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2026/10/25

1978【卆呪録③狂言見物】生誕日を共にする人間国宝役者の芸風と老いを観に行く

●誕生日が同じ山本東次郎を観に

 7ヵ月ぶりに山本東次郎の芸を見に行った。2026年10月25日、川崎能楽堂である。東次郎一家出演で狂言三番を見た。これまでに30年ほど能を見に行って、併せて狂言を見たからかなりの数を見ているが、狂言だけを見に行ったことはなく、あまり興味はない。

 だから狂言だけ三番も立て続けに見たのは初めてだ。どの演目も語りばかりだったから、何やらやかましかった。静かな能と合わせて演じてもらう方が、やっぱりよろしい。最後に東次郎さんの講話を、「鐘の音」の小舞で締めてくださって、ほっとした。

川崎能楽堂入り口外観


川崎能楽堂能舞台 柱が切ってある、屋根もない

 それなのに、わざわざ狂言だけの公演を観に行ったのは、山本東次郎の芸風を観たかったのだ。山本東次郎は人間国宝で、わたしと同じ卒呪、いや卒寿である。しかも同じ日に生まれているのである。奇遇であるが、だからと言って知り合いでもないただの他人である、

 これまで多くの能狂言公演を見てきたが、わたしと同年配あたりの名人たちは、みんないなくなった。野村四郎、宝生閑、関根祥六、茂山千作などなど、次は東次郎さんに違いないと思うと、いま観ておきたかった。自分と同じ生年月日ならだれも思うだろう。

 こちらは足がヨレヨレになっているが、東次郎は芸人として身体を鍛えているから、これまでとかわりあるまい・・・、ところが、発見したのだ。東次郎さんが安坐から立ち上がるときに、ちょっとよろけるのを、しかも毎回、、う~む・・・、。

 能舞台で見る役者たちがすっくと立ちあがる美しさを見てきたから、う~む、やっぱりなあ、東次郎さんでもそうなのか。 ほっとしたような、がっかりしたような、切ない感が私の身体をよぎるのだった。ともかく今日の東次郎さんを見に来た甲斐があったということか、いや、同年の男の老いぶりを確かめた自分を嫌にもなった。

●狂言「箕被」の妙な面白さ

 3番の演目のうち、「箕被(みかづき)」にちょっと興味もった。たぶん私は初めて見る狂言のようだ。これまで見た能は百番以上あるだろうし、そのほとんどを記憶しているが、狂言はそのついでに見ているから記憶が薄い。
当日パンフの画像

 狂言には夫婦喧嘩とその和解の話は多くあるが、たいていの妻女は「わわしい女」であり、男を口やかましくやり込める。しかし、この箕被の妻女は才女ぶりを歌で見せて、男との和解を引き出すのだった。

 その夫婦の破綻と和解の契機となる「連歌」が面白い。箕を被って出ていく妻を見て男の発句「いまだ見ぬ二十日の宵の三日月(みかづき)は」に、女の脇句「今宵ぞ出る身(箕)こそ辛けれ」と、出ていく女が被った箕を掛けて歌うのである。これで和解する。

自作狂歌集6冊
 どうもこの話には無理がある。離婚する妻に「箕」だけ与えて出てゆかせるなんて、昔だってないだろう。わわしい女なら大騒ぎだろうに、従順に出ていく。たぶん作者は発句だけを思いついて、無理やり狂言に仕立てたのだろうが、それも連歌狂いらしくて、よろしい。

 わたしはこのところ「狂歌」に嵌っている。世の気に入らぬことどもの悪口を、あれこれ詠う。「箕被」をみて連歌でこれをやりたいと思いついた。しかし相手がいない。狂歌さえも一人読んでSNSに書き込むだけだが、つい先日「八十路今日歌抄」なる自作狂歌集を作り、数人に押し付けた。そんなことで狂言をきっかけに連歌に興味が湧いた。

●山本東次郎家の芸風

 ここでちょっと狂言について、はじめて考えてみる。実は、これまで狂言そのものを観ようとして能楽堂に行った記憶がない。いやひとつだけある。いつだったか忘れたが、国立能楽堂での「唐人相撲」である。30人以上の役者が登場してめったに見られぬ希曲である。和泉流野村万蔵家の総出演で、才人野村耕介演出で面白かった記憶がある。

 それにしても思うのだが、この和泉流と大蔵流との芸風の違いである。というよりも狂言は家ごとに芸風が違うらしい。同じ大蔵流でも、東京の山本家と京都の茂山千五郎家とは、全くと言ってよいほどに異なる芸風だ。

四世東次郎とわたしは同年同日生れ

 大蔵流山本東次郎家の狂言の芸は剛直さにあるようだ。この堅物風で人を笑わせるからこそ、東二郎家の狂言は面白いのだ。能楽の見はじめの頃は、この剛直さが理解できなくて、和泉流野村万蔵家や大蔵流茂山千五郎家の柔らかな芸を好きだった。

 だが何度も見るうちに(といっても能を見るついでだが)、東次郎の剛直さというか、生真面目にも見えて笑いになる芸風を好きになった。舞台では笑わせようとはしていないのに、見所(客席)では笑わせられてしまう、その落差が社会批評的でさえもあるのだ。

 そうか思いついたぞ、能が和歌だとすれば狂言は狂歌であるのか、そうかそうか、もうちょっと考えてみたい宿題だな、これは。

 思えばわたしが40年ほど前に能を見始めた頃から、東次郎、則俊、則直の山本三兄弟をよくみたものだ。わたしはその中で則俊について、山本家の芸風の剛直さとその声の良さに興味を持っていたものだ。その彼を長く見ていない。ネットで調べると、なんと三兄弟のうち現存は最高齢の東次郎のみらしい。コロナなどでしばらく遠ざかるうちに、能楽界も変わった。

 今回の出演の山本家は、東次郎本人、則直の息子の泰太郎、その息子の凛太郎、則秀の息子の則重、その弟の則秀である。山本東次郎を継ぐ人は泰太郎だろうか。今回、東次郎と泰太郎の芸を見比べて、 東次郎は枯淡な枯木だが、泰太郎は生木の太木と知った。

 泰太郎には、彼が継ごうとしている山本家の剛直な芸風が、いかにも見え見えで生真面目な稽古芸に見える。川崎能楽堂は狭いから、特に大声がうるさく感じるし、よく見える顔の汗も気になった。若さと剛直さとを併せると生々しくて、芸にならないものらしい。

 これを機会に能だけではなく、狂言にも興味をもって、特に東次郎さんの芸を観に行くことにしよう。同じ生誕日仲間として枯れゆく芸を見届けよう。

                           (2026/10/25記)

(20261028付記)
 上の記事中にある能楽堂写真と、パンフレットにある「箕被」画像を、AI(Gmini)で合成したらこんな写真が、簡単至極にできた。こうやって見ると、屋根がない能舞台は書き割りそのもので、なんとも侘びしいものだ。能楽堂と名乗るのだから、これはいけませんね。

