2014/12/29

1043美しい夕焼け冨士には鉄塔と電線がよく似合う??

 知人のC野さんが、夕焼け冨士を撮ったと、FACEBAKAに掲載をされた。
 おお、これは素晴らしい、ふむ、ふむ、ちょっと戯造したくなった。
 このどちらがオリジナルか、お分かりですよね。
 でも、どちらがお好きか、人さまざまかもしれない。
 勝手に戯造加工して、勝手にここに引用して、C野さん、ごめんなさい。

 ついでにこちらもごらんください。一番最後に田楽富士も登場します。



2014/12/28

1042こんな本がベストセラーとはわたしは世の中からすっかり外れた

 本棚が積ン読本ばかりになったので、本を買わないことにして、もう2年経つ。だから、世の中の人々が、どんな本を買っているかもわからない。
 ところが、こんなリストを載せた新聞記事がある(2014年12月28日、朝日新聞東京版)。2013年12月から今年の11月までに売れた本のベスト20ランキングである。
これを見て驚いたのは、どれひとつ読んでいないどころか、聞いたこともない本ばかり。聞いたことのある著者名もいくつかあるが、その人たちの著作を読んだこともまったくない。
 それらの内容を題名と著者だけから推察すると、フィクションは池井戸と村上の2件だけ、大衆小説も売れないらしい。
 最近、本屋で平積みが目立つ右より本も1件、末尾に位置を占めている。

 売れてるのは、心や身体の健康とか自己啓発とか人生論とか、要するに実用書であるらしい。
 へえ~、そういうもんなのかあ、でも、昔からこういう傾向だったんだろうか?
 
 なんにしても、わたしは世の中の流れから、すっかり外れてきたことは確かである。
 世の中から外れたといえば、先般の今年の流行語を知らないかったこともあるし、NHK紅白歌合戦への出演歌手たちのほとんどを知らないってことも、もう驚くことではなくなった。

2014/12/23

1041朝日新聞は謝罪するしないはどうでもよいことだったらしい

 今朝の朝日新聞には、例の戦争慰安婦報道間違いなんじゃらかんじゃらドサクサ事件について、何ページも何ページも使って、謝っている。
 まあ、朝日新聞社にとっては大事件だったのだろうが、あんたのところの内部問題について謝るのに、わたしがなんで金を払って読まされるのか、そこんところがなんとも釈然としない。
 謝るのに金を払わせるって、どういう心臓の持ち主なのか、どういう魂胆か。
 なんにしても、少なくとも今日の新聞は、タダにしろ。以前の間違い報道の日の新聞もタダにしてほしいけど、まあ、そこまでは言わないからね。

 さて、今朝の朝日新聞記事の一部をここに載せる。
 「池上氏のコラム『新聞ななめ読み』の掲載見送りも、『謝罪しない』という方針にこだわった当時の経営トップの判断の誤りでした」

 あのなあ、これじゃあ「謝罪しない」って方針は、どうでもよいことだったんだね。へえ、そうなのかい。
 だって、「こだわる」って日本語は、、「どうでもよいことにとらわれる」って意味なんだよ。辞書引いてごらん。

 まあ、近ごろ世の中は、「こだわる」の使い方を、「何でもかんでも固執すること」って意味に使うようになってしまって、言葉の意味が変質しているようだから、しょうがないか。
 でもねえ、言葉でもって飯を食う朝日新聞が、言葉で敗北した記事だからと言って、こんな重要なところで間違い日本語をおつかいになるのは、いかがなものでしょうかねえ。

 てな具合で、ことの本質の方には立ち入らない、斜に構えた朝日新聞批判でした。
 なお、第三者委員会報告の中で、たった一人だけの女性委員のご意見が、最もわたしの心に響きました。

◆参照「菅さんには諫早も沖縄も些細なことか
http://datey.blogspot.jp/2010/12/360.html
 

2014/12/21

1040東京駅開業百年赤レンガ駅舎復元に浮かれて戦災遺構消滅問題をだれも問わない

 今日の新聞(2014年12月21日朝日新聞東京版)のふたつ並ぶ記事に注目する。
 記事のひとつは、「赤い駅舎守った愛」なんておセンチな見出しで、赤レンガの東京駅が開業から100年目を迎えたこと、その建物が戦災で当初とは変わっていた姿を昔に復元したことである。復元を賛美している調子である。

 もうひとつは、{宮城・岩手 大型遺構は取り壊しも」とのみだしで、東北の街に散在する東日本大震災の大きな災厄を記念する遺構や遺物を、どのようにして保存をどうするか現地ではいろいろと動きがあるが、大型の建物の類はほとんど壊されつつあるというのである。

 この二つの記事は別ページながら隣り合わせに載っていて、新聞屋は意図としなかったかもしれないが、読みようによっては重要な関係がある。
 一方は戦前の有名建築を市民たちが努力して保存復元に持ち込んだとするものだが、もう一方の方は、あれから3年余でもうその災害遺構を壊しているとして、対照的な態度であることの記事である。
 
 だが、わたしが読めば、どちらの記事も災害遺構の扱いについて、どうも冷淡で災害を忘れたがる日本人たちについての記事である。
 というと、たいていの人は、東日本大震災の遺構については災害のことだけど、赤レンガの東京駅がどうして災害遺構に冷淡な日本人の話なんだよ、と思うだろう。
 実は、復元前の赤レンガ東京駅舎は、日本に2つしかない第2次世界大戦の壮大なる災害遺構建築だったのである。それを復元によって事実上の取り壊してしまった。

 二つしかないと書いたが、そのもうひとつは広島の原爆ドームである。あちらは幸いにして復元されないで、原爆の悲惨さをそのままに今も建っている。
 東京駅は1945年5月にアメリカ軍の空爆によって炎上し、レンガとコンクリートの骨だけになったものを、あの物資のない時代に2年がかりで修復した、あの不幸な時代の記念的建築であった。
 日本の戦争の悲劇ばかりか、そこからの復興への歩み出しを体現する、実に貴重な建築だったのだ。日本人のほとんどが一度くらいはここを利用したことがある有名建築だった。

 いまからちょうど百年前の1914年開業から、1945年空爆炎上までの存続期間は31年だった。そして修復開業した戦後の姿が出現した1947年から、復元工事で消え去る2007年までの期間は60年間だった。戦前の姿よりも戦後の方が、2倍も存続していたのだ。
 わたしたちが知っている戦後復興の東京駅は、復元という美名に聞こえる義挙(偽挙)で、戦争という大災害遺構を消滅させてしまった。

 ここに至る間に、原爆ドームの様に戦争の悲劇の記念碑としての保存価値を論じた気配はない。
 1947年よりも1914年の方が昔だから、なんでもかんでも昔の方が良いという今の世の昔帰りの風潮は政治のトップに典型的だが、庶民も今回の衆議院翼賛選挙で見る様にそうらしいばかりか、建築史学者も建築家たちもそうらしい。
 戦争で被災した建築なんか見たくもない、でも新建築の建て替えるのも時代の風潮からダメらしいから、この際ちょうどよいから容積率を売った金で、昔の姿に建て直そうってことにしたのかもしれない。

 そうやって出現した金ピカ東京駅は、ディズニーランドさながらのミーハー的姿で、まさにミーハーにもてはやされている。
 今日のニュースによれば、記念の特別デザイン乗車カードを買う人たちが何千人も集まってきて混乱大騒ぎになったとか、まさにミーハーテーマパーク化は成功した証拠である。
 それにしても、なんで大勢の大人たちがこんな子供じみた騒ぎを起こすのか、私には世の中を理解不能になってしまった。

