ラベル 老い行く自分を見つめる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 老い行く自分を見つめる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025/03/31

1875【大岡山恒例花見これが最後】願わくは花のもとにと来てみればあはれ花こそ先にゆきけれ


●毎年恒例の母校へ花見に

 花見に大岡山に登ってきた。満開ではなく八分咲きというところであろうか、まあ、よろしい、毎年恒例の大岡山花見登山も、これでおしまいだな、わが年から言っても、今やそんなころ合いだな。

 そもそも母校の名前が変わったし、何よりも学んだ建築意匠系(歴史)の学科が、田町キャンパスに移転して出て行ったそうだから、もう余所だよなあ。さすがに卒業後66年も経つと、ソフト面もハード面も大きく変わってしまい、ほぼ縁がない場所になった。

 そんなことで桜の花見も、これが最後と思って見れば、もうヨレヨレ真っ黒デブデブコブコブの老木が、わが身に似て見えるのもつらいものだ。ついつい花よりも老幹を見る。そしてとうとう次世代の若木に交代する現実も見た。では、最後の花見報告を書いておこう。

 大岡山駅を出て見回すと、左に百年記念館(篠原一男設計)という大岡山のランドマーク、右に蔵前会館(坂本一成設計)の風景は変わらない。あのワニ口のような半円筒の突出は、まさにこちらの駅に向かっており、招いているらしい。


正門前からキャンパスを眺める。

 正門から振り返って駅前方面を眺める。左の草に覆われた病院の建築(安田幸一設計)が駅舎。

 正門を入ろうとするとこんなキャンパス図がある。オヤ、去年の花見の時とは違うぞ、東京工業大学から変わって東京科学大学とある。もちろん知ってはいたがこうやって見ると、よその大学に見える。工業よりも科学の方が格が上だな、だって科学を基礎にして工業があるんだもんね、ちょっと大学の格が上がったかも、なんて考える。
 Institute of SCIENCE TOKYOとあるから、略称はIOSTだろうか、それともISTかしら。改称前の東工大はTOKYO INSTITUTE of TECHNOLOGYであり、わたしが在学していたころは略称をTIT としていた。所属していた山岳部はTITーACといった。
 なお、英語のスラングでtitとは女性のおっぱいのことである。それかあらぬか、いつのころからか略称をTokyo Techというようになっていた。
 
 さて今年もキャンパスを通り抜けて帰ろう。結果としては大岡山から緑が丘を経て、裏門からキャンパスの外へ出て(赤い線は実際に通ったところ)、更に九品仏川緑道を自由が丘まで歩いてしまった。
 マイペースでノロノロだが、昔よく歩いた道を今も歩くことができたのが、われながらエライもんだ。これでもう終わりにする。

 正門を入ったところから構内を見る。右に図書館(安田幸一設計)左に滝プラザ(隈研吾設計)。滝プラザまだ屋根の上の緑が育たないらしく不細工な姿のままである。早く森に埋もれてほしい。これはもしかしてここにある百年館や図書館や七十年館の引き立て役としてのデザインをしたのかもしれない、なんて思う。


●老木は頑張って今年も花を

 では本館前広場の定番写真である。まだ枝の先の方まで咲きそろってはいないが、あのよろよろ桜が今年も咲いた。その齢は70年にもなるはずだが、偉いものだ。ヨレヨレと曲がる枝がすごい。

 左正門から右の図書館まで、本館前のパノラマも定番。滝プラザが緑の中に隠れるのはいつになるのだろうか。

 では桜の花の下に入ろう。上を見上げればいつもの用の本館の時計台が見える。あの時計のあたりに山岳部の部室があった。そこまでエレベーターもなく平気で昇り降りしたし、それどころか塔の屋上に出て、外壁をアップザイレンの中吊りで降りたこともある。

 花は咲いているが、それを支える幹を見れば、そのあまりのヨレヨレさに、かえって興味をそそられるほどだ。わたしが卒業するころにようやくちらほらを花を咲かせだして(参照→1950年代の桜とキャンパス風景)、片手で握れるほどの細い幹だった若木が、今やこんなになってしまった。それはもう、わたし自身の身体そっくりであると、感慨と嫌悪とを交互に催すのであった。 



●ついに世代交代が始まってしまった

 だから老い木がいつ死んでもよいように、この桜並木の背後には若木が立ち並んでいるのだ。既に花を咲かせつつ交代を待っているのである。交代がいつ起きるか楽しみである。


 老い木と若木の花との饗宴であるが、明らかに老い木の劣勢がみえている。

 ややっ、ここの老い木はついに世代交代しているぞ、う~ん、既に若木に植え替えられてしまった。たしか去年はここにあった老い木がまだ花を咲かせていたが、あれは断末魔の姿であったか。
 眺め渡すと交代したのはまだこれ一本だけらしいが、来年はさらに増えるだろう。いやどれも断末魔模様だから、全部植え替えられているかもしれない。これはまさにわたしたち年代のことである。そうかそうか、悲しむことではない、後継がいることをむしろ喜ぶべきだが、さてさて。
 
 では世代交代桜への感慨を書いておこう。それには歌を詠むのが格好よろしい。ここはやはり桜の花を大好きだった先人の西行法師についていこう。
  
 願はくは花のもとにと来てみればあはれ花こそ先にゆきけれ

●花のキャンパスをゆく

 右に七十年講堂(谷口吉郎設計)を眺めつつスロープを下っていく。この季節は花とともにこの名作を眺めるのを大好きだ。
 昔々山岳部の訓練で、このスロープにあった洗濯板状の坂道をうさぎ跳びで登ったものだったが、あれはひどかった。今も足だけは丈夫なのは、そのお陰でもあるまいが。