山本東次郎狂言「箕被」(AI合成による川崎能楽堂舞台演技画像)
 
  同じようなことを、横浜能楽堂でやってみたら、こんな画像になった。
 う~む、やっぱり屋根がある方が、きちんと伝統的な能舞台というプロセニアムに収まっていて、古典芸能らしくてよろしい。

ーーーこのブログの中で関連する話ーーー
●趣味の能楽等鑑賞記録

ーーー老 酔 録ーーー
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2026/10/20

1977【卆呪録②自然に還る寺も我も】八重葎しげれる古刹さびしきにわが老残の秋は来にけり

 今年は雨の夏が長かった。外に出て歩く時間があまり無いと、その分だけ老いが進む。わたしは今、歩行能力が下がりつつあるのを特に痛感する。まだ歩けるが、歩行速度が今や時速1キロ程度になってしまった。何とかリハビリして元に戻したい。

 そこで初秋になり晴れの日が続くので、遠足に出かけるのだ。もともと歩くのだけは得意だったのに、それが衰えては老衰そのものだ。とにかく出かけてマイペースで歩くのだ。さて今日はどこに行こうかと考えつつ、朝起きてすぐに、昨日夕食の残り物を弁当にした。

 さてどこにしようか、いつもの根岸森林公園や掃部山はもう飽きたしと、グーグルマップを睨んだら、比較的近くの市街地の中にぽっかり浮かぶ緑の小山があり、森の中には寺院もあるらしいことが見て取れる。この森は面白そうだと興味がわいた。

今日の遠足先  市街地の中にぽっかり浮かぶ緑の島  google map

森の中には寺院があるらしい    google map

 9時半ころバスを目的地近くに降りて、ゆるゆるとマイペースで歩き出した。このヨロヨロ足を鍛えるための遠足だから、よろよろでもまったく急ぐ必要はない。目的の丘の森を目指して住宅地の中を行くと、やがて、樹木で覆われた急な石段が現れた。石段の上には山門らしいものも見える。ここだな、さっそく登ろう。
急な参道石段の上には山門が見える

 だが、石段下でたじろいだ。急な石段には手すりが無いのだ。今の弱った足のわたしは、これでは這って登り降りするしかない。そうしてもよいのだが、ちょっと面倒だ。出鼻をくじかれたが、いまどきだからどこか別のところに車の登れる道もあるだろうと探す。

 見当つけて山裾をゆけば、住宅地の先には森の中に入り込む緩やかな道があった。森の中の斜面地には、かなり古そうな墓地があり、森が包んでいる。良い雰囲気である。

 その墓地を抜けて登ってゆけば、平場らしいところに出た。一面にはびこる低木類と草むらの中に鐘楼がある。いかにも鐘楼らしい建築だ。その向こうには本堂らしい建物も見える。かつてはなかなかに立派な伽藍の寺院らしいが、今は草木に覆われつつある。

左は鐘楼、右は本堂

 まるでドラマの中の廃墟のような景観にも見える。背後の山から迫りくる樹木群、覆いかぶさる木の枝と葉張り、剪定されず伸び放題の庭木、足元は草むらが茂り広がり草花に蝶やトンボが飛び、低木には鳴きつつ飛びかうす小鳥たち、木や草には蜘蛛が巣を張る。たぶん、ここには人間はわたしだけだから耳には自然の音のみだ。

鐘 楼

本 堂

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 ここで、後日(2026/10/22)のAI遊びを挿入する。上の本堂の写真をAI(Gemini)に見せて、かつての整備された昔の姿を作れと注文を出したら、下の画像が登場した。

AIが想像(創造か偽造かパクりか?)した昔日の姿  Gemini
 ウーム、これは何ともはや、いったいどうやって作るのか、ありそうな姿を思わせる。どこかネット上にある昔の写真をパクって合成したか。階段両脇の石灯篭がもっともらしい。正面扉が開いて仏像が金色に光っているのが、どこか嘘っぽい。造園が作りものっぽい。

 なんだかどうも気に入らないので、AIに何回か注文付けて作り直させたら、下のような戯造画像になった。かつての茅葺屋根を再現し(もう少し勾配がある方がよさそうだが)、庭も適度に野趣のある古拙な感じに注文した。ふむふむ、まあよろしいとしよう。

茅葺屋根にした本堂AI画像 Gemini

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 話を当日の現実に戻す。さらに道とも言えない草の間の踏み跡を進むと山門があり、組み物や装飾彫刻もあり本格的な建築だ。これは先ほど石段下から見上げたものらしい。山門の正面には、方形の瓦屋根を乗せた本堂が緑に囲まれて建つ。

 この平場の建築群がこの寺院の中心部らしいが、全体に草木に覆われつつあるのを見て取れる。かつては寺院の本堂前あたりのまえは、寺院広場として整えていたらしく、庭木らしい樹木類もあるのだが、全体に庭園的な手入れが長く放棄されているようで、自然植生の姿に還りつつある。地表のほとんどは草に覆われ、野草が花を咲かせている。山裾から低木軍が押し寄せてきている。

 その草むらの中にしつらえられたベンチに座り、周りを眺めまわす。そう、ここは今、かつての自然の森に還りつつある景観である。人文空間と自然空間とがせめぎあっているが、どうやら自然側がイニシアチブを握りつつある。わたしはこの景観を好きだ。

 昔は本堂前の庭であったらしい草ぼうぼうの広場には、樹木や敷石の小道がある。地面はどこも草が生え放題で、そこかしこに自生したらしい低木類が繁茂している。かつては庭園的なしつらえがあったようだが、今は庭としては荒れ果てて、自然の植生がはびこる。

 まさに自然に還りゆく景観で、それなりに興味深く、しかも実に快い風景であった。百人一首にある歌の八重葎(やえむぐら)とはまさにこのことを言うのだろう。

      八重葎茂れる宿のさびしきに人こそ知らね秋はきにけり
                        (『拾遺和歌集』 恵慶法師)

かつての寺院庭園の石灯籠が還りくる植生群落の中に立ち尽くす

足元は種々の草花

地から森から草木が迫る

座ったベンチの周りも野趣のある草花が咲き乱れる

方形屋根の本堂裏には池があり草が生い茂る庭園跡か  google map

 深い草叢になり柵があって見に行けなかったが、本堂の裏には大きな池もある立派な庭園があるらしいことが、グーグルアースでわかる。今、森がそれらを覆いつくそうとしていることもよくわかる。ここはかつて人間が深い森を切り開いて広場や庭園や建築群の人文の宗教的秩序空間が、自然の植生遷移の空間秩序へと還っていく過程を見事に見せている。

右は山門 この荒れ寺景観が実に心地よかった

 わたしの他に誰もいない。まだ10時台だが、本堂前のベンチに腰かけて持参の弁当をゆっくりと食べつつ、あたりを見回せば、野草の花もありそれなりに美しいが、庭園とは言えない。

