2012/05/24

624横浜港景観事件(5)ラブホは愛の空間、結婚式場は愛に満ちあふれた幸福の時間

これから人口は全体に減るし、生まれてくる子もすくなくなるし、結婚産業市場は狭まるばかりだろう。
 結婚式場事業者は、結婚式だけじゃなくて婚約式とか再婚式とか金婚式、そうだ離婚式もあるな、まあ、いろいろ頭をひねるだろう。
 死ぬほうはもう増える一方だから、葬儀場兼用にして結婚式と葬式が隣り合わせにやる時代が来るかもしれない。なに、人生一続きだから、それでよいのである。

 そんな世になるまえに、市場を寡占した事業者が勝ちである。そこで施設は巨大にして、目を見張るようなもので勝負に出たのが、多分、この結婚式場であろう。目を見張るといっても、しげしげと建築的な目で眺めないほうがよいと思う。
 市場の先行きは見えているから、遅くとも30年先には消える施設として、土地建物は30年の定期借地方式によるらしい。
 事業者はちゃんと先を見ている。結婚のほうも30年も続かない時代が来ると。
 それにしても、その激戦地区を勝ち抜くための建築デザインが、どうしてキリスト教会風でギリシャローマ神殿風の欧風建築なのだろうか。

 もっとも、この事業者のプレスリリースには「邸宅型結婚式場」と書いてある。
 邸宅とは英語で言えばmancionなのだが、「マンション型」と書けないのは、日本のマンションは誤訳されてウサギ小屋のことであるからだ。
 アメリカ合州国大統領のいるホワイトハウスが本来のマンションなのだから、多分、この事業者もそれを思い描いているかもしれない。
 そう思えばそう見えなくもないが、でもやっぱり、ギリシャかローマかの神殿に南欧風キリスト教会建築がくっついたようにしか見えない(すくなくとも最初の透視図はこう見えるのだが、、)。

 こういうあれこれ取り混ぜた建築は、珍しいことではない。江戸時代の遊郭建築がそうだったし、明治開国期に日本の大工がつくった擬洋風建築もそうである。
 そこでラブホが登場してくるのである。この類のキッチュデザインで、しかも愛と言うか幸せの空間作りの先駆者は、ラブホテルあるいはファッションホテルあるいはレジャーホテル、あるいは「逆さくらげ」「連れ込み旅館」ってこりゃ古いか、まあそういうものである。
 この話は井上章一「愛の空間」とか、それを下敷きにした金益見「ラブホテル進化論」とかにあれこれ書いているし、わたしは実態はよく知らないからこれ以上は書かない。

 五十嵐太郎の「結婚式教会の誕生」にも、結婚式場とラブホ建築の似通っていることを指摘している。
 まあ、ラブホテルが「愛の空間」(井上章一)ならば、「愛に満ちあふれた幸福の時間」(アニヴェルセルconceptより)だから、似ているのはあたりまえ。
 横浜ご近所探検隊が探索した横浜都心関外にあるラブホテルの写真を掲げておく。このまえにあげた結婚式場建築と同じボキャブラリーが登場し、なんだかよく似ているような気もする。とくとご覧あれ。
  なお、これらが風営法にいう店舗型性風俗特殊営業該当施設かどうか、わたしは知らない。表から見た感じだけである。
つづく・・・なんだかいつまでもだらだらと書けそうだなあ)




2012/05/22

623横浜港景観事件(4)幸せと愛の空間は教会と城郭と神殿にあるらしい

横浜みなとみらい21新港地区に計画中の結婚式場は、実は二つあると気がついた。
 いまの話題の結婚式場計画はこの図の新港地区16街区である。その隣の15と運河対岸の23街区の一部が遊園地である。もうひとつの結婚式場計画は11-2街区である。
   
 これら二つが同時に今年1月の都市美審議会にかかってきたが、11-2街区計画はほぼすんなりと通っている。
 つまり、赤レンガを貼った四角い建物なので、両側に既に経っている赤レンガの箱と調和しているのだろう(これじゃあミモフタモナイ言い方か)。