 スロープ下の花越しに眺める本部の建物は清家清の設計である。こちらにも敬意を表しておこう。

 ちょっと戻って、東急線路上の橋から眺める景色。手前の空き地は昔々水力実験室(谷口吉郎設計)があったところで、水銀汚染で建物撤去したのちも、土地も汚染で使えないらしく空き地のまま。
 その向こうに見える丸屋根の建物が新築で、ここに建築系学科が緑が丘の上から移ってきたそうだ。ただし、建築意匠系は田町キャンパスに出て行ったそうだ。ということは、わたしは意匠系の建築史の研究室だったから、もうここには縁がなくなった。


 よく知らないが、科学大学と銘打った限りは、文理融合の教育と研究の場とするためだろうに、建築意匠系といういわば人文科学系だけを追い出してよいのかしら。まさかと思うが、工業大学の中では建築意匠系という人文科学系が邪魔だったのだろうか。さらに思うのは、リベラルアーツ系も田町に移ったのかしら、まさかねえ、そうなら文理融合どころか文理分離であるよなあ、まあ、何も知らないのだけど、。

 このあたりが新築された建築で、緑が丘から移ってきた土木・建築系の入る棟らしい。スカイラインが円弧を描いているのは、近くの七十年講堂に倣った景観デザインだろうか。

 東急線のガードをくぐる前にグラウンドに行ってみた。地面が見えなくて緑の人工芝であるようだ。向こうに見える白い低層建築は体育館であり、東急設計コンサルタント設計(実は建築同期の後藤宜夫と笠原弘至の設計)である。
 わたしが在学の頃は体育館は大岡山駅前にあり、どこかの飛行場の格納庫を映して持ってきたと聞いたことがある。わたしは入試をそこで受けた記憶がある。東急が駅改良のためにその土地が必要となって移転してここに来た。だからこれは東急の寄付によるもので、設計も東急設計コンであり、その社員だった笠原が担当し、親しい後藤を外注の相棒に選んだと、これは笠原から直接に聞いたことだ。

 大岡山地区から緑が丘方面への線路トンネルは、歩行者専用となっているが健在である。去年もこうだったが作り直すのであろうか。

 心字池のあるあたりは、キャンパス内では珍しく建築が入りこんでいなくて、公園のように緑が濃い。実を言えばそれもそのはずで、このあたりは都市計画で公園に指定されているのだ。いずれ公共公園整備がされて、公開されるだろう。

 心字池は無粋にも金網で囲われている。もったいない。

 森の中にはワグネル先生の碑がある。ここにはしょっちゅう来たことがあるが、実はワグネル先生とはどんなお方か全く知らないし、知ろうともしないできたが、この碑文を読んでみればわかるだろう。

●昔々住んでいたあたりの今は

 池のほとりを歩いてゆけば、昔々に2年間を暮らした如月寮があったところだ。キャンパス内だから教室にちかくて便利だった。今は自動車部の部室が建っている。

 中学校グラウンドとの間を抜けると向こうに、呑川を渡る木橋が見えてきた。昔々は橋はなくて、流れの上に板をかけて向こう岸にわたり、崖を昇ったものだ。

 橋の上からの三川沿いの桜を眺める。

 橋を渡れば、昔々はこの丘の上全部が向岳寮で、わたしは1年間住んだ。どこかから移築してきたという古い木造平屋の寮室群が2棟、ほかに食堂とホール棟が建っていた。火が出ると全滅だなと思っていたが、わたしが出てから何年か後に燃えてしまった。寮は再建されることなく、跡地には建築、社会工学、土木系の教室研究室が建った。それらも今、建て直されている。

 ここには田町にある付属科学技術高校が移転してくるそうだ。建築・土木棟、社会工学棟が建っていた敷地はきれいさっぱり空き地になり、ただいま高校校舎工事中である。
 掲示を見れば、その設計は石本建築事務所である。たぶんプロフェッサーアーキテクトのどなたかが監修しているのだろう。


 もう見るべきほどの桜もつきたし、懐かしい場所の風景もがらりと変わったので、裏門から緑が丘の街に出た。昔々出入りしていた裏門は粗末なものであったが、今はそれなりに堂々としている。

 緑が丘の街にある例の市場風店舗の緑が丘百貨店は健在だったが、今日は日曜日で休店日だったようだ。すぐ隣は空き地になっているしその隣は建築中だし、この記念的百貨店も来年もあるかどうか怪しいものだ。

●さらに自由が丘までよろよろ歩く

 さてここでもう電車で帰宅しようかとも思ったが、日はまだ高いし、そうだ、昔々よく通ったみを自由が丘まで歩こうと思いついた。学生の頃に家庭教師アルバイトで、自由が丘の駅近くにあった商家の家庭に通った。そのころどぶ川沿いに歩いて往復した道が、川が暗渠となって桜並木の遊歩道になっている。これまで大岡山花見に来て何度か通っているが、そこも懐かしい路だ。問題は脚力が耐えるかどうかだ。
 
 その桜並木の道(九品仏川緑道)は健在だったが、桜の木がここもかなりの老化で、よれよれであった。道路上に張り出さないように強剪定されて可哀そうだ。どうやら椿の花の道にとって替わりつつあるようだ。ここでもわが身と比較するのであった。


 自由が丘の街は相変わらずにぎわっている。昔と比べるとおしゃれな店ばかりのようだ。昔よく来た飲み屋街のあのうまい魚を食わせる店はまだあるかなと探せば、今日は日曜日でお休みだが健在であった。

 自由が丘駅前広場に出て驚いたのは、ここでも巨大再開発事業が始まっていることであった。広い板囲いの中に工事用タワークレーンが建っている。
 写真の右側に東横線駅があり、その線路沿いに自由が丘デパートだが、その向かいの道を挟んだ大きな街区全部が再開発とはねえ、自由が丘の一番の場所だ。でもここには何があったったけか、そうだモンブランというケーキ屋があったなあ。飲み屋街の裏路地もあった。


