2008/08/26

033【世相戯評】オリンピックが終ったらしい

 今朝の新聞が妙に黒っぽい。そうか、昨日まではオリンピックで赤っぽい写真が多かったんだなあ、、終ったのかあ、やれやれ。
 でも、どうしてオリンピックは赤っぽいのかしら、特に見ないからどこが赤かったのか分からないが、中国共産党の影響か、、なんて。

 昨日まで社会面のページは、面積の7割くらいがオリンピック記事だったのが、今日は全然ない。
 そこで気がついたのだが、社会面記事の面積の9割5分くらいが、なんらかの違法行為の記事である。え、世の中にそんなに犯罪が多いのかしら。
 そうか、新聞屋ってのは、良くも悪くも騒動がないと記事にならないんだな。

 それにしても昨日までの数日間は、新聞づくりは楽だったろうなあ、オリンピックと高校野球のことさえ書けば紙面が楽に埋まるんだもんなあ、社会面担当の新聞屋さんは夏休み同然だったのかも。新聞代金を負けろ。

2008/08/24

032【各地の風景。世相戯評】北京風景を見たいので北京オリンピックマラソンTV長兄を見たがつまらなかった

 北京オリンピックの男マラソンを見た。例によってマラソンそのものには興味ないが、北京の都市風景がどのように出てくるか興味を持ってみた。
 マラソンのTV中継放送は、いながらその地域の風景がみられるので、たまに興味を持って見ることがある。オリンピックマラソンを見たのは、シドニーのほかにバルセロナだったかアテネだったか忘れたが、3度目のような気がする。

 世界中に北京という中国首都の都市風景を同時中継で見せるのだから、多分、国家の威信をかけてその現代都市の表の風景だけを見せるに違いないだろう、コースもそのように決めているだろうと、あらかじめ偏見をもって見始めた。

 結果はその通りであった。
 超広い道路、林立する高層建築、高架道路、手入れの行き届いた花壇や並木、、、世界の都市のありふれた表の顔そのものであった。
 北京の人の顔も見えなかった。日本だと沿道観衆の振る小旗が走者にあたるのではないかとはらはらすくくらいなのに、走者と観衆はものすごく隔てられていて興が冷める。
 北京らしい生活景はまったくでてこなくて、ほんとにつまらなかった。

 天安門を走る走者は、いかにも国家ランドマークへの敬意を表するごとく、走者がいるのかいないのか分からない、巨大な毛沢東の顔ばかりが目立つ静止画像と見まがう写し方だった。
 そして、「鳥の巣」競技場は、それに対する新たなランドマークのように見えた。

 私はこのヘルツォーク設計のデザインは、天安門とは対極のデコンストラクションで、中国に対する文明批評になりえている建築であると、この風景を見るまでは思っていたのだ。
 ところが、こうしてみると、これは天安門と並ぶ新たな時代の国家ランドマークになりえているかもしれないと思うようになった。中国は無理やり何でも飲み込んでしまうのか、。
 これが今回マラソンTVをみた一番の収穫だった。
 アナウンサーがやかましいので音声をOFFにしていたから、北京の街の音も分からなかった。
  参照→170はるかなるベルリン

2008/08/20

031【文化。歴史】オリンピック作戦Operation Olympicなるものがあったが戦争の作戦だった

 オリンピック作戦と聞いて想像するのは、メダルを取るためのどこかの国の選手養成作戦かと思うが、1945年に実在したそれはそんな平和なものではない。
 連合軍の日本本土上陸作戦の暗号名である。
 わたしは一般に戦記には興味がないのだが、たまたま戦争終結と横浜の当時のことが書いてある『横浜市史Ⅱ第2巻(下)』を読んでいて出てきたので、ここに紹介する。

