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2023/11/11

1736【久しぶりオペラ】神奈川音楽堂でオペラ魔笛を観て能狂言と見立てて面白がる

 久しぶりにオペラを観た。モーツアルトの魔笛である。調べたら2018年横須賀芸術劇場で宮本亜門演出で、これも魔笛を見て以来のオペラ見物であった。
 それから今日までの間に、コロナ騒動で芝居全般に見物しにくい環境だったし、外国引っ越しオペラが来ても高価過ぎて行けなかったこともある。1年に一回くらいはオペラに行きたいと努力しているが、能楽に比べて高い。

韓川県立音楽堂の舞台 20231111オペラ魔笛カーテンコール


 今回は神奈川県立音楽堂で、横浜シティオペラによる公演であった。音楽専門の舞台だから、舞台には紗幕や装置はなくて、暗転そしてそのままプロジェクションマッピングであった。シーンによって具象と抽象を折り交ぜた映像が、反響板だけの舞台の背面や上面に映し出されるのも、まあ悪くない。

 だが最初に登場する大蛇が、もろに大蛇そのもの過ぎる具象映像であり、その後も邪悪の表現にたびたび巨大な蛇体が映って気持ちがよくない。もう少し抽象化してほしかった。
 ザラストロ神殿が、何やら古典派の建築様式の映像で登場するが、そのほかの場面はほぼ抽象映像だった。あの支離滅裂な物語を整理分類して見せる分け方かもしれない。

 舞台上には、奥に置き舞台が横長に配置されて、舞台が前後2段になっていたほかには、背の高い椅子が3脚、場面により位置を変えて配置され、舞台に変化を見せる。
 総じてあまりに簡単すぎて、これは能舞台にプロジェクションマッピングしてると同じだなと見ていた。これもよしである。

 当然のことにオーケストラピットはないから、舞台上手に電子オルガンとピアノが並ぶだけで、その前で指揮者が棒を振るのだった。
 今日のオペラの出来をどうのこうのと言う能力はわたしには無い。いちおう楽しんだから、良かったのだ。歌手たちの歌も良かった。定番の夜の女王のコロラトゥーラ・ソプラノもやっぱりすごい。でもこれってどこか曲芸でも見るように聞いてしまって申し訳けない。

 わたしは魔笛については、歌と曲が素晴らしいから好きだが、ストーリーの支離滅裂に呆れる。コミカルな狂言とシリアスな能を細切れにして交互に演じるというところか。これはパパゲーノが主役つまり狂言の太郎冠者である。今日のパパゲーノ役は良かった。
 そういえば、いつものわたしが見るオペラは(料金の都合で)天井桟敷並みだが、今日は能舞台並みの近さで見た。やはり芝居は近くで見る方がよい。

 今日のオペラは珍しく全部日本語であった。これまで劇場で観たいろいろなオペラはほぼ全部が、イタリア語かドイツ語だった。魔笛もこれまで見た3回ともドイツ語だったし、ユーチューブで見てもそうだった。ドイツ語は大学で習ったけどわかるわけではない。
 だが、魔笛を観るの何語であるかは関係ない、あの美しい歌さえ聞ければすべてOKである。見ていればなんとなくわかる。そうして今回の日本語さえもそうだった。つまり、それくらい支離滅裂な劇ということだ。ウィーンのフォルクスオパーで観たドンジョバンニもそうだった。

ウィーン VOLKSOPER HEUTE  DON JOVANNI 1994/11/26

 久しぶりにオペラ舞台をみて直ぐに思ったのは、役者たちの背格好がずんぐりしていることだった。見ているうちに馴れたが、このところユーチューブで西欧の舞台ばかり見ていたからだろうか。
 今回はザラストロやくは背が高くて恰好よかった。タミーナ役も背格好も容姿も歌もよかったが、演技はイマイチ。
 パパゲーノとパパゲーナのこどものキンダーラインとして、子役をあんなに大勢出したのなら、クナーベ3人をこそ本来の子役にしてほしかった。

 以上、久しぶりのオペラに、思いつくままにまとまりのない感想である。

 この音楽堂でオペラを見たのは2回目である。あれはもう20年以上前のこと、モンテヴェルディ作のオペラ「オルフェ―オ」であった。
 西欧でオペラが始まった頃の作品であり、古楽器の演奏の小オーケストラも舞台に上がっていたが、演奏会形式ではなくて舞台上の演技空間と一体になっていた。演技空間に中二階があった記憶がある。映像をつかうこともなく、それも面白かった。

 県立音楽堂は大改修したのだが、さすがに階段型の客席の前後関係の配置を変えることができなかったらしく、椅子の前後が狭いままであるのが困る。後から来た奥の人を入れるには、席をいったん立って通路に出て、後から来た人を入れてから元の席に戻って座るのだが、わたしの様に足が悪いと実に困る。相手をおおいに恐縮させるのが困るのだ。
 もっと困るのは、これもこちらが年取ったせいなのだが、客席空間そのものが階段だからその上り下りを歩くしかないのが大いに難点である。客席内の上下通路の一本で良いから幅を広げて、手すりを付けてほしいと思う。すぐできることは、今の両サイドの縦通路の壁に手すりを付けることだ。

(20231111記)

趣味の能楽・オペラ・芝居鑑賞瓢論集
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2023/09/11

1704 【組踊を観る】横浜能楽堂で4年ぶりに琉球芸能を見て妙なことを連想

 昨023年9月10日の午後、横浜能楽堂で沖縄の組踊などを観た。このまえ組踊を見たのは2019年(「執心鐘入」と「道成寺」https://datey.blogspot.com/2019/02/1185.html)あったから4年ぶりである。野の能楽堂に来たのは6月の能「二人静」以来である。コロナが引いてようやく能楽堂も満員のようであった。


 わたしが芸能を見るのは能との比較が目的だから組踊「万歳敵討」(ばんざいてぃちうち)さえ見ればよいのだが、その他に踊りや独唱もあった。初めて聴いた独唱は「二揚仲風節」(にあぎなかふうぶし)、歌い手は西江喜春というかなりの高齢者であったが、高音を使い分けて上手であったと思うがよく分からない。しかしちょっと能楽堂の屋根から異界のものが下りてくる気配を感じた。

組踊「万歳敵討」

 「万歳敵討」は仇討ちものだが、プログラムに概要の筋が書いてあるものの、言葉をほとんど理解できなくて、字幕表示を欲しかった。能からの翻案ものならば、元の能を知っていれば類推できるのだが、それもないと会話場面の前場はお手上げである。

 組踊の演技をどう観るのかもわからないが、とくに勉強する気にもならない。だが今回あらためて思ったのは、若い女や若い男の装束と顔の化粧である。若い女はともかくとしても、若い男(若衆)の女に近い衣装と顔化粧の、あまりに美しすぎることである。男と女の区別がほとんどつかない。なお、舞台上に居る人たちは、地謡(歌と音楽担当)には女性がいるが、役者はすべて男性である。


 特に思ったのは、若衆の化粧の特別の美しさであ、あの化粧の目で舞台上から見つめられると、女性はボ~ッとするかも、いや男もそうかももしれない、なんて思っていて、突然に連想したのは今世間で妙に話題となっているジャニーズとかいう芸能タレント事務所の前社長(男性、故人)が、実はお抱え芸人少年専門の強姦魔であった事件である。

若衆徳牛節  若衆の扮装

 要するに近世までは普通であった男色行為が、現代では不同意性行為として犯罪となった(はずの)事件である。芸能界では東西を限らずこの類のことがしょっちゅうある(あった)らしいが、わたしはTV観ず、週刊誌も読まず、芸もゲイも知らぬことばかり。

 それで、もしかしたら組踊の役者たちもかつては、琉球貴人たちの男色の相手であったのかもしれないと、能の世阿弥のことに思い至り、ふと連想が働いた。
 時代は14世紀、時の将軍・足利義満(弱冠16歳)があるとき能を観た時に演じた夜叉若(弱冠11歳)という美少年を気に入り、すぐさま側において寵童とした。これが後の世阿弥である。

 そして世阿弥は時の独裁的権力者の庇護のもとにその天才を発揮して、いまにつづく能楽を大成させたのであった。他の能役者が一般的に貴人の男色の対象者であったどうか知らない。それが時代が近世になって武家の社会での衆道であり、町人の社会では歌舞伎役者や陰間がそうであったようだ。

 そしし話が琉球沖縄に戻れば、その王府における芸能であった組踊は、近世初めに朝貢していた明国からの使者たちを接待するために日本の能を参考にして創作したのだから、その芸能者は男色相手であったかもしれない。これは類推である。
 薩摩の侵攻によって支配を受けるようになった近世からは、薩摩からの支配者の接待があるとすれば、有名な薩摩の男色が持ち込まれたかもしれない。これも類推に過ぎない。

