2023/07/31

1698【コロナと戦争と酷暑と】歳たけてまた越ゆるかと思ひつつ命からがら戦世の夏

●七月尽

 うかうかと過ごしているうちに、7月が終わろうとしている。今月のこのブログ「伊達の眼鏡」に新規掲載記事は2件だけである。
 さすがに歳闌けると億劫になるものだと、わが身の順調なる老いぶりに感心してばかりもいられないので、7月末日にすべり込みで今月2件目記事を書いて、老いに抵抗する。

 さて盛夏そのものの日々だが、春にはこんな歌を書いていた。

 ねがはくは花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃
西行法師(山家集)

 願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のコロナ
街杜散人(伊達の眼鏡)

 毎春になると西行法師の歌をもじって、今年の春こそと思っている。それなのに、今やコロナ禍が明けたらしいのに、いまだに永らえているのは、どうしたことかと、うろたえるばかりの盛夏である。
 では、夏はどう詠もうかと考え、またもや西行さんにお願いすることにした。

年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山
西行法師 (新古今和歌集)

歳たけてまた越ゆるかと思ひつつ命からがら戦世の夏
街杜散人 (伊達の眼鏡)

 花の歌のようにうまくはないが、まあまあ本歌取りとしよう。

●老いという災禍

 コロナ世のさなかに願いが叶わなかったばかりか、いっこうに終りそうもない戦世(いくさよ)の最中(さなか)に永らえる身を嘆くばかりである。何しろ西行さんがこの歌を詠んだのは69歳のとき、今のわたしはそれより二回り以上も永らえていると知って、当惑するのである。

 老いは容赦なく身に迫る。わが身だけでなく連れ合いにも及ぶから、老老相和してばかりいられず老老相頼るようになり、更に老老介護に至る道程に入る。
 わたしは今、その老老介護という荒海か深山かわからぬ入り口あたりで戸惑っているが、幸いにして信頼のおける案内役というかリーダー格の息子がいる。世代交代するときの長い長い儀式に入ろうとしているのだと思う。

 世は暑い暑い最中である。今年はエルニーニョの影響とかで毎日が最高気温とかなんとからしい。地球温暖化による災害多発は、どうやら本当らしいと身体で感じることができる。
 この人間ひとりひとりその肉体で感じる異変が、環境問題への日常的取り組みにつながるのだろう。そう考えると、このあたりでドカンとコロナのような地球規模で同時に起こる気象災害があれば、それが塞翁が馬になるかもしれない。もっとも、自分がそれに出くわすのは嫌だだから、そのまえにおさらばしたいものだ。間に合うか。

 わたしは地上20m高さの空中陋屋住まいで、風がよく吹くので自室を冷房にすることはあまりないままに過ごす。老化進行とともに気温感度も老化進行しているようだから、自室にいて自覚せぬままに熱中症という季節流行病でポックリ逝けば、それはそれで花の下に春死ぬと同じようなものだ。

 生まれたのは15年戦争の最中、物心つけば敗戦の最中、少年時代は世界大戦で地球規模の混乱の世だった。
 さてそれが死ぬときはどのような世になっているのだろうか、平和の裡に死にたいものっだと思っていたら、なんとまあ今やコロナパンデミックとプーチン戦争そして温暖化という3大災禍で気球規模の混乱の世なのである。これにトランプという災禍が加われば、この世も末である。

●コロナという災禍

 つくづく嫌になるこの世の巡り合わせである。取り戻しようがない混乱人生である。そこでせめて好奇心を満足させてから死のうと、コロナと戦争が終わったのちにやってくるであろう変わり果てたこの世を見てから死ぬことにした。

 コロナと戦争がこの世にどのような変化をもたらし、どんな世界が来るのか、単に新しものへの興味だけではなくて、恐怖世界が来るかもしれない怖いもの見たさもある。現に地球上のあちこちで起きている強権政治とか超ポピュリズム政治とかの国が増えてくると、どうなるのかと思う。ただし、自分はもうすぐ死ぬから関係ないと、単なる好奇心のみであることも確かである。

 コロナが遂に消えたのかと思えば、そうでもないらしい。コロナ感染グラフも新聞にあるるので見れば、かつての全数把握と違うから参考値とあるが、感染者数はうなぎ上りの傾向と分る。そういえば昨日は土用の日だったからではあるまい。それにしてもウナギは高い。 