 1945年2月までに連合軍は太平洋域で勝利を収めると、アメリカ軍統合参謀本部は3月末に暗号名「ダウンフォール作戦」(滅亡作戦か)と名づけた日本本土への侵攻作戦を立てた。
 そのなかに本州上陸の「コロネット作戦」と九州上陸の「オリンピック作戦」とがあった。

 5月25日に決まった「オリンピック作戦」は、南九州に1945年11月1日上陸と確定していた。
 沖縄の次は九州が戦場となる予定であったが、7月16日に原爆実験が成功したことにより、この作戦は転換されたのであった。
 つまり、原爆で日本は11月以前に降伏するであろうとなったのである。そして事実そうなった。

 なんとまあ血なまぐさいオリンピックだ。
 その5年前の1940年には東京オリンピックを開くはずだったのを、日中戦争悪化で返上し、その次の年末には太平洋戦争を開始した。
 1930年の日中戦争開始から15年戦争となったのを終結させるのに、オリンピックが平和の祭典ならぬ戦争の作戦として登場したのは皮肉であった。

2008/08/16

030【世相戯評、文化・歴史】映画「YASUKUNI」を観たがその評価は見る人の立ち位置によってどうにでもなる

 国会議員がはからずも宣伝して?評判になった映画「YASUKUNI」を、近所の映画館でやっているとて観にいってきた。
 さて、 これをどう評価するか。

 よく言われるように、右寄り国会議員がどうして問題にしたのか、それほどのもんじゃないよって、言い方もできるが、これでは映画を観る眼がないといってよいだろう。
 これはそのつもりで観れば、靖国の英霊を慰霊するよくできた映画であると、観ることもできる。
 一方、これは左翼の陰謀映画で靖国を侮辱していると、そのつもりで観ればそう観ることができる。
 また一方、これは靖国の今日的問題を正面からとりあげてえぐりだしたとも、観ることができる。
 まさに観る人の心と時代の空気が、これに評価軸を与える。 ぼんやり見れば、ただの珍しい映像の羅列である。

 たとえばラストの夜の航空撮影で、暗い森の中にほのかに光る靖国神社の灯火を見せ、しだいにカメラが西に向けて行くと、灯火まばゆい東京のビル群が広がる。
 これをこの森に祀る英霊の犠牲のおかげで今日の繁栄があるとみるか、靖国の森の闇が象徴する暗かった時代を乗り越えたらこそ実現した今の繁栄だとみるか、それは観る人によるだろう。

 あるはまた、中国での百人斬り競争の新聞記事や写真のような映像を、残虐と見るのは今の時代の空気による見方であり、反対に英霊を賛美する立場からは勇ましくも戦う兵士の活躍をたたえるものと観ることができる。
 天皇が参拝する映像も、参拝を求める立場からはあんなにもかつては参拝を繰り返していたのだったとありがたく思うだろうし、逆の立場からはA級戦犯合祀以来は参拝しない天皇の立場に思いをいたすだろう。

 このように、右にも左にも、ある種の扇動を与えるかもしれない映画である。その意味ではかなり危険な映画ともいえるのである。かの国会議員たちはそれを感じ取ったとすれば、あたっている。
 しかし、どうも国会議員たちが問題にしたのは、この映画の監督が中国人であるというだけで、ヤスクニ反対映画と先入観の決め付けだったように思われるが、どうだったか。
 まさに時代の空気である。だが結局それは、わたしさえも観にいったごとく、格好の宣伝となったのである。

 もしかしたら映画監督の一枚上手の老獪さに、引っ掛けられたのか。
 作者の意図は一体どこにあるのだろうか。
 いみじくもわたしが野次馬で行ってみた2005年8月15日の靖国神社が、この映画の主な撮影日であった。わたしは長居しないで帰ったのだが、実はこんなにもいろいろなことがあったのだった。どこまでも執拗に追いかけるカメラの野次馬精神には恐れ入った。