 留意することは、日本では中世・近世において貴族支配階級においても町人階級でも男色は普通のことであったらしいのである。
 中世の説話集「今昔物語」の諸所に男色の話が出てきて、これはなんだと思ったことがある。近世の「東海道中膝栗毛」にも弥次喜多コンビが実は男色コンビであることが出だしあたりに書いてあるの発見して驚いたこともある。

 近世以前の日本では性に対する考えが、近代以後とは違っていたらしい。多分、近代になって外国から入ってきたキリスト教文化が男色を排除したのだろうか。
 三島由紀夫や釈超空のそれを、わたしでも知るように語られるのはこの30年くらいの内か。

 少年強姦事件の社長は、死ぬまでそれが犯罪とは思っていなかっただろう。どんな天才芸能者のを育てたのかしらないが、たぶん、現代の足利義満のつもりだったのだろう。
 時代のもたらす人権と性に関する文化の変化がそれを犯罪に仕立てたが、その時は肝心の当人は死んでいて、これはある文化過渡期の矛盾現象なのだろうか。

 それにしても能楽堂の舞台に現れた美少年(若衆=元服前))・美青年(二才=15~25歳男子)の化粧した舞台顔は、どれも同じように見えるのだが面ではなくて本物の顔だからそれなりに個性がある。能では能面があるから、そうはならない。
 一方、わたしはTV見ないから事件被害者美少年たちを一人も知らないが、たまに新聞の広告面に美少年芸人集団公演とかで全員の並ぶ寫眞が登場するので、彼らなのだろう。
 それがどれもこれも同じ髪形と目付きをしていて、なるほどこれが今流行りの顔なのか、そうか、見ようによれば美少女と紙一重の感、フムフム、これが現代の人気男の顔なのか、へえ~。

ネットで拾った芸人グループ写真

 ついでに地球上世界のLGBTXへの容認度合いの地図がったのでのせておく。概してイスラム世界が不寛容らしい。
性的指向に関する世界地図(東京新聞20230910)

 話が組踊と関係ない方向になってしまった。(20230910記)

ーーーーーーーーー資料ーーーーーーーーー

●開館25年謝恩 横浜能楽堂「中締め」特別公演
第2回「琉球芸能600年」 2023年9月9日午後一時開演

【第1部】
王府おもろ「あおりやへが節」「しよりゑと節」  安仁屋眞昭

若衆踊「若衆特牛節」 佐喜眞一輝 知花令磨

二才踊「麾」 田口博章

組踊「万歳敵討」 謝名の子:東江裕吉、慶雲:新垣悟、高平良御鎖:川満香多、
 高平良妻:佐辺良和、高平良娘:伊波心、列女1:佐喜眞一輝、列女2:髙井賢太郎
 供1:金城真次、供2:上原崇弘
 道行人:嘉手苅林一、 きやうちやこ持:下地心一郎

独唱「二揚仲風節」 西江喜春

女踊「瓦屋節」 田口博章  

歌三線:西江喜春

地謡
歌三線:仲嶺伸吾、照喜名朝國、仲嶺良盛 
箏:名嘉ヨシ子
笛:大湾清之 
胡弓:森田夏子 
太鼓:比嘉聰

ーーーーーーーーーーーー

●これまでの組踊鑑賞記録(まちもり散人著)

怖く哀し女ストーカー「執心鐘入」と能「道成寺」2019/02/10
琉球古典芸能の組踊をみて現代の沖縄問題考える2015/01/19
横浜能楽堂で琉球のゆったり時間を過ごすぜいたく2011/06

●関連「趣味の能楽等鑑賞記録」(まちもり散人著)

●まちもり散人ブログ 「伊達の眼鏡」 「まちもり通信


2023/06/26

1694【能楽鑑賞】三十年ぶりに能「二人静」を観てきた

 横浜能楽堂で能「二人静」(ふたりしずか)を観てきた。この能を観るのは3回目である。最初は1993年2月4日青山の銕仙会舞台での公演で、シテ野村四郎、ツレ清水寛二だった。これが実に強く印象に残っていて、かなり細部まで覚えている。
 実はその時に密かに録音したテープもあり、もう100回くらいは繰り返して聞いている。もう一回はどこで観たか記憶がない。

 今日の「二人静」は、喜多流であった。初めに歌人の馬場あき子さんと古典芸能解説者との肩書の葛西聖司さんの対談があった。というよりも、葛西さんは馬場さんの話の引き出し役だった。葛西さんはむかしNHKTVの古典芸能担当の司会アナウンサーだった記憶がある。

 馬場さんの解説は、これまで何回かこの能楽堂で聞いていて、なかなかに含蓄があり、興味深いものがある。今日も面白かったが、馬場さんの解説の解説が入る葛西さんが邪魔な感もあった。
 ひとつどうも気に入らない彼の言動があった。何かの話の途中で、「ハイ、こちら95歳で~す」と、いかにも歳にしては若いだろうと言外の動作に込めて、笑いを取るのである。
 馬場さんはちょっと見には謙遜している様子にみえたが、あれは明らかに迷惑がっていると、こちらが超高齢者だからよく分かる。年寄りの癖に若くて何がいけないんだよ、大きなお世話だよ、文句のひとつもを言いたいのだ。

 ところで、馬場さんもこれまで「二人静」を観たのは2回だけとのこと、10歳も年上の馬場さんがわたし同じ回数とは、どうでもよいことだが、なんだか近しいと感じる。ということは、あまり演じられない曲であるのか。
 それにしても馬場さんは今95歳だそうだが、その博識や論評はもちろんだが、切戸口からの舞台登場と退場の所作も舞台上の椅子で語る姿勢もキリリとしていて、口調も滑舌であることにただただ見とれる。こうありたいと思わされる数少ない超高齢者である。

 今日のシテの佐々木多門(1972~)もツレの大島輝久(1942~)も初めて観る能役者である。横浜能楽堂の企画で、馬場さんが推した「この人この一曲」であるとのこと。わたしから言えば、能役者よりもこの曲と馬場あき子と組合せを気にいって観に来たのだ。

横浜能楽堂サイトより引用

 能役者の上手下手は、よほどの下手でないとわたしには見分ける能力がない。二人静の見せどころの相舞は、それなりに合致していたのだろうが、良し悪しを言えない。
 このたびの座席の位置が、脇正面の橋掛かりから3列目後方から2列目で、これほど隅っこで観たのは初めてだった。鏡の間の気配を感じるし、登場する役者やその装束をごく近くで見ることができて、それなりに面白かった。

 この席からは舞台を真横で見ることになり、能の見巧者には能役者の所作の良しあしがよく分かるのだそうだ。観られる役者にはいやなものであるらしい。今日はその席で観たのだが、舞台正面に向かった並んで舞うシテとツレのふたりの動きを、真横から観るとほとんど重なっている。ふたりの相舞がぴったりと合致するとほぼ一人に見える。逆に一致しないと、ばらばらに見えることになるが、それをいかに面白がるか。

 多分、基本はぴったりと重なるように舞うべきなのだろうが、実際に見ていると重ならない方が面白い。二人が同じ動きをするのだが、それが微妙に時間差があって位置がずれると、舞台に奥行きが生じてくる。その時、その動きの違いを計測するが如くに観ていると、舞台に深みが生じるようだ。 

 能開演前の馬場さんの、二人静について大昔こんなことがあったとの話のひとつ。
 不仲の師弟の役者がシテとツレを演じた相舞で全く反対の舞をしたという昔人の書き残した話題を述べて、それも小書きになると面白いのに、と笑うのだった。
 やはり正面からあの華やかな装束が二つも舞台に左右に広がって、同じ様にきらめきながら二つ蝶のごとくに舞い続ける姿を観る方が良いと思った。あるいは見巧者になると、脇正面から観てその相舞のずれ具合の美しさを楽しむようになるのかもしれない。

 30年も前に見たシテ野村四郎の「二人静」では、舞台上にいるツレが、橋掛かり途中に腰掛けるシテの動きに操られているように動く、いや、動かされる印象的な場面があった記憶がある。でも今回それはなかったが、そのような演出もあることを、事前の馬場さんの話にあったから、わたしの記憶は確かなものと確認した。

 そういえば思い出した。その野村四郎シテの「二人静」を見てから10年以上たっていたころだが、その謡を習うことになり、ようやく謡本の1級に到達したのだ。
 その稽古の初めにわたしはこの曲の師の舞台を観たことを得意げに話したら、すぐにわたしの一部記憶間違いを指摘された。そうか、観た方よりも舞った方がよく覚えているのは当然だろうが、プロは自分の全部の舞台を細部まで覚えているものなのかと、ちょっと驚いたことがあった。その師もコロナ中に去ってもういない。

