ラベル 老い行く自分を見つめる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 老い行く自分を見つめる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026/06/16

1955【老酔録㊴カスハラ】東京電力に電気料金の件でカスタマーのわたしがハラスメントされる

  電話で相手を怒鳴りつけてしまった。相手は東京電力カスタマーセンターの男である。多分、電話口のその男は、カスタマーハラスメントだ、カスハラだ、と言っているか、思っていることでであろう。だが、こちらこそカスハラされたのだ。

 電話口に出てきた東電の男が、カスタマーであるわたしをハラスメントしたのだ。これをカスハラと言わなくて何であろうか。顧客(カスタマー)に、いじめられることをカスハラというらしいが、顧客(カスタマー)をいじめるのは、カスハラとは言わないのか、逆カスハラとでもいうのかだろうか。

 昨年の夏に、わが住み家移ってから東京電力から電気は来ているし、毎月使用料を遅滞なく支払っている。移転前と違うのは、使用料の通知の紙がやってこないことだ。よくは知らないが、人間が玄関まで来て使用量の検針が不要となるネットシステムができたのだろう。

 使用料を毎月支払っていることは、引き落とし銀行の通帳記載によって分かる。だが、移転前の家では毎月に使用量と料金の通知の紙が来ていた。それが移転後は来ないのだ。その代わりかどうか知らないが、LINEに何かわからぬ通知が毎月のようにやって来ている。

 それに電力使用料金等の請求が載っているらしいのだが、操作方法をわからないから見ることができない。第一、LINEで教えろなんて指示した覚えがまたくない。東電が勝手にそうしたらしい。

 そうなってからそろそろ1年になろうとしているので、このままではおかしい。いつもの徘徊コースに、東京電力会社と書いてある大きなビルがある。数日前にそこに入って、玄関にある受付の女性に、これこれこういうことなので、使用量通知を以前のようにしたいから、その部署を教えてくれと頼んだ。

 その受付嬢はこんな苦情に慣れた様子で、一枚の紙をくれた。その紙の表題は「カスタマーセンター」とあり、4つの電話番号が書いてあり、そのうちの一つの番号を指さして、わたしの要求は、そこに電話して出てくる人に言ってくだされば解決する、という。

 わたしは言った。「どうせそのような電話はなかなかつながらず、つながったと思うと、なんだかんだと面倒なことを言って、番号を何回も押させて、ようやくつながるってやつでしょ。せっかくここに来たのだから、ここでその係の人と直接に話をさせてくださいよ」

 受付女史は言う。「ここにはそのような者はおりませんので、電話でおねがいします」
 わたし「はあ~、せっかく来たのになあ、貴方に文句言っても解決しないから、おっしゃるようにします、どうも有難う」

 そして、数日たった今日、覚悟してその電話にかけてみた。覚悟したとおりに、長々と何やら説明があり、長々と待っていると、男の声が出てきた。
 「只今電話が混みあっております。もうしばらくお待ちください

 何やら音楽が流れる。そのまま電話機を机において待つことしばし、また先ほどの男が出てきて、同じことを言う、同じ音楽が流れる。これを10回くらい繰り返したろうか、我慢に我慢を重ねて待つこと十数分、違う声の男、これは生の人間らしい。

 ようやく用件を言っうと、氏名住所などあれこれ聞かれ、こちらの要求として紙の通知請求書をくれるか、メールによる通知にしてくれと訴えると、先方の男が何か調べていた気配だったが、結論としてこういった。

 お客様はこちらでは管轄が違いますので、これから申し上げる電話番号におかけ直しくださいませ

 えー、なんだよ、ここまで我慢に我慢を重ねて無駄な20分もかかっているぞ、それでそりゃないだろ、これはそっちが教えてくれた電話番号だぞ、何してるんだ、さすがに頭に来た。怒鳴ってしまった。電話でそんな大声を上げるなんて、これまでにあったかしら。

 先方の男は平謝りを繰り返すばかり、今後はこのようなことが無いようにしますと言うが、具体的にどうするか聞けば、情報共有しますとマニュアル語をいうばかり。とにかく客があきらめるのを待つ様子だ。もう気分が悪くなるからこれ以上は書かない。

 で、今、その教えてくれた新電話番号にかけるかどうか、決断が付かないままだ。また、同じ我慢に我慢を重ねる顧客つまりわたしへのカスハラ、そしてまたわたしが怒鳴って東電担当者へのカスハラ、なんてカスハラごっこにならぬ保証はない。

 ヒマツブシにはなるが、先方にもわたしにも気分が悪いことだ。ふう~、いくら老酔録と銘打っても、老酔に老酔を重ねたくない。使用料通知や料金請求書なんてものがなくても、電力料金をキチンと支払っていればそれで済むことだ、それでも老いの人生はまわる、な~んて悟りの境地に至るなんて、なんかそろそろ来たかなあってアブナイ感もある、いや、嬉しい感が強い、ヤレヤレ待ってたよ~・・・。

(2026/06/15記)

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2026/06/12

1954【老酔録㊳卆寿】ついに来た卆呪わが身をネタにして医療と老いと死を衝き書かむ

●なんとまあ卆壽になったよ! 

 わたしはこの5月初めに89回目の生誕記念日を迎えた。つまり数え年で90歳、すなわち卒寿(卆壽/卆呪)になった。超超高齢者か、これはなんともはや凄い、不可思議、奇々怪々、わたしは妖怪か、仙人か。長生き策を何もやっていないのに、なぜか? 

 白い顎鬚こそないが、本当に仙人になった気もする。もしかして雲に乗って空を飛ぶことができるかもしれない。地上30mのわが空中陋屋バルコニーから水平に飛び出せるかもしれない。が、試す勇気は、まだ、ない。

 もちろん、だいぶ前から、この日が来るらしい様子には気が付いていたから、今さらどうこう言うのでもないが、それでも人生初めてのこと(毎日そうなのだが)だから、不案内な場所に踏み込んで居心地が悪い90年目と89年目と80年目とどこが違うのか?

●痛くも痒くもないのに偶然から医者通いの身に

 身体内部はどこといって悪いところはないと思うのだが、かかりつけ医(去年からこれが存在する)が言うには、血圧が高い、心臓脈がヘンだ、甲状腺がオカシイ(ほかにもなにかいわれたような気がするが忘れた)とて、朝夕合わせて薬を4粒呑めと処方する。当方はどこも痛くも痒くもない、何が変なのかしら、へんだなア。

 確かにわかるのは身体運動は次第に緩慢になりつつある。歩行速度の低下だけが自覚する唯一の身体不具合だ。その他は何もない(らしい)から、医師の言を理解できない。朝夕の薬をしょっちゅう忘れる。。医師は毎月来いと言う。ヤクが切れると行くが、2カ月に1回ぐらいになる。

 そもそも医者通いの身になったきっかけは、一昨年の暮れごろ、ヒマだなあ、そうだ、健康診断に行ってみようかな、もう10年以上もやっていないなあ、年一回は市の負担で診てくれるらしい、タダならヒマツブシに健康診断に近所の総合病院へ。

 あれこれ検査やって、最後に医師の問診、「血圧が200と異常に高いが、具合はいかが?」「何ともありませんが、なにか?」「ではすぐに専門医に診てもらいなさい」「え、は、はい」てなことで、わたしにもかかりつけ内科医ができた。思いつき偶然の動機だった。

 それまで怪我や白内障や皮膚病、白内障などでそれぞれ専門医にかかったことはあるが、内臓関係の医師にかかった記憶がない。めったに医師に出会うことが無かった。高血圧の妻につきそってクリニックに行ってはいたが、自分は無関係と思っていた。

 そんなきっかけだし、今も何も自覚症状がないから、真剣に医者の話を聞かない(らしい)。医師から見るとわたしは不良患者だろう。あるとき頻尿がおきたので、聞けば呑む薬のひとつが原因だという。それを呑むことで95歳頃に人工透析する身になることを防ぐのだそうだ。

 薬が毎夜に苦痛を誘発しては医療の意味がない。「夜間頻尿で寝不足になり不機嫌な日々が続いて95歳までも生きるよりも、今を機嫌よく生きたい。90歳超えたら死ぬから、その薬をやめたい」というと、医師は渋っていたが処方から除外してくれた。あ、その歳がきた。

●人間の医療と老いと死について考えはじめる 

 めったに用が無かった医師に毎月診てもらう身になって、そして超超高齢になってみて、ここらへんで、人間の医療と老いと死について真面目に考えてみようかという気になってきた。めったに医師にかからなかった頃は考えようもなかった。

 実は3年前の夏に、2年間も無我夢中でやっていた妻の老々看病介護を突然終えた。その間に多くの医療関係者が出入りした。そして今、偶然にかかりつけ医を持ったこと、そして90歳の身になったこと、これらが医療と老いと死を考える最適の条件にあるらしいのだ。

 そのために他に資料を求める必要が無い。なにしろ超身近かのわが身と心を対象に考えればよいのだから、便利だ。老いや医療や死をテーマの出版物は世に数多いが、そんなものを読む気はさらさらない。わが身を読み取ればよろしい。

 もう20年も前だったか、大学同期の友人が癌で死んだ。彼はその病の初めから死までを、同時進行でネットに書いて教えてくれた。息を詰めるようにして毎日読んだ記憶がある。わたしも自己の死に到る同時進行ドキュメンタリーを自分の手でここに書いてみたい。

ついに来た卆呪わが身をネタにして医療と老いと死を衝き書かむ

(2026/06/12記)

