2026/10/25

1978【卆呪録③狂言見物】生誕日を共にする人間国宝役者の芸風と老いを観に行く

●誕生日が同じ山本東二郎を観に

 7ヵ月ぶりに山本東次郎の芸を見に行った。2026年10月25日、川崎能楽堂である。東次郎一家出演で狂言三番を見た。これまでに30年ほど能を見に行って、併せて狂言を見たからかなりの数を見ているが、狂言だけを見に行ったことはなく、あまり興味はない。

 だから狂言だけ三番も立て続けに見たのは初めてだ。どの演目も語りばかりだったから、何やらやかましかった。静かな能と合わせて演じてもらう方が、やっぱりよろしい。最後に東次郎さんの講話を、「鐘の音」の小舞で締めてくださって、ほっとした。

川崎能楽堂入り口外観


川崎能楽堂能舞台 柱が切ってある、屋根もない

 それなのに、わざわざ狂言だけの公演を観に行ったのは、山本東次郎の芸風を観たかったのだ。山本東次郎は人間国宝で、わたしと同じ卒呪、いや卒寿である。しかも同じ日に生まれているのである。奇遇であるが、だからと言って知り合いでもないただの他人である、

 これまで多くの能狂言公演を見てきたが、わたしと同年配あたりの名人たちは、みんないなくなった。野村四郎、宝生閑、関根祥六、友枝喜久夫などなど、次は東次郎さんに違いないと思うと、いま観ておきたかった。自分と同じ生年月日ならだれも思うだろう。

 こちらは足がヨレヨレになっているが、東次郎は芸人として身体を鍛えているから、これまでとかわりあるまい・・・、ところが、発見したのだ。東次郎さんが安坐から立ち上がるときに、ちょっとよろけるのを、しかも毎回、、う~む・・・、。

 能舞台で見る役者たちがすっくと立ちあがる美しさを見てきたから、う~む、やっぱりなあ、東次郎さんでもそうなのか。 それは、ほっとしたような、そしてまた、がっかりしたような、切ない感が私の身体をよぎるのだった。それは、今日の東次郎さんを見に来た甲斐があったということか、いや、同年の男の老いぶりを確かめた自分を嫌にもなった。

●狂言「箕被」の妙な面白さ

 3番の演目のうち、「箕被(みかづき)」にちょっと興味もった。たぶん私は初めて見る狂言のようだ。これまで見た能は百番以上あるだろうし、そのほとんどを記憶しているが、狂言はそのついでに見ているから記憶が薄い。
当日パンフの画像

 狂言には夫婦喧嘩とその和解の話は多くあるが、たいていの妻女は「わわしい女」であり、男を口やかましくやり込める。しかし、この箕被の妻女は才女ぶりを歌で見せて、男との和解を引き出すのだった。

 その夫婦の破綻と和解の契機となる「連歌」が面白い。箕を被って出ていく妻を見て男の発句「いまだ見ぬ二十日の宵の三日月(みかづき)は」に、女の脇句「今宵ぞ出る身(箕)こそ辛けれ」と、出ていく女が被った箕を掛けて歌うのである。これで和解する。

自作狂歌集6冊
 どうもこの話には無理がある。離婚する妻に「箕」だけ与えて出てゆかせるなんて、昔だってないだろう。わわしい女なら大騒ぎだろうに、従順に出ていく。たぶん作者は発句だけを思いついて、無理やり狂言に仕立てたのだろうが、それも連歌狂いらしくて、よろしい。

 わたしはこのところ「狂歌」に嵌っている。世の気に入らぬことどもの悪口を、あれこれ詠う。「箕被」をみて連歌でこれをやりたいと思いついた。しかし相手がいない。狂歌さえも一人読んでSNSに書き込むだけだが、つい先日「八十路今日歌抄」なる自作狂歌集を作り、数人に押し付けた。そんなことで狂言をきっかけに連歌に興味が湧いた。

●山本東次郎家の芸風

 ここでちょっと狂言について、はじめて考えてみる。実は、これまで狂言そのものを観ようとして能楽堂に行った記憶がない。いやひとつだけある。いつだったか忘れたが、国立能楽堂での「唐人相撲」である。30人以上の役者が登場してめったに見られぬ希曲である。和泉流野村万蔵家の総出演で、才人野村耕介演出で面白かった記憶がある。

 それにしても思うのだが、この和泉流と大蔵流との芸風の違いである。というよりも狂言は家ごとに芸風が違うらしい。同じ大蔵流でも、東京の山本家と京都の茂山千五郎家とは、全くと言ってよいほどに異なる芸風だ。

四世東次郎とわたしは同年同日生れ

 大蔵流山本東次郎家の狂言の芸は剛直さにあるようだ。この堅物風で人を笑わせるからこそ、東二郎家の狂言は面白いのだ。能楽の見はじめの頃は、この剛直さが理解できなくて、和泉流野村万蔵家や大蔵流茂山千五郎家の柔らかな芸を好きだった。

 だが何度も見るうちに(といっても能を見るついでだが)、東次郎の剛直さというか、生真面目にも見えて笑いになる芸風を好きになった。舞台では笑わせようとはしていないのに、見所(客席)では笑わせられてしまう、その落差が社会批評的でさえもあるのだ。

 そうか思いついたぞ、能が和歌だとすれば狂言は狂歌であるのか、そうかそうか、もうちょっと考えてみたい宿題だな、これは。

 思えばわたしが40年ほど前に能を見始めた頃から、東次郎、則俊、則直の山本三兄弟をよくみたものだ。わたしはその中で則俊について、山本家の芸風の剛直さとその声の良さに興味を持っていたものだ。その彼を長く見ていない。ネットで調べると、なんと三兄弟のうち現存は最高齢の東次郎のみらしい。コロナなどでしばらく遠ざかるうちに、能楽界も変わった。

