2020/02/29

1446【FAKEBAKA孤乱夢2010年2月まとめ】コロナ戒厳令ショック、国会珍問答、機微、豚ジェッジ、裸足マラソン、全裸水泳、、

今月のわたしの「FAKE BAKA」(FACE BOOKとも言う)には、コロナ話題ばかり書き込んでしまった。ほかの話題もあるがコロナからまとめて記録しておく。

2月6日【身近なコロナ】
新型コロナに襲われた大型客船、閉じ込められた船中の3700人は、まるでパニック映画そのもの、さぞや大変な思いの暮らしだろうなア、その船がなんとまあ、わが家から5キロほどの埠頭にとは、武漢は遠いところと思ってたら、一気に身近な事件になったもんだ、現代社会って脆弱なもんだなア、中世のペストと大差ないのかしら、。

2月9日【伊達の眼鏡ブログ新記事:東西覇権争いの渦中に?】
豪華客船でクルーズなんて、ビンボーわたしには全然縁ないことと思っていたら、そのコロナ満載客船が停泊する埠頭から、わたしの住まいまでたった5キロほど、なんとまあ、わたしは新型コロナ最前線にいるんだ、縁ができた。
 う~む、「ピンピンコロナ」になるのなら、積極的に感染してみたいものです。そのダイアモンドプリンセス号を私が撮ってきました、この写真は去年のことだけどね。
コロナに負けずただいま猛威を振るっているという、アメリカインフルも、もうすぐ満載豪華客船でやって来るでしょう。楽しみなこと。

2月10日【ダイアモンドプリンセス遠望】
 野次馬でごめんなさい、近所の公園から見えてるもんだから、好奇心に負けてしまって、フラフラと撮りに行ってきました。


2月12日【伊達の眼鏡ブログ新記事】 
白状すれば、閉所恐怖症だから、たとえ金持ちであったとしても、クルーズ船に乗れないのだ。
 広くても狭くても視覚の範囲で閉じ込められるのが大嫌いである。ここにこう書いていくことさえ気分が悪くなりそうだ。
 あれだけ太い胴体だから、外回りは窓があるが、内部には窓なし部屋がたくさんあるのだろう。もしもわたしが窓のない部屋暮らしとなったら、なにがなんでも逃出したいが、仮病になるしかないかなあ、。

2月13日【言葉の酔時記:コロナ】
ただいま大流行の「新型コロナヴィールス」(英語だとコロナヴァイラス)だが、語感が良いのでついつい「コロナ」と縮めてしまう。なぜコロナかというと、顕微鏡で見ると皆既日食のコロナに似た形だからだそうだ。
でも、これだけ悪名がはびこると、困る人たちもいるだろうなア。ほら、企業名や商品名で、コロナなんとかってすぐ思いつくでしょ。
 ネット検索すると出てくるのは、わたしも知ってる石油ストーブ、知らないけどコロナ家電とか、コロナワールドってエンタメ屋、コロナビール、コロナブックスという本など。
 流行に乗じても、「新型コロナ●●」と名付けた新商品を売り出せないよなア、どうぞ風評被害にあいませんように。

2月20日【消毒飲み会】
夜の飲み会を体力的に面倒になり、この1年間ほど回避、昨日は久し振りに知人と新橋駅前、一杯だけで帰宅のはずが、うっかり4時間痛飲、今朝起きて素面になって気づいた、あの居酒屋で長時間・入れ替わり立ち代わり不特定多数・口角飛沫飛ばし・狭い空間・濃厚接触そのもの!、う~む、まだ咳も熱も出ていないのは、アルコール消毒同時進行だったからにちがいない。

2月24日【COVID19】
コビトのコロナちゃんっていうんだって?、ふーん WHO-n、解釈変更だな

2月25日【伊達の眼鏡ブログ新記事:コロナ戦争】
いま、アメリカではインフルエンザが猛威を振るっていて、ものすごい数の感染者と死者がでているが、新型肺炎流行の陰でニュースから漏れているらしい。
 わたしの住む横浜では、港には遭難ダイアモンドプリンセスがいるし、隣にはアメリカ軍横須賀基地があるし、手近なところにコロナでもインフルでもそろっている。

2月26日
【大相撲コロナ場所】
大相撲では濃厚接触回避、仕切り線に立ったまま、にらめっこ又はじゃんけんポン
【コロナ年度決算】
年度末に急遽イベント中止ごっこ拡大中、予算制度の行政など諸団体は、駆け込み消化不可能で、本年度は予期せぬ大幅黒字決算
【日韓コロナ感染競争】
Korea1261人vsJapan869人、おお、ついに一日にして大逆転されたあ、いや、そういうもんじゃないか

