2023/11/30

1753【紅葉の季節】故郷生家の森の紅葉から思いを巡らす街の紅葉そして人工の紅葉

 今年の紅葉は平年と比べてどうなのだろうか。夏から秋へと暑かったから、紅葉は遅いのか逆に早いのか、どちらなのだろうか。

 ここに載せた紅葉黄葉風景の写真は、2014年11月10日撮影である、場所は岡山県中西部にある高梁盆地の神社境内で、ここはわたしが生まれ育って少年期までを暮らした生家である。故郷の盆地で暮らす同年友人が撮って送ってくれた。
 少年の頃には紅葉なんてものには全く興味なかったから、このような紅葉風景を送ってくれて、改めて美しいと感動したのであった。

 その生家の神社は、盆地を取り巻く丘陵の中腹斜面の街から見上げる位置に、裏に山を背負った森の中であった。生まれた時から自然の四季の移り変わりの中におぼれるほどにどっぷりと浸かって生きていた少年にとっては、あまりに日常的すぎて身のまわりの自然の変化には全く気を止めるようなことはなかった。周りの森もの樹々も裏山の森も全て自分の領分だから、それはまるで身体の延長である。自然を客観的に見る目はなかった。

 ところが、ある日のこと、突然に自然を感得した得難い体験の記憶がある。中学生になったばかりの頃だったような春のある日だが、真昼の森の中から森の外の雑木林のあたりをぼんやりと見ているとき、それは急にやってきた。
 樹々の萌える若葉のひろがる枝葉、その色彩のグラデーション変化、風による木の葉や草のさやぎ、鳥の鳴き声、森の樹々の合間からさす日の光、それまで気に留めることなかった自然の姿が一気に押し寄せてきた。

 それはいったい何だったのだろうか、しばらく立ち尽くしていた。自然がわが身の外にある客体としての自然が見えてきた”事件”があった。それはどこか外から来たのではなく、身の内から湧き出てきた感情であった。何か特別なきっかけはなにもありはしなかった。

 たぶん、それはその日から大人になるステップを登り始めるという少年にとっての、心と体の儀式だったのであろう、と勝手に思っている。遠い少年の日のその不思議な体験を、不思議なほどにありありと覚えている。もっとも、自然が美しいと悟るにはまだ時間が必要であった。

 それから20年ほども後のことだが、これに似た体験をしたという知人にひとりだけ出会ったことがある。また何か外国の小説であったとかすかな記憶だが、これと似たような体験する少年の話を読んだことがあり、ときに思いついて探すのだが見つからない。

 故郷の盆地にはもう20年も行かないし、もう行くことはなさそうだが、上の写真のような紅葉は今もあるらしく、先日のこと、故郷の盆地に住む知人が、街から見上げた神社の森の中に、今年もイチョウの大木の黄葉が目立っていたが、もう落葉したと便りをくれた。

 さて、今わたしが住む横浜の近所に紅葉黄葉の名所がある。街路樹のイチョウ並木がかなり多い。有名なところは日本大通りであろう。紅葉狩りの名所ならば三渓園である。これまで何度も出かけたものだ。

横浜三渓園紅葉風景 2021年

横浜大通公園 銀杏黄葉 2015年

 銀杏並木と言えば、今話題の明治神宮外苑である。上の日本大通りの銀杏本来の姿のそれと比べると分るように、外苑では強い剪定をして、槍の切っ先のようにとがった姿にしている。それはここが明治王権のシンボル空間だからである。その先にある絵画館に視線を集中する人工の仕掛けであり、その視線を強要する人工景観をわたしは好まない。
明治神宮外苑の銀杏並木 2013秋

 近ごろは紅葉や黄葉の樹木に、夜間にライトを当てて見せるということがしきりに行われているらしい。わたしは実は見たことが一度もないのだが、見たい気がおこらない。ライトの当て方が人工的でわざとらしい風景になるに決まっているからだ。いっそのこと紫色でもあてて紫葉狩りでもしたらどうですか。

 ネット検索で紅葉ライトアップを探すと腐るほど出てくる。これではご免を蒙りたい。雪景色でも花見でも瀧でも何でもかんでもライトアップして、しらじらしい風景に変えてしまうのが気に食わない。これも視線を強要して不自然極まる。

ネット検索サイトに登場する紅葉ライトアップ風景

 自然の風景を光で改変するライトアップも風景破壊であるし、こうも夜まで明るくされては植物の方も寝不足であろうから枯れてきて自然破壊になっているに違いない。
 これからクリスマスがやって来て、個人の家をキンラキラキラさせるのはそれぞれ勝手ながら、景観についての美的感覚に頭をかしげさせるのである。
 ここに並べた写真を見て気が付いたが、計らずも自然のままの紅葉から、人工の極致の紅葉へと並んでいるのが面白い。

(20231130記)

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2023/11/29

1752【宇宙のロマン?】地球は周囲を隙間なく飛ぶ人工衛星群がつくる中空球体にすっぽり覆われているらしい

 ネット徘徊していたら、こんな地球の図に出くわした。これって、現在地球のの上の宇宙空間に浮かんでいる人工衛星だそうである。こんなにも沢山こみあっているが、これは一部に過ぎない。

スターリンク群球体の中の地球


上の図の日本付近拡大

 上の2つの図はスターリンクなる名前で、例のイーロンマスクのスペースエクスが打ち上げており、インタネット通信の道具らしい。
 この数なんと現在は3000基で、そのうちに12000基になるとか。ほかにも宇宙衛星打ち上げ屋が沢山あるだろうあるから、競って打ち上げるのだろう。計画だけでもう10万個の人工衛星が飛ぶとのネット記事もある。
 そのうちには空一面にすき間なく埋まり、人工のお星さまがキラキラキラキラときらめくだろう。当然のことに昼は太陽光を遮るから、地上は薄暗くなるのだろう。

 前世紀の中頃までは、わたしたちは海水と空気は無限だからとて、無駄に使ったりごみを捨ててきたが、今頃になってやっとこれは大変だと慌てている。
 今の宇宙空間についても、かつての海水や空気を同じように、今は無限と考えているらしい。今にあちこちで空から知らぬものが落ちてきて人が死ぬ、そのうちに太陽光線が地上に来なくなる。地球は人工衛星という粒の群でできた中空球体のなかにすっぽりと入ったと、ある日気が付くのだろう。もうすでにこれまでに打ち上げたゴミが大小1億2000万個もあるとのネット記事があった。