 今回の出演の山本家は、東次郎本人、則直の息子の泰太郎、その息子の凛太郎、則秀の息子の則重、その弟の則秀である。山本東次郎を継ぐ人は泰太郎だろうか。今回、東次郎と泰太郎の芸を見比べて、 東次郎は枯淡な枯木だが、泰太郎は生木の太木と知った。

 泰太郎には、彼が継ごうとしている山本家の剛直な芸風が、いかにも見え見えで生真面目な稽古芸に見える。川崎能楽堂は狭いから、特に大声がうるさく感じるし、よく見える顔の汗も気になった。若さと剛直さとを併せると生々しくて、芸にならないものらしい。

 これを機会に能だけではなく、狂言にも興味をもって、特に東次郎さんの芸を観に行くことにしよう。同じ生誕日仲間として枯れゆく芸を見届けよう。

                           (2026/10/25記)

(20261028付記)
 上の記事中にある能楽堂写真と、パンフレットにある「箕被」画像を、AI(Gmini)で合成したらこんな写真が、簡単至極にできた。こうやって見ると、屋根がない能舞台は書き割りそのもので、なんとも侘びしいものだ。能楽堂と名乗るのだから、これはいけませんね。

山本東次郎狂言「箕被」(AI合成による川崎能楽堂舞台演技画像)
 
  同じようなことを、横浜能楽堂でやってみたら、こんな画像になった。
横浜能楽堂に合成してみた山本東次郎「箕被」

 う~む、やっぱり屋根がある方が、きちんと伝統的な能舞台というプロセニアムに収まっていて、古典芸らしくてよろしい。

ーーーこのブログの中で関連する話ーーー
●趣味の能楽等鑑賞記録

ーーー老 酔 録ーーー
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2026/10/20

1977【卆呪録②自然に還る寺も我も】八重葎しげれる古刹さびしきにわが老残の秋は来にけり

 今年は雨の夏が長かった。外に出て歩く時間があまり無いと、その分だけ老いが進む。わたしは今、歩行能力が下がりつつあるのを特に痛感する。まだ歩けるが、歩行速度が今や時速1キロ程度になってしまった。何とかリハビリして元に戻したい。

 そこで初秋になり晴れの日が続くので、遠足に出かけるのだ。もともと歩くのだけは得意だったのに、それが衰えては老衰そのものだ。とにかく出かけてマイペースで歩くのだ。さて今日はどこに行こうかと考えつつ、朝起きてすぐに、昨日夕食の残り物を弁当にした。

 さてどこにしようか、いつもの根岸森林公園や掃部山はもう飽きたしと、グーグルマップを睨んだら、比較的近くの市街地の中にぽっかり浮かぶ緑の小山があり、森の中には寺院もあるらしいことが見て取れる。この森は面白そうだと興味がわいた。

今日の遠足先  市街地の中にぽっかり浮かぶ緑の島  google map

森の中には寺院があるらしい    google map

 9時半ころバスを目的地近くに降りて、ゆるゆるとマイペースで歩き出した。このヨロヨロ足を鍛えるための遠足だから、よろよろでもまったく急ぐ必要はない。目的の丘の森を目指して住宅地の中を行くと、やがて、樹木で覆われた急な石段が現れた。石段の上には山門らしいものも見える。ここだな、さっそく登ろう。
急な参道石段の上には山門が見える

 だが、石段下でたじろいだ。急な石段には手すりが無いのだ。今の弱った足のわたしは、これでは這って登り降りするしかない。そうしてもよいのだが、ちょっと面倒だ。出鼻をくじかれたが、いまどきだからどこか別のところに車の登れる道もあるだろうと探す。

 見当つけて山裾をゆけば、住宅地の先には森の中に入り込む緩やかな道があった。森の中の斜面地には、かなり古そうな墓地があり、森が包んでいる。良い雰囲気である。

 その墓地を抜けて登ってゆけば、平場らしいところに出た。一面にはびこる低木類と草むらの中に鐘楼がある。いかにも鐘楼らしい建築だ。その向こうには本堂らしい建物も見える。かつてはなかなかに立派な伽藍の寺院らしいが、今は草木に覆われつつある。

左は鐘楼、右は本堂

 まるでドラマの中の廃墟のような景観にも見える。背後の山から迫りくる樹木群、覆いかぶさる木の枝と葉張り、剪定されず伸び放題の庭木、足元は草むらが茂り広がり草花に蝶やトンボが飛び、低木には鳴きつつ飛びかうす小鳥たち、木や草には蜘蛛が巣を張る。たぶん、ここには人間はわたしだけだから耳には自然の音のみだ。

鐘 楼

本 堂

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 ここで、後日(2026/10/22)のAI遊びを挿入する。上の本堂の写真をAI(Gemini)に見せて、かつての整備された昔の姿を作れと注文を出したら、下の画像が登場した。

AIが想像(創造か偽造かパクりか?)した昔日の姿  Gemini
 ウーム、これは何ともはや、いったいどうやって作るのか、ありそうな姿を思わせる。どこかネット上にある昔の写真をパクって合成したか。階段両脇の石灯篭がもっともらしい。正面扉が開いて仏像が金色に光っているのが、どこか嘘っぽい。造園が作りものっぽい。

 なんだかどうも気に入らないので、AIに何回か注文付けて作り直させたら、下のような戯造画像になった。かつての茅葺屋根を再現し(もう少し勾配がある方がよさそうだが)、庭も適度に野趣のある古拙な感じに注文した。ふむふむ、まあよろしいとしよう。

茅葺屋根にした本堂AI画像 Gemini

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 話を当日の現実に戻す。さらに道とも言えない草の間の踏み跡を進むと山門があり、組み物や装飾彫刻もあり本格的な建築だ。これは先ほど石段下から見上げたものらしい。山門の正面には、方形の瓦屋根を乗せた本堂が緑に囲まれて建つ。

