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2024/03/01

1798【少子化時代】東アジアの半島国コリアと島国日本は人口減少でも競争するものだろうか

  2023年の日本人口での出生数が、総務省から発表された。毎年のように、今年も減少して記録更新とのこと。今に日本列島は無人になってしまうと思ってしまうのだ。でもたぶんそうなることはなくて、何かが起きて人口減少ストップの時来るのだろうなあと、希望的に根拠もなく思うのである。


 ところが、隣の半島国コリア(大韓民国)でも少子化が進んでいて、その勢いは日本以上だそうである。その出生率の減少傾向は、200年に日本を追い越して、というか日本よりも低くなって、どんどん下がるばかり、いまや072とは、世界一かしら。
 コリアについては、日本との間の歴史的な経緯もあって、何かと日本と競争する話を聞くのだが、こんなことに日本を追い越せと頑張るのではあるまい。東アジアから人間がそのうちに消え去るのだろうか。
 これって、日本とコリアはやっぱり同じ民族だから似ており、少子化も同じように進むのだろうか。チャイナは少子化政策をとっていた時代がずいぶん長かったから、更に少子化問題を抱えているだろう。もちろん高齢化もんだも大きいだろう。とすれば、東アジアから人間はどんどん減るばかりで、どうなるのだろうか。


 もちろん少子化と高齢化は対になっているから、コリアでも高齢化は著しいのだろうかとみれば、全人口に対して22年老年人口比は17.4パーセントである。日本のそれは29パーセントであったから、どうやらこの値は日本に追いついてはいないらしい。ここで「追いつく」という言葉が正しいのかどうか知らないが、そういう現象である。

 ところが14歳以下の2022年の年少人口比率は、コリア11.5パーセントに対して日本のそれは11.6パーセントで、実質的な差はない。つまり年少人口減少は日本に追いついたが、老年人口比率はまだ追いついていならしい。それだけコリアの少子化速度が日本よりも先に進んでいるということだろう。

 上下二つのグラフを見ると、日本の年少人口は11パーセントあたりで減っていかないのだが、コリアでは現在が11パーセントあたりになっており、この後に6.6パーセントにまで減少するらしい。日本の半分とは劇的な感もする。
 老年層も、日本が39パーセント弱で変わらない傾向になろうとするのに。コリアでは48パーセント近くまで増えていくのも、ずいぶん違う。

 何かというと日本と比較してしまうコリアだが、かなrずしも同一歩調でもないし、コリアが日本を何でも追い越しているのでもないらしい。経済の比較では勝ち負けみたいな感情が働くらしいが、人口という社会現象でもこの2国間に競争意識があるものだろうか?

(20240301記)

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伊達美徳=まちもり散人
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2023/02/08

1670【トルコ・シリア大震災】複雑な紛争地域を含み国境を挟んだ両国にまたがる国際大震災の被災者はどうなる?

 2月6日にトルコ南部のシリア国境近くで巨大医師人発生、両国で1万人以上の死亡者とかの報道。



 今どきらしく直ぐに現地の動画による状況が、ツイッターにたくさん登場する。ビルに押しつぶされようとする被災者自身による、その時の動画があるのには驚いた。
 建築物などの倒壊の有様を見れば都市型の震災らしく、1995年の阪神淡路の時にTVで見た報道写真とよく似ている。

 このような国境を挟んでの被災には、救助とか復興とかに大きな障害がありそうだ。特にシリアは内戦中であり、しかも被災地域がその中心的なところだという。
 反政府勢力地域とか、クルド族地域とか、トルコ支配地域とか、複雑に入り乱れているらしい。外国からの救援の人も物資も、入るのを拒否される有様とかとかである。

 それに比べるとトルコは政治的安定があるようだし、もともと地震国で日本並みにこれまでも大震災の経験があるようだから、救援や復興はそれなりに進むのだろう。
 トルコとシリアの間にも紛争があるから、共同してのの救援復興はむつかしいのだろう。トルコ側にはシリアから紛争を逃れて難民が多くいるとのことで、それらの被災者はどうなるのだろうか。

 そんな人間模様が難しい地域に、自然災害の巨大大地震とは、地球はどこかおかしいようだ。異常気象と関係があるのだろうか。
 トルコの北には黒海を挟んだ向こうのウクライナでロシア侵略戦争中である。このあたりの歴史や地理には詳しくないが、遠くから眺めると何やらこの辺りは人間も自然も複雑極まるように見える。(202302008記)

(追記20230209)
 コーランを燃やした事件があったスウェーデンに対して、トルコが対立していたにも関わらず、スウェーデンがトルコ震災復興支援を行うとしたとの新聞記事。さらに長らく対立するギリシャも復興支援するとのこと。
 このようなことで国際間緊張が融和するように、シリアの内戦問題も解決方向に向かうことがあるだろうか。更にウクライナ危機にも影響するだろうか。

(追記20230213)
 発災から一週間後の今日のニューズでは、トルコシリア合わせて死者が33000人以上となったとのこと。崩壊建築の下敷きになっているものが数多く残されたている。両国合わせて被災者数は2300万人にもなるとのこと。

(追記20230214)
 死者は3マ500人を超えるとのこと、トルコ側はある程度正確に判明しても、シリア側は実際は世食わkらないらしい。内戦地域だから政治的に複雑な様相で、支援救援が被災地に入ることさえ難しいことがあるらしい。天才に人災が重なっている。

 今朝の新聞に載る各種の震災資料









2022/12/20

1662【怪しいハイテク】 クレジットカードトラブル発生でもどこにどうやり連絡するのか?

●クレジットカード支払い

 コロナ前にはめったに使わなかったクレジットカードを、近頃は日常の買い物に使うようになった。何とかペイってのがはやっているが、それはまだやっていない。ペイペイつまり払え払えと品の無いイネーミングでうるさいのが嫌だ。

 日常の買い物に使うようになって気が付いたのは、以前は使うたびにパスワード入力とか、自筆サインとか店頭で求められていたのに、いまはそれが要らないことだ。つまり、道で拾ったカードでも、今すぐに買い物に使うことができるようになっている。それでよいのだろうか?、これまで私は落としたこと2回、拾ったことも2回ある。

 昔と違うのは、カードを使った翌日にカード屋から利用をその買い物金額をメールで教えてくれることだ。わたしがそれを支払った覚えがないなら、次の日にトラブル発生と分かるのである。これが使ったサイン廃止と連動しているのだろうか。
 もう30年以上も前からクレジットカードを使っているのだが、まだ一度もトラブルが起きたころはない。

●カードトラブル発生

 ところが昨日、初めてトラブルが起きた。一昨日に近所で食料購入でつかったクレジットカードにつき、昨日カード屋から知らせが来たのだが、同じ金額の買い物が2回記載してあるのだ。わたしは一回しか支払っていないし、その店のレシートの紙も1枚しか受け取っていない。遂にトラブル発生である。

 早速に近所のその食料品店にいって、店長にこれはおかしいだろうとクレームを言う。彼はしばらく調べていて、確かにレジから2重送信した、店側のミスであると認めた。支払い授受処理レジスターからカード屋に通信するらしいが、その回線にミスが生じたという。