 自由が丘デパートとその向こうのひかり街という、懐かしい二つの共同店舗ビルは、再開発から外れている。何となくほっとするのは齢のせいか。
 あの昭和時代感覚に満ちた共同店舗ビルが今も営業を続けているのは、それなりに理由があるのだろうが、こここそ自由が丘で最初に再開発事業になりそうな気がしていたので、ちょっと意外だ。

 というわけで、久しぶりの自由が丘は、変わっているようで変わっていないが、駅前再開発が出来上がると大変化が来るはずだが、それをわたしが見に来ることはもうないだろう。
 そして、ほぼ縁が切れた感じの大岡山母校花見にも、もう来ることもないだろう。
 2025年けっこうな最後の母校花見徘徊であった。
(2025/03/31記)
==このブログのこれまでの大岡山花見記事==
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 

2025/02/15

1868【確定申告】春先に年に一回の数字いじり仕事させるのは政府の高齢者ボケ遅延政策か

  毎年の今頃になると、世の中は所得税の確定申告の季節である。わたしもヒマツブシがお金になるからやっている。

品川駅東西通路にて

 お金になるとは、納め過ぎた源泉徴収税を返してもらって、その還付金を春先のお小遣いの楽しみにしているのだ。もっとも、もともと自分の金だけどね。

 源泉徴収とは、考えてみると奇妙な言葉だ、源泉つまり湧き出す源になっている泉のことだ。ということは、国家にとっては国民は、国民の所得というおカネを湧出する源なのである。温かい水が湧き出せば温泉だし、おカネが湧き出せば所得税源泉というらしい。温泉が無限に出ることが無いように、税の源泉の国民の所得だだって無限湧出ではあるまい。

 その湧き出す所得を本来は汲んで戻るべき国民がやってくる前に、国家がいち早くやってきてその一部をかすめ取る仕組み、これを源泉徴収といい、そのカネを源泉徴収税と言うらしい。
 ところが、国家が掠め取る金額が法律で決まっているのに、その額よりも多く汲み過ぎていく。そこで国民一人一人が、毎年このあたりになると取り過ぎたお金を返してくれと、国家に申請するのが、この確定申告であるらしい、と、わたしは理解している。
 とる国家も返せという国民も、この時期はご苦労なことである。わたしはボケ進行遅延策として有効に活用している。しかし、申請しないと戻ってこないのがけしからん。

 これまで毎年毎年これをやっているのは、国家が毎年毎年決まっている額よりも多く汲んで持って行ってしまうからだ。これまで少なく汲んでいったことが一度もない。
 いや、一度だけ汲み損ねていったことはあったが、それは所有不動産を売却した2015年であった。もっとも、この売却を国家が気がつかなかったから、こちらから国家に親切にも教えてあげたのだった。さすがに還付はなくて追加納付した。参照「父の家を売る

 さて、ことしのわたしの確定申告には、今まで一度もやったことがない「医療費控除」の申告がある。昨年は居宅介護していた病妻が亡妻になる一大変事のため、医療費と介護費が控除対象になるほどに多額になった。これまでは一度も申告可能額ではない健康家族だったのに、、。

 上に述べた不動産売却時もあれこれと申告書作りが面倒だったが、この医療費控除申告もそれに負けず劣らず面倒極まると知った。それがどれほどわが一人暮らし財政に寄与したのか実はよく分らないのだが、とにかく源泉徴収税を全額還付してくれるそうだ。無税の民に落ちぶれたのである。

 いまはなんでもネット時代であり、ご親切にもYouTubeに医療費控除のやり方指南動画がたくさん登場している。税務署サービスの動画かと思ったら、どうも確定申告書の作成依頼を受けて稼ごうとする税理士たちらしい。その数があまりにも多くて目移りがする。
 ついでに他の面倒なこと、今年だけらしいが「特別減税」なるものがあり、これが税額算定をややこしくしているらしいことも知った。知ったからとてなにも分からぬが。

 さて、その申告書類づくりをヒマツブシにやるのだが、いまどきは国税庁提供「確定申告書作成コーナー」なるサイトを利用すれば、ややこしい計算は自動計算して申告書を作ってくれる楽なものだ。
 ただし、これで作るとどうしてそうなるのか、国家が徴税してくる仕組みが全く分からないままであるのが、なんとも癪である。昔は手計算で手書き込みしたから、何となく理解させられたものだ。

 そこで思い出したので、本棚の片隅から昔の確定申告書の控えの束を取り出してみた。ほお、1998年分からあるのかあ、納税についてはこんなにも忠実にやってきたかと、われながら国家への忠誠に感心した。それ以前はやっていないということは、必要でなかったのだろうなあ。フリーランスになって9年目からとは、必要になることがあったのかしら。

 控えを見れば、2004年分までは数字が手書きである。ということは手計算だったのだろう。2005年分からは印刷だから、この時から国税庁の作成サイトが始まったのだろうか。

1998年分からの所得税確定申告書控え

 あらためて控えをみれば、2000年前後頃は還付金が50万円強もあったのに、いまや1万円にも満たない貧乏老人になっている。納税額が少なければ、還付金も少ないのは道理であると分かっている。

 ところで、納めた額以上に戻っては来ないのは常識としてよく分るのだが、今年はそれがあるらしい。それが一人当たり一律に3万円の特別減税である。これもYouTubeでよく分った(ような気がする)のだが、現金でくれれば簡単なのに、税金額を負けてくれるそうだ。

 複雑にして面倒なことをやるもんだ。税額そのものをオマケしてくれるのだが、わたしのようなオマケするほどの税額がない者には、減税の恩恵を公平に行き渡らせるために現金をくれるのだそうだ。岸田さんの置き土産とてオアリガタイことである。カネが入るとなると一生懸命に申告書づくりするものだ。
(2025/02/15記)
このブログの確定申告関係記事
2016/02/27【確定深刻の季節】増え続ける空家群マイナス資産津波 https://datey.blogspot.com/2016/02/1178.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2025/01/29