 わたしが映像を観て感じたことは、靖国神社の前で英霊をたたえる人たちの、良くも悪くもあまりにもひたむき過ぎていて、どこかアナクロニズム演技に見え、どうしてもカリカチュアライズされやすい姿かたちであった。
 これは映画のなかだけでなく、その日現場にいたわたしが眼で見た風景でもある。あの人たちはそれが戦術なのだろうか。
 現場を追いつめるとともに、資料映像を豊富に並べて、観るものにいやおう無しに考えさせる優秀なドキュメンタリー映画であった。わたしは映画は作れないが、文章でこんなことをやってみたい。

2008/08/15

029【老いゆく自分】リウマチかと思って慌てて診察うけたら、

 今日は8月15日、敗戦記念日である。北京オリンピックで平和なような、その一方ではグルジアとか中国内陸部とかで戦争やテロがある。
 この63年間は世界戦争はないが、いつもどこかで地域戦争があるから、実はあの戦争は終っていないのかもしれない。
 さて、とりあえず平和に生きてきたが、人間は歳をとるとどこかしこ故障が起きて死に一歩進むのは、人生そのものが緩慢なる自殺行為だから仕方がない。

 両手の指がこわばる。もう2年くらい前から、両人差し指がこわばってきたが、近頃は指全部がこわばってきたのは、こうして今もやっているキーボードのたたきすぎだろう。
 なにしろもう30年以上も、WPやPCのキーボードで朝から晩まで日常的に文章書きしているのだから、変になるのはあたり前と思っていた。

 先日、ふと思いついて、「指がこわばる」とWEB検索をしてみた。なんと、それはリウマチであるらしい情報が満載であったのだ。え、リウマチ?、ショケイじゃないの?
 左右対称に起きるーーその通り、朝こわばるーーその通り、指の第1関節と第2関節あたちーーその通り、ピッタリだ、、おお、オレはリウマチか、、でも、そんな病気ぜんぜん知らないぞ。

 あわてて早速に近くのリウマチ科の医院を検索して、専門医の診察を受けに行ってきた。
 結果は、「これは120パーセント、リウマチではありません」と保障されたのであった。バネ指の気があるから、両指をぱっと広げる運動をせよとのこと。おお、それはよかった。
 となるとあのWEB情報はいったいなんだろうかという疑問が起きる。専門医の言うことのほうがもちろん正しいはずであるが、WEB情報があまりにもピッタリしていた。

 かつて誤診で重大な病に診断されたこともあるから、何が正確か本当はわからない。
 まあ、少々のことがあっても、とにかくここまで生きたのだから、たいしたことはないと思って生きていくことにする。

2008/08/12

028【世相戯評】毎日毎日の新聞がほとんどゴミばかり買わされているような

 8月日11.5/28、8月11日11.5/32、8月10日11/40、8月9日12.5/36、、これは最近の朝日新聞朝刊の全ページに対するスポーツ欄のページ数である。
 毎日毎日、A2版の大きな紙を、読みもしないし要りもしないのに、6枚も押し売りされている。

 北京奥林匹克では高校野球もやっているらしいから、地元出身の出場者やチームの話題が地方版にも出る。どんどん読まないページが増えてくる。
 このほかに全面広告や株価ページもあるから、実際は9~10枚もになる。さらに夕刊にも同様な読まないページがある。

 これすなわち完全なるゴミを買わされて、そのまま捨てているのだから、環境問題についてはわたしは悪い加担をしている。

 そもそも、スポーツ競技の新聞記事なんて何の役に立つのか。テレビ見てればすぐに勝負が分かるし、中継を見ていなくても新聞よりもはるかに早く結果がニュース番組で報道されているだろう(多分、テレビ見ないから知らないが)。

 だからだろうか、出場者の出身地の騒ぎとか苦労物語とか、読む気にならない記事が社会面にも進出してくるから、たまったものではない。
 そんなものはスポーツ新聞に任せておけばよいのだ。