 このようなことは時に起こるらしく、店長はとくに慌てた様子もなかった。責任もって処理して近日中に連絡するというので、了承して引き取った。
 さて、どう処置するのか楽しみである。トラブルがまたトラブルを呼ぶようなことにならないように、願うばかりである。若い時はトラブルを楽しむ力があったが、年取ると面倒なことはもう勘弁してほしいと思う。

(追記20221223)本日、カード屋から正式の利用状況のメール通知があり、上記の2重カウントが解消されていた。ヤレヤレ、ホッ

●スマフォ料金支払いトラブルか

 実はカードがらみでもうひとつトラブルらしいことが起きかけている。
 スマフォの携帯電話利用料金をクレジットカード利用で支払っているのだが、今月のその料金表示がおかしいのだ。
 スマフォの中にある今月支払いの利用料金表示では、使用料は1080円だが同額のポイントが付いてきてそれを使うので、支払いゼロ円と表示されている。

 ところが机上PCのカード屋サイトの今月の支払い料金明細リストの中には、そのスマフォの「モバイル通信料」がばっちりと載っている。
 スマフォは一つしかないし、電話も番号一つしかない。だが支払い料金表示は、スマフォゼロ円で支払い無し表示、PCだと1080円の支払いあり、齟齬だ。


 さて、この二つの料金表の違いについて、どちらが正しいのか。どこにどうやって問い合わせをするのか、分からない。もともとわからぬこと多いスマフォの中を見ても分からない。PCのカード屋サイト内を探すのだが、やり方を見つけられない。もう面倒だ。

 困った、質問とか文句とかどうやればよいのか分からない。スマフォはこれだから困るよなあ。勘ぐれば、年寄りにはわざと見つけにくいように設計したあるらしい。息子に訊くしかないかな。
 いや、近所の商店街にあるこのスマフォを買った店に行って聞けばよいのだろうか?、なんだか面倒だなあ。

 まあ、ほかに何もトラブルを抱えていないから、一つくらいはないとボケるからって、天の配剤だろうか。1000円の悩みだ、高いか安いか、。
 いやいや、トラブルないどころか、あるある、コロナ、ウクライナ、軍備増税、どれもトラブルだよなあ。(20221220記)

2022/04/01

1612【4月馬鹿の詐欺電話】鉄道遺失物係を装い息子の忘れ物を引き渡す演技の詐欺電話に大笑い

●<状況>詐欺をたくらんだらしい電話がきた

 今日は4月1日、この日にぴったりのちょっとした事件が、わたしの家であった。
 20時半ごろ、電話嫌いの家人が珍しくがながながと電話している。気になって立ち聞きすれば、息子の住所や勤め先や電話やうちの住所などあれこれプライベートなことを聞かれて、困惑の様子でぼつーりぼつーりと答えている。なんだか様子がおかしいので、どこからときけば、遺失物係からで、この電話の前に息子から携帯電話を落としたとの電話があったとのこと。

 そこでわたしが電話を替わり、家人は高齢老人ではっきりしないから、わたしが初めから話しますと言って、そちらは誰かと聞けば、JR東の代々木駅の遺失物係で田中という、うちの息子が落とした携帯電話など入るカバンを預かっていて、息子から連絡あったが渡すには本人かどうかの確認が必要なので親に連絡しているという。これまでの家人の話で本人がどのような人か分かったと言うので、じゃあよろしくとその電話を切った。家人にながながと息子のことを聴き過ぎていた感もあったが、特に不審には思わなかった。

 直ぐに携帯電話で息子に連絡して確認しようとする間も無く、息子を名乗る電話が来て、わたしがとり上げたら、「何度電話してもつながらなかったがどうしたの」と聞くので、「お前の忘れものとて代々木駅の遺失物係に身元確認させられてたんだよ」などちょっと話すのだが、公衆電話だから切れるよ、なんて話をせかしてくる。だが、どうも息子とは声も口調も違うのでニセモノっぽいなあと思い、「こちらも君が息子であるかどうか本人確認するからね、質問に答えろよ、君の親の出生地はどこか言いなさい」、ちょっと間があり「北海道」、「え、へえっ?」、カチッ、向こうから電話を切りおった。
 お~お~、電話詐欺であったか、もしこの詐欺電話が続いていたら、次の筋書きはどう展開予定だったのかしら。

 すぐに息子に携帯電話して「今どこなの」と聞けば「自宅だよ」」という。そこでこれこれ云々と話して、大笑いの話に終わった。

●<状況整理と推測>特殊詐欺未遂経過

 このわが家で起きた電話騒ぎは、ネットで調べると「特殊詐欺」(未遂)というらしい。
 電話の直後は頭が混乱していたが、のちにいろいろ考えると、こうであったらしいと推理も交えて詐欺未遂がらみの様相を書いておく。

・1回目の電話<息子役から 4月1日20時ころ>
 息子を名乗る男から家人に、忘れ物をした代々木駅の遺失物係から本人かどうか問い合わせ電話があるから、暗証番号を訊かれたら「00564473」を言い、よろしく頼むと言う内容だけ。家人は声が息子と違うようなので、息子の名を行って確かめたが、うまく言い抜け抜けられて信用した。

・2回目の電話<代々木駅遺失物係役の田中と名乗る男から> 
 
1回目電話を切った直後に遺失物係を名乗る電話が来たので家人が受けた。パスワードを聞かれて言うと、うちの息子の本人確認を親にするとて、名前、住所、年齢、勤め先などを聞かれ、更にわたしのうちのことも聞かれ、途中交代したわたしも息子の呼び名を聞かれたので答えて、互いに礼を言って電話を切った。
 あとで考えると遺失物を渡すのにこんなことまでやるかしらと思ったが、ここまで全く怪しまなかった。詐欺師はこれで次の息子役が息子を演じるための基礎的なデータを手に入れたようだ。

・3回目の電話<息子を名乗る男から> 
 3回目電話は2回目直後に、息子名を名乗る電話がきてわたしが受けた。若干の会話で本物の息子とは声が違うので、こちらの質問にバレて向こうから電話を切った。
 推測するに、うまく演じていたら、このあとで金銭を要求する演技に入ったのであろう。ネットで調べると、遺失物係と息子係を演じる詐欺方法が書いてあり、息子係は銀行カードを落としたと分ってすぐに使用停止手続きしてしまって金がないので貸してくれとて、友人を受け取り役に送り込むのだそうである。
 でもねえ、息子がわたしに金を用意してくれと言ったとしたら、そのトタンにニセモノとバレるのだ。だって、親が現金も預金も持っていないことも、誰かに借りるあてもないことも、一番よく知っているのは当の息子なんだから。まあ、3万円くらいなら当座の買い物用現金があるけどね、これじゃあリスクに見合わないでしょ。

・4回目の電話<私から息子へ>
 実は2回目電話の直後に息子に確認電話をしようと携帯電話を手に持ったのだが、息子役からの電話が先に来て、先方の確認電話させない作戦にひっかかってしまった。3回目電話が切れた直後に本物の息子に電話して詐欺と確認でした。