1865【ある死亡記事】ふむふむ87歳でも老衰死する資格があるのだと知ったのだが・・・

 今朝(2025/01/29)の新聞の死亡記事を何気なく読んでいて、目がひっかかった。そのお方をわたしは全く知らないが、その死因と享年にオヤと思った。

 老衰で87歳とある。ということはわたしと同年である。え、わたしも老衰で死ぬ資格があるんだと気が付いたのだ。
 ほお、同年の方の老衰死とは意外感があったのだ。老いて衰えるという語句の語感は100歳前後のことかと思いこんでいたらしい。

 そうか、わたしも老衰死する、そう、格好良く言えば大往生するかもしれない歳なのだ。
 なんだか安心、いや、なんというか、死と二人三脚やっているような、静かな隣人として死がいる、そんな気分になってきた。ふむふむ、そうなんだな、なんて考えなくても実は当たり前のことなんだな。

 しかしそれにしては、昨年夏に家人が死に遭遇したのを思い出すと、けっこうドラスティックなもののはずだが、わたしの日常は普通に起きて食って出して寝て、読んで書いて歩いているけど、これでいいのかしら。頭にある老衰と日常とのギャップが気になる。
 
 これから死ぬためにはそれなりの準備がいるのだろうが、何にもしていないけど、老衰死はどうやってやってくるのかしら。やはりいま流行りというか当たり前のことというか、介護という段階があるのだろうなあ。家人がそうだったように。

 と思いつつ同じ新聞記事を見るとこんなことが載っている。おやおや、死ぬための準備を手伝ってもらうというか支援してもらうべき介護事業者が、次々と廃業しているそうだ。う~む。

 そうか、わかったぞ、こうなれば自力で老衰死するしかないのだな。そうかあ、よしよし、え~と、どうやるのだろうか、どうしようかな、、。

 しかしまあ、今年中は畏友の歌集上梓プロジェクトが動いているから、来年になってから考えることにしよう。87歳でもできる老衰には、もうちょっと待ってもらうしかない。

(2025/01/29記)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  

2025/01/15

1862【介護保険へ】米寿ほども老いたのでもう資格あるだろうと介護保険適用手続きを始めたが、、


「これから詰まらぬ質問しますから答えてください。では第1問です。貴方の年齢はいくつですか」

「87歳です」

「では今日は何年何月何日ですか」

「2025年1月、えーと、13日だっけ」

「14日が正解です」

 ここは近所のクリニック診察室、目の前の看護師の女性が質問してくる。風邪ひきの薬を出してもらいに来たのに、なんでこんな質問かしら。

「ところで、なんですか、これって?」

「あれ、言いませんでしたか、貴方が区役所に出された介護保険適用の認定の調査ですよ」

「あ、そうですか、そうですか、今日は風邪薬もらいに来ただけなもんで、、。ああ、あの申請した介護の必要度合いの調査、介護を必要とするほどにどれほど老いたかボケたってテストね、まあ、ちょうどよかった、続けてください」

「では何曜日でしょう」

「火曜日だね、あのねえ、私ぐらいの歳のものはたいてい曜日に関係ない生活をしているものですよ、だから曜日を聞いて答えられなくて当たり前でしょ、それなのにボケの度合いの調査にそんな質問しても意味がありませんよ、質問がおかしいでしょ」

「あ、そうですねえ、調査書をつくったところに言いましょうかね。では次です。ここはどこでしょう」

「え、ここってクリニックの一室でしょ、貴方がお勤めのクリニックのね、これでいいのかしら、横浜とか日本とか地球とか言うのかしら?」

「はい、では次、これからいう三つの言葉を覚えておいてください、またずっと後で聞きますから、では、サクラ、ネコ、デンシャ、いいですかサクラネコデンシャ」

「はい、サクラネコデンシャね」

「では次の質問、100から7を引いてください」

「そんなの93でしょ」

「はい、ではそこからまた7を引いてください」

「えーと86」(バカバカしいな、あ、ボケ度調査なら間違い回答するべきだな)

「では次です。これからいう数字を逆に言ってください、6,8,2」

「286」

「3529」

「えーと9253」(あ、いけね、また正解しちゃった)

「先ほど覚えてもらった三つの言葉を言ってください」

「サクラデンシャネコ」(いけね、また正解だ、うまくじゃなくてまずく答えちゃった)

「ハイ正解、お歳にしてはずいぶん明晰ですねえ」

「アッ、いけねえ、そうか、これは介護保険適用のボケ度合い調査でしたね、こんなに正解してはいけなんだ、間違いやらないと介護適用してくれないんですよね、う~む、失敗したなあ、これからの質問には間違うように気をつけます」

「いやいや、もうおそいですよ」

「そういわないで、何とか不合格、いや合格するようにしてくださいよ」

「では次です、ここに並べたえんぴつ、かぎ、時計、くし、ハサミを見て覚えてくさい。はい、ではこれらをかたづけます、では何があったか言ってください」

「え~と、えんぴつ、時計、くし、ハサミ、え~ともうひとつなんだっけ、思い出せないなあ」(今回はうまく失敗するぞ)

「それは鍵です」

「次の質問です。果物または野菜の名前を10個行ってください」

「じゃ野菜を言います、キャベツニンジン白菜ホウレンソウジャガイモ玉ねぎモヤシサツマイモニンニク里芋、これで10個、あ、いけね、またやってしまった、ここは8個しか言えなかったことにしておいてくださいよ」

「いや、そうはできません、以上でおしまいです、おつかれさま」

 というわけで、正解してはいけない、いや間違い回答するべき質問についつい正解してしまうというバカなことをしてしまった。これでは目的とする介護保険適用がなされないオソレが十分にある。

 年齢とともに次第に弱りつつある身体機能、特に歩行機能の回復のために行う活動費用、例えばリハビリジムに通うとか、リハビリ用具のレンタルや購入などに介護保険を適用して、老後生活費用の節約を目指していたのに、これでは失敗したかもしれない。