2月28日【日本コロナ死者10人】
ついに10人になったか、人生最期くらいは、流行最先端ベスト10入り、狙ってたのになあ

2月29日【大騒ぎ全国学校休校戒厳令発令】
毎年、インフルで1000人以上死ぬのに、なんで100人でこの全国の学校を閉鎖するほどの大騒ぎなのですか???、教えてください。


 今月のもう一つ(いや3つも4つもかな)の話題は、国会での各種珍問答であった。
ひとつは総理大臣安倍さんの、桜を見る会前夜祭ホテル宴会800人が、参加者個別契約とすると、政治資金規正法による報告を免れるという脱法行為を、あくまで正当であると言い張って、野党と繰り返し珍問答。
 またひとつは、検察庁法で定められている検事長の定年を、国家公務員法によって延長するという、勝手に解釈変更違法強引人事を、あくまで正当と言い張る法務大臣森雅子さんと野党との珍問答。
 さらには脇役の、困惑丸見え官僚とか、ボケ丸出し大臣の登場もあって、今まで観たことがなかった国会中継動画を見て、嗤ってヒマツブシしたのであった。


2月17日【言葉の酔時記:百回言えばウソも真実/桜問答】
今まで一度も観たこともない国会中継映像、その一部がSNSに動画として載っているので、ちょっと覗いたら、辻本清美議員が安倍晋三首相に桜見物問題質問中、なんだか辻本さんがジリジリと安倍さんを追い詰める論法が面白い。
 スゴイナアと思ったのは、辻本さんがどんなに証拠をそろえて追い詰めても、安倍さんは全く反証を示すことなく、平気の平左で全く同じ答えを、人間録音機になって飽きもせずに何回でも繰り返すことだ。
 事の是非はさっぱりわからないが、何十回何百回繰り返しても、その顔も声も全く同じであるのは、やっぱり、一国の総理大臣ともなる人は、こうでなくちゃならないんだなア、と、ほとほとあきれつつ感心て、あれほど平気に同じことを言い続けられるんだから、安倍さんは真実を言っているにちがいないと、つい思ったし、ついつい全部見てしまった。
 どんな問いかけをしても同じ文句しか答えない討論を「桜問答」ということにしょう。

2月20日【言葉の酔時記:つい間違えた】

用意した文書を読みつつ公式発言しても、あとになって「つい言い間違えた」と言えば、許されるんだねえ、国会ってところは、言葉の軽いことよ、安倍さんも官僚を見習ってどうぞ。いや、総理大臣だから、言い間違ったことは「解釈をそのように変更した」と言えば済むのだな、なるほど。


 こんな戒厳令みたいな世の中になっても、東京オリンピックやるらしい。わたしはオリンピックに興味ないが、変なことが起きると嬉しくていちゃもん書くのだ。

2月5日【裸足マラソン、全裸水泳】
マラソン競争で、某靴メーカーの厚底靴を履いて走ると、いままでより速い記録が出るので、禁止するかどうか話題になっているらしい。
 このニュースで思い出したのは、ずっと前に水泳競技で、某メーカーの水着で泳ぐと、速い記録が出るので禁止した、という事件である。
 これについて自分のブログに書いた記憶があるので探したら、2008年のことだった。
 参照●2008/06/10【世相戯評】水着で水泳競技の記録が左右されるのが問題ならば全裸で泳げばよかろう
◆◆
 今度の靴のことだって、靴で記録が左右されるのが問題ならば、裸足で走ればよかろう。そもそもあのマラソン王者アベベは裸足で登場したのだった。
 マラソンってのは走る人間の競争じゃなくて、実は靴屋の技術的商業的勝負になってるって、おかしいでしょ。
 特別製靴を履いて競争なんて、薬飲んで競争とどこが違うのか、靴のおかげで勝つのはOKで、薬のおかげだとNOとは何故か?
 陸上競技はすべて裸足でやるべし。水泳とともに全裸ならもっとよろしい。   
    ◆◆
 パラリンピックのニュースに、失った脚の代わりにつけた補助用具で競技して、健常者よりも速く走り飛ぶ様子を見て、この先行きが不安になった。
 それはこの競技用補助用具の開発が行き着く先には、健常な足とか手を斬って、これに付け替える競技者が出現する恐れがあることだ。


 そしてそのほかあれこれ

2月3日【地下鉄銀座線渋谷駅】
昨日、新しい銀座線渋谷駅に行って観ようと、地下3階の東横線改札出口で
「銀座線に乗り換えるにはどこから?」と聞いたら、
「そこの階段を下りて半蔵門線に乗り次で乗り換えて下さい」
「え、ここで乗り換えできるでしょ?」
 こちらの老体をいたわる眼で
「ここから階段を地上4階まで歩くので15分以上かかります」
「え~っ、そうなの、歩くの?」
 渋谷立体迷路アスレチックステーションまだ健在、
 で、ムカデ新駅未見。