・5回目の電話<私から神奈川県警へ>
 詐欺未遂だからどうでもよいかとも思ったが、一応警察に伝えておくかと思い、ネットで調べると神川県警にそのような係があった。電話すると一部始終を聞きたいと言うので報告、電話番号を詐欺師グループが知ったので、また別の方法でかかってくるかもしれないから気をつけろとのことだった。
 家人専用の固定電話には、あれこれ商業的勧誘がかかって来ても、所要電話はごく少ないので必要か思案していたが、このさい踏ん切りがついて解約、携帯電話機のみにした。 

 なんとまあ、いかにも4月1日らしいことにて、詐欺師の演技に大笑い、暇つぶしになり、頭を使ってボケが一時止まったし、詐欺師に感謝するべきかなあ。
                    (20220401記、20220407補綴)

2020/09/02

1487 【コロナ映画館】笑っていて空しくなるドキュ映画「はりぼて」は地方議会だけじゃなくて国会あたりも

 久し振りに映画館へ、「はりぼて」(監督:五百旗頭幸男、砂沢智史)を観て笑って空しくなった。
 映画の宣伝文句は『保守王国、富山県の小さなテレビ局の追及で市議14人がドミノ辞職。今の政治を抉るドキュメンタリー映画!』。

 いい年齢の大の大人の男ばかりの市会議員何人もが、次々と税金着服汚職の疑惑に、それを地元TV局が次々と暴く、その過程のドタバタ喜劇実写映画である。
 議員たちの超恥ずかしい言いわけ、陳謝・辞職・返還・居直り・裁判が続く。張り切って議会改革を唱える若手新人議員が破廉恥行為なんてドタバタ。

 市長は議会のことだから知らぬ存ぜぬ、ところが市役所職員が議員汚職に絡んで違法事件発生、次から次へと謝罪や言いわけ画面が登場して、それが全部男、可笑しいけど空しくなる。

 このドタバタ人間喜劇は、フィクションじゃない、ニュース取材を編集したのだろうが、現実は小説の上を行く。
 地元に根を下ろすテレビ局が、これほど突っ込んで取材できるんだと感服した。
 そしてネタバレになるから内容を書かないが、最後には「楽屋落ち」(落ちの意味に映画館を出てから気付く)さえ用意してあり、実によくできてる。

 単純にしてお笑い的事件の連続だが、もっともっとカリカチュアライズして、爆笑つづきにさせてくれる方法があっただろうに、意外に抑制的に編集している。タイトルの「はりぼて」こそが、強烈なカリカチュアライズ表現であろう。
 こんな人たちに票を入れる有権者たちがいるのは厳然たる事実で、国政だって似たようなものか。

 富山市庁舎建築の特徴あるデザインがよく登場するが、あの大きな吹き抜けが「はりぼて」の中の空洞に見えてきたし、大きなガラス壁面の斜きが議会崩壊を象徴するように見えてきた。雪の北アルプス連峰が美しい。

 ◆「はりぼて」予告編 https://youtu.be/sibI4JIlwnI

 コロナ禍の中の映画館(横浜・ジャックアンドベティ)の座席は定員半分の指定制、平日昼間なのに座席はほぼいっぱいだった。
 席移動禁止、覆面してろ、話すな、笑うな、食うな、飲むな、袋ガサガサさせるな、などなど、コロナ流映画見物お行儀がいろいろとウルサイのは仕方ないが、その口調がどこか押しつけがましい。

 ビール片手に大声で笑いつつ、隣の友人とあれこれ批評しあいながら観る映画って、今後は出会うこと不可能なんだろうか。いよいよPCで観るネット映画ばかりなるなア。
 ついでに言えば、見ること少ないが映画館で最近観た映画の記憶は、ジェインジェイコブス、主戦場、バウハウス100年映画祭などのドキュメンタリーばかりだ。
 うちでネットに登場する動画をよく観るが、ここでもフィクションよりドキュメンタリー映画をはるかに面白がっている。ここまで築いた映画文化をコロナが崩壊させるのだろうか。(20200902)

2019/03/03

1391【カリフォルニア歌人登場】雪よ岩よ相い宿りける岳人よ孫詠む歌人となりにけるかも(まちもり散人詠)

 大学山岳部で同期生だった男が、いつの頃からかU.S.A.に定住して、兎の住む星にロケットを飛ばす仕事をしていたらしいが、いまはカリフォルニアに引退している。
 そして近ごろ、なんとまあ、短歌を詠むようになり、ときどき朝日新聞の歌壇に入選して、元気なことを伝えてくれる。
 この前の入選は去年12月、その前は8月だったから、もう、マグレとは言わない。
 そして今日、その名と歌を発見して嬉しい朝である。

 孫寝かせ妻と静かに交わす酒 息子の時には無かりしゆとり
               (アメリカ)大竹 博

 帰化もして余りに長い異国暮らしで、もう日本語を忘れそうになっていたのを、歌人である夫人の大竹幾久子氏に導かれて、短歌を詠むようになったそうだから、婦詠夫随歌人夫妻であるらしい。
 日夜研鑽に励んで日本語を取り戻すばかりか、古語さえ自在に操る歌詠みになり、朝日歌壇入選の機会も夫人と良い勝負になってきた。
 日本に歌をとばして歌壇に着陸をさせるのは、月ロケットよりも容易か困難か、どうなんだろうか。

 今年2月3日と24日には、幾久子氏が入選している。

 鶏を飼い汁の実畑からとっていた祖母の食事は滋養があった
               (アメリカ)大竹幾久子

 学芸会見に来た親の六人をいずれは看取るかこの孫一人が
               (アメリカ)大竹幾久子

 では、こちらから祝い歌のようなものを贈りましょうかね。

 雪よ岩よ相い宿りける岳人よ 孫詠む歌人となりにけるかも
               (ジャパン)まちもり散人

参照:「伊達の眼鏡」関連記事
https://datey.blogspot.com/2018/12/1175.html
https://datey.blogspot.com/2018/08/1156.html
https://sites.google.com/site/qninkai2018/ohtake2018a
https://datey.blogspot.com/2015/10/1134.html
https://datey.blogspot.com/2012/07/648.html
https://datey.blogspot.com/2013/12/879.html
https://datey.blogspot.com/2013/01/705.html
https://datey.blogspot.com/2012/11/688.html
https://datey.blogspot.com/2011/09/500.html

2018/12/23

1375・カリフォルニアの旧友が朝日歌壇に登場

今日の朝日新聞の歌壇に、山岳部旧友のアメリカ歌人登場

   アメリカに帰化せし後の訪日は身は「行く」なれど心は「帰る」
              (アメリカ)大竹 博

一首の中に「訪日」、「行く」、「帰る」と、
3度も太平洋を渡る言葉が登場するのだけど、
これってつまり2対1でアメリカの勝ちだね。
でも、上の句で「訪日」と言い切りながらも、
下の句で「行く身」と「帰る心」の狭間に揺れる。
アメリカ人となって半世紀くらいだろうか、
それほど長い歳月がありながらなお揺れるとはねえ。