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2026/06/03

1952【老酔録㊱新緑の森】四季を通じて歩く森林公園の新緑樹林を徘徊しつつ日本の自然を考える

 緑が燃えるように輝く、美しい季節が来た。この四半世紀を四季を通じて毎週のように歩きに来る「根岸森林公園」は、最も美しい時だ。日の当たる芝生から、木陰が涼しい林内へと、徘徊コースを変えた。


 自然の緑はますます盛んになるが、生身のわが身体は次第に退化してくる。この20年ほどの間に、いつも歩くコースにかかる時間が、昔と比べて2倍くらにもふえた。脚を左右に出す調子も歩幅もあまり変わらない(と自分では思っている)のだが、速度が次第に低下するのは、老衰のせいだろう。 

左に縦に伸びる緑地はアメリカ軍の住宅地で今年中に日本に返還される

 今年の初夏の緑をここに記録しておこう。来年は記録できるかどうかわからないから。

 この森林公園(19.3ヘクタール)は、森林公園とうたっているが中央に大きな芝生広場を設けていて、メインは森林ではなく芝生公園だ。利用者の多くは芝生地にテントを張ったりしている。こうなる前がゴルフ場だったからだろうし、都市住民が好むのは広い芝生である。

 いまは新緑で美しい。アスファルト舗装の周回道路ではなく、林の中の道のないところを落葉を踏みつつ歩いて行こう。

 樹林のなかは見た目は気持ち良いが、落葉がフカフカと積る中に、木の根が複雑に浮き出てきて、足元に注して転ばぬように歩く。脚が不自由になろうとする時期の老人には、これは一種のリハビリテーションになりそうだ、と思うことにする。

  落葉樹林は新緑にすっぽりと包まれている。気持ちよろしい。

  タブノキ常緑樹林は、いま新緑に交代する時期だ。新芽が萌えるように輝いている。


 シラカシ、タブ、スダジイ、マテバシイなどの常緑樹林に入ると、暗くなる。
 
 暗い森の向こうに明るい開放的な草地が見える風景は、森に住んでいたころの人類が森の外にあこがれて出ていく頃の遠い記憶が脳内にあり、一種のあこがれ風景であるらしい。

 常緑樹林の中にぽっかりと広がる草地には、黄色い野の花が咲き誇る。切り株に腰かけてぼんやりと過ごす。

 草刈り機の音が森に響いてきた。そうなのだ、この森には下映えが何もないのは、この公園管理のおかげなのだ。下刈りを常にやっているのだ。そうしないとこの樹下の空間は、低木や草本類が繁茂して、足を踏み入れようもないジャングルになる。それが日本の自然だ。

 日本の樹林は、下層には低木や本草で藪になるのが普通なのに、ここでは何も生えていない素っ裸だ。それは人間が下刈りを常にやっているからだ。こんな樹林は不自然だが、人間には快適だ。公園とは、そういう不自然な自然をいうのである。悪口を言っているのではない、そういうものだ。

 燃えるように輝くタブノキの新しい葉。
 
 軟かに萌え広がる針葉樹の新芽。
 
 常緑樹林の下は、今萌えてきた新しい葉にとって代られつつある去年の葉が、はらはらと落ちつつある。

 斜面地は人が入らないから、低木や地衣類を刈り取っていない。ヒトは足を踏み入れるのをためらうが、これが日本の自然の姿だ。

 落葉樹林は若葉が美しく明るい。でも本当の自然ならば、落葉樹だけではなく、常緑樹も交じり、土の上には笹などの地衣類が繁り、その上に低木のアオキなどがびっしりと生え、中木も生えるはずだが、ここはここは公園として、人間が好む姿の単純な植生を人工的に作っている。

 公園と街との境あたりの急斜面は、道路端にはマント群落があり、斜面地には地衣類、低木、中木、亞高木、高木という、まさに自然樹林の姿を見せいる。自然の樹木類は大小の仲間で群落というパンツとズボンをはいて、動物や人間や風雨から自らを保護している。

 その近くの建物を撤去した空き地には、蔦類が繁り蔓延って、土地を保護するかのように衣類のようにびっしりとまとわりついている。この姿は、自然促成遷移してゆき、やがて樹林地になる。もっとも、日本の都市ではその前に人間が手を入れて改変してっ自然を駆逐してしまう。

 人間と森林の自然のありようをいろいろ考えているうちに、そうだ、久しぶりに東京明治神宮内苑の森を見に行きたいと思いついた。あそこでは、この根岸森林公園とは対極的な森林づくりをしている。(つづく:明治神宮の森へ

(2026/06/03記)

ーーこのブログの関連記事ーー
2021/08/02・1581【緑の巨人へオマージュを】実践の植生学者・宮脇昭氏逝去 https://datey.blogspot.com/2021/08/1581.html

2008/05/04・001【横浜ご近所探検】ふるさとの森の大学キャンパス https://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━






2026/05/04

1948【老酔録㉝能楽鑑賞】舞台登場三名人平均年齢九十歳超こちら見所も老酔客ばかり

  老酔録という名のブログにふさわしい超高齢者イベントの話である。趣味の能楽鑑賞に行ってきた(2026年5月3日)。能楽が老酔録にふさわしい趣味というのではなく、私自身も含めて、そこでの登場人物たちのことである。

 まずはこの日の能舞台に登場した名優たちの名と年齢を書く。歌人・馬場あき子・98歳、狂言師・山本東次郎・88歳、能役者・友枝明世・85歳、合わせて271歳である。それぞれの役割は、解説役、狂言「花子」シテ、能「喜界島」シテであった。


 高齢者の登場は舞台上ばかりではない。会場の川崎市麻生市民館大ホールは、収容人数約100人は、見たところほぼ満員であったが、この観客席にも白髪の高齢者が多くを占めていた。杖つく人も多い、女性高齢者が多いのは、仕舞を習い事した人たちだろうか。

 馬場さんを能舞台上で見るのはコロナ前の横浜能楽堂で何度かあったが、久しぶりに見てもほとんど変わりがなかった。幕間にホワイエに出てきて、知り合いとおしゃべりされる姿も、変わりなかった。数年前に朝日歌壇の選者をやめてから、どうなさっておられるか気になっていた。歌人こそスーパーウーマンだ。

 かくいうわたしは、舞台の東次郎さんと生年月日が同じ(1937/05/05)という奇遇であるが、馬場さんにはかなわない。友枝・山本お二人はプロ舞台活動家だから動きがビシッとしてとしていてあたりまえだが、馬場さんもそうだからこちらが襟を正す思いだった。

 この能楽講演を観に行った目的の半分以上は、これらの3名人たちを実際の舞台上で観るということだった。実のところ、3か月前にチケットを買って当日までに、わたしもいれて超高齢者4人のうちの誰が欠けてもおかしくないとひそかに危惧もした。杞憂だった。

●狂言「花子」と能「喜界島」

 さて、肝心の舞台のことを書こう。
 馬場あき子の解説は、これまで横浜能楽堂で何度か聞いたが、今回のそれはホール公演だからだろうか、能初見者にもわかるような話だった。演能の後に3人の対談が舞台上で行われた。。東次郎さんと馬場さんは多く語り、友枝さんは少なかった。面白かった。

 狂言「花子」(はなご)を見るのは初めてと思っていたが、途中でいつか見たことあると気が付いた。狂言の演目の中では大曲とされて、めったに上演されないそうだ。こんなたわいもない話がなぜ大曲なのか?、男女間の機微についてのシテの語り謡い演技であろう。

 わたしには演技評価する能力はない。ただ、この演目は大蔵流山本家の剛直さを基本とする演技に向いているのだろうかと思う。いやいや、剛直さの中にこの軟弱そのものの内容を表現することで、その落差を楽しむのだろう。でも、東次郎の演技でそれは叶わなかった。いずれ和泉流あるいは歌舞伎舞踊「身代わり座禅」でも見たいと思う。 

麻生市民館ホール舞台に設けた仮設能舞台
舞台奥行きが2間半で、通常よりも1間分足りないし、橋掛かりも短すぎる

 喜多流の能「喜界島」は、同じストーリーだが観世流では「俊寛」という。詞章は若干異なるところもある。演出も若干違う。観世流俊寛は、3月に川崎能楽堂で観たので、ここに書いている

 観世と喜多の両流派の演出の違いで目に付いたのは、最後あたりに赦免船が俊寛を陸に残して出て行くところで、船と陸を結ぶ艫綱を伐る場面である。ここは俊寛が孤島に孤独な身を置かねばならぬと決定するかなり重要な場面である。

 この場面で観世流では実際に橋掛かりの船から太い縄を出して、陸の舞台とつなぐ艫綱を表現する。出航する船の艫綱にすがる俊寛を、赦免使が綱を切断して置き去りにする。俊寛はわずかな希望も断ち切られて立ち尽くす。喜多流では実物の綱は登場しなかったが、もちろんその綱があるものとして、切断の演技する。

 ずっと前にどこかで見た「俊寛」では、綱の現物を見た記憶がある。綱の現物の有無でどう違うだろうか。そこで思い出すのは、能「隅田川」で子方を出すか出さないかという演出のことである。同じようなことだろうか。

 現物の綱がある方が迫力あるが、綱の自在に曲がる形が、抽象化された舞台上ではリアル過ぎるようにも、前回の俊寛を見ているときに思ったものだった。馬場・山本。友枝3人のアフタートークでも、綱のあるなしが話題になっていた。