2月4日【伊達の眼鏡ブログ新記事】
今や戦争称揚戦意高揚絵画も堂々と展示され、堂々と毀誉褒貶に耐える時代になったのだろうか。
 藤田嗣治はこの絵で、戦後はレオナール・フジタとして、フランスに生きなければならなかったのか、どう見ても反戦絵画だがねえ、う~む!?、まあ、戦争協力の言動言説があったからなア。
 この絵のある展示室は戦争画がテーマであり、8点の展示があり、そこには宮本三郎の作品もあった。でも、藤田ほどの迫力ある戦争画はほかになかった。

2月6日【伊達の眼鏡ブログ新記事:国家資格試験】
一級建築士合否発表の季節らしい、わたしも一級建築士資格を取ったが、結局のところ自分の名で建築確認申請書類を出したのは、60年代半ば設計の父の家と、70年代半ばの自宅だけだった。

2月13日【言葉の酔時記:機微】
三菱電機がサイバー攻撃を受けて盗まれた情報に「防衛装備に関する機微な情報」があると、新聞ニュースにある.
「機微な情報」ってなんだ?、ふつうは「機微」と言ったら、「男女間の機微」というように、いわく言い難い心の微妙な感情の意味でしょ。
 「防衛装備の機微」とは「いわく言い難い戦争道具の感情」かい???、機微の使い方間違えてるような。
 もしかしたら英語直訳かと思って辞書を調べると、どうやら「sensitive」のバカ翻訳らしい。sensitiveのいくつかの意味の中に「国家機密にかかわる,機密扱いの」とある、おお、これだよ。
 「機微」って実は「国家機密」なんだねえ、三菱電機はこう言ってしまうと「国家機密」が漏れたってわかるから、「機微な情報」なんて曖昧日本語でごまかし発表かなあ。いや、単に「機密」を「機微」と書き間違えたのか。
 それとも私が知らないだけで、情報業界あるいは武器業界では、「機微」って普通に使うのかしら。

2月14日【言葉の酔時記:貸す側が楽しむ神奈川県の居住政策】
この広告は以前にもあり、批判しておいたが、またも出てきたので、また言う。
 キャッチコピーが「賃で楽しむ」とは、まったくけしからん。
「神奈川県住宅供給公社」という公的機関が供給する賃貸住宅の、賃借人を勧誘する広告である。政策として住宅供給するのだから、賃借人が生活を楽しむ良質低廉な賃貸住宅を供給するのが、公社の役目だろう。
 それなのに、「賃貸で楽しむ」とは、公的機関なのに民間並みの高い賃貸料をとっているから、貸す側の県公社社員は高給で楽しいだろうが、あまりに露骨である。
 ここは(たとえ嘘でも)、借りる側が「賃借で楽しむ」と書いてもらいたいし、そのような良質低廉な住宅にしてほしい。
 と、抗議がてら批判するわたしは、現実に賃借人であり「賃借で苦しむ」。

2月15日【言葉の酔時記:Buttigieg】
昔、「ギョエテとはおれのことかとゲーテ言い」
今、「仏陀豚斑おれのことかとButtigieg」
#ブダジェッジ #ブタジェッジ #ブチジェッジ

2月22日【言葉の酔時記:ぞろ目爺デイ】
爺翁爺翁翁爺爺爺
20200222

2020/02/24

1445【新型肺炎覇権競争】コロナちゃんの故郷は武漢と聞いて戦争を思い出す人はもういないのかしら

 ついこの間までは「新型コロナヴィールス感染症」といってたのが、いまでは「新型肺炎」というし、世間じゃあ「コロナ病」とか「武漢病」とか言うし、なんにしてもてんやわんやの騒ぎ。
 コロナってなんだ可愛らしいねえ、「コロナちゃん」と言おうか思っていたところへ、WHOが「COVID19」と名付けたと言うので仰天、なんと「コビトのコロナちゃん19歳」かい。

●豪華船は過密スラムか

 今や地球上のあちこちで次々と発病、病気もグローバル時代でしかも伝染速度が速い。発信(発菌か)元が中華人民共和国(中国)らしいが、かつて日本人が団体旅行で世界各地にでかけたようなことが、いまの中国人にブームなんだろう。
 日本は観光立国といって、外国人旅行者受け入れに躍起になってきているが、同時にコロナインバウンドリスク状態になっているのだ。どでかい船で病原菌を運ぶばかりか集中的に感染者を生産してしまった。

 それにしてもあの船(ダイアモンドプリンセス)には驚いた。しかも私の家から4キロ
横浜港のダイアモンドプリンセス 20200212撮影
ほどの島に居座っているのだ。
 船旅行なんて、わたしは金はないし閉所恐怖症だから、まったく興味なかった。それが今回の件で船の中がどうなっているのか知って、これは過密居住スラム街だなと思った。
 あんなところに4000人近くの大勢が、ぎちぎちに住んでいるのだ。町のスラム街との違いは、住んでいる人が船では金持ち、街では貧乏人という点だけらしい。スラム街で病気が蔓延するのはよく知られていることであり、豪華客船というスラムも同様であった。