 ではと気になったのが、いまの結婚式場業界ではどんな建物が流行なんだろうか、と言うことである。
 では論より証拠、ホテルや既存キリスト教会はさておき、横浜都心部だけについて、わたしのご近所探検に引っかかる結婚式場らしきもの眺めてきたので、ここに紹介する(上の地図に場所を赤丸で示した)。

 みなとみらい21地区の北隣の似たような運河沿いの立地では、ポートサイド地区(金港町)に結婚式場がある。
 超高層ビルを背景に、なんとなく南欧風とでも言うのだろうか。前に水があって良い立地だが、景観的には特にまわりとの周到な関係を持ってデザインされたのでもないらしい。だから目だってよろしい、というのが事業者の考えだろう。
  

 ミナトみらい21の高島地区に、ギリシャ神殿風の結婚式場がある。こういうのは大きな庭の向こうに見え隠れしていればよさそうなものだが、車が行き交って騒々しい道端にいきなり建っている。
 その真後ろに丸い高層ビルが見えていて、その取り合わせにななかの妙味がある。まさか意識して建てたわけではあるまい。

 紅葉坂の上(宮崎町)に最近できた結婚式場は、ゴシック風教会とかロマネスク風とかいうのかよくわからないが、あれこれつきまぜ欧風デザインとでもいいましょうか。
 建築的には遠めには石張りかと思うが、近寄ってしげしげと見上げると、ほとんどが吹付け塗装である。
 吹き付け仕上げが安っぽいのは仕方ないが、それにしても夜目遠目傘の内のたぐいで、うまく作るものである。
 こういう類の建築の専門的なことについては、「結婚式教会の誕生」(五十嵐太郎)という珍書があるから、そちらに譲ることにする。
 
 その隣には結婚式場建築ではないが、伊勢山皇大神宮である。ここは神明造の拝殿と本殿があり、当然に神前結婚式を執り行っているだろう。
 もしかしたら、ここで神前結婚式を挙げて、隣で披露宴を行うってこともあるのだろうか。
 結婚式教会(五十嵐さんの命名で、キリスト教会ではなくて結婚式だけのための教会風デザインの建物)はあるとわかったが、日本の神様がいない結婚式だけの神社風建築もあるかもしれない。まあ、日本の神様はヨリシロさえあればどこでも降臨するがね。
   
 本町4丁目のペンシルビルとビルの間に、これまたペンシルビルのような時計塔のような赤レンガ仕上げの建物が建ち上がっている。これも最近できた結婚式場である。
 何様式というのか分らないが、天使の像がついていたり、ぺディメントがあり、胴にはコーニスが回っているように見せていたりしていて、あれこれつきまぜ欧風ではあるらしい。
  
 本町通りを更に東に進んで大桟橋への角(山下町)のビル壁に「・・・幸せウェディング」と垂れ幕があって、その向こうに巨大なドリックオーダー柱が4本も立ち上がった、なにやらギリシャ神殿風の高層ビルが建っている。
 あれ、ここにも結婚式場が建ったのかと見れば、幸せウェディングは垂れ幕のあるホテルの宣伝であって、神殿風は別のビルで幸福の科学という宗教団体であった。
 ふ~む、結婚式場と新興宗教は同じデザインコンセプトにあるのか。もしかしたら、その信者の結婚式をやっているのだろうか。まあ、「幸せ」の隣が「幸福」なんて、それはそれでよろしいのでしょう。
  
 そのすぐ隣ブロックに、大昔は「露亜銀行」だった建物が改装されて、いまは結婚式場となっている。
 これは1921年創建の本格的な様式建築で、イオニアンオーダーの柱や三角ペディメントを持った古典主義の意匠である。ペンキ塗りの見せかけではなくて、ちゃんと石を使っている。
 この建物は露亜銀行からドイツ領事館となり、法務省横浜入国管理事務所、更にまた県警の警友病院別館となり、県警の移転後は永らく空き家だった。
 それが、この地区一帯の再開発事業に伴って保存修復されて、つい最近のことだが結婚式場になった。
 これもやっぱり欧風建築だから結婚式場になったのか。面白いことに、この宣伝サイトには「90年の歴史を誇る」と建築の古さを詠っている。そんじょそこらに最近できた似非欧風建築の式場じゃないですよって、そういうことで差異をつけるのだろう。
  