 なお、後でネットで調べたら、かつて江戸時代は、この地域ではかなり栄えた寺院であったらしい。今は山門、本堂、鐘楼、庫裏しか建っていないが、かつては灌頂堂、客殿、山門、長屋門、鐘楼、経蔵、弁天堂、宝篋印塔などのある大伽藍であったようだ。

 その灌頂堂がいまの本堂であり、17世紀末の方形屋根の乗る古建築で、二軒には組み物はなく、四周の壁の各柱の上には素朴な舟肘木が乗って梁を支える。もとは茅葺屋根だったそうだから、素朴にしてさぞ美しい姿だったろうと思わせる。

 こうして人文と自然のせめぎあい、いやむしろ融合への道程というべきか、その景観をゆっくりと眺め回すのは、ゆったりとした心を養ってくれたようだ、そうだ、思えば、これはわたし自身の姿のようにも思うのだ。

 そう、わたしは今、人間から自然へと還りゆく道程の最後あたりの場面にいるのだ。わたしという老いさらばえた一人の人間は、この自然が迫る景観の中に溶け込んでいるのだ。自分が卒呪であることを忘れていた。そこで百人一首からの本歌取り一首。

八重葎しげれる古刹さびしきにわが老残の秋は来にけり

 ここの森の寺院に身を置いて分かったのは、しょっちゅう行く根岸森林公園の緑との大きな違いである。あの公園の広大な緑空間は、見たところは自然な風景と見えるが、実は十分すぎる手入れがされ管理されていて、徹底的な人文景観だ。

 それに対してこの寺院の景観は、もともとは人文景観だが、今や森の中に埋もれつつあり、これこそが本物の自然環境と思わせる。ここには自然のある種の迫力がある。もちろん本物の自然景観には至っていないのだが、その道程を見ることで自然環境を強く認識する。

 明治神宮内苑の森もまた本物の自然だが、それもまた別の意味で徹底的に管理された自然である。檻の中の自然である。これらの自然と人文景観については、さらに考察してここに書きたい。

(2026/10/20記)

ーーこのブログ内の関連記事ーー
2026/06/04・1953【老酔録㊲自然の森】明治神宮内苑の森は…… https://datey.blogspot.com/2026/06/1953.html

2026/06/03・1952【老酔録㊱新緑の森】根岸森林公園の新緑樹林…… https://datey.blogspot.com/2026/06/1952.html

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2026/10/15

1976【卆呪録①落胆居直り】卆寿とて寿ぐべきや今の世は卆呪なるべし怖わや百呪

 これまでの「老酔碌」50編で一段落し、今日から次の段階として「卒呪録」と題し、わが九十路行脚赤裸々?!記録第2段階50編に入るぞ。

 この6年ほど、コロナパンデミック後の世界はどうなるのだろうかと、その好奇心いっぱいで生きてきた。だって、あれほども地球上の人々が同じように苦難に出会い、それなりに協力し合って、それから抜け出したあとの、地球上の人間は、ずいぶん変わるに違いない。

 そう、すくなくとも人間同士が助け合って生きようと、新たな平和世界が来るに違いない、そう思い信じていたのだ。わたしの年齢はコロナ開始の頃は80歳代の初めころだったから、コロナ後の世界を見ることができそうだ。せっかくだからぜひ見てから死にたいと思っていた。

 実は私には2021年に三重苦ともいうべき状況がやって来た。コロナ禍が来るとともに老いが来て、これらに加えてさらに老妻への老々看護がやってきたのだ。この三重苦の中での唯一の生き甲斐は、コロナパンデミック後の新世界を見ることだった。

 きっと地球は新平和期を迎えるに違いないと思い込んでいた。そして2024年にはコロナ禍からは明け、わたしの老々看護の日々も解消した。老いだけがやむなく残る世にようやく至った。そう、待ち望んでいた日々が来たのだ。

 ここでコロナから今年までの世界略年表を見よう(GeminiAI出力一部修正)

 わたしはその新世界をギリギリ見てから世を去る年齢だろう。それを見て喜ぶ自分を感じてから死にたいものだと、そう思いつつ生きてきた。そして今、コロナパンデミックは終わった。わたしは89歳つまり数え年でいうところの卒寿になってしまった。

 そして今、周りを見れば、これがわたしが見たいと生きがいにしてあこがれてきた、その世界なのだろうか?、え、そんなはずはないだろう。トラネタプーシーがはびこるこれがそうか? これほども人間同士が争う世界が、コロナ後の新世界なのか、え、そんなはずはないだろう。

 これこそが待ち望んでいた新世界なのか、いや、これはまだコロナパンデミック世界の延長にちがいない。この次にこそ、望んでいた新世界が来るのだろう。しかし、それまで私は待つことができそうにない感じもある。何しろ卒寿になってしまったのだからなあ。

 そうか、だとすればこれは、卒寿ならぬ卒呪というべきだろう。呪われる戦争パンデミックは百壽に至っても終わらないのかもしれない。百呪であるらしい、ああ、いやだいやだ、それならもうこの辺で、この世におさらばしてもいいや、という気にもなる。

 ここでわたしは大いにがっくり来ているのだが、それでどうなるものでもない。ここまで生きてしまったからには、しょうがない、どうせなら、この混迷暗黒地球を冷徹に眺めつつ「老いの急坂」をゼイゼイと息吐きつつ突き進むしかないと、自分に言い聞かせたのだ。

 そして今は卆寿ならぬ「卆呪」ということにした。呑気に寿ぐよりも、呆けることで呪を乗り越えるしかない。呆けてしまえば、寿ぐことも呪うことも乗り越えることができる。正気であることが最も怖いことだ。百呪を怖い。

 わたしの世代は、生まれて物心ついたら、親世代が始めた戦争災禍に巻き込まれた。そして死ぬ今ごろになると、こんどは次世代が巻き起こしつつある戦争災禍に巻き込まれるとは、全くもってついてない世代である。

 どうせもう長くは生きていないのだし、老いの身で何もできないから、ここは何が起きようとも座して眺めておけばよい。内外共にこんなリーダーを選ぶ人々の地球に明確に落胆してしまった。何が起きても知ったことではない。次とその次の世代に一切をお任せして、後は野となれ山となれ。そう、落胆九十路の居直りである。

卒寿とて寿ぐべきや今の世は卒呪なるべし怖わや百呪

 (2026/11・14記)

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2026/09/15

1975【老酔録㊿介護認定】これやこの呆けも呆けぬも分かれては病むも病まぬも老い坂の関

●介護認定面接テスト

 介護保険による介護認定を獲得するための面接テストを受けた。何しろ卒呪だから、それ相応の身体的不具合が進行している。赤瀬川原平流に言えば老人力の増強である。そこでいつ呆けて転んでも、介護保険をすぐ使えるように準備することにしたのだ。そしてまた、これまで支払い続けている巨額の介護保険料を、取り戻すのだ。