●武漢と聞いて戦争を連想するか
 
 今のところ中国での感染者が群を抜いて多いのは、配信元の武漢があるからだが、なんとなく新興国の覇権ぶりを見せている。
 中国に負けるのが嫌だけど、もうとても追いつけない日本は、それでも第2位を行く感染覇権ぶりである。もっともミニ武漢船のおかげだから、威張れないけどね。
 さらにそれに続くのは、何事につけても日本に追いつけ追い越せの大韓民国であるのは、この場合も同様らしい(2020/02/24現在感染者数:中77000人、日855人、韓833人)。さすがに中日韓アジア3大国の威厳?を保っている。

1938年10月27日朝日新聞
   このところ武漢という都市名が、毎日のニュースに必ず登場するのだが、この都市はこの事件まで一般に知られていたのだろうか。
 私が武漢と聞いて最初に頭に浮かんだのは、かつて日中戦争における有名な戦場となった地名「武漢三鎮」だった。今は武漢市となっている漢口、漢陽、武昌の三つの町のことである。
 1938年に日本軍は50万人以上の兵でここを攻め落とし、日中双方に数万人の死者を出した「武漢作戦」は、日本政府はこれで日中戦争が終わるとみていたが、中国軍はさらに反撃と抵抗を続けて、日本はずるずると沼戦争に引き込まれたのであった。

 わたしにとっての武漢は、そのようなイメージだったから、これは蒋介石の亡霊の復讐かな、かつて日本軍に土足で踏み込まれ荒らされた武漢、こんどは武漢から送り込んだ病原菌で日本を荒らすのか、なんてつい思ったのだ。
 もちろん冗談だが、武漢に日本が侵攻した歴史を誰も思い出すことはないのかと、ちょっと気になっているのである。
 なお、武漢作戦は父の時代の戦争だから、わたしは直接は知らない。しかし、亡父の3度の兵役時記録の整理(「父の15年戦争」)のときと、中越震災復興支援で出会った村の長老から戦争聞き書き(「大橋正平さんの戦場」)をしたときに、日本の戦争を幾分か調べたから、武漢作戦のこともそこで知った。

●身近なコロナちゃんインフル君 

 第1次大戦のときに、スペイン風邪という感染症が世界に流行し、大勢の死者が出た。このときはその流行の源泉はアメリカ合州国(アメリカ)であり、これが世界に流行したのはヨーロッパ戦線に投入されたアメリカ軍兵士に感染者がいたからだったそうだ。
 さて、今も戦争はなくなっていないし、アメリカ軍兵士は世界の国々に出かけている。そしていま、アメリカではインフルエンザが猛威を振るっていて、ものすごい数の感染者と死者がでているが、新型肺炎流行の陰でニュースから漏れているらしい。
 わたしの住む横浜では、港には遭難ダイアモンドプリンセスがいるし、隣にはアメリカ軍横須賀基地があるし、手近なところにコロナでもインフルでもそろっている。

 先日、ダイアモンドプリンセスから釈放された人々大勢が、横浜駅から電車で帰宅したらしいが、その帰宅者から感染者発見とのニュースが出てきたから、もしかしたらうちのあたりにもコロナちゃんが、故郷の武漢に戻りたいなあと遊んでいるかもしれない。
太陽コロナ    黴菌コロナ
そんな日々なのだが、つい先日、東京の新橋まで電車往復、しかも新橋駅前の居酒屋で夕方から4時間ほどを友人と飲み会、口角飛沫飛ばして飲み話し、周りには不特定多数の客が入れ代わり立ち代わりしていて、これっていわゆる濃厚接触っていうやつか。
 それでもまだ咳なし熱なしであるのは、これは口の周りから体内にかけてアルコール消毒を同時進行していたからに違いない。

参照【コロナショック】コロナ船が近隣に来訪中で早期治癒解放を願うだけのわたしは閉所恐怖症


2020/02/11

1444【コロナショック】コロナ船が近隣に来訪中で早期治癒解放を願うだけのわたしは閉所恐怖症

ダイアモンドプリンセスという名の大型客船が、新型コロナウィルスという病原菌に襲われて横浜港で立ち往生している。
 病原菌を外に出さない緊急措置として、港入り口の島にある埠頭に釘付けである。もはや1週間になるが、感染者は日に日に増して今日(2020/02//11)で135人という。
 乗員乗客計3700人もいるそうだが、たったひとりのコロナ感染乗客をもとにして、毎日コロナ保菌者が増え続けている。それらを外の病院に移送して、今は3600人ほどが船内に籠城させられてる状態という。
 