 これらのほかにもたくさんのホテル結婚式場やらレストラン式場とか邸宅式場などがある横浜都心地区は、ブライダルマーケット激戦地である。
 そんなところに、ここで話題にしている新港地区の新結婚式場は乗り込んでくるのである。
 少子高齢時代となって結婚式場需要は縮小するのは常識の中で、このビジネスモデルが新戦略なのだろうか。
 80年代までのラブホテルがこういう戦略だったがいまは廃れたと、「愛の空間」(井上章一)なる珍書にある。
 面白くなってきたぞ。 (つづく横浜港景観事件(5))

2012/05/21

622横浜港景観事件(3)隣の遊園地と景観的調和を図りました

「風格、品位が少し劣る・・・私から見るとテーマパークのように見えてしまう」(3月景観部会 加藤委員)
 こういわれるとテーマパークの雄である東京デイズニーランド(1983年開業)が怒るだろう。
 発言した委員の意図はともかくとして、テーマパークとは言いえて妙で、まことに的確な指摘であると、わたしは思う。

 おりしもその東京デイズニーランドの新たな企画で、シンデレラ城での結婚式を売り出したそうだ。評判よいらしい。
 委員からテーマパークだといわれて、多分、事業者は心の中で大喜びしたであろう。専門家がお墨付きをくれたって。これでわがビジネスモデルは成功間違いなし。

 そうなのである、これは結婚という明確なテーマ性を持って演出される遊園、つまりテーマパークなのだ。
 うまいことにちょうど隣には本物の遊園地があって、ふたつあわせるとミニディズニーランド、と言うと褒めすぎか。とにかく見事にテーマパークとなっている。もしかしたら大観覧車やジェットコースターでの挙式なんてのも、やるかもしれない。

 都市美審議会議事録にはこういう発言もあるから、まことに興味深い。
「ここの特性、隣に観覧車がある特性も踏まえて、どうしていくかということを非常に考えさせられた案件でもあります」(横浜市都市づくり部長)
「非常に考えた」結果が、この共同テーマパークになっているというわけだろう。分りやすい。
 
「隣のコスモワールドさんとの調和を図りました」
 事業者は隣の遊園地を景観デザインに見事に取り入れたである。わたしが事業者なら、こう言うにちがいない。
 景観デザインとは、周囲の調和する風景を作ることだとする教科書的な定義からすれば、これはお手本どおりである。
 また品のない言い方をするが、事業者は遊園地の景観を人質に取ったのである。もう一方の横浜市の抱える人質は「赤レンガ倉庫」である。
 どちらの人質が高い身代金を取りやすいだろうか、なんて、ますます品が落ちてくる。
 
 ところで、横浜市が決めているこの地区のデザイン指針に書いてるいろいろなことをしげしげと読んでみると、横浜市さえも実はテーマパークを意図しているらしいのだ。
 デザインテーマは簡単に言えば“赤レンガ倉庫がある開港の歴史”であるらしい。
 早く言えば、新港地区という島を“赤レンガテーマパーク”に作り上げることをめざしているのである。

 島、ゾーン、敷地グループというように、赤レンガテーマパークを入れ子状に作り上げるらしい。
 それはそれでなかなかに素晴らしいことである。
 今回の問題は、その入れ子のひとつが赤レンガではないということである。達磨の入れ子人形を順にあけていったら、途中でバービーが出るのだ。せめて赤い靴の女の子ならよかったのに。

 この問題の原因は、「よこはまコスモワールド」という赤レンガに何の関係もない風景が厳然と実在しており、これが人質になったことだ。
 事業者の描いたどの絵を見ても、大観覧車が人質然と描いてあることからよくわかる。
 コスモワールドは暫定利用と言いながら1990年4月オープンだから、すでに22年の歳月が経っている。
 実態上は暫定ではない。

 この間、まわりとは明らかに異なる景観を顕示してきて、その大観覧車はみなとみらい21地区のシンボルとなっている。
 審議会の議事録の中に、この事業地にある横浜市の土地の賃貸借契約は30年とするとあるので、定期借地権方式であろう。ということはどんなに長くても30年でこの建物は消えることになる。遊園地の22年を暫定というなら、こちらもほぼ暫定である。
 暫定だからいい加減でいいのだ、と言うことではないのはもちろんである。