 建築を文化として保存することに意味を忘れてしまったらしい。単に懐古趣味の成金の産物に成り果てたようだ。
 文化人類学で文化とは、人間の行為の総体をいうから、戦争という人間の最悪の行為も文化である。福島の核毒事故(原発事故のこと)も文化である。そしていずれも忘れないように記念遺跡を後世に伝えることも文化の行為である。
 したがって、金ぴか復元建築も新たな歴史文化に踏みだしたことになるのだ。また30年後に起きる戦争で焼けることになり、それを修復復興してから60年目にまた昔の昔の姿に復元する、なんてことを繰り返すのであろう。それもまた人間の文化であり、歴史である。

 さて、東北の被災地に横たわる被災建築遺構は、どのような思想をもって後世に伝えることができるのか、あるいはできないのか、なかなか興味深いことである。
 なかでも人災として戦争にもひとしい大災厄の原発事故による核毒被災遺構をどう扱うか、これには最も注目していきたい。
 わたしは福島原発を世界文化遺産と世界記録遺産に登録するように唱えているんだが、だれも注目してくれない。

再び唱える「福島原発を世界遺産に」
http://datey.blogspot.jp/p/2011321-httpdatey.html
 

◆「東京駅復元反対論」(まちもり散人サイト)については下記を参照
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki


2014/12/16

1039懐かしや郷土伝統芸能「備中神楽」を東京新橋のビルの中で見てきた

「よいとまあたあ、やあはあ、ドンドン、よいとそうりゃあ、はあ、ドンドドン、ドン、」

 太鼓に乗ったどこか間延びした調子のお囃子が、東京の繁華街のビルのイベント会場に響く。
 わたしは少年時の記憶を少しづつ思い出しながら眺めている。目の前の神楽舞の動きよりも、囃子の音が記憶を引き出す。
 東京・新橋であった「備中神楽」(びっちゅうかぐら)の公演を見てきた。(2014年12月14日)

 わたしは備中地方の高梁盆地にある神社の生れだから、少年時は毎年の夏祭りの夜は、生家の前の広場で行われる奉納神楽を見て育った。
 暗い社叢林の中の境内広場に、その夜のためだけに仮設の神楽舞台が裸電球に照らされて出現する。ここで神楽舞を神に奉納するのである。
 大勢の見物客が取り囲に中で、暗くなるころから始まり夜更けに終了する。
 最後のあたりの演目、大スペクタクル出し物のヤマタノオロチ退治を見たいから、眠いのを我慢したものだ。

 故郷を出てから久しく観る機会はなかったが、十数年前に三宅坂にある国立劇場で備中神楽の公演があり、懐かしく思って観に行った。
 ところが、わたしが少年時に見たことのない神楽だった。調べてみるとそれは「荒神神楽」(こうじんかぐら)と呼ばれていて、神社の祭礼で舞われる「宮神楽」とは、重なりあう演目もあるが、基本的には異なるものであった。
●大蛇退治
https://youtu.be/l9oxzPesw0Y
わたしの少年時に心を躍らせたヤマタノオロチ退治は、荒神神楽にはなくて、宮神楽の出し物だったのだ。
 今回、新橋でヤマタノオロチ公演するときいたので、これは行かねばならない。

 ほかの地域の特徴的な郷土芸能を見たのは、若狭の風祇能、山形の黒川能、宮崎の高千穂夜神楽、福井の池田水海田楽舞である。
 黒川能、高千穂夜神楽、水海田楽舞は、集落をあげての芸能を中心とする神社祭礼である。集落の人たちが演者となって舞うから、まさに地域の人たちの自分たち自身のための芸能である。
 それに対して備中神楽は、備中地方の各所に複数の神楽を舞うプロもしくはセミプロの結社(社中)があり、神社の祭礼や荒神祭りに依頼されて出演するのであるから、住民自身が舞う芸能ではない。だから、その舞は素人ではできない技術を持っている。
 若狭の風祇能も、能舞の結社が行っているから備中神楽と同様である。
 集落民たちが舞う黒川能や高千穂夜神楽には、それなりのひなびた良さがあるのだが、舞にキレがないのは仕方がない。
 備中神楽は修練を経たプロの舞だから、舞のキレは決まっているし、激しい刀剣や長刀による大立ち回りは、まさに迫力満点である。
恵比寿舞

 長い時間がかかる一連の神楽の中で、観客を飽きさせないように途中で道化師が登場する演目もある。ヤマタノオロチ退治のために大蛇に飲ませる毒入り酒を造る場面がその典型であり、新橋でもあった。
 面白おかしいことを、囃子方の太鼓とかけあいながら言うのだが、少年時に頃に聞いたときは、芸能ではよくあることだが、かなりの頻度で卑猥なエロ話があった。もっとも少年にどこまでわかっていたか疑問だが。
 新橋では、エロ話はなかったのは、いまはもうやらないのか、場所柄をわきまえて言わなかったのか、どちらなんだろうか。若干の世相風刺があった。
 ただ、こちらが大人というか年寄りになって、笑いの質を問うようになってしまい、その点ではどうも笑いに乗れなかった。


 今回は抜粋だったが、はじめからしまいまで通しで、いつの日か何時間かかけてみたいものである。
 今では備中神楽も、ウエブサイトで見ることができるが、それでは迫力がない。ネットで石見神楽の大蛇退治を見ると、ド派手なカラー大蛇が何匹も登場して、まったくもって見世物化しているらしい。
 備中神楽はどうなの知らないが、祭礼が減少した現代に郷土芸能が生き残るには、そういうことが必要にもなっているのだろう。
 
 今回の新橋での公演を、主催者の了解を得て動画でも撮ってきたので、その一部をご覧ください。 
●大蛇退治
https://youtu.be/l9oxzPesw0Y
●大黒舞
http://youtu.be/o_NxsfV4WnY

伊達の眼鏡内の関連ページ
◆池田:能楽で地域興し(2001,2003)
https://sites.google.com/site/machimorig0/ikeda-dengakumai
◆高千穂夜神楽(2008)
http://datey.blogspot.jp/2008/12/blog-post.html
◆高千穂夜神楽(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=icokd9I61GY

2014/12/14

1038新国立競技場案への批判にザハ・ハディド女史が反論してるけど次元が低い

 オリンピックの主会場となる国立競技場のコンペ当選設計案について、日本の建築家たちがいろいろと異義を唱えている。
 これに対して、その当選者の建築家ザハ・ハディドからの反論が、あるウェブサイトに載っている。
 
 Zaha Hadid says Tokyo stadium criticismis "embarrassing" for Japanese architects

 彼女がこれまでにも反論してたのかどうか知らないが、わたしははじめて読んだ。
 このサイトがどういう素性か知らないし、インタビューに答えた発言の一部らしいから、どの程度これを信用してよいかわからないが、わたしのミーハー感覚としては面白かった。

 ここに、その記事の中の彼女の発言部分と、わたしの駄訳を載せておく。
 なんだか次元の低い反論になってしまったなあ。

"I think it's embarrassing for them, that's all I can say,"
"I understand it's their town. But they're hypocrites."
"They don't want a foreigner to build in Tokyo for a national stadium,"
"On the other hand, they all have work abroad. Whether it's Sejima, Toyo Ito, or Maki or Isozaki or Kengo Kuma."
"The fact that they lost is their problem, they lost the competition,"
"If they are against the idea of doing a stadium on that site, I don't think they should have entered the competition."
"Many of them were friends of mine, actually the ones which I supported before like Toyo Ito, who I worked with on a project in London. I've known him for a long time."
"It saddens me,"
"What can I do? They're going ahead with it irrespective. So..."