能「二人静」(喜多流)   主催:横浜能楽堂主催

私が選んだ訳」 馬場あき子(歌人)、聞き手:葛西聖司

シテ(静の霊)佐々木多門
ツレ(菜摘女)大島輝久
ワキ(勝手神社の神職)大日方寛
アイ(従者)野村拳之介
笛: 一噌隆之
小鼓: 飯田清一
大鼓: 佃良太郎
後見: 塩津哲生  狩野了一
地謡: 出雲康雅、長島茂、内田成信、金子敬一郎
    友枝真也、塩津圭介、佐藤寛泰、谷友矩

 横浜能楽堂は、自宅から近くて都心隠居の身には願ったり叶ったりの所だったが、改装のために1年ばかり休場するとのこと。
 コロナでながらく休場状態だったのにまた休場とて、年寄りにはまことに困る。休場が明けたころには、こちらの足腰が立たなくなっている可能性があるからだ。
 コロナで逼塞させられている間に、年寄りは再起不能になってしまい、まだ動けるし好奇心もある晩年の貴重な時間を奪われてしまう不幸に出くわした。もう取り戻せないのだ。

(20230625記)

筆者の能楽鑑賞記録一覧「趣味の能楽鑑賞瓢論集


2021/08/30

1585【名人能役者野村四郎師逝く】素人弟子として師匠へのオマージュに名を借りて個人趣味記録

 能役者野村四郎(幻雪)が逝った。8月21日午前11時6分、多発性血管炎性肉芽腫症によるという。名人能役者の急逝を惜しむばかりである。

 8月24日には「能を知ろう会(第6回)」で「隅田川」レクチャー案内が来ていて、行きたいなあ、久しぶりに会いたいなあ、でもこんな時だからなあと悩んでいた。その前の会に行っておけばよかったと後悔しているが、もはや遅い。
 この歳になると、何かやりたいと思うときは即実行あるのみ、またいつかと思っていると人生に間に合わない、こう思っているのだが、そうか、それは自分の人生ばかりではなくて、他人でも同じであると気が付いた。

 個人的には野村四郎先生と言うべきである。20年にわたって能謡の稽古をしていただいた素人弟子だから、野村四郎師といってもよいだろう。わたしより1歳年上である。
 わたしが師と呼びたい人は、学業時代には2名、社会に出て仕事関係で5名をかぞえるが、習い事の師はこの野村四郎先生のみである。もともと習い事が嫌いなので、これが唯一である。ちょっと思い出を記録して、野村先生へのオマージュがわりとする。

 能謡を習うことになったのは1992年のこと、大学の先輩から強引に誘われて仕方なく義理で始めたのだった。だが、すぐにこれは面白いと思い、中断しつつも20年ほどもつづけた。稽古場は渋谷の桜ケ丘の坂下の谷間にある共同住宅ビル1階にある貸稽古場だった。

 素人弟子十数人がここで謡と舞の稽古を受けていたが、四郎先生は他にも何カ所か稽古場をお持ちだったようだ。鎌倉の小町通でばったり出会ったこともあるが、稽古の帰りだった。稀に先生の都合が急に悪くなり、玄人弟子が代稽古にやって来た。
 わたしのような素人弟子は100人以上いたのだろう。観世能楽堂での年に一回の素人弟子による恒例の発表会「観生会」出演者が、朝から晩までつづいたものだ。

 稽古日は月に2回で、1回が30~40分の1対1のさしによる伝授であるから、人間国宝(その当時は未だだったが)のこの人を独占する贅沢なものだ。
 もっとも、束脩(入門料)と月謝は安くない。年に一度の「観生会」(おさらい発表会)も結構な額だった。他の稽古事を知らないから、比較しようがないが、当時の手帳を見ると、入門料4万円、月謝1.5万円、会場費月2500円、中元歳暮各1.5万円とある。その後に値上げされた記憶がある。

 書棚にある「観世流初心謡本・上」を出してみる。最初にわたしの書き込み「1992年2月7日より」とあるから、その日から20年ほどの稽古になったのだ。
 この本の最初の「鶴亀」からが始まり、その初めの4ページにもわたって四郎先生による赤ボールペンの書き込みがある。謡本にある記号の謡い方についての最も基礎的解説である。口で説明だけでは忘れるからと、口伝えと筆伝えである。

「鶴亀」謡本への野村先生による赤字書き込み

謡本

 稽古はとにもかくにも口伝えで、師の謡を一生懸命真似するだけである。ヒマな時は半日も稽古場に居て、他の人の稽古もずっと見聞きしている。仕舞の稽古も見ていて、先生の教え方の上手いのに素人ながら感服する。全部終ると近く居酒屋に先生と数人で行くのを数年は続けていたものだ。そんなお稽古だったこともある。

 そうやってつぎつぎと「橋弁慶」「吉野天人」「土蜘蛛」「竹生島」「経正」ときて、秋11月「観生会」がきたのだ。未だろくに謡えないわたしが出演発表するはずがないと思っていたら、「経正」のシテで出演するようにと先生から指示を受けた。
 実のところなにがなんだか分からないまま、先輩方の言われるままになんとか舞台を務めた。相手ワキをやってくださったのは、同じ稽古場のベテラン女性であった。観世会のプロが大勢一緒に出演して素人をひきたてる演出の舞台に驚いた。
 そのとき、わたしは意外に舞台度胸があるのだと気が付いた。間違っても動じないのである。仕事で大勢相手に講演やら大学講義していたから当然かもしれない。

 その時の手帳を見ると先生から指示された当日の費用メモがあり、役料8万円、会費5万円、引き出物5万円、貸衣裳1.1万円、2次会1万円、録音テープ2千円とある。これから毎年の会ではこれ以上がかかった。
 でもこれは初心者だから短時間出演で安い方だろうと思うのは、中には能を丸々やって出演する素人弟子がいて、100万円以上の金額になるらしいのだ。装束もすごいが、プロがあれだけ大勢で支えてくれたら、それはかかるだろう。これもプロの生計の種だろう。野村先生は弟子たちの出演のすべてに一緒に登場だから、その体力に驚くばかりだった。
 月々のお稽古にかかる出費とともに、年に数回の先生公演チケット購入もあるから、その頃の私は何とかこの程度はできたが、20年後には無理になった。

初舞「経正」 1992年11月観生会 観世能楽堂

 わたしは何とか基礎的な謡はできる気がしてきたのは、2年たったころだったろうか。大学先輩たちの謡を趣味とする会に誘われたが、どうも私には向かないと分った。謡そのもののテクニックに凝る人がおおいのだ。
 だが、謡よりも能楽そのものに興味が湧いて来て、わたしは謡テクニックに興味を失い、はじめの頃のように予習復習をしなくなった。能見物に松濤の観世能楽堂や青山の銕仙会能楽堂、あるいは水道橋の宝生能楽堂に通い、一時は毎週のように観ていた。

 そして稽古場での野村先生の能楽に関する雑談を愉しむようになったのだ。その教え上手に喜びながら、話し上手に能楽界のいろいろなことを聞いて楽しみ、自分が習うよりも教える先生の美声を聞くことが、わたし稽古ごとになった。
 これが私が能を観るときのバックボーンとなったのである。自分が謡うためではなくて、能楽鑑賞のための稽古になった。

 教わったのは観世流現行約200曲中の62曲であった。「鶴亀」がもっとも初心の5級(観世流ランキング)であり、結局もっとも上級の重習には至らず、その一つ下の9番習いの「藤戸」がわが謡い稽古の最高級であり、その下の準9番習は「西行桜」で、この2つは観生会出演のために稽古したのであった。

「藤戸」2006年9月観生会 観世能楽堂

 先生の稽古は口移しに真似させることであり、こちらはとにかく先生についていくのが精いっぱいであった。曲の内容とか曲趣に関する教授はほとんど無かった。
 先生は話し上手の話好きであり、わたしもそれを聞くのが楽しみだったが、稽古としてのその謡の場面の謡い方を教えても、謡曲の内容について話されることはなかった。それはこちらは結構な大人だから、必要ないとされたのだろう。

 とにかく、これほどに多くの謡曲を習うばかりか、能楽を200番くらいは見てきたから、日本古典文学や和歌への基礎的素養ができていることに、今となってわかるのである。野村先生のおかげである。短歌を遊びで作るとき、古語の言い回しもそれなりにできる。
 なるほど、昔の年寄りが何やら古めかしい言い回しができるのは、こういうことがあったのか、自分がそうなって気が付く。