 昨日(2020/01/10)はいつもの横浜ご近所徘徊とて、山下公園に行って山下埠頭を眺めた。そこはただいま汚職事件で話題の場所、IRとか言う賭博場誘致構想のあるところ。ここのことはまた別に書きたい。
横浜市のIR博打場誘致構想がある山下埠頭 2020/01/30

 山下公園の海べりを歩いていて、ふと思った。あのコロナ満載船は、大黒ふ頭に停泊だそうだ。発祥地の中国の武漢は遠いところと思っていたら、なんとまあ、わたしの住まいから5キロ足らずのところに、ミニ武漢が先方から出張してきたのだ。
 ならば、この公園から見えるかもしれないと、ベイブリッジのほうを眺めて目を凝らしたら、居た居た、そうだあの船だよ、去年も見たな。
横浜港のダイヤモンドプリンセスの現在位置、去年11月の位置など
山下公園から見るダイヤモンドプリンセス
上の写真の赤枠部分ダイアモンドプリンセスの望遠拡大
大桟橋から見るダイアモンドプリンセス 普通ならこちらに停泊するはず
上の写真の中央部のダイアモンドプリンセス望遠拡大 橋の下に隠れているか
 実はその船がコロナ船になる前に偶然出くわしたのは、去年11月に横浜新港のハマーヘッド埠頭に停泊しているときだった。
 見たところ、超高層共同住宅がゴロンと寝転んで、海に浮かんでいるようなものである。大きなものだなア、でも建築的デザインは面白くないなあと見たのだった。
3700人も乗っていると今回の騒ぎで知ったが、そうすると千戸以上の共同住宅である。一棟でそれほど大きな共同住宅ビルがあるだろうか。わたしの住む共同住宅の10倍以上だ。しかも国際的な多様な人々が乗っている。
2019年11月に新港ハンマヘッド埠頭に停泊するダイアモンドプリンセス
参照:https://datey.blogspot.com/2019/11/1426.html

さてその船の中ではいったいどんな生活をしているのだろうか、その大コミュニティをどうやって統括し運営してるのだろうか。わたしはTVを見ないが、たぶんいろいろと報道されていることだろう。
 当然のことに海難事故のひとつとして、このようなときにはどうするかマニュアルがあるだろうし、国際的な取り決めがなされていることだろう。
 でも、もしもその船会社の経営が行き詰まったら、どうなるのだろうか。 

 乗客たちの心理はどうなのだろうか。襲ってくる相手が人間に寄生する目に見えない病原菌である。
 当人は知らぬうちに寄生された人間が、病原菌を運ぶのだから、船内のだれもが病原菌被害者であり加害者でありうる。互いに疑心暗鬼になるだろう。
 閉じ込められた密室の見えざる恐怖である。まるでSF世界であり、多分そのような映画が既にあるだろうと思う。

 貧乏なわたしは間違ってもクルーズ船に乗ることはないが、もし乗っていたら、このブログに記事を毎日書き込んでいるだろう。
 そう思って探したら、閉じ込められた部屋の中の日常をつぶやいてるツイッターを見つけた。乗客は日常生活は物理的には良いよううだが、心理的には大変らしい。この人は健康らしいが、持病を持つ人の生活はどうなんだろうか。なんにしてもご無事であることを願っている。

 実は白状すれば、わたしは貧乏だけではなく閉所恐怖症だから、たとえ金持ちだとしてもクルーズ船に乗れないのだ。
 広くても狭くても視覚の範囲で閉じ込められるのが大嫌いである。ここにこう書いていくことさえ気分が悪くなりそうだ。
 あれだけ太い胴体だから、外回りは窓があるが、内部には窓なし部屋がたくさんあるのだろう。もしもわたしが窓のない部屋暮らしとなったら、なにがなんでも逃出したいが、仮病になるしかないかなあ、。

 少年のころの夢で、球の中に閉じ込められて脱出しようと必死であがき、声を上げて目が覚めることが時々あった。恐怖だった。
 生まれ育った地が、小さな盆地で四周を山に囲まれていて、一種の閉所であった。ここから脱出するために空を飛ぶ夢もたびたび見た。大学進学でやっとその夢は実現した。なお、街そのものは人々は親切な美しい古い城下町であり、後年ににその高い価値を知った。

 30年ほど前に究極の閉所恐怖症に襲われた。夏の沖縄の海に遊びにゆき、ある日のことダイビングに誘われた。軽い気持ちでウェットスーツを着て背負ったボンベにつながるマスクをつけて船からドブン、海中に潜った。
 そのとたんに閉所恐怖症が目を覚まし、呼吸できなくなった。そう、このダイビング装置こそ究極の閉所そのものである。慌てて引き揚げてもらって止めたのだが、10分ほどで5万円と高くついた遊びだった。
 なお、閉所は怖いが、高所は平気である。大学時代は山岳部でロッククライミングを大いに楽しんだ。