「こういっちゃなんだけどさ、あの人たち恥ずかしくないのかしら。
 たしかにご自分の街のことよね、だからって、すっかり良い子ぶっちゃって。
 要するにガイジンに国立なる競技場をやらせるのが嫌なんでしょ。
 そのくせ、妹島だって伊東だって槙だって磯崎だって隈だって、
 みんな外国で仕事してるんだもんねえ。
 ま、コンペに負けたってことが癪なんでしょ。
 あそこんところに国立競技場をつくるのに反対なら、
 なんでコンペに応募したのよ、するべきじゃないわよ。
 あの人たちにはわたしの友人たちもいるのよ、
 中でも伊東はロンドンのプロジェクトを手伝ってからこっち、
 ずーっと知ってる仲だから悲しいなあ。
 どうするかなあ、知らない間にあれこれ言われつづけてる。さ~て、、」

 伊東みたいに落選してから文句つけると、こう言われちゃうよなあ。

関連ページ
◆【五輪騒動】新国立競技場・神宮外苑・2020五輪運動会騒動瓢論
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2014/12/13

1037明日は衆院選挙投票日、また体制翼賛選挙かなあ、やンなっちゃうよ

 今日、わたしの家の家賃が減額(たった2.4%だが)になるという知らせが、大家の県公社から届いた。
 ここに引っ越してきて12年、これまで3回値上げばかりで、いくら借家主義者のわたしでも、どうも大変だよなあ、困ったなと思っていたところだった。
 それが今回初めて値下げとは、これってアホのミックスのせいなのかしら。

 だとしたら、この方向を支持したいから、明日の衆院選挙は投票に行かないでもいいな、だって、ほっときゃ自民党大勝って、そんな与太話が横行してるんだもの。
 でも待てよ、アホのミックスってのは、たしか物価を上げよう、デフレから脱却とか言ってたような気がする。
 あ、そりゃ困る、せっかく値下げになった家賃が、また上がるじゃんかよ。

 デフレの波が、今ごろになってようやく、わたしの懐にも及んできたのだから、この方向を維持しなければならない。
 ってことは、明日は投票に行って、どこかの人か党か、デフレ政策をやりますってのを探して、投票用紙に書いてこようかな。そういう候補者っているのかなあ?

 ところで、選挙となるといつもは東京あたりで登場してくる、いわゆるホーマツさんが、今年は全然見えないのは、いったいどうしたことだろうか。
 実体はホーマツの党があるにはあるけどね。
 おなじみさんは、例のドクターおひとりしかいなようだ。マックアカサカさんは、おげんきですかあ~。

 でもどこかにホーマツ氏がいるかもしれないと、ヒマなので全国を探したら、いたいた、北海道でそれらしい党名(比例候補2人)を発見した。ほほ~、やるねえ、落し噺を地で行くか、、。

 ところで、懲りもせずにこの選挙も憲法違反になるだろうが、票の地域格差を測るサイトがあったので、わたしの選挙区を測ってみたら、こんなありさまである。
これみると馬鹿らしくなって、もう投票に行かないって思ってしまうよなあ、、困ったな。
 
とにかく、またもや大勢(体制か耐性か)翼賛選挙になるって前評判通りにならないことを、切に切に期待するばかり。


2014/12/12

1036落選させたい投票をしたい党首顔写真判断

熊五郎 ご隠居、写真並べて何してるんです。


ご隠居 おや、熊さん、うん、今ね、見合いしてるんだよ。


 その写真の顔はどれも見たことあるような人ばかりですねえ、あ、政党党首だ。

 そう、これはね選挙公報に載ってる党首の写真だよ。

 そんなもの集めて、なにしてるんですかい、だって、ご隠居は投票行かない主義者でしょ。

 そうなんだけどね、選挙公報ってのが来たんで、暇つぶしに見てたら、今はこんなにもたくさんの政党があるんだなあ、親玉はどんな顔なんだろって眺めてるんだよ。

 あ、そうか、ご隠居はテレビ嫌いだから、党首の顔を知らないんですね。


 そうなんだよ、投票に行かないから政党の名前も知らないぞ、えへん。


   ◆

熊 自慢してもしょうがないでしょ。で、写真見て何かわかりましたか。


隠 うん、ひとりだけ妙に気になる写真がある。どこのどなたか知らないけどね。

熊 どれどれ、あ、その顔はアベさんですよ、ほれ、アベノミクスのアベさんですよ。

隠 ほう、これがアホノミックスって、阿呆の詰め合わせの親分かい。

熊 で、なにが気になるんです。

隠 この写真だけがこちらに正面向いていないんだよ。そっぽ、あさって、上の方を向いて、顔をそむけている、なにかやましいことがあるんだろうか。

熊 お、そういや、この人だけですねえ。

隠 しかも、こちらから見る視線を見上げさせてるんだな、仰ぎ見させるんだな、なんか、失礼な奴。そうか、このお人があのエライアベサンなのかい、やっぱり偉い人の写真は写し方違うもんだねえ。

熊 そういうもんですかねえ。他の人はどうなんですか。

  ◆

隠 もう一人、不気味な人もいるね、これだよ、笑いながら噛みつかれちゃあたまんないね。

熊 そりゃオザワさんでしょ、コワモテを微笑で何とかしようって、、。

隠 こういうの微笑って言わないよ。

  ◆

熊 で、こうって顔占いして、今度の選挙には投票に行くんですか。

隠 うん、いや、いい顔がないから行かないことにしようかな。

熊 しょうがないね、でもねえ棄権しちゃいけませんよ、棄権が多いと世の中よい方に変らないと世間じゃ言ってますよ。

隠 おやそうかい、投票に行かない人が多いと、変化はないのかい、それはおかしいよ。だってね、もしもだよ、だれも投票に行かなかったら全員落選で大変化だよ。

熊 いや、少なくとも候補者は行きますよ。

隠 候補者だけが行ったとしても、全員が一票づつだよ、こういう時はどうするんだろ、ジャンケンポイって、勝ったヤツが当選、やっぱり大変革だな。

   ◆

熊 しょうがないね、また投票に行かないんですか。

隠 あのね、この前の選挙も憲法違反だったんだよ、でね、この選挙も憲法違反になる可能性が高いんだよ、おまえな、選挙に行くと憲法違反の犯人になるんだよ、罪人だよ、憲法ってのは一番エライ法律だよ、だから、たぶん、違反したら死刑になるんだぞ。

熊 まさか。憲法違反の選挙で選ばれた議員がつくった法律は憲法違反なんでしょうかね。

隠 そうだよ、おれたちはいま、虚構の法に縛られてんだよ。実は無法社会なんだよ。

熊 ご隠居の勝手アナ―キイにも困ったもんだ。

   ◆


隠 実を言うとね、むかし若いころは選挙投票に行ってたんだよ、でもね、わたしが票に書いた人は毎回必ず落選するんだよ。

熊 特定の政治家を応援してたんでしょ。

隠 いや、転勤が多かったからあちこちで投票したよ。でも、どこでもそうなんだよ。気の毒になってねえ。わたしが票を入れると落選するジンクスがある。

熊 まさか。

隠 こうなりゃ、落選させたい奴に票を入れりゃいいのだと気がついてね、ある時そうして見たんだよ、そしたらそいつが当選してねえ、で、懲りたので、もうやめたってことにしたんだよ。

熊 そうだ、投票するとき各人2票にして、一票は当選させたい方、もう一票は落選させたい方に入れるようにすればいいんですよ。プラスマイナスの差で当落がきまる、ってのはどうです。