 能楽舞台として鑑賞に、稽古での多様なお話が鑑賞の大きな助けになったことは言うまでもない。能楽界の裏話的な話題もあったし、自分の舞台での失敗話、観世家にある能楽資料のことなど、話は尽きないのだった。芸談として公然と録音していたこともあった。
 稽古時の先生の美声のテープがたくさんあったが、ずいぶん前に廃棄した。今いくつかの野村四郎能公演録音テープがあるが、そのころ能楽堂で密かに録音したものである。もうあの美声を聞くことはできないから、貴重かもしれない。
 あの美声の裏に潜む何かが微妙に聞こえてきてそれが美しいのだが、稽古の時のそれを真似しようとしても不可能だった。

 四郎先生は東京芸大の教授に就任されてからは、他の流派とか他の分野とのコラボ舞台を企画演出出演されるようになり、これは実に興味深かった。古典中の古典と言われる能楽でこのような冒険ができるのかと思った。私がまだ能楽に興味なかった頃、先生の師である観世寿夫たちがそのような活動したらしいが、観たことがなかった。
 例えば、村尚也の作・演出、豊竹咲大夫の義太夫によって、「謡かたり隅田川」を能舞台にあげたのは画期的意欲作だった。芸大では音楽学部の他分野も美術学部も入れて、新しい「熊野」公演の企画演出出演もあった。能の新作「実朝」も観た。モンテベルディのオペラ「オルフェオ」も、演出と出演で面白かった。

 私が観た最近の四郎先生の舞台は、去年の横浜能楽堂「善知鳥」だった。その前は2017年5月5日「野村四郎傘寿特別公演」であった。観世能楽堂が渋谷の松濤から銀座に移ったので、それも見たかったのだ。でも松濤の能楽堂のほうがはるかに良かった。こんどはせせこましく地下4階に閉じ込められて、閉所恐怖症のわたしは2度と行かない。
 特別記念だから大曲を出すのかと思ったら、それは息子の野村昌司「安宅」に任せて、野村四郎は「羽衣 彩色の伝」であった。そういう取り合わせの意味するところを知らないが、隠居への道かと思ってしまった。

  その前の2017年1月に国立能楽堂で「隅田川」を観て以来だった。そのときに、さすが年には勝てないのか、あの華麗なる謡にいくぶんかの錆と淀みを聴いたのが、ながくその美声ファンのわたしには寂しいと感じた。その前の2016年11月「横浜能楽堂で観た「六浦」ではそんなことを感じないでうっとり聞いたのだったが、、。
 能謡の稽古をやめてからも、能演を観に行くことはそれなりにやっている。近所の横浜能楽堂にちょくちょく行くのだが、5年前の「六浦」からこちら、おいでがないままに会うこと出来なくなった。

 1998年のこと、そのころ私はある商業出版雑誌の編集に関わっていて、能楽関係の特集号を企画した。そして野村四郎インタビュー原稿「名人能役者に能楽を聞く」を書いた。だが、雑誌の廃刊で日の目を見なかった。この時は稽古仲間の建築家に頼んで、佐渡島に能舞台を訪ねる紀行の企画もあった。要するに遊びを仕事に仕立てるのに失敗したのだった。

 わたしは野村四郎の舞台をかなり数多く観た。そのうちのごく一部についてブログにこんな素人鑑賞記録を書いた。
・【能楽】野村四郎「善知鳥」と25年前の友枝昭世を2020/10/11
・【能楽】
銀座移転の観世能楽堂移転は超便利だが苦手2017/05/06
・【能楽】傘寿人間国宝・野村四郎が演じる「隅田川」2017/01/27
・【能楽】野村四郎「六浦」楓の精に音と姿の構図美②016/11/28
・【能楽】野村四郎兄弟3人そろって人間国宝とは2016/07/16
・【能楽】「仲光」演技は素晴らしいがストーリーが2016/02/20
・【能楽】「檜垣」に演者にも観客にも老いを重ね観る2013/12
・【能楽】「盛久」の英語字幕を見てお経の意味理解2013/11
・【能楽】野村四郎の能「鵺」を観る2009/12
・【能楽】能「摂待」と「安宅」2008/10
*【能楽+義太夫】コラボ能「謡かたり隅田川」2005/12/03

 わたしは「能役者野村四郎」サイトを作っていたが、最近は怠惰になり公演情報も途切れがちだった。勝手に作ったのではなくて、始めるときに先生の了解を得ていた。どうやらこれでもうこのサイトも消えてもよいだろう。
 能楽界での重鎮として大きな貢献されたことは素人には分からないが、個人的にわたしに唯一の趣味を育てくださったことに感謝を申し上げて、ご冥福を祈る。

 能役者野村四郎、そちらの世界でも舞い続けよ、合掌。  (2021/08/30)

参照・能役者野村四郎サイト https://nomura-shiro.blogspot.com/p/at.html
  ・趣味の能楽等鑑賞記録 https://matchmori.blogspot.com/p/noh.html

2021/02/21

1517【能:班女】コロナ世を忘れて中世の艶なる歌舞音曲古典芸能に酔いしれた


 春近い晴天にして強風の日(2021年2月20日)、横浜能楽堂にて喜多流の能「班女」を観てきた。物語としての筋は、宿場の遊女(花子 はなご)とそれに惚れた男(吉田の少将)の出会いと再開という簡単だが、謡曲の詞章がなんとも艶っぽい。

 現代からは古語になるが、室町期の人には現代語だから、まさに歌謡曲の恋歌に聞こえただろう。そう、演歌というか艶歌であったろう。
 遊女は後場の一セイ、サシで恋した客の男への想いを切々と歌う。そしてサシ、クセと世阿弥の華麗な情緒のある恋歌の名文の地謡が続くと、舞台は次第に色っぽくなる。

 その艶っぽい歌いに続くのが、一段と艶をつける序の舞である。松田弘之の笛はゆったり嫋々と響き、香川靖嗣の舞は華麗な色彩の装束と扇がたゆたう。能楽堂の中にねっとりとした艶っぽい空気がまとわって、それが次第に濃くなってくる。酔ってきた。

 でも、終わり方がちょっとあっさりしすぎている。ここまでにこれだけ情緒纏綿としたなら、再会場面での二人の男女をもっと色っぽくしてもらいたい。ここで互いに交換して持ち合っていたふたつの扇を合わせるのは、まさに濃厚接触の象徴だろう。かなり前に見たときはもっと艶っぽかったような記憶がある。

 「班女」を観るのはこれで3回目である。狂女物は中の舞が原則らしい。今日の序の舞は喜多流独特らしい。これまでは観世流だったから中の舞であったのだろう。でもここは序の舞のほうが良いだろうと思う。狂気の女と言うよりも、恋に身を任せる幸福にして不幸な女と言うほうが似合うだろう。

 今日も能の前に馬場あき子さんの講演が30分あった。歌枕シリーズなのに今回は能の場所である「野上の宿」の歌がないとて、能の見どころ解説であったが、このほうが良い。サシ・クセ・女の舞あたりが見どころ聴きどころとして、詞章の謡いとして音の数など楽譜解説もあった。

 ただし、「班女」には歌がないのではない。5首の恋歌があった。
  春日野の雪間を分けて生い出でくる草のはつかに見えし君かも
                   (壬生忠岑:古今)
  恋すてふわが名はまだき立ちにけりひとしれずこそ思いそめしか
                   (壬生忠見:拾遺)
  夏はつる扇と秋の白露といづれかさきに置かむとすらむ
                   (壬生忠岑:新古今)
  形見こそ今はあだなれこれなくは忘るるひまもあらましものを
                   (讀人不知:古今)
  夕暮れの雲のはたてに物ぞ思ふ天の空なる人を恋ふとて
                   (讀人不知:古今)

 歌枕としての野上の宿の現在について、配られた自筆テキストの中に、この遊女がいた屋敷地の跡は、「いま岩田姓の方の住居になっており云々」とある。お話でも簡単に触れられたが、なんだかここに個人姓が出るのがヘンだった。ふと気が付いたのは、馬場あき子さんの本名は岩田暁子だから、もしかしてその夫の歌人岩田正に縁があるのだろうか、それでワザと記したか。

 馬場さんの講演で初めて知ったのは、能「班女」・狂言「花子」・能「隅田川」は登場人物が共通する一連の作であるという話だった。「吉田の少将」という男と、「花子」と言う女性である。
 つまり能「班女」で結ばれた男女の、後の話として狂言「花子」の男女になるのである。ただし夫婦ではなくて不倫の間柄で、吉田の少将と遊女だった花子とが逢引きして、吉田夫婦が喧嘩する話である。ここには二人の名が登場するから後日譚だろう。