 どうも身体機能の内のボケ機能介護にばかり保険適用をするらしい。運動機能への適用はどうなっているんだろ。なんだか偏っている調査のようだ。
 後でネット検索したら、これは長谷川式という介護度調査様式とて、点数をつけるとのこと。わたしのそれを自主採点したら満点30点に対して27点となった。点数が低いほどボケ度が高い、つまり保険適用にふさわしい判断になるらしい。

 どうもわたしはふさわしくなさそうだ。あきらめるしかないか。喜ぶべきか悲しむべきか。それにしても介護保険料は高いよなあ、後期高齢者医療保険料も高いし、これらをなんとかして取り返したいものだ。

(2025/01/15記)

(2025/02/13追記)
 この介護保険適用のための申請で「要支援2」の認定になったから、上記のテストには低空飛行ながらも一応の合格であった。さて、何にこれを利用しようか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2024/12/22

1858【高血圧事件②】八十年を超える運転してると部品にガタが来るのは当然だがそれも病と言うのか?

高血圧事件①から続く)

やあ、ご隠居、久しぶりですね、なんだか元気がないみたい、まさか病気ですか。

あ、熊さんかい、うん、どうも病気になっちまったらしいんだ。

ええっ、でもその顔色や歩きっぷりは元気そうなのに、どうしました?

うん、わたしはご覧のように元気だけどね、先日、ヒマなのでヒマツブシに健康診断をやってみた、そこで医師からオマエは病気だといわれた、だから病気らしい。

たよりないねえ、肝心のご隠居は痛いとか眠れないとか物を食えないとか、あるでしょ。

それが何にも病らしいことは無いんだよ、平生はめったに医院に行ったことが無い、オカシイだろ、いやまあ年取って歩くのが遅くなったけどね。

ヘンですね、あ、わかった、頭がおかしくなったのでしょ、認知症とか、、。

いやいや、医師から言われたのは、血圧が高い、心臓と腎臓がおかしい、太るな、歩け、塩分控えろ、ほかにはえ~となんだっけ、忘れた。

薬を飲んでますか、医師の言うことをきいてますか。

ああ、言われたことはちゃんとやってるよ、どこも何ともないのにねえ、でもね、めったに支払う機会がない医薬代金が高かったから、もったいなくて薬を朝夕に飲んでるよ。

薬ってそういう精神で飲むもんじゃないですよ。

平生は高額の後期高齢者医療保険料を支払うばかりだから、この際にそれを取り戻そうと張り切っているね。

いまに介護保険料も取り戻そうって頑張るつもりでしょ。

そうそう、内緒だけど実はほんとは病気なんだよ、自分では元気に動き回っているのに、医者からお前は病気だと言われると、おお、オレもついに病気老人かあ~って、くよくよ考えるんだよ、だから心の病になったな。

じゃあ健康診断したせいで病気になったっていうのですか。う~ん、病は気からと言いますからねえ、それじゃあまるでご隠居の病は医師のせいと言うみたいです。

そうそう、わたしは医源病だね。

そんな名前の病気があるんですかい。

わたしが発明した言葉と思っていたけど、ネット検索してみたら、医学界にあると分かって驚いたね。わたしにはこんな経験があるんだよ。もう23年も昔のことだけどね、わたしは脚の股関節の骨頭壊死症なる不治の重病と診断された。治療法がないままにいつ倒れるかとビクビクしながら暮らしていたんだ。それが1年ほど後になんとまあ自然治癒してしまった。医師が治る病を不治と誤診したんだ。これも医源病のひとつだよね。医学界では医原病と書いてこれとは若干異なる意味らしいけどね。

なるほどね、でもご隠居がいくら元気といったって、米寿がすぐそこでしょ、もうかなり老朽化した身体だから気をつけて下さいよ。どこか悪いところがあるはず。

そうだね、これだけ長期間の運転をしてくれば、老化して動きがぎこちなくなるのは当たり前、でも老化と故障とは違うと思うよ。故障しやすくはなってるだろうけどね。

なるほど、でも近ごろ病気老人が多いのは、故障者が増えたからでしょ。

それにつけて思うのは、老人が増えすぎたことだ、人間古来の不老長寿願望に、医療技術が応え過ぎてますね、死ぬはずの人間も生き延びさせてしまう技術が完成です。

そう、その上、宗教も文化も生きる願望に応え過ぎたと思うんだよ。長生きするのが最高の生き方なんてことに、だれもかれもがはまり込み過ぎたよ、人間は。

そうですね、それによる人類の繁殖し過ぎで、地球環境問題が起きていますよ。身近には高齢者問題発生ですよ。ご隠居のような元気老人ならまだいいけど、病気老人だらけになっていますからねえ、かといって、現代の倫理ではこれの積極削減はタブーですからね。

でもいずれ、人類が生きるためそのタブーを破る日が必ず来そうだね、これって論理矛盾だね。現代の地球上の頻発する戦争も、男女の境界の崩壊現象も、生物的な面からタブー破壊現象かもしれないね。

そうだ思いついた、ご隠居がオレは元気だと言いつつ歩きまわっているのは、年取って老化も故障も区別する能力なくなったのかもしれませんよ。

何を言うか、俺だって風邪ひくぞ、実は昨日からちょっと咳が出るんだ、何年ぶりかなあ、ゴホン、ハックショ~ン……、故障だあ。

さいなら~、おだいじに~。  (つづく(2024/12/22記)

ーわたしの人生での傷病らしい傷病(◆:長期通院、●:短期入院)ー

◆日光角化症(2017年)http://datey.blogspot.jp/2017/08/1289.html
◆腰椎圧縮骨折(2015年)http://datey.blogspot.com/2015/05/1084.html
●白内障(2012年)https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo
◆大腿骨骨頭壊死症(2003年)http://datey.blogspot.jp/2012/01/571.html
●左大腿骨関節異常(1978年)、◆メニエル氏病(1957年)、●右腕骨折(1951年)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2024/12/16