隠 お、おまえ、いい考えだよ、そうすりゃ、わたしも投票に行くよ、棄権がウンと減ると思うよ、

(顔写真は順不同、選挙公報をスキャンしたままで加工していません)

2014/12/09

1035いつも冬野菜の季節になれば友人の畑で美味いダイコンを収穫

 毎年の今ごろ、年寄り遊び仲間の中の一人が耕作するする市民農園に赴き、たくさん冬野菜を収穫して頂戴してくる。
 年中行事になっているが、いつまで続くか。

 耕作する友人のほうは、一年中いろいろと手間をかけているのだが、こちらは育った頃に畑を訪ねて行って、このダイコンいいなあ、この水菜もほしい、この白菜が美味そうだ、青梗菜も立派だねえなどなど、口で褒めるだけで新鮮野菜を手に入れることができる。
 実にどうもありがたいことである。

 今年も二人の仲間で押しかけて、太いダイコン2本、水菜6株、白菜3株をそれぞれいただいた。ダイコンって、水ばっかりなのに、意外に重いものである。
 さてどうやって食おうか、とりあえずは水菜を浅漬けしておいた。

 このダイコンの写真は、その畑で収穫したものである(今年の作ではない)。
 畑でこれを製作した友人は「ポルノダイコン」と名付けているが、わたしは「エロダイコン」と名付けた。どちらが正しい命名か、論争は決着していない。
 友人によれば、最近は畑作りの腕前が向上したので、エロダイコンが発生しなくなったそうだ。でもこういう付加価値のある野菜づくり技術も大切だと思うが、どうなんだろうか。

2014/12/08

1034太平洋戦争開始記念の日に思い出す母の号泣と父の十五年戦争

 今日は12月8日、1941年に日本が太平洋戦争に突入した日、もちろん幼児のわたしのその日の記憶はない。平和な田舎町だったから戦災はなかったが、戦後の飢餓の日々が戦禍であった。
 だが、わたしにはひとつだけ、この戦争に関して強烈な記憶がある。

 1943年12月27日、わたしの父は戦いの場に召集された。家族や親戚あるいは神社関係者で、兵役に赴く父が出発する鉄道駅まで見送りに行った。わたしの記憶はその直後のことである。
 家に戻った途端、母が突然に号泣しだした。和服の羽織も脱がずに畳にうつ伏して、顔を両手で覆って声をあげて泣いている。
 幼児のわたしは、そのそばでなすべきこともわからなくて、呆然と座っているばかり。

 父は、その前の兵役、つまり1937年に始まった日中戦争(支那事変)から、1941年の5月に帰還したばかりだったのだ。
 実はその前の戦争である「満州事変」でも、父は兵役に就き中国戦線に行ったのだから、これで3度目の戦争である。この年には3人の子の父となろうとしていた。
 1931年からの15年戦争に、念入りに3度も出かけた人だった。しかもただの一兵卒として。

 その頃は戦局は危ういことは、身の回りに戦死者が多くなったことから一般人もうすうすは分かっていた。
 そんなときにまたもや兵役召集だから、父も母も覚悟が要ったことだろう。それが母の号泣となったにちがいない。
 しばらくして、表に客の声がした。母はさっと立ち上がり、涙をぬぐいつつわたしに言った。
「今、泣いてたことは、言っちゃいけないよ」
 銃後の母は、泣いた悲しんだりしては、非国民なのだ。
 幸いにして父は1945年8月末日に帰宅した。姫路で南方戦線に行きを待っていたが、輸送されるべき船がなくなって免れ、小田原に行って本土決戦に備えていたのだった。
1945年8月の敗戦を、父は足柄平野を見下す台地で
上陸してくる米軍を本土決戦とて迎え撃つ陣地作りの穴掘りをしていたらしい
毎年、戦争の記念日が来ると、このことを思い出す。
 あのことのあとは、ひもじい日々が続いたことが、わたしの記憶の中の戦争の悲惨さであるが、あんなに母を泣かせるようなことは、幸いにしてこの年までなかった平和な日々だった。
 だが、記憶が遠くなった日々、そしてあの時代を知らない人たちがリーダーとなった世の中、なんだか大丈夫かと言いたい気分ではある。
 とにかく、あの母を号泣させるようなことは、2度とゴメンである。

関連ページ  ◆「少年の日の戦争」    父の十五年戦争

2014/12/02

1033【言葉の酔時記】今年も流行語が不可解、もう流行から遅れるのが自慢になってきた

2014年現代用語の基礎知識選 ・流行語大賞 発表2014年12月1日
 自慢じゃないが、わたしが知ってるのは、たった2つだけだぞ(◎印)。
×ダメよ~ダメダメ(日本エレキテル連合):ぜんぜん知らんな
◎集団的自衛権(受賞者辞退):知ってるよ、でも、なんで辞退するんだよ~、「流行語大賞をいただきましたアベでございます。それほど集団的自衛権はシッカリ流行しているのであります」なんて選挙宣伝になる、。
×ありのままで(ディズニー『アナと雪の女王』チーム):聞いたことあるような、でも全然知らん。
×カープ女子(石田敦子さん):全く知らんわい。曲がった女の子?
×壁ドン(映画「L?DK」):なんのこっちゃ。
◎危険ドラッグ(古屋圭司さん):新聞で読んで知ってるけど、なんで古屋なんだよ、あのロレロレドライバー殺人犯にしなさいよ。
×ごきげんよう(美輪明宏さん):これって日常会話ザアマショ、なぜ流行語ザマスカ。
×マタハラ(杉浦浩美さん):股と腹がデブなのか。
×妖怪ウォッチ(日野晃博さん):知らん知らん。
×レジェンド(葛西紀明さん、青木功さん、山本昌広さん):なんだろ、ホンダの宣伝マンかい。

 ところで、以前にも流行語についてこのブログに書いたような気がして、検索したら、あった。

◆2011年12月2日◆543知らない流行語大賞2011
帰宅難民

×こだまでしょうか:これってTVCMらしいが、「のぞみ」や「ひかり」じゃなくて「こだま」にも乗ろうってJR東海の広告なのであろう。なんでこれが流行なの?
3.11
スマホ
どじょう内閣
×どや顔:ドヤに泊まっている人の顔のことなんだろうなあ。
なでしこジャパン
風評被害
×ラブ注入
 要するにTV番組を見ないと流行遅れになるらしい、という程度のことである。
 で、結構震災関係言葉が多いのに、どうして「脱原発」と「想定外」が入らないのだろうか。「TPP]とか「ユーロ危機」がなぜ入らないのか。
 どうやらイデオロギー的なにおいのする言葉を避けているらしい。そこにこの賞のがどの程度のものかを物語るものがある。

◆2009年12月2日◆209知らない新語流行語大賞
政権交代:もちろん知っている。だが、これは新語じゃないが流行語か?
×こども店長:ってなんだ?
事業仕分:あまりに有名になった。新語のように聞こえる。
新型インフルエンザ:もちろん承知。未だかかっていないけど。
×草食男子:要するによわよわしい男ってことか?
脱官僚:新語じゃないからとて、なんで流行語なんだよ、いまごろ流行語というほうがおかしい。
派遣切り:今年の新語のようだが、流行語にしたくないという皮肉をこめて社会批判として採用したのかしら、それならこの企画にも芯があるけどな。
×ファストファッション:こりゃなんだね、ファスト風土とかファストフードの類か、お手軽で半分裸の格好のことか、ならばチジミのシャツにステテコこそファストファッション?
×ぼやき:なんでもプロ野球の監督のことらしいが、興味ない。
×歴女:??
 こうしてみると、わたしの知らないのはどれもTVタレントものらしい。知らなくてあたりまえだ、だってTVを見ないんだもん。