本物の星の動きとスターリンクの動き

スターリンクの行列が行く
スターリンクすだれのすき間から宇宙の星を観測する

 次の世界戦争は情報戦争だから、この見上げる空を隙間なく覆うスターリンクなどの人工衛星群破壊戦争がおきるにちがいない。人工衛星群はゴミ衛星群となって地球を覆う。人間は宇宙人の攻撃ではなくて、自らが打ち上げたゴミで滅びるだろう。
 かなり近い将来でもその頃はわたしは地球上に存在しないから、どうでもよいことだけどね。これはSFか現実か、それとも現代の杞憂か
 
 宇宙の話なんてのは、わけもなく希望に満ちていた時代に育ったものとしては、希望が現実になったとたんに、宇宙もゴミにあふれた世界になって、実情はゴミ溢れる地上の地続きという、夢の無い話になってしまった。

 わたしは天文少年であったから、宇宙に横たわる銀河を見上げて大いに感激をしていたものだ。今、あの銀河はどこに行ったのか、もう何十年も見ない。
 その代わりにイーロンマスク提供のスタ―リンクのすだれを見て、今の天文少年たちは胸を躍らせているのだろうか。

(20231129記)

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2023/11/28

1751【Yahoo!LINEかよ~】LINEの裸淫とヤフーのヤプーとがつながって奇書が取り持つ縁かいな

 このブログに今月の初めにも採り上げた【LINE裸淫】についてまた書く。どうでもよいのにヒマだねえ。


 これについてはこのブログでずいぶん前から何度か面白がって指摘しているのだが(初出は2018年のコレ)、かいつまんで書くとこうだ。
 そのLINE発音の日本語イントネーションが、英語式ではなくて日本式「ハダカでミダラ」であるのを奇妙に思いオチョクリ面白がっていたところ、何故か使えなくなったので復活する操作が面倒なので、裸も淫も卒業したからもういいやと、全部アンインストールしたという話であった。

 さて、今日の新聞に「ライン情報44万件流出』との大見出し、使っていないから記事内容には興味がないのだが、「IT大手のLINEヤフー」と企業名が書いてるのに気が付いた。


 え、そうだったのか、ヤフーとラインは繋がっていたのか、知らなかった。これでまたオチョクリ種が増えたのが嬉しい。裸にして淫だからヤーにつながるのか、なるほど、。

  IT起業の「Yahoo!」の名を知ったのはいつだったか覚えていないが、「家畜人ヤプー」よりもはるか後だったことは確かだ。なる企業名を初めて見た時に、変な名前を付けるものだ、あの奇書「家畜人ヤ」から採ってきたのか、奇人が社長かしら、どんな人だろうと思った。日本法人のトップは孫正義だったから、この人が奇人かと思った。

 後にヤフーは外国企業と知ったので、奇書がもとではないと分かったが、日本企業としてはヤフーのままでよいのかなあと思っていた。それからヤフーが検索サイトなどでぐいぐいと伸びてきて、一時わたしもヤフーメールを使っていたこともあった。が結びつけられて語られたとは聞いたことがない。世間ではマイナーな奇書だったのか。

 しかしわたしはヤフーのネットサイトデザインが広告だらけで、実に汚らしいのでヤフーを嫌になった。そのうちにグーグルの方がサイトデザインがすっきりしていることに気が付いて、今ではそちらに乗り換えてヤフーとは縁が切れている。今も汚らしいようだ。

 さて、これをここまで読んで、「家畜人ヤプー」なる奇書をご存知ないお方にはちんぷんかんぷんであろう。今ではネット検索すればすぐ分るからここで解説しない。私がその奇書を読んだのは角川文庫本になってからずいぶんたった頃だから、1970年代後半だったか。

 あまり昔なのでもう内容をほとんどを忘れたが、寺山修司や澁澤龍彦が激賞するほどのSF、SM、エロ、グロ、冒険など満載の奇書であった。そのヤーイメージでヤーなる企業名に出会ったものだから、奇妙な偏見にとらわれたのであった。

 今調べたら「Yhoo!」の創設者によるネーミングの元は、スウィフト作「ガリバー旅行記」に出てくる野獣の名だと出てくる(Wikipedia)。そう言えばそうだ、朝日新聞にガリバー旅行記の新訳が連載されたのは5年ほど前だったろうか、「馬の国」でガリバーは「ヤフー」という退化した人間に出会う。ヤフーは理性ある馬「フイヌム」たちにこき使われれていた。

ガリバー旅行記 フィヌムとヤプー

 ガリバー旅行記はよくできた風刺小説であり、その時代としては一種の奇書だっただろう。そして「家畜人ヤプー」は、この元祖奇書がはるか後世に産み出した奇書であろう。
 やはり「YAhoo!」と「家畜人ヤプー」はガリバーを通じてつながっており、ヤフーは資本を通じて「LINE」とつながり、牽強付会で「裸淫」とつながり、メデタシメデタシ。

 ここで歴史的経緯(というほどではないが)をまとめておく。
 ・1735年 スウィフト「ガリバー旅行記」完全版の出版
 ・1956年 沼正三「家畜人ヤプー」が「奇譚クラブ」に初出現
 ・1996年 IT企業「ヤフー」設立
 ・2011年 SNS「LINE」出現
 ・2018年 まちもり散人 ブログ「伊達の眼鏡」で「LINE裸淫説」初出
 ・2023年 ヤフーとLINEが結びついた 

 というまことにもってどうでもよい話である。

(20231128記)

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2023/11/26

1750【横浜ご近所探検隊が行く】もしかして家を追い出された時のため安宿住いを考えておく

  街を徘徊していると、こんな安宿に出くわす。どうしてこれらに注目しているかと言えば、年寄りになると、年寄りには賃借アパート入居が簡単ではないらしいからだ。
 もしも今の住処をなにかの都合で追い出されることになったら、直ぐに泊まることができるホテルを平素から考えておく必要があるのだ。そこでこれらのホテルに目が行く。