 この平場の建築群がこの寺院の中心部らしいが、全体に草木に覆われつつあるのを見て取れる。かつては寺院の本堂前あたりのまえは、寺院広場として整えていたらしく、庭木らしい樹木類もあるのだが、全体に庭園的な手入れが長く放棄されているようで、自然植生の姿に還りつつある。地表のほとんどは草に覆われ、野草が花を咲かせている。山裾から低木軍が押し寄せてきている。

 その草むらの中にしつらえられたベンチに座り、周りを眺めまわす。そう、ここは今、かつての自然の森に還りつつある景観である。人文空間と自然空間とがせめぎあっているが、どうやら自然側がイニシアチブを握りつつある。わたしはこの景観を好きだ。

 昔は本堂前の庭であったらしい草ぼうぼうの広場には、樹木や敷石の小道がある。地面はどこも草が生え放題で、そこかしこに自生したらしい低木類が繁茂している。かつては庭園的なしつらえがあったようだが、今は庭としては荒れ果てて、自然の植生がはびこる。

 まさに自然に還りゆく景観で、それなりに興味深く、しかも実に快い風景であった。百人一首にある歌の八重葎(やえむぐら)とはまさにこのことを言うのだろう。

      八重葎茂れる宿のさびしきに人こそ知らね秋はきにけり
                        (『拾遺和歌集』 恵慶法師)

かつての寺院庭園の石灯籠が還りくる植生群落の中に立ち尽くす

足元は種々の草花

地から森から草木が迫る

座ったベンチの周りも野趣のある草花が咲き乱れる

方形屋根の本堂裏には池があり草が生い茂る庭園跡か  google map

 深い草叢になり柵があって見に行けなかったが、本堂の裏には大きな池もある立派な庭園があるらしいことが、グーグルアースでわかる。今、森がそれらを覆いつくそうとしていることもよくわかる。ここはかつて人間が深い森を切り開いて広場や庭園や建築群の人文の宗教的秩序空間が、自然の植生遷移の空間秩序へと還っていく過程を見事に見せている。

右は山門 この荒れ寺景観が実に心地よかった

 わたしの他に誰もいない。まだ10時台だが、本堂前のベンチに腰かけて持参の弁当をゆっくりと食べつつ、あたりを見回せば、野草の花もありそれなりに美しいが、庭園とは言えない。

 なお、後でネットで調べたら、かつて江戸時代は、この地域ではかなり栄えた寺院であったらしい。今は山門、本堂、鐘楼、庫裏しか建っていないが、かつては灌頂堂、客殿、山門、長屋門、鐘楼、経蔵、弁天堂、宝篋印塔などのある大伽藍であったようだ。

 その灌頂堂がいまの本堂であり、17世紀末の方形屋根の乗る古建築で、二軒には組み物はなく、四周の壁の各柱の上には素朴な舟肘木が乗って梁を支える。もとは茅葺屋根だったそうだから、素朴にしてさぞ美しい姿だったろうと思わせる。

 こうして人文と自然のせめぎあい、いやむしろ融合への道程というべきか、その景観をゆっくりと眺め回すのは、ゆったりとした心を養ってくれたようだ、そうだ、思えば、これはわたし自身の姿のようにも思うのだ。

 そう、わたしは今、人間から自然へと還りゆく道程の最後あたりの場面にいるのだ。わたしという老いさらばえた一人の人間は、この自然が迫る景観の中に溶け込んでいるのだ。自分が卒呪であることを忘れていた。そこで百人一首からの本歌取り一首。

八重葎しげれる古刹さびしきにわが老残の秋は来にけり

 ここの森の寺院に身を置いて分かったのは、しょっちゅう行く根岸森林公園の緑との大きな違いである。あの公園の広大な緑空間は、見たところは自然な風景と見えるが、実は十分すぎる手入れがされ管理されていて、徹底的な人文景観だ。

 それに対してこの寺院の景観は、もともとは人文景観だが、今や森の中に埋もれつつあり、これこそが本物の自然環境と思わせる。ここには自然のある種の迫力がある。もちろん本物の自然景観には至っていないのだが、その道程を見ることで自然環境を強く認識する。

 明治神宮内苑の森もまた本物の自然だが、それもまた別の意味で徹底的に管理された自然である。檻の中の自然である。これらの自然と人文景観については、さらに考察してここに書きたい。

(2026/10/20記)

ーーこのブログ内の関連記事ーー
2026/06/04・1953【老酔録㊲自然の森】明治神宮内苑の森は…… https://datey.blogspot.com/2026/06/1953.html

2026/06/03・1952【老酔録㊱新緑の森】根岸森林公園の新緑樹林…… https://datey.blogspot.com/2026/06/1952.html

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2026/10/15

1976【卆呪録①落胆居直り】卆寿とて寿ぐべきや今の世は卆呪なるべし怖わや百呪

 これまでの「老酔碌」50編で一段落し、今日から次の段階として「卒呪録」と題し、わが九十路行脚赤裸々?!記録第2段階50編に入るぞ。

 この6年ほど、コロナパンデミック後の世界はどうなるのだろうかと、その好奇心いっぱいで生きてきた。だって、あれほども地球上の人々が同じように苦難に出会い、それなりに協力し合って、それから抜け出したあとの、地球上の人間は、ずいぶん変わるに違いない。

 そう、すくなくとも人間同士が助け合って生きようと、新たな平和世界が来るに違いない、そう思い信じていたのだ。わたしの年齢はコロナ開始の頃は80歳代の初めころだったから、コロナ後の世界を見ることができそうだ。せっかくだからぜひ見てから死にたいと思っていた。

 実は私には2021年に三重苦ともいうべき状況がやって来た。コロナ禍が来るとともに老いが来て、これらに加えてさらに老妻への老々看護がやってきたのだ。この三重苦の中での唯一の生き甲斐は、コロナパンデミック後の新世界を見ることだった。

 きっと地球は新平和期を迎えるに違いないと思い込んでいた。そして2024年にはコロナ禍からは明け、わたしの老々看護の日々も解消した。老いだけがやむなく残る世にようやく至った。そう、待ち望んでいた日々が来たのだ。