 去年夏の第8波のトップの半数近くに上昇中、しかも波の形が似てきた。だらだらと上昇中ではないのだ。これは大波というべきではないのかしら?
 これでも政府からコロナだからああせいこうせいと去年みたいに言われないのはどういうわけだろうか。

 実は、わたしの幼馴染の同年女性は、つい先日コロナにとうとう感染したというのだ。しかもその住むところは山間部の人口1万人ほどの小さな盆地である。
 それなら横浜都心に住むわたしは彼女の100倍くらいは感染確率が高い筈だが、今のところ感染していない。今できることはせいぜいマスクを忘れないようにするしかない。最近油断してすっぴん外出が多い。なんだかよく分からないけどね。

 近所の横浜観光名所の中華街や港あたりは、わんさと人間が集まってきている。夏花火イベントの日はもの凄い人出だったらしい。本当にコロナはどこかにいってしまったのか?、コロナは今頃大喜びで感染してまわっているに違いない。
 夏が終わる頃は、上のグラフの右の方はググーンと上昇しているんだろう。冗談じゃなくて年末には第九番の波の上にいることになるのかもしれない。怖くも楽しみなことである。

●戦争という災禍

 楽しみはコロナだけではない。ウクライナでのプーチン戦争の行方はもっと気になる。
 プーチンの当初侵略区域からウクライナ側の奪還への動きを見ると、去年の3月の最大侵略からは、ウクライナが今年4月末にはかなり奪還したようにみえる。
 だが6月末も7月末も地理的範囲に大差はない。ウクライナ軍が苦戦しているのだろう。

 地理的な戦況よりも気になるのは、地球規模の戦争陣営が次第に見えてくることだ。つまり、西軍にはUSA、UKなど西欧諸国のNATOの国々+日本で、東軍にはロシア、チャイナ、ベラルシ等の国々という基本構成である。これで関ケ原合戦が始まる頃、わたしはもうこの世から退散していることだろう。そうありたいものだ。

 ウクライナ危機で世界が最も憂慮しているのは、食糧問題である。地球の穀倉地帯が戦場になり、その収穫物が戦略物資になって世界をおののかせている。黒海封鎖したロシアは、ウクライナの穀物輸出船舶航行を妨害しているとんこと、戦争で腹ペコ体験者には、何ともやりきれない思いである。

 戦争期間が長くなり、拡大の敬拝が濃厚になると、そのうちに国々での食料歌稿込みが始まるだろう。そうすると、自給率が4割を切る日本、つまり食料の6割を外国からの輸入に頼る日本は餓死するしかないのか。またもや腹ペコ日本の到来である。

 そんな時に政府の考えることは、ウクライナへの武器援助であるらしい。とにかく早く戦争に勝つためには、憲法無視らしい。なんだか欲しがりません勝つまではって、聞いたことがある標語が待っているような気がする。
 そんなころになる前に私は死んでいるだろう。そうありたいものだ。

 ウクライナで戦争、中央アジアやアフリカ中部で不安定政権、東南アジアでも不安定政権、東アジアで強権チャイナと北コリア、USAでのトランプの出現による国民の大分断状況などなど、好奇心の及ぶにはあまりに多すぎる地球の騒乱に、頭がとても追いつかない。こうもあちこちで騒乱ある地球に居ると、ボケている暇がない。

 さてそろそろ台風シーズンである、今年はどうなのだろうか、暑い暑いと言っているから、大型台風がいくつもやってくるのだろうなあ。大水害が起きるだろうなあ、加えて大地震が起きるかもしれない。

 こうも外憂内観もあまりに数が多すぎると、あきらめの境地である。ちょっと安心なのはわたしには絶好の避難先があることだ。避難先をあの世にすればよいのだ。もうこれ以上逃げようがない究極の安全なところ、避難するのが楽しみでもある。
 だからこう詠うのだと、話は初めに戻る。

歳たけてまた越ゆるかと思ひつつ命からがら戦世の夏

(20230731記)