 あれがよくてこれがいけない理由はないでしょ、って、言ったかどうか知らないが、いわれる理由はありそうだ。そこで部長さんは「非常に考えた」のかもしれない。
 隣の遊園地が先に消えるかもしれないが、そのあとにできる施設はこの結婚式場を人質にしたデザインになるかもしれない。

 ラブホデザインに至る前に話が長くなった。あとはまた次回へ(つづく横浜港景観事件(4))

2012/05/20

621横浜港景観事件(2)下手な模倣デザインをするなってデザイン指針を書くか

横浜市都市美審議会の景観審査部会が、事実上差し戻ししたけど、事実上そのままで戻ってきた結婚式場計画の景観デザイン、さて、これからどうするのだろうか。
 実は審議会には強制力はないので、事業者があくまでこのデザインで行くと押し通すことができるらしい。
 それどころか、横浜市にも強制力はないから、事業者が協議を打ち切ると言ったら、それで行くしかないらしい。

 要するに景観について市と事業者が協議をするのであって、許可とか指示するという仕組みではないのである。そこが都市計画法や景観法と、横浜市条例の違いである。
 もしもそうなると、この審議会がNOを突きつけた結婚式場の景観デザインが、公共の場に登場して市民や来訪者の評価に晒されることになる。

 ここで評価の目は、事業者に向くと同時に、NOといった審議会にも向けられることになる。
 事業者への評価は、その施設が繁盛するかどうかって、かなり露骨で分りやすい目盛りになるだろう。どこででもやってきたこのビジネスモデル(コンビニのデザインのようなものだろう)が成功すれば事業者の勝ちである。
 市と審議会とは、NOと言いながら実現させることについて、制度の根本を問われることになる。

 では、横浜市と審議会とはどのような景観を志向しているのだろうか。
 横浜市が定めた「みなとみらい21 新港地区街並み景観ガイドライン」なるものがある。そこにこの結婚式場の敷地を含むあたりの景観作りの基本がこう書いてある。
  方針1 みなとの情景の演出
   ①海に向かってゆとりを持ち、連続性が感じられる街並み
   ②開放的で居心地のよい水域・水際線の風景
  方針2 歴史の継承
   ③歴史的シンボルとしての赤レンガ倉庫への見通し景観
   ④歴史性を意識し、高さを抑えたまとまりある街並み景観
  方針3 “島”としての個性の演出
   ⑤歴史やみなとらしさを活かしたシークエンス景観
   ⑥歩いて楽しく、賑わいのある街並み
   ⑦周辺地区からの見下ろし景観

 もちろんこれだけではなくて、建築デザインについてこまごまと例示しながら書いてある。いちおう読んでみて、事業者の出した資料とざっとつき合わせて見たが、わたしにはどこが違反しているのか分らなかった。
 だから審議会は無茶を言っていると、わたしは言おうとしているのではない。
 多分、わたしが分らないことが問題なのであろうと思う。つまり、指針に書ききれないことが問題となっているのである。

 問題を分りやすく言えば、西欧様式の模倣コラージュなんて、いまどきポストモダンじゃあるまいし、あんまりなデザインだ、まあ、こういうことなんだろう。
 でも景観ガイドラインに、「下手な模倣デザインをしないこと」なんて、バカバカしくて書けっこない。建築家をバカにしている。
「模倣はやめてくださいという恥ずかしい文言を入れないと、こういうものはとめることができない時代になってきている」(3月都市美審議会 中津委員)

 下世話に言えば、ひところのラブホテルみたい、というところだろう。
 外野のわたしだから勝手なもんである。委員なら思っていてもこうはいえない。せいぜい「テーマパークみたい」とおっしゃる。
 ところが実は、この「テーマパークみたい」こそ、いろいろな意味で最も的確にこの結婚式場を表現していると、わたしは思うのだ。発言した委員の思わぬ方向で、これは事業者を勇気づけたかもしれない。
 テーマパークと結婚式場そしてラブホ、おお、なんと興味深いテーマなんだろう、次はこれを追って考えてみよう。 (つづく横浜港景観事件(3))