 更にその後日譚として能「隅田川」になるという。アッと思った。たしかに隅田川に登場する梅若丸は死の間際に、父は京の「吉田のなにがし」であると言うが、たったそれだけである。シテの母の名は花子であるかどうかでてこない。
 「隅田川」は班女の作者世阿弥の子である元雅の作だから、父の作の続きにすることはありうるだろうし、面白い話だが、前2作とあまりに内容が違うから、後日譚とするのは無理があるだろう。

●横浜能楽堂企画公演 馬場あき子と行く歌枕の旅 
 第5回美濃国・野上 2021年2月20日 14時開演
 講演 馬場あき子
 能「班女」 
  シテ 香川靖嗣  
  ワキ 森常好 ワキツレ館田善博 大日方寛
  間 山本泰太郎 
  大鼓 亀井広忠 小鼓 観世新九郎 笛 松田弘之
  地謡 長島茂 金子敬一郎 内田成信 大島輝久 佐々木多門
  後見 中村邦生 友枝雄人

 これで「馬場あき子と行く歌枕の旅」という横浜能楽堂の5回シリーズ能公演が終わった。コロナ禍の中で取りやめにならずによくやってくれたものだ。でも、席はひとつおきで半分だし、それでも空席が結構あって、採算とれるものではなかったろう。馬場さんは毎回登場して興味深い講演してくださった。わたしより年上だから、お元気すぎて嬉しい。
 但しわたしは馬場さんを聞きたくて行ったのではなくて、かつての謡いの師匠野村四郎先生の芸を観たかったので、ついでに他の能も観たのだったが、コロナ禍の中よかった。

2020年10月10日 外の浜 能「善知鳥」(観世流)野村四郎
2020年11月22日 園原 能「木賊」(金春流)桜間金記
2020年12月19日 逢坂 能「蝉丸」(観世流)大槻文藏 浅見真州
2021月1月23日 佐野 能「船橋」(宝生流)金井雄資
2021年2月20日 野上 能「班女」(喜多流)香川靖嗣

                    (20210221記) 


2020/12/20

1510 【能:蝉丸】能楽鑑賞でコロナ禍の世間をしばし忘却、流派で異なる?コロナ対策

 コロナ過はますます深刻だが、休演となるかと怖れていた12月19日の横浜能楽堂の企画公演は、幸いにも実行だった。大槻文蔵と浅見真洲という大ベテランによる観世流の能「蝉丸」鑑賞、鬱屈する日々の中で伝統芸能堪能でしばしコロナ世間を忘れた。


横浜能楽堂本舞台見所1階中正面5列14番より

 先月の横浜能楽堂公演「木賊」では、舞台上のコロナ対策らしく、地謡5人が顔から白布マスクふんどしを垂らして横並びの姿は、なんとも異常な舞台風景だった。それが気になるし、そのせいか謡も聞こえにくくて、能に浸れなかった。

 今回は、通常は8人の地謡が5人横並びのコロナ仕様は仕方ないとしても、顔にふんどしを垂らしていなくて安心した。だから見所から舞台を眺めている分にはコロナを忘れることができた。流派によってコロナ対策が異なるってのはヘンだ。
 だが、出演者たちの舞台から見る見所は、だれもかれもがマスク姿でコロナ風景そのものだったろう。

 見所は座席を一人おきの指定席である。入り口で検温、手指消毒、マスク着用要請され、チケットもぎりを自分でやる。チケット介して感染もあり得るのか。

 能「蝉丸」は能特有の舞うことは少なく、物語演劇的である。美しい詞章が多い。
 主役二人は姉弟であり、兄は盲目の乞食で妹は異形物狂い放浪者、その出自は皇族であるという設定が奇抜である。その故に戦前戦中は不敬にあたるとて、上演禁止であったのだから、まぐさい風が吹いていたらしい。今も吹いていそうだ。

 その設定はともかくとして、この能も本質的にはよくある仏道もののひとつであろう。二人の不幸な運命は、前世現世来世のためであり、諦念せよとの教えである。
 今がもし中世ならば、庶民であろうが皇族であろうが、コロナから逃れられない、諦めよというのであろう。

 だが、能によくあるように、最後に仏道に救済されるハッピーエンドではない。シテの蝉丸は仏道に入るのだが、最後まで救われることはない。妹の逆髪に出会った喜びもつかの間、逆髪は狂気のままに去っていく。盲目の蝉丸はあばら家にひとりただ嘆くのみ。

 謡には仏道による救済の言葉はいくつも登場するのだが、それらが姉弟を救うことないし、それらしいほのめかしもなく舞台は終了する。考えようによっては、それだからこそ近代的な解釈を可能にする能であると言えるかもしれない。

 今回の能の面白さの中心に、その場所の設定があることを、講演の馬場あき子さんが強調していた。「逢坂の関」は古来から歌われた所ある。関所と言う人々の出会い別れによる多くの情感を込められたところである。文化人類学や民俗学でいう「境界」である。異なる世界相互を行き来する場所である。

 だからこそこの能の作者は、登場する姉弟も皇族から放浪者あるいは乞食という両極端な世界を行き来した者として創作した。作者は不詳だが、世阿弥の頃はすでにあった能であるという。

 文蔵と真州という両シテ組み合わせに加えて、アイ狂言に野村万作が源博雅として登場したのも豪華配役であった。アイ語りもないこんな簡単な役に万作とはもったいない。
 だが実はこの源三位博雅は、この物語では重要な役のはずである。なぜここに彼が登場するのか、蝉丸と同のような関係なのか、それは重要なことなのだが、能の中では一向に出てこない。今昔物語にあるこの話をアイ語りさせるとよいのにと思う。

 考えてみれば、能役者たちも今は仕事がなくて大変であろう。このような演能機会はめったにないことだろう。現在は能楽が大衆化して、演能の機会が多くなっていたのに、どうなるのだろうか。コロナ騒動をもとに能や狂言の新作演目が登場するだろうか。

●2020年12月19日14:00~16:30 横浜能楽堂
企画公演「馬場あき子と行く 歌枕の旅」第3回 近江国・逢坂

講演:馬場あき子

能「蝉丸」(観世流)
 シテ(逆髪)大槻文藏  シテ(蝉丸)浅見真州
 ワキ(清貫)森 常好  
 ワキツレ(輿舁)舘田善博 ワキツレ(輿舁)梅村昌功
 アイ(博雅三位)野村万作
 笛 :松田弘之  小鼓:曽和正博  大鼓:白坂信行
 後見:赤松禎友 武富康之 大槻 裕一
 地謡:浅井文義 小早川修 浅見慈一 武田友志 武田文志

(2020/12/20)

2020/11/22

1501【コロナ下の能見物】シテ櫻間金記の「木賊」はコロナのせいか聞こえ難くて理解できなかった

 横浜能楽堂で能「木賊」(櫻間金記)を観てきた(2020/11/22午後)。コロナ過で2度目の能見物である。この前は先月の10日で、野村四郎「善知鳥」であった。
 コロナはこんなだし、自分も年とったから、能なんていつ見ること不可能になるかもしれないと思い、横浜能楽堂での企画公演「馬場あき子と行く歌枕の旅」5回分を買っておいたのだ。来年2月まで毎月の公演があるが、コロナでどうなるか。

 さて今日の能「木賊」だが、ぜんぜん面白くなかった。いや、わたしでは理解能力がなかったと言うのが正しいだろう。
 これまではこういう時の感想文は書いてここに載せなかったが、もう人生先行き少ないし、近頃はコロナのほかに書くことがないので、理解不能だった感想を書いておく。

 実は能「木賊」を以前に見た記憶はあるが、内容を忘れていた。能を観る前はたいていは予習していくのだが、今回は思い立ってなにも事前に調べないことにした。
 まあ50歳ころから150曲くらいは観ているから、何とかなるだろうし、どうせ会場では馬場あき子さんの公演で解説があるだろうから、初めて見る気持ちで行くのも悪くない。

 結論は前述のように、ほとんど理解できなかった。もちろんあらすじや見どころを、馬場さんの講演で教えてもらったから、それなりに注意した。だが、理解がむつかしかった。理解とは、ストーリーではなく、演者の言葉であり謡であり演技の理解のことである。でも、「木賊」はいわゆる老女者に次ぐ難曲とされる演目だそうだから、わたしには基本的に理解を無理なのであろう。

 それにしても、シテと地謡の声が聞こえないのには困った。シテは76歳、音声は意外に高いのだが、小さくて聞き取りにくい。
 地謡は5人で横一列並びはコロナ特別仕様であろうが、驚いたのは顔の下半分に首の下まで耳にかけた紐で布を垂らしていることだ。そのせいだろうか、地謡音声が小さいのである。理解できなかったのはこの地謡小声の故が大きい。
 この前の「善知鳥」の時はよく聞こえたのは、布がなかったせいだろうか。それとも今回から、シテも地謡もコロナ対策で声を落としているのだろうか。シテツレとワキの声はよく聞こえた。