 ここでコロナから今年までの世界略年表を見よう(GeminiAI出力一部修正)

 わたしはその新世界をギリギリ見てから世を去る年齢だろう。それを見て喜ぶ自分を感じてから死にたいものだと、そう思いつつ生きてきた。そして今、コロナパンデミックは終わった。わたしは89歳つまり数え年でいうところの卒寿になってしまった。

 そして今、周りを見れば、これがわたしが見たいと生きがいにしてあこがれてきた、その世界なのだろうか?、え、そんなはずはないだろう。トラネタプーシーがはびこるこれがそうか? これほども人間同士が争う世界が、コロナ後の新世界なのか、え、そんなはずはないだろう。

 これこそが待ち望んでいた新世界なのか、いや、これはまだコロナパンデミック世界の延長にちがいない。この次にこそ、望んでいた新世界が来るのだろう。しかし、それまで私は待つことができそうにない感じもある。何しろ卒寿になってしまったのだからなあ。

 そうか、だとすればこれは、卒寿ならぬ卒呪というべきだろう。呪われる戦争パンデミックは百壽に至っても終わらないのかもしれない。百呪であるらしい、ああ、いやだいやだ、それならもうこの辺で、この世におさらばしてもいいや、という気にもなる。

 ここでわたしは大いにがっくり来ているのだが、それでどうなるものでもない。ここまで生きてしまったからには、しょうがない、どうせなら、この混迷暗黒地球を冷徹に眺めつつ「老いの急坂」をゼイゼイと息吐きつつ突き進むしかないと、自分に言い聞かせたのだ。

 そして今は卆寿ならぬ「卆呪」ということにした。呑気に寿ぐよりも、呆けることで呪を乗り越えるしかない。呆けてしまえば、寿ぐことも呪うことも乗り越えることができる。正気であることが最も怖いことだ。百呪を怖い。

 わたしの世代は、生まれて物心ついたら、親世代が始めた戦争災禍に巻き込まれた。そして死ぬ今ごろになると、こんどは次世代が巻き起こしつつある戦争災禍に巻き込まれるとは、全くもってついてない世代である。

 どうせもう長くは生きていないのだし、老いの身で何もできないから、ここは何が起きようとも座して眺めておけばよい。内外共にこんなリーダーを選ぶ人々の地球に明確に落胆してしまった。何が起きても知ったことではない。次とその次の世代に一切をお任せして、後は野となれ山となれ。そう、落胆九十路の居直りである。

卒寿とて寿ぐべきや今の世は卒呪なるべし怖わや百呪

 (2026/11・14記)

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2026/09/27

1976【老酔碌(終)・耄碌PC】PCも持ち主も共に老いにけりオークションにて調達すべし

  自分の老酔碌をPC(パソコン)に書き綴っている。そのPCも持ち主のわたしと同じように老いてきたらしい。立ち上がりに時間がかかる、ネット反応が遅いし、時に勝手に休んだり、突然に再起動したりするようになった。わたしよりも老いているぞ。

 この耄碌PCを、リハビリで若返りさせるのは面倒なので、もうちょっと反応が速いものを買い入れた。新品をウン十万円もかけて購入しても超高齢持ち主がすぐ死ぬ可能性もあるから、それではもったいないし悔しい。そこで、その方面に詳しい旧友T君に相談し、ネットオークションで中古品を2万円で落札してもらった。立ち上げに迷うのは面倒なので、これまでと同じダイナブックである。

 落手したのは9月7日、それから面倒な初期設定をボチボチヨロヨロ腹も立てながらやってきて、昨日9月26日、20日もかけてまあこれでいいやと思う状態にようやくなった。まったく手間のかかるやつだ。買ってすぐ使える商品じゃなくても平気で売るのがこの業界の常識だ。困ったもんだが、でもまあ卒呪老人の呆け進行遅延策にはなる。

3台のノートPC 左から2012年、2026年、2022年購入

 さすがに立ち上がりは早いし、途中で止まることはなくなった。当たり前だ。上の写真の中央にみるような、これまでの見慣れたデスクトップ画面になるまでには、あれこれ面倒なことをやらされた。いわば新飼い犬のしつけである。

 その最初は、所有するWi-Fiルータへの接続だった。ルータの長い長いパスワードを何回打ち込んでもつながらない。やり方が違うのかもしれないと、T君に問い合わせて教えてもらうなど他人にも迷惑かけた、すまん。息子に頼もうかと考えたりしたが、結局はこれが最後と何十回めの念入りに確かめPW入力で、やっとつながったときは歓声を上げた。

 次の苦労はMSWORDである。これまでMSOffice2010を使ってきているので、今回購入PCにはオフィスをプレインストールとあるから落札したが、実は似た別物WPSWriterなるものだった。それでこれまでのWord文書は動くが、操作は同じではなく使い勝手が違う。

 わたしは図形を扱うよりも主に長文をかくのだが、その物書きを円滑にできない。印刷の設定も違うところがある。それでは困るから、所持している古いOffice2010のディスクからインストールした。これでもう一歩進んだ。

 もっとも頭を悩ましていたのは、デスクトップ壁紙カレンダーである。これまで20年以上も使ってきた軽量のアプリがあが、どうやってもインストールできないので、新たに無料壁紙カレンダーをあれこれ探したが、どうも気に入らない。また初心に戻ってアプリマニュアルをじっくりと読んで、じっくりとやっていたら新PCで目を覚ましてくれた。手がかかる。

 わたしの最も大きなPC利用目的は、手仕事で自作本を作る趣味である。2010年5月に思いついて本づくり趣味を始めた。それ以来もう2~300冊の手製本を発行してきた。だからプリンターの作動との良好な連携できるかどうか、大きな危惧であった。