 こうしてみると、2009年も2011年も、半分以上は知っている流行語があったのに、2014年になるとそれが2つだけになってるって、こりゃますます流行遅れのわたしであることを自覚した。
 その原因はよく分っているんだよ、TVを見ないからだ。
 つまり世の中は、アホなことは全てTVが原因である。
 こうなりゃ、ますます流行から後れてやるぞ、それが自慢。



2014/11/28

1032クルマのデザイナーってのは世界中に一人しか居ないんだね


ヒマだから新聞広告までも読む。今日はクルマの広告が多い。
どいつもこいつも、まあ、ほんとに、まったくもって御面相が悪いよなあ、
吊目に鰐口、大きな面、凶相の典型である。
オラオラ、ジャマだっ、ドケドケ~ッ、、、コワ~イッ、
クルマのデザイナーってのは、世界中に一人しか居ないんだね。だからこんな同じデザインになるんだな。






あ、そうなんだあ、昔の車は愛嬌があったので、
ついつい歩行者が油断して逃げない、
だから襲われて死ぬって事故が多かったんだ、
近ごろ昔より死者が減ったと聞いたけど、
それはクルマの御面相が狂暴化したからであったか、、
よかったね、、え、???

ガ~オ~ッ!



2014/11/23

1031山口文象90年前の橋の設計図:新宿地下広場で土木学会百年記念展覧会

 
久しぶりに山口文象が描いた設計図を見た。しかも1925年という大昔のものであるから、山口文象がまだ岡村蚊象と名乗っている、駆け出しの頃の作である。
 その駆け出し時代の図面とは、帝都復興局土木部橋梁課の嘱託技師をしていた頃に作成した「八重洲橋」の手すりや橋塔の詳細図である。どっしりとした石張りで、表現は風の刻み込みを指示している。
八重洲橋は右上方に見える八重洲通りが外堀を渡る位置にかかっていた
土木学会100周年記念事業の土木エンジニアドロウイング展として、土木学会の土木コレクションアーカイブのなかから、他の関東大震災復興橋梁の図面と共に出品されていた。
 ガラスケース入りで大事に、しかもこの図面だけ、山口文象デザインであるとの顔写真つきの解説がある。山口文象もこうなるとは夢にも思わなかったろう。

 その八重州橋の詳細図の右下を見れば、山口文象のサインが設計と製図の欄に「岡村」とあり、その上に技師と照査欄に「成瀬」のサインがある。成瀬勝武であろう。
右上には「親柱詳細」と、山口文象の筆跡でタイトルがある。
 この図面の描き方は、線がコーナーでクロスしていていかにも建築図面である。他の人の手による八重洲橋の几帳面な図面とくらべて、筆致が分って味がある。



 なお、八重洲橋は木下杢太郎のデザインという説があるらしいが、本当だろうか。杢太郎の兄の太田円三が復興橋梁建設の指揮をしたから、詩人の杢太郎は兄からその風景のあり方を相談されたかもしれない。実際はどうなのだろうか。 
 八重洲橋は1948年に外堀の埋立てで、地の中に埋もれて消えた。
 
 たくさんのパネル展示を見ていて、その土木建造物の設計者やデザイナーが記されているものが結構多くあることに気が付いた。かつては土木の世界では、特定の設計者の名前を出さないのが約束のようであったが、どうやら変わったらしい。
 土木系の設計者名の他に、建築系の設計者あるいはデザインに係った者の名もちらほらある。その建築家のひとりとして、駆け出し時代の山口文象の名が顔写真と共に登場するのが嬉しい。

 山口文象がかかわった土木構築物の内、上記の八重洲橋のほかに、清洲橋、数寄屋橋、そして富山県の庄川にある小牧ダムが展示されて、山口の名が記されていた。
 ちょっと残念だったのは、山口が世に出てから設計した黒部発電所の目黒橋と小屋平ダムがなかったことだ。土木界では高く評価していないのだろうか。

 山口文象の他に登場する建築家は、「聖橋」デザインの山田守と「東京駅」設計の辰野金吾のほかには、見当たらなかった。それだけ山口文象は特異な存在であるらしい。
 しかし、実のところ、山口文象が土木デザインに実務として、どの程度かかわったのかは、よく分らない。そのあたりのことも知りたいのだが、小牧ダムの解説に同じようなことが書いてあるから、土木界でもよく分らないらしい。
山田守デザインの聖橋のパース(岡村蚊象画)
その頃、山口は創宇社建築会を結成して、若い仲間たちと大井瀧王子の自宅を梁山泊のようにして、建築運動の拠点にするとともに、橋の設計の仕事をしていたらしい。
 創宇社建築会仲間の竹村新太郎にわたしが直接聞いた話では、山口の担当する橋の欄干や親柱あるいは照明器具などのデザインは、創宇社建築会仲間でアルバイトでやっていたとのことだった。

 わたしが山口文象に、現物の橋のそばで直接に聞いた話(1976年12月11日)は、清洲橋では川の中の船から橋を横に見るとき、橋桁とそこからはねだす歩道の鉄骨の見付が、いかにスレンダーに見えるようにするか腐心したということだった。
 浜離宮南門橋は、その様式デザインを求められてやったけれど、これは好きではないとのこと。数寄屋橋については、稲田御影の手すりの天端からサイドへと角を丸くしていくのだが、その丸みのカーブに腐心したといっていた。
 戦後の貧乏で無骨一点張り、あるいはデザイン下手の見本みたいだった土木構築物にも最近は、今回の展示に見るような戦前に倣う良いデザインが、ようやく登場するようになった。

 この展示は土木構築物をテーマにしているのに、辰野金吾の東京駅がはたして土木構築物であろうかという疑問がわいた。
 そしてこの東京駅を最近の復元による改築をテーマにしてとりあげているのだが、その解説に辰野金吾は登場しても、肝心の復元設計の建築家の名が登場しないのは、どうしてだろうか。かつての土木の無記名性がよみがえったのか。
 東京駅の復元をとりあげているように、展示を戦前に絞ったのでもないようだ。とすれば、最近は建築家によるデザインの土木構造物もあ多いだろうに、数が多くなりすぎるので限界があったのだろう。

 今回の展示は、このような誰もがアクセスできる会場にて行うとは、土木学会はずいぶん開けていると思う。
 しかしそれでもひとこと言いたいのは、内容がやはり普通の眼で見るとマニアックであることだ。わたしはマニアだから面白かったが、これでは一般には興味の湧きにくいプレゼンテイションであった。
 土木は一般に身近にある日常世界のものである。日常の世界でこんなにも素晴らしい役目をしているのだと、普通の人たちの眼にももっと面白い展示を次は期待している。

 そういえば、わたしの生まれ故郷の高梁盆地の高梁川にかかる「方谷橋」が展示にあった。この橋は、わたしが少年の頃に何度も行き来し、毎夏には橋の下で泳いだ日常の思い出が深い橋である。わたしが生れた年にできた橋だから、同年同期である。
 パネルの写真には、わたしの生家の神社の森も写っている。こうやって見ると、ああ、これも記念すべき土木遺産なのだと気がついた。わたしはそんな事情でこの橋に感情移入できるが、ふつうなら解説を読んだだけでは特にどうってことはない。
竣工時の方谷橋。現在はこの親柱は失われている

参照→「ふるさとの川と橋」(伊達美徳)
参照→「山口文象アーカイブス」(伊達美徳)