 ひとつは伊勢佐木町界隈に何棟かある「ウィークリーマンション」と称するが実質はホテルである。最も安くて1泊4900円(水道光熱費込み)、シングルルームでバストイレ付、約20㎡とある。通常のビジネスホテル並みだろう。
 一泊2650円の安い部屋もあるらしいのは、新築らしい建物もあれば、戦後復興期の防火建築帯の改装ビルもあるからだろう。


 ただし一週間以上連泊が条件であるようで、長期になるほど安くなるらしい。独り暮らし老人にはちょっと魅力的である。わたしがまだ足腰立つうちにならば、ここに住んでもよいように思う。ほかにもあるか探してみるか。

 もうひとつは寿町あたりに多く集まる「簡易宿所」(俗称ドヤ)で、一泊1700円(水道光熱費別)であり、室内にバストイレはなくて、共同便所とコインシャワーがある。これは多分7㎡くらいの広さだろう。
 寿町で下記画像の表示がある「ベイサイド横浜」なる簡易宿所は、一番最近にオープンしたもので、ドヤでは最も新しい設備と言ってよいのだろうっと思う。

 こちらは通常のホテル並みの設備ではないが、何しろ安い。この値段には理由があるらしく、生活保護受給者が住宅に支払うことができる上限という。どの簡易宿所も同じ様な宿泊室と設備でこの値段だから、古いそれよりもこの新築に泊まる方がはるかに良い。

 わたしは十数年前に寿町の簡易宿所に泊ったことがある。友人たちと寿町見学会をやり、ホステルヴィレッジ運営で1泊3000円のドヤだった。その時のドヤ建物は清潔だったが古いので、人間の垢のような臭気がこびりついていて愉快ではなかった。

 新しいならば値段にひかれて泊まりたいが、年とると小便が近くなり、室外の共同便所通いを嫌だから、いまや敬遠したい。もっとも、最近のドヤ建築はもしかしてバストイレ付になっているのかしら。でもそうなると一泊1700円ではあるまいが。

(20231126記)

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2023/11/25

1749【今日は戦前・明日は戦中】今ははや戦前なるかと書きたるはクリミヤ併合前年のこと

 近ごろ何となく知ったのだが、『2023年は新しい戦前になる』と言葉が静かに流行中らしい。これをTV番組で言った人はタモリとかいう芸人だそうだ。わたしはTVを全く見ないから、このように1年ぐらいギャップがあって知ることになる。

 ところが、わたしはもう10年も前に同じ意味の発言をしていたのだ。それは「伊達の眼鏡」ブログ2013年1月20日の記事の中である。わたしは忘れていたのだが、FACE BOOK    が思い出させてくれた。
 その話題は戦後のある流行言葉だったが、話の最後を下記のように結んでいるのだ。

大鵬が逝き、2代目東京タワー(スカイツリーとかいうらしい)が建ち、軍隊を持とうという首相が出てきて、戦後復興東京駅は姿を消して戦前の姿に戻った。もはや戦後ではないどころか、今や戦前である、かもしれない。戦前の次は、いうまでもなく戦中である。 https://datey.blogspot.com/2013/01/708_20.html

 TVという超大声メディアで人気タレントが言うのと、個人ブログという超小声メディアにひっそりと書き込むのとは、同じ内容であっても、こちらにはなんの世間の注目が集まらないのは当たり前のこと。

 同じ様なことを思う人がいもるのだなあと、タモリ氏の歳を調べたら1945年生れだそうだ。戦中のことを体験的には知らない人である。いっぽう、TVでこの発言を引き出した話し相手は黒柳徹子で1933年生れだそうだから、明確に戦中体験がある。むしろ黒柳氏がそう言ってくれたのなら真実味があると思うのだが、。わたしはこの二人の中間の生年だ。

 2014年にはロシアがウクライナのクリミヤ半島の一方的併合、更に2022年にウクライナ侵攻、今もも戦争状態にある。2021年にはミャンマーで軍事クーデターで内戦状態が今も続く。そしてまたもやイスラエルとパレスチナ紛争である。ほかに内線続きの国がシリア、イェメンソ、ソマリア、アフガンなどいくつもある。

 日本列島の北隣には、行方定めぬミサイルの打ち上げに余念がない国と、西方への領土拡大戦争に懸命の国がある。そして政治だけでなく宗教対立で地球は2分している。

現在の地球は政治体制でこんな色分けがあるのだそうだ

 これらの地球上の各地のいがみ合いが、あちこちに飛び火して世界戦争になる日が近い気がするのは当たり前だ。
 今日は戦前であり、明日にも戦中になるかもしれない。このところ日本政府も軍備拡張に余念がないらしい。

 わたしはできるだけ急いで、そうなる前に用意万端整っている最も安全な世界、つまりあの世に避難するべきと切実に考えるのだ。

今ははや戦前なるかと書きたるはクリミヤ併合前年のこと

今ははや戦中なるかウクライナまたパレスチナ地球が燃える

(20231125記)

このブログ内関連記事参照
戦争の記憶

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2023/11/24

1748【東京再開発】巨大再開発「麻布台ヒルズ」で荷風さんが愛した谷底の路地群が消えた

 東京の街は意外に起伏が多い。水はけがよくて乾燥している丘の上には金持ちが住み、水はけが悪くてジメジメした谷底や傾斜地には貧乏人が住む、という様に昔から住み分けてきたようだ。

 永井荷風が戦災で焼け出されるまで住んでいた「偏奇館」となづける家は、麻布市兵衛町の丘の上だった。その目の下には我善坊谷と呼ばれる谷底に小さな家々が身を寄せあう路地の街があった。荷風は愛人をその路地の奥に「壺中庵」と名付ける家に住ませ、三年坂を上り下りして通った。これついては当ブログに以前に書いた(「永井荷風をだました女」)。

 現代になって地価が高くなって、海を埋め立てて土地を広げるとともに、急傾斜地でも谷底でも土木技術で伐ったり埋めたりして街を広げた。この谷や丘の切り崩しは、いわば陸の埋め立てである。
 その丘や谷の埋め立て街づくりの典型が、六本木あたりでデベロッパー森ビルが進めてきた再開発である。その森ビル式再開発は初めは点だったが、次第に広くなってきた。

