ。東京駅は負けたけど、こっちもまた負けるかな。まあ、実はあの上を取っ払っても、たいした景観が現れはしないんだけどね。(参照⇒日本橋景観戯造

●横浜の首都高も地下に埋めてほしい
:あ、そうだ、こっちの横浜の首都高の話だった、日本橋のあたりを地下にするなら、当然こっちもやってもらいたい、あっちが歴史的な由緒を言うなら、こっちだって日本開港の地の横浜都心ですからね。地下にしてもらいましょ。
:実はこの首都高の一部は既に地下になってるんだよ。みなとみらい地区で横羽線は地下に入り、ここのジャンクションのすぐ手前で地上に出てきて高架になっている。
:そうそう、そうですよね、だったら地上に出てこないでそのまま中村川の下を潜って進み、山手の丘の下に入れてしまえばいいでしょ。
:そうなんだな、そうすれば堀川や中村川の上をふさいでウットオシイこともないし、騒音も無くなるし、景観もよくなるよな。
:そうだそうだ、日本橋よりも先にこっちを地下化してもらいたい。あっちが先という理由は、特にないでしょ。

●揺り籠から墓場までの街へ
:右の図の一番上はこの首都高の計画の最初の案だよ。関内駅前にジャンクションがある。それを飛鳥田市長時代に変更したのが2番目の図で、現在ある位置にしたんだ。
:ほう、初めは大通り公園の上を高速道路が走る予定だったんだ。
:それをまた変更するのが私の改造案で一番下の図だ。山手の丘の下に入れるのだな。そして地下にした高架跡地の地上には、たっぷりと樹木を植えて公園にし、駐車場は森の中にするし、堀川も中村川も両岸にたっぷりと樹木を植えて自然景観にするのだな。今の日陰の陰気な川よ、さようならだ。
:はいはい、ではそれを2段構えの戯造GIF画像にしてみましょ。どうです、まずは今の駐車場に樹木を植える、そして地下になったら公園都心ですよ。
:おお、公害まっだだ中の学校も高層共同住宅も、こうなると超一等地になるな。
:これなら元町、中華街、山下町への立派な玄関ですね。それに学校の校庭を広げることもできます。
:もちろん、寿町ドヤ街への玄関としても、実に風格がそなわるねえ。
:森林の墓地もつくれば、揺り籠から墓場まで生涯を暮らす理想的な街になる
(おわり)

不思議街発見1・子供の遊び場
http://datey.blogspot.com/2018/06/1143.html
不思議街発見2・歩道橋
http://datey.blogspot.com/2018/06/1144.html
不思議街発見3・高層共同住宅
https://datey.blogspot.com/2018/07/1146.html
不思議街発見4・駐車場に樹木を植えよ
https://datey.blogspot.com/2018/07/1147.html
不思議街発見5・理想の街へ
https://datey.blogspot.com/2018/07/1149.html


2018/07/08

1148【横浜都計審市民委員募集】しばらくご無沙汰してるけど相かわらずいいかげんな審議してるんだろうなあ

地下鉄に乗ろうとして、改札口で目のスミにチラと「都市計画」なる文字が光った。フム、老いても昔の杵柄が気になるもんだ。
 置いてある商業宣伝広告に交じって「横浜市都市計画審議会市民委員募集」パンフである。
 おお、昔おれもやったんだ、あの時はドンキホーテ寅さんだったなあ、、。

 パンフ内容は要するにこういうことだ。
・横浜市都市計画審議会市民委員を2人募集
・募集期間:2018年7月2日(月)から2018年8月3日(金)まで
・応募資格:横浜市住む者、満20歳以上、街づくり経験者、全ての審議会に出席、横浜都市審委員未経験者
・報酬:1回の出席につき2万円(所得税及び交通費相当分含む)

 募集条件は昔と変わらないけど、わたしが2008年から2年間に7回やったときは、税別で1回1万3千800円だったから、これも同じかなあ。
 でもなあ、わたしが委員をやった時を思い出せば、わたしを除く委員たちの態度からしてして、2,3時間の会議に出て「賛成」というだけで2万円は高給である。もっと値下げしてもよいような気もする。
 
