●新聞の各住戸配達をやめるとの知らせ
今朝(20260810)の私宅に配達された新聞に、こんな紙が挟まれていた。ついに新聞を早朝に戸別に配達配達するという、長年の制度ともいうべき販売方法が崩壊してきたらしい。
察するに、配達する人がいなくなったらしい。仕方ないが、共同住宅(上の紙にはマンションとあるが間違い)の一階玄関にある郵便受け箱まで、早朝に取り出しに行くのはおっくうだ。もう、新聞をやめようかなあ、ネット新聞あるからいいや。いや、次第に出不精になる卒呪老人が、一日に一回は外出する機会づくりには、いいかもなあ。
でも、なんだかおかしいとも思う。この新聞屋の通知を見ると。戸建て住宅では各住戸への配達を続けるらしいと読める。まさかわたしの住む共同住宅だけには各戸配達しない、というのではあるまい、共同住宅を対象にやめるらしい。このあたりその戸数多いから、ずいぶん効率があがるだろう。
しかし、共同住宅ビルの場合は戸建て住宅地と比べると、新聞配達には効率がよいはずなのに、なぜだろうか、おかしいよ。もしかして戸建て住宅地では、例えば自治会会館まで配達して個別配達をやめるのだろうか。あるいは、配達料金として別徴収するのだろうか。
●ベトナム人が配達人だった
昨年夏に移転したときに、新聞配達間違いがあった。その移転とは、同じビルの中の7階住戸から9階の別住戸に動いただけだ。移転2日前に配達受け箱のある住戸ドアに、「明日までは7階に、明後日から9階に配達先を変更してほしい」との旨を、その新住戸番号を書いた紙を貼っておいた。
だが、その翌日から9階新住戸に配達されるようになり、移転後の朝から元の7階旧住戸に配達されるようになった。新聞配達店に電話したら、その間違いの原因は、配達人がベトナム人であるために、私の張り紙を読み間違えたとのことだった。
なるほど、そうなのか、ならば不案内な外国人にもすぐわかるくらいに、易しい日本語で書くべきだった。外国人がいろいろなサービス業で働く姿は珍しくはないが、わたしのプライベートな日常にも関係していたことに、初めて気が付いたのだった。
そして今日の配達位置変更の知らせも、思い当たることがある。つい先日、新聞購読料の受け取りに(わたしは古臭い対面支払いにしている)やってきたのが、いつもの集金人とは違う人だった。聞けば配達店の店長といい、いつもの集金人が辞めたからという。
そのいつもの集金人と毎朝の配達人とが同一人物ではなさそうだが、なんだか不慣れな様子の店長が集金に来るとは、新聞屋も人手不足らしい。そして、今日のこの知らせである。昔からの新聞配達制度を支えていた社会構造は崩壊中らしい。
毎朝3時半頃に足音がして玄関ドアにコトンと差し込んできてくれた、顔を見たこともないあのベトナム人はどうしたのだろうか。もっと良い職を見つけたのだろうか。新聞とベトナムといえば、思い出すことがある。
1970年前後のころ、その頃は日吉に住んでいたが、毎日配達される新聞にベトナム戦争の記事が、今のイラン戦争と同じように、載っていたものだ。いや、もっと身近な戦争だった。なにしろ日本はアメリカ軍の兵站基地だったのだ。いなくなったその新聞配達人は、ベトナム戦争とどんなかかわりあった人かしら、日本に出稼ぎに来ている人だろうか。
(2026/08/10記)



