2012/05/19

620横浜港景観事件(1)かの有名な横浜市の景観政策がただいまちょっと座礁気味である

ここに二つの絵があります、さて、どこが違うでしょうか、いまどきのお手軽クイズみたいだけど、いかが?
 これらは横浜市のみなとみらい21地区内の新港地区で、計画中の結婚式場の建築の完成予想図である。なお、観覧車はとなりの遊園地にあるもの。
        これは2012年1月の案
これは1月案を修正した3月の案

 これが建つ場所はこのようなところである。みなとみらい21地区のなかでも超特等立地である。

 この場所で建物を建てるには、いろいろと法令による規制がある。それらのなかに横浜市特有の条例があって、その姿(景観)の良し悪しについて横浜市都市美審議会の議を経なければならないことになっている。
 この計画がその審議会の景観審査部会の議事として審議されたのは、2012年1月である。
 ところが部会は、この案はぜんぜんだめと、やり直しをしてあらためて審議しようとなった。こういうことは今まで一度もなかったことである。
 その議事録を読むと、その案のどこが悪いというよりも、全体にナットラン、そんな雰囲気である。

 1月の景観審査部会での委員の意見を少し拾ってみよう。
「これは何か大きなかけ違いがあるのではないか」(金子委員)
「全然違った地区や国の文化を持ってくるというのは、これまでやってこなかったこと」「新港地区での展開についての配慮は余りないのではないか」(国吉委員)
「物まねは求められていない」(中津委員)
「この場所ではこういう西洋風のチャペルではないだろう」(高橋委員)
「テーマパークを思わせる奇抜で猥雑な雰囲」(加藤委員)
「今目の前にあるこの模型の形では認められない、承服できない。といって、この方針で微調整をすれば認められるかということでもなしに、基本的なデザインの考え方、それは配置、外観あるいは景観、そういったデザインの基本的な考え方の大きな見直しが必要」卯月部会長)

 これに対して事業者はこう答える。
「各所で西洋風の様式、西洋風の建物を展開しています。そして各地で成功をおさめているといった形でございます。西洋風の建物スタイルというものをこちらでも展開し成功をおさめたい、要は1つのビジネスモデルであると理解しております」
 そして基本的なことには答えようとしない。
 まったく異なる立場であり異なる方針のデザインだから、答えることもできないのが当たり前である。ただし、事業者としてはこれまでの横浜市の方針と異なるものとは、少しも思っている様子はない。

 そして3月23日にもう一度この案が景観審査部会にかかった。つまり1月の審査部会の意向を受けて、1月から3月までの間に市と事業者が協議をして変更をした案を出したのであった。ただし審議ではなくて報告としてである。条例で審議は1回と決まっているかららしい。
 それが冒頭に示した2枚目で、どこが変わったかわからないクイズなのであった。当然のことに部会のメンバーは怒った。
 なにも分かっていない、なにも聞こうとしない、一回の審議で何ができる、これじゃあ審議会はいらないっ、と。

 いったいこの2ヶ月の間にどんな内容の協議だったのだろうか。
 この計画案は委員が言うように本当にだめなものなのか。
 専門家たちがだめといわれるようなものを作って事業が成り立つものだろうか、
 専門家はだめといっても世の人々が受け入れるから事業が成り立つのか。
 景観とはそのように専門家と普通に人々では評価が異なるものなのか。

 考えるといろいろと面白くなってくる。これは景観論というよりも社会学的な面白さである。
 ここでしばらく何回かこのことを継続して考えて、連載する。(つづく横浜港景観事件(2))

参照→この件は以前2012年3月に新聞報道があったので、それと横浜市のサイトを見て「592市場における都市美とは?」と、その続きの「599非日常・異日常そして日常の風景」を書いた。
参照
http://datey.blogspot.jp/2012/03/592.html
  http://datey.blogspot.jp/2012/03/599.html

2012/05/16

619この冬の4mもの豪雪被害があちこちにあっても集落の暮らしにまた春がきた

中越山村の法末集落にも春がやってきた。ブナの芽吹きが美しい。
 一面の雪の下から顔を出して目覚めた村は、またいつものように田植えに忙しいシーズンになった。山菜も出盛りだ。

 この冬はものすごい雪で、法末集落は4mもの積雪であった。
 冬の間は毎日毎日、集落の人たちは必要なところを除雪して、雪害対策に怠りなく過ごすのだが、油断したり不能だったりで除雪をしないと、大変なことになる。
 道路のガードレールの類が、雪に乗っかられて車と違う荷重からガードができなく、ヘナヘナになってしまっている。
 