 今日の新聞に、「麻布台ヒルズ」なる超高層ビルが開業したとある。そして東京版には見開き2面広告「AZABUDAI HILLS」が載っている。
 このあたりは永井荷風が住みうろうろと坂道を行き来したが、きれいさっぱりと荷風の風景は消え去って、彼が毛嫌いしそうな明るすぎる風景が出現した。荷風とヒルズの取り合わせが面白い。

麻布台ヒルズの新聞広告 20231124朝日新聞東京版

麻布台ヒルズ開業記事 20231124朝日新聞東京版

我善坊谷谷底街へ下る三年坂は荷風さんが通いつめた道だったか 2013年7月10日
 

 わたしはこれに何も関係ないが、あのあたりの街には興味あってよく歩き回ったものだ。森ビルが次々を街の姿を変えていく様子を、その最初の「アークヒルズ」再開発のころからしげしげと見ていた。一時は森ビル主催の「アーク都市塾」の講師として通っていた。

 今日の新聞ニュースの焦点は、高さ330mの日本一高い「森JPタワー」ビルである。それが大阪の「あべのハルカス」を追い抜いて、東京に日本一のビルが戻ってきたという俗受けする話である。
 もっとも、直ぐ近所の「東京タワー」を地盤の高さのゆえに追い抜いたこととか、その日本一もそう遠くないうちに大手町に移ることを書いてない。高さは庶民に最もわかりやすい開発風景だ。

 これは単独のビルが建ったのではなくて、広い範囲の再開発事業として、3本の超高層ビルや道路や広い緑の空間を作ったのが特徴である。これは現今の話題の神宮外苑再開発と同じ手法の市街地再開発事業である(ただし内容は月とスッポン)。
 1989年に再開発に乗り出して、区域の広さは8.1ヘクタール、地権者300人の規模という。たぶん、日本での民間施行の市街地再開発事業では最大の規模であろう。公共団体施行再開発では、東京のでは江東再開発、大阪では阿倍野再開発などの、これよりもはるかに大規模な例はある。

 2012年当時に港区が発表した(実は森ビル作だろう)が、あのあたりの開発計画図がある。この図の下の方にある「虎の門麻布台地区」と「麻布郵便局地区」とをあわせた区域が、今回の麻布台ビルズ再開発の区域であろう。
 この麻布郵便局が森JPタワーのJPの所以であり、そのタワーの位置には郵政省の局舎が建っていて、それなりに歴史的建築であったが、新ビルの腰巻にでもなったのだろうか。



2017年に森ビルが公表した再開発計画図

 北の仙石山と南の麻布台という二つの丘とそれに挟まれる我善坊谷と呼ばれる谷間の街を一体的に計画している。丘の上はそれなりの街であったので、特に面白くもない風景であったが、我善坊谷は実に面白い街であった。

 この街が再開発で消えるとしたら、今のうちに記録しておこうと思いつき、2013年に何回か尋ねて歩き回って写真を撮り、このブログに載せておいた。記録しておいて、後で再開発で出現する風景と比較して遊ぼうと思うだけで、保存しようなどとの考えは全くない。

 そして今日の新聞に登場した広告写真を見て、やっぱりなあと我善坊谷の風景を思い出すのである。そのとんでもなく異なる風景の出現に、ちょっとは訪ねてみたいが、いやいや見なくても十分に想像できるいつもの超高層風景とも思う。

 ただ少し興味があるのは、これまで交わることなかった丘の上と谷底が一続きになったが、どうやって建築で谷底街を埋め立てたのか、その落差の行方を見たいとは思う。そのうちにグーグルストリートに登場するだろう。

 とりあえずここに、2013年に訪ねた記録のページURLを並べて置き、ときには繰って眺め、江戸期の下級武士たちと戦中に居た文士たちを偲ぶことにしよう。

◆東京路地徘徊・我善坊谷をゆく

●2013/07/12・806【1】谷底に緑に覆われる家々がひっそりと立ち並ぶ東京秘境
https://datey.blogspot.com/2013/07/806.html

●2013/07/16・807【2】谷底の落合坂を行く・近いうちに消えゆく街並み記録
https://datey.blogspot.com/2013/07/807.html

●2013/07/19・809【3】谷底の落合坂を行く・崖の上下の極端な出会いの風景
 https://datey.blogspot.com/2013/07/809.html

●2013/07/21・810【4】谷底の落合坂を行く・南の路地とその上のレトロ建築
 https://datey.blogspot.com/2013/07/810.html

●2013/07/25・812【5】谷底と丘上の交わらない二つの街の歴史 https://datey.blogspot.com/2013/07/812.html

●2013/07/26・813【6】我善坊谷の住人たちー永井荷風を手玉に取った女
http://datey.blogspot.jp/2013/07/813.html

●2013/07/28・【7】我善坊谷の未来を勝手に想像する
https://datey.blogspot.com/p/2013azabudai.html


(20231124記)
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伊達美徳=まちもり散人
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2023/11/23

1747【酉の市風景】かの遊郭時代の歴史的空間が毎年霜月に時間限定で出現

 いつものように遠まわり買い物徘徊に出かけた。脚力維持のために、わざと遠い商店街に遠回りして行ってくるのだ。なお、脳力保持のために、わざと長たらしくこのブログを毎日書くのだ。

 商店街の裏のいつもは静かな都心部住宅街が、大雑踏で屋台群が立ち並び喧噪極まりない。あ、そうか、今日はあの神社の酉の市であったかと気が付いた。コロナ中はほんの小規模であったが、コロナ退散で去年から大雑踏復活になった。

 どこから湧いてくるのかこの人並みの多さ、そしてこうも雑多な屋台群もどこに隠れていたのかと思う。食品を焼くにおいが雑踏に充満する。そしてキンキラ熊手を売る店も立ち並んで、売れるごとに「お手を拝借!」と両手を打ち鳴らす賑わい。

 どれもこれも初めて見た20年前とちっとも変わらない、あまりにも日本的な風景である。変わったのは、あれから確実に一世代分の歳をとったわたしであり、久しぶりのこの超雑踏を歩くのが怖くなったのだ。そう、周りの人たちの予期しない動きに、こちらのヨロヨロ足がついていかないのだ。早々に退散するしかない。










  今日は平日なのに、小学生たちが大喜びで走り回っている、コロナが明けて親たちも喜んで鷹揚なものだ。なんて思ったら、なんと今日は勤労感謝の日なる祭日であった。そう、その日であることはPCのカレンダーでわたしも知っていた。だが、近頃は祭日は毎年動くので、記憶にある祭日を信用しなくなっているのだ。