このまえの入選は8月だった。
https://datey.blogspot.com/2018/08/1156.html

2018/08/12

1156【カリフォルニア夫婦歌人朝日歌壇登場】朝夕に行きたくて行く人よりも行かねばならぬ人で混む電車(アメリカ)大竹博


 今朝の朝日新聞の朝日歌壇に、カリフォルニアに住む2人の知人による歌が載っている。夫婦二人仲良く並んで入選しているのを発見、驚きつつ嬉しくて笑う。

  浴衣着た人は右前左前スニーカー履きロスの盆踊
                (アメリカ)大竹幾久子
  朝夕に行きたくて行く人よりも行かねばならぬ人で混む電車
                (アメリカ)大竹 博

 大竹幾久子さんは昔から歌を詠んでおり、ときにはこの朝日歌壇にも登場する。夏には故郷広島の原爆を詠うことが多いのだが、今回はロスの盆踊とは、平和である。
 いっぽうの大竹博君は、昨年から詠み始めた。そして幾久子さんのご指導よろしいせいかどうか知らぬが、朝日歌壇にこれで3首目の入選である。月曜日の新聞を楽しみにしている。

 大竹博君はわたしの大学山岳部同期生であり、専門は電子工学で、宇宙ロケットを飛ばす仕事に携わっていたアメリカに居付いてしまった。その山男ロケットマンが今は歌人とは、人の才能は分からぬものである。
 ならば、わたしにもその才が潜んでいないこともあるまいと、ひそかに歌を詠む。いつかわたしも朝日歌壇に登場するぞ。
 というわけで、大竹夫妻に便乗して近作一挙公開だあ~。

  基地原発火山海嘯遠くして地震まれなるふるさとに豪雨  
  被災の地「まきびまち」と読みてをれば 
            テレビラジヲは「まびちゃう」と言ふ
  古も大水害のありぬべし吉備真備は施策なせしや  
  昨日今日天然空気で暮らせども熱中するには至らず候
  暑ぢちちち暑暑暑暑暑熱い焼け死に給ふな恋人たちよ
  ねがはくは熱に中りて夏死なむその八月の真中真昼に
  生命に関わる豪雨猛暑とて避難するべし安全なあの世へ
                 (まちもり散人)

関連記事;カリフォルニア歌人
https://datey.blogspot.com/2013/01/705.html
 

2018/05/08

1333【戦争体験記】『昭和二十年それぞれの夏』大学同期生七歳児たちの戦争体験記憶簿

 アジア・太平洋戦争が終ってここまで時間が経つと、戦争体験の無い世代が社会を動かしているから、戦争体験世代から見ると、危なっかしくてしょうがないことも、すらすらと世間に通る。ネット社会発言もそうだ。

わたしが学生だった頃の母校キャンパス風景と寮舎
戦争中は軍事研究メッカ、紙風船を飛ばしてアメリカ爆撃研究も

●大学同期生たちの戦争体験記憶

 最近、同世代連中と話をしていて、ちかごろ戦争体験が風化しているとの話になり、思い出したことがある。同期の大学寮仲間の戦争体験記憶を集めたことがあったのだ。
 2014年8月に大学寮同期仲間のメーリングリストを使って、語りあったのである。

 1961年に卒業しのだから、1945年の敗戦時は7~8歳児である。そして敗戦の日に居た場所は、北は満州、朝鮮、南は台湾、そして鹿児島から茨城まで、多様な地域に亘るのである。多様な地域での、多様な戦争体験がある。
戦争記憶簿に執筆した同期仲間たちが1945年8月15日にいたところ
実はそれらのメールをまとめたファイルがあるのだが、それをネット公開したらどうだろうか、公開価値があると思いついて、執筆した仲間たちに聞いてみた。
 ネット公開反対の者はないので、一部を修正したうえで、ブログを開設して載せた。

 「1945年8月15日あなたはどこで何をしていましたか」
   昭和二十年それぞれの夏 
七歳児たちの戦争体験記憶簿
東京工業大学1961年卒業向岳寮同期生有志著

●ネット公開は実名か仮名か

 ネット公開にあたって、公開そのものに反対はなかったが、多少の論議があったのは、元のファイルはそれぞれの執筆者名は実名であるが、公開にあたって実名とするか、仮名とするか、ということである。
 取りまとめ役のわたしがまたメーリングリストを通じて、最初にネット公開原案を示して公開の可否を聞いた。そこには執筆者名をとりあえずローマ字イニシャルにしたが、わたしだけは実名にしておいたのだ。

 そして実名にするかどうか、内容はこれでよいかと聞いた。内容については修正や追加の各自からの指示をそのまま入れた。
 執筆者名についての反応は、実名とするものは少数であった。わたしとしては、このような戦争体験記を公開するにあたって、内容に責任を持つために実名にする立場であるが、他に押し付ける気はまったくない。

 実名を出すべきでないとする意見が数名からあったが、どれもその理由は、ここから住所や電話番号等の個人情報を探り出す者がいて、年寄りのわが家に詐欺電話をかけてくるおそれがあるからという。イニシャルでも危ないからランダムに英字1字のみの仮名にすべきとの意見さえもあった。

 わたしの意見は、これは共同執筆ではなく、ひとりひとりの執筆の集合なので、全員をそうすべきとの意見には賛成しない、それぞれ執筆者の意向に沿うので指示をほしいとして、それぞれの意見に対応して個別に修正したり、そのままにしたりした。
 なにも反応ないものは、呈示した原案のままにした。

●ネットの功罪と高齢社会

 わたしたち世代は、ネット社会の草創期にはもう結構な年齢だったから、Eメールくらいはやるとしても、自分のウェブサイトやブログを持つもの、あるいはSNSを使うものは、かなり少数で珍しい部類に入るようだ。ネット社会とはある距離を持っている。
 それが自分の名前と文章がネット社会に登場するとなると、その功罪の罪の方に目が行くことになるのだなあと、興味深く思ったのだった。

 わたしは功の方がはるかに大きいと思っている。わたしがもう20年にも亘って、実名もメールアドレスも公表してネット社会へ発言してきたが、幸いにして不都合なことが起きたことは、一度もない。
不都合よりもむしろ、わたしが載せた各種の論考等を読んだ研究者や院生学生から連絡をもらって、その研究になにほどかは役立つこともあるくらいだ。

 この戦争体験記もなにかに役立つことを願っており、そのサイトの問合せ先にわたしの名とメールアドレスを載せておいた。語り部として責任を持ちたい。
 ネット社会の登場で、リタイアしてリアル社会と遠ざかった老人たち、足腰弱って出歩けなくなった老人たちには、高齢社会のあらたな社会参加の場となっているが、これもそのひとつである。