1857【高血圧事件①】当人は痛くも痒くもないけど米寿にして遂に本物の病人になったらしい

●ヒマツブシで健康診断に総合病院へ 

「すぐに専門医に診てもらいなさい」
 目の前に座る白衣の医者が言う。えッ、なになに、どうして?、わたしは怪訝な顔をしたに違いない。
血圧が210もあり危険です
 わたしは何のことかわからないで、ハア?、いや、医師の言葉は聞こえるが、どこも痛くもかゆくもないので、なにが危険なのかしら、。

 今日は近所の総合病院に、年に1回の市公費受診できる老人健康診断にやってきたのだ。
 わたしが風邪さえも引いていないのにこの病院に来たのは、毎日がヒマすぎる、今日はヒマツブシに健康診断にでも行ってこようかな、この辺でやっておくのもよいかな、と考えた結果である。無料だから散歩の続きくらいの考えだった。
 歳とって何となく身体の動きがぎこちなくなったことはわかっているが、それは物が古くなれば人間も当然だろう。

 このまえ健康診断をやったのはいつだったか、十年以上の遠い記憶である。まずは体重身長測定とは懐かしや。記憶の身長から4センチも縮んでいるのに驚いた。そのほかあれこれ検査で、時にはなにか数値を言われたが、もともとヒマツブシだから真剣に聞かないので頭に残らない。聞いても意味が分からないしね。

 そして最後に問診で医師にX線写真とともに出会う風景は、かつて覚えていた通りだった。懐かしや。
 そして上記の「すぐ専門医へ」宣告のあと、医師に何を言われたか覚えていない。おれは実はそんなに重い病人か、そりゃまあ米寿ともなれば仕方ないか、血圧200越えって緊急事態かよ、う~ん、じわじわと落ち込んできた

 何しろめったに医者にかかったことがない、特に内科医には出会った記憶がない。たまに出会うとこの緊急である。でも仕方がない、さて血圧の専門医ってどこにいるんだろうか。
 健康診断が終わって出るときに看護師に、こちらの病院に高血圧の専門医がいるのかと聞けば、循環器系の医師は今日はいない、週に2回午前中しか診ないがよいかと言う。緊急に診てもらえとたった今指示されたこちらは、それでは困る。

 血圧専門医とは循環器医師というのか、そうだ、偶然にもひとりだけよく知っているぞ、それは高血圧症だった亡妻の専属医だった近所のクリニックのN医師がそうに違いない。時々付き添って行ったあそこだと、その足で向かった。亡妻の病がわたしに役立つとは偶然だ。

 そうか210もの血圧は危険なんだ、でも当人は何の変わりはないのだけどなあ、いや、そう聞いて気分が悪くなってきたから、変りがあるあると言うべきか。ヒマツブシが役にたったというべきか。

●循環器専門医を久しぶりに訪ねる

 久し振りにそのクリニックを訪ねて、こんどはこちらの診察とて、さっそく検査がまた始まった。先ほどやった身体検査の結果は来月でないと教えてくれないから仕方がない。1日に2回も健康診断やったことになる。こんどは有料だが仕方ない。

 そしてN医師にいまの検査の分かることの話を聞いた。X線写真をまた見せられ、高血圧のために心臓が膨らみゆがんでいるとのこと。なるほど心臓が偏って膨らんでいて、血管が曲がっている。
 これからそれを直して元にもどすのかと聞けば、それはやらないし必要もないそうだ。なん~だ、でもこれはで素人でも眼に見える高血圧の証拠ではあるな。

 そしてこれからの24時間に心電図測定をするとて、小さな何かを胸にいくつか張り付けられた。そのまま帰宅して寝て明日また来いとのこと。
 これから薬で血圧をゆっくりと下げて行き、常時140/70あたりに安定させるが、急に下げるのは危険なので、薬の調節で時間をかけるとのこと。
 話を聞いただけではよく分らぬし、メモをもらったがそれもよく分らない。家に戻ってネット情報も見てクイズを解く気分だ。暇つぶしにはなるが、知れば気分が悪くなる。

 こうなった状況にあるのは、自分に何か症状があって医師にかかりに来たのではなくて、ヒマツブシに来たのが偶然にも緊急な事態にあったと分ったからだ。ということは、健康診断にこなくてあのまま日々を過ごしていたら、すぐにぽっくりと逝ったのだろうか。

 う~む、それならむしろ歓迎することであったなあ。だって、毎春になると西行を気取って「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のコロナ」(元歌は、「望月の頃」)と詠っているのだから、10か月遅れでもそれは良かったのになあ。
 こんなことは医師には言えないな、バカにするなと激怒されそうだ。

 と言うことでこの日は、当人は何ともないが周りは大わらわの検査で、まことに結構すぎるヒマツブシになったのであった。結構でないのはクリニックは公費じゃないから5千円もかかったこと。それと「オレも病人かよー」と心が病んできたことだ。薬が出されたが、これは血圧の薬だろうが、心の薬ではあるまい。

 2日目にまたクリニックへ、胸の心電図検査装置を外した。血圧は170台に下がったようだ。医師からの注意は、「塩辛いものを食うな、歩け歩け、歩けば必ず血圧は下がる」であった。どちらも私には問題ない。歩くの大好き、食い物にはもともと執着がない。

 さてこの日から、わが同期同輩友人たちにメールや電話やラインで宣伝である。
「オレもついに病人になったぞ、血圧が200を越えているのだ、どんなもんだあ」と。そうしたら大勢が返事を下さった。お見舞いやご助言も賜った。ありがたい。

 それらで分かったというか悟ったことをまとめると、実はこの歳だとだれもかれもが高血圧で、薬で血圧制御して普通に暮らしているのであるらしい。それも薬をずーっと何年にもわたって飲み続けている方も多い。