 鉄でも曲がるのだから、わたしたちの活動拠点の家の庭の竹藪は、すっかり折れて倒されてしまった。今年はたけのこが生えてくるだろうか。

 でも山の木はさすがにしぶといものだ。雪の間はその下で地に身を伏せていたのだが、雪解けとともに曲がった腰を弓のごとくに反り返らせて、春の日に芽を吹きつつある。

 家屋の屋根の除雪をしないで4mも積もらせてしまうと、そのとんでもない重みで軒が折れるのは当たり前、屋根の小屋組みをつぶされて落ちたり、そっくり倒壊したりする。
 放棄された空き家が、毎年の冬にだんだんと大型廃棄物と化していく。その人と自然の互いの営為を、わたししは定点観測として興味もって眺めている。
     
    <ある空き家の2009年の姿>
    <おなじく今年2012年の姿>

 わたしたちの拠点の家も、母屋は手入れしているが、蔵と渡り廊下は2度の震災による痛みと手入れをしていなかったので、とうとう今年の豪雪に負けてしまった。

 <「へんなかフェ」の蔵と渡り廊下の2007年の姿>
 <「へんなかフェ」の今年2012年5月の姿>

 さて、わたしたちの700㎡・3段の棚田での米つくりも7年目、先日は田植えの準備で畦を土で塗り固めてきた。これをやらないと、下の田に水が抜けるからである。
 田んぼから泥土をすくっては、長い畦の横と上に塗りつけていく。体力というよりも腕と腰に響く仕事で、一枚の棚田の半分もやったら、もう腰が痛くて退散した。
 棚田の中の足湯にも春が来た。休日はお湯が出ている。
https://sites.google.com/site/hossuey/

2012/05/11

618棚田の風景は美しいがその裏には大変な技術と労働があるのだ

今日の新聞にこんな記事がある。
 佐賀県玄海町の「浜野浦の棚田」で、田んぼに張られた水が玄界灘に沈む夕日で輝き、幻想的な光景をつくり出している。
 大小283枚の水田が11.5ヘクタールにわたって広がり、「プロポーズに適した場所」として、NPO法人・地域活性化支援センター(静岡市)による「恋人の聖地」の一つに選ばれている。町によると、棚田が夕日に染まる風景は、田植えが終わる20日頃まで楽しめるという。(2012年5月11日16時51分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20120511-OYT9I00173.htm

そしてピンクの逆光に染まる棚田群の写真がついている。
なるほどなあ、「プロポーズに適した場所」ねえ。田舎風景の宣伝にしてはちょっとハネた感じ。
この新聞記事のように、棚田の風景は“見た目は”たしかに美しい。
ここで“見た目は”といったのは、その美しい風景の裏には、それを作り出した人々の、長い間の積み重ねた棚田特有の技術とたゆまぬ労働を想うからである。

実はわたしは明日から、中越山村の長岡市小国町の法末集落の棚田に行くのである。
中越震災の翌々年からはじめて7回目の米つくりの今年の最初の仕事として、月末予定の田植えの準備にいくのだ。棚田の斜面を治し、代掻きをし、畦を塗り、水路を整備したりするのだ。
棚田は棚と棚の間に大小の崖地斜面がある。もともとは傾斜地の自然地形を、水田として水を溜めるために棚の段々にしたのだ。
それらの崖は、自然の慣わしとしていつも崩れる方向に働こうとする。毎年どこかが崩れるので、その修復、維持、管理を怠ってはならない。
平地の広い田んぼと違って手間がかかるのだ。

自然地形を手作業で棚田にするときに、もっとも省力的な方法は等高線に沿うように伐って行くことだ。それらの積み重なりが等高線に沿いつつ曲線の複雑な形状になってしまったのである。好きであのような風景を作り上げたのではない。
今の技術なら土木機械で造成して、広く平らな田んぼにすればよいのである。それをやったのが、中越地震で崩れた棚田の復興であった。