参照→「土木コレクションアーカイブ」(土木学会)
http://dobokore.jsce.or.jp/archive/

2014/11/20

1030【横浜都計審】事業が先にあって計画が後から追いかけていく横浜市の都市整備

 先日の横浜市都市計画審議会で、わたしにはどうも分らないおかしな議題があったので、疑問を書いておく。ピントハズレなら、どなたか指摘していただきたい。
 もちろん、市の担当に聞きに行けばすぐわかるだろうが、超ヒマ老人が超多忙役人の仕事の邪魔をしたくない。

 寝た子を起すかもしれないので、ちょっと場所をぼかして書く。
 ある都市計画道路がとっくにできているのだが、じつは都市計画で決めた範囲を外れて作ってしまったので、都市計画をやり直すというのだ。
 計画があって事業があるのではなくて、事業の後を計画が追いかけるのだ。

 図で見る通り、黄色の線形で1957年に都市計画決定したのだが、どういうわけか1981年に赤色の線形で整備してしまったのだそうだ。ズレの大きいところでは9mくらいもあるらしい。
 今回、それにつながる道路の変更をしなければならなくなって、このできてしまった都市計画道路の位置に合わせて、後追い計画変更をするらしい。
 そういう議題が出て、都計審は原案通りに承認した。


 ところで、なぜそのように計画と実施とにズレが出たのか。30年以上前の工事だとて、そんなずさんなことが通ったものか。
 今回都市計画の縦覧をしたら、さすがに地元の人から公聴会でその理由を問う公述が出たし、意見書でも疑問が出された。
 市当局のそれに対する回答は、「不整合が生じた経緯については、現在保有している資料では確認できませんでした」とある。要するに「わからない」ってことである。
 都計審でもこの件について委員から指摘があり、道路のような恒久施設についての資料は、廃棄しないで保存するようにとの意見が出された。

 現実には道路は既にできて車も人も通っているのだから、それに合わせて変更しても問題はないだろう。ここでわたしの疑問をあえて指摘しておく。
 
疑問①:都市計画審議会をないがしろか
 そのように事業をするのが適切ならば、都市計画変更をすぐにすればよいのに、なぜそうしなかったのか。30年以上もほったらかしとは、都市計画審議会は軽んじられていることになる。
 現実の後追いと言えば、生産緑地がまさにそうである。これから農地としての都市計画を解除するのに、現地は既に住宅地になっているのであるから、これも都計審は軽んじらている。
 わたしが都計審委員をしているとき、市営地下鉄が都市計画決定の範囲からはみ出て整備して何十年も都市計画法違反のまま営業してきたのを、現実に合わせて都市計画変更する事案があった。これも事業後追い都市計画である。

疑問②:都市計画法違反になるかも
 市の資料によると都市計画道路として整備済みと書いてあるので、事業決定をしてその予算措置をして工事をしたのであろう。とすれば、都市計画決定の範囲外に都市計画事業をしたことになり、その事業決定は都市計画法違反になるのような気がする。
 都市計画事業費を都市計画決定の範囲外に投入したことは、よく知らないが財政上の違反行為になるのかもしれない。特に、都市計画事業として国庫補助金を投入しているとしたら、会計検査にひっかかるような気がする。もう時効かもしれないが。
 もしも、国庫補助を入れないで事業したとしたら、それはそれで市に入るべき歳入を逃したことになる。

疑問③:建築基準法違反になるかも
 都市計画道路予定地では建築制限がかかる。審議会資料にある図面を見ると、黄色線にひっかかるビルがあるらしい。現地を見ると、まさに建築制限を超えた5階建ての共同住宅建物が、ずれて整備された道路に接して建っている。
 ここはまだ都市計画道路の黄色線の中なのだから、建築基準法違反になるはずだが、どういうことなのだろうか。
 結論としてはこれでよいのだが、ここに至る経緯では建築行政と道路行政の当局間でのなにか申し合わせがあったとしても、法的には違反になるように思うが、どうなのだろうか。

 というわけで、現実はこれでまあよろしいのであるが、審議会での事務局の説明を聞きながら、なんだか疑問になったことを書いたのである。
 なんにしても、事業の後追い都市計画とは、都市計画審議会は軽んじられているように思えてならない。

参照→都市計画審議会を改革せよ

2014/11/18

1029【横浜都計審】76か所もある都市計画案を審議会2時間に発言10分で承認する超能力委員たち

 横浜市都市計画審議の委員さんたちはスーパーマンとスーパーウーマンだと思う。
 だって、今日の審議会での都市計画決定箇所数は合計で76か所もあり、更に横浜市全体に関する総合的な都市計画に関する議案が2件、更に加えて緑区全体に関するマスタープランもあるのに、これらをたったの2時間(発言10分)で審議を終えて、全て原案通りに可決したのである。神業であるとしか言いようがない。
横浜市都市計画審議会資料
横浜市全体の整備開発保全の方針の見直しと、線引き見直しの方針というような、高度にして多様な内容を持ち、広く多様な性格の地域にわたり、しかも都市計画の根幹にかかわる考え方の答申案についても、これに対する質問も意見も全くなくて、原案通りに可決である。 
 こういうのは素人委員には難しいだろうが、だからこそ専門家たちの学識委員がいるのだろうに、分かっているからとて何も発言されないと、一般市民には何もわからないんだけどなあ。

 たぶん、委員の方々には、事前に答申案が配布されていて、これをしっかり読み込んで全てお分かりになっておられたのであろう。
 わたしは当日はじめて観るのだから、分からないことだらけだった。

 だからこそ私は思うのだが、審議会は市民の代わりにやっているのだから、市民にこれだけは知らせておきたいと思うような意見を、ぜひとも聞かせてほしいものだ。
 その議案の持っている問題点や優れている点についての意見をいい、それらを審議会議事録に載せて、傍聴に来なかった市民も審議内容が分るようにしてほしい。
 なにも発言なさらないと、まさかそんなことはないだろうが、委員の方々は本当に分って審議しているのだろうかと、不安になる。

 緑区のマスタープラン(60ページもある計画書)は、緑区全体に係る都市計画の基本的なことだが、これについては議員の委員3名から発言があった。
 発言を聞くと、どうもみなさま読み込んでおられないようであった。些細なことは事前に事務局に聞けば、当日の審議時間を消費しないで済むだろうに。
 マスタープランだから、もっと基本的な内容のツッコミがほしい。こういうのは学識委員が得意のはずだが、まったく無発言とは、どういうことか。

 毎年11月の都計審に、生産緑地の変更に関する議案が出てくる。
 生産緑地の変更の数は、今年も議題に66か所もあるように数多いのに、都計審の各回に分けて出さないで1年分まとめて議案にするのは、どういうわけか。

 横浜市内のあちこちに散らばっている別々の場所の都市計画決定なのに、説明は3か所のみだし、議決も一括してしまうのは、どういうわけか。
 これだけたくさんあるのに、委員から質疑も意見も全くでないままであった。
 要するに、この議案は馬鹿らしくて審議に値しないということか。

 ま、そりゃそうでしょう、わたしが委員だった頃、解除する場所に事前視察に行ったら、既にミニ開発住宅地になっているのが珍しくない、しかも違法ではないのだから、都市計画法は生産緑地法にバカにされているのである。
 ところで、委員さんたちは事前に66か所の現地を視察なさったのでしょうね、だから意見無しなんですよね。
 わたしの経験では、現地を見るとけっこうおかしな個所もあったものだけどね。
  参照「◆都市計画では農地のはずが現地は住宅地とは
     あるいは「都計審初出演と生産緑地の不思議

 特別緑地保全地区の決定の議案についても、8カ所に散らばっているのに、一括して議決であった。
 これらについても、委員さんたちは事前に調査が行き届いているらしく、即地的な質問や意見はなにも無くて、制度についての初歩的な質問だけがでた。
 そんな事務的なことなら、事前に事務局担当者に聞けば、当日の時間浪費にならないものなのにと思ったが、まあ、議事録を読む一般市民には役に立つかもしれないとも思った。
 