 最近では敬老の日も9月15日ではなかった記憶がある。ではなぜ勤労感謝の日は動かないのかしら、動く祭日と動かない祭日があるなんて、不公平である。今日のような日に、また動いて平日だろと思って医院とか区役所に行くと、ひどい目にあう。全部動くか全部動かぬかどっちかに決めろ!。

 静かな都心型住宅街が、突然に非日常の賑わい空間に年の暮れ近くのこの日の(年に2日または3日)だけ変身するのは、実に面白い。この辺りは今は2階建ての仕舞屋と高層共同住宅ビルが混じる住宅街になっているが、実はここの街は戦前から1956年までは横浜永真遊郭だった。その名残は十年くらい前までは風呂屋と婦人科医院があったが、いまでは数軒のラブホテルのみになった。
 思うに、この酉の市の日の賑わいこそは、あの横浜遊郭の雰囲気を伝える唯一でしかも時間限定で復元的に出現する歴史的空間かもしれない。

 20年前に撮った、今と全く変わらぬ風景をのせておく。




(20231123記)

参 照
2022年の酉の市 ・2011年の酉の市 

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2023/11/22

1746【大震災と大虐殺】何だかよく分からないお詫びと訂正記事にもぞもぞ感を否めない

 今年は関東大震災が起きた1923年から100年目であり、それに関する話題があるようだ。先般久しぶりに近所の映画館に入り、その震災時における朝鮮人虐殺事件に関連する映画「福田村事件」を観た。震災混乱の中で関東の小さな村の人々が、四国から来た行商人たち
を虐殺した実話をもとにした映画だ。


 わたし自身はこの震災にほとんど関連はないが、わたしの師匠のひとりである建築家の山口文象は、建築家として世に知られる契機になったのが、実に興味あることとして研究の視点のひとつにもなっていることが、関連あると言えばある。 参照(「山口文象+初期RIA」伊達)。

 自分の終活に大量の書物処分に苦慮するから、もう新刊本を買わないと決めているにもかかわらず、昨日うっかりと買ったのが『現代思想 9月増刊号 総特集関東打震災100年』である。
 まだ読みだしたばかりだが、大災害と社会的弱者虐待をテーマとする執筆が多いようだ。いくつかに目を通したが、実にひどいことを人間は実行できるものだ。

 今日の朝日新聞に妙な訂正とお詫びが載っている。この11月18日掲載の記事が間違っていたというのである。そこで二つの記事を並べてみた。

 18日の記事は、政府は関東大震災における朝鮮人虐殺事件に関する記録がないと言い続けているのに対して、実はあったということを防衛・外務担当者が認めたとして、これまでの見解は間違いだったという意味の記事である。ところが22日の記事は、その記事は間違いだったというのだ。

 ところが読んでもその意味が分からない。記録はあったというのか、いややはり無かったというのか、どちらなんだろうか。18日の記事は「特定歴史公文書」だから「あった」という意味であろう。しかし22日には、それは「歴史的・文化的な資料または学術研究用の資料」であったから、お詫び訂正したというのであるが、記録がなかったとは書いてない。

 では、政府には虐殺に関する記録があるのか、無いのかどっちなのか。「特定・・・」は「記録」であるが、「歴史的・・・」は「記録」ではないということなのか。
 それとも「公文書」と書いたことが誤りだった、というのか。つまり公文書でないものは「記録」ではないということか。ではなぜ公文書ではないのだろうか。

 妙にはっきりしない書き方だなあ、そのはっきりしないところに、何か政治的な裏があるような、もぞもぞ感を否めない。ここであったが百年目、ってことで今こそはっきりする、なんてことではないのだ。
 あれほどの大事件だったはずだが、殺された人がいることさえも言えなくなる時代が来つつあるらしい、怖い、コロナ後の世界はろくなことがなさそうだ。早くこの世から逃げる方がよさそうだ。

(20231122記)

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2023/11/21

1745【ぶら下がり健康法か】街なかの小公園に鳩のウンコに烏の針金の巣そして私の鉄棒

 日々の徘徊のたびに通る小公園には、ぶら下がって身体を延ばすのにちょうどよい高さの鉄棒がある。よく利用する。
 鉄棒体操とか懸垂とか逆上がりとか、子どものころにやったことをやるのではない。いや、もうそんなことはできなくて、ただただぶら下がるだけである。

 ある日もいつもの様にぶら下がり、ひょいと真上を見あげた。公園には欅の木が大きくそだち、枝と葉をを広げている。見上げる枝に鳩がたくさん留まっている。
 アッと気が付いた、あの真上の尻の穴が見える、奴が糞をしたら面倒なお土産が来る、と。早々に鉄棒ぶら下がりをやめたのだった。



 この公園の欅の木には、それぞれ別の3本の木の高い枝の間に、烏が作ったらしい巣がある。よく観察しなければ存在が分からないのだが、わたしは鉄棒にぶら下がりながら発見した。巣としては不細工な作りである。

 その巣の材料が、なんと針金であり、しかもそれは洗濯物ハンガーである。田畑があれば藁や草や小枝で作るのだろうが、ないからとてハンガーとはなぜだろうか。あの形のままに組み合わせるのだから、どうも巣にまとまりをもたせることは不可能だろう。居心地悪い巣のようだが、それで子育てしているらしい。
 せめて小枝にしてはどうかと思うのだが、都心のカラスは火災に備えて不燃性材料にするのだろう。あ、そうか、外装は針金だが内装は小枝かも知れないが、見えない。

 このぶら下がりを、もう20年くらい2,3日に一度はやっている。そうやって自重で身体を延ばすのは健康法らしい。経験的には腕や肩が痛いということがなくなっていくのだ。ぶら下がり健康法なるものが昔にはやってことがあるが、それなのかもしれない。

 面白いというか悔しいのは、この20年間に同じ高さの鉄棒でやって来て、次第に手が届きにくくなることである。昔はちょっと爪先立ちすれば鉄棒に届き、しばらくぶら下っていると、靴ばペタンと地面につくようになっていた。つまり背が伸びるのである。
 ところが今では、うんと背伸び爪先立ちしないと届かないし、次第に足が地に着くようなこともない。ということは、歳のせいで背丈が縮んでもう伸びようがないのであろう。そういえば身長を測った記憶がもう何十年もないなあ。