 最も認識が顕著な老人力増強現象は、歩行速度低下である。普通なら時速4kmだが、わたしは今やせいぜい1km/hである。突然にそうなったのではなく、この半年くらいの間にじわじわと毎日その退行を自覚する。抵抗して毎日長時間徘徊に出ているのに、無駄だった。

 昔から歩くのを大好きで、毎日徘徊するから、その速度退行がよくわかる。早く歩こうと思っても、どういうわけか足の奴は前に出てくれない。さらに困惑するのは、踏む地面や床にスポンジ板が敷いてあるらしく、足元に何となく不安定感があるのだ。

 このまま歩き続けると、今に転倒するだろう。亡妻が自宅介護に陥るきっかけは、公道上での転倒・救急搬送だった。以後転倒を繰り返して半身不随となり、息子とわたしによる3年余の自宅介護看護の末に逝った。原因は脳内血腫にあると分ったのは死の半年前だった。

 それを思い出すと、いま自分もその後継時が目前にあるようだ。今のうちに介護認定をとって備えておこうと思う。認定申請手続きを息子がやってくれて、今日、市の区役所から担当者が、介護認定面接テストに自宅にやってきた。、たくさんの質疑応答した。

●面接テスト問答

 質問はどこの誰にでも同じだそうだ。気になった質疑応答を書く。
「5分前のことを忘れていることがよくありますか」
「う~む、そんなことがあるのかどうか、わかりませんね。独り暮らしだから、他人に指摘されることもないからね」

 「ではこんな質問をします。ここにお見せする三つのもの、腕時計、ボールペン、手指のイラストを覚えておいていただき、5分後にそれらが何であったか伺いますので、よろしく」
 「はい、覚えました」 しばらく質疑応答いくつかの後、
 「5分経ちました、先ほどの三つのうち、腕時計とボールペンの他は、何でしたか」
 「えっ、3つとも聞いてよ、せっかく覚えてるのに、、、手指のイラストでした」

 「台所で鍋焦がしをしたことがありますか」
 「ありますが、そんな時はガスが自動切断するレンジだから、問題ありません」
 わたしの答えは、正しい答えになっていないのだった。訊かれているのは設備のことではなく、わが脳の忘却能力のことだった。問題あるのである。

 身体能力についての動作のテストは、そこらあたりを歩くこと、片足で立つこと(立てない)、両手を左右に広げたり上にあげること、椅子に座って脚を前に水平に伸ばすこと、等。こんなときはついつい正常に見せるように頑張るのが人間の癖だ。

 でも、ここでは介護認定を取得するためだから、いかに能力が退行しているか、それを見せねばならない。それはなかなか難しい。仮病を装うには芝居を下手である。このテストが実は最も難しかったと言える。

 たとえ転倒しても介護保険をすぐ使いたい。だからこのテストを受けているのに、元気に見せて軽い認定では意味がない。かといって下手な芝居で担当者を騙すこともできそうにない。矛盾した心と行動に戸惑う。しかし、相手は専門家だから、多くの老人テスト例から適切に察して判断してくれるのだろうと、思うことにした。

●知るも知らぬも老い坂の関

 こんな会話もした。相手の面接テスト係は、中年女性である。
 「お歳にしてはかなりお元気ですね」
 「あのね、その言葉をよく聞く歳になりましたが、高齢者をほめる儀礼的文句ですよね。そう言われる歳になってみて初めて分ったのですが、それを聞くと腹が立ちますね」
 「あ、ごめんなさい、でもどうしてですかあ」
 「褒誉め言葉のように思うでしょうが、言われるこちらは反対に、”この人はその言葉の前提としてこう思っているに違いない、あなたはもうよれよれ爺ですよ、それなのに格好つけて……、と実はけなしているんだ”、と思うのです、まあ、年寄りの僻目ですがね」

 さて、吉と出るか凶と出るか、いや、そうじゃなくて、要支援とか要介護とかのランキングに入るものかどうか。今日のテスト結果を、認定委員会にかけて、一月後くらいに結果が出るのだそうだ。待ちきれずにその前に、どこかの劇場ホールの手すりのない客席階段状通路で転げ落ちる予感、、衆人環視で杖もろともに・・・。

どこも手摺なしで足弱には超怖い劇場客席の階段状通路

 このテスト問答は人生の最後に通らねばならぬ関所の通過儀式の感があった。この逢坂ならぬ老い坂の関で誰もかれもが検問チェックを受けて、その旅の終わりへと足を踏み出して行くのだ。もちろん、関所破りピンピンコロリもいる。ふと思った、これはかつて二十歳で受けた徴兵検査の現代老人版だな。

 そこで本歌取り狂歌を一首(蝉丸さんごめんなさい)。

これやこの呆けも呆けぬも分かれては病むも病まぬも老い坂の関

(2026/09/15記)

(2026/09/25追記)
 かかりつけ医に月例の診察に行ったら、介護認定テストを受けさせられた。30問だったが記憶問題が2つあった。「これからいう三つの言葉を覚えてください、このあとほかの質問回答の5分後に又聞きますから答えてください」。やがて五分後のわが答え「さくらねこでんしゃ、でしょ」

 もうひとつ記憶問題は、目の前に鉛筆、ハサミなど5つの小さなものを並べて見せられ、すぐに布をかぶせて、何々があったか全部を答えよという。これに4つしか答えられなかったのだ。悔しいから「一つくらい忘れないと89歳の年齢に反しますからね」

 これはボケ度認定らしく簡単な30質問のうちの29問に正常回答できた。「認知症がないから要介護ではなく要支援2になるだろう」と医師が言った。歩行速度低下だけ認定OKの対象らしい。

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2026/09/07

1973【老酔録㊾大往生】大学山岳部同期仲間の白川秀樹君(ノーベル化学賞)がピンピンコロリ

 2000年ノーベル化学賞を受けた白川英樹君が、8月24日に永眠した。合掌
 彼とわたしとは大学山岳部の同期仲間であり、1950年代末の学生時代は一緒にあちこちの山に登った。しかし専攻が全く違うので、彼の栄誉の専門的なことは何も知らない。

東京工業大学山岳部白馬岳合宿 1958年5月1日撮影
前列左から5人目が白川英樹君、後列右から3番目が伊達

●白川君の緊急入院の朝のこと

 実はこの8月17日朝に、白川君とカリフォルニア在住の友人とわたしの三人でZOOMをやっていた。そこに夫人と一緒に顔を見せていた白川君は、「今から入院するので、さようなら」と言って、すたすたと歩いて画面から立ち去って行った。