 コロナ船の話に戻ると、疫学のことは知らないが、一部に感染者がいる大勢のひとびとが高密度で居住していると、どんなに気を付けても感染が起きやすいような気がする。だから、船内で毎日のように感染者が増えているのだろう。
 いっぽう、感染していない人たちを早期に外に出して帰宅させると、感染が分からない潜伏状態だったならば、感染を拡散することになるだろう。う~む、むつかしい。
 今回の「コロナショック」ともいうべき、これほど国際的危機がおきたことを見て、近いうちに細菌テロリストが登場するかもしれない。

(追記20200212:大黒ふ頭まで行って撮ったダイアモンドプリンセス:撮影TD)


2020/02/09

1443【東西覇権争いの渦中に】西からはコロナ満載豪華船 東も負けずにインフル猛威

【遅い寒中見舞い】(同期の友人たちへ)
 皆様お元気に冬をお過ごしと拝察します。わたしもまあまあなんとか過ごしています。
 暖冬だと思ってたら、今頃に寒くなり、急に思い出して寒中見舞いです。

 日本列島はるか西方の中華人民共和国では、新型コロナ感染者は3万4546人、死者722人だそうだ(2020/02/08)。
 ところが日本列島はるか東方のアメリカ合州国では、この冬のインフルエンザ患者数が1900万人、死者数は1万人を超えたそうだ。桁が違いますね。
 東トランプ対西シーチンピン覇権争いは、いまのところ東が圧勝していますが、さて西も負けずに追いつくに違いない。

 その西から攻めくる最前線が私の住むここ横浜、港の埠頭に停泊中する真っ白巨大豪華客船、コロナ満載して3700人が缶詰め中、楽しい海の旅は急に暗転してお気の毒にねえ。
 ビンボーわたしには縁ないクルーズと思ったら、その停泊埠頭からわたしの住まいまでたったの5キロほど、なんとまあ、わたしは新型コロナ最前線にいるのですよ、う~む、「ピンピンコロナ」になるならば、積極的に感染してみたいものです。

 そのうちにアメリカインフル満載豪華客船も来るでしょう。楽しみなことです。
 あ、いや、東西ウィルス直接対決の戦場は、日本列島ってことになるのかしら。太平洋戦争で終わったと思った巨艦主義の時代が、また復活したのかなあ、。

 下の船の写真は、そのコロナ満載でただいま有名なダイアモンドプリンセス号のお尻姿ですが、まだコロナが乗っていない去年11月入港の時に撮りました。

 ではお元気で。草々

 追伸2020/02/10
 コロナ船が近所から見えるので、野次馬で恐縮とは思いつつも、好奇心に負けて望遠で撮ってきましたのでどうぞ。


2020/02/06

1442【国家試験】昔々わたしも建築士と技術士の試験を受けたなア

●一級建築士試験には1回で合格
 Twitterに昨日(2020年2月6日)から、一級建築士試験合格した乾杯とか、また落ちた涙とか、悲喜こもごもtweetだらけ、そうか、今はそのシーズンなのか。
 わたしの時はどうだったか思い出せば、60年代中頃だったかなあ、1回で合格した。卒業後2年の実技経験で受験資格が発生するが、その年に受験するのに気がつかず、次の年の受験した。
 受験の動機は、所属の設計事務所での給与に資格給がつくから、その金を欲しかった。

 今のように学科と製図は別試験ではなくて一体だった。製図は楽だったが、学科には弱った。もう内容を忘れてしまったが、問題は5つから正解を1つを選んで番号に〇をつけるのだった。それがたくさんの問題の飛び飛びに3分の1くらいしか解らない。
 あとを埋めるには、出題者の心理を読んで、同じ番号を続けて解答にしないだろうと、〇の位置をばらまいた。これじゃあとても合格無理と思ったら、意外にも合格だったから、作戦成功。

 給与がちょっぴり上がったが、仕事上では必要なかった。自分の名で建築確認申請書類を出したのは、60年代半ば設計の父の家と、70年代半ばの自宅だけだった。
 必要もないのにその登録番号を第47879号(死ねば泣く)と記憶しているのはどいうわけか。ネットで調べたら現在では373490人登録だそうだ。

●技術士試験には面接で失敗
 そして90年代末からフリーランスの都市計画家になった。一級建築士の資格はあるとしても、都市計画の国家資格が必要になるので、技術士(建設部門 都市及び地方計画)の試験を受けた。
 わたしはもうベテランになっていたから、なんの事前勉強もしなくても合格する自信があった。実はそうではなかったのだが、。

 1次の筆記試験で、あれは夏、青山学院の冷房でない古い教室で、暑かった。前半はらくらくだったが、後半の論文で困った。長い論文を書くのにいつもはワープロのキーボードを打つのに、鉛筆でシコシコと書くものだから、手が痛くなってしまった。
 この1次試験に合格、合格率は1割くらいだった。