 これは意外に簡単にWi-Fiつながり、さっそく試験的に一冊の歌集本を作った。その本は題して「九十路今日歌抄」(読みは”クソジイキョウカショ”)である。実は丁度9月末応募締め切りで某出版社主催の歌集懸賞募集があり、これを応募した。詳しくはそれに入選してから語ることにする。

試験駅的に1冊の歌集を制作、懸賞募集に応募

 それにしてもわたしのPC歴は長い。1988年のMACからはじまり、Win95、98、ME、CE、XP、7、10 、そして今のWin11へ、何度も何度も買い替えさせられ、これまで何台のPCを使いつぶしたことだろうか。

 ポケコンやワードプロセサも数えると、さらに多くの電子器機を使いつぶしてきた。最新PC調達で、大学同期仲間とのZOOMもこれで付き合うことを続けられそうだ。
 だが思うに、たぶん、これでわが卆呪九十路の最後のお供だろう。

PCも持ち主も共に老いにけりオークションにて調達すべし

(2026/09/27記)

ーーーこのブログ内の関連記事ーーー

2020/01/10・1438【怪しいハイテク】Win7が3段飛び10 に…https://datey.blogspot.com/2020/01/1438.html

2022/08/05・1638【怪しいハイテク】超高齢PCの後継機を…… https://datey.blogspot.com/2022/08/1638pc.html

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2026/09/15

1975【老酔録㊿介護認定】これやこの呆けも呆けぬも分かれては病むも病まぬも老い坂の関

●介護認定面接テスト

 介護保険による介護認定を獲得するための面接テストを受けた。何しろ卒呪だから、それ相応の身体的不具合が進行している。赤瀬川原平流に言えば老人力の増強である。そこでいつ呆けて転んでも、介護保険をすぐ使えるように準備することにしたのだ。そしてまた、これまで支払い続けている巨額の介護保険料を、取り戻すのだ。

 最も認識が顕著な老人力増強現象は、歩行速度低下である。普通なら時速4kmだが、わたしは今やせいぜい1km/hである。突然にそうなったのではなく、この半年くらいの間にじわじわと毎日その退行を自覚する。抵抗して毎日長時間徘徊に出ているのに、無駄だった。

 昔から歩くのを大好きで、毎日徘徊するから、その速度退行がよくわかる。早く歩こうと思っても、どういうわけか足の奴は前に出てくれない。さらに困惑するのは、踏む地面や床にスポンジ板が敷いてあるらしく、足元に何となく不安定感があるのだ。

 このまま歩き続けると、今に転倒するだろう。亡妻が自宅介護に陥るきっかけは、公道上での転倒・救急搬送だった。以後転倒を繰り返して半身不随となり、息子とわたしによる3年余の自宅介護看護の末に逝った。原因は脳内血腫にあると分ったのは死の半年前だった。

 それを思い出すと、いま自分もその後継時が目前にあるようだ。今のうちに介護認定をとって備えておこうと思う。認定申請手続きを息子がやってくれて、今日、市の区役所から担当者が、介護認定面接テストに自宅にやってきた。、たくさんの質疑応答した。

●面接テスト問答

 質問はどこの誰にでも同じだそうだ。気になった質疑応答を書く。
「5分前のことを忘れていることがよくありますか」
「う~む、そんなことがあるのかどうか、わかりませんね。独り暮らしだから、他人に指摘されることもないからね」

 「ではこんな質問をします。ここにお見せする三つのもの、腕時計、ボールペン、手指のイラストを覚えておいていただき、5分後にそれらが何であったか伺いますので、よろしく」
 「はい、覚えました」 しばらく質疑応答いくつかの後、
 「5分経ちました、先ほどの三つのうち、腕時計とボールペンの他は、何でしたか」
 「えっ、3つとも聞いてよ、せっかく覚えてるのに、、、手指のイラストでした」

 「台所で鍋焦がしをしたことがありますか」
 「ありますが、そんな時はガスが自動切断するレンジだから、問題ありません」
 わたしの答えは、正しい答えになっていないのだった。訊かれているのは設備のことではなく、わが脳の忘却能力のことだった。問題あるのである。

 身体能力についての動作のテストは、そこらあたりを歩くこと、片足で立つこと(立てない)、両手を左右に広げたり上にあげること、椅子に座って脚を前に水平に伸ばすこと、等。こんなときはついつい正常に見せるように頑張るのが人間の癖だ。

 でも、ここでは介護認定を取得するためだから、いかに能力が退行しているか、それを見せねばならない。それはなかなか難しい。仮病を装うには芝居を下手である。このテストが実は最も難しかったと言える。

 たとえ転倒しても介護保険をすぐ使いたい。だからこのテストを受けているのに、元気に見せて軽い認定では意味がない。かといって下手な芝居で担当者を騙すこともできそうにない。矛盾した心と行動に戸惑う。しかし、相手は専門家だから、多くの老人テスト例から適切に察して判断してくれるのだろうと、思うことにした。

●知るも知らぬも老い坂の関

 こんな会話もした。相手の面接テスト係は、中年女性である。
 「お歳にしてはかなりお元気ですね」
 「あのね、その言葉をよく聞く歳になりましたが、高齢者をほめる儀礼的文句ですよね。そう言われる歳になってみて初めて分ったのですが、それを聞くと腹が立ちますね」
 「あ、ごめんなさい、でもどうしてですかあ」
 「褒誉め言葉のように思うでしょうが、言われるこちらは反対に、”この人はその言葉の前提としてこう思っているに違いない、あなたはもうよれよれ爺ですよ、それなのに格好つけて……、と実はけなしているんだ”、と思うのです、まあ、年寄りの僻目ですがね」

 さて、吉と出るか凶と出るか、いや、そうじゃなくて、要支援とか要介護とかのランキングに入るものかどうか。今日のテスト結果を、認定委員会にかけて、一月後くらいに結果が出るのだそうだ。待ちきれずにその前に、どこかの劇場ホールの手すりのない客席階段状通路で転げ落ちる予感、、衆人環視で杖もろともに・・・。