白川英樹君入院の朝のZOOM画面(下段) 2026年8月17日

 白川君はこの日のZOOM予定を約束後に、健康診断で重篤な病が見つかり、この日の朝の急遽入院に決まったが、ZOOMには参加してくれたのだった。その律義さに頭が下がった。
 「行っていらっしゃい、退院を待っているよ、戻ってきたらすぐ続きのZOOMやろうよ」と送り出した。

 その後に院内または退院のメールが来るかと待っていたが、来ないままに気をもんでいた。8月31日になって白川君の子息からメールが来て、24日に永眠との訃報であった。ズーム画面から歩いて出て行って、わずか一週間後だったか。合掌

 そのズーム前の日程決めのためのいくつかのメールやり取りから察すると、白川君も自分が入院するほどの重篤であると気が付かないままであったらしい。なにしろ8月10日前後には、かれが力を入れていた科学教育のイベントに、遠くに出かけていたとあったからだ。
 そう、彼の死こそがわれらが理想とするピンピンコロリだ。

●大学山岳部同期「Q人会」のこと

 わたしは白川君とは、1961年大学卒業後はまったく違う道だったので会うこともなかったが、2000年のノーベル賞受賞を新聞トップで知った。新聞の顔写真を見て、あれ、この人知ってるよ、同期の白川君だよ、と家族に叫んだものだ。急いで記事を読んだ。

 それからの彼は超忙しい状況にまきこまれたようで、わたしたち山岳部同期仲間による祝賀会は控えていた。そのほとぼりが冷めた7年のちになり、1961年卒業の山岳部同期仲間の当時の生き残り9人で集まり、ようやく白川君祝賀会を開いたのだった。日比谷の松本楼だった。それを機に「Q人会」なる山岳部同期会をつくり、ときに集まり飲み会をやってきた。

Q人会メンバー勢ぞろい 左から4人目が白川君 2019年5月

 その仲間のひとりが、USA市民権を持っていてカリフォルニアに住んでいる。年一回の日本訪問旅行の機会を、Q人会全員の集まる日としていた。そして、わたしは「本作り趣味」を生かして、「Q人会誌」なる年刊の冊子を作って、仲間に配布してきた。(参照:Q人会誌目次)

 しかし、コロナパンデミックで集まることが難しくなり、PC画面でZOOMによる隔月に画面集会を開くことにした。このシステムは、カリフォルニアからも気軽に顔を出すし、高齢で移動困難になっても集まることができる。コロナのおかげだ。時々は全員ではなく、必要なものだけでZOOMを使うこともある。上記の白川入院の日がそれだ。

 最初9人であったから9人会ならぬ「Q人会」と名付けたが、これで2人が消えた。7人会だが誰も改名しようとは言わない。ただし、もう卒寿前後ともなると、PCの扱いが不調になるものあってZOOMは事実上は6人会、そのうちに5~4人会になるのは仕方ない。

 わたしも山岳部だった由縁か、脚は丈夫で歩くだけが得意だったが、近頃は衰えて時速1キロ程度に落ち込んでしまった。もう何があって驚かない卆呪という歳だが、白川君のピンピンコロリ大往生には、驚くよりも大いにうらやましく、わが憧れの逝き方である。

●白川君の人となりを知るには

 白川君は生真面目ないかにも研究者らしい風貌と物言いであった。大学山岳部で一緒に日本アルプスの山々に春夏秋の合宿に一緒に行った。真面目に黙々と歩き登り、写真をたくさん撮ってくれた。

 白川君の人となりについて、最近の彼についての新聞記事にあれこれと載っているようだ。白川君自身が語る彼自身に関することを書いた文章が、わたしが編集した東工大山岳部同期会「Q人会誌」に彼のいくつかの寄稿がある。

 学生時代にはまだ少なかったカメラを持っていた彼が、山岳部合宿で撮った仲間とのたくさんの写真は「Q人会誌2018」に寄稿している。1960年3月には剱岳に春山合宿に行った。積雪が深く長い早月尾根を、キャンプを順々に進めて行くポーラーメソッド登山を行い、最後にアタック隊が登頂に成功した。その合宿中の素晴らしい一枚をここに掲載する。

「劔岳三ノ窓の月」 1960年3月 白川秀樹撮影

 また「Q人会誌2018」に寄稿した単独行冒険譚「北海道無銭旅行ー知床半島一人旅」が面白い。「Q人会誌2019」掲載の「アメリカ留学雑記」は、この留学がノーベル賞への大きな役割だったようで、共同受賞者も登場する。

 そして白川君のノーベル賞までの生き方や未来への思いを書いた「思索のノート」(「Q人会誌2018」掲載)は、実に興味深い。それを白川英樹 著『思索のノート 』をエッセイ集の私家版の本として制作した。 

 (2026/09/07記)

ーーこのブログ内の関連記述ーー

【Q人会誌総目次】(2017~2023)

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2026/07/16

1962【老酔録㊷女噺家初見参】能楽にも落語にもプロ女性が登場する時代となって喜ばしいが

 寄席に行き、女性噺家の落語を初めて聴いた。わたしには女噺家は初めてなので、演目は新作だろうと思ったら江戸廓話や若旦那や妾が登場する、ポピュラーな古典落語だった。だがしかし、女が語る男言葉も女言葉もどこか違和感があった。男の巧い噺家の女言葉は芸として聞こえる。だが、女噺家の男言葉は物真似に、女言葉は素に聞こえるのだった。耳慣れないからか、芸が下手なのか、よく分らない。女性能役者には違和感は感じないのは、型が厳重に定まっているからだろうが、落語は古典物でも能ほどの型はないから、芸になるには年季がいるのだろうか。

●女噺家の落語を初めて聴いた

 女性の噺家の落語を初めて聴きに行った。年とると芸能台詞もよく分らなくなり、言葉に文句を言いたくなるものであり、わが老酔録に載せておきたい小事件だった。

 その噺家の名は春風亭一花、近いうちに真打になるそうだ。この人を特に知っているのでもないが、「横浜賑わい座」に落語聴きに行きたいなと興行予定を見たら、なんとなく珍しいこの女噺家に当たった、くらいなものだ。

 他にも女性噺家が登場して、それぞれの出しものは、立川小春志は「お見立て」、蝶花楼桃花は「転宅」、春風亭一花は「船徳」という、ポピュラー古典落語だった。新作ものはなかった。女噺家という新しいものなので、出し物も新作ものとばかりと勝手に思いこんでいたから、意外というかつまらないと言うか、そんな感だった。

 三人の女噺家の落語を聴いた結論の評価は、上手な順に一花、桃花、小春志の順だ。三人共に噺(ストーリーと所作)を身につけていることはわかるが、肝心の話術での間がほとんどとれないのだった。一生懸命にしゃべるがうるさい感じ、とくに小春志がそうだった。

 お見立てなんて廓話はいつまで残っていくのだろうか。実際はわたしも見たことも聞いたこともない江戸時代の廓は、落語と歌舞伎の中にしかない。しかも今どきの倫理から言えば、かなりアブナイ言い回しばかりだ。女性が演ずると違和感が大きい。転宅のようなお妾話もそうだ。