 せめてオリンピックと高校野球の期間は、スポーツ欄分の新聞購読料を負けてくれ。
 グルジア戦争とスポーツ戦争が同時に開会、奥林匹克とテロの並存、時代の空気は逆撫で、ちぐはぐもはなわだしい。

2008/08/08

027【世相戯評】どうやら世の中ではオリンピック競技大会なってものをやっているらしい

なんだかよくわからないが、お隣の中国北京のあたりでオリンピック競技をやっているらしい。

 オリンピックで高校野球もやっているとか、選手が鳥の巣でギョーザを食べてあたったとか、チベットで聖歌でもめたとか、なんださっぱりかわからない、、けれどもどーでもよいことだ。

 ドーデも良くないのは、あの四川大震災は、いったいどこの国のことだったのだろうかってことだ。
 そして身近にドーデも良くないのは、このところ新聞のスポーツ欄がやたらに増えて、読むところが減って困ることだ。
 今朝数えたら、全36ページのうち7ページも占めている。興味ない読まないゴミページばかりそんなにも増えて、購読料を割り引いてほしいもんだ。

 1964年の東京オリンピックの競技に関する記憶は、不思議にも全然ない。
 関連して思い出すのは新幹線が開通して、その模様を中継していたテレビを見たことだ。えらく速いものができた、と感心した。

 もうひとつは、その前々年くらいか、日本橋川の上に高速道路を架けるために、どぶ泥の川の中に基礎杭を打ち込んでいた風景とその打ち込む機械の音の記憶である。
 あ、そうだ、「オリンピックノオ、カアオトカアオ、ホオレ、シャシャントシャント、、」って、まことにノーテンキな節まわしも思い出したぞ。

 あのころの日本は、今の中国とあれこれ比較して、政治体制のほかは生活レベルも庶民の考えもほとんど似通っていたような気がする。
 今の中国を見て、今の日本は進歩したのかしら、、、進歩を大義名分とした時代のオリンピックだったもんなあ、、。

 オリンピックの鮮明な記憶は、あれは小学生のときだったかしら(と書いてから調べたら、1952年夏ヘルシンキだったからわたしはもう中学生だった)、フジヤマノトビウオ古橋とライバルの橋爪が泳いでいたなあ、ラジオの中で、、。

 あ、もうひとつ、シドニーオリンピックの女性マラソンをテレビで見たのが、わたしの唯一のオリンピック競技観戦だなあ。
 もっともそれは競技に関心あったからではなく、マラソンコースのシドニーハーバーの景観を観たかったからだが、ついでに競技も見て高橋尚子という名を覚えた。

2008/08/06

026【老いゆく自分】昔々は山岳部でロッククライミングをやっていたもんだが、

 大学時代は山岳部にいて、本格的なロッククライミングを楽しんだ。あたりまえながら今は不可能だ。
 一昨年にヨーロッパアルプスに行って、登山電車やロープウェイで登っては歩いて下るという、登山ならぬ下山をやって、アイガーやらグランジョラスやらグレポンやら、はるか昔の夢の中の憧れであった岩壁を眺めてきた。
 そういえば、自分の足と手で登った日本の穂高や剣岳の岩場を、もう長らく眺めてもいない。

 先日、韮崎に住む友人(盲人用ハイテク電動車椅子発明者の森英雄)と一緒に瑞牆山の麓に車で行って連なる岩峰をはるかに眺め、その一部のカンマンボロンとよばれる岩峯の直下までよたよたと登ってきた。

 森林を登り詰めて直立する岩の足元までたどりつくと、ものすごい屹立した岩場であり、上空に巨大なオーバーハングが突き出ている。今は人工登攀が当たりまえらしく、岩の面に直接にボルトを打ち込んだままにしているのも見える。