 と言うことは、この歳になれば高血圧なんて、珍しくもないヤツのだったのだ。えーっ、そうなのかあ、どうもわたしが独りで騒いでいた独り相撲の感がある。
 友人たちに恥ずかしくなって、騒がせたことをじわじわと謝っている。慌てて長期の約束事を短期への変更まで言い出して、また元に戻すありさま。なんともはや。

つづく(2024年12月15日記)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2024/12/07

1854【八十路ZOOM】ネット世界で大流行のズームは超高齢者こそが使いこなすべきかも

●米寿前後仲間とZOOM談義 

 穏やかな冬の日の午後、うちのパソコンに八十路の爺顔が2時間ほど並んでいた。ZOOMというバーチャル宴会である。
 12月6日の午後は大学寮同期仲間十数人が、PC画面に顔を並べてZOOM談義をやった。毎月1回の定例で、午後を2時間ほどあれこれとしゃべりあう。家に居ながら集まることができるという、年寄り向きインタネット遊びである。

 今どきZOOMなんて珍しくもないだろう。だが、わたしたちのような八十路半ば、米寿前後の者ばかりの超高齢者たちがやるの珍しいことらしい。
 これを若い知人に話すと、あまりの年寄り仲間であることに驚かれて、かえってこちらが驚く。なんだかバカにされたような気にもなるのが悔しい。
 そもそも年寄りであることを驚かれたり、歳にして元気ですねと言われるのが、気に食わない。差別である。

●ネット原始人のズーム

 でも、考えてみると確かに自分でも驚くことをやっている。なにしろ、わたしの世代はコンピュータ以前の、今から見ると前世紀原始時代の生まれ育ちであり、しかも大学学生時代さえももそうであったもだから。
 さらに社会に出てからも、コンピュータが日常用具の世界になるには、20年以上はかかった。そんな原始人のわたしたちが、いわば最先端?のズームを使うのは、猿がスマホを使うような驚きだろうか。

 社会に出てからコンピュータに出会うのだが、仕事や趣味でその出会い時期や密度は、人によりかなりの差がある。専門的な知識と言うよりも、興味の対象として面白がるかどうかが、その後にかなり違いを生じるようだ。
 わたしはPCの技術的なことにはあまり興味は持たないが、言語の扱いに大いに興味を持った。だからワードプロセサー初期からキーボードに取り組んだ。

 わたしのZOOM仲間の大学同期たちとの交流の連絡手段は電話から始まったが、21世紀になってEメールを使うようになった。
 これが今やSNS時代になっているのだが、これに移行するのは年寄りたちには面倒くさくて、今もEメールが主要手段である。
 電話は補助的になったが、これもスマートフォンによるインタネット電話になり、とにかく年寄りでも否応なくインタネットにすがらざるを得ない。

 このズームなるものは、年寄りにまことに都合がよい。もう足腰の力や減退して、仲間で集まるのがむつかしくなった頃に、このZOOMなる顔見世通信手段が出てきたのだ。
 ZOOMは老人活性化になるし、移動困難になる高齢者こそ使いこなすとよいはずだ。それが、ちょうどコロナによるZOOM出現と軌を一にしているのが、偶然ながらオカシイ。

 これでもう家にいながら顔合わせでバカ話をやれる。すごいのは日本各地にいる仲間はもちろん、カリフォルニア在住の仲間も参加できていることだ。
 その頻度が月に1回だが、かつて電話時代には半年に1回がせいぜいだった出会いと比較すると、格段に親密度が増してきた。これはコロナがもたらした効用である。

ズームは年寄りにぴったりか

 その一方で、家にいながらなのに、ネットの談議にどうしても乗ることができない者が次第に増えてくるのは。年寄りとして仕方がない。たとえPC画面越しでも、年齢相応に面と向かって会話するには、あれこれ故障が出てくる。この世から消えた仲間もいる。そうやって不参加者が増えてくる。

 実はわたしは最近はちょくちょく単語を忘れる。脳内にはその姿かたちは描いているのだが、言葉にするのにちょっと考えることがある。これは脳の老化のせいだろう。
 他人に迷惑かもとZOOMで話しだすのを躊躇する。途中で出てこないと誤魔化すから、つい話がそれる。

 もっと怖いのは、老人お得意の居眠りである。長時間PCを見ていると目はしょぼしょぼするし、そのうちにZOOM中に眠りこけてしまい、目を覚ますとPCに寄りかかっているかもしれない。まあ、お互いさまか、、そこで狂歌一首。

言葉つっかえ目はしょぼしょぼに居眠り
行方も知れぬ米寿のズーム

 さて、このZOOMという老人遊びが、いつまで続くだろうか。誰かがいなくなっても気が付かないままに、だらだら毎月開催しつつ、そのうちに自然消滅かしら、それもまたよし。
 海の向こうから参加できるなら、あの世からも参加できるかとも思うが、去年逝ったやつも3年前に逝ったやつも顔出さないあなあ。

(2024/12/07記)

このブログで関連記事
2023/11/12:1737【老いとネット
https://datey.blogspot.com/2023/11/1737.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2024/12/03

1852【今年の新語流行語】知っているのは候補30中7語、トップテン中の2語のみ

 毎年暮れが来るとどこかから出てくる「今年の新語流行語」なるもの、だれがどうやって選ぶのか知らない。でも毎年、わたしが知っているそれらを数えて、どれだけ世間から遠くなりつつあるかを測定するのである。

 今年2024年のそれがは発表された。また世間が遠くなっている。

わたしが認知する今年の新語流行語印:知っている、×印:知らない)

 候補の言葉と結果を見ると、わたしが知っている言葉のあまりの少なさに、愕然とすることには、毎年のことでもうとっくに飽き飽きしている。
 まず、ノミネートされた言葉30語中で、知る言葉は7語のみであった。これをこれまでの成績と並べてみよう。
  2024年:7(23%)、2023年:15(50%)、2022年:11(37%)、
  2021年:11(37%)、2020年:21(67%)、2019年:12(40%)、
  2018年:15(50%)
 今年のわたしの新語流行語認知度は、これまでで最低であるのはどうしたことか。その原因はわかっているのだ、そう、認知度が下がるとはつまり文字通り今年から認知症にかかったに違いない、トホホ。もう覚悟したからいいのだ。
 
 さて、新語流行語トップテンの内で私が知る言葉はたったの2語である。それは私がオカシイのか、それとも、これらを選ぶ選考委員(がいるのだろう)がオカシイのか、まあ、どちらでもよろしい。
 もっとも、最初から分かっている私の新語流行語認知度の低さの根本的な原因は、TVを全く見ないからである。つまりこの新語流行語とは、TV新語流行語なのである。
 それが証拠には、ネットの世界であれほど毀誉褒貶まみれの新語流行語が、このランキングにはないのだ。それは折田楓である。これこそふさわしい低俗性と政治性を備えた新語流行語だと思うけど、違うの??