そしてもっと複雑なのは、あの棚田群に一様に水を湛えるための水路システムである。
多分、はじめから設計したら、あんな複雑な棚田群に、円滑に水を送る灌漑水路の図面は描けないだろう。棚田を造るごとに工夫して、地下トンネルを掘り、水路を作り、溜め池を掘り、そうやって積み重ねて今の棚田群に水が来ている。
現場を見るとどうしてここにと思うようなところに、背丈ほどもない素掘りのトンネルがあったりする。
中越大地震でそれらの水路が壊れたために、棚田は無事でも耕作放棄となったところがずいぶんあった。

そして水路とともに複雑なネットワークは、農作業機械の通る農道である。
農作業用の機械がなかったころは人が歩いて行けばよかった棚田も、今では機械が入ることで棚田での米つくりが続いている。
現に機械の入らない棚田は耕作放棄されつつある。
ただし、観光的な棚田の保全は、これとは別の論理というか経済原理の外で成り立っている。

そういう手間がかかるのに、なぜ棚田で米を作るのか。もちろん山村にはそこしか田んぼがないからである。そして米つくりがいちばん安定した農業だからだ。
更に棚田の米はうまいからである。法末では水が地中からわいて来る。冬の4mもの豪雪が土にしみこんで、それが湧き出してくる。谷川の水よりも、うまい米を作り出すらしい。

さて法末集落で「プロポーズに適した場所」なんて宣伝したら、わんさと人がやってくるんだろうか。
きてもらっても困るだろう。狭い農道にたくさんの遊びの車に入られては迷惑である。ゴミばかり置いていかれても腹が立つ。
来客相手になにか商売をしようとて、自家用栽培の野菜でも売るか。
まあ、大量にこられても対応できないから、パラパラとでも来てもらうと多少は村にも活気が出るかもしれない。
でもやってくる人が多くなると、中には住んで百姓をやってみようかと思う人がないとも限らない。それは歓迎である。
まず、わたしたちのやっている米つくりの仲間になることからやってはいかが?

参照
●法末集落にようこそ

https://sites.google.com/site/hossuey/

●法末棚田ハザ掛け天日干し米つくり
https://sites.google.com/site/hossuey/home/hasakakemai

●法末集落の四季の風景
http://homepage2.nifty.com/datey/hosse/hosse-index.htm

2012/05/08

617渋谷東急文化会館の変身は戦後文化の変転のエポックか

渋谷駅の東側の広場を隔てて、「ヒカリエ」なる妙な名前の巨大建物ができた。
 ここには1956年にオープンした「東急文化会館」(坂倉順三設計)が建っていた。プラネタリウムが有名であり、当時はもっとも栄えていた映画の上映館が4つもあったビルであった。

 その開館の次の年、わたしは少年時代を過ごした小さな田舎町をようやく抜け出して東京の大学生になった。渋谷がいちばん近い繁華街であったので、まさに都会の文化の殿堂のような気がしたものだ。
 プラネタリウムにも映画にも行った。どの映画館だったか覚えていないが、東急文化寄席なる演芸もやっていた。ホール落語のさきがけだった。

 そのうちに映画の衰退し。プラネタリウムもあちこちにできて珍しくなくなった。東急文化会館に入ることも永らくなかった。
 そして渋谷は西側のほうが奥深くへ繁栄しだして、ますます東側には用がなくなった。文化需要も東急文化村や、その奥の観世能楽堂などで対応するようになった。

 10年ほど前だったかその閉鎖が報じられて、取り壊されて巨大な空き地となった。
 1950年代から戦後高度成長期の終わりを象徴するような気分で、東急文化会館の欠けた駅前風景を見ていた。
 そして2012年5月、新ビルが「ヒカリエ」と名づけて開館した。新しもの好きだからさっそく行ってみてきた。

以下全文は→渋谷駅20世紀開発の再開発時代
http://sites.google.com/site/dandysworldg/sibuya20120508

2012/05/06

616端午の節句は原発0記念日そして遂に後期高齢者突入記念日

昨日の5月5日は、大昔から端午の節句であり、4昔弱ほどからはわたしの誕生記念日である。遂に人生初めての後期高齢者に突入した。
 還暦いらいこのところ人生初めてのことちょくちょく起きる。このあと喜寿、傘寿、白寿なんて人生初事件を、もうやりたくないなあ。