 とにかく今日の議題は76か所という数多くの場所について、あるいは横浜市全体や緑区全部という広大なる地域について、13時から15時までの2時間で都市計画決定の審議を終えるとは、神業である。
 その2時間のうちで、委員が発言した時間は10分もない。ほとんど事務当局による議案説明ばかりであった。

 17時までも18時までもやればよいし、今日中に決めなければならない理由はないはずだろうに、2時間の所定時間では時間がないとて、ぜんぜん場所が違う案件を一括して議決するってのは、それでよいのだろうか。場所場所で特徴あるはずだから、ひとつひとつ審議するべきであると、わたしは思うのだ。
 多分、委員さんたちは事前に現地を見て、事前に資料を読み込んで審議会に臨まれているから、こう言う荒業でも通るのだろう。
 今日初めて議案に出くわした、わたしのような傍聴者は、ただ唖然とするばかりである。
 これで審議をしたと言えるのだろうか。委員さんたちは、本当に現地を見たのだろうか
 
 本日の第135回横浜市都市計画審議会の案件は次の通りだった。
1.都市計画区域の整備、開発及び保全方針等の見直しの基本的考え方について答申
2.第7回線引き全市見直しの基本的考え方について答申
3.横浜市都市計画マスタープラン緑区プランの改定の決定
4.3・3・11号環状3号線道路の変更の決定
5.3・5・6号瀬谷地内線道路の変更の決定
6.3・4・14号三ツ境下草柳線道路の変更の決定
7.生産緑地地区66か所の変更の決定
8.鉄町冨士塚台特別緑地保全地区の決定
9.恩田町特別緑地保全地区の決定
10.恩田町九郎治谷特別緑地保全地区の決定
11.恩田町番匠谷特別緑地保全地区の決定
12.東寺尾六丁目特別緑地保全地区の決定
13.片倉三丁目特別緑地保全地区の決定
14.阿久和南一丁目特別緑地保全地区

参照⇒
あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
都市計画審議会を改革せよ
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokeisin

2014/11/17

1028沖縄県知事選挙結果について各新聞社の態度は原発と集団自衛問題へと同じ

左:辺野古の海             右:普天間基地 (同スケール)


沖縄県で知事選挙があり、選挙のテーマが普天間基地移設問題という明確な対立軸をめぐり、辺野古移転反対を標榜する人が当選した。
 これに対する新聞社の反応を比べてみた。

 本土の主要な新聞社の今日(2014年11月17日)の各社説の見出しを並べる。
・産経新聞「沖縄県知事選 政府は粛々と移設前進を
・読売新聞「沖縄県知事選 辺野古移設を停滞させるな
・毎日新聞「辺野古移設に審判 白紙に戻して再交渉を
・朝日新聞「沖縄県知事選 辺野古移設は白紙に戻せ
・日経新聞「いまこそ政府と沖縄は話し合うときだ
 
 この各社の意見のスタンスが、何かに似ているよなあと思ったら、原発問題で再稼働に賛成か反対へのスタンスと全く同一の反応である。そしてまた、集団的自衛権の容認か否かに関する態度とも、同じなのである。面白いものである。
 要するに、現在の安部政権の政府の施策への距離感が、そっくりなのである。
 まあ、それなりに新聞社として右顧左眄していないということではある。

 そして地元の沖縄の新聞である。なお、沖縄タイムスには今日の社説はない。
・琉球新報「新知事に翁長氏 辺野古移設阻止を 尊厳回復に歴史的意義
 そして本文には、「翁長氏には、政府の強硬姿勢を突き崩して移設問題など基地問題に終止符を打つことに全力で取り組むことを期待したい」とある。
 
 実は、今年の1月にあった名護市長選挙の時にも、新聞社の社説を比較したのである。その時の態度と同じであることも分かった。
http://datey.blogspot.jp/2014/01/886.html
 つまり、2回も選挙で地元住民たちがNOと言っても、本土の産経と読売は、なにもそこから汲み取ろうとはしないらしい。日経も同じようにじっくり交渉せよと言うだけである。

2014/11/15

1027またもや起きるか付和雷同選挙を眺める非投票日和見主義者の繰り言

 なんだかまた国政選挙があるらしいような話が、新聞を賑わわせている。
政治の向きのことはよく分らないのだが、たしか、この前の選挙は昨年の夏だったような気がする。そしてその前はその前の年の末だったような気がする。
 なんだかしょっちゅう国政選挙をしている感じだ。そんなに国会議員の任期は短いのだろうか。

 その上、たしか、国政選挙は憲法違反であると、裁判所が決めたような気がする。
 今の選挙ルールだと、選挙民に不公平が起こる仕掛けなので憲法違反だ、ちゃんとルールを正しくしてからやれって、国会が裁判所から叱られたような覚えがある。

 さて、また国政選挙をするとは、その選挙ルールが憲法に違反しないように改正されたにちがいない。
 まさか前の憲法違反ルールのままでまた選挙するほど、いまの国会は馬鹿じゃあるまいと思う。
 
 もしも改正してないなら、せめて、オトクイの解釈改憲でこれでもルール違反じゃないとの閣議決定とかをやってからになさってはいかがなもんでしょうか。

 ところで、今の国会議員は憲法違反で選ばれた人たちだから、この人たちが決めたことは、もしかしたらすべて無効なのかもしれないと思う。どうなんだろう。
 だって、この国家という枠組みを定めるルールのなかで最高規範である憲法に違反しているなら、なにをやっても違反だろうと思うのだが、どうなんだろう。

 ということは、憲法違反国会が決めた選挙のルール改正も、じつは無効になるような気がする。
 つまりこの2,3年のうちに決めた法律は、なっでもかんでも無効のような気がする。
 わたしたちは無法なる国家に暮らしているんだなあ、あのクリミヤを横盗りしたロシヤとか、あの「イスラム国」のこととか、とやかく言えないのかもなあ。

 まあ、わたしは主義として選挙投票に行かないのだから、どうでもいいけどね。
 また起きるであろう付和雷同体制翼賛選挙を、はたから眺めて楽しませていただきましょう。

参照⇒【非投票独りキャンペーン運動日録
http://datey.blogspot.com/p/blog-page_4.html





2014/11/13

1026美しくも懐かしい故郷・高梁盆地の秋の風景を友人が送ってくれた

 秋の美しい風景画像が、わたしの故郷の高梁盆地に住む友人からやってきた。
 高梁盆地は高梁川から発生する霧で、真っ白な海の底のようになる朝がたびたびある。
 そのような日は、深い霧は午前中に消えて、必ず快晴となる。霧が深いほど空は青い。

 その霧の盆地を、霧の上にでた山上から見下ろすと、盆地は真っ白な湖であり雲海である。
 高梁盆地は城下町であった。盆地の街の北にそびえる臥牛山の麓には城主の館があり、山上には天守のある城郭があった。
 城主の館は、今は高等学校の敷地に変っているが、山上には城郭跡と天守がいまもある。

 その山上の天守が、雲の海の中に島々を従えて浮かび上がる。まさに天空の城、幻想的な景観である。
高梁盆地の雲海に浮かぶ備中松山城  撮影:川上正男
 故郷の有名な景観だが、実はわたしはこの目で見たことがない。
 この景観を撮影するには、朝、まだ暗いうちから、山上にカメラを構えて待ち続けるらしい。しかも、その朝にそれが現れるかどうか、その予想もできないらしい。
 友人はそれをうまく撮ったと送ってきた。なるほど、なるほど。