 学生時代ならば、ここから取り付き、あのリスにハーケンをうち、こちらのチムニーを登り、大オーバーハングを巻き込んで、などと登攀ルートを考えつつ登ったかもしれない。
 久しぶりに日本の岩登りのトレーニング場にやってきて、昔の雰囲気だけ思い出して帰ってきた。今度は剣か穂高に行ってみたい。センチメンタルジャーニーである。

2008/08/04

025【老いゆく自分】わたしが今もしも失明したらこの「ひとみ」なるロボットを使おう

 今もしもわたしが失明したらどうするか、といってもちょっと想像もつかないのだが、少なくとも家の外に出ることは、ひとりでは不可能になるだろうとは思う。
 ところが、それをナントカしてやろうと、視覚障害者用自動走行電動車椅子を開発した大学教授がいる。
 わたしは好奇心が湧き、山梨大学を訪ねて、自動走行する電動車椅子を体験してきた。

 それは要するに電動車椅子に機械の眼(カメラ)と頭(コンピューター)をつけて、散歩や買い物などの日常的な外出ルートをおぼえさせておくと、これに乗ってボタンを押せば、目が見えなくても往復できるのである。
 そのメカニズムは聞いてもよく分からないが、そんなことができる時代なのである。

 もっとも、この車椅子がSFに出てくるロボットのように、ご主人の命令あればビューンと買い物に連れて行ってくれるには、あれはお話でこれは現実で、人間と機械の関係はそうは行かないものである。

 出かける外の街には工場の生産ラインのようにルーチン化した経路があるわけではなく、機械の判断しなければならないことが山ほど待ち受けている。
 それらは眼の見える人間ならすぐ判断して造作もなくやることだが、それを全部機械にやらせるとなると、図体は肥大し超高価になって、日用品の車椅子にはならない。
 だからある程度で製品化して、それを補完するのはそのあたりにいる眼の見える人間がやればよいのだ。それでもこの車椅子の視覚障害者サポート力は十分すぎるほど大きなものがある。

 今わたしが失明したら、日常的な移動経路については記憶にあるから、この車椅子の動きをある程度予知できるし、住んでいる横浜都心には大勢の人がうろうろしているから助けてもらえる。安心して外出に使えそうである。
 そのような機械と人間の関係を超える人間と人間の関係は、この車椅子だけのことではなく、どんなことにもいえることだろう。

 それを作っている人は、わたしの大学時代の同期の友人で、山梨大学の精密工学の森英雄さんである。大学での研究で開発し、名誉教授になった今も大学ベンチャーとして学内に部屋を持ち、改良、製作、普及、販売をやっているのである。
 さて、この「ひとみ」と名づけたハイテク車椅子を、どうやって世に知ってもらうか。

 森さんは「ひとみ」を自家用車に乗せて出かけ、あちこちの福祉イベントに参加してデモンストレーションをしている。旅の楽しみと福祉貢献という、結構な二股かけた全国行脚旅である。
 まあ、大学教授の常?として世間的なことにはどこか疎くて宣伝が下手だから?、かどうか知らないが、こんなすごいものだからとて世に知られてさっさと売れるものではない。

 どうも、森さんは売る気はあまりないらしく、とにかくだれか困っている人、特に中途失明者が使ってみてほしくて、在庫をもう無料でいいから貸し出す気らしい。
 自宅にNPO法人まで設立して普及に努めているのが、わが同期のセンセイながらいじらしい。なにかわたしもできる協力をしたい。

  まずは視覚障害者が読めるWEBサイトつくりである。最近はWEBサイトを音声読み上げするソフトがあるので、それを聞けばよいので便利らしい。ただし、ソフトが読み上げやすいデザインをする必要がある。

 美しくてデザインしても、読み上げソフトが読めないと意味がない。画像には代替文字をつける必要があるし、凝った表やフレームによる構成もいけないらしい。
 情報伝達の基本を考えさせられている。

参照→次世代インテリゼント車いす「ひとみ」
  →ロボット電動車いす「ひとみ」