(20231121記)

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2023/11/20

1744 【まだやってる紅白歌合戦】TV見ぬ老人でも名だけ知る歌手10人、いまに紅青白歌合戦になるか

 個人的にはなにも感じないが、クリスマスとか年末が近いらしい。

 クリスマスが近いということについては印象深い記憶がある。
 あれは30年も前だったか、仕事でヨーロッパのあちこち訪問する旅があったとき、仕事とは関係のないウィーンに泊まった。11月25日の夜のこと、前の日までは静かだった街が、その夜から電飾がきらめき、街の広場は明るく照らされて沢山の屋台が出ている。

クリスマス市が立つウィーンの電飾 1994年11月25日

 クリスマスのちょうど1カ月前の今日から、クリスマス用品を一斉に売りだす習慣があるのだ。街のあちこちの広場に市が立つし、商店街はイルミネーションの飾りつけで明るい。それはクリスマスがもうそこにやってきたという、期待のある賑わいの雰囲気だった。
 そうか、キリスト教の国の街ではこうやるのか、さすが日本ではやらないなあ、日本のお正月飾りのようなものもあり、けっこう珍しくも楽しかった。最近は日本でもやっているのだろうか。

 日本では年末が近いとて、例の今年の新語流行語大賞候補の発表とか、年末恒例のNHK放送の紅白歌合戦出場者発表とかがあると、若干は季節の節目を感じる。
 だが、わたしはTVを全く見ないから、紅白歌合戦なんて忘れてしまった。今日の新聞の漫画にその話題が載っていて気が付いた。

 ネット検索して、今年の紅白歌合戦出場者名簿を探し出した。その番組を観ようというのではない。この漫画や新語流行語と同じで、わたしが出場者とかその歌とかをどれほど知っているかを調べてみたかったのだ。

 その結果は、意外と言うべきか、少しでも知っていた人たちがいたのが奇跡のような感である。
 全出場者数44人(組)のうち、名前を聞いたことがあり歌も何だったか聞いた記憶があるお方(印)はわずか3人である。
 名前だけは聞いたか読んだかした記憶があるが、歌は全く記憶にない人(印)が7人、後は全く名も歌も知らない。

 TV観ないから当然のことに惨憺たるものだが、わたしとしては少しでも聞いたことある人が、10人もいることが驚きであった。
 それにしても紅白歌合戦なんて、少年のころに聞いたような記憶があるが、何時からやっているのかしら。
 そう思ってネット検索したら、なんとラジオで1951年1月からとあるから、わたしの記憶は正しい。5球スーパーラジオだったかしら。

 さらに続くとすれば、近いうちに歌合戦になるだろう。男と女とを別の組にし分けて競わせることに、異議を唱える人たちが必ず登場してくるに違いない。世に性別で競う遊びや文化はたくさんあるが、これから面白いことになりそうだ。

(20231120記)

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2023/11/19

1743【都市の高齢化率比較】歳取ればどの街に住むのが得なのかとZOOMで考えた

●年寄りにはZOOM同期会が適している

 リアルに出会ってやる飲み会とか同期会とかは、この4年間コロナで止められていたが、コロナが終わった(らしい)からもう解禁である。
 ところが、コロナ期間中に同期仲間は後期高齢者から末期高齢者に突入してしまった。そこで起きたのが、高齢化による身体やら家族やら、でいろいろな不都合なことである。コロナが終わっても、リアル飲み会の復活は無理になってきたのだ。悔しい、コロナの奴に腹が立つが、どうにもしょうがない。

 そこで登場したのがコロナ中にビジネス世界で大流行のZOOMである。それを動けぬ老人たちの遊びに取り込んだのである。ヒマツブシばかりではないが、それに近いことをだらだらと、同年のヨイヨイ同期生たちとPCに向かって話すのである。

 その老人無駄話ZOOMを、これまで1年ほどあれこれやったが、これははっきり言って、老人のボケ対策にまことに有効であると分かった。老人のボケ防止と言うか、ボケ進行遅延策と言うか、あるいは社会復帰の機会になるかもそれない。

 同じ釜の飯を食った大学寮仲間10人前後で、毎月2回の定例ZOOMである。話題はその時の持ち回り担当者が適当に決める。みんなにアンケートで話題を組み立てることもある。
 つい先日のZOOM話題は、「先般、敬老の日があったが、自治会とか自治体とかが、何かお祝いのようなことをしてくれたか」というものであった。

 参加者がそれぞれ自分の場合を話したのだが、内容はわたしのような「全く何もない」を最低にして、最高は「外国旅行券(くじびきだが)」というのまで、各種各様で地域の貧富の差というか、コミュニティの緊密度と言うか、それぞれだった。
 饅頭を10個ももらって老夫婦で20個もどうするかと問題にもなったとか、羨ましい話もあった。それらの話は措いておく。

 ZOOM参加者はみな85歳前後の後期高齢者どころか、今や末期老齢者になりつつあるものばかりである。本州の東から西へ11都市の11人、太平洋を越えたCALIFORNIAから1人であった。男ばかりというのが当時の理工系大学の様相だ。

●年寄り日本列島

 わたしが個人的に気になったのは、それぞれの暮らす街には、高齢者はどれくらいいるものかということである。そこでそれぞれの住む自治体の人口統計をネット検索して、参加者の住む都市の高齢者比率を比べてみることにした。それがこの表である。


 東から西へ並べた。大都市から小都市までそろっていて、高齢率も様々で面白い。久しぶりにこんな表を作った。少し驚きつつ、ほう、日本の高齢化はこうなのかと眺めてみた。なお、こっれらどの都市にも仕事か遊びで訪れたことがある。

 昔々、日本全体の人口のうち65歳以上が7%になると高齢社会に入り、その倍の14%になると高齢化社会に入ると、勉強したものだった。そしてある時14%になって、おやおやと思った記憶があるが、今調べたらそれは1995年のことだった。そうか、直接関係ないが、その年は阪神淡路大震災があったなあ、その年に死んだ父親よりも長生きしてるなあ。