 なお、この雲海の城のことは、以前にもこのブログに書いたことがある。
 空の城と言えば、竹田城が有名らしいが、これもわたしは見たことがない。
ついでながら、スイスのシャモニーに行ったとき、見上げたエギ-ユドミディの小屋が、天空の城のようだった。
夕陽に輝くシャモニーの天空の城  撮影:伊達美徳
 友人が送ってくれた高梁盆地の風景の中に、わたしの生家の神社もあった。おお、こんなに美しい紅葉であるか。
 少年時代を過ごした生家だが、こどもの眼には紅葉は映らなかった。四季の景色をめでるのは、大人のすることであった。
 これを見ると、わたしがいたころはもっと樹木が多くて、境内は暗かったような気がする。
高梁盆地の御前神社の紅葉   撮影:川上正男
(追記)送ってくれた友人からの知らせでは、雲海の古城を見るのは、時期的には11月~12月半ばまでで、雨上がりで天気の良い冷え込んだ朝の8時~9時30分頃だそうである。

2014/11/12

1025・越後の山里の有機棚田新米コシヒカリお歳暮キャンペーン

<この記事は、わたしも関わってきた中越震災復興支援の延長で仲間が起こした地域振興会社「法末天神囃子」の宣伝です。今年の美味いお米を買ってくださいませ>

 越後の山村の棚田で作った「天日干し有機棚田米」と「地元産野菜」のお得なセットを、お歳暮にいかがですか。
 新潟県長岡市小国町の山間地にある法末集落は、森に囲まれた棚田の中の小さな集落です。
標高300mの高地の気候と豪雪による湧き水を活かして、棚田に有機農法によってコシヒカリを育てました。
 そうやって豊かに実ったコシヒカリを、陽光の下で天然乾燥してから精米したので、香りと甘味のある美味しいお米に仕上がりました。
 越後の名山の黒姫山と米山を望む棚田で育ったコシヒカリを、お世話になった方への暮れのご挨拶にいかがでしょうか。

<お歳暮セット価格>
【商品タイプ1】
プレミアム棚田米(天日干し)5kg+地元産の野菜(千円相当)セット  5,000円(送料込)
【商品タイプ2】
プレミアム棚田米(天日干し)3kg+地元産の野菜(500円相当)セット 3,000円(送料込)
【商品タイプ3】
美味棚田米(機械乾燥)5kg+地元産の野菜(500円相当)お手頃セット 3,000円(送料込)

<ご注文方法>
 必要事項を記入して、下記宛ファックスまたはEメールでご注文ください。
株式会社 法末天神囃子
販売担当 宮田裕介
電話&Fax:0258-95-3125
メールアドレス:miyata@h-tenjin.com

<ご記入事項>
【ご注文主】お名前、ご住所、郵便番号、電話番号、(メールアドレス)
【お届け先】商品タイプの番号、お名前、ご住所、郵便番号、電話番号
 複数あれば続けて同じように記入してください。

<お支払方法>下記の口座にお振り込みください。
柏崎農業協同組合 小国支店
普通口座 0022726
株式会社法末天神囃子
代表取締役 宮田裕介

案内ちらし(これをダウンロードして記入、メールかファクスしてくださっても結構です)


参照⇒「法末集落へようこそ

2014/11/11

1024いま日本中で起きている空き家問題にわが身が直面するとは、、

 父母が住んでいた岡山市内にある空き家を、最近になって売りに出したが、売れない。この20年も空き家にしていた。
 建物が古いとか道路が狭いとかいろいろあるにしても、駅近くのけっこう便利な立地なのに売れない。

 売れないのは個別の条件もあるが、今の日本の社会問題のひとつであることに、今さらながら気が付いた。日本全国が空き家だらけになっているらしい。
 マクロな空き家問題はあれこれと話題になっているらしいので、そちらに任せるとして、ここではわたしがただいま体験中のミクロの空き家問題を書いておく。でも、これが典型的な空き家問題らしい。

 1966年に父母が岡山市内に小さな家を建てて、郷里の高梁を離れた。この家はわたしの建築家としての処女作だった。
 ここに引っ越して、たぶん、一番喜んだのは母だろう。それまでは広大な神社境内と社殿や社務所の掃除に追いまくられていたから。父も気楽になっただろう。
1966年竣工時
当時流行のモダンリビング風のデザインと間取りだったが、父は数年のうちに増築改装した。
 一番の大きな改装は、鉄板瓦棒葺きの屋根の上に瓦屋根が乗ったことだった。暑いし雨音がうるさくてたまらなかったそうだ。縁側がついて深い軒の出がなくなった。
 エレベーションのプロポーションは悪くなったが、文句は言えなかった。だからわたしには未練のない建物だ。
 でもまあ、当時の金融公庫仕様で、基礎をきちんと設計していたから、今でも傾いていないのが、わたしの唯一の自慢である。

 父母が80歳を超えて高齢になったために、1993年に大阪の息子が住む近くに転居した。このときから岡山市内の家は空き家になったままである。
 わたしたち3人の子らが、ときどき行って管理をしていた。隣りの方がこちらの庭で野菜つくりをしがてら周りを掃除してくださっていて、これも助かっていた。
 だが、台風が中国地方にやってくと、心配だった。家は倒れても一向にかまわないが、近所迷惑は困る。

 わたしは1957年に大学に入るために関東に移り、弟たちも次々を故郷を出た。そののちに父母も故郷を離れた。父母がなくなっても空き家のままだった。
 わたしたちのような子の世代が、このようにして父の世代の空き家を持つことになった経緯は、じつは日本では珍しくもないことだろう。数多く日本にあるという空き家の大半は、このような事情だろうと思うが、どうだろうか。
 いまでは、わたしの子の世代が同じようなことに直面しつつある。

 その岡山の家は、売ろうという積極的な気もなくてズルズルきたが、3人の子たちも高齢化してきたから、このままでは孫世代が困ることになると思い出した。
 そんな最近、岡山市から来る固定資産税の請求書に同封して、「空き家情報バンク制度」なるものを始めたとのパンフが入っていた。
これを見て登録することにした。登録すると、不動産屋を決めて、そこと契約して売りに出すのである。それを始めたのが今年の8月だった。いまだに売れない。

山陽線の駅から300mほどのところ、山陽線で岡山駅へも倉敷駅へも8分である。近くに城跡もある古くからの集落の中で、新開地ではない。
 それでも売れないのは、ひとえにその道路条件にあるらしい。集落の中の一角をミニ開発した場所で、表の道から2m幅の市道が10mほど突っ込んだ場所にある。だから自動車を入れることは無理である。このことが障害らしい。
 
 買い物は近くでできるし、父の勤め先の岡山市中心部までは電車ですぐだったから、父母にとっては車がなくても一向に不便ではなかった。
 そんなところだから、そのうち売ればよいとのんきに思っていたら、なんとまあ、今や空き家だらけの時代、車があることが当たり前の時代、そして人口減少が当たり前の時代になり、住宅需要が減る時代になってしまった。タイミングを誤ったなあ。

 売れないままだと諦めて、そのうちに関東大震災でこちらを焼け出されたら、その岡山の家に避難してそのまま終の棲家にするかなあ。
 あのあたりは、瀬戸内海からは遠いから津波はないし、地震は少ないし(わたしは関東に移ってしばらくはなんと地震が多い土地だろうと思ったものだ)、一番近い島根原発からも遠いし、軍事基地も近くにあると聞いたこともないし、交通は便利だし、いいかもしれないなあ。
 いやいや、そういうことに遭遇したくない。