 2次試験は面接である。試験官二人よりもわたしのほうが年上である。どちらとも直接面識はなかったが、ひとりは建設省官僚の都市計画課の緑地担当者だった。
 いくつかの質問に、自信もってとうとうと答えた。ところが不合格、これには仰天した。現場主義のわたしの仕事で人と話すのは得意だったし、歳が歳だから専門分野の知識はある。不思議である。いったい何がいけなかったか、一生懸命に考えた。

 当時リゾート法が話題になっており、それについての意見を求められ、自然破壊や地域との軋轢が生まれて大きな問題になるだろうと指摘したのが、建設省の試験官の気に入らなかったのだろうと思いついた。リゾート法はのちにそれで失敗した。
 この面接で落ちるという合格率は1割くらいだったから、わたしは1次も2次も難関を突破したのであった。なんだか馬鹿らしくなった。

●2回目の技術士試験面接合格
 それでもフリーランスとしては資格が必要なので、次の年に2回目に挑んだ。当時はまた最初の1次試験から受ける必要があった。
 この時も1次の筆記試験に合格、さて問題は2次の面接である。今度も不合格ならもうやめると考えた。
 それでもさすがに嫌いな事前勉強をしようと考え、八重洲ブックセンターで2次試験参考書を、立ち読みした。そこに意外なことが書いてあるのを見つけて、昨年の不合格原因が明確に判明した。
 面接試験で技術士の倫理について必ず問われるから、技術士法第44条から46条を答えるべし、と書いてあった。あれ、これ去年聞かれたぞ、技術士法なんて読んでないな。

 確かに去年の面接で聞かれた。だが、わたしは「技術士」ではなくて「技術者」の倫理と聞き、技術者のあるべき倫理や役割などをとうとうと述べたのであった。今どき大臣の国会答弁である。
 試験官は困ったにちがいない。言ってる内容はごもっとも、問うたのはそれではないんだよ、時々こういうのがいるんだよなあ、って嗤いつつね、。

 そうして2回目の面接試験に臨んだ。試験官の一人は、ある委員会で面識のあるT大学のT教授だった。「これは聞かなければならないことですが、、」と前置きを付けて、技術士倫理についてご下問があった。
 待ってましたあ、とうとうと答えた。もちろん今度は合格、立ち読み事前勉強が役に立った。ずっとのちにT教授にこの話をしたが、もちろんご記憶になかった。

●受験勉強や習い事を嫌い
 昔もあったのかもしれないが、これらの国家試験事前受験勉強について、民間の受験スクールが繁盛しているらしい。
 わたしの二つの国家試験は、上に書いた本屋での立ち読みのほかは受験のための勉強を一切しなかった。自信があるのではなくて、国家試験というものはそういうものだと思っていた。それは既にその専門課程の大学を卒業し、一定の力量がある者をその力量に応じて免許を与えるのだから、力量がないのは受験資格がないと思うのだ。

 いまどきは国家試験準備でも趣味の遊び技術体得でも、人様に金を出してナントカ教室に通うのが普通のようである。
 例えばテニス教室なんてのは、私に言わせるとやんちゃらおかしい。あんなのはラケット振り回してれば自然にうまくなるもんだよ。パソコンだってそうだよ、キーボードたたいてりゃ何とかなるもんだよ、わたしのように。 

 わたしはどうも人様から習う勉強を嫌いである。大学までは仕方なかったが、その後に何かを教室で習うことをしたことがない。
 大学入学試験でも、準備の受験勉強するのは邪道だと思ってしなかったら、失敗した。でも大学浪人中は自宅で自主勉強をして次の年に合格した。前年にわたしを落とした大学に腹を立てて別の大学に替えた。思えばこの時のことが教訓になっていなかったから、技術士試験で失敗をしたんだな。

 だがなにごとも例外はある。わたしの人生における唯一の習い事は、能楽の謡を野村四郎師(今では人間国宝)に20年間も個人教授してもらったことである。
 習うのは嫌いでも、大学で教えることはしてきた。しかしデスクワークよりも現場に出ていくことをメインに据えていた。

2020/02/04

1441【国立近美で戦争画鑑賞】あの明るく白い美人画の藤田嗣治が描く暗い汚い戦争画を観た

 
 これは反戦絵画だな!、と思った。藤田嗣治の戦争画を始めて観た。題名は「アッツ島玉砕」、1943年制作。
 国立近代美術館の常設展を久しぶりに見てきた。ここは格好興味ある絵があって好きだ。
 だが藤田のこの絵は初めて観た。同じ部屋にいかにも藤田らしい乳白色の女たちの絵があったから、この一面に暗いヘドロ色の絵が、藤田作品とは思いもよらなかった。
 あ、これが藤田が戦後に戦争協力者と糾弾された原因の絵なのか。