 老人の切ない心境を狂乱的に表現するというシテの序の舞がみどころと聞いたが、どうもぴんと来なかった。もちろん、こちらの能を観る能力の問題だろうが、一般に序の舞のもつ華麗さや寂しさなど、もちろん狂乱も観ることができなかった。ひいき目に見て、老人が舞うのだから、このようにとつとつと踏むのだろうか。

 息子を失った哀しみから、再会した喜びへと移る表現も、この程度なのは老人物だからだろうか。こちたもけっこうな老人だから、老人物の能を観れば、それなりに理解できるはずと思うのは、思いあがりだろうか。これまでにも老女物をいくつか見たが、どうも面白いものではなかった。このような老爺物もあるのかと思った。

 なお、木賊という草については、植物を扱う特別な人でなければ、今では現物を知っている人はほとんどいないだろう。わたしは少年時代の思い出として、現物を知っている。家の周りの草むらに生えていて、太い菜箸のような形と大きさで、節のあるる緑の草で、群生していた。その草の表面は、サンドペーパーのようにザラザラしていた。十数年以前に鎌倉のどこかの寺の庭で見たことがあった。

 馬場あき子さんの話は、歌枕入門編のようで、それなりに面白かったが、やはり時間が足りなくて、源氏物語の歌の帚木の話が面白そうだが、お預けになった。
 歌の話もよいのだけれども、もうちょっと能の話を突っ込んでくれてもいいと思う。馬場さんはマイクロフォンとスピーカを使ったから良く聞こえた。

 能楽公演がコロナ仕様の小声の謡いではなくなってほしい。狂言からあの大声を取ったら、面白くないだろうなあ、どうしてるのだろうか、マスク付きとか、顔面透明板をつけて狂言をやっているのだろうか。(2020/11/22)


●横浜能楽堂企画公演「馬場あき子と行く 歌枕の旅」第2回 信濃国・園原
 2020年11月22日 1400-1630

講演:馬場あき子(歌人)

能「木賊」(金春流)
 シテ(老翁)櫻間金記 子方(松若)水上嘉 ツレ(里人)柴山暁
 ワキ(旅僧)宝生欣哉 ワキツレ 則久英志 ワキツレ 御厨誠吾
笛 :一噌庸二  小鼓:観世新九郎  大鼓:國川純
後見:金春安明 横山紳一 山中一馬
地謡:本田光洋 髙橋忍 金春憲和 辻井八郎 山井綱雄  


 

 

2020/10/11

1494【能楽見物】野村四郎の能「善知鳥」を、四半世紀前の友枝昭世のそれを思い出しつつ観てきた

 
 コロナはまだ許してくれないらしいけど、人間のほうの都合でリスク承知でイベントをやることになったらしい。遠くに行くのはもう面倒だけど、近くで野村四郎が舞うなら何が何でも行くぞ。

 再開の横浜能楽堂で能「善知鳥」(うとう)を観てきた。折しも台風14号がやってきて、直撃はなかったが外はザンザン降り、善知鳥のような陰気な能に似合う天候だが、能楽堂の中は快適だった。それで思い出した、昔見た善知鳥のことから書いていこう。

●友枝昭世の善知鳥

 あれはもう4半世紀も昔になるだろうか。そのころわたしは能見物に凝っていて、週に一度以上は渋谷・松濤の観世能楽堂に行ったものだ。
 それは靖国神社境内の野外能楽堂でのことだった。境内は桜が満開、夜桜の演能の会に善知鳥を演じたのは、友枝昭世だった。あの陰気な善知鳥を、桜花の下で演じるとは、、。


靖国神社野外能楽堂

 ところがその夜はしんしんと花冷えであったのだ。それを予期せずに観に行ったので、震えあがった。あわてて買い求めた熱いコーヒー缶を抱きしめながら、それでも震えあがっていた。
 この能の面白いのは後半からだが、そこに至るまでの退屈なる寒さに弱りきった。

 ようやく後半の見どころカケリに至ってから、友枝の演ずる両氏の苦しみに見入って寒さを忘れる。だがハッとしてまた震える。ふと見上げると夜桜が満開、氷の山に思える。
 また舞台に目を転じて寒さを忘れる、また震えが来る、それを繰り返していた。まるで舞台上に舞う亡者の責め苦と符合しているようだった。

 亡者となった漁師が、善知鳥の化鳥に襲われて狂気の舞を続けている外の浜は、北国の極寒の地とすれば、あるいは高山の冬の立山地獄とすれば、これがそうかもしれぬ。見物のこちらもその極寒地獄の気分であった。いつでも逃げ出す自由はあるのに観続けた。
 友枝昭世のキレのよい責め苦の舞は、咲き誇る花の極寒地獄の夜に凄絶に広がり、やがて橋掛かりの闇に溶けていった。

 これまで善知鳥を3回見ているが、その友枝の善知鳥の極寒記憶が強烈で、他の記憶がない。今日の善知鳥は台風のさなか、花冷え能のように見所に嵐が吹きこむはずもないだろう。だが、心としては風雨の責め苦のなかの善知鳥を期待していたかもしれない。
 今日のシテはは、20年も稽古してもらっていた名芸能者の野村四郎師である。

●野村四郎の善知鳥

 ここから今回の能の話。横浜能楽堂の入り口でチケットもぎりをセルフサービス、手指を消毒、検温してもらい(34.6度とは低温だ)、見所に入れば椅子は一人おきに座るという、コロナ対策万全、もちろんマスク無しでは入れてくれない。ほぼ満員のようだ。


横浜能楽堂

 歌人・馬場あき子の善知鳥にまつわる歌枕の話から始まる。いつものように、自筆プリント配ってくれる。歌人だからとて達筆ではない。
 ここで彼女の話を聞くのは何回目だろうか、元気で素敵な老女だ。その話は興味深いのだが、もう少し時間をあげて話を奔放に広げてほしい。

馬場あき子講演テキストの一部(20201010横浜能楽堂)

 能・善知鳥が始まる。ずいぶん久しぶりのような気がした。後で日記を調べると能見物は2018年11月以来だった。その間に劇場に行かないことはないのだが、オペラ、歌舞伎、文楽、演劇、映画などあれこれ浮気している。

 コロナ対策だろうが、地謡が5人で横一列に並ぶ変則である。地頭は浅井文義、この人の謡は昔はヘンに震えていたものだが、今回はそうでもなかったのは、年取ったせいか。野村昌司も中年になったが、人相が悪くなったみたい、四郎似ではないなあ。

 笛は一噌隆之が体調悪くて代演は一噌幸弘、このひとは上手いのに能で聞く機会がめったになかったので代演を歓迎。あちこちで能楽の外で活躍するので、能の世界から疎んじられるのだろうか、惜しい。
 ワキは工藤和哉、久しぶりにみるとずいぶん年取った。身体が微妙になよなよする癖はいまだにある。

 後見についたのが寺井栄、この人も久しぶりに見て、はて誰だっけとプログラムを見て、昔よく見た記憶にある顔からずいぶん老けているのに驚く。もう20年も前だったか、この人がシテの「紅葉狩」を見た記憶がある。

 シテ野村四郎のほかで記憶にある人は、大鼓の国川純だけで、わたしが見ていた能界の人々は次世代に移っている。
 わたしが能楽をだ観だしたのは、野村四郎氏師に謡の稽古をしてもらうようになった1991年からだから、自分も能楽師も年取るのは当然だが、舞台芸能者はわたしとは違う人種と思っているから、その老人ぶり容貌に驚く。

 シテの老爺が登場してきたが、野村四郎も声が老いた。謡を教わっていた頃のほれぼれする美声は求めるべくもない。
 では芸はどうなのか、これは素人にはよくわからない。それを評する能力はないが、あの夜桜の下で震えながら見た友枝昭世のキレ良い動きを思い出しつつ見るのだが、。

 ところが、後場の常座で絶句、後見が背後に近づきプロンプター、そんなこと野村四郎で初めて観た。こちらがうろたえ、またあるかもと気が落ち着かないが、幸いにそれだけだった。昔、何度も絶句の超高齢プロの能に困惑したことがあった。

 善知鳥の漁師は、能でよくある最後に仏に救われるのではなくて、救いを求めつつも苦悩のままに消えてゆく。
 終って外に出ると、シテの責め苦の続きのように、一段と激しい雨が降っていた。

(20201011記)  