参照:コロナ大戦おろおろ日録


2023/07/28

1697【醜い風景コレクション】日本の郊外風景を形成する自動車屋「枯葉作戦」という景観感覚


 この暑いのに、わたしの住まいの近所の立派に繁っていた街路樹が20本も100mの区間にわたって切り倒されて、暑いこと暑いこと。
 横浜市の道路管理者が、今年の冬は寒そうだからと、沿道や近所の歩行者に陽射しを十分になるようにと、親切心から切り倒したに違いない。そう思わないと市民としては救われない。まだ冬が来ない夏の今から陽射しを浴びて通り、熱中症になろうとしている。

 ところが企業としてもそのような考えを実行しているという新聞記事やネット書き込みを見て、暑苦しいことである。
 ビッグモーターなる中古車販売やら修理やら検査やらしている全国的展開の企業が、長期にわたって大規模な保険金詐取をしていることがバレて大騒ぎ、そのビッグモーターは、店舗前の街路植栽を積極的に枯らせることも全国的に展開したらしいというのである。

 店に日照りをよくしたいのだろうか。郊外の大きな通りに面して自動車をずらーっと並べている殺風景極まる景観を自慢したいのか。


 実はビッグモーターときたら、その殺風景さを目立たせるために、店の前の道路の植栽を、薬剤を使って枯れさせ、道路管理者に切り倒させているらしいのである。
 何しろビッグモーターの店の前だけ、道路植栽が枯れている風景が、全国各地のその店舗前に起きている現象だそうだ。薬剤を撒いていることを店員が証言しているのだから、確信犯としての「枯葉作戦」(ベトナム戦争でUSA軍による大量薬剤散布ジャングル植生枯死作戦)である。社長の言ではそれは「環境整備」なのだそうだ。確かに販売促進環境の整備ではあるが、公のものを無断で滅失させる罪の意識がない。

Googleストリートに撮影されてしまった枯葉作戦

 風景も醜いが、心も酷いもんだ。
 「ビッグモーター 街路樹」で画像をネットで検索すると、あるはあるは日本全国のビッグモ-ター店舗前だけ植樹が枯れた風景が無限のごとく登場する。
 でも思うに、ビッグモーターばかりか、その他の郊外沿道店舗はどこもかしこも枯葉作戦をやっているに違いない。そうでなければ日本の郊外沿道風景が、どこもかしこもあんなにも醜いわけがない。

 わたしの仕事は都市計画家であったから、全国各地に行きあちこちを見てまわることが多かったが、郊外道路沿いの風景のあまりの醜さに気が付いたのは、1995年に静岡県の掛川市でのことだった。
 掛川の中心部は城下町として、そのころからなかなかに良い景観づくりを目指して整備していた先進地である。それを見たあとで郊外の国道1号の沿道風景を見て愕然とした。立ち並ぶ店舗のあまりの乱雑さに驚いたのだ。

 それからは地方都市に行くごとに,郊外の主要道路沿いを探訪して、醜い風景のレクションをやっていた。とくに掛川のような歴史的な都市の都心部と郊外部の風景の大きな落差を探したものであった。その思いつく地方都市を挙げると、掛川、松江、倉敷、熊本、七尾、松本、新発田、半田などなど。

 とくに自動車関係の店舗と郊外型ショッピングセンターが、百鬼夜行のデザイン店舗を競い、樹木のない広大な野外駐車場の車の洪水、その周りに色とりどりにはためくバナーの類、全くどこに美的感覚があるのだろうと呆れるしかない。

 20年も前に集めたそれらを見ていて、どれにも自動車関係らしい巨大看板が派手な色で立っている。その醜さを和らげてくれるのが、街路植栽であるから道路関係者の道路植栽への力を入れることを望んでいたのだ。
 ところがなんとまあ、沿道店舗群はそれを積極的に枯れさせて、わざわざ醜い風景を露出させようとしていたのであったか。自動車産業は世も末である。

 以下に昔に(といってもこの30年ほど)撮影した日本醜い風景コレクションの一部を載せておく。とくとご覧あれ、なにが起きているか、誰がやっているか、。



この八ヶ岳が見える醜い風景について、もしも広告がなかったらどう見えるか
景観戯造遊びをしてみたのでこちらクリックをどうぞ

松江

松本

熊本






 もう長らく地方都市の郊外に足を延ばしていないから、今では美しい風景に代わっているに違いない、ビッグモーターは例外と思おう。(20230727記)

参照景観戯造