 橋掛かりが短か過ぎて、最後の場面での船と陸の間が次第に遠く離れて行き、俊寛の孤独を深めていく空間が足りないのだった。やはりこれは本物の能楽堂で演じるべき曲であろうと思った。

ホール内は階段客席ばかりで、杖付き老衰年寄りには昇り降りが怖い

●バリアフルな便所と見所

 さて、最後に老酔録にふさわしく、劇場のバリアフリー状況を書く。そう、よれよれ老人の劇場での苦労話である。小田急の新百合丘駅から、劇場までのルートは、杖付き老人には何とか円滑だった。問題は劇場建築の内部である。

 席に着く前に小便所に行く。ホワイエから地下へ半階分の階段を歩いて上下しなければならない。休憩時間にホワイエの中に長い行列があり、最後尾に「ここが末尾です」とのプラカードを掲げる人がいる。何事?と列の先をみれば女性便所バリアーだ。

 さてホール内(能楽堂では観客席を見所という)に入れば、約1000席全部が階段客席、客席間通路階段には手すりが無いのは常識で、よろよろと杖に頼って昇り降りする。しかもこの階段は座席寸法上の制約だろうか、踏み幅と高さが交互に異なるので怖い。

 そんなよろよろ老人はほかにも多いので、なんだか安心するような、逆に余計に腹が立つような。座席の一部に縦型の掴まり棒を取り付けてあるところがあった。初めて見たが、これは良い。だがほんの一部のみだったので、これを階段通路座席全部に取り付けてほしい。

 古い設計のホールだからだろうが、バリアフルな施設だった。いや、そういっては設計者に気の毒だ。女性便所の数が少ないのは設計ミスとしても、階段らだけバリアフル設計は、こちらが身体にバリアを次々と作った結果で発生したバリアだね。

(2025/05/04記)

ーー本サイト関連ページーー

趣味の能楽鑑賞瓢論集

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2026/03/15

1938【老酔録㉕能鑑賞】久しぶり能狂言鑑賞に懐かしい能楽師たちを見て舞台も見所も年とったと思う

●屋根のない能舞台に久しぶりに出会って 

 昨日(3月14日)午後、久しぶりに能楽鑑賞に行ってきた。横浜能楽堂が休止しになり、もう3年以上も能を見ていない。なんだか能禁忌症状がでそうだ。

 川崎能楽堂定期能は、観世流能「俊寛」と大蔵流狂言「文蔵」であった。川崎能楽堂へは30年以上も前に能「鵺」を観に行った記憶がある。能の趣味を始める初期の頃だ。会場の様子を忘れていたが、かなりコンパクトで狭く、舞台と客席が近かすぎるくらだ。

 舞台には屋根が無くて、四隅の柱は1mほどで伐られてる。見所と舞台の間に玉砂利もない。能専用の能楽堂なのに、何やら小ホールの中に見所と舞台が混在している感があった。狭いので見所で演じているようでもあった。

 ここでは見所と舞台が同じ高いひとつの天井のもとにあるから、見所の中で演能がなされている、あるいは客は舞台上で見ている、そんな不思議な気分になった。これまで頻繁に見てきた横浜能楽堂も観世能楽堂も、屋根があり柱がある。それらでは見所と舞台は画然と異なる空間になるものだと改めて認識した。

 舞台と見所は画然と異なる空間であることに慣れていたので、改めてその関係を考えた。演能は特別な状況を舞台上に発生させているから、見所と舞台は別の空間の方が良い。特に、能のような様式美を強調する場合は、画然と別空間の方が良いと思う。

 そういえば思い出したが、先般KAATで観た「未練の幽霊」の舞台と客席の関係はこの川崎能楽堂に似ていた、だが、置き舞台の真上には同じ大きさの照明を屋根の様に吊っていたからか、舞台と客席とは異なる空間と認識して観た。どうやら舞台にはプロセニアム相当の仕掛けがいると改めて思った。

 ということは、狂言の方はむしろ舞台と見所は一体に近い方が良いかもしれない。狂言はいかにも日常の延長のような芸を見せるのだから、客席の延長にある方がリアリティがありそうだ。そうか、狂言と能とはその点で基本的に異なるものと改めて思う。

●能と歌舞伎

 狂言「文蔵」は、石橋山合戦の語りがメインである。講談のような堅い口調の語りを長々としゃべらせておいて、軽く逆転的なオチに持ち込む。話としては面白くもないから、オチのあたりの段差の演技が重要だが、堅さが売り物の山本家狂言では、難しそうだ。

 能「俊寛」は、演劇的なストーリーで舞が全くない。俊寛が置き去りにされて嘆く最後の場面が見せ場である。同じストリーの歌舞伎「平家女護が島」があるが、この最後の場面の表現が能と歌舞伎の基本的な違いを見せるのが面白い。

 能では抑えに抑えた表現でもって大きな悲しみを表現するが、歌舞伎では叫び泣き暴れて手放し状態で悲しみの表現をする。これは能「隅田川」と歌舞伎舞踊「隅田川」の違いも同様である。歌舞伎では嘆き悲しみ過ぎて、見ているこちらが辟易する。

 ここでも能舞台が気になった。橋掛かりが短くかつ狭いのである。最後に赦免船が出ていく場が、どうも窮屈なのである。取り残されて嘆く俊寛の演技と、出ていくご赦免船の一行との間合いの具合が、どうも悪い。

●舞台も見所も歳とってしまった

 観世の演者たちは観世宗家の一門だった。もう4半世紀も前から一時は毎週のように頻繁に通った東京の松濤の観世能楽堂で、しょっちゅう見ていた能楽師たちが居る。おお、あの人もあんなにも年取ったものだと、自分の歳を棚に上げて感慨にふけった。

 地頭の関根知孝、小鼓の鵜沢洋太郎、後見の寺井栄など、若手だったのになあ。シテの観世恭秀の能面の横にはみ出る頬の皴に、直面(ひためん)でもよいだろうにとつい思ってしう。山本泰太郎は則直の子で東次郎の甥、そうだ、5月に東次郎を見に行く予定だ。

 そう、5月3日には東次郎「花子」、友枝昭世「鬼界島」を見に行くのだ。しかもこれに馬場あき子の解説があるのだから、出演者たちも演目も超豪華版だ。観世の「俊寛」と同じだが題名が違う「鬼界島」を、喜多流ではどう見せるのかも楽しみだ。ただ、ホール能であるのが気がかりだ。

 東次郎とわたしは生年月日が同じであるし、馬場はその10歳上、友枝は40年生まれだから、わたしもいれて4人のうちの誰かが、5月にはこの世にいないかもしれない、そんなスリルのある能楽の日を待ち遠しい。その日のことは、この続きとして書こう。

 今回の能鑑賞には、息子と初めて同行した。実は介護人と言うべきかもしれないが、なんにせよ能に興味を示してくれて嬉しい。そして先輩としてなにがしかの能楽解説をして、知ったかぶりを発揮できることも嬉しい。

(2016/03/15記)

ーー本サイト関連ページーー

趣味の能楽鑑賞瓢論集

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




2026/01/30

1927【老酔録⑯超高齢と国政選挙】右や左はバカにも分かる差別分断言辞で優勢なれど中の道は霧の中に霞むばかり

 ●高市大統領選挙らしい

 衆議院議員選挙が2月8日投票だそうである。忙しすぎてなんだかよく分らない。 憲法第7条による国会解散とのこと。内閣が国会解散を天皇に助言し、それを受けた天皇が国会解散を行うのだそうだ。たぶん、こんな会話がなされたに違いない。

 さなえさん「憲法7により、国会の解散をなさいますように、内閣から助言を申し上げますので、ご承認をおねがいします」 

 なるひとさん「え、どうして?、だってまだ任期の半分もやってないじゃん、あなただって首相になって3か月やそこらでしょ、どう考えても早すぎるでしょ、いいの?」

 もちろん、天皇が国事に口出ししないことになっているから、たとえこう思ったとしても言わないだろう。でも、だれでも思う疑問であることは確かだ。で、なぜ解散か、選挙運動が始まってからようやく分ってきた。

 今日(1月30日)までに何となくわかってきたことは、首相の高市早苗氏は「私が首相にふさわしいかどうか信任投票をしてもらうために早期解散しました」と言い出した。でも彼女を首相にした人たちは、選挙した国民ではない。自由民主党員たちの多数決により党の総裁に選出し、更に国会でも選挙で多数決で首相に推したのは自民党議員であった。つまり自民党員だけが彼女を首相にしたのだ。

 そこで彼女は自民党員だけではない国民の選挙で首相に選出されたいと望んだのだろう。だが、「高市早苗」と記名できる人は、彼女が立候補している選挙区の人だけだから、彼女の希望は叶うことなく、やっぱり自民党員たちから信任を受ける形しかない

 これでは次の国会での選挙で彼女が首相に選出されても、議院内閣制だから構造的には元の木阿弥である。この構造が同じだから、また彼女は自民党(+維新)で首相に選出されるだろう。でも彼女は強弁して「わたしは国民に投票で信任された、大統領並みの権限を行使する」というだろうなあ。ミニトランプになりたいだろうなあ。いいのかなあ。

●政党名に迷惑する

左道・中道・右道の政党リーダーたち 2022年1月

 この度、新しい政党「中道改革連合」が登場した。今のところ衆議院だけで立憲民主党と公明党が合併して誕生だが、そのうちに参議院や地方政治もそのようになって、立憲と公明が消えるのだろう。