 わたしの藤田に関する知識は概略なもので、戦前にパリで成功した画家であったが、戦中に日本に戻って活躍、戦争画を描いた。しかし、戦後はその戦争画の成功がゆえに画壇から戦争責任を糾弾され、またパリに戻ってそちらで没した。乳白色の女性の絵が有名、この程度である。
 だから藤田が日本を捨てた原因となった戦争画も、あの白い女性の絵の延長ぐらいだろうと思い、ときに見る戦争賛美の絵をイメージしていたから、この汚い暗い絵が藤田作品とは意外だった。

 この抽象画のような暗い暗い色彩、西欧古典絵画のような人物群像、全体のバランスなどを離れて鑑賞して、さすが藤田だなと思った。
 近寄って詳細を観察した。ごちゃごちゃ組み合っている一人一人の人物の描き方を見ると、一応はアメリカ兵と日本兵を、刀と銃、モンゴロイドとコーカソイドの顔、鉄兜のデザインの違いで描き分けているとわかる。
 刀を振り回す日本兵へのほうが優位な状況にあると見えるのだが、実は日本軍は全滅だったから、これが、戦争画である特徴だろうか。

 この巨大な画面の端から端間まで見ていくと、醜悪陰惨きわまる人間殺戮に気分が悪くなってくる。これこそ反戦画ちうものだろう。そうとしか見えない。
 どうして1943年当時に、これが戦意高揚の絵として受け入れられたのか、アッツ島玉砕という悲劇は隠されてはいなかったから不思議である。

 会場でそう思ったのだが、今、ネットで調べると、この絵の展示をはじめは軍部もためらったという。ところが、展示したらこの前で手を合わせ、涙を流して賽銭を供える人たちもいて、にくい敵を倒せとの戦意高揚に役立ち、藤田も大得意であったそうだ。そして戦争協力画家たちのリーダともなったという。
 絵の表現と画家の行動が分離しているが、それが絵画というものだろう。アートは観る人の側にこそあるものだから、時代によって観る人の目も変わるというものだろうか。

 さらに観ていて思ったのは、当然のことに藤田は全滅し占領されたアッツ島に行っていないはずから、想像で描いたのだろう。しかし当時の日本軍とアメリカ軍では武装のレベルが段違いであり、まるで戦国時代のような敵味方が入り混じる白兵戦はあり得なかったろう。
 日本軍は刀を振り回して、やけくそで敵陣に突っ込むのだが、その前にたちまち火器で撃ち倒されてしまったはずだ。現にわたしは悪名高いインパール作戦で生き残った人から直接に、悲惨な戦場体験を聞いたことがある。
 でも、これを見る大衆はそのような現場を知らないから、藤田は大衆がこの絵をどう見るかを読んで創作した。そこが藤田の大衆に好まれる画家としての成功要因だろう。

 この絵は初めのほうの展示室にあったのだが、観ていたら別の展示室でまた藤田の戦争画が登場した。「○○部隊の死闘・ニューギニア戦線 1943年」とある。描き方はアッツ島とまったくと言ってよいほど同じ色彩と構成である。
 この近代美術館も写真OKになっていたから撮ってきたのがこれ、ニューギニアの一部分である。

 現物はもっと暗いのだが、デジタル写真のおかげでこのようにはっきりと観ることができる。もっとも、これが絵画鑑賞として正しいかどうかは別だが。
 この絵のある展示室は戦争画がテーマであり、8点の展示があり、そこには宮本三郎の作品もあった。でも、藤田ほどの迫力ある戦争画はなかった。
 今や戦争画も堂々と展示され、堂々と毀誉褒貶に耐える時代になったのだろうか。それともいまや戦意高揚絵画が免罪される時代なのか。

  1943年といえばわたしの父が、妻との三人の子たちを残して、三度目の戦場へ出かけた年である。その時の母の号泣を、幼児だった私ははっきりと記憶している。戦争画が示しているように、太平洋は奪われて、父が出ていく船がなくなり、敗戦と同時に帰宅した。戦意高揚絵画は庶民には役立たなかった。

 亀倉雄策デザインのポスター「原子エネルギーを平和産業に!」(1990)があった。今やこれも一種の戦争画みたいに見られる時代になった。さてどう見るか。

 国立近代美術館では、企画展のほうはチケット窓口は大行列であったが、常設展はガラガラでゆっくりとみることができた。会場内の座る椅子がさすがに近代美術の名にふさわしく、なにもクレジットはなかったがこれは清家清の「畳ユニット」と剣持勇の「ラタンスツール」である。
 じつは近くの別館である工芸館にも行ったのだが、そこの椅子類も柳宗理や剣持勇などの作品であったので、しっかりと座って休息しつつ作品鑑賞した。