 なお、7%を越えたのは1970年だそうだが、そのときの記憶はない。若くてあまり老人のことに気が回らなかった証拠か。2倍になるのに四半世紀かかって、今や28.22%だから酷いもの、いや、すごいものだ。
 なお、21%を超えると超高齢社会と呼ばれるそうで、わたしもそれに立派に寄与している。まさにその時代にいるのだ。

 高齢者を分類して、65歳以上~75歳未満を「前期高齢者」といい、75歳以上85歳未満を「後期高齢者」と政策的に言うそうだ。では85歳以上を何と言うか。政策的には超後期高齢者と言うそうである。
 でもこれはあまり聞かないなあ、わたしは語感から言って末期高齢者」と言えばよいように思う。末期とはマッキと読むが、マツゴとも読めるから適していると思う。

●年寄り比率の意外な都市

 こうして11都市を比較して見て意外に面白方。
 浦安市は高度成長時代に東京湾を広大に埋め立てて市域を5倍ほどにも広げ、隣接する東京都区内からあふれる人口を計画的に受け止めた。若い人たちやってきたから、いまも高齢者比率が低い。日本一の若い都市である。
 なお、わたしは1970年ころから10数年、浦安市の埋め立て地に何にもない頃から、都市計画の仕事として土地利用計画を作り、ディズニーランド周辺構想にも関わった。懐かしい街であり、それほどにも若い街であるのだ。

 関東の南近郊都市の横須賀市が、意外に高齢都市であるに驚いた。ここも80年代初から90年代末ころまで、仕事で都市計画にかかわった懐かしい都市である。
 この横須賀市に高齢状況が似ているのが、阪神の近郊都市の宝塚市であるのも意外だ。どちらもイメージが良い巨大都市近郊都市なので老後に住みに来る人が多いのだろうか。

 三鷹市宝塚市は地政学的に似た立地と思うのだが、宝塚市の方が高齢化率では大きくリードするのはなぜだろうか。
 同じ東海道筋の都市でも、三島市豊橋市の違いはなにだろうか。豊橋の方が若いのは工業化かによる違いか。
 韮崎市三次市は、いずれも地方小都市であり、予想通りにずれも日本の典型的な高齢化と人口減少中である。どちらも山間部の盆地都市であることが似ている。

 私が住む横浜市中区は、大都市としては古い都心部だから高齢化率が高いと思っていたが、意外にそうでもないのである。都心部だけに人の出入りが多いのだろうか。
 これらいろいろ私が意外に思うことは、人口学者には常識的なことかもしれないが、ちょっと興味をそそられている。

 年取るとどこの町に住むのが得だろうかと昔から考えていて、高齢者仲間に入ると同時に今のところに移り住んで20年になった。個人的には生活圏としては移転成功したと思う。
 しかし、あまりにも課題が多く積み残し過ぎているのが今に日本の居住政策だ。いや日本には住宅政策はあったが、居住政策はなかったし、いまもないと思うのだ。

(20231119記)

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2023/11/17

1742【難病再来?】ふた昔前の記憶にある痛みが身の内よりまた湧き出てくる不気味さよ

 あれ?、また例の難病か??、10日ほど前から、左の尻の奥の芯のあたりが、何となく痛むのだが、実はこの場所でこの痛み方には、苦い記憶がある、あの時によく似ている。

 それは2002年から2年間ほど悩まされた、不治の病と医師に宣告されたのに、実は自然治癒してしまったという、妙な誤診事件である。
 その病名は「大腿骨頭壊死症」であった。これな治療が公費負担されるほどの難病である。これが別の病目になって治ったのだ。

 仕事が忙しかった頃なので、痛みを辛抱して杖を突いて、全国各地のどこにでも出かけていた。医師は言う、今は痛くても歩ける、そのうちに股関節がぐじゃりと潰れて歩けなくなる時が必ず来る、今のうちに手術して金属製の関節に取り替えておくこともできる、などともいう。

 そういえば母の骨上げをしたときに、人工関節のセラミックボールが、きれいに焼け残っていた。母の様に手術するかな、どうしようかなあと悩みつつ、忙しい日々を過ごして半年ほどたった頃から、次第に痛み薄れてきた。医師が言う不治の病が治るはずがないからと、それでも杖を離さず、骨の壊死破壊を恐れつつ歩てていた。

 そして発病から1年半後のある定期診断の日、それまでとは別の医師がでてきて、おもむろに言った。これは病名が違っていた、実は「大腿骨頭萎縮症」と言う病で、数カ月で自然治癒する病だ、と。妊婦がかかりやすいとか。
 え、え?、ほんとう?、オレは妊婦か?、大逆転というか、地獄から突然天国へと言うか、いや、なんでもいいや、治ったあ~。

新旧杖2本
 つまり、もう痛くないないということは、とっくに自然治癒していたのであった。大誤診であると言うべきか。あまり落差にちょっと呆けつつも、良いことなので医師の気が変わらないうちに病院を逃げ出し、ニヤニヤと笑いつつ、杖を肩にかけて帰宅したのであった。

 さて、そんな体験のある病が、またも舞い戻ってきたのだろうか。日々少しづつ痛みが増してくる感がある。だが、これが大腿骨頭萎縮症ならば、この前の様に放っておけば自然治癒するのだから、半年ほどの辛抱ですむだろう。

 だが、もしも今度こそ骨頭壊死症ならば、ある日歩けなくなる。今の段階で医師の診察を受けて、骨頭壊死症と言われても、あるいは萎縮症と言われても、どちらも信用できない。いや壊死症と言われても絶対に信用したくない。

 ということは、要するにまだ当分は医師に見せたくないということだな、まあ、20年前と比べるともう末期高齢者だから、たとえ手術すると言われても、もう体力がないから無理だろうし、手術したとしてもすぐに死ぬ時が来るから、コストパフォ-マンスが悪すぎる。

 と言うわけで、近頃また20年前の杖を出して使ってみている。不治の病を治した縁起が良い杖だからとゲンをかついでいるのではない。
 今や老いと言う病で脚がふらつき気味なのを、杖でサポートする身になっている。ウォーキング遊び用の杖をそのメインにして、20年前の杖も予備としている。

 実はやってみて、老いの杖曳きは道を譲られる確率がかなり高い。こちらは譲られるほどのよぼよぼでもないのになあと恐縮がっているのだが、病の故の杖ならば、なんだか堂々と譲られてもよい気がする。 