 わたしは新党の中身についてはよく分らない、何となく感じるのは、新しい登場なのにカスミがかかったようにぼやけていることだ。右や左にたくさんの政党ができているが、「中道」には「その他」の感があり、「連合」だから「その他おおぜい寄せ集め」感がある。

 選挙なんてものは、バカ庶民はわかりやすい方に流れるもんだろう。わたしは嫌いだが「参政党」なんてのがはびこるのは、単に「バカにもわかりやすい」だけの理由だろう。中身の良しあしではない。

 政党名には困らされている。(この件は以前にも述べた→1915【言葉の酔時記:政党名】ので簡単に書く)。要するに普通名詞(公明、立憲、国民、中道など)を政党名に使われると、それを日常に使用することが実に不自由になり、事実上その単語を盗まれるのだ。

 立憲民主党と公明党が合併だから、立公党になるかと思っていたら「中道」だそうである。ここでもしも「公立党」だったら実に困ったことになる。公立の施設は事実上は公立とは言えなくなってしまう。大阪公立大学は政治家養成学校か、公立党でなくてよかった。

 中道も普通名詞だから困ることになる。普通に中道と言ったら政党名と思われるから使わないことになるでしょ。できれば「ちゅうどう」としてほしい。だって「れいわ」とか「みらい」とか「ゆうこく」ってあるでしょ。

 それにしても「ゆうこく」ってなんだろう。これから暗くなる一方の「夕刻」かしら、それとも暗い谷間をゆく「幽谷」かしら、まさか暗いイメージてんこ盛りの古臭い右寄り「憂国」ってことはあるまいなあ。

●無思想バカネット右翼はびこる

 どうもこの前の国政選挙あたりから、変な人と政党が急伸していて、奇妙な世の中になってきた。差別的言辞をワザと声高にネットを使って言う人たちが国会に二けたの席を獲得するのである。無思想バカ右翼蔓延の傾向である。

 10年前なら泡沫と面白がられてもすぐ消えた人たちが、ネットで短い言葉を繰り返し、しかも差別的攻撃的排他的に言を弄するうちになんと当選してきたのだ。このひとたちはいったいなんだろうか。

 ネット社会に浸る特に若者たちが歓迎らしい。わたしもネット社会に嵌っていてそんな言辞に出会っているが、まさか支持するなんて思いもしない。右や左に分類すれば明らかに右翼に属するのだろうが、それが政党を組んで政界に登場する。曰く参政党、保守党なんて。

 なんともはや世も末である。どうも世界中がそうらしい。USAのランプ大統領出現がその典型的な例である。EU諸国も右派政党の躍進らしい。そんな輩が当選する国政選挙になんぞ、もう付き合っていられないよ。

●超高齢者の選挙

 国政選挙は基本的には国民の未来を決めることであろう。そこで私のように90歳が近い超高齢老人には、もう自分には未来が無いのだから、他人の未来だけを考えて投票することになる。さて未来なんて年とっても誰にも分らない、これには困る。

 これまで、ほとんどの場合はわたしの票は死んだ。比較すれば左道を行こうとする候補者と政党に投票してきたが、それは死んでしまったのかも知れないが、底流では生きているような気がしていた。それは中左の道を行く人たちがそれなりに生きていたから

 今夏の国政選挙では、その中の道を行く人たちの主流にいた立憲民主党が消えた。この党にある種の期待をを持ちながら、それより左道に表を入れ来てのだ。ところが底流では期待の立憲民主党が消えた。

 もちろん。公明党と一体化して中道計画連合なる政党と改名した。だから立件は継続すると思ったら、その根本にある安保法制反対と核発電廃止という2大政策がなくなった。現実的政策だと言ってどちらも容認だそうだから、柱が折れてしまった

 昔、社会党が政権について、自衛隊反対の旗を降ろしたときを思い出した。そのときから社会党は消えていく道を得選んで、今の社民党に至る。立憲の中道党が同様に見えて、いや、見えなくなってきた。中道というあいまいな霧の中にかすんでいる。

 右のバカ右翼がバカにも通じる短いヘイトでバカ票を稼ぐ中で、バカには見つけられもしないし、お利口にも見られない霧の向こうに消えるなんて、バカもたいがいにしてほしい。立憲がいるから安心?して、もっと左に票を投じてきたわたしは、これからどうするか。

 どうせ自分か生きている時間は短いのだから、わたしのことも他人ことも、もうどうでもいいや、いやになってきた。地球はあちこちで戦争紛争好き独善リーダーが出現しているし、温暖化で地球そのものがそう遠くない未来に壊れそうだし、悪いことばかり。

 生まれた1937年は、日本の十五年戦争の真っ最中で父はいない日々だったし、1945年に戦争が終わっても、実は食糧難でひどい目に遭ってきたしなあ、どうやら生まれた時も戦争時代、死ぬときも戦争時代になりそうで、ろくなことが無い人生だね。

 何度も選挙なるものをやってきたけど、いつも私の入れる票は外ればかりだったなあ。何も変わらない選挙だったなあ。今回もそうなるだろうなあ、いや、もっと悪くなるだろうなあ、死に票になることを承知で、うんと左道あたりに入れてくるかなあ

 票も死ぬが、わたしの死も近い。国家のゆくえなんてもう知ったことか。超老人はうまいもん食って寝て死を待つだけだ、それにしても死ぬって難しい、つくづくそう思う日々だ。
 もうすぐ2月だ、そうだ、この辺で本歌取り狂歌を詠っておこう、いつものように。

    願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のコロナ

(2026/01/31記)

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

2025/12/31

1922【老酔録⑫】コロナ後の地球は新たな輝かしい夜明けかと期待して生き延びたのは大間違いだった

 さてさて今日で2025年が暮れる。といっても普通に地球はまわっていて特別なことが起きてもいないのに、今日を大晦日と名付けて特別な日とするのは、人間の文化的勝手というものである。

 実はそういう特別さを嫌いであって、普通に過ごせばよいとも思うのだが、今年がコロナ罹患という、わたしにとっては世界的なパンデミックにちょっと引っかかったという特別なイベントで終わったので、世間並みに今年のことをちょっと書いておこうと思いついた。

 思いついたのはよいのだが、今日という大晦日中に書かねばならぬと、ちょっと焦っている。書いているうちに今年が期限切れになる恐れがあるのだ、いや、締切が過ぎても一向にかまわないとも思うのだが。

●今年第1の事件:かかりつけ医師ができたこと

 さて、これを書くわが身は、今年初めから普通後期高齢者並みの、月一回医者に行って薬を買い、食事の度にそれらを飲む習慣づけにさせられてしまった。血圧の薬らしいが、それを飲んでいったい何が効果があるのかわからぬところに悩みがある。

 ひごろどこも痛くもかゆくもないのに、丸薬を飲まされているのは不思議である。飲めば何がよくなっているかしらと懐疑を持っていては、丸薬の方もこいつに飲まれても効いてやらないぞなんて思うかもしれない。(参照:高血圧事件

 こうして生まれて初めてかかりつけ医者なるものがわたしにもできた、これが第1の事件であるとすれば、第2の事件は居宅を移転したことである。住まいを変えたのだが、正確に言えば移転後も同じ共同住宅ビルの中であるから、生活圏には変化はない。

●今年第2の事件:住み家を移転したこと

 おなじビルの中の住戸で2階分上方の9階に移った。移った理由は、昨年夏に独り者になったから、掃除しなくてよいように狭くしたのだ。昔、二人で住む身になってから家族の増加と転勤で少しづつ住宅を広くしてきたが、ここに来て一挙に4LDKから1LDKに縮小した。

 持ち物をほとんど捨てた。家人だった人の物はもちろん、自分のもちものも最低限にして他は捨てた。処分するものの家事から言えば蔵書が最も多かった。自分の著書さえ捨てた。要するにここで死ぬ準備のひとつである。

 立地環境は変わらないから移転後に迷うことは何もないのがよろしい。住戸は2階分高くなって、見晴らしも日当たりもよくなったし、空も広くなったのがよろしい。地上から高いだけに夏の風通しもよろしい。(参照:都市漂流

 たぶん、終の棲家になるはずだが、もう一度高齢者施設へ移転しなければならないだろうとも思う。実は今回の移転もそうしたいとも思って、いろいろ探したのだが適切なものを見つけることができなかった。高齢者の住まい選びはむつかしいと知った。

●今年第3の事件:たぶん最後となる故郷訪問をしたこと

 5月に思い立って大旅行をした。久しぶりに新幹線に乗って、西への旅に出たのだ。死ぬ前に一応は生まれ故郷を見ておこう、なんでわたしにしては殊勝なことを思いついたのだった。この度のことはこのブログに書いた(参照「故郷への最後の旅」)。

 考えてみるとわたしの生まれ故郷は、典型的な故郷であるような気がする。童謡や唱歌に故郷を詠うものが結構多い。例えばすぐおもい浮かぶ歌詞の一部は、「ウサギ追いしかのやま・・」とか「園の小百合撫子垣根の千草・・・」とか「更け行く秋に夜・・・」とか、出だしだけをいくつか思い出す。

 そこに出てくる田舎の風景や自然におむね適合する思い出景観が、わたしの故郷のどこかにあるような気がするのだ。故郷を持つとはこのようなことかと、時々思う。だからといって故郷を特に懐かしがってもいないのだが、わるくない気持ちだ。

●今年第4の事件:遅まきながらコロナに罹患したこと

 怪我やできもので医師にかかることはあっても、内科系の病気になることはほとんどなかったわたしでも、さすがにコロナのやつは見逃さなかった。12月になったとたんにコロナになって月の前半はごろごろして、何とか元に戻った。(詳しくは参照:老酔録⑩