どこも手摺なしで足弱には超怖い劇場客席の階段状通路

 このテスト問答は人生の最後に通らねばならぬ関所の通過儀式の感があった。この逢坂ならぬ老い坂の関で誰もかれもが検問チェックを受けて、その旅の終わりへと足を踏み出して行くのだ。もちろん、関所破りピンピンコロリもいる。ふと思った、これはかつて二十歳で受けた徴兵検査の現代老人版だな。

 そこで本歌取り狂歌を一首(蝉丸さんごめんなさい)。

これやこの呆けも呆けぬも分かれては病むも病まぬも老い坂の関

(2026/09/15記)

(2026/09/25追記)
 かかりつけ医に月例の診察に行ったら、介護認定テストを受けさせられた。30問だったが記憶問題が2つあった。「これからいう三つの言葉を覚えてください、このあとほかの質問回答の5分後に又聞きますから答えてください」。やがて五分後のわが答え「さくらねこでんしゃ、でしょ」

 もうひとつ記憶問題は、目の前に鉛筆、ハサミなど5つの小さなものを並べて見せられ、すぐに布をかぶせて、何々があったか全部を答えよという。これに4つしか答えられなかったのだ。悔しいから「一つくらい忘れないと89歳の年齢に反しますからね」

 これはボケ度認定らしく簡単な30質問のうちの29問に正常回答できた。「認知症がないから要介護ではなく要支援2になるだろう」と医師が言った。歩行速度低下だけ認定OKの対象らしい。

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2026/09/14

1974【能楽見物】横浜能楽堂再開祝いの舞台は獅子2頭が牡丹の花に舞い遊ぶ能「石橋」(しゃっきょう)

 横浜能楽堂に2年ぶりに能楽見物に行ってきた。工事で休館していて、このほど再開したのだ。コロナ中もそれが終わっても能見物に行けない日々は、30年以上も見てきた能楽好きには、禁断症状が出そうだった。  

 見所(客席)はほぼ満員だった。演目狂言「鍋八撥」と能「石橋」で、どちらも再開場お祝いにふさわしい演目らしい。だが、内容はそれほど面白いものではないが、「石橋」の後場の獅子の舞いだけが楽しかった。

 能「石橋」(しゃっきょう)では、2頭の獅子がボタンに花に舞い遊ぶ勇壮な相舞も、甲高い音で弾み響く笛も、実に楽しかった。能にはよくあることだが、つまらない眠くなる前場を我慢した甲斐がある後場だ。

 これが歌舞伎舞踊に翻案されて、派手な毛振りの「連獅子」になっている。歌舞伎狂言の「勧進帳」も能「安宅」からの翻案だが、武士の能と庶民の歌舞伎との基本的違いがよくわかって面白い。 

 出演は、狂言が大蔵流山本東次郎家、能は観世流梅若家で、もう30年以上も能を見てきたわたしにも、能役者も囃子方も見たことがない人ばかりだ。それはコロナ中から始まり、横浜能楽堂休館による、能楽見物から強制的に遠ざけられた期間が長かったからだ。

 唯一の例外は、能ワキ方の宝生常三だった。パンフにあるこの名を知らなかったが、舞台上には昔からよく見てきた森常好が出てきた。はて、急な交代役か、と思ってみていた。後でネットで調べたら、祖父がワキ方宝生家の能役者であり、最近その名を継いだそうだ。わたしより若いのに舞台上の所作があやしい、老いたか。

 一応出演者の名を書いておく。
・狂言「鍋八撥」(大蔵流)
 シテ(鍋売り)  山本則重、アド(鞨鼓売り) 山本則秀、
 アド(目代) 若松隆、後見   水木 武郎

・能「石橋 大獅子」(観世流)
 シテ(童子・白獅子) 梅若紀彰、ツレ(赤獅子)梅若景英
    ワキ(寂昭法師) 宝生常三、
 アイ(せがれ仙人) 山本則秀
 笛:杉信太朗、小鼓:飯田清一、大鼓:柿原光博、 太鼓:林雄一郎
    地謡:山崎正道、馬野正基、伊藤嘉章、角当直隆、
                 松山隆之、谷本健吾、川口晃平、土田英貴

 能楽堂は2年間も工事をしたというのに、見たところではどこも変わっていないのは、耐震補強工事だったかららしい。ついでに内装もどこか変えたのだろうか。ここの一階メイン客席の床が、緩やかな勾配だから年寄りには安心だ。これを改装しなくて安心した。
 ついでに書くと、ここの隣にある県立施設の二つのホールは、階段だらけで実に使いにくいので近頃は敬遠している。改装して階段に手すりを付けてほしいものだ。
 能楽堂の話に戻ると、いまどきだから女性便所の便器数増加をすればよかったろうに、相変わらず女便所だけが長蛇の列だったのは残念だ。

横浜能楽堂


(20260914記)
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2026/09/07

1973【老酔録㊾大往生】大学山岳部同期仲間の白川秀樹君(ノーベル化学賞)がピンピンコロリ

 2000年ノーベル化学賞を受けた白川英樹君が、8月24日に永眠した。合掌
 彼とわたしとは大学山岳部の同期仲間であり、1950年代末の学生時代は一緒にあちこちの山に登った。しかし専攻が全く違うので、彼の栄誉の専門的なことは何も知らない。

東京工業大学山岳部白馬岳合宿 1958年5月1日撮影
前列左から5人目が白川英樹君、後列右から3番目が伊達

●白川君の緊急入院の朝のこと

 実はこの8月17日朝に、白川君とカリフォルニア在住の友人とわたしの三人でZOOMをやっていた。そこに夫人と一緒に顔を見せていた白川君は、「今から入院するので、さようなら」と言って、すたすたと歩いて画面から立ち去って行った。