 で、昨日は日本原発前面停止の記念日となった。北海道の泊原発が定期点検のために停止して、いまや日本中の電力は核エネルギーに頼っていない状態だそうだ。
 なんでも全発電量の30パーセントが原子力発電所、つまり核分裂エネルギーに頼っている状態だそうだから、それに代わるエネルギー源から電力に変える必要がでてきた。

 ただ、面白いのは、原発も火発もガス発もいずれも、いったん熱エネルギーにしてからそれを運動エネルギーに変えて、さらに電気エネルギーに変えるって面倒な過程を経ないと電力にならないのだそうだ。だからその間にずいぶんロスがあるらしい。
 で、どうだろう、いちばんロスがないのは雷エネルギー利用だろう。雷からいきなり電力を取り入れたらよさそうに思うのだが、できないのかしら。

 原発ゼロ記念日だから、これまでわたしの「まちもり通信」サイトと「伊達の眼鏡」ブログに書いてきた地震津波原発日記の2011年版を編集してブックレットにした。
 題して「福島原発を世界遺産に・地震津波そして原発の日々2011」、わたしの趣味の自家製DTP出版の第14号である。
 引き続いて適当な時期に今年のそれも編集しよう。
●参照「まちもり叢書」
http://homepage2.nifty.com/datey/matimori-sosyo.htm

2012/05/02

615住宅展示場を見て住宅地の風景が貧しいのはここにも原因があるらしいと思った

ゴールデンウィークとて、横浜ご近所探検隊はいつもの散歩コースでご近所観光である。
 MM21から山下公園そして中華街へとふらふらと行けば、なんとまあ大勢がいるもんだと、いまさらに横浜都市観光の成功を見てきた。
 海辺の公園には家族ずれも多いが、面白い格好の若者たちがあふれていて、正しく言えばコスチュームプレイ、つまりコスプレをやっている。
 アニメーションムービー(アニメのこと)の登場人物の格好を真似ているらしいが、そのオリジナルが何かは、TVを見ないわたしにはトンと分らない。
 でもあれこれと仮装大会のようで、見ていると面白い。
 ちょうど今やっている野毛の大道芸イベントに負けない。海辺の公園よりも街の中でやってはいかがか。

 MM21地区にはまだまだ広大な空き地があちこちにあるが、その一方でものすごい密度で開発が進んでいる街区もある。
 超高層の共同住宅ビル群が、隙間なく並んで文字通り林立している有様は、屏風のようだ。街区の人口密度はどれくらいになるだろうか、500人/ヘクタールくらいになっているのだろうか。
 寿町が1000人/ヘクタールだが、あそこは超高層ビルなどはなくてそうなのだからすごい。

 おかしなことにMM21地区のその超高層ビルが立ち並ぶ中に、戸建住宅街がある。といっても人が住んでいない住宅展示場である。
 住宅展示場にはいままで入ったことがなかったが、ちょっと覗いてみてびっくりした。
 びっくりしたのは、戸建住宅という超高価な商品であるから、その展示場は理想的な住宅地の風景をつくって売っているのだろうと思ったのが、まったくその逆であったことだ。

 そこはまるで郊外の安売り店舗街のように、派手な色の幟旗がヒラヒラ、広告板が派手にしゃしゃり出て、いかにも安っぽい風息であった。
 住まいという環境を売っているのだろうと思ったら、住宅建築という物品を売っているのであった。
 だから家の格好ばかりを見せていて、プライバシーはなく、道路から家に直接入るし、庭もない。もちろん隣同士の景観的配慮はなくて、それぞれが妍を競っている。こんなところに住みたくない。
 そのような、家だけは立派だけど周辺環境が実に貧相な住宅地は、日本にはありこちにいくらでもある。
 それはつまり、こんなところで家を買う人は、住宅地とはこういうもんだと思って買うだろうからそうなるのだろう。貧しい風景の原因はここにあったのか。
 違和感を持って展示場の中を歩いたのであった。

 違和感といえば、こんな風景もある。結婚式場らしい。なるほど、結婚式がおもいっきり非日常の出来事としての演出か。
 こういう代物は広大な庭園のなかにあってこそ非日常だろうに、いきなり日常きわまる道端にあるのが、どうも解せない。