●参照:「昭和二十年それぞれの夏
http://kgr36.blogspot.jp/p/blog-page_8.html

2015/11/01

1141中央アジアのキルギス共和国で活動する国連機関ユニセフ現地事務所代表の杢尾雪絵さんによる現地報告を興味深く聴いた

●中央アジア・キルギス共和国

 中央アジアのキルギス共和国で活動する、国連機関ユニセフ現地事務所代表の杢尾雪絵さんによる現地報告『若者を戦いに行かせないために』を、10月30日に東京のユニセフハウスで聴いた。
 2010年の民族紛争を経て中央アジアで初めての民主主義共和国を築いたが、貧困差別と国境をまたぐ民族紛争の中で、青少年を平和へとどう育成するか、心を砕きつつ活動をしている。

 この日本列島には、地続きで接する他の民族の国はないし、各種多様な民族が住んでいるわけでもないことで、民族紛争や国境紛争は無い。もっとも、国境紛争がない譯ではなく、千島列島の一部と日本海の孤島をめぐって線の引き方で諍いはあるが、人が死ぬような紛争はない。
 ところが、ユーラシア大陸では多民族がつばぜり合いしながら住む地域や国がいくつもあり、紛争が絶えない。中央アジアのキルギス共和国もそのひとつである。
キルギス共和国の位置
キルギス共和国と紛争地のフェルガナ盆地
 杢尾雪絵さんは、キルギスで国連機関のユニセフ事務所の代表として昨年から赴任している。その前はウクライナ代表だったが去年転任した。
もう20年も各国の国連機関で仕事をしている国際活動家である。
 転任直前の去年4月にも、一時帰国して紛争真っ只中のウクライナで、子どもの被害の状況といかにして救うかという現地報告を聴いた。
 そして今年、こんどはキルギスでの活動報告である。この貧困で多民族の国における、子どもや青少年の課題とユニセフができることを語った。

●キルギスの貧しさと日本の豊かさ貧しさ

 キルギス共和国の2014年の人口は583万4000人、人口一人当たりGDPは1299$であり、一人当たり1000$以下とされる低所得国をようやく抜け出して中低所得国になった。これは世界国別比較で158位に位置し、近隣諸国と比較して見る。
アフガニスタン    650$ 174位
・タジキスタン    1113$ 159位
・キルギス      1299$ 158位
・パキスタン     1343$ 152位
・ウズベキスタン  2046$ 136位
・中国         7589$  80位
・トルクメニスタン  8270$  73位
・カザフスタン   12183$  60位
(日本        36332$  27位)

 日本人の1人当たりGDPはキルギスの30倍、それほどに日本は豊かな国なのである。日本の子どもは豊かなんだろうと思う。
 ところが、2014年の子ども貧困率を比較すると、キルギスでは45%の高率であるが、日本でも16%と意外に髙いのである。
 しかも日本の子ども貧困率は、1985年の11%からしだいに上昇している。つまりどんどん貧乏になっている。アベノミクスとかって浮かれているのは、どこのことなのだろうか。

 ソ連崩壊まではその一員のキルギス・ソビエト社会主義共和国であったが、1991年の独立後はキルギスタン共和国となり、ロシアとは独立国家共同体 (CIS) の集団安全保障条約のもとにある。
 2005年のチューリップ革命、2010年の反政府運動の大騒乱を経て、今は国会が主導権を握る議院内閣制となり、大統領は象徴的な地位になっている。
 中央アジアの近隣諸国が大統領による独裁制の中で、この民主主義体制は珍しいという。
 だが、産業がないこの国の最大の産業は、ロシアへの出稼ぎだそうだ。国民所得の3割に相当するくらいの基幹産業とか。

●貧困格差がまねく民族紛争の中で

 貧困が格差と差別を生み、それが民族間の争いになり、歪んだナショナリズムを生み出す。
 かつてソ連時代は、各民族は平等にという国家政策だったが、ソ連崩壊後に起きた混乱と貧困が民族対立を生み出し、それが民族間紛争を招いている。
 キルギス南部のウズぺキスタンとの複雑な国境地帯にあって民族が入り乱れるフェルガナ盆地あたりでは紛争が絶えない。

 それに近ごろは宗教過激派が青少年をリクルートすることも多くなり、穏健なキルギスのイスラムも原理主義へと染まる傾向もあって、紛争は国際化する。国際紛争も伴う民族間紛争は、いったん起きてしまえば憎悪が憎悪を生む悪循環構造となる。
 そのような中で、国連機関のユニセフの活動は、次の世代に民族間紛争が起きないように、子ども、少年、青年たちを教育することが最も大切なことと考え、大きく動くよりも小さなできることを地域ごとに、たくさん積み重ねていく方針でやっているという。

 例えば、紛争国境を挟んだ両方の地区に同じ教育施設をつくって、両方で同じような活動をすることで、教育を受けた若者たちが次の平和を築くことを期待する。
 そのために、国連ユニセフのキルギス事務所代表としての杢尾さんが、直接に折衝し連携する今の政府の教育担当閣僚は、若いやる気のある女性であり、期待できるという。

●いくつもの紛争国で仕事してきた国際人の杢尾さん
 
報告会の会場には、100名くらいの聴衆が来ており、若い人たちも多くいて、積極的に質問している姿をみて、杢尾さんの後を追う世代があることを頼もしく思った。
 そして、わたしの仕事仲間だった彼女が、こうして今、中央アジアの貧しい国で子どもの幸福のために、平和のために活動していることを、わたしは誇りに思い、嬉しいことである。
 彼女がわたしの仕事場から、湾岸戦争のクルド族難民キャンプ支援にトルコのUNHCRへ飛んで行ってから、アメリカ留学を経て国連へ、あれからもう四半世紀にもなるだろうか、月日は早く経つ。

 これまでトルコ、モンゴル、コソボ、モンテネグロ、タジキスタン、ウクライナなどの国情が複雑で、時には戦火が及ぼうとする地域で活動する彼女は、なにしろ若いころはスカイダイビングなんて空を飛んでいたくらいだから、やっぱり肝っ玉姐御だからできるのだろう。今は可愛い娘もやさしい夫もいるから、肝っ玉母さんか。
 わたしは何もできないが、北部の首都ビシュケクに住みながらも、紛争地域の南部にも月に2,3回は行くという彼女の身に、危ないことが起きないようにただ祈るだけである。 (2015/11/01)
杢尾さんが赴任した国々

ユニセフによる杢尾雪絵(もくお ゆきえ)さんのプロフィル
 ユニセフ・キルギス共和国事務所代表。
 大学卒業後、都市計画建築コンサルタントとして就職後、青年海外協力隊員(JOCV)や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の国連ボランティア(UNV)を経て、1991年から1994年末まで米コーネル大学地域計画学科に留学。
 国連食糧農業機関(FAO)ローマ本部インターンを経て、1995年にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)としてユニセフ・モンゴル事務所に勤務。ユニセフ・コソボ事務所長(1997年~)、モンテネグロ事務所長(1999~2001年)、タジキスタン事務所代表(2001~2008年)、ウクライナ事務所代表(2009~2014年)を務めた後、2014年7月より現職。

参照:
タジキスタンで活躍するユニセフ杢尾雪絵さん(2002)
https://sites.google.com/site/matimorig2x/mokuoyukie-tajik
紛争地ウクライナの国連機関ユニセフで活動する杢尾雪絵さん(2014)
http://datey.blogspot.jp/2014/04/918.html


外部関連ページ
◆いつも心に青空を ユニセフ タジキスタン代表・杢尾雪絵(NHKオンライン)
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/1130/

2015/10/29

1140【歴史ミステリ】鹿鳴館の設計者はコンドルではなくて実はウォートルスであったという話をご存知ですか?