 今年は世間のコロナが終わった様子であったから、わたしはほとんど忘れていた。マスクも医院でのみつけていた(いつも忘れて注意を受けた)。電車でも祭りでも雑踏を気にしないでいた。日頃ピンピンコロリと逝きたいと願っているから、ピンピンコロナで逝くのもよしと考えてはいた。

 「なんとかは忘れた頃にやってくる」というごとき今年の12月にもなって、ようやく私にもコロナが届いたのだった。やれ嬉しやとはさすがに思わないが、ピンピンコロナだぞと期待もあったが、見放されたのであった。後遺症もない。

●今年第5以下の事件はなかったが・・

 それなりに身辺は平穏な生活であるのはよいのだが、世間はなんともはや不愉快な年であった。実はコロナパンデミックという地球規模の大事件が終了後には、その地球規模災禍を教訓にして、地球規模の新たな世の中ができるに違いないと期待していた。それを見たくてここまで生きたようなものだ。

 ところが2025年の世界の酷くなったことはどうだ、コロナの後遺症を地球も患ったに違いない。ウクライナからプーチンは一向にひこうとしない。侵略戦争が21世紀の4分の一が過ぎる時代になったもあり得るのだ。

 トランプはコロナ中に2度目の登場して、1回目のドジを踏まないように身辺を固めて、世界に騒ぎをもたらしている。戦争を終わらすという大口をたたくが、プーチンやネタニヤフの手玉にとられてウクライナもガザも一向に解決しない。

 そのうちに業を煮やして、新モンロー主義を唱えて一切を放り出すにちがいない。ユーラシア大陸のことなんかもう知らないと言い出すだろう。そして南北アメリカ大陸のトランプ王国形成にのみ興味を示すのだろう。ベネズエラの石油があれば東世界は要らないのだ。

 そうやって地球に東西対立の新体制ができる行方は、第3次世界大戦である。そんなコロナ後遺症の発病なんて、これがコロナ後の新世界であったのか。思えば2009年に逝った友はコロナもウクライナ戦争も知らずに、羨ましい。

 コロナ中にも去年も今年も、何人かの同年の畏友たちが逝ってしまった。彼らは世界戦争を知らず逝って羨ましい。あ、そうだ、ことしはあの右翼政権だった安倍晋三を継承する高市政権が誕生したのだった。これも知らずに逝った友を羨む。

 コロナ開けて新しい秩序の輝かしい新世界が生まれるかもしれないと期待して、それを見たくてここまで長生きしてきた。だが、大きな誤解だった。コロナに罹った地球は、新東西分断世界誕生から世界戦争へという、とんでもない後遺症を地球に患わせたのであった。

 こうであってもわたしにできることは、せいぜいあいも変わらず、ピンピンコロリを願うしかない日々になるらしい。

コロナ後の後遺症かやこの地球 分断社会戦争紛争温暖化

(2025/12/31記)
(20260104追記)
●生き過ぎてトランプトランプ戦争に出会ってしまった

 東西分断から戦争へと書いたら、トランプが昨日ベネズエラに爆撃をかけて、大統領夫妻をアメリカに拉致してきたとのニュース、え~っ、今度はそっちで戦争かい、いくら平和賞が欲しいったって、戦争おっぱじめてはとてもじゃないが無理ですよ、もうプーチンなみだね、トランプのバカ、石油を欲しいのが本音だろ、もうEU諸国首脳もゼレンスキーもプーチンもネタニヤフもシーチンピンも、だれ~もあんたを信用しないよ、停戦仲介なんておよびじゃなくなるね、これで地球は東西分断、そして第3次大戦に向かうだろう、ああ、これがわたしが見てから死にたかったコロナ後の新世界であったか、いやまったくオレは生き過ぎたなあーーー

参考までに思想家内田樹氏の予言的コラムを載せる。

このブログ関連ページ
コロナ騒動オロオロ日録

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2025/10/29

1917【老酔録⑦】知らぬ間に診療報酬詐取事件の片棒を担がされた、この歳で臭い飯を食うかも、まさか

老酔録⑥】の続き

●詐欺話の出だしは警察からの電話

 米寿になるほどに歳取ってしまったわたしも、さすがに今年から「かかりつけ医師」なるものができてた。去年まではめったに医者に行くことは無かったが、歳とるとそうもいかないものかと思っていたら、診療報酬詐欺事件に巻き込まれたらしい。え、老酔か~?

 医療費詐取とはなんだかケチな詐欺罪らしいが、いやいや実は大犯罪かもしれない、などと好奇心を広げて、ヒマツブシをしている。もしやわたし共犯者かもしれない、まさか、この歳で留置場体験なんて、なんだかわくわくする不謹慎さである。

 ことの初めは、今年2025年5月初め、千葉県習志野警察署の刑事と名乗る女性らしい声の電話であった。習志野市内のあるクリニックで受診したことがあるかとの問い合わせだった。そんな遠くで医者にかかった記憶がない。詐欺電話かもと警戒しながら対応した。

 いろいろ聞いてみると、どうやらそのクリニックがわたしの名で架空の診療代を医療保険に請求している事件らしい。どこでわたしの情報を手に入れたのか知らないが、わたしを診療をしたと嘘ついて保険組合に請求して代金詐取したらしい。

 その時の話はそれでおしまいだが、続きがあった。6月12日付で封書がやってきた。発信者は「神奈川県後期高齢者保険広域組合」(以下この文中では という)とあり、内容は上記電話があった習志野市にある「クリニックあらい」(以下という)なる医療機関で診療を受けたことがあるかとの問い合わせであった。

 習志野市内のクリニックということで、思い出したのが上記の習志野警察からの電話である。ハハン、そうか、あのときの架空診療請求事件がこれだったのだな。もちろん、無いと返事を出した。これら二つのことは、このブログに【警察からまた電話が】とのタイトルで、詳しく書いている。

●わたしにも架空診療支給金を返せと

 それでおしまいともう忘れていたら、続きが発生した。2025年10月8日付でまたから文書が来た。「高額療養費について(お知らせ)」との表題で、今年1月20日にわたしに支給した「高額療養費」3,144円を返還せよと書いてある。

 あらら、そんなカネもらったっけ?、振込用の貯金通帳を見ると、確かに入金している。気が付かなかった。お知らせ文書をよく見ると、その架空診療を受けたのは2022年7月と8月であったと書いてある。高額療養費ってなんだっけと俄か勉強した。

 そんな3年も前の診療に、今年1月になって支給するって、常識として遅すぎるだろ。そもそもめったに医者に行かないわたしは、保険制度の高額医療費支給なんてめったに受けたことがない。振込通帳をさかのぼってみたら、パラパラと何回か数百円が振り込まれている。

 それでも、診療から3年も経って振り込んだ例はないようだ。このことがあって気にするようになって、最近の振り込みを見ると今年7月診療を根拠とする高額医療費は、10月16日の支給である。わずかに607円であるが3か月後である。3年も経っての支給ではない。

 その異常な支給時期は、たぶん、架空診療事件捜査対象になっていて、調査中とかで支給が遅れたのだろう。それにしても、それが詐欺行為の案件と分った後だから、支給しなくて良いはず、いや、支給してはいけないと分かっているのだ。にもかかわらず、わざわざ支給して返還せよなんて、手間のかかる奇妙なことをするのか??
支給された高額療養費返還請求文書

 そして更に、またから10月8日付で文書が来た。返還請求金の振込用紙が入っていて、11月4日までに納入せよとある。わたしが支給されるべきでない金だから返還するのにやぶさかでないが、何となくすっきりしない。

●わたしは詐欺医師の共犯者だろうか

 例えばこう考える。わたしとAとが共犯とみなされているのかもしれない。つまり、は診療報酬を詐取し、わたしは高額療養支給金を詐取するのだ。まあ、3000円でリスクとる犯罪ではないが、多くの診療回数があれば稼ぎになるだろう。はたぶん多数の個人情報を仕入れて、多数の架空請求をしたに違いない。わたしはそのほんの一部の片棒を担がされたのだ。

 すっきりしないのは、この加担させられた詐欺の内容が詳しく分らないことにもある。そんなこと知らなくてよいから、とにかくカネ返せは言っているようなのだ。公的機関には珍しい丁寧な言葉使いの文書であるが、慇懃無礼の感がある。

 好奇心に過ぎないが、わたしの名を使ってどのように詐欺事件が展開されたのか、知らぬ間に巻き込まれた当事者として知りたいと思えど、どこにも書いていない。は、ただただ返還せよという。まあ、犯罪に絡むから詳しく開示できないのだろう、とは思うが、、。

 そういえばはいまどうしているのだろうか、クリニックはたぶん閉鎖してるだろうなあ。医師は免許取り上げかしら、裁判中かしら、それとも臭い飯を食う毎日か、あるいは罰金納めて終わったか。
 もしもわたしがこれを返還しなかったら、わたしはどうなるのだろうか。怖いなあ。

●保険診療詐取された審査機関の責任は?