 女噺家の登場はいつからか知らないが、それはそれでよいことと思う。しかし今回の三人の話を聞いて、落語というのは男が語る話であると、既成概念もあり、つくづく思った。男が話す女言葉や仕草は、ひとつの芸として観て聞くことができるが、今回初めて聴いた三人女が語る男は、いずれもそうならない。それは芸というよりも、物まねにきこえるのだ。それは今回の三人が芸下手なのか、初見のわたしの偏見なのか、もともとの落語の構造でそうなのか、そこのところは分からない。

 これは新作落語を語ることで解決するような気がする。古い落語を換骨奪胎して、女性が語っても聞くことができるような新作を作ってはいかがか。いや、もう、こんなこと誰か女噺家がやっていそうな気もする。この次はそんな芸人を探して聞こうか。

●落語の記憶など

 わたしは特に落語のファンではないが、東京にも住んだ90年代から、たまには上野、池袋、浅草の寄席に行ったものだ。横浜の家の近くに賑わい座ができてから、年に二、三回くらいの程度である。この前は4月に立川志らくだったが、あまり面白くなかった。その前はいつだったか、上方落語の桂春団治で、にぎやかな出し物を楽しんだ。

 もう十数年も前だろうか、今は落語界のリーダーの一人にとなっているらしい春風亭昇太が、二つ目(?)の頃、賑わい座の舞台で見た。あれこれと枕があまりに長くて、なんであったか忘れたが本題の演目をさらりと流し終えた。わたしはちょっとあっけにとられた。枕話がうまかった印象だけで昇太という名を記憶していたら、今や落語芸術協会会長になるほどの有名噺家だそうだ。 

 わたしは未だ生家にいた少年の頃、ラジオで聞いていた落語での噺家をアトランダムに思い出そう。春風亭柳橋(時蕎麦!)、三遊亭歌笑、柳亭痴楽、古今亭志ん生、三遊亭圓生というところか。

 もう20年くらい前だったか、東京の地下鉄のどこかの駅の昇りエスカレータに乗っていて、隣で逆に降りてくる和服の男を何気なく見ると、これが桂伸治だった。手すりに両手で掴まって前後に揺すっている、何してんだろ、地下鉄で寄席に通うのかと、すれ違った、それだけのこと。念のためにネットで写真を見たら、今は別人で、その前の三代目だった。

●老いと客席の位置の問題 

 今回の女噺家の会は、横浜の野毛にある「賑わい座」だったが、チケット売り切れだった。人気ある人らしい。わたしの席は2階席の後ろからに番目列にあり、舞台を遠くに見下ろす位置、落語を聴くにはあまり良い席ではなかったが、実はここを選んだのだった。

 一月前に購入した。もっとほかにも空席はあったのだが、老いのヨレヨレの身となったわたしが、安全に座る空席はここしかなかった。卒呪で老衰してきたわたしは足が弱り、階段の昇り降りがなり不得手になってしまった。購入時に出入り口から段差がなくてアクセスできる席をさがしたが、ネットでは無理だった。

 ネットで買おうとしてネット掲載の座席表を見ても、そのような席がどこにあるのか分からない。仕方ないから賑わい座のチケット売り場に直接に出かけて、直接に聞いて買ったのだ。それが二階の後ろの方の席だったのだ。

演芸場二階席から見下ろす眺め

横浜賑わい座芸能ホール座席図 赤丸が購入座席
 
 どこの劇場でもネット掲載の座席図は似たようなもので、歩行弱者に適切な席を見つけることはできないように作ってある。困ったものだ。以前に神奈川芸術劇場で困ったことを、このブログに書いている(【老酔録⑲】。

(2026/07/16記)

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2026/06/18

1956【老酔録㊵遂に呆け】行政の書類読んでも口頭で説明聞けど分らぬ呆けた

 老いのボケがついに来たらしい。役所で相手の言うことを理解できなかった。う~む、いよいよか~・・・。わが老酔身体の不思議の始まりらしいのでここに書いておく。

 住んでいる市の区役所保険年金課保険係から、「後期高齢者医療仮徴収額変更通知書」なる書類が来た。その3枚の書類の中に説明書が一枚あり、読んだが意味がさっぱり分からない。
 まあ、分からなくても不都合なことはなさそうだが、分からぬこと自体が気持ちが悪い。他の用事もあるので区役所の担当課に立ち寄り、その書類の意味を訊くことにした。

 カウンターの向こうの若い女性は懇切丁寧に説明をしてくれた。ところが、理解できない、何度も聞き返す。嫌がらずに説明してくれる。でも、さっぱりわからない。簡単なことらしいが、何度聞いても面白いほどに分からない。それはもう不思議なほどだ。

 ここにその会話を再現して書きたいのだが、理解できないことを書こうと努力しても、再現不可能と分った。なかなかに不思議な気分だ。これはもともとわが頭が悪いと言うよりも、老人性ボケ(いわゆる認知症)が来たのだろう、としか思えない。

 カウンターの向こうの真面目な若い女性に謝った。「ごめんなさい、何回も説明させてお詫びします。おっしゃることの意味をどうしても理解できませんが、これはわたしが呆けたとしか考えられない、ごめんね、丁寧なご説明に感謝して、これで帰ります。ありがとう」

 このあと、別の部署での用事は意外に簡単に済んだので、不思議な気分をひきづりながら帰宅した。今も引きづっている。わたしは本当にボケたのかしら?
 これから持ち家の不動産登記の住所変更登記を、ヒマツブシに自分でやろうとしているのだが、果たしてできるかしら、怖いような楽しみだ。
 そうだ、これからは、わたしに不都合なことが起きたら、「呆けたから」と逃げよう。

(2026/0618記)

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2026/06/16

1955【老酔録㊴カスハラ応酬】電気屋に逆カスハラされ怒り狂い年甲斐もなくお返しカスハラ

  電話で相手を怒鳴りつけてしまった。相手は東京電力カスタマーセンターの男である。多分、電話口のその男は、カスタマーハラスメントだ、カスハラだ、と言っているか、思っていることでであろう。だが、こちらこそカスハラされたのだ。(参照:粕腹面倒】)

 電話口に出てきた東電の男が、カスタマーであるわたしをハラスメントしたのだ。これをカスハラと言わなくて何であろうか。顧客(カスタマー)に、いじめられることをカスハラというらしいが、顧客(カスタマー)をいじめるのは、カスハラとは言わないのか、逆カスハラとでもいうのかだろうか。とにかく電気屋とカスハラごっこをやってしまった。

 昨年の夏にわが住み家移ってから、東京電力から電気は来ているし、毎月使用料を遅滞なく支払っている。移転前と違うのは、使用料の通知の紙がやってこないことだ。よくは知らないが、人間が玄関まで来て使用量の検針が不要となるネットシステムができたのだろう。