 鹿鳴館の設計は、ジョサイア・コンドルじゃなくて、銀座煉瓦街を作ったウォートルスだった、という話を読んだ。いや、なに、北森鴻著『暁英 贋説・鹿鳴館』って歴史ミステリ小説ですよ。
 明治政府お雇い外国人となってからのコンドルを主人公に、その弟子たちはもちろん、師匠の河鍋暁斎、お雇い外国人仲間のベルツ、井上馨、岩崎弥太郎などが登場し、ちょっと面白かった。なにが虚で、なにが実かわからない。

 ジャーディン・マセソン社という、中国でアヘン戦争、日本では戊辰戦争で悪辣な商売をしたイギリスの商社があったが、コンドルが実はその手先であったという設定である。コンドルの弟子の佐立七次郎もそうであるとしている。
 あれやこれやと事件があって、ウォートルスが描いた銀座煉瓦街の設計図をコンドルが手に入れるのだが、そのとき別のデザインの洋館設計図もついてきた。そして、その洋館設計図の通りに鹿鳴館を建てるのである。

 だから鹿鳴館は実はウォートルスの設計であるというのだ。ふむ、おもしろい。
 そのウォートルスは、藤森照信の「日本の近代建築」によれば、日本から香港に移り更にアメリカに渡ったとされているが、小説では日本で殺されたことになっている。
 そこには銀座煉瓦街で文明開化の景観を作りたかった明治政府の犯罪的陰謀が隠れており、この陰謀をジャーディンマセソンの手先のコンドルが探るという筋書きである。

 じゃあ、コンドルはなぜウォートルスの図面を自分の設計として鹿鳴館に使ったのか、裏にジャーディン・マセソン社の陰謀が絡んでいるらしいのだが、そこから先は実は分からないままに突然、この本は終わってしまう。
 尻切れトンボ小説である、だって、著者の北森鴻がそこまで書いて、死んだのだからしょうがない。もうちょっと書いてほしかった。

 読んでいて、残りページが少ないのに、ここまで広げたいろいろな伏線が、どうやって大団円に行くのかなあと心配しつつ読み進めて、最後に(未完)と出てきてガクッとした。
 どうりで話が途中で散らかり気味のままだった。雑誌連載ものだったらしいから、単行本にするときにうまくまとめるつもりだったのだろう。
 

 この本は、市立図書館で借りてきたのだが、そのときに同じ「キ」の棚で近くにあった北原亜以子の「化土記」もついでに借りてきた。久しぶりに北原の情緒ある時代物を読んでみたくなったのだ。
 ところが読んでいて、どうにもとっ散らかり過ぎて、北原亜以子ってこんな書き方だっけ、おかしいなあ、これも残りページ少ないのに、このとっ散らかりをどう収拾するのか。
 なんとまあ、これも未完のまま、作者が死んでしまった。北原が最近死んだことは知っていたけど(2013年と書いてある)、これが絶筆であるのか。知らなかった。

  というわけで、偶然にも図書館で借りてきた2冊の長編小説が、よりによって、どちらも著者の最後の著作で未完であった。北原よりも北森のほうができはよかったが、どちらも話がとっ散らかったままである。
 著者が再度目を通して手を入れることもなく、雑誌掲載時のままに単行本にするのは、出版社は著者の名前だけでも本は売れてよいだろうが、こんな内容では読者にとっては大いに不満だし、死んだ著者にとっても成仏しがたいだろう。

 死んだのではないが、ジェフリーアーチャーがこのところ4分冊(ペーパバックス)になっている小説を出しているが、わたしは出たばかりの1巻目を読んで、アレ、続き物かよ、しょうがないと2巻目が出るのを待って買って読み、これがまた続きなっていて騙されてからは、3冊目以降を買わないでいる。
 これからは本を読む前に最終ページを見て、未完となっていないと確認してからにしょう。

 長編小説で未完と知らないで読んで、それでも出来が良いと思った本を思い出した。隆 慶一郎著『花と火の帝』である。わたしはこれを読んで、後水尾上皇のつくった圓通寺庭園のことを書いたのであった。
 わたしの書く物は未完小説にはならないにしても、近いうちに絶筆になる可能性はある。絶筆がとっ散らかってるのも恥ずかしいような、いや、当人は死んでるんだからどうでもいいような。
 あ、こんな本を読んでると、うちにある未読本読破がますます遅延するなあ。

●参照 『京都:怨念の景観帝国ー円通寺と後水尾上皇の視線
https://sites.google.com/site/machimorig0/entsuji

2014/12/09

1035いつも冬野菜の季節になれば友人の畑で美味いダイコンを収穫

 毎年の今ごろ、年寄り遊び仲間の中の一人が耕作するする市民農園に赴き、たくさん冬野菜を収穫して頂戴してくる。
 年中行事になっているが、いつまで続くか。

 耕作する友人のほうは、一年中いろいろと手間をかけているのだが、こちらは育った頃に畑を訪ねて行って、このダイコンいいなあ、この水菜もほしい、この白菜が美味そうだ、青梗菜も立派だねえなどなど、口で褒めるだけで新鮮野菜を手に入れることができる。
 実にどうもありがたいことである。

 今年も二人の仲間で押しかけて、太いダイコン2本、水菜6株、白菜3株をそれぞれいただいた。ダイコンって、水ばっかりなのに、意外に重いものである。
 さてどうやって食おうか、とりあえずは水菜を浅漬けしておいた。

 このダイコンの写真は、その畑で収穫したものである(今年の作ではない)。
 畑でこれを製作した友人は「ポルノダイコン」と名付けているが、わたしは「エロダイコン」と名付けた。どちらが正しい命名か、論争は決着していない。
 友人によれば、最近は畑作りの腕前が向上したので、エロダイコンが発生しなくなったそうだ。でもこういう付加価値のある野菜づくり技術も大切だと思うが、どうなんだろうか。

2014/04/26

919桃源郷で徘徊老人の野外宴会は老人力増強自慢ごっこ

【桃源郷の春景色2014年4月25日】
 山梨県韮崎市の新府城跡から、花盛りの桃畑の向こうに、残り雪の八ヶ岳を望む。
 5年前から毎年、徘徊老人仲間と一緒に、穴山駅から桃畑の中をゆっくりと歩き、武田家滅亡の舞台となった新府城跡の小山に登り、桃源郷の眺めを楽しみつつ野外宴会をする。

 道々で採った山菜を天ぷらにあげつつ、美味い煮しめを食い、酒を酌み交わし、さて、来年は花はあっても、こっちが無くなるかもなあ、などと駄弁を弄している。駄弁の中心は、老人力(赤瀬川原平による)向上度自慢である。