白川英樹君入院の朝のZOOM画面(下段) 2026年8月17日

 白川君はこの日のZOOM予定を約束後に、健康診断で重篤な病が見つかり、この日の朝の急遽入院に決まったが、ZOOMには参加してくれたのだった。その律義さに頭が下がった。
 「行っていらっしゃい、退院を待っているよ、戻ってきたらすぐ続きのZOOMやろうよ」と送り出した。

 その後に院内または退院のメールが来るかと待っていたが、来ないままに気をもんでいた。8月31日になって白川君の子息からメールが来て、24日に永眠との訃報であった。ズーム画面から歩いて出て行って、わずか一週間後だったか。合掌

 そのズーム前の日程決めのためのいくつかのメールやり取りから察すると、白川君も自分が入院するほどの重篤であると気が付かないままであったらしい。なにしろ8月10日前後には、かれが力を入れていた科学教育のイベントに、遠くに出かけていたとあったからだ。
 そう、彼の死こそがわれらが理想とするピンピンコロリだ。

●大学山岳部同期「Q人会」のこと

 わたしは白川君とは、1961年大学卒業後はまったく違う道だったので会うこともなかったが、2000年のノーベル賞受賞を新聞トップで知った。新聞の顔写真を見て、あれ、この人知ってるよ、同期の白川君だよ、と家族に叫んだものだ。急いで記事を読んだ。

 それからの彼は超忙しい状況にまきこまれたようで、わたしたち山岳部同期仲間による祝賀会は控えていた。そのほとぼりが冷めた7年のちになり、1961年卒業の山岳部同期仲間の当時の生き残り9人で集まり、ようやく白川君祝賀会を開いたのだった。日比谷の松本楼だった。それを機に「Q人会」なる山岳部同期会をつくり、ときに集まり飲み会をやってきた。

Q人会メンバー勢ぞろい 左から4人目が白川君 2019年5月

 その仲間のひとりが、USA市民権を持っていてカリフォルニアに住んでいる。年一回の日本訪問旅行の機会を、Q人会全員の集まる日としていた。そして、わたしは「本作り趣味」を生かして、「Q人会誌」なる年刊の冊子を作って、仲間に配布してきた。(参照:Q人会誌目次)

 しかし、コロナパンデミックで集まることが難しくなり、PC画面でZOOMによる隔月に画面集会を開くことにした。このシステムは、カリフォルニアからも気軽に顔を出すし、高齢で移動困難になっても集まることができる。コロナのおかげだ。時々は全員ではなく、必要なものだけでZOOMを使うこともある。上記の白川入院の日がそれだ。

 最初9人であったから9人会ならぬ「Q人会」と名付けたが、これで2人が消えた。7人会だが誰も改名しようとは言わない。ただし、もう卒寿前後ともなると、PCの扱いが不調になるものあってZOOMは事実上は6人会、そのうちに5~4人会になるのは仕方ない。

 わたしも山岳部だった由縁か、脚は丈夫で歩くだけが得意だったが、近頃は衰えて時速1キロ程度に落ち込んでしまった。もう何があって驚かない卆呪という歳だが、白川君のピンピンコロリ大往生には、驚くよりも大いにうらやましく、わが憧れの逝き方である。

●白川君の人となりを知るには

 白川君は生真面目ないかにも研究者らしい風貌と物言いであった。大学山岳部で一緒に日本アルプスの山々に春夏秋の合宿に一緒に行った。真面目に黙々と歩き登り、写真をたくさん撮ってくれた。

 白川君の人となりについて、最近の彼についての新聞記事にあれこれと載っているようだ。白川君自身が語る彼自身に関することを書いた文章が、わたしが編集した東工大山岳部同期会「Q人会誌」に彼のいくつかの寄稿がある。

 学生時代にはまだ少なかったカメラを持っていた彼が、山岳部合宿で撮った仲間とのたくさんの写真は「Q人会誌2018」に寄稿している。1960年3月には剱岳に春山合宿に行った。積雪が深く長い早月尾根を、キャンプを順々に進めて行くポーラーメソッド登山を行い、最後にアタック隊が登頂に成功した。その合宿中の素晴らしい一枚をここに掲載する。

「劔岳三ノ窓の月」 1960年3月 白川秀樹撮影

 また「Q人会誌2018」に寄稿した単独行冒険譚「北海道無銭旅行ー知床半島一人旅」が面白い。「Q人会誌2019」掲載の「アメリカ留学雑記」は、この留学がノーベル賞への大きな役割だったようで、共同受賞者も登場する。

 そして白川君のノーベル賞までの生き方や未来への思いを書いた「思索のノート」(「Q人会誌2018」掲載)は、実に興味深い。それを白川英樹 著『思索のノート 』をエッセイ集の私家版の本として制作した。 

 (2026/09/07記)

ーーこのブログ内の関連記述ーー

【Q人会誌総目次】(2017~2023)

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2026/09/03

1972【地球破滅中】巨大山津波の破壊力を建設力に変換する能力がネパールにあれば・・・

 ●ネパールで巨大山津波発生

 日本ばかりではなくて今や地球は災害惑星らしい。いま日本列島では豪雨による水害で大変である。ところがネパールでは雨も降らないのに、巨大水害で大勢の死者行方不明者続出だそうだ。ヒマラヤ山脈と氷河を抱える地勢のせいらしい。

 8月26日のこと、ネパール・チベット国境あたりの、ヒマラヤ山岳氷河が崩壊して、巨大土石流が急峻峡谷を流れ下り、沿川の自然と人間の暮らしを破壊しつくした。今のところ全貌は分からないが死者100人を超え、不明者5000人以上ににもなるらしい。

 わたしはネパールに遊びに行ったことがある。2011年の3月末から4月にかけの1週間ほど、そう、東日本大震災の真っ最中だった。「われら年寄りは日本にいても手足纏になるだけだから、海外に避難しよう」という理由をつけて、大学同期仲間4人で遊びに行った。

 そのころ東日本では、震災のために停電が毎日のようにあった。ところが行った先のネパールでも毎日停電時間があった。災害ではなくて慢性的電力不足のせいだった。日本でも昔々戦争直後のころにはそうだったことを、ネパールで追体験した。