2020/04/15

1454【コロナ巣ごもりオペラ】魔笛・トゥーランドット・エウゲニオネーギン・義経千本桜を書斎で無料で観るってコロナも悪くないや

【コロナ巣ごもりオペラ】
 久しぶりに新国立劇場にでオペラ見物、いや、さすがにこのご時世、行ってきたのではなくて、ネット上でのことである。
 コロナで休演中のサービスとて「巣ごもり劇場」と題して、上演オペラ3作の動画を週替わりでユーチューブで無料公開中、これは、まあ、コロナのおかげである。

 今週はモーツアルトの「魔笛」、午後の3時間を、うちの書斎でまったりじっくりオペラ見物って、あの華麗な劇場空間でないのはつまらないが、くしゃみしようとせんべいかじろうと、中座しようが勝手なのがよろしい。

 オペラを批評するほどは見ていないが、最近では2018年と2017年の神奈川県民ホールプロヂュースの魔笛を見た。今回見た新国立劇場の魔笛は、2018年10月3日公演である。
 指揮:ローラント・ベーア、演出:ウィリアム・ケントリッジ、出演:サヴァ・ヴェミッチ、スティーヴ・ダヴィスリム、安井陽子、林 正子、アンドレ・シュエン、九嶋香奈枝、升島唯博ほか

●新国立劇場「巣ごもりシアター
  https://www.nntt.jac.go.jp/release/detail/23_017336.html
●上演作品のさわり部分
・魔笛 https://youtu.be/gbgFQKWngs0 
   4月10日(金)15:00~17日(金)14:00 
・トゥーランドット https://youtu.be/Qq-yp2YzKmE
   4月17日(金)15:00~4月24日(金)14:00
・エウゲニ・オネーギン https://youtu.be/HGkzeLPN6-w 
   4月24日(金)15:00~5月1日(金)14:00

 好き嫌いを言うと、あまり好きになれなかった。プロジェクションマッピングは近頃当たり前になってるのだろうが、その映像がなんだかわけがわからない。抽象なら最後まで抽象で押し通してほしいのだが、部分的に魔笛らしいところがあるだけに、戸惑う。
 まあ、もともと支離滅裂な話だから、舞台も訳わからなくてもよいのだがねえ、、。
 配役については、シリアスなパミーノ、コミカルなパパゲーノ、これじゃあ顔つきも体躯も逆だよ、この二人を入れ替えるほうがよかっただろう。

 次はエウゲニ・オネーギン、その次はトゥーランドットで楽しみである。
 もっとも、ネットにはオペラ公演動画はたくさんある。特に外国の劇場での公演が多く、ネット巣ごもりオペラには困らないが、劇場空間だけはわが空中陋屋書斎では、何ともしようがない。

 この前に新国立劇場に行ったのは、1997年11月「ローエングリン」、今、調べてみると、それは開場記念公演だった。
 指揮:若杉弘、演出・装置・照明:ヴォルフガング・ワーグナー、ローエングリン:福井敬、エルザ:小濱妙美、テルラムント:大島幾雄、オルトルート:小山由美などの顔ぶれだった。このなかでオルトルートの小山由美が印象に残った。

 たまにはオペラに行くことにしているが、新国立劇場は遠いから行かない。近くの神奈川県民ホールや横須賀芸術劇でのオペラには行くのだが、貧乏だからたいていは天井桟敷である。それでも劇場空間で観るのは格別のものがある。
 外国では1994年にウィーンに行ったときに、フォルクスオパーで「ドンジョバンニ」を見た。この時は街を歩いていてたまたま運よくチケットを見つけたのだが、座席位置は中央の前近くの一等席で、料金4000円ほど、日本だと数万円かな、高いよなあ。
1994年11月25日ウィーンのフォルクスオパー
 わたしは日本古典オペラの能楽を好きなのだが、オペラと比べるとネットでこれは非常に少ない。細切れの部分紹介はたくさんあるのだが、全曲はめったにない。
それは多分、オペラと違って日本でしか公演がないからだろうが、それにしてももっと多くの全曲公演動画がユーチューブに出てきてほしいものだ。

 そういえば国立能楽堂も巣ごもり能楽やってるかと調べたら、同じ国立で日本芸術文化振興会の運営なのに、やってないのはどうしてかしら、国立文楽劇場も国立劇場おきなわも国立演芸場も巣ごもりやっていない。やってくださいよ。
 ところが国立劇場は、「義経千本桜」を無料公開している。   https://www.ntj.jac.go.jp/topics/kokuritsu/2020/4190.html
 
 コロナ巣ごもりを機会に、各種の劇場公演動画がネットに多く登場するようになるだろうか。ネットと劇場とは相性はどうなんだろうか。
 と、ここまで書いたところで、神奈川芸術劇場6月公演キャンセル通知が来た。チケットを送り返せ、チケット代と郵送料を指定する金融機関に振り込むという、ヤレヤレ。

参照「趣味の能楽鑑賞(まちもり散人)」
https://sites.google.com/site/machimorig0/#nogaku

2019/12/23

1432【現代演劇鑑賞】秋元松代作「常陸坊海尊」の演劇公演を観たが脳内で夢幻能に再構成してやっと理解できた


●演劇「常陸坊海尊」の時代と風土


 神奈川芸術劇場(KAAT)にて、現代演劇「常陸坊海尊」を観た(2019年12月6日)。秋元松代作、長塚圭史演出、白石加代子主演。
 能楽をちょくちょく観るほかは、舞台劇を観るのはオペラと歌舞伎がごくたまにあるくらいで、とくに現代劇というか新劇の舞台を見ることはめったにない。
 はて、この前に見たのはいつどこでだったか。新宿紀伊国屋ホールで「父と暮らせば」(井上ひさし作)という分りやすい演劇を観たのはもう10年も前だったろうか。
 大昔に渋谷のパルコ劇場で「砂の女」(安倍公房作)を観て、なんだかわからないが面白かった記憶がある。

 「常陸坊海尊」の舞台の時代設定は、第1と第2幕が1944年~5年、つまり戦争が過酷になり終った時であり、第3幕が1961年、つまり戦後復興から高度成長へと踏み出した時である。1945年前後は戦争疎開の小学生の少年の眼から、1961年はその16年後のその少年たち眼から見る地域社会である。
 秋元松代がこれを書き下ろしたのは1964年だそうであるから、その時代の空気の中で構想したことになる。

 この演劇を観るわたしは、1945年は8歳で山陽の小さな盆地の小学生、1961年は大学を卒業して社会に出た年だから、1911年生れの秋元はわたしの父母の世代だが、舞台登場の少年たちとわたしはほぼ同じ世代として、それなりに時代の空気を分る。
 だが舞台の空気は、東北の小さな町であるから、言葉も風土も私の育った山陽のそれとは大きく違うのが、理解を難しくする。しかし、地の風土よりも社会の動きから見るとよく分るのである。

 演劇の舞台の東北の風土をほとんど知らない、演劇の底流を流れる常陸坊海尊伝説も知らない、演劇を通して語る津軽弁の科白を聞き取りにくい、なによりもこのような純粋な演劇を観ることはめったにない。
 それなのに観たのは、いつだったか昔にこの演劇の評判を高く聴いていた記憶、そして趣味の能楽鑑賞の延長上で観ようと思ったからである。
 実は見てもその場ではよく理解できなかったのだが、あとでじわじわと分ってきたので、ここに自己流演劇評を書いておく。

●第1幕、第2幕1944~45年

 第1幕と第2幕の舞台は、東北津軽の田舎町の温泉旅館とその山奥の家、登場人物は東京から戦争による学童疎開の少年たちと引率の教師、地元側はイタコのオババとその孫娘の雪乃、住民たちである。
 疎開児童たちは戦災で東京の家族も家も失って、終戦になっても戻るところがない。その現実を受け入れできない少年は、疎開先の旅館から山奥のオババと雪乃の家に逃げ出す。

 オババの家には常陸坊海尊のミイラがあり、オババはその海尊の妻であり、夫をミイラにしたのだと言う。ミイラを見せてイタコ口寄せ、そして時には身を売って、孫娘と生きて来たらしい。その孫の親のことは何も語らない。
 オババは母を恋しがる少年に、イタコの口寄せで少年の母親を呼び出してみせる。少年は美少女の雪乃に惹かれている。
 時にはどこからか時と空間を越えて海尊が舞台に登場して、琵琶に載せてその裏切り物語を詠い、ストーリーの背景に裏切りと悔悟の海尊伝説があることに気がつくのだ。

 疎開して戦災の逃れた少年たちには、戦争に勝つと教えられた大人には裏切られ、まさに時代に裏切られたのである。そのいっぽう、少年たちは死んだ親や家族を裏切って生き残り、逃げたとする悔悟があり、世の中に超然とする土俗きわまるオババの世界に逃避する。
 これらの裏切りと裏切られは、まさに土俗的海尊伝説の世界の現代表現になるのである。海尊は義経を頂いて鎌倉や京都の中心世界から裏切られて逃走、身を寄せた平泉の藤原氏にも裏切られて襲われ、それを更に主の義経を裏切って逃亡する。
 京や鎌倉と平泉、東京と津軽の田舎町、田舎町とその山奥の家、これらのいくつもの同心円的な中心と周縁の裏切りや逃避が、舞台でも重なっていく。