 毎年やってだんだん分ってくるのは、食べる量が減り、飲むビールの本数が減り、たった高さ50mたらずの新府城址に登る時間が増え、老人力が確実に増強してくることである。昔は直登階段をつかったが、今では裏から山道をよろよろと登る。
 来年あたりは、たぶん、登るのをやめて、桃畑の花の下での宴会になるような気がする。再来年は、たぶん、駅前で宴会か。




 ことしは花見に行くのが遅そかったので、花盛りを少し過ぎた。
 いや、実は花盛りなのだが、桃を実らせるために農家による摘花が進んでいたのだった。
 桃畑は自然ではないから、電線が横切るし、桃の枝を吊る鉄柱が林立し、トタン屋根の作業小屋も点在する。それらを頭の中で映像調整して、八ヶ岳と桃の花だけを眺めるのであった。

関連ページ:260今、甲州は桃源郷
http://datey.blogspot.jp/2010/04/260.html

2014/04/21

918紛争地ウクライナの国連機関で活動する杢尾雪絵さんの現地報告をきいた

ウクライナ問題が毎日のマスメディアの話題です。
先日(2014年4月17日)、その紛争の国から一時帰国したユニセフ・ウクライナ代表の杢尾雪絵さんによる現地報告会を聴きにいきました。
そのNHKニュース番組がでていますので、ご覧ください。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140418/k10013837051000.html

ウクライナの内政問題が東西対立時代を彷彿させる国際問題となり、それが子ども世代や少数民族に直接的な被害をもたらすことになり、ユニセフの活動が大きな役割をもっているのだそうです。
ロシアに占領されたクリミアからの多数の避難民の問題は、福島原発核毒に占領された地からの避難民の問題に重なって聞こえました。

わたしは国際問題にはあまり関心がないのですが、こんどのウクライナ問題には、知人がウクライナに住んでいて、この騒乱に関わらざるを得ない立場にいることから、毎日のメディア報道に目が行きます。
そのウクライナの知人が、この報告者の杢尾さんなのです。

かつて杢尾雪絵さんは、わたしと一緒に都市計画の仕事をしていましたが、23年前にアメリカのコーネル大学院に留学後、国連機関のユニセフに入りました。
今はウクライナユニセフの代表者として、現下の困難な状況下での少年、少女、子どもを守る活動をなさっています。

モンゴル、コソボ、モンテネグロ、タジキスタンそしてウクライナと、彼女の行く先々が紛争地であり、国連の立場で政府と交渉しつつ、子ども支援に活躍しているそうです。
留学直前には、緒方貞子さんの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の国連ボランティア(UNV)としてトルコに行き、イラクからきたクルド難民救援をしたのでした。紛争地で弱者を支援する筋金入りの国際人です。
次は中央アジアのキルギスに転属とのことです。

日本を出てから23年、人なつっこい容貌もほんわかとした話しぶりも変わらないけど、国際人としての堂々たるその態度と言説に、すっかり感服しました。
私自身はなにもできなないのですが、一緒に仕事していた人がこのような国際人として活躍していることを誇りに思い、ちょっと自慢げに紹介します。

伊達関連ページ
タジキスタンでアフガン難民救援をしている友人(伊達美徳)
https://sites.google.com/site/matimorig2x/mokuoyukie-tajik

外部関連ページ
◆いつも心に青空を ユニセフ タジキスタン代表・杢尾雪絵(NHKオンライン)
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/1130/

2013/01/07

705カリフォルニア歌人の朝日歌壇賞の受賞歌は原発と原爆の両悲劇を結ぶ

 今朝(2013年1月7日)の朝日新聞の朝日歌壇に第29回朝日歌壇賞が発表されている。2012年入選歌から各選者が選らんだ。
 永田和宏選者が選んだ歌

 
あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
                  (アメリカ 大竹幾久子)
 

 この歌のことは、それが昨夏に掲載されたときにここですでに紹介した。
日本人は5度目の大被爆体験をしても原発を動かす
http://datey.blogspot.jp/2012/07/648.html

 大竹さん、おめでとうございます。
 このカリフォルニア歌人の夫なる男も兄なる男も、半世紀以上にわたる畏友であるから、わがことのようにうれしく思ってしまう。
 
●関連 「カリフォルニア歌人」
 http://datey.blogspot.jp/2011/09/500.html

2012/12/31

701新年になっても手帳を持たなくてもよい身分になりたいようななりたくないような

本年の締めくくりは、自作1年手帳の制作である。3年前から手帳を買うのをやめて、自分でMSWORDで編集、卓上で印刷して綴じる。裏表冊子印刷でたったの16ページ、1か月が1ページである。
 百円店で買ってきたカードフォルダーなるビニルのカード袋がいっぱい綴じこんで手帳に、自作手帳を合わせて綴りこんだだけである。
 材料原価は120円くらいか、とりあえず見た目はそれなりに立派である。

 カード入れに諸カードやら名刺を入れるとけっこう分厚い。カードの数を勘定したら、なんと25枚もある。
 オレはカード嫌いなのにいつの間にこんなに、、、医院、図書館、銀行、電器屋、学会などなど、今や何でもカードである。
 自慢じゃないがと自慢するが、乗り物カードは持っていないのだ。あ、1枚あるなあ「横浜市敬老特別乗車証」、タダじゃないよ、市内の地下鉄バス乗り放題で年間8000円である。

 4年前までは、だれもするように毎年の暮れに文房具屋で買っていた。今から考えると、もっと前から自作してもよかったはずだが、知恵がなかった。
 わたしは1974年からの手帳を39冊を保存している。39年分の簡単自分史である。
 それよりも前にも手帳を持っていただろうが、その年から勤め先の経理システムができて、何の何をいつ何時間やったか記録することになったので、手帳を克明につけ出した。

 もちろん仕事の記録だけではなくて、いろいろな行動記録がある。日記をつける習慣を持っていなかったけれど、この手帳を見ればほぼその日に何をしたかがわかる。
 ただし、ほとんど符牒書いてあり、その符牒が何であるかもう忘れているので、その頃何をしたのか手帳を見て思い出そうとしても困ることが多い。

 毎年買ってきた手帳の仕様は、大きさだけは一定だが、中身は毎年のように違うものを買っている。
 要するに毎年気に入らなくて、毎年今年こそは適切なものをと、毎年探していたのである。自分の行動を自分流に書き込む手帳は意外にないものである。
 それでいつかは自作をしようと思っていたのだが、技術がなくてできないままできて、今頃になってようやくできる様になったのだ。

 だが、今はもう仕事をほとんどしていないから、昔のように毎日びっしりと書き込むことがない。
 かつての手帳は原則として1週間が2ページであったのが、今や1か月が1ページで済むのが、嬉しいような情けないような。だから自作手帳も簡単で済むのだ。
 技術的には市販品のようなあれこれと付録をつくることもできるのだが、今や電話帳も地下鉄路線図も、その他あれこれも不要であるのが悔しい。

 そのうちに手帳そのものが不要な身分、というか境遇になるだろう。その日は近い。
 とりあえず今年は終わり、来年の手帳もできた。あと1時間半で2013年となる。
 今年は世は右回りになってイヤな年であった。身には歯と眼と手の故障があった。
 ここまで生きてくると、まあ、年が明けようが明けまいが、ほとんど気にならない。