ーーーこのブログの関連記事ーーー
2023/11/03・1728【今年の新語流行語候補
TVを全く見ない老人でもこれくらいは珍語流行語を知っているhttps://datey.blogspot.com/2023/12/1754.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




2024/10/23

1844【本を捨てる】わが遺品らしきは大量の本ばかり負の遺産とて処分に励む

 本気で真面目に「古本終活」に取り組んでいる。年取ったら読もうと書棚に積んでおいた数多くの本を、これまでもちょくちょく処分してきたが、いよいよ本格的に処分に取り掛かった。あまり読みもせずにいて、もったいないとも思うが、このままだと負の遺産になりそうだからだ。わが遺品らしきものは本しかないのだが、困ったものだ。

 これまでの処分方法は、知人に必要な人を見つけて、あるいはこのFBで募集したりして、その方々に差し上げて(もらってもらって)いたから、値段を考えたことがなかった。ここにきて古本屋さんに処分をしだして、古本の市場価値とはこういうものかと寂しく痛感している。

隙間が見えてきた書棚

 箱に詰めてネット連絡すれば運送屋をよこし、買い取り価額を査定して、ネットで入金してくれる古本屋「バリューブックス」である。この古本屋と付き合いの初めは、東日本大震災の時にどこかの市の被災図書館復興支援として始めた(この件はこちら参照)。今も支援やっているのかな。

 ワイフが遺した本の処分から始めて、自分の本に取り掛かりつつある。8月からこれまで4回送り出し、各回箱4つで計16箱、計802冊、このうち値段がついて買取されたのが105冊、その合計査定金額が5959円、一冊平均57円であった。ただし支払い受けた金額は送料差し引きなどで、全部で1000円ほどだ。

 買い取られた本の中で最高額は『絵本 即興詩人』安野光雅616円(定価3300円)であった。わたしの師匠藤岡通夫先生の著書『京都御所(新訂)』は定款25000円もしたのに値段が付かなかったし、ほかにも高額定価本はざらにあったのだが、古本とはそういうものらしい。金額の多少よりも値段が付かないことが寂しい。ついても100円の本が多いのが、本に対して申し訳ない気分だ。いわゆる全集物は全く値が付かないのは何故かしら。

 まだ出していないが、わたしの編著の本『建築家山口文象人と作品』(相模書房定価15000円)をネットで見ると古書値段が3万円ほどだ。3冊所有しているが、さてこれをどうしようか。

 なんにしてもまだまだ出すべき本の方が多いから、古本処理は続いても命が続くかしら、捨てるべき本をついつい読みだすからなあ、。

 記念のために、これまでマックスバリューに売ったの査定金額と、各回で最も高く査定された本の名前を記録しておこう。

●申込日:2024年08月08日  総数:167点、買い取19点、査定金額1,718円  『絵本 即興詩人」616円 ●申込日:2024年08月26日  総数:103点、買い取10点、査定金額527円  「絵本 夢の江戸歌舞伎 (歴史を旅する絵本)」297円 ●申込日:2024年09月20日  総数:220点、買い取56点 、査定金額3,441円、計1,786円  「森茉莉―贅沢貧乏暮らし」554円 ●申込日:2024年10月17日  総数:312点、買い取20点、査定金額1,010円  「文化経済学事始め 文化施設の経済効果と自治体の施設づくり」558円

(20241023記)

これまでこのブログで書いた古本始末記

897【横浜ご近所探検隊】伊勢佐木モールがだんだん落ちぶれて行く2014/02/19 https://datey.blogspot.com/2014/02/897.html 974往生際の悪い世の老人どもはウェブサイト終活をどうやってか2014/07/24  https://datey.blogspot.com/2014/07/974.html 1015【終活ゴッコ】暇つぶしに所蔵書籍資料書類等廃棄に取り組みつつあるけど、、https://datey.blogspot.com/2014/10/1015.html 1068【終活ごっこ】たくさんの蔵書の一部を知人に貰っていただいた2015/03/16  https://datey.blogspot.com/2015/03/1068.html 1135【終活ゴッコ】建築家山口文象と初期RIA資料コレクション2015/10/20  https://datey.blogspot.com/2015/10/1135.html 1152【古書を捨てる前に・1】江戸末期生花入門ハウツー本「生花早満奈飛第二篇」https://datey.blogspot.com/2018/07/1152.html 1162【Edge of Eternitey】もう本を買わないと決めたのについ買った本2016/01/11 https://datey.blogspot.com/2016/01/1162edge-of-eternitey.html 1594【老人とコロナ】ひっそりと次々と知人たちが消えていっている2021/10/31 https://datey.blogspot.com/2021/10/1594.html 1671【小説読後感想】面白い戦争小説『同志少女よ、敵を撃て』2023/02/16 https://datey.blogspot.com/2023/02/1671.html 1830【本棚整理再開】書棚の積ン読本を古本屋に発送する作業を始めたが https://datey.blogspot.com/2024/08/1830.html

1844【本を捨てる】わが遺品らしきは大量の本ばかり負の遺産とて処分に励む
https://datey.blogspot.com/2024/10/1844.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━