 実はわたしは中国山地の盆地の神社に生まれ育ち、この演劇舞台と同じ1945年にはその神社には疎開学級の児童が暮していた。その兵庫県芦屋市の国民學校6年生20名は、わたしよりも4歳ほど年上のほぼ同世代である。
 その児童たちも疎開中に芦屋の街が空襲に遭って、親を失った子たちもいたのだから、舞台の温泉旅館に疎開していた学童たちと思いは同じだっただろうか。
 そんな少女の心を、その頃の幼いわたしは知る由もなかったが、暗い神社の森の中から明るい都会に逃げ出したかったことだろう。今のわたしには、少年がいくつか年上の美少女雪乃に焦がれ逃避したかった気持ちもわかる。

 戦争が終わると、疎開児童引率の教師は東京に逃げ出して消息不明、戻ることころのない少年たちは、地元のあちこちの家にもらわれるのだが、この劇の主人公の啓太少年は、オババ、雪之と共にどこかに逃走雲隠れする。
 それは少年の仲間への裏切りであり、裏切られた社会からの逃避であり、一方、戦争に右往左往する中心から超然としていた周縁のオババの土俗世界があり、オババによる海尊の血の系譜継続の陰謀と表裏をなしていた。

●第3幕1961年

 第1幕から16年後、舞台の場所は移って津軽のどこかの海に近い街の岬にある神社の境内。
 舞台には鳥居、拝殿、本殿が建つのだが、そのシルエットは立派な神社建築を見せているのに、わざとペラペラの書割りであることを誇示しているのが、カリカチュア的である。
 温泉町を逃げ出したオババ、雪乃、啓太3人のその後がこの神社にある。
第3幕の神社の舞台装置は書割の
骨組みさえ見えているペレペラ感


 公演を思い返すと舞台装置に限らず、この幕はすべてがカリカチュア的であった。登場人物の有様はいずれもファナティック、エキセントリックなのである。
 第1幕と第2幕では土俗な世界であっても、それなりにリアルな風景であり人物像であったのと比べて、あまりに対照的である。

 疎開児童だった啓太は、神社境内の掃除をするような下働きになっている。オババの孫娘の雪乃は、美少女から成長して妖艶な巫女となり、神社を事実上支配しているようである。
 オババは今はミイラとなり、第1幕の山中のあばら家にあった海尊のミイラはここの移り、それら2体の神社秘宝であるらしい。その秘宝の公開でもって神社は町の観光名所になっており、東京から観光団体がやって来る。
 東京に戻った疎開児童の豊が、啓太を探して来訪して二人は再会、その会話で今の状況が露わになってくる。

 雪乃は啓太の子を産んで、海尊の血をつなげたいとしたオババの陰謀の通りになっている。だが啓太と雪乃は夫婦ではなく、その関係は女王と奴隷の間柄の様だ。腑抜けになって雪乃にまとわりつく啓太は、今も逃避を続けている。
 雪乃はオババの構想を見事に現実化して、あの山中からこの由緒ある神社に海尊のミイラを移動して安置し、それにオババのミイラも並べて、自信満々の若オババの様である。どうやら奔放な性的行いもうかがえるのは、オババと同様である。

 オババの頃のあの土俗きわまる山奥から、ここ観光名所として大きな神社に移り変り、社殿は立派らしいが妙に軽やかに存在している。
 1960年安保闘争から1964年東京オリンピックへと喧騒な中央の空気の一部が、津軽の最果ての地にも片鱗を見せて、団体観光客が一様な姿でお仕着せツアーにやって来る。
 日本のマスツーリズムは1960年代に始まり、70年代からはノーキョーと言われる海外旅行ブームになるのだが、まさにこの舞台に登場するのはそのような始まりのころの旅行客である。土俗世界も変容する。

 だが、登場人物たちの奇矯さはどうだ。妖艶にして驕慢なる支配者然とふるまう雪乃、その雪乃に下男扱いされて悄然と従うばかりの啓太、宮司補の海を渡って大陸への逃避行の奇矯さ、東京から再訪した豊もまた雪乃に翻弄され、団体観光客の一様なる腑抜けさ、どれもこれもエキセントリックであり、カリカチュアでさえある。

 この演出はいったい何なのか。
 しかも最後の最後に、啓太は突然現れた常陸坊海尊に、おまえも今や第4の常陸坊海尊になったのだと告げられて、その魂を救われてエンディングとなる。これはなんだ。

●この演劇は夢幻能だ

 わたしはここで突然に気がついたのは、この演出はどうやら能に寄っているらしい、ということだ。この最後の突然の主人公の魂の救いは、能の得意とする納め方である。
 死んでも悩み苦しむ主人公を、ワキの僧が祈って成仏させて終る能が、有名な能で例えば「砧」「清経」「藤戸」等いくつかあり、エンディングパターンのひとつである。
 信仰心の無いわたしには、いかにも不自然な終わり方といつも思うのだが、この啓太への救いはまさにそれである。
 
 だが、啓太にとってそれがなぜ救いであるのか。家族が全員戦災死したのに、自分は生き残ったという罪に意識にさいなまれる状況からの救いは、その記憶から逃げるのではなくて、それを積極的に語って後世に伝えることである。それが裏切り者の常陸坊海尊が時を越えて語ってきた生き方である。
 秋元は知らないが、2011年3月11日の大津波による生き死にの別れにおいて起きたことと同様だろう。生き残った者は語ることでしか自分を癒すことはできないのだ。

 そう気がつくと、この演劇「常陸坊海尊」は、じつは能の「夢幻能」の構成を採っていると思えてきた。前場は第1幕と第2幕、後場は第3幕である。
 全体を通して登場するのは常陸坊海尊であり、能に登場する一所不住の僧どころか、時代さえも漂流する一時不住の僧だから、海尊がワキである。
 啓太はワキツレにしよう。前シテはオババ、後シテは雪乃である。

 だが夢幻能とするならば、前場は現在であり、後場は過去であるのが原則であるが、この演劇では前後が時間経過の順序になっているから、これは「現在能」の構成である。
 だが、考えてみると、後場を未来とする夢幻能もあって良いだろうと、新案を思いついたのだ。能にその実例はないが、あってもよいだろう。
 後場を、未来の夢の世界とすれば、そのエキセントリシティとカリカチュアを納得できる。なにしろ夢なのだから。
 では誰の夢なのかといえば、能の基本ではワキの見る夢であるが、ここではむしろオババの見る夢をワキが見させられたとしよう。

 この演劇を能の影響下にあるとみるのは、あながち的外れではないようにも思う。それは第3幕に能そのものがナマで登場するからである。宮司補が突然に謡い舞うのは、義経物の能「屋島」の一部である。
 秋元は能を意識してこれを書いたことは間違いないが、常陸坊海尊はそこには出てこない。

 人物のエキセントリシティを能で解釈すれば、多くの枝葉を切り捨てて抽象化の結果表現であるともいえる。
 またカリカチュアライズは、秋元松代はオリンピックのカラ騒ぎの中でこれを書き、高度成長初期の高揚のむなしさを撃ったのであろう。
 だが前半には、戦争のむなしさを撃つ何かが見えなかったのは何故だろうか。戦意高揚教育をしながら敗戦と共に逃げ出した教師だけに、それを負わせるはちょっと軽いと思う。


 ところで、能楽に常陸坊海尊が登場するかと調べてみたのだが、「義経物」と言われる能は33演目もあるとされ、わたしが見たことがあるのはその内の7演目である。
 それらの内で義経と共に登場する家来は、武蔵坊弁慶の場合がだんぜん多いが、ほかに家来を大勢(11人)連れて登場する演目は「安宅」と「接待」である。
 そこにはとうぜんに常陸坊海尊もいるはずと能謡本を読んだら、「安宅」にだけ「常陸坊」とのみ記してある。その他大勢のひとりの扱いである。
秋元松代「かさぶた式部考 常陸坊海尊」
河出書房新者1982年

 わけのわからない演劇を、こうやって自分流にようやく読み解いたら、観劇から18日も経っているのであった。能よりも見方が難しい。
 この間に秋元松代著「かさぶた式部考 常陸坊海尊」(1982年河出書房新社刊)を数回読み返しもした。舞台を聞いてもよく分らない津軽弁を本で解読した。
 考えようによっては、観劇料金5500円をしっかり取り戻したかもしれない。(2019/12/23)