●誕生日が同じ山本東二郎を観に
7ヵ月ぶりに山本東次郎の芸を見に行った。2026年10月25日、川崎能楽堂である。東次郎一家出演で狂言三番を見た。これまでに30年ほど能を見に行って、併せて狂言を見たからかなりの数を見ているが、狂言だけを見に行ったことはなく、あまり興味はない。
だから狂言だけ三番も立て続けに見たのは初めてだ。どの演目も語りばかりだったから、何やらやかましかった。静かな能と合わせて演じてもらう方が、やっぱりよろしい。最後に東次郎さんの講話を、「鐘の音」の小舞で締めてくださって、ほっとした。
| 川崎能楽堂入り口外観 |
| 川崎能楽堂能舞台 柱が切ってある、屋根もない |
それなのに、わざわざ狂言だけの公演を観に行ったのは、山本東次郎の芸風を観たかったのだ。山本東次郎は人間国宝で、わたしと同じ卒呪、いや卒寿である。しかも同じ日に生まれているのである。奇遇であるが、だからと言って知り合いでもないただの他人である、
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| 当日パンフの画像 |
その夫婦の破綻と和解の契機となる「連歌」が面白い。箕を被って出ていく妻を見て男の発句「いまだ見ぬ二十日の宵の三日月(みかづき)は」に、女の脇句「今宵ぞ出る身(箕)こそ辛けれ」と、出ていく女が被った箕を掛けて歌うのである。これで和解する。
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| 自作狂歌集6冊 |
それにしても思うのだが、この和泉流と大蔵流との芸風の違いである。というよりも狂言は家ごとに芸風が違うらしい。同じ大蔵流でも、東京の山本家と京都の茂山千五郎家とは、全くと言ってよいほどに異なる芸風だ。
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| 四世東次郎とわたしは同年同日生れ |
大蔵流山本東次郎家の狂言の芸は剛直さにあるようだ。この堅物風で人を笑わせるからこそ、東二郎家の狂言は面白いのだ。能楽の見はじめの頃は、この剛直さが理解できなくて、和泉流野村万蔵家や大蔵流茂山千五郎家の柔らかな芸を好きだった。
だが何度も見るうちに(といっても能を見るついでだが)、東次郎の剛直さというか、生真面目にも見えて笑いになる芸風を好きになった。舞台では笑わせようとはしていないのに、見所(客席)では笑わせられてしまう、その落差が社会批評的でさえもあるのだ。
そうか思いついたぞ、能が和歌だとすれば狂言は狂歌であるのか、そうかそうか、もうちょっと考えてみたい宿題だな、これは。
思えばわたしが40年ほど前に能を見始めた頃から、東次郎、則俊、則直の山本三兄弟をよくみたものだ。わたしはその中で則俊について、山本家の芸風の剛直さとその声の良さに興味を持っていたものだ。その彼を長く見ていない。ネットで調べると、なんと三兄弟のうち現存は最高齢の東次郎のみらしい。コロナなどでしばらく遠ざかるうちに、能楽界も変わった。
今回の出演の山本家は、東次郎本人、則直の息子の泰太郎、その息子の凛太郎、則秀の息子の則重、その弟の則秀である。山本東次郎を継ぐ人は泰太郎だろうか。今回、東次郎と泰太郎の芸を見比べて、 東次郎は枯淡な枯木だが、泰太郎は生木の太木と知った。
泰太郎には、彼が継ごうとしている山本家の剛直な芸風が、いかにも見え見えで生真面目な稽古芸に見える。川崎能楽堂は狭いから、特に大声がうるさく感じるし、よく見える顔の汗も気になった。若さと剛直さとを併せると生々しくて、芸にならないものらしい。
これを機会に能だけではなく、狂言にも興味をもって、特に東次郎さんの芸を観に行くことにしよう。同じ生誕日仲間として枯れゆく芸を見届けよう。
(2026/10/25記)
(20261028付記)
上の記事中にある能楽堂写真と、パンフレットにある「箕被」画像を、AI(Gmini)で合成したらこんな写真が、簡単至極にできた。こうやって見ると、屋根がない能舞台は書き割りそのもので、なんとも侘びしいものだ。能楽堂と名乗るのだから、これはいけませんね。
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| 山本東次郎狂言「箕被」(AI合成による川崎能楽堂舞台演技画像) |
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| 横浜能楽堂に合成してみた山本東次郎「箕被」 |
う~む、やっぱり屋根がある方が、きちんと伝統的な能舞台というプロセニアムに収まっていて、古典芸らしくてよろしい。
●趣味の能楽等鑑賞記録



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