 「わたしを除く」としたのは、理由がある。
 事前調査しないで都市計画をきめるなんて、絶対にできっこない。
 わたしは議題となる現地について、事前に現地を訪問しての現況調査、その議題の元になる既存調査資料の調査、その調査により出てきた疑問等についての市当局担当者への面談による質疑を、毎回審議会の前に行って、自分の意見を開陳する映像(ppt)を作り、審議会で映像を使って意見を述べた。

 この行動は、どうも、それまでの委員としては異例らしかったが(わたしがいなくなった今、異例の委員が昔いたなあ、ってかも)、わたしには当然のことだった。都市計画のプロとして、ごく当然にそうやって仕事をしてきたからだ。審議会も同じである。
 それはけっこう手間と時間ががかかることであり、13800円では足りないが、ボランティア市民委員として行った。あそうだ、息子に手伝ってもらったこともあったなあ。

 市議や学識委員の報酬がいくらかは知らないが、審議会での発言を聴くと、現地や関連資料を審議会前に調査した委員はひとりもいなかった。だから2万円は高すぎるのだ。
 それでも内容がわかったふりして、原案賛成をするので、おおいに腹が立っていたものだ。でも何回もこれが続くと、呆れて、そのうちにあきらめの境地になってしまった。
 理解できない人たちに意見を言ってもしょうがないのだけど、それでも委員としてやることをやり、言うことを言って委員を終えた。

 このことは、委員であったときも毎回ブログに公表して批判してきたばかりか、委員退任後に毎回の審議会を傍聴したときも、同様に批判してきた。
 でも、こちとらは蟷螂の斧だから、何回ブログに載せても、だれも気がつかないらしく、あるいは気がついても気にしないらしい。
 審議会傍聴を趣味としてしばらく続けたが、独り相撲をしだいにバカらしくなって、一昨年にやめてしまった。
 
 そしてこの「横浜市都市計画審議会市民委員募集」のパンフに出会って、懐かしくなった。
 さて、横浜都計審は、あいかわらず、学識委員は毎回のように欠席が多く、いつも過半数を占める都市計画に無知蒙昧な市議委員が原案賛成要員として審議を続けているんだろうなあ。
 市民委員にしっかりしてほしいのだが、モノを言いすぎたわたしが退任した後は、無難なお方が選任されていることが傍聴に行って分るのであった。
 さて、次に専任される市民委員は、どんな人たちだろうか、こんども、、。
 
「横浜市都市計画審議会市民委員募集」WEBサイト
http://www.city.yokohama.lg.jp/kenchiku/kikaku/cityplan/tokeishin/shiminiinn-bosyu.html

●わたしの横浜市都市計画審議会市民委員体験記
あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている
(都計審委員独り相撲物語)
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning



2018/07/05

1147【不思議街発見・4】殺風景な高速道路に街路樹を植え高架に蔦を繁らせ、砂漠のような駐車場を森の中にしてはどうか

不思議街発見1】【】【】のつづき

高速道路ジャンクションの地面レベルと高架レベル
熊五郎:こんな高層ビルのなかで騒音も排ガスも機械的にシャットアウトして暮らしても、こどもは外で遊びたいでショ、どこか小公園でもあるのかしら。
ご隠居:こっちの歩道橋に行こうか、あそこに子供の遊び場があるよ。
:え、あんな周りが駐車場と高速道路の遊び場じゃあ、空気がよいはずがないでしょ、よくまあ、あんなところに作ったもんだ。
駐車場と高速道路に囲まれた子供の遊び場
:先日、入ろうとしたらカギがかかっては入れなかったよ。入れない子供の遊び場って、なんだか変だね。近くのカギ持っている住民だけが使うんだろうね。(ブログ参照
:このジャンクションはかなり広くて、広い駐車場もあるから大きな樹木をたくさん植えて森の中の駐車場にすれば、なんとかなるように思いますが、どうなんですか。
:それはいい考え思うけど、じゃあ、その北東の広い駐車場に行って、現実を見ようかね。ほら、ここだよ、むこうの高速道路の下のほうまでも駐車場だよ。
:ウワッ、こんな広いのに樹木が一本もない、これは砂漠ですねえ、暑いなあ、ヒドイねえ、どうして樹木を植えないのかなあ。
:わたしもそう思うよ、森の中の駐車場にすればいいのにねえ。あの高層住宅も森の中に立ち上っていれば、すこしは見栄えもよいだろうに。