 なんてことをくよくよ考えてヒマツブシの種が一つ増えたので、ここに書いておくのだ。 

(20231017記)

関連ページ:
思い出エッセイ「杖」
にわか身障者顛末記:大腿骨頭壊死症難病誤診事件

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2023/11/16

1741【コロナ後廃頽】コロナ消えまた街にあの喧騒そして地球にひろがる戦火

 コロナでバッタリだった外国から日本にやってくる人たちの数が、ようやくコロナの前の水準に戻ったのだそうだ。このグラフの訪日客の全部が観光客かどうか知らないが、まあ、ほとんどがそうなのだろう。


 思えばコロナのおかげで、日本も静かになっていたのに、あの喧噪な人々がまたどどっとやってくるのかと思うと、うんざりである。典型的なのが、近所の横浜中華街である。
 観光業で食っている人達は良いだろうが、地域生活者にとってはちっとも良いことはない。まあ観光地帯に近づかけねば良いのだろうが、日々の徘徊で時には気になるので、どんな感じだろうかと野次馬に出かけては、毎度毎度のガキの騒ぎに辟易するのである。
 コロナ中は中華街も港あたりも、静かでよかったなあ。

人影まばらで静かな横浜中華街大通り 2020年5月

 この訪日観光客相手に儲ける観光事業関係者は、地域生活者になにか慰謝料と言うか、迷惑料と言うか、呉れているのだろうか。観光収入を基にする税金がまわりまわってこちらにも何か恩恵があるのかしら。気が付かないなあ。

 その一方で、日本の実質GDPはこの7~9月期では、マイナス成長だそうである。良く分からないが、この外来観光客回復とGDPダウンとは無関係なのだろうか。不思議である。


 そしてこのままいけば、名目GDPはインドにもドイツにも追い抜かれそうとあるのだが、これもどういうことだろうか。

 生活者にとっては、この数年間はちっとも豊かにならないどころか、むしろ貧乏になろうとしている日常感覚が、このように数字に現われるのだろうか。

 生活圏は観光客に荒らされるばかり、日常物価は上昇するばかり、年金は目減りするばかり、地球は人間がいがみ合い、空気は汚くなってきたし、こうなればもう超高齢者は生きているうちに、この先に良いことはなさそうな世の中である。まったくロクでもない時代を生きたものである。ヤレヤレ。

 それにつけても思うが、あの静かな街を懐かしいなあ、またコロナがやってくることを期待しているぞ!

(20231116記)

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2023/11/15

1740【空中陋屋景観】つまらぬ名ばかりマンション群にオフィスビル新登場で景観に期待中だが

 わたしの住む空中陋屋のバルコニーのはるか向こう、公園の樹冠の上に鉄骨の骨組みビルが、毎日にょきにょきと成長してきている。名ばかりマンションの共同住宅ビル群の街は、はてどう景観が変わるのか楽しみである。

 この秋の初めころのある日、公園の欅の葉張りの上に鉄骨がにょきりとと出てきた。初めに左の1スパン(奥行き2スパン)分が、3日ほどでたちまちに7層まで上がった。
 ダイニングルームから眺めていると、それはプラモデル部品の組み立てと同じである。だが比較にならない巨大さだ。

左スパンが建ち上った 

中スパン建ち上げ中

右スパン建ち上げ中



全スパン建ち上げ完了

 工場から運んできた柱や梁を、順序良くクレーン車で吊り上げて組み立てていく。まず2層分の柱を立てる。その柱の空中に待ち構える鳶職に、こんどは大梁鉄骨を地上から吊り上げて、空中からそろそろと下ろす。

 地上から60mはあろうかという超高層ビル並のクレーンの先からぶら下がる、長さが10mほどの鉄骨を無駄に揺すったり振り回すことなく、しずしずと高い位置にいる鳶職におろしてゆく。あのとび職にちょっと憧れるのは、昔大学山岳部での岩登り好きの名残り。
 それを空中で受ける高所のとび職の技もすごいが、ここからは公園樹木に隠れて全く見えない地上のクレーン車の操縦者の腕に感心する。

 吊られる鉄骨の行方を飽きもせず眺める。鳶職は鉄骨を優しく受け止めて、空中の足元におろして檻でも作るように柱や梁で組み立てていく。その動作と音到達の時間差があって、カーンカーンと打つ鉄の音が聞こえてくる。
 それを繰り返して何本もの柱や大梁小梁床板などなど、よくまあ順序良く吊り上げ下ろしするものだ。現寸立体ジグソーパズルである。あの順序には深い意味があるらしい。

 吊り上げる鉄骨や部品などの順序を間違えると、現場が混乱するばかりか、危険であろうから、この鉄骨組み立て順序は、なかなかに精緻な工程デザインであるはずだ。
 遠くだから正確には見えないが、見えがかりは武骨で大雑把な鉄骨でも、実はそれと対極的な精緻な仕事として組み立てられているらしいと、楽しく眺めている。

 そうやって幅1スパン奥行き2スパンずつ、左から右へと順序良く3スパンが建ち上ってきた。徘徊ついでにそばで見てきたら、これで敷地はいっぱいである。
 こんな狭い所でよくまああの長いクレーンを振り回せるものだ。どうやら道路も仮使用しているらしい。交通量が多いから時間も制限されるから大変だな。この建物はまだ工事中で、いつごろ完成か知らない。

 わたしの住いの重要な方向の景観を形成することは確かだ。すでに幅も高さも全体のボリュームが仮囲い状態で登場して、その向こうの山手の緑が隠れてしまった。ここに住んで22年、バルコニーから見える緑の面積がどんどん減り、残るは手前の公園の樹木だけか。

 その原因はどれも共同住宅ビル(いわゆる名ばかりマンション)であるが、この工事中のビルは珍しく、研修所と表示してある。ふむ、これまで次々と登場してきた共同住宅ビルには飽き飽き、今度は目新しいデザインビルが登場か、どんな美しい景観か、楽しみである。

 しかしなあ、あまり期待すると、ろくでもないデザインのビル登場でガックリする心配がある。設計施工だから期待しないでおこう。
 実は昔から思っているのだが、どんな建築も骨組みだけの時の姿が最も美しい。特に鉄骨建築は美しい。仕上げが付くほどつまらなくなる。

(20231115記)

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