 ところで、この支給を行った機関のKには、責任はないのかしら。文書に添付されている「保険診療の流れ」なるフローチャートに、(審査支払機関とみられる)の役割に「審査」があると書かれている。今回の件はわが受給も含めて審査ミスになる。

 その審査ミスによって、わたしは知らぬ間に詐欺の片棒を担がされたのである。しかも高額療養費支給金詐取までもね。厳密にいえば、支給時に気づいてKに抗議するべきであったのに、それに気づかなかったわたしが悪いのかしら、う~ん?、ハイハイ。

 そのあたり審査責任はどうなっているのだろうか。これは医療保険制度を支える被保険者のひとりとしても、に訊きたいところである。このような審査ミスがどれほどあるのだろうか、めったにないことか、それとも頻発しているのか、気になってきた。

 さて、寒くなったけど腰を上げて返還指定振込銀行にいくかなあ、どうしようかなあ。
 このブログ内容をKに質問しようとKのネットサイトを見たが、電話しかできない。でもこんな長い話を電話でするのはあまりに面倒すぎる。いまどきEメイルが無いのは何故だろう。訊きに訪ねていくには不便なところだ。このブログを読んでくれることを期待するしかない。 
 なお、近所の区役所の保険担当課を訪ねて訊いたが、に訊くしかないとのことだった。(2025/10/30記)


2025/11/04追記
 ともかくも受給するべきでないとされたKからの高額療養費支給金(3144円)を、Kに返還すべく指定納付期限の今日、指定銀行口座に振り込んでおいた。
 まさかと思うが、これも実はKを騙る振込め詐欺であった、なんてことはないだろうなあ。








ーこのブログ内の関連する記事ー
2025/05/02・1884【警察からまた電話が
 https://datey.blogspot.com/2025/05/1884.html

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

2025/10/19

1916【老酔録⑥】コロナと介護で縁が切れた世間へ復帰を目指して米寿手習い陶芸教室へ

老酔録⑤】のつづき

●コロナ後の老後をどうしようか

 コロナと老々看護という、わたしの人生末期大事件で、世間と縁が切れてしまって、いまやすでに5年にもなる。
 コロナ期間中は、老人は世間と交際するなとて、世間との縁を断絶させられてしまった。また在宅看護中はは、逆に見知らぬ医療や介護の専門家たちが入れ代わり立ち代わり毎日のように訪問してきて、それまでに経験したことがない賑わいであった。だが、これは限られた専門家たちであり、突然に看護当時者がいなくなると同時に全く縁が切れた。

 もちろんその間も、全く世間と完全に縁が切れてはいなくて、インタネットによるSNS、Eメール、ブログ、ZOOMで、限られた旧友たちとはつながっていた。インタネットのある時代に間に合ってよかったと思ったものだ。だが所詮は、バーチャル空間の中のことであり、面と向かっての縁は切れた。

 コロナも在宅看護も解消したのは2024年の夏だった。2020年に始まった4年も経っていた。さて、縁が切れた世間と復縁しようかと思ったのだが、その間に世間の方が大きく変わって、わたしが復する場所がなくなってしまった。若ければあらためてで付き合いを再構築できるが、いまや老残の身になってしまって、復するべき世間を見つけられないでいる。

 近所に「ケアプラザ」なる公的な高齢者支援施設がある。老々在宅看護を始めるにあたって世話になったところである。ここで高齢者向けにいろいろイベントがあるとて、パンフレットを見て参加するかなと思えど、どうもよろよろ相手の行事ばかりのようだ。こちらももちろんよろよろだが、それほどじゃないからなあ、と思う。実は一度だけ参加したことがある。10人くらいで体操してフレイル度合いを計ったが、継続する興味がわかなかった。

 そんなとき、市の広報の片隅に見つけたのが、「陶芸教室」である。近所の「コミュニティハウス」なる公的施設でやるらしい。そうか、これなら面白いかもと、申し込んだ。わたしは手先は器用であることは、本づくり趣味で自任している。初めてでもなんとかなるだろう。

 陶芸といえば仕事で何度か多治見に行ったことがあるし、人間国宝の加藤卓男氏を市之倉の幸兵衛窯に訪ねたこともある。自分の陶芸とは何の関係もないが、ついそんなことも思い出した。多治見は興味ある街だった。(参照→美濃焼の多治見
 陶芸教室の案内パンフに、講師のお名前が加藤さんとある。おや、卓男、藤九郎など美濃焼著名作家たちと同じだ。

 関連してもう一つ思い出した。同様に伝統工芸の漆芸である。これに関しては越前塗の町にかなり通ったものだった。福井県鯖江市河和田地区である。この街の漆芸の中心となる「漆器の里ーうるしの里会館」づくりで、プロジェクトマネージャーをやった。漆芸についてかなり細かく知ったが、陶芸のように素人習い事として簡単にはできない。

 そういえば、わたしはお稽古事を嫌いな性分であった。これまでそれらしいことは、人間国宝の野村四郎師匠に能の謡を20数年習ったこと(参照→野村四郎師匠逝く)が唯一である。しばらく遠ざかっていた習いごとに、陶芸で復帰するのも面白そうだ。米寿の手習いか。これがコロナと介護で切れた世間付き合いの再出発点になれば嬉しい。

●毎日曜日に近所の陶芸教室へ手習いに

 陶芸教室開催のコミュニティハウスに受講申し込みに行った。費用2800円、簡単に受け入れてくれた。氏名と年齢だけで詳しい個人情報は一切聞かないのが今時らしいのか。年齢も65歳以上か否かだけを聞かれて、「ど~んと上の齢でございます」と答えた。受講生は6人とのこと、こちらもどんな人たちか聞かない。毎日曜日午後で5回連続とのこと。

 さて、初回の日、コミュニティセンターの一室にやってきたのは、わたしのほかは、講師も含めて全員が女性であった。中年以上だろうか、年齢をよく分らないのは、この間の世間と途絶が長かったからだろう。米寿の手習い仲間はどんな方々かしら。

 各人にそれぞれに道具一式をそろえて貸してくれ、粘土を1キロも用意してある。道具に中に小さな轆轤もある。粘土をこねて轆轤にに載せて回すのだが、意外にも難しい。陶磁器産地で轆轤を回しているの見たことがある。あのようにまん丸くすーっと椀の形ができると思いきや、わたしはこんな不器用であったかと思い知らされた。

轆轤回しは意外に難しい

 それでも何とか形にしたのは、出だしは抹茶茶碗のつもりだったが、ひねた形の犬猫用のの飯茶碗みたいになった。そんなのを大小二つと、いびつな角平皿一枚ができた。ま、こんなもんか、何しろ初めてだからね。

 他の人たちの作り様を見るともなく見ると、どなたも洋食器風であるのに対して、わたしはいかにも下手の手びねりである。何やら基本的スタンスが異なるらしいが、それでよし。初日はそれでおわり、次回まで室内で乾燥させておく。いろいろな受講生がいろいろな質問をして、講師の先生は大わらわなようだった。

 1週間後の2回目は、乾いて赤みがかった粘土色の器になっていた。これを鑢やサンドペーパーで修正整形して、これに化粧用の色粘土を溶いた溶液を刷毛で塗って、模様や色付けをするのだ。わたしは、椀については半分だけ白色を塗った。溶液に半分だけざぶんと漬けようとしたが、溶液が浅くて刷毛で塗った。できるだけ人手の跡が出ないようにしたいのだが、刷毛目が付きそうだ。今回はこれまでで、2週間の乾燥をさせる。

 今日はちょっと手すきになったので、講師の入選作品が掲載されている展覧会図録を見せていただいた。その入選作品は焼き物の先入観を破って、抽象的な現代アートであった。いま眼の前でやっていることとのギャップに、ちょっと驚いた。そうなんだ、器ばかりが陶芸ではないのである。としてもわたしにはアブストラクトセラミツクアートは無理である。

 3回目は、窯場のある近くの中学校の地域交流室に移動して、作品を持っていく。わたしは大丈夫とは思ったが、それでも途中で転んで割ってしまうのが心配になり、タオルで包んでリュックザックに担いで持って行った。中学校には電気釜があり、これに入れて素焼きにするとのことで、それは講師に頼んで、今日はここまで。


窯から出したばかりの素焼き状態の椀二つ 良い色だ

●いよいよ釉薬をかけて本焼の窯へ

 4回目は、素焼き作品を窯から取り出した。若干色が変わっていて、このままでもよいような気がした。これにさらに釉薬を塗って、色付け模様がけなどするのだ。色ごとに釉薬が何種類もあるのだが、小さな色焼き見本を見ても、実際にどんな色になるのか、ほとんど想像がつかない。どうなるのかわからないのがむしろ面白いとするべきか。

 わたしは二つの椀は、校庭でもぎ取ってきた木の葉に釉薬をつけて、器の底に印を押すように葉脈模様をつけた。意外にうまく葉の形が付いた。何色になるのかわからない。もう少し小さいほうがよかったかなとも思うが、まあ、どう出るか分らぬのが面白からこれでよい。そしてこの二つの椀ともに、透明釉薬にざぶりと漬けただけであった。

釉薬をかけたこれを本焼きの窯に入れる どんな色に出るか見当がつかない

 平皿はイメージとして緑色だけの佐野乾山を真似したくて、織部と名がついている釉薬にざぶりと漬けた。果たして緑色になるか。他の人たちは、何やら繊細な絵付けをしておられるようだ。

 こうして釉薬を塗った作品を、今度は本焼きするのだ。それは講師の先生にお任せするしかない。先生はわたしの平皿を見て、釉薬が多すぎるから、うまく削っておくとのことで、ありがとうございます、よろしくお願いしますと、お任せするばかり。今回も初会のごとく、かなり講師の先生の指導をこまごまといただいた。次回の窯出しを楽しみだ。