:高架の高速道路も並木道にするってどうでしょう。
:そりゃあいいね、できないことはないだろうね、車道の両脇に植樹帯を設ければいいよね。技術的には可能だろから、やる気とおカネだけだね。
:じゃあ、金かけずに直ぐできるのは、高架の柱の根元から上まで緑の蔦を繁らせることですよ。最近は建物で壁面緑化ってやるでしょ、あれですよ。
:それならすぐできるな、この殺風景な高架が緑に覆われるといいねえ、あそうだ、一部にそうなってるところがあるよ、こっちだよ。
 :なるほど、この柱一本だけって、ケチですねえ。こっちの鉄道高架も良く見ると、いまは枯れてるけど、かつて蔦で覆われていたらしいですね。その方が情緒あったのに。
:なんとも殺風景極まるジャンクションの街だけど、ジャンクションの北西に接する三角の公園だけが緑だね。
:ああ、ここですか、緑が多いですねえ、ほう、入り口に扉があって、9時から17時まで開園と書いてあります。夜は締まる公園は珍しいですね。
:うん、よくは分からないが、たぶん、直ぐ近くにドヤ街があり、かつては野宿人もおおぜい居たから、それを締め出すためかもしれないなあ。

高速道路側に常緑広葉樹をもっと密に植えると、騒音や排ガスを少しは防げるのになあ。今のこれは落葉樹だからなあ。
:人間を締め出すよりも、騒音と排ガスを締め出すように、高速道路を取り巻くように森にしたらいいのにねえ。特に駐車場に樹木がほとんどないのは、けしからん、森の中の駐車場にすればいいにねえ。
広大な駐車場を森の中にしてくれると山手の緑と対抗できるかも
:あちらの高速道路の上に見えるのが、例の高層共同住宅ビルですね。その手前にもうひとつビルがありますよ。
:それは学校だよ。
:え、こんな騒音環境に学校ですか
:じゃあこんどはその学校を見に行こうか。

2018/07/02

1146【不思議街発見・3】首都高速道路に周りを囲まれた騒音排ガスジャンクションまん中に大規模高層住宅ビルを建てる不動産デベロッパーと建築家はすごいなあ

不思議街発見・1】、【不思議街発見・2】のつづき

熊五郎:こんちわ、ご隠居、暑いけど生きてますね。
ご隠居:おや、熊さん、そう、まだ生きてるから、今から出かけるところだ。
:そうですかい、じゃあ、さいなら。
:あ、いいからいいから、一緒に行こうよ、徘徊だから。
:そうですかい、じゃあ、一緒に行きましょ、はいはい、、ふらふら歩くね。
:ここはガード下の石川町駅の中華街口改札前、東の方にでると、ほら、広場がある。
高層道路の下の公開空地 右は鉄道高架
:ほお、ものすごく太い柱が何本も高い屋根を支えている、立派だけどあんなに髙い屋根じゃあ、雨が横から吹きこんでしまう。
:はは、だからその屋根の下の半分ほどに、またガラス屋根がかかってるな。
:でも、なんでこんな太柱の高屋根なんですかね、下のガラス屋根だけで十分でしょ。
:いや、熊さん、こちらからご覧よ、あれは屋根じゃなくて、高速道路の高架だよ。
:あ、首都高か、さっきからうるさいと思ってた。
高速道路下の公開区空地の半分にガラス屋根がかかる
:ここの駅前広場は車が入れないようですね。
:車が駅に寄りつくのは西側に細い道路だけだよ。
:なんだ、こんなすごい自動車専用道路を空中に作るけど、地上にはケチなんですね。
:ちょっとこれをご覧よ、ここは「公開空地」だって掲示板がある。普通の駅前広場のような公共施設じゃなくて、私有地を広場にして公開してるんだね。
公開空地の掲示板 水色部分が公開空地、上が駅
公開空地内の白抜き四角は高速道路高架を支える柱
:その公開空地ってのは、建築敷地内の広場とか庭ですよね。これを設けて地域環境の向上に貢献をするとご褒美に建築の法的制限が緩和されるって、大規模マンション開発に適用することが多いけど、どこに建築が建ってるんですかね。
:ほら、この上の高速道路の隙間から見上げてごらん、建ってるよ。
:おお、建ってる建ってる、大きな髙いマンションビルだなあ、すごいなあ、こんな高速道路の傍に建ってるんだ、アッ、おお、あっちもこっちも高架がとぐろを巻いてるよ。