 
 では、これをお読みいただいたあなたに、来年はよいことありますように。

2012/01/20

575コダックがつぶれるとか

わたしがカメラを日常的に持って、風景を写すようになったのは、30歳くらいからであるから、いまや40年を超える。
 写真を撮るのは趣味ではなくて、都市や緑の姿を記録するためである。まあ、記録が趣味といえば言えなくもない。だからはじめからコンパクトカメラ一本やりである。

 70年代からは原則としてリバーサルフィルムを使ったから、初期はほとんどコダック・エクタクロームであった。
 海外旅行でもコダックを買ったものだ。それがつぶれるとはねえ、。

 でも、後にはほとんどフジにした。コダックより安いし、現像ラボがオフィスに近いところにあったからだ。
 コダックはどちらかというと赤っぽく、フジは青っぽいように撮れていたものだった。
 そういえば、さくらカラーってコニカってメーカーのものもあったけど、いまもあるのかなあ。

 いま、そのフィルム時代に撮った写真のマウントスライドを、スキャナーでデジタル変換してPCに保存する作業をやっている。
 70年代に撮ったコダックのフィルムは色劣化が著しい。中には赤一色になってしまっているものもあるから、モノクロに置き換えざるを得ない。

 マウントスライドは1万枚はあるので、生きているうちには終わらないだろう。その3倍くらいあったのを、オフィスを閉じるときに捨てたのだが。
 スキャナー取り込みをしてくれる業者もあるが、1枚100円だそうだからとても出せない。

 今の悩みは、スキャナーで取り込んだマウントフィルムを捨てるかどうかである。
 実は買い換える前のスキャナーで取り込んだ画像よりも、今のスキャナー取り込みのほうが画質が良いのである。
 なにかで良い画像がほしくなるときもあるから、元のフィルムを捨てられない。

 少年の頃におもちゃカメラであれこれ写していたこともあるが、そのプリントは失った。
 アルバムにあるわたしが写した写真で、1960年前後が一番古くて、友人のカメラを旅行のときに借りたも。その被写体は、奈良の新薬師寺、高梁の頼久寺の庭園、倉敷の街並み、そして倉敷に住んでいたフィアンセである。
 戦前の父が使っていたのは、ガラス乾板の写真機であった。そのことはこちらに書いた。
http://datey.blogspot.com/2010/10/343.html
http://datey.blogspot.com/2009/04/118.html


 わたしがもう使わないし壊れているのに、なんとなく捨てずに保存しているカメラは、父の戦前と戦後の2機、わたしのフィルムカメラ3機、デジタルカメラ3機。
 フィルムカメラの最初はコニカだったとおもうが、日本で始めて売り出したコンパクトカメラであった。
 一番愛用したのはオリンパスA2であった。コンパクトで28ミリが気に入った。

 デジタルカメラの最初は2002年、オリンパスが出した録音機と兼用のスパイカメラのような小さなヤツを買った。
 実は28ミリ相当のコンパクトデジタルカメラがまだ出ない時代で、買うのを逡巡していて、これは試用として買ったのだ。
 そしてようやくでたので2004年だったかに買ったのが、日本製で28ミリ相当のレンズを初めてつけたリコー製品であった。
 その1年後に発売された同じ上級種を買い、それが2年で壊れたのでキャノンixy900isを買い、1年後に便器に落として壊れたので同じ機種を買って今に至っている。

2012/01/08

567今年の寒中見舞い

毎年の年賀状をやめて、寒中見舞いに替えて久しい。今年のそれをぼちぼち出しつつある。
 今年の年賀状をいただいた方、いただかない方をあわせて全部のかたがたに、ここで寒中お見舞い申し上げます。
 実際に出す葉書は、文の4分の1はひとりひとり違う内容で、宛名と自分の名は筆で書いている。
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 寒中見舞

 賀状をありがとうございます。当方は二人ともそれなりに元気にいたしております。
 大地震の冬は大雪説のとおり、中越震災復興支援から今は米つくりに行く中越山村も豪雪になりつつあります。地震津波原発豪雪と、なんとも心が落ち着かない日々が続きます。

 福島第一原発事故の直後から、これこそ世界遺産に登録するべきと考えています。世界を震撼させた爆発の無惨な姿を保存して、先輩の世界遺産・広島原爆ドームとともに、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」のある重要なる文化遺産として後世に伝えましょう。原発廃炉という大義名分で、大悲劇を忘れさせるように姿を消滅させてはなりません。

 66半年前の大悲劇の太平洋戦争の空爆で破壊され、戦後すぐに修理して今日まで使ってきた赤レンガ東京駅が、この春には戦前の姿に復原されて出現します。東の原爆ドームとして、戦争の愚行と戦災からの復興のシンボルだったその姿の消滅を悲しみます。

 今年の仕事始めは2月5日、久しぶりに故郷の高梁で講演します。その次の仕事はありませんが、それでよいのです。
 本年は、人生はじめての後期高齢者突入、さてどういう年になりますか。この長々とした寒中見舞もボケ防止活動のひとつと思ってお許しくださいませ。

 どうぞ今年もお元気におすごしください。

 2012年1月 寒

 ●●●様              伊達美徳

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●関連→077年賀状をやめる

2011/12/30

561大学卒業50年記念品

先月のことだが、大学同窓会から、大判の本ほどの箱が送られてきた。
 あけてみると、大学本館を描いた風景画を焼きつけたA4版ほどの大きさの陶板である。
 そうか、これは、食卓で使う鍋敷きであるな、寒くなって鍋物の季節を狙って送ってくださるとは、なかなか気が利いていると、ありがたくちょうだいした。

 陶板のほかに木製の架台のようなものもついている。
 あ、そうか、鍋の下に敷いてないときは、これに載せて食卓を飾るのであるか。ふむ、飾りにもなる鍋敷きであるのか、それも気が利いている。
 送り状に、卒業50年の記念品であり、有名な(らしい)画家が描いたもので、なかなか良いものであると自負していると、同窓会長が書いていらっしゃる。

 というわけで、同期の友人たちにメールで話題にしたら、いろいろ返事が来た。
 500年くらい経てば価値が出るからとっておくかとか、半世紀前の頃の風習のレベルを思い出させるとか、もう歳が歳だから無駄なものをなくす身辺整理中なのにこりゃ困ったとか、陶磁器趣味のヤツからはこんな代物をどうすんだよとか、なかなかの評判であるのが面白い。

 ひとつわかったことは、どうも勘違いしていたらしい。これは鍋敷きではなくて、純粋に部屋を飾る陶板画であるらしいのだ。でも鍋敷きにしてもいいでしょ。

2011/12/10

550月蝕記念写真

ただいま月蝕進行中。バルコニーから見上げたら、三日月に近い。
写真を撮ったが、実際とは違うなあ、ズームにしてだめ、フラッシュたいてもしょうがないよなあ。
もっと高級カメラじゃないと無理か。
まあいいや、とりあえず2011年12月10日月蝕記念。