 その旅のことを、このブログにも載せている(こちらをクリック)。カトマンズの街の過密さと建物の脆弱さを見て、こう書いていた。

 ネパールの全人口は2300万人、一極集中カトマンズ首都大都市圏エリアはこの20年でも倍増の勢いでその13パーセントの300万人が住み、カトマンヅ盆地には100万人近くも住んでいる。ここで大地震が起きると大変なことになりそうだ。海からの津波はないが、ヒマラヤの氷河湖が決壊したら、山の上から津波がやってくる。一方、原子力発電所はないから、その点での危険性はない国である。

  ところがその後に、こう書いた大変なことが起きた。4年後の2015年4月に、カトマンヅ北西7キロのあたりを震源とする巨大地震が発生、首都も大きく破壊された。そして今回の巨大土石流の、山津波がやってきたのだ。ただし今回はカトマンヅは被災地ではないらしい。


●ランタンリルンの氷河崩落し峡谷を急襲

 今回の山津波発生源は、ヒマラヤのランタンリルン峰(高さ7200m)の北側のようだ。標高5,200mあたりで起きた巨岩の崩壊がもとになり、急峻な谷沿いに氷や岩や土砂を巻き込みつつ、標高差4,500メートル以上を猛スピードで一気に駆け下った氷と岩の泥流は、20~70キロ以上先まで集落や道路、橋、国境検問所、水力発電施設を丸ごと飲み込み、寸断、破壊、流失させた。

 発生の翌日からネット上には現地山津波動画が次々と掲載されてきた。わたしはTVを持たないからPCのFB(FaceBook)、YT(YouTube)、Xなどを一日中見て過ごした。それは2011年の東日本震災で東北地方海岸部が津波に襲われる動画を見た日々を思い出させた。



 その発生源あたりをグーグルアースで見ると、どこもかしこも同じような氷河と急峻山岳だから、今後も同じようなことが起きるに違いない。 日本列島が周囲の海からの津波の危険にさらされているように、ネパールは北のヒマラヤからの山津波の危険にさらされている。 

 上の山津波が駆け下ったルートの下流部と、2011年のわたしのネパール旅行ルートの一部は重なっているようだ。あのカトマンヅからポカラへのバス旅で見たいくつかの街と道と川や橋はどうなったのだろうか。
2011年ネパール旅行行程図 カトマンズ・ポカラ・ルンビニ400キロバス旅

2026年8月26日山津波発生源あたり ランタンリルン google earth

●巨大土石流の破壊エネルギーに圧倒
 
 そして巨大な暴れ龍のように流れ下り、建築も橋梁も消滅させるほどの猛威を振るう土石流を見ていて、その破壊エネルギーに圧倒された。このエネルギーはどこから湧き出すものだろうか。昔々に中学校あたり教わった「位置のエネルギー」というものだろうか。

 この位置のエネルギーを電力エネルギーに変換する仕掛けが水力発電所だろう。ということは、ネパールには実は超豊富なエネルギーを潜在させていることになる。石油とどう比較できるのかわからないが、あの最貧国は実はエネルギー長者国なんだ、う~む。
  
 2011年にネパールに行ったときに、上記のように停電が常態だった。日本語学校の社会人生徒たちと食事する機会があった時に聞いた話がある。ネパールには川は多くあるが、発電所が少ない、その重要な理由の一つに、どの河川もその下流はインドに流れ込むが、そのインドに水利権を抑えられていて発電所設置が難しいからという。歴史的な何かあるのだろう。

 せっかくの巨大な位置のエネルギーという資源を抱えながら、それが破壊に使われるままとは、あまりにもったいなさすぎる、何とか利用できぬか。YOUTUBE動画でその凄まじい破壊風景を繰り返し見つつ、またランタンヒマールの様相をグーグルアースで探検しつつ、こんなことを思った。

 もちろん素人考えに過ぎないが、水をインドに垂れ流しのままとは、なんとももったいない。ネパールに有り余る自然のエネルギー資源を、人間の動力エネルギーに変化して使う能力はありそうなものだろうに。技術はあるが資金がないのかしら。

●ヒンズー教の火葬寺院

 さてネパールでもチベットでも多くの死者があるらしい。それで思い出したのが、ネパール旅行で立ち寄ったカトマンヅのパシュパチナート寺院である。ネパールのヒンヅー教徒はこの寺院の川辺に並ぶ火葬場で死者を灰にして、そのバグマティ川に流すのだそうだ。今はその煙が立ち込めているだろうか。合掌

ネパール パシュパチナート寺院の野外火葬場 2011年撮影・伊達美徳

パシュパチナートのバグマティ川と火葬場

カトマンヅ市内のバグマティ川(パスパチナートの下流)

 せっかくネパールに来たのだからと、ポカラからヒマラヤの峰々を眺めるサランコットという山の頂上に、早朝にやってきた。その雄大な峰々の夜明けを眺めてきた。その時は考えもしなかったが、今起きている巨大山津波は、これの右のほうにも連なるヒマラヤから起因するものだ。
ポカラから見るヒマラヤ 左からダウラギリ・アンナプルナ・マチャプチャレ
  
サランコットからヒマラヤ展望 あの山々は巨大なエネルギー源か

 その巨大さは、ポカラの街から雪の山脈を見上げると、首が痛くなるほどにも近く高いものだった。あいにくタイミングが悪くて、ヒマラヤ、エベレストを遊覧飛行に乗れなかったのが残念だった。あの高みから氷と岩と泥水に襲われたら、逃げようがほとんどないと思うのである。

(2026/09/03記)
ーーこのブログの関連記事ーー
◎2011/04/12・412・地震大国ネパールのカトマンヅ盆地には…
◎【ネパール風土探訪】
カトマンズ・ポカラ・ルンビニ400kmバス旅2011(冊子pdf)

◎ネパール:フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」(2012.01)

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