 今回が最後の教室で、作品が出来上がる。窯の前にみんな集まって、先生が取り出すのを待ち受ける。おお、意外にわが作品はよくできているぞ。初めての経験しては上出来だと、密かに自賛することしきりである。あ、講師の教えがよかったのだ。

 よく見れば、椀二つはほぼ思い通りに近い色だが、白色に刷毛目が出ているのが残念だ。葉の模様付の色が濃過ぎた、もう少し小さい葉の方がよかったか、などと思う。
 でもまあまあ、はじめただからこれでよし、自分に言い聞かせたのだ。さっそく教室での茶話会に使う。

うまく焼きあがった、さっそくこれで干菓子をいただく

 平皿は緑色というには濃すぎた。わずかに縁のあたりが緑色になったが、底は黒色だ。でも一面に真っ黒っではなくて、薬が地に届かないままのいくつかが模様となって、地色が見えているのがかえって味がある、平皿の底に小宇宙を覗く、なんて思うことにする、ふふふ。
 ほかの方たちの作品もそれぞれ出来上がった。それを論ずる能力はない。どの方の作品もわたしのそれとはずいぶん違うなア、と思うばかりだ。

食卓でじっくりと鑑賞中

●わたしの社会復帰はまだ手探り

 こうして陶芸教室は終わった。わたしはこれで社会復帰できただろうか。実のところはよく分らない。客観的に見て、わたしの教室での態度は、かなり不愛想であった。失礼でもあった。わたしの現役時代は、見知らぬ大勢の他人と話すのは、普通のことだった。会議とか、講演とか、大学講義とかで、それが仕事だった。

 そのわたしでさえも、5年ものブランクは、不愛想人間になった。それは、見知らぬ他人との付き合い方を取り戻そうとしても、その距離の取り方を計りかねていたからだ。老いたものだ。いつの日かそれを意識せずに話すことができるようになるだろう。だがその前に、老いがその時が来ることを許さないだろう。だがさて、次はどんな教室に行こうか。

(2025/10/19記)

ーーこのブログの陶磁器関連ブログーー
2013/06/09・791【金継ぎ】琉球焼き物マグカップ金継ぎ修理https://datey.blogspot.com/2013/06/791.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2025/10/09

1914【老酔録⑤】米寿と米呪、老衰と老酔 

 米寿と米呪、老衰と老酔  伊達 美徳

 わたしの郷里に住む歌人藤本孝子さんの第五歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ』に、こんな歌が載っています。

 「もう飽きた人生の盆地を飛び出したい」十八の頃と同じこと言ふ

 歌人によると、これはわたしのことだそうです。

藤本孝子歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ』 2025年10月版

 そのとおりで、わたしは少年時には、閉鎖環境の高梁盆地を飛び出したいと思い続けていました。少年は誰もそうだったことでしょうが、わたしのそれは十九歳の時にようやく叶いました。飛び出したままのそれから60年後、八十歳になったわたしはこんなことを書いていました。

「思えば十五年戦争のさなかに生まれ、もの心ついたら戦争が終わり、社会に出ると高度成長期、大きな災害傷病に遭遇もせず、平和な時代の幸運な人生だったが、また盆地脱出願望が湧きつつある。80年余の人生という盆地に、疲れてはいないが、もう飽きてきました」(『鳩舎第三号』2018年より引用)

 それからさらに7年後の2025年秋の今、これを書いています。そうです、いまだに飽きた人生盆地にいて、とうとう米寿になってしまいました。その間も平和であったかといえばこれが大違いで、この人生晩期になって、実は二つの大変な事件に遭遇したのでした。

●人生盆地の中で2重落とし穴に嵌った

 それは新型コロナパンデミック老々介護です。これらは人生盆地の底に潜んでいた、大きな落とし穴でした。前者は2020年初から始まり、後者は次の年の夏からと、二つの事件は重なり続きました。
 それらの二重落とし穴のどちらからも、ようやく抜け出すことができたのは、2024年の夏でした。密かに解放宣言を歌い唱えたものです。 

 だがしかし、この間に取り返しできそうにない大問題が起きていました。コロナは人々に出会うことを制限しました。在宅介護は特殊な世界に閉じこもらざるを得ませんでした。
 だから、わたしはこの5年間は世間から隔離されていたのです。それ以前は仕事の延長などで、社会とのつながりがいくつもあったのに、この間にいずれも断絶したのでした。落とし穴から抜け出したら、周りは荒涼たる世界でした。地獄から戻った浦島太郎です。

 若いうちならばこれを修復して世の中に復帰するのは容易でしょうが、後期高齢者にはそれは容易なことではありません。つながる世間そのものが消えているのです。
 コロナパンデミックという地球規模の事件に遭遇するとは、人間として実に稀有な珍しい経験をしたものです。右往左往の地球と世間を面白がってもいたのも事実です。

 そしてコロナ後には人間世界はどう変わって出現するのか、楽しみにしていました。未曽有の地球的事件を越えた人間の英知が、これを教訓に見事に再構築するに違いないと、ほのかな希望を持っていました。それを見たいために2重苦の苦闘の日々を生きてきたと言っても過言ではありません。

 だが実際にコロナの闇夜が明けた今、現実は見ない方がよかった世界が出現しています。まったく酷いものです。この分断世界はどうしたことでしょう。コロナがこれを生んでしまったのでしょう。またもや二度目の地球規模の戦争に出会いそうです。コロナの前にこの世を去っていった友人たちを羨ましいとさえ思います。

 この二重の落とし穴に嵌っている最中、わたしの世間とのつながりは、ほぼインタネットによるもののみであったと言ってよいでしょう。Eメール、SNS、ズームなどによる旧友たちとの交流や、ブログ書き込みなどなど、これがあったので正気を保つことができたと言ってよいほどです。インタネット社会に、わが人生が間に合ってほんとうによかったと思っています。

 そうです、この冒頭写真の歌集づくりも、インタネットがあればこそできているのです。藤本孝子歌集は、2014年の第2歌集「ぽかりぽかり」から第五歌集の今日まで十二年の間に、歌人とわたし(企画、制作担当)、この間に顔合わせしたのは3回のみ、全てインタネットによるやり取りで協同プロジェクトになりえているのです。インタネットあればこそ、こんな活動ができたているのです。

●歌集出版という知的遊び

 そして今年発行の第五歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ』は、2025年3月から、毎月10冊程度を制作発行してきました。この10月で100冊になりました。普通なら一度に多数の本にして、多くの人に同時に渡したいところを、このような悠長な毎月10冊発行としたのはもちろん理由があります。

 これまでの藤本孝子歌集の第二~第四歌集「ぽかりぽかり」シリーズは、ソフトカバーでしたが、今回は歌人もわたしも米寿になった記念として、格好つけてハードカバーにしようとなったのでした。 
 ところがこのシリーズは、わたしの趣味である手作りの本なのです。今どきの市販の本はすべて機械で製本していますから、手作りの本なんて珍しいのです。ソフトカバー本は手づくりでも簡単ですが、ハードカバー本はその10倍以上に手間がかかるのです。

 そこで考えたのです。一度に大量制作出版するのではなくて、毎月10冊づつ、毎月の新作の短歌も順次に載せて、手作りして10カ月で100冊にしよう、さらに続けることができたら来年までも続けようとなったのです。月刊歌集です。
 こうして3月から8カ月目の今月で、初期の目標100冊に達しましたが、このまま毎月発行をこれからも続けます。

 この月刊歌集遊びをいつまで続けるのか、それはわたしたちの老いが決めてくれることでしょう。それにしてもこの遊びは、老いゆくわたしには有意義なものです。
 そこで老いについてちょっと述べましょう。

●ついに八十八歳という米呪になったこと

 わたしは2025年5月5日に88歳になりました。昔から世にいうところの「米寿」です。もっとも、数え歳のそれは前の年になっています。これまで喜寿、傘寿なる齢を通り越すときには、ほとんど年齢のことを気にしたことはありませんでした。何を「壽ぐ」のだよ、今じゃそんな年齢は珍しくもないのに、と反発したものでした。

 ところが今年米寿になってみて、考えなおしました。そうか、これは「米呪」だな、この年齢を迎えたことを呪詛するんだなと、気が付いたのです。
 真実に対して遠慮会釈もなく「呪う」といわずに、同音で「壽ぐ」と迂回して言うことで、呪うべき歳になってしまったことを緩和しようとする、世間の浅はかな知恵に違いありません。

 わたしが米寿となって積極的に、これを米呪とも見立てて使おうと考えが変わったのは、もちろん理由があります。まさに呪うべきことが起きているからです。88年も生きたことがもたらす不幸です。

 その呪うべきことは二つあります。ひとつは前述のような事情で社会と断絶されてしまったこと、もうひとつは老いという不治の病に取りつかれたことに気がついたことです。長生きし過ぎたからです、残念無念。
 コロナと介護が明けたらどんな明るい世が待っているのか、大いに期待していましたが、裏切られました。まさに米呪が待っていました。

●コロナ後の世に失望してわが老酔録を書く

 というわけで、いまわたしは老衰期に入ったことを自覚したのです。もちろん人生はじめてのことです。それならば、自分が日々に老い衰えていく様を、自虐・諧謔・ギャグ的に記録しておこうと思いつきました。そうですわがインタネットサイト「まちもり通信」のなかに『老酔録ー米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録』ブログを設けたのです。これまではコロナ後世界の観察に目を向けていたのですが、現実には失望してしまいました。