 使用料を毎月支払っていることは、引き落とし銀行の通帳記載によって分かる。だが、移転前の家では毎月に使用量と料金の通知の紙が来ていた。それが移転後は来ないのだ。その代わりかどうか知らないが、LINEに何かわからぬ通知が毎月のようにやって来ている。それに電力使用料金等の請求が載っているらしいのだが、見るとなんだかいっぱい絵が出てきて、操作方法をわからないから見ることができない。そもそもLINEで送れなんて指示した覚えがない。

 そうなってからそろそろ1年になろうとしているので、このままではいけないだろう。いつもの近所散歩コースに、東京電力会社の大きなビルがある。数日前にそこに入って、玄関にある受付の女性に、これこれこういうことなので、使用量通知を以前のようにしたいから、担当部署を教えてくれと頼んだ。

 その受付嬢はこんな苦情に慣れた様子で、一枚の紙をくれた。その紙の表題は「カスタマーセンター」とあり、4つの電話番号が書いてあり、そのうちの一つの番号を指さして、わたしの要求は、そこに電話して出てくる人に言ってくだされば解決する、という。

 わたしは言った。「どうせそのような電話はなかなかつながらず、つながったと思うと、なんだかんだと面倒なことを言って、番号を何回も押させて、ようやくつながるってやつでしょ。せっかくここに来たのだから、ここでその係の人と直接に話をさせてくださいよ」

 受付女史は言う。「ここにはそのような者はおりませんので、電話でおねがいします。その電話で根気よく待っていれば人間が出て、紙の請求書への変更にも対応します」
 わたし「はあ~、せっかく来たのになあ、貴方に文句言っても解決しないから、おっしゃるようにします、どうも有難う」

 そして、数日たった今日、待たされることを覚悟してその電話にかけてみた。覚悟したとおりに、長々と何やら説明、長々と待っていると、男の声が出てきた。
 「只今電話が混みあっております。もうしばらくお待ちください」

 何やら音楽が流れる。そのまま電話機を机において待つことしばし、また先ほどの男が出てきて、同じことを言う、同じ音楽が流れる、10回くらい繰り返したろうか、じりじりと我慢に我慢を重ねて待つこと十数分、違う声の男が聞こえる、ナマの人間らしい。

 ようやく用件を言っうと、氏名住所などあれこれ聞かれ、こちらの要求として紙の通知請求書をくれるか、メールによる通知にしてくれと訴えると、先方の男が何か調べていた気配だったが、結論としてこういった。

 「お客様はこちらでは管轄が違いますので、これから申し上げる電話番号におかけ直しくださいませ」

 えー、なんだよ、ここまで我慢に我慢を重ねて無駄な20分もかかっているぞ、それでそりゃないだろ、これはそっちが教えてくれた電話番号だぞ、何してるんだ、さすがに頭に来た。怒鳴ってしまった。電話でそんな大声を上げるなんて、これまでにあったかしら。

 先方の男は平謝りを繰り返すばかり、今後はこのようなことが無いようにしますと言うが、具体的にどうするか聞けば、情報共有しますとマニュアル語らしきことを言うばかり。とにかく客があきらめるのを待つ様子だ。

 もう気分が悪くなるからこれ以上のやりとりをここに書かない。で、今、その教えてくれた新電話番号にかけるかどうか、決断が付かないまま思案中だ。また、同じ我慢に我慢を重ねて、顧客であるわたしへの東電からのカスハラ、そしてまたわたしが怒鳴って東電担当者へのカスハラ、なんてカスハラごっこにならぬ保証はない。どちらも不幸だ。

 年寄りにはヒマツブシにはなるが、先方に気の毒だ。わたしにも気分が悪い。ふう~、いくら老酔録と銘打っても、老酔に老酔を重ねたくない。

 使用料通知や料金請求書なんてものがなくても、電力料金をキチンと支払っていればそれで済むことだ、それでも老いの人生はまわる、な~んて悟りの境地に至るなんて、なんかそろそろ来たかなあって、アブナイ感もある、いや、安堵感という方が正しいかな、ヤ~レヤレ、待ってたよ~・・・。

(2026/06/15記)

ーーこのブログの関連記事ーー
2025/04/14・1879【粕腹面倒】
 https://datey.blogspot.com/2025/04/1879.html

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2026/06/12

1954【老酔録㊳数え年90歳】ついに来た卆呪わが身をネタにして医療と老いと死を衝き書かむ

●なんとまあ卆壽になったよ! 

 わたしはこの5月初めに89回目の生誕記念日を迎えた。つまり数え年で90歳、すなわち卒寿(卆壽/卆呪)になった。超超高齢者か、これはなんともはや凄い、不可思議、奇々怪々、わたしは妖怪か、仙人か。長生き策を何もやっていないのに、なぜか? 

 白い顎鬚こそないが、本当に仙人になった気もする。もしかして雲に乗って空を飛ぶことができるかもしれない。地上30mのわが空中陋屋バルコニーから水平に飛び出せるかもしれない。が、試す勇気は、まだ、ない。

 もちろん、だいぶ前から、この日が来るらしい様子には気が付いていたから、今さらどうこう言うのでもないが、それでも人生初めてのこと(毎日そうなのだが)だから、不案内な場所に踏み込んで居心地が悪い。90年目と89年目と80年目とどこが違うのか?

●痛くも痒くもないのに偶然から医者通いの身に

 身体内部はどこといって悪いところはないと思うのだが、かかりつけ医(去年からこれが存在する)が言うには、血圧が高い、心臓脈がヘンだ、甲状腺がオカシイ(ほかにもなにかいわれたような気がするが忘れた)とて、朝夕合わせて薬を4粒呑めと処方する。当方はどこも痛くも痒くもない、何が変なのかしら、へんだなア。

 確かにわかるのは身体運動は次第に緩慢になりつつある。歩行速度の低下だけが自覚する唯一の身体不具合だ。その他は何もない(らしい)から、医師の言を理解できない。朝夕の薬をしょっちゅう忘れる。。医師は毎月来いと言う。ヤクが切れると行くが、2カ月に1回ぐらいになる。

 そもそも医者通いの身になったきっかけは、一昨年の暮れごろ、ヒマだなあ、そうだ、健康診断に行ってみようかな、もう10年以上もやっていないなあ、年一回は市の負担で診てくれるらしい、タダならヒマツブシに健康診断に近所の総合病院へ。

 あれこれ検査やって、最後に医師の問診、「血圧が200と異常に高いが、具合はいかが?」「何ともありませんが、なにか?」「ではすぐに専門医に診てもらいなさい」「え、は、はい」てなことで、わたしにもかかりつけ内科医ができた。思いつき偶然の動機だった。

 それまで怪我や白内障や皮膚病、白内障などでそれぞれ専門医にかかったことはあるが、内臓関係の医師にかかった記憶がない。めったに医師に出会うことが無かった。高血圧の妻につきそってクリニックに行ってはいたが、自分は無関係と思っていた。