建築にぎりぎりにある高速道路は公開空地の上にかぶさっている
:そう、ここは首都高速道路が3方から交わるジャンクションのまっただ中だからね。この空からの写真をごらんよ。

ジャンクションの高速道路と鉄道の高架とその下の地上部の土地利用状況
:おっ、まわり全部が高速道路スパゲッティだ、すごいなあ、そんな騒音排ガス振動を朝昼晩ず~っと振りまくシロモノができるのを、マンション住民がよく許したもんですね。
:いやそれが逆なんだな、ここにジャンクションが開通したのは1990年この高層共同住宅ビルができたのが2001年だよ。あ、わたしはマンションなんて不動産屋の誇大宣伝広告用語を使わないからね……
:はいはい、この高層マンじゃなくてこの高層共同住宅ビルが、騒音排ガス振動のまっただ中と知っててわざわざ後からやってきた、へえ~、それでも建てる不動産デベロッパーとこれを設計した建築家がすごいなあ、よくやるもんですね。
:不動産屋はその環境でもこの都心立地では市場性があると見るし、建築家はこの環境でも住みよく設計して見せる腕前に自信があったのだろうなあ。
:どちらもすごいですね、実際に建ったし、入居者もいるようですからね。
高速道路上から見る高層共同住宅ビル
:で、その時に高速道路の下を公開空地にして、それと引き換えにビルの高さとか容積率などの都市計画規制の緩和を受けたのだろうね。
:それで既存の高速道路の下を広場にして、どれだけ環境がよくなったのかしら。建築できない高速道路の下の敷地部分を残しただけでしょ。なんか不思議ですね。
:規制緩和の引き換えの地域貢献にしては、どうもねえ。いつ来てもここでゆっくり憩う人たちや楽しく遊ぶ子供を見たことがない。数年前までは自転車に占領されてたね。
:駅前駐輪場にはもってこいですね。ガラス屋根の上が高架だから薄暗いし、車は喧しいし、植栽はしょぼくれてるし、鉄道高架と建物に挟まれてで解放感がないし、う~ン。

:それにしてもこの共同住宅に入居した人は、最初の夜に騒音に驚いただろうねえ。この高速道路は港につながるので、大型コンテナトラックが多いんだよ。
:部屋の中は防音と空調の設備で対応すると覚悟して、鉄道駅や高速道路に直結の交通の便利さとか、都心という買い物や遊びに日常の便利さを優先して入居したのでしょうね。
:電車の駅前の便利さは確かにある。でもね、買い物や遊びの元町商店街とか中華街には、直線距離はまあ近いといえば近いけど、高速道路で三角に囲まれたこの島の中から歩いて行くの妙に不便で雰囲気がよくない。例えば元町方面には、ヘンな歩道橋を渡らなきゃならない(ブログ参照)。
:じゃあ、車で高速道路に乗れば便利でショ、何しろ周りは全部高速道路だから。
:それがねえ、この三角島の中から高速道路を利用できるのは、東に向かう入口ひとつだけ、他の出入り口はけっこう離れたところだよ。

:こどもは外で遊びたいでショ、遊び場とか公園を観たい。
:こっちの歩道橋に行こうか、あそこに子供の遊び場があるよ。
:ウワ、これはひどい、     つづく


(2019年1月15日追記)
 この騒音排ガス高層共同住宅の中の2戸の住宅が、売りに出されている新聞折り込み広告物が、今日、うちに入っていた。100㎡で1億円である。
 いわゆるオクションなるものが、このような立地でもありうるのか、今はバブル時代なのかと、貧乏な私は不思議に思うばかり。