 そこで自分自身に目を向けることにしました。わが身がどのように衰えていくのか、おおいに興味があるので、老いて暇すぎる日常の格好のヒマツブシにしようとの魂胆です。ついでにこのブログ記事をインタネットで読んで面白がる人がいるとうれしいですね。

 米壽を呪詛して米呪と言い、老衰を嗤って老酔とするのです。酒飲み酔っ払い老人のようでしょうが、今や酔っぱらうほどに酒を飲む気力も体力も失せてしまったし、酔いでもって失せさせたいと思うほどの悩み事も過ぎ去ったのです。老いに酔い痴れるしかないのです。

 これが「卆呪」から「白呪」へと進む前に、なんとかしてコロリと逝きたいものです。そう、またもや起きるに違いない世界戦争から、絶対安全安心地帯の「あの世」へと避難しておくのです。

 では、「老酔録」の記事をどうぞごひいきに。
 ●老酔録―米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録―https://x.gd/c1ANm

(注)この文は、藤本孝子歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ』(2025年)の、10月発行分に挟み込む「栞」に掲載した。

(2025/10/08日記)

このブログの関連記事

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録

2025/06/14・1893【歌集をつくる
友人の歌集を毎月発行、
多分これが最後の本づくり
 https://datey.blogspot.com/2025/06/1893.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2025/09/22

1911【老酔録③】ツキツキツキゴトンドガドガドガガラガララ、、これが先端医療技術かしらMRIって

 【老酔録②】からの続き

 ツキツキツキツキ、ゴトン、ドガドガドガドガ、ガラガラガラガラ、・・・いやもう全くうるさいことよ、機械騒音の見本市のようなオンパレードの真ん中に、身を縛られている。眼の前も目の下も目の上も、真っ白な円筒が身体を上から下まで、すっぽり取り囲んでいる。

 ここは発射されたばかりの宇宙船の中か、そっれとも潜水艦の機関室だろうか、どちらも乗ったことは無い、たぶんそうんな感じがする。もう20分も続く。
 そう、ここは近所の大病院の地下の一室にあるMRIなる機械の中だ。ここに入れられてもう10分もなるだろうなるだろうか、騒音は一向に止まないどころか、手を変え品を変え音程を変え、音質を変えて響く。こんなのが最先端の検査機械なのかしら、身動きならぬ身体を、金槌で叩いたり、突っ突いたり、削ったり、釘を売ったりしているらしいが痛くはない。体験的には鉄骨工場みたいだ。

 そこでネットで今どき評判のAI君に、「MRIってなあに?」と質問してみた。
MRIとは、強力な磁石と電磁波(ラジオ波)を用いて体内の臓器や血管などを詳細な断面画像として描写する検査法です

 ふ~ん、なんだかわからないが、その磁石と電磁波が大声でわめくなかを、ようやく30分ほどで解放された。わたしは閉所恐怖症だが、特に困った感もなかった。終わると検査技師が、これの紹介状書いたY医師に渡せと、CD-Rをくれた。

 そうであった。ここに来たのはかかりつけの町医者の内科医Yが、「脊柱管狭窄症の疑いがあるから検査を受けてこい」と、この大病院を紹介してくれたのだった。俺が脊柱管狭窄症だって、、と思いもしなかった医師の言にびっくりした。

 さっそくメールで同期生たちに聞いたが、返事くれたものは、わが日常の歩く具合を読んで、否定的な見解だった。そうだろうなと希望的に思うものの、一方で、またひとつ新たな病気にかかったのか、マッタク年取りたくないと、クヨクヨしている。

 さっそくこのCD-RをもってY医師の下に駆け付けたのだった。
 D(医師)「先生、MRIやってきました。これがそのCDです」
 Y(わたし)「いつ検査しましたか」
 D「はい、一昨日です」
 Y「では1週間ぐらいしたら専門医からの診断が来るはすです。わたしが見ても分かりませんから」
 D「え、あ、そうですかあ」(早く知りたかったのガックリ)

 しょうがないからCDを返してもらって、退出する時にひとこと言っておいた。
 D[ねえ、先生、本当に脊柱管狭窄症ですかねえ、友人に数人いますが、だれに聞いても私の歩きぶりでを見聞きして、おまえは脊柱管狭窄じゃないよ、ほんとならそんなに歩けっこないよ、と言うのですが、、、」
 Y「そう、だからこれで本当に脊柱管狭窄症であるか、そうでないかを診るためなんですよ」 と言うことで、まだおアヅケ状態である。もやもや・・

 実はこれまでに20年前に一回だけMRIに入ったことがあり、これがわたしが医師一般にに対する不信のもとにもなった。さらにもう一度、亡妻が昨年はじめにMRI検査を受けて、それで病因が分かり死因ともなったが、かかりつけ医の対応に不満がある。それらもここに書いておこう。  (20280922記  つづく)

老酔録米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2025/09/19

1910【老酔録②】2時間連続歩行も可能だが次第に速度低下と言うと医師は脊柱管狭窄症だからMRI検査と

老酔録①のつづき

 かかりつけ医師の定期診察を受けている話の続きである。いろいろ老衰現象課題があるが、まずは、服用させられている4つもの薬のうちのひとつを、停止するに成功した。

●歩行速度が普通の半分になった

 D(わたし)「では次の課題ですが、歩く能力が次第に低下しています。毎朝1~2時間を近所を散歩するのですが、徐々に歩行速度が落ちているようなのです。これは老衰自然現象でしょうね」

 Y(医師)「ほう、毎朝歩くのは素晴らしい。どれくらい歩きますか」

 D「歩く距離は2~3キロ、それを今は時速2キロ程度になっています。普通の人の半分くらいの速度でしょうね。歩きだしはもっと早いでしょうが、次第に落ちてきます。努力すればもっと早く歩けるが、長続きしません。歩幅はヨチヨチ歩きではなく、普通の歩幅です。足元がふらつく感じがあるので、転ばぬように杖を突いています」

愛用の杖(中央)

 Y「どれくらい歩いたら休みますか」

 D「1~2時間をほとんど休むことは無いですが、まあ、1時間くらいでちょっとそこらへんに腰をおろすこともあります。でも、あまり長く休むことは無いですね。ただ、速度が日々だんだんと落ちている感じがするのです。脚が重い感じでね。歩く距離はもっと歩けると思いますが、暑くなってくるので帰宅します。それで足が痛いとか、息が切れるとか、そんなことはありません。歩く気になればもっと長時間歩けそうですが、何しろ今は暑いですから、熱中症が心配でそれ以上歩きません」

 Y「そうですか、それは脊柱管狭窄症のようですから、MRI検査しましょう」
 D「エッ、脊椎間狭窄症ならば、わたしの同年の友人に何人か居ますが、いずれも・・」
 医師はわたしの言を遮るように言った。
 Y「とにかくMRI検査しましょう、F医院に紹介状書きますよ」

脊柱管狭窄症だからMRIをと医師が言う

 大学同期の友人に少なくとも3人は脊柱管狭窄症になったと聞いたが、いずれも100mも歩けなくなったと言っていた。わたしはまだまだ歩けるから、まさか脊柱管狭窄症と言われるなんてぜんぜん思っていなかった。

 医師に反論しようかと思ったが、それ以上のことを知ってはいない。医師はなんだか紹介状を書きたがっている様子だ。まあ、MRIなんてものを22年振りにやってみるか、自分の骸骨を見ようかな、なんて思った。

 基本的にわたしは医師に不信感を持っている。2年前に股関節の痛みの診断で、近所の大学病院の医師が不治の難病と診断してくれたが、1年後に自然治癒したことがある。間違った診断つまり誤診だった(こちらを参照)。以来、医師を疑うようになった。今回もまさか・・。

 とにかくMRIの結果を見てからにするが、もしも誤診ならば、このクリニックからおさらばするかなあ。かかりつけ医師無しにするって無理だろうな、これから介護に転落は確実だからなあ。でも医師を変えるのも、変える先のあてがないし、めんどうだしなあ。悩む。

 とりあえずやることは、せっかく紹介状を書いてくれたのだからMRI検査に行くことと、脊柱管狭窄症先輩友人たちにメールして様子を聞くことだな。
 D[はい、それではF病院にMRI検査に行ってきます、あそうだ、十年ほど前に腰椎のひとつを圧迫骨折しています、関係あるかも」

 さて明日はF病院にMRIやりに行ってくるかな、どんなことが分かるのかな、怖くはないけど気になる。老衰期になるとこうやって次々と検査をするのかしら、そうやって医者は稼ぐのだろうか。

 検査して何かわかったら、それに対応してうまく死なせる方法をやってほしい。あ、そうすると金づるがいなくなるなあ、いつまでも細々と生きさせて、次々とカネのかかる延命策をやって稼ぐのかしら。まさか、、。 【老酔録③】につづく 2025/09/19記)

 (20151101追記)
 
脊椎間狭窄症の疑いがあるからMRI検査しろとのことで、近くの大きな病院に行ってきた。結論を先に書けば、脊柱管狭窄症ではなかった
 専門医の所見は「・変形腰椎症:株腰椎主体。・L4陳旧性圧迫骨折。」とある。前者は齢とれば誰もが起こることで珍しくもないらしい。わたしは肩こりとか腰痛もぜんぜんないし、歩行2時間くらいは連続できる。後者は数年前に自転車で転んだ時の傷であり、今はもうなんともない。医師からは姿勢を良くして過ごすことと言われた。ということで、実はMRIは不必要だった感もある。

      

老酔録米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
https://datey.blogspot.com/p/blog-page_23.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━