 そんなきっかけだし、今も何も自覚症状がないから、真剣に医者の話を聞かない(らしい)。医師から見るとわたしは不良患者だろう。あるとき頻尿がおきたので、聞けば呑む薬のひとつが原因だという。それを呑むことで95歳頃に人工透析する身になることを防ぐのだそうだ。

 薬が毎夜に苦痛を誘発しては医療の意味がない。「夜間頻尿で寝不足になり不機嫌な日々が続いて95歳までも生きるよりも、今を機嫌よく生きたい。90歳超えたら死ぬから、その薬をやめたい」というと、医師は渋っていたが処方から除外してくれた。あ、その歳がきた。

●人間の医療と老いと死について考えはじめる 

 めったに用が無かった医師に毎月診てもらう身になって、そして超超高齢になってみて、ここらへんで、人間の医療と老いと死について真面目に考えてみようかという気になってきた。めったに医師にかからなかった頃は考えようもなかった。

 実は3年前の夏に、2年間も無我夢中でやっていた妻の老々看病介護を突然終えた。その間に多くの医療関係者が出入りした。そして今、偶然にかかりつけ医を持ったこと、そして90歳の身になったこと、これらが医療と老いと死を考える最適の条件にあるらしいのだ。

 そのために他に資料を求める必要が無い。なにしろ超身近かのわが身と心を対象に考えればよいのだから、便利だ。老いや医療や死をテーマの出版物は世に数多いが、そんなものを読む気はさらさらない。わが身を読み取ればよろしい。

 もう20年も前だったか、大学同期の友人が癌で死んだ。彼はその病の初めから死までを、同時進行でネットに書いて教えてくれた。息を詰めるようにして毎日読んだ記憶がある。わたしも自己の死に到る同時進行ドキュメンタリーを自分の手でここに書いてみたい。

ついに来た卆呪わが身をネタにして医療と老いと死を衝き書かむ

(2026/06/12記)

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2026/06/03

1952【老酔録㊱新緑の森】四季を通じて歩く森林公園の新緑樹林を徘徊しつつ日本の自然を考える

 緑が燃えるように輝く、美しい季節が来た。この四半世紀を四季を通じて毎週のように歩きに来る「根岸森林公園」は、最も美しい時だ。日の当たる芝生から、木陰が涼しい林内へと、徘徊コースを変えた。


 自然の緑はますます盛んになるが、生身のわが身体は次第に退化してくる。この20年ほどの間に、いつも歩くコースにかかる時間が、昔と比べて2倍くらにもふえた。脚を左右に出す調子も歩幅もあまり変わらない(と自分では思っている)のだが、速度が次第に低下するのは、老衰のせいだろう。 

左に縦に伸びる緑地はアメリカ軍の住宅地で今年中に日本に返還される

 今年の初夏の緑をここに記録しておこう。来年は記録できるかどうかわからないから。

 この森林公園(19.3ヘクタール)は、森林公園とうたっているが中央に大きな芝生広場を設けていて、メインは森林ではなく芝生公園だ。利用者の多くは芝生地にテントを張ったりしている。こうなる前がゴルフ場だったからだろうし、都市住民が好むのは広い芝生である。

 いまは新緑で美しい。アスファルト舗装の周回道路ではなく、林の中の道のないところを落葉を踏みつつ歩いて行こう。

 樹林のなかは見た目は気持ち良いが、落葉がフカフカと積る中に、木の根が複雑に浮き出てきて、足元に注して転ばぬように歩く。脚が不自由になろうとする時期の老人には、これは一種のリハビリテーションになりそうだ、と思うことにする。

  落葉樹林は新緑にすっぽりと包まれている。気持ちよろしい。

  タブノキ常緑樹林は、いま新緑に交代する時期だ。新芽が萌えるように輝いている。


 シラカシ、タブ、スダジイ、マテバシイなどの常緑樹林に入ると、暗くなる。
 
 暗い森の向こうに明るい開放的な草地が見える風景は、森に住んでいたころの人類が森の外にあこがれて出ていく頃の遠い記憶が脳内にあり、一種のあこがれ風景であるらしい。

 常緑樹林の中にぽっかりと広がる草地には、黄色い野の花が咲き誇る。切り株に腰かけてぼんやりと過ごす。

 草刈り機の音が森に響いてきた。そうなのだ、この森には下映えが何もないのは、この公園管理のおかげなのだ。下刈りを常にやっているのだ。そうしないとこの樹下の空間は、低木や草本類が繁茂して、足を踏み入れようもないジャングルになる。それが日本の自然だ。

 日本の樹林は、下層には低木や本草で藪になるのが普通なのに、ここでは何も生えていない素っ裸だ。それは人間が下刈りを常にやっているからだ。こんな樹林は不自然だが、人間には快適だ。公園とは、そういう不自然な自然をいうのである。悪口を言っているのではない、そういうものだ。

 燃えるように輝くタブノキの新しい葉。
 
 軟かに萌え広がる針葉樹の新芽。
 
 常緑樹林の下は、今萌えてきた新しい葉にとって代られつつある去年の葉が、はらはらと落ちつつある。

 斜面地は人が入らないから、低木や地衣類を刈り取っていない。ヒトは足を踏み入れるのをためらうが、これが日本の自然の姿だ。

 落葉樹林は若葉が美しく明るい。でも本当の自然ならば、落葉樹だけではなく、常緑樹も交じり、土の上には笹などの地衣類が繁り、その上に低木のアオキなどがびっしりと生え、中木も生えるはずだが、ここはここは公園として、人間が好む姿の単純な植生を人工的に作っている。

 公園と街との境あたりの急斜面は、道路端にはマント群落があり、斜面地には地衣類、低木、中木、亞高木、高木という、まさに自然樹林の姿を見せいる。自然の樹木類は大小の仲間で群落というパンツとズボンをはいて、動物や人間や風雨から自らを保護している。

 その近くの建物を撤去した空き地には、蔦類が繁り蔓延って、土地を保護するかのように衣類のようにびっしりとまとわりついている。この姿は、自然促成遷移してゆき、やがて樹林地になる。もっとも、日本の都市ではその前に人間が手を入れて改変してっ自然を駆逐してしまう。

 人間と森林の自然のありようをいろいろ考えているうちに、そうだ、久しぶりに東京明治神宮内苑の森を見に行きたいと思いついた。あそこでは、この根岸森林公園とは対極的な森林づくりをしている。(つづく:明治神宮の森へ)

(2026/06/03記)

ーーこのブログの関連記事ーー
2021/08/02・1581【緑の巨人へオマージュを】実践の植生学者・宮脇昭氏逝去 https://datey.blogspot.com/2021/08/1581.html

2008/05/04・001【横浜ご近所探検】ふるさとの森の大